2014年7月2日水曜日

香港で返還記念日に反中デモ、過去10年で最大規模か―【私の論評】日本のマスコミや似非平和主義者は、本格的権力闘争に入った中国のどの勢力に迎合しようというのか?本来は日本の国益を再優先すべきではないのか(゚д゚)!


7月1日、香港で民主派による大規模な反中デモが
開催され、参加者が香港での高度な自治の維持などを訴えた

香港で1日、民主派による大規模な反中デモが開催され、参加者は香港での高度な自治の維持などを訴えた。主催者によると、今回のデモは過去10年間で最大規模になる見通し。

デモのスタート地点であるビクトリアパークでは、「香港市民の自治を守れ」「中国共産党の脅しを恐れるな」などと書かれたバナーが掲げられた。参加者の中には梁振英行政長官の辞任を求める人もいた。

7月1日は、1997年に香港が中国に返還された記念日に当たる。この日は毎年デモが行われており、主催者は今回、自由な選挙制度の実施を求めて、中国共産党に圧力をかけたい意向だ。

梁行政長官は中国返還の記念式典で、2017年の行政長官選挙について、香港政府は普通選挙の実現に向けて「最大限の努力をする」と強調した。

香港では先週、行政長官選挙の実施方法をめぐり非公式の住民投票が行われ、80万人近くが参加。投票は、民主派の野党候補の立候補も認めるよう中国政府に要求することを目的に実施された。

【私の論評】日本のマスコミや似非平和主義者は、本格的権力闘争に入った中国のどの勢力に迎合しようというのか?本来は日本の国益を再優先すべきではないのか(゚д゚)!

昨日は、日本で集団的自衛権そのものが話題になっていましたが、上記にあげたように、香港では過去10年で最大規模の反中デモが開催されています。



7月1日は、1997年香港が中国に返還された日でもあります。香港の人からすれば、中国統治よりも、英国統治時代のほうがましだったとの意思表明でもあると思います。少なくとも、英国統治時代にはある程度まともな選挙が開催されていました。



ベトナムでは以下のようなことがありました。
越書記長、戦争に言及 南シナ海の中国との対立で

ベトナム最高指導者グエン・フー・チョン共産党書記長

 ベトナムの国営メディアによると、同国の最高指導者グエン・フー・チョン共産党書記長は1日、南シナ海での中国との対立について、戦争も含めてあらゆる可能性に対して準備する必要性に言及した。ハノイでの有権者らとの会合で語った。 
 南シナ海のパラセル(中国名・西沙)諸島付近で5月に中国が石油掘削作業を始めたのをきっかけに、現場海域では両国の公船や漁船の衝突が相次ぎ、今も緊張が続いている。 
 チョン氏は「戦争が起きるのかと問う人がいる。ならば、われわれはあらゆる可能性への準備をしておかなくてはならない」と述べる一方、「われわれは戦争を望んではいないし、起こらないようにしなくてはならない」と強調した。 
 チョン氏は平和的方法での問題解決を目指すとの立場をあらためて表明。中国の一般国民と、拡張主義の中国指導部とは分けて考えなければならないとも述べた。

そして日本では、中国からの脅威に対抗しての集団的自衛権行使が容認されました。習政権の侵略・抑圧政策は今、国内外からの総スカンを食らっているということです。

日本国内だけ見ていると、メディアは集団的自衛権そのものの是非が問われているような印象操作をしていますが、これは全くの見当違いです。

習近平は最近軍の幹部の党籍を剥奪するという大きな賭けにでました。以下のそのニュースのURLを掲載します。
習近平指導部、軍掌握へ賭け 中国軍ナンバー2の党籍を剥奪
新華社通信によると、中国共産党中央政治局は30日、胡錦濤政権で中央軍事委員会の副主席を務めた徐才厚氏(71)に対し、党籍剥奪の処分を決めた。汚職など「重大な規律違反」があったとの理由で、事案は司法機関に送られた。今後、軍法会議に訴追される。 
徐才厚氏
 徐氏は人民解放軍を舞台とした巨額汚職に関与したとして、これまで水面下で党機関による実質的な捜査が伝えられていた。軍首脳経験者への党籍剥奪と司法送致の機関決定に踏み切ったことは、習近平政権が軍内の不満を抑えて処理を進められると判断したためとみられる。 
 習近平指導部が中国人民解放軍のナンバー2だった徐才厚・前中央軍事委員会副主席の党籍を剥奪したことは、軍の掌握に向けて大きな賭けに出たといえる。しかし、党内の権力基盤が決して強くない習指導部が軍の実力者に捜査のメスを入れたことで、党や軍から大きな反発を受けることも予想され、政権を一層不安定化させる可能性もある。 
 中国共産党筋は「徐才厚氏の党籍剥奪は北朝鮮の張成沢(チャン・ソンテク)氏処刑と同じくらいインパクトがある」と話す。今後、徐氏の裁判をうまく乗り切れば、習政権にとって大きな成果となる。しかし、中国の軍は「汚職のデパート」といわれている。徐氏だけではなく郭伯雄・前軍事委員会副主席など、ほかの軍首脳にも多くの汚職疑惑がある。習指導部はそうした疑惑すべてに手をつけられるのか。また、身の危険を感じた軍幹部が逆に結束して反撃してくる可能性もあり、今後の展開は予断を許さない。
香港、ベトナム、日本からは総スカンを喰った習近平、苦し紛れに軍に手を入れたようですが、これは、失敗する可能性が大きいです。

習近平が、失脚すれば日本に対しては今までよりは少しはまともになるかもしれません。ただし、あくまで少しという範囲内で、中国のアジアに対する脅威がなくなるというわけではありません。

習近平が失脚せずに、現在の地位にとどまることができたとしても、政権はかなり不安定になります。そうなると、日本への露骨な示威行動がさらにエスカレートする可能性が高いです。

ここしばらくは、中国国内権力闘争がエスカレートしますから、少しの間は小康状態を保つかもしれません。しかし、今後習近平が勝利しても、軍が勝利しても、日本を含むアジアにとっては、予断を許さない状況であるには変わりありません。

世界的視野から観た場合、日本の集団的自衛権が容認されるのは当然のことです。

アメリカもそのようにみています。以下にその関係のニュースのURLを掲載します。

米ケネディ大使 「閣議決定を歓迎し支持」

岸田外務大臣はアメリカのケネディ駐日大使と会談し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことを受けて、日米防衛協力の指針=いわゆるガイドラインの見直し作業を進める意向を伝え、ケネディ大使は日本の取り組みを歓迎し支持する考えを示しました。 
岸田外務大臣は1日、先週亡くなったアメリカのベーカー元駐日大使の弔問のためアメリカ大使館を訪れ、その際、ケネディ駐日大使と会談しました。 
この中で、岸田大臣は政府が集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことを伝え、「今後、日米防衛協力の指針=いわゆるガイドラインの見直し作業をさらに進めていきたい」と述べ、ガイドラインの見直し作業を進める意向を伝えました。 
これに対し、ケネディ大使は「今回の閣議決定は日本だけでなくアジア太平洋地域にとって重要なステップであり、喜ばしい。日本の取り組みを歓迎し支持している」と述べました。
また、岸田大臣は中国の北京で行われた日本と北朝鮮との政府間協議に触れ、今後、協議の内容や政府の対応をアメリカなど関係国に説明する考えを示しました。
これらに対しては、中国の新華社は昨日、集団的自衛権容認に関する論評を掲載して「平和憲法が破壊され日本の海外参戦の道が開かれた」と批判しました。このような発言は、日本国内の反対派の常套句そのままではありませんか。日本の「似非平和主義者」が、中国と同じ論調で日本批判していることはただの偶然ではないと思います。

集団的自衛権の容認反対するデモでは、中国人も多数目撃されています。こうした動向を見ていると、やはり、日本国内での集団的自衛権の容認は正しいことであったと判断せざるを得ません。

?不明白?

それにしても、本格的な権力闘争に入った中国、習近平の今後も不確かな現在、中国の意図などというものはないのも同然です。習近平か、軍か、あるいは他の勢力の意図が、そのときどきで強くなり、中国の意図のように報道されるだけです。

今後マスコミや、日本国内のいわゆる似非「平和主義者」は一体中国のどの勢力の誰の意図に迎合していこうというのでしょうか?

そんな彼らに言いたい、中国のいずれかの意図に迎合するなどという情けないことはやめなさい。一番先に考えるべきは、日本の国益でしょう。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2014年7月1日火曜日

【発狂毎日新聞記事】Listening:<集団的自衛権>きょう閣議決定 議論、熟さぬまま 全国の20人に聞く―【私の論評】集団的自衛権についてこれ以上論議を繰り返すことは無意味、これに反対し続けるのは民意を無視し議会制民主主義を否定するものだ(゚д゚)!


議会制民主主義を否定する愚かな人々

◇歯止めなく不安 国際協力必要の声も

政府が7月1日、集団的自衛権の行使容認を閣議決定する。各地で賛否と理由を聞いたところ、「ひきょうなやり方」「国民投票で民意を問うべきだ」などの反対論と、「国際社会で他国との協力は必要」などの賛成論に分かれた。平和を志向してきた国のあり方が変わろうとしているのに、国民の議論は深まっていない。

毎日新聞が全国各地でさまざまな年代、職業の市民20人を選び、「憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認への賛否」と「その理由」を聞いたところ、賛成7、反対13だった。

この記事の詳細は、こちらから(゚д゚)!

【私の論評】集団的自衛権についてこれ以上論議を繰り返すことは無意味、これに反対し続けるのは民意を無視し議会制民主主義を否定するものだ(゚д゚)!

自民・公明両党は、1日午前7時半から与党協議を開き、従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定案で合意する見通しです。

これを受けて、政府は1日中に臨時閣議を開いて、閣議決定を行うことにしていて、戦後日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えることになります。

さて、集団的自衛権に関してはこのブログにも過去に掲載したことがあります。そのURLを以下に掲載します。
2度も世に問うた集団的自衛権、首相答弁になぜか党内から批判 民意に逆行では―【私の論評】気をつけよ! 安部首相の発言に関して異議を唱える連中は、日銀の独立性の強化と同じことの繰り返しで日本を危機に陥れる可能性が大である(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事は今年2月のもので、当時自民党内の議員から集団的自衛権に意義を唱えるものがあったことをとりあげました。そうして、これについて以下のような内容を掲載しました。
こうした指摘は妥当なのか-。自民党が政権を取り戻した平成24年12月の衆院選前に時計の針を戻す。 
同年9月の党総裁選で勝ち上がった安倍首相は、第1次政権時と同じく集団的自衛権の行使に向けた憲法解釈見直しの必要性に度々言及してきた。衆院が解散した11月16日の記者会見でも「集団的自衛権行使の憲法解釈の変更を、この選挙を通じて堂々と訴えたい」と明言した。他の野党からは「日本は(人を)殺し、殺される国に変わってしまう」などと誇大妄想の批判にもさらされた。 
政権公約には「日本の平和と地域の安定を守るため、集団的自衛権の行使を可能」にすると明記していただけだが、少なくとも、解釈見直しに取り組む姿勢を有権者に明確にしていたことは明らかだ。首相は政権選択の衆院選で国民にこの是非を問うたのである。 
集団的自衛権の行使容認を打ち出した安倍執行部に、表立って異を唱えた議員は寡聞にして知らない。結局、この公約を掲げた自民党は、圧倒的な議席数を得て、有権者の意志により政権を託された。党内の批判は、先の衆院選での約束を自らほごにすることになりはしないだろうか。 
菅(すが)義偉(よしひで)官房長官は14日の記者会見で「行政府の憲法解釈は内閣が責任を持って行うのは当然のことだ。(安倍首相は)首相が内閣を代表し、責任を持って答弁していることを説明したにすぎない」と党内の批判に反論した。
昨年7月の参院選でも勝利
憲法の解釈権はあくまで内閣にあるのが通説だ。選挙の洗礼を受けない公務員集団の内閣法制局が担えるはずがなく、国民の支持を得た内閣がその権限を有するのが正当性を持った統治のあり方だ。安倍政権は昨年7月の参院選でも勝利を収めた。集団的自衛権の行使に向けた憲法解釈見直しはすでに2回民意を受けたのである。首相はその民意に従い、粛々と実行に移すことが求められている。
上の記事にもあるように、集団的自衛権の行使に向けた憲法解釈見直しは、すでに衆院選と参院選によって民意を受けたものです。首相はその民意に従い、粛々と実行に移しているだけです。これに何の問題があるというのでしようか?

これに意義を唱え、反対するということは、選挙によって表明された民意を無視し、議会制民視主義を根底から否定するものです。

にもかかわらず、冒頭の読売の記事は何なのでしょうか?今更、たった20人の小数意見をとりあげ、どうしたこうしたと論評を加えています。2回も民意を得た事柄に関して、いまさら議論熟さぬままとは、一体どうしたことでしょうか?この記事を書いたり、掲載した人間は発狂したとしか思えません。こんな小数の人間からいまさら、アンケートをとってそれでどうするというのでしょうか?

なにやら、日本のマスコミは、集団的自衛権に関する論議が不十分であるかのような印象操作を盛んに行っています。

こんな報道は、集団的自衛権について肯定する大多数の人々を無視するものであって、到底許容できるものではありません。

こうしたマスコミのやり口や、それに迎合する人々に対して、多数の人々が非難のツイートをしています。その一部を以下に掲載します。
毎日新聞にかぎらず、マスコミはもうこのような発狂報道をはやめるべきでしよう。中国の共産党中央政府の意図を汲み取り、中国のために報道するのはやめて、日本の民意を汲み取り、日本のための報道をすべきです。

日本のマスコミを見ていると、議会制民主主義の基本もわきまえておらず、話にも何にもならず、ただただ頭がおかしくなりそうです。とにかく、民意をねじ曲げるような報道は今後慎むべきです。そうでないと、近いうちに日本のマスコミは崩壊します。

私は、そう思います。皆さんはどう思われますか?

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2014年6月30日月曜日

過去33年でワースト2!消費税増税がもたらした急激な消費落ち込みに政府は手を打てるか―【私の論評】総白痴化した支配層にはこんな自明の理も理解できなくなっている!中華や財務省・マスコミの陰謀があったにしても酷すぎ・・・!しかし、希望はある(゚д゚)!

過去33年でワースト2!消費税増税がもたらした急激な消費落ち込みに政府は手を打てるか

この記事を書いた高橋洋一氏

総務省が27日に発表した5月の家計調査で、ちょっとびっくりするような数字が出た。

マスコミ報道では、「1世帯当たりの消費支出(2人以上世帯)は27万1411円で、物価変動を除いた実質で前年同月比8.0%減った。減少幅は4月の4.6%から拡大した」「家計調査の実質消費は、東日本大震災があった2011年3月(8.2%減)以来の落ち込みだった」と書かれている。

ちょっと長めのデータを見てみよう。それには、家計調査にある「消費水準指数」がいい。これは、1世帯当たりの実質消費と似ているが、消費支出から世帯規模(人員)、1か月の日数及び物価水準の変動の影響を取り除いて計算した指数で、家計消費の面から世帯の生活水準をより的確に把握することができるものだ。

5月の消費水準指数の対前年同月比は▲7.8%と、たしかに東日本大震災があった2011年3月の▲8.1%以来の落ち込みなのだが、下図からわかるように、最近33年間における最悪が2011年3月なので、なんと2番目に悪い数字なのだ。


駆け込み需要の反動減が出るのはわかっていたので、4月の▲4.5%には驚かなかった。しかし、5月が4月よりこれほど悪くなるとは、驚いたわけだ。

まあ、3月が7.4%と過去33年間で最も高かったから、その反動減で悪くなったと説明できればいいのだが、以下に述べるように、そうは問屋が卸さない。

1989年と1997年を見ると、それぞれ4月の増税後6か月ぐらいは似たような景気動向で、消費税増税の影響はあまり現れていない。しかし、6か月を過ぎるあたりから両者の景気動向に差がつき始める。1年後になると、89年増税時と97年増税時では大きな差がついた。

この理由はまず、89年は景気が良かったこと、97年はそれほどでもなかったことだ。消費税以外の税では、89年は減税もあったこと、97年ではならしてみると、増税減税ニュートラルだったことなどで、89年は消費税増税の影響は97年より少なかった。

それが今回は、図からわかるように、増税後の2か月で89年と97年を大きく下回っているのだ。2か月だけみると、今回の下げは異常に大きい。



家計調査は調べる項目が多く、サンプル数が約8000と少ないのがネックになって振れが大きいこともあるが、それにしても今回の下振れは大きすぎはしないか。

それぞれについて、増税前1年間平均と増税後2か月平均の差(増税後2か月平均マイナス増税前1年間平均)をとってみると、89年では▲4.6%ポイント、97年は▲2.4%ポイントに対し、今回は▲7.1%ポイントと大きいのが際立っている。

これがいかに異常の数字なのかを、過去33年間のデータで見てみよう。前1年間平均と後2か月平均の差は、下図のような頻度になっている。当然ながら、ゼロ付近のことが多い。今回の▲7.1%ポイントは、370回に1回起こるかどうかの最悪の数字だ。

これだけ悪い数字になると、手を打っておくほうがいい。もし本当に97年のようになったら、どうしたらいいだろうか。金融緩和には本格的な効果が出るまでには2年程度のラグがあるので、もう間に合わない。となると、財政政策になる。

ただし、公共事業はすでに供給制約の壁にぶち当たっている。このため、予算の執行状況について、執行時期や規模の具体的な数値目標を定める方針だ。ただ、目先の供給制約はいかんともしがたく、目標を定めたところで、どうにもならない。むしろ、目標あわせの小細工を誘発しかねず、建設資材価格の急騰すら招きかねない。

となると、財政政策の対応は、従来のような公共事業の積み増しでは対応できない。減税・給付金のような「バラマキ」によって有効需要創出に制約のないものにしなければいけない。

さらに、今年12月までに、来年10月からの消費税再引き上げ(8%→10%)を決めるというが、それはスキップすべきだ。今年度の予算執行を前倒しにするなどして、見かけ上のGDPの押し上げ数字は作れるかも知れないが、内需の基本である消費が腰砕けになっては、景気を維持するのは難しい。

はたして、これらの用意が今の政権内にあるのだろうか。

この記事は、要約です。詳細は、こちらから(゚д゚)!

【私の論評】総白痴化した支配層にはこんな自明の理も理解できなくなっている!中華や財務省・マスコミの陰謀があったにしても酷すぎ・・・・・・!しかし、希望はある(゚д゚)!

上記の高橋洋一氏の記事、全くまともであり、非の打ち所がありません。過去2回の増税では、3月など駆け込み需要で消費が伸び、増税時には下がり、一時回復し、また半年後あたりに落ち込んでいます。

このような動き、特に資料がなくても大体このような推移をたどることは誰にでも理解できます。しかし、高橋洋一氏は、様々なデーターを示しつつ、今回の消費の落ち込みは、過去2回の増税時より大きく、これは大変な事になりそうだということを上記で解説しています。

これは、最初からわかりきっていたことです。無論高橋洋一氏もこんなことは十分知り抜いていて、予め警告を発していましたが、実際に蓋を開けてみたら、消費の落ち込みが前回の2回の増税のときよりも酷いので改めて、以下のような警告を出したということです。
ただ、目先の供給制約はいかんともしがたく、目標を定めたところで、どうにもならない。むしろ、目標あわせの小細工を誘発しかねず、建設資材価格の急騰すら招きかねない。 
となると、財政政策の対応は、従来のような公共事業の積み増しでは対応できない。減税・給付金のような「バラマキ」によって有効需要創出に制約のないものにしなければいけない。 
さらに、今年12月までに、来年10月からの消費税再引き上げ(8%→10%)を決めるというが、それはスキップすべきだ。今年度の予算執行を前倒しにするなどして、見かけ上のGDPの押し上げ数字は作れるかも知れないが、内需の基本である消費が腰砕けになっては、景気を維持するのは難しい。
こんなことは、最初からわきり切っていることです。私のような素人ですら、このブログで警告を発していました。その記事のURLを掲載します。
【日本の解き方】高く評価できる黒田日銀の1年目 懸念は増税による成長率下振れ―【私の論評】財政政策にも限りが、追加財政政策をしたとしても、公共工事の供給制約がある(゚д゚)!
この記事は今年の3月のものですが、この中で、高橋洋一氏は、黒田日銀の1年目に対して高く評価しています。しかし、増税による成長率の下振れを懸念していました。

私自身は、昨年あたりは財政政策として積極的に公共工事を実施すべきと考えていましたが、あまりに長い間公共工事をセーブし続けてきたため、今日では公共工事の供給制約があり、大量の公共工事をこなすだけの力が日本の建築・土木業界にはありません。

これは、もう人手不足という単純なものではなく、たとえ人手のみを十分確保できたにしても、建築・土木・その他電気工事技術を教えこまないととうてい公共工事などを受けられる状況にはありません。これを是正するには、数年かかります。

であれば、公共工事による景気回復はしばらくは無理ということです。

このブログでは、上記のような背景を解説するとともに、以下のような結論を述べました。
そうなると、当面公共工事は、経済の安定化政策の手段としては非効率ということです。賃金高騰、資材高騰している現状では、公共工事に無理やり公共投資をするよりは、同じ額を減税や給付に回した方が景気の安定化に資するということになると考えます。
平成15年度は、増税は絶対に駄目です。それどころか、減税をすべきです。また、給付をするにしても、即効性のある給付の仕方をしなければならないと思います。それとも、アメリカが第二次世界大戦で実施したように、建築・土木関係の人材を急速に育てるようなブログラムを開発するなどということも考えられます。あの戦略爆撃B29の爆撃機と、乗員を急ピッチで育てる戦略ブログラムを実施するなんていかがですか?それにしても、来年1年間は、そのようなこともすぐには効果があがりません。やっぱり、本当は増税すべきではなかったということです。 
昨年の徹底的増税キャンペーンの司令塔
だったとされる、元財務次官の木下氏
それから、さらにもっと基本的なことがあります。今回の増税はデフレの最中での増税ということで、前回と前々回の増税とは全く異なります。3%増税のときは、日本経済はまだインフレ傾向でしたし、5%増税のときもデフレではありませんでした。増税してしばらくしてから、完璧にデフレになりました。いずれの場合も、賃金が前の年よりは若干ながらあがっているなかでの増税でした。

しかし、今回の増税はデフレの最中であり、賃金が下がる中での増税です。その影響はかなり大きいことは最初から懸念されていたことであり、やはりということです。

前回と、前々回よりも、消費水準指数が4倍も消費が落ち込んでいる事実、高橋洋一氏のような例外は除き、これに対していずれの勢力も何もいわないというこの不気味な状況は、何を意味するのでしょうか?

私は、財務省やマスコミの増税キャンペーンや、それのった多数の自民党議員らの圧力によって、本当は異次元の包括的金融緩和の腰を折ることになるのがわかりきっていながら、長期政権を目指す安部総理はやむなく増税に踏み切らざるを得なかった苦い思いのある安倍総理の深謀遠慮によるものと考えています。

安部総理は、5月の消費のかなりの落ち込みは、デフレの下の増税によるものは明らかであり、本来ならばこのことを声を大にして言いたいのでしょうが、それは何を意味するかといえば、補正予算などを組んで経済対策をすることを意味します。

そうなると、何らかの形で大規模な経済対策、特に積極財政を行ってしまうと、9月あたりには景気が回復してしまい、増税の影響は軽微ということになり、来年4月からの10%増税が決まってしまうことを恐れているのだと思います。今年も余程のことがなければ、財務省・マスコミの増税キャンペーンとそれにのった自民党の多数の政治家どもが、かなりの増税圧力をかけてくることは、はっきりしています。

しかし、まさにそのときに、景気が落ち込んでいるのがはっきりすれば、今回は増税を阻止できる可能性がかなり高まります。

増税を推進してきた立場から、財務省・マスコミおよび自民党の大多数の議員は、5月の景気の落ち込みは増税によるものとは言いづらい状況にあります。それを言い出せは、特に自民党の議員の大多数は、自らの失政を認めざるをえなくなるということです。

安部総理としては、この状況を把握しており、この状況を利用し、来年4月からの増税は絶対に阻止という腹なのだと思います。来年4月に増税をしてしまえば、これもデフレの最中の増税ということになり、金融緩和政策など完璧に腰折れして、日本は再び、デフレ・スパイラルの泥沼に沈み、とんでもないことになってしまいます。

増税賛成派の多い自民党議員
私のような素人でも、少し情報をまとめれば、このくらいのことは理解できます。しかし、いわゆる民間でも、役人でも政治家などのいわゆる日本の支配層の人々でもこのような考え方にならない人もかなり多いようです。

これは、一体どういうことなのかと考えてみました。その理由として、このブログにも過去に掲載してきたように、財務省‥マスコミの陰謀や中華の陰謀があると思います。しかし、たとえ陰謀があったにしても、日本経済の統計をある程度調べたり、海外の事例などを調べれば、このくらいのことは簡単に誰でも理解できます。

公に公表されている古今東西のデータを持ってきてそれをまともな小学生目の前に置いて、検討させれば、この程度のことは理解でき、財務省・マスコミや中華スパイなどが語っていることは変だと気付くはずです。

しかし、日本の支配層であるべき人たちはそうではないようです。ということは何を示しているのか、はっきりいえば、日本の支配層の総白痴化が始まっているといことだと思います。

この総白痴化という言葉、最初は大宅壮一氏が語った言葉です。


この言葉、元々は「週刊東京」1957年2月2日号における、以下の評論が広まったものです。
テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。 
— 「週刊東京」1957年2月2日号 - 大宅壮一
この『一億白痴化』の中程に「総」がつけられて広まり流行語となったのが『一億総白痴化』です。大宅壮一がこの記事を書く動機となったのは、三國一朗司会の視聴者参加番組『ほろにがショー 何でもやりまショー』(日本テレビ、1956年11月3日放送分)であるとされています。



大宅の娘でジャーナリストの大宅映子の談話によると、出演者が早慶戦で慶應側の応援席に入って早稲田の応援旗を振り、大変な騒ぎになって摘み出される場面を見た大宅は「阿呆か!」と呟いたといいます。

また、朝日放送の広報誌『放送朝日』は、1957年8月号で「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という特集を企画し、識者の談話を集めました。ここでも、松本清張が「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない。」と述べています。

まあ、この時代の一億総白痴化に関しては、さすがに絶対に数が少い、官僚、政治家などまでは含んでいなかったのかもしれませんが、最近はどうやらそうではないようです。

昨年以下のようなタイトルの記事が日刊ゲンダイネットに掲載されました。以下にそのURLを掲載します。
官も民も支配層が無力無能なこの国 総白痴化したこの国のこれから(日刊ゲンダイ2013/10/12)
この記事は、ゲンダイネットからは削除されているようなので、あるブロガーの方の資料に掲載されていましたので、そのURLを掲載します。

いわゆる、一億総白痴化という現象が、一般人のみならず、いわゆる支配層にまで広がってきたということなのだと思います。

民間も例外ではありません。それなりに社会的地位が高く、有名企業のそれなりにある地位の人が、たとえば、省益しか考えていない、財務省による、日経新聞の観測気球記事を見て鵜呑みにしていたりします。いくつかの、観測気球記事を見ていれば、相互に矛盾があり、日本経済が見えなくなってしまいます。その事に気づかない人が多いです。

政治家も質が落ちて、良く政治家は政局だけではなく、政策を論議しろとの論調がありますが、現在の政治家の多くは白痴化のため、政策はおろか、政局すら良く読めなくなっています。

政局といった場合、今後どのような動きが考えられるか予想してみます。8%の消費水準指数の落ち込みは、とんでもないことです。しかし、これに対して、特にどの勢力も警告を発するなどのことはしていません。それは、先に述べたように、増税推進派の議員は失政を認めたくないからです。安部総理としては、10%増税を阻止するための下準備です。

こんな状況では、日本の先が思いやられます。やはり、民間でも、公的機関でも、政治家でも白痴化したものを支配層にするべきではありません。少なくとも、支配層だけはまともな人間にできるような政治システム改革が必要であると考えます。

ただし、構造改革などというような、抜本的改革を目指していては、かなり長い時間がかかります。根気強くできることから開始したいです。少なくとも、選挙の時には、白痴でない候補者に票を投じていきたいです。そうして、現在はそれが可能になりつつあります。

2013年の参院選による赤池 誠章氏の比例での当選など、その先鞭をつけたものとして注目すべきです。私自身は、ツイッターで赤池氏への投票の呼びかけがあったので、赤池氏のことをネットで調べ、納得したので、赤池氏に投票しました。とにかく、誰に投票して良いがわからず、結局これが決め手となり、投票しました。

しかし、まさか本当に当選するとは思いませんでした。そうして、こんなこともあるのだと大感激しました。以下に赤池氏の当選直後の動画を掲載させていだきます。



政治家の白痴化を嘆くだけではなく、私たち自身できることから初めて行くべきと思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2014年6月29日日曜日

総務省「和製ジョブズ計画」の名称正式決定!事業名「異能vation」―【私の論評】この異能vationが成功する道筋は一つだけ・・・・・? しかし、これが成功する確率は限りなく「永遠の0」に近い(゚д゚)!



日本「何故、日本にはジョブズが生まれないんだ!」
アメリカ「アメリカにも1人しかいねーよ」

スクリーンショット 2014-06-27 19.12.18SteveJobs1955_2011
平成6月27日13時
総務省HPにとある報道資料が公開されていた。
以前総務省が公表した「和製ジョブズ」を見つける新たなチャレンジ、
「独創的な人向け特別枠(仮)」の名称が正式に決定したようである。
その名も

「異能vation」

総務省HPではこのように書かれている。
総務省は、平成26年度「独創的な人向け特別枠」について事業名を「異能innovation」(いのうべーしょん)とすることに決定しました。また、その業務実施機関を選定するとともに、「独創的な人(ICT技術課題に挑戦する個人)」の公募を平成26年7月14日(月)から行うこととしましたのでお知らせいたします。
この「異能vation」の公募は7月14日から開始。
世界で2番目のスティーブ・ジョブズになりたい方は是非とも「異能vation」に応募していただきたい。

【私の論評】この異能vationが成功する道筋は一つだけ・・・・・。それは、日本文化に傾倒したジョブズ氏の本質を知ること。しかし、これが成功する確率は限りなく「永遠の0」に近い(゚д゚)!

なんじゃコリャって感じです。こんな語呂合わせみたいなブロジェクトで、ジョブズのような人間が日本にもたくさんできあがれば、素晴らしいことですが、そんなことはあり得ないと思います。

まずは、こんな企画を立案した人、スティーブ・ジョブズのことをきちんと知っているのでしょうか?マスコミなどでとりあげられたジョブズ氏は虚像であって、その本質は違います。

ジョブズ氏については、このブログでも何度となく取りあげています。それらの記事のURLを以下に掲載します。
Appleを復活させた「魔法使い」、ジョブス氏の休職―【私の論評】ジョブスの生き方は、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という日本人の理想を体現している!?
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事からジョブズの伝説のスピーチの動画と、その私による説明の部分の文章を以下にコピペさせていただきます。





ジョブスは、上の動画の中で、「死を意識すること」の意義、特にポジティブな面を強調していました。これは、日本の武士道の中の「葉隠れ」の思想とも根本では相通じるところがあります。まさに、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉を真の意味で実践しているようです。葉隠れは、一部の人々が曲解しているように、死を美化するものではありません。というより、まさに、上の動画でスティーブ・ジョブスが「死を意識すること」の意義と似ています。というより、生まれ育った環境や活躍してる舞台がIT業界であることなど葉隠れの思想がでてきた時代背景とは大きく異なるので、表現や、出てくる行動が少し異なるようにみえても、本質的には同じだと思います。 
今の多くの日本人が忘れてしまったこのような生き方、少なくとも、少し前までは、多くの日本人の理想とした生き方、彼の生き方は、それを私たちに思い出させてくれます。だからこそ、日本でもジョブスに人気があるのだと思います。今日本では、産業に活気がありません。ジョブスがやってきたような、イノベーションは、少し前までなら日本が行っていたと思います。私は、そのようなイノベーションが行われなくなった今の日本、背景にはジョブスのような一昔前の日本人が理想とする生き方を多くの日本人が忘れてしまったからではないかと、危惧しています。 
さて、そう思って現在のジョブスを見ると、あの有名なプレゼンでみせる、黒を基調とした服装、ジーンズという飾らないいでたち、なにやら、戦に挑む日本の古武士のようにも見えてきます。あの全身全霊を傾けて、ものごとに取り組む姿勢とエネルギーは、本質的には「葉隠れの思想」から沸き出でてくるものであることが、理解できます。今の若い世代には、「葉隠れ」と言っても、ほんどの人が何のことかも理解していないようです。いつから、日本の優れた世界に誇るべき伝統文化が、継承されなくなってしまったのか!!本当に残念なことです。 
だから、私は、ジョブスを単純にカリスマとは呼びたくはありません。私は、彼を偉大なリーダーであると呼びたいです。日本にこのような生き方をする政治家や経営者が昨今、非常に少なくなってきたことを残念に思います。
日本文化にジョブズ氏が傾倒し、しかも実生活でも実践していたということは、なぜか日本のマスコミはほとんど報じません。しかし、ジョブズ氏が禅を実践していたという事実もあります。
“禅”が成功者を生む!あのジョブズ氏も実践―【私の論評】ジョブズの背後には、間違いなく日本文化の存在がある!!
これも詳細は、このブログをご覧いただくものとして、この記事では、禅寺住職でありながら、世界的に活躍する庭園デザイナーでもある、曹洞宗僧侶の枡野俊明氏のお話を掲載しました。その部分を以下に引用させていただきます。

「禅の考え方は、今自分が成すべきことを、ただ一生懸命やるということ。過去を憂えたり、未来を心配したりしても、実体のないものにとらわれているだけ。今に集中すれば、心にゆとりが出てくるし、無駄なところにエネルギーを使わないので、結果は後から自然についてくるようになります」


禅を仕事に生かすことでストレスから解放され、その結果、作業の効率も上がり、精神的にも安定すると言う。 
しかし、成功したいがために禅を学ぶのは本末転倒。禅とは、「物事への立ち向かい方や、心地よく暮らすための生き方を突き詰めていく思想」と枡野氏。禅の思考法を、ビジネスという分野に当てはめたら意外に使えたということか。

枡野氏によるセルリアンタワー東急ホテル「閑坐庭」(かんざてい)

そういえば、かのスティーブ・ジョブズが禅に傾倒していた話は有名だ。
「ジョブズの手がけたアップル製品には一切の無駄がなく、枯山水のような美しさがあります。彼は、毎日鏡に向かい『今日が人生最後の日だとしたら、今日やることはこれでいいのだろうか』と問いかけたと言います。今やりたいことに集中する、まさに禅の発想です」


洗練されたiPadやiPhoneのデザイン。実は、枯山水を体現していたのかも!?
ジョブズが黒タートルを着た理由が今明らかに。きっかけは日本―【私の論評】私たちは、ジョブズ氏のように、日本的なものを再度見直し、自らの活力としていく姿勢が今こそ必要だ!!
これも詳細は、この記事を読んでいただくものとして、以下にジョブズ氏のあの制服のような黒のタートルネックの正体を明かします。


スティーブ・ジョブズと言えば黒のタートル。 

黒のタートルネックを年がら年中着たお陰でジョブズは「世界で最も覚えやすいCEO」になりましたけど、本人は実は最初あれではなくソニーみたいな三宅一生のナイロン製ジャケットを会社の制服にしたかったのだけど提案したら社員たちに却下され、それでしょうがなくひとり寂しく制服を着ていたのだそうな。三宅一生の着ていたタートルをこしらえてもらって...。 
スティーブ・ジョブズが日本に来たときに、当時の稲森会長にソニーの制服について尋ねたところ、稲森氏は、次のように答えたそうです。 
「戦後はみんな服もロクに持っていなかった。だからソニーのような会社では社員になんか毎日仕事に着ていけるものを用意してやらなくてはならなかった。そのうち制服は会社独自のスタイルに発展していき、特にソニーのような会社では社員を会社に結びつけるものになったんですよ、と。それを聞いたジョブズは「そういう結びつきがアップルにも欲しいものだな、と思った」という。 
スタイルにこだわりを持つソニーはあの著名デザイナーの三宅一生に社員の制服のデザインを任せていた。その制服はリップストップ(破れ止め加工)のナイロン製ジャケットで、袖のジッパーを外すとベストになる。ジョブズは早速イッセイ・ミヤケに電話をし、アップルにもいっちょベストをデザインしてくれやと頼んだ。 
「それでいくつか見本を持ち帰って全社員集めて、どうだい、みんなでこのベスト着たら最高だろ、な、と提案したら、いや〜ブーイングの嵐でたちまちステージ退場さ。あの案はみんなにえらい不評だった」 
が、この一件で三宅と親交を得たジョブズは、それからもちょくちょく定期的に彼の元を訪ねるようになる。そして自分だけ制服作っちゃうのも悪くないな、と思うようになった。制服があった方が毎日便利だし(これはジョブズが言ってたこと)、制服を通して自分だけのスタイルを人に伝えることができる、というのがその理由だ。
自身も、タートルネックの着こなしが素晴らしい、三宅一生氏
「そこでイッセイが着ていた黒タートルネックの中から気に入ったものを選んで、僕用にいくつか作ってくれるよう頼んでみたんだ。そしたらイッセイのやつ百着も作ってくれちゃったのよ」
さて、このような黒タートルの秘密も、スティーブ・ジョブズ氏の日本への傾倒を物語る一つのエピソードでもあります。このエピソードに関して、私はこの記事で以下のような論考をしました。
スティーブ・ジョブズ氏というと、アメリカの経営者であり、外見は、典型的なアメリカ人であり、アメリカ人的なライフスタイルを送り、日本人からは、縁遠いような気がしますが、三宅一生氏デザインの、黒のタートルネットを制服として、プレゼンにのぞみ、しかも、日本の武士道的な精神を持っていたということになると、非常に身近な人に思えてきます。 
かつて、ドラッカー氏は、日本の官僚や政治家をみて、「彼らにとって最も重要なのは、経済ではなく社会であり、社会を良くするという観点からものを考え、行動する」と評していました。しかし、現在の日本の官僚や政治家をみていると、そのようにはみえません。かえって、ジョブズ氏のほうが、社会を良くするという観点から行動していたように思います。だからこそ、結果として、経済的に成功できたのだと思います。そう考えると、過去の日本の官僚や政治家も過去においては、まさにそうだったのだと思います。だからこそ、結果として、奇跡の経済発展をすることができたのだと思います。
今の私たちは、政治家、官僚に限らず、多くの人々がこのことを忘れているのだと思います。私は、日本の多くの人が、外見も三宅一生氏デザインのような日本的な装束をまとうように日本的なものを前面に打ち出し、精神的には、日本の武士道的な精神を見なおして、それを自分のものとして、少しでも、ジョブズのように、こうした日本的精神と、アメリカ流の合理的な考えを持ち、社会を変えていくようになればと、願ってやみません。最近日本では、技術的なイノベーションはなされていますが、ジョブズが実践したような社会変革などに結びつく、イノベーションが少なくなったと思います。なぜそうなってしまったかといえば、私は、多くの日本人が、こうした素晴らしい日本由来のものを忘れてしまったことにも大きな原因があると思います。
特に、現在では、日本でも、多くの人が、アメリカ人の中でもかなりユニークだと思われるようなジョブズ氏の本当の姿を見ることなし、アングロ・サクソン的価値観の側面ばかりをみて、それがジョブズ氏の本当の強さと思い込んでいるようでなりません。私たちは、ジョブズ氏のように、日本的なものを再度見直し、自らの活力としていく姿勢が今こそ必要だと思います。そうして、社会を少しでもより良くするように日々努力していく姿勢が不可欠だと思います。
 スティーブ・ジョブズ氏:すし職人が明かすサービスへのこだわり 「おいしかった。またね」が最後に―【私の論評】あなたなら、明日死ぬということなったら、何を食べたいですか?
これも、詳細は、元記事をご覧いただくものとして、この記事では、ジョブズ氏が最晩年に、親しい友人を鮨屋に招き最後の食事と会話をしていたことを掲載しました。

ジョブズ氏が最後に注文した握りずし。(すしゲタの左上から時計まわりで)しめサバ、穴子、タイ、ウミマス=2011年10月18日、パロアルト(米カリフォルニア州)の陣匠で堀山明子撮影

米アップルの共同創業者、故スティーブ・ジョブズ氏(5日死去、享年56)が死期を予感し、ごく親しい友人を招いて“お別れ会”を繰り返したすし屋が米カリフォルニア州シリコンバレーのスタンフォード大近くにある。2人のすし職人、金子典民さん(46)と高橋一郎さん(39)が共同経営する「陣匠(じんしょう)だ。高橋さんが取材に応じ「決して泣き言を言わない人だった」と病と闘う姿を語った。すし職人が見たジョブズ氏とは。 
この記事では、こうした事実の他に、私は、ジョブズ氏が実は仏教徒であったこと、ある意味武士的な生き方をしてきたことなどについて論評しました。以下にその部分のみをコピペします。
 ジョブズ氏は、一般にはあまり知られていないですが、仏教徒です。そうして、このブログにも掲載しましたが、ジョブズ氏は、日本の武士道の精神でもある、「武士道とは死ぬこととみつけたり」といういわゆる「葉隠」の精神ともいえるような、精神を持っていたようです。そのような、ジョブズ氏であったからこそ、最後の食事は寿司だったのだと思います。 
ジョブズ氏は、生前に「死を意識した生き方」を語っていました。それは、決して、消極的なものではなく、日本の武士道精神のような、積極的な生き方でした。明日死ぬと思えば、囚人でさえなければ、やることは山のようにあると思います。 
まずは、世界を変えること、あるいはそこまでいかなくとも、社会やコミュニティーや、もっと些細なことについてもとにかく良いほうに変えることを、見込みのある人にそのエッセンスを伝え、自分の遣り残したことをやってもらいたいと思うに違いありません。しかし、見込みのある人が考え違いをしていれば、それを是正しようとして、多くのマスコミや、伝記の作者さえも指摘したような、ジョブズ氏のように辛らつな言葉になることもあるかもしれません。
あるいは、世話になった人たちに、今生の別れの言葉を伝えたいと思うにちがいありません。そうして、短い時間の中でも、できることは、すべてやっておきたいと思うに違いありません。また、明日死ぬとおもえば、それまで、悩んでいたような事柄がほんの些細なことに見えてくるに違いありません。これこそが、ジョブズ氏の「死を意識した生き方」を意味するものです。そうして、ジョブズ氏は文字通りこれを実践したと思います。
私たち日本人は、武士道的な生き方を忘れがちですが、やはり、ジョブズ氏のように、「死を意識した生き方」を実践して、"one more thing"を追求していくべきです。
以下は、以前のブログにも似たような内容を掲載したものですが、ここにもう一度、ジョブズ氏に敬意を評してジョブズ氏の言葉を掲載します。 
"時代の歩みは止まりませんし、テクノロジーであれ、どんな分野であれ、世界をよりよいものにする One more thing は生み出される時を待っています。"
次の One more thing を作るのは私でありあなたであり、志のある多くの人々です。 
それは iPhone や iPad のような発明かもしれませんし、新たな商品の開発かもしれないです。新しい著作、人を感動させる音楽、誰かの人生を変える小さな一言かもしれません。あるいは、日々わたしたちが取り組んでいるいる仕事かもしれません。しかし志のある人たちが全員がそれを追い求めることで、世界はちょっとだけ良い場所になるはず。そうして、多くの人がそう信じて行動すれば、より良い社会になるはずです。私は、そう信じています。 
Thanks you Steve Jobs for making the world a better place. We will continue in your footsteps to make insanely great stuff. May you rest in peace.
 ジョブズ氏は、日本でいっとき、出家しようと試みたことがあります。結局それは、成就しませんでしたが、ジョブズ氏のなみなみならぬ、日本の伝統文化への傾倒ぶりをうかがい知ることができます。
前アップルCEO、スティーブ・ジョブス氏死去―【私の論評】ジョブスの半生を写真でたどって見えてくるものは?!!日本人が忘れた世界?
この記事では、ジョブズの一生をクロニクル風にまとめました。その一部を以下に掲載します。

Apple IIは爆発的に売れ、1984年には設置ベースで200万台を
超え、莫大な利益を生んだ。 写真は1979年だそうです。
1986年 PIXERを買収  Apple を追放されたジョブズ氏が1986年2月4日、Pixar を買収したしました。買収当初は赤字が膨らんで大変だったようですが、現在では世界を代表するアニメーションスタジオに成長し、ジョブズ氏はディズニーの個人筆頭株主となっています。

新型iPhoneを発表するジョブズ
アップルストア銀座 スティーブ・ジョブズ氏追悼の様子
さて、この記事ではクロニクルとして生前のジョブズをまとめ、記事の最後のほうでは以下のように締めくくっています。
 これにみならず、ジョブスは、風貌やライフスタイルは、まさに、アメリカ人そのものですが、起業家に特有の資質として、ドラッカーが語っているものがありますが、私は、まさに、これを体現したのがジョブスだと思います。 
ドラッカーは、起業家精神について、以下のように語っています。

"「起業家精神とは、個人であれ組織であれ、独特の特性をもつ何かである。気質ではない。実際のところ私は、いろいろな気質の人たちが、起業家的な挑戦を見事に成功させるのを見てきた」(ドラッカー名著集(5)『イノベーションと企業家精神』) 
起業家精神というと、100人に1人が持つという感覚である。100人に1人の気質、100人に1人の才能としかねない。ドラッカーは、そこがそもそもの間違いだという。それは、気質でも才能でもない。 
ただし、一つだけ起業家精神に向かない気質がある。確実性を旨とする気質である。それはそれで立派な気質だが、企業家には向かないという。 
しかし、意思決定を行なうことができるならば、学習を通して、企業家として企業家的に行動することができるようになる。起業家精神とは、気質ではなく、行動であり、同時に姿勢だからである。 
イノベーションは、才能とも関係がない。起業家精神の才能などはなく、方法論が必要なだけなのである。それが今、ようやく各所で開発中である。 
ドラッカーは、起業家精神はインスピレーションとも、ほとんどあるいはまったく関係ないという。逆にそれは、厳しく、組織的な作業である。 
企業家に天才的なひらめきがあるというのは、神話にすぎない。ドラッカー自身、60年以上にわたっていろいろな起業家と仕事をしてきた。ベンチャーを立ち上げた人もいれば、社内企業家もいた。どの人も働き者だったという。天才的なひらめきを当てにするような人は、ひらめきのように消えていったという。 
イノベーションは、変化を利用することによって成功するのであって、変化をもたらそうとすることによって成功するのではない。 
ということは、変化を当然のこととして受け止めることである。日本人にとって、諸行無常を旨とすることは、おなじみなのではないか。 
 「本人が自覚しているか否かにかかわらず、あらゆる仕事が原理にもとづく。起業家精神も原理にもとづく。起業家精神の原理とは、変化を当然のこととすることである」(『イノベーションと企業家精神』)"

さて、この諸行無常という言葉、私達日本人なら、本来誰もが、直感的に理解できるものだったと思います。アメリカ流の合理精神と、もののあわれをも含む日本流の武士道的な精神とをあわせもったジョブス。だからこそ、人生を通じて、エネルギッシュであり、本当に時流に適合して、最期まで、生き抜くことができたのだと思います。 
こうした精神なしに、ジョブスがこれほど、社会を変革できたかどうかは、はなはだ疑問です。 
今の日本人、やはり、上記のジョブスのような、精神を持った人も多いので、未だに、イノベーション力は世界トップ水準にあるのだと思います。しかし、それも、薄れてきいるような気がして残念でありません。日本でも、意図して、意識して、このような生き方をみなおしていくべきです。 
それにしても、当代一といっても良いくらいの起業家が逝ってしまったのは、本当に残念です。しかし、いつ死ぬか判らないという覚悟が根底にあったからこそ、ここ数年のジョブスもあのような素晴らしい活躍が来たのだと思います。 
そうして、彼の最期の考えは、「やり抜いた」という感慨に満ちたやすらかなものであったと信じたいです。そうして、アップルもこれからも、私達の期待に応える企業でありつづていただきものです。ジョブスがなくなっても、彼の考え方を未来永劫にわたって、継承していただきたいものです。そうして、特に、私たち日本人は、ジョブスの生き方から、日本的な物の考え方が優れていることを学びとるべきだと思います。
さて、ながながと掲載してきましたが、私が言いたいのは、総務省の役人など、こうしたスティーブ・ジョブズの日本の伝統文化などへの傾倒ぶりを理解しているのかということです。

ジョブズのこうした側面を理解せずに、ただ「異能vation」といってみたとろで、何が変わるというのでしょうか。

私たち日本人が、本当のイノベーションを起こそうするのであれば、まずはイノベーションの本質とは社会的なものであり、技術的なものではないことを自覚して、しかもジョブズがそうしたように、日本的な考え方や、方法を現代社会に大胆に取り入れていくという視点が重要です。

総務省主導の今回のブロジェクトがここまで、踏み込んだものであり、日本的な考え方を見直そうという趣旨で実施するなら、ひよっとすれば成功する可能性もあるかもしれません。

しかし、そうであったとしても、これが成功する確率は限りなく「永遠の0」に近いと思います。なぜかといえは、以下のような事実があるからです。
【日本の解き方】あまりにヒドい政府の“日本再生戦略”―【私の論評】今の政府や政治家は、自分の頭の上のハエを追えない人が、他人の世話を焼いているようなもの、自分がやるべきことに専念せよ!!
詳細は、上の記事をご覧いただくものとして、この記事では、実は、あのノキアが、iPhoneや、iPadとほぼ同じようなものをアップルがこれらを発表する数年前から開発ずみであったものを市場に投入する機会を逸したことを例にあげて、以下のように論評しました。

NokiaのCM、なぜ女性のランジェリーなのか?
民間企業ですら、このような失敗をすることがあるわけですから、政府が成長する産業を見極めることなどほとんど不可能です。特に自由主義経済下では、そのようなことは誰もわからないというのが事実です。いろいろなタイプの企業が種々様々な工夫をして、その結果いずれかの事業がその時々の市場に適合うして、それが産業として伸びて行くというのが普通です。
スマホは、アップルがiPhoneで、現在の原型をつくりあげ、それを市場に投入しました。これが、たまたま、市場に適合していたため、それが、大ヒットして、今日につながっています。そうして、今では、iPhoneだけではなく、Android携帯なども様々の種類のものが、開発され、一大産業となっています。しかし、その影て、ノキアに限らず、ブルーベーリーその他、失敗しているところたくさんあります。それに、私としては、これら携帯電話に限らず、いまでは完璧に姿を消したPDSだって、電話機能さえつければ、現在のスマホと変わりないものがいくつもありました。
スマホの例でもわかるように、どの産業でも、いくつもの会社が、いくつもの新しい次世代のものを開発しており、そのうちの本の数社、場合によっては、1社だけが、次世代の産業を担って、大きく発展していのです。今日確かにアップルは大成功を収めましたが、何かがどこかで違っていれば、アップルがノキアのような目にあっていたかもしれないのです。
そんな自由主義経済下の競争において、政府が発展する産業を見抜けるわけはありません。政府はもともと、そのようなことをする機関ではありません。城山三郎氏の小説「官僚たちの夏」では、あたかも、通産省が日本の産業を主導してきたような扱いですが、あれは、幻想にすぎません。現実には、通産省主導で行ったことは、何一つ成功していません。大成功したのは、先送り戦術だけです。
この自由主義経済下においては、いくつもの民間企業が、競争環境の中で、その時々で様々な努力をして、その時点ではうまくいくかどうかもわからないですが、数年後には、決着がつくといった具合で、政府が主導で、成長産業を見つけることはほぼ不可能ということです。

最初にタブレット端末をこの世に出したのはアップルだったが、本当ノキアになったかもしれない

「異能vation」などと銘打って、アイディアを公募したとしても、まともなものは集まらないでしょう。そもそも、本当にイノベーションが起こせそうなアイディアなど世界中の企業が放置しておくはずもないし、今やKickStarterのようなサイトもあるわけですから、お金のない人はそちらに応募して、オープンソースで今まででは考えられないようなスピードでイノベーションを実行していくと思います。おそらく、このような公募に応募するようなアイディアは残りカスだけだと思います。

官僚主導のイノベーションなどこの程度のものです。そもそも、政府はイノベーションのためのインフラを整備するのが仕事であって、出来上がったインフラの上で政府が直接何かをやっても必ず失敗します。インフラの上で活動すべきは、民間営利企業や、民間非営利企業であるべきです。

もし、官僚主導のイノベーションがうまくいくのなら、あの共産主義もうまくいったはずです。旧ソ連では、いわゆる設計主任と呼ばれる優秀な人たちがいて、この人達が兵器や、ロケットや民間用の製品などを計画的に設計し、計画的に製造し、計画的に市場に提供していました。

その結果どうなったか、皆さんはお分かりでしょう。共産主義はことごとく失敗しました。

だから、「異能ベーション」なるプロジェクト最初から失敗しています。何も具体的なイノベーション(社会変革)など生み出すことはできないでしょう。

総務省などは、このような馬鹿真似をせずに、自分たちの管轄である社会インフラを整備することが本来の仕事です。たとえば、公共の電波の枠など拡張するなどすれば、衰退退廃した既存のテレビ・ラジオ局など、どんどん出てきて、既存の腐れメディアなどすぐにも視聴者を失うことでしょう。ただし、野放図に拡張してしまえば、その悪影響もあるでしょうから、そのようなことがないように規制も考えるなどのことをすべきです。

たとえば、このようなことをするのが本来の総務省の仕事であるはずです。

馬鹿な官僚に、税金を使って、無駄な言葉遊びをさせるなと言いたいです。こういうことが、過去にもあったように、無駄な箱物行政のようなとんでもない事態を生み出す土壌になるのです。(ただし、私は公共工事が全部無駄だとは思っていません)。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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