2025年8月4日月曜日

国家の内側から崩れる音が聞こえる──冤罪・暗殺・腐敗が示す“制度の限界”と日本再生の条件

 まとめ

  • 大川原化工機事件は、公安部幹部の無知と独善によって引き起こされた冤罪であり、組織的責任が問われている。専門知識の欠如や現場の声の無視が、無実の企業と個人の人生を破壊する結果となった。
  • 安倍元首相暗殺事件は、発生から3年経過しても公判すら始まらない異常事態であり、司法と警察の説明責任が欠落している。事件当時の奈良県警本部長が中国系企業に天下った事実も含め、国家の中立性に対する疑念が深まっている。
  • 国家権力の暴走を防ぐには、独立監査機関や冤罪調査委員会、警察倫理法などの制度改革が必要である。権力を正しく運用し制御する仕組みなしには、民主国家の信頼は維持できない。
  • 一方で、国家権力を悪用しようとする外国勢力、反政府・反日勢力への対処も不可欠である。制度の透明化だけではなく、外部からの浸透を防ぐ「防衛の制度化」が急務である。
  • 包括的スパイ防止法の導入こそが、日本を内外の脅威から守る最終防波堤となる。主権国家としての独立と安全保障を守るためには、権力の制御と防衛を両立させる法整備が必要である。
 
国家権力による誤った捜査──大川原事件の本質
 
大川原化工機を巡る冤罪事件で、警視庁が重大な組織的過失を認める方向で検証結果をまとめ、報告書を公表する方針を固めた。2020年、同社の社員らは外為法違反容疑で逮捕されたが、その根拠となった噴霧乾燥装置は、後に専門家の検証により輸出規制の対象ではないと判明。2021年、東京地検は起訴を取り消し、完全な冤罪であることが確定した。

この事件で問題視されたのは、警視庁公安部の捜査指揮である。現場の捜査員が「軍事転用性は低い」との懸念を示していたにもかかわらず、幹部は耳を貸さず、誤った捜査方針を突き進んだ。外為法の理解も甘く、経済産業省や外部専門家との連携も皆無に等しかった。その結果、無実の企業と社員が社会的信用を奪われ、企業活動にも甚大な損害がもたらされた。


警察庁は、この事態を重く見て当時の幹部に対する訓告・戒告処分を検討している。報告書は早ければ8月中にも公表される見通しであり、警察組織全体に対する再発防止策の徹底が求められる。

この事件は、国家権力が技術的知識の欠如や独善的な判断によって、いかに個人と企業の人生を破壊し得るかを示す典型例だ。
 
安倍暗殺と司法の沈黙──構造的腐敗の証明
 
だが、問題はここに留まらない。2022年7月8日に発生した安倍晋三元首相の暗殺事件は、さらに深い国家の構造的危機を突きつけている。あの衝撃的な事件から3年が経過した今もなお、公判は始まっていない。公判前整理や精神鑑定を理由に、異常とも言える引き延ばしが続いているのだ。これは殺人事件としては異例であり、司法が国民に対して説明責任を果たしていない証左である。


さらに注目すべきは、事件当時の奈良県警本部長・鬼塚友章氏が退官後、中国との関係が深い企業「NECソリューションイノベータ」に天下ったという事実である。同社は中国の監視システム事業に関与しており、安全保障上の懸念が以前から指摘されていた。このような人事が、安倍元首相という「中国に最も厳しかった政治家」の暗殺後に行われたことに、強い違和感を覚えるのは当然であろう。

ここで問題の核心が見えてくる。それは、日本の官僚機構に深く染みついた「責任逃れの文化」と「自己保身の制度化」である。現場の声が無視され、外部からの監視も機能不全に陥っている。そして、外国勢力の影響が間接的にでも及んでいるなら、それはもはや我が国の主権と安全保障に関わる重大事だ。
 
真の改革と防衛──スパイ防止法を含む制度再設計の必要性
 
ただし、国家権力の暴走ばかりを声高に批判するのは愚かである。警察や検察は、秩序と治安の維持に不可欠な存在だ。これを全否定すれば、無秩序と混乱が広がり、国家の足元が崩れかねない。真に問うべきは、権力の存在そのものではなく、その「運用の正しさ」と「統制の仕組み」である。

よって、今こそ制度の再設計が必要だ。警察・検察の暴走を抑えるには、独立した第三者機関による監査制度(仮称:警察・検察行動監査庁)の設立が不可欠である。さらに、国家公務員の「天下り」に対する国益審査制度、冤罪を継続的に検証する常設の「冤罪調査委員会」、警察官の行動規範を明文化する「警察倫理法」なども併せて導入すべきだ。

だが、これらは「国家権力の内側」を律する仕組みにすぎない。見落としてはならないのは、国家の制度そのものが、外国勢力や反政府勢力、さらには反日勢力に「悪用される危険」だ。彼らは、言論の自由や人権、学問、宗教といった仮面をかぶり、日本の内部に巧妙に浸透している。こうした勢力を野放しにするならば、国家は内部から腐食していく。

諸外国には包括的スパイ防止法が存在するが我が国にはない

だからこそ、スパイ防止法の導入が急務である。我が国は先進国で唯一、包括的なスパイ防止法を持たない。この法の空白が、外国の諜報活動や国内の協力者によって悪用されてきた現実がある。スパイ活動、国家機密の漏洩、国家転覆行為に対して明確な法的制裁を加えるとともに、大学・報道・公共機関に対しても安全保障上の透明性を義務づけるべきである。

国家権力を制御する制度と、国家を守る制度。その両輪がなければ、日本は真に自由で独立した主権国家にはなれない。大川原事件、安倍暗殺事件、そして警察・検察の腐敗も、その仕組みが欠落していることの警鐘である。

我々は今こそ、「怒り」を「制度」に変え、「不信」を「改革」に変える覚悟を持たねばならない。国家の礎を立て直す。それが今この瞬間に我々がなすべきことである。

【関連記事】

安倍暗殺から始まった日本政治の漂流──石破政権の暴走と保守再結集への狼煙 2025年8月2日
安倍暗殺から始まった保守潰しと石破政権の暴走。高市封じ、80年談話、財政緊縮…メディアが報じない日本の真実とは?

次世代電池技術、機微情報が中国に流出か 潜水艦搭載を検討中 経産相「調査したい」―【私の論評】全樹脂電池の危機:中国流出疑惑と経営混乱で日本の技術が岐路に 2025年3月2日

<独自>中国企業、帰化元社員に情報要求か 山村硝子の独自技術流出―【私の論評】中国国家情報法を背景に考える日本のスパイ防止と営業秘密保護 2023年10月17日

産総研の中国籍研究員を逮捕 中国企業への技術漏洩容疑―【私の論評】LGBT理解増進法よりも、スパイ防止法を早急に成立させるべき 2023年6月15日

多くのナゾ残し「捜査終結」安倍元首相の暗殺事件 山上被告を追起訴も…消えた銃弾、遺体の所見に食い違い、動機など不可解な点―【私の論評】岸田首相は、政府主導で委員会を設置し安倍元首相暗殺事件の検証・報告にあたらせるべき 2023年3月31日

#スパイ防止法 #情報戦 #安全保障 #国家を守れ

2025年8月3日日曜日

「核を語ることすら許されない国」でいいのか──ウクライナ、北朝鮮、そして日本が直面する“抑止力”の現実

まとめ

  • 塩入清香議員の「核武装は安上がり」という発言は、現実的な安全保障論の一環であり、感情的な批判ではなく冷静な議論が必要である。
  • ウクライナの核放棄とロシアの侵攻は、核抑止の喪失が重大な結果を招くことを示しており、核の有無が国の存続に関わる可能性を裏付けている。
  • 北朝鮮の核は、その是非は別として、中国の朝鮮半島支配を抑制する抑止力として現実に機能しており、地域の勢力均衡に寄与している。
  • 日本は唯一の戦争被爆国であるからこそ、核の非人道性と同時に抑止力としての現実的な側面も語る資格と責任がある。
  • 平和は祈りや理念だけでは実現せず、力と抑止と戦略によって守られる。今こそ日本は「核」という言葉に過敏にならず、現実を直視し、国家として安全保障の議論を進めるべき時である。

■「核は安上がり」発言への過剰反応と我が国の現実
 
2025年7月、参政党から参議院に初当選した塩入清香(さや)議員が、ネット番組で「核武装が最も安上がりで、安全保障を強化する手段の一つだ」と発言した。この一言が、即座にマスコミの猛批判を浴びることとなった。

塩入氏は、北朝鮮でさえ核を持ったことで、かつてのトランプ米大統領と直接対話できた事実を引き合いに出し、核が交渉力の源になっている現実を指摘したにすぎない。だが、広島市の松井一実市長は「安上がりではない。的外れだ」と切って捨て、メディア各社も「非人道的」「被爆地への冒涜」と断じた。


しかし、我が国が直面している現実を見れば、塩入氏の発言は決して過激なものではない。むしろ、核アレルギーに支配された我が国で、ようやく口を開いた現実派の第一声である。我が国は中国、北朝鮮、ロシアという核保有国に囲まれている。アメリカの核の傘に全面的に依存するだけで、果たして国民の命を守れるのか。こうした根本的な問いすら、公然と議論できない状況こそ異常である。

塩入氏は、今すぐ核を持てとは言っていない。核という選択肢を封じるべきではないと訴えたにすぎない。それに対し、「議論すら許さぬ空気」で封じ込めようとする側こそ、民主主義の本質を危うくしている。
 
■ウクライナと北朝鮮が示す「核抑止」の現実
 
核兵器の維持には確かに巨額のコストがかかる。しかし問題は、コストの多寡ではない。「何を守るためにその代償を払うのか」である。通常戦力の維持・拡充には膨大な予算と人員が必要だが、核兵器は少数で絶大な抑止力を発揮する。現実の戦争を防ぐ最後の切り札としての価値は圧倒的だ。

ウクライナの例がそれを物語る。1991年、ソ連崩壊とともにウクライナは大量の戦略核兵器を継承し、名目上は世界第3位の核保有国となった。だが1994年、米英露との「ブダペスト覚書」に基づき、すべての核弾頭はロシアへ返還、一部の発射装置や関連施設は現地で解体・廃棄し、見返りに安全保障の保証を受けたはずだった。

ウクライナ中部の旧ソ連軍戦略ミサイル基地跡。核兵器を放棄した後、博物館になった

しかし2014年、ロシアはクリミアを奪い、2022年には全面的に侵攻した。国際社会は条約違反を非難するだけで、ウクライナの主権は踏みにじられた。重要なのは、もしウクライナが核を保持し続けていたならば、ロシアは侵攻をためらった可能性が高いという点である。もちろん、当時ウクライナには核の発射制御権限がなかったという技術的事情はある。しかし、核が「ある」という事実そのものが、抑止として機能した可能性は極めて高い。

北朝鮮も同様だ。彼らの核は日本や米国を威嚇する道具であると同時に、中国をも牽制する手段となっている。米国の戦略家エドワード・ルトワックは、北朝鮮の核保有が東アジアのバランス・オブ・パワーを保っていると指摘する。北に核がなければ、朝鮮半島全体が中国に飲み込まれ、「朝鮮省」あるいは「朝鮮自治区」と化していた可能性は否定できない。

その場合、日本は三方を中国の影響圏に囲まれる地政学的危機に陥っていた。韓国は形式上独立していても、実態は中国の属国になっていたかもしれない。台湾もまた、完全に包囲された状態となり、中国の圧力に屈する可能性は格段に高まっていたであろう。

北朝鮮の核開発は国際社会の秩序に反しているとの批判があるのは当然だ。その是非は別としても、力による均衡が現実に成立しており、それが中国の朝鮮半島支配を抑制しているという地政学的効果を、我々は見逃してはならない。
 
■唯一の被爆国こそ、核の現実を語る資格がある
 
そして忘れてはならないのは、我が国が唯一の戦争被爆国であるという現実だ。広島と長崎に原爆が落とされ、数十万の民間人が命を落とした我が国は、核の非人道性を知る立場にある。しかし、それと同時に、我が国は戦後一度たりとも戦火に巻き込まれていない。その背景には、米国の核抑止が機能してきたという現実もある。

194589日、長崎で原子爆弾が投下された直後に浦上地区の三菱兵器(工場)付近撮影された写真


1998年、インドが核実験を実施した際、我が国政府は強く抗議し、広島・長崎両市も非難声明を発した。だが、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の一部からは、「我が国だけが核を持たず、他国に任せるのは本当に安全なのか」とする声が上がった。核の恐怖を誰よりも知る被爆者自身が、逆に「持たないことの危うさ」に言及したのである。これこそ、真のリアリズムである。

「唯一の被爆国だからこそ核を否定すべき」という思考停止ではない。「唯一の被爆国だからこそ、核の抑止力を誰よりも冷静に語る資格がある」という視点があって然るべきだ。平和を願うからこそ、現実と向き合う必要がある。

真の平和は、祈りだけでは実現しない。力と抑止、そして戦略があって初めて守られる。我が国は今こそ「核」という言葉に怯えるのをやめ、現実を直視すべきである。塩入清香議員の発言は、長らく封じ込められてきた「真の国防」を語る一歩だった。それを感情的に封殺するのではなく、冷静に受け止め、国家として真剣に議論すべき時が来ている。これは彼女個人の問題ではない。我が国の生存に関わる極めて重大なテーマである。

【関連記事】

日米が極秘協議──日本が“核使用シナリオ”に踏み込んだ歴史的転換点(2025年7月22日)
日米が拡大抑止の具体化に向けた戦略協議を進め、日本が核使用の現実性に向き合い始めた転機を解説。

日米が極秘協議──日本が“核使用シナリオ”に踏み込んだ(2025年7月27日)
抑止力としての核の現実に向き合う必要性を論じ、非核三原則に揺らぐ日本の姿勢を鋭く描出。

安倍晋三元首相と南アジアの核戦略:核のトリレンマと日本の選択(2025年5月8日)
インド・パキスタン・中国の核戦略に照らして、日本が選択すべき抑止のかたちを問う。

米戦争研究所、北朝鮮のウクライナ派兵で報告書 実戦経験を…(2024年11月3日)
北朝鮮がロシアと連携してウクライナ戦争に関与することで、核を含む軍事的信頼性を高めようとする戦略を分析。

ロシア派兵の賭けに出た金正恩──北の核は中国にも脅威(2024年10月27日)
北朝鮮の核が中国の朝鮮半島戦略にブレーキをかけるという、逆説的な抑止効果に着目した記事。

#核抑止 #日本の安全保障 #我が国を守れ #塩入清香

2025年8月2日土曜日

安倍暗殺から始まった日本政治の漂流──石破政権の暴走と保守再結集への狼煙

まとめ

  • 安倍晋三元首相の暗殺は、日本政治の地殻変動を引き起こした本質的契機であるにもかかわらず、裁判すら始まらず真相は封印されたままである。
  • 「統一教会問題」や「裏金問題」は安倍派を狙い撃ちにした印象操作であり、他派閥や野党にも同様の問題があったにもかかわらず、メディアは黙殺した。
  • 2024年の自民党総裁選では高市早苗氏が初回最多得票だったにもかかわらず、圧力と票操作で石破茂が勝利。以後、石破政権は安倍政治を真っ向から否定する政策を推進し始めた。
  • 2025年の参院選では与党が惨敗し、石破政権への国民の「ノー」が突きつけられたが、石破首相はなお政権にしがみつき、戦後80年談話で謝罪路線を強調する構えを見せている。
  • 安倍政治の継承と保守の再興には、次期総裁選での高市早苗擁立が不可欠であり、ネット・街頭・議会のあらゆる場で声を上げ、国のかたちを守り抜くことが我々国民の責務である。


安倍暗殺が引き金となった政治の地殻変動
 
2022年7月8日、奈良で安倍晋三元首相が暗殺された。この衝撃的事件は、単なる一政権の終焉ではない。日本政治の潮目を根底から変える、本質的な地殻変動であった。

しかし、この事件は未だに裁判すら始まらない異常事態のまま、「単独犯によるテロ」と一方的に断定され、背後関係や政治的影響の検証は封印された。安倍という国家の柱を失った直後、メディアは一斉に「統一教会と自民党の癒着」という印象操作に走った。だが、実際には安倍政権こそが霊感商法に対して監視と摘発を強化し、被害相談件数も減少していた。問題視されたビデオメッセージも、トランプ元米大統領や潘基文元国連事務総長といった国際要人が登壇する日韓友好や朝鮮半島の安定を重視する外交的文脈における行動であり、教団そのものの擁護や支持とは異なる。


一方、「裏金問題」とされた政治資金問題も、その実態は報告書の記載漏れが大半であった。検察も安倍派の多くを不起訴とし、不正使用や私的流用などは立証されなかった。それにもかかわらず、「裏金」という強烈なレッテルが独り歩きし、政治家たちはまるで汚職犯のごとく糾弾された。まさに、運転免許証忘れた者に「無免許運転」と叫ぶような暴論である。

しかも、この問題は石破派や岸田派、さらには野党にも及んでいたが、メディアはそれを報じなかった。公平性も正義も、メディアの口からは死んだも同然だった。そして今、政権の中枢にいるのは、そうした空気を利用してのし上がった石破茂なのである。

無論、他の野党などの勢いが伸びていることは良いことだが、それにしても現状では石破こそが日本の国の行方を左右する可能性を秘めており、本人もその気満々である。日本の国の形、国柄が変えられる脅威は現実に存在する。それは絶対に阻止しなければならない。

総裁選での裏切りと独裁体制の誕生
 
2024年自民党総裁選のポスター

2024年の自民党総裁選では、高市早苗が初回投票で議員票・党員票ともに最多得票を獲得し、圧倒的な支持を得た。だが、決選投票では裏での票操作と圧力により、形勢は一転した。「高市に推薦人を出せば刺客を送る」との脅しが飛び交い、党内に高市包囲網が完成していた。そして最終的に石破茂が勝利し、自民党総裁に就任した。

その直後から、石破政権は安倍政治の逆を行き始めた。防衛白書から「台湾有事」という文言は消され、防衛費は名目上増加したが、弾薬整備費や研究開発費は削られた。財政運営は緊縮一辺倒に逆戻りし、育成就労制度の名を借りて移民拡大が進められた。経済は低迷し、物価高と実質賃金の低下が続いた。

石破自身は記者会見で「神から与えられた使命」と語り、王権神授のごとき陶酔に陥った。政党内での異論は公認権と処分で封じ込められ、総裁選で高市に賛同した議員たちは閣外に追いやられた。まさに独裁そのものである。

2025年7月の参院選では、与党は改選議席で惨敗し、非改選を含めても過半数を割った。自民・公明両党が参院で少数派になるのは1955年以来初である。国民の審判は、石破政権に「ノー」を突きつけたのである。

その余波は党内にも及んだ。若手議員らによる石破辞任要求、両院議員総会の開催要請が相次いだ。一方、左派市民団体による「石破やめるな」のシュプレヒコールという異様な光景も生じた。また、自民党議員の中でも、石破続投を支持する者が少数ながら存在する。

歴史観の塗り替えと保守の再結集
 

石破首相は2025年8月15日、戦後80年の節目に新たな首相談話を構想している。「なぜあの戦争にわが国は突っ込んでいったのか。もう一度歴史に謙虚に学び、日本の平和は尊い犠牲の上にある」と語る姿勢は、戦争責任にこだわり続けるものであり、自虐史観への回帰とも言える。

対照的に、2015年の戦後70年談話において、安倍元首相は侵略やおわびに言及しながらも、「謝罪を次世代に背負わせない」と明言した。これこそが安倍談話の本質であり、未来志向の国家ビジョンであった。石破の談話構想は、これを上書きし、日本人に再び「罪の意識」を背負わせようとする危険な企てである。

全国では、財務省への抗議デモが勃発した。数千人規模の若者が「消費税廃止」「財務省解体」を掲げ、霞が関を包囲した。SNSでは「ザイム真理教」という言葉がトレンド入りし、財政政策への反発はかつてない規模となっている。

こうした一連の動きは、安倍晋三という保守の象徴を喪失した国家が、漂流を続ける様を如実に示している。にもかかわらず、石破は政権にしがみついている。だが、現実は明らかだ。石破政権は、三度の審判を受けている。2024年の総裁選での裏切り、2025年参院選での敗北、そして街頭からの抗議――すでに「信任なき政権」なのである。

答えは、もはや選挙に委ねて済む段階ではない。石破政権の暴走を止めるには、保守層が結束し、次の総裁選に向けて徹底的に「高市早苗擁立」の機運を高めねばならない。沈黙していては、国が滅びる。メディアの偏向に抗い、ネットでもリアルでも声を上げ続け、保守の旗を再び掲げ直す時が来たのだ。政権を取り戻し、安倍晋三が命を賭して築こうとしたこの国の未来を、我々自身の手で守り抜かなければならない。それこそが、今を生きる我々国民の使命である。

【関連記事】

2025年参院選と自民党の危機:石破首相の試練と麻生・高市の逆襲(2025年6月25日)
参院選を巡る政局構図と、保守派による高市・麻生連携の戦略を分析。

自民保守派の動き活発化 安倍元首相を支えた人たちの再結集(2025年5月22日)
石破政権への対抗軸として結集する高市・麻生ら保守派の動きをレポート。

石破政権延命に手を貸す立民/国民民主と好対照(2025年3月29日)
商品券配布などの施策を軸に政権延命を支える勢力とその限界を追う分析。

石破 vs 保守本流 勃発!自民党を揺るがす構造的党内抗争(2025年7月17日)
参院選を「自民党の枠組みさえ揺るがす構造改革の契機」と見る視角で描写。

与党が物価高対策で消費減税検討 首相が補正予算を指示(2025年4月11日)
若者デモや財務省派との対立を背景に、首相が消費税減税に動く経済政策の混乱と展開を報告。

2025年8月1日金曜日

ナチスを“悪魔化”し続けるドイツの欺瞞──それを礼賛する日本の愚

 まとめ

  • ドイツはナチスを絶対悪として切り離し、国民全体の責任を曖昧にすることで、過去と真に向き合うことを避けている。
  • ナチスによるポーランド支配は、教育の抹殺や知識人の排除など、民族文化そのものを破壊する苛烈なものであった。
  • 現代ドイツはAfDの支持拡大を「極右」「ファシズム」と決めつけ、移民問題への国民の批判すら封じようとしている。
  • 日本は台湾や朝鮮に帝国大学を設け、現地人が学問の機会を得ていた事実を、欧米型植民地とは異なる歴史として正当に語るべきである。
  • 「ドイツは立派に謝罪した、日本は反省していない」という言説は虚像であり、ドイツの責任回避の欺瞞と、日本の自虐史観が合わさった危険な幻想である。

 「戦後80年、ドイツはいまだにナチスと向き合い続けている」。そんな美談が日本のメディアでは繰り返し報じられている。だが、現実のドイツは“歴史との対決”などしていない。ただひたすら「ナチス」という虚構の悪魔を仕立て上げ、自らの罪をそちらに押しつけているだけだ。

ナチスの罪とは、ヒトラーと側近だけが犯したものなのか。違う。数百万のドイツ国民が選挙でナチスを支持し、歓声を上げて戦争に協力した。ナチスを選び、熱狂し、最後まで支えたのは紛れもないドイツ国民そのものである。にもかかわらず、ドイツは「ナチス=別物」という構図をつくり、自国民の加担責任から目を背け続けている。

ナチス党大会

その背景には、歴史の文脈を意図的に切り離す姿勢がある。第一次世界大戦の敗北、ヴェルサイユ条約による国民の屈辱、共産主義の脅威、社会の混乱——こうした要因に触れようとしない。まるで、ナチスは地獄から突然湧いて出た“絶対悪”だったかのような語り口である。

この“ナチスの悪魔化”は、実はドイツ社会の責任逃れに他ならない。そして、こうした歪んだ歴史観に異を唱える学者は、国内で徹底的に封殺されてきた。歴史家エルンスト・ノルテは、ナチスの所業をスターリン体制など他の全体主義と比較する文脈で理解すべきだと主張したが、彼は“歴史修正主義者”と糾弾され、学界から追放同然の扱いを受けた。

西尾幹二氏もこう指摘する。ドイツは“ナチス”を悪魔に仕立て、その陰に自国民の責任を隠した。しかも、その手法を日本にまで輸出した。戦後日本の知識人の多くが「ドイツは立派に反省した」と持ち上げたが、実態は違ったのである。
 
ナチスの「悪」を隠れ蓑にしたドイツの抑圧と矛盾
 

ドイツ軍のポーランド侵攻

ナチスの犯罪で語られるのは、たいていユダヤ人迫害ばかりだ。だが、ドイツの東方政策の中でも、とりわけ残虐だったのはポーランド支配である。学校は閉鎖され、知識人は逮捕・処刑、一般市民は強制労働。ナチスの幹部の中には、「ポーランド人は500まで数えられれば十分だ」と公言した者までいた。これは教育の否定、民族文化の抹殺であり、計画的な文明破壊である。

そして今、ドイツではAfD(ドイツのための選択肢)という保守政党が支持を伸ばしている。だが、識者やメディアも彼らの政策には目を向けず、「ナチスの再来」とレッテルを貼って排除しようとする。移民問題やEUの暴走に苦しむ国民の声に耳を傾けるどころか、それを“過去の亡霊”に仕立てて黙らせようとするのだ。

これは、まさに「歴史との対決」ではなく、「歴史を盾にした現在の否認」である。いかなる過去も、現在の国民の口を封じる理由にはなり得ない。過去を道具にして国民の怒りを抑え込むことほど卑劣な行為はない。
 
自虐史観に呑まれた日本こそ立ち止まれ
 
一方、日本はどうか。日本もまた、「ドイツは反省した、だから日本も見習え」と言われ続けてきた。だが、ドイツがナチスに責任を押しつけ、国民の加担を曖昧にしたのに対し、日本はあらゆる戦争責任を“国家全体の罪”として引き受け、自国を徹底的に否定してきた。

たとえば、日本が朝鮮半島や台湾に設立した台北帝国大学や京城帝国大学では、現地出身の学生が実際に入学し、学問の道を歩んでいた。当時の朝鮮の道議会(日本の県議会などに当たる)の議員の8割は朝鮮人だったとされる。これらは単なる「支配」ではない。文明の共有であり、教育という未来への投資だった。

京城帝国大学医学部卒業記念アルバムのオークションサイトの紹介画像(右下の写真が実物の写真)

日本は鉄道を敷き、上下水道を整え、法制度と医療を導入した。ポーランドを破壊しつくしたドイツとはまったく違う道を歩んできた。にもかかわらず、我々自身がそれを正面から語ろうとしない。

2005年、小泉純一郎首相が「ドイツは謝罪したが、日本はしていない」と言われた際、堂々と反論すべきだった。日本は何度も謝罪してきた。にもかかわらず、その事実すら発信しようとしない。これでは国家の誇りも主権も守れない。

日本の教科書では、「ドイツは謝罪し、国際社会から尊敬された」と書かれ続けてきたが、実際のドイツは、謝罪の仮面の裏で国民の責任を巧妙に免れ、今なお歴史の罠に囚われ続けている。ドイツが“歴史修正の罠”から抜け出さない限り、真の民主主義国家にはなれないだろう。
 
日本よ、偽りの“模範国家”を崇めるな
 
そして、日本もまた、「ドイツ=善、日本=悪」という歪んだ史観から目を覚まさぬ限り、国家として健全にはなれない。過去の一部を針小棒大に語り、文明の成果や正当な行為を黙殺するような国が、どうして世界に誇れる未来を築けるのか。

歴史とは、過去を使って現在を縛るための道具ではない。過去を正しく見つめ、未来をつくるための礎である。

【関連記事】

三笠宮妃百合子さま - 戦火と平和を見つめた慈愛の眼差し(2024年11月1日)
戦後日本の精神的基盤や「誇りある日本人」の姿に触れ、歴史観の是正を主張。

1300人が居住「埼玉・川口市をクルドの自治区にする」在クルド人の問題(2023年9月17日)
ドイツなどの移民問題と統合政策の破綻を論じ、移民政策の難しさを指摘。

「日本は成功例の先駆け」米国が大絶賛したコロナレポートの衝撃内容(2020年6月16日)
日本の実績や評価が正しく伝わっていない実情を論じ、「日本の文明的貢献」を指摘。

ナチスドイツのポーランド侵攻から80年―戦争責任をナチスに押し付け、自分たちもナチスの被害者とするドイツ (2019年9月2日)
ドイツがいま、ポーランドから「戦争賠償」を請求されています。ドイツ政府は1953年に解決済みとしているが、なぜポーランドは21世紀に入ってから賠償請求しているのか。

倉山満「朝鮮人を人間扱いしたから大日本帝国は滅びた」(2013年11月23日)
日本の植民地政策の実態と日本の道義的姿勢を論じ、帝国大学や教育制度による日本の貢献を強調。

国家の内側から崩れる音が聞こえる──冤罪・暗殺・腐敗が示す“制度の限界”と日本再生の条件

  まとめ 大川原化工機事件は、公安部幹部の無知と独善によって引き起こされた冤罪であり、組織的責任が問われている。専門知識の欠如や現場の声の無視が、無実の企業と個人の人生を破壊する結果となった。 安倍元首相暗殺事件は、発生から3年経過しても公判すら始まらない異常事態であり、司法と...