2011年11月25日金曜日

Google+が企業向けSNSを制することができる5つの理由―【私の論評】水道の蛇口戦略はFacebookが先鞭をつけるか?


http://journal.mycom.co.jp/articles/2011/11/24/gogole/index.html

【私の論評】水道の蛇口戦略はFacebookが先鞭をつけるか?

さて、上の記事では、企業対象では、Google+が有利としています。私も、そう思いますし、それどころか、このままでは、個人ユースでも、Google+のほうが有利ではないかと思っているくらいです。

なぜなら、Google+には、サークル機能があるからです。これによって、Google+は、それこそ、Facebookのようにも使えるし、twitterのように使えるし、さらに、他の用途にもかなり使いやすくなっているからです。

しかし、ここにきて伏兵ともいえるような、思ってもみなかったたことをFacebookがやろうとしています。その内容を以下に掲載します。

世界最大のSNSフェースブックがスマートフォン「Buffy」の開発を計画している件で、1台あたりのコストが700ドルになる見込みだといいますが、無料で配布することが計画されているといいます。



米サイト、ビジネスインサイダーによると、事情を知るフェースブック幹部ら2人の談話として、より多くの人に手に取ってもらうことを最優先課題しているといいます。そのために、契約を無くす方法も模索されているのだといいます。

収益モデルは広告などを検討しているそうです。 1台あたりの製造コストなどを含めた総合コストは700ドルになるといい、決して安くはありません。アマゾンのキンドルファイアは210ドルと想定されるなど他社比較では割高となります。

製造に関しては、以前報道されたように台湾メーカーHTCの他に、韓国のサムスンも協力する見込みだといいいます。

こうなると、Facebooは、顧客に多数の自社に最適化した端末を所有してもらい、様々なことができるうよになるわけです。それも、かなり多くの顧客が所有することが予想できます。無論、キャリアと提携して、通信料からいくぶんかの手数料をもらうようになるのだと思います。

そうして、広告も掲載するのだと思います。そうなると、棲み分けができてくるかもしれません。個人ユースでの大多数は、Facebookを企業ユースの大部分は、Google+になるかもしれません。

それにしても、やはり、個人ユーザーが多くなければ、企業ユースだって、あまり役にはたたないです。 なにせ、たとえば、facebookや、Google+ページを作成したとしても、個人ユースのユーザーが多くいなければ、あまり意味がなくなるからです。 そうなると、facebookのほうが、これからは有利になるかもしれません。いや、Gooleだって負けていないと思います。



おそらく、ほぼ無料か、無料に近いGoogleフォンや、アンドロイド端末を出してくると思います。多くのユーザーがすでにパソコンを持っていることを利用して、以下のような製品を無料で配布するかもしれません。

 USBメモリ型、たった21グラムのAndroid端末「Cotton Candy」

こいつで、家で眠っているパソコンが最新アンドロイド端末に変身!!
とにかく、私が以前からこのブログで掲載してきた「水道の蛇口戦略(要するにユーザーに端末を無料もしくは、それに近い価格で提供する戦略のこと)」に対してFacebookが先鞭をつけることになりそうです。


そうして、これから、Facebookと、Google+そうして、わすれてはならないAppleの三つ巴のユーザー獲得競争が始まるのだと思います。今のところ、Facbookのスマホがどのようになっていくのか、さらには、GoogleやAppleの対抗措置はどうなるのかはっきりしませんが、この関連で何か動きがあれば、追跡して、掲載させていただきますので、よろしくお願いします。

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2011年11月24日木曜日

日本のネット社会は実名化するのか―【私の論評】いつまでも、匿名を前提としていては、身の丈にあった情報からは断絶されるだけ!!

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『facebook』の利用者が世界で8億人を超え、世界で3番目の人口を誇る“国家”となったことは記憶に新しい。

海外では「孫と会う為にfacebookが必要」と言われるほど、生活ツールの一部として根付いている同SNSは、日本での登録者数も1000万人を超えさらなる増加が確実視されている。

しかしながら『facebook』が日本ナンバー1のSNSとして今後君臨するのか否かについては否... 続きを読む

■著者データ

ガジェ通ウェブライター

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TwitterID: anewsjp


【私の論評】いつまでも、匿名を前提としていては、身の丈にあった情報からは断絶されるだけ!!
上の記事での結論は以下のようなものです。


「日本のネット社会は実名化するのか、その答えは「Yes」である。

日本の“右にならえ”文化が、自分だけ実名化していない事に対する後ろめたさに繋げるからである。

しかし、日本の“匿名ネット文化”も決して廃れることはないだろう」

匿名ネット文化の象徴「2ch」
私もこの意見には概ね賛成です。ただし、上の記事では、「匿名ネット文化」も決して廃れることはないだろうとしていまが、ここは完璧には賛成しかねます。私は、廃れながらも、必要悪としして細々と存続し続けると見ています。右にならえというのもおかしな言い方だと思います。

それは、現実世界の、いわゆる闇の世界があるのと同じことだと思います。経済でいえば、アングラ経済があるのと同じだと思います。世の中には、さまざまな理由から、自分の素性を明かしたくない人が少なからず存在すると思います。現実世界でもそういう人たちは、全く名を名乗らないか、一部にしか明かしていないと思います。そういう人たちは、ネットであろうと、なかろうといつでも、匿名だと思います。

過去においては、たとえば、パソコン通信とか、インターネットも黎明期の時には、ネットなど一部の人のもので、何をするのも、ほんど実名でした。それで、別に不都合も何もありませんでした。それが、ネットの人口が中途半端に増えてくるに従い、日本では、なぜか匿名が当たり前のようになってきました。

しかし、これだけSNSが発達したり、当たり前に多くの人が使うようなれば、また、事情も異なってくると思います。そうです。ネットや、SNSが実社会と変わらないように使われくるようになれば、ネットでの書き込みも、また、自然の流れで、実名になるのが当然の成り行きのように思います。

実社会ではまずみなくなったOLの土下座
特に、ネットのみでの付き合いというのも、実社会の付き合いと同じどころか、こちらの方が多いくらいになってくれば、実名が前提になってくるのは当然のことと思います。その頃になれば、匿名サイトなど、実社会ではまずみなくなったOLの土下座のように稀有な存在になるかもしれません。

ちなみ、ネットでの匿名性について、このブログに以前も書いたことがありますので、それを以下に掲載しておきます。

どんな世界でも、それが、現実世界であろうと、バーチャルの世界であろうと、まともな付き合いをするのであれば、自分の素性や、考えや、嗜好など表にださなければ、できない事だと思います。それが、表に出ると困るというのなら、ソーシャルメディアは一切使うべきではありません。 
人とと関わっていく中で、自分と他の人との考えや趣味・嗜好が異なったり、相反するのは当たり前であって、それを避けて通っていては、もともと人間関係など構築できません。その違いを乗り越えて、妥協点を見出すというのが、人間関係というものです。どうしても、自己を偽らないと他者との付き合いが出来ない人は、すでに自分の精神が崩壊しているとみなすべきです。 
そうして、インターネットの匿名性が、日本で新たなイノベーションが起こらないことの背景にあるのではないかということも掲載しました。その内容を以下にコピペします。 
 日本のように、あまりに匿名性ばかりにこだわっていては、まともな付き合いもできないし、有用な情報も入ってこないということになります。それに、Facebookの中で行われているようなビジネスチャンスをつかむこともできないと思います。ビジネスチャンスまでいかなくても、SNSのなかにいろいろと転がっている機会など、受けることも提供することもできなくなります。そうして、ただのバーチャルワールドの中で時間つぶしにすぎなくなると思います。 
日本では、いわゆる技術的なイノベーションは世界トップクラスですが、社会的イノベーションについては今一歩というところがあります。だからこそ、最近では、日本ではアップルがひきおこしたようなな社会的イノベーションもあまり見かけなくなったのだと思います。私は、その原因の一つとして、上記のような匿名性による弊害もあるのではないかと危惧しています。
   
特に、最近では、このブログでもたびたび掲載してきた、ドラッカーの言葉でもある、「新しい技術は、自ら属する産業の外からやってくる」ということが、顕著になってきています。そうなると、SNSから入ってくる情報は、さらに重要性を増してくると思います。実社会や、SNSで親しくつきあっているさまざまな分野の人から、自分の身の丈にあった情報が入ってくる可能性が従来にも増して高まっています。

たとえば、自らが製薬業界に属していたとして、一昔前までは、製薬業界では、化学、生化学、薬学のことを知っていれば、知識としては十分でした、しかし、すでにこの分野での大きな成果が生物学特にバイオテクノロジーの分野からあがってくるようになりました。

これは、単にバイオテクノロジーに限らず、宇宙工学、医学、公衆衛生学の分野からも、製薬業に寄与する何か革新的な技術ができあがっててくるかもしれません。しかし製薬会社の役員や管理者がの、いつ製薬業に寄与する新技術がでてくるかもしないとして、すべての分野を学ぶわけにはいかないと思います。特に、全く専門外の分野に関しては、その分野の基本的なテキストなど読んでも、何も意味を持たないかもしれません。

そんなときに、SNSの中にそのような分野に詳しい人がいて、しかも、その人が自分のことを良く知っていて、自分にあわせた形で、新技術のことをわかりやすく解説して、しかも、自分の仕事とどうかかわりあってくるのかを教えてくれたら、これは、すばらしいことだと思います。また、自分の専門分野のことに関しては、SNSの中でも、同じ専門の人が専門家の立場で情報を交換できたら、その分野に関する一般の素人の人と話すよりは、よほど良いと思います。私は、このような情報を従来から身の丈にあった情報と呼んでいます。

今の世の中、新聞、テレビ、雑誌、書籍、インターネットと情報は、氾濫しています。しかし、いわゆる身の丈にあった情報は、意外に少ないです。自分の専門外のことを基本からさかのぼって、学べるような情報、あるいは、自分の専門分野の最先端の情報などは少ないです。そのような情報が入ってくる確率が高いのが、SNSです。
現代では、「身の丈にあった情報」が重要
今のところは、まだまだ黎明期の状態ではありますが、いずれ、SNSは、社会の中で重要な役割を担っていくと思います。私は、そうした中にあって、いつまでも完全匿名性を前提としていては、こうした身の丈にあった情報には出会えません。

そうして、このことを裏付けるような研究結果があります。

ミラノ大学の研究者と共同で行われた『Facebook』の調査で、これまで人々は「六次の隔たり」でつながっているとされてきたのに対し、Facebookユーザーの場合は「四次の隔たり」であることがわかった。 
「六次の隔たり」とは、人は自分の知り合いを6人以上介すると世界中の人々と間接的な知り合いになれるという仮説で、「多くの人数からなる世界」が「比較的少ない人数」を介して繋がるスモール・ワールド(世間は狭い)現象の一例とされる]Facebookがイタリアのミラノ大学の学術研究者と共同で行った調査で、一般の人々は「六次の隔たり」でつながっているとされてきたが、Facebookユーザーの場合は「四次の隔たり」でつながっていることがわかったのだ。
六次の隔たり
 これに関する詳細は、Wired.jpの『Facebookで「狭くなった」世界を実証』をご覧になってください。要するに、たとえば、オバマ大統領に何か直接伝えたいと思った場合、友達の友達の友達などをたどっていけは、6人目でオバマ大統領に到達するというものです。これが、facebookでは、4人で到達するというわけです。他のサイトで調べたところ、本当には4人より若干少なめの、正確には3.9人だそうです。

ちなみに、この調査を実施した時期には、Google+はあまり広まっていなかったそうです。無論、Google+でも、このような効果はすでにある程度あるだろうし、これからユーザーが増えるに従い、このような効果もfacebookと同じようにでてくると思います。

この結果、まさしく、私のいう「身の丈にあった情報」の交換に、SNSは効果があることを実証していると思います。いつまでも、匿名にこだわっている人は、このような「身の丈にあった情報」を交換する機会みすみすを失っているのではないかと思います。匿名ネット文化では、4次どころか、6次の隔たりよりも、さらに隔たりは大きいと思います。皆さんは、どう思われますか?

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2011年11月23日水曜日

【日本共産党 しんぶん赤旗】きょうの潮流―【私の論評】何を血迷っているのかさっぱり理解できないこの潮流?!!ネット上ではお笑いネタに過ぎない、この感性?



「男なら男らしくしろ」「女房、子どもを泣かすのか」。東京のある教師は、卒業式の「君が代」斉唱時に立てと強いる校長から、何度も脅されました。

胸中をかけ巡る怒り、無力感。ついに起き上がれなくなって入院しますが、医師にも迫られます。起立するか。辞めるか。相談にかけこんだ先が、精神科医の野田正彰さんです。野田さんのもとに、同様の相談が相次ぎました。

「君が代」の伴奏を強いられた音楽教師は、ストレスのあまり胃から出血し緊急入院。動脈の8カ所で止血を施すほどの重症でした。良心の自由と強制の間で苦しむ心の危機を、「君が代症候群」とよぶ野田さん。大阪の教育基本条例案に反対するアピールの、よびかけ人でもあります。

条例案は、橋下知事が求める「独裁」の教育版です。翻訳家の池田香代子さんは当初、条例案を「ばかばかしい」とみなしていたそうです。が、心のどこかにおりのようにひっかかる。とある機会に全文を読み、正体を知ります。


条例の7割を「問題教師」の排除に割く。上意下達と監視の義務づけ。首長や議会は民意の代表だからと、政治が教育に乗り出す…。ドイツとかかわりの深い池田さんは、省みます。かつて多くの人が“あんなばかばかしい連中が政権などとれるはずがない”と高をくくり、ナチスの政権とりを助けた。同じく自分も条例案を軽くみていた、と。


昨年春から、橋下流のやり方を「ハシズム」とよんでいた池田さん。もちろん、アピールのよびかけ人です。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-20/2011112001_06_0.html

【私の論評】何を血迷っているのかさっぱり理解できないこの潮流?!!ネット上ではお笑いネタに過ぎない、この感性?

上の内容は、『今日の潮流』という共産党のサイトに掲載されていたエッセイです。私は、共産党のサイトに掲載されているものは、客観的なデータ以外はこのブログでも、掲載したことがありませんが、本日は思わず、掲載してしまいました。

そうして、この話私自身どう考えても、まともではないし、お笑い種にしかならないと思ってしまいました。いまどき、こんな論調で、納得する化石みないな人なんているんでしょうか?

そう思って、サイトをみてみたら、痛いニュースという2chのまとめサイトにも掲載されていて、2chの内容や、それを読んだ人たちのコメントが掲載されています。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1678411.html

このサイトでの他の人々の反応も似たようなもので、私の感覚はとくにおかしくもなんともない、当たり前のものだと思いました。

それにしても、「君が代症候群」なんて、こんなの病気といえるのでしょうか?自分の国の国家の伴奏を演奏することが病気の原因なんて、責任転嫁もはなはだしいといわざるをえません。最近、こういう新しいタイプの欝が流行っていることを昨日のNHKのクローズアップでも報道していました。

何でも、会社で些細な当たり前のようなことで、特に厳しくもなく普通に上司にしかられて、欝状態になり、会社に出ずに、何日か家にいるにもかかわらず、夜になると、友人と飲みにいって、ワイワイやるという症状だそうです。

欝病の症状は、一度欝状態になれば、どんな場合でも、欝に陥っている場合は、欝状態が続き、飲みに行って、ワイワイするなどということはあり得ないものでした。しかし、最近は、そうではない新種の鬱病があるそうです。

しかし、私自身は、これは、本当に病気なのかどうか疑わしいと思っています。この番組の中では、この種の患者は、たいてい責任の所在は、自分にない思っており、どんなことでも、人のせいだとするようです。この考え方は、従来の方法なかなか直らなようで、患者同士のグループディスカッションをさせるそうです。そうして、他の患者から自分自身に責任があることを指摘されて、はじめて気付くということが多いそうです。

最近は、親や学校の先生が子供を叱ることが少なくなったったためでしょうか、いわゆるガラスの神経を持った若者が多いといわれています。このガラスの神経を持った若者の、行き着く先が、新種の鬱病なのかもしれません。

「君が代」の伴奏を強いられた音楽教師は、ストレスのあまり胃から出血し緊急入院。動脈の8カ所で止血を施すほどの重症などとして、さらに、良心の自由と強制の間で苦しむ心の危機を、「君が代症候群」などとして、病気扱いするのは完全な間違いであり、異常であり、異様なことだと思います。はっきりいわせていただければ、滑稽でさえあります。

この馬鹿教師の新型鬱病を治療するには、生半可なことではすまないと思います。あの、時計仕掛けのオレンジにでてきた、主人公のアレックスの暴力的な性向を直すための治療を施したらいかがでしょうか?

そうです。拘束服をつけさせ、椅子に固定して、目も強制的に開けた状態で、目が乾燥しないように、点眼しつつ、君が代の曲を流し、画面には、日章旗がたなびく動画を流し続けるとか・・・・・・・・。

時計仕掛けのオレンジで治療を受けるアレックス
新型欝病の高校教師の洗脳にもちいるべき動画?

この映画、ファンもかなり多いようですから、ご覧になった方もいると思います。私は、このアレックスを自分のアバターとして、使用していたこともあるくらいですから、当然この映画は何度もみていますし、DVDもっています。初めて見たときのインパクトはすごかったです。確か、高校生の時分にみたと思います。

詳しくは、この映画をみていただくに限りますが、この映画では、とにかく、乱暴もので暴力は振るうわ、強姦はするはの、アレックスのこの性向を直すための治療が施されます。そうして、いろいろ、経緯はあるものの、最終的にアレックスはもとの性向に戻ってしまうところで、この映画は終わります。


この結論から、映画監督であるスタンリー・キューブリックがいいたかったことは、結局人間は、こうした暴力的な側面などがなければ、人間ではなくなってしまうということだと思います。私自身も、層思います。無論、暴力的側面を悪い方向に使えば、大変なことになってしまいますが、良い方向に使えば、より人間らしく生きられると思います。

上の記事があまりにも馬鹿馬鹿しいので、「時計仕掛けのオレンジ」の例まで出してしまいましたが、ここまで書いて、はたと気付いたことがあります。

そうです、上の音楽教師は、戦後60年間のアメリカによる日本の弱体化政策、さらには、左翼による弱体化政策の一環として、アレックスのように洗脳を受けたのではないかということです。無論、上記のように、映画や音響でではなく、言葉や、文章や、その他で、結果としてアレックスのような洗脳を受けたのだと思います。

そういう意味あいでは、教師も犠牲者なのかもしれません。終戦後が、これだけ時間が経過しているにもかかわらず、本当にバーチャルリアリティーのようなおかしな状態が続いています。このバーチャルから決別した人にとっては、悪影響を受けることも少ないですが、それに浸っている人は、だんだん精神が病んでくるのは当たり前のことかもしれません。しかし、子供なら別として、大人ならば、自分の精神と、肉体はまずは、自分で守るように心がけるべきと思います。

それにしても、左翼の連中は、歴史的事実もゆがめてしまいます。そもそも、歴史を知りません。知ろうともしていません。

橋下さんをヒトラーになぞらえるとは、噴飯ものです。上のコラムを書いた人は、歴史に学ばないから、ヒトラーの本質も判っていないと思います。確かにナチスドイツのヒトラーならびに幹部は、ユダヤ人の大量殺戮をしたということで、犯罪者です。

しかし、ドイツが戦争に突入することに踏み切らせたのは、第一次世界大戦の戦勝国でもあります。これらの国々は、第一次世界大戦で蒙った被害に関して、ドイツに対して法外な賠償金を請求しました。これは、ドイツ人からすれば、第一次世界大戦など、国同士のパワーオブバランスによる争いの一環であるに過ぎないものであり、法外で理不尽なものと写りました。これが、ナチスドイツを台頭させる大きな原因にもなっています。


それに、ヒトラーが権力を獲得するまでの権力闘争は、すざまじいものがあります。それこそ、政敵を葬った長いナイフの夜とか、有力ユダヤ人を葬った水晶の夜といわれた、大量虐殺があったことなども知らないのだと思います。こんな人間を橋下さんと比較するなど、とても正気の沙汰とは思えません。これは、橋下さんに対する立派な、侮辱であり、名誉毀損だと思います。

上の高校教師やコラムニストのように、歪んだ頭では、こんなことも理解できず、そうして、日本の歴史も知らず、全く見当違いのことで、ガラスの神経がすぐに壊れてしまうのでしょう。共産党いっとき、派遣問題などの高まりで、プロレタリア作家の小林多喜二の『蟹工船』などが、若者に売れるようになり、多少人気が上向いたこともあったようですが、上のような化石のようなコラムを掲載するようでは、もう、焼きがまわっています。今の若者には、ドン引きされるだけでしよう。

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『一方的な乱暴判決』 日の丸・君が代訴訟 原告、怒りあらわ―これから嫌な時代がやってくるのか?



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2011年11月22日火曜日

「制限」が創造性を高める理由―【私の論評】企業経営では制限は創造性を高めているが、行政がそうならないのはどうしてか?


水泳の足ヒレを付けて100mハードル走。19.278秒が世界記録だそうです。
パズルなどを解いているときに「障害物」があったほうが、物事を大局的に眺める傾向が高まり、発想が拡大するという研究結果が発表された。

人間の創造性に関してはたくさんのパラドックスがあるが、そのなかのひとつは、制限があるほど創造性が高まるらしいということだろう。われわれは、想像力は完全に自由な状態を必要とすると思いがちだが、実際の創造的プロセスは、厳密な約束事や形式上の条件と深く絡み合ったものなのだ。

・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

詩の形式がいつまでも廃れない理由を説明している。ソネットという形式があるおかげで、より大局的な思考が行われ、平凡な連想を超えた、オリジナルな詩が生み出されるのだ。きっかり3音節で韻を踏んでいる言葉を見つけたり、弱強格に合う形容詞を思いついたりしなければならないおかげで、詩人はありとあらゆる予想外の連想に出合うことができる。

ポール・ヴァレリーが言っていたように、「芸術が固有に備える制限によって、その想像が鈍ってしまうのではなく刺激される時、人は詩人となる」。彼らは、束縛に進んで入りこむことによって、拘束を超えているのだ。

更新:読者の「DW」は、チェスタトンの素晴らしい警句を教えてくれた。「芸術は制限のなかにある。絵画において、もっとも美しい部分は枠だ」



【私の論評】企業経営では制限は創造性を高めているが、行政がそうならないのはどうしてか?
上の記事では、詩を例としてあげていましたが、私が真っ先に考えたのは、企業経営でした。ご存知のように、企業経営で必要な資源は、ヒト・モノ・カネそうして情報です。そうして、どの経営者も、これらの資源を十分にありあまるほど使ってできる人はそうそういるものではありません。そうして、それは、従業員も同じことです。

限られた人員、限られた資金で、事業を継続させたり、新規事業をたちあげたりします。有り余る資源を投入してできることなどまず、ほとんどないといって良いと思います。そうして、特に民間営利企業の場合は、最初から経済的な大きな制約があります。そうです。すばらしいことを成し遂げたとしても、利益が出なければ、何をやっても結局は評価されないのです。これは、大きな障害です。

ジョブスにも制約はあったろう
また、有り余る資源を用いて、事をなすというなら、誰でもできます。そうではないから、高い評価を得ることができるのだと思います。大枚をはたいて、企業買収して事業を展開したというだけなら、何の評価も受けません。だから、経営はアートでもあるといわれるのかもしれません。

これと同じようなことで、ドラッカーが面白いことを言っていたことを思い出します。ドラッカーは、政治の役割について、天候にたとえて、政治ができることは、「気象を変えることはできるが、天気は変えることはできない」というものです。政治が扱う対象を地球の天候だとすれば、低気圧や高気圧や、前線などの気象のような大きな事象を変えることはできるが、東京の本日の天気のような、天気を変えることはできないということです。

気象は変えられても天気は変えられない
これは、なかなか良いたとえだと思います。そうして、このことの事例として、エリザベス朝の大蔵省(日本の政治システムはもともとは、イギリスを範として導入されたため、かつてのイギリスには日本の大蔵省と同じ省があった)の構成人員は、大臣を含めて、十数人しかいなかったということをあげていました。

大蔵省の人員が、わずか10数名であったということは、今の時代と比較すると全く考えられないことですが、それは、事実です。これは、何も大蔵省に限らず、他の省でも同じようなものです。人員が限られているという制約があったため、エリザベス朝の大蔵省は、瑣末な要請があったとしても、即座に「NO」といって、本質的な仕事にのみ集中しました。そうして、当時の日の出の勢いであった大英帝国財政を支えたのです。

そうです。もともとは、政府の仕事は、いわゆる基盤(インフラ)を整備することであって、本来その基盤の上で実務をするのが、民間営利企業であり、民間非営利企業なのです。ちなみに、当時のイギリスでは、いわゆる社会福祉的な仕事は、全国にある市町村のNPO(非営利団体)が一手に引き受けていました。

ちなみにエリザベス朝のイギリスといえば、いまのイギリスとは比べようもなく、先進的で革新的でした。統治していたのも、イギリス本土だけではなく、全世界の植民地を支配していました。こんな大国の財務をわずか、十数人の大蔵省が一手に引き受けていたのです。これでは、確かに今の政府のような瑣末なことを引き受けている余裕などありません。

大英帝国最大版図
しかし、最近のイギリスの政府はどうかといえば、当時と比較にならないほどの人員を抱えています。そうなると、人員には障害はないので、上の記事でも指摘していた、いわゆる大局的にものみれなくなるのではないかと思います。

無論、今からエリザベス朝の大蔵省にもどることはできないでしょうが、私たちは、ありあまる人員で政務をこなすことが決して良いことばかりではないことを認識すべきと思います。

まさに、上の記事で語っているようように、人手にも時間にも制約があるからこそ、エリザベス朝の大蔵省は、瑣末なことはせずに、大局的にものをとらえて、対処することができたのだと思います。そうして、ご存知のように、その任を十分に果たすことができたのだと思います。

最近のイギリスはといえば、いわゆる、STUPID諸国の仲間入りをしてしまうほどの体たらくです。それでも、サッチャーのときには、大きな改革を行い、ブレアのときには、いわゆる働くための福祉(対象者にお金を提供することを中心にすえるのではなく、働けるように助ける福祉)に切り替えたり、また、エリザベス朝のように社会福祉にNPOが大きな役割を果たすように、NPOがイギリスの社会福祉にしめる役割を明確に位置づけをした法律を制定したりしています。

翻って日本はどうなのでしょうか。今日本は、20年間にもおよぶデフレから未だに脱却できないでいます。デフレは、人間の体にたとえれば、癌のようなものです。まさしく、経済の癌です。これは、何をするにも、大きな障害です。デフレである限りにおいては、いくら、雇用対策をしても、その場しのぎの対処療法にすぎません。景気も良くはなりません。何をやっても、何かを良くしようと思えば、何かが駄目になるというモグラ叩きになってしまいます。今の日本の最大の障害は、数多くありますが、こと国内に限っていえば、デフレが最大の障害です。その他は、これに比較すれば、瑣末なことだと思います。

デフレ日本で普通に見られるようになった光景
こういう障害があればこそ、政治家は、創造性を発揮して、これを解決していくのが筋ですし、優れた起業家が、創造性を発揮して困難をのりこえていくように、粉骨砕身すべきと思います。しかし、そうではありません。多少の例外はあれ自民党政権時代もおおむねそうでしたが、民主党政権になってからますます酷くなったと思います。何の疑問も、おそれも感じることなくデフレの最中に、増税まっしぐらに突き進もうとしています。

こうした政治家の馬鹿さ加減を長期間にわたって見せつけられると、上の記事で言っているところの、制限や障害があるから、創造性は高められるというのは、間違いではないかと思ってしまいます。それは、間違いであり、「制限や、障害」があると知覚できるセンスがあるかないかで、創造性は決まってしまうのではないかと思います。


そうして、これは、何も政治家だけてにあてはまるのではないと思います。今日の企業は、過去と同じことを繰り返せば、いずれ潰れます。変化をしないことのほうが、変化をすることよりも、余程大きなリスクとなり障害となります。しかし、多くの人は、変化を厭います。変化しないことのほうを好むようです。これも、やはり、政治家のように「制限や障害」があると知覚できるセンスがないということと同じではないかと思います。皆さんは、どう思われますか?

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2011年11月21日月曜日

ホームドラマ!? ホラー!?サスペンス!? 「家政婦のミタ」がブレイク中―【私の論評】予測がつかない展開が素晴らしい!!そうして、友達関係の親子に対する警鐘でもある!!

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ホームドラマ!?ホラー!?サスペンス!?「家政婦のミタ」がブレイク中

今期一番の連ドラを上げろと言われたなら、まず間違いなく最大得票数を得るであろう松嶋菜々子さん主演の「家政婦のミタ」。父親の浮気に母親は自殺、その父親も4人の子供達を育てる気がなく、一家は崩壊寸前。そこに現れたスーパー家政婦が家庭を救う……というあらすじをかいつまむと、一見あたたかいホームドラマにも思えなくはない。しかしその実は、松嶋さん演じるスーパー家政婦・三田 灯(みた あかり)... 続きを読む

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【私の論評】予測がつかない展開が素晴らしい!!そうして、友達関係の親子に対する警鐘でもある!!
松島奈々子
とにかく、この手のドラマというと、偶然に偶然が重なる韓流ドラマ風か、毒にも薬にもならないストーリー展開で面白くもなんともなかったのですが、このドラマは違います。全く予測がつなかないということでは、今までなかったものです。久々に新機軸といもいえるドラマが誕生したと思います。

これとはまた違いますが、NHKの朝ドラの「カーネーション」も掟破りといわれています。たとえば、ドラマの常道では、主人公がいつも一人で頑張るところが、頑張るのは良いのですが、同じ職場の先輩に来なくても良いといわれたり、常道では主人公が土下座のシーンがあるのが普通なのに、父親が土下座してみたり、父親は、厳しいなり甘いなりに、常道では、首尾一貫しているのに、父親があるときは厳しかったり、ちゃらんぽらんであったり、理不尽であったりと、妙にリアリティーがあります。
『カーネーション』ヒロインの尾野真千子
しかし、「家政婦のミタ」は、それどころではありません。全く予測がつかないのです。それにしても、家族崩壊を描いているわけですから、このまま崩壊しっぱなしということはないはずで、何かが変わるのでしょうが、その変わり方が、予測が全くつかないのです。

それと、ミタ自身が全くの無表情で、ロボットか何かを想起させます。このロボットのような受け答え「かしこまりました」などが、現在小学校で流行っているそうです。確かに、あの場面は、衝撃的で小学生などいかにも真似しそうです。

ロボットのように無表情な家政婦のミタでの松嶋奈々子
とにかく今までのストーリー展開が予測のつかなったものなので、このドラマの最終はどうなっていくのか、予測もつかないですが、ドラマを作っているほうも大変だと思います。ここまで、話題となってしまっては、ありきたりの終わらせ方では、視聴者も、納得はいかないでしょう。

しかし、このドラマを見ていて、つくづく思うのは、やはり、家族関係が友達関係のようになってしまっていることの悲劇です。父親たるものは、自信があろうがなかろうが、社会一般通念や世の中の決まりごとや、常識を教えるべき立場にあります。これは、役割だと割り切ってやらなけばなりません。これは、会社などの組織で高い地位についたときでも同じことです。

ところが、このような役割を演じきる人が少なくなっています。では、霊長類はどうなのかといえば、たとえば、ゴリラでも、チンパンジーでも、母親は、人間のように子供をかわいがり最初は、父親のでる幕はないのですが、子供が少し大きくなると、他の子供たちと遊ばせて、群れのルールなどの社会性を教え込むという役割を果たします。厳しく、しかるときもあるようです。こうしたことから、動物行動学上から、いわゆる類人猿の父性は、先天的なものと考えられています。

子供に社会性を教えるゴリラのオス
猿たちは、自然と父親の役をするのに、最近は人間だけが、そうではないということです。これは、非常に異常で特異なことかもしれません。どうして、最近の男たちから、父性が消えつつあるのか、これこそ、重大な社会問題だと思います。

「カーネーション」の父親像は、本当は、商売っ気もなく、弱気で、あまり自信もないのですが、当時の世の中では、ある程度男尊女卑がはっきりしたので、それに衣を借りながらも、はちゃめちゃですが、何とか父親役に徹している男の姿が描かれています。しかし、無論ドラマですから脚色はあるものの、私はこういう父親がいたからこそ、現在のコシノブランドがあるのだと思います。


一方、家政婦のミタでは、自信のない、弱気な父親が父親の役割に徹し切れなくもがいている姿を描いています。
家政婦のミタで父親役の長谷川博己
どんな人だって、いざ自分がやれば、父親とか、会社の上司役などなかなか完璧にはつとまりませんが、それでも、やらなければならないのです。そうでないと、家族という小さな共同体や職場は継続できないです。これは、もっと大きな共同体でも、国などの大きな社会でも同じことです。

自分ができるできない、自信があるない、肉食系だとか、植物系であるに関わらず、役割に徹しなければならないときがあるのです。子供と親とは、本来永遠に友達関係になれない関係なのです。親の価値観だとか、もっと大きな社会では、一定の大儀などが、強固でなければなりません。それらが強固であれば、それを越すことに意義がでてきて、はじめて革新ということができるのです。それが、最初からなかったり、はっきりしなければ、それを乗り越えようとしても、乗り越えられません。それが、親、特に父親の権威というものです。

あまり権威主義的というのは、いけませんが、かといって、全く権威がないというのもどうしようもありません。それは、家族や社会の崩壊につながるだけです。


これは、音楽の世界で考えると良くわかります。ピアノなどの楽器を最初に学んで、絶対音感など鍛えておけば、後から、サックスや弦楽器などやれば、音が外れていることが良く理解できますが、最初から絶対音感のない人は、音が外れていてもわかりません。わざと外すして、革新性を追及することもできないわけです。絶対音感があって、はじめて、音を外しているとか、あるいは、意図的に音を外すこともできます。長さでいえば、メートル原器のようなものであり、これがしっかりしていなければ、正確な長さを計測することもできません。このメートル原器を心に持っていない、人間は不幸といわざるを得ません。

人は、このような権威というものがあって、初めて革新的にもなりえるものです。たとえ、父親がその役割を果たせなかったとしても、最初から、権威も何もない家庭に育った子供には、革新的な考えが芽生えることはないでしょう。いつも、他人の後塵をはいするような人間しか育たないと思います。だからこそ、親子関係とは重要なのです。そういった意味では、「カーネーション」の父親は、立派に父親の役を果たしていたと思います。だからこそ、いずれコシノブランドなるものが生まれる土壌にもなっていると思います。一方、「家政婦のミタ」の家庭の場合は、父性不在で、このままでは、あの子供たちは、まともには育たず、いつも不安定な心理状態で生活していくことになるでしょう。

最近では、そのことがさっぱり理解できない、未熟な大人になりきれていない大人が増えています。この二つのドラマは、アプローチは違いますが、こうしたことに対する警鐘でもあると思います。特に、「家政婦のミタ」のほうは、松嶋奈々子のようなキャラクターを登場させることにより、友達関係である親子がいかに危険で異様でグロテスクなものかを、説教じみた演出で提示するのではなく、誰にでも直感的に理解できる独自の手法で、明確に提示できたということで、秀逸だと思います。

今後の展開が楽しみです。そうして、松嶋さん、キャラクターとしても、新境地をひらくことができたと思います。今後「家政婦のミタ」のキャラクターがどのように変貌していくのか楽しみです。今までのストーリーから「ミタ」は、配偶者と子供も悲惨な出来事で亡くしてしまい、かなりのトラウマを背負っているようです。おそらく、何かがきっかけで、全く感情のないロボットのようなキャラクターから、人間性を回復していくのではないかと思います。今後、「看護婦のミタ」とか、「家庭教師のミタ」、「法律事務所のミタ」とか、まさか、このタイトルではないにしても、次の展開など考えられそうです。これからどのように展開していくのか楽しみです。

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2011年11月20日日曜日

「TEDで英語を学ぶ」が人気 世界の有名人の生の声を聴く―【私の論評】デバイスを駆使して、英語を学び倒せ!!

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   英語に四苦八苦している人は少なくない。なかでもヒアリングは英会話教室に通ったり、テープやビデオ教材を買ったり、外国映画を字幕なしで観たりと、ネイティブな発音を聴くためにいろいろと試しては挫折した人も多いのでは。


続きは「J-CASTニュース」へ

【私の論評】デバイスを駆使して、英語を学び倒せ!!
私自身も、従来は、いろいろ聴いていたことがあります。特にVOAにはかなりお世話になったと思います。あのSpecial English(語彙が限られていて、少しゆっくり話す)などは、随分長い間聴いていました。聴いたり、聴かなかった期間がありますが、それでも、通算では、少なくとも5年間は聴いていたと思います。そうなると不思議なもので、最初聴き取れなくて、スクリプトをみて確認していたものが、だんだん聞取れるになり、最終的には、スクリプトなしでも、100%程度聴き取れるようになりました。そうなると、普通のVOAニューズなど聴いていても、8割以上は理解できるようになりました。

昔良くSPECIAL ENGLISHを聴いていたiPod
しかし、これも長続きはしませんでした。最近では、あまり聴かなくなっていました。そうして、その原因としては、"Special English"は、話す速度が遅いので、聴いているとだんだん眠くなってくることと、そもそも、内容自体も陳腐化してしまっていて、あまり面白くないということもありました。だからこそ、もう聴かなくなってしまったのだと思います。とは、いいながら、これは、今でも、特にヒアリング初心者の中高生には良い教材だとは思います。しかし、TEDだと、有名人の話が多く、内容は刺激的で、退屈することもありません。最初から字幕もついているものもありなかなか良いです。

これに似たサービスとしては、YouTubeが提供しているもので、"Central English"がありますが、これは一部有料です。"Central English"の場合は、さすがに有料だけあって、発音のチェック機能まであり素晴らしいとは思います。時間の余裕がある人が、一定期間取り組むには良い教材だと思います。これは、無料でも字幕つきのものをみることができます。これは、かなり動画の種類も数自体も多いですから、TEDよりこちらのほうが良い場合もあると思います。


それにしても、YouTubeをみれば、英語の動画などはいて捨てるほどあるわけですが、ところが、これを英語教材としてこれを見るととなると、なかなか探すのも面倒です。それに、英語の字幕は最近では、技術的にごく普通につくようではありますが、日本語の字幕がついてるものはほとんどありません。やはり、確認を入れるという意味でも日本語字幕がついているTEDは、良いと思います。

TEDなどは、とにかく、スマホでも、iPadでも(ただしパソコンの場合は字幕は見られるが、これらでは、見られないようです)見られますから、空いた時間に毎日欠かさず聴いて、判らない単語などもチェックするなどして、2~3年も見ていれば、効果は絶大だと思います。皆さんも、チャレンジしてみてはいかかですか?"Central English"も英語教材としては良いのですが、TEDの場合はとにかく、みんなに考えを広めたいというコンセプトの動画ですから、より刺激的で興味をそそられるものが多いです。これは、英語の勉強だけではなく、プレゼンテーションの学習にも役立ちそうです。


それにしても、今の世の中、英語学習の環境は、本当に良くなりました。たとえば、iPadや、iPhone用、Android用でも、様々なアプリが本当に安く売っています。その安さときたら、本当にびっくりします。何十円とか、高くても、数百円で、凄い教材が購入できます。  インターネットをのぞいてみれば、英語学習用のサイトがゴマンとあります。PodCastもあります。

昔良く聴いていたPOD CAST。これも眠くなった。
それに、英語圏の人とも、今では、パソコンでも、スマホでも、タブレットPCでも、twitterや、facebook、その他で、文書のやりとりなら、すぐにでもできます。電話や、テレビ電話さえ使えます。これだけメディアが豊富なのに、日本人の英語力があまり向上していないということ自体が不思議な気がします。これは、どうしてかといえば、学校の先生もインターネットでの英語の使いかたなど教えないからだと思います。既存の学校では、英語に限らず、インターネット上での、チームワークの仕方も教えていないようです。困ったものです。


そうであれば、個々人が開発していかなけばいけないということだと思います。私は、既存の学校や、英会話教室などに行くよりは、こうしたインターネットを活用したもののほうが、ずっと効果があると思います。それに、スマホなどのデバイスを活用すれば、従来よりも学ぶのは、はるかに楽しいと思います。たとえば、単語一つ調べるにしても、ついでに、Google画像検索で、対象の単語の画像を見るとか、動画をダウンロードしておき、クラウドにおいておけば、どこからでも、アクセスできるとか、Googleをコーパスにしてしまうとか・・・、いろいろ考えられます。皆さんはどう思われますか?

TEDの日本語字幕つきの動画は以下から御覧になれます。
http://www.ted.com/translate/languages/ja

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2011年11月19日土曜日

ホンダの「天然ガス・シビック」、「最もエコな車」に認定―【私の論評】総合的に判断すれば、電気自動車ではなく天然ガス車がもっとも省エネになる?!!

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ホンダの天然ガス車『シビック・ナチュラルガス』が、米国で「グリーンカー・オブ・ザ・イヤー(Green Car of the Year)」に認定された。

『Green Car Journal』誌の編集者らが、2011年の「グリーンカー・オブ・ザ・イヤー(Green Car of the Year)」として、本田技研工業の『シビック・ナチュラルガス』を選出した。圧縮天然ガス(CNG)を使うこの車は、地方自治体が使う車として期待されている。[リリースによると、2005年からは一般ユーザー向けのリース・サービスも行われている]


本田技研工業が天然ガス仕様のシビックの製造を始めたのは1998年で、現在、大量生産されているCNG乗用車として米国で購入できるのはこの車しかない。天然ガスは二酸化炭素の排出量がガソリンより少ない上、価格も安く、米国内でほぼすべてをまかなうことができる。

シビック・ナチュラルガスの価格は26,155ドル、走行距離は1回の充填でおよそ386kmだ。

天然ガス仕様のシビックは、代替燃料車としては、トヨタ自動車の『プリウス』や、その驚異的な技術が注目されている日産自動車の『リーフ』や米General Motors社の『Chevy Volt』等に隠れてあまり目立たなかった。だが実際のところ、このシビックは米国で最もクリーンで環境に優しい内燃自動車だといえる。

このニュースの続きはこちらから⇒wired

【私の論評】総合的に判断すれば、電気自動車ではなく天然ガス車がもっとも省エネになる?!!
私にとって、電気自動車が、こういうアワードを獲得するのではなく、天然ガス車が獲得したというのは、嬉しい限りです。私は、このブログには、何回も掲載しているように、いわゆる、地球温暖化二酸化炭素説には虚偽だと思っています。ましてや、地球温暖化災厄説などもうとう信じるものではありません


また、原発に関しては、無論まともな代替エネルギーが見つかるまでは、危険がともなってもしばらくは、原発を使っていくべきと考えています。

エネルギーの問題は、実は、そんなに単純な問題ではありません。電気自動車が環境に良いと単純に信じ込むような人には、その複雑さは、理解できないことでしょう。また、太陽エネルギー、風力エネルギー活用派の人々もそうだと思います。

だからこそ、私は、本田の天然ガス車がこのような賞を獲得したことについてわが意を得たりという心持がして嬉しいのです。

ちなみに、電気自動車に関しては、単純に考えただけでもこれが果たして環境に良いのかどうかは一概にはいえないことがすぐに理解できると思います。

当たり前ですが、電気自動車は、電気で走ります。電気で走るので、それを運転する人にとっては、環境に優しいかもしれません。当然走行中に用いるのは、電気ですから、排ガスはおろか、二酸化炭素も発生しません。私自身は、二酸化炭素など何も害はないと思っていますから、別にこれがどん出てもそれ自体では、全く害ないと思いますが、ただし、それでは、省エネにはならなので、やはり、省エネとしては、低炭素が良いということです。やはり、普通の車であれば、排ガス、二酸化炭素、そうして水も排出します。

これらを排出しない電気自動車は、一見環境にやさしい乗り物に見えます、しかし、実際はそうではありません。電気自動車が走るには、コンセントから電気を逐電しなければなりません。では、そのコンセントまで運ばれてくる電気はどうやって作られているかといえば、当然のことながら、既存の原発や、火力発電所で作られているわけです。エネルギーのもとが変わらないのですから、電気自動車自体は環境に良いとも悪いともいえないわけです。


そうした、現実を無視して、もし、大量の電気自動車が日本国中を走りまわるようになれば、どうなるのか、目に見えています。いままで、ガソリンで走っていたものが、電気に変わるわけですから、ガソリンの節約にはなるかもしれませんが、従来の発電所の発電量を増やすか、さらに多くの原発や火力発電所が必要になります。原発を増やすのが嫌というのなら、火力発電所を増やすしかありません。そこでは、無論、石油を用いるわけです。

火力発電所
そうなれば、決して、環境にやさしいものてはないことがおわかりでしょう。これに関して、以前もこのブログに掲載したことがあります。これに関しては、詳細は、当該記事を読んでいただくものとして、要点だけを掲載すると、ドイツでの研究報告では、電気自動車を逐電するための電力供給の発電所が石炭などで稼動している場合、かえって、二酸化炭素量や廃ガスが増える可能性があるというものです。

こんなことを考えれば、電力供給体制が現状のままなら、現在のスマート化されていない送電線であれば、電力の減衰もすることでしょうから、全体を考えれば電気自動車よりガソリン車のほうがましかもしれません。しかし、天然ガスの場合は、燃焼しても、出るのは、ほとんど水で、廃ガスや、二酸化炭素はほとんど出ません。また、運ぶときには、圧縮して、液体ガスとして運ぶため、同じ熱量を運ぶなら、ガソリンよりもはるかに少ない体積で運ぶことができます。

天然ガスを運ぶ船
こうしたことを考えると、やはり、天然ガスで非常に燃費の良い車が、現状では、一番環境にやさしく、省エネになると思います。 それに、ソーラー・カーや、風力自動車(聴いたこともありませんが、あってもおかしくはないと思いますが・・・)など、やはり実用性がないのでしよう。おそらく、これらは、最初から対象外だと思います。 だからこそ、アメリカで、天然ガス車がこのような賞を獲得したていうことは、この賞を選考する人々が環境問題や、エネルギー問題に関して、まともな認識を持っていると思われ、私にとっては、喜ばしいことなのです。皆さんは、どう思われますか?

こんなことから、私は、次の代替エネルギーは、天然ガスが最も相応しいと考えています。しかし、これも、いずれ枯渇するということを考えれば、これを使い続けているわけてにはいきませんが、少なくとも、太陽エネルギーや、風力発電に頼るよりは、余程良いと思います。

日本近海には、メタンハイドレードが無尽蔵に埋まっているとききます。これも、見かけは、異なりますが、天然ガスであることには変わりません。このガスを抽出することができれば、既存の発電施設や、天然ガス車にも無論使えます。

日本などは、こうした天然資源に恵まれているわけですから、太陽エネルギーや、風力エネルギーなどという不確かなものに頼るよりは、これらを活用することを目標として、国家的規模で進めていくべきと考えるのは、私だけでしょうか?それに、もし、メタンハイドレードが実用化されれば、日本は、たちどころに、エネルギーの輸出国になるかもしれません。今回の  天然ガス車『シビック・ナチュラルガス』の受賞はそんな日本の将来をも予感させる、本当に喜ばしことだと思います。

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