2026年2月1日日曜日

今回の選挙で語られないもの──金融に続き、エネルギー政策を国民の手に取り戻せ


まとめ

  • 本稿は、なぜ今回の選挙でエネルギー政策が正面から語られないのかを解き明かす。積極財政は論点になり始めた一方で、金融とエネルギーは依然として「専門家の領域」に閉じ込められている。その構造そのものを問い直す。
  • 第二に、日本はエネルギーで無策だったという通俗的理解を退ける。長期契約と信用の積み重ねによって築かれてきた「天然ガス帝国」の実像を示し、我が国がスポット市場に振り回されない立場を確保してきた理由を明らかにする。
  • 第三に、再エネ、化石燃料、原子力、SMR、核融合を理念ではなく順序の問題として整理し、今回語られないからこそ、高市政権が次の選挙で国民に示すべきエネルギーの設計図を描いた。
金融政策は、長らく「触れてはならない専門領域」とされてきた。しかし、それは本来、国民生活と直結する政治の中枢である。金利、物価、為替は、すべて国民の生活を直接左右する。中央銀行はこれに大きく関与する。それにもかかわらず、「専門家に任せるしかない」という言葉で、議論は長く封じられてきた。

私は昨日のブログで、その前提そのものを疑う必要があると書いた。金融政策は、国民が選択し、政治が責任を負うべき政策論点である。特に、金融政策は雇用とともに語られるべきであることを強調した。そうすることで、初めて国民生活に直接関係する政治のテーマとなり得るからだ。

同じ構造は、金融だけに存在するものではない。むしろ、より長く、より巧妙に政治の外に置かれてきた分野がある。それがエネルギー政策である。

電気代という形で家計に直撃し、産業の競争力を左右し、安全保障の根幹を支えているにもかかわらず、その全体像が国民の前で正面から論じられることはほとんどなかった。

1️⃣我が国は無策ではなかった──「ガス帝国」が示す現実

石狩LNG基地

まず確認しておくべきことがある。我が国は、エネルギー政策で手をこまねいてきた国ではない。

日本は、LNGの輸入量を誇る国ではない。数量だけを見れば、世界最大級と言い切ることはできない。しかし、日本が築いてきた強みは、量ではなく信用である。

日本は、エネルギーをスポット市場で奪い合う国ではなかった。資源国と長期契約を結び、上流開発に資金を投じ、発電や液化、輸送、受け入れに関わる技術を提供し、人材育成やインフラ整備を共に進めてきた。こうした積み重ねによって、日本は単なる「買い手」ではなく、供給体制の一部を担う存在として扱われてきた。

この違いが表面化するのは、有事である。世界的にLNGが不足し、スポット市場が混乱した局面においても、日本は最後尾に並ばされる国ではなかった。契約に基づく供給に加え、融通や振り替えといった調整が働いた。日本は、エネルギーを奪い合う側ではなく、配分に関与できる側に位置を確保していた。

私は過去のブログで、これを「我が国が築いてきたガス帝国」と表現した。これは誇張ではない。電力会社、商社、造船、金融、技術者が一体となり、数十年をかけて築き上げた信用のネットワークである。市場価格だけでは測れない、我が国独自のエネルギー安全保障である。

しかし同時に、重要な欠落があった。このエネルギー政策が、国民の「選択」として語られてこなかったという事実である。原子力、再生可能エネルギー、電力制度改革は、専門家が説明し、政治が追認し、国民が請求書を受け取るという構図に閉じ込められてきた。金融政策と同じ病理である。

2️⃣再エネは実験、化石燃料は技術、原発は管理だ

火力発電所で用いられている蒸気タービンのブレード

再生可能エネルギーについても、冷静な整理が必要である。将来的に、画期的な技術革新が起きる可能性は否定できない。蓄電、材料、制御、変換効率。そのどこかでブレークスルーが生まれる可能性はある。だからこそ、研究と実験は続けるべきだ。

しかし、希望と現実は分けて考えなければならない。現場の不安定な出力、系統制約、コストの問題は、理念では解決しない。再生可能エネルギーは、現時点では社会の基幹インフラを全面的に担える電源ではない。この線引きを曖昧にしてきたことが、政策全体の歪みを生んできた。

現時点で、我が国が化石燃料に依存せざるを得ない現実は否定できない。ただし、それは環境を軽視することと同義ではない。日本は、化石燃料を高効率で使い、環境負荷を抑える技術を積み重ねてきた。同じ燃料を使っても、排出量と安定性は国によって大きく異なる。現実を直視し、技術で最適化する。それが日本のやり方であった。

原子力についても同様である。「止めれば安全になる」という考え方は幻想だ。原発を停止しても、燃料は残り、設備は存在し、管理は続く。危機が消えるわけではない。むしろ、動かさずに老朽化だけが進む方が、管理は難しくなる。危険なのは稼働ではない。管理不能になることだ。

3️⃣SMRから核融合へ──高市政権が次の選挙で示すべき道筋

次の段階として、小型モジュール炉、いわゆるSMRがある。SMRが注目される理由は、その設計思想にある。出力が小さく、物理的に暴走しにくい。外部電源を必要としない受動的安全設計により、異常時でも人の操作を待たずに反応が収束する。

これは机上の理論ではない。原子力潜水艦や原子力空母といった分野では、半世紀以上前から、これに近い設計思想の原子炉が運用されてきた。運用の歴史の中でトラブルがなかったわけではない。しかし、制御不能に陥り、周囲に重大な被害を与える事故は起きていない。過酷な条件下で、管理され続けてきたという事実は重い。

SMRは、突如現れた夢の技術ではない。長年蓄積された運用経験を、民生に転用しようという現実的な試みである。


その先に核融合がある。核融合は、条件が崩れれば反応が止まる。自己増殖的な連鎖反応を起こさない点で、核分裂とは本質的に異なる。ただし、現時点では主力電源ではない。問題は、段階を飛ばして語られてきたことにある。順序を誤れば、理想は空論になる。

我が国は、エネルギーで無策だった国ではない。しかし、エネルギーの未来像を国民が選び、その是非を選挙で問う政治は、まだ始まっていない。重要すぎるがゆえに、今回の選挙では、電気料金や補助金といった分かりやすい論点に収斂し、構造や順序といった核心は語られていない。

だからこそ、その役割を担うのが 高市早苗政権 である。今回の選挙で争点化できなかったからこそ、高市政権は次の選挙で、エネルギー政策を正面から掲げ、国民に選ばせる責任を負う。ガス帝国という信用をどう活かすのか。再エネを実験・研究としてどう位置づけるのか。化石燃料と原子力をどの順序で使い、SMRと核融合へどうつなげるのか。その設計図を示すことから逃げてはならない。

金融の次に、本格的に問われるのはエネルギーである。それは遠い未来の話ではない。高市政権が、次の選挙で真正面から争点に据えるべき、避けて通れない課題である。

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2026年1月31日土曜日

トランプはなぜ利下げにこだわるのか ──雇用を語る米国、語らない日本の歪んだ金融政策


まとめ
  • トランプの利下げ志向は異端ではない。米国では金融政策は雇用の問題として語られ、金利は雇用を守るための道具だ。本稿は、その前提を欠いた日本の議論のズレを示す。
  • インフレ率が数%動くだけで、数百万人の雇用が創造される。雇用が健全であれば、一定のインフレは許容され得る。本稿は、雇用と名目成長という経済の基本から金融政策を捉え直す。
  • 日本には「雇用=金融政策」という観念がない。その結果、物価だけを見た政策判断が金融を歪め、選挙でも語られなくなった。本稿は、その構造的原因を明らかにする。
1️⃣米国では金融政策は「雇用の話」である

ドナルド・トランプ大統領が、次期FRB議長にケビン・ウォーシュ氏を指名する意向を示したと受け止められた直後、金融市場は敏感に反応した。米長期金利は動き、為替は振れ、株式市場も一時的に不安定になった。市場はこの動きを、単なる人事の噂ではなく、金融政策の方向性が政治の意思として示された可能性として受け止めたのである。

だが、問うべきは市場の短期的な値動きではない。中央銀行の独立性といった形式論でもない。核心は、なぜトランプは一貫して利下げにこだわるのか、そしてなぜその主張が米国では政治的に成立するのか、という点にある。

トランプの金融観は単純明快だ。景気が最優先であり、雇用と企業活動こそが国力の基盤だという考えである。金利は理念ではない。景気を調整するための道具である。政策金利が高止まりし、住宅ローン金利が上がれば、家計と投資が冷える。これは専門家でなくとも理解できる現実だ。

フィリップス曲線(青色)はマクロ経済学上の常識。無論これが成り立つための条件はあるが日本経済はそれを満たしている。

トランプが恐れているのは、インフレ率そのものではない。
高金利が雇用に波及することである。

この認識は突発的なものではない。2018年から2019年にかけ、彼はFRBの利上げ路線を繰り返し批判した。結果としてFRBは利上げを停止し、利下げに転じた。政治介入の是非は別として、利下げという判断が当時の経済状況と整合的だったことは否定できない。

そもそも、景気局面で利下げを志向することは、米国政治では異端ではない。歴代政権はいずれも、金融政策を雇用や投資と結びつけて語ってきた。重要なのは政策効果の精密な因果分析ではない。
金融政策は雇用に関わるものだ、という理解が社会に共有されてきたという事実である。

2️⃣インフレ率が数%高まるだけで、数百万人の雇用が生まれる

FRD

金融政策と雇用の関係について、経済の基本的事実を確認しておく必要がある。それは、インフレ率が数%動くだけで、雇用は大きく動くという現実だ。

日本経済は長年、低インフレと需要不足に苦しんできた。名目需要が伸びないため、企業は賃上げや人員拡大に慎重になり、雇用は維持されても新たに生まれにくかった。逆に言えば、インフレ率が安定的に2〜3%高まるだけで、企業の名目売上は自然に増え、価格転嫁と投資が進む。その過程で、他に大きな政策を打たなくても、日本では数百万人規模の雇用が生まれる。

日本の就業者数はおよそ6,700万人規模だ。名目成長率が数%高まれば、労働需要は数%単位で動く。労働参加率の上昇や潜在的失業の顕在化、非正規から正規への移行まで含めれば、数百万人という規模は過大ではない。

米国では、この効果はさらに大きい。就業者数は約1億6,000万人に達している。インフレ率と名目成長率が数%違えば、雇用への影響は桁が変わる。保守的に見ても、数%のインフレ差が数百万人規模、場合によっては1,000万人前後の雇用増減に結びつく。だからこそ、米国では金融政策が雇用と結びつけて語られてきた。

無論、金融政策で雇用を直接操作できるという話ではない。
インフレ率と雇用は、名目成長を介して強く連動しているという事実である。欧米では、これは常識である。日本では常識になっていない。
この現実をどう認識するかで、金融政策の姿はまったく変わる。

3️⃣日本では「雇用を見ない」から金融政策が歪む

日本銀行

民主党政権時代のことだったが、SNS上で印象的な証言が語られていたことを記憶している。ある職業安定所に勤務していた人物によれば、当時の所長が「私は、雇用というものがよく分からない」と口にしたという。雇用行政の現場責任者の発言として、驚きをもって受け止められた話である。

だが、この発言は本当に奇妙なのだろうか。
むしろ、この所長は正直だったと言うべきだ。

日本では、雇用の主務官庁は厚生労働省だと考えられている。しかし、これは半分しか正しくない。厚生労働省が担っているのは、雇用保険、職業紹介、労働条件の整備、そして雇用統計である。雇用を「把握し、管理する」役割はあるが、雇用そのものの量と水準に責任を負っているわけではない。

雇用の総量を左右するのは、景気であり、名目成長であり、金利である。その中核に位置するのは、言うまでもなく日本銀行だ。企業が人を雇うかどうかは、補助金よりも、将来の売上見通しと資金調達環境で決まる。

にもかかわらず、日本にはマクロ経済学上の常識と言える「雇用=金融政策」という観念がほとんど存在しない。その結果、雇用の現場にいる人間ですら、雇用とは何か、誰が責任を負っているのかを説明できなくなる。

さらに深刻なのは、この欠落が金融政策そのものを歪めている点である。

本来、雇用が健全であれば、インフレ率が一定程度高まることは異常ではない。雇用が拡大し、賃金が上がり、労働市場が引き締まっている局面では、インフレは「経済が回っている証拠」として受け止められる場合もある。米国では、雇用が強い限り、インフレ率がやや高くても許容されることがある。

ところが日本では、雇用の状態を見ないまま、インフレ率の数字だけが切り取られる。その結果、雇用が脆弱なままでも、インフレ率だけを理由に金融政策が引き締め方向に傾くという本末転倒が起きる。

現場の日本は、フィリップス曲線が機能する条件を満たしている「成り立たない」論は、需要政策を無効化する。その結果、緊縮派に理論的援護射撃を与えることになりかねない。

はっきり言えることは、フィリップス曲線が成り立つ成り立たない論などとは別に、まずは雇用を見ずに物価だけを見る金融政策は、体力を見ずに体温だけで患者を判断する医療に似ている。日本の金融政策は、長らくこの状態に置かれてきた。その結果、金融政策は生活実感から乖離し、選挙の争点にもならなくなった。

結論

現時点の我が国の選挙において、金融政策、とりわけ雇用との関係を正面から争点化することは現実的ではない。制度と歴史、そして国民の認識が、そこに追いついていないからである。この状況は一歩間違えると緊縮派に利用されやすい。

だが、それで終わらせてよい話ではない。インフレと雇用、金融政策と生活の関係を、政治の言葉で語り直す努力は不可欠だ。その役割は、いずれ高市早苗政権に担ってもらいたい。
金融政策をあたかも「触れてはならない専門領域」であるような認識から、「国民が選択できる政策論点」へ引き戻すこと、それが次の段階の政治に求められている。それなしに、責任ある積極財政を実現することは難しい。

財政政策が優れたものであったとしても、金融政策が間違っていれば景気が良くなることはない。過去の日本がそれを実証している。健全な財政政策と健全な金融政策の両方を実施することにによってのみ、健全な経済成長が実現されるからだ。

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2026年1月30日金曜日

「中道が構図を変える」という空気──妄想に踊った報道と、踏み潰された事実


まとめ

  • この記事では「中道が構図を変える」という空気が、誰のどんな見出しで作られたのかを、日付とともに示した。報道が事実ではなく物語を流した瞬間を可視化した。
  • 二つ目は、その物語の前提が、石破政権期の選挙構造を引きずった非現実的な仮定だったことを明らかにした。高市政権の支持率という最大の要因が、なぜ無視されたのかを突いた。
  • 三つ目は、空気が崩れた後の「単独過半数」論を、手のひら返しとして片付けず、選挙は水物という現実の中で、何が起きたのかを冷静に整理した。

衆院選序盤の情勢で、自民党が単独過半数(233)をうかがう――この見立て自体は、もはや一部の“自民寄り論者”の願望ではない。国際通信も、経済メディアも、選挙・政治の専門サイトも、同じ方向へ雪崩を打っている。問題はそこではない。

もっと大事なのは、その直前まで、メディア空間の多くが「中道改革連合が構図を変える」と、半ば断定調で語っていたことだ。しかも、その根には“見えない仮定”が埋め込まれていた。石破政権時代の選挙構造をそのまま引きずり、公明票が立憲側に素直に合流すると見なす、あまりに都合のいい前提である。

高市政権の高支持率という最大の変数を見ないふりをして、票だけを足し算する。これは「合理的仮定」などではない。結論ありきの、非合理な仮定である。しかもそこには、「高市は長続きしない」「いずれ失速する」という願望込みの想定が、透けて見える。だからこそ、現実が動いた瞬間に、彼らは一斉に手のひらを返した。

1️⃣「中道が構図を変える」という空気は、どのように作られたか


まず、「中道改革連合」推しが強かった局面を、見出しそのもので確認する。重要なのは、単なる紹介ではなく、「期待」「圧勝シナリオ崩壊」といった言葉で、空気を作りにいっていた点である。

立公新党「中道改革連合」と命名、衆院選で消費減税掲げる可能性(ロイター/2026年1月16日)
新党名決定を規模感とともに押し出し、選挙構図の転換を既定路線のように描いた報道である。

「期待と不安」という枠組みで、視聴者に「中道が伸びる」という前提を自然に刷り込む構成だ。石破政権期と高市政権期の支持率差という最大の論点は提示されているが、語りの軸はあくまで「中道が構図を変える」に置かれている。

「中道改革連合」結成で高市自民“圧勝”シナリオは完全崩壊へ(JBpress/2026年1月18日)
「完全崩壊」という断定的な言葉が象徴的だ。選挙が始まる前から結果を言い切り、空気を作りにいっている。

高市内閣支持率が初の下落! 新党「中道」のスタートラインとポテンシャル(選挙ドットコム/2026年1月21日)
論点は終始「中道のポテンシャル」であり、票がどう動くかという具体論よりも、構図転換の可能性が前提として置かれている。

この一連の報道に共通するのは、「中道が伸びる根拠」を石破政権期の選挙構造の延長線に置いていた点だ。だが、現実の選挙は算数ではない。なお、内閣支持率と与党支持率を合算して情勢の危険水域を測る、いわゆる青木率という経験則に照らしても、この時点で「構図が変わった」と断じる根拠は乏しかった。

2️⃣メディアが煽った“中道幻想”──見出しが作った前提


多くの解説が採用したのは、過去の構造をそのまま未来に当てはめる思考だった。しかし、そこには致命的な欠陥があった。高市政権の高支持率という現実を、分析の中心から外していたのである。

FNNの解説では、石破政権期の支持率低下と高市政権期の支持率の高さが比較され、「無党派が動くなら自民はむしろ上積みがある」という趣旨の発言も出ている。
つまり、分かっていた。それでも空気は「中道が構図を変える」方向に寄せられた。

これは合理的仮定ではない。現実を見ないという選択である。
願望を前提に据え、結果を断定し、それをニュースの形で流す。これは分析ではなく、煽りだ。

3️⃣空気の崩壊と手のひら返し──「単独過半数」を言い出した側


転回は突然だった。
自民党が単独過半数をうかがう報道。序盤情勢は選挙にどう影響するか(選挙ドットコム/2026年1月28日)
ここで初めて、「自民が単独過半数をうかがう」という表現が明確に前面へ出る。

マクロスコープ:衆院選、序盤は自民リードとの報道(ロイター/2026年1月29日)
自民が単独過半数(233)をうかがう理由として、物価高対策が主要争点となり、「政治とカネ」の優先順位が下がっている点を挙げる。さらに、公明支持母体が比例重視で動くことで、小選挙区では自民側が有利になる可能性にも踏み込む。これは「公明票が立憲に合流する」という前提を正面から崩す材料である。

自民で単独過半数の勢い、各社衆院選序盤調査(TBS CROSS DIG with Bloomberg/2026年1月29日)
日経・読売・共同など複数調査を横断的に整理し、「単独過半数」の可能性を明示。政治部だけでなく市場が反応し始めている点が決定的だ。

自民単独過半数なら日経平均「5万8000円台」も(ダイヤモンド・オンライン/2026年1月30日)
有料記事ではあるが、単独過半数・安定多数を前提に経済シナリオを組んでいる。政治の見立てが市場の前提に落ちたことで、空気の転回は決定的になった。

結論 空気が変わったのではない。現実が物語を押し流した

今回、現実は、少なくとも「中道が構図を変える」という一方的な物語を押し流した。
もっとも、選挙は水物である。情勢は最後まで揺れ動き、結果は開票箱が閉まる瞬間まで確定しない。

仮に単独過半数という数字が現実のものになったとしても、それは熱狂的な信任ではない。与野党の選択肢の中で、有権者が相対的に下した判断の積み重ねにすぎない。その意味で、単独過半数が示すのは「白紙委任」ではなく、「慎重な期待と同時に向けられた厳しい監視」である。

メディアは一度、「中道が構図を変える」という物語を作り、それが崩れると、何事もなかったかのように「単独過半数」を語り始めた。この前提のすり替えこそ、批判されるべき点だ。

選挙は民主主義の根幹である。空気づくりで判断を誤らせる報道が常態化すれば、壊れるのは政党ではない。判断する国民の足腰である。

今回、現実は物語を押し流した。
そして仮に単独過半数を得る結果となった場合、自由民主党 は、期待と同時に厳しい視線を受け止める立場に立つ。

読者が得るべき教訓は一つだ。
情勢そのものよりも、「どんな前提で語られているか」を見抜け。
それができれば、次に同じような空気が作られても、流されずに済む。

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決断しない国は淘汰される──経済が「戦場」になった世界で、来るべき選挙が問うもの 2026年1月17日
選挙で問われているのは人気でも雰囲気でもない。決断できるかどうかだ。今回の「中道幻想」がなぜ現実に耐えられなかったのか、その背景が腑に落ちる。

日本のマスコミは『事前学習済みAI』だ──沈黙は判断ではない、生成停止である  2025年12月29日
なぜメディアは同じ物語を一斉に語り、同時に沈黙するのか。その構造を知れば、「中道が構図を変える」という空気が生まれ、壊れた理由も見えてくる。



2026年1月29日木曜日

イランは単なる軍事標的ではない──トランプの「攻撃予告」が暴いた「待てない秩序」

まとめ

  • トランプの「攻撃予告」は感情的な威嚇ではなく、核交渉を成立させるために「待つ」という選択肢そのものを封じる意図的な操作である。
  • 同じ予告でも、中国が台湾侵攻をめぐって繰り返してきた時間稼ぎの言説とは決定的に異なり、言葉で時間を奪うか、時間を稼ぐかという世界秩序の転換点が浮かび上がる。
  • 制裁や圧力が即座に効く時代において、「待てない秩序」はトランプ政権限りの例外ではなく新しい常態となり、長く「待てる秩序」の優等生だった我が国にも現実的な準備を迫っている。
1️⃣核交渉を迫るために発せられた「攻撃予告」


2026年1月28日、トランプ米大統領は自身の交流サイトを通じ、イランに対し核開発問題を巡る新たな交渉に応じるよう強く求め、応じない場合には「次の攻撃ははるかに甚大なものになる」と警告した。

この発言を単なる威嚇として片づけるのは容易だ。しかし、それでは事態の本質を見誤る。発言の時点で、米国は中東に空母を含む軍事的プレゼンスを展開し、緊張を意図的に高めていた。同時に、イランが接触を望むなら応じるという外交的窓口も開かれていた。

軍事的圧力と交渉の余地を同時に突きつける。
そこには一貫した構図がある。

背景にあるのは、核交渉の行き詰まりだ。トランプは過去の核合意を不十分と捉え、より厳格な枠組みを求めてきた。一方のイランは制裁緩和を先行条件とし、核活動の透明化には応じなかった。交渉は止まり、その停滞を前提に発せられたのが、この「攻撃予告」である。

攻撃は目的ではない。
核を巡る決断を相手に迫るため、交渉環境そのものを揺さぶる行為である。

本気で撃つつもりの国家は沈黙する。奇襲と秘匿が軍事の原則だからだ。にもかかわらず、あえて予告という形を取った。この時点で、これは戦術ではなく秩序の操作である。

2️⃣「予告」が意味するもの──時間を与えない政治

昨年12月に中国軍が発表した内容

この「予告」は、中国による台湾侵攻を巡る言説と比較されることが多い。しかし両者は同じではない。

ここで言う中国の言説とは、台湾に対して「武力行使も辞さない」と繰り返されてきた一連の発信のことである。威圧は重ねられてきたが、実際の決断は避けられ、時間を稼ぐための政治的言葉として機能してきた。その間に既成事実を積み上げる。これが中国の常套手段である。

一方、トランプの予告は、核交渉という具体的政策と結びつき、交渉が進まなければ次の段階に移行し得る状態を前提としている。

同じ「予告」でも意味は正反対だ。
前者は時間を稼ぐための言葉であり、後者は時間を与えないための言葉である。

この違いが浮かび上がらせるのは、冷戦以降続いてきた「待てる秩序」の限界である。
冷戦構造が残した秩序は、時間をかけた合意形成と即応しない抑止を前提としていた。一見安定して見えたこの秩序は、現実には中露に巧みに利用されてきた。

交渉を引き延ばし、曖昧な合意を重ね、その間に現実を少しずつ書き換える。南シナ海、ウクライナ周辺、凍結された紛争、そしてイランの核問題。いずれも「相手が待つこと」を前提にした戦略だった。

待つことは抑止ではなく、戦略資源に変質していたのである。

3️⃣戦争ではない、線引きである──「待てない秩序」の正体

トランプのイラン攻撃予告が行ったのは、戦争の開始ではない。
交渉が成立する限界を、行動可能性によって示す線引きである。

軍事侵攻はしない。しかし政権の選択肢は削り続ける。最終判断は常に米国が握る。これは全面戦争ではない。行動可能性を独占することで交渉を成立させるやり方である。

制裁と威圧を組み合わせた管理の秩序自体は過去にも存在した。だが決定的に異なるのは、時間と速度だ。

NY証券取引所フロア

金融制裁は発動した瞬間から効き、市場は一斉に動き、供給網は短期間で機能を失う。それに加え、資産凍結、決済網からの排除、保険・再保険の停止、技術や部品の輸出規制、情報空間での圧力まで、現代国家が即時に行使できる手段はすでに出そろっている。

これほど多層的な圧力を同時に行使できる時代において、なお交渉を引き延ばす判断は、相手に立て直す時間を与えるだけである。
かつて秩序を支えた「待つ」という態度は、いまや相手の戦略を補完する行為へと転じた。

結語──新しい常態としての「待てない秩序」

トランプの手法を、個人の資質や政権の特殊性に還元するのは簡単だ。しかし、それでは本質を見失う。
「待てない秩序」は、トランプ政権で終わらない。
それはすでに、世界が選び始めた新しい常態になりつつある。

各国はトランプの荒々しい言葉遣いを真似ることはないだろう。だが、期限を切り、選択肢を狭め、行動可能性を先に示すという作法そのものは、より制度化され、静かな形で広がっていく。待つ国だけが不利になる構造が出来上がった以上、この流れは逆転しない。

この変化の前で、我が国の立ち位置も問われている。
我が国は長く「待てる秩序」の優等生であった。時間をかけた合意形成、丁寧な説明、国際協調。それらは確かに秩序を支えてきた。しかし、それだけでは足りない時代に入っている。

問われているのは、
「待つことを捨てられるか」ではない。
「待たなくても動ける準備をしているか」である。

交渉が壊れた瞬間に、現実を支えられる選択肢を持っているのか。
圧力と交渉を同時に運用できる体制を備えているのか。

それに答えられない国は、秩序を論じる側には立てない。
秩序に適応させられる側に回るだけである。

その分岐点は、すでに目前にある。

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2026年1月28日水曜日

手稲に立った高市早苗――地方から始まった「決断する政治」の第一章

まとめ

  • この文章は「高市早苗の応援演説」という出来事を追うだけではない。なぜ札幌・手稲だったのか、なぜ駅前だったのかという選択の意味から、政治がどこで、どのように決断を示すのかを読み解いている。
  • 宮城での屋内活動と手稲での街頭演説を対比することで、調整に終始する政治と、覚悟を引き受ける政治の違いがはっきり浮かび上がる。ニュースでは語られない政治の構造が見えてくる。
  • 積極財政を単なる財政論としてではなく、国家が何を先送りせずに決めるのかという責任の問題として描いている。読み終えたとき、読者は自分なりの判断軸を一つ手に入れることになるだろう。
1️⃣「応援演説」を超えた意味――手稲で示された決断

中村ひろゆき街頭演説【弁士🎤高市早苗総理大臣】

北海道・札幌市手稲区で行われた高市早苗氏による中村裕之氏応援演説は、単なる選挙応援ではなかった。そこにあったのは、いま我が国の政治が意識的に避け続けてきた「決断」という行為そのものだった。

今回の選挙戦で、高市氏はまず東京・秋葉原で第一声を上げた。そこでは党首として、全国に向けた基本姿勢と方向性が示された。その後、宮城での活動が行われたことも事実である。ただし、宮城での高市氏の動きは、屋内集会を中心としたものであり、党関係者や支援者を主な対象とする色合いが強かった。候補者支援としての意味は明確だったが、全国の有権者に向けて強い政治的メッセージを発する場というより、選挙区内の結束を固める性格が前面に出ていた。象徴性や可視性は、あえて抑えられていたと言ってよい。

これに対し、札幌・手稲での演説は明らかに性格を異にしている。駅前という開かれた空間で、不特定多数の有権者に向けて行われたこの街頭演説は、高市氏が地方の現場から全国に向けて、自らの政治的意思を正面から示した最初の本格的な場であった。秋葉原の第一声が「中央からの号砲」であるならば、手稲は「地方から始まる実装の宣言」であった。

2️⃣宮城から手稲へ――屋内の政治と街頭の政治

宮城での活動が、調整と支援を主眼とする屋内の政治であったとすれば、手稲での演説は、はっきりと外に開かれた政治であった。屋内で支持者に語る政治は、結束を固めるには有効である。しかし、覚悟を示す場にはなりにくい。駅前に立ち、不特定多数に向けて語るという行為は、それ自体が政治的な決断を伴う。

雪に覆われた札幌市手稲区の街並みと、その後ろにそびえる手稲山

札幌・手稲という場所もまた象徴的である。ここは観念的な「地方」ではない。都市機能を備えながら、エネルギー、物流、インフラ維持、人口動態といった国家的課題が、日々の生活の中で具体的な重さをもって現れる地域である。抽象的な理念だけでは社会が回らないことを、住民が現実として知っている土地だ。

高市氏がこの地で街頭に立ったという事実は、政治姿勢そのものの表明である。閉じた空間で理解者に語るのではなく、制約の中で生きる人々に向けて語る。理念を掲げる前に、現実を引き受ける。その順序を、場所そのもので示したのである。

2️⃣手稲という選択――地方から全国へ放たれた政治意思

支持者にタッチして回る中村裕之氏=27日午前9時35分、倶知安町


この演説の意味は、応援された候補者の立場によって、さらに明確になる。中村裕之氏は北海道を地盤とする国会議員であり、同時に党内で「責任ある積極財政」を掲げる議員連盟のトップを務めてきた人物である。

中村氏が主張してきた積極財政は、思いつきの拡張論ではない。防衛、エネルギー、地方インフラ、産業基盤といった、国家の背骨に当たる分野に対し、今手を打たなければ将来により大きな負担を残す領域へ、責任をもって投資するという考え方である。この姿勢は、高市氏が一貫して示してきた「決断を先送りしない政治」と完全に重なっている。

だからこそ、手稲での応援演説は単なる選挙戦術ではない。政策姿勢を共有する者同士が、地方の現場でその連帯を可視化した行為であった。宮城での屋内活動が調整と支援の段階であったとすれば、手稲は責任ある積極財政を「全国に向けて引き受ける場」であった。

結語――地方から可視化された分水嶺

宮城での活動を経て、札幌・手稲で行われた高市氏の応援演説は、地方を起点とする「決断する政治」が、初めて明確な輪郭をもって示された瞬間であった。閉じた空間ではなく、開かれた場所で。理念ではなく、現実を起点に。

我が国はまだ選べる。
決断を避け続ける政治か。
現実を引き受け、責任をもって前に進む政治か。

その分水嶺は、静かに、しかし確実に、手稲で示されたのである。

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財務省支配の終焉へ――高市早苗が挑む“自民税調改革” 2025年10月13日
財務省主導の政治構造が、なぜ政策の実装力を奪ってきたのかを具体的に解き明かす。高市政権が党税調改革に踏み込む意味を理解すれば、「決断する政治」の核心が見えてくる。

高市総理誕生──日本を蝕んだ“中国利権”を断て 2025年10月15日
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高市早苗の登場は国民覚醒の第一歩──常若(とこわか)の国・日本を守る改革が始まった 2025年10月5日
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札幌でのデモを単なる地域運動として終わらせず、世界的な反グローバリズムの潮流の中に位置づけて分析する。地方発の政治的動きが持つ意味を広い視野で捉え直せる。

2026年1月27日火曜日

中国軍中枢二人の失脚が意味するもの──日本は煽らず、時間を味方につけよ


まとめ

  • 中国軍で起きているのは単なる汚職摘発ではない。実際に軍を動かしてきた中枢二人が同時に失脚したことで、中国軍は「弱くなった」のではなく、「自分で判断しにくい軍」へと変質している。
  • 日本に必要なのは過剰な危機煽りではない。ASWをはじめとする多点的・持続的な圧力を重ねることで、中国側に判断と調整を強い続けさせる戦い方こそが現実的だ。
  • 制度と手続きを持つ日本は、時間を使う側に立てる。場当たりを重ねる軍が消耗していく構造を冷静に見極め、煽らず、焦らず、時間を味方につけることが日本の勝ち筋である。
1️⃣中国軍中枢二人の失脚

ここ最近、中国軍の中枢に近い幹部が相次いで「調査対象」となってきた。だが、我が国の感覚で「事情聴取」や「説明責任」と捉えると、入口で躓く。中国軍で「立案審査調査」となれば、意味ははっきりしている。人事権、指揮権、情報へのアクセスが止まり、事実上、軍人としての機能は停止する。表向きの処分発表より前に、現実の権限が奪われる。これが中国式だ。

そして2026年1月24日、中国国防部は、中央政治局委員で中央軍事委員会副主席の張又侠と、中央軍事委員会委員で統合作戦の要である聯合参謀部参謀長の劉振立について、「涉嫌严重违纪违法(重大な規律違反および違法行為の疑いがある)」「决定立案审查调查(立件して審査・調査を行うことを決定した)」と公表した。これは噂話ではない。中国側の公式発表である。 
張又侠

この二人が意味するものは重い。張又侠は軍の最上層で、制度と人事と運用の結節点にいた。劉振立は、平時の演習だけでなく、有事の統合作戦を回す実務側の中枢にいた。しかも二人とも上将級である。式典の飾りではない。「動かす側」そのものだ。

要するに、中国軍は「弱体化した」というより、「判断しにくい軍」へ変質しつつある。忠誠と統制が優先され、判断を誤れば個人が責任を負わされる。こうなると現場は縮み、上層は迷う。柔軟性は育たない。
これは金の問題というより、統制の問題である。中国側は「規律と法」による説明を繰り返すが、軍の心臓部に集中する動きは、組織そのものの病理を示している。 

2️⃣中国軍の「判断消耗」を積む増すチャンス

防衛の議論で、縦深防御を軽んじるのは危険だ。基地の分散、後方の冗長化、補給線の多層化。単発の打撃で全体が麻痺しないようにする。これは国家防衛の基本であり、日本の防衛構想にも確かに組み込まれている。

ただし、縦深防御は「主役」ではない。戦闘が始まった後に耐える構えである。日本が本当に握るべき主導権は、戦闘に至る前の局面にある。相手の判断を鈍らせ、誤らせ、遅らせる。ここで効いてくるのが「判断消耗」という発想だ。

南西諸島

判断消耗とは、相手に選択肢を与えることではない。選択を強要し、迷わせ、確認と再確認を増やすことだ。判断の回数が増えれば、失敗も増える。上層の統制が強い軍ほど、その負荷は重くなる。

その代表がASW(対潜戦)である。ASWは派手な一撃ではない。だが、潜水艦が「どこにいるか分からない」状態を維持するだけで、相手は毎回、行動の前提を計算し直さねばならない。出るのか、潜るのか。展開を広げるのか、絞るのか。指揮を前に出すのか、後ろに下げるのか。ASWは、相手に「選べ」と迫る装置である。

縦深防御が土台なら、ASWは土台の上で相手の判断力を削る刃だ。両者は対立しない。日本は土台を固めたうえで、相手の判断点を増やす戦い方を主軸に据えるべきだ。

3️⃣判断消耗装置を重ねるほど、日本の安全保障は一段上がる

海自の潜水艦

重要なのは、判断消耗装置はASWだけではないという点だ。重ねれば重ねるほど、相手の調整と迷いは跳ね上がる。中国軍が「判断しにくい軍」へ傾くほど、効き目は増す。

まず宇宙領域である。衛星の状況把握、運用の揺さぶり、限定的な機能妨害。撃墜のような露骨な形でなくても、「見えているのか、見えていないのか」を疑わせるだけで、相手の判断は遅れる。中央集権の軍にとって、「見えない」は致命傷だ。

次にサイバー・電磁波領域である。完全遮断が目的ではない。遅延、不整合、断続的な混乱が起きるだけで、司令部は確認に追われる。現場裁量が狭い組織ほど、判断が止まる。

さらに経済安全保障と法制度運用も、判断消耗装置になり得る。輸出管理、投資審査、港湾・通信インフラの規律。発動するかどうか分からない、しかし“手札として存在する”という事実が圧力になる。しかもこれは繰り返し使える。制度国家の日本に向く戦い方だ。

ここで「日本が不十分な点」もはっきり言うべきだ。伸び代があるからこそ、戦略は強くなる。

第一に、沈黙と発信の使い分けだ。日本は説明は得意だが、「あえて語らず、相手に説明を強いる沈黙」は、もっと戦略として使える。沈黙は逃げではない。相手に整合を取らせる圧力になり得る。

第二に、法執行と行政運用のテンポだ。恣意ではなく、あらかじめ定めた裁量の幅の中で、時期と強度を調整する。これだけで相手は毎回「次はどこまで来るのか」を計算し直す。判断点が増える。

第三に、同盟国・準同盟国との連携の見せ方だ。すべてを共同声明で可視化する必要はない。限定参加、個別協力、観測的関与。段階を混在させれば、中国側は全体像の再計算を迫られる。

では中国は、出鱈目を繰り返して乗り切ればいいのか。ここが肝だ。
常識にとらわれない柔軟性そのものは否定されるべきではない。むしろ、戦術として磨けば強い。しかし、それが「戦術」になるには条件がある。現場裁量が広く、失敗が許容され、矛盾が組織として吸収される体制だ。

中国は真逆である。権限は上に集まり、失敗は個人の首が飛び、矛盾は政治問題になる。この構造では、非常識な一手は一度きりの賭けになる。回を重ねるほど判断は難しくなり、調整は増え、動きは鈍る。出鱈目は、繰り返せない。だから効かない。

一方、日本は「型」を持てる。初動は慎重に見えるかもしれない。だが一度定めた基準は繰り返せる。繰り返せるから速くなる。これは鈍重さではない。蓄積の強さである。

結語 日本は「判断しにくい軍」を固定化させ、柔軟性を失うな

結論は明快だ。

日本は、中国軍が「判断しにくい軍」であり続けるよう、ASWを中核に据えつつ、宇宙・サイバー・電磁波・経済安全保障・法運用・同盟調整といった判断消耗装置を多層的に重ねるべきだ。その一方で、自らは無秩序な場当たりに堕ちない体制を固辞し続けるべきだ。

ここで排除すべきなのは柔軟性ではない。排除すべきなのは、責任の所在が曖昧で、再現も検証もできない場当たりだ。
逆に言えば、民主的な制度と責任の枠組みの中で、常識にとらわれない発想を反復可能な戦術へ育てることは、むしろ積極的に助長すべき資産である。

判断消耗装置を重ねれば、日本の安全保障は確実に一段上がる。武器の数を誇る話ではない。相手が決断するまでに必要な思考と調整を、こちらが淡々と増やし続けるという話だ。
そして、判断が遅れ、誤り、やり直しを繰り返す軍は、装備が揃っていても主導権を失う。

声高に語る必要はない。誇示も不要だ。
時間を味方につける戦い方とは、判断消耗を積み重ねることである。
我が国はいま、恐れる立場にはない。冷静に、時間を使い切る立場にある。

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なぜ中国は、あえてリスクの高い異常接近を繰り返したのか。その背後にあるのは、ASWという“見えない圧力”への焦りだ。今回の記事で語られている「判断を消耗させる戦い方」を、具体的な事例で理解できる。

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ASWは単なる装備の話ではない。体系として整えられたとき、それは相手の作戦・政治・外交判断まで縛る力になる。中国軍の中枢が不安定になる今だからこそ、「なぜ日本のASWが効くのか」が腹落ちする。

対中国 P-1哨戒機訓練をテレビ初撮影──実はかなり強力な日本のASW能力 2023年1月18日
能力は、持っているだけでは意味がない。どう見せ、どう“存在させるか”で、相手の判断は変わる。ASWが中国側に与える心理的・構造的な重圧を、最も早い段階で言語化した記事として、今読み返す価値がある。

2026年1月26日月曜日

解散総選挙の本当の大義──悪しきグローバリズムからの脱却

まとめ

  • 今回の解散総選挙は、政権争いではない。日本が「国家として責任を引き受け直せるか」を初めて真正面から問われる選挙である。
  • 自由貿易、ESG、脱炭素という理念の裏で、なぜ日本の製造業と供給力は弱体化したのか。本稿は、「悪しきグローバリズム」が国家を壊した過程を具体的に検証する。
  • 高市路線と野党再編の違いは、政策の数ではない。「国家を具体的に実装できるかどうか」という一点から、今回の選挙を読み直す。
1️⃣この選挙は政局ではない――グローバリズムの時代の終わり


日本の政局を論じる前に、まず動かしてはならない前提がある。我が国は大統領制ではなく、議会制民主主義の国であるという一点である。

内閣は国民によって直接選ばれているわけではない。衆議院の多数を基礎として成立し、その多数が揺らげば、内閣の正統性も揺らぐ。したがって、一定の節目で民意を問い直すこと自体が、制度の中にあらかじめ組み込まれている。解散総選挙とは、首相の恣意的な権力行使ではなく、議会制民主主義が自らを更新するための制度装置である。

衆議院の任期は4年である。前回の総選挙は2022年10月に行われた。制度上、遅くとも2026年秋までに総選挙を行うことは避けられない。その中で、高市首相は2026年1月23日、通常国会召集の冒頭という異例のタイミングで衆議院を解散した。公示日は1月27日、投開票日は2月8日である。通常国会冒頭解散は戦後2回目にすぎない。この一点だけでも、今回の解散が、単なる政局操作ではなく、強い政治的意思に基づく判断であることは明らかである。

しかし、この解散を制度論や国内政局だけで説明してしまえば、やはり本質は見えてこない。今回の選挙は、より大きな歴史の流れの中に置いて初めて、その意味が浮かび上がる。

冷戦終結後30年、世界は「自由貿易」「国境なき資本移動」「市場万能主義」を前提とするグローバリズムの秩序の中で動いてきた。我が国もまた、その最も忠実な受益国であり、同時に最も深刻な被害国でもあった。製造業の空洞化、賃金停滞、長期デフレ、エネルギーと食料の過度な対外依存。その多くは、理念としてのグローバリズムが、国家の実体を静かに削り取ってきた結果である。

この秩序を精神的に支えてきたのが、ダボス会議に象徴される「グローバル・エリートの理念」であった。持続可能性、多様性、包摂、脱炭素。美しい言葉は並んだ。しかし、その多くは、現実の産業、エネルギー、安全保障、通貨という国家の基盤から、次第に遊離していった。

ESGは投資の判断を歪め、脱炭素はエネルギー安全保障を空洞化させ、多様性の理念は組織統治の軸を曖昧にした。理念は洗練されたが、実装は崩れた。正しさは語られたが、供給力は削られた。

その結果として現れたのが、製造業の空洞化、賃金停滞、エネルギー依存の拡大、サプライチェーンの脆弱化である。グローバリズムは、国家を超えた秩序を作ろうとして、国家そのものの実装能力を静かに壊していった。

いま世界で起きている転換は、閉鎖への回帰ではない。排外への後退でもない。
それは、理念による統治から、責任による統治への回帰である。

市場に委ね、国際秩序に委ね、誰も最終責任を取らなかった時代が終わり、各国が、自らの産業と社会と安全を、再び自分の責任で引き受け直す時代に入った。

今回の選挙は、その世界史的転換の中で、日本が初めて真正面から迎える国政選挙である。

2️⃣高市路線の意味――経済・供給力・主権を取り戻す国家戦略

この文脈に置いたとき、高市首相が掲げる「責任ある積極財政」の意味は、単なる景気対策ではない。

それは、グローバル市場に過度に依存してきた経済構造を、内需と国内供給力に引き戻すための、明確な国家戦略である。

食品消費税を2年間に限り0%とする時限的減税は、単なる減税ではない。輸入物価と為替変動に直撃される家計を、国際市場の変動から一時的に切り離すための制度装置である。課税最低限の引き上げや物価スライド式控除は、グローバルインフレを国内制度の中で吸収するための仕組みである。

供給力強化策は、ここで初めて、国家が自らの経済基盤を戦略的に設計し直そうとする、前向きなナショナリズムの姿を明確に示している。無論、長い間の財政・金融政策の誤りを是正するという意味もあるが、それだけではない。設備投資減税、戦略技術への研究開発支援、AI、量子、バイオを国家の戦略技術と位置づける発想は、市場任せのグローバリズムから、国家が供給力を主体的に再構築する経済モデルへの転換である。


日本国内の半導体製造工場

この転換は、すでに経済安全保障政策と結びついている。半導体の国内回帰、重要鉱物の友好国調達、医薬品原料の国産化支援は、国家が自国の供給網と技術を、再び主権の下に取り戻そうとする動きである。

この反グローバリズムへの転換は、経済政策だけにとどまらない。より深刻な形で表れているのは、人口、治安、主権、対中関係といった領域である。

外国人労働者政策は、その典型である。人手不足の名の下に、制度設計の不十分なまま受け入れられてきた外国人労働者は、技能実習制度の形骸化、失踪問題、治安悪化、地域社会の分断という形で、静かに社会の歪みを蓄積させてきた。これは理念の問題ではない。国家が、自国の人口構成と治安と社会制度を、自ら統制できるかどうかという主権の問題である。

入管制度の見直し、在留管理の厳格化、技能実習制度の廃止と新制度への移行は、労働市場の自由化から、国家による人口管理への転換を意味している。これもまた、反グローバリズムの一環である。

対中国政策は、これらとは本質的に性格を異にしている。
中国は、単なる貿易相手国ではない。国家資本主義と軍民融合を制度として組み込み、技術、資本、人的資源を、意図的に国家戦略へと動員する体制国家である。

その中国に対して、「経済と安全保障は切り離せる」という発想そのものが、すでに致命的な錯誤であった。レアアース、電池材料、半導体部材、医薬品原料、太陽光パネル。これらの一国依存は、市場の失敗ではない。戦略的に作られた依存構造である。

現在進められている対中輸出管理、技術流出規制、サプライチェーンの再編は、保護主義ではない。
主権国家が、意図的に仕掛けられた経済的脆弱性から脱却するための、防衛行動である。

こうして見れば、積極財政、国内供給力の再構築、外国人受け入れ制度の再設計、対中依存の縮小、経済安全保障の強化。これらはばらばらの政策ではない。すべてが、「グローバリズムから、責任を取り戻した国家へ」という1つの国家戦略の異なる側面である。

3️⃣日本は国家に戻れるか――決断回避型政治の最終局

 衆議院議員会議場

ここで、この政局を、我が国自身の長期的な病理と重ねて見る必要がある。

私はこれまで繰り返し、我が国の停滞の本質は、財源不足でも、技術力の低下でもなく、決断を先送りし続ける政治の構造そのものにあると書いてきた。理念は語られるが、実装は遅れる。正しさは叫ばれるが、産業、エネルギー、通貨、安全保障を同時に動かす決断は、常に回避されてきた。

冷戦後30年、我が国は成長戦略、構造改革、規制緩和、分配重視と、言葉だけは何度も更新してきた。しかし、製造とエネルギーと通貨と安全保障を一体で再設計する政治決断は、ほとんど行われてこなかった。さらに財政政策、金融政策の間違いも相まって、長期デフレであり、賃金停滞であり、供給力の空洞化を招いたのである。

この観点から見れば、中道改革連合の限界も明らかである。安保、原発、辺野古と、表面的には現実路線へと転換した。しかし、決定的に欠けているのは、グローバリズムから、責任を引き受ける国家への時代転換への自覚である。

彼らは過去の立場を修正した。しかし、これからの国家をどう実装するのかという設計図を、ほとんど提示していない。製造業をどこまで国内に戻すのか。エネルギーをどこまで自給するのか。食料をどこまで国内で賄うのか。通貨と金利をどう国家戦略に組み込むのか。これらの問いに対して、彼らは沈黙している。

だからこそ、有権者はこの再編を「野合」と感じ、「踏み絵」と感じている。問題は路線転換ではない。転換の先に、国家像が存在しないことにある。

こうして見れば、今回の選挙の本質ははっきりする。これは、高市か中道改革連合かという選挙ではない。自民か野党かという選挙でもない。

これは、
グローバリズムの時代に削り取られた国家の実装能力を、
日本が本当に取り戻せるかどうかを問う選挙である。

経済だけではない。
人口、治安、技術、通貨、エネルギー、食料、安全保障。
これらすべてを、理念ではなく、責任として引き受け直せるかどうか。

その現実を直視し、国家として再び実装に踏み出すのか。
それとも、理念に身を委ねたまま、責任を引き受けることを回避し続けるのか。

今回の総選挙は、
日本が「国家としての責任を取り戻せるかどうか」を、
初めて真正面から問われる選挙である。

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ダボス会議は強欲なグローバリズムで世界を壊した──最大の損害を被ったのは中露、日本の立つべき位置 2026年1月22日
「悪しきグローバリズム」とは結局、誰の利益のための思想だったのか。ダボス会議という象徴から、世界と日本がどこで道を誤ったのかを一気に読み解く。

世界経済フォーラムの警告 ──グローバリズムが壊れた世界でこそ日本が必要とされる 2026年1月15日
世界はすでに「協調の時代」を終えている。ダボス自身の警告から、なぜ日本の立ち位置が今ほど重要になっているのかが見えてくる。

来るべき衆院選の最大争点は「対中」だ──決められない政治を終わらせる選挙 2026年1月12日
今回の選挙で、本当に避けて通れない争点は何か。経済でも福祉でもなく、「対中」だと気づいた瞬間、選挙の意味が一段変わる。

なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別 2026年1月11日
「なぜ今、解散なのか」という疑問に、政局ではなく“政治文化”の問題として答える一編。今回の総選挙をどう見るべきかの視点がここで定まる。

資源戦争の時代が始まった──トランプは盤面を動かし、中国は戦略を失い、日本は選ぶ側に立った 2026年1月10日
反グローバリズムは感情ではなく、資源と供給網の問題だ。なぜ国家は「囲い」を作らざるを得ないのか、その現実がここで腑に落ちる。

2026年1月25日日曜日

娯楽はなぜ死に、企業はなぜ老いるのか ──『24』から『テヘラン』へ、AppleとVision Proが示す思想経営の限界


 まとめ
  • 本稿ではまず、『24』と『テヘラン』を対比し、娯楽が「正しさ」を先に置いたとき、物語がどこで死ぬのかを明らかにする。
  • 次に、Apple TV+とVision Proを通して、「思想を先に置く経営」が、いかに企業の創造力と商品力を同時に衰えさせるかを論じる。
  • そして最後に、iPhone 3GSと初代iPadから使い続けてきた一人のユーザーとして、次の時代のワクワクを、日本企業に託したい理由を語る。
アップルTV+のドラマ『テヘラン』は、私にはつまらなかった。だが問題は、つまらないことそのものではない。もっと厄介なのは、その「つまらなさ」の正体が、脚本の出来不出来というより、現代の大企業に染みついた思想の癖によって生まれているように見える点だ。娯楽がまず人を引きずり込むのではなく、先に結論があり、その結論へ観客を運ぶために登場人物も事件も配置される。

そうした構造が一度見えると、緊張は薄れ、意外性は溶け、物語は「予定調和の確認作業」に変わってしまう。私は『テヘラン』をきっかけに、なぜApple TV+の多くが面白く感じにくいのか、その輪郭をはっきり意識するようになった。そして同じ癖が、Appleという企業の製品や経営の空気にも、静かに入り込みつつあるのではないかと考えるに至った。

1️⃣娯楽は、どこで死んだのか

『テヘラン』は、イスラエルで制作され、のちにApple TV+で世界展開されたスパイドラマである。題材は刺激的だ。潜入、裏切り、追跡、工作。第一話を見たとき、私もそれなりの緊張感を覚えた。ところが二話、三話と進むにつれて、別のものが前に出てくる。物語の骨格が、驚くほど早い段階で透けるのだ。

イスラエル側は一貫して「組織」として描かれ、イラン側は一貫して「個人」に寄せて描かれる。国家は冷酷で、体制は非人間的で、個人は常に被害者である。この配置が早々に固定されると、視聴者の関心は「次に何が起きるか」から、「どう収束するか」へ移る。これは致命的である。娯楽は未知によって駆動される。結末が早く見えた瞬間、物語のエンジンは止まる。


ここで、どうしても思い出す作品がある。『24 -TWENTY FOUR-』である。『24』は配信時代の作品ではない。2001年、アメリカのFOXで放送が始まり、視聴率という冷酷な競争の中で鍛えられた。面白くなければ次週はない。引き込めなければ打ち切りだ。だから『24』は、思想より先に「続きが見たい」を作る。極限状況を置き、決断を迫り、その決断が誰かを傷つけ、世界を汚し、それでも止まれない。その連鎖が視聴者を離さない。

『24』は、国家を善悪で裁かない。現場は常に薄汚れ、正しさは毎回揺れる。視聴者は教えられるのではなく、迷わされる。そこにしか、本物の緊張は生まれない。
「昔の『24』のほうが圧倒的に面白かった」という感想は、単なる懐古ではないと思う。娯楽が思想に侵食されたとき、物語が何を失うのかを、最も正確に言い当てている。

2️⃣思想は、いつ企業を老いさせるのか

私が『テヘラン』を見た理由は単純だった。作品が最初に作られた時期が古いにもかかわらず、Apple TV+のトップ10に入り続け、最近は2位、少し前には1位にまで上がっていたからだ。Apple TV+はどれを見ても面白く感じなかった私が、「ひょっとしてこれは例外かもしれない」と思った。第一話は悪くなかった。だが回を追うごとに、物語は「起伏」ではなく「方針」を見せ始める。誰が被害者で、誰が加害者で、誰が救われ、誰が切り捨てられるか。その配列が固定され、驚きが減り、見どころが減る。最後に残るのは、丁寧な作りと、強い思想だけである。

もう一つ、見過ごしてはならない点がある。
『テヘラン』のこの構造は、偶然ではない。

本作が制作されたのはイスラエルである。制作者たちは、それまで公然と、モサドやイスラエルの対イラン強硬路線に批判的な立場を表明してきた人物たちである。彼らは、イスラエル国家を英雄として描くことよりも、体制の暴力性と、個人の被害性を前に出す作風で知られてきた。私はこの事実を知ったとき、『テヘラン』で感じた予定調和の正体が、ようやく腑に落ちた。

つまり本作は、スパイドラマの皮をかぶった「偶然の物語」ではない。
最初から、描くべき結論が決まっている思想物語なのである。


イスラエルは冷酷な組織として描かれ、イラン側は傷つきやすい個人として描かれる。善悪の配置は初めから固定され、物語はその配置を確認するために進んでいく。観客は驚かされるのではなく、正しい場所へ導かれる。て

私はここに、現代の娯楽が抱え込んだ最大の病理を見る。
物語が、発見の装置ではなく、思想の運搬装置に変わった瞬間である。もちろん『テヘラン』は失敗作ではない。国際的な評価もあり、Appleは看板作品として扱っている。だが、数字があることと、観客の胸に火が残ることは別だ。数字は残る。だが熱が残らないどころか回を重ねるごとに倦怠感すら覚える。これが、Apple TV+作品にしばしば漂う違和感の正体だと思う。

私は、娯楽の空気が提供する企業の空気と無縁ではないと思っている。規制、政治、価値観闘争、AI競争。そうした圧力が強まるほど、企業は慎重になる。慎重になればなるほど、角が取れ、毒が抜け、面白みも薄れる。『テヘラン』で私が感じた予定調和の匂いは、大企業が抱えがちな安全志向の表れにも見える。

製品でも同じことが起きる。新しい試みは必要だ。だが、市場が本当に欲しているものと、企業が「こうあるべきだ」と描いた未来がズレたとき、製品は熱狂ではなく困惑を生む。私がVision Proに感じたのは、そのズレの匂いだった。技術は認める。だが、あれが世界を一斉に沸かせる方向だったかと問われれば、私はまだ首をかしげる。

ティム・クック退任説が静かに囁かれているのも、単なる人事の話ではない。Appleという企業そのものが、いま一つの時代の終点に差しかかっていることの、無意識の反映に見える。

3️⃣私は、なぜそれでもAppleに賭けているのか

ここで一つ、私自身の立場を明確にしておきたい。私はiPhoneとiPadを長年使い続けてきたユーザーである。とくにiPhoneは3GSの時代から使い始めた。当時、私の周囲でiPhoneを使っている人はほとんどおらず、多くはまだガラケーを使っていた。それでも私は、この小さな端末に「何かが変わる」と直感し、使い続けてきた。

iPhone3GS 日本でiPhoneが普及し出したのは、Iphone4か4Sあたりだった

一方、iPadについては初代モデルの発売直後から使ってきた。iPhoneとは対照的に、iPadは 日本でも初代の時点で一気に社会に浸透し、周囲でも爆発的に使われ始めた製品である。少数派として始まったiPhoneと、最初から大ブレークしたiPadの両方を、私はユーザーとして同時に体験してきた。

パソコンについては長くWindowsやChromebook中心だったが、昨年四月からMac mini M4を導入し、日常的に使っている。私はAppleを外から批判している人間ではない。紛れもなく、初期からこの企業の製品に賭けてきたファンの一人である。

だからこそ、いまのAppleに望むことがある。かつてのように、「次は何を出してくるのか」と胸が高鳴る企業に、もう一度、戻ってほしい。本稿はAppleを貶めるための批判ではない。「好きだった企業に、もう一度ワクワクさせてほしい」という、内側からの失望と期待の記録である。

私はiPhone 3GSの時代に感じた、「これは何かが変わる」という予感を、いまも覚えている。iPad初代が一気に広がっていった、あの熱気も覚えている。あの時代のAppleは、確かに世界を一度、変えた。

だから私は、いまもこの企業に期待している。
もう一度、
「次は何が来るのか」
と胸が高鳴る瞬間を、
見せてほしい。

結語 日本から、次のワクワクは生まれるか

最後に、一つだけ付け加えておきたい。
私は、Appleがもう一度ワクワクする企業に戻ってほしいと願っているが、それと同時に、かつてのAppleが体現していたあの「時代を動かすワクワク感」を、日本企業の中からこそ生み出してほしいとも思っている。

新しい製品が出るだけで社会の空気が変わり、人々が未来を語り始める。
技術が理念ではなく実装によって世界を変え、企業がスローガンではなく製品で語る。
あの時代のAppleが示したのは、単なる成功物語ではなく、「企業はまだ社会を驚かせることができる」という希望そのものであった。

このようなことを語ると、かつてのソニーやパナソニックがそうだったという人もいるが、それは移り変わりの激しい現代において、すでに大昔の物語である。現代の中堅層の人々ももうその時代を全く知らないか、物心がつく前の話である。ソニーの初代ウォークマンの発売は、1979年7月1日である。それを語っても今はあまり意味はない。

もし、次の時代に、
日本からそうした企業が現れるなら、
それはAppleの後継者ではない。
一つの文明の継承者である。

私は、日本企業に、その役割を諦めてほしくない。

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「AppleはiPhoneを米国内で製造できる」──トランプ政権―【私の論評】トランプの怒りとAppleの野望:米国製造復活の裏で自公政権が仕掛ける親中裏切り劇 2025年4月9日
Appleの米国内製造構想を、トランプ政権、中国依存、日本政府の動きまで含めて検証する。思想や娯楽の問題を、供給網と地政学の現実へ一気に引き戻す重要論考だ。

ジョブズが黒タートルを着た理由が今明らかに。きっかけは日本―【私の論評】私たちは、ジョブズ氏のように、日本的なものを再度見直し、自らの活力としていく姿勢が今こそ必要だ!! 2011年10月15日
ジョブズの黒タートルの背景にあった「日本的設計思想」を掘り下げ、理念より形と習慣で組織を動かした強さを描く。いまのAppleの変質を考える上で、最良の対照になる。

前アップルCEO、スティーブ・ジョブス氏死去―【私の論評】ジョブスの半生を写真でたどって見えてくるものは?!!日本人が忘れた世界? 2011年10月6日
ジョブズの半生から、「なぜAppleは人を熱狂させる企業になれたのか」を問い直す追悼論考。本稿の結論で語られる“それでも期待する理由”の原点がここにある。

宮崎駿「iPadは自慰行為そのもの」 「iナントカじゃ大切なものは手に入らない」―日本解体を頑なに信じる妄想老人の仲間か? 2010年7月18日
文化人の説教がテクノロジー評価を歪める典型例を鋭く批判する。「正しさ」が先に立つと現実が見えなくなる病理を、早くから指摘した一本だ。

「iPad」米国発売開始 - Apple StoreはiPad祭り状態に-新たな価値を提供すること、社会変革をすることが現代の企業の存在価値だ!! 2010年4月4日
初代iPad発売日の熱気を記録した記事で、製品が「祭り」になった瞬間の空気が伝わる。本稿の「もう一度ワクワクするAppleを」という結論を、具体的な記憶として裏づけてくれる。

2026年1月24日土曜日

アブダビ三者会談が暴く「冷戦後秩序の終わり」──新秩序と排除できない国・日本


まとめ
  • アブダビの米・露・ウクライナ三者会談は、和平の兆しではなく、冷戦後30年続いた秩序が限界に達したことを示す最初の公式シグナルである。本稿は、この会談が「戦争の終わり」ではなく、秩序の清算交渉の始まりであることを、具体的な交渉内容から明らかにする。
  • ウクライナ戦争の真の原因は2022年ではない。1991年、ソ連崩壊後に世界が意図的に放棄した新秩序設計の失敗にある。本稿は、なぜこの戦争が避けられなかったのかを、30年の制度史から読み解く。
  • そして最大の焦点は日本である。日本は無視される国ではない。排除すればアジアの安定が崩れる中核国家である。本稿は、なぜ日本がすでに「受け身の国」ではなく、新秩序を選ぶ側の国になっているのかを示す。

ウクライナ戦争は、もはや単なる地域紛争ではない。それは、冷戦後30年にわたって維持されてきた国際秩序そのものが、ついに再編の局面に入ったことを意味している。ソ連崩壊によって凍結されたまま放置されてきた国境と勢力圏が、いま、武力と交渉によって現実の形に引き直され始めた。その象徴が、2026年1月23日、アブダビで行われたロシア・ウクライナ・米国の三者会談である。戦火が続く最中に、当事国と最大の介入国が公式に同席する協議が開かれるのは異例であり、ここで起きているのは和平の模索ではない。戦後秩序そのものの設計作業である。

1️⃣三者会談は何を決め、何を決めなかったのか

アラブ首長国連邦の首都アブダビ

多くのメディアは、この会談を「和平の兆し」と報じた。しかし、会談の中身を冷静に見れば、そこに「和平」と呼べる合意はほとんど存在しない。各国政府の発表を突き合わせると、議論の中心はきわめて実務的で限定的なものだったことが分かる。ここで行われたのは終戦交渉ではない。戦争を管理するための最初の本格的な実務会談であった。

第一に話し合われたのは、前線の現状凍結ラインである。どこまでを事実上の停戦線として固定するのか、どの地域を今後の交渉対象区域とするのかという戦線管理の問題であり、ここで扱われているのは領土の最終帰属ではない。まず武力の拡大を止めるために、どこで戦線を止めるかという、きわめて現実的な線引きが議題となったのである。

第二に議論されたのが、段階的停戦の条件である。全面停戦ではなく、エネルギー施設への攻撃停止、黒海沿岸での攻撃抑制、特定地域での重火器使用制限など、限定的な措置を積み上げる方式が検討された。これは和平交渉ではない。戦争を制御可能な規模に抑え込むための戦闘管理の協議である。

第三に確認されたのが、捕虜交換と人道回廊の拡充である。これは象徴的な合意であり、政治的成果として最も公表しやすい分野だが、本質ではない。交渉を継続するための最低限の信頼醸成措置にすぎない。

そして最も重要なのは、最終的な和平条件について、ほとんど何も合意されていないという点である。領土問題、NATO加盟、安全保障保証の枠組みについて、三者の立場は依然として大きく隔たったままであり、そこに踏み込む合意は意図的に避けられている。合意されたのは、戦争を終わらせる条件ではなく、戦争をこれ以上悪化させず、交渉を継続する枠組みだけである。

言い換えれば、アブダビで始まったのは終戦交渉ではない。長期戦を前提とした戦争管理体制の構築である。戦争を終わらせる前に、まず戦争を壊滅的な規模にしないことを優先する段階に、大国自身がようやく入ったのである。

2️⃣ソ連崩壊という歴史的好機は、なぜ放棄されたのか

現在でも維持されているロシアの圧倒的な核戦力

ここで初めて、この会談の歴史的位置づけが見えてくる。ウクライナ戦争の起点は2022年ではない。真の起点は1991年のソ連崩壊にある。ソ連の崩壊は、単なる一国の体制転換ではなかった。それは、第二次大戦後につくられた世界秩序を、根本から再設計できる歴史的好機であった。

本来であれば、この時点で、国連安全保障理事会の構成、常任理事国制度、拒否権の扱い、勢力圏と国境線の再定義を含めた、本格的な新秩序設計が行われるべきだった。だが、世界はそれをしなかった。より正確に言えば、意図的にしなかったのである。

冷戦は終わったが、戦後秩序の中核である常任理事国の構成は、ほとんど手をつけられないまま温存された。とりわけ、ロシアと中国を、拒否権を持つ常任理事国の地位に固定したまま新時代に移行したことは、後の不安定を制度として埋め込む決定だった。ロシアは敗戦国ではないまま帝国を失い、中国は民主化も法治化も経ないまま大国として承認された。この2国に、戦後秩序を拒否できる制度的権力を与え続けたことが、世界最大の制度的失策であった。

その結果、冷戦後秩序は、新秩序でもなければ旧秩序の清算でもない、曖昧なまま凍結された未完の秩序として出発することになった。NATOは拡大し、ロシアは後退した。国境線は形式的に固定されたが、勢力圏の実質的な線引きは意図的に先送りされた。その未清算部分が、ミンスク合意に象徴される凍結された紛争となり、30年後、ついに武力として噴き出したのが、ウクライナ戦争である。

今回の三者会談が意味するのは、この設計されなかった新秩序を、いまさらになって大国自身が、現実の力で書き直し始めたという事実である。

3️⃣この会談が我が国に突きつけている現実

横須賀港に停泊する米空母「ジョージ・ワシントン」

ここで、ロシアを正確に位置づける必要がある。ロシアはもはや経済大国ではない。GDP規模ではインドや韓国を下回り、産業基盤も技術力も、中国や欧米に大きく劣る。それでもロシアが交渉の主役に残るのは、世界最大級の核戦力を持ち、国連安保理常任理事国であり、欧州の安全保障とエネルギーを直接揺さぶれる地政学的位置を持っているからである。ロシアは成長する大国ではない。衰退しても排除できない大国である。

だからこそ、この戦争はロシアを倒す戦争にはならない。ロシアをどこに押し込め、どこまで許容するかを決める戦争になる。そしてその整理を行うのは、ウクライナではない。米国とロシアである。小国の戦争は、いつの時代も、経済力ではなく、強大な軍事力を持つ国の都合で整理される。それが国際政治の現実である。

この現実は、我が国にとって決して他人事ではない。ウクライナで起きていることは、台湾有事、朝鮮半島、そして日本周辺有事の構造とほぼ同型だからである。法的に正しい国境があり、同盟国が存在しても、抑止が崩れた瞬間に、現実は武力によって書き換えられる。その後に残されるのは、交渉の席に座れる国と、座れない国の差である。

ここで、我が国自身の位置を冷静に見つめ直す必要がある。我が国は、世界の中で決して小国ではない。GDP規模では長年にわたり世界上位にあり、現在でも主要7か国の一角を占める。外貨準備高は世界有数であり、国際金融市場における円の存在感はいまなお無視できない。半導体製造装置、素材、精密機械といった分野で、我が国は代替不能な地位を占めている。

さらに重要なのは、我が国の地政学的位置である。我が国は、台湾海峡、朝鮮半島、東シナ海、ロシア極東に囲まれた、アジアの安全保障の要衝に位置している。米国のアジア太平洋戦略は、在日米軍基地を中核に組み立てられており、これを欠いた安全保障構造は現実には成立しない。これは理念ではない。米軍の運用計画そのものが、我が国を前提に構築されているという動かしがたい事実である。

加えて、我が国は米国に取ってインド太平洋地域における最大級の同盟拠点であり、自由主義陣営の補給線と後方基盤を支える中心国家である。エネルギー輸送、シーレーン防衛、情報共有、ミサイル防衛、そのいずれにおいても、我が国を欠いた体制は機能しない。我が国は無視できない国ではない。排除できない国なのである。

それにもかかわらず、我が国自身が、その事実を十分に自覚してこなかった。我が国は長く、自らを受動的な同盟国と位置づけ、秩序の受益者であることに満足してきた。しかし現実には、我が国はすでに、秩序を支える側の大国である。自覚の有無にかかわらず、我が国はすでに、大国として扱われている。

もし、我が国がこの秩序形成の場から排除されるならば、その影響は一国にとどまらない。我が国が不在となれば、台湾海峡の抑止は一気に弱体化し、朝鮮半島の均衡は崩れ、東南アジアの安全保障は連鎖的に不安定化する。アジアの安定は、我が国を前提に組み立てられているからである。我が国が無視され、あるいは排除されるという事態は、すなわち、アジアの秩序そのものが崩れ去ることを意味する。

同盟は、国を守ってくれる制度ではない。交渉の席に座る資格を与えてくれる制度にすぎない。抑止を失った国は、理念でも国際世論でも最終的には救われない。救われるのは、軍事力と交渉力を持ち、自ら秩序の形成に関与できる国だけである。

冷戦後30年、我が国は秩序の受益者であることに満足してきた。しかし今始まっているのは、秩序が壊れ、再び作り直される時代である。その時代に、抑止を持たず、交渉力を持たず、現実の力を持たない国は、必ず整理される側に回る。それは今のウクライナを見れば、自明の理である。

世界秩序は正義によって作られない。理念によっても作られない。それを作るのは、抑止と交渉と、そして現実の軍事力を実装できる国である。

アブダビ三者会談は、ウクライナ戦争の終わりではない。戦後世界の設計図が、静かに書き始められた瞬間なのである。

我が国は、この制度設計の失敗の外側に、偶然踏みとどまってきただけにすぎない。

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ウクライナ戦争の核心は依然として未解決──虚構の平和と決別できるか、高市政権と今度の選挙 2026年1月23日
「和平が近い」という報道の裏で、何が何一つ解けていないのか。本記事は、領土・停戦・外交の“ごまかし”を一つずつ剥がしながら、なぜこの戦争が簡単には終われないのかを明らかにする。今回の「冷戦後秩序の終わり」を読む前に、まず現場で何が詰まっているのかを知りたい読者に最適だ。

グリーンランドは次の戦場──北極圏航路で始まった静かな争奪戦 2026年1月21日
戦争は突然始まるのではない。資源、航路、拠点をめぐる“静かな争奪”の末に始まる。本記事は、北極圏を舞台に、次の世界秩序がどこで先に形づくられているのかを示す。ウクライナの次に世界が動く方向を、先取りしたい読者に強く勧めたい一本だ。

凍結か、回復か──ウクライナ停戦交渉が突きつけた「国境の真実」 2025年12月23日
国境は正義で決まるのか、それとも力で凍結されるのか。本記事は、停戦交渉の設計思想から、国境がどのように“現実的に処理されてきたか”を解き明かす。北方領土、台湾、日本の将来まで一気につながる論点を、腰を据えて理解したい読者に向く。

中国空母「遼寧」艦載機レーダー照射が突きつけた現実──A2/ADの虚勢、日本の情報優位、そして国家の覚悟 2025年12月9日
軍事力が秩序を決める時代に、日本は本当に無力なのか。本記事は、空と海の具体的な情報戦の現場から、日本が実はどこで優位を持っているのかを示す。「排除できない国・日本」という結論を、現実の軍事構造から納得したい読者に必読だ。

中国の歴史戦は“破滅の綱渡り”──サンフランシスコ条約無効論が暴いた中国最大の矛盾 2025年12月6日
新秩序は戦場だけで作られない。条約と正当性の争奪でも決まる。本記事は、サンフランシスコ講和条約を軸に、中国の歴史戦が抱える致命的矛盾を暴く。国際秩序はどこで正当化されるのかを知りたい読者に、強い手応えを残す一本だ。

2026年1月23日金曜日

ウクライナ戦争の核心は依然として未解決──虚構の平和と決別できるか、高市政権と今度の選挙


まとめ
  • ウクライナ戦争は「終わりに向かっている」という演出だけが先行し、領土問題という核心は何ひとつ解決されていない。ダボスでの首脳会談は和平の儀式にはなったが、戦争の根は手つかずのままだ。理念と外交ショーが、現実の戦争を覆い隠している。この構図は、やがて必ず次の危機を生む。
  • この「虚構の平和」は、日本と無関係ではない。台湾海峡、北朝鮮、中国、 北方領土。日本はすでに同じ構造の危機の中にいる。戦争を起きてから止める国で居続けるのか、それとも起こさせず、起きた問題すら解決する国に転じるのか。ウクライナは、日本の未来を映す鏡である。
  • そして、その分水嶺が「今度の選挙」であり、高市政権の行方である。内閣支持率は高いのに、自民党支持率は低い。この乖離は、「高市路線は支持するが、自民党のリベラル・左派は支持しない」という有権者の意思を示している。今回の選挙は、政権を選ぶ選挙ではない。日本が解決国家に転じるかどうかを決める選挙でもある。
世界経済フォーラム2026年会議の舞台、スイス・ダボスで、2026年1月22日、アメリカのドナルド・トランプ大統領とウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が会談した。外形上は友好的な話し合いだったと報じられたが、会談直後、ウクライナ側は明言した。戦争の核心である領土問題は、何ひとつ解決されていない。

この一言が、今回の会談のすべてを物語っている。

これは単なる外交ニュースではない。現在の国際秩序が抱える根本的な欠陥を、これほど端的に示した出来事は、そう多くない。理念と演出で覆われた平和外交の空洞が、ここではっきりと露呈したのである。

1️⃣平和外交の限界──ダボスで何が起きなかったのか

ダボス会議でのトランプ・ゼレンスキー会談

トランプ政権は発足以来、ウクライナ戦争を終わらせる平和構想を掲げ、ガザ問題も含めた包括的枠組みを国際社会に提示してきた。ダボスという舞台は、その演出に最適の場所だった。

だが、現実は冷酷である。

クリミアと東部ドンバスという戦争の核心は、依然として未解決のままだ。戦争終結につながる具体的工程表は存在しない。三者協議も、ようやく準備段階に入ったに過ぎない。それにもかかわらず、国際社会では「和平は前進した」という物語だけが独り歩きする。

私はこれまで、ダボス会議が理念と演出を過剰に重ね、現実の力関係と安全保障を軽視してきたことが、かえって世界の不安定化を招いてきたと書いてきた。今回の会談は、その評価を改めて裏づけるものだった。

だが同時に、トランプの動きを単なる外交ショーと切り捨てるのも正確ではない。

トランプ外交の本質は、ショーと実務を意図的に分離する点にある。表では派手な演出を行い、裏では制裁と軍事圧力と経済圧力を積み上げ、最終的に相手に選択肢のない取引を迫る。この手法は、北朝鮮でも、中国でも、中東でも一貫して用いられてきた。

今回の会談も、領土問題をあえて棚上げし、まず停戦枠組みを作るという、きわめて現実主義的な発想に基づいている。それは理想主義ではない。戦争を終わらせるための冷酷な技術である。

問題は、その技術が、ウクライナ戦争の核心に本当に到達できるかどうかだ。

2️⃣国家は現実をどう扱うか──日本に突きつけられた問い

 日本周辺で中露が行う不穏な動きを示したちず クリックすると拡大します

戦争終結も、国際秩序の再構築も、理念では決まらない。結局は、領土という現実の問題をどう扱うかに尽きる。

今回の会談が示したのは、外交的演出は成立しても、核心は未解決のままであり、多国間フォーラムは実効的な調停の場にはなり得ず、平和構想や保証の約束は軍事現実を抜きにしては意味を持たない、という単純な事実である。

これは日本にとって他人事ではない。

日本は今、台湾海峡、北朝鮮、中国、エネルギー安全保障という複数の戦略課題に同時に直面している。これらはいずれも、理念や演出では解決できない問題だ。現実の力関係と抑止に根ざした戦略判断が不可欠である。

ウクライナ戦争の領土問題は、その象徴だ。どれほど和平演出を重ねても、現実を抜きにした平和構想は、紙に書いた絵に過ぎない。世界は今、表面的な合意を積み重ねながら、核心を先送りし続けている。そして日本もまた、理念の空中戦では勝てない現実に直面している。

3️⃣解決国家への転換──選挙と権力構造の問題

だが、ここで終わってはならない。

この不確かな世界だからこそ、我が国は起こってから対応する国家であってはならない。しかしそれは最低限の条件にすぎない。真に問われているのは、すでに起きてしまった問題すら、解決してしまう国家になれるかどうかである。

北方領土問題は、戦後から続く未解決の現実だ。拉致問題も、長年放置されてきた現実の悲劇である。これらは、記憶と訴えだけで終わらせる問題ではない。解決の方法を探り、現実に解決すべき対象である。

そして重要なのは、これが空想ではないという点だ。国際秩序は転換期に入り、大国間の力関係は流動化し、ロシアも中国も内部に不安定要因を抱え、米国も対外戦略の再構築を迫られている。領土問題や拉致問題が永遠に解決不能である必然性は、もはや存在しない。

必要なのは奇跡ではない。解決を国家目標として明示し、現実的な交渉戦略と圧力手段を組み合わせ、時間を味方につけて実行する持続的な国家意思である。台湾有事は抑止によって起こさせない。同時に、北方領土と拉致問題を、奪還という結果で終わらせる。その積み重ねによってこそ、日本は秩序に従う国から、秩序を更新する国へと転じ得る。

宇宙から見た日本列島

そのために避けて通れないのが、今回の選挙の意味である。

日本が解決国家へ転じるためには、外交・防衛・領土・拉致について明確な方向性を持つ政治体制が不可欠だ。しかし現実には、長年、安全保障を理念論に矮小化し、対中・対露・対北政策を先送りし、抑止を語らない勢力が政治の中枢に居座ってきた。その帰結として、北方領土交渉は凍結し、拉致問題は、2002年から四半世紀近く、実質的に動いていないし、憲法改正は具体化しないまま放置されている。

ここで決定的に重要な現実がある。

高市内閣はすでに誕生し、政権を運営している。そして、内閣支持率は高い水準を維持している一方で、自民党そのものの支持率は低迷している。この異例の乖離は、偶然ではない。

有権者は、高市内閣の対中姿勢、安全保障重視、拉致と領土への明確な姿勢には支持を与えている。しかし同時に、自民党内部に居座るリベラル・左派勢力には、明確な不信と忌避を示している。

内閣支持率は高いが、与党支持率は上がらない。これは、「高市路線は支持するが、自民党のリベラル・左派は支持しない」という、有権者からの明確なメッセージである。

にもかかわらず、この勢力が選挙でも党内人事でも温存され続けるなら、この乖離は必ず政権の足を引っ張る構造的危機に転化する。

今回の選挙は、単に高市内閣を支える選挙ではない。高市内閣の路線と、自民党の内部構造とを、意図的に一致させるための選挙である。

そしてこれは、有権者だけに委ねられる課題ではない。高市内閣自身が、公認、人事、ポスト配分を通じて、自民党リベラル・左派の主導的議員を、意図的に党の中枢から外していかなければならない。

国家戦略の転換とは、政策の変更ではない。人事と権力構造の変更である。

最終結語

不確かな世界に秩序をもたらす国とは、理念を語る国ではない。拍手を集める国でもない。危機を未然に防ぎ、すでに起きた危機すら解決し、現実の力で秩序を実装する国である。

ウクライナ戦争が示したのは、戦争は起きてから止めるものではなく、起きる前に止め、起きてしまった戦争すら終わらせなければならない、という冷酷な教訓だ。

日本は、被害者であり続ける国であってはならない。傍観者であってはならない。台湾有事を起こさせず、北方領土を取り返し、拉致被害者を奪還し、東アジアに新たな秩序をもたらす国。

それこそが、虚構の平和に終止符を打ち、現実の秩序をつくる国家としての我が国の使命である。


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高市解散は「政局」ではない──予算と政策、そして世界秩序の転換点を読み違えるな 2026年1月20日
「解散=政局」という見方を切り捨て、選挙の本当の争点を“予算の思想”と“世界秩序の転換”から描き出す一編だ。今回の記事の「分水嶺は今度の選挙」という結論を、国内政治の現実として裏づけてくれる。

今年のダボス会議でトランプが主役になる──世界秩序は、すでに次の段階へ移っていた 2026年1月19日
人物ニュースに見える出来事を、秩序の更新として読み替える視点が手に入る。なぜ“虚構の平和”が量産され、日本の常識が危うくなっているのか。その答えが、この一編に凝縮されている。

世界経済フォーラムの警告 ──グローバリズムが壊れた世界でこそ日本が必要とされる 2026年1月15日
「最大リスクは戦争ではなく大国間の経済対立」という視点から、世界が本当に恐れているものを整理する。ウクライナ、台湾、日本を“感情”ではなく“構造”で理解したい読者に最適の一本だ。

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2026年1月22日木曜日

ダボス会議は強欲なグローバリズムで世界を壊した──最大の損害を被ったのは中露、日本の立つべき位置


まとめ
  • ダボス会議が称揚した強欲なグローバリズムは、世界を安定させるどころか国家の土台を壊した。その最大の損害を被っているのは、実は中露であるという逆説を、供給網・人口・エネルギーの現実から示す。
  • 欧米が理念と金融に傾く中、日本は製造の核心と現場、さらにLNGを軸としたエネルギー体制を手放さなかった。この「壊し切らなかった選択」が、今なぜ効いているのかを明らかにする。
  • 協調幻想が終わった世界で、秩序は再び工場と人間の手から生まれる。中露でも欧米でもない中で、日本はどこに立ち、何を担うべきなのか。その現実的な位置を示す。
ダボス会議は、かつて「多国間での繁栄」を掲げた。国境を越えた貿易と投資を拡大し、相互依存を深めれば、国家間の対立は和らぎ、世界は安定する。冷戦後、この理念は疑う余地のない正解として受け入れられ、ダボスはその象徴となった。

だが結論から言えば、この構想は失敗したのではない。最初から無理があったのである。それでも止まらなかった理由は単純だ。そこに理想ではなく、強欲があったからだ。

国家は経済合理性だけで動かない。安全保障、権力、体制維持、国内統治、歴史的経験が絡み合って意思決定を行う。それにもかかわらず、ダボスが称揚してきたのは「繁栄が広がれば国家は理性的に振る舞い、対立は消える」という都合のよい物語だった。その危険性を分かっていてそれを無視したのである。ゆえにこれは稚拙な誤解ではない。強欲なグローバリズムである。

1️⃣強欲なグローバリズムが壊した国家の土台

最初に壊されたのは、国家の目に見えない骨格だ。危機対応能力、供給網の冗長性、技術主権、意思決定の速度、そして抑止力である。平時の効率だけを追い、在庫は削られ、供給網は細く長く引き延ばされ、代替ルートは無駄として切り捨てられた。これは偶然ではない。利益を最大化するために意図的に選ばれた道である。

2020年のパンデミックは、その帰結を誰の目にも明らかにした。米国も欧州も日本も、医療用マスクや手袋、基本的な医療資材を十分に確保できなかった。資金はあった。市場もあった。それでも物は届かなかった。高性能マスクの中核素材であるメルトブローン不織布の生産が、特定地域に極端に集中していたからだ。これは市場の失敗ではない。国家が冗長性を捨てた結果である。


同じ現象は軍事分野でも起きている。ウクライナ戦争は、兵器そのものよりも弾薬と生産能力が戦争の持続性を左右する現実を突きつけた。155ミリ砲弾、ミサイル部品、推進剤。西側諸国は、在庫だけでは戦争を続けられず、生産ラインの再構築に年単位の時間がかかることを思い知らされた。
秩序は、金融や理念からは生まれない。工場と人間の手からしか生まれない。
この単純な事実が、ようやく共有され始めたのである。

欧州連合は、相互依存があれば戦争は起きないという幻想の下、ロシアへのエネルギー依存を深めた。だがエネルギーが武器化された瞬間、欧州は選択肢を失い、産業は疲弊し、国民負担は急増した。市場は安さを与えたが、安全と自由は与えなかった。

中国はこの秩序の最大の受益者となった。西側が効率を理由に生産を委ねる中で、中国は世界の工場となり、やがて供給網と国際標準を押さえる側に回った。しかし強欲は必ず自壊する。不動産バブル、地方債務、人口減少、若年失業。現実を無視した成長は、内側から制度を壊し始めている。

2️⃣我が国は何を失い、何を失わなかったのか

強欲なグローバリズムは、我が国にも影響を与えた。しかし、その負のレガシーを最も重く引き受けている国ではない。中露が内側から歪み、次いで欧米が国家基盤を削り過ぎたのに対し、日本はその外側に踏みとどまった国である。

我が国は自由貿易を信じ、国際分業に深く組み込まれた。その過程で、食料や一部供給網への依存を高め、国家戦略としての言語化を怠った。これは弱点である。
しかし同時に、我が国は製造の核心を差し出さなかった。

多くの産業で、設計だけを残し生産を全面的に外注する道を選ばず、工程と現場を国内に残してきた。内製率を極端に落とさず、素材、精密部品、製造装置、工程技術といった分野で独壇場を維持しているのは、その結果である。効率は犠牲になったが、技術の連続性は守られた。


エネルギー分野でも同様だ。我が国は資源国ではない。しかしその制約を逆手に取り、LNGを軸に、長期契約、輸送、受入基地、再ガス化、需要調整を一体で運用する世界最大級のガス供給ネットワークを築いた。特定国に過度に依存しない分散型の体制は、欧州とは対照的である。これは偶然ではない。エネルギーを安全保障として扱ってきた結果だ。

問題は、これらの強みを戦略として束ね切れていない点にある。能力はある。現場もある。だが「何を国家として最優先で守るのか」を明確に示してこなかった。そのため、作れるが、作らせてもらえない局面が生じている。

それでも事実は変わらない。我が国は、強欲なグローバリズムに参加しながら、核心部分を壊し切らなかった国である。傷は負った。しかし致命傷ではない。

3️⃣理論はどう歪められ、ダボスで何が終わったのか

強欲なグローバリズムは、理論によってまともに見えるように装われてきた。比較優位や自由市場といった概念の一部が切り取られ、国家と安全保障という前提を外したまま拡張された。

しばしば名前が挙げられるのが ミルトン・フリードマン である。しかし、彼の自由市場論は本来、主権国家と安全保障の存在を前提とした国内経済論だ。国家の消滅や、相互依存による平和を説いたわけではない。
問題は、ダボス的エリートがその思想を都合よく単純化し、国際政治を捨象した形で誤用したことにある。

ミルトン・フリードマン

誤用が止まらなかった理由は単純だ。儲かったからである。
多国籍企業と金融資本は、利益を最大化し、コストとリスクを国家と国民に押し付けた。これは無知ではない。計算された選択だ。

この流れに決定的な区切りを打ったのが、ダボス会議で示された今回のドナルド・トランプ の発言である。経済的繁栄は安全保障の代替にならない。相互依存は抑止にならない。多国間合意は行動の前提ではない。同盟国であっても例外はない。必要とあれば、単独でも動く。これは挑発ではない。行動原則の宣言だ。

その言葉が 世界経済フォーラム の壇上で語られた意味は大きい。この瞬間、ダボスは世界を決める場ではなく、世界がどう動くかを確認する舞台へと変わった。秩序は修正されたのではない。前提ごと終わったのである。

結論 日本は「立て直し役」に立てる国だ

世界を誤らせたのは理論ではない。強欲である。その代償を最も重く引き受けているのは中露であり、次いで欧米だ。日本はその外側に踏みとどまり、製造とエネルギーという現実資産を保持している。

これからの世界秩序は、強欲ではなく抑止によって、正しさを装う理念ではなく実装によって支えられる。秩序は、高邁に見える理想からではない。農場や工場や軍隊、そして人間の手から生まれる。
その条件を、我が国はまだ失っていない。

日本は被害者ではない。
立て直し役になれる国である。

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