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2018年1月25日木曜日

安倍首相はなぜ「リフレ派」になったのか―【私の論評】ポスト安倍は金融政策を理解しなければ国民からNOをつきつけられる(゚д゚)!

安倍首相はなぜ「リフレ派」になったのか

第196回国会における施政方針演説を行う安倍首相 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

 経済評論家の上念司氏が面白いものを書いていた(“週刊「1億人の平成史」 第19回 上念司さんの「アベさんがアベノミクスにたどり着くまで」”)。

 もっとも、この記事は上念氏らが「リフレ派」に入った経緯を書いているが、安倍首相のことは書かれていない。安倍首相がどのようにリフレ派になっていったのか、筆者はその当時のことを知っている。

 それは2006年3月の日銀の量的緩和解除の「失敗」までさかのぼる。

関心の最初は06年の量的緩和解除の「失敗」

 上念氏が書いたものは、時系列的には、安倍氏が日銀の量的解除失敗で金融政策に関心を強め、安倍氏や自民党が在野の時代に、党内の勉強会などで内々に勉強した後、表に出て行ったときの話である。

 その頃には安倍氏は、日銀政策審議委員として金融政策をしていた当時の経済学者やエコノミストよりもはるかに勉強しており、金融緩和がデフレ脱却、雇用環境の改善に大きな効果があることを確信していた。


 この国会答弁によれば、いわば「指南役」は、山本幸三代議士(前地方創成・規制改革担当相)、イエール大学名誉教授の浜田宏一先生と、筆者となっている。

 安倍氏の国会発言の背景を説明しよう。

 時は、12年前の小泉政権と第一次安倍政権に遡る。小泉政権の末期だったが、2006年3月、福井俊彦総裁時代の日銀が、2001年3月から実施してきたそれまでの量的緩和策を解除した。

量的緩和に解除を受けて会見する福井俊彦・日銀総裁=2006年7月14日午後、日銀本店
 この量的緩和策については、中央銀行の手法として、「量的緩和は効果がない」という声と、逆に「副作用が強過ぎてハイパーインフレになる」という二つの極端な批判的な意見が多かった。

 特に、日本では、著名な学者が批判論者であった。

 実は、量的緩和策の先駆者は先進国でいち早くデフレに陥った日本だ。

 日本では、デフレ解消の策として、速水優総裁時代の2001年3月から実施された。

 筆者は、当時の小泉政権で竹中平蔵・総務相補佐官をしていて、政権内で量的緩和の有効性を説き、弊害がないことを指摘していた。

 当時の日銀の量的緩和の問題点は、量の面で不十分であったことだ。

 ところが、量的緩和そのものに反対している学者やマスコミが多く、日銀は2006年3月に量的緩和を解除してしまった。筆者はこれを批判、デフレ脱却が遠のくことを予測し、それは的中した。

 そのことが誰の目にも明らかになったのは、小泉政権の後の第一次安倍政権になってからだ。

「デフレ状態」なのに金融を引き締めた

 その理由は単純で、形式的なインフレ率が0.5%とすると、物価指数の上方バイアスを考えれば、物価はマイナス0.1%という、「デフレ状態」なのに、量的緩和を解除し金融引き締めをしてしまったからだ。

 筆者は、バーナンキ・元FRB総裁やクルーグマン教授がいたプリンストン大学に留学した経験があり、その関係で各国の中央銀行にも知り合いがいた。念のために彼らの意見を聞いたが、やはり量的緩和解除は「時期尚早」だったと言っていた。

 しかし、当時、筆者の意見に賛同してくれた政治家は、竹中総務相、中川秀直自民党政調会長と山本幸三代議士だけだった。

 この事情をよく覚えていたのが、当時の官房長官だった安倍氏だ。

 安倍氏は2度目の首相になった後でも、2006年の量的緩和の解除は時期尚早で失敗だったと言っている。これが、上に引用した国会発言である。

 それ以外にも、その類いの発言はしばしば行い、2006年3月の量的緩和解除は失敗であり、その失敗を踏まえて、2%のインフレ目標を明確に導入したアベノミクスを作ったと言っている。

 もし、その当時に、2%インフレ目標があれば、量的緩和解除の失敗をしなかったはずだと、筆者も考える。

 安倍氏は、記憶力がいい。誰がどのような意見を言って、誰の予測が正しかったのか、間違っていたのかをよく覚えている。

 これは、政治家に求められる資質である。

 経済見通しなどの予測の当たらないエコノミストの話を聞いても時間の無駄であり、予測の打率の高い人の意見を聞いたほうがいい。

 おそらく、その当時から、いろいろなエコノミストの打率を安倍氏は把握するようになったのだろう。

 筆者は、しばしば安倍氏から個別のエコノミストの評価を聞かれることもあるが、安倍氏の論評はかなり正確である。

首相辞任後、金融政策に改めて関心

 ただし、残念ながら、安倍氏はそうした勉強成果を生かす間もなく、2007年9月に首相を辞任してしまった。

 健康問題とはいえ、突然だった。筆者はその当時、官邸勤務だったが、朝の国会質問答弁の打ち合わせを終え、国会に向かうところで体調不良になって、驚くばかりだった。

 その後、かなり療養していた。しばらくすると政治活動を再開したが、安倍氏自身が国会答弁で話したように、時間がたくさんある。

 そうした中、金融政策に関心を持ち始めたように見えた。

 金融政策については、小泉政権の時は、安倍官房長官、竹中大臣、中川政調会長の間で、筆者が説明役になって、しばしば議論していた。

 例えば、中央銀行の独立性について、日本では単に独立性というが、世界では、目的の独立性と手段の独立性を区別して、中央銀行には手段の独立性はあるが、目標の独立性はない、などである。

 そして、金融政策は、海外では雇用を確保する「雇用政策」の側面があり、例えば、アメリカの中央銀行(FRB)は、「物価の安定」とともに「雇用の確保」という責務を担っているとも説明していた。

 筆者の印象では、このときの安倍氏は、そういうものもあるのかという感じで、それほど確信していたわけではないように見受けられた。

自民在野時代に勉強会浜田イエール大教授とも親交

 その後、安倍氏は、健康を回復し政治活動に復帰後、自民党内で金融政策などについての内々の勉強会を開いていたが、その時の会合の発起人は、安倍氏、山本幸三氏、中川秀直氏だった。そこの事務局で筆者も手伝っていた。

 民主党政権になっていたころだ。

 ちょうどその時、筆者のところに浜田先生が訪ねてきた。

 聞くところによると、浜田先生は、安倍フェローシップから研究助成を受けているという。

 もっとも、安倍フェローシップは、安倍氏の父である安倍晋太郎氏のフェローシップである。それならということで、浜田先生を内々の勉強会に呼び、金融政策を様々な角度から話してもらった。

 山本代議士、浜田先生そして筆者は、2006年3月の量的緩和解除の失敗や、2008年9月のリーマンショック以降の金融緩和不作為の失敗、2011年3月の東日本大震災後の政策の失敗などを話した。

 安倍氏はこうした議論を通じて、国会答弁で明らかにしているように、「リフレ派」になっていったようだ。

 その段階で、自民党の中でも、他党を含めても、有数の「リフレ派」になっていた。なお、上記の政策の失敗についての筆者の意見は、本コラムのバックナンバーを見ればわかる。

「金融政策は雇用政策」との理解深める

 その後は、上念氏が書いているように、派閥、党を超えて、安倍氏は積極的に活動を広げていった。

 筆者は、その中で、安倍氏に、「金融政策は雇用政策なので、海外では左派政策と思われるがいいか」と何度も確認している。

 安倍氏は、まったくかまわないし、そのほうが相手のお株を奪えると、まさに政治家らしい反応だった。

 そういえば、トランプ大統領も共和党なのに雇用重視である。

(嘉悦大学教授 高橋洋一)

【私の論評】ポスト安倍は金融政策を理解しなければ国民からNOをつきつけられる(゚д゚)!

第一次安倍政権のつまづきは、諸説ありますが、やはり最大のものは、小泉政権の末期だったが、2006年3月、福井俊彦総裁時代の日銀が、2001年3月から実施してきたそれまでの量的緩和策を解除したことでしょう。

ここで、解除しないで緩和を続けていれば、数年で日本はデフレから脱却できていたことでしょう。この時点で金融引締めをしてしまったのは、完璧な失敗でした。その後、日本の経済はふるわず、第一次安倍政権は短命に終わりました。

その後2013年まで金融引締めが続き、その煽りを受けて、第一次安倍政権の後の政権も短命に終わり、政権交代によって成立した民主党政権における政権もすべて短命に終わりました。

このようにどの政権もすべて短命に終わったのは、雇用も経済もふるわなかったせいです。少なくとも、金融緩和を維持していれば、雇用は改善されていたので、国民の不満もおさまりこのように短期政権が続くようなことはなかったでしょう。

平成12年には安倍総裁の自民党が衆院選で大勝利し、平成13年4月からようやっと金融緩和に転じました。そのため、現在に至るまで雇用情勢の改善が継続されています。ただし、平成14年春から消費増税をしてしまったため、経済の成長率はあまり伸びていないというのが現状です。

やはり、当時の福井日銀総裁による量的緩和の解除は日本経済に甚大な悪影響を及ぼしました。

そうして、最近当時の日銀の議事録が公表されています。以下にそれに関する新聞記事のリンクを掲載します。
日銀、06年1~6月の議事録公表 量的緩和解除要因に外圧も
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、量的緩和解除要因が外圧であったことをうかがわせる部分のみを引用します。

当時の水野温氏日銀審議委員 
同年1月の会合では、水野温氏審議委員が「(量的緩和による)低金利が他国に迷惑を掛けているという論調が(世界の)中央銀行の中である」と指摘。福井俊彦総裁も量的緩和が招く円安に言及し、「『これを単純にエンジョイするのか』という感覚が(国際会議の)共通の認識」と呼応した。
ただし、この発言は明らかに間違いでした。そもそも、世の中には「通貨戦争」なる考えがありますが、それは全くの虚妄です。

ある国が「通貨戦争」をするつもりで、金融緩和をすれば、どうなるかといえば、確かに通貨安になります。 それは、他国の通貨に比較して、自国の通貨の量を意図的に増やすわけですから、当然そうなります。

しかし、さらに自国の通貨を安くするために、量的金融緩和を継続し続けるとどうなるかといえば、今度は国内が大インフレになります。だから、「通貨安」のために量的緩和を続けることはできず、インフレになる前に「緩和」を打ち切るのが普通です。

ある国が大インフレになっても良いからと、どこまでも「金融緩和」を続けたとしたら、その先はハイパーインフレになり、金融破綻してしまいます。だから、どこか妥当なところで緩和をやめざるを得なくなります。

そもそも、「通貨戦争」など幻想に過ぎないのです。当時「円安」を非難する国があれば、この話をして反論すれば、それですんだと思います。実際、まともな経済学者であれば、「通貨戦争」の幻想など誰も信じていません。水野氏はこのような考えができなかったのでしょう。

それに、本当にそのような圧力があったかどうかも、疑問です。たとえば、話は少し違いますが、8%の消費税増税に関して、麻生財務大臣は「国際公約だ」などと語っていましたが、これは麻生財務大臣が国際会議の席上で「増税」すると語っただけの話であり、いずれの国からも「日本は増税すべきだ」などとの声は上がっていませんでした。

独立国に対して「増税しろ」「金融緩和をやめろ」などということは内政干渉です。

私は、水野氏の外圧という話も、麻生氏の「増税は国際公約」ような程度のものであり、日本に対して「金融緩和をやめろ」とはっきり言った国など存在しなかったと思います。

ただし、これには例外はありました。それは中国人民銀行総裁の周小川です。しかし、それも2012年に自民党安倍総裁が政権交代のあかつきには金融緩和をすると表明した時であり、2006年当時はそのような声はなかったと思います。ネットで検索しても、ヒットしません。どなたか、その事実をご存知の方は教えていただきたいものです。

中国人民銀行行長(日本では総裁)
それに周小川の要求は、虫の良い話でした。当時の円高、元安はとんでもない水準で、日本企業が日本で製品を製造して国内で販売するより、中国に材料を送って、中国で組み立てて、それを日本に輸入して販売たほうが、安く製品を販売できるという異常事態でした。

これは、中国にとってはぬるま湯のようなもので、日本の製造業はこぞって中国に進出していました。このような異常事態がいつまでも続くと考えるほうが異常でした。

そうはいいながら、周小川の懸念はピタリとあたって、日本が金融緩和したあたりから、中国の経済成長は政府によって公表されている信憑性の低い数字ですら、かなり下がっています。しかし、これは日銀の金融引締めにあぐらをかいて、中国が分不相応なことをしていたというだけであって、何ら日本が批判の対象にされるいわれはありません。

実際、中国を除いた国ではほとんどそのような苦言を呈した国はありませんし、周小川もその後は苦言を呈したことはありません。

さて、2006年の金融緩和解除がいかに異常なものであったのかは、以上のことからもご理解いただけるものと思います。

それにしても、今思えば、2006年当時は、安倍晋三氏を含めたほとんどの政治家が金融政策を理解しておらず、たまに理解している人がいたにしても、今日の安倍総理のように、金融政策を理解しつつ、高い地位にいて影響力のがある人はいませんでした。

だからこそ、当時金融緩和解除はすんなりと実現してしまったのです。

しかし、その後安倍晋三氏は金融政策について真摯に学び、再び総理大臣になることができました。もし、安倍晋三氏が金融政策について理解をしていなかったら、総理大臣に返り咲きもできなかったかもしれません。私自身も、安倍総理が金融政策について理解を示したことを知る前までは、失礼ながら「過去の人」と思っていました。

私はここに、現在の政治家、特にポスト安倍と目されている人たちに警告を発しておきます。あなた方は、安倍晋三氏が真摯に学んだように、2006年から2012年までの日本の金融政策の間違いについて真摯に学ぶべきです。


そうでないと、誰が次の総理大臣になったとしても、その政権は短命に終わります。それでも、金融政策を理解せず正しい金融政策を実行しなければ、自民党そのものが衰えていきます。そうして、その果には金融政策を正しく理解する新たな勢力に政権を奪われることになります。

その後自民党が、与党に返り咲くことはかなり困難になります。日本国民はそれほど馬鹿ではありません。一度安倍総理が、金融政策の有効性に関して範を示したにも関わらず、それを反故にするような、総理大臣や与党には、それが自民党であれ他の党であれ、国民の大多数は当然のことながら、NOを突きつけます。国民を馬鹿にしないで下さい。

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2017年10月14日土曜日

【日本の選択】今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別 本来の「リベラル」とかけ離れた思想は国民にとって不幸―【私の論評】意味が理解出来ない言葉を平気つかう人はまともな社会人にさえなれない(゚д゚)!

【日本の選択】今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別 本来の「リベラル」とかけ離れた思想は国民にとって不幸

ガラパゴス諸島に生育するイグアナ
政治思想の観点から今回の衆院選を分析すると、実に興味深い点がある。自民党、希望の党、立憲民主党のそれぞれが「保守」を掲げている点である。

 自民党が、保守政党であることは周知の通りだ。希望の党は、自らの政党の理念を「社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す」としている。安全保障政策において非現実的な主張を繰り返した民進党左派を「排除」し、保守政党の覚悟を示してもいる。

 問題は、立憲民主党である。

 驚く方も多かろうが、立憲民主党の枝野幸男代表は自らを「保守」と位置付けている。枝野氏は自分自身が「保守」「リベラル保守」であるとの主張をかねてより繰り返しているのだ。

 私自身も、リベラルな保守主義者を自任しているので、「リベラル」と「保守」が必ずしも対立する概念ではない-という枝野氏の論理を歓迎している。「多数者の専制」に陥りがちな民主主義社会の中で、少数者、弱者の声に耳を傾けるというリベラルな姿勢、社会の中の多様性を擁護するリベラルな姿勢は、政治家にとって重要だ。

 こうしたリベラルな姿勢と、わが国の伝統や文化に対して敬意を抱くという保守的な姿勢とは、必然的に対立するものではない。枝野氏が抽象的に「リベラルな保守」について語るとき、私はそれほど違和感を覚えない。

 だが、日本では「リベラル」とは、特別な意味で語られることが多い。これが厄介だ。「憲法9条を守っていれば平和が維持できる」「集団的自衛権の行使容認で徴兵制がやってくる」といった、非現実主義的な「平和主義」を信奉する人々を「リベラル」と呼ぶことが多い。

 こういう人々は本来「保守」でも「リベラル」でもない。愚かなだけである。日本列島に生き残る「ガラパゴス左翼」と呼ぶべき勢力なのだ。彼らの特徴は極端に非現実的な主張であり、盲目的に憲法9条に拝跪(はいき=ひざまずいておがむこと)する様は、一種の宗教儀式を連想させるものだ。

 残念ながら、集団的自衛権の行使容認に関する枝野氏の主張は、本来の「リベラル」とはまったく無関係な「ガラパゴス左翼」の論理そのものだった。

 政党が「保守」「保守」と唱えるのは結構だが、今の日本に本当に必要なのは、「ガラパゴス左翼」と決別した真っ当な意味でのリベラルだ。安全保障政策において現実主義の立場に立ち、共産党とは一線を画したうえで、国内政策においては弱者の立場に立つ。

 「リベラル」との言葉が、ほとんど「愚かしさ」と同義語になってしまっているのは、日本国民にとって極めて不幸なことだと思わざるを得ない。

 ■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。拓殖大学客員研究員などを経て、現在、大和大学政治経済学部政治行政学科専任講師。専攻は政治哲学。著書に『逆説の政治哲学』(ベスト新書)、『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)、『人種差別から読み解く大東亜戦争』(彩図社)など。

【私の論評】意味が理解出来ない言葉を平気つかう人はまともな社会人にさえなれない(゚д゚)!

リベラル(liberal)という言葉を大辞林で調べると以下のように記されています。
1 政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま。本来は個人の自由を重んじる思想全般の意だが、主に1980年代の米国レーガン政権以降は、保守主義の立場から、逆に個人の財産権などを軽視して福祉を過度に重視する考えとして、革新派を批判的にいう場合が多い。自由主義的。「リベラルな思想」 
2 因習などにとらわれないさま。「リベラルな校風」
1.の意味に関しては、このブログでも以前掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
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フーヴァー大統領(左)とルーズベルト大統領
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事の論評元の記事で、山口真由氏は、リベラルと、保守について以下のように述べています。
リベラルは「人間の理性」を絶対的に信じる。経済不況や格差は政府の積極的な介入によって解決し、野蛮な帝国は軍事介入によって折伏する。そうやって理性的な人間がコントロールできる領域を広げれば、多様な人間が共存できる理想的な社会ができ上がる。こうした一種の理想主義は、自然を耕し、従えるという発想につながる。 
対する保守は、人間に対する深い懐疑がその源にある。荒野の開拓者を原風景とする彼らにとって、大いなる自然の前に人間はあまりにちっぽけだった。だから、彼らは自然を支配するなどというおこがましい発想を捨て、政府の介入は最小限にし、市場は自由競争に委ねようと考える。 
そんなわけで、アメリカのリベラルは、憲法改正反対や原発再稼働反対を主張する日本のリベラルとは、真逆の立場をとる。
日本のリベラルは、米国のリベラルとも全く異なるどころか、真逆の立場であることになります。

この1の意味でいうと、リベラルと保守とは相対するものであり、リベラルな保守など存在し得ないことになります。

しかし、 "2 因習などにとらわれないさま。"という、より根源的な意味のリベラルであれば、確かにリベラルな保守とは、「因習にとらわれないリベラル」ということになり、これは十分に存在し得る概念です。

さて、この意味でのリベラルで身近なものでは、リベラル・アーツという言葉があります。



リベラルアーツという言葉は元々ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っています。その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源でした。「リベラル・アーツ」、つまり人間を自由にする技ということです。

リベラルアーツとは「因習にとらわれないための学問」ということのようです。

「リベラルアーツ」という言葉が大学教育の中でよく聞かれるようになってきました。日本語に直すと「教養課程」等がいちばん近いのですが、内容はちょっと違います。教養という言葉には悪い意味はありませんが、これまで大学における「教養課程」という言葉には「専門教育」の前に学習する一段低い教育といった意味がつきまとっていました。ですからリベラルアーツ教育と言うときには、昔の「教養教育」とは違うんだぞという意味合いが含まれています。

最近まで多くの大学は「役に立つ人材」を育てようということで、なるべく早く専門教育を行い、その専門のスペシャリストを育てようという傾向がありました。しかしそうなると自分の専門のことは詳しいけれど、それ以外のことはあまり知らないという人たちが生みだされてしまいます。これでは、教養ある人間とはいえないです。

やはり、本来のリベラルアーツとは「因習にとらわれないようにするための教養」というあたりが本来の意味であると考えられます。

リベラルを自称する人たちは、言葉の本来の意味からすれば、「因習にとらわれて」はいけないのです。過去にとらわれ極端に非現実的な主張をしてみたり、ましてや盲目的に憲法9条に拝跪するようでは、とてもリベラルとはいえないのです。

さて、経営学の大家である、ドラッカー氏はマネジメントとリベラルアーツに関して次のように述べています。
マネジメントとは、仕事である。その成否は、結果で判定される。すなわち、それは技能である。しかし同時に、マネジメントとは、人に関わるものであり、価値観と成長に関わるものである。したがってそれは、まさに伝統的な意味における教養(英語ではリベラルアーツ)である。(『チェンジ・リーダーの条件』)
そうして、ドラッカー氏はリベラルアーツであるマネジメントについて次のように語っています。
マネジメントとは何か。諸々の手法と手品の詰め合わせか。それとも、ビジネススクールで教えるように、分析道具のセットか。もちろん、道具としてのマネジメントも重要である。体温計や解剖学が、医者にとって大切であるのと同じである。だが、マネジメントの歴史、すなわちその成功と失敗の数々は、マネジメントとは、何にもまして、ものの考え方であることを教えている。(『チェンジ・リーダーの条件』)

それでは、マネジメントとは、いかなるものの考え方なのでしょうか。以下にそれについてドラッカー氏が語っていることを簡単にまとめます。
第1に、マネジメントとは、人の強みを発揮させ、弱みを無意味にすることである。つまりそれは、人にかかわることである。 
第2に、マネジメントとは、それぞれの国や土地の伝統、歴史、文化を仕事に組み込むことである。つまりそれは、人の関係にかかわることである。 
第3に、マネジメントとは、組織の目的、価値観、目標を明確にしてから、周知徹底し、常時確認することである。つまりそれは、組織の目的にかかわることである。 
第4に、マネジメントとは、組織の人間を成長させることである。つまりそれは、組織の人間の訓練と啓発にかかわることである。 
第5に、マネジメントとは、意思の疎通と個人の責任を確立することである。 
第6に、マネジメントとは、マーケティング、イノベーション、生産性、人材育成、人、もの、カネ、社会的責任など、成果の尺度を明らかにして、測定し、向上させることである。 
第7に、マネジメントとは、組織の外に成果をもたらすことである。優れた財・サービスの提供によって、世の中に貢献することである。
ドラッカーは、マネジメントを志す者は、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史などを身につけよといっています。要するに、リベラルアートを学べと言うのです。それらの知識によって、成果を出せといいます。病人の治療、学生の教育、橋の建設、ソフトの設計に使えといっているのです。

リベラルアートを身につけた上で、医学・教育・工学・ITの分野にもそれを適用せよといっているのです。

平たくいうと、マネジメントを実行するには、真の意味での教養がなければならないということです。

そうして、この考えの前提には、やはり「因習からとらわれることがないこと」すなわち「自由」があるのです。

一方、保守主義についても誤解があります。本来の保守主義は政治的にどのような立場をとっているなどということは全く関係ありません。これもドラッカー氏の言葉を引用して説明させていただきます。
保守主義とは、明日のために、すでに存在するものを基盤とし、すでに知られている方法を使い、自由で機能する社会をもつための必要条件に反しないかたちで具体的な問題を解決していくという原理である。これ以外の原理では、すべて目を覆う結果をもたらすこと必定である。(ドラッカー名著集(10)『産業人の未来』)
つまり、改革をするときにそれまでに見たことも聴いたこともないような新しいやり方はせず、すでに存在するものを基盤とし、すでに知られている方法を使い、自由で機能する社会をもつための必要条件に反しないかたちで具体的な問題を解決していくという立場をいうのです。改憲論者だから保守というわけではないのです。

これでは、何も新しいことができないではないかと言う人もいるかもしれませんが、これは無論政治的改革をするときの話であって、政治以外にもマネジメントをはじめ、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史など世の中には様々な分野があり、その分野で新しく確立された手法を政治的改革に用いることを前提としています。

しかし、政治的改革の中で、見たことも聴いたこともないような、新手法をいきなり取り入れると、ドラッカー氏の言うように目を覆うような結果をもたらすことになります。共産主義などその最たる例です。

『共産主義黒書』に掲載されている、共産主義による死者数
過去の金融政策・財政政策もその典型例かもしれません。デフレの最中に、過去に見たことも聴いたこともない、金融引締め、緊縮財政をしたため、日本経済は目を覆うような結果を招いてしまいました。

一方、安倍政権はデフレの時には金融緩和をすべきという、すでに存在するものを基盤とし、すでに知られている方法を使い雇用状況を劇的に変化させることに成功しました。

保守派を自称する人たちも、保守の意味を取り違えている人も多いのではないでしょうか。

言葉の本来の意味を取り違えていては、まともな政策論争もできないのではないかと思います。

政治家がよく「政治家の言葉は重い」といいますが、これは言葉と政治とは切っても切り離せないからです。

政治とは合意を得るための過程であり、国家を存続させるための行動であり、国民(特に弱者)を救うための行為です。本来はそこで用いられる言葉は、極めて厳密なものであり、多くの経験値と実践知の集合体でもあるはずです。

学問の世界で言葉の定義が非常に大事にされるのは、そこに嘘や”誤解”がはいるとそれは学問ではなく単なる虚構になってしまうからです。政治における言葉も本来は学問のように厳密でなければならないのです。

従って政治家は言葉を重んじなければならないはずなのです。もっともメディアや言論界なども、言葉を重んじなければならないはずなのですが、特に政治家はそうでなければならないのです。

保守派も、リベラルもまずは言葉の本来の意味を知ってから政策論争をすべきです。特に基本的な保守とか、リベラルなどの基本的な言葉の本当の意味がわからないでつかうような人は、本来政治家になるべきではないです。

本来、意味を理解出来ない言葉を平気つかう人はまともな社会人にさえなれないはずです。

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2017年8月11日金曜日

「総理のご意向」の論点ずらし 加計報道とイメージ操作―【私の論評】国民を馬鹿にして愚弄するメディア(゚д゚)!

「総理のご意向」の論点ずらし 加計報道とイメージ操作

前回の本コラムで、「加計学園問題は『絶好の教材』 問われるメディア・リテラシー」を書いたが、その最後のところで、前川喜平・前文科次官の規制改革に対する考え方として、2005年7月の規制改革会議の議事録をあげた。今日のコラムではその続編とともに、マスコミの争点ずらしを述べよう。

この議事録でわかるように、前川氏(当時は課長)は、規制の説明責任について、規制官庁にないという「暴言」を吐き、発言を打ち切られた。規制改革会議に出入り禁止になったわけだ。


規制改革会議の後日談

実は、この話には後日談がある。当時の規制改革会議には白石真澄さんが議長代理で参加していた。白石さんは現在、関西大学の教授で、2009年の千葉県知事選に立候補したこともあるが、容姿端麗な方だ。規制改革会議終了後、雑談の中で「白石さんはお美しいですね」とか、たわいもない会話があった。もちろん、これは単なるリップサービスに過ぎず、そのとき参加していた人間は誰も問題視していなかった。

白石真澄さん  確かに前川の顔を見ているよりははるかに良い
ところが、その一連の会話を録音し、誰かがメモにして雑誌社に持ち込み、発言をねつ造し、「破廉恥な会話をしているのが、規制改革会議の実態だ」と、会議から2年後の2007年5月に週刊誌記事にさせた。

今となっては笑い話で済んでいるが、その当時は、大変な騒ぎだった。「こんな日常会話をリークされ、ねつ造記事がでるのは我慢できない」と、草刈隆郎さんをはじめとして規制改革会議メンバーが当時の規制改革担当大臣のところへ抗議までした。そして、文科大臣にまで抗議している。

文科省告示が直され、申請できるように

一体、誰がこんな情報をリークしたのか。内閣府内で会議のテープを保管している人間を調べればすぐにわかることだった。調査してみたところ、文科省からの出向者でした。さらによく調べてみると、その人物は、メールでこの情報を文科省に流したことまでわかっている。文科省内の『誰か』にわたり、その『誰か』が雑誌にたれ込んだのだ。

文科省のやり方はこんな具合だったが、それにしても前川氏は最近、マスコミにもあまりでない。本コラムを読んでいれば、前川氏の「行政がゆがめられた」というのは、50年間も新設学部の申請さえされない門前払いの文科省告示が直され、申請できるようになったという話だ。門前払いがおかしく、「ゆがめられていた行政」が少し直った程度だ。なので、さすがにマスコミももう使えないのだろう。

思い返せば、発端は、5月17日付の朝日新聞記事「加計学園の新学部『総理のご意向』 文科省に記録文書」である。

ところが、「総理のご意向」という証拠はまったく出ない。筆者は、「総理のご意向」がないことは、文科省と内閣府が公表に合意した特区会議の議事録を見ればわかると言ってきた。

ところが、朝日新聞は、「総理のご意向」が証明できないので、論点をずらしている。最近の記事では、「特区会議に加計幹部 議事要旨に出席・発言の記載なし」だ。

これで、議事録はあてにならないというイメージ操作をするが、文科省メモより、「総理のご意向」があったかどうかはより的確に判断できる。

そもそも、特区で提案者は今治市であり、オブザーバーである加計学園が議事録に載らないことは当然である。もっとも、議事録のあら探しのようであるが、ますます「総理のご意向」が入る余地がないことが分かるだけになっているのを朝日新聞は気がつかないようだ。

【私の論評】国民を馬鹿にして愚弄するメディア(゚д゚)!

朝日新聞は、議事録とはどういう正確なものであるのか、全くわかっていないか、わかっていながら、倒閣にすこしでもプラスにするため、あえて知らないふりをして情報操作しているとしか思えません。

議事録とは会議や打ち合わせの内容、経過や結論などを記録し、それを伝えるための文書です。 人類の歴史をひもといても、会議は常に重要な役割を果たしており、それは現代社会においても同様です。 会社、企業間、顧客との間において会議は日常的に開催され、また企業以外の場面においても、さまざまな会議が開催されています。

ITが発展していなかったときには、議事録は会議が終わった後に会議参加者に確認をとり、間違いなどが起こらないようにしたものです。

ITが発達した現在では、会議が終わった直後に、大きなスクリーンに議事録を映し出し、参加者全員がそれを見ながら、その場で修正を入れるなどのことすることもあるくらいです。そのようなことを可能にするシステムがすでに稼働しています。

朝日新聞は議事録の取扱について、誤ったのは、こだけではありません。戦略特区に関するワーキンググループの議事録に関しては、読んだのか読んでいないのか、朝日新聞は全く報道しませんてした。これを読めば、ワーキンググループの段階で、文科省はボロ負けで、勝負はついたという状況であったことが手に取るようにわかります。

このような状況であれば、総理のご意向などなくても、加計学園の獣医学部開設は決まってしまっていて、その後に総理がわざわざご意向を振りかざすなどとということは全く考えられません。これは、たとえが悪いかもしれませんが、日米戦争で日本が負けた後で、米国大統領が日本に対して何らかの違法な工作を行ったと言っているようなものです。

こちらのほうは報道せずに、議事要旨に加計幹部の出席・発言の記載がないことを報道するのは意図的な印象操作以外の何者でもありません。もし、加計幹部の発言の内容が出ていたとしたら、そちらのほうが余程問題です。もし発言があったとすれば、朝日新聞がその内容を報道することには意味があり、新聞としての社会的使命を果たすことになります。

しかし、発言内容がないことをニュースにするとは、なんともはや、問題外の所業といえます。とにかく、倒閣のために少しでも有利な印象操作をしたとしか受け取れません。

朝日新聞などのメディアもこの有様ですが、テレビの印象操作も酷いものでした。

BPO(放送倫理・番組向上機構)が公式HPにおいてマスコミの偏向報道に関する意見を受け取ったと公表しました。ついに制裁に乗り出すのではないかと期待が集まっています。


公式HPでは「2017年7月に視聴者から寄せられた意見」にて視聴者の意見が総合され、以下のように集約されています。
・テレビは「~と思う」「~と思われても仕方ない」などという表現で主観に基いて政権批判をしており、公共の電波として不適切。 
・コメンテーターが反対意見を言おうとすると司会者が遮ることすらある。
・証拠がないまま憶測で政権批判がなされている。 
・テレビとインターネットの情報の乖離が激しい。政治の偏向報道で国民がテレビからますます離れていく。 
・中立性が全くなく、視聴者が騙されてしまうことも懸念される。
偏向報道がこれだけネット上で批判されてもマスコミは一向に理不尽な安倍政権批判をやめないので、もはや強制的にペナルティを与えるしかないのかもしれません。そしてその力をもっているのはBPOだけであり、国民の最後の頼みの綱となっています。


ジャーナリストの末延吉正氏は今の偏向報道は前例がない異常事態だと指摘しています。末延らがニュース女子という番組で語った内容を以下に掲載しておきます。

末延吉正氏
末延吉正「僕も長く政治をウォッチしメディアの中で働いてきたけど、最近の左派メディアほど酷かったものは見た事がない。つまり、国会の審議やニュースそのもの、事実を全く伝えない。自分の作文でつくったようにやる。あれほど新聞・テレビがあそこまで事実を曲げて成立するのか。総理が濡れ衣で可哀想だっていう証言もあったのに、それを一行も書かない新聞・テレビは酷すぎる。朝日とTBSは本気で反省すべき」 
須田慎一郎「原点を辿れば前川さんの嘘が発端なんじゃないかなって思う」 
末延吉正「うん、もとはね」
加戸前知事と前川喜平の証言バトルでは、歴史的経緯を丁寧に説明した加戸前知事に軍配が上がったにもかかわらず、マスコミは前川喜平の勘違いを既成事実に仕立て上げようと必死でした。

メディアの報道が不自然に偏っていることはすでに数字で実証された通りです。


これは、一般社団法人日本平和学研究所が調べたものです。無論、関係する報道すべてをビデオに録画して、そこから時間を計測したものです。

加計学園問題の報道時間8時間44分59秒のうち、前川喜平の発言は2時間33分46秒も取り上げられたのに、加戸前知事の発言は6分1秒しか取り上げられませんでした。さらに原英史氏(国家戦略特区ワーキンググループ委員)の発言は2分35秒のみで、安倍総理に有利な証言はことごとくカットされました。

上念司氏
これらの証拠が出揃う中、上念司氏は放送法4条違反を根拠にTBSひるおびをBPOに告発すると虎ノ門ニュースに予告しました。

あくまで検討中ということですが、上念司氏の行動力なら本当にやるはずだと多くの人が期待しています。ひるおびには、川井重勇都議会議長と小池都知事の握手シーンをカットすることで事件を捏造した前科もあります。

これまでの悪行について痛いしっぺ返しを受けることになるのではないでしょうか。ただし、BPOについては「委員会のメンバーが政治的に偏った思想をもっている人が多いので抗議しても無駄」という声も一方ではあります。


これが本当ならBPOをさらに監視する機関が必要なのかもしれません。果たしてBPOは視聴者からの意見を適正に処理するのかどうか、今後の動きをしっかりと見届けていきたいです。

それにしても、現在のようにネットで情報がかなり得られる時代にもかかわらず、このような印象操作をする新聞やテレビは、本当にこの程度の印象操作で国民を手玉にとれると思っているようです。本当に国民を愚弄していると思います。

一旦は、情報操作に乗った人たちも、結局問題が何かもわからないようなことに、付き合わされ飽きてしまっているのではないかと思います。

以前にもこのブログに掲載したように、私は近所のお年寄りとも付き合いがありますが、これらのお年寄りたちも、最初は関心をもって見ていたようですが、ここしばらくは、ほとんどの人が加計問題の報道は、飽きて見なくなっています。

いまでさえ、この様子ですから、半年、一年もすれば、何もでてこない報道には完璧に関心を失い、そうこうするうちに、衆院選挙が行われ、加計問題で野党の無意味な追求が仇となり、民進党などの野党は歴史的惨敗を喫し、当のメデイアも唖然とするほどの結果になるのではないかと思います。

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2017年6月24日土曜日

悪質さ増す日本メディアの世論誘導 信じる人はもはや絶滅危惧種―【私の論評】絶滅危惧種も国民なのだ(゚д゚)!

悪質さ増す日本メディアの世論誘導 信じる人はもはや絶滅危惧種


安倍晋三内閣の支持率が、6月の世論調査で軒並み急落した。5月は56・1%だった産経・FNNの調査結果は、今回47・6%と8・5ポイント低下した。そのほか、読売と日経が49%、共同通信44・9%、朝日41%、毎日36%と、いずれも50%を切った。

 これは野党やメディアの勝利なのか。そうとは思えない。緊迫する北朝鮮情勢や欧州で相次ぐテロ事件には目もくれず、ひたすら安倍内閣の足を引っ張り続けた「国壊」議員たちに、愛想を尽かした国民は多いはずだ。

 読売は世代別支持率も公表した。30代以下の若い世代の内閣支持率は今回も60%以上だった。民進党などの野党と一部のメディアが「倒閣運動の好機」ととらえた「森友・加計学園」問題や、「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法の採決をめぐるカラ騒ぎは、若者の心には響かなかった。

 中高年と比べて、ツイッターやフェイスブック、ユーチューブなどを通じ、多角的な情報を入手しているからだろう。

 テレビや新聞などの情報だけで物事を判断する世代と、ネット情報も参考にする世代との情報格差は広がる一方だ。数十年後は現在の若者が中高年である。メディア情報で世論誘導される人々は、もはや絶滅危惧種なのだ。

 米国でドナルド・トランプ大統領が誕生した背景の1つに、米国民の根強いメディア不信がある。米メディアは「暴言」を繰り返すトランプ氏が共和党候補になれば、自分たちが応援する民主党のヒラリー・クリントン元国務長官の勝利は確実だと考えていた。

 思惑通り、トランプ氏が共和党予備選を制したが本選挙も圧勝した。メディアが終始報じた「ヒラリー優勢」の世論調査は完全に間違いで、世論誘導できると信じていたメディアの完敗だった。

 懲りない米メディアは再び民主党と組んで「トランプ降ろし」に励んでいる。日本の一部メディアの「安倍降ろし」と同じ構図だ。日米ともメディアの病巣は根が深い。

 最近、日本メディアの情報操作は悪質さを増している。沖縄の反米軍基地運動家の暴力性や、左派団体が「国連」の権威を利用して日本を貶めてきたカラクリは、前衆院議員の杉田水脈(みお)氏や、キャスターの我那覇(がなは)真子氏、テキサス親父日本事務局の藤木俊一氏らのおかげで白日の下にさらされた。だが、積極的に報じるのは夕刊フジと産経新聞くらいだ。

 築地市場の豊洲移転の問題で、小池百合子都知事の独断が多額の損失を発生させており「都民ワースト」である事実も、都民への周知が足りない。

 メディアの横暴を放置すれば、先の絶滅危惧種の絶滅よりも、日本国の絶滅が先かもしれない。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。著書に『儒教に支配された中国人・韓国人の悲劇』(講談社+α新書)、『トランプ大統領が嗤う日本人の傾向と対策』(産経新聞出版)、『日本覚醒』(宝島社)など。

【私の論評】絶滅危惧種も国民なのだ(゚д゚)!

確かに、ケント・ギルバート氏が指摘するように、「野党やメディアの勝利なのか。そうとは思えない」です。

このことを野党やメディアは全く気づいていないようです。

「内閣支持率が下がった分、そのまま野党第一党の支持率が上がることはない。安全保障法制のときもそうだ」と野田佳彦幹事長は19日の記者会見で、言い繕いました。

野田氏は内閣支持率の低下について、加計学園問題などで政府を追及したことを挙げ、「終盤国会での攻勢があったがゆえに低下を実現した」と評価。通常国会での党の対応を「批判もあるかもしれないが、ベストを尽くした」として今後も加計問題などで追及を続ける考えを示しました。

しかし、数字を精査すると、内閣支持率低下は政府自らの「エラー」であって、野党の「手柄」では残念ながらないです。この事実をはき違えている限り、民進党の支持率アップは見込めないでしよう。野党がよく口する「安倍一強」なる批判も、なぜ「一強」なのか自らに問うということはしていないようです。

安倍内閣の支持率は25年12月に10ポイント前後低下したことがありましたが、やがて回復しました。

「もり・かけ」問題は、最初からとうてい安倍総理を辞任に追い込んだり、倒閣に結びつくような可能性ははなから全くありませんでした。

しかし、これらの問題に対する政府の説明はあまり要領を得たものではありませんでした。特に加計問題に関しては、一般にも公表されている戦略特区ワーキング・グループの議事録等を読めば誰にでも簡単に「総理のご意向」などあり得ないことが、わかる内容です。しかし、政府がこれを説明することはありませんでした。

これらの議事録などとは、以下のようなものです。
①2015年6月8日国家戦略特区ワーキンググループ議事録(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_s/150608_gijiyoushi_02.pdf) 
②2015年6月29日閣議決定(文科省部分、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu22/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/09/02/1361479_14.pdf) 
③2016年9月16日国家戦略特区ワーキンググループ議事録(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/h28/shouchou/160916_gijiyoushi_2.pdf
これらの文書を読めば、文科省はワーキンググループの時点で、完敗していることが手にとるようにわかります。

たとえば、①2015年6月8日国家戦略特区ワーキンググループ議事録では、以下のよう牧野課長補佐の発言があります。牧野課長補佐とは、以前にもこのブログに掲載した、伝言ゲームで今回の問題で誤解が広まったその元になった文書を作成した人です。

課長補佐の牧野美穂氏(33)
○牧野課長補佐 そこまでは言っていませんけれども、既存の獣医師養成の分野に関して は少なくとも今足りているというように我々は農水省さんから聞いておりますので、その 上で関係者も納得するような、これは新しい構想だというようなものを具体的な需要の数 までも示した上でお示しいただければ、こちらとしても一緒に検討していきたいというこ とでございます。 
○原委員 挙証責任がひっくり返っている。
ここで、原委員の言う「挙証責任がひっくり返っている」という発言の意味するところは、本来既存の獣医師数が足りているのか足りていないのか、あるいは新しい構想による獣医師の需要数など、本来文科省が示すべきなのに、あたかも農水省にその責任があるかのように牧野氏が述べていることに対するものです。

そうなのです。本来規制する側が、需要は足りているということを示すことをしなければならないはずです。新しく、獣医学部を設立することを認可しないというのであれば、それを誰もが納得できる形で、データに基づいた資料を提示して説明する責任があるのです。

にもかかわらず、牧野氏は農水省などにこの説明責任を転嫁しているのです。これでは、話にも何もなりません。無責任そのものですし、これでは、新設獣医学部を規制することは到底不可能です。

③2016年9月16日国家戦略特区ワーキンググループ議事録には、以下のような浅野課長の発言がしるされています。

浅野 敦行 文部科学省高等教育局専門教育課長
○浅野課長 御指摘いただいたように、もう繰り返しになりますので申し上げませんけれ ども、我々としては先ほど本間先生からも御指摘いただいたように、既存の獣医師でない 構想、獣医師養成でない構想が具体化し、かつライフサイエンスなどの獣医師が新たに対 応すべき分野における具体的な需要が明らかになって、既存の大学・学部では対応困難だ ということであれば、そういったこともしっかり検討していくというつもりでございます。
○八田座長 そうであるかどうかという判定というのはもう今、進めていらっしゃるので すか。それとももう少し提案者等からのヒアリングが必要だということですか。 
 ○浅野課長 恐らくこれは文科省だけでは決められないと思いますので、きちっとしかる べく多分政府全体として、需要と供給の問題も全く関係ないわけではありませんので。  
○八田座長 それは関係ないでしょう。文科省は研究が必要かどうか、その観点からやる から文科省に権限があるので、実際の人たちの損得を斟酌するなどということはあり得な いでしょう。文科省は研究の必要性、ちゃんと需要が十分ある研究者を養成するというこ とが必要なら、それは当然やるべきではないですか。ほかのところを見る必要などは何も ないでしょう。
これを読むと、浅野課長は何とか新設獣医学部の設立を阻止しようとしているのですが、その根拠が脆弱なので、やり込められていことが良くわかります。

以前このブログでも示したように、①と③を読むと、内閣府・特区有識者委員と文科省(農水省)による規制緩和議論は、前者の規制緩和推進派の完勝であることがわかります。

②の閣議決定では、要求されている獣医学部新設の需要見通しについて、許認可をもち需要見通しの挙証責任がある文科省が、まったくその役割を果たせていないことが分かります。しかも、②では、2015年度内(2016年3月までに)に獣医学部の新設の是非について検討するという期限が切られているのですが、それすら文科省は守れていないことがわかります。

これでは、文科省の完敗です。加計問題に係る規制緩和の議論は、課長レベルの事務交渉で決着がついてしまっていたののです。総理の参加する諮問会議の前にこれだけ完膚なきまでに文部省は負けてしまい、さらにはその無能ぶりまでさらけ出してしまってるのです。この問題のいずれかの過程で「総理の意向」が出てくる余地はまったくありません。

そうして、いわゆる例の怪文書は、その他の文書なども、これらの議事録の後の日付のものです。であれば、これだけワーキンググループで文科省は惨敗した後に「総理のご意向」があったということになり、全く時系列的に成り立たないことが、あまりにはっきりしすぎています。

にもかかわらず、政府はこの議事録をもとに丁寧に説明するということを怠ってしまいました。さらに、政府なら立場上他の有益な情報もあったかもしれません。しかし、結局これらを開陳して丁寧に説明するということはしませんでした。

結局政府としては「総理のご意向」で加計学園に獣医学部が開設されることになったなどという与太話は、あまりにも馬鹿馬鹿しくて、まともに付き合っていられないということなのでしょうが、それにしても石破大臣が「高をくくっていると、恐ろしいことが起こる」と語ったことにも一理あるかもしれません。

そうして、それは現実のものになるかもしれません。それは今のタイミングであの豊田氏の大暴言が、テレビで繰り返し報道されたからです。

豊田真由子氏
豊田氏の「暴言」は、NHKを含めテレビ各局で繰り返し流されました。都議選告示日の前日22日という自民党にとっては最悪のタイミングでした。またも「魔の2回生」の不祥事で、自民党は7月2日投開票の都議選への影響を懸念しています。繰り返しますが、同党は襟を正さないと、選挙で痛い目に遭うかもしれないです。

都民の投票行動は、そのときの風や雰囲気に流されやすいからです。都議会選挙は苦戦をしいられるかもしれません。そうして都議選で負けると、過去においては次の国政選挙では自民党はあまり良い結果を出せていません。

政府としては、メディアは常に悪質で低劣な世論誘導をしようと虎視眈々と狙っているということを片時も、忘れてはならないのです。そうして、その動機はメディアは「自分たちの使命は、権力、政権に反対することである」との単純な思い込みです。

本来、上記のような戦略特区ワーキング・グループの議事録など、メディアが丹念に読み込んで、時系列も加味した上で丁寧に報道すれば、このような誤解は最初から生じようもないのですが、メディアは自らの使命を完璧に忘却して「世論誘導」に地道をあげています。

であれば、このようなことは政府自らが実行しなければ、誤解を招くばかりです。

ガラパゴスでは他の地域では絶滅した種が生き続けている
ブログ冒頭の記事で、ケント・ギルバート氏が指摘するように、世論誘導に簡単にのってしまう人々は、確かに絶滅危惧種なのですが、ここ日本はガラパゴスのように他の地域ではすでに絶滅したような種が生き残っているところでもあります。

ここ数年は少なくともこの絶滅危惧種の数は侮れないほど多いということを肝に銘ずるべきです。しかし、絶滅危惧種も国民であることには変わりないのです。これに対抗するためには、あまりにも馬鹿馬鹿しい、それこそ小学生にもわかりそうに思えることでも、誠意をつくして丁寧に説明していく必要があるのです。

さらには、一見関係ないようにみえるかもしれませんが、そうそうに追加金融緩和や積極財政をして、8%増税の悪影響を駆逐し、デフレから完全脱却することも重要です。かつて、池田内閣は所得倍増計画を数年前倒しで実行しましたが、その結果何がもたらされたかといえば、日本国内からソ連の影響が一掃されました。結局、生活が豊かになったので、誰もわざわざソ連のプロパガンダにのるような人は居なくなったのです。そうして、今日ソ連の影響下で動かされるような当時の絶滅危惧種はすっかり影を潜めたのです。

絶滅危惧種の人にも丁寧な説明をすること、これは、本当にもどかしいことなのですが、それが民主主義というものです。

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2017年5月13日土曜日

安倍首相、文氏と激突!日韓合意厳命「責任持って実施を」 反故なら米国の顔にも泥―【私の論評】世界と国民にそっぽを向かれ、文在寅政権は短期で崩壊(゚д゚)!

安倍首相、文氏と激突!日韓合意厳命「責任持って実施を」 反故なら米国の顔にも泥

安倍晋三首相
 安倍晋三首相が、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領に対し、慰安婦問題に関する日韓合意の順守を“厳命”した。11日に行われた電話首脳会談で、合意について「未来志向の日韓関係を築いていくための欠くことができない基盤だ」と断言したのだ。文氏は「国民の大多数が心情的に受け入れられない…」などと反論を試みたが、「最終的かつ不可逆的に解決」という国家間の合意の重みを理解しているのか。「慰安婦カード」で優位に立とうとした文氏のもくろみは失敗に終わったといえる。
 
 文氏は大統領選で、歴史問題と経済問題を切り離す「ツー・トラック外交」を掲げた。日韓合意の見直しを求めながらも、日本から経済協力を得たい。そんな都合のいい考えは、安倍首相の冒頭発言で打ち砕かれた。

 「日韓関係は長年にわたって両国の関係者が努力を積み重ね、友好関係を築いてきた。大統領とともに未来志向の日韓関係を築いていきたい」

 過去ではなく、「未来」という言葉を使ったことに、慰安婦問題を対日カードとして「蒸し返すことは許さない」という安倍首相の強い決意がうかがえる。日韓合意をめぐっても、次のようなやりとりが交わされた。

 安倍首相「日韓合意を含む2国間関係を適切にマネージしていきたい。合意は日韓両国間で約束したもので国際社会から高く評価された。未来志向の日韓関係を築いていくために欠くことができない基盤だ」「責任を持って(合意を)実施していくことが重要だ」

 文氏「韓国国内では日韓合意には慎重な意見がある」「国民の大多数が心情的に受け入れられないのが現実だ」「民間の領域で起きた問題を政府が解決するには限界があり、時間が必要だ」「(河野談話など)精神を継承し尊重する姿勢が必要だ」「両国の発展のためには、歴史問題は賢く解決していく必要がある」

 国内世論などを理由に逃げを図ろうとした文氏だが、「極左・従北」とされるリーダーは国際社会のルールをまったく理解していない。

 ソウルの日本大使館前や、釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦像は、外国公館前での侮辱行為を禁じたウィーン条約に完全に違反する。「民間の領域~」という言い訳はまったく通用しない。

 加えて、日韓合意を反故(ほご)にする行為は、国際社会から「韓国は国家間の約束も守れない野蛮で恥知らず、信用できない国」と位置付けられる。日韓合意の後ろ盾となった米国の顔にも泥を塗る行為であり、今後、外国企業の韓国進出、投資などにも影響が出る。国家として「自滅」の道をたどりかねないのだ。


 文氏が「切り札」のように持ち出した1993年の「河野洋平官房長官談話」は、信憑(しんぴょう)性のない“作文”であることが判明している、いわくつきの談話である。

 政府の調査では「慰安婦の強制連行は確認できなかった」のに、河野氏が記者会見で、独断で強制連行を認める発言をしたのだ。「河野氏は万死に値する」という識者もいる。

 そんな談話に頼らざるを得なかったところに、文氏の苦しさが表れている。

 文氏は電話会談で「歴史問題が両国関係発展の足を縛るのはよくない」とも述べた。韓国が、歴史問題をたびたび蒸し返し、日本に反省と謝罪を求めていることを忘れているかのような“妄言”といえる。

 安倍首相との電話会談で、やり込められた形の文氏だが、それに先立つ中国の習近平国家主席との電話会談でも、厳しい要求を突きつけられた。

 韓国に配備された、米軍の最新鋭迎撃システム「THAAD(高高度防衛ミサイル)」について、習氏から「重大な懸念」を示されたのだ。中国外務省によると、習氏は「韓国新政府が中国側の重大な懸念を重視し、両国関係の健全で安定した発展のため、実際に行動をとることを希望する」と語ったという。

 韓国・聯合ニュースは、文氏は習氏に対し、次のように答えたと報じている。

 「THAAD配備に対する中国の関心と憂慮をよく承知している。これに関する理解を深めながら、速やかに両国間の意思疎通が図られるよう希望する」

 すでに配備されたTHAADの撤去は現実的に困難で、北朝鮮の「核・ミサイル」による脅威を考えても、同国の防衛上必要不可欠なものだ。文氏の回答には、苦しさしか感じられない。

 就任式の演説で、文氏は「必要なら直ちにワシントンに飛んでいく。北京、東京にも行き、条件が整えば平壌にも行く」といい、全方位外交に強い意欲を示した。だが、その外交はスタート早々、つまずきを見せた。

【私の論評】世界と国民にそっぽを向かれ、文在寅政権は短期で崩壊(゚д゚)!

日韓合意は、従来の日韓基本条約とは全く性格を異にしています。そのことについて、文在寅(ムン・ジェイン)は全く理解していないようです。これについては、このブログでも解説したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【釜山・慰安婦像設置】菅義偉官房長官会見詳報 韓国・釜山の慰安婦像設置に対抗措置 菅氏「日韓関係に好ましくない影響」「国と国として約束、履行してほしい」―【私の論評】先進国になれなかった韓国は、中所得国の罠にはまり発展途上国となる(゚д゚)!

詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事では1965 年に締結された日韓基本条約と、一昨年の暮れに締結された日韓合意の根本的な違いについて述べました。

以下に、その違いを簡単に掲載しておきます。
日韓基本条約の大きな問題点は、賠償請求権協定が韓国側非公開であったことであり、それを日本側も容認していたことにありました。これは、二国間の条約であり、秘密協定に近いものなので、外交カードとしては、利用しにくかったのです。そもそも、日韓基本条約が韓国で公開されたのは条約締結から40年過ぎ2005年でした。しかし一昨年の日韓合意は国際社会に開かれたカードであり、以前とは 状況が全く違います。
一昨年末の電撃的な日韓慰安婦合意について、日本政府は「最終的かつ不可逆的な解決」と胸を張ったのにはこのような背景があったのです。 
しかもこの日韓合意に関しては、米国のオバマ大統領が深く関与していました。日韓基本条約は韓国にとって都合の良い穴があったわけですが、一昨年の日韓合意ではこの穴は塞がれたのです。

韓国政府は、この違いについて良く理解していると思います。しかし、国民の反発を恐れて、その違いを韓国民には良く説明していないようです。そのため、韓国内では日韓基本条約は破棄しても良いものと思い込んでいる韓国民も多いようです。

さすがに、文在寅(ムン・ジェイン)新大統領は破棄して良いとは思ってはないようですが、それにしても、安倍首相に対して、慰安婦問題を再び「慰安婦問題」を、外交の切り札にできると思っていたようです。しかし、その思いは見事に裏切られました。

そもそも相手が安倍首相であることと、日韓基本条約は二国間だけの条約という性質のものではなく、しかも米国も関与していることですから、従来のように都合よく、外交カードにつかえるものではありません。

これは、水戸黄門様の葵の紋の入った印籠を、日本国内で人々に見せつければ、権威の象徴となり、人々がひれ伏すものの、もし水戸黄門様が外国でそのようなことをしても、全く通用しないのと同じようなものです。


文在寅大統領としては、安倍総理に「国民の大多数が心情的に受け入れられない…」などと反論をし強気に振るまえば、また「慰安婦問題」が切り札となって、日本に対して再び強気にでてそれこそ、水戸光圀公のように、「助さん、角さん、やつけてあげなさい」という具合に、その後は自分が表にでなくても、外務大臣などの部下をつかって、日本を思い通りにできると高をくくっていたのでしょうが、そうはなりませんでした。

今後安倍総理も日本政府も、韓国が「慰安婦問題」を蒸し返そうとしたり、それにからめて様々な批判をしたり、海外でどんなに騒ごうと、日本側は"日韓合意に基づく"といえばそれで終わりということで、それは一切効き目がないということになります。

そうなるとどいうことが予想されるかといえば、過去の朴槿恵元大統領をはじめとして、多くの大統領が、日本を意図して意識して悪者に仕立て上げ、国民の憤怒のマグマを日本に向けさせると同時に、反日で韓国内の求心力を高めるということができなくなるということでしょう。

まさに、これは日本側の切り札ということになります。慰安婦問題で韓国が難癖をつけてきても、それを切り返せる「万能の切り札」を得たことになります。無論、韓国側はそれでも難癖をつけるかもしれませんが、それに対して日本側が何をしなくても、日本は国際社会からは何ら避難されることはありません。

とはいいながら、韓国のロビイストらの働きによって、国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は12日、慰安婦問題をめぐる2015年の日韓合意について、被害者への補償などが不十分として、合意の見直しを勧告する報告書を発表しました。

しかし、勧告に法的拘束力ありません。韓国メディアは、事実上の合意再交渉を求めたと報じており、日韓合意の「再交渉」を公約に掲げる韓国の文在寅大統領が勧告を基に日本政府に再交渉を要求する可能性もあります。

とはいえ、そもそも国連は非常に問題のある組織です。

【痛快!テキサス親父】辺野古反対派リーダーの勾留「政治的な理由」ってマジか? NGOが国連人権理事会で主張―【私の論評】「国連人権委」の実体は左翼による内政干渉機関(゚д゚)!


詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では国連の実体、特に下部組織の実体は、左翼による内政干渉機関のようになっていることを掲載しました。

このような国連に対して、日本や米国は韓国などよりかなり大きな額の分担金を支払っているのです。

日米が関与した「日韓基本条約」に反する勧告を出す国連など、まるで存在意義がありません。であれば、日米が拠出金を出すことを拒めば良いのです。その結果国連が運営できなくなっても、国連はほとんどまともに仕事をしていませんから、世界は何も変わらないでしょう。

日本としては、米国と協調して、国連に圧力をかければ良いです。まあ、そこまでしなくても、潘基文が歴代の中で最悪ともいわれている国連総長をやめたので、国連も少しはましになるかもしれません。

このようなことから、韓国はもはや「慰安婦問題」を切り札として、日本に迫ることはできなくなります。

習近平国家主席
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)新大統領は11日、就任後初めて中国の習近平国家主席と電話会談を行いました。文氏は、米新型迎撃ミサイルTHAAD(サード)の韓国配備を巡る緊張を解消する前に、北朝鮮が挑発行為をやめる必要があると述べたといわれています。

THAAD配備が決まった直後から、中国の韓国バッシングが始まっています。韓国の対中輸出額は昨年1240億ドル(約14兆3100億円)に上り、対日輸出額の約5倍、また韓国にとって2番目に大きな市場である米国と比べても2倍の規模となっています。

しかし、ミサイル迎撃システム配備に抗議して、中国国営メディアが韓国製品のボイコットを訴えているため、今年の対中輸出は落ち込む可能性があります。同システムは北朝鮮からの攻撃を阻止するために導入されるが、中国はシステムのレーダーが自国の領土も監視可能だと主張しています。韓国は、中国にもそっぽを向かれているのです。

トランプ大統領
さて、トランプ米大統領は12日に放送された米NBCテレビのインタビューで、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が北朝鮮との直接対話に前向きな姿勢を示したことについて「対話をするのは構わないが、適切な条件下でなければならない」と述べました。米側は北朝鮮が核放棄に向けた具体的な行動をとることを対話の条件としています。

対話のタイミングについて「1カ月か2カ月すれば、きちんとした答えを言うことができるだろう」と述べ、明言は避けた。その上で、北朝鮮の核・ミサイル開発は「韓国や日本、中国にとっても非常に危険だ」と指摘。「オバマ前大統領ら過去の大統領が対処すべきだったのに、私はとてもしっかり対処してきた」と実績を強調しました。

しかし、文在寅新大統領は、大統領選のときから、韓国民に親北であることをアピールしており、北に対しては太陽政策をとることを発表しています。このまま、中途半端なことをしていれば、米国からそっぽを向かれるか、国民からそっぽを向かれることになります。

このまま日米中に対して、文在寅新大統領が煮え切らない態度をとり続ければ、すべての国からそっぽを向かれることになります。これらにそっぽを向かれれば、大国でも韓国は世界中の国々からそっぽを向かれることになります。

そうして、国内ではどうかといえば、このブログでも以前掲載したように、雇用を創出するために補正予算を組むと言いながら、その財源は増税によってまかなうとか、金融緩和には言及しないなど、文在寅新大統領は経済に関してはまるで素人のようです。

しかも、朴氏を批判したこともあって、「財閥」と呼ばれる同族経営の巨大な複合企業体を狙い撃ちにする可能性が高いです。「財閥こそ韓国の構造問題だ」という考え方であり、そうなるとマクロ経済政策を使わずに、早急に財閥解体という過激な「構造改革」に向かう可能性が高いです。そうなれば、韓国経済を破壊することになります。

となると、国民からもそっぽを向かれることになります。これでは、世界と国民にそっぽを向かれ、文在寅政権は短期で崩壊することが決まったようなものです。

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2017年5月4日木曜日

アベノミクス、完全に成功…戦後3番目の長期好景気突入、「失われた20年」を脱出―【私の論評】経済認識に関しては、国民に負けた民進党(゚д゚)!

アベノミクス、完全に成功…戦後3番目の長期好景気突入、「失われた20年」を脱出

官邸ホームページより 
 2012年12月に始まったアベノミクス景気が、バブル期を超えて戦後3番目の長さになった。現在の景気は、安倍政権の経済政策が功を奏しているのか。

 これについて日本経済新聞は、景気回復の実感が乏しいとして、その理由に潜在成長率の低下を挙げている。マクロ経済分析の問題であるにもかかわらず、金融緩和に触れていないのは不思議だ。

 景気の動向は、内閣府が作成する景気動向指数によってみることができる。景気動向指数の一致系列指数によって、景気が改善または悪化しているかにより、回復期か後退期なのかが判定されている。

 景気動向指数の一致系列指数としては、以下が挙げられる。
・生産指数(鉱工業)
・鉱工業用生産財出荷指数
・耐久消費財出荷指数
・所定外労働時間指数(調査産業計)
・投資財出荷指数(除輸送機械)
・商業販売額(小売業、前年同月比)
・商業販売額(卸売業、前年同月比)
・営業利益(全産業)
・有効求人倍率(除学卒)

 これらをみてもわかるが、幅広い経済部門から経済指標が選ばれている。

 一致系列で指数は、生産面に重点が置かれている。筆者は経済を分析する際、第一に雇用、第二に所得をみる。つまり、雇用が確保されていれば経済政策は及第点であり、その上で所得が高ければ、さらに満点に近くなる。それ以外の指数、例えば輸出や各産業別の景気分析、所得の不平等などは、人それぞれの価値判断が入るので、評価の対象外にする。経済をシンプルに考えているので、景気判断に必須な経済指標としては、失業率(または有効求人倍率、就業者数)とGDP統計でだいたいの用は足りる。

 こうした筆者の立場から見ると、景気動向指数の一致系列指数は、生産面の指標が重複し、雇用統計が足りないと考える。今の失業率2.8%はバブル景気以来なので、及第点を与えられる。ただし、14年の消費増税以降は消費が伸び悩み、GDPはそれほどでもないので満点とはいえない。

 前出の日経新聞のように雇用を重視しない解説をみていると、経済がわからなくなってしまう。同紙読者は大企業正規雇用者が多いと考えられるので、雇用など確保されていて当然というスタンスなのかもしれない。その立場からみれば、雇用政策たる金融政策には関心がなく、金融市場に影響を与える金融政策にしか興味がないのかもしれない。

 雇用を経済政策のミニマムラインとする筆者からみれば、アベノミクス景気は実感できる。筆者の勤務する大学はいわゆる一流校ではなく、そのときどきの「景気」によって、就職率が大きく変化する。4、5年前には卒業生の就職率が芳しくなく、なんとか学生を就職させるのに四苦八苦だった。ところが、今や就職で苦労することはかなり少なくなった。この間、学生の質が向上したとはいえないにもかかわらずだ。これは、アベノミクスの金融緩和によって失業率が低下したことの恩恵である。

アベノミクスの勝利
 以上は経済的な分析であるが、アベノミクスの成否は政治的には決着済みである。どのように野党が批判しようが、アベノミクスの勝利である。経済的には、「景気がいいのはアベノミクスと無関係」という方便も使えなくもない。しかし、政権交代とともに景気回復が始まり、その後、野党は国政選挙で惨敗が続いているので、政治的には勝負ありだ。

 名目経済成長率について、IMFデータによって1980年代、90年代、2000年代、10年代の平均の世界ランキングをみてみよう。日本のランキングは、以下のとおり。

・1980年代:138国中下から28位
・90年代:150国中最下位
・2000年代:188国中最下位
・10年代:190国中下から15位
 日本の場合、下から20位くらいであれば十分にやっていける。名目経済成長率は、マネー供給量の伸び率と7割程度の強い相関がある。この伸び率は人為的に動かせるので、マネー供給量を増やせば名目経済成長できるといってもいい。ちなみに、1990年代、2000年代の日本のマネー伸び率は世界で最下位だった。これが失われた20年の原因である。

 アベノミクスによって、日本は失われた20年からようやく脱出しようとしている。これこそが、野党がなんだかんだと批判しても、打ち破れない真理である。
(文=高橋洋一/政策工房代表取締役会長、嘉悦大学教授)

【私の論評】経済認識に関しては、国民に負けた民進党(゚д゚)!

以下に直近の経済指標について、詳細に踏み込んで検証します。

1-3月期GDPでは、ついに消費主体の経済成長が実現しそうです。消費は、今期は高めの伸びが期待でき、ここ3期をならした速度は年率1.6%となることでしょう。それは、消費増税の大打撃の前の2012~13年の伸びと同レベルであり、日本経済の復調を意味することになります。失われた10期を超え、16兆円もの大損害を残しつつも、成長は戻ってきたのです。今後は、雇用数の増加に見合う年率2.0%成長へ更に加速できるかが焦点となります。

3月の商業動態の小売業は前月比+0.2であり、CPIの財が-0.3であったことを踏まえると、実質では、これを上回る伸びとなるでしょう。したがって、3月の日銀・消費活動指数は、若干のプラスが見込まれ、1-3月期の前期比が+0.8まで高まる可能性があります。前期が低迷した反動も含まれますが、ここ3期をならしても+0.6という高さになります。消費の復調と加速をうかがわせるのに十分な数字です。

また、3月の家計調査は、相変わらず不安定な動きを見せ、消費水準指数(除く住居等)が前月比-2.0もの低下となったものの、1,2月の「貯金」で、前期比は+0.2に収まりました。GDPの消費を占う内閣府・消費総合指数は、3月がそれなりの低下となるでしょうが、前期比で+0.7程を確保できそうです。ここ3期の平均は、先述の活動指数より下がるにせよ、+0.4くらいになると考えられます。

+0.4というのは、2012~13年にかけての民間消費の伸びと同レベルです。その後、消費増税による大打撃に対処するため慌てて日銀が異次元緩和第二弾を打ったのですが、輸入物価高で苦しめただけで、2015~16年は+0.1へと沈みました。そのため、増税前のトレンドとの差は広がり、今や16兆円に及びます。8兆円の税収を得るのに、2倍の消費を潰したのだから、度を過ぎた財政再建の愚かしさが分かるというものです。+0.4への復調は、この傷口が広がらなくなったことを示しています。


今後の焦点は、成長の基礎体力である消費がさらなる加速を見せるかいなかにかかっています。その可能性は十分にあります。なぜなら、毎月勤労統計の常用雇用は、消費増税後も、コンスタントに前期比+0.5~+0.6を保ってきたからです。雇用が堅調でも、消費が低迷したのは、消費増税や輸入物価高で実質賃金が低下したことによるものです。ここに来て、パート増による平均賃金や労働時間の押し下げにも歯止めがかかり、雇用増がストレートに所得と消費の増加に反映される環境が整ってきています。

3月の新規求人倍率は、除くパートが+0.06の1.87倍と、12月の1.90倍に次ぐ高水準になりました。他方、パートの求人は一服し、人手不足の現状ではパートでは人員を確保しがたくなってきたので、正社員を集めようとする形へ変化しているようですは。こうした形はバブル期にも見られました。求人は、医療・福祉が多いのは当然ながら、1-3月期は、建設、製造、運輸という、賃金が高めで男性の雇用に結びつく求人が加速しました。

他方、3月の労働力調査では、就業者数が前月比+13万人、雇用者数が+1万人でした。プラスではあるものの、1-3月期の増加には、やや陰りが見られます。完全失業率は、男性が3か月続けて低下して2.8%となり、女性は2.7%が続いています。一時的かもしれないのですが、次第に人材の供給力に制約が現れてきています。雇用量の動向については、連休明け公表の3月毎勤でも確かめたいところです。

先月参議院の来年度予算案審議でアベノミクスの成果を強調する安倍首相
景気の先行きについては、輸出は拡大トレンドを維持しており、住宅は小康を保ち、公共は底を打っています。これらで構成される追加的需要は、12月頃に下ブレしたものの、それを取り戻すように推移しています。鉱工業生産は、3月が前月比-2.1となり、1-3月期の前期比が+0.1にとどまったのですが、4、5月の予測指数は、+8.9、-3.7と非常に高水準であり、景気の加速を予感させる内容となっています。

鉱工業指数に関しては、設備投資の指標である資本財(除く輸送機械)の出荷は、1-3月期の前期比が、前期の急拡大の反動もあって-2.9となりました。建設投資の目安となる建設材出荷も、同様に-1.0にとどまりました。それでも、GDPの設備投資については、輸送用機械が堅調で、企業の建設投資が盛んだったため、寄与度0.0~-0.1と見られます。また、住宅と公共の建設投資の寄与度は、ほぼゼロでしょう。

GDPの在庫の寄与度は、7-9月期が-0.3、10-12月期が-0.2と成長率を下げてきたのですが、1-3月期は、プラスとなりそうです。鉱工業指数で分かるように、製品在庫はプラス、流通在庫は変わらず、原材料在庫の仮置きがマイナスというところで、寄与度は0.1弱と見られます。また、GDPの外需については、ニッセイ研の斎藤太郎さんによれば、寄与度0.1強のようです。以上を踏まえるなら、1-3月期GDPの成長率は2.0%前後が妥当でしょう。

一部に「今の景気の回復ぶりからすれば、この4月からの消費増税は可能だった」との声もありますが、それをしていれば、増税幅と同じ5兆円の消費減に見舞われた上、失速状態が更に長く続いたでしょう。経験には学ばねばならいです。そうして、この半年の回復局面は、財政出動も、金融緩和も、成長戦略も、大してないまま達成されています。つまり、角な緊縮財政をしなければ、放っておいても日本経済は成長する。まさに8%増税は、百害あって一利なしの悪手中の悪手だったことがわかります。

以上ブログ冒頭の高橋洋一氏の記事とあわせて、ご覧いただければ、アベノミクスの金融緩和策は大成功、一方8%増税は大失敗でしたが、相対的には成功していることがご理解いただけると思います。

昨年夏の参院選で民主党(現民進党)代表岡田氏が掲げた公約
高橋洋一氏は、「アベノミクスの成否は政治的には決着済み」としています。それは、昨年7月10日の参院選ではアベノミクスが最大の争点となり結局与党側が勝利したことを指しています。無論のその前の衆院選でもアベノミクスの継続をあげた与党が勝利しています。

野党側が「アベノミクスが限界にぶち当たっており、新しい経済政策を展開しなければならない」(岡田克也民進党代表=当時)などと批判したのに対し、安倍晋三首相は熊本県熊本市での第一声で「問われているのは、(現在の)経済政策を前に進めるか、低迷した時代に逆戻りするかだ」と反論しました。野党側はアベノミクスの現状を一時的に大企業の業績を回復させたものの、国民の所得増につながらず、失敗に終わったと考えました。

これに対し、与党側は長年、デフレ下にあった日本経済を回復へ向かわせているとみたわけです。選挙戦は与党側の勝利に終わり、アベノミクスが国民の信任を得た形になりました。そうして、その当時はこの与党側の主張が正しいのか否かは、予測としては正しいとはいえたものの、まだ経済統計などでははっきりとはしていない状況でした。

しかし、直近の数字を見ていると、明らかにこの国民の審判が正しかったことが理解できます。野党よりも、国民の目のほうが確かだったわけです。

民進党などの野党は、与党どころか国民に追いつかなければ正しい経済状況の認識ができなくなったのです。情けない限りです。

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2016年10月1日土曜日

【朝日新聞研究】戦後日本は本当に「平和国家」だったのか 単に戦争をしなかったというだけ―【私の論評】国民が拉致されたままの日本のどこが平和なのか?

【朝日新聞研究】戦後日本は本当に「平和国家」だったのか 単に戦争をしなかったというだけ

国立歴史民俗博物館の山田康弘教授
朝日新聞の8月30日朝刊のオピニオン欄「異議あり」に、「『縄文時代』はつくられた幻想に過ぎない」と題する、先史学者で国立歴史民俗博物館の山田康弘教授へのインタビュー記事が掲載されていた。

 縄文時代は戦後、稲作が開始された弥生時代と比較して、原始的な遅れた貧しい時代だと考えられてきた。「しかし70年代になると、縄文のイメージは大きく変わります。縄文は貧しいどころか、豊かな時代だったという見方が出てくるんです」と、山田氏はいう。

 その要因は、発掘調査が数多く行われたうえ、旧国鉄の旅行キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」にみられる日本再発見の時代風潮、芸術家の岡本太郎氏らの提示した「縄文ポピュリズム」などであった。

岡本太郎氏
 山田氏は「縄文のイメージは、考古学的な発見とそれぞれの時代の空気があいまってつくられてきたものです。見たい歴史を見た、いわば日本人の共同幻想だったのです」といい、以下のように結論付ける。

 「縄文に限らず、ある時代の一側面だけを切り取って、優劣をつけるのは、様々な意味で危険です。『縄文は遅れていた』『縄文はすばらしかった』と簡単に言ってしまうのではなく、多様な面をもっと知ってほしいですね」

 インタビューした記者も、次のように記している。

 「人は『見たい歴史』を見てしまうと山田さんは言う。縄文だけでなく、私たちは江戸時代や明治時代にも『見たい歴史』を見ているのかもしれない。『○○時代はこうだった』という思い込みの危うさを痛感させられた」

 日本の歴史の各時代の中で、私が最も幻想だと感じるのは、一番最近の「戦後日本」である。それは朝日新聞に代表される、昨年、安全保障法制に反対した人々によって、「平和国家」であると表現される。しかし、戦後日本は本当に平和国家であったのか。日米安保条約によって守られて、単に戦争をしなかったというだけでは、本当の平和国家ではないだろう。それこそ「見たい歴史」を見ているだけではないのか。

 ところで、戦後日本においては「東洋のスイス」になることが理想とされた。だが、その声はいつの間にか消えてしまった。スイスの真の姿が、次第に知られてきたからである。ヨーロッパの真ん中にありながら、スイスは永世中立国として、第1次世界大戦にも、第2次世界大戦にも巻き込まれなかった。

 同じ永世中立国でも、ベルギーとルクセンブルクは、第1次でも第2次でも、ドイツに侵略された。第2次大戦で中立を宣言したオランダやデンマーク、ノルウェーも、ドイツに侵略されて中立を守れなかった。

 スイスにそれができたのは、「武装独立」と「国民皆兵制」を国防戦略の基本に据えるなど、国民が強固な国防意識を待って軍備を整え、侵略者にその気を起こさせなかったからである。自力で平和を守れる国こそが真の平和国家である。

 酒井信彦(さかい・のぶひこ)


【私の論評】国民が拉致されたままの日本のどこが平和なのか?

確かに、戦後日本が「平和国家」であったなどということは幻想に過ぎません。しかし、それは酒井信彦氏のブログ冒頭の記事で語っておられるように、戦争をしなかつただけということだけではなく、北朝鮮による拉致被害が生じていてそれに日本が対処してこなかったことでも、とても平和であったとなどは口が裂けてもいえません。

「拉致国民大集会」でスピーチをする横田早紀江さん(中央)
「日本の平和を守ろうと、みんなが口にします。けれども、いまの日本が平和なのでしょうか。北朝鮮に拉致された被害者の日本国民が放置され、しかも生存をかけて戦っている以上、いまの日本は平和ではありません」

姉のるみ子さんを北朝鮮工作員に拉致された増元照明氏は、9月17日、東京都千代田区の砂防会館別館で開催された「拉致国民大集会」でこう語りました。

拉致国民大集会の正式の名称は「最終決戦は続いている!制裁と国際連携で全員救出実現を!国民大集会」です。「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)が主催したこの集会に、安倍晋三首相をはじめ各政党の代表や全国知事会の代表、地方議会の代表、一般支援者など合計1000人が集まりました。

集会では、横田早紀江さんも北朝鮮に拉致された娘への思いを切々と語りました。

「娘のめぐみが北朝鮮工作員に拉致されてから、もう39年です。この間、めぐみは日本からの救出を待ち続けてきたはずです。大韓航空機を爆破した金賢姫元工作員から北朝鮮でのめぐみの様子を聞いたとき、『めぐみさんはいつも君が代を大きな声で歌っていました』と教えてくれました」

早紀江さんはさらに熱を込めてこうも語りました。

「めぐみは日本という国家への思いを込めて、君が代を歌い続けたのでしょう。日本が、やがて必ず自分を北朝鮮から救出してくれる。究極には日本という国家を信じていたのだと思います。ひたすらめぐみは北朝鮮で待ち続けた。しかし日本はその期待に応えていません。日本人にとって国家とはなんなのでしょうか」

早紀江さんは日本という国家への期待を表明する一方で、日本が国家として自国民の救出に乗り出さないことへのいらだちを隠しません。

増元照明さんと横田早紀江さんが日本国のあり方を非難するのもきわめて当然のことです。国家にとって自国民を守ることは最も基本的な責務のはずです。

しかし、日本はこの最も基本的な責務を果たしていません。北朝鮮という隣の国家に日本国民が拉致され、長い年月、囚われとなっている事実が分かっていても、救い出すことができません。究極的な政治的・経済的制裁を加えて北朝鮮と対決し解放を迫ることはないし、まして他国にように軍事手段を使って自国民の生命を保護することは最初から禁じられています。

北朝鮮拉致問題の「救う会」「家族会」らが開いた国民大集会で、安倍晋三
首相と握手する横田滋さん。右は曽我ひとみさん=9日午後、東京都文京区

今回の大集会は新たな決議を採択して閉会した。その決議内容を以下に記しておきます。

(1)北朝鮮は、今すぐ、被害者全員を返せ。全被害者を返すための実質的協議に応ぜよ。

(2)政府は、核・ミサイル問題と切り離して被害者帰国を先行させるための実質的協議を最優先で実現せよ。

(3)立法府は、北朝鮮のようなテロ集団を支える活動をわが国内で行うことを阻止する新法を作れ。

「拉致問題を核・ミサイル問題と切り離して最優先」というのはこれまでと異なる表現でした。つまり「拉致問題の解決を先行してほしい」ということです。この点にも拉致被害者家族たちの切なる思いがあふれ出ていると言えます。


北朝鮮に拉致された可能性のあるのは、上のチャートにあるように、拉致被害者だけではありません。特定失踪者も、拉致の疑いがあります。

このような厳しい現実があるにもかかわらず、昨年、朝日新聞をはじめとする安全保障法制に反対した人々によって、「平和国家」と呼ばれる日本は、本当に平和であるといえるでしょうか。

私は、全く「平和国家」などとは言えないと思います。

拉致された日本人を救う手立てははるはずです。1997年アルバニアでは国民の間で流行していたネズミ講が破綻し、財産を失った国民が暴徒化するという事態に発展しました。

この動乱で、自国の在留住民の身辺を案じた国際社会による救出作戦(オペレーション・アルバ、オペレーション・リベレ、オペレーション・シルバーウェイク)が実行されました。しかし、紛争が長期化しアルバニア難民が発生すると、イタリア・ドイツ・アメリカを主導とした治安回復作戦(オペレーション・サンライズ)が開始されました。作戦によって暴動は鎮圧されて治安は回復したましたが、同年の総選挙でサリ・ベリシャ政権は退陣に追い込まれました。

1997年アルバニア動乱でアメリカ合衆国による自国民救出
このときドイツもアルバニア在住の自国民保護のため、国防軍を派遣。ドイツ人だけでなく、日本を含む他国民も救出しました。

このことによって国際社会はドイツが軍事的にも主体的に行動することを是認するようになりました。自国民保護をきっかけに、ドイツは国際政治の中で重要なプレーヤーになることになったのです。

しかし、日本の自衛隊は未だにそのようなことができない状況にあります。昨年朝日新聞をはじめとして、安全保障法制に反対した人々によって、「平和国家」とされた日本の現実はこのようなものなのです。このような現状は、何が何でも変更して、日本が真の「平和国家」になるべきであると思うのは、私だけでしょうか?

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