2011年7月26日火曜日

「米国債はデフォルト危機」と大騒ぎする日本の新聞は「財政破綻」「増税」は好きだが、自分たちだけ「軽減税率」求める浅ましさ ―【私の論評】消費税率アップが、新聞業界と財務省の共通の利益だが、アメリカの利益にはならない!!

【ニュースの深読み】「米国債はデフォルト危機」と大騒ぎする日本の新聞は「財政破綻」「増税」は好きだが、自分たちだけ「軽減税率」求める浅ましさ

本日は、米国債のデフォルト騒ぎに関して、現代ビジネスに高橋 洋一氏のもので興味深い記事を発見したので、その要約を掲載します。
最近、日本の新聞にも「米国国債がデフォルトか」という記事がよくでてくる。8月2日までにオバマ米大統領と議会指導部が債務上限見直しを合意し、上限の引き上げができないと、米国国債はデフォルトになるという話だ。 
実際は、どうなのか。まず米国の国債制度を日本と対比してみよう。米国では毎年度の国債発行額は、第二自由公債法に基づく債務残高についての制限を受ける。一方、日本の場合、毎年度建設公債発行額は予算総則で、特例公債は特例法で制限されている。というわけで、米国では第二自由公債法の債務残高上限さえ下回っていれば、毎年度の発行には支障ない。 
それにしても、最近、米国債のデフォルトの議論がしばしば新聞にでてくる。たしかに問題になっていることは事実だが、ちょっと騒ぎすぎではないか。これほど騒ぐ理由は何かと穿ってみてしまう。 
債務の上限引き上げは年中行事
現在の法定上限は14兆円2940億ドル(1150兆円)である。第二自由公債法は1917年制定だが、それから現在まで74回の上限の引き上げがあった。今年5月には債務残高が法定上限を超え、オバマ政権は議会に法定上限の引き上げを要請し、8月2日までオバマ政権に猶予が与えられている。要するに、債務の上限引き上げは年中行事なのである。 
ただし、米国では昨年の中間選挙で共和党が過半数を奪回しており、上院は民主党が過半数を上回り、日本と同様のねじれがおきている。そこ日本と同じく野党が政府・与党を攻撃するために債務残高規制を利用しているのだ。普通に行けば、与野党の政治妥協の上に債務残高が引き上げられるだろう。

新聞は、日本についても財政危機という話をたびたび報じる。「だから増税が必要だ」とあおる新聞社も多い。しかし、そもそも日本が財政危機という話は怪しいのだ。しばしば債務残高がGDPの2倍あるとかいうが、バランスシートの資産もGDPの1.3倍もある。債務も世界一なら資産も世界一なのだ。何よりソブリンCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は1%にも満たずギリシャの20%に比べると雲泥の差だ。だから日本が破綻という話は国際金融市場では出ていない。 
自民も民主も大新聞も増税に大賛成
ひょっとしたら驚異的な粘りを発揮する菅政権の手になるかもしれない3次補正。少なくとも10兆円超なので、財源議論が避けられない。野党自民党は、つなぎ復興債を発行するが、その償還のために来年から3年間で所得・法人税増税という方針だ。民主党も償還に5年程度と似たり寄ったりで、増税に同調する見通しだ。 
マスコミも日経、読売、朝日等主要紙は復興増税に賛成だ。実はそのために、学者に働きかけるなどの布石も打っている。自らの紙面を使って、増税派の学者にどんどんと意見を書かせている。学者側もそれに応じて、復興増税への賛同者を集めている( http://www.tito.e.u-tokyo.ac.jp/j_fukkou2011_list.htm )。この裏側には作業を手伝っている大手新聞がいるという噂だ。 
しかし、かねてより指摘してきたが、震災のような一時的ショックへの財政対応した場合の財源について増税というセオリーはない。直感的にいえば、100年に一度の震災なら、100年国債を発行して、その負担は100年で分割するのがいい。仮に10兆円が3次補正とすれば、100年間で分割するので、1年で1000億円だ。ところが、3年だと1年で3.3兆円になる。 
それにもかかわらず、大手新聞が復興増税に前のめりな理由の一つに、大手新聞の幹部の属人的なものがある。幹部の中には若いときに旧大蔵省記者クラブキャップを務め、旧大蔵官僚から情報リークを受けていた人もいるからだ。 
大手新聞は、3次補正だけでなく、消費税増税にも前のめりだ。菅政権が、6月30日、消費税について「2010年代半ばまでに10%に」と決めると、その翌日の7月1日は時期を明確にせよなどと財務省応援団みたいな後押し記事ばかりで、消費税上げに賛成だった。 
大物財務省OBが天下りした理由
その一方で、新聞協会は7月12日、経済産業省が募集していた来年度の税制改正要望に対して、要望書を提出し、消費税については軽減税率の適用を求めている。新聞業界は、消費税軽減のために海外調査を行う等なりふりかまわぬスタンスだ。つまり消費税率アップが、新聞業界と財務省の共通の利益なのだ。 
新聞は消費税アップによっても新聞代の引き上げを避けられる。一方財務省にも利権が発生する。というのは、消費税率がアップすると、必ず軽減税率やゼロ税率の話が出てくる。新聞業界もそのひとつだ。社会的使命を主張しながら、消費税の軽減税率を財務省に働きかけている。これはもちろん新聞では報道されないが事実だ。どの業界に軽減税率を適用するかどうかは財務省の胸先三寸である。 
財務省の事務次官であった丹呉泰健氏が読売新聞に天下りしたことは昨年11月22日の本コラムで述べている。消費税率引き上 げと新聞業界の軽減税率・ゼロ税率の願望とは無縁とはいえない。 
新聞業界と財務省は既に蜜月関係にあると見ていいだろう。だから、新聞が行う世論調査で、増税が必要かというものはあてにならないことを留意する必要がある。そんなものは質問の仕方によってかなり変わるからだ。
【私の論評】消費税率アップが、新聞業界と財務省の共通の利益だが、アメリカの利益にはならない!!
アメリカのデフォルトという話は、確かに以前にも何度かあり、別に珍しくも何でもない話です。その真相は、上記の高橋氏が掲載している通りです。高橋氏は、上の記事を書いていて、アメリカのデフォルト騒ぎに関して、主に、日本国内事情から書いています。私は、これはもっともなことであり、多い賛同します。

しかし、私は、このデフォルト騒ぎに関して、アメリカ側からの事情というより、私の憶測を以前このブログに掲載しました。そのURLを以下に掲載しておきます。

【NewsBrief】米大統領が財政協議に関与、デフォルト回避に向け与野党幹部と会談へ―【私の論評】アメリカのデフォルト演出は何を意味するのか?日本に強い関わりがあるその意味!!

詳細は、上の記事をみていただくものとして、簡単にその内容を記載しておきます。この記事では、私は、アメリカのデフォルトは特定の意図をもった演出であるとしました。
私が、類推するに、アメリカ側がデフォルト騒ぎを演出するのは、ドルを一時でも、相対的に安くし、アメリカの貿易の振興を図り、一時的に外需主導で、アメリカの景気を良くしようという企てがあるのだと思います。 
・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・
来年は、アメリカ大統領選挙も控えてるので、オバマ大統領は、今年は是が非でも、景気を良くしなければなりません。特に、景気を良くして、雇用状況を良くしなければなりません。そうでなければ、来年の選挙で勝つことはできません。だから、オバマ大統領は、是が非でも今年は、景気を回復させよう、雇用を改善しようと意気込んでいるわけです。 
しかしながら、最近のアメリカの雇用統計などみると、思ったほどには、雇用情勢が回復していません。雇用が回復しなければ、本格的な景気の回復は見込むことができません。しかし、アメリカは、過去、金融危機前まで、景気が良い時期が続いたので、先のように復元力の原則からいって、ここ数年、国内の内需拡大による景気回復は見込めないのだと思います。 
しかしながら、オバマ大統領是が非でも、ここ、1~2年はアメリカの景気を良くしなければなりません。そうして、深謀遠慮をめぐらした結果、日本に目が向いたのだと思います。 
そうです。いままで、低迷していた、日本の景気が上向いてくるわけですから、アメリカ国内景気がどうしても上向かないというのなら、アメリカの輸出が増えて、日本などにアメリカ製品を沢山買ってもらうようになれば、良いということです。そうして、外需主導でアメリカの景気が上向けば良いということです。ただし、このシナリオは、日本の景気回復がしなければ、絶対に成就しません。オバマが勝つためには、何がなんでも日本の景気が良くなる事が前提ですから、今後、日本政府が増税するなどと世迷言を繰り返し、被災地の復興も、モタモタしていれば、デフォルト演出だけでは事がすまなくなり、圧力をかけてくる可能性もあると思います。
さて、この推論はあたっているかどうか、それとも、単なる私の憶測で終わってしまうのかどうか・・・・。それに関しては、今後の推移をみていかなければわからないですが、今のところ、この憶測は、アメリカの雇用統計が回復しないことにより、アメリカの景気は内需主導ではなかなか回復しそうにもないこと、さらには、円高基調ということで、少なくとも今のところ外れてはいないと思います。

実際に、本日は以下のようなニュースも飛び込んできています。
26日午前の東京外国為替市場の円相場は、米債務上限問題に進展がないことが嫌気され、一時1ドル=77円95銭近辺を付けた。3月17日以来、約4カ月ぶりの円高ドル安水準。 
午前10時現在は前日比02銭円高ドル安の1ドル=78円20~21銭。ユーロは24銭円安ユーロ高の1ユーロ=112円56~58銭。 
日本時間26日午前のオバマ米大統領の演説を受け、債務上限問題の進展がないとの見方が広がり円を買い、ドルを売る動きが加速した。市場では「今後の議会の協議次第では、円高が一段と進む可能性がある」(外為ブローカー)との声もある。
また、22日時点では、以下のような動画も配信されています。


今のところ、円高傾向は、ますます強まる気配です。確かに、これには、震災などの復興のため、円の需要が高まることが、目にみえているにも限らず、日銀が増刷回避の態度を崩していないという日本の内部事情によるところあると思いますが、今のところ、アメリカ、特にオバマに有利に運んでいるようにみえます。

さて、ここで、国内事情にもう一度もどってみると、上記の記事のように、高橋洋一氏震災などの復興のための増税などといことは、マクロ経済学的にもそのようなセオリーはないですし、現実にも、過去のどの国でも、震災復興のために増税など行われたことはありません。

さらに、上記の高橋氏の記事を補足しておきます。高橋氏は、日本が財政危機という話は怪しいとして、「しばしば債務残高がGDPの2倍あるとかいうが、バランスシートの資産もGDPの1.3倍もある。債務も世界一なら資産も世界一なのだ。何よりソブリンCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は1%にも満たずギリシャの20%に比べると雲泥の差だ。だから日本が破綻という話は国際金融市場では出ていない」としています。確かに、この通りなのですが、この文章には、主語がないので、理解しにくいです。

これに主語を入れると、以下のような文章になります。
しばしば日本国政府の債務残高がGDPの2倍あるとかいうが、日本国政府のバランスシートの資産もGDPの1.3倍もある。債務も世界一なら資産も世界一なのだ。何よりソブリンCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は1%にも満たずギリシャの20%に比べると雲泥の差だ。だから日本国政府が財政破綻という話は国際金融市場では出ていない。
上記では、日本国政府という主語を入れました。この主語を入れたことについて、多くの人は、「国=政府」だから、何もわざわざ、ことわるように、主語を入れる必要がないではないかと思われるかも知れません。しかし、国と政府はイーブンではありません。これは、あくまで、政府が借金をしているということであり、日本国そのものが借金をしているわけではありません。

それどころか、日本国単位でみると、日本は世界で一番金融資産を海外に貸し付けている国です。しかも、過去20年かんにわたり一位です。その額は、直近で、266兆円です。では、日本国政府の借金はどこからしているのかといえば、日本国民からです。

これが、ギリシャ政府などの借金の場合は、ギリシャ政府自体が、外国から借金をしているということです。しかも、国民も外貨建ての借金をしているという有様です。日本とは、根本的に異なるのです。これに関しては、このブログでも過去に掲載したことがあります。詳しくは、下の【関連記事】をご覧になってください。

このようなことから、日本が財政破綻をするなどということはあり得ません。日本が破綻するときは、世界経済の滅亡です。おそらく、先進国は、100年前の水準、新興国は、現在の発展途上国なみ、発展途上国は、石器時代の水準に戻ることになります。何か、日本の新聞は、日本が破綻しても、日本だけが、ひっそりと表舞台から姿を消すような報道ぶりですが、そんなことはありません。ギリシャなどの国の財政破綻は、日本にとっては、対岸の火事であるどころか、日本が財政破綻するようなことを主張する日本の新聞は全く異常ということになります。

それから、高橋氏は、世界の金融市場では、日本の財政破綻を「だから日本が破綻という話は国際金融市場では出ていない」としていますが、確かに現時点では、そのようなことはでていません。しか、ギリシャのリスクが表にでたときに、ゴールドマン・サックスなどは、日本のソブリンリスクを喧伝しました。こやつらは、結局、どんな些細なことでも、金儲けになるなら言ってみるという習性があります。それは、アメリカの投資銀行だけではなく日本の証券会社でも似たようなことがあります。

さすがに、国際的には、そのようなことを言っても、最早誰も信じないので、いまでは鳴りを潜めましたが、日本国内だと、直近でもそれに近いことをいう、証券会社のアナリストもいます。このようなことをいう者も、高橋氏が新聞社に対して言っているように、"あさましい"という形容詞がピッタリだと思います。

私は、この点では、このブログでは、高橋氏よりも手厳しい言い方で、このような物言いをする馬鹿者を「金融馬鹿」とか、「賭博師」と呼んでいます。 証券会社のアナリストとか、経済アナリストという中には金儲けのためには、何でも言って見る"あさましい"奴らがいくらでもいます。最も、それが、彼らの会社での仕事なので、彼らを非難しても仕方ないのかもしれませんが、皆さんは、用心してください。

高橋氏は、日本では、財務省が増税を狙っており、新聞は、それを報道すれば、それと引換に、新聞社は増税を免れるという構図になっているといいます。これは、本当にありそうな話です。これに関しては、テレビ報道も似た様なものです。テレビでも、学者がでてきて、マクロ経済的には、あり得ない増税論議をさも、まともな政策のように語っているものをいくつも見たことがあります。

本当に、セオリーからは、逸脱した、これらの学者達の話は、新聞社と同じで、まさに、高橋氏が言っている"あさましい"という形容詞がぴったりです。

しかし、もう一度、アメリカの話を思い出してください。もし、私の憶測があたっていたとしたら、日本が、マクロ経済学の基本セオリーを無視して、増税に走ったとしたら、オバマは黙っていないでしょう。内政干渉ギリギリの圧をかけてくることは必定だと思います。

それにしても、もう日本は、政府も、新聞もテレビも、もう、ズブズブに財務省にやられています。政府も、国民も、財務省の策略にはのせられないようにすべきです。それにしても、もし、私の憶測があたって、オバマが圧力をかけてきたら、本当に情けない事と思います。この憶測はできれば、外れてほしいと願っています。

政府は、東日本大震災の復旧・復興のため、10兆円規模の臨時の増税を行うほか、政府が保有する東京メトロ株や国会議員宿舎跡地の売却を検討しています。

政府は、復旧・復興には10年間で最低23兆円かかるとしたうえで、財源確保のため10兆円程度の復興債を発行する方針です。復興債の返済は5年を基本に、最長で10年間、所得税や法人税などの臨時の増税で賄います。財源の一部として、政府が保有するおよそ1700億円分の東京メトロ株や国会議員宿舎跡地の売却も検討しています。政府は、こうした財源案を盛り込んだ基本方針を29日にも決定したい考えですが、臨時の増税に対しては民主党内から強い反発の声が上がっています。

民主党の中にも、復興に増税て財源を確保するなどという、マクロ経済と世界の常識からかけ離れた暴挙に反対の声があがるのは当然のことと思います。これで、増税すれば、失われた20年が、30年、50年になるかもしれません。

ただし、ここで、誤解をさけるためにいっておきますが、私は、何が何でも、増税するなといっているわけではありません。増税する減税するというのは、あくまで、経済の舵取りをする上でバランスをとらなければならないことをいいたいだけです。

インフレ傾向で、景気が加熱気味のときには、緊縮財政、増税、金融引き締めを、デフレで景気が停滞しているときは、財政出動、減税、金融緩和を、大規模な自然災害などがあったときは、その復興のための財源は国債などによるべきで、増税などすべきではないという、マクロ経済学上の常識、世界一般の常識を、やり方はいろいろあるにしても、実施しましょうと言っているだけのことであって、当たり前の真ん中を主張しているだけです。どの手法をどのようにどの期間でやるかという問題はあっても、この方向性だけは、誰も否定できないと思います。この見地からいって、ここしばらくは、増税などすべきではないと言っているだけです。

これを否定する人は、事実にもとづいて、検証をする必要があると思います。その検証にもとづき、自説を公表すべきです。それが、まともな学者、まともな報道機関の姿であるはずです。しかし、今のところ、これを否定する人々のなかから、納得できる検証内容など誰からも公表されていません。検証もできないものに基づき、経済政策を決定するということは、まさに、愚者の行いといわざるをえません。

いずれにせよ、上記の高橋氏が主張することも、私の言っていることも、それこそ、さして難しくもない中高でも、断片的ではありますが、教えているマクロ経済の原則を知り、財務省などが出している資料などみて、裏付けをとればすぐに判ることです。最も、まずいのは、原理原則に則って解決できる問題を、財務省とか新聞社などが、喧伝するように、日本だけの特殊事情とみて、場当たり的に解決することだと思います。多くの人に、あさましい人々の意見に惑わされず、自らの見識を持っていただきたいものです。それに、あさましい学者の方々には、今からでも遅くありません、真実を語ってほしいものです。

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2011年7月25日月曜日

事故車両、穴に埋める 「事故原因隠蔽では」「生存者いるかも」…ネットで反発渦巻く―【私の論評】尖閣問題でも露呈された、異質中国大炸裂!

事故車両、穴に埋める 「事故原因隠蔽では」「生存者いるかも」…ネットで反発渦巻く

24日午前、中国浙江省温州市で破壊される高速鉄道の先頭部分
【温州(中国浙江省)=河崎真澄】中国の浙江省温州で23日夜に起きた高速鉄道の追突事故で、消防隊や軍など救援隊が24日夕までに大破した車両の一部を重機で現場に掘った穴に埋めてしまった問題で、インターネット上では「車内には生存者がおり、遺体、遺留品もあるかもしれないのに、どうして急いで埋めたのか。最後まで探したのか」と反発する声が渦巻いている。

破損車両は事故原因の究明にも欠かせないが、24日深夜に温州で記者会見した中国鉄道省の王勇平報道官は、運転席など車両の先頭部分を地中に埋めたことを認めた上で、「危険回避の緊急措置だった」と反論した。車両落下地点の農地は激しい雷雨でぬかるみになっており、救援隊や車両を現場に入れるために必要な措置だったと釈明した。

しかし、こうした説明に対し、ネット上では「技術的な問題が引き起こした人災としての事故原因を隠蔽するためではないか」「安全性の向上のためにも事故車両は保存して徹底研究すべきだ」などとする声であふれている。ネットユーザーは当局の事故処理への疑念を深めているようだ。

事故車両は24日夕までにすべて撤去された。

中国当局は25日、前日に引き続き脱線落下した車両を破壊し、現場付近に埋める作業を行った。国内メディアに対しては「否定的な報道はしないように」との通達を出したほか、現場周辺の立ち入り禁止区域を拡大。当局が、事故責任を問う批判の高まりに神経をとがらせていることをうかがわせた。

解体された車両には、計器類がある先頭車両の運転席部分も含まれ、市民からは「証拠隠滅だ」との批判が続出。鉄道省の王勇平報道官は「現場は雨でぬかるんでおり、作業が不便だった。危険を回避するための緊急措置だった」と釈明する一方、同日午前で作業を中止した。批判を回避するためとみられる。

また、不通になっていた浙江省寧波-温州間は25日午前、事故から一日半ぶりに早くも運行が再開された。鉄道省は、追突した列車の運行状況を記録した装置を回収したことを明らかにし「状況が判明次第、速やかに公表する」と明言した。しかし、当局は原因の調査が進んでいない段階で事態の早期収拾を図ろうとしており、真実がどこまで明らかになるかは不透明だ。

新華社通信によると、温州市政府は25日、事故の死者数が四十人になったと明らかにした。負傷者は約二百人。死者は前日の時点で四十三人との発表を下方修正した。犠牲者はさらに増える可能性がある。

事故は23日午後八時半すぎに発生。北京発福建省福州行きD301(十六両編成、乗客千七十二人)が、線路上に停車していた浙江省杭州発福州南行きD3115(十六両編成、乗客五百五十八人)に追突した。

【私の論評】尖閣問題でも露呈された、異質中国大炸裂!


上記は、中国で報道された、脱線した高速鉄道を埋めるシーンです。かなり、乱暴にやっています。クレーンでかなり破壊して、埋めています。日本の常識では、ほとんど考えようがない光景です。これは、完璧な隠蔽工作です。

しかし、これじゃ隠蔽にはなりませんね。何か、あまり頭の良い隠蔽方法ではないです。上手に隠蔽するなら、どこかに運びだし、隠すのが順当だと思うのですが、そうではないのですね。このようなやり方をすれば、ますます、疑惑が深まるばかりです。国家の威信をかけた鉄道のようですが、これでは、逆効果です。国民の信頼を裏切り、海外からの不信を招き、国家の威信を地に貶めたようなものです。

中国では、高速鉄道に限らす、普通の列車でも他の国に比較すると非常に事故が多いです。日本では、新幹線は、開業以来一人も死傷者を出していません。それにしても、事故がおきて、2日目で原因追究も十分にしていないうちから、運行を再開するなど、とてもじゃないですが、日本の常識、いや世界の常識では考え及びもつきません。

日本は、会社がどうだ、政府がどうだ、何がどうだと、批判は厳しいものがありますが、さすがに中国のようなことはしないです。福知山線の脱線事故で、いったい、どれくらいの間電車が走らなかったでしょうか?今回の震災で、甚大な被害を蒙った福島原発に限らず、被害にあわなかったものでも、定期点検で稼動をとめていたものも、すぐには稼動を再開しませんでした。これが、あたり前のことです。とは、いってもこれは、あまりに当たり前の常識的なことです。

日本の福知山線脱線事故
中国では、この事故に限らず、以前から鉄道事故が多すぎてす。中国の鉄道は、日本の技術を盗用したとされていることは、昨年このブログ掲載で掲載したことがあります。この記事では、中国は鉄道事故が多すぎるのて゜、こんな国の鉄道など、まともに考えれば、誰も買わないだろうと、掲載しました。まさにその通りです。こんな事故を起こしたようなシステムなど、どこの国でも買わないでしょう。いくら、安いとはいっても、このようなシステムは安全が第一ですから。

このような鉄道ほ走らせるのは、はなばしい人命軽視の中国以外にはあり得ません。それにしても、この事故に関する中国ての、記者会見もひどいものでした。以下にその動画を掲載します。上記の動画は、中国国内のものですから、いつ削除されるかわかりません。以下のものは、日本で掲載したものですから、削除されることはないと思われるので、掲載します。


しかし、このようなこと、北京オリンピックや、チベットや、新疆ウィグル自治区の弾圧などをみたり、昨年の尖閣問題などみていれば、もともと、中国は、日本や、他の先進国などと比較すれば、異質なのであって、驚くには値しません。

本日も、上の記事の他にも、ネット上では偽アップルストアのことが掲載されていました。しかし、中国では、偽物は当たり前で、驚くには値しません。

こんな異質な国とは、できれば、お付き合いいただきたくないです。それもこれも、現体制を崩さない、中国共産党政府が悪いのです。はやく、共産党政府が滅亡し、まともな国になっていただきいものです。現在の日本は、明らかに、中国とは、異なります。能力不足の、民主党政権が、震災や原発事故であたふたしても、一定の秩序が保たれています。しかし、北朝鮮と関係が深く、親中的な民主党です。このまま長く民主党政権を続けていれば、日本も中国と同レベルの後進国家になってしまう可能性を危惧するのは、私だけでしょうか?そんなことにならないためにも、国民の総意で、民主党には退いていただくべきです。

建国以来、未だ、選挙も実施されたことのない中国。そのため、普通の国に存在する政治家という概念が存在しない中国。いるのは、悪辣な官僚ばかりです。中国政府が公式に発表しているだけで、過去10年間で4千名もの、官僚が、金をくすねて、海外に逃亡しています。日本の官僚の非効率、非能率は国内では、かなり糾弾されていますが、さすがに、この点では中国には及ぶべくもありません。日本の官僚の悪さなど、中国のそれと比較すれば、まるで、清らかな天使の戯れ事のようなものです。

民主化、政治と経済の分離、法治国家かがなされていない、後進国中国。以下の関連記事には、こうした、中国の悪行ぶりを掲載しましたので、こちらも、是非ご覧になってください。各々の記事には、この記事のように、【関連記事】を掲載してあります。あまりの異質ぶりに、驚くことばかりです。これらを読んでいただければ、中国がまともな国家の体裁をなしていない、武力でまとめらた、ごく一部の者たちの利益集団であるにすぎないことが、お分かりになると思います。こちらも、是非ご覧になってください。
【関連記事】

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中国の圧力に譲歩=民主政権、態収拾優先-中国人船長釈放―日本が譲歩しなくても良かった六つの理由!!この問題は民主党にとって、普天間の二の舞になるか?

2011年7月24日日曜日

「線量計つけず作業、日本人の誇り」 海江田氏が称賛―【私の論評】称賛の仕方、間違っていないか?

「線量計つけず作業、日本人の誇り」 海江田氏が称賛

海江田万里
海江田万里経済産業相は23日のテレビ東京の番組で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の作業に関連し、「現場の人たちは線量計をつけて入ると(線量が)上がって法律では働けなくなるから、線量計を置いて入った人がたくさんいる」と明らかにした。「頑張ってくれた現場の人は尊いし、日本人が誇っていい」と称賛する美談として述べた。

番組終了後、記者団に対し、線量計なしで作業した日時は確かでないとしたうえで、「勇気のある人たちという話として聞いた。今はそんなことやっていない。決して勧められることではない」と語った。

労働安全衛生法では、原発で働く作業員らの健康管理に関連し、緊急作業時に作業員は被曝(ひばく)線量の測定装置を身につけて線量を計るよう義務づけられている。作業員らが被曝線量の測定装置をつけずに作業をしていたのなら、法違反にあたる。厚生労働省は、多くの作業員に線量計を持たせずに作業をさせたとして5月30日付で東電に対し、労働安全衛生法違反だとして是正勧告している。

【私の論評】称賛の仕方、間違っていないか?
この話本当なんでしょうか?本当だとしたら、勘違いもはなはだしいです。しかし、海江田さん、以前にもこれに匹敵するようなとんでもない、失言というが罵声をはいたこともあるようなので、おそらく事実なのでしょう。

その罵声に関しては、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、そうではない方のために、以下に過去の新聞記事をコピペしておきます。
石原都知事、消防隊への圧力に抗議=原発放水「速やかにしないと処分」  
東京都の石原慎太郎知事は21日午後、首相官邸で菅直人首相と会い、福島第1原発での放水作業をめぐり、政府関係者から東京消防庁ハイパーレスキュー隊幹部に対して「速やかにやらなければ処分する」との圧力的発言があったとして、抗議した。石原氏によると、首相は「陳謝します。大変申し訳ない」と述べた。 
石原氏は会談後、記者団に「現場の事情を無視して、(放水作業を)速やかにやれ(と指示があった)。やらなければ処分する、ということを上から言ってはいけない」と強調。さらに、「担当大臣か何か知らないが、恐らく上から来るのだろう。そんなばかなことを言ったら戦が戦にならない。絶対言わせないでください」と首相に申し入れたことを明らかにした。 
また、同隊が使用した放水車の連続放水能力は4時間が限度だったが、政府側の指示で7時間連続で放水したため、石原氏は「完全に壊れた」と説明した。 
一方、枝野幸男官房長官は同日午後の記者会見で「これから調査する」と述べるにとどめた。
上の記事の、石原都知事が、「担当大臣か何か知らないが」と語っている、担当大臣とは、もちろん、海江田大臣のことです。

この苦言を呈した、石原都知事は、原発放水を敢行した、消防隊員を以下のようにねぎらっています。


どちらが、正しいやり方なのかといえば、無論、石原さんのほうでしょう。これに対して、異論を挟むひとは、どこか、感覚がおかしい人と言わざるをえないと思います。

しかし、海江田さんの勘違いとは、言っても、上記の記事のように、線量計をつけないで、労働安全衛生法に反するからなどと、無粋なことをいうつもりはありません。

放水を敢行した消防隊員の中にも、本当は「嫌」だと思いながら、この業務に従事した方もいらっしなるかもしれません。人間であれば、当然のことです。誰もがスーパーマンのようなわけにはいきません。怖いと思った人もいるでしょう。しかし、放水に参加したということでは、皆同じです。だから、そんなことは、区別することなく、石原さんのように、等しく参加したすべての人の労をねぎらうのが当然のことです。

海江田さんも、この放水に関しては、命令ではなく、お願いというスタイルをとるべきでした。それが、平均的な日本人の社会一般通念というものです。ご存じのように、石原さんも、若い時には、作家出身ということもあって、会社づとめもしたことがなく、そのまま政治家になったこともあって世間知らずで、いわゆる仰天発言というものもありましたが、長い間、公職についたせいか、最近では随分まともになったと思います。しかし、作家であったということもあり、時流を見る目はあり、同じ仰天発言でも、従来から筋は通っていたと思います。

一方海江田さんは、参議院議員・経済評論家の野末陳平秘書を経て、自身も経済評論家として独立。テレビ、ラジオ、雑誌などで税金や経済を解説する論客として幅広く活躍しました。バブル経済で財テクブームが到来すると、一般向けの財テク指南書を多く出版しました。また、1989年4月~1991年3月まで「TXNニュース THIS EVENING」の土曜メインキャスターを務めたこともあります。

海江田さんも、いわゆる会社勤めなどしたことがなく、いわゆる世間知らずなところがあります。それに、石原都知事と比較すれば、まだ、若いということがあります。また、石原さんのような、時流を見る目がなく、石原さんが仰天発言をしても、筋が通っているのに、海江田さんの仰天発言は、脈絡がありません。困ったものです。

民主党の閣僚などは、左翼出身者が多く、まともな会社勤めもしたことがないため、こうした一般常識に欠けたり、社会性の乏しい人が多いです。躾ができていないということです。というより、古から継承されてきた、日本人の美意識などからは、分断されています。だから、いざというとき、どのように振舞って良いのかわからず、海江田さんのような発言をしてしまう人が多く見受けられます。

現在福島原発で働いている人にも様々なタイプの人がいます。それこそ、強い義務感から、被災当初にこのブログにも紹介したように、"Fukushima 50"と世界中から讃えられた人々もいます。しかし、今では、全国から募集しているようですから、今では、お金欲しさのため、短期的に働く人もいると思います。また、線量計をつけないで作業をした人もいますが、この中にも、海江田さんが言うように、「線量計をつけて入ると(線量が)上がって法律では働けなくなるから、線量計を置いて入った人」もいたと思います。しかし、そうではない人もいたと思います。聴いたところによれば、最初の頃は線量計そのものの数が足りなかったという事実がありました。

しかし、線量計どうであろうと、責任感があろうがなかろうが、福島原発で働いた人々は、事実として、危険な場所で働いていたわけですから、まずは、これらの人々に対しては、別け隔てなく、たたえたり、賞賛するのが、人の上に立つ者の勤めです。まともな組織であれば、そうするのが普通です。それから、どうするのかというのは、それこそ、人事の問題です。

でも、そんなことは、まともな組織の中では、当たり前のことで、誰も口に出すものもいません。そんなことも意に介さず、線量計をつけなかった人のみを称賛するとはいったいどのような了見なのでしょうか。私には、理解できません。これは、政府とか、経産省とかの組織のだけの話ではありません。国レベルの話でもあると思います。

私は、このような話に触れたとき、必ず思い浮かべることがあります。それは、坂口安吾の『特攻隊に捧ぐ』という文章です。この文章比較的短いことと、青空文庫にも掲載されていることから、著作権の問題もないとおもいますので、以下にその全文を掲載します。その前に、特攻へのレクイエムという動画を掲載します。


特攻隊に捧ぐ

坂口安吾
数百万の血をささげたこの戦争に、我々の心を真に高めてくれるような本当の美談が少いということは、なんとしても切ないことだ。それは一に軍部の指導方針が、その根本に於(おい)て、たとえば「お母さん」と叫んで死ぬ兵隊に、是が非でも「天皇陛下万歳」と叫ばせようというような非人間的なものであるから、真に人間の魂に訴える美しい話が乏しいのは仕方がないことであろう。 
けれども敗戦のあげくが、軍の積悪があばかれるのは当然として、戦争にからまる何事をも悪い方へ悪い方へと解釈するのは決して健全なことではない。 
たとえば戦争中は勇躍護国の花と散った特攻隊員が、敗戦後は専(もっぱ)ら「死にたくない」特攻隊員で、近頃では殉国の特攻隊員など一向にはやらなくなってしまったが、こう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄(ぐろう)することにほかならない。もとより死にたくないのは人の本能で、自殺ですら多くは生きるためのあがきの変形であり、死にたい兵隊のあろう筈(はず)はないけれども、若者の胸に殉国の情熱というものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散った尊厳を敬い愛す心を忘れてはならないだろう。我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正体を見破り自省と又明日の建設の足場とすることが必要であるが、同時に、戦争の中から真実の花をさがして、ひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力と希望を失ってはならないだろう。 
私はだいたい、戦法としても特攻隊というものが好きであった。人は特攻隊を残酷だというが、残酷なのは戦争自体で、戦争となった以上はあらゆる智能(ちのう)方策を傾けて戦う以外に仕方がない。特攻隊よりも遥(はるか)にみじめに、あの平野、あの海辺、あのジャングルに、まるで泥人形のようにバタバタ死んだ何百万の兵隊があるのだ。戦争は呪(のろ)うべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然(しか)し、特攻隊はともかく可憐(かれん)な花であったと私は思う。 
戦法としても、日本としては上乗のものだった。ケタの違う工業力でまともに戦える筈はないので、追いつめられて窮余の策でやるような無計画なことをせず、戦争の始めから、航空工業を特攻専門にきりかえ、重爆などは作らぬやり方で片道飛行機専門に組織を立てて立案すれば、工業力の劣勢を相当おぎなうことが出来たと思う。人の子を死へ馳(か)りたてることは怖(おそ)るべき罪悪であるが、これも戦争である以上は、死ぬるは同じ、やむを得ぬ。日本軍の作戦の幼稚さは言語同断で、工業力と作戦との結び方すら組織的に計画されてはおらず、有力なる新兵器もなく、ともかく最も独創的な新兵器といえば、それが特攻隊であった。特攻隊は兵隊ではなく、兵器である。工業力をおぎなうための最も簡便な工程の操縦器であり計器であった。 
私は文学者であり、生れついての懐疑家であり、人間を人性を死に至るまで疑いつづける者であるが、然し、特攻隊員の心情だけは疑らぬ方がいいと思っている。なぜなら、疑ったところで、タカが知れており、分りきっているからだ。要するに、死にたくない本能との格闘、それだけのことだ。疑るな。そッとしておけ。そして、卑怯(ひきょう)
だの女々しいだの、又はあべこべに人間的であったなどと言うなかれ。 
彼らは自ら爆弾となって敵艦にぶつかった。否(いな)、その大部分が途中に射ち落されてしまったであろうけれども、敵艦に突入したその何機かを彼等全部の栄誉ある姿と見てやりたい。母も思ったであろう。恋人のまぼろしも見たであろう。自ら飛び散る火の粉となり、火の粉の中に彼等の二十何歳かの悲しい歴史が花咲き消えた。彼等は基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであったかも知れぬ。やむを得ぬ。死へ向って歩むのだもの、聖人ならぬ二十前後の若者が、酒をのまずにいられようか。せめても女と時のまの火を遊ばずにいられようか。ゴロツキで、バクチ打ちで、死を怖れ、生に恋々とし、世の誰よりも恋々とし、けれども彼等は愛国の詩人であった。いのちを人にささげる者を詩人という。唄(うた)う必要はないのである。詩人純粋なりといえ、迷わずにいのちをささげ得る筈はない。そんな化物はあり得ない。その迷う姿をあばいて何になるのさ何かの役に立つのかね? 
我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。軍部の偽懣(ぎまん)とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。 
私は無償の行為というものを最高の人の姿と見るのであるが、日本流にはまぎれもなく例の滅私奉公で、戦争中は合言葉に至極簡単に言いすてていたが、こんなことが百万人の一人もできるものではないのである。他のためにいのちをすてる、戦争は凡人を駈(か)って至極簡単に奇蹟きせきを行わせた。 
私は然しいささか美に惑溺(わくでき)しているのである。そして根柢(こんてい)的な過失を犯している。私はそれに気付いているのだ。戦争が奇蹟を行ったという表現は憎むべき偽懣の言葉で、奇蹟の正体は、国のためにいのちを捨てることを「強要した」というところにある。奇蹟でもなんでもない。無理強いに強要されたのだ。これは戦争の性格だ。その性格に自由はない。かりに作戦の許す最大限の自由を許したにしても、戦争に真実の自由はなく、所詮(しょせん)兵隊は人間ではなく人形なのだ。 
人間が戦争を呪うのは当然だ。呪わぬ者は人間ではない。否応なく、いのちを強要される。私は無償の行為と云(い)ったが、それが至高の人の姿であるにしても多くの人はむしろ平凡を愛しており、小さな家庭の小さな平和を愛しているのだ。かかる人々を強要して体当りをさせる。暴力の極であり、私とて、最大の怒りをもってこれを呪うものである。そして恐らく大部分の兵隊が戦争を呪ったにきまっている。 
けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として否応(いやおう)なく強要せられた。だが、その次に始まったのは彼個人の凄絶(せいぜつ)な死との格闘、人間の苦悩で、強要によって起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要と切り離して、それ自体として見ることも可能だという考えである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国の情熱を最大の讃美を以(もっ)て敬愛したいと思うのだ。 
強要せられたる結果とは云え、凡人も亦(また)かかる崇高な偉業を成就(じょうじゅ)しうるということは、大きな希望ではないか。大いなる光ではないか。平和なる時代に於て、かかる人の子の至高の苦悩と情熱が花咲きうるという希望は日本を世界を明るくする。ことさらに無益なケチをつけ、悪い方へと解釈したがることは有害だ。美しいものの真実の発芽は必死にまもり育てねばならぬ。 
私は戦争を最も呪う。だが、特攻隊を永遠に讃美する。その人間の懊悩(おうのう)苦悶(くもん)とかくて国のため人のためにささげられたいのちに対して。先ごろ浅草の本願寺だかで浮浪者の救護に挺身(ていしん)し、浮浪者の敬慕を一身にあつめて救護所の所長におされていた学生が発疹(はっしん)チフスのために殉職したという話をきいた。
私のごとく卑小な大人が蛇足する言葉は不要であろう。私の卑小さにも拘(かかわ)らず偉大なる魂は実在する。私はそれを信じうるだけで幸せだと思う。 
青年諸君よ、この戦争は馬鹿(ばか)げた茶番にすぎず、そして戦争は永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った「愛国殉国の情熱」が決して間違ったものではないことに最大の自信を持って欲しい。 
要求せられた「殉国の情熱」を、自発的な、人間自らの生き方の中に見出(みいだ)すことが不可能であろうか。それを思う私が間違っているのであろうか。
無論、特攻隊と、今回の消防隊による放水の敢行と、原発という危険な職場で働く人々との間には、かなり落差があると思いますが、どちらの場合も、重い、軽いの差は、あったとしても、命の危険をおかして、任務を遂行するという点では共通点があります。

そうして、私は、坂口安吾の上記の文章に対して、すべてを認めるというわけではありませんが、特に、「我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか」という安吾の趣旨には大賛成であり、その価値を大いに認めるものです。私は、坂口のこの趣旨から、特攻隊の若者の心情を大切にし、日本人であるからには、永遠語り継ぎ、賛美し続けるべきと思います。それに、放水を敢行した消防隊員、危険な福島原発で危険な作業を続ける人々をおも、同じように賛美すべきものと思います。

こんなに切羽つまた、特殊な状況ではないにしても、ごく一般のサラリーマンだって、家庭の主婦だって、お客のため、会社のため、家族のため、仲間のため、地域のためと、何か、普通ではないもっと高い次元の為、大義のため、何かを犠牲にしている人はいくらでもいます。そういう無数のこうした人々を愛おしいと思う、その愛おしさを、必至で愛し、守ろうとするのは、日本人一般が抱く普通の感情であり、まともな組織では、それを奨励します。

どんな動機であれ、社会の機関である組織の顧客に貢献する人、組織そのものに貢献する人、組織の使命を遂行する人には、等しく賞賛します。それが、個人主義を旨とはしない、日本の伝統文化です。また、亡くなった人に対しては、どんな悪いことをした人でさえ、決して鞭打つようなことをせず、仏様になったとするのも、日本の伝統文化です。

このようなこと理解できないからこそ、海江田さんの発言は脈絡が亡くなるのだと思います。それに、多くの民主党の閣僚なども、もこのようなことを理解できないから、軽率だし、頭が悪く見えるのだと思います。

こうした日本人の古からの美意識すら理解できない、民主党には、もう先がないです。

ここで、私がこの種の記事を書いたときの、お決まりの文章を以下に掲載して本日のブログの締めとします。

現在の政権など、歴史の悠久の流れの中に咲いた一時の徒花に過ぎません。1,000年に一度の震災も、悠久の時の流れを経てきた我が国の歴史からみれば、ほんの一時のことに過ぎません。天皇制をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化、それに勤勉で実直な国民性は、古から今に至るまで、継承されてきましたが、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増すことでしょう。そうして、こうした勤勉と実直さを強く継承してきた東日本の人々も近いうちに、復興をなしとげ、悠久の歴史の中で共に燦然と輝くことになることでしょう。

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2011年7月23日土曜日

【韓国中央日報社説】日本民主党のポピュリズム公約謝罪を反面教師に―【私の論評】ポピュリズムは最悪だ!!

【韓国中央日報社説】日本民主党のポピュリズム公約謝罪を反面教師に

  国家最高指導者と政府・与党幹部、内閣の長官がぞろぞろと、2年前の総選挙時の‘ばらまき公約’について謝罪し始めた。隣国の日本のことだ。昨日、菅直人首相は09年総選挙の公約について「財政的な見通しがやや甘かったことをおわびする」と明らかにした。民主党の岡田克也幹事長も前日、「率直におわびしたい」と低姿勢になった。菅首相に続いて、枝野幸男官房長官、玄葉光一郎国家戦略担当相ら閣僚の謝罪発言が相次いだ。民主党が2年前の総選挙で掲げた子ども手当、高校授業料無償化、農家戸別所得補償、高速道路無料通行などの公約が、選挙で何とか勝というというポピュリズムの発露だったという点を事実上認めたということだ。来年の総選挙・大統領選挙を控えてすでに尋常でない韓国の政界は、日本の執権勢力の恥辱を反面教師としなければならない。「現金ばらまき」式公約の甘さに惑わされて投票した結果がどういうものになるか、国内の有権者もよく考えることを望む。

  日本民主党の異例の謝罪は直接的には自民党の圧力によるものだ。自民党が赤字国債発行法案の通過に協力する代わりに謝罪を要求したからだ。しかし民主党自らもすでに財源確保が難しいという点を悟り、今年1月に「事業を見直して必要性が低いものは削減・廃止する」と決めた。子ども手当を当初の半分に減らしたのに続き、最近では所得レベル別に差別支給する案がまた議論され、高校授業料無償化、農家戸別所得補償政策も見直し対象に挙がった。

  しかし最近の韓国の政党の‘ばらまき競争’を見ると、まだ日本はましだという印象を受ける。韓国の民主党が年初に掲げた「3+1(無償給食・無償医療・無償保育+半額大学授業料)」を実現するには16兆4000億ウォン(約1兆2000億円、民主党推測)~48兆6000億ウォン(ハンナラ党推測)かかるという。莫大な金額も金額だが、所得に基づく段階的な大学授業料支援を主張していた野党代表が、ろうそく集会に一度参加した後からは「大学生全員に支給」に急変するのだから、さらに不安になる。与党のハンナラ党も「右派ポピュリズム」とかなんとか言いながら軽率な言動を見せている。ばらまき競争にばかり気をとられ、健康保険改革、使用済み核燃料処理場立地選定など至急な国家的懸案は無視している。

  李明博(イ・ミョンバク)大統領の東南圏新空港白紙化関連の謝罪など私たちも誤った公約について謝罪をした前例がある。重要な点はやはり甘言にだまされない有権者の冷徹な判断力だ。中央選管委が法制化を推進中のマニフェスト(公約事前検証)制度も早く導入する必要がある。公約に必要な予算と財源調達方法を選挙前に徹底的に検証するよう義務化すれば、ばらまき公約はかなりろ過されるだろう。日本与党の屈辱を他人事と考えてはならない。

【私の論評】ポピュリズムは最悪だ!!



ポピュリズムとは、政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動をポピュリズムと呼びます。ポピュリズムは諸刃の剣です。

庶民の素朴な常識によってエリートの腐敗や特権を是正するという方向に向かうとき、ポピュリズムは改革のエネルギーとなることもあります。しかし、大衆の欲求不満や不安をあおってリーダーへの支持の源泉とするという手法が乱用されれば、民主政治は衆愚政治に堕し、庶民のエネルギーは自由の破壊、集団的熱狂に向かってしまうことがあります。

例えば、共産主義への恐怖を背景にした1950年代前半の米国におけるマッカーシズムなどがその代表例です。民主政治は常にポピュリズムに堕する危険性を持ちます。そのような場合、問題を単純化し、思考や議論を回避することがどのような害悪をもたらすか、国民に語りかけ、考えさせるのがリーダーの役割であるといえます。

ちなみに、マッカーシズム、マッカーシー主義(McCarthyism) とは、1950年2月にアメリカ合衆国上院で、共和党議員のジョセフ・レイモンド・マッカーシーが、現在では「205人の共産主義者が国務省職員として勤務している」と告発したと伝えられる演説を契機に、ハリウッド映画界などをも巻き込んで大規模な「赤狩り」に発展した事件です。後にはニューディーラーまで対象となりました。演説の正確な記録は無く、諸説あります。

日本の民主党には、親韓的な方が多いようですし、さらに、もともとは韓国籍だった方も結構いらっしゃるようですが、韓国の新聞でさえ、日本民主党のポピュリズム を批判しています。中央日報はばら撒きだけを話題にしていますが、そんなことはありません。民主党は、そもそも、自民党の焼き直しの政党であるにすぎません。コピーであることから、原本よりもさらに劣る政党といって差し支えないです。

民主党も、自民党も、結局は、政治信条に関係なく、選挙のためだけに集った選挙互助会といっても良いくらいのものです。ただし、民主党には、旧社会党の事務方が横滑りではいって、シンクタンク的役割をして、それこそ、日本国解体を目論み、ことあれば、日本国解体法案を通そうと画策していますが、自民党の中にも、左翼的な政治家もいますが、さすがに、はっきりと日本国解体まで、具体的に考え、画策するような連中はいないということで、民主党よりはましというくらいということがいえると思います。

民主党は、政権交代という誰にでも解りやすい、キーワードと、子ども手当など、これまた解りやすい政策を全面にうちだし、典型的なポピュリズムで、政権交代を実現しました。その後の民主党の有様はどのようであったのか、皆さんもうご存じでしょうから、本日は、詳細を掲載することはしません。

私は、この政権交代で敗れた、麻生さんに関しては、全くもって、運が悪かったと思います。今の政権を含めて、歴代の政権の中で、過去20年間バブルが崩壊して以来、緊縮財政をしなかったのは、小渕政権と、麻生政権だけです。小渕さんの時代には、株価かなり回復していて、今の水準などとも比べるべくもなかったことは、皆さんご存じの事だと思います。


小渕さんは、人気の半ばでお亡くなりになりました。麻生さんも、任期を全うできませんでした。このお二方がもう少し、長く政権の座にとどまっておられれば、日本の景気も相当回復したものと思います。その点、かえすがえすも残念なことです。しかし、景気が回復していれば、現在の高校生の就職先がほとんどないなどということはなかったはずです。子ども手当をもらっても、お父さんがリストラされたら、何になりませんが、景気さえ回復していれば、雇用環境も改善されたはずです。多くの人にとっては、目先のことだが先立って、こんなことは見えないのだと思います。

平成の元号を発表した在りし日の小渕さん
ポピュリズムといえば、小泉純一郎氏もまた、ポピュリストであり、支持基盤を国民に委ねました。2001年の総裁選では、ともに大衆的人気のある田中真紀子氏をパートナーにし(その後、ご存知の通りたもとを分かつわけですが)、わかりやすく、痛快な響きの言葉(「自民党をぶっ壊す」など)を連発し、自民党員の圧倒的支持で自民党総裁になり、政権を担うことになったのです。政権を担った後でも、小泉劇場という政治手法をつかったことは皆さんご存じだと思います。ちなみに、小泉さんが首相になったとき、イギリスのタイム紙は、はっきり小泉さんをポピュリストとして紹介していました。


小泉さんについても、その後日本はどうなったのか、大方の人はご存じと思います。まずは、性急な構造改革と、緊縮財政で、日本の経済は疲弊しました。特に、地方の疲弊はひどいものでした。無論、小泉さんの構造改革すべてが間違いなどというつもりはありません。ただ、構造改革を実施するまえに、景気を上向かせておくべきでした。これをしなかったことに関しては、私は明らかな間違いだったと思います。

私は、こうした事例などから、日本でも、国民の間に政治対する成熟化がある程度なされたのではないかと期待しています。他の先進国であれば、もう、随分前から、政権交代などがおこっており、多くの国民は、政治に対して過度の期待はしなくなっています。日本だけが、過去政権交代がなされていなかったため、国民の中に、政権交代さえすれば、変わるという単純な淡い思い込みがあったのだと思います。

しかし、それも、民主党の予想をはるかに上回る、体たらくで完璧に打ち砕かれたと思います。私など、最近、テレビで民主党の閣僚などが、語っているのを聴くと、内容があまりにお粗末なので、一人の例外もなくみんな馬鹿面にみえてしまいます。最近では、そう見える人も多いのではないでしょうか?

しかし、そうはいいながら、まだまだ油断はできません。最近反原発で、感情的で情緒的な行動をする人が増えています。それが、新たな政治的ポピュリズムに利用されないとも限りません。たとえば、俳優山本太郎(36)が27日、福島原発事故後に反原発を訴えたことでドラマを降板させられたと ツイッターで明かし騒動になった問題で、所属事務所を辞めたことを明かしています。午後10時ごろの ツイッターで「事務所を辞めました! 今日。これ以上迷惑かける訳いかないから。辞めるな、と社長、 スタッフの皆さん何度も引き留めて下さった。最後には僕のわがままを聞いて貰いました」とつぶやいていました。

私は、山本太郎氏が、文部省に「原発即廃止」と抗議にいったところのシーンをテレビでみていましたが、内心、「やめとけ」という感じてみていました。はっきりいわせてもらえば、一芸能人に国のエネルギー政策などの全貌が判るはずもありません。政府のいうこと、専門家のいうこと、その他、産業界の意見、一般国民の声など含めて、総合的に判断するのは難しいです。

山本太郎
結論を出すことは、さらに難しいです。はっきりしているのは、今現在原発を即全部時停止してしまえば、日本国内で、電力供給力が逼迫して、日本中が混乱の巷に陥ることは確かです。専門家など、火力でなんとかなると言う人もいますが、その真偽はともかく、すぐに全廃ということになれば、当面大変なことになるのは、明らかです。そんなことは、とても現実的なことではありません。もし実施すれば、お金持ちは何とか電気を利用できるようにするでしょうが、一般の人は、そんなことはできず、さらに、お年寄りなどの弱者と言われる人々にとっては、差別どころか、命の危険さえあります。

車は危険な代物ですが、今、車を全廃したとしたら、確かに交通事故は激減するでしょうが、日本国中がたいへんなことになることは火を見るよりも明らかです。これと、同じ理由から、過去の経緯がどうであったにせよ、現時点での原発即時全廃は、明らかな間違いです。

原発事故以降の「脱原発世論」に乗って、自らの延命を図ろうとしている菅首相。電力の安定供給が脅かされることが国家にとってどれほど危険な事であるのか、そして「脱原発­解散」をちらつかせて政治を停滞させる事がどれほど責任感を欠いた行為であるのか、この愚行に乗せられないよう、改めて警鐘を鳴らしておきます。これについては、以下の動画をご覧になっていただければ、今更私が解説するよりもはるかに理解しやすいと思いますので、ここでは、詳細は解説しません。是非以下の動画をご覧になってください。


私は、今回の原発事故は、人災だと思っています。人災であるとすれば、安全を確保することはあながち、全く不可能ではないと思います。だから、しばらくの間は、原発を運転しながらも、徐々に減らしていき、次世代の新たなエネルギー源が見つかった場合は、そちらのほうにシフトしていくという方式がもっとも安全な行き方だと思います。今のままての自然エネルギーでは、安定性に乏しく、補助的な電力供給言にしか成り得ないと思います。とてもじゃないですが、いくら、自然エネルギーの効率が高まったにしても、日本の新幹線が、自然エネルギーだけで動く時代がくるなど、現時点では考えられません。

エネルギー政策の話が長くなってしまいましたので、話を本題に戻します。私は、もうそろそろ、日本は、政治的ポピュリズムや、ポピュリストの呪縛から解かれてしかるべきだと思います。自分で考えて、自分で投票しているつもりでも、実は、こうしたポピュリストに操られているなど、私は絶対に嫌です。自分自身もそうですし、まわりの人の多くが、ポピュリズムに操られているのをみるのは辛いものです。

あの政権交代のときに、民主党に投票するかどうするかという話題になり、その話題に参加している10人いるうち、私を含めた、2人のみが、民主党には投票しないということが判明したときには、本当にがっかりしたものです。民主党に投票をするといわれた方の中には、保守派の人もいましたが、保守政権が長く続いたので、 こここでは、民主に投票する、民主とはいっても、実体は小沢政権だから今の自民党よりはまともになる可能性が高いというものでした。この意見を聴いて、私は愕然としたものです。もう、あんな思いは二度としたくありません。もう、大多数の日本人も政治に対して、覚醒して頂きたいと思います。皆さんは、どう思われますか?

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2011年7月22日金曜日

Google日本語入力アップデート、マルウェアに感染していると思われるユーザーに通知、Google lab閉鎖―【私の論評】すべての企業は、今日の姿ではこれからの30年ではなく、5年を生き延びられない!?

Google日本語入力アップデート、マルウェアに感染していると思われるユーザーに通知、Google lab閉鎖

http://journal.mycom.co.jp/news/2011/07/22/035/index.html


http://journal.mycom.co.jp/news/2011/07/21/071/index.html


http://journal.mycom.co.jp/news/2011/07/22/052/index.html


私の論評】すべての企業は、今日の姿ではこれからの30年ではなく、5年を生き延びられない!?
本日は、たまたま、マイコミジャーナルでGoogleのニュースが三つも重なってしまったので、いつもだと、そこから一つだけ選んで、掲載するのですが、本日は、一挙に掲載します。

さて、本日は、たまたま、同じニュースソースに3つの記事が掲載されていたということですが、これは、Googleとって珍しいことではなく、常態といっても良いくらいだと思います。過去には、同じニュース・ソースの中に5つくらいGoogleの記事があったこともあります。それに、最近は、そうでもありませんが、ひところは、ほぼ毎日新たなニュースが掲載されていたこともありました。

記事の内容の詳細は、上記の内容を呼んでいただくものとして、本日は、なぜ、Googleがこのようにつぎつぎと新機軸を次から次へと、打ち出すのかを考えてみたいと思います。

Googleに限らず、普通の企業でも、時間とともにやっていることが、様変わりすることは皆さんよくご存知でしょう。たとえば、トヨタは、昔は、トヨタ紡績機を製造して、販売する企業でした。カネボウは、もともとは、会社名は、鐘淵紡績という会社で、昔は、繊維関係を製造する会社でした。最近では、最も有名なのは、化粧品かもしれません。

さて、このような企業の姿をみて、今日確信をもって言えることは、企業、教育、医療その他いかなる分野においてであれ、今日リーダーの地位にある組織の多くが、これからの30年を生き延びられず、少なくとも今日の姿では生き延びられないということです。

この壮大な転換期において社会の安定を確実なものにするには、既存の組織が生き残り、繁栄してくれなければならないわけです。昔、日経から「会社の寿命30年」という書籍がだされ、センセーショナルに扱われたことがあります。しかし、これは、間違いです。

正しくは、「事業の寿命30年」とすべきでした。この書籍の著者の想定の中には、事業=企業という暗黙の想定があったと思います。あの書籍が販売されてから、随分時がたち、確かに、多くの企業が30年を待たずして、消えていきましたが、30年以上経ても、存続している会社も多くあります。ただし、それらの会社でも、30年前と全く同じ事業だけをそのまま継続している企業はありません。

企業の経営者たるものは、既存の組織が生き残り、繁栄していくための術を学ぶ必要があるということです。そのためには、あらゆる者が起業家として成功するための方法を学ばなければならないということです。

知識が中心の社会になったというだけで、学習が一生続けるべきものとなりました。そこへ起業家精神まで日常のものとしなければならなくなったのです。

まさに、今日無名の企業の多くが、今日行っているイノベーションによって明日リーダー的な地位を得るのです。逆に今日成功している企業の多くが、一世代前のイノベーションの成果を食いつぶしながら安逸を貪っているといっても良いでしょう。

最近では、30年という言い方も、あたはまらなくなってきています。特に、IT業界などでは、どこかの企業が開発したようなことは、他の企業がすぐに模倣してしまいます。だからこそ、必至で次の戦略を考えて、実行しなければなりません。たとえ、そのようにして頑張ったとしても、最近では、5年間も同じことをしているようなIT企業には、明日はありません。

だからこそ、Googleは、上の記事のように、次から次へと素早く新たらしいことにチャレンジするのです。とくに、最近のGoogleは、Google+に力を入れているようですが、これは、巷では、facebookと対抗するものと見る向きも多いようでずか、Google側の意図は、決してそうではないようです。それよりも、Googleにとって怖いことは、みんなが使うソーシャルネットワークとしての座をFacebookに独占されてしまうことではなく、ユーザーのアイデンティティを独占されてしまうことのようです。

まさしく、道具は、道具にすぎなく、人がいなけはれば、何の役にもたたないものなのですが、人は、使う道具によってもアイデンティティー(自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念)が大きく規定されてしまうことがおうおうにしてあります。

IT以外の企業でも、同じことです。昔は、事業の寿命30年だったかもしれませんが、IT企業ほど、移り変わりは激しくはないですが、最近では、20年、といっても良いでしょう。小手先を変えれば、10年くらいは持つでしょうが、新たな事業を始めるとか、抜本的にやり方をあらためない限り、、同じ事業のやり方で、20年以上持たせることができる企業など、いまや存在しないでしょう。それこそ、普通の企業だって、自ら生産する製品や、サービスなど、顧客に利用してもらえなければ、ユーザーのアイデンティティーを他の会社に独占されてしまうのです。

IT企業以外の企業て長期戦略を実行するためには、15年くらいの年月を費やすことなどいくらでもあります。だとすれば、実際に行動に移すには、5年位の猶予があるのかもしれませんが、5年も何も考えておらず、無為に時を過ごせば、行動しなければならないときに、何もできず、すべてが手遅れとなり将来はなくなるということです。

多くの企業家も、Googleのやり方を見て、IT業界は、大変だと人ごとのようにつぶやいている暇はないということです。そういう暇をもてば、企業家の寿命より、会社の寿命が尽きてしまうのが、これからの世の中なのです!!

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2011年7月21日木曜日

Japan pays tribute to tsunami victims, survivors World Soccar(Yahoo! Sports)―【私の論評】マスコミが報道しない"なでしこJAPAN"の真実!!

Japan pays tribute to tsunami victims, survivors World Soccar(Yahoo! Sports)


本日は、米Yahoo Sprots に掲載されていた、なでしこジャパン、女子サッカー日本代表キャプテン、澤穂希選手が、試合後に現地メディアのインタビューに答え以下の記事をそのまま掲載します。タイトルの日本語訳としては、「日本チーム、津波への犠牲者へ哀悼の意を表わす-ワールド・サッカー」というような感じでしょうか。それにしても、この内容、日本国内では報道されていませんので、掲載させていだきます。
FRANKFURT, Germany – World Cup hero Homare Sawa paid a moving and emotional tribute to the victims and survivors of the Japan tsunami and dedicated her team’s incredible tournament triumph to them. 
Sawa captained Japan to its finest soccer hour, twice coming from behind to level the final against the United States before winning a nerve-jangling penalty shootout. 
With Japan’s exploits being witnessed by tens of millions of patriotic fans back home, Sawa revealed that the plight of the side’s countrymen had been a constant source of inspiration. 
“We knew that what we were doing here could be about a little more than just a football tournament,” Sawa said. “If winning this makes one person, someone who lost something or someone or was hurt or damaged by the events that touched our country, feel better for even one moment, then we have really achieved a most special thing. 
“If it makes everyone happy and joyful and gives them a reason to cheer after such difficult times, then we have been successful.
“Japan has been hurt and so many lives have been affected. We can not change that but Japan is coming back and this was our chance to represent our nation and show that we never stop working. This is like a dream to us and we hope our country shares it with us.”
Sawa was playing in her fifth World Cup and was the undisputed star of the tournament, winning the Golden Boot for top scorer and Golden Ball for best player. 
If not for her sensational flicked goal with minutes of extra time remaining it would have been the USA, not Japan, celebrating victory.
Aya Miyama, the scorer of Japan’s first goal which took the game into extra-time and levelled the score at 1-1, also sent a message of goodwill to her homeland. 
“We wanted to fight for you and win for you and make you proud of us,” Miyama said. “Japan wants to have a bright future and we wanted to show that if you believe in good things and are positive then wonderful things can happen. This is a wonderful day.” 
Japan came into the tournament ranked fourth in the world but was considered a long shot to win it all, with host nation Germany, Brazil and the USA all having stronger claims. 
However, a quarterfinal win over Germany gave Japan a boost in confidence, and it rode its luck to pull off a major shock and take home the World Cup trophy.
【私の論評】マスコミが報道しない"なでしこJAPAN"の真実!!
上の記事の中の、女子サッカー日本代表キャプテン、澤穂希選手が語っている部分のみの訳を以下に掲載します。

「私たちのしていることは、ただサッカーの試合をするだけではないことを、意識してきました。 
私たちが勝つことにより、何かを失った人、誰かを失った人、怪我をした人、傷ついた人、彼らの気持ちが一瞬でも楽になってくれたら、私達は本当に特別な事を成し遂げた事になる。 
こんな辛い時期だからこそ、みんなに少しでも元気や喜びを与える事が出来たら、それこそが私たちの成功となる。 
日本は困難に立ち向かい、多くの人々の生活は困窮している。
わたしたちは、それ自体を変えることは出来ないものの、日本は今復興を頑張っているのだから、そんな日本の代表として、復興を決して諦めない気持ちを試合で見せたかった。
今日、我々にとってはまさに夢のようで有り、我々の国が我々と一緒に喜んでくれるとしたら幸いです」

上の記事の内容といい、上の写真といい、日本のマスコミはほとんど報道しません。やはり、彼らの意識の中には、あくまで、反日を旨としており、日本を高めるようなことは掲載したくないという意識があるのでしょうか。

この「なでしこJAPAN」の中には、元東電社員の方も複数存在しており、なんとも複雑な心境だったことでしょう。でも、そんなことは、さておいて、優勝したことは素晴らしいです。そうして、このチームの全員が、上記のキャプテンのような考え方をもって試合にのぞんだに違いありません。

元東電社員といえば、丸山桂里奈さんもその一人です。このブログにも、香里奈さんに関しては、「東電叩きは魔女狩りか?」という記事の中で紹介したことがあります。

丸山さんは、大震災後の今年4月、すでに退社していたとはいえ、かつて所属した会社を思うあまり、自身の人気ブログ=下記=に「私は、東電社員だったことを誇りに思うし、今原発内にいる東電社員の方々を本当に誇りに思います。予想外の津波がきて、原発での事故が起こってしまった。でも誰も悪くない。東電が悪いわけじゃない」と書き込み、非難にさらされましたた。

即座に「今なお、震災に苦しむ皆様に不愉快な思いをさせてしまいました」と反省。「私は、サッカーというチームスポーツの選手として、一人がみんなのためにみんなが一人のためにと思ってプレーしてきました。しかし、今回の震災と事故の中で、私自身、混乱し整理出来ないままブログを書いてしまったと省みて今回のお詫びに至りました」と、潔かったです。

そんな経緯もあって、なでしこジャパンの中でも、「日本が本当に苦しい中で私たちに何ができるか、テレビを通じて、頑張る姿を見せるしかない」との丸山の思いは強かったようです。ドイツ戦の決勝ゴールは誓いのゴールでもありました。

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丸山桂里奈さん
一方、DFでフル出場した鮫島彩(24)は3月の震災時は東電マリーゼに所属。活動休止に伴い、米ボストン・ブレーカーズへの移籍を余儀なくされましたた。苦境を乗り越え今大会へ臨み、この試合も体を張ったプレーでゴール前を死守しました。

鮫島彩さん
私は、個人主義はつまらないということをこのブログに掲載したことがあります。それは、「ドラマ JIN}の高視聴率を分析した記事の中のことでしたる
個人主義は虚しいです。個人主義では、すべてが自己で完結します。多数の人々と、努力したり、苦労をわかちあったり、あるいは、喜びをわかちあったりはしません。それは、地理的な分断だけではなく、歴史的な分断をも意味します。個人主義を強く意識する人は、まわりの人は、過去の人々とも、未来の人々とのつながりが全くありません。死んだら、それでおしまいです。後には、何も残りません。

「なでしこJAPAN」のチーム・メンバーも、やはり、日本の多数の人々と、努力したり、苦労をわかちあったり、喜びをわかちあったりしたからこそ、このような結果を得ることができたのだと思います。丸山さんも、鮫島さんも、東電社員であったことなど、日本の多くの人からの応援があったので、そのなことは消し飛んでしまい、試合に集中できたのだと思います。

それにしても、日本を振り返ってみると、まだまだ、個人主義の幻想に浸っているいる人が多いのでないでしょうか。これも、戦後の誤った個人主義教育のなれの果てだと思います。個人主義を標榜する人々に問いたいです。あなたは、本当に個人主義を貫けるのでしょうか。私は、多くの人にとって、個人主義など貫くことなどほとんど不可能だと思います。

上の丸山桂里奈さんや、鮫嶋彩さんなど、もし、個人主義など貫いていたら、サッカーの選手もできないでしょう。まあ、スポーツなら、単独で戦うものならある程度はできるかもしれませんが、それも、なかなか困難を伴うことでしょう。

現在では、アメリカでも、「個人主義」は虚しいとして、コミュニティーを重視することがあることは、このブログにも以前掲載したことがあります。

私たちの国日本では、もう随分前から、天皇制を要とした、伝統文化を共有しており、言葉も全国で通じますし、生活習慣も全国的に似通ったところがあり、アメリカのようにもともと、異文化の人々が一つにまとまるために、意図して意識して、努力する必要もありません。もともと、一つにまとまっていたものを戦後の誤った、個人主義や、民主主義教育がこれを完璧に破壊してしまったかのようにもみえました。

しかし、そうではなかったことが、はっきりしました。まずは、震災直後に海外のメディアが日本を賞賛したことで明らかになったと思います。これは、日本の文化や社会を専門とするジョージタウン大学のケビン・ドーク教授の以下の言葉に集約されると思います。
「日本国民が自制や自己犠牲の精神で震災に対応した様子は広い意味での日本の文化を痛感させた。日本の文化や伝統も米軍の占領政策などによりかなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は決して変わらないのだと今回、思わされた」
これは、戦中の日本人の姿と変わりありません。次の文は、東京大空襲で焼け野原となった東京から母を疎開させるため、上野駅にいった作家高見順が、そこで見た秩序正しく、我慢強、列車の順番を待っている無数の人々の姿について書いたものです。
「私の眼に、いつか涙が沸いていた。いとしさ、愛情で胸がいっぱいだった。私はこうした人々と共に生き、共に死にたいと思った。否、私も、私は今は罹災民ではないが、こうした人々の内のひとりなのだ。怒声を発し得る権力を与えられていない、何の頼るべき権力もそうして財力も持たない、黙々と我慢している、そして心から日本を愛し信じている庶民の、私もひとりだった」。
この度の東日本大震災で、世界的に話題となった日本人の秩序正しき姿は、戦前から変わることなく受け継がれていたのです。

それと、今回の「なでしこJAPAN」の優勝。私は、やはり、日本人の心が昔から息づいて継承されてきた、心が、受け継がれてきて、これからも、継承され続けることの証あるように思えてなりません。こういっては、なんですか、やはり、日本人は本当に困難にあたったときに、意見の違いや、育ちやなどの違いを超越して一致団結して、事にあたり全力を発揮することが出来るのだと思います。これが、日本の真の強みだと思います。

現在の政権など、歴史の悠久の流れの中に咲いた一時の徒花に過ぎません。1,000年に一度の震災も、悠久の歴史を持つ我が国の歴史からみれば、ほんの一時のことに過ぎません。朝廷をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化、それに勤勉で実直な国民性は、古から今に至るまで、継承されてきましたが、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増すことでしょう。そうして、こうした勤勉と実直さを強く継承してきた東日本の人々も近いうちに、復興をなしとげ、悠久の歴史の中で共に燦然と輝くことになることでしょう。


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2011年7月20日水曜日

50代になっても旺盛なスキル向上意欲 - 定年後の仕事に関する意識調査―【私の論評】高齢者の活用が次世代成長の鍵になることは間違いない!!

50代になっても旺盛なスキル向上意欲 - 定年後の仕事に関する意識調査

http://journal.mycom.co.jp/news/2011/07/15/017/index.html


【私の論評】高齢者の活用が次世代成長の鍵になることは間違いない!!
50代というと、今では、一昔前の中年層といっても良いくらいの状況にあると思います。私は、40代、50代は第二の人生のための、準備期間ではないかと思っています。

この時期に、務めている組織にそのまま残って役員などになるにせよ、一旦定年退職して新たな職につくにしても、この年代で準備をしておかなければ、どちらも無理になるものと思います。

特に、現在は、完璧に知識社会に突入しているので、働き方についても、従来と同じような考え方のままでいるような人には、どちらの機会も訪れることはないでしょう。

あの経営学の大家ドラッカー氏も、『会社オンリーで終わらせない「第二の人生」の準備が必要』という趣旨で、いくつかの書籍に以下のような趣旨のことを掲載しています。
 「知識社会に特有の上方への移動は高い代償をともなう。それは、競争にともなう心理的な圧力と精神的なストレスである」(『ネクスト・ソサエティ』) 
ドラッカーは、われわれが今、直面している社会を知識社会(ネクスト・ソサエティ)と呼ぶ。知識社会には、3つの特徴がある。 
第1に、万人に職業選択の自由がある転職可能な社会である。 
第2に、万人に教育の機会が与えられるがゆえに、誰もが出世可能な社会である。 
第3に、万人が知識を手に入れ、しかも、万人が勝てるわけではないがゆえに、成功と失敗が併存する社会である。 
昔の社会はそうではなかった。無産者の子は、無産者であっても敗者ではなかった。ところが、知識社会では、勝者がいて敗者がいる。全員がいつまでも順風満帆というわけにはいかない。 
おまけに、ほとんどの人が、長い第2の人生を持つことになった。 
したがって、会社オンリーだとつらいことになる。本人のせいではない。そのような時代になったということである。 
そこでドラッカーは、他のことと同様、いつから始めるにせよ、準備が必要だという。
 「知識労働者たる者は、若いうちに、非競争的な生活とコミュニティをつくりあげておかなければならない。コミュニティでのボランティア活動、地元のオーケストラへの参加や、小さな町での公職など、仕事以外の関心事を育てておく必要がある」(『ネクスト・ソサエティ』)
この準備定年する人にだけ必要であるわけではありません。役員として会社の残る人も、運良く若いときから役員になれた人は、別として、定年の直前に役員になるような場合は40代くらいからある程度の準備をしなければなりません。

というのも、役員ともなれば、若いときの働き方と同じ働き方をしていては、役にたたないからです。若いときと同じ働き方をする、年老いた役員など、何の価値もありません。それなら、若い者の仕事をやらせたほうが良いです。

知識社会に突入した、高齢者は高齢者ならではの働き方をしなければならないからです。では、具体的にどうなのかといえば、このブログで何度か掲載してきた、いわゆる政治家の能力に近いもの持つ必要があります。

これにかんして、過去のブログを見ていただくものとして、まずは、物の考え方としては、世の中で言われていて、様々な書籍などでも、紹介されている分析的思考、水平思考などのような考え方ではなく、いわゆる統合的思考にたけるようにならなければなりません。

統合的思考とは、以下のようなものです。
相克するアイデアや問題事項の対立点を解消することにより、より高次の第三の解答を見つけ出す思考法のこと。さて、理論的思考や、水平思考によって、いろいろなアイディアが浮かんできます。ただし、アイディアがたくさんあるだけでは、実行に移すことはできません。  
それどころか、混乱するだけです。ここで、数多くのアイデアを取捨選択、統合するとともに、実施すべき順番を考える必要があります。また、数多くのアイデアを束ねるだけではなく、一言で言い表したりして、誰にも理解できるようにして、さらに高次元にする必要があります。それが、統合思考です。経営者クラスはここまでできなければなりません。
この思考方法の詳細に関しましては、ここでは本題ではないので、詳しくは以下のURLをご覧になってください。


BOOK REVIEW 『これからの思考の教科書』- ビジネススキルとしての思考法を順を追って学べる良書―【私の論評】常に革新的であるために、一つの思考方法に凝り固まるな!!アインシュタインと菅総理大臣から真摯に学ぼう!!


さらに、当然経営者としては、戦術ばかり考えているようでは失格で、戦略を考えるようにしなければなりません。戦略を考えるには、物事の考え方の道筋を根本的に改める必要があります。

まずは、一般的な問題を例外の連続と見るようなことはやめなけばなりません。これに関しても、ドラッカー氏は興味深いことを言っています。
最も多く見られる誤りは一般的な問題を例外の連続とすることである。  
あらゆる問題が四つに分類できる。第一が、一般的な問題である。第二が、自分にとってははじめてという一般的な問題である。第三が、真に例外的な問題である。第四が、例外的に見えながら一般的な問題のはじめてのケースである。 
一般的な問題は一般的な解決を必要とする。それらの問題は、原則と方針によって解決しなければならない。状況に応じて原則を適用することで処理する。 
もちろん、例外的な問題は個別に処理しなければならない。しかし、真に例外的な問題というものは稀である。とくに組織が直面する種類の問題は、ほとんどすべてどこかの誰かが解決したことのある問題である。したがって、ほとんどの問題は原則と方針を適用することによって解決できる。
戦略的意思決定をするためには、まずは、上記のような一般的な問題を認識できる思考力が必要不可欠です。さらに、それだけでも、できません。さらに下のようなことが必要となります。
戦略的な意思決定では、範囲、複雑さ、重要さがどうであっても、初めから答えを得ようとしてはならない。重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい、問いを見つけることである。  
教科書は事実を収集せよという。だが、 問題を定義し分類しないことには、それは不可能である。問題の定義と分類によって、関係のあるデータ、すなわち事実が何であるかを知る。 
一見して重要な要因が本当に重要であったり、そもそも関係があったりすることは稀である。それらののは、せいぜい兆候にすぎない。しかも、最も目立つ兆候が問題の鍵であることは稀でもある。意思決定においての最初の仕事は、問題を見つけて、それを明らかにすることである。この段階ではいくら時間をかけてもかけすぎるということはない。
意思決定についてのかなりの部分が、問題の解決すなわち答えを出すことに集中している。間違った焦点の合わせ方である。問題の解決だけを重視して良い意思決定は、さして重要ではない日常の戦術的な意思決定だけである。 
以上に関しては、昨日、蓮紡さんのツイッターが炎上したことについてのある記事の解説のところで同じことを掲載しています。詳細を知りたいかたは、是非昨日のブログをご覧になってください。下にURLを掲載しておきます。


まあ、上記のことがら、年代が若い人が理解できなくても、仕方ないと思います。しかし、40代を超えた人の場合は、ある程度理解できないようであれば、将来的に役員などのような高い地位につくことは諦めるべきだと思います。

しかし、これは、政治家にも共通事だと思います。政治家は、他の職業と比較すれば、年配の方が多いですが、ある程度経験を積まないと上記のような考え方はなかなかできないので、年配の方が多いという傾向があると思うのですか、残念ながら、最近の政治家をみていると上記のような考え方をできる人が少なくなっているのではないかと思います。

このような考え方が本当にできるようにするよう、40代~50代で準備するが将来会社に長くいて、役員などをする人のすべきことと思います。この思考方法の転換、言うはやすしで、行うはかたしというところだと思います。

しかし、役員として残れるような人は、どの会社でも、ほんの一握りです。他の人は、定年して、新たな仕事につくことをこれも、やはり、40代~50代にしておくべきです。以下の内容は、これまた、ドラッカーで、『会社オンリーで終わらせない「第二の人生」の準備』ということで、これもいくつかの書籍からまとめたものです。
 「退職した人と働く人との比率を、少なくとも1対3に抑えることが、あらゆる先進国の社会政策と経済政策の中心的な目標とされなくてはならない」(ドラッカー名言集『歴史の哲学』) 
ドラッカーは、いかなる社会といえども、多くの数の高年者を扶養することはできないという。社会が重荷に耐えられない。しかしドラッカーは、今日の65歳の平均余命と健康度は、1920年代の52~53歳に相当するという。 
仕事はおもしろい。それは社会との絆でもある。加えて、高年者の発言力は増大する。かくして定年制の緩和が不可避となる。それは、社会的、経済的、人道的見地からの必然である。 
やがて六五歳定年制は、パートタイムでも働きたいとの欲求を持つ健康な人たちに、怠惰を押し付け、無用の存在たることを強制するだけのものと受け取られるようになる。 
遠くない未来において、高年者をいかにマネジメントするかが、中心的な課題の一つとなる。高年者の強みを引き出すマネジメントこそ、先進国社会において最も重要なこととされるようになる。 
1つだけ難問が残る。身体的あるいは知的な能力が低下して満足な仕事のできなくなった者に退職を納得してもらうための基準である。これこそ最大の難問であり、緊急の課題である。 
 「定年制によって65歳で退職した者も、退職後まもなく、欲しかったものは長期休暇にすぎなかったことを知る」(ドラッカー名言集『歴史の哲学』)
このようなこと、日本ではまだまだという感じではありますが、実は、アメリカでは随分前から、実現されています。もう、アメリカでは70歳定年が当たり前です。70歳までは、高齢という理由だけで、採用を拒んだり、解雇したりすれば、違法ということになります。これは、いずれ日本でも、実現されることになると思います。というより、世界のほんどの先進国がそうなると思います。なぜなら、どこの国でも、あの悪名高き年金が破綻しかけていますから、これをしのぐためは、定年を延長しなければなりません。

さて、上記は、働く物からの見方です。しかし、高齢者を雇用する側からの見方もドラッカー氏、いろいろな著書において、知識労働者としての高齢者について書いていました。最後の著書となった「ネクスト・ソサエティー」にも繰り返し書かれていました。

以下に私が記憶しているその要旨を掲載しておきます。詳しく知りたい方は、是非「ネクスト?ソサエティー」などを参照してください。
一昔前の肉体労働者(実際ほとんどの労働者がこの範疇で、これらの多くは、モノ運んだり、つくったり、農業、漁業などの労働者であり、それが大勢を占めていた)であれば、55歳にもなればもう十分働いたという感覚であり、そこから働きたいなどというものはほとんどいませんでした。多くの人が、50歳にもなれば、定年して引退生活することを心待ちにしていました。 
しかし、知識労働者は違います。彼らは、まだまだ、健康で頑丈であるばかりではなく、まだまだ働く能力が十分にあり、また、定年した後でもそうしたいと願っています。ただし、ここでいう知識とは仕事に適用できる知識を意味します。本や百科事典に書かれてあるようなものは、仕事に直接適用することはできず、単なる情報にすぎません。 
年金が破綻すると思われる日本でも、おそらく、アメリカの後を追い、いずれ定年が70歳まで、引き上げられるか、今アメリカで検討されている、実質上の定年撤廃(働けるまで働く)という時代がやってくるかもれしません。 
ドラッカーは、これに続けて、若年層は、少子高齢化で数が少なくなっているため、雇うのが困難になりつつあること、さらには、若年層は、企業で再教育が必要ですが、高齢者、特に高学歴の知識労働者については、その必要もないことを説いています。ただし、若年層はフル・タイムで働くことを前提とした人事・労務管理が行われてしかるべきだが、高齢者に関しては、臨時とか、契約、コンサルタントなど、多様な就労形態による人事・労務管理が重要であることを説いています。 
それと、いずれ、高学歴の高齢な知識労働者の奪いあいになるとなどとも語っています。これに関して、実際には、アメリカでも、日本でもそのような状況にはないようですが、それは、今は、金融危機・リーマンショックの余波の最中にあり、若者や中年層まで、職がないありさまです。 
しかし、今後、景気が上向いた場合、そのころには、さらに少子高齢化が進んでいることが予想されるため、上記のようなこと記憶にとどめておいて、手をうつべきと思います。なにせ、ドラッカーの予想は、ソビエト崩壊をはじめ、ほとんどが当たっています。ただし、これは、未来を予測したのではなく、ドラッカーがいうところの「すでに起こった未来」を真摯に見つめた結果だと思います。それに関して、ここで書くとまだ長くなってしまいますので、また別の機会に改めて書きます。
さて、私の本日書いたこと、「定年後の仕事に関する意識調査」という上の記事に触発されて書いたものですが、皆さんは、動思われますか?非常識だと思われますか?しかし、常識というものも、時代とともに変わっていくものです。上記のアメリカの定年70歳に関しては、ドラッカーが20年もしないうちにそうなるであろうと、提唱してから、10年を経ずして実現しました。これを考慮にいれれば、日本でも、十分に上記のようなことを真摯に考慮しておかなければならない時代がまもなくやってくると思います。

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