2026年10月2日金曜日

豪州ライナスがブラジルへ――日本が支えたレアアース供給網の次の一手


 まとめ

  • 中国の圧力に揺れた2010年から15年。日本が支えた豪州企業ライナスが、ブラジルのレアアース開発企業の買収へ動いた。
  • 日本は安定供給を、ブラジルは加工と産業育成を求める。双方の国益を結ぶ供給網は築けるか。
  • 外交の自由を守るには、工場を動かし続ける力が要る。今回の買収計画から、日本の次の一手を考える。
2026年10月1日、豪州のレアアース企業ライナスは、ブラジルで資源開発を進める豪州企業Meteoric Resources(メテオリック・リソーシズ)の買収合意を発表した。全額をライナス株で支払う方式で、買収評価額は約9億6800万豪ドルである。現金の支払額ではなく、買収もまだ完了していない。ロイターの10月1日報道

遠いブラジルの出来事だが、我が国にも意味がある。日本は政府系機関と民間企業を通じ、ライナスの供給網を支えてきた。一方、ブラジルは、自国の資源を国内の加工と産業育成へ結び付けようとしている。その双方の国益と、資源基盤を広げたいライナスの事業判断が、今回の買収計画でどう結び付くかが焦点である。

この15年の蓄積を理解するには、2010年の危機を忘れてはならない。中国からの原料供給が滞り、民主党政権の外交対応も厳しく問われた。ライナス支援は、そうした危機を背景に具体化した取り組みである。外交上の圧力に耐え、工場を動かし続けられる条件を築く。その意味から、今回の動きを読む必要がある。

1️⃣ブラジルが求めるのは、資源を産業へ変える投資である

買収対象の中核は、ブラジルのミナスジェライス州にあるカルデイラ・レアアース開発案件である。メテオリックの事業説明によれば、環境許認可の手続きや開発に向けた調査が進められている。すでに商業供給が始まった鉱山として扱うことはできない。

レアアースは元素ごとに用途が異なる。高性能なネオジム磁石では、軽希土類のネオジムやプラセオジムが主要な原料となり、重希土類のジスプロシウムやテルビウムは耐熱性を高めるために使われる。電気自動車や産業機械のモーターを支える材料であり、安定調達は製造業の生産継続に関わる。双日・JOGMECの2023年発表

資源を産業へ変える鉱物分析の現場イメージ AI生成画像
鉱物を掘り出しても、そのまま工場で使えるわけではない。元素を分離し、精製した後、金属や合金へ加工し、磁石などの製品に仕上げる工程が必要である。国際エネルギー機関(IEA)も、主要供給国以外の開発計画では、鉱山への投資に比べて精製や磁石製造の能力拡大が遅れていると指摘している。産地とともに後続工程の選択肢も増やしてこそ、供給網の多角化は進む。IEAの2026年報告概要

ブラジル政府も、資源を国内の産業へ結び付ける方針を明確にしている。2026年9月16日に成立した重要・戦略鉱物の新法は、探査や採掘に加え、国内での加工と付加価値の高い生産を促すものである。資源の保有を、設備、技術、雇用の蓄積へ変えようとする政策だ。ブラジル財務省の説明

今回の取引と政府との接点も報じられている。現地紙Folhaによれば、ブラジル政府は交渉について事前に知らされ、大統領府の官房に当たるCasa Civilが仲介に関わった。ライナスは、ブラジルでレアアースの分離事業を展開する可能性も検討するという。ただし、これらは報道された交渉経緯と事業上の検討であり、政府の正式承認や設備建設の決定を意味するものではない。Folhaの買収報道

買収を進める判断は企業が行い、規制上の審査や許認可は権限を持つ公的機関が担う。新法にも企業支配の変更などを審査する仕組みがあるが、政治的な歓迎と個別取引の承認は別である。今回の計画を評価する際には、資源の規模だけでなく、ブラジルにどの工程が築かれ、必要な品質の原料を継続して供給できる事業になるかを見る必要がある。ブラジルの法律原文

2️⃣2010年の危機から、日本は供給網を育ててきた

日本のライナス支援の出発点には、中国への依存が外交と産業を同時に揺さぶった経験がある。2010年、中国はレアアースの輸出枠を大幅に削減した。同年9月には尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突し、日中関係が悪化する中で、レアアースの対日輸出も停滞した。外務省は、この輸出停滞について中国側に改善を求めたと記録している。中国側は事件との関連性を否定しており、正式な対日禁輸の発表と同一視することはできない。外交青書2011、外務省の当時の説明

船長釈放をめぐる民主党政権の対応は、中国との関係維持を優先するあまり、圧力に対して譲歩を重ねる政権の弱さを露呈した――これが、本ブログが当時示した評価である。船長釈放直後の論考では、日本が譲歩しなくてもよかった理由を論じ、事態収拾を急ぐ対応を批判した。

当時の切迫感は、原料調達の不安だけでは説明できない。中国に融和的な姿勢を取ってきた政権が、圧力を受けても明確な方針を示し、我が国の利益を守り切れるのか。政権が判断を定められず、事態に押し流されているのではないか。その疑念が供給不安と重なっていたのである。民間企業、野党、行政の現場にとっても、政権の対応を問うことと、原料確保の具体策を進めることが同時に必要となった。

2010年の尖閣沖事件を象徴する再現イメージ AI生成画像
だからこそ必要だったのは、圧力を受けるたびに関係維持のための譲歩を探す政治から、圧力に耐えられる条件を築く政治への転換である。その条件の1つが、中国以外から重要な原料を調達できる供給網であった。経済産業省も、2010年の輸出規制を契機に中国依存のリスクが認識され、代替供給源の開発、省資源化、WTOへの提訴などを進めたと説明している。通商白書2025

双日は2010年にライナスとの提携交渉を開始し、同年11月に基本合意を締結した。翌2011年3月には、経済産業省の支援を受け、JOGMECと共同でライナスへの出融資を行った。両者が設立した日豪レアアース株式会社(JARE)を通じ、豪州の資源開発とマレーシアの分離・精製事業を、日本の需要へ結ぶ仕組みを築いたのである。双日の支援経緯、JOGMECの2011年発表

初期支援が民主党政権期に実行された事実と、同政権の外交対応への批判は、どちらも記す必要がある。実務として支援が具体化したことは、外交上の判断をそのまま正当化するものではない。一方、政権への批判を理由に、企業や行政が進めた供給確保の仕事まで見落としてはならない。

その後、2023年にはJAREを通じた追加出資により、ジスプロシウムとテルビウムの日本向け供給を確保した。2025年10月には、双日が、豪州由来の鉱石をマレーシアで分離・精製した重希土類の輸入開始を公表した。資金と契約を組み合わせた支援が、実際の原料供給へつながったのである。2023年の供給確保、2025年の輸入開始

さらに2026年3月、JAREとライナスの長期供給契約が更新され、ライナスが生産する中重希土類の最大75%を日本向けに供給する枠組みが公表された。対象品目も拡大し、豪州内外の新規鉱山の調査、評価、開発を検討する運営委員会の設立にも基本合意した。双日の2026年3月発表

75%はライナスの中重希土類生産に対する割合であり、日本の需要の75%を賄うという意味ではない。供給契約の当事者はJAREとライナスである。また、新鉱山を検討する運営委員会の合意は、今回の買収を承認した決定ではない。日本政府が買収を指示した、あるいは買収資金を拠出したとする資料は確認できず、カルデイラ由来の将来の生産品に既存契約がどう適用されるかも明らかではない。

それでも、ライナス支援の意味は明確である。外交上の圧力が工場の操業を左右する構造を変えるため、資金と契約を投じ、中国以外の供給力を育ててきた。今回のブラジル進出計画は、あの危機の後に15年かけて支えてきた供給網が、新たな資源基盤を求める動きとして読むべきである。

3️⃣双方の国益を、持続する供給網へ結ぶ

日本は安定した原料供給を求める。ブラジルは国内での加工と産業育成を求める。ライナスは資源基盤を広げ、事業を成長させようとしている。これらの目的を、採算の取れる設備と長期契約で結び付けられるかが、今回の計画の成否を左右する。

日本向けの供給確保とブラジル国内の加工能力の育成は、両立する余地がある。ブラジルで必要な品質の原料を安定して生産できれば、日本企業の調達先の選択肢も広がり得る。ただし、処理する工程、製品の品質、販売先、投資負担は、企業間の交渉と事業評価によって具体化する必要がある。双方の政策目標が近いだけで、安定供給が保証されるわけではない。

我が国が進めるべき仕事は3つある。第1に、開発案件の事業性を厳しく確認することだ。開発費、回収できる元素、操業費、環境対策、許認可、輸送条件を検証し、どの段階への投資が安定調達に寄与するかを判断する。日本側が追加支援を検討するなら、我が国の供給確保にどう結び付くのかを説明できなければならない。

第2に、海外の資源を国内の素材・磁石産業へつなぐことである。調達した原料を加工し、高品質な製品へ仕上げる設備と人材を育てる。分離・精製、磁石製造、使用済み製品からの再資源化、希土類の使用量を減らす技術も、それぞれの事業性と役割を見極めて支えるべきだ。供給網の強化を国内の生産と付加価値へ結び付けてこそ、雇用と所得を支える道が開ける。

使用済みモーターからの磁石回収のイメージ AI生成画像
第3に、長期購入契約と投資の組み合わせを磨くことである。供給者にとって、将来の需要が見通せることは設備投資の判断を支える。需要家が必要な量と品質を示し、供給者が操業計画を示す。その関係を適切な資金調達で支えれば、新たな供給能力を育てやすくなる。

多角化には費用がかかる。しかし、短期の購入価格だけで判断すれば、供給の集中を解消しにくい。IEAも、多角化に伴う追加費用を、大きな供給リスクに備える保険として捉える考え方を示している。調達政策では、平時の価格とともに、生産停止を避ける価値を評価すべきである。IEAの分析

政府は制度や支援策を整え、支援機関は制度に基づいて案件を審査し、企業は投資、契約、操業の責任を担う。事業を受け入れるブラジルにも、自国の法令と許認可を通じて国益を守る役割がある。支援額や合意の数だけで成果を語らず、確保した供給量、操業の安定性、調達先の選択肢、蓄積した技術と人材で評価すべきだ。

結論――2010年の危機を、次の供給力へ変える

2010年に問われたのは、中国の圧力に対して我が国の利益を守れるかという問題であった。政権の外交対応への批判と、原料供給への不安を切り離せば、当時の切迫感は見えなくなる。ライナス支援は、そうした危機を背景に、中国以外の供給力を育てる仕事として具体化し、継続されてきた。

今回のブラジル進出計画は、その供給網に新たな資源基盤を加える可能性を持つ。同時に、ブラジルが資源を国内の加工と産業育成へ変える機会でもある。買収の完了から開発、操業、製品供給までには、なお仕事が残る。今回の合意だけで中国への依存が解消するわけではない。

我が国は15年の蓄積を生かすべきである。官民による支援、JAREの長期供給契約、重希土類の輸入開始を、次の安定調達と国内の産業能力へつなげる。ブラジルの国益も踏まえ、同国の資源、豪州・マレーシアの事業基盤、日本の技術と需要を結ぶ。その関係が持続する事業になれば、供給網は強くなる。

必要な原料を確保し、自らの工場を動かし続けられる力。それを設備、技術、人材、契約として蓄積することが、我が国の国家資産形成である。外交の自由を守るには、それを支える供給力が要る。ライナスの次の一手を、その力を強める機会へ変えるべきである。

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2026年10月1日木曜日

古謝県政が始動 沖縄はようやく「政策を動かすスタート台」に立った


まとめ
  • 2026年9月の沖縄県知事選では、古謝玄太氏が42万3124票の過去最多得票で当選し、12年ぶりの県政交代となった。古謝県政の実績評価はこれからだが、県民が県政の継続ではなく転換を選んだという事実は明確に出発点とすべきである。
  • 古謝県政では、「辺野古新基地建設問題対策課」から「早期返還対策室」へ行政の重点が移る。県政の評価軸も、何に反対したかだけではなく、普天間返還、基地負担軽減、所得、物流、産業などをどこまで具体的に動かしたかへ移ることが期待される。
  • 北海道でもラピダス、GX、AI、宇宙、食料安全保障などの国家政策を受け入れるだけでは地域資産にならない。地域の要求をまとめ、国の制度と投資を供給力、所得、産業基盤へ変える自治体の実装力が問われている。

沖縄県で12年ぶりに県政が交代した。9月13日の沖縄県知事選で、古謝玄太氏は42万3124票を獲得し、過去最多得票で初当選した。投票率は61.57%で前回を3.65ポイント上回り、自民党などが推す保守系知事の誕生は2014年以来12年ぶりとなった。9月30日に知事へ就任し、翌10月1日には新しい県政運営を象徴する組織改編も動き始めた。QABが報じた2026年沖縄県知事選の結果でも、この県政交代と得票結果が確認できる。QAB 琉球朝日放送 | もっとドキドキQAB

この選挙結果を曖昧に扱うべきではない。県民は投票を通じ、12年間続いた県政の継続ではなく、別の県政運営を選んだ。県政交代という明確な政治的選択が示された。古謝氏自身、選挙戦で玉城県政を「停滞」と評価し、国や企業を「悪者」にするだけでは沖縄の暮らしは良くならないと訴えていた。琉球新報の候補者アンケートや告示日のQAB報道からも、今回の選挙が県政運営の方法そのものを争点の一つとしていたことが分かる。琉球新報デジタル

10月1日には「辺野古新基地建設問題対策課」が廃止され、基地対策課内に「早期返還対策室」が設けられた。古謝氏は辺野古移設を容認する一方、普天間飛行場の危険性除去と早期返還、嘉手納以南の米軍施設返還を政府に求める方針を示している。

つまり、基地問題を県政から外したのではない。行政の焦点を「建設を止めるために何をするか」から、「返還という結果をどう取りに行くか」へ移そうとしているのである。

ここに今回の県政交代の大きな意味がある。国との協議、基地返還、沖縄振興、産業政策、所得向上という複数の政策手段を同時に使い、具体的な成果を取りに行く県政を試す条件が生まれた。沖縄は、新しいスタート台に立った。

そして、この問いは沖縄だけのものではない。ラピダス、GX、AI、宇宙、食料安全保障といった国家的政策が集中しつつある北海道にも、「国策を受け入れるだけの自治体で終わるのか、それとも国策を地域資産へ変えるのか」という同じ問題がある。

2️⃣古謝氏の「つなぐ」は、県政を再び交渉主体にできるか

古謝氏が選挙期間中から強調してきた言葉の一つが「つなぐ」である。県と経済界、県と市町村、県と県民が十分につながっていないとの認識を示し、それらを結び付けた上で中央政府と交渉するという構想を語ってきた。重要なのは、「国と仲良くする」という単純な話ではない。県内の市町村、企業、住民が抱える要求を県庁が集約し、それを政府の制度、予算、政策へ接続するという政策形成の経路を描いていることである。

県・市町村・経済界をつなぎ、政策実現を目指す沖縄県政の協議イメージ AI生成画像
この発想を具体化する一つの場が、古謝氏が再開を求める沖縄政策協議会である。同協議会は1996年9月17日の閣議決定で設置され、米軍施設・区域の集中が県民生活や地域振興へ及ぼす影響を踏まえ、地域経済の自立、雇用確保、県民生活の向上など、沖縄に関連する基本施策を協議する仕組みである。主宰するのは沖縄及び北方対策担当相で、内閣官房長官、関係閣僚、沖縄県知事などが構成員となる。内閣府「沖縄政策協議会の設置について」を見ると、県が政策を単独決定する機関でも、国と県があらゆる事項を共同決定する場でもないことが分かる。県知事が政府の関係閣僚に政策要求を提示し、調整する制度的な協議の場である。内閣府ホームページ

これは小さな違いではない。行政は主張を発信するだけでは住民生活を変えられない。基地問題なら返還時期、跡地利用、道路や交通網、住宅、産業立地まで具体化する必要がある。経済政策なら、物価高、物流コスト、中小企業の生産性、県民所得、観光消費などを実際に動かさなければならない。そのためには県庁だけでなく、市町村、経済界、中央省庁を動かす必要がある。

過去12年間には、辺野古移設をめぐる行政手続きや司法上の争いが県政の大きな比重を占めた。沖縄県は、公有水面埋立承認の撤回、設計変更申請の不承認、国地方係争処理委員会への申出、複数の訴訟などを続け、その経緯を沖縄県「辺野古移設に係る争訟記録」で公開している。しかし、その過程で最高裁判断や国土交通相による代執行に至り、県の法的対応だけでは工事を止められなかった案件も残った。

今回の選挙で県民が選んだのは、その県政の継続ではなかった。

この事実は正面から受け止める必要がある。古謝氏の「つなぐ」が意味を持つかどうかは、県内の意見をまとめ、政府との交渉を具体的な制度変更、予算、基地返還、所得向上へつなげられるかによって決まる。

古謝県政は、成果を約束されたスタート台に立ったのではない。

成果を取りに行き、その結果で評価されるスタート台に立ったのである。

2️⃣沖縄県民が選んだ「転換」を結果へ変えられるか

今回の県政交代を「辺野古反対から辺野古容認へ」とだけ説明すると、その意味を狭くしてしまう。変わる可能性があるのは政策上の立場だけではなく、県庁が限られた人員、時間、政治的資源を何に投入するかである。

過去の県政では、辺野古をめぐる行政・司法上の対応が重要な政策手段だった。しかし今回の知事選では、その路線を継続する候補ではなく、異なる県政運営を掲げた古謝氏が42万3124票という過去最多得票で当選した。行政・司法上の対応に一定の制度的意味があったことと、県民がその県政路線の継続を選ばなかったことは、同時に成り立つ。QAB 琉球朝日放送 | もっとドキドキQAB

その意味で、「辺野古新基地建設問題対策課」から「早期返還対策室」への変更は象徴的である。名称を変えれば基地が返還されるわけではない。普天間飛行場の返還には日本政府と米国政府の合意や作業が必要であり、沖縄県知事が単独で決定できる問題ではない。しかし県庁の行政組織に、何を政策目標として追わせるかという意味はある。古謝県政では、少なくとも「移設阻止」を主要な行政目的とする体制から、「返還を具体的に進める」ことを掲げる体制へ重点を移した。

住宅地に隣接する米軍基地。危険性除去と早期返還が問われる AI生成画像
ここは明るく、前向きに捉えてよい。

古謝氏の政策が正しいと先に結論づけるからではない。県政の評価軸を「誰と対立したか」から、「何を実現したか」へ移しやすくなったからである。国との関係が良好でも普天間返還が進まず、県民所得も伸びなければ、その県政は成果を出したとは言えない。一方、政府と厳しく交渉して基地負担の軽減や産業政策を引き出したなら、それは明確な成果である。

自治体の役割は、対立することでも協調することでもない。必要な時には異議を唱え、必要な時には協議し、使える制度を使い、最後に住民生活を改善することである。普天間飛行場の危険性をどう除去するのか。返還された土地を住宅、交通、企業立地などの地域資産へどう変えるのか。物流コストをどう下げ、企業の付加価値と賃金をどう引き上げるのか。沖縄の若者が県内で働き、家庭を持ち、将来を描ける環境をどうつくるのか。

古謝県政の真価は、これからそこに現れる。

ただし、その結果を競うためには、まずスタート台に立たなければならない。12年ぶりの県政交代は、そのための機会を沖縄にもたらした。県政とは、主張だけではない。最後は実装である。理念だけで実装が伴わなければ、無価値であり、無意味である。

今回の県政交代を前向きに見る理由は、まさにそこにある。

3️⃣北海道も国家政策の「開催地」から抜け出せ

そして、この問題は北海道にもそのまま当てはまる。沖縄と北海道では歴史も安全保障環境も全く異なる。しかし双方とも、自治体だけでは完結しない国家的な政策体系の中に位置している。

北海道では、北海道開発法に基づく北海道総合開発計画がある。これは北海道庁が決定する計画ではなく、国土審議会での議論などを経て内閣が閣議決定する国の計画である。2024年3月12日に閣議決定された第9期北海道総合開発計画は、2024年度からおおむね10年間を対象とし、「我が国の豊かな暮らしを支える北海道」を目標に掲げ、食料安全保障、観光、ゼロカーボン、デジタル技術、交通ネットワークなどを総合的に進めるとしている。国土交通省

北海道には巨大な機会がある。しかし、国家政策が北海道へ来ることと、北海道が豊かになることは同じではない。

先端産業と交通・電力インフラが集まる北海道の成長拠点イメージ AI生成画像
千歳のラピダスは、その最も分かりやすい例である。本ブログでも2024年、「ラピダスに5900億円 半導体で追加支援」で、ラピダスを単なる工場誘致ではなく、我が国の半導体供給力と経済安全保障を再建する国家的プロジェクトとして取り上げた。しかし最先端半導体の工場だけが北海道に置かれても、それだけでは十分ではない。電力、水、道路、鉄道、住宅、人材、大学、装置・材料企業などを北海道に集積させ、巨大な投資を地域の所得と産業基盤へ変えて初めて、国家プロジェクトが北海道の資産になる。

GXも同じである。本ブログでは「GX投資、北海道に」で、北海道のGXを単なる再生可能エネルギー拡大ではなく、安定した電源と高度産業を結び付ける問題として論じた。現在、北海道・札幌は「GX/AI金融・資産運用特区」の対象地域であり、北海道全域は別制度として国家戦略特区にも指定されている。北海道の公式資料によれば、前者はそれ自体に独立した法的な規制改革制度を持つものではなく、規制改革では国家戦略特区制度を利用する。北海道「GX/AI金融・資産運用特区」と北海道「国家戦略特区について」を見れば、この制度上の違いが分かる。北海道庁

さらに北海道は、国家戦略特区を通じ、宇宙産業、AI農業、GX関連施設、ヒグマ対策などについて地域側から規制改革を提案している。北海道国家戦略特別区域会議では、宇宙産業の規制・制度改革や十勝AI農業特区、ヒグマ対策に関する提案まで具体化している。つまり自治体は、国策を受け取るだけの存在である必要はない。地域側から制度を変える提案を出すこともできるのである。北海道庁

本ブログで取り上げた上士幌町の地方創生も、同じ問題を示している。「人口減少の北海道を救うもの」では、AI、自動運転、エネルギー、子育て、地域文化を組み合わせ、人口が減っても生活機能と供給力を維持する地域経営について考えた。これも補助金の金額ではなく、制度や技術を住民生活へ変える実装の問題である。

ラピダス、GX、AI、宇宙、食料、エネルギー。北海道には材料がある。

しかし、材料があることと、料理ができることは違う。

北海道は国家プロジェクトの「開催地」で終わるのか。それとも国家プロジェクトを北海道の資産へ変えるのか。

今こそ、この問いを突き付けるべきである。

沖縄では、県民が選挙によって県政の転換を選んだ。古謝県政がその期待に応えられるかはこれからだが、少なくとも別の政策手段を試すスタート台には立った。北海道でも、国家政策の到来を歓迎するだけではなく、道庁、市町村、経済界、大学、一次産業をつなぎ、「北海道として何を国から引き出し、何を北海道に残すのか」を明確にする必要がある。

結論 県民が選んだ転換を、成果へ変えられるか

2026年9月13日、沖縄県民は選挙によって県政交代を選んだ。古謝玄太氏は42万3124票という過去最多得票で初当選し、12年ぶりに保守系県政が誕生した。これは、今回の記事の出発点として曖昧にすべきではない事実である。QAB 琉球朝日放送 | もっとドキドキQAB

古謝県政の評価はこれからだ。新知事になっただけで普天間飛行場が返還されるわけではないし、県民所得が自動的に上がるわけでもない。しかし、評価がこれからだからとしても県政転換そのものの意義は大きい。

過去12年間とは異なる政策手段を使い、国との協議を基地返還、産業政策、所得向上へつなげようとする県政が始まった。県民は、その新しい道を選んだのである。

結果はこれから競えばよい。

重要なのは、その競争が始められるスタート台に立ったことである。

北海道にも同じことが言える。ラピダスが来た。GXがある。AIがある。宇宙産業がある。食料がある。エネルギーがある。しかし、それだけでは北海道の未来は保証されない。北海道が何を実現したいのかを自ら定め、地域内の主体をつなぎ、国へ制度と予算を要求し、投資を産業と所得へ変えて初めて、本当の成果になる。

中央政府に反対したか。中央政府と協調したか。その二択だけで自治体を測る時代ではない。

地域の要求を国家政策へつなぎ、国家政策を地域の資産へ変えられたか。

沖縄は今、新たなスタート台に立った。その評価はこれからだが、スタート台に立てたこと自体は明るく、前向きに受け止めてよい。

そして北海道もまた、国家的重要政策が集中する今こそ、自ら新しいスタート台を築くべき時なのである。

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2026年9月30日水曜日

10月1日、日本の電気・銀行・病院を守るサイバー防衛が変わる


まとめ
  • 10月1日、電力、金融、医療など16分野を守る重要インフラ統一基準が動き出す。私たちの日常を支えるサイバー防衛が新しい段階へ入る。
  • これは高市政権になって突然始まった政策ではない。安倍、菅、岸田、石破、高市の各政権をまたぎ、20年以上かけて積み上げられてきた国家基盤である。
  • 目標は「絶対に侵入されない国」ではない。攻撃されても電気、決済、診療を止めず、速やかに復旧できる「止まらない国」をつくることである。

電気が来ない。銀行振込ができない。病院で電子カルテが開けない。鉄道の運行システムが止まる。こうした事態が大規模なサイバー攻撃によって起きれば、問題は一企業の「システム障害」では済まない。国民生活と経済活動そのものが揺らぐ。

その重要インフラの守り方が、2026年10月1日に大きな節目を迎える。

7月31日、政府のサイバーセキュリティ戦略本部は「重要インフラのサイバーセキュリティ対策のための統一基準」を決定した。対象は、情報通信、金融、航空、空港、鉄道、電力、ガス、行政サービス、医療、水道、物流、化学、クレジット、石油、港湾、郵便の16分野である。郵便が加わり、従来の15分野から16分野となる。統一基準と、国家サイバー統括室が9月11日に策定した安全基準等策定ガイドラインは、いずれも10月1日に施行される予定である。

政府が新たな統一基準を設けた理由は明確だ。これまでにも重要インフラを守る行動計画や各分野の安全基準は存在したが、政府機関の施策や事業者の取組を横断的に評価し、改善につなげる具体的な共通基準が十分ではなく、分野や事業者によって対策水準にばらつきがあった。統一基準は、その穴を埋めるものである。

同じ10月1日には、2025年に成立したサイバー対処能力強化法についても、官民連携とアクセス・無害化措置に関する制度が施行される。法律上の「特別社会基盤事業者」には、特定重要電子計算機の届出や一定の侵害事象の報告などが求められる。一方、通信情報の利用に関する制度は10月1日にすべて始まるわけではなく、政府の工程では2027年11月までの施行が想定されている。ここは区別しなければならない。

また、「重要インフラ統一基準」と「サイバー対処能力強化法」は同じ制度ではない。統一基準は、政府機関が実施する重要インフラ施策の共通の物差しを設け、各所管省庁や業界の安全基準へ反映させる仕組みである。16分野の全事業者に同一の法的義務を直接課すものではない。これに対し、サイバー対処能力強化法は、対象事業者の届出・報告、官民連携、通信情報の利用、アクセス・無害化措置などを法律によって定める制度である。

重要なのは制度名ではない。

我が国が「侵入されないこと」だけを目指す防御から、侵入される可能性を前提に、早く見つけ、被害を広げず、社会サービスを維持し、止まっても早く復旧する防御へ移ろうとしていることだ。

1️⃣安倍から高市へ――政権を超えて積み上げられたサイバー防衛

現在のサイバー防衛政策は、岸田、石破、高市の3政権だけを見ても全体像は分からない。その制度的な系譜はさらに前へ遡る。

政府のサイバー対策組織の源流は2000年の「情報セキュリティ対策推進室」、2005年の「情報セキュリティセンター」にある。そのうえで現在につながる大きな転換が起きたのが安倍政権期である。2013年の国家安全保障戦略は、すでに「サイバーセキュリティの強化」を国家安全保障上の戦略的課題の一つに掲げ、重要な社会システムをサイバー攻撃から防護し、官民連携を強化する方針を示していた。したがって、「岸田政権になって初めてサイバーセキュリティが国家安全保障の問題になった」と理解するのは正しくない。

政権をまたいで積み上げられてきた日本のサイバー政策 AI生成画像

2014年にはサイバーセキュリティ基本法が成立した。ただし、ここは政治的な決定主体を正確に書く必要がある。同法は内閣提出法案ではなく、衆議院内閣委員会による委員会発議の法律案として国会に提出され、成立したものである。その法律に基づき、2015年1月に内閣へサイバーセキュリティ戦略本部が設置され、従来の情報セキュリティセンターは内閣サイバーセキュリティセンター、NISCへ改組された。現在の国家的な司令塔体制の骨格は、この時期に整った。

安倍政権下では、2015年と2018年にサイバーセキュリティ戦略が閣議決定された。とりわけ2018年戦略は、今回の改革を理解するうえで重要である。そこでは重要インフラについて「任務保証」の考え方を明確にし、サイバー攻撃が発生しても重要インフラサービスを安全かつ持続的に提供できるよう、リスク評価、事業継続計画、緊急時対応を強化する方針を示した。この記事でいう「攻撃されても社会を止めない」という発想は、少なくともこの時期には政府戦略としてはっきり形になっている。

高市早苗氏も、首相になって初めてこの分野へ関わったわけではない。安倍政権期の2017年には自民党サイバーセキュリティ対策本部長に就いている。ただし、これは党の役職であり、政府の行政上の決定権限とは区別して見る必要がある。

菅政権でも流れは続いた。2021年9月1日にはデジタル庁が発足し、政府横断でデジタル化を進める体制が整った。デジタル庁の創設自体は重要インフラ防護制度ではないが、行政や社会のデジタル化が進むほど、システム停止やサイバー攻撃が国民生活へ及ぼす影響は大きくなる。デジタル化とサイバーセキュリティを別々に考えられない時代になったのである。

そして菅政権最終盤の2021年9月28日、新たなサイバーセキュリティ戦略が閣議決定された。「任務保証」の考え方は引き継がれ、経営層が自らの業務・サービスを安全かつ持続的に提供する責任を負うという考え方が一段と明確になった。クラウドについても、設計・開発段階からセキュリティを組み込むためのルール整備が打ち出され、その後の重要インフラ向けクラウドガイダンスにつながった。

岸田政権では、この流れをさらに踏み込ませた。2022年の国家安全保障戦略は、サイバー安全保障分野の対応能力を「欧米主要国と同等以上」に引き上げる目標を示し、重大なサイバー攻撃のおそれがある場合に被害を未然に排除し、発生時には拡大を防ぐための「能動的サイバー防御」を導入する方針を明記した。2013年戦略からの連続性の上に、国家がより能動的に対処する段階へ踏み込んだのである。

この岸田政権で、高市氏は2022年8月から経済安全保障担当相を務めた。高市氏の直接の所管には、経済安全保障推進法に基づく基幹インフラ制度があった。2023年7月の名古屋港のシステム障害を受けて、高市氏は港湾を基幹インフラ制度の対象事業へ追加することも含め検討すると表明した。同年8月には、医療機関がサイバー攻撃によって機能を失わないよう、医療分野についても追加を検討するよう事務方へ指示している。

ただし、能動的サイバー防御そのものは高市経済安全保障担当相の直接所管ではなかった。高市氏自身が2024年5月の国会で、「能動的サイバー防御につきましては、河野大臣の所管」と答弁している。岸田政権では、国家全体の能動的サイバー防御の制度設計と、高市氏が担当した経済安全保障推進法上の基幹インフラ防護が並行して進んでいた、と整理するのが正確である。

石破政権では、2022年国家安全保障戦略で示された方針の法制化が進んだ。2025年2月7日にサイバー対処能力強化法案と整備法案が閣議決定され、国会へ提出された。両法は5月16日に成立し、23日に公布された。さらに7月にはNISCが改組され、国家サイバー統括室が発足した。

高市政権では、その政策が実装段階へ入った。2025年12月23日には新たなサイバーセキュリティ戦略が閣議決定され、2026年7月31日にはサイバーセキュリティ戦略本部が重要インフラ統一基準などを決定した。高市首相は同日の会合で、官民連携の協議会やアクセス・無害化措置について10月1日の施行に向け準備を加速するよう関係閣僚へ指示している。

また、高市氏が2023年に検討を求めた医療分野についても、その後政策は進んだ。2026年6月10日に成立した経済安全保障推進法等の改正では、基幹インフラ制度の対象となり得る特定社会基盤事業に医療分野を追加する措置が盛り込まれた。これはサイバー対処能力強化法とは別制度であるが、重要な社会機能をサイバー攻撃や外部からの妨害から守るという政策上の連続性は明らかである。

こうして見れば、現在の改革を一つの政権や一人の政治家だけの政策と説明することはできない。

安倍政権期に国家安全保障とサイバー防衛を接続し、基本法、戦略本部、NISCという制度的な骨格が整った。菅政権ではデジタル化の加速とともに任務保証やクラウド時代への対応が進んだ。岸田政権では能動的サイバー防御を国家戦略として明示し、その政権内で高市経済安全保障担当相が基幹インフラ防護を進めた。石破政権で新制度が法制化され、高市政権で統一基準などの実装が本格化する。

政権が替わっても、国家に必要な制度は積み上げられてきたのである。

2️⃣電気・銀行・病院で、実際に何を守るのか

では、重要インフラ統一基準によって、現場には何が求められるのか。

まず押さえるべきは、統一基準が「全企業に同じ装置を導入せよ」と命じるものではないことだ。統一基準は、第2部で政府機関が実施する施策、第3部で各分野の省令やガイドラインなどの安全基準に盛り込むべき事項を定める。組織統治、識別、防御、検知、対応・復旧までを一体として扱い、所管省庁や業界団体が各分野の実情に応じて具体化する構造である。

ここで求められているのは、サイバーセキュリティを情報システム部門だけの仕事にしないことである。経営層が、どの業務やサービスを絶対に守るのか、どのシステムや機器が止まれば事業継続に重大な影響が出るのかを把握し、リスクとして管理する必要がある。さらに、資産管理、アクセス管理、脆弱性への対応、監視、インシデント対応、復旧、人材育成などを組み合わせる。サイバー攻撃を受けた後まで含めて防御を設計するという発想である。

重要インフラを24時間監視し、異常を早期検知する防衛の現場 AI生成画像
電力会社なら、守るべきものは社員のパソコンだけではない。発電所や変電所の監視・制御システム、通信回線、保守設備まで含まれる。誰がどの設備へ接続できるのかを管理し、異常な通信を監視し、脆弱性を放置せず、攻撃を受けた場合にも可能な限り電力供給を維持する必要がある。新しい行動計画では、情報システムに事務系ITだけでなく、フィールド機器や監視・制御システムなどの制御系も含めている。

銀行も同じである。預金情報を盗まれなければよいという話ではない。振込、ATM、カード決済、インターネットバンキングなど、多数のシステムが連動している。一部で障害が発生しても金融サービス全体を止めない構成、不正なアクセスを早く検出する監視、障害発生後の復旧能力までが重要になる。

病院では、問題はさらに国民の生命へ直結する。電子カルテ、検査、画像、予約などのシステムが止まれば、診療そのものに支障が出る。患者情報の流出を防ぐだけでは不十分であり、システム停止時にも診療を続ける代替手段と復旧手順が必要になる。医療が重要インフラ16分野に含まれる理由も、情報を守るだけでなく、医療サービスそのものを継続させる必要があるからだ。

この考え方は、安倍政権期から政府戦略に組み込まれてきた「任務保証」の延長線上にある。安全対策を実施したという形式ではなく、電気を届ける、決済を動かす、診療を続けるという本来の任務を維持できるかが問われるのである。

重要なのは、10月1日に全国の設備が一夜で変わるわけではないという点だ。統一基準を受け、所管省庁や業界団体がそれぞれの安全基準を整え、各事業者の対策を評価し、改善する。この循環を続けることで、分野ごとの差を縮め、我が国全体の防御水準を引き上げていく。

地味な制度変更に見える。しかし、国民にとって重要なのは新しいセキュリティ製品を何台導入したかではない。

攻撃を受けたときにも、電気がつくか。決済できるか。診療を続けられるか。

そこが問われているのである。

3️⃣本当の弱点は「自社の外」にある

重要インフラ事業者が自社を厳重に守れば、それで十分という時代でもない。

電力、金融、医療のシステムは、機器メーカー、ソフトウェア会社、通信会社、クラウド事業者、システム保守会社など、多数の企業によって支えられている。自社の防御が強固でも、委託先や供給元に脆弱性があれば、そこが侵入口になり得る。

そのため重要インフラ政策では、サプライチェーン全体のリスク管理が重視される。重要なシステムがどの事業者や外部サービスに依存しているのかを把握し、委託先との責任分担を明確にし、必要に応じてその先の供給者までリスクを見る。安全基準の考え方でも、自組織とサプライチェーンの依存関係や供給者の対策状況を把握し、リスク評価と事業継続へつなげることが重視されている。

委託先やクラウドまで含めて守るサプライチェーンの防衛 AI生成画像
そしてもう一つの柱が、企業と政府の間で情報を循環させることである。

サイバー対処能力強化法では、特別社会基盤事業者からの報告などを通じて政府が情報を把握し、整理・分析したうえで、必要な情報を事業者側へ提供する仕組みが設けられている。法律には、内閣総理大臣による情報の整理・分析と、特別社会基盤事業者への情報提供が明記されている。

例えば、ある電力会社で新しい攻撃手法が発見されたとする。その情報がその会社だけにとどまれば、攻撃者は同じ方法を別の電力会社や通信会社、金融機関へ使えるかもしれない。政府が速やかに分析し、必要な範囲で関係事業者へ還元できれば、一社が受けた攻撃から得られた知見を、我が国全体の防御へ変えることができる。

これが官民連携の本来の意味である。企業から政府へ報告書を提出するだけではない。政府にも、民間単独では得にくい情報を集約し、分析し、実際の防御に使える形で返す能力が求められる。

一方で、制度運用を誤れば別の問題が起こる。報告制度を複雑にし過ぎれば、現場の担当者が書類作成に追われる。大量の情報を政府が集めても、分析能力が伴わなければ価値は生まれない。制度を作ったこと自体を成果としてはならない。

サイバー対処能力強化法には、アクセス・無害化措置という、従来より踏み込んだ国家の対処手段も盛り込まれた。ただし、それは警察や防衛省・自衛隊など、法律上の権限と統制の下で行われる仕組みであり、民間企業が勝手に攻撃者へ反撃する制度ではない。10月1日に施行されるのも、このアクセス・無害化措置と官民連携の部分であり、通信情報利用制度の全面的な運用は後段階となる。

制度の成果を測る物差しは、報告書の枚数でも会議の回数でもない。

一社で発見された攻撃を、次の一社への攻撃防止につなげられたか。攻撃を受けても、電気、金融、医療などのサービスを維持できたか。そこに制度の成否が表れる。

結論 政権を超えて積み上がった国家の基盤

我が国のサイバー防衛は、一人の首相、一つの政権によって突然作られたものではない。

2000年代から政府内の情報セキュリティ体制が整えられ、安倍政権期には2013年の国家安全保障戦略でサイバーセキュリティが安全保障上の重要課題として位置付けられた。2014年には国会の委員会発議によってサイバーセキュリティ基本法が成立し、2015年には戦略本部とNISCという制度的な骨格が整った。2018年戦略では「任務保証」が前面に出され、重要なサービスを攻撃時にも継続する考え方が明確になった。

菅政権ではデジタル庁が発足し、2021年戦略でデジタル社会における任務保証、クラウド、サプライチェーンへの対応が深められた。岸田政権では2022年国家安全保障戦略によって能動的サイバー防御と「欧米主要国と同等以上」という目標が示され、高市経済安全保障担当相は別の制度である経済安全保障推進法上の基幹インフラ防護を進めた。石破政権ではサイバー対処能力強化法が成立し、NISCは国家サイバー統括室へ改組された。高市政権では2025年末に新たなサイバーセキュリティ戦略が閣議決定され、2026年には重要インフラ統一基準などが具体的な実装段階へ入っている。

高市氏自身にも政策上の連続性がある。安倍政権期には党のサイバーセキュリティ対策本部長を務め、岸田政権では経済安全保障担当相として港湾や医療を含む基幹インフラ防護の検討に関わり、現在は首相として政府全体のサイバー政策を統括する立場にある。ただし、能動的サイバー防御の制度設計や石破政権下の法制化までを高市氏自身の主導とみなすのは正確ではない。政権をまたぐ政策の継承と、個々の政治家の所管・権限は分けて見る必要がある。

この政策史から見えてくるのは、政局とは別の時間軸で国家が動いているという事実である。安全保障、インフラ、エネルギー、医療、通信といった国家の基盤は、1回の選挙や1人の首相だけで完成するものではない。必要な制度をつくり、運用し、弱点を見つけ、改める。それを何代もの政権と行政組織、民間事業者が積み重ねていく。

それこそが、国益を守る国家基盤の形成である。

重要なシステムを把握する。脆弱性を減らす。異常を早く見つける。バックアップを確保する。攻撃されたら被害を封じ込め、サービスを継続し、迅速に復旧する。委託先やクラウドまで含めて弱点を管理し、一社で得た知見を我が国全体の防御へつなげる。

一つ一つは派手ではない。しかし、国民にとって、何事もなく電気がつき、銀行決済が動き、病院で診療を受けられることほど重要なものはない。

10月1日は制度の完成日ではない。

長年積み上げられてきた我が国のサイバー防衛が、「攻撃を防ぐこと」だけに重点を置く段階から、「攻撃を受けても国家と社会の機能を止めない」段階へ本当に進めるのか。その実力が問われ始める日なのである。

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2026年9月29日火曜日

なぜ「船体」が重要物資になったのか――日本の造船再生は産業政策を超えた経済安全保障

まとめ

  • 日本には、設計力、造船所、そして舶用機器の約9割を国内で供給できる産業基盤がまだ残っている。失ってから再建するより、今こそ供給力を立て直すべき時である。
  • 米国はリバティ船2710隻を建造した国でありながら、現在は商船建造能力を大きく縮小した。一度失われた造船の産業生態系は、巨額の資金を投入しても簡単には戻らない。
  • 中国は圧倒的な建造量を背景に、部品、高付加価値船、技術力まで伸ばしている。日本が守るべきものは造船所だけではなく、「必要なときに船を造れる国」という国家資産である。

2025年12月、政府は政令を改正し、すでに経済安全保障推進法上の特定重要物資に指定されていた「船舶の部品」の範囲に、船体を構成するものを追加した。2026年2月には国土交通大臣が安定供給確保のための取組方針を改定し、9月には具体的な供給確保計画の認定が始まった。つまり、「船体」は国土交通省が単独で重要物資に指定したのではない。政令によって特定重要物資の対象に加えられ、国土交通大臣が所管大臣として具体的な供給確保計画を認定・支援する制度なのである。内閣府「サプライチェーン強靱化の取組」 国土交通省「船舶の部品の安定供給確保について」 内閣官房

半導体でもレアアースでもない。船そのものを形づくる船体である。一見すれば、衰退してきた造船業への産業支援に見える。しかし、我が国はエネルギーや食料をはじめ、貿易量の99%以上を海上輸送に依存する。必要な船を安定して確保できなくなれば、影響は一業界の業績にとどまらず、国民生活と経済活動そのものに及ぶ。政府が造船を経済安全保障の問題として扱い始めた理由はここにある。国土交通省

しかも造船能力とは、ドックの数だけではない。船を設計する技術者、鋼材を加工する企業、エンジンやプロペラ、電気機器などを供給するメーカー、熟練技能者、修繕拠点までがつながって初めて一隻の船になる。その産業生態系は、失ってから予算を積めば数年で買い戻せるものではない。米国の現在がそれを示し、中国の急拡大がその反対側を示している。

1️⃣日本にはまだ「造船できる国」の土台が残っている

2025年12月に国土交通省と内閣府が策定した「造船業再生ロードマップ」は、2024年時点で907万総トンだった我が国の建造能力を、2035年に1800万総トンへ引き上げる目標を掲げた。ほぼ倍増である。柱は設備増強だけではなく、人材の確保・育成、脱炭素化などを通じた技術革新、安定需要の確保、同志国・グローバルサウスとの連携にまで及ぶ。国土交通省「造船業再生ロードマップ」 国土交通省

その構想が今年、巨額の設備投資へ移り始めた。国土交通大臣は9月4日に3件、11日に5件、計8件の船体に係る供給確保計画を認定した。8計画を合わせた官民投資は総額約9000億円規模で、支援額は最大約3110億円である。省力化・自動化設備だけでなく、ドックの拡張や大型クレーンの導入も対象となる。国土交通省「造船業再生基金に係る供給確保計画の認定」 国土交通省

日本の造船を支える船舶用エンジン製造現場 AI生成画像
ここで見落としてはならないのが、日本にはまだ厚い産業基盤が残っているという事実である。OECDの2026年レビューによれば、2022年に日本で建造された船に搭載された舶用機器の約92%は国内製だった。これは「船の全構成部品の92%」という意味ではなく、あくまで舶用機器についての数字であるが、それでも国内供給網の厚さを示す重要な指標である。2019年の87%からも上昇している。OECD「Peer Review of the Japanese Shipbuilding Industry 2026」 OECD

日本の強みは部品供給だけではない。OECDは、日本が高付加価値船において強いエンジニアリング能力、品質管理、納期の信頼性を維持していると評価する。2024年のCGTベースでも日本は中国、韓国に次ぐ世界第3位の造船国であり、「何も残っていない衰退産業」ではない。OECD

だからこそ、今が重要なのである。建造量が一定水準を下回れば、造船所だけが痩せるのではない。舶用機器メーカーの仕事が減り、技能者が離れ、設計者を育てる理由が薄れ、研究開発投資も細る。造船は企業単位ではなく、産業全体のつながりとして弱っていく。

我が国の課題は、消えてしまった産業をゼロから復活させることではない。設計、舶用機器、人材、造船所がまだ同時に残っているうちに、供給力を再び厚くできるかどうかなのである。

2️⃣リバティ船2710隻から年3~5隻へ――米国が失い、中国が積み上げたもの

造船産業の恐ろしさは、一度失うと再建に時間がかかることにある。その典型が米国である。

第二次世界大戦中、米国は標準型貨物船「リバティ船」を2710隻建造した。標準設計、溶接、部材の事前製作、ブロック化を組み合わせた大量建造であり、カイザー系造船所では建造期間が当初の197日から14日程度まで短縮された。記録競争で建造されたロバート・E・ピアリー号は、起工から進水までわずか4日15時間余りだった。ただし、これは通常の建造期間ではなく、速度記録を狙った特殊な事例である。米海軍歴史部「Liberty Ship」関連資料 海軍歴史センター

重要なのは「4日」という数字そのものではない。米国では1936年商船法を契機に平時から商船建造計画が進められ、それを戦時に巨大な鉄鋼業、機械産業、造船所、労働力と結び付けた。だから標準設計を数千隻の実物へ転換できたのである。リバティ船は、設計力と大量生産力が一つの産業システムとして結び付いていた時代の米国を象徴している。国立公園局

リバティ船を大量建造した第二次世界大戦時の米国造船所 AI生成画像
現在との差は大きい。米運輸省海事局向けにまとめられた2026年の議会要請による独立研究は、米国内の大型外航商船の平時建造能力を年3~5隻程度としている。研究に参加した専門家は、既存造船所からこれを年10隻程度へ増やすにも約2年、年20隻規模へ拡大するには約3年を要すると試算した。しかもこれは一定の前提を置いた概算であり、同報告自身が不確実性を明記している。海事局

米国が船の設計能力まで失ったわけではない。少なくとも海軍分野では、Naval Surface Warfare CenterのCarderock Divisionが、水上艦・潜水艦の船型、推進、構造、材料、システム統合まで高度な研究・設計能力を保持している。米海軍Carderock Division「Ship Integration and Design」 NAVSEA

問題は、優れた設計能力を持つことと、それを予定通り大量の船へ変えられることは別だという点である。米政府自身も2026年8月の大統領覚書で、米国の造船産業基盤を「atrophied(萎縮した)」と表現し、造船所の能力不足と競争不足、隣接する供給基盤の弱体化が遅延とコスト増を招いているとの認識を示した。ホワイトハウス「Rebuilding the United States Navy and America’s Shipbuilding Industrial Base」 The White House

一方、反対側で巨大な製造能力を積み上げてきたのが中国である。中国工業情報化部の2026年上半期統計によれば、中国の造船完工量は世界の62.2%、新規受注量は82.3%、受注残は71.2%を占めた。いずれも載貨重量トン、DWTベースであり、船種ごとの建造難易度を調整するCGTとは異なるので、数字をそのまま技術力の比率とみなすことはできない。それでも、世界の建造能力が中国に大きく集中していることは明らかである。中国・2026年上半期造船統計 福建省人民政府

中国についても、「安く大量に組み立てるだけ」と見るのは危険である。大量生産は、それ自体が経験、工程データ、コスト低下、部品企業の育成につながる。中国はその規模を背景に、高付加価値船や低炭素技術へ領域を広げている。ただし、OECDによれば、ディーゼルエンジン、スマートブリッジ、プロペラ関連など一部の高付加価値舶用機器では、なお中国は貿易赤字を抱えている。日本の「92%」と同じ定義の中国の全国一律国内調達率は確認できないため、安易な数字の横並びは避けるべきである。OECD

ここで、以前の記事「中国、9月15日に出国規制を強化――『大量生産大国』なのに、なぜ人も金も外へ出たがるのか」で論じた視点も補助線になる。2026年9月15日に施行された中国国務院の新しい出入国管理規定は、輸出管理や技術輸出入管理への違反が国家の産業安全・技術安全を害する可能性がある場合、国務院の商務など関係主管部門が中国公民を出国禁止にできると定めている。これは造船人材の流出対策を直接目的とした制度ではない。そのように断定すべきではないが、産業競争力を考えるとき、量産能力だけでなく、技術、人材、資本を国内に蓄積できる環境も見る必要があるという論点にはつながる。以前の記事「中国、9月15日に出国規制を強化」 Zibo FAO

米国は高度な設計能力を残しながら、大量建造へ転換する産業基盤を弱めた。中国は巨大な建造量を土台に、部品や高付加価値技術へ裾野を広げている。そして日本には、規模を縮小させながらも、設計・エンジニアリング、舶用機器、造船所がまだ同時に残っている。

この違いこそ、我が国が今動くべき理由である。

3️⃣守るべきは造船所だけではない――「造船できる国」という国家資産

日本の造船再生を、中国との建造量競争だけにしてはならない。人口減少が進む我が国が、大量の労働力を投入し、価格と数量だけで競うモデルには限界がある。日本に残っている設計、品質管理、省エネルギー技術、舶用機器、生産技術を、AI、ロボット、デジタル設計、自動化と結び付ける必要がある。

国土交通省は2026年、AI造船ロボットなどに関する研究開発事業を14件採択した。大学、研究機関、AI・ロボット企業、造船事業者などを結び、曲げ加工や溶接で使うAI造船ロボットや、ロボットを効率的に配置するためのシミュレーション技術などの研究を進めている。狙いは、昔の造船所をそのまま大きくすることではない。人手不足の下でも高い供給力を維持できる生産方式へ変えることにある。国土交通省「AI造船ロボット等に係る研究開発事業」 国土交通省

AI・ロボット化が進む次世代造船所のイメージ AI生成画像
ここで日米協力にも意味が出てくる。2025年10月28日、金子国土交通大臣とラトニック米商務長官は、両国の建造能力拡大、人材育成、AI・ロボットなどの先進建造技術、先進船舶の設計・機能開発を含む造船協力覚書に署名した。これは国土交通省と米商務省だけの企業支援策ではなく、両政府間の覚書であり、その後、関係省庁を含む作業部会へつながっている。国土交通省「日米両国の造船能力拡大に向けた協力を促進」 国土交通省

さらに9月18日、国土交通省は日米連携によるAI造船技術の研究開発を加速すると発表した。日本側関係者が米国を訪問し、AI造船ロボットやAIシミュレーション基盤などの共同開発について協議している。国土交通省「日米連携によるAI造船技術の導入に向けた研究開発を加速化」 国土交通省

日米協力を「日本が米国の船を代わりに造る話」とだけ見るのは狭い。米国には大きな需要と海軍分野を中心とする高度な研究・設計能力がある。日本には造船所、設計・エンジニアリング能力、舶用機器メーカー、生産技術が残る。両者を組み合わせる余地は大きい。

ただし、日本にとって目的は米国造船業の救済ではない。日米協力を我が国自身の建造能力、研究開発力、人材、部品供給網の強化へ結び付けることである。国内の設計部門や舶用工業が細り、技術や投資だけが外へ流れるなら、経済安全保障政策としては本末転倒である。

2035年の1800万総トンという目標も、その意味で見るべきだ。建造量を確保すれば、造船所に仕事が入り、エンジン、プロペラ、電気機器、素材、設計、修繕にも需要が波及する。企業が若い技能者や技術者を採用し、次の研究開発へ投資する理由も生まれる。政府支出が一時的な需要で終わらず、民間の設備、人材、技術として残れば、それは将来の供給力を生む国家資産形成になる。

結論 失ってから買い戻すのでは遅い

世界の造船業を見ると、3つの姿が浮かぶ。

中国は世界最大の建造能力を持ち、その規模を部品、高付加価値船、技術開発へつなげようとしている。中国の量産力を過小評価すべきではない。同時に、建造シェアの高さと、あらゆる高度部品や技術で完全に自立していることは同義でもない。

米国は、かつてリバティ船2710隻を生み出した巨大な製造基盤を持っていた。現在も少なくとも海軍分野では高度な設計・システム統合能力を保持するが、それを大量の実物へ転換する造船・供給基盤の再建に苦しんでいる。

そして日本は、そのどちらとも違う。建造量は縮小した。しかし、高度なエンジニアリング能力がある。造船所がある。熟練技能がある。日本建造船に搭載される舶用機器の約92%を国内で生産できる供給網も残っている。

だから、日本の造船再生を「衰退産業への救済」とだけ見るべきではない。

我が国には、米国のように産業基盤を大きく失ってから巨額の資金で買い戻そうとするのではなく、設計、部品、人材、造船所がまだつながっているうちに立て直す余地が残っている。

船を設計する人がいる。エンジンやプロペラを造る企業がある。それらを一隻の船へ統合する造船所がある。船を修繕できる拠点があり、次の技術へ投資する企業がある。その連鎖全体が「必要なときに船を造れる国」という能力をつくる。

リバティ船の時代の米国が示したのは、その能力を持つ国の圧倒的な供給力だった。現在の米国が示しているのは、一度それを弱らせれば、世界最大級の経済力を持つ国でも短期間には取り戻せないという現実である。そして中国が示しているのは、大量生産そのものが経験と技術を蓄え、次の競争力をつくるという現実である。

日本が学ぶべきなのは、どちらかをそのまままねることではない。我が国にまだ残る設計力、舶用工業、製造能力、人材をつなぎ直し、AIやロボットを加えて供給力を厚くすることである。

海上輸送によって国民生活と経済を支える我が国が、設計から部品、建造、修繕までの選択肢を自ら持ち続けられるか。

造船再生で問われているのは、過去の世界シェアを取り戻すことではない。「船を造れる国」という国家資産を、次の世代へ残せるかどうかなのである。

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2026年9月28日月曜日

国家情報局が動き始めた――日本の弱点は「情報不足」ではなく「情報を国家の判断に変える力」だった

まとめ

  • 9月25日、国家情報会議は2026年度上半期の情勢認識と下半期の重点事項を審議した。7月31日に始動した新しい情報体制は、制度整備から本格運用の段階へ移りつつある。内閣官房「国家情報会議 開催状況」

  • 「日本はスパイ天国だから公安当局も無能だった」という見方は正確ではない。警察白書を遡れば、中国などによる対日工作や技術情報収集を、日本の警察は長年継続して追ってきたことが分かる。警察庁「令和7年版警察白書」

  • 我が国の弱点は、情報そのものがなかったことではない。各機関が持つ情報を国家として集約し、「情報要求→収集→総合分析→政策判断→フィードバック→再収集」という循環に乗せ、インテリジェンスへ高める機能が十分強くなかったことである。

「日本版CIA」「日本版スパイ組織」。国家情報局について、こうした言葉を使えば分かりやすい。しかし、それだけでは今回の改革の核心を見誤る。

9月25日、国家情報会議は2026年度上半期の情勢認識と下半期の重点事項を審議した。7月31日の初会合では運営方針や諸規則を定めており、新しい情報体制は組織を整える段階から、実際に運用する段階へ移ったとみてよい。国家情報会議は政府全体の重要な情報活動について基本的な方向を調査審議する閣僚級の会議であり、国家情報局は内閣官房の情報機関として、自ら情報収集に当たるとともに、各行政機関から情報を集約し、総合分析し、情報活動を総合調整する。両者の役割は異なる。内閣官房「国家情報会議 開催状況」

私は2024年、このブログで外務省の情報管理問題を取り上げ、「日本版CIA」の創設を含む情報機能の強化を提起した。その問題意識は現在も変わらない。ただし国家情報局が実際に動き始めた今、もう一段深く考える必要がある。我が国に本当に不足していたのは、情報を集める組織だけだったのか。それとも、すでに各所に存在する情報を一つの国家判断へ変える「頭脳」だったのか。

1️⃣「スパイ天国=公安無能」という誤解

日本は長年、「スパイ天国」と呼ばれてきた。この言葉から、外国の工作員が自由に活動し、日本の公安当局は何も把握できていなかったという印象を持つ人もいる。しかし、警察白書を遡れば、そのような単純な図式は成り立たない。

日本の警察はかなり以前から、中国を含む外国勢力による対日工作や情報収集活動を継続して追ってきた。1990年代の警察白書にも、中国が学者、技術者、留学生、代表団などを通じて我が国の高度科学技術や各界の情報を得ようとし、政財界や企業関係者への働き掛けを行っているとの記述がある。現在の警察白書も、中国による目的を偽った機微情報の収集、先端技術を有する企業や研究機関への接触、技術移転への働き掛けなどを「対日有害活動」として継続的に警戒している。警察庁「令和7年版警察白書」

したがって、「スパイ天国」であることと、「公安当局が情報を持っていないこと」は同義ではない。外国勢力が我が国で長期間活動してきたのであれば、警察や公安機関には人物関係、接触先、組織、人脈、工作手法について独自の情報が蓄積されてきたと考える方が自然である。摘発件数が少ないことも、情報を持っていないことの証明にはならない。情報として把握することと、既存法令を適用して刑事事件として立件することは別だからである。

日常空間の中で続く情報収集と監視活動をイメージした場面 AI生成画像
特に中国について、我が国には地理的、歴史的、人的、経済的に長い接点がある。企業、大学、研究機関、地方自治体などを含めた交流の厚さを考えれば、日本国内で形成された人的ネットワークや接触関係について、日本側にしか蓄積できない情報が存在する可能性は高い。Five Eyes諸国は通信情報や国外での情報収集、同盟間の情報共有で強大な能力を持つが、だからといって日本国内の中国関連情報まで一律に日本より豊富だと考える理由はない。

重要なのは、どちらの情報機関が上かという比較ではない。それだけの情報が各所に蓄積されていたとして、我が国はそれを国家として十分に使えていたのか、ということである。警察が人物の動きを知り、公安調査庁が組織の動向を知り、外務省が中国政府の政策変化を把握し、防衛省が特定技術の軍事的意味を分析し、経産省がその技術の経済安全保障上の重要性を把握していても、それぞれが別々に処理されていれば全体像は見えない。

しかし、それらを重ね合わせれば、「特定技術の獲得を国家的に強めているのではないか」「一見無関係な人物や案件が同じ目的につながっているのではないか」という別の絵が浮かぶことがある。

我が国の弱点は、情報がなかったことではない。各機関に存在する情報を、国家全体の一枚の絵に変える力が十分強くなかったことである。

2️⃣国家情報局は「日本版CIA」より国家の頭脳に近い

この視点に立つと、国家情報局を「日本版CIA」とだけ呼ぶことの限界も見えてくる。CIAという言葉から連想されやすいのは、国外での人的情報収集や秘密工作である。そうした対外情報収集能力を我が国が強化する必要性はあるが、国家情報局の現在の役割はそれだけではない。

国家情報局の重要な任務は、自ら情報を収集することに加え、各行政機関が持つ情報を集約し、総合分析し、政府全体の情報活動を調整することにある。つまり、日本に新しい「目と耳」を1組加えるだけではなく、すでにある多数の目と耳を一つの頭脳へつなぐ役割である。


各機関の断片的な情報を集約・分析し、国家判断につなげる場面 AI生成画像
外事警察、公安調査庁、外務省、防衛省、海上保安庁、衛星情報、サイバー情報、経済安全保障、輸出管理、金融、物流など、我が国にはすでに多くの情報源がある。しかも現代は、SNS、企業情報、衛星画像、船舶・航空機情報など公開情報も膨大である。国家に求められるのは、それらを大量に集めるだけではない。情報源の信頼度を評価し、異なる情報を突き合わせ、矛盾を見つけ、一つ一つの断片が安全保障上どのような意味を持つのかを判断する能力である。

一人の人物の動向だけなら警察情報で終わるかもしれない。一件の技術移転だけなら経済安全保障案件で終わる。一つの資金移動だけなら金融問題、一つの軍事技術なら防衛問題である。しかし、それらを同じ問題意識の下で重ね合わせれば、国家的な意図が見える場合がある。単なる情報、すなわちインフォメーションを、政策判断に使えるインテリジェンスへ変えるとはそういうことである。

だから国家情報局の核心は、情報量を増やすことだけではない。

情報を持つ国から、情報を考えられる国へ変われるか。

ここが問われている。

3️⃣国家の頭脳は「インテリジェンス・サイクル」で動く

もっとも、各省庁の情報を1か所へ集めれば、それだけで国家の頭脳が完成するわけではない。国家情報局の成否は、集めた情報を政策へつなぎ、その結果を再び情報収集へ戻す「インテリジェンス・サイクル」を本当に回せるかどうかで決まる。

その循環は、「情報要求→収集→集約・総合分析→政策判断→フィードバック→再収集」と整理できる。ここで重要なのは、出発点が「収集」ではないことである。まず政策側が「国家は今、何を知らなければならないのか」を明確にしなければならない。

クリツクすると拡大します

例えば「中国について調べろ」では広すぎる。台湾周辺の軍事行動なのか、半導体技術の獲得なのか、重要鉱物を使った経済的圧力なのか、日本国内での影響工作なのか。問いが違えば、必要な情報源も担当機関も分析方法も変わる。したがって国家の情報力は、情報機関の能力だけでは決まらない。首相や閣僚を含む政策側が「何を知らなければ判断できないのか」を正確に問えることも重要である。

問いが定まれば、各機関がそれぞれの手段で情報を集める。国家情報局は、それらを同じ問題意識の下で集約し、総合分析する。警察にとっては1人の人物、経産省にとっては1件の技術移転、財務当局にとっては1件の資金移動、防衛省にとっては1つの軍事技術上の変化であっても、全体を重ねれば同じ国家戦略の一部であることが見えるかもしれない。

ただし、分析と政策判断を混同してはならない。情報機関が政治家の望む結論に合わせて分析を変えれば、インテリジェンスは政策を正当化する資料に堕する。逆に、情報機関自身が政策を決めるべきでもない。情報部門が示すべきなのは、何が確認され、どの情報の確度が高く、何がまだ分からず、別の可能性がどの程度残っているかという判断材料である。政策を決め、その結果について政治責任を負うのは政治である。

そして政策を決めたところでサイクルは終わらない。制裁をすれば相手は迂回し、輸出管理を強化すれば別の調達ルートを探し、工作活動への警戒を強めれば手口を変える。その反応を再び観察し、「当初の分析は正しかったのか」「何を見落としていたのか」を検証しなければならない。その評価が次の情報要求となり、新たな収集と分析へ戻っていく。

この循環が重要なのは、国家自身が学習できるからである。情報を集めて報告書を作れば終わりではない。問いを立て、情報を取り、異なる情報を突き合わせ、分析し、政策へ渡し、その結果を検証して、次の問いを立てる。

この循環が以前より速く、深く、正確に回るようになるか。そこに国家情報局の成否がある。

結論――日本に足りなかったのは情報より、それを国家の知性へ変える仕組みだった

「日本はスパイ天国だ」という言葉は、我が国の安全保障上の弱点を表している。しかし、そこから「だから日本の公安当局は無能だった」と結論づけるのは正確ではない。警察白書を遡れば、日本の警察が中国を含む外国勢力の対日工作、人的接触、情報収集、技術獲得活動を長年追ってきたことは確認できる。警察庁「令和7年版警察白書」

問題は、その先にあったのではないか。警察には警察の情報があり、公安調査庁には公安調査庁の情報がある。外務省には外交情報、防衛省には軍事情報、経産省には産業・技術情報、財務当局には資金や制裁に関する情報、海上保安庁には海洋情報がある。それぞれの断片には価値があるが、国家が必要としているのは断片の山ではない。

必要なのは、断片をつないで意味を見いだし、政策判断へ変え、その結果を次の情報収集へ戻す能力である。

だから国家情報局を「日本にもCIAができた」という話だけで理解してはならない。それでは改革の最も重要な部分を見失う。国家情報局の核心は、日本政府の中に存在する情報を「情報要求→収集→総合分析→政策判断→フィードバック→再収集」という1つの循環へ乗せることにある。

9月25日の国家情報会議で2026年度上半期の情勢認識と下半期の重点事項が審議されたことは、その意味で重要である。内閣官房「国家情報会議 開催状況」 国家として何を重点的に知るべきかを考え、その方針を踏まえて情報を集め、分析し、政策へ返す。そして結果を検証して、次に何を知らなければならないのかを問い直す。ここまで回って初めて、情報は国家の知性になる。

私は今年5月の記事で、散らばった情報を「点から線へ、線から面へ」変える必要性を書いた。国家情報局が始動した今、求められているのはさらにその先である。面になった情報から仮説を立て、政策を動かし、結果を確認し、新たな問いを立てる。その循環が定着するかどうかである。

我が国は、何も見えていなかった国ではないのかもしれない。むしろ、各所で見えていたものを、一つの国家として十分に考える仕組みが弱かったのである。

「日本版CIAができたのか」という問いでは、本質を見誤る。本当に問うべきなのは、我が国が、自分が何を知らないのかを把握し、必要な情報を取り、断片を一つの意味へ変え、その結果から次の問いを立てられる国家になれるのか、ということである。

国家情報局が変えようとしている日本の情報機関の本当の弱点とは、そこなのである。

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港湾、送金、警察、税関、企業、大学、サイバーなどに散らばる情報を「点から線へ、線から面へ」変える必要性を論じた、本稿の直接的な前段となる記事。

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中国に外務省公電漏洩疑惑の衝撃 林官房長官の説明、簡単には信用できない「日本版CIA」「スパイ防止法」の制定を―【私の論評】日本の国家安全保障強化のための5つの提言 2024年2月9日
国家情報局発足以前に「日本版CIA」や情報機能強化を提起した記事。本稿は、この問題意識を「情報収集」から「国家の判断へ変える仕組み」へ一段進めたものとなる。

2026年9月27日日曜日

石油危機から半世紀、日本は石油依存を減らした――それでも残るエネルギー安全保障の穴


 まとめ
  • 日本は石油危機後、石油依存を大幅に下げ、電源分散、省エネルギー、LNGの世界的調達網、LPGの供給先転換を進めてきた。日本の半世紀を単純な「中東依存の失敗」と見るのは正しくない。
  • 一方、中東は現在も原油だけでなく、石油製品、ナフサ、化学品、アルミニウムなど、日本の産業を支える重要物資の供給地である。したがってホルムズ問題は、原油価格だけではなく供給網全体の問題として見る必要がある。
  • 次の課題は中東依存率を機械的に下げることではない。備蓄、代替調達、原子力、LNG、国内電源、海運、基礎素材の調達分散を組み合わせ、一つの供給源が止まっても日本経済を止めない「日本版エネルギードミナンス」を構築することである。

1973年の第一次石油危機から半世紀以上が過ぎた。現在のホルムズ海峡をめぐる危機を見ると、日本が輸入する原油の9割以上が同海峡を経由しているという数字が目につく。しかし、この数字だけを見て「日本は石油危機から何も学ばなかった」と考えるのは正しくない。

実際、日本はこの半世紀で石油への依存そのものを大幅に減らしてきた。発電では石油火力を主役から降ろし、LNG、原子力、石炭、再生可能エネルギーなどへ電源を分散した。産業界では省エネルギーが進み、LNGでは世界各地から調達する巨大な供給網を築いた。LPGでも中東依存を大幅に引き下げている。

つまり、石油危機後の日本のエネルギー政策は、少なくとも「石油一本足打法から脱する」という点では相当程度成功した。

では、なぜ現在のホルムズ危機がこれほど重要なのか。

理由は単純である。石油への依存は下がっても、日本が中東から調達する重要物資がなくなったわけではないからだ。原油だけでなく、石油製品、ナフサなどの石油化学原料、アルミニウムを含む非鉄金属、有機化合物など、日本の産業を支える物資が中東から入っている。

したがって、今回考えるべき問題は「日本はまだ石油に依存している」という話ではない。

石油依存をかなり減らした日本が、それでも残る中東との供給網を、危機のときにも止めないために何をすべきか。

ここが本稿の中心である。

1️⃣日本は石油危機から相当程度、学んできた

1973年10月、第四次中東戦争を契機として産油国による供給制限や価格引き上げが進み、原油価格が急騰した。当時の日本は一次エネルギー供給の75.5%を石油に依存しており、物価高騰や物不足が社会を直撃した。第一次石油危機が日本のエネルギー政策を根本から変えた経緯は、資源エネルギー庁「日本のエネルギー、150年の歴史」に整理されている。

日本がその後に行ったのは、単なる原油輸入先の変更ではない。石油そのものへの依存を減らし、原子力、天然ガス、石炭などへエネルギー源を分散するとともに、省エネルギーを進めた。

石油危機後、日本のエネルギー構成は大きく多様化 AI生成画像 クリックすると拡大します
その成果は明確である。一次エネルギー国内供給に占める石油の割合は、1973年度の75.5%から2024年度には34.5%まで低下した。資源エネルギー庁「総合エネルギー統計」で確認できるように、日本経済全体で見れば石油依存度は石油危機当時の半分以下になっている。

発電では変化がさらに大きい。2023年度の発電電力量を見ると、LNG32.9%、石炭28.3%、新エネルギー等15.3%、原子力8.5%、水力7.6%に対し、石油等は7.4%である。資源エネルギー庁「エネルギー動向2025年6月版」が示すように、発電を石油に大きく依存していた時代から、複数の電源を組み合わせる構造へ移行した。

産業部門でも省エネルギーが進んだ。第一次石油危機以降、日本の製造業は生産を伸ばしながらエネルギー効率を改善してきた。背景には設備の効率化に加え、素材型産業から加工組立型産業への産業構造の変化もある。資源エネルギー庁「部門別エネルギー消費の動向」を見ると、日本は「別の石油を探す」だけではなく、そもそも同じ経済活動に必要なエネルギー量を減らしてきたことが分かる。

LNGとLPGも重要である。日本は国内に巨大な天然ガス田を持たない。それでも海外権益、長期契約、LNGタンカー、商社、受入基地、貯蔵・再ガス化設備を組み合わせ、世界各地から天然ガスを調達する巨大な仕組みを築いた。以前このブログで「日本はLNG帝国となった」と書いたのは、この構造を指している。

LPGではさらに大きな転換が起きた。資源エネルギー庁「エネルギー動向2025年6月版」によれば、LPガス輸入の中東依存度は2011年度の86.6%から2023年度には4.7%まで低下した。北米からの調達拡大によって、供給源を大きく組み替えたのである。

この半世紀を振り返れば、日本は石油危機から何も学ばなかったどころか、石油依存の低減、電源の分散、省エネルギー、LNG・LPGの調達多角化を着実に進めてきた。

それでも弱点は残った。

その最大のものが原油である。石油危機後、原油の中東依存度は1987年度に67.9%まで低下したが、その後再び上昇した。中国や東南アジアの産油国で国内需要が増え、日本への輸出余力が減ったことや、ロシア産原油の減少、中東の圧倒的な供給力などが重なったためである。資源エネルギー庁「原油の輸入先と中東依存度の推移」

したがって、現在の状況を正確に表現するならこうなる。

日本は石油依存そのものを大幅に下げることには成功した。しかし、なお必要とする原油については、中東への集中が再び進んだ。

2️⃣中東リスクは原油だけを見ても分からない

ここで視野を一段広げる必要がある。日本の石油依存度が低下したからといって、中東の重要性まで同じ割合で低下したわけではない。

2025年の日本の中東からの輸入を見ると、原油・粗油が圧倒的に大きい。しかし、それだけではない。石油製品、LNG、非鉄金属、有機化合物なども輸入している。JETRO「中東リスクと物流――日本と中東の貿易とホルムズ海峡封鎖の影響」によれば、日本の中東からの輸入はエネルギーを中心としながらも、その周辺に産業用素材の供給網が広がっている。

中東からは原油だけでなく、ナフサやアルミなど基礎素材も入る AI生成画像 クリックすると拡大します
その一つがナフサである。ナフサはプラスチックや化学製品の基礎原料であり、供給が滞れば影響は燃料価格だけにとどまらない。包装材、化学繊維、塗料、樹脂など、製造業の川下まで波及する。

2026年3月、経済産業省は中東情勢を受け、ナフサについても米国や南米などからの代替調達、国内精製、在庫活用によって供給を確保する方針を示した。経済産業省「2026年3月17日大臣記者会見」

アルミニウムも見落とせない。湾岸諸国は安価なエネルギーを背景に大規模なアルミ精錬産業を育ててきた。例えばUAEからの日本の輸入では、原油・石油製品が中心である一方、非鉄金属も一定の比重を占める。JETRO「アラブ首長国連邦の貿易投資年報」を見ると、日本にとってUAEは単なる産油国ではなく、基礎素材の供給国でもある。

サウジアラビアからも同様に、鉱物性燃料だけでなく、化学製品、有機化合物、非鉄金属を輸入している。JETRO「サウジアラビアの貿易投資年報」

ここから見えてくるのは、ホルムズ海峡の問題が「ガソリンが高くなるか」という話だけではないということだ。

原油が止まれば燃料に影響する。ナフサが止まれば化学製品に影響する。アルミニウムなどの素材輸送が滞れば、自動車、建材、電線、電子機器などへ影響が広がる。

ただし、ここから「中東から買うのをやめるべきだ」という結論を出すのも適切ではない。中東産原油には価格や供給量の面で合理性があり、湾岸のアルミ産業にも競争力がある。平時に経済合理性の高い供給源を利用することそのものは問題ではない。

本当に重要なのは、止まったときに代替できるかどうかである。

2026年の中東危機では、高市政権は国家備蓄などで時間を確保しながら、米国、中南米、アジア太平洋、中央アジア、アフリカ、カナダなどへ原油の調達先を広げた。6月11日の中東情勢に関する関係閣僚会議では、6月の代替調達量が必要量の約8割まで拡大し、7月には通常時に近い量をホルムズ海峡外から調達できる見通しが示された。

この事実は重要である。原油のホルムズ依存が高くても、備蓄、商社、海運、外交、製油所の対応力を組み合わせれば、危機時に供給ルートを切り替えることができる。

したがって、エネルギー安全保障を「中東依存率が何%か」だけで評価するのは不十分である。

平時の依存率より、有事の代替能力の方が重要なのである。

3️⃣依存率を下げるより、「止められない国」をつくる

ここまで整理すると、日本が次に目指すべき方向は明確になる。

それは、中東依存を数字合わせで引き下げることではない。中東との経済関係には大きな合理性がある。必要なのは、その合理性を利用しながら、一つの地域や航路に問題が起きても日本経済が止まらない体制をつくることである。

その原型は、すでにLNGで作っている。日本は国内に大規模な天然ガス資源を持たなくても、海外権益、長期契約、LNGタンカー、受入基地、商社、金融を組み合わせ、世界からエネルギーを確保する能力を築いた。LPGでも供給源を大きく転換した。

この能力を原油、電力、基礎素材まで広げるべきである。

LNG、原子力、地熱などを組み合わせる日本版エネルギードミナンス AI生成画像
原油については、中東産を利用しながら、北米、中南米、中央アジアなどの調達ルートも維持する。備蓄、タンカー、海上保険、港湾、製油所を一つの供給網として考え、危機時には速やかに切り替えられるようにする。

ナフサなど石油化学原料についても、複数の供給先を確保し、国内精製能力と在庫を維持する。アルミニウムなどの基礎素材については、調達先の分散だけでなく、国内リサイクルの拡大も重要になる。

電力では、安全性を大前提に原子力を最大限活用し、次世代革新炉を育てる。地熱、水力など国内で確保できる電源も重要である。LNG火力は調整力と安定供給の面で引き続き役割を持つ。省エネルギーも、CO2削減策というだけではなく、外国から買わなければならない資源の量を減らす安全保障政策として考えるべきだ。

高市政権も2026年8月26日のGX実行会議で、中東危機を受け、原油・ナフサの調達先多角化、石油関連製品の供給体制強化、安全性を前提とした原子力の最大限活用、次世代革新炉、次世代地熱などを組み合わせ、エネルギー需給構造を強靱化する方針を示している。

本稿でいう「脱・脱炭素」とは、CO2削減技術を否定することではない。脱炭素そのものを政策の最上位目的に置き、そこからエネルギー政策すべてを逆算する発想から脱するという意味である。

最上位に置くべきなのは、国民生活と産業に必要なエネルギーを、安定的に、十分な量を、許容可能な価格で供給できるかどうかである。その条件を満たしながらCO2も減らせるなら、それに越したことはない。

日本版エネルギードミナンスとは、米国のように大量の石油や天然ガスを自国で産出することではない。

一つの国、一つの地域、一つの航路、一種類のエネルギー源が止まっても、別の選択肢へ切り替えられる国家能力を持つことである。

さらに今回の中東危機は、対象をエネルギーだけに限定することもできないと示した。原油、ナフサ、化学品、アルミニウムなどは、日本の製造業の中で連続した供給網を形成している。

したがって、日本が目指すべきものを一言で表すなら、

「エネルギーと基礎素材を止められない国」

ということになる。

結語 日本は石油危機の次の段階へ進むべきだ

第一次石油危機から半世紀、日本は石油への依存を大幅に下げた。発電では石油火力を縮小し、LNG、原子力、石炭、水力、再生可能エネルギーへ分散した。産業では省エネルギーを進め、LNGでは世界規模の調達網を構築し、LPGでは中東依存を大きく減らした。

石油危機の教訓の多くは、すでに日本のエネルギー構造に反映されている。

それでも中東は重要である。原油だけでなく、石油製品、ナフサ、化学品、アルミニウムなど、日本の産業を支える物資が中東から入っているからだ。

だから問題は、「中東依存をなくすべきか」ではない。

経済合理性の高い中東との取引を続けながら、そこに何か起きても日本経済が止まらない能力を持てるかどうかである。

平時には合理的な供給源を利用する。有事には備蓄で時間を稼ぎ、別の国、別の航路へ切り替える。長期的には原子力、LNG、地熱、水力、省エネルギーなどによって海外資源への依存そのものを抑える。さらにナフサやアルミニウムなどの重要素材についても、供給先の分散と国内能力の強化を進める。

第一次石油危機の本当の教訓は、「石油を使うな」ではなかった。

一つの資源、一つの地域、一つの航路が止まっただけで、国全体が止まる構造を作るな、ということである。

日本は石油依存を減らすところまでは、相当程度やってきた。

次に必要なのは、エネルギーと基礎素材を含む供給網全体を、危機に強いものへ変えることだ。

日本に必要なエネルギードミナンスとは、外国を資源で支配することではない。

外国の事情だけで、日本の経済と国民生活が支配されないだけの選択肢を持つことである。

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ホルムズ危機で目を覚ませ――再エネ主力化では日本の電力は守れない 2026年6月11日
ホルムズ危機を契機に、原発、火力、SMR、備蓄、シーレーンを組み合わせたエネルギー安全保障を論じた記事。今回の「一つが止まっても国全体を止めない」という議論につながる。

日本は止まらなかった――ホルムズ危機で高市政権が動かした備蓄と調達網 2026年5月14日
ホルムズ危機の中で、日本が備蓄放出と代替調達をどのように動かしたのかを検証。今回の記事で述べた「依存率より代替能力が重要」という視点を具体例から確認できる。

マスコミも野党も叩けない高市外交――日本は「資源小国」から供給網大国へ反転する 2026年5月4日
資源そのものを持つことだけでなく、調達先、権益、物流、同盟国との連携を押さえることの重要性を論じた記事。今回の「日本版エネルギードミナンス」と直接つながる。

米国産原油が暴いた「日本終了論」の嘘――ホルムズ危機で動き出した国家の底力 2026年4月27日
米国産原油の代替調達とナフサ問題から、危機時の日本の供給能力を検証。「ホルムズ依存が高い=直ちに国家が止まる」ではない理由を具体的に示す。

日本はすでに「ガス帝国」である—そして今、静かに「ミサイル国家」になった 2026年3月10日
LNGの調達、海運、海外権益を組み合わせた日本の強みを「ガス帝国」という視点から論じた記事。今回の記事で扱った、石油依存低下後の日本のエネルギー構造を理解するうえで特に関連が深い。

2026年9月26日土曜日

変電所を「要塞化」するリトアニア 海洋国家・日本は生命線を守れるか


 まとめ
  • リトアニアは海に面しながら複数国と陸続きであり、ギジャイ変電所ではドローン、車両突入、破壊工作まで想定した物理防護が計画されている。
  • 海洋国家日本は大東亜戦争期、米国による計画的な潜水艦通商破壊と1945年の「飢餓作戦」で海上物流という弱点を突かれた。同時に国内では軍用備蓄や統制物資が存在する一方、配給不足、終戦前後の隠退蔵・物資処分の混乱が重なり、国民生活は深刻な食糧難に陥った。
  • 現代の日本では、変電所、港湾、燃料施設、海底ケーブル、食料・燃料などの備蓄、そしてそれらを届ける物流網までを一体として考え、「どこを止められれば国家が止まるのか」を見極めて、代替・分散・防護・備蓄・輸送・復旧能力を整える必要がある。

戦争への備えと聞けば、戦車、戦闘機、ミサイル、防空システムを思い浮かべる。しかし欧州ではいま、もっと身近な施設まで安全保障の最前線に入りつつある。変電所である。リトアニアの送電事業者Litgridは、ポーランドとの新たな電力連系線「Harmony Link」を国内送電網につなぐギジャイ変電所を建設する計画を進めているが、この変電所は普通の電力設備ではない。爆薬を積んだ車両の突入を想定した外周防護、地下からの侵入を探知する設備、ドローン攻撃から変圧器を守る強化コンクリート構造、主要設備の二重化まで盛り込まれる予定である。Reutersが報じたギジャイ変電所の防護計画では、安全対策の追加だけで従来計画より少なくとも4800万ユーロ(約86億円)の費用増になるとしている。

なぜ一つの変電所に、ここまでの防護が必要なのか。その背景には、ウクライナ戦争を通じて欧州が直面した新しい安全保障の現実がある。現代の国家を麻痺させるには、必ずしも戦車で国境を越える必要はない。電力、通信、港湾、鉄道など社会を動かす基盤の急所を狙えば、全面戦争に至らない段階でも国家に大きな圧力を加えられる。NATOが2026年9月に公表したレジリエンス基準要件も、重要インフラへの物理攻撃、破壊工作、サイバー攻撃、戦略的依存などを明示的なリスクとして扱っている。リトアニアの「要塞化する変電所」は、その変化を象徴している。

1️⃣なぜ一つの変電所をここまで守るのか

ギジャイ変電所は、リトアニア南西部ヴィルカヴィシュキス地区に計画されている。Litgridが公表したギジャイ変電所建設計画によれば、敷地は約35ヘクタールで、完成すれば同社が運用するリトアニア最大の変電所となり、330、220、110、10キロボルトの各電圧階級を扱う。完成目標は2030年末である。ここにつながるHarmony Linkは、リトアニアとポーランドを結ぶ新たな電力連系ルートであり、両国間の送電能力を高める重要な設備である。

ここで時系列を正確に押さえておきたい。バルト三国はHarmony Linkの完成を待ってロシア系統から離脱するわけではない。エストニア、ラトビア、リトアニアはすでに2025年2月9日、ロシア・ベラルーシ系統への長年の依存を終え、ポーランドを経由して欧州大陸系統との同期を実現した。欧州委員会の「Baltic Energy Market Interconnection Plan」も、この日をバルト三国の欧州大陸系統への同期完了日としている。Harmony Linkはその後、国境を越えた送電能力と電力市場統合、系統の強靱性をさらに高める追加ルートなのである。

ギシャイ変電所とスヴァウキ回廊の位置関係 AI生成画像 クリックすると拡大します
そして、この施設を理解するには地理を外せない。リトアニアはバルト海に面しているが、島国ではなく、ラトビア、ベラルーシ、ポーランド、そしてロシアの飛び地カリーニングラードと陸上で接している。ギジャイ変電所の予定地はカリーニングラードにも近く、さらに南西には、カリーニングラードとベラルーシに挟まれたリトアニア・ポーランド間の地域、いわゆるスヴァウキ回廊がある。海に囲まれた島国とは違い、道路、鉄道、送電線、人の移動が陸上国境を越えて連続しているため、車両、工作員、小型ドローンなどによる重要施設への物理的接近を、より現実的な脅威として考えざるを得ない。

だから設計思想も変わる。Reutersの取材によれば、Litgridは従来の自然災害中心の設計から、ハイブリッド攻撃を含む人為的脅威まで考慮する方向へ発想を変えている。計画には、爆薬を積んだ車両の突入を想定した外周防護、地下からの侵入を探知する設備、ドローン攻撃から変圧器を守る強化コンクリート構造、主要設備の二重化などが含まれる。

「攻撃されない施設」を目指すだけではなく、「攻撃されても止まらない施設」をつくる。

そこに、この変電所の本当の意味がある。

2️⃣「戦争未満」でも国家は止められる

リトアニアだけの特殊事情ではない。欧州全体で、電力、通信、交通といった民間インフラを安全保障の中核に組み込む動きが進んでいる。NATOの2026年レジリエンス基準は、政府機能、エネルギー、食料・水、医療、民間通信、交通などについて、平時だけでなく危機・紛争時にも機能を維持する能力を求めている。重要なのは、単に施設を頑丈にすることではない。一部を失っても機能を継続し、代替し、短期間で復旧できる能力まで含めて国家の強靱性と考えていることである。

重要インフラを支える電力網の監視・制御 AI生成画像
現代社会では、電力は単独のインフラではない。通信、データセンター、金融決済、鉄道、病院、給水設備、行政機関、そして軍事施設まで、安定した電力供給を前提としている。送電網の重要な一点が長期間停止すれば、その影響は別のインフラへ連鎖する。ウクライナ戦争が示したのも、発電能力が残っているだけでは国家の電力を守れないという現実である。変電・送電設備が破壊されれば、必要な場所へ電力を届けることができない。

しかも安全保障上さらに難しいのは、攻撃が必ずしも正規軍による全面侵攻という形を取らないことである。ドローン、サイバー攻撃、破壊工作、通信妨害などを組み合わせれば、武力紛争との境界を曖昧にしたまま相手国へ損害を与えることができる。だから現代のインフラ防護では、「敵を完全に近づけない」だけでは足りない。一部を破壊されても機能を維持できること、別の経路へ切り替えられること、交換部品を確保していること、短期間で復旧できること。こうしたレジリエンスそのものが防衛力の一部になる。

戦争が始まってからインフラを守ろうとしても遅い。平時のインフラを、平時から有事に耐える構造にしておく必要がある。

リトアニアの変電所が示しているのは、この発想である。

3️⃣海洋国家・日本はすでに「生命線を止められる怖さ」を経験した

ここで日本との違いを考えたい。リトアニアは海に面しながら、複数の国と陸続きである。一方、日本には他国との陸上国境がなく、四方を海に囲まれた海洋国家である。外務省「海洋の国際法秩序と国連海洋法条約」も、日本を「四方を海に囲まれた海洋国家」と位置付けている。したがって、リトアニアが想定する脅威をそのまま日本へ当てはめる必要はない。しかし、海に囲まれていることは「安全」を意味しない。海洋国家には海洋国家特有の弱点がある。

そのことを日本が最も深刻な形で経験したのが、大東亜戦争における日米戦争であった。当時の日本は石油、鉄鉱石、ボーキサイト、食料など多くの重要物資を海外からの海上輸送に依存していた。米国側の戦後調査「Japan's Struggle to End the War」も、日本が石油、鉄鉱石、石炭、ボーキサイト、食料などの輸入に強く依存していたことを「島国の基本的脆弱性」として分析している。日本は約600万トンの商船で戦争に入り、戦時中に利用可能だった商船の88%を失ったと同報告はしている。

米国はこの弱点を意識的、継続的に突いた。米海軍の戦後公式報告「Submarine Report」によれば、米海軍作戦部長は真珠湾攻撃当日の1941年12月7日、日本に対する無制限潜水艦戦を命令した。米潜水艦は軍艦だけではなく商船に対しても消耗戦を続け、日本へ向かう燃料、原料、食料などの流れを削っていった。これは偶然に商船が攻撃されたのではなく、日本という国家の戦争遂行能力を支える物流そのものを標的とした戦略であった。

一方、日本も米国や連合国の商船を攻撃しており、通商破壊を行わなかったわけではない。しかし、その優先順位は米国とは異なっていた。米海軍による日本潜水艦戦の分析は、日本海軍の潜水艦を主として艦隊作戦の一部と位置付け、敵商船への攻撃は主作戦を妨げない範囲で行うという思想だったと指摘している。伊58潜水艦長・橋本以行中佐への戦後尋問でも、敵機動部隊への攻撃が優先され、商船は二次的な目標だったと証言されている。

つまり、日本にも通商破壊の能力はあったが、敵国の物流を国家戦略として継続的に締め上げるという点では、米国ほど徹底していなかった。

その違いは小さくない。米国は「敵艦隊を沈める」だけではなく、「敵国が戦争を続けるために必要な物資の流れを止める」ことを戦略として実行した。その最終局面を象徴するのが、1945年の「Operation Starvation」、いわゆる「飢餓作戦」である。米海軍歴史遺産司令部によるOperation Starvationの公式解説によれば、B-29による機雷敷設は下関海峡から主要港湾、日本海側、朝鮮半島との航路へと拡大され、1945年7月9日からの第5段階は米側自身が「total blockade」、全面封鎖と呼んでいた。

その規模も大きい。313爆撃航空団は終戦までに46回の任務、延べ1529機が出撃を実施し、26の機雷原に1万2135発の機雷を敷設した。同じ米海軍公式史料によれば、約670隻の日本船舶が沈没または大破し、500隻弱が沈没した。戦争末期には機雷による損失が潜水艦による損失を上回り、日本の沿岸交通と大陸からの物資輸送を強く圧迫した。

ただし、「飢餓作戦」という名称から、民間人を飢えさせることだけを唯一の目的とした作戦だったと単純化するのは正確ではない。軍事的な中心は海上交通を機雷で遮断し、原料、燃料、食料その他の物資の流れを止めることにあった。しかし、その結果は当然ながら軍需産業だけにとどまらない。米海軍歴史遺産司令部の評価も、機雷封鎖によって日本国民の食料不足が深刻化し、戦争がさらに続けば大規模な飢餓に至った可能性を指摘している。

しかも、日本国民を苦しめたのは米軍による海上封鎖だけではなかった。戦時中の日本では、1942年の食糧管理法などを通じて、国家が食糧の集荷・配給を強く統制し、軍も作戦継続のための糧食を保有していた。終戦時、一般国民が深刻な食糧難に直面する一方で、軍や政府関係機関には相当量の物資が残されていた。1945年12月4日の帝国議会予算委員会における政府答弁によれば、終戦時に陸軍が保有していた主要糧食は米麦約7万トン、雑穀約10万トン、合計約17万トンに達していた。政府側は、これは当時200万人を超える部隊と約10万頭の馬を支えるための約3カ月分の糧秣だったと説明している。

したがって、これらすべてを「政府が国民から食料を隠していた」と一括して断定するのは適切ではない。戦時備蓄や軍用糧食には軍事上の目的があり、終戦後にはその一部が復員兵の携行食や民需にも回された。しかし問題は、物資が極端に不足していた時期に、軍や各種機関が大量の物資を保有し、その処分が必ずしも透明ではなかったことである。同じ帝国議会答弁でも、終戦直後の払い下げが「相当乱雑」に行われたことを政府側が認め、軍需品の処分をめぐって「国民の疑惑」が生じていたことが記録されている。

さらに終戦後には、軍需物資などの隠退蔵そのものが大きな社会問題になった。1946年の「隠匿物資等緊急措置令」をめぐる帝国議会審議では、政府が「終戦後隠退蔵せられて居りました物資」を供出させ、窮迫した国民生活に回すことを制度の目的として説明している。申告漏れや不正申告だけでは物資を確保できないとして、同年4月末には食糧まで対象に追加され、警察による摘発も進められた。同年7月17日の帝国議会答弁では、摘発された食糧だけで18万~19万石程度に達すると説明されている。

その一方で、庶民の食卓は窮乏していた。配給だけでは生活できず、都市住民は農村への買い出しや闇市に頼らざるを得なかった。終戦によって直ちに状況が改善したわけでもない。1946年6月7日の「食糧非常時突破に関する声明」で、政府自身が「食糧事情は遂に最悪の事態に陥り、多数の同胞は飢餓に直面するに至つた」と認めている。戦争末期から終戦直後にかけて、国民は空襲、物資不足、配給の逼迫、海上封鎖、そして戦後の混乱が重なる中で、まさに塗炭の苦しみを味わったのである。

ここから得られる教訓は、「大量に備蓄すればよい」ということでも、「国家備蓄は悪い」ということでもない。危機に備えて食料、燃料、医薬品、重要部品を備蓄すること自体は、むしろ現代のレジリエンスに不可欠である。問題は、何を、どれだけ、どこに備蓄し、危機になったとき誰に、どの経路で届けるのかまで設計されているかである。倉庫に物資があっても、それを必要とする国民や重要施設へ届けられなければ、国家のレジリエンスとはいえない。

そして海底通信ケーブルについても、歴史を正確に見なければならない。海底ケーブルと陸揚げ局は大東亜戦争当時にも存在し、国際通信や軍事通信を担っていた。現代との違いは、その存在の有無ではなく、社会全体の依存度と通信量である。今日では国際通信、金融取引、クラウドサービス、企業活動、データセンター間通信など、社会・経済のはるかに広い領域が大容量の海底光ファイバー網に依存している。そのため、海底ケーブルと陸揚げ局の障害が及ぼす影響も当時とは比較にならないほど広範囲になっている。

ここには、現代の日本に通じる重大な教訓がある。

海は防壁であると同時に、生命線でもある。そして、備蓄は「持っていること」ではなく、「必要な時に届けられること」まで含めて初めて安全保障になる。

現在の日本も、原油、LNG、鉱物資源など多くの重要物資を海上輸送に頼っている。港湾が止まる、燃料受入施設が止まる、海底ケーブルや陸揚げ局が損傷する、発電所や大規模変電所が止まる、サイバー攻撃で物流システムが麻痺する。現代では必ずしも船を大量に沈めなくても、複数の急所を同時に狙うことで海洋国家の機能に大きな負荷を与えることができる。

海洋国家日本を支える港湾と海上物量 AI生成画像
だから、日本がリトアニアから学ぶべきなのは、変電所を同じようなコンクリートで囲うことではない。リトアニアでは陸上国境に近い電力連系設備が一つの急所になる。一方、日本では、中核変電所に加え、港湾、燃料基地、海底ケーブルと陸揚げ局、海上輸送路、離島への電力・通信網、さらに食料・燃料・医薬品などの備蓄と配送網まで、海洋国家ならではの生命線として考えなければならない。

しかも、大東亜戦争時とは違い、現代では潜水艦や機雷だけを警戒すればよいわけではない。ドローン、無人艇、サイバー攻撃、衛星測位妨害、海底インフラへの工作など、攻撃の手段ははるかに多様化している。日本にはすでに内閣府「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保に関する制度」があり、電気などの基幹インフラについて、特定重要設備の導入や重要な維持管理等の委託を事前に審査する仕組みが設けられている。しかし、設備調達を通じた妨害リスクを審査することと、物理的な攻撃や物流遮断を受けても国家機能を維持することは同じではない。

問われるのは、どこを失えば国家機能への影響が最も大きいのか、代替経路はあるのか、設備や備蓄は十分に分散されているのか、予備部品や食料、燃料は確保されているのか、そしてそれらを必要な場所へ運ぶ物流網が生き残るのかということである。過去の日本は、物資そのものだけでなく、それを運ぶ海上交通を切断されることが国家と国民生活を追い詰めることを、極めて大きな代償を払って経験した。その教訓を、現代のインフラ防護に結び付ける必要がある。

結語 地理と歴史を知らずして国家は守れない

リトアニアで計画されるギジャイ変電所は、一見すれば欧州東端の特殊な施設に見える。しかし、本当に注目すべきなのは厚いコンクリートでも、高いフェンスでもない。国家が守るべき対象と、国家を止める方法そのものが変わってきたという事実である。

リトアニアは、ロシアの飛び地カリーニングラードやベラルーシに近く、ポーランド、ラトビアとも陸続きである。だから陸上の重要インフラを物理攻撃から守る必要性が切迫している。日本は違う。四方を海に囲まれた海洋国家である。だが、その海は単なる「堀」ではない。日本のエネルギー、食料、貿易、物流、通信を支える生命線でもある。

その弱点を、かつて米国は徹底的に突いた。潜水艦による計画的な通商破壊、そして「飢餓作戦」による機雷封鎖で、日本の軍艦だけではなく、日本という国家を動かしていた物資の流れそのものが標的になった。その一方で国内では、国家統制下に置かれた物資や軍用備蓄が存在しながら、国民は厳しい配給不足に苦しみ、終戦前後には隠退蔵や不透明な物資処分まで社会問題となった。物資を持っていることと、必要な人へ届けられることは同じではないのである。

そこから80年以上が経過した。技術は変わった。脅威も変わった。しかし原理は変わらない。

国家は、最も依存しているものを止められたときに弱くなる。そして国家が物資を持っていても、それを国民へ届けられなければ社会は守れない。

だから安全保障とは、兵器の数だけを数えることではない。自国が何に依存しているのかを知り、その急所を分散し、守り、必要な物資を備蓄し、輸送路を確保し、攻撃や災害を受けても機能を回復できるようにしておくことである。

リトアニアの変電所が日本に教える最大のことは、要塞化そのものではない。

地理と歴史を踏まえ、「国家と国民生活を止めない構造」を平時からつくることなのである。

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2026年9月25日金曜日

米中首脳会談、日本は無視できない国——日本はこの半年何を積み上げてきたか

 
まとめ
  • 9月24日の米中首脳会談は「米中融和」でも「対立解消」でもなかった。貿易休戦は延長されたが、関税、レアアース、技術規制などの核心的な問題は残った。米中は競争をやめるのではなく、競争が制御不能になることを避けようとしている。

  • その2日前の日米首脳会談で、高市首相とトランプ大統領は、米中首脳会談を念頭に中国をめぐる諸課題を協議するとともに、AI、半導体、重要鉱物、日米同盟の抑止力・対処力の強化を確認した。日本は米中関係を外から眺めるだけの存在ではない。

  • この半年、日本はAI・半導体、重要鉱物、エネルギー、日米戦略投資、同盟強化、FOIPなどを積み上げてきた。中国にとっても米国にとっても、日本の戦略的位置は重い。だからこそ日本は、目先の経済利益だけではなく、長期的な国益と安全保障を軸に対中関係と日米同盟を考える必要がある。

9月24日、トランプ大統領と習近平国家主席がホワイトハウスで向き合った。貿易休戦は延長されたが、関税、中国による米国製品購入、レアアース供給、技術規制といった核心的な問題は残った。台湾をめぐる基本的な隔たりも解消していない。会談前から、米中両国は貿易、台湾、AI、重要鉱物などをめぐって対立を抱えつつ、関係の安定化を模索していた。こうした米中関係の構図は、Reutersに
よる米中首脳会談をめぐる分析にも表れている。

これは「米中融和」と呼べるものではない。かといって、対立一辺倒でもない。米中は互いに譲れないものを抱えながら、競争が制御不能になることを避けるために首脳同士の対話を続けている。AIについても、首脳会談に先立つ米中協議で、AI安全と緊急時の連絡手段をめぐる正式な対話を設ける方向が確認されていた。Reutersは米中がAI安全対話を継続する方針を報じている。

ここで、「米国は中国に譲歩したのか」「日本は取り残されるのか」という見方から、いったん離れてみたい。今回の米中首脳会談を日本から考えるうえで重要なのは、米中が話したこと自体ではない。米中が向き合ったとき、日本がどのような位置にいたのかである。

実は、その答えを考えるための材料は2日前に出そろっていた。9月22日、高市首相とトランプ大統領はニューヨークで会談した。両国はこの半年、AI、半導体、重要鉱物、エネルギー、安全保障の各分野で実務協力を積み上げてきた。3月の日米首脳会談でも、ホワイトハウスの公式ファクトシートは、日米同盟の強化、経済安全保障、重要鉱物、AI・量子技術、ミサイル共同生産、台湾海峡の平和と安定を具体的な協力事項として掲げている。

同じ9月22日には、トランプ大統領と高市首相が国連総会でそれぞれ演説した。高市首相は重要鉱物、エネルギー、AI、FOIPだけでなく、国連憲章に残る「敵国条項」の削除と安保理改革まで訴えた。日米首脳会談、両首脳の国連演説、そして米中首脳会談。これらは別々のニュースとして消費するより、一本の線で読んだ方が現在の日本の立ち位置がよく見える。

その線は半年前にもつながっている。今年3月18日、私はこのブログで「北京は待て、日本は進め──トランプ訪中延期と高市会談が暴いたアメリカの本音」と題する記事を書いた。当時、トランプ大統領の中国訪問が延期される一方、高市首相との会談準備は進んでいた。そこで私は、米国は中国との首脳外交を捨てたのではなく、北京との会談というカードを残しながら、日本との関係を先へ進めようとしているのではないか、と論じた。

半年後、北京はもう待っていない。米中は向き合った。しかし、この半年に動いたのは米中だけではない。日本もAI・半導体、重要鉱物、エネルギー、日米戦略投資、同盟の抑止力・対処力、FOIPを積み上げてきた。

だから今回の記事で問いたいのは、「米中が接近したら日本はどうなるのか」ではない。

日本はこの半年で何を積み上げ、米中双方からどれほど無視できない存在になっているのか。

そこから今回の米中首脳会談を見てみたい。

1️⃣「対話か対立か」ではない――米中は競争を管理した

3月にトランプ大統領が中国訪問を延期したとき、それを米中対話の後退と見ることもできた。しかし半年後を振り返れば、少なくとも米国が対話そのものを捨てていなかったことは明らかである。5月にはトランプ氏が北京を訪れ、9月には習氏がワシントンを訪問した。首脳レベルの対話回路は維持されている。

それでも今回の会談を「米中融和」と呼ぶのは正確ではない。象徴的なのが貿易問題である。休戦は延長されたが、恒久的な通商合意には至らず、関税、中国による米国製品購入、レアアース、技術規制などは持ち越された。双方とも関係を壊したくはない。しかし簡単には譲れない。その均衡の上に、現在の米中関係が成り立っている。こうした経緯は、Reutersによる米中関税戦争から休戦までの整理からも確認できる。

対立を抱えながら対話を続ける米中外交 AI生成画像

その構図が最も鮮明に現れているのがレアアースである。中国はレアアースの採掘だけでなく精製・加工でも圧倒的な供給力を持つ。Reutersは、中国が世界のレアアース採掘の約7割、精製・生産では8割を大きく超えるシェアを握ると報じている。レアアースが米中首脳会談で米国側の重要課題となった背景は、この供給構造にある。

レアアースはEVだけでなく、モーター、航空宇宙、レーダー、防衛装備などに関わる。米国には巨大な軍事力、金融力、先端技術がある。しかし中国にも、米国が短期間では容易に代替できない供給力がある。逆に、中国も米国市場、ドル金融、先端技術を無視して経済を運営できるわけではない。

互いに相手を必要としながら、互いへの過度な依存を減らそうとしている。この矛盾こそ、現在の米中関係である。

台湾についても基本構造は変わらない。中国は台湾問題を核心的利益として扱い、米国に強い要求を続けている。5月の北京での米中首脳会談でも、習氏は台湾問題の扱いを誤れば米中関係が危険な状況に陥ると警告していた。Reutersによる5月の米中首脳会談報道からも、この問題が米中関係の根本的な対立点であることが分かる。

つまり今回の会談を一言で表すなら、競争は続ける。しかし、競争を制御不能にはしないということだろう。

「対話か対立か」ではない。

対立しているからこそ、対話する。

この現実を踏まえなければ、日本の立ち位置も見えてこない。

2️⃣米中会談の2日前――日本は何を積み上げていたのか

ここで時計を2日前に戻してみたい。9月22日、高市首相とトランプ大統領はニューヨークで会談した。この半年の日米関係を見ると、安全保障と経済安全保障を別々に扱うのではなく、AI、半導体、重要鉱物、エネルギー、ミサイル、防衛産業を一体として強化する方向が鮮明になっている。

3月の日米首脳会談で、ホワイトハウスは日米同盟強化の具体策として、重要鉱物サプライチェーン、南鳥島周辺のレアアース泥開発、AI・量子技術、AMRAAM共同生産の検討、SM-3 Block IIAの国内生産能力4倍化、政府向け主権クラウド、台湾海峡の平和と安定などを明記した。これは単なる「日米友好」の確認ではない。技術、供給力、防衛力を結び付けた同盟強化である。

ここに、3月19日に書いた「中国を睨む日米会談に突きつけられたホルムズ危機――高市・トランプ会談は日米同盟の踏み絵である」がつながる。あの記事で問題にしたのは、安全保障を軍事だけで考えてよいのかという点でもあった。中国への長期的な備えが重要でも、ホルムズ海峡でエネルギー供給が滞れば、我が国の国民生活と産業は打撃を受ける。重要鉱物が止まれば製造業が傷み、半導体供給が途絶すれば自動車から防衛装備まで影響する。安全保障とは軍艦や戦闘機の数だけでは測れないのである。

高市首相は国連の場で日本の立場と国際秩序改革を訴えた AI生成画像
半年後、高市首相の国連演説には、その問題意識がさらに広い形で現れた。エネルギー、重要鉱物、AI、供給網、FOIPを論じるだけでなく、国連憲章53条、77条、107条に残る、いわゆる「敵国条項」の削除を正面から求めた。2005年の国連総会ではすでに「敵国」への言及を削除する意思が確認されているが、国連憲章改正には総会での3分の2の賛成に加え、安保理常任理事国5か国を含む加盟国3分の2による批准が必要である。したがって、日本政府だけで削除できるものではない。高市首相の発言は、未完の国連改革を国際社会に改めて迫るものだった。

高市首相は同時に、1945年の国際情勢を反映した安保理について、常任・非常任理事国双方の拡大も求めた。これは単なる制度論ではない。戦後80年以上を経た日本が、かつての敗戦国として与えられた位置を受動的に受け入れるだけではなく、現在の国力と国際貢献に応じた秩序形成へ関与しようとする姿勢の表れでもある。

一方、トランプ大統領の国連演説は国家主権と米国の国益をより強く前面に出した。日米の国際機関観は同一ではない。それでもAI、半導体、重要鉱物、防衛という実務では協力が進む。

同盟とは、すべての世界観が一致する関係ではない。

異なる国家が、それぞれの国益を持ちながら、利益の重なる領域で実力を持ち寄る関係である。

3️⃣米中双方が日本を無視できない理由

今回の米中首脳会談から日本が考えるべきものとして、レアアースは象徴的である。中国が米国から無視されない理由の一つは、米国にとって短期間では代替できない供給力を持っていることにある。

では、日本は何を持っているのか。

答えは、すでにかなり具体的である。日本には半導体製造装置・材料、高度な製造技術、精密機械、特殊素材、産業用ロボット、造船などの産業基盤がある。さらに日米同盟、資本、重要鉱物備蓄の知見、エネルギー技術、FOIPを軸とした外交ネットワークがある。

経済産業省は2026年の政策方針で、レアアースや半導体などについて「特定の国に過度に依存することのない強靱なサプライチェーン」の構築、国内生産力強化、供給源多角化、国家備蓄強化を進める方針を明示している。経済産業省の2026年年頭所感は、対中依存を含む供給網リスクへの政府の基本姿勢を示している。

さらに3月の日米首脳会談では、南鳥島周辺の深海重要鉱物資源の共同研究・産業協力や、重要鉱物の生産・供給源多角化を進める行動計画でも一致した。これは、日本が単に中国産レアアースを買う国から、供給力を自ら形成する国へ移ろうとする動きでもある。

そして、ここからもう一段踏み込む必要がある。

米国と中国は立場こそまったく違うが、どちらも日本の戦略的位置を軽視できない。

中国にとって、日本が米国との同盟を強化し、FOIP、台湾海峡、半導体、重要鉱物、防衛面で米国との連携を深めることは、自国を取り巻く戦略環境に直接影響する。逆に、日中関係を安定させ、経済や外交で日本との協力余地を広げることは、中国にとって利益になる。

つまり、中国にとって日本がどちらの方向へ動くかは重要なのである。

一方、米国側の姿勢はさらに明確だ。3月のホワイトハウス文書は、日米同盟を強化し、経済安全保障を高め、重要鉱物、先端技術、防衛生産で連携し、インド太平洋における抑止力を強化する方向を具体的に示している。

米国が中国との長期競争を続けるほど、日本の地理、技術、製造能力、資本、防衛力、海洋能力、外交ネットワークの価値は大きくなる。

米国にとって、日本は単なる「基地を置く国」ではない。インド太平洋戦略そのものを成立させる主要な構成要素である。

ここで重要なのは、だから中国との関係を軽視してよいという話ではない。中国は我が国にとって巨大な隣国であり、主要な経済相手でもある。対話の回路を維持し、協力できる分野では協力する必要がある。

港湾・造船・半導体が支える日本の産業力と供給力。AI生成画像
しかし、目先の経済利益だけで長期戦略を決めれば、別のコストを見落とす。

2026年版防衛白書は、中国の対外姿勢や軍事動向について「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と位置付けている。中国は尖閣諸島周辺を含む東シナ海、日本海、西太平洋で軍事活動を活発化させ、台湾への軍事的圧力も強めている。防衛白書の中国軍事動向の詳細では、第一列島線を越え第二列島線に及ぶ活動や、台湾周辺、南シナ海での軍事活動が具体的に記録されている。

さらに、防衛省資料は、中国について、他国の中国への依存を利用して経済的威圧を加える事例があるとも指摘している。防衛省の「装備品等の開発及び生産のための基盤の強化に関する基本的な方針」関連資料にも、この認識が明記されている。

だから日中関係を見る際には、市場規模、観光、輸出入といった目先の数字だけでは足りない。台湾海峡の安定、尖閣諸島を含む東シナ海、重要鉱物への依存、先端技術、安全保障、供給網が寸断された場合の国民生活への影響まで含めて考えなければならない。

これは中国との関係を断てという話ではない。

経済関係を維持することと、戦略的な依存を深めることは同じではない。

ここを区別する必要がある。

政府自身も、経済産業省の2026年政策方針で、レアアースや半導体などについて特定国への過度な依存を避け、国内生産力、供給源多角化、国家備蓄を強化するとしている。中国との経済関係は維持する。一方で、安全保障と経済安全保障では、長期的な脆弱性を減らす。

これは「米国か中国か」という感情的な二者択一ではない。

日本自身の国益を基準に、分野ごとに何を結び、何を守り、どこへの依存を減らすのかを決める問題である。

そして現状では、日本と米国の安全保障上の利害は広い範囲で重なっている。東シナ海、台湾海峡、法の支配、海上交通、先端技術、重要鉱物、エネルギー供給網。その積み重ねが、この半年の日米関係にも表れている。

日本はすでに、中国にとっても米国にとっても無視できない国である。特に米国にとって、中国との競争が長期化するほど、日本の戦略的価値は増す。

3月に私は「北京は待て、日本は進め」と書いた。半年後、北京はもう待っていない。米中は向き合った。

しかし、日本も止まってはいなかった。日本も進んでいたのである。

結論――日本は選ばれる国ではなく、自ら選ぶ国である

今回の米中首脳会談を見て、「米中が接近した」「日本が取り残される」と見ることは簡単である。しかし事実を一つずつ見れば、違う景色が見える。米中は仲直りしたのではない。互いの力と弱点を認識し、競争を続けるために対話を維持している。

そして、その構図の外に日本がいるわけではない。

中国にとって日本は、隣接する主要な経済・技術国であり、米国の主要同盟国でもある。日本が米国との連携を深めれば、中国を取り巻く戦略環境は変わる。だから中国にとって、日本との関係をどう構築するかは重要な戦略課題になる。

米国にとって日本は、さらに明確な存在である。日本はインド太平洋の主要同盟国であり、半導体、素材、製造技術、造船、資本、エネルギー、重要鉱物、防衛、外交ネットワークを持つ。3月の日米首脳会談で示された協力項目を見るだけでも、米国が日本との結び付きを安全保障だけでなく、技術、供給網、エネルギー、防衛生産まで広げようとしていることは明らかである。

しかし、日本は米中双方から「選ばれる」のを待つ国ではない。

我が国自身が、自国の国益を基準に関係を選び、組み立てる国でなければならない。

中国とは巨大な経済関係がある。だから対話と協力は必要である。しかし、目先の市場利益だけで長期戦略を決めることはできない。2026年版防衛白書が示す東シナ海、台湾周辺、西太平洋での軍事動向、重要鉱物への依存、技術、安全保障上の脆弱性も同時に見なければならない。

一方、日米同盟は単なる友好関係ではない。我が国の安全保障、海上交通、技術、供給網、インド太平洋秩序を支える制度的基盤である。この半年、AI、半導体、重要鉱物、エネルギー、防衛で日米の実務協力がさらに具体化したことは、その重みを示している。

そして国連総会では、日本は敵国条項の削除と安保理改革を正面から求めた。

これは、戦後の国際秩序の中で自らを小さく位置付け続ける国の姿ではない。

自らの技術を磨き、供給力を再建し、国家資産を形成し、同盟を強くし、中国とも必要な対話を続けながら、国際秩序そのものにも意見を述べる国の姿である。

3月、北京は待たされた。9月、米中は再び向き合った。その半年の間、日本も前へ進んだ。

日本は中国にとって無視できない国である。そして米国にとっても、インド太平洋戦略を考えるうえで極めて重要な同盟国である。

だから米中が話すことを恐れる必要はない。

必要なのは、どちらかの大国の顔色を見て動くことではない。短期の利益と長期の国益を混同せず、日本が持つ技術、産業、供給力、防衛力、同盟、外交を国家資産としてさらに厚くすることである。

米中双方が日本を必要とする時代だからこそ、日本は自らの国益を軸に、自らの意思で前へ進めばよい。

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