2026年1月20日火曜日

高市解散は「政局」ではない──予算と政策、そして世界秩序の転換点を読み違えるな


まとめ
  • 今回の解散が問うているのは、政局でも人気でもない。争点は多い。しかしその核心は、来年度の予算を「誰の思想」で執行するかにある。選挙をしなければ、高市政権は事実上、石破政権の予算を一年間引き継ぐことになる。今回の解散は、国家の財政と政策の主導権を誰に委ねるかを決める選挙なのである。
  • 多くの人は、解散は停滞を招くと考えるだろう。しかし今回は逆だ。制度の制約の下では、解散しなければ改革はできない。改革のために解散するという逆説が、いま現実になっている。
  • そして、これは国内政治だけの話ではない。世界はすでに次の秩序へ進んでいる。日本だけが、なお過去の幻想に取り残されている。今回の選挙は政権選択ではない。現実の世界に戻るかどうかを決める選挙である。
高市総理による衆議院解散表明をめぐり、主要メディアの多くが「大義なき解散」「支持率頼み」「独断専行」「財源なき減税」といった否定的な言葉を並べている。だが、冷静に報道の中身と制度の現実を点検すれば、これらの批判の多くは、事実ではなく評価を事実のように語ったものにすぎない。

今回の解散は、単なる政局ではない。政策転換、予算転換、そして国際秩序の転換を、国民の信任として最終確認するための選挙である。この点を見誤った瞬間、議論は根本から歪む。

1️⃣解散批判の多くは「事実」ではなく「評価」にすぎない


まず「大義なき解散」という言葉が独り歩きしている。しかし海外の通信社や主要紙を読めば、今回の選挙の争点はきわめて明確である。食料品の消費税を時限的に停止するのか、歳出を拡大して物価と成長をどう両立させるのか、防衛力をどの水準まで引き上げるのか。いずれも税制、財政、安全保障という国家の根幹にかかわる政策であり、国民に信を問うに十分な争点である。

「大義がない」という断定は、事実ではない。それは単なる価値判断である。争点が存在しないのではない。争点から目を背けているだけだ。

次に語られるのが「独断専行」「根回しなし」という物語である。しかし実際には、解散日程は与党幹部や連立相手と共有され、公示日と投票日まで調整されたうえで発表されている。衝動的な解散ではない。「周囲が何も知らなかった」という描写は、事実ではなく演出である。

財源論も同様だ。政策発表後に長期金利が上昇したことは事実である。だがそれは、市場が財政拡張シグナルに反応したという範囲にとどまる。危機でもなければ、信認崩壊でもない。しかも今回の減税は恒久措置ではなく時限措置である。物価高局面への限定的な対策であり、財政放棄とは性質がまったく異なる。

「国会軽視」という言葉も、政治的スローガンにすぎない。選挙は国会を回避する行為ではない。むしろ税制、財政、防衛という最重要政策を、国会の外に出し、主権者に直接判断してもらうための最も正統な政治手続きである。

結局のところ、今回の解散批判の多くは、事実の指摘ではなく、評価語を事実のように語っているにすぎない。その瞬間、議論は政策から逸れ、印象論へと変質する。

2️⃣問われているのは「予算の中身」──選挙をしなければ、我が国は1年間「石破予算」を執行することに

現状の新年度予算は、石破政権のカラーが色濃く出たものである

今回の解散の意味を理解するうえで、最も重要で、しかも多くの報道が意図的に触れない論点がある。それは、選挙の有無が来年度予算の性格を決定的に左右するという事実である。

現在編成が進んでいる2026年度予算案は、石破政権時代の政策思想を色濃く反映した内容である。財政健全化を優先し、給付と補助金を中心に物価対策を行い、防衛増額と同時に歳出抑制をかける。これが、いわゆる「石破カラー」の強い予算である。

問題は、この予算をいま国会で本予算として成立させてしまえば、高市政権は来年度1年間、この路線をそのまま執行しなければならなくなるという点にある。予算は一度成立すれば、政権が変わっても原則として1年間は動かせない。高市政権が自らの政策色を反映できるのは、早くても次の年度予算からになる。

つまり、選挙を行わずに国会日程を通常通り進めれば、高市政権は事実上1年間、「石破カラーの予算」をそのまま執行する政権になる。

ここで決定的に重要なのは、この状態が何を意味するかである。

予算を石破カラーのまま執行するということは、スローガンだけが変わっても、実際にやっていることは石破政権と同じになるということである。減税を掲げても給付中心の構造は変えられない。防衛を語っても歳出配分は旧来路線のままである。エネルギーや産業を語っても、予算が動かなければ政策は動かない。

つまり選挙をしなければ、高市政権は名前だけが変わった石破政権として1年間を過ごすことになる。

しかも制度上の制約はさらに厳しい。現在の政権は、昨年10月21日に発足したばかりである。年度途中に誕生した政権が、前政権の「骨太の方針」を根本から書き換え、それを反映した予算を通常国会の審議だけで成立させることは、制度上ほぼ不可能である。各省の概算要求はすでに前政権の枠組みで作られている。限られた審議時間でこれを全面的に組み替えることは、現実にはできない。

つまり、選挙をしなければ、高市政権は必然的に、石破カラーの強い予算を執行せざるを得なくなる。

ここに、今回の解散の本質がある。

選挙を行えば審議時間は足りなくなり、暫定予算が組まれ、選挙後に本予算を編成し直す余地が生まれる。これは制度上まったく正当な手続きである。今回の解散は、「石破カラーの予算を固定するのか」、それとも「高市政権の思想を来年度予算から反映させるのか」を国民に直接問う選挙なのである。

3️⃣グローバリズムの終焉と我が国──世界は現実に目を向け、日本だけがまだ幻想に縛られている

トランプ米大統領のダボス会議直接参加は6年ぶり

国際環境はすでに決定的に変わっている。

ダボス会議については、すでに本ブログで詳しく論じている。
今年のダボス会議でトランプが主役になる──世界秩序は、すでに次の段階へ移っていた
詳細はそちらに譲るが、ここで確認すべきなのは、世界の実務者たちがすでにグローバリズムの終焉を前提に思考を切り替えているという事実である。

会議に先立って公表された世界経済フォーラムのリスク評価では、最大のリスクは戦争でも感染症でもなく、大国間の経済対立と国際秩序の分断であると明記された。これは予測ではない。すでに起きた現実を総括した結論である。

世界の実務者たちは、市場万能論も自由貿易万能論も、すでに捨てている。エネルギー、食料、半導体、防衛、金融、通貨。すべてが国家の生存条件であり、国家が責任を持って確保すべき対象であると受け入れている。

そして彼らは、グローバリズムが善意の理想として終わったのではなく、中国やロシアによって制度ごと悪用され、自壊したという現実を共有している。

この世界の変化の前で、日本だけがいまだに過去の幻想から抜け出せていない。親中という名の思考停止が、与野党を問わず、財界にも官僚機構にもそうしてマスコミに蔓延している。

技術は奪われ、市場は閉ざされ、資源は人質に取られ、安全保障は空洞化し、主権は静かに侵食されてきた。それでも彼らは言い続ける。関係を壊すな、摩擦を避けろ、現実より空気を読め。

これは外交ではない。国家に対する怠慢であり、背信であり、思考放棄である。

今回の選挙は、単なる政権選択ではない。こうした勢力と訣別するための選挙でもある。

以上を総合すれば、今回の解散を党利党略や支持率頼みと片づける論調が、いかに浅薄かは明らかである。予算はまだ決まっていない。税制と財政の思想はいま選択の分岐点にある。国際秩序はすでに次の段階に入っている。

いま我が国が問われているのは、内閣の人気ではない。
国家として、現実の世界を生き抜く覚悟があるのかどうかである。

それを決めるのは評論家ではない。新聞社でもない。
決めるのは、選挙において意思を示す、我が国の国民である。

【関連記事】

今年のダボス会議でトランプが主役になる──世界秩序は、すでに次の段階へ移っていた 2026年1月19日
「グローバリズムの総本山」と見なされてきたダボスで、反グローバリズムの象徴が主役になる。この“ねじれ”が意味するのは人物ニュースではなく、秩序そのものの更新だ。

世界経済フォーラムの警告 ──グローバリズムが壊れた世界でこそ日本が必要とされる 2026年1月15日
ダボス会議前に出されるリスク評価を手がかりに、「世界の実務者が何を最大リスクと見ているか」を真正面から整理した。理想論ではなく、現実の座標軸で世界を見直した。

なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別 2026年1月11日
「政局ではない」という言い回しが、ただの決め台詞ではなくなる。国が動けなくなった理由を“政治文化”という根にまで掘り下げ、親中や増税の空気がなぜ強くなるのかまで繋げた。

「対中ファラ法」強化で中国の影響力を封じ込めろ──米国の世論はすでに“戦場”だ、日本は? 2025年7月23日
「グローバリズムが悪用される」とは何かを、抽象論ではなく制度と実例で明らかにした。米国が透明化と防波堤づくりへ動く一方、我が国が無防備である現実が浮かび上がる。

衆参同日選で激動!石破政権の終焉と保守再編の未来 2025年6月8日
解散・選挙が「権力闘争」ではなく「政治の方向を切り替える装置」になり得ることを、ダイナミックに描いた。今回記事の“予算と制度”の論点を、より大きな政治の地殻変動として描いた。


2026年1月19日月曜日

今年のダボス会議でトランプが主役になる──世界秩序は、すでに次の段階へ移っていた


まとめ
  • 自由貿易と国際協調の象徴であるダボス会議で、反グローバリズムの象徴であるトランプが主役になるという事実は、単なる人物ニュースではない。世界の支配層自身が、グローバリズムの時代が終わったことを認め始めた兆候である。本稿は、その転換がなぜ起きたのかを解き明かす。
  • いま世界で進んでいるのは、砲弾ではなく通商と通貨による戦争である。関税、制裁、輸出規制、金融遮断。撃たずに国家を衰弱させる戦いが日常化した。本稿は、世界がすでにどの段階の秩序に入ったのかを示す。
  • そして最も危険なのは、日本がいまなお「貿易立国」という幻想に縛られていることである。実は日米はいずれも内需国であり、この認識の誤りこそが、対外戦略と経済政策を誤らせてきた。本稿は、日本はいまどこに立ち、何を見誤っているのかを浮き彫りにする。
2026年1月、スイス東部の山岳都市ダボスで開かれる世界経済フォーラム年次総会に、ドナルド・トランプ米大統領が出席することが明らかになった。ところが日本では、この事実自体がほとんど報じられていない。多くの読者は、この出来事を知らないままでいる可能性が高い。

だが、これは単なる人物ニュースではない。
国際秩序が静かに、しかし確実に次の段階へ移行したことを告げる象徴的な出来事である。

世界経済フォーラムの年次総会、いわゆるダボス会議は、毎年一月下旬に開催される世界最大級の国際会議である。各国首脳、中央銀行総裁、国連やIMFなどの国際機関幹部、多国籍企業の経営者、金融資本の中枢が一堂に会し、その年の世界経済、地政学、安全保障をめぐる最重要課題を議論する。表向きの議題は多岐にわたるが、その本質は常に一つしかない。「世界秩序を、誰が、どの原理で管理するのか」である。

このダボス会議は、長らくグローバリズムの総本山であった。自由貿易、多国籍資本、国際機関による秩序管理。そこで主役を張ってきたのは、EU官僚、国連関係者、国際金融資本の代表、そして「規範」と「協調」を語る政治家たちである。

そこに登場したトランプは、本来であれば最も場違いな存在であったはずだ。国連を軽視し、WTOを事実上無力化し、同盟を条件付きにし、関税と制裁を武器に国家を屈服させる政治家。グローバリズムの象徴たるダボスと、トランプは本質的に水と油である。

それでも、いまダボスで最も注目されているのがトランプであるという現実がある。ここに、世界のエリート自身が旧秩序の終焉を受け入れ始めた兆候を見るべきである。

1️⃣グローバリズムは「理想」ではなく「敗北」として終わった



彼らが変わり始めた理由は、思想の転換ではない。
グローバリズムは、実践できるほど世界は甘くなかった。それを、ようやく思い知ったのである。

自由貿易、国際協調、規範支配という理想は、美しい。しかしそれは、参加者が同じ価値観を共有している場合にしか機能しない。現実の世界には、その前提を最初から持たない国々が存在した。

しかも彼らは、理想を拒否するのではない。
理想を逆手に取って、自国に有利なように利用することに長けていた。

市場開放を要求しながら、自国市場は閉じる。
自由貿易を唱えながら、国家補助金で産業を育成する。
国際ルールを尊重すると言いながら、都合が悪くなれば無視する。
人権や環境を掲げながら、競争相手の産業だけを規制で締め上げる。

グローバリズムは、善意と相互主義を前提に設計された。
だが現実には、善意を守る側だけが損をし、利用する側だけが得をする構造になっていた。

中国はその典型である。WTOに参加し、市場開放を約束しながら、国家資本主義で産業を育成し、技術移転を事実上強要し、補助金で企業を支え、規範の隙間を突いて世界市場を席巻した。ロシアはエネルギーを武器にし、新興国の一部は環境や人権を外交カードとして使い分けた。

理想を守った国ほど産業を失い、
理想を利用した国ほど力を蓄えた。

この現実を、世界のエリートはようやく直視し始めたのである。

2️⃣経済戦争の時代と「貿易立国・日本」という神話の崩壊

今回、ダボス会議を前に公表された最新のリスク評価は象徴的である。短期的に世界へ最も深刻な影響を与える最大のリスクとして挙げられたのは、戦争でも感染症でもなく、「大国間の経済対立」であった。

現代の戦争は、砲弾ではなく通商と通貨で行われる。関税、制裁、輸出規制、金融遮断。国家は武器を撃たなくても、相手国を衰弱させることができる。そしてこの戦いを最も早く、最も露骨な形で体現してきた政治家こそ、トランプであった。

世界はすでに、自由貿易体制の延長にはいない。国家が供給網・通商・金融を戦略的に管理する時代に入っている。しかもそれは、全面遮断ではない。重要分野だけを選別して囲い込む、選択的・戦略的分断である。これはブロック経済ではない。経済の軍事化である。

この変化が、我が国にとって持つ意味は極めて大きい。だがその前に、日本社会に刷り込まれてきた幻想を一つ、打ち破っておく必要がある。
それは、「日本は貿易立国であり、外需に依存しなければ生きていけない」という通念である。


現実はまったく違う。日本のGDPに占める輸出の割合は、近年17〜20%前後にすぎない。米国はさらに低く、10〜12%程度である。両国はいずれも、経済の大半を国内需要で回す内需国である。

しかも歴史的に見れば、この水準ですら高い。高度成長期から1980年代前半にかけて、日本の輸出比率は7〜9%前後、米国は5〜7%程度にとどまっていた。日米はいずれも、戦後の長い期間、ほぼ完全な内需国として成長してきたのである。

現在の水準は、1990年代以降のグローバリズム拡張局面で一時的に外需比重が高まった結果にすぎない。にもかかわらず、日本はあたかも生来の輸出国家であるかのように語られてきた。

真の輸出国家は別に存在する。ドイツ、韓国、オランダ、シンガポール。輸出比率30〜50%の国々である。これらの国は、制裁や市場喪失の衝撃を経済全体がまともに受ける。

内需国である日米は違う。巨大な国内市場は、経済戦争の時代において強力な緩衝材となる。皮肉にも、これは現代における大きな強みである。

3️⃣第三章 緊縮の失敗と基盤喪失──国家はどうして弱くなったのか

問題は、我が国の政治と政策当局が、この現実にいまだ十分向き合っていないことである。いまなお、「国際協調」「多国間主義」「自由貿易体制」という言葉が、呪文のように唱えられている。その背後には、長年にわたる金融引き締めと緊縮財政という大失敗がある。

日本は景気回復局面でも引き締めに転じ、増税と歳出抑制を繰り返し、成長力を自ら削いできた。その結果、「内需では成長できない」「外に頼るしかない」という発想が定着した。こうして、グローバリズムは政策失敗を覆い隠す免罪符として過信されてきたのである。

だが、その代償を払っているのは日本だけではない。米国自身が、その典型となりつつある。

製造業は海外へ流出し、軍需産業すら効率化と外注に委ねた。その結果、産業基盤と軍事基盤は目に見えて痩せた。艦艇の建造と修理は遅延が常態化し、即応力は低下している。通常型潜水艦を自国で量産する能力すら失い、同盟国に依存せざるを得ない。造船業の能力不足は、すでに戦略上の弱点として顕在化している。

ドックに入った軍艦 米国

これは偶然ではない。
グローバリズムを過信し、国家が基盤産業を管理しなかった帰結である。

しかし世界は、すでにその前提を捨て始めている。国連は前提ではなくなり、WTOは機能不全に陥り、同盟すら条件付きの時代である。ダボスでトランプが主役になるという光景は、秩序の中心がグローバリズムから国家主導の対立秩序へ移ったことを、誰の目にも見える形で示している。

ここで問われるのは、我が国がどこに立つのかである。供給網をどう守るのか。エネルギーをどう確保するのか。通貨と金融をどう守るのか。これらはいずれも理念ではなく、生存の問題である。

ダボスでトランプが主役になる。この一場面は単なる国際ニュースではない。それは、グローバル秩序の終焉、経済戦争の本格化、国家の生存競争の再開を象徴する、時代の転換点である。いま我々が生きているのは戦後秩序の延長ではない。すでに次の世界である。問題は、我が国の政治と社会が、その事実をどこまで自覚しているかである。


【関連記事】

中国経済の虚構と、日本が持つべきリアリズム──崩壊しないのではなく、崩壊できないのだ 2026年1月18日
「中国は強いから崩れない」のではない。崩れれば政権の正当性が消えるから“崩壊できない”だけだ――その逆転の視点で中国経済の実像を解き明かす。対中戦略を考える読者にとって、本編の「秩序転換」を最も具体的に理解できる入口となる一編である。

決断しない国は淘汰される──経済が「戦場」になった世界で、来るべき選挙が問うもの 2026年1月17日
市場はもはや中立ではない。資源、技術、供給網をめぐる国家間競争が始まっている――その前提転換を一気に言語化した論考だ。「トランプが主役になる理由」を人物論から構造論へ引き上げ、我が国に迫る選択を静かに突きつける。

世界経済フォーラムの警告 ──グローバリズムが壊れた世界でこそ日本が必要とされる 2026年1月15日
ダボスが「最大リスク」に経済対立を挙げた意味は何か。それは単なる予測ではなく、秩序の自己否定であった――。今回の本編と直結し、「なぜ世界はもう元に戻らないのか」を最も明確に腹落ちさせる基幹論考である。

「AppleはiPhoneを米国内で製造できる」──トランプ政権―【私の論評】トランプの怒りとAppleの野望:米国製造復活の裏で自公政権が仕掛ける親中裏切り劇 2025年4月9日
「製造業を取り戻す」とは何か。スローガンではなく、国家の生存条件であることをAppleの事例で掴ませる一編だ。グローバリズムが弱体化させた産業基盤を、各国はいまどう取り戻そうとしているのか。本編の議論を具体像に落とし込んでくれる。

トランプ氏、カナダ・メキシコ・中国に関税 4日発動―【私の論評】米国の内需拡大戦略が世界の貿易慣行を時代遅れに!日本が進むべき道とは? 2025年2月2日
関税は外交カードではなく、国家戦略そのものになった――その変化を最も早く捉えた論考だ。「貿易立国」という通念を揺さぶり、内需国としての我が国の強みと弱点をどう再定義すべきか、読者に静かに考えさせる。

2026年1月18日日曜日

中国経済の虚構と、日本が持つべきリアリズム──崩壊しないのではなく、崩壊できないのだ


まとめ
  • 中国経済が「まだ持っている」ように見えるのは、強さの証明ではない。問題を解決せず、弥縫策を繰り返してきた結果、崩壊が許されない構造に追い込まれているだけだ。崩れないのではなく、崩れられない。この逆転を理解しなければ、中国経済を見誤まる。
  • しかも、その延命は経済政策だけで成り立っていない。監視と弾圧で不満を抑え込み、日本や西欧を「外部の敵」に仕立てることで、国民の怒りが体制に向かうのを避けている。経済停滞と対外強硬が同時に進むのは、体制維持のために選ばれた必然だ。
  • この構造を最も分かりやすく示すのが台湾問題である。台湾は地政学的争点であると同時に、国内不満を外に逃がすための装置だ。中国経済と台湾問題を切り離して考える限り、我が国は現実を見誤り続ける。

中国経済は崩壊はしていない。GDPは統計上、なお成長を示し、工業生産も完全には止まっていない。そのため、「中国崩壊論は誇張だ」とする声はいまも根強い。しかし、それは中国経済が健全であることを意味しない。問題の核心は別にある。中国経済はすでに、国家の正当性を支える装置として機能不全に陥っているという点だ。

この点については、拙稿
中国経済は『崩壊』していない ──だが中国共産党の正当性は、すでに回復不能点を超えた
で詳しく論じた。そこで示したのは、中国共産党が経済成長という交換条件を失い、体制の正当性がすでに回復不能点を越えているという現実である。

本稿は、その議論を前提に、さらに踏み込む。問いは単純だ。
正当性を失ったにもかかわらず、なぜ中国経済は「今も動いている」ように見えるのか。

1️⃣不可解さの正体──体制優先という国家像


従来から中国経済には、経済合理性だけでは説明できない現象が続いてきた。不動産市場は事実上崩壊しているにもかかわらず、金融危機は表面化しない。地方政府は深刻な債務を抱えながら、破綻処理は行われない。若年失業は社会問題化しているはずなのに、統計から忽然と姿を消した。外資は明確に撤退しているのに、国家は危機感を示さない。

これらは確かに不可解に見える。しかし、不可解なのは現象そのものではない。中国をどのような国家として認識するかという、認識の仕方の誤りに原因がある。

中国を「経済成長を最優先する国家」と認識すれば、これらの動きは理解不能になる。しかし視点を変えれば、すべては一本の線でつながる。中国共産党は、経済よりも体制維持を最優先している。この単純な事実を見落とすと、中国経済は永遠に理解できない。

その典型例が、2020年から2022年にかけてのゼロコロナ政策である。都市封鎖、物流停止、工場閉鎖が繰り返され、中国経済は自ら深刻な打撃を受けた。それでも政策は長期間維持された。経済合理性が優先される国家であれば、早期に修正されていたはずだ。だが、そうはならなかった。ゼロコロナは感染症対策ではない。社会統制の完成度を高めるための実験だったのである。

同じ構図は、民間IT企業への締め付けにも現れている。巨大IT企業は、ある日を境に厳しい統制下に置かれた。問題は独占ではない。国家の管理外で影響力を持つ存在を許さない、ただそれだけの理由だ。さらに象徴的なのが、若年失業率の統計公表停止である。失業を減らせないなら、数字を消す。これは経済を優先する国家の判断ではない。体制の方を重視する国家の判断である。

2️⃣弥縫策の積み重ねと、統治技術による延命

もっとも、中国経済の異様さは体制優先だけでは説明しきれない。もう一つの要因がある。それは、中国経済が問題を解決せず、弥縫策を繰り返してきたという事実だ。

不動産バブルが崩れれば、市場清算は行わず、地方政府や国有銀行に負担を回す。地方政府が行き詰まれば破綻処理は避け、融資を継ぎ足す。失業が深刻化すれば、雇用対策ではなく統計そのものを消す。これらは改革ではない。時間を買うための弥縫策である。

重要なのは、これが一時的対応ではなく、二十年以上にわたり繰り返されてきた点だ。その結果、中国経済は「崩れない」のではなく、崩れきれず、歪みを内部に溜め込み続ける構造になった。外から見れば粘り強く映るが、それは健全さの証明ではない。

中国の監視カメラ

さらに近年、中国共産党の延命は、弥縫策だけでは成り立たなくなっている。経済的な継ぎはぎの背後で稼働しているのが、監視・弾圧・外部敵視という統治技術である。個人の移動、通信、消費、交友関係を可視化し、不満の芽を初期段階で摘み取る。弾圧は全面的ではない。選別的に行い、見せしめと自己検閲によって沈黙を内面化させる。

こうして不満は噴き出さない。しかし消えもしない。行き場を失った怒りは圧縮される。その圧力を逃がすために必要なのが、外部の敵である。経済不振は外国の妨害、技術停滞は西側の制裁、日本や西欧諸国は怒りを受け止めるための格好の対象となる。これは偶然ではない。体制維持に不可欠な工程だ。

ここで、はっきりさせておくべき事実がある。
経済は、適切な形で一度崩壊した方が、国家として健全になる場合がある。

その典型が、1997年の通貨危機を経験した韓国である。韓国経済は当時、財閥主導の過剰投資と不透明な金融慣行によって深刻な歪みを抱えていた。危機は痛みを伴ったが、破綻処理と構造改革を受け入れた結果、財務体質は改善され、企業統治も透明化された。失われた信用は、改革を通じて取り戻されたのである。崩壊は終わりではなかった。再生の起点だった。

さらに遡れば、デンマークもまた、国家としての再出発を経験している。1980年代、デンマークは高失業率、慢性的な財政赤字、競争力の低下という「国家病」に陥っていた。しかし政府は問題を先送りせず、痛みを伴う財政再建と制度改革を断行した。結果として、デンマークは「高福祉・高競争力」を両立する国家へと転じた。ここでも、必要だったのは延命ではなく、一度壊して組み直す覚悟だった。

この二つの事例が示すのは単純な教訓である。
崩壊そのものが国家を滅ぼすのではない。崩壊を恐れて歪みを放置することが、国家を蝕む。

中国経済は、まさにその逆を選び続けてきた。過剰債務は整理されず、不動産バブルは清算されない。問題は解決されることなく、弥縫策によって覆い隠される。その代償として、監視と弾圧が強化され、外部に敵が作られる。これは再生への道ではない。破断を先送りすることで、より大きな不安定を蓄積する道である。

韓国やデンマークが選んだのは、短期的な痛みを受け入れる代わりに、長期的な安定を取り戻す道だった。中国が選んでいるのは、痛みを受け入れずに、国家全体を不安定な均衡に閉じ込める道である。この差は決定的だ。

3️⃣台湾問題は、地政学だけではなく国内統治の延長でもある

この視点から見れば、台湾問題は驚くほど理解しやすくなる。台湾は軍事的要衝である。それは否定しない。しかし同時に、中国共産党にとって国内統治のための装置でもある。

経済不安が高まり、若年層の不満が蓄積する局面で、「統一」という大義は国民の視線を一気に外へ向ける力を持つ。体制が直接批判を浴びそうになるたびに、焦点を外に移す。その役割を、台湾ほど効果的に果たせる対象はない。

注目すべきは、台湾問題が常に温度管理されている点だ。全面戦争に踏み切るわけでもなく、完全に沈静化させるわけでもない。軍事演習、威嚇、強硬な言辞──それらは国外向けであると同時に、国内向けの演出でもある。

中国と台湾

台湾問題が未解決であり続けること自体が、体制にとって都合がよい。解決してしまえば、新たな外部敵視の対象を用意しなければならない。だから中国共産党は、台湾問題を解決しない。使い続ける。尖閣問題も同じ構造である。

ここまで見れば、中国経済の不可解さはもはや不可解ではない。
弥縫策で経済を塞ぎ、監視と弾圧で不満を圧縮し、外部敵視で怒りを転嫁する。この三つが組み合わさることで、中国は「崩れないが、健全でもない」状態を維持している。

しかし、この構造はきわめて危うい。いずれか一つが機能しなくなった瞬間、圧縮されてきたものは一気に噴き出す。そのとき起きるのは、穏健な改革ではない。制御不能な破断である。

日本が警戒すべきは、「中国はいずれ崩壊する」という安易な崩壊論ではない。崩壊自体はプラスとは言えないものの、崩壊してしまえば、現体制は崩れ民主的な体制に転換する可能性がある。真に危険なのは、崩壊しないまま、不安定な状態が長く続く中国である。

幻想にすがる国は、必ず現実に殴られる。
我が国に必要なのは善意ではない。
冷徹なリアリズムである。

【関連記事】

世界経済フォーラムの警告 ──グローバリズムが壊れた世界でこそ日本が必要とされる 2026年1月15日
「世界はいずれ元に戻る」という期待は、すでに通用しない。秩序が壊れた現実を前提に、我が国がどこで踏みとどまり、何を武器に生き残るのかを突きつける一篇だ。対中リアリズムを考える前に、まず世界の足場がどこまで崩れているのかを確認したい読者にとって、出発点となる記事である。

中国経済は「崩壊」していない ──だが中国共産党の正当性は、すでに回復不能点を超えた 2026年1月13日
「中国は崩れるのか、崩れないのか」という単純な二択を切り捨て、問題の核心を“体制の正当性”に置き直す。中国経済を巡る議論に違和感を覚えてきた読者ほど、この視点転換が腑に落ちるはずだ。今回の記事と併せて読むことで、中国を見る目が一段深くなる。

来るべき衆院選の最大争点は「対中」だ──決められない政治を終わらせる選挙 2026年1月12日
経済、安全保障、エネルギー――どの論点を辿っても、最終的に突き当たるのが「対中」だ。それでも決断を避け続けてきた我が国の政治の姿を、選挙という切り口から浮かび上がらせる。中国経済の現実を理解した読者が、「では日本はどうするのか」と考えるための一本である。

ベネズエラは序章にすぎない──米国が中国を挟み撃ちにした瞬間 2026年1月5日
一見、遠い南米の政変に見える出来事が、実は対中戦略と資源をめぐる大きな流れの一部であることを示す。中国の延命構造や対外強硬姿勢を理解するには、米国がどこで、どのように力を使っているのかを知る必要がある。その全体像を一気に掴ませる記事だ。

<主張>中国軍の演習 無謀な台湾封鎖許されぬ―【私の論評】中国の台湾封鎖は夢想!76年経っても統一が実現しない理由と西側の備え 2025年4月7日
台湾を単なる地政学の問題として見ると、見落とす点が多い。封鎖や侵攻がなぜ現実的でないのかを積み上げ、中国が台湾を「脅し」と「統治」の道具として使い続ける理由を解き明かす。今回の記事の台湾論を、具体的な事実で補強したい読者に最適だ。

2026年1月17日土曜日

決断しない国は淘汰される──経済が「戦場」になった世界で、来るべき選挙が問うもの



まとめ
  • 世界はすでに「決断を前提に動く段階」に入っている。経済は中立な市場ではなく、資源・技術・供給網・情報が国家間競争そのものになった。決断できる国だけが枠内に残り、迷い続ける国は敵視される前に「相手にされなくなる」現実が始まっている。
  • 日本は立ち遅れているのではない。だが、前提が社会全体で共有されていない。政策中枢では経済安保への対応が進み、リスクは確実に下がっている。一方で、世論や報道は旧来の前提に引きずられがちだ。この認識の段差が、次の判断を誤らせる最大の要因になっている。
  • 来るべき選挙で問われるのは、政策の細部ではなく前提の理解だ。給付か減税かではない。経済が戦場になった世界を前提に判断できるかどうかである。決断しない国が淘汰される時代に、有権者自身の認識が、そのまま国家の進路を決める。
先日このブログに掲載した、世界経済フォーラム(通称ダボス会議)の警告は、もはや予測でも議論でもない。現実である。グローバリズムが機能不全に陥り、経済そのものが国家間対立の主戦場になったという事実は、すでに動かしようがない前提となった。

それでも、あらためてこのテーマを取り上げる理由は一つしかない。ここ数日の世界の動きですら、それまで「警告」として受け止められていたものを、各国が実際に行動を決めるための前提条件へと明確に押し上げてしまったからだ。世界は今、前提を切り替えた国と、切り替えられない国を、静かに選別し始めている。

1️⃣経済はすでに戦場になった──トランプ発言と世界の前提転換


その象徴が、ドナルド・トランプ大統領によるグリーンランドをめぐる発言である。米国大統領が、同盟国デンマーク領であるグリーンランドに対し、安全保障と資源の観点から強い関心を示した。この発言を、日本の多くの報道は「突飛」「過激」と片付けた。しかし世界は違う受け止め方をしている。

グリーンランドには、レアアース、ウラン、北極航路、米軍基地がある。これは領土欲ではない。資源・供給・軍事拠点を一体で押さえるという、現代国家戦略が露骨な形で言語化された瞬間である。この一言で、「資源は市場で買えばいい」「経済と安全保障は別物だ」という前提は、事実上崩壊した。

この変化を裏付けたのが、世界経済フォーラムの年次リスク評価である。短期的に世界へ最も深刻な影響を与える最大のリスクとして挙げられたのは、戦争でも気候変動でもない。大国間の経済対立だった。英米欧では、これは分析材料ではない。政策立案と投資判断の前提として、すでに共有されている認識である。

一方、日本ではどうか。「国際会議の一報告」「そういう見方もある」という扱いにとどまり、前提が切り替わったという自覚は乏しい。この温度差が、国家の行動速度を決定的に分けている。

2️⃣日本は本当に遅れているのか──高市氏の先見性と、伝えられない前提

高市早苗氏は経済安保の書籍を執筆していた

ここで一つ、修正しておかなければならない誤解がある。
日本は「最近になって慌てて経済安全保障を語り始めた国」ではない。

高市早苗氏は、政権発足以前から一貫して、経済・技術・供給網・情報保全を国家安全保障の中核に据えるべきだと主張してきた。半導体、エネルギー、先端技術、研究情報、対中依存リスクに関する発言を振り返れば、その一貫性は明白である。現在の政策転換は、場当たり的な対応ではない。従来からの問題意識が、世界の前提転換によって政策として表に出ただけだ。

この点で、従来の政権と現在を同列に論じるのは正確ではない。少なくとも政策中枢レベルでは、経済安全保障に関するリスクは明確に低減している。経済安保は周辺論点から政策の中核へ移動し、理念ではなく「継続できるか」「制御できるか」という基準で評価されるようになった。これは、何もしていない国と、最低限の前提更新を終えた国との差である。

にもかかわらず、日本社会全体ではその変化が十分に共有されていない。その大きな要因が、日本のマスコミ報道の構造にある。日本の報道は出来事を伝えることには長けているが、「前提そのものが変わった」という変化を扱う設計になっていない。誰が何を言ったか、何が起きたか、賛否はどうか。そこまでは伝える。しかし、なぜその判断が不可避になったのかという前提は、あまり語られない。

その結果、日本では「経済安保は規制強化だ」「自由貿易への逆行だ」といった表層的な理解が先行する。政権中枢では前提が更新されているのに、社会全体では共有されない。この認識の段差こそが、現在の日本の不安定さの正体である。

3️⃣制度としての守りと、有権者が示し始めた分岐点

経済が戦場になった世界では、技術、研究成果、企業内部情報、データはすべて戦略資産である。それにもかかわらず、これらを海外勢力による流出から守る制度が弱ければ、産業政策は必ず空洞化する。

ここで核心をはっきりさせる。スパイ防止法は「あれば望ましい制度」ではない。経済が戦場になった世界では、不可欠な国家インフラである。研究所や大学、企業からの技術流出、サプライチェーン内部情報、重要インフラの設計データ。これらは、戦車やミサイルと同じく国家の競争力そのものだ。守れない国は、同盟からも投資からも、静かに外される。

では、有権者はこの前提を理解しているのか。
必ずしも悲観する必要はない。その根拠の一つが、昨年の石丸慎二氏の敗北(都議選全敗、参院選議席獲得ならず)である。


石丸氏の政治姿勢は、極めて純化されたグローバリズムに立脚していた。市場原理と制度改革を万能視し、国家主権や経済安全保障を前面に出さない。一方で、供給網断絶や技術流出といった現実的リスクに対する制度論は乏しかった。これは人物評価の問題ではない。前提がすでに崩れた世界観に立っていたことが決定的だった。

広範な支持を得られなかった背景には、有権者が「その前提では国は持たない」と直感的に理解し始めていた現実がある。他方で、グローバリズムを単純に善と信じる層が消えたわけではない。その象徴が鈴木直道北海道知事である。理念先行の国際協調や外資依存を疑わない姿勢は、旧来の前提がなお一定の支持を持つことを示している。

日本社会は今、前提を更新した層と、更新できていない層が併存する分岐点に立っている。

結論──問われているのは新たな覚悟ではなく、整理である

日本が捨てるべきなのは、「曖昧でいることが安全だ」という幻想である。この世界で曖昧な国は、敵にも味方にもならない。ただ、計画から外されるだけだ。一方、日本が取り戻すべきものは新しくない。約束を守る制度、政策の連続性、技術と現場を尊重する文化。これらは、すでに日本が持っているものだ。

問われているのは、新たな覚悟ではない。
すでにある覚悟を、現実に耐える形へと鍛え直すことである。

世界はすでに前提を切り替えた。有権者もまた、その現実をかなりの程度まで理解し始めている。問題は、それを制度として完成させるかどうかだ。

来るべき衆院選は、過去の前提に投票するのか、それとも現実の前提を定着させるのかを問う選挙になる。

条件は、すでに揃っている。
覚悟も、すでにある。

あとは、それを使い切るかどうかだけだ。

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2026年1月16日金曜日

立憲と公明のようなリベラル・左派と宗教的中道派は、なぜ必ず決裂するのか ──理念で引き合い、理念の暴走で壊れる政治連携の宿命


まとめ
  • この論考は、「なぜ連携が失敗したのか」ではなく、「なぜ必ず失敗する構造なのか」を解き明かす。立憲と公明に限らず、海外でも繰り返されてきたリベラル・左派と宗教的中道派の決裂は、偶然や相性の問題ではない。理念で引き合いながら、理念の扱い方の違いによって必然的に壊れる。その構造を、具体例とともに描き出す。
  • 同時に、改革を可能にする条件として「改革の原理としての保守主義」を捉え直す。保守主義とは反改革でも反理念でもない。理念が暴走しないよう、現実側に制御装置を組み込む思考法である。理念が正しいほど危うくなる瞬間があるという逆説を通じて、なぜ理念主導の政治が社会工学実験へと傾きやすいのかを示す。
  • そして本稿は、次の選挙で有権者が何を見ているのかを「壊れにくさ」という感覚から描く。経済、安全保障、外交、エネルギー、社会構造、移民、親中。有権者は理念の是非ではなく、理念が暴走したときに社会と国家が耐えられるかを測っている。この静かなブレーキこそが、これからの政治を左右する核心である。

1️⃣改革の原理としての保守主義──理念は必要だが、暴走は許されない

経営学の大家ドラッカーも著書で「改革の原理としての保守主義」を主張

本稿の出発点は、「改革の原理としての保守主義」にある。
ここで言う保守主義とは、懐古でも現状維持でもない。ましてや、理念を否定する思想でもない。理念を持たない政治は、方向を失い、漂流するだけである。

元来、保守主義とは「改革を否定する思想」ではなかった。
それはむしろ、改革が避けられないことを前提としたうえで、社会が耐えられる速度と範囲を管理しようとする思考であった。社会は一度壊れれば元に戻らない。人間は理念通りに設計できる存在ではない。制度は完成形ではなく、妥協と修正の積み重ねでしか機能しない。こうした現実認識こそが、保守主義の原点である。

したがって、改革の原理としての保守主義が問題にするのは、理念そのものではない。
問題にするのは、理念が検証や修正を拒み、自己目的化したときに起きる「理念の暴走」である。

保守主義が改革に条件を付けるのは、そのためだ。
速度を制限し、影響範囲を区切り、途中で立ち止まり、引き返す余地を残す。
それは理念を抑圧するためではない。理念が現実を壊さないよう制御するためである。

この視点を欠いた政治は、善意であっても必ず危うくなる。
そして、リベラル・左派と宗教的中道派の政治連携が、繰り返し同じ地点で破綻してきた理由も、ここにある。

2️⃣理念で引き合い、中国との親和性が高く、理念の暴走で壊れる政治連携

立憲民主党と公明党という組み合わせは、日本では「現実的な選択肢」として語られがちだ。しかし、この構図は日本固有のものではない。海外ではすでに何度も試され、そのたびに同じ結末を迎えてきた。

イタリア、ドイツ、韓国、スペインに共通するのは、リベラル・左派と宗教的中道派が、ともに理念を政治の中心に据えた点だ。リベラル・左派は普遍的正義や進歩を掲げ、宗教的中道派は信仰や倫理といった超越的価値を重んじる。一見すると対立しているようで、両者は「理念を軽視しない」という一点で強く引き合う。

しかし、この親和性こそが不安定さの源泉になる。
リベラル・左派の理念は、社会を作り替える方向へ向かう。
宗教的中道派の理念は、社会に内在する秩序を前提に、それを導こうとする。
理念を重んじる点では一致しても、理念の向きは決定的に異なる。

無論現在の公明党を宗教的中道派と呼べるのかと考える人も多いだろう。少なくとも、公明党の現執行部を中道派と呼ぶことはできない。

むしろ、リベラル・左派的という評価の方が正しいだろう。しかし、支持母体の多くの創価学会員は、本来の宗教的中道派的な考えが強いのではないか。

だから、立憲はリベラル・左派的な傾向を強く打ち出すことはせず、中道色を打ち出すのではないか。

ここにもう一つ重要な要素が加わる。
それが、中国との親和性である。

リベラル・左派は、理念を制度に直接実装しようとする点で、社会を設計可能な対象として捉えがちだ。宗教的中道派もまた、倫理や信仰という「上位原理」を社会に投影しようとする点で、理念を現実より優先する傾向を持つ。この二つは方向こそ異なるが、理念を統治原理の上位に置くという点で、中国の体制と親和性を持ちうる。

中国の一人っ子政策は、壮大な社会工学実験の一つ

中国は、社会を自生的秩序ではなく、設計・管理される対象として扱う国家である。理念と統治が直結し、検証や修正よりも一貫性が重んじられる。この構造に対し、リベラル・左派は「進歩」や「普遍性」の名で、宗教的中道派は「倫理」や「調和」の名で、距離を詰めやすい。

だが、その結果として生じるのは、理念を止める装置を欠いた政治である。
理念の正しさが、そのまま実装の正当性にすり替わり、改革は調整ではなく実験へと変質する。
海外で繰り返された連携崩壊は、この構造の帰結だ。

自民党と公明党の連携が長年続いた理由も理念で説明がつく。両党の連立は、理念の一致にあったのではない。自民党は多様な派閥と業界団体を抱える典型的な利権集団であり、党内は一枚岩ではなかった。

公明党も宗教的理念を国家改造の原理として前面に押し出すことを避け、両党は理念よりも政策ごとの利害調整を重ねてきた。その結果、この連携は理想ではなく、時には公明党の理念が自民の足を引っ張ることもあったが、それでも理念が暴走しにくい現実対応の構造として機能してきたのである。しかし、理念色が強い立憲とは最初から反りが合わないだろう。

3️⃣有権者が選挙で測る「壊れにくさ」という感覚

この構造を踏まえるなら、我が国の次の選挙で起き得るのは、理念的な大転換ではない。むしろ、海外でも見られた有権者が無意識に理念の暴走にブレーキをかける現象である。


有権者が見ているのは、正しさではない。
社会と国家が耐えられるかどうかだ。

経済は壊れないか。そんなことよりも、はるかに現実的である。
安全保障は空洞化しないか。
外交は不可逆な孤立へ向かわないか。
エネルギーは不安定化しないか。
社会構造は急進的改変によって空白を生まないか。

そして近年、移民政策と親中姿勢が、この「壊れにくさ」を測る最大の指標になっている。移民は速度と統合の失敗が社会分断を生む。親中はさらに深刻で、国家の自己決定能力そのものを削る。昨年の世界は、その傾向だったし、日本も同傾向であった。高市政権成立がそれを十二分に示したと言える。

しかし、有権者が嫌うのは理念そのものではない。
理念が暴走し、止められなくなる状態である。

結論──改革とは、理念を掲げるだけでない

政治に理念は不可欠だ。
だが、理念を現実の上位に置き、検証も修正も許さなくなった瞬間、政治は社会工学実験へと変質する。

改革とは、理念を一足飛びに実現することではない。それは改革ではなく破壊である。
理念が暴走しないよう、現実の中に制御装置を組み込むことである。それで初めて改革は、現実的となり成功の見込みが立つ。それなしの、改革は改革ではなく理念の暴走に過ぎない。

それこそが、元来の意味における「改革の原理としての保守主義」であり、
リベラル・左派と宗教的中道派の連携が共有できなかった決定的な存立の前提である。

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2026年1月15日木曜日

世界経済フォーラムの警告 ──グローバリズムが壊れた世界でこそ日本が必要とされる


1️⃣世界はどこで変わったのか──グローバリズムの前提が崩れた瞬間

世界はすでに、引き返せない地点を越えている。その変化を、感覚や雰囲気ではなく、言葉として整理してきた場がある。それが 世界経済フォーラム(WEF)である。

WEFは毎年、スイス・ダボスで年次総会を開き、各国の政治指導者、中央銀行総裁、企業トップ、研究者らが集まり、世界経済と国際秩序のリスクを共有してきた。その過程で公表される年次のリスク評価は、特定の国益や思想を主張するものではない。世界の意思決定層が、いま何を最大の不安要因として認識しているかを可視化したものである。

直近では、2026年1月、ダボス会議を前に公表された最新のリスク評価において、短期的に世界へ最も深刻な影響を与える最大のリスクとして挙げられたのが、戦争や感染症ではなく、大国間の経済対立であった。これは予測ではない。すでに起きた現実を踏まえた総括である。

WEFの会場

ここで注目すべきは、この指摘を行った主体がWEFであるという事実そのものだ。WEFは長年にわたり、自由貿易、国境を越えた資本移動、国際分業といったグローバリズムを前提とする世界観を共有してきた場である。すなわち、経済的相互依存が深まれば国家間の対立は抑制され、世界はより安定するという発想を、最も強く信じてきた側の集まりであった。

そのWEFが、最大のリスクとして「大国間の経済対立」を挙げたという事実は、単なる危機認識の更新ではない。グローバリズムを前提としてきた側自身が、その前提がすでに崩れ、経済が協調の手段ではなく、対立と分断の道具に変質した現実を公式に認めたという意味を持つ。これは楽観論の修正ではない。グローバリズムという世界秩序の基盤が揺らいでいることの確認である。

ロシアはウクライナ侵攻後、金融制裁によって巨額の外貨資産を事実上使えなくなった。一方、ロシア産エネルギーへの依存を急激に断った欧州、とりわけドイツは、エネルギー価格の高騰に直撃され、製造業の競争力を大きく損ねた。制裁される側だけが傷ついたのではない。経済対立とは、相互依存を前提に築かれた秩序そのものを壊す行為であり、仕掛けた側もまた必ず代償を払う。

米中対立も同じ構図にある。先端半導体、製造装置、設計ソフトを一体で封じることで、中国の先端開発は世代単位で遅れた。これは市場競争ではない。相手を技術的に到達不能にする政策である。経済はもはや効率や利益の道具ではない。相手の選択肢を奪うための武器として使われている。

2️⃣日本は何を持ち、なぜ迷っているのか──強みと主導権、そして判断が下されなかった構造

世界中の半導体工場で日本の原材料が用いられている

この世界において、「日本は無防備だ」という評価は正確ではない。我が国は、代替が極めて困難な強みを数多く持っている。半導体材料分野だけを見ても、フォトレジスト、シリコンウエハ、精密研磨材、洗浄・成膜関連材料など、日本の供給が止まれば世界の製造ラインが止まる領域は少なくない。

象徴的なのが、先端半導体パッケージに不可欠なABFである。これを事実上独占的に供給しているのが 味の素 だ。ABFはCPUやGPUの基板に欠かせない材料であり、代替技術は長年試みられてきたが、量産性と信頼性の壁を越えられていない。これは高いシェアという話ではない。他に選択肢が存在しないという意味での独壇場である。

日本の強みは半導体材料に限られない。超精密工作機械、特殊鋼、炭素繊維、高機能磁性材料、精密部品。航空宇宙、防衛、エネルギー、医療といった分野で求められる水準を、安定して満たせる国は多くない。我が国は、世界の産業を下から支える不可欠な力を、すでに握っている。

それでも危うさが消えないのは、これらの強みが国家の主導権に転換されていないからだ。日本は産業の「喉元」を押さえているが、設計思想や標準、投資判断といった「頭脳」と「心臓」は海外にある。最も現実的なリスクは全面遮断ではない。材料は買われ続けるが、次世代の議論から静かに外される。強みを持ちながら、戦略の中心から外されることこそが最大の危機である。

この状況を生んだのは、政治・官僚・企業の分業構造である。政治は票にならず短期成果も見えない領域に踏み込まなかった。官僚は与えられた前提を最適化することには長けていたが、その前提が崩れる事態を想定し、壊す権限を持たなかった。企業は政治と距離を取ることで成功してきた合理的判断の結果、国家戦略から距離を置いた。三者はそれぞれ合理的だったが、合成すると誰も全体判断を下さない構造が完成した。

3️⃣それでも日本は選び直せる──現実主義による主導権回復

2023年、札幌で開催された。G7気候・エネルギー・環境大臣会合

この構造を壊す方法は、空想ではない。必要なのは、政治主導による前提転換である。半導体材料や精密加工技術を、単なる産業競争力ではなく国家安全保障資産として明確に位置づけ、何を守り、何を交渉カードとして使うのかを言語化することだ。これは管理や統制ではない。国家としての意思表示である。

同時に、非常時を想定した制度設計を平時から行う必要がある。遮断が起きてから考える国は、必ず後手に回る。供給の優先順位や同盟国との補完関係を、事前に共有しておくことが不可欠だ。

ここで重要な示唆を与えるのが、欧州連合(EU)の規範主導である。EUは、規制や基準を通じて市場参加の条件そのものを書き換えてきた。環境規制やデータ保護、製品安全基準は、EU域内のルールでありながら、結果として世界標準となり、各国企業の行動を縛る力を持った。

しかし同時に、EUの規範主導は万能ではない。理念が先行し、現実の産業構造や技術成熟度を十分に踏まえなかった結果、自縄自縛に陥った例も少なくない。エネルギー政策や自動車分野における規制の迷走は、その象徴である。規範は強力だが、運用を誤れば自らの競争力を削ぐ。

この点で、日本はEUと決定的に異なる立ち位置にある。日本は、実際に作り、壊れ方を知り、直してきた国である。現場を知るがゆえに、理念先行ではなく、実装可能性を前提にした規範を示すことができる。技術、供給、信頼、そして規範を束ねたとき、日本は単なる部品供給国ではなく、産業秩序の設計者になれる。

最終結論──日本は今こそ世界にとって不可欠な国である

強みを持たない国が周縁に置かれるのは、国際社会の自然な流れである。しかし日本は、その側にはいない。我が国は、世界が本気で必要とする強みを、すでに持っている。半導体材料、ABF、精密加工、高機能素材、そして長年積み上げてきた信頼。これは偶然でも、過去の遺産でもない。世界の産業が現実に依存してきた力である。

ここで見落としてはならないのは、日本が周縁国になってしまえば、それは日本だけの損失ではないという点だ。日本の強みは、他国を押しのけるための力ではない。世界の産業が安定して動き続けるための、静かな土台である。その土台が弱まれば、サプライチェーンは不安定化し、技術の信頼性は揺らぎ、結果として世界全体が不確実性を背負う。

日本は、供給を振り回す国ではない。約束を守り、品質を守り、淡々と責任を果たしてきた国である。だからこそ日本は、力の誇示ではなく、信頼によって世界の中枢に位置してきた。その日本が周縁に退くことは、世界にとって「安全装置」を一つ失うことに等しい。

問題は、日本に力があるかどうかではない。その力を、国家として使う決断をするかどうかである。周縁国とは、最初から選ばれなかった国だ。しかし日本は違う。日本は、選ばれる資格を持ち続けている国であり、同時に世界から期待され続けてきた国でもある。

世界は今、誰が声を張り上げるかではなく、誰が現実を支えられるかを見ている。日本が自らの強みを国家の意思として位置づけ、同盟と規範の中で静かに、しかし確実に使うなら、日本は周縁に追いやられるどころか、世界にとって不可欠な存在として再び中心に立つ。

日本は終わる国ではない。
選び直せる国である。
しかもそれは、日本のためだけではない。
世界にとって必要な選択である。

条件は、すでに揃っている。
残されているのは、覚悟だけだ。

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2026年1月14日水曜日

彼らはどこで道を誤ったのか──ベネズエラ、イランを巡るリベラル・左派思想の自己崩壊

まとめ

  • ベネズエラとイランで、リベラル・左派は人々の苦境よりも、米国が関与する可能性に強く反応した。本稿は、民衆から体制へと主語がすり替わった瞬間を具体例で追う。
  • 国際法は本来、人命を守るための規範だった。それがいつ、どのようにして、行動しないことを正当化する盾へと変質したのかを検証する。
  • 誰が何をしたかではなく、誰がどの属性に属しているかで善悪を決める思考は、米国発のアイデンティティー政治に起源を持つ。本稿は、その判断の型が国際政治に持ち込まれ、思想が内側から崩れていく過程を描く。

1️⃣民衆より体制が選ばれた瞬間──ベネズエラとイラン

イランの反体制派デモ

「もう世界のリベラル・左派は終わりではないか」。
これは感情論ではない。事実を時系列で追えば、誰にでも同じ結論に到達するという意味での判断である。

私たちは、ベネズエラとイランという二つの現場で、リベラル・左派が歴史の分岐点において誰を守り、誰を後景に退かせたのかをリアルタイムで目撃した。それは理念の問題ではない。選択の問題である。

ベネズエラでは、経済崩壊、食料・医薬品不足、反政府デモへの暴力的弾圧が長期にわたって続いてきた。にもかかわらず、国際的なリベラル言説が決定的に熱を帯びたのは、民衆の苦境が極限に達した時ではなかった。米国が軍事介入を排除しない姿勢を示したと受け止められた瞬間である。

その途端、議論の主語は人々の生活から外れ、「主権」「国際法」「内政不干渉」へと一斉に移動した。守られたのは民衆ではなく、体制の不可侵性だった。

イランでも構図は同じである。抗議運動が拡大し、死者が増え、弾圧の実態が可視化されても、初動は抑制的だった。転換点は、事態が深刻化する中でアメリカ合衆国が大量殺戮を看過しない可能性を示唆したと受け止められた段階である。この瞬間、焦点は現に起きている殺害から、「まだ起きていない軍事行動の是非」へとすり替わった。優先順位が明確に逆転したのである。

2️⃣国際法という「盾」──人道が退いた思想の縮退


ここで問うべき核心は、リベラル・左派が国際法をどう使ったかである。国際法は本来、暴力を抑制し、人の尊厳を守るための枠組みだ。ところがこの局面での国際法は、行動しないことを正当化する盾として機能した。

主権不干渉が絶対化され、国家が自国民に深刻な被害を与えても、「内政」という一語で思考が停止する。これは法の尊重ではない。法を用いた回避である。

この反応は偶然ではない。被害が可視化されると限定的な批判は行われるが、外部の圧力が意識された瞬間、論点は一斉に移動する。殺されている人ではなく、「西側、とりわけ米国が何をするか」が主語になる。この同時性は、思想的反射と呼ぶほかない。

ここで断定しておくべきことがある。
この思考様式の原型は、米国内で成熟したアイデンティティー政治にある。

誰が何をしたかではなく、誰がどの属性に属しているかを先に固定し、被害者と加害者を自動的に割り当てる判断の型である。この思考は、米国内の社会運動、大学、メディア空間で形成され、政治言語として定着した。

重要なのは、それが米国内にとどまらなかった点だ。この判断様式は、学界、NGO、メディアを媒介として西側諸国に輸出され、国際政治の解釈枠組みとして移植された。その結果、「非西側」「反米」という属性が先に被害者性を帯び、現実の弾圧や殺害は後景に退くという倒錯が生じた。

この文脈で、「人道的介入」という言葉はリベラル・左派の語彙から消えた。冷戦後、主権より人命を重視すると語ってきた当事者自身によってである。これは成熟ではない。思想の縮退である。

3️⃣同型は日本にもある──橋下徹氏、主要メディア、海外知識人


この構造は、海外の人権団体や欧米の一部知識人だけのものではない。日本の言論空間にも、ほぼ同型の反応が存在する。

その最も分かりやすい例が、橋下徹氏の見解である。橋下氏は一貫して、国際問題を論じる際に国際法を最上位の基準に据え、「侵略や武力行使は誰であれ同じ基準で批判されるべきだ」と主張してきた。一見すると公平で理性的に映る。

しかし問題は、その公平性が文脈を切り落とした抽象的平等にとどまっている点にある。国家行動は、目的、代替手段の有無、行動しないことがもたらす結果まで含めて評価される。それらを捨象し、「国際法違反か否か」という一点で思考を止めれば、結論は必ず同じになる。行動すべきではない。現状を維持すべきだ。

だがその現状とは、すでに人が殺され、抑圧されている状態である。橋下氏が独裁や弾圧を肯定しているわけではない。しかし論理を貫けば、結果として体制の継続を事実上容認する側に立つ。

日本の主要メディアでも同型の反応は繰り返されてきた。朝日新聞や毎日新聞の論調を見れば、体制の人権侵害を指摘しつつも、最終的な力点は常に「外部からの圧力は慎むべきだ」「国際法秩序を壊すな」に置かれる。主語は「いま殺されている人々」ではなく、「西側はどう振る舞うべきか」である。

海外でも同じ型が確認できる。ノーム・チョムスキーやバーニー・サンダースに代表される言説は、外部介入への警戒を最優先し、結果として行動しない理由だけを精緻化してきた。

結論

世界が力と秩序の再編期に入った今、理念に逃げる国から崩れていく。
現実を直視し、決断の責任を引き受けた国だけが生き残る。
日本もまた、その選別から逃れることはできない。

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2026年1月13日火曜日

中国経済は「崩壊」していない ──だが中国共産党の正当性は、すでに回復不能点を超えた


「中国経済は崩壊するのか」。
この問いは、極端な悲観論と根拠の乏しい楽観論のあいだを振り子のように揺れてきた。しかし現実は、そのどちらでもない。中国経済は今も動いている。工場は稼働し、街に人はいる。統計上のGDPも存在する。体制が崩壊しようが、何が起ころうが、そこには大勢の人々が存在しており、それらの人々が経済活動をする以上、経済が完全に崩壊することはない。

だが、問題はそこではない。
中国はすでに「回復不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)」を静かに通過した。しかもそれは、単なる景気循環の話ではない。中国共産党がこれまで拠って立ってきた統治の正当性そのものが、成立しなくなったという意味である。

1️⃣経済成長と引き換えに成立してきた統治──「保八」が示していた正当性の最低条件

中国共産党は、選挙によって選ばれた政権ではない。王朝の血統を引き継いだわけでもなく、宗教的権威を持つわけでもない。建国以来、この体制が一貫して抱えてきた根本問題は、「なぜこの党が統治する資格を持つのか」という問いに、制度として答えを持たない点にあった。

毛沢東時代、この問いへの答えは革命の正当性だった。しかし革命の記憶は時間とともに薄れ、文化大革命という破局を経て、共産党はイデオロギーによる正当化を事実上放棄した。その代わりに選ばれたのが、改革開放以降の成果による正当化である。

政治的自由は制限する。言論も統制する。
だがその代わりに、国民の生活水準を引き上げる。昨日より今日が良くなり、今日より明日が良くなる。親より子が豊かになる。この「上昇の実感」こそが、中国共産党と国民のあいだに成立した暗黙の統治契約だった。
この統治契約を、最も端的に数値化した言葉が、かつて中国で常識のように語られていた「保八(バオバー)」である。これは、GDP成長率を年8%前後に維持できなければ、失業と社会不安を抑え込めないという、共産党内部の冷徹な認識を表していた。

重要なのは、「8%」が経済的な理想値ではなく、政治的な最低条件だったという点だ。
急速な都市化、地方から都市へ流入する膨大な労働者、毎年吐き出される大学卒業生を吸収するには、それだけの成長が必要だった。だから地方政府は採算を度外視して投資を重ね、中央政府も成長率の維持を最優先してきた。

この時代、中国共産党の統治正当性は、かろうじて機能していた。自由の制約に不満を抱えながらも、人々は「まだ我慢する価値がある」と思えたからだ。

しかし今、中国経済は構造的にこの水準へ戻れない。人口動態は変わり、不動産依存は限界に達し、債務は積み上がり、生産性は伸びない。保八が常態だった時代の前提条件は、すでに失われた。

決定的なのは、「保八」が単なる数字ではなく、統治正当性の安全弁そのものだったという事実である。この安全弁が壊れた瞬間、成果による正当化は再生産できなくなった。いま起きているのは景気の上下ではない。統治の根拠そのものが枯渇し始めた局面である。

この結果、その歪みは統計や公式発表の中にとどまらず、都市の日常や人々の行動といった「数字に現れない領域」に、はっきりと姿を現し始めている。

2️⃣排水口のない成長モデルが招いた必然──国際金融のトリレンマと回復不能点

中国経済の行き詰まりは偶然ではない。国際金融のトリレンマ──資本移動の自由、為替の安定、独立した金融政策は同時に成立しない──という原理から見れば、中国がいずれ限界に達することは、かなり前から予見可能だった。


中国は、為替の安定と独立した金融政策を優先し、その代償として資本移動を厳しく制限する道を選んだ。この選択は体制維持としては合理的だったが、致命的な副作用を伴った。危機や過剰資本を国外に逃がせない構造を、自ら固定してしまったのである。

この構造は、排水口のない水槽に水を注ぎ続ける姿に似ている。水位は上がるが、余分な水を外へ流す仕組みがない。通常の市場経済では、余剰資金は海外投資として分散される。しかし中国では資本規制によってそれができず、資金は国内を循環するしかなかった。

その行き先が、不動産と地方政府融資平台である。採算が崩れても投資が止まらない異常な状態が長年続いたのは、この制度構造の必然だ。歪みは分散されず、時間をかけて国内に蓄積され、ついに表面化した。これが回復不能点の正体である。

米国の経済制裁や技術規制は、この到達を早めたにすぎない。原因ではない。中国経済は制裁で壊されたのではなく、排水口を塞いだまま成長を続けた結果、自壊したのである。

3️⃣数字に現れない経済停止と、長い内破の始まり

廃墟と化した中国のショッピングモール

この構造的限界は、すでに都市の風景に現れている。一線都市であっても、かつて行列が当たり前だったレストランは空席を抱え、週末の大型商業施設にも人影がまばらだ。地下鉄の混雑緩和も、効率化の成果ではない。通勤そのものが減っている結果である。

地方ではさらに深刻だ。工場は止まり、賃金の遅配や未払いが長期化している。重要なのは、これが一時的な不況ではなく、再起動の見通しが立たないまま時間が過ぎている点である。経済は「止まる」のではなく、「戻らない」状態に入りつつある。

若者も同様だ。問題は失業率の数字ではない。努力しても報われないという確信が広がり、抵抗でも革命でもなく、社会参加そのものから静かに離脱する態度が蔓延している点である。これは体制にとって、暴動よりも危険な兆候だ。

不動産問題は中間層との社会契約を直撃した。引き渡されない住宅、価値が半減した資産、返済だけが残るローン。市場調整は行われず、国有色の強い企業は延命され、損失は個人に押し付けられる。この構造は、体制の支持基盤を内側から侵食している。

ここで起きているのは急激な崩壊ではない。監視と統制が機能している以上、体制はすぐには倒れない。だがその代わりに進行しているのが、経済モデルと統治モデルが同時に寿命を迎える、長い内破である。

結論

中国経済は崩壊していない。しかし、回復できない地点をすでに通過した。それは同時に、「保八」に象徴される経済成長によって支えられてきた中国共産党の統治正当性が、もはや成立しない地点でもある。

この帰結は、外圧によって生まれたものではない。国際金融のトリレンマの下で排水口を塞ぎ、歪みを国内に蓄積し続けた国家モデルの必然的な帰結である。

中国で起きているのは景気循環の失速ではない。
統治の前提そのものが、静かに、しかし確実に崩れ始めているという現実である。

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2026年1月12日月曜日

来るべき衆院選の最大争点は「対中」だ──決められない政治を終わらせる選挙


まとめ

  • 次の衆院選は政権や人物を選ぶ選挙ではない。中国という現実を前に、我が国が「決断できる国家」であり続けられるかどうかを問う、国家の分岐点である。
  • 対中政策を避け続けてきた結果、日本の政治は安全保障、経済、外国人政策のすべてで判断を先送りし、選択肢そのものを失いかけている。その構造を直視しない限り、どんな経済論も空回りする。
  • この選挙は、自民党の一部にだけ保守を閉じ込める政治を終わらせ、複数の保守勢力が競い合い、国家の決断を引き受ける政治を根付かせられるかどうかを決める選挙である


1️⃣「決めない政治文化」の核心にある対中国問題


昨日のブログ記事にも示したように、我が国の政治は、長年にわたり「決めないこと」を賢明さのように扱ってきた。特に、最近の岸田・石破政権ではそれが顕著だった。検討する、注視する、慎重に対応する。そうした言葉が繰り返される一方で、政治が本来引き受けるべき判断は先送りされ続けた。国民は選択肢を与えられないまま、結果だけを受け入れる立場に置かれてきたのである。

この「決めない政治文化」が、最も集中的かつ象徴的に現れている分野こそ、対中国政策である。

経済、安全保障、人権、技術、エネルギー、さらには外国人政策に至るまで、中国という国家の存在を抜きに語れない分野は多い。それにもかかわらず、歴代政権はこの問題を正面から引き受けることを避けてきた。摩擦を恐れ、言葉を濁し、選挙の場で争点にすることから逃げてきた。その姿勢は、特定の政権や人物の問題ではない。積み重なり、政治の「作法」として固定化してしまったのである。

だからこそ、冒頭解散には意味がある。冒頭解散とは政局上の奇策ではない。対中国政策という、最も長く決断が回避されてきた国家課題を、国民の前に真正面から差し出すための政治的装置である。決めない政治を続けるのか、それとも決断を引き受ける政治に戻るのか。その是非を問う行為である。

2️⃣世論と政党支持の乖離が生む「戦略的空白」


現在の政治状況には、明確なねじれが存在する。内閣への評価と、政党全体への評価が一致していないという現象である。トップ個人の姿勢や覚悟は評価される一方で、党としての振る舞い、とりわけ対中国政策をめぐる曖昧さに、有権者は割り切れない不満を抱いている。この感覚は印象論ではない。支持政党を決めきれない層が厚く存在しているという事実が、それを裏付けている。

にもかかわらず、与党は次の選挙で経済政策を前面に押し出し、安全保障、特に対中国政策を明確な争点にすることを避けようとしている。その結果、安全保障という本来最も重要な分野に「戦略的空白」が生じている。これは偶然ではない。党内事情と決断回避の積み重ねが、自ら生み出した空白である。

政治に空白が生じれば、そこは必ず争点になる。これは政治の常識だ。この空白は、保守系野党にとって偶然与えられた好機ではない。与党が自ら放棄した主導権である。

国民意識はすでに変わっている。安全保障を抽象論で語る時代は終わり、現実の脅威を前提に政治を評価する段階に入っている。対中国政策を争点化することは、過激でも扇動でもない。「決めない政治文化」と決別するかどうか、統治の姿勢そのものを問う行為である。

ここで重要な視点がある。かつて 安倍晋三 が語っていた通り、日本の政治家の多くはリベラルであり、保守は自民党の中の一部にとどまってきた。これはレッテル貼りではない。戦後日本の政治構造を冷静に言語化した現実認識である。

この構造の下では、保守は常に少数派であり、しかも巨大政党の内部に閉じ込められてきた。その結果、保守的な政策は党内調整の過程で骨抜きにされ、最終的には決断が回避される。自民党が勝っても、保守が勝ったとは限らない。これが長年続いてきた日本政治の実相である。

だからこそ、この選挙の意味は大きい。これは単に政権を選ぶ選挙ではない。自民党の一部にしか存在しない保守に国家の命運を預ける時代を終わらせる選挙である。

3️⃣決断できない国家の末路と、保守政治再編の選択

日本は「決めない政治文化」から脱却しなければならない

対中国政策を決めるとは、威勢のいい言葉を並べることではない。これまで決めてこなかった空白を直視し、国民が選べる具体的な選択肢として示すことである。スパイ防止の枠組み、防衛力の再構築、憲法上の位置付け。必要性が語られながら、決断だけが避けられてきたテーマは少なくない。

さらに重要なのは、対中問題が外交や軍事にとどまらない点である。入国・滞在管理、不動産や土地の取得、研究機関や地方自治体への影響力行使。外国人政策という内政の中で、判断回避はさらに露骨になる。国際化や差別への配慮という言葉が盾にされ、国家が主権として管理すべき領域は曖昧にされてきた。これは排外主義の問題ではない。統治の問題である。

ここで断言する。国家が決断できなくなったときに待っているのは、緩やかな衰退ではない。外部環境が変わった瞬間に、選択肢そのものを失うという破滅的な結末である。安全保障で決断しなければ抑止は崩れ、経済安全保障で決断しなければ供給網は他国の判断に委ねられる。外国人政策で決断しなければ、主権の実体は静かに侵食されていく。

だからこそ、この選挙は通常の政権選択選挙ではない。経済政策の優劣を競う選挙でも、人物評価で終わる選挙でもない。決断を回避する政治文化を終わらせ、複数の有力な保守勢力が競い合う政治を日本に根付かせられるかどうかを問う選挙である。

次の衆院選は、誰を選ぶかではない。
決断できない国家であり続けるのか、それとも主権国家として意思決定を取り戻すのか。
その一点を問う選挙となる。

参照

・昨日のブログ記事(前編)
なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別
https://yutakarlson.blogspot.com/2026/01/blog-post_11.html

・JNN世論調査に関する報道(内閣支持・政党支持の乖離)
https://newsdig.tbs.co.jp/list/tag/%E4%B8%96%E8%AB%96%E8%AA%BF%E6%9F%BB

・政府世論調査を引用した国際報道(中国が最大の安全保障上の懸念となった点)
https://www.reuters.com/world/china/china-tops-japanese-publics-security-worries-latest-government-poll-2026-01-09/

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2026年1月11日日曜日

なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別

 
まとめ

  • 岸田・石破政治の問題は、個々の政策の成否ではない。検討や熟議を重ねながら最終判断を避ける「決めない政治文化」が、安保・経済・外交・エネルギーのすべてで定着したことにある。本稿は、この文化がどのように国を動けなくしたのかを一つの流れとして描く。
  • 親中派や増税派の台頭は偶然ではない。抽象的で聞こえの良い言葉が実行に勝つ政治の下では、現実的な抑止や成長戦略は後回しにされる。本稿は、誰が得をし、誰が代償を払わされたのかを構造として示す。
  • 賃金は上がらず、原発再稼働も決断できず、国防と外交は後手に回った。この現実は部分修正では変わらない。なぜ冒頭解散という強い手段が必要なのか。本稿はそれを政局ではなく、政治文化そのものに決着をつける選択として提示する。
1️⃣冒頭解散しかない──岸田政権の政治姿勢と石破政治が日本を空洞化させた


「冒頭解散」という言葉に、拙速だ、前例がない、説明不足だという声が上がる。しかしそれは論点のすり替えだ。問われているのは手続きではない。岸田政権の政治姿勢と石破政治が、日本の政治をどこまで空洞化させ、その結果として何を招いたのかである。

岸田政権を象徴する言葉は明確だ。「検討する」「丁寧に検討する」「検討を加速する」。これは単なる修辞ではない。何もしないことを、あたかも責任ある政治であるかのように装う統治スタイルであった。物価高に直面しても、減税という核心には踏み込まず、給付金で時間を稼いだ。少子化対策では「異次元」という言葉を掲げながら、雇用・住宅・教育費という構造には手を付けなかった。防衛政策でも増額は語ったが、国民に覚悟を問う説明や制度設計を政治の責任で引き受けなかった。残ったのは、政策の実行ではない。検討の履歴だけが積み上がった政治である。

一方、石破茂の政治姿勢は、保守層の実感からすれば理知的でも正論でもなかった。安全保障や国家戦略に関する基礎的理解を欠いたまま、回りくどい言い回し、いわゆる石破構文で理屈を並べる。その語り口は一見もっともらしいが、中身がない。正確に言えば、「正しいことを言うが何も変わらない」のではない。理屈を並べ立てるが、結局は何も決めず、何も変えない政治であった。

岸田政権の政治姿勢と石破政治に共通するのは、決断を避け続けたことだけではない。政治を言葉の世界に閉じ込め、実行から切り離したことである。検討、熟議、丁寧な説明は、本来は決断に至るための手段だ。それ自体が目的化したとき、政治は機能を失う。国会は決断の場ではなく、言葉を消費する場へと変質した。

2️⃣言葉が支配した政治の帰結──親中派・増税派が主流になった理由


岸田・石破政権においては、自民党で親中派・増税派議員が主流になった

政治が言葉だけで回るようになると、必ず力を持つ勢力が現れる。行動しないことを正当化できる勢力だ。岸田政権の政治姿勢と石破政治の下で主流化したのが、親中派と増税派である。

親中派は「対話重視」「関係安定」「刺激を避ける」という言葉を用いた。増税派は「将来世代」「財政規律」「責任ある政治」という語彙を多用した。いずれも抽象的で聞こえは良いが、具体的な行動を伴わない言葉である。こうした言説は、不安を煽りつつ、何もしないことを現実的だと錯覚させる。

この言説は政策の先送りと常に連動した。安全保障では、尖閣、台湾、経済的威圧といった現実の脅威に対する抑止の設計が後回しにされた。経済では、需要創出と賃金上昇の基盤を作る政策が曖昧なまま、負担論だけが前に出た。外交では、会談や要請は繰り返されたが、相手の行動を変える条件提示は示されず、懸案が固定化した。

結果として国益は確実に毀損された。抑止は弱まり、相手の既成事実化が進んだ。実質賃金は伸び悩み、生活実感は悪化した。外交では主導権を失い、圧力が日常化した。言葉による正当化、先送り、国益の毀損という因果が、一貫して連なっている。

3️⃣エネルギーと賃金が示した失敗──原発再稼働を避け続けた代償

柏崎刈羽原発6号機の今月20日の再稼働は、福島事故後で東京電力(TEPCO)が運転する原発として初めての再稼働になる見込み

エネルギー政策の失敗は、岸田政権の政治姿勢と石破政治の欠陥を最も端的に示す。再生可能エネルギーを惰性的に継続する一方で、原発再稼働という現実的かつ即効性のある選択肢を政治が正面から引き受けなかったことが、決定的な誤りであった。

原子力は思想で語る対象ではない。安定供給・低廉性・自立性を同時に満たし得る基幹電源である。にもかかわらず、両政権は「理解醸成」「地元との対話」「慎重な検討」という言葉を繰り返し、再稼働の判断を事実上回避し、再稼働した原発もあるが、遅れた感は否めない。その結果、火力依存が続き、燃料費の変動が直撃し、電力価格は高止まりした。産業競争力は削られ、家計負担は恒常化した。再エネ依存 による環境破壊も続いた。これは経済政策の失敗であると同時に、エネルギー安全保障の失敗である。

同じ構図はマクロ経済にも表れている。賃金を例に取るのは偶然ではない。賃金は、政治と経済運営が本当に機能しているかを示す、最も誤魔化しのきかない指標だからだ。成長戦略も分配政策も、賃金が持続的に上がらなければ成功とは言えない。金融緩和は行われたが、十分ではなかった。需要不足の経済で賃金が上がるはずがない。実質金利を十分に引き下げ、「元には戻らない」という信認を与える覚悟が政治に欠けていた。その結果、賃金は上がらず、「増税しかない」という議論が正義の顔で広がった。政治の覚悟不足が生んだ必然である。

結論

ここまで見てきたとおり、岸田政権の政治姿勢と石破政治がもたらしたのは、単なる失政ではない。決断を回避する政治文化そのものである。安保では抑止が削られ、経済では賃金が削られ、外交では懸案が固定化し、エネルギーでは原発再稼働を避けた代償として脆弱性と国民負担が拡大した。これらは個別の問題ではない。一本の因果でつながっている。

この状況を、高市政権の成立や通常の国会運営や部分修正だけで立て直せると考えるのは幻想だ。なぜなら、問題は政策の細部ではなく、政治が決めないという姿勢そのものにあるからだ。決めない政治の下では、親中派と増税派が必ず台頭する。言葉が実行に勝ち、検討が責任に勝つからである。

だからこそ、この文化を断ち切るために冒頭解散などの覚醒のためのショックが必要になる。これは政局ではない。言葉だけで動く政治、検討しかしない政治、原発再稼働すら決断できない政治との決別を、国民に直接問う最終判断である。ここで問われるのは、誰を支持するかではない。どの政治文化を終わらせ、どの国家の姿を選ぶのかだ。

さらに注目すべきは、新年度予算案は前政権(石破政権)の色が極めて濃いということだ。骨太方針・概算要求の段階で、予算の大半はすでに確定していて、現政権が予算に自らの政策を反映させる余地はほぼない。

しかし、解散総選挙になり自民党が勝てば、審議時間不足から、現予算は暫定予算として成立させ、選挙後に大幅な修正予算という流れになる。選挙は「どの政権が、どんな予算を組むのか」を決め直す行為でもある。

冒頭解散は異例ではない。不可避である。

いま必要なのは理屈ではない。
覚悟である。

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2026年1月10日土曜日

資源戦争の時代が始まった──トランプは盤面を動かし、中国は戦略を失い、日本は選ぶ側に立った


まとめ

  • 中国の輸出圧力は一時的な外交摩擦ではない。日本がすでにレアアースをめぐる資源戦争の当事者に組み込まれたことを示す、決定的なシグナルである。
  • 「暴走」と嘲られてきたトランプ外交は、中国の資源支配を無効化するための一貫した戦略だった。一方、中国は資源を持ちながら戦略を欠き、自ら優位を削ってきた。その差が、世界の盤面を動かした。
  • 南鳥島と中央アジアは、日本が初めて「選ぶ側」に回るための現実的な二段構えである。この機会を生かせるかどうかは、もはや国際情勢ではなく、日本自身の覚悟にかかっている。

1️⃣資源が世界を動かす──中国の輸出圧力と、トランプが可視化した「資源戦争」


中国商務省は6日、高市早苗総理が台湾有事に言及したことへの対抗措置として、「日本の軍事力向上につながる品目について輸出を禁止する」と発表した。対象品目は明示されていないが、中国国営紙チャイナ・デイリーは関係者の話として、日本向けレアアース関連品目の輸出許可審査を厳格化する可能性を報じている。

この一報を、外交上の一時的な牽制として受け流すのは危険だ。レアアースは、半導体、電動化技術、精密誘導兵器、ステルス戦闘機など、現代国家の基盤を支える戦略資源である。中国が日本を名指しし、「輸出」という言葉を用いた事実は、我が国がすでに資源をめぐる現実の競争に引きずり出されていることを意味する。

重要なのは、中国の優位が埋蔵量そのものにあるわけではない点だ。真の力は、採掘、分離、製錬、輸出という供給網全体を長年にわたり押さえてきた構造にある。中国は実際に供給を止める必要すらない。「止められるかもしれない」という不確実性を相手に意識させるだけで、十分な圧力になるからだ。

世界が混沌として見えるのは、無秩序だからではない。水面下で秩序が組み替えられているからだ。価値観や理念の対立に見える出来事の多くは、その表層にすぎない。底流にあるのは、資源を制する国が主導権を握るという、きわめて現実的な力学である。

この構図を最も早く、最も露骨に可視化したのが
ドナルド・トランプである。

トランプの外交は、しばしば衝動的、予測不能と評されてきた。しかし資源という軸で見直すと、そこには一貫した戦略が浮かび上がる。彼は、中国が握るレアアースというカードを交渉で奪おうとはしなかった。カードそのものの効力を失わせる方向に盤面を動かしたのである。

グリーンランドへの強い関心は、その象徴だ。あれは奇抜な思いつきではない。世界有数の未開発鉱物資源、とりわけレアアースを中国企業に押さえさせないための、きわめて現実的な判断だった。不動産業を祖業とする彼にとって、立地と所有権はすべてである。

同盟国に対して自立を迫った姿勢も、感情論ではない。資源とエネルギーの供給網を中国が握る世界では、依存する同盟国そのものが戦略的弱点になり得る。だからこそ彼は、各国に自立を求めた。

決定的なのは、トランプ政権がこれらを明確に国家戦略として位置づけていた点だ。2017年以降、米国は重要鉱物を国家安全保障上の課題と定義し、供給網の再構築を進めてきた。エネルギー、鉱物、製造業、安全保障を一体で捉えた構想である。

対照的なのが中国だ。中国は資源を持っているが、その運用は戦略というより反射的な威嚇と報復の積み重ねに近い。2010年の対日レアアース輸出制限以降、同じカードが繰り返し使われてきたが、そのたびに世界は「中国依存は危険だ」という学習を強めてきた。中国による戦略なき機会主義の結末である。

戦略とは、相手の反応を織り込んで初めて成立する。終着点を見据えて供給網を組み替えた米国に対し、中国は感情に応じてカードを切ってきただけに見える。この差が、後の展開を決定づけた。

2️⃣南鳥島は決定打だが時間がかかる──中央アジアはその空白を埋める


我が国の足元には、国の運命を変え得る資源が眠っている。南鳥島沖の海底資源である。推定規模が500兆円に及ぶとも言われるが、重要なのは金額ではない。日本が初めて、構造的に資源自立へ向かえる現実的な選択肢を手にした点にある。

ただし、南鳥島は明日から使える資源ではない。深海からの回収、分離・製錬、物流、環境対応という工程があり、時間は必要だ。

しかし重要なのは、この資源がすでに研究段階を超え、実務の射程に入っている点である。実海域での試験と検証を経て、「掘れるか」ではなく「どう使うか」が問われる段階に移行しつつある。2030年前後から2030年代前半という時間軸は、地政学的には十分に現実的だ。

問題は、その間をどう乗り切るかである。ここで意味を持つのが中央アジアだ。

中央アジアには陸上鉱山があり、政治的合意と投資が噛み合えば、比較的短期間で供給を増やせる余地がある。もちろん万能ではない。政情リスクがあり、大国の影響も受けやすい。加えて、レアアースの核心は採掘ではなく、分離・製錬工程にある。

だから中央アジアは最終解ではない。しかし、南鳥島が立ち上がるまでの時間を稼ぐ補完策としては、きわめて現実的である。「中央アジアでつなぎ、南鳥島で決着をつける」。この二段構えは、工程の現実とも地政学とも整合する。

3️⃣「中央アジア+日本」が示す覚悟──日米の抑止と最終決着点

 昨年暮れ東京で日本と中央アジア五ヵ国との会談が行われた

中央アジアを単なる調達先と見るのは浅い。なぜ今、中央アジアなのか。その答えは、日本がこの地域との関係を首脳外交のレベルで制度化し始めた点にある。

「中央アジア+日本」首脳会合は儀礼ではない。インフラ、エネルギー、資源、人材育成という実利を軸に、中央アジアを日本の戦略空間に組み込む意思表示である。これについては、このブログでも過去に述べた。以下が当該記事である。
なぜ今、中央アジアなのか――「中央アジア+日本」首脳会合が示す国家の覚悟

これは、中国が場当たり的にカードを振るのとは対照的だ。日本は時間をかけ、制度として仕込む。戦略を持つ国と、持たない国の差である。

そして最終的な決着点は南鳥島だ。南鳥島が他地域と決定的に異なるのは、我が国の排他的経済水域にあり、日米同盟の軍事的抑止の下で守れる資源である点だ。資源は見つけただけでは意味がない。守れるからこそ価値を持つ。

結論

歴史は、資源を持たなかった国を救わない。しかし同時に、資源を前にして決断できなかった国もまた、等しく切り捨ててきた。トランプ政権が資源戦争の盤面を動かし、中国が戦略なき対応で自らの優位を削る中、我が国は中央アジアで時間を稼ぎ、南鳥島という決定打を手にする位置に立った。

これは偶然ではない。資源を軸に世界秩序が組み替えられるこの局面で、日本は初めて「選ぶ側」に回ったのである。この機会を生かせるかどうかは、もはや外部環境の問題ではない。国家としての覚悟が、いま問われている。

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