2026年1月17日土曜日

決断しない国は淘汰される──経済が「戦場」になった世界で、来るべき選挙が問うもの



まとめ
  • 世界はすでに「決断を前提に動く段階」に入っている。経済は中立な市場ではなく、資源・技術・供給網・情報が国家間競争そのものになった。決断できる国だけが枠内に残り、迷い続ける国は敵視される前に「相手にされなくなる」現実が始まっている。
  • 日本は立ち遅れているのではない。だが、前提が社会全体で共有されていない。政策中枢では経済安保への対応が進み、リスクは確実に下がっている。一方で、世論や報道は旧来の前提に引きずられがちだ。この認識の段差が、次の判断を誤らせる最大の要因になっている。
  • 来るべき選挙で問われるのは、政策の細部ではなく前提の理解だ。給付か減税かではない。経済が戦場になった世界を前提に判断できるかどうかである。決断しない国が淘汰される時代に、有権者自身の認識が、そのまま国家の進路を決める。
先日このブログに掲載した、世界経済フォーラム(通称ダボス会議)の警告は、もはや予測でも議論でもない。現実である。グローバリズムが機能不全に陥り、経済そのものが国家間対立の主戦場になったという事実は、すでに動かしようがない前提となった。

それでも、あらためてこのテーマを取り上げる理由は一つしかない。ここ数日の世界の動きですら、それまで「警告」として受け止められていたものを、各国が実際に行動を決めるための前提条件へと明確に押し上げてしまったからだ。世界は今、前提を切り替えた国と、切り替えられない国を、静かに選別し始めている。

1️⃣経済はすでに戦場になった──トランプ発言と世界の前提転換


その象徴が、ドナルド・トランプ大統領によるグリーンランドをめぐる発言である。米国大統領が、同盟国デンマーク領であるグリーンランドに対し、安全保障と資源の観点から強い関心を示した。この発言を、日本の多くの報道は「突飛」「過激」と片付けた。しかし世界は違う受け止め方をしている。

グリーンランドには、レアアース、ウラン、北極航路、米軍基地がある。これは領土欲ではない。資源・供給・軍事拠点を一体で押さえるという、現代国家戦略が露骨な形で言語化された瞬間である。この一言で、「資源は市場で買えばいい」「経済と安全保障は別物だ」という前提は、事実上崩壊した。

この変化を裏付けたのが、世界経済フォーラムの年次リスク評価である。短期的に世界へ最も深刻な影響を与える最大のリスクとして挙げられたのは、戦争でも気候変動でもない。大国間の経済対立だった。英米欧では、これは分析材料ではない。政策立案と投資判断の前提として、すでに共有されている認識である。

一方、日本ではどうか。「国際会議の一報告」「そういう見方もある」という扱いにとどまり、前提が切り替わったという自覚は乏しい。この温度差が、国家の行動速度を決定的に分けている。

2️⃣日本は本当に遅れているのか──高市氏の先見性と、伝えられない前提

高市早苗氏は経済安保を書籍を執筆していた

ここで一つ、修正しておかなければならない誤解がある。
日本は「最近になって慌てて経済安全保障を語り始めた国」ではない。

高市早苗氏は、政権発足以前から一貫して、経済・技術・供給網・情報保全を国家安全保障の中核に据えるべきだと主張してきた。半導体、エネルギー、先端技術、研究情報、対中依存リスクに関する発言を振り返れば、その一貫性は明白である。現在の政策転換は、場当たり的な対応ではない。従来からの問題意識が、世界の前提転換によって政策として表に出ただけだ。

この点で、従来の政権と現在を同列に論じるのは正確ではない。少なくとも政策中枢レベルでは、経済安全保障に関するリスクは明確に低減している。経済安保は周辺論点から政策の中核へ移動し、理念ではなく「継続できるか」「制御できるか」という基準で評価されるようになった。これは、何もしていない国と、最低限の前提更新を終えた国との差である。

にもかかわらず、日本社会全体ではその変化が十分に共有されていない。その大きな要因が、日本のマスコミ報道の構造にある。日本の報道は出来事を伝えることには長けているが、「前提そのものが変わった」という変化を扱う設計になっていない。誰が何を言ったか、何が起きたか、賛否はどうか。そこまでは伝える。しかし、なぜその判断が不可避になったのかという前提は、あまり語られない。

その結果、日本では「経済安保は規制強化だ」「自由貿易への逆行だ」といった表層的な理解が先行する。政権中枢では前提が更新されているのに、社会全体では共有されない。この認識の段差こそが、現在の日本の不安定さの正体である。

3️⃣制度としての守りと、有権者が示し始めた分岐点

経済が戦場になった世界では、技術、研究成果、企業内部情報、データはすべて戦略資産である。それにもかかわらず、これらを海外勢力による流出から守る制度が弱ければ、産業政策は必ず空洞化する。

ここで核心をはっきりさせる。スパイ防止法は「あれば望ましい制度」ではない。経済が戦場になった世界では、不可欠な国家インフラである。研究所や大学、企業からの技術流出、サプライチェーン内部情報、重要インフラの設計データ。これらは、戦車やミサイルと同じく国家の競争力そのものだ。守れない国は、同盟からも投資からも、静かに外される。

では、有権者はこの前提を理解しているのか。
必ずしも悲観する必要はない。その根拠の一つが、昨年の石丸慎二氏の敗北(都議選全敗、参院選議席獲得ならず)である。


石丸氏の政治姿勢は、極めて純化されたグローバリズムに立脚していた。市場原理と制度改革を万能視し、国家主権や経済安全保障を前面に出さない。一方で、供給網断絶や技術流出といった現実的リスクに対する制度論は乏しかった。これは人物評価の問題ではない。前提がすでに崩れた世界観に立っていたことが決定的だった。

広範な支持を得られなかった背景には、有権者が「その前提では国は持たない」と直感的に理解し始めていた現実がある。他方で、グローバリズムを単純に善と信じる層が消えたわけではない。その象徴が鈴木直道北海道知事である。理念先行の国際協調や外資依存を疑わない姿勢は、旧来の前提がなお一定の支持を持つことを示している。

日本社会は今、前提を更新した層と、更新できていない層が併存する分岐点に立っている。

結論──問われているのは新たな覚悟ではなく、整理である

日本が捨てるべきなのは、「曖昧でいることが安全だ」という幻想である。この世界で曖昧な国は、敵にも味方にもならない。ただ、計画から外されるだけだ。一方、日本が取り戻すべきものは新しくない。約束を守る制度、政策の連続性、技術と現場を尊重する文化。これらは、すでに日本が持っているものだ。

問われているのは、新たな覚悟ではない。
すでにある覚悟を、現実に耐える形へと鍛え直すことである。

世界はすでに前提を切り替えた。有権者もまた、その現実をかなりの程度まで理解し始めている。問題は、それを制度として完成させるかどうかだ。

来るべき衆院選は、過去の前提に投票するのか、それとも現実の前提を定着させるのかを問う選挙になる。

条件は、すでに揃っている。
覚悟も、すでにある。

あとは、それを使い切るかどうかだけだ。

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2026年1月16日金曜日

立憲と公明のようなリベラル・左派と宗教的中道派は、なぜ必ず決裂するのか ──理念で引き合い、理念の暴走で壊れる政治連携の宿命


まとめ
  • この論考は、「なぜ連携が失敗したのか」ではなく、「なぜ必ず失敗する構造なのか」を解き明かす。立憲と公明に限らず、海外でも繰り返されてきたリベラル・左派と宗教的中道派の決裂は、偶然や相性の問題ではない。理念で引き合いながら、理念の扱い方の違いによって必然的に壊れる。その構造を、具体例とともに描き出す。
  • 同時に、改革を可能にする条件として「改革の原理としての保守主義」を捉え直す。保守主義とは反改革でも反理念でもない。理念が暴走しないよう、現実側に制御装置を組み込む思考法である。理念が正しいほど危うくなる瞬間があるという逆説を通じて、なぜ理念主導の政治が社会工学実験へと傾きやすいのかを示す。
  • そして本稿は、次の選挙で有権者が何を見ているのかを「壊れにくさ」という感覚から描く。経済、安全保障、外交、エネルギー、社会構造、移民、親中。有権者は理念の是非ではなく、理念が暴走したときに社会と国家が耐えられるかを測っている。この静かなブレーキこそが、これからの政治を左右する核心である。

1️⃣改革の原理としての保守主義──理念は必要だが、暴走は許されない

経営学の大家ドラッカーも著書で「改革の原理としての保守主義」を主張

本稿の出発点は、「改革の原理としての保守主義」にある。
ここで言う保守主義とは、懐古でも現状維持でもない。ましてや、理念を否定する思想でもない。理念を持たない政治は、方向を失い、漂流するだけである。

元来、保守主義とは「改革を否定する思想」ではなかった。
それはむしろ、改革が避けられないことを前提としたうえで、社会が耐えられる速度と範囲を管理しようとする思考であった。社会は一度壊れれば元に戻らない。人間は理念通りに設計できる存在ではない。制度は完成形ではなく、妥協と修正の積み重ねでしか機能しない。こうした現実認識こそが、保守主義の原点である。

したがって、改革の原理としての保守主義が問題にするのは、理念そのものではない。
問題にするのは、理念が検証や修正を拒み、自己目的化したときに起きる「理念の暴走」である。

保守主義が改革に条件を付けるのは、そのためだ。
速度を制限し、影響範囲を区切り、途中で立ち止まり、引き返す余地を残す。
それは理念を抑圧するためではない。理念が現実を壊さないよう制御するためである。

この視点を欠いた政治は、善意であっても必ず危うくなる。
そして、リベラル・左派と宗教的中道派の政治連携が、繰り返し同じ地点で破綻してきた理由も、ここにある。

2️⃣理念で引き合い、中国との親和性が高く、理念の暴走で壊れる政治連携

立憲民主党と公明党という組み合わせは、日本では「現実的な選択肢」として語られがちだ。しかし、この構図は日本固有のものではない。海外ではすでに何度も試され、そのたびに同じ結末を迎えてきた。

イタリア、ドイツ、韓国、スペインに共通するのは、リベラル・左派と宗教的中道派が、ともに理念を政治の中心に据えた点だ。リベラル・左派は普遍的正義や進歩を掲げ、宗教的中道派は信仰や倫理といった超越的価値を重んじる。一見すると対立しているようで、両者は「理念を軽視しない」という一点で強く引き合う。

しかし、この親和性こそが不安定さの源泉になる。
リベラル・左派の理念は、社会を作り替える方向へ向かう。
宗教的中道派の理念は、社会に内在する秩序を前提に、それを導こうとする。
理念を重んじる点では一致しても、理念の向きは決定的に異なる。

無論現在の公明党を宗教的中道派と呼べるのかと考える人も多いだろう。少なくとも、公明党の現執行部を中道派と呼ぶことはできない。

むしろ、リベラル・左派的という評価の方が正しいだろう。しかし、支持母体の多くの創価学会員は、本来の宗教的中道派的な考えが強いのではないか。

だから、立憲はリベラル・左派的な傾向を強く打ち出すことはせず、中道色を打ち出すのではないか。

ここにもう一つ重要な要素が加わる。
それが、中国との親和性である。

リベラル・左派は、理念を制度に直接実装しようとする点で、社会を設計可能な対象として捉えがちだ。宗教的中道派もまた、倫理や信仰という「上位原理」を社会に投影しようとする点で、理念を現実より優先する傾向を持つ。この二つは方向こそ異なるが、理念を統治原理の上位に置くという点で、中国の体制と親和性を持ちうる。

中国の一人っ子政策は、壮大な社会工学実験の一つ

中国は、社会を自生的秩序ではなく、設計・管理される対象として扱う国家である。理念と統治が直結し、検証や修正よりも一貫性が重んじられる。この構造に対し、リベラル・左派は「進歩」や「普遍性」の名で、宗教的中道派は「倫理」や「調和」の名で、距離を詰めやすい。

だが、その結果として生じるのは、理念を止める装置を欠いた政治である。
理念の正しさが、そのまま実装の正当性にすり替わり、改革は調整ではなく実験へと変質する。
海外で繰り返された連携崩壊は、この構造の帰結だ。

自民党と公明党の連携が長年続いた理由も理念で説明がつく。両党の連立は、理念の一致にあったのではない。自民党は多様な派閥と業界団体を抱える典型的な利権集団であり、党内は一枚岩ではなかった。

公明党も宗教的理念を国家改造の原理として前面に押し出すことを避け、両党は理念よりも政策ごとの利害調整を重ねてきた。その結果、この連携は理想ではなく、時には公明党の理念が自民の足を引っ張ることもあったが、それでも理念が暴走しにくい現実対応の構造として機能してきたのである。しかし、理念色が強い立憲とは最初から反りが合わないだろう。

3️⃣有権者が選挙で測る「壊れにくさ」という感覚

この構造を踏まえるなら、我が国の次の選挙で起き得るのは、理念的な大転換ではない。むしろ、海外でも見られた有権者が無意識に理念の暴走にブレーキをかける現象である。


有権者が見ているのは、正しさではない。
社会と国家が耐えられるかどうかだ。

経済は壊れないか。そんなことよりも、はるかに現実的である。
安全保障は空洞化しないか。
外交は不可逆な孤立へ向かわないか。
エネルギーは不安定化しないか。
社会構造は急進的改変によって空白を生まないか。

そして近年、移民政策と親中姿勢が、この「壊れにくさ」を測る最大の指標になっている。移民は速度と統合の失敗が社会分断を生む。親中はさらに深刻で、国家の自己決定能力そのものを削る。昨年の世界は、その傾向だったし、日本も同傾向であった。高市政権成立がそれを十二分に示したと言える。

しかし、有権者が嫌うのは理念そのものではない。
理念が暴走し、止められなくなる状態である。

結論──改革とは、理念を掲げるだけでない

政治に理念は不可欠だ。
だが、理念を現実の上位に置き、検証も修正も許さなくなった瞬間、政治は社会工学実験へと変質する。

改革とは、理念を一足飛びに実現することではない。それは改革ではなく破壊である。
理念が暴走しないよう、現実の中に制御装置を組み込むことである。それで初めて改革は、現実的となり成功の見込みが立つ。それなしの、改革は改革ではなく理念の暴走に過ぎない。

それこそが、元来の意味における「改革の原理としての保守主義」であり、
リベラル・左派と宗教的中道派の連携が共有できなかった決定的な存立の前提である。

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2026年1月15日木曜日

世界経済フォーラムの警告 ──グローバリズムが壊れた世界でこそ日本が必要とされる


1️⃣世界はどこで変わったのか──グローバリズムの前提が崩れた瞬間

世界はすでに、引き返せない地点を越えている。その変化を、感覚や雰囲気ではなく、言葉として整理してきた場がある。それが 世界経済フォーラム(WEF)である。

WEFは毎年、スイス・ダボスで年次総会を開き、各国の政治指導者、中央銀行総裁、企業トップ、研究者らが集まり、世界経済と国際秩序のリスクを共有してきた。その過程で公表される年次のリスク評価は、特定の国益や思想を主張するものではない。世界の意思決定層が、いま何を最大の不安要因として認識しているかを可視化したものである。

直近では、2026年1月、ダボス会議を前に公表された最新のリスク評価において、短期的に世界へ最も深刻な影響を与える最大のリスクとして挙げられたのが、戦争や感染症ではなく、大国間の経済対立であった。これは予測ではない。すでに起きた現実を踏まえた総括である。

WEFの会場

ここで注目すべきは、この指摘を行った主体がWEFであるという事実そのものだ。WEFは長年にわたり、自由貿易、国境を越えた資本移動、国際分業といったグローバリズムを前提とする世界観を共有してきた場である。すなわち、経済的相互依存が深まれば国家間の対立は抑制され、世界はより安定するという発想を、最も強く信じてきた側の集まりであった。

そのWEFが、最大のリスクとして「大国間の経済対立」を挙げたという事実は、単なる危機認識の更新ではない。グローバリズムを前提としてきた側自身が、その前提がすでに崩れ、経済が協調の手段ではなく、対立と分断の道具に変質した現実を公式に認めたという意味を持つ。これは楽観論の修正ではない。グローバリズムという世界秩序の基盤が揺らいでいることの確認である。

ロシアはウクライナ侵攻後、金融制裁によって巨額の外貨資産を事実上使えなくなった。一方、ロシア産エネルギーへの依存を急激に断った欧州、とりわけドイツは、エネルギー価格の高騰に直撃され、製造業の競争力を大きく損ねた。制裁される側だけが傷ついたのではない。経済対立とは、相互依存を前提に築かれた秩序そのものを壊す行為であり、仕掛けた側もまた必ず代償を払う。

米中対立も同じ構図にある。先端半導体、製造装置、設計ソフトを一体で封じることで、中国の先端開発は世代単位で遅れた。これは市場競争ではない。相手を技術的に到達不能にする政策である。経済はもはや効率や利益の道具ではない。相手の選択肢を奪うための武器として使われている。

2️⃣日本は何を持ち、なぜ迷っているのか──強みと主導権、そして判断が下されなかった構造

世界中の半導体工場で日本の原材料が用いられている

この世界において、「日本は無防備だ」という評価は正確ではない。我が国は、代替が極めて困難な強みを数多く持っている。半導体材料分野だけを見ても、フォトレジスト、シリコンウエハ、精密研磨材、洗浄・成膜関連材料など、日本の供給が止まれば世界の製造ラインが止まる領域は少なくない。

象徴的なのが、先端半導体パッケージに不可欠なABFである。これを事実上独占的に供給しているのが 味の素 だ。ABFはCPUやGPUの基板に欠かせない材料であり、代替技術は長年試みられてきたが、量産性と信頼性の壁を越えられていない。これは高いシェアという話ではない。他に選択肢が存在しないという意味での独壇場である。

日本の強みは半導体材料に限られない。超精密工作機械、特殊鋼、炭素繊維、高機能磁性材料、精密部品。航空宇宙、防衛、エネルギー、医療といった分野で求められる水準を、安定して満たせる国は多くない。我が国は、世界の産業を下から支える不可欠な力を、すでに握っている。

それでも危うさが消えないのは、これらの強みが国家の主導権に転換されていないからだ。日本は産業の「喉元」を押さえているが、設計思想や標準、投資判断といった「頭脳」と「心臓」は海外にある。最も現実的なリスクは全面遮断ではない。材料は買われ続けるが、次世代の議論から静かに外される。強みを持ちながら、戦略の中心から外されることこそが最大の危機である。

この状況を生んだのは、政治・官僚・企業の分業構造である。政治は票にならず短期成果も見えない領域に踏み込まなかった。官僚は与えられた前提を最適化することには長けていたが、その前提が崩れる事態を想定し、壊す権限を持たなかった。企業は政治と距離を取ることで成功してきた合理的判断の結果、国家戦略から距離を置いた。三者はそれぞれ合理的だったが、合成すると誰も全体判断を下さない構造が完成した。

3️⃣それでも日本は選び直せる──現実主義による主導権回復

2023年、札幌で開催された。G7気候・エネルギー・環境大臣会合

この構造を壊す方法は、空想ではない。必要なのは、政治主導による前提転換である。半導体材料や精密加工技術を、単なる産業競争力ではなく国家安全保障資産として明確に位置づけ、何を守り、何を交渉カードとして使うのかを言語化することだ。これは管理や統制ではない。国家としての意思表示である。

同時に、非常時を想定した制度設計を平時から行う必要がある。遮断が起きてから考える国は、必ず後手に回る。供給の優先順位や同盟国との補完関係を、事前に共有しておくことが不可欠だ。

ここで重要な示唆を与えるのが、欧州連合(EU)の規範主導である。EUは、規制や基準を通じて市場参加の条件そのものを書き換えてきた。環境規制やデータ保護、製品安全基準は、EU域内のルールでありながら、結果として世界標準となり、各国企業の行動を縛る力を持った。

しかし同時に、EUの規範主導は万能ではない。理念が先行し、現実の産業構造や技術成熟度を十分に踏まえなかった結果、自縄自縛に陥った例も少なくない。エネルギー政策や自動車分野における規制の迷走は、その象徴である。規範は強力だが、運用を誤れば自らの競争力を削ぐ。

この点で、日本はEUと決定的に異なる立ち位置にある。日本は、実際に作り、壊れ方を知り、直してきた国である。現場を知るがゆえに、理念先行ではなく、実装可能性を前提にした規範を示すことができる。技術、供給、信頼、そして規範を束ねたとき、日本は単なる部品供給国ではなく、産業秩序の設計者になれる。

最終結論──日本は今こそ世界にとって不可欠な国である

強みを持たない国が周縁に置かれるのは、国際社会の自然な流れである。しかし日本は、その側にはいない。我が国は、世界が本気で必要とする強みを、すでに持っている。半導体材料、ABF、精密加工、高機能素材、そして長年積み上げてきた信頼。これは偶然でも、過去の遺産でもない。世界の産業が現実に依存してきた力である。

ここで見落としてはならないのは、日本が周縁国になってしまえば、それは日本だけの損失ではないという点だ。日本の強みは、他国を押しのけるための力ではない。世界の産業が安定して動き続けるための、静かな土台である。その土台が弱まれば、サプライチェーンは不安定化し、技術の信頼性は揺らぎ、結果として世界全体が不確実性を背負う。

日本は、供給を振り回す国ではない。約束を守り、品質を守り、淡々と責任を果たしてきた国である。だからこそ日本は、力の誇示ではなく、信頼によって世界の中枢に位置してきた。その日本が周縁に退くことは、世界にとって「安全装置」を一つ失うことに等しい。

問題は、日本に力があるかどうかではない。その力を、国家として使う決断をするかどうかである。周縁国とは、最初から選ばれなかった国だ。しかし日本は違う。日本は、選ばれる資格を持ち続けている国であり、同時に世界から期待され続けてきた国でもある。

世界は今、誰が声を張り上げるかではなく、誰が現実を支えられるかを見ている。日本が自らの強みを国家の意思として位置づけ、同盟と規範の中で静かに、しかし確実に使うなら、日本は周縁に追いやられるどころか、世界にとって不可欠な存在として再び中心に立つ。

日本は終わる国ではない。
選び直せる国である。
しかもそれは、日本のためだけではない。
世界にとって必要な選択である。

条件は、すでに揃っている。
残されているのは、覚悟だけだ。

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2026年1月14日水曜日

彼らはどこで道を誤ったのか──ベネズエラ、イランを巡るリベラル・左派思想の自己崩壊

まとめ

  • ベネズエラとイランで、リベラル・左派は人々の苦境よりも、米国が関与する可能性に強く反応した。本稿は、民衆から体制へと主語がすり替わった瞬間を具体例で追う。
  • 国際法は本来、人命を守るための規範だった。それがいつ、どのようにして、行動しないことを正当化する盾へと変質したのかを検証する。
  • 誰が何をしたかではなく、誰がどの属性に属しているかで善悪を決める思考は、米国発のアイデンティティー政治に起源を持つ。本稿は、その判断の型が国際政治に持ち込まれ、思想が内側から崩れていく過程を描く。

1️⃣民衆より体制が選ばれた瞬間──ベネズエラとイラン

イランの反体制派デモ

「もう世界のリベラル・左派は終わりではないか」。
これは感情論ではない。事実を時系列で追えば、誰にでも同じ結論に到達するという意味での判断である。

私たちは、ベネズエラとイランという二つの現場で、リベラル・左派が歴史の分岐点において誰を守り、誰を後景に退かせたのかをリアルタイムで目撃した。それは理念の問題ではない。選択の問題である。

ベネズエラでは、経済崩壊、食料・医薬品不足、反政府デモへの暴力的弾圧が長期にわたって続いてきた。にもかかわらず、国際的なリベラル言説が決定的に熱を帯びたのは、民衆の苦境が極限に達した時ではなかった。米国が軍事介入を排除しない姿勢を示したと受け止められた瞬間である。

その途端、議論の主語は人々の生活から外れ、「主権」「国際法」「内政不干渉」へと一斉に移動した。守られたのは民衆ではなく、体制の不可侵性だった。

イランでも構図は同じである。抗議運動が拡大し、死者が増え、弾圧の実態が可視化されても、初動は抑制的だった。転換点は、事態が深刻化する中でアメリカ合衆国が大量殺戮を看過しない可能性を示唆したと受け止められた段階である。この瞬間、焦点は現に起きている殺害から、「まだ起きていない軍事行動の是非」へとすり替わった。優先順位が明確に逆転したのである。

2️⃣国際法という「盾」──人道が退いた思想の縮退


ここで問うべき核心は、リベラル・左派が国際法をどう使ったかである。国際法は本来、暴力を抑制し、人の尊厳を守るための枠組みだ。ところがこの局面での国際法は、行動しないことを正当化する盾として機能した。

主権不干渉が絶対化され、国家が自国民に深刻な被害を与えても、「内政」という一語で思考が停止する。これは法の尊重ではない。法を用いた回避である。

この反応は偶然ではない。被害が可視化されると限定的な批判は行われるが、外部の圧力が意識された瞬間、論点は一斉に移動する。殺されている人ではなく、「西側、とりわけ米国が何をするか」が主語になる。この同時性は、思想的反射と呼ぶほかない。

ここで断定しておくべきことがある。
この思考様式の原型は、米国内で成熟したアイデンティティー政治にある。

誰が何をしたかではなく、誰がどの属性に属しているかを先に固定し、被害者と加害者を自動的に割り当てる判断の型である。この思考は、米国内の社会運動、大学、メディア空間で形成され、政治言語として定着した。

重要なのは、それが米国内にとどまらなかった点だ。この判断様式は、学界、NGO、メディアを媒介として西側諸国に輸出され、国際政治の解釈枠組みとして移植された。その結果、「非西側」「反米」という属性が先に被害者性を帯び、現実の弾圧や殺害は後景に退くという倒錯が生じた。

この文脈で、「人道的介入」という言葉はリベラル・左派の語彙から消えた。冷戦後、主権より人命を重視すると語ってきた当事者自身によってである。これは成熟ではない。思想の縮退である。

3️⃣同型は日本にもある──橋下徹氏、主要メディア、海外知識人


この構造は、海外の人権団体や欧米の一部知識人だけのものではない。日本の言論空間にも、ほぼ同型の反応が存在する。

その最も分かりやすい例が、橋下徹氏の見解である。橋下氏は一貫して、国際問題を論じる際に国際法を最上位の基準に据え、「侵略や武力行使は誰であれ同じ基準で批判されるべきだ」と主張してきた。一見すると公平で理性的に映る。

しかし問題は、その公平性が文脈を切り落とした抽象的平等にとどまっている点にある。国家行動は、目的、代替手段の有無、行動しないことがもたらす結果まで含めて評価される。それらを捨象し、「国際法違反か否か」という一点で思考を止めれば、結論は必ず同じになる。行動すべきではない。現状を維持すべきだ。

だがその現状とは、すでに人が殺され、抑圧されている状態である。橋下氏が独裁や弾圧を肯定しているわけではない。しかし論理を貫けば、結果として体制の継続を事実上容認する側に立つ。

日本の主要メディアでも同型の反応は繰り返されてきた。朝日新聞や毎日新聞の論調を見れば、体制の人権侵害を指摘しつつも、最終的な力点は常に「外部からの圧力は慎むべきだ」「国際法秩序を壊すな」に置かれる。主語は「いま殺されている人々」ではなく、「西側はどう振る舞うべきか」である。

海外でも同じ型が確認できる。ノーム・チョムスキーやバーニー・サンダースに代表される言説は、外部介入への警戒を最優先し、結果として行動しない理由だけを精緻化してきた。

結論

世界が力と秩序の再編期に入った今、理念に逃げる国から崩れていく。
現実を直視し、決断の責任を引き受けた国だけが生き残る。
日本もまた、その選別から逃れることはできない。

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2026年1月13日火曜日

中国経済は「崩壊」していない ──だが中国共産党の正当性は、すでに回復不能点を超えた


「中国経済は崩壊するのか」。
この問いは、極端な悲観論と根拠の乏しい楽観論のあいだを振り子のように揺れてきた。しかし現実は、そのどちらでもない。中国経済は今も動いている。工場は稼働し、街に人はいる。統計上のGDPも存在する。体制が崩壊しようが、何が起ころうが、そこには大勢の人々が存在しており、それらの人々が経済活動をする以上、経済が完全に崩壊することはない。

だが、問題はそこではない。
中国はすでに「回復不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)」を静かに通過した。しかもそれは、単なる景気循環の話ではない。中国共産党がこれまで拠って立ってきた統治の正当性そのものが、成立しなくなったという意味である。

1️⃣経済成長と引き換えに成立してきた統治──「保八」が示していた正当性の最低条件

中国共産党は、選挙によって選ばれた政権ではない。王朝の血統を引き継いだわけでもなく、宗教的権威を持つわけでもない。建国以来、この体制が一貫して抱えてきた根本問題は、「なぜこの党が統治する資格を持つのか」という問いに、制度として答えを持たない点にあった。

毛沢東時代、この問いへの答えは革命の正当性だった。しかし革命の記憶は時間とともに薄れ、文化大革命という破局を経て、共産党はイデオロギーによる正当化を事実上放棄した。その代わりに選ばれたのが、改革開放以降の成果による正当化である。

政治的自由は制限する。言論も統制する。
だがその代わりに、国民の生活水準を引き上げる。昨日より今日が良くなり、今日より明日が良くなる。親より子が豊かになる。この「上昇の実感」こそが、中国共産党と国民のあいだに成立した暗黙の統治契約だった。
この統治契約を、最も端的に数値化した言葉が、かつて中国で常識のように語られていた「保八(バオバー)」である。これは、GDP成長率を年8%前後に維持できなければ、失業と社会不安を抑え込めないという、共産党内部の冷徹な認識を表していた。

重要なのは、「8%」が経済的な理想値ではなく、政治的な最低条件だったという点だ。
急速な都市化、地方から都市へ流入する膨大な労働者、毎年吐き出される大学卒業生を吸収するには、それだけの成長が必要だった。だから地方政府は採算を度外視して投資を重ね、中央政府も成長率の維持を最優先してきた。

この時代、中国共産党の統治正当性は、かろうじて機能していた。自由の制約に不満を抱えながらも、人々は「まだ我慢する価値がある」と思えたからだ。

しかし今、中国経済は構造的にこの水準へ戻れない。人口動態は変わり、不動産依存は限界に達し、債務は積み上がり、生産性は伸びない。保八が常態だった時代の前提条件は、すでに失われた。

決定的なのは、「保八」が単なる数字ではなく、統治正当性の安全弁そのものだったという事実である。この安全弁が壊れた瞬間、成果による正当化は再生産できなくなった。いま起きているのは景気の上下ではない。統治の根拠そのものが枯渇し始めた局面である。

この結果、その歪みは統計や公式発表の中にとどまらず、都市の日常や人々の行動といった「数字に現れない領域」に、はっきりと姿を現し始めている。

2️⃣排水口のない成長モデルが招いた必然──国際金融のトリレンマと回復不能点

中国経済の行き詰まりは偶然ではない。国際金融のトリレンマ──資本移動の自由、為替の安定、独立した金融政策は同時に成立しない──という原理から見れば、中国がいずれ限界に達することは、かなり前から予見可能だった。


中国は、為替の安定と独立した金融政策を優先し、その代償として資本移動を厳しく制限する道を選んだ。この選択は体制維持としては合理的だったが、致命的な副作用を伴った。危機や過剰資本を国外に逃がせない構造を、自ら固定してしまったのである。

この構造は、排水口のない水槽に水を注ぎ続ける姿に似ている。水位は上がるが、余分な水を外へ流す仕組みがない。通常の市場経済では、余剰資金は海外投資として分散される。しかし中国では資本規制によってそれができず、資金は国内を循環するしかなかった。

その行き先が、不動産と地方政府融資平台である。採算が崩れても投資が止まらない異常な状態が長年続いたのは、この制度構造の必然だ。歪みは分散されず、時間をかけて国内に蓄積され、ついに表面化した。これが回復不能点の正体である。

米国の経済制裁や技術規制は、この到達を早めたにすぎない。原因ではない。中国経済は制裁で壊されたのではなく、排水口を塞いだまま成長を続けた結果、自壊したのである。

3️⃣数字に現れない経済停止と、長い内破の始まり

廃墟と化した中国のショッピングモール

この構造的限界は、すでに都市の風景に現れている。一線都市であっても、かつて行列が当たり前だったレストランは空席を抱え、週末の大型商業施設にも人影がまばらだ。地下鉄の混雑緩和も、効率化の成果ではない。通勤そのものが減っている結果である。

地方ではさらに深刻だ。工場は止まり、賃金の遅配や未払いが長期化している。重要なのは、これが一時的な不況ではなく、再起動の見通しが立たないまま時間が過ぎている点である。経済は「止まる」のではなく、「戻らない」状態に入りつつある。

若者も同様だ。問題は失業率の数字ではない。努力しても報われないという確信が広がり、抵抗でも革命でもなく、社会参加そのものから静かに離脱する態度が蔓延している点である。これは体制にとって、暴動よりも危険な兆候だ。

不動産問題は中間層との社会契約を直撃した。引き渡されない住宅、価値が半減した資産、返済だけが残るローン。市場調整は行われず、国有色の強い企業は延命され、損失は個人に押し付けられる。この構造は、体制の支持基盤を内側から侵食している。

ここで起きているのは急激な崩壊ではない。監視と統制が機能している以上、体制はすぐには倒れない。だがその代わりに進行しているのが、経済モデルと統治モデルが同時に寿命を迎える、長い内破である。

結論

中国経済は崩壊していない。しかし、回復できない地点をすでに通過した。それは同時に、「保八」に象徴される経済成長によって支えられてきた中国共産党の統治正当性が、もはや成立しない地点でもある。

この帰結は、外圧によって生まれたものではない。国際金融のトリレンマの下で排水口を塞ぎ、歪みを国内に蓄積し続けた国家モデルの必然的な帰結である。

中国で起きているのは景気循環の失速ではない。
統治の前提そのものが、静かに、しかし確実に崩れ始めているという現実である。

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2026年1月12日月曜日

来るべき衆院選の最大争点は「対中」だ──決められない政治を終わらせる選挙


まとめ

  • 次の衆院選は政権や人物を選ぶ選挙ではない。中国という現実を前に、我が国が「決断できる国家」であり続けられるかどうかを問う、国家の分岐点である。
  • 対中政策を避け続けてきた結果、日本の政治は安全保障、経済、外国人政策のすべてで判断を先送りし、選択肢そのものを失いかけている。その構造を直視しない限り、どんな経済論も空回りする。
  • この選挙は、自民党の一部にだけ保守を閉じ込める政治を終わらせ、複数の保守勢力が競い合い、国家の決断を引き受ける政治を根付かせられるかどうかを決める選挙である


1️⃣「決めない政治文化」の核心にある対中国問題


昨日のブログ記事にも示したように、我が国の政治は、長年にわたり「決めないこと」を賢明さのように扱ってきた。特に、最近の岸田・石破政権ではそれが顕著だった。検討する、注視する、慎重に対応する。そうした言葉が繰り返される一方で、政治が本来引き受けるべき判断は先送りされ続けた。国民は選択肢を与えられないまま、結果だけを受け入れる立場に置かれてきたのである。

この「決めない政治文化」が、最も集中的かつ象徴的に現れている分野こそ、対中国政策である。

経済、安全保障、人権、技術、エネルギー、さらには外国人政策に至るまで、中国という国家の存在を抜きに語れない分野は多い。それにもかかわらず、歴代政権はこの問題を正面から引き受けることを避けてきた。摩擦を恐れ、言葉を濁し、選挙の場で争点にすることから逃げてきた。その姿勢は、特定の政権や人物の問題ではない。積み重なり、政治の「作法」として固定化してしまったのである。

だからこそ、冒頭解散には意味がある。冒頭解散とは政局上の奇策ではない。対中国政策という、最も長く決断が回避されてきた国家課題を、国民の前に真正面から差し出すための政治的装置である。決めない政治を続けるのか、それとも決断を引き受ける政治に戻るのか。その是非を問う行為である。

2️⃣世論と政党支持の乖離が生む「戦略的空白」


現在の政治状況には、明確なねじれが存在する。内閣への評価と、政党全体への評価が一致していないという現象である。トップ個人の姿勢や覚悟は評価される一方で、党としての振る舞い、とりわけ対中国政策をめぐる曖昧さに、有権者は割り切れない不満を抱いている。この感覚は印象論ではない。支持政党を決めきれない層が厚く存在しているという事実が、それを裏付けている。

にもかかわらず、与党は次の選挙で経済政策を前面に押し出し、安全保障、特に対中国政策を明確な争点にすることを避けようとしている。その結果、安全保障という本来最も重要な分野に「戦略的空白」が生じている。これは偶然ではない。党内事情と決断回避の積み重ねが、自ら生み出した空白である。

政治に空白が生じれば、そこは必ず争点になる。これは政治の常識だ。この空白は、保守系野党にとって偶然与えられた好機ではない。与党が自ら放棄した主導権である。

国民意識はすでに変わっている。安全保障を抽象論で語る時代は終わり、現実の脅威を前提に政治を評価する段階に入っている。対中国政策を争点化することは、過激でも扇動でもない。「決めない政治文化」と決別するかどうか、統治の姿勢そのものを問う行為である。

ここで重要な視点がある。かつて 安倍晋三 が語っていた通り、日本の政治家の多くはリベラルであり、保守は自民党の中の一部にとどまってきた。これはレッテル貼りではない。戦後日本の政治構造を冷静に言語化した現実認識である。

この構造の下では、保守は常に少数派であり、しかも巨大政党の内部に閉じ込められてきた。その結果、保守的な政策は党内調整の過程で骨抜きにされ、最終的には決断が回避される。自民党が勝っても、保守が勝ったとは限らない。これが長年続いてきた日本政治の実相である。

だからこそ、この選挙の意味は大きい。これは単に政権を選ぶ選挙ではない。自民党の一部にしか存在しない保守に国家の命運を預ける時代を終わらせる選挙である。

3️⃣決断できない国家の末路と、保守政治再編の選択

日本は「決めない政治文化」から脱却しなければならない

対中国政策を決めるとは、威勢のいい言葉を並べることではない。これまで決めてこなかった空白を直視し、国民が選べる具体的な選択肢として示すことである。スパイ防止の枠組み、防衛力の再構築、憲法上の位置付け。必要性が語られながら、決断だけが避けられてきたテーマは少なくない。

さらに重要なのは、対中問題が外交や軍事にとどまらない点である。入国・滞在管理、不動産や土地の取得、研究機関や地方自治体への影響力行使。外国人政策という内政の中で、判断回避はさらに露骨になる。国際化や差別への配慮という言葉が盾にされ、国家が主権として管理すべき領域は曖昧にされてきた。これは排外主義の問題ではない。統治の問題である。

ここで断言する。国家が決断できなくなったときに待っているのは、緩やかな衰退ではない。外部環境が変わった瞬間に、選択肢そのものを失うという破滅的な結末である。安全保障で決断しなければ抑止は崩れ、経済安全保障で決断しなければ供給網は他国の判断に委ねられる。外国人政策で決断しなければ、主権の実体は静かに侵食されていく。

だからこそ、この選挙は通常の政権選択選挙ではない。経済政策の優劣を競う選挙でも、人物評価で終わる選挙でもない。決断を回避する政治文化を終わらせ、複数の有力な保守勢力が競い合う政治を日本に根付かせられるかどうかを問う選挙である。

次の衆院選は、誰を選ぶかではない。
決断できない国家であり続けるのか、それとも主権国家として意思決定を取り戻すのか。
その一点を問う選挙となる。

参照

・昨日のブログ記事(前編)
なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別
https://yutakarlson.blogspot.com/2026/01/blog-post_11.html

・JNN世論調査に関する報道(内閣支持・政党支持の乖離)
https://newsdig.tbs.co.jp/list/tag/%E4%B8%96%E8%AB%96%E8%AA%BF%E6%9F%BB

・政府世論調査を引用した国際報道(中国が最大の安全保障上の懸念となった点)
https://www.reuters.com/world/china/china-tops-japanese-publics-security-worries-latest-government-poll-2026-01-09/

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2026年1月11日日曜日

なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別

 
まとめ

  • 岸田・石破政治の問題は、個々の政策の成否ではない。検討や熟議を重ねながら最終判断を避ける「決めない政治文化」が、安保・経済・外交・エネルギーのすべてで定着したことにある。本稿は、この文化がどのように国を動けなくしたのかを一つの流れとして描く。
  • 親中派や増税派の台頭は偶然ではない。抽象的で聞こえの良い言葉が実行に勝つ政治の下では、現実的な抑止や成長戦略は後回しにされる。本稿は、誰が得をし、誰が代償を払わされたのかを構造として示す。
  • 賃金は上がらず、原発再稼働も決断できず、国防と外交は後手に回った。この現実は部分修正では変わらない。なぜ冒頭解散という強い手段が必要なのか。本稿はそれを政局ではなく、政治文化そのものに決着をつける選択として提示する。
1️⃣冒頭解散しかない──岸田政権の政治姿勢と石破政治が日本を空洞化させた


「冒頭解散」という言葉に、拙速だ、前例がない、説明不足だという声が上がる。しかしそれは論点のすり替えだ。問われているのは手続きではない。岸田政権の政治姿勢と石破政治が、日本の政治をどこまで空洞化させ、その結果として何を招いたのかである。

岸田政権を象徴する言葉は明確だ。「検討する」「丁寧に検討する」「検討を加速する」。これは単なる修辞ではない。何もしないことを、あたかも責任ある政治であるかのように装う統治スタイルであった。物価高に直面しても、減税という核心には踏み込まず、給付金で時間を稼いだ。少子化対策では「異次元」という言葉を掲げながら、雇用・住宅・教育費という構造には手を付けなかった。防衛政策でも増額は語ったが、国民に覚悟を問う説明や制度設計を政治の責任で引き受けなかった。残ったのは、政策の実行ではない。検討の履歴だけが積み上がった政治である。

一方、石破茂の政治姿勢は、保守層の実感からすれば理知的でも正論でもなかった。安全保障や国家戦略に関する基礎的理解を欠いたまま、回りくどい言い回し、いわゆる石破構文で理屈を並べる。その語り口は一見もっともらしいが、中身がない。正確に言えば、「正しいことを言うが何も変わらない」のではない。理屈を並べ立てるが、結局は何も決めず、何も変えない政治であった。

岸田政権の政治姿勢と石破政治に共通するのは、決断を避け続けたことだけではない。政治を言葉の世界に閉じ込め、実行から切り離したことである。検討、熟議、丁寧な説明は、本来は決断に至るための手段だ。それ自体が目的化したとき、政治は機能を失う。国会は決断の場ではなく、言葉を消費する場へと変質した。

2️⃣言葉が支配した政治の帰結──親中派・増税派が主流になった理由


岸田・石破政権においては、自民党で親中派・増税派議員が主流になった

政治が言葉だけで回るようになると、必ず力を持つ勢力が現れる。行動しないことを正当化できる勢力だ。岸田政権の政治姿勢と石破政治の下で主流化したのが、親中派と増税派である。

親中派は「対話重視」「関係安定」「刺激を避ける」という言葉を用いた。増税派は「将来世代」「財政規律」「責任ある政治」という語彙を多用した。いずれも抽象的で聞こえは良いが、具体的な行動を伴わない言葉である。こうした言説は、不安を煽りつつ、何もしないことを現実的だと錯覚させる。

この言説は政策の先送りと常に連動した。安全保障では、尖閣、台湾、経済的威圧といった現実の脅威に対する抑止の設計が後回しにされた。経済では、需要創出と賃金上昇の基盤を作る政策が曖昧なまま、負担論だけが前に出た。外交では、会談や要請は繰り返されたが、相手の行動を変える条件提示は示されず、懸案が固定化した。

結果として国益は確実に毀損された。抑止は弱まり、相手の既成事実化が進んだ。実質賃金は伸び悩み、生活実感は悪化した。外交では主導権を失い、圧力が日常化した。言葉による正当化、先送り、国益の毀損という因果が、一貫して連なっている。

3️⃣エネルギーと賃金が示した失敗──原発再稼働を避け続けた代償

柏崎刈羽原発6号機の今月20日の再稼働は、福島事故後で東京電力(TEPCO)が運転する原発として初めての再稼働になる見込み

エネルギー政策の失敗は、岸田政権の政治姿勢と石破政治の欠陥を最も端的に示す。再生可能エネルギーを惰性的に継続する一方で、原発再稼働という現実的かつ即効性のある選択肢を政治が正面から引き受けなかったことが、決定的な誤りであった。

原子力は思想で語る対象ではない。安定供給・低廉性・自立性を同時に満たし得る基幹電源である。にもかかわらず、両政権は「理解醸成」「地元との対話」「慎重な検討」という言葉を繰り返し、再稼働の判断を事実上回避し、再稼働した原発もあるが、遅れた感は否めない。その結果、火力依存が続き、燃料費の変動が直撃し、電力価格は高止まりした。産業競争力は削られ、家計負担は恒常化した。再エネ依存 による環境破壊も続いた。これは経済政策の失敗であると同時に、エネルギー安全保障の失敗である。

同じ構図はマクロ経済にも表れている。賃金を例に取るのは偶然ではない。賃金は、政治と経済運営が本当に機能しているかを示す、最も誤魔化しのきかない指標だからだ。成長戦略も分配政策も、賃金が持続的に上がらなければ成功とは言えない。金融緩和は行われたが、十分ではなかった。需要不足の経済で賃金が上がるはずがない。実質金利を十分に引き下げ、「元には戻らない」という信認を与える覚悟が政治に欠けていた。その結果、賃金は上がらず、「増税しかない」という議論が正義の顔で広がった。政治の覚悟不足が生んだ必然である。

結論

ここまで見てきたとおり、岸田政権の政治姿勢と石破政治がもたらしたのは、単なる失政ではない。決断を回避する政治文化そのものである。安保では抑止が削られ、経済では賃金が削られ、外交では懸案が固定化し、エネルギーでは原発再稼働を避けた代償として脆弱性と国民負担が拡大した。これらは個別の問題ではない。一本の因果でつながっている。

この状況を、高市政権の成立や通常の国会運営や部分修正だけで立て直せると考えるのは幻想だ。なぜなら、問題は政策の細部ではなく、政治が決めないという姿勢そのものにあるからだ。決めない政治の下では、親中派と増税派が必ず台頭する。言葉が実行に勝ち、検討が責任に勝つからである。

だからこそ、この文化を断ち切るために冒頭解散などの覚醒のためのショックが必要になる。これは政局ではない。言葉だけで動く政治、検討しかしない政治、原発再稼働すら決断できない政治との決別を、国民に直接問う最終判断である。ここで問われるのは、誰を支持するかではない。どの政治文化を終わらせ、どの国家の姿を選ぶのかだ。

さらに注目すべきは、新年度予算案は前政権(石破政権)の色が極めて濃いということだ。骨太方針・概算要求の段階で、予算の大半はすでに確定していて、現政権が予算に自らの政策を反映させる余地はほぼない。

しかし、解散総選挙になり自民党が勝てば、審議時間不足から、現予算は暫定予算として成立させ、選挙後に大幅な修正予算という流れになる。選挙は「どの政権が、どんな予算を組むのか」を決め直す行為でもある。

冒頭解散は異例ではない。不可避である。

いま必要なのは理屈ではない。
覚悟である。

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2026年1月10日土曜日

資源戦争の時代が始まった──トランプは盤面を動かし、中国は戦略を失い、日本は選ぶ側に立った


まとめ

  • 中国の輸出圧力は一時的な外交摩擦ではない。日本がすでにレアアースをめぐる資源戦争の当事者に組み込まれたことを示す、決定的なシグナルである。
  • 「暴走」と嘲られてきたトランプ外交は、中国の資源支配を無効化するための一貫した戦略だった。一方、中国は資源を持ちながら戦略を欠き、自ら優位を削ってきた。その差が、世界の盤面を動かした。
  • 南鳥島と中央アジアは、日本が初めて「選ぶ側」に回るための現実的な二段構えである。この機会を生かせるかどうかは、もはや国際情勢ではなく、日本自身の覚悟にかかっている。

1️⃣資源が世界を動かす──中国の輸出圧力と、トランプが可視化した「資源戦争」


中国商務省は6日、高市早苗総理が台湾有事に言及したことへの対抗措置として、「日本の軍事力向上につながる品目について輸出を禁止する」と発表した。対象品目は明示されていないが、中国国営紙チャイナ・デイリーは関係者の話として、日本向けレアアース関連品目の輸出許可審査を厳格化する可能性を報じている。

この一報を、外交上の一時的な牽制として受け流すのは危険だ。レアアースは、半導体、電動化技術、精密誘導兵器、ステルス戦闘機など、現代国家の基盤を支える戦略資源である。中国が日本を名指しし、「輸出」という言葉を用いた事実は、我が国がすでに資源をめぐる現実の競争に引きずり出されていることを意味する。

重要なのは、中国の優位が埋蔵量そのものにあるわけではない点だ。真の力は、採掘、分離、製錬、輸出という供給網全体を長年にわたり押さえてきた構造にある。中国は実際に供給を止める必要すらない。「止められるかもしれない」という不確実性を相手に意識させるだけで、十分な圧力になるからだ。

世界が混沌として見えるのは、無秩序だからではない。水面下で秩序が組み替えられているからだ。価値観や理念の対立に見える出来事の多くは、その表層にすぎない。底流にあるのは、資源を制する国が主導権を握るという、きわめて現実的な力学である。

この構図を最も早く、最も露骨に可視化したのが
ドナルド・トランプである。

トランプの外交は、しばしば衝動的、予測不能と評されてきた。しかし資源という軸で見直すと、そこには一貫した戦略が浮かび上がる。彼は、中国が握るレアアースというカードを交渉で奪おうとはしなかった。カードそのものの効力を失わせる方向に盤面を動かしたのである。

グリーンランドへの強い関心は、その象徴だ。あれは奇抜な思いつきではない。世界有数の未開発鉱物資源、とりわけレアアースを中国企業に押さえさせないための、きわめて現実的な判断だった。不動産業を祖業とする彼にとって、立地と所有権はすべてである。

同盟国に対して自立を迫った姿勢も、感情論ではない。資源とエネルギーの供給網を中国が握る世界では、依存する同盟国そのものが戦略的弱点になり得る。だからこそ彼は、各国に自立を求めた。

決定的なのは、トランプ政権がこれらを明確に国家戦略として位置づけていた点だ。2017年以降、米国は重要鉱物を国家安全保障上の課題と定義し、供給網の再構築を進めてきた。エネルギー、鉱物、製造業、安全保障を一体で捉えた構想である。

対照的なのが中国だ。中国は資源を持っているが、その運用は戦略というより反射的な威嚇と報復の積み重ねに近い。2010年の対日レアアース輸出制限以降、同じカードが繰り返し使われてきたが、そのたびに世界は「中国依存は危険だ」という学習を強めてきた。中国による戦略なき機会主義の結末である。

戦略とは、相手の反応を織り込んで初めて成立する。終着点を見据えて供給網を組み替えた米国に対し、中国は感情に応じてカードを切ってきただけに見える。この差が、後の展開を決定づけた。

2️⃣南鳥島は決定打だが時間がかかる──中央アジアはその空白を埋める


我が国の足元には、国の運命を変え得る資源が眠っている。南鳥島沖の海底資源である。推定規模が500兆円に及ぶとも言われるが、重要なのは金額ではない。日本が初めて、構造的に資源自立へ向かえる現実的な選択肢を手にした点にある。

ただし、南鳥島は明日から使える資源ではない。深海からの回収、分離・製錬、物流、環境対応という工程があり、時間は必要だ。

しかし重要なのは、この資源がすでに研究段階を超え、実務の射程に入っている点である。実海域での試験と検証を経て、「掘れるか」ではなく「どう使うか」が問われる段階に移行しつつある。2030年前後から2030年代前半という時間軸は、地政学的には十分に現実的だ。

問題は、その間をどう乗り切るかである。ここで意味を持つのが中央アジアだ。

中央アジアには陸上鉱山があり、政治的合意と投資が噛み合えば、比較的短期間で供給を増やせる余地がある。もちろん万能ではない。政情リスクがあり、大国の影響も受けやすい。加えて、レアアースの核心は採掘ではなく、分離・製錬工程にある。

だから中央アジアは最終解ではない。しかし、南鳥島が立ち上がるまでの時間を稼ぐ補完策としては、きわめて現実的である。「中央アジアでつなぎ、南鳥島で決着をつける」。この二段構えは、工程の現実とも地政学とも整合する。

3️⃣「中央アジア+日本」が示す覚悟──日米の抑止と最終決着点

 昨年暮れ東京で日本と中央アジア五ヵ国との会談が行われた

中央アジアを単なる調達先と見るのは浅い。なぜ今、中央アジアなのか。その答えは、日本がこの地域との関係を首脳外交のレベルで制度化し始めた点にある。

「中央アジア+日本」首脳会合は儀礼ではない。インフラ、エネルギー、資源、人材育成という実利を軸に、中央アジアを日本の戦略空間に組み込む意思表示である。これについては、このブログでも過去に述べた。以下が当該記事である。
なぜ今、中央アジアなのか――「中央アジア+日本」首脳会合が示す国家の覚悟

これは、中国が場当たり的にカードを振るのとは対照的だ。日本は時間をかけ、制度として仕込む。戦略を持つ国と、持たない国の差である。

そして最終的な決着点は南鳥島だ。南鳥島が他地域と決定的に異なるのは、我が国の排他的経済水域にあり、日米同盟の軍事的抑止の下で守れる資源である点だ。資源は見つけただけでは意味がない。守れるからこそ価値を持つ。

結論

歴史は、資源を持たなかった国を救わない。しかし同時に、資源を前にして決断できなかった国もまた、等しく切り捨ててきた。トランプ政権が資源戦争の盤面を動かし、中国が戦略なき対応で自らの優位を削る中、我が国は中央アジアで時間を稼ぎ、南鳥島という決定打を手にする位置に立った。

これは偶然ではない。資源を軸に世界秩序が組み替えられるこの局面で、日本は初めて「選ぶ側」に回ったのである。この機会を生かせるかどうかは、もはや外部環境の問題ではない。国家としての覚悟が、いま問われている。

【関連記事】

なぜ今、中央アジアなのか――「中央アジア+日本」首脳会合が示す国家の覚悟 2025年12月21日
中央アジアが「遠い地域」ではなく、資源・供給網・安全保障が直結する最前線になった理由を整理している。南鳥島が“将来の決定打”だとすれば、中央アジアは“当面の補完線”であり、今回の記事の「二段構え」の背景理解に効く。 

安倍構想は死なず――日米首脳会談が甦らせた『自由で開かれたインド太平洋』の魂 2025年10月29日
安全保障だけでなく、重要鉱物・供給網(クリティカルミネラルやレアアース)まで同盟課題として束ね直した、という視点が核だ。資源戦争を「同盟の運用」に落とす発想が、本文の問題意識と直結する。 

中国の野望を打ち砕け!南鳥島を巡る資源と覇権の攻防 2025年6月9日
南鳥島の資源量・中国側の動き・深海採掘をめぐる国際ルールの争奪までを一気通貫で押さえた記事だ。今回の本文で扱う「南鳥島=盤面を覆すカード」を、具体像として提示。 

プーチン、涙目…!アメリカとウクライナ「鉱物資源協定」で明らかになった「トランプの本音」—【私の論評】トランプの親ロシア発言の裏に隠された真実!マッドマン戦略とウクライナ支援の全貌 2025年5月4日
トランプの言動が「暴走」ではなく、資源・交渉・安全保障を一体化した戦術として説明されている。本文の「トランプは資源戦争で盤面を動かす」という軸を補強する材料になる。 

グリーンランドの防衛費拡大へ トランプ氏の「購入」に反発―【私の論評】中露の北極圏覇権と米国の安全保障: グリーンランドの重要性と未来 2024年12月26日
一見突飛に見える「グリーンランド購入」的な発想を、北極圏の安全保障と資源の価値から読み解く。本文の“資源を押さえる者が交渉を制する”というロジックを、別戦域(北極)で裏打ちできる。 

2026年1月9日金曜日

国連はもはや前提ではない──国際機関・国際条約から距離を取ったトランプ政権と、日本に巡ってきた静かな主役交代


まとめ
  • トランプ政権が国際機関・国際条約から距離を取ったのは、孤立ではなく、すでに機能しなくなった国際秩序からの合理的撤退である。
  • 国連は中国の影響力拡大とEUの規範支配によって中立性を失い、もはや前提とは言えない組織になっている。
  • 米国が降りた後に生まれた空白を前に、日本は傍観者でいるのか、それとも次の秩序を支える側に回るのか。
1️⃣機能しなくなった国際機関──離脱は破壊ではなく撤退である

トランプ米大統領は7日、66の国連組織や国際機関、条約などからの脱退を指示する大統領令に署名した。米国トランプ政権が国際機関や国際条約から距離を取る姿勢を強めたことについて、世の論評は決まって「国際秩序の後退」「孤立主義への回帰」といった言葉を並べる。しかし、これは事態の本質を捉えていない。起きているのは秩序の崩壊ではない。前提が壊れた秩序からの撤退である。

国際機関は本来、中立で、公正で、機能的であることが求められる。しかし現実には、そうした前提はすでに失われている。国連安全保障理事会には、自由や法の支配と相容れないロシアと中国が常任理事国として居座り、侵略の当事者が拒否権を行使し、国際社会の意思決定を麻痺させている。この構造は是正されるどころか、長年放置されてきた。

さらに深刻なのは、中国が国連および関連機関において、人事、議題設定、文書表現といった実務の中枢を押さえ、制度を内側から変質させてきた現実である。これは偶然でも誤解でもない。長期的に積み上げられてきた戦略なき機会主義の帰結であり、事実上の制度乗っ取りと言って差し支えない。

ここにEUによる規範支配が重なる。環境、動物福祉、AI、人権、移民といった分野で、EUは自らに有利な制度設計を「国際標準」として定着させ、域外にも適用してきた。それらは高邁な理念を装っているが、実態は欧州の産業と政治的立場を守るための仕組みである。日本企業はこれまで、その後追い適応を強いられ、多大なコストを負担してきた。

例えば、EUのガソリン車廃止政策は、環境規範の名を借りた産業ルール操作であり、
実質的には「言った者勝ち、後で修正」の典型例である。鯨、鰻などでも日本は痛い目を見てきたことは記憶に新しい。

こうした状況を前にすれば、米国が国際機関中心の協調から距離を置き、信頼できる国との直接的な枠組みへと軸足を移すのは、極めて現実的な判断である。米国は世界を捨てたのではない。壊れた舞台から降りただけである。

2️⃣日米が軸になる世界──日本企業に巡ってきた現実の好機

日米が軸になる世界が近づいてきた

この転換において、日本の立ち位置は決定的に重要だ。安全保障、先端技術、産業の補完関係、政治的安定性という点で、米国にとって日本は代替の利かない存在である。抽象的な国際規範ではなく、日米間で直接設計される実務的なルールや仕様が、今後の世界経済と安全保障を左右する局面は確実に増えていく。

この変化は、日本企業にとって追い風である。これまで評価軸の中心にあったのは、ESGや人権といった理念への対応力だった。しかし今後は、実際に動く技術、安定して供給できる体制、長期にわたる運用実績が問われる。これは、日本型産業が最も力を発揮できる条件である。

製造業では、国際認証や理念対応よりも、日米間で合意された技術仕様や実装能力が競争力の核心になる。防衛、インフラ、エネルギー装備といった分野では、国連やEUの規範よりも「使えるかどうか」が判断基準となる。日本の製造業が長年培ってきた品質と信頼性は、ここで初めて正当に評価される。

エネルギー分野では、脱炭素一辺倒の議論が後退し、原子力、高効率火力、水素、アンモニアといった現実的な選択肢が前面に出る。その先には、SMR、核融合炉が控える。エネルギー安全保障を無視した理想論は通用しなくなり、供給を止めない技術と運用が価値を持つ。我が国が積み上げてきた現場知と制度設計力は、世界的に見ても希少である。

IT・デジタル分野でも同様だ。EU型の理念規制は後景に退き、国家安全保障と直結した実務需要が拡大する。AIやクラウド、データ基盤はもはや市場任せではなく、信頼できる国同士で構築される基盤が重視される。日本企業は下請けに留まらず、国家案件を支える中核的存在になり得る。

金融分野も例外ではない。国際機関主導のESG金融や国際課税の圧力が弱まる中で、地政学と直結した資金供給の重要性が増す。インド太平洋地域のインフラ、エネルギー、防衛関連事業に資金を回せる金融機関は、国家戦略の担い手となる。

3️⃣国連不要論の先へ──日本が担う「小さく、確実に機能する秩序」


ここまで来れば、避けられない問いがある。
国連という単一の巨大組織は、本当に必要なのか。

全体主義国家が拒否権を持ち、中国に内部から蝕まれ、EUが規範で縛る組織が、自由主義陣営の行動を支えられるはずがない。国連はもはや前提ではない。米国の離脱姿勢は、国連不要論が国家レベルで表に出てきた最初の兆候にすぎない。

必要なのは「国連の代わり」を一つ作ることではない。安全保障、エネルギー、サプライチェーン、デジタル、金融といった分野ごとに、本当に協力できる国だけが集まる小規模で機能的な枠組みを並立させることである。理念ではなく、実装能力と信頼性で結ばれた秩序だ。

この新しい秩序設計において、日本は中心的役割を果たし得る。日本は理念を声高に叫ぶ国ではない。しかし、約束を守り、制度を運用し、現場を回す力を持っている。この特性は、「小さく、確実に機能する国際枠組み」と極めて相性が良い。

重要なのは、主導権を誇示しないことだ。
国連を必要としない複数の秩序を、静かに並立させる。
それこそが、日本に最もふさわしい戦略である。

国際秩序は崩れていない。
ただ、主役が入れ替わりつつあるだけだ。

【関連記事】

EUの老獪な規範支配を読み解く──鰻・鯨・AI・中国政策・移民危機から見える日本の戦略 2025年11月28日
EUが「理念」ではなく「規範」で世界を縛り、食文化から先端技術まで射程に収めてくる構図を解剖した記事だ。鰻・鯨という一見ローカルな題材が、実は国際政治そのものだと気づかせる。日本が科学的根拠と票の連携で押し返せる場面があることも示し、今回の「国連後」の議論に現実感を与える。 

国連誕生80年──戦勝国クラブの遺産をいつまで引きずるのか 2025年10月25日
国連を「戦勝国クラブ」という設計のまま延命してきた矛盾を、拒否権や資金の流れまで含めて整理している。ロシア・中国が常任理事国として居座る理不尽が、制度疲労ではなく「構造欠陥」だと腑に落ちる内容だ。国連中心主義から距離を取り、二国間・小多国間へ重心を移すべきことが納得できる。

日本政府も資金拠出を一時停止 ハマス攻撃 国連職員関与疑惑―【私の論評】国連の偏向と非効率 改革か脱退か廃止か 2024年1月29日
UNRWA職員関与疑惑を入口に、国連機関が「中立の顔」を保ちながら内部で偏向と非効率を増幅させる危うさを描いている。拠出金が正義の実現ではなく、政治と利権の装置に吸い込まれる場面があることを具体例で示す。トランプ政権が距離を取る論理を理解する上で重要。

ロシア軍「ジェノサイド」確実 耳切り取り歯を抜かれ…子供にも拷問か 西側諸国による制裁長期化 「ロシアはICCで裁かれる」識者―【私の論評】プーチンとロシアの戦争犯罪は、裁かれてしかるべき(゚д゚)! 2022年4月4日
国際法やICCをめぐる議論が、結局は政治と外交、そして常任理事国の拒否権に左右される現実をはっきり見せる記事だ。理念だけでは止められない戦争、止められない暴力という「冷たい現実」を明示。国際機関に過度な期待を置く危うさを補強し、「国連は前提ではない」という結論への助走になる。

中国の国連ハイジャック作戦―【私の論評】国連に変わる新たな複数の国際組織をつくれ(゚д゚)! 2020年11月8日
中国が国連機関のポストや手続きを通じて影響力を増やし、国連を自国に有利な方向へ動かそうとする実態を扱っている。ここを押さえると、「なぜ米国が国際機関から距離を取るのか」が感情論ではなく構造論として読める。今回の記事で打ち出す「国連不要論」「新しい国際組織構想」への接続点としても、最も強い土台になる。 

2026年1月8日木曜日

なぜ消えた国家は突然壊れたように見えるのか ──出生率が告げ、修正不能が決定する「消える国」の法則


まとめ

  • 国家は戦争や革命で突然壊れるのではない。最初に現れる兆候は軍事や政治ではなく、出生率だ。出生率は政策や宣伝では操作できない。人々がその社会に未来を託しているかどうかが、無意識のうちに数字として表れる。国が崩れるとき、結末はすでにかなり前から決まっている。
  • 国家の生死を分けるのは、失敗しない能力ではない。失敗を修正できるかどうかだ。アメリカは日本との戦争、冷戦、そして中国の台頭という大きな失敗を重ねた。それでも体制を保ってきたのは、失敗を語り、検証し、引き返す回路を失わなかったからである。失敗を語れなくなった瞬間、国家は修正不能に陥る。
  • 日本はいま、その分岐点に立っている。出生率は低く、警告はすでに出ている。だが議論があり、減速ができ、失敗を語る余地がまだ残っている。この猶予を使えるかどうかで、我が国が「しばらく続く国」になるか、「突然消える国」になるかが決まる。歴史は、この問いに一度も目をつぶったことがない。

国家は、ある日いきなり崩れる。多くの人はそう思っている。革命が起きた、戦争に負けた、政権が倒れた。だから国が消えたのだ、と。だが歴史は、もっと冷たい顔をしている。国は「突然」壊れるのではない。壊れる前に、必ず前触れがある。ただし、その前触れは静かすぎて、人々が見逃すだけだ。

その前触れとは、戦況でも支持率でもない。出生率だ。そこに最初の亀裂が走る。

1️⃣出生率という最初の警告 未来への信任が消えるとき

合計特殊出生率国際比較 クリックすると拡大します

出生率は、政策の成果を示す数字ではない。人々の生活感覚が、そのまま表に出た数字だ。子どもを産み育てるという行為は、「この社会は続く」という無意識の信任投票である。逆に出生率が落ちるというのは、口では愛国を語っていても、腹の底では「この先が見えない」と感じ始めた証拠だ。

この見方を徹底したのがソ連崩壊を正確に予知したエマニュエル・トッドである。トッドは思想や建前よりも、人口統計という逃げようのない現実を重視した。とりわけ出生率に注目し、国家の寿命を読む材料にした。彼の視点は単純だ。未来を信じる社会は子を産む。未来を疑う社会は子を産まない。そこに飾りはない。

旧ソ連の崩壊は、その典型である。外から見れば軍事力も官僚機構も健在で、体制は盤石に見えた。だが内部では出生率が下がり、人々は体制の先に明るい将来を描けなくなっていた。崩壊は政治事件として突然起きたように見える。だが人口という深層では、すでに「終わり」が始まっていたのである。

ただし重要なのは、出生率の低下だけで国家が即死するわけではない点だ。出生率が落ちたあと、その国がどこへ向かうかを決める決定打がある。それが自己修正できるかどうかだ。

2️⃣修正できる国家と修正不能に陥る国家

2022年来日したエマニュエル・トッド

国家の命運を分けるのは、正しい判断を下す能力ではない。誤った判断を、途中で引き返す能力である。民主主義研究で知られるアダム・プシェヴォルスキの議論も、この方向を指す。民主主義の強みは「常に正しい」ことではない。「誤りを訂正できる」ことにある。国家の寿命を分けるのは正解率ではなく訂正率だ。

この意味で、アメリカは「修正できる国家」の側にある。米国は失策が多い。だが議会、司法、選挙、そして分裂したメディアが、誤りを放置しにくい構造を作っている。混乱はするが、誤りが固定化されにくい。だから体制は続く。

しかし、米国には文明史的に見て決定的な失敗がある。日本と戦争したことだ。これは単なる一つの戦争ではない。太平洋戦争は日米双方に甚大な犠牲を生み、とりわけアジア太平洋の社会基盤を広範に破壊した。勝った負けたで終わる話ではない。米国は勝者として戦後秩序を作ったが、その過程で本来は同盟たり得た文明国家を徹底的に疲弊させ、アジアに空白を生んだ。

その空白を埋めたのがソ連である。戦後、ソ連は一気に台頭し、世界は冷戦へ引きずり込まれた。核軍拡と代理戦争の長い時代が始まった。米国は勝者でありながら、自らが招いた緊張の構造に半世紀近く縛られたのである。

さらに冷戦が終わった後、米国はもう一度、同じ種類の誤りを重ねた。中国を市場経済に組み込めばいずれ民主化する、と読んだことだ。その判断のもとで資本も技術も流れ込み、中国は急速に台頭した。いま米国は、その中国に苦しめられている。日本と戦争し、ソ連を台頭させ、ソ連崩壊後は中国を台頭させる。短期の合理性の積み重ねが、長期では自国を苦しめる構造を作った。

それでも米国が修正不能国家に落ち切らなかったのは、こうした失敗を語り、批判し、検証する回路が完全には塞がれていないからだ。失敗を失敗として語れなくなった瞬間、国家は修正不能へ滑り落ちる。ここが分水嶺である。

対照的に中国は、まさにその分水嶺の危うい側にいる。政策批判が体制批判になりやすく、失敗が可視化されにくい。統計も言論も政治の都合で整えられやすい。出生率という「未来への不信」が数字として表れているにもかかわらず、体制が自己修正を拒めば、遅れて破裂する危険が増す。トッドの警告は、ここで重みを持つ。

もう一つ、国家の生死を左右する要素がある。意思決定のスピードだ。アルベルト・ハーシュマンやチャールズ・リンドブロムが示したのは、速さが必ずしも強さではないという現実である。減速装置を欠く国家は、誤った瞬間に壁へ激突する。

この観点で、日本は特異な位置にいる。我が国の意思決定は遅く、制度変更も重い。平時には欠点に見えるが、誤った方向へ進んだときの減速装置として働く面がある。急旋回できない国家は、致命傷を避けやすい。

もちろん、日本の出生率は低い。トッド的に見れば危険信号である。ただ彼が日本に一定の期待を寄せるとされるのは、出生率の水準そのものではない。低下が比較的緩やかに進み、社会にまだ議論と修正の余地が残っている点だ。政治は遅いが、世論は黙らず、メディアも一枚岩ではない。この「うるささ」は美点とは言い切れないが、国家をいきなり壊さないための余地を残す。

3️⃣歴史が示す結論 なぜ国家は突然消えたように見えるのか

歴史上、消えた国家を思い出せばよい。西ローマ帝国は外敵に押し潰されたと語られがちだ。だが実際には、市民層の縮小、徴税基盤の劣化、社会の疲弊が積み重なり、体制は修正不能の段階に入っていた。外圧は引き金にすぎない。

オーストリア=ハンガリー帝国も同じだ。多民族国家として均衡を保っていたが、人口動態の変化と政治的硬直に対応できず、内部で調整不能に陥った。第一次世界大戦は原因ではなく、崩れを早めただけである。

ユーゴスラビアも示唆に富む。表向きは安定していた連邦国家だったが、経済の歪みと社会の亀裂が進み、異議は修正の材料ではなく分裂の火種として噴き出した。修正できなかった国家は、解体という形で消えた。


これらに共通しているのは、侵略されたから消えたのでも、革命が起きたから消えたのでもない点だ。内部で未来への信任が失われ、それを修正できなくなったから消えたのである。出生率の低下は、その最初の警告として現れやすい。

そして順序は決まっている。出生率が落ちる。未来への信任が揺らぐ。次に、その不信を正面から議論し、制度を作り替え、減速しながら軌道修正できるかどうかが問われる。ここで語れない、直せない、止まれないとなれば、国家は修正不能になる。修正不能になった国家は、見た目の秩序を保ったまま内部で崩壊の準備を進め、最後に「突然」崩れる。

だが本当は突然ではない。出生率が告げ、修正不能が決定し、あとは時間が経過しただけだ。

トッドが日本に向けてきたのは、甘い賛辞ではない。希望というより猶予に近い。まだ修正し、減速し、語り直す余地が残っているという観察である。ならば問うべきは一つだ。その猶予を、我が国は使えるのか。出生率という最終指標が突きつける現実を、政治と社会が直視できるのか。

そこに、我が国が「しばらく続く国」でいられるかどうかの分岐点がある。歴史は、この法則に一度も背いたことがない。

【関連記事】

中国の縮小は止まらない── アジアの主役が静かに入れ替わる「歴史の瞬間」が目前に迫る 2025年12月13日
中国の出生率急落と若者失業、不動産・地方財政の同時崩れが「国家の逆回転」を生み、弱さが対外強硬を呼ぶ構図を描いた記事だ。一方で我が国は、人口減少でも治安とインフラを保ち「賢い縮小」で質を磨く国になり得る、という対照が本稿テーマ(消える国/残る国)と直結する。 

中国は戦略国家ではない──衰退の必然と、対照的な成熟した戦略国家・日本が切り拓く次の10年 2025年12月11日
「長期戦略国家に見える中国」は実は衝動と体制維持で動き、誤りを修正できない構造を抱える、という切り口でトッドの視点も交えて論じている。出生率や社会指標を手掛かりに、強がりが増す国ほど内部が脆いという見取り図を提示し、「修正不能が決定打になる」という今回の記事の骨格を補強できる。 

長寿大国の崩壊を防げ──金融無策と投資放棄が国を滅ぼす 2025年9月15日
国家が壊れる引き金は戦争だけではない、という現実をインフラ投資の先送りと政策判断の誤りから描く記事だ。道路陥没や断水などの具体例を通じて、「放置→修正不能→社会機能の劣化」という経路を示し、出生率とは別の角度から“壊れ方のメカニズム”に厚みを足せる。 

日本の所得水準、50年後は世界45位に後退 日経センター―【私の論評】外国人流入は日本を救うどころか滅ぼす!日銀の金融緩和こそ賃金アップの鍵 2025年3月28日
人口動態(合計特殊出生率の低下見通しなど)が長期の国力をどう削るかを、将来推計を材料に論じた記事だ。「数字が先に結論を出す」という今回の主題と相性がよく、出生率低下が“警告灯”として効いてくる理由を明らかにする。 

アングル:欧州の出生率低下続く、止まらない理由と手探りの現実―【私の論評】AIとロボットが拓く日本の先進的少子化対策と世界のリーダーへの道のり 2024年2月18日
出生率対策の「やっても効かない」現実と、価値観・雇用・住居など複合要因が絡む難しさを整理した記事だ。政策スローガンでは出生率は動かない、という冷厳な前提を示しつつ、我が国が技術で突破口を探る視点もあり、本編の「出生率は操作できない指標」という主張を堅く支える。 

2026年1月7日水曜日

国は戦争で滅びるという思い込みが、なぜ危険なのか──国家を殺すのは『連続性の断絶』だ


まとめ

  • 戦争は国家崩壊の原因ではない。多くの場合、戦争はすでに内部から壊れていた国家が、見える形で露呈した瞬間にすぎない。滅びた国々は、銃声の前にすでに引き返せなくなっていた。
  • 国家が滅びたかどうかは、領土や被害の大きさでは決まらない。決定的なのは連続性が断たれたかどうかである。日本を例にすれば、皇室が維持されている限り、いかに国土が破壊されようと日本は滅びていない。
  • 国が本当に危険なのは、人々が未来を問わなくなったときだ。失敗を修正せず、沈黙が常態化した末に戦争が起き、人は「突然壊れた」と錯覚する。しかし国家の運命は、そのずっと前に決まっている。
1️⃣戦争は国が消える原因ではない──崩壊はその前に始まっている


国は戦争で滅びる。多くの人が、ほとんど反射的にそう思っている。歴史の教科書も、ニュースの見出しも、長年そう語ってきた面がある。
だが、この思い込みこそが危険である。

戦争は、国を滅ぼす原因ではない。多くの場合、それは結果が一気に表面化した瞬間にすぎない。
国が本当に壊れるのは戦場ではない。そのずっと前、国民の意識や社会の内部構造が、音もなく変質したときに、すでに決着はついている。

戦争は派手だ。銃声も爆撃も、誰の目にも見える。だから人は、そこに原因を求めたがる。
しかし歴史を丁寧に追えば、戦争の前に必ず兆候がある。

国が戦争を選ぶとき、その国はすでに追い詰められている。経済は行き詰まり、社会の活力は失われ、政治は失敗を修正できなくなっている。
外に向かって力を使うしかない段階まで、内側が壊れているのだ。

つまり戦争とは、崩壊の始まりではない。崩壊が隠しきれなくなった瞬間である。

この構図は抽象論ではない。旧ソ連は、戦争以前から経済が停滞し、社会は疲弊していた。決してアフガン侵攻が国家崩壊の原因というわけではない。ナチス・ドイツも、敗戦の前に総力戦体制そのものが破綻していた。
西ローマ帝国は、外敵の侵入より先に、徴税と統治の基盤が崩れていた。ユーゴスラビアも、内戦の前に体制は修正不能の段階に入っていた。

いずれも、戦争が国を壊したのではない。壊れている事実を、隠せなくしただけである。

2️⃣国家が滅びるとは何か──日本を基準にした定義

ここで、「国が滅びる」とは何を意味するのかを整理しておく必要がある。
戦争に負けたことでも、国土が破壊されたことでも、領土が奪われることでも、人口が減ったことでもない。

国家が滅びるとは、連続性が断たれることである。その国が「何者であるか」を示す中枢が失われ、過去から未来へ続く一本の線が切れたとき、国家は滅びたと言える。

この点で、日本ほど分かりやすい例はない。
仮に、いかに国土が破壊されようと、いかに多くの命が失われようと、いかに厳しい占領や統治を受けようと、皇室が維持されている限り、日本は滅びたとは言えない。

皇居

皇室は単なる制度ではない。日本という国の連続性そのものだからである。
日本は敗戦を経験し、都市は焼け野原になり、主権は制約され、社会制度も大きく変えられた。それでも日本は滅びなかった。皇室という中枢が断たれなかったからだ。

逆に言えば、もし皇室が廃止されていたなら、その瞬間、日本は滅びたと言ってよい。
国土が残っていようと、多く人口が生き残っていようと、領土が奪われなかったにしても、国家としての連続性はそこで断絶する。

国家とは、土地でも制度の寄せ集めでもない。それらを貫いて続く自己同一性の核が失われたとき、国家は消える。それは他国も同じことである。
この視点に立てば、「戦争で滅びた国」と「戦争を経ても続いた国」の違いは明確になる。

3️⃣「突然壊れた」という錯覚と、次に見るべき警告

国民が未来を信じなくなり、社会が次の世代を育てる意欲を失ったとき国は崩壊に向かっている

それでも人は、「戦争=滅亡」という単純な図式を手放せない。その方が分かりやすく、安心できるからである。
もし戦争が原因なら、「戦争を避けさえすれば国は安全だ」という話になる。だが現実は、そんなに単純ではない。

国を本当に追い詰めるのは、ゆっくりと進む内部の変化だ。
国民が未来を信じなくなり、社会が次の世代を育てる意欲を失い、失敗が失敗として語られなくなる。政治が止まれない状態に入ったとき、国は静かに致命域へ近づく。

この段階に入った国でも、外から見ればまだ立派に見える。軍もあり、制度もあり、秩序もある。
だが内部では、「この国はこの先どうなるのか」という問いが、誰からも発せられなくなる。この沈黙こそが、最も危険である。

戦争は、その沈黙が破れたときに起きやすい。だから人は錯覚する。戦争が国を壊したのだ、と。
実際には、国はすでに壊れている。戦争は、それを隠せなくしただけである。

国は突然など壊れていない。壊れていた事実が、ある瞬間にはっきり見える形になっただけだ。

では、国が壊れる前に必ず現れる最初の警告とは何か。
そして、国家の連続性を決定的に断つ「修正不能」とは、具体的に何を指すのか。

その答えを、戦争でも思想でもなく、人口という最もごまかしのきかない数字から掘り下げる。

なぜ消えた国家は突然壊れたように見えるのか
──出生率が告げ、修正不能が決定する「消える国」の法則

国家の運命は、銃声が鳴る前に、静かに、しかし確実に決まっている。
明日、その構造を明らかにする。

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