2007年4月30日月曜日

ピザ・テンフォー 5月1日よりあの人気ピザ3品復刻! + おいしさ宣言

今回の復刻ピザは、

【1991年登場!】斬新さと旨さがドッキング、支持率NO.1の復活です。

→ スペシャル←

【1998年登場!】大葉の爽やかな風味でたっぷりの海の幸をどうぞ。
       →シーハーブ←

【1991年登場!】ホットな辛さがやみつきになるかも!元祖ちょいワルピザ、リバイバル。
        →インディアンライス←

さて、あなたは上記三品食べたことがありましたか?食べたことのある人はその感想を!
そうでない方ももし食べられたら感想を寄せてください!


さらに、テンフォー美味しさ宣言
ピザのおいしさのキメテはやっぱりチーズ。テンフォーでは、良質で安心なデンマーク産[DANISH]をはじめ4種のチーズをブレンドし、どのトッピングよりも最も多く使用しています。そしてさらに、おいしさを追及した結果、ピザ全品、チーズを増量(平均3割)たっぷり&ヘルシーな美味しさをどうぞ!

※『チーズ』ヘルシーなおいしさのヒミツ!
・チーズの美容効果・・・・肌の健康に効果があるとされているビタミンAやビタミンB2が豊富
・アンチエージング・・・ほぼ全種類のアミノ酸が含まれており、魚などには余り含まれていない必須酸が豊富です。
・元気の源!・・・・・・カルシュウムやアミノ酸も多く含まれてるので、現代人に必要な栄養成分をおいしく手軽にとることができます。

『チーズ増量のびっくりセンセーション!?』
テンフォーの人気メニュー「カントリー男爵」を食べていましたが、どう頑張っても、どんなに綺麗に食べようと思っても、
ビザ一切れを取ると、チーズとコーンが落ちてしまいます!こんなに多いチーズの量は、日本ピザ宅配業界では空前絶後の量だと思います。


2007年4月29日日曜日

Beatnik's Movie Pictures

ブログ用素材

本日はビートニクス映画の特集とさせていただきます。上のアイコンをクリックしてください。私のウェブ・アルバムにリンクしています。あのなつかしの、ジェームス・ディーンやマーロン・ブランドの若いころの写真などがでてきます。1950年代だけではなく、1970年代まであたりまで入っています。良くも悪くもビートニクスには日本も影響を受けています。
これらの映画については、もうすでに説明したものもありますが、また説明していないものについては、これから説明していく予定です。よろしくお願いましす。

2007年4月28日土曜日

The Source

以前ビートニクの話を掲載しましたが、これを知るには、多くの解説書や書籍を読むよりも映画ビートニクを見ていただくのが一番判りやすいです。以前、何の前置きもなく、アメリカのBOBOsの話など掲載していたら、何となく分かりにくいというメールが寄せられました。良く考えて見ると、多くの日本の人はビートニクについてあまり予備知識がない人が多いのでそのためかも知れないと思い、掲載しました。確かに、ビートニク→ヒッピー→BOBOsという移り変わりが判らないと理解しにくいと思います。良く知らない人は、このブログ以外にも他の資料などに目を通されると良いと思います。

映画ビートニク(The Source)は、アレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズの3人を中心に、1950年代にアメリカで始まったビート・ジェネレーションの今日に至るまでの歴史を、膨大な映像クリップとインタビューでまとめた作品です。ビートの歴史を多彩な音楽で甦らせ、さらに未来へとつづくビートのスピリットを綴った驚愕のドキュメンタリー・コラージュです。在りし日のギンズバーグ、ケルアック、バロウズを、それぞれ、ジョン・タトゥーロ、ジョニー・デップ、デニス・ホッパーが演じています。ビートについて証言するのは、グレゴリー・コーソ、マイケル・マックルーア、ゲイリー・スナイダ-ら同時代のビート詩人や作家ケン・キージー、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアらです。この他、作家のポール・ボウルズやノーマン・メイラー、映画作家のシャーリー・クラーク、抽象画家のロバート・マザーウェル、音楽家のフィリップ・グラスも数カットでています。ミュージシャンのボブ・ディランらの映像も引用されています。

『ビートニク』は映画の完成を見ずに1997年に他界したアレン・ギンズバーグに捧げられている。製作総指揮に名を連ねるヒロ・ヤマガタはギンズバーグの旧知の友人。94年にアレン・ギンズバーグ、グレゴリー・コーソの依頼により共同で企画に奔走。97年にギンズバーグとバロウズがあいつで他界。完成が危ぶまれたものの、ヤマガタ個人の資金で99年完成に至った。


■映画の情報■
邦題:『ビートニク』原作題:"The Source"

監督 チャック・ワークマン

製作総指揮 ヒロ・ヤマガタ

製作 チャック・ワークマン

脚本 チャック・ワークマン

出演者 ジョニー・デップ
ジョン・タトゥーロ
デニス・ホッパー
マーロン・ブランド
ウィリアム・バロウズ

編集 チャック・ワークマン
公開 1999年
上映時間 89分
製作国 アメリカ
言語 英語

以下はウィリアム・バローズの画像です。

以下はアレン・ギンズバーグの画像です。

以下はジャック・ケルアックの画像です。日本語の字幕がついているので理解しやすいです。

アメリカを語ろうとするとき、ビートニクを抜いて語ることはできないと思います。これを知らずして、アメリカを知っているなどという人は、似非文化人だと思います。文化などは、本で読んで勉強するのも悪くはないですが、やはり体で感じてるとか、覚えるとかが一番だと思います。是非この映画を見て下さい。
今でも、アメリカではビートニクの末裔達がいたるところでいて、公園の中や、街角で、大きな声で詩を叫んでいる若者などがいます。ビートニクを知らない日本人には、精神病患者か何かと思うかもれしれません。でも、こういう背景を知っていれば、見方も変わってくると思います。ファッションや音楽だけではなく、文化の真髄を味わっていただきたいと思います。

未来組織のリーダー  ビジョン・戦略・実践の革新  


今ほど、頼れる指導者が求められる時代はない!ケン・ブランチャード、ピーター・センゲ、サービス・マスター社会長C・ポラードなど一流の経営者、コンサルタントらが明かす大変革時代のリーダーの条件。ビジネスマン必読といえると思います。この書籍の初版1998年。10年近く経てようやっと真実身を帯びてきたようなきがします。私が購入したのは2000年前後。先に掲載した、「未来社会への変革」ともう一冊をあわせた、P・Fドラッカー財団の三部作です。もう一冊は残念ながら、当時購入していませんでした。現在購入中で2、3日以内に自宅に宅配されると思います。
いずれに、せよ、購入した当時はなかなかピンとこなかった書籍です。今になって非常にわかる、それに現在の最先端という感じがします。皆さんも一度是非読んで見てください。ありきたりのリーダーシップ論よりはるかに、奥が深く、幅も広いです。アメリカの知性と良心を結集した書籍といえます。これが理解できなければ、これからの時代のリーダーシップは理解できません。
この書籍を読むと、そこらへんに売っている日本人のよくあるビジネス書で普通に書かれたリーダーシップ論は、幼稚で、近視眼的で馬鹿のように見えてきます。社会科学系の弱い日本ならではの現象だと思います。冒頭のドラッカーの序文には、優れたリーダーに共通する特性の一つとしては、カリスマ性がないということであると述べています。カリスマ性=リーダーシップと考えている日本の一般の人にとってはまさに、目にうろこの内容だと思います。

この本では、リーダーシップに何が求められるか。アメリカの定評ある経営トップ、一流のコンサルタントらがビジネスマン向けに語るリーダーシップの極意。大変革時代のリーダーの条件を明かしています。

2007年4月26日木曜日

ハイテクによる都市型共同体の発展

しばらく前に共同体について掲載しましたが、本日はその成功事例であるフォーカス・ホープを掲載します。デトロイトは今アメリカのNPOの最も進んだ都市となっています。その中でフォーカス・ホープの業績は今さん然と輝いています。
フォーカス・ホープ(希望の集い)は、米国現代史上最も破壊的だった人種差別的暴動である、1967年のデトロイト暴動のさなかに生まれました。1週間に及ぶ暴動でデトロイトの市街地は完全に破壊されました。
あれから30年以上を経た今日、同じ場所に半マイルにも及ぶ奇跡の共同体が建っています。
そこには、フォーカス・ホープの職業訓練所、食料配給所、託児所、そして利益を生み出すは機械工場などがあります。

上の写真はフォーカス・ホープで食品の陳列のボランティア活動をするデトロイト大学の学生の写真です。

この偉大な業績は、最初は食料配給の慈善事業から始まりました。今では、毎月2万4千人以上もの所得の低い母子に食料を提供しています。食料を受け取る家族は、スーパーマーケットに似た施設でショッピング・カートを押して自ら商品を選び、普通のスーパーでやるようにキャッシュ・レジスターで精算します。食料を箱に詰めて自宅の届けたほうがもっと効率が良いのかもしれないが、それはこの慈善事業を始めたカニンガム牧師と、ヨザイティス夫人が、家族が食料を選択する尊厳を持つべきだと感じたし、さらに大切なのは、施しを受ける家族ではなく、普通の家族らしい体験を子供たちに心理的に教え込むためにそうすべきであると感じたからです。
フォーカス・ホープでは、このような考え方が随所に息づいています。施しを受ける人々ではなく、人間の尊厳を信じているなら、何か食料以上のものつまり食べていける手段を与えなければならないということです。まれに見るこの共同体の成功はこうした考えをするリーダーに導かれたためだと思います。

以下にフォーカス・ホープの使命宣言を掲載します。

すべての人々の尊厳と美しさを認識し、
知的で実践的な行動によって
人種差別と貧困と不公平を克服することをわれわれは誓う
そして、大都市に共同体を築き、そこではすべての人々が
自由と調和と信頼と愛情の中で生きられる
肌の色が黒、白、黄、褐色、赤、そのほか何色であっても
デトロイトとその郊外の人々は
どんな経済的階層、
出身国、宗教であっても
この誓約に参加する

1968年3月8日採択

以下のURLをクリックしてください。2003年度のフォーカス・ホープのプロジェクトについての映像がみられます。
http://www.youtube.com/watch?v=6ZZqT-sbVhc

2007年4月25日水曜日

The Band Wagon

本日もミュージカルの紹介をします。日本では、こうしたミュージカルなど現代ではあまり振り向く人もいないようですが、アメリカの場合は、まだまだ親しまれています。さらにフレッド・アステアなど、今も国民的な英雄で、最近でもCDなどの新作が発表されています。アメリカという一つの共同体を維持・存続するためにも、今でもさかんに見られているのでしょうか。
下は、バンドワゴンの中の一シーンです。フレッド・アステア、シド・チャーリー、オスカー・レバントが、ミュージカルの金字塔ともいわれる、「That's entertainment」を高らかに、楽しく、愉快に歌っています。この歌は、後年ミュージカル映画のオムニバス映画「That's entertainment」に、その題名と主題歌が使われました。アメリカのミュージカル映画では忘れてはならない、大傑作といえます。
フレッド・アステアの華麗なタップ・ダンスと、明るい歌声、この作品も屈託のない、明るい、自信に満ちたアメリカを味わうことができます。

2007年4月24日火曜日

An American in Paris

今日はまた、ミュージカル映画の紹介します。本日はパリのアメリカ人!いわずと知れた大作です。あまり開設は必要ないと思います。出演は、ジーン・ケリー、レスリー・キャロンその他。監督はいわずと知れた、ビンセント・ミネリです。ジーン・ケリーがパリを舞台に華麗に舞う、ミュージカルです。CGなど全く使わない時代の作品なのに、映像が炸裂しています。バーチャルな技術を全く使っていません、しかしこのころのミュージカルの特徴として、いわゆる妄想、出演者が頭の中で描いた世界が華麗に美しく描かれています。人間というのは、もともと想像するものなんですね。このミュージカルでは想像の世界での映像の世界の美しさを最大限追求しています。見た人はもう一度、みていない人は是非ご覧になってください。







テクノラティプロフィール

2007年4月23日月曜日

共同体形成のための事例-映画『硫黄島からの手紙』


上は、硫黄島からの手紙のシーンとインタビューで構成されたカットです。この映画のすごいところは、クリント・イーストウッドというアメリカ人の監督が製作にたずさわっているということです。出演しているのは、ほとんどが日本人です。アメリカの映画、しかも戦争映画でここまで日本人を正面きって撮影しているものはこれが初めてのことでしょう。クリント・イーストウッド氏は、語っています。「昔から、国家のエゴにより命を失うのは一般の市民であり、そのことを描きたかった」と。アメリカでもこの映画の評判は上々だったようです。
アメリカの人も日本人の映像をみて、アメリカ人も日本人もいくら人種や考え方が違っていたとしても、同じように悲惨な目あった経験を共有できることがわかったのではないでしょうか。特に、アメリカでは、イラクの問題や同時多発テロのこともあり、身につまされたのではないでしょうか。
このような映画は言葉や文化の壁を超えて、多くの人々の考え方や、理想に対して影響を与え、共通の理念を持つために大きく寄与するものと考えます。そうして、グローバルな共同体を構築するため、価値観の共有に寄与できるものと考えます。みなさんはどう考えますか。


2007年4月22日日曜日

消えつつある共同体の再生はありうるか?

消えつつある共同体の再生はありうるか?


たまたま、最近以前紹介した『未来社会への変革』という書籍の書評をアマゾンに書きました。本日はその内容を掲載します。

ドラッカーのいうように、日本における企業による共同体の試みは失敗に終わったようにみえます。しかし、まだ一筋の希望は残っているように思います。

この本を読んだ皆さんはどう思っているかは判りませんが、この書籍で述べられているのと同じような組織内の共同体は日本には、戦前から存在していました。これらの共同体が各々の組織の中で均衡を保ち華々しい成果をあげてきました。日本の場合は公の組織よりも、こうした共同体が組織をある一定方向に推進してきました。役所などの公共セクター、軍部、民間企業、医療機関の中に厳然として存在し多大な成果をあげてきました。無論悪い面もあったことは否めません。

たとえば、病院の例をあげてみましょう。昔から日本の病院、特に大きな大学病院には医局なる共同体が存在してきました。医師の世界では切っても切り離せないのが「医局」の存在です。医局とは、教授を中心とした医師同士の研究仲間であり、研修医の教育機関でもあります、同一診療科の医師たちのグループのことを言います。政治の世界で例えるなら「派閥」のようなものです。ほぼ全ての医師たちが、自分の出身大学の医局に所属しています。

この医局に関しては、テレビドラマ「白い巨塔」に見られるように、負のイメージが多く植え付けられていますが、そうした負の一面がある反面、確かに教育・訓練の場として、あるいは地域医療、特に地方病院に定期的に医師を派遣するなど大きな役割を果たしてきたことも事実です。現在医局を廃止する自治体もでてきたり、相対的に医局の力が弱まってきたことも、地域医療の弱体化の一翼を担っている側面もあると思います。強力な医局の権力により、地方に定期的に医師を派遣することが出来にくくなってきたためです。

下は、テレビドラマ、白い巨塔のシーンです。

政治の世界でもしかりです。かつての軍部にも派閥が存在しました。民間企業でもしかりです。いや、それどころから日本では昔から共同体が国を動かしてきました。日本には古から、朝廷があり、公式な政は本来天皇を頂点とした公家組織が行うべきものですが、現実には、幕藩体制が定着した江戸時代の前までは、強力な武力を持ち、武士道という理念を共にする武士共同体によって国政が司られてきました。このようなことは、法律や個人を尊重するアメリカやヨーロッパでは考えられないことでしょう。組織内の共同体に関しては、ヨーロッパ、アメリカなどより日本の方が先輩格なのです。

これらの、共同体は今では弱体化してきていますが、従来の派閥のように派閥の長と派閥構成員の利益最優先という、いわばミーイズムから脱却し、属人的な性格を捨て去り、この書籍にあるように、共同体の核心的目的を明確化し、一人ではない共同体の可能性を探り、他者との結合で何を生み出すかを再定義し、本来の目的に即したウィーイズムの使命を持つことにより再生し、これからの日本社会の大変革に寄与することになるかもしれません。

このことに、日本の組織の人々が気づけば、日本はまた、明治維新の時のように急速に大きな社会変革を達成することができるかもしれません。

■映画白い巨塔のあらすじ
東教授(東野英次郎)の定年により、その後任選挙で揺れる大阪の浪速大学医学部。そんな中で野心家の財前五郎助教授(田宮次郎)は、東一派の妨害を巧みに交わしながら、ついに教授の座へ。しかし、そんな折り、彼は院内の医療ミス問題で訴えられてしまい……。
医学界の派閥争いなどに罪をとった山崎豊子の同名小説を原作に、社会派の巨匠・山本薩夫監督が映画化した問題作。選挙のときは財前の敵だった者たちが、裁判になると医学界の権威のために一転して彼を弁護するなど、権力を巡る人間の醜さが徹底的に描かれている。モスクワ映画祭では銀賞を受賞。後に田宮は同原作のTVシリーズでも財前を演じて自身の当たり役としたが、その撮影終了直後に自殺を遂げた。
私自身は新しいほうの唐沢が演じる、財前教授より、田宮次郎の財前役の方がしっくりきます。皆さんはいかがですか?


2007年4月21日土曜日

Beatniks (2)

本日もビートニクスに関して、掲載します。
■ロックとジーンズ文化の始まり
ファッションと大きく関係のある音楽、ロックが生まれたのは戦後でした。ロックが世界中に知れ渡ったのは1955年の映画「暴力教室」タイトルバックに使われたビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」と言われています。そして、それから間もなく登場するのがエルヴィス・プレスリーです。

下はビルヘイリーとコメッツのロック・アラウンド・ザ・クロック テレビ番組の一シーンです。

ビートの聞いたサウンドはエルヴィス・プレスリーの名前とともに瞬く間に世に広がっていきます。このようなロックの愛好者たちのことはビート二クス(ビート族)と呼ばれるようになりました。ビートニクスとは、いわゆるビート・ジェネレーションと、その当時のソビエト連邦が打ち上げた人類最初の人工衛星であるスプートニクを合わせた造語です。当時のアメリカにとっては、反逆的で反抗的な若者の新たな文化・ファッションの登場は、当時の仮想敵国だったソビエト連邦の人工衛星と同じくらいショッキングなことだったのです。

下は映画監獄ロックからのカットです。
Elvis Presley - Jailhouse Rock (Music Video)




そのプレスリーのスタイル、黒の革のジャンパー、ジーンズ、リーゼントがビート二クスファッションとしてロックとともに広がりました。 またプレスリー以外にも影響を与えたのがジェームズ・ディーンです。ジーンズに革ジャン、Tシャツのスタイルもここから広がっていきます。


■日本でのファッション 「太陽族」
1955年に発表された石原慎太郎『太陽の季節』が芥川賞を受賞し、映画化されヒットしました。「太陽の季節」では石原裕次郎主演の戦後の無軌道な若者の姿が描かれていました。変な外人として岡田真澄も出演していました。石原裕次郎の弟役で、長門裕之が悪役で出演していました。このころの長門浩之はサザン・オールスターズの桑田佳祐にそっくりです。(ただし、私はビート・ゼネレーションではありません、ビデオで見ました。当然か、もしビート・ゼネレーションならもう70歳前後となります。)
映画が封切られると、その登場人物たちのファッションスタイルを真似た若者達が多く見られるようになり、一種のつっぱりが誕生します。彼らは「太陽族」と呼ばれるようになります。そのファッションの特徴はスポーツ刈りの前髪を短く刈りそろえないで額に垂らしておく髪型、Tシャツ、アロハシャツ、サングラスというものでした。この若者ファションも無論、ビートニクスの影響を受けていました。
下の写真は、あまりにも有名な「太陽族元祖会」の写真。若い日の絆は、世を去るその日まで固く結ばれていた。前列向かって左から2番目が山本さん、3番目が裕次郎。




2007年4月20日金曜日

アメリカ・バージニア工科大学の銃撃事件の犯人映像


チョ・スンフィ容疑者(23)が犯行当日の16日、NBCテレビに自らを撮影した映像を送付したものの一部です。最初の銃撃と二度目の銃撃の間に発送されたとみられ、警察当局は動機の解明につながると見て調べています。
チョ容疑者は二人を射殺した16日午前七時十五分の学生寮銃撃と、三十一人を殺害した同9時四十五分ごろの教室銃撃との合間に郵便物を出した可能性が高いといいます。
4月15日に、『未来社会への変革』を書いたばかりです。その中の一番最後の項に

「無関心とは孤独なものである。無関心な人間は、他人を見ていない。だから周囲に何も感じないし、他人の身に何が起きても気にしない。底知れない虚無に包まれ、内面を虚無で満たされている。彼らはいかなる希望も将来も持てない」。とあります。まさに、チョ・スンフィ容疑者もそのような状況にあったのではないでしょうか。

また、「我々は、21世紀を迎えるにあたり、弱く、虐げられ、孤独で、病み、絶望している人びとと連帯しなければならない。その思いが、共同体に対して気高く人間的な貢献をしたい!という願望になる。そして、自らが何者であるかでなく、他者にとって何かということで自らを規定するようになる」。とあります。
無論このような犯罪を犯した、犯人に同情するつもりはありませんが、それにしても、大学で暴力的な文章を書いていることを教授が、指摘していたとか、カウンセリングのようなものも受けていたようです。

社会の安全装置として、何かで防ぐことはできなかったのでしょうか。警察や、その他既存組織ではできなかったのでしょうか?おそらくできなかったのでしょう。また、これからも出来ない可能性が大きいと思います。

やはり、何らかの形で非営利組織の共同体を構築して防ぐということが必要なのかもしれません。今後、こうした容疑者のような人が存在したばあい、なんとか、犯罪を防ぐようにするNPOの設立が世界各所の都市に必要と考えます。

2007年4月19日木曜日

ビートニクスについて

皆さんは、この『ビートニク(Beat nik)』という語を目にしたことがあるでしょうか?この語は簡単に言うと、50年代アメリカで、『ビートジェネレーション』と名付けられた世代の若者達を『ビートニク』と呼んだ。このビートニクを理解しなければ、その後のヒッピーやBOBOs出現の背景を理解できないと思います。今日はなぜ50年代アメリカに『ビートニク』と呼ばれる若者達が出現したのかについて掲載したいと思います。

下は典型的なビートニクス映画『Rebel Without Cause』(邦題「理由なき反抗」)の一シーンです。ビートニク役のジェームス・ディーンのファションは今でも若者達の憧れの的です。


■ビートニクとは?■■■■
(1)社会
 1950年代始めアメリカでは、朝鮮戦争が勃発し、レッドパージが猛威をふるい、米ソ冷戦時代をむかえた。
 第二次世界大戦後の冷戦期は、何万という核弾頭を抱えていた。そして、”レッドパージ(「赤狩り」)”に代表される反共産主義的閉塞状況の中で、社会のすみに追いやられてしまった男性が、せめて家庭で「男らしさ」を回復する必要があった。そのため「女らしさを、、、」という考えが社会を支配し、それによって女性がその社会からの押し付けと家庭に縛られるようになった(このことは、早婚が流行し、ベビーブームをさらに増長した)。

(2)”ビートニク”が生まれたきっかけ
 ビートニクが生まれたきっかけは、 ジャック・ケルアック(Jack Kerouac) の 『路上』(On The Road) という、1冊の小説でした。 

▼『路上』の簡単なあらすじ
 主人公のサルは、驚くべき奇矯児ディーンの活力に溢れた言動に魅かれて、アメリカ大陸を幾度となく流浪の旅をし、メキシコまで足をのばします。その間、女性関係を含むディーンのあらゆるトラブルに巻き込まれていきます。
 

▼若者たちが、『路上』から読み取ったもの
 「路」は、アメリカの自由、人間の自由を象徴しています。大戦後の冷戦期に画一的順応主義や物質主義、管理社会に縛られていた若者達は、アメリカの壮大な「路」をとおして、ディーンが何にもとらわれず自由に生きる姿に憧れました。それによって、「縛られた社会から飛び出して自分のやりたいことを自分のやりたいようにやろうじゃないか!」というメッセージを読みっ取ったのです。

(3)ビートニクの特徴
▼外見
 あごひげ、ジーパン姿、裸足の男達、長髪に黒いドレス、黒いストッキングの女達が、サンフランシスコなどを中心として群がり始めました。(この時点で、男は長髪ではない。男の長髪は、60年代に入ってからである。)
▼生き方
 ビートニクは、生きている実感を取り戻すために本当に大切なもの以外の全てを生活から切り捨てました。貧乏を良いこととし、つつましさと自由のバランスを保ちながら生きる、黒人ジャズミュージシャンの人生のなかに答えを見つけようとしました。また、社会や、その価値観に対する軽蔑を服装によって示したり、麻薬煙草、飲酒、奔放なセックスなど、可能な限りの手段を結合して、その精神的、肉体的リズムから新しい次元の世界に到達しようとするものでした。
  

Singing In The Rain

本日はまた、ミュージカルの紹介をさせていただきます。
紹介するのは、MGMの大傑作"Singing In The Rain"です。私の最も大好きなミュージカルです。時代背景を説明しておくと、まずこの映画の製作は1952年です。長引いた第二次世界も終了して、戦争の傷跡はあったものの、国内は戦場に巻き込まれず、アメリカが経済的にも世相的にも落ち着き、まだベトナム戦争にも突入しておらず、自信に満ち溢れた、良き時代です。ただし、ミュージカルの舞台はトーキー映画が導入された1930年代です。大恐慌から立ち直り、まだ戦争に本格的に始まっていないころのアメリカです。鷹揚で屈託のない、全く屈折が感じられない、前向きの楽しくて、愉快で、上品で、面白くて、他愛のないアメリカの良き時代のテイストが味わえます。まず、下は予告編です。


以下は、ドナルド・オコンナーのMake'em Laughです。

下はジーン・ケリーの"Singing In The Rain" ミュージカル史上最も有名なシーンと言っても過言ではありません。


下は、ジーン・ケリー、ドナルド・オコンナー、でビー・レイノルズによる"Good Morning"です。

このミュージカル、先に紹介したProducers(一昨年の映画です)にも多大な影響を与えています。さて、どこに影響を与えているのか、両方を見比べると良くわかります。「雨に歌えば」がこのミュージカルの邦題です。まだ、見たことのない人は是非ご覧ください。もう見た人も何回も見るとまた、新しい発見があるかもしれません。

2007年4月17日火曜日

Springtime for Hitler and Germany


前々回掲載した、プロデューサーズですが、写真や言葉だけだとわかりにくいと思いましたので、今回は映画の中の一部を掲載します。

これは、ミュージカル映画です。ミュージカルの中にミュージカルの舞台があります。そのミュージカルの中で演じられている舞台のタイトルが"Springtime for Hitler & Germany"です。何がなにやらわからないでしょう。実はこの映画、1970年代にメルブルックスがミュージカルではない、映画で監督した作品のリメイクです。リメイクとはいってもミュージカル化したものです。無論ブロードウェイでも興業されていたものです。とにかく、春の日のヒトラーとドイツという舞台です。この、映画これだけでは理解できないでしょう。是非一度見ていただきたいものです。

2007年4月15日日曜日

Web2.0的話題-未来社会への変革(ピーター・ドラッカー財団員共著)


上記は平成13年度のサイバーコミュニティーを含む概念図。現実はもっと違った形で進んでいる。
Mixiなどのサイバーコミュニティーが大流行ですね。私は、サイバーコミュニティーは今後の社会変革において必要不可欠と考えています。 このサイバーコミュニティーを的確にあらわしているのが、今回掲載する『未来へ社会への変革』です。私がこの書籍を購入したのは、2000年のことでした。購入した当時は何のことかピンときませんでしたが、最近になって読みかえしてみてその意味するところがわかるようになりました。みなさんも、是非読んで見てください。

初版1999年

                     フォレスト出版

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利己的人間に満たされた都市は崩壊する。利他的に生きなければ都市に未来はない。組織のメンバーは、とかく組織が自分に何かをしてくれることを期待しがちである。

景気が悪くなれば、政府の景気対策を非難する経営者がそうだ。教育の問題をすべて学校のせいにする親もしかりだ。枚挙にいとまがない。まずは、自分が人のために何ができるかを各人が考え、それをうまく実行するために集まる。こうしてできた共同体が、企業にも、公的機関にも、政府にも、都市のあらゆる組織に自然発生することだけが、都市を救うのだ。

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< 本 文 要 約 >

【1】共同体をつくる

近年、世界中のあらゆる国の主要都市が、混沌たるジャングルのようになった。今後、あらゆる国でこれらの都市を文明化することが最高の優先課題となる。

そのためには、各都市に新たな共同体が築かれなければならない。もともと、都市とは強制的共同体の抑圧から逃れるために構築されたものだ。

しかし、その後都市独自の共同体が築かれなかったために、現在の破滅的状況を招いてしまったのだ。我々人類は、本来的に共同体を必要とする生き物なのだ。自分に似ている人を探し出し、それ以外の人から自分を防衛しようとする。インターネット上のチャットルームはその典型だ。

だから、もし建設的目的のための共同体が築かれなければ、代わりに破壊的、殺人的共同体が出現するのだ。

【2】都市共同体を築く非営利組織
都市における共同体は、自由かつ自発的組織でなければならない。なお、この共同体を築くのは、非政府、非民間の非営利組織の役目だ。

なぜなら、我々が必要としている共同体とは、教育ある知識労働者のための共同体だからである。そして、非営利組織だけが我々の望む多様性に対応できるのだ。

また、この組織は、住民に貢献する有能な市民のニーズにも応えることができる。つまり、ボランティア活動の機会だ。こうした活動が、社会に秩序と変化の両方を実現するのだ。

【3】自発的組織への参加

共同体のメンバーは、真の意味で相互扶助精神を持ち、自分の時間を組織のために自発的にささげるべきだ。ただし、これは強制されたり、政府の支配下におかれたりするべき類のものでもない。

このようにして築かれた共同体は、都市住民に達成感と貢献と意義を与えるだろう。

20世紀は、先進国を中心に、政府と企業が成長した時代であった。しかし、21世紀には、都市において共同体を築くことができる組織が成長する必要がある。

【4】通信技術が組織を変える

未来の企業組織は、これまでのようなトップダウン型の「たて型組織」ではなく、いくつもの共同体の組み合わせとして機能するようになるだろう。

もともと、これまでの「たて型組織構造」も、管理のツールとしてではなく、コミュニケーションをより効率よく行うために構築されたものだった。しかし今日では新しい通信技術が登場し、コミュニケーションは非同時的、グローバル、共同作業的になった。

このコミュニケーションは、時間と空間を超えてチームを作ることを可能にし組織の壁を打ちこわし、人々の結びつきをより強くする。これにより、未来の組織は共同体(山田加筆:サイバーコミュニティー)に近づくものと思われる。

【5】共同体の運営

新しいパートナーシップが、共同体を再生する力の源である。これを築くために必要なのは、偉大な社会的リーダーである。ビジネスと同じように、ビジョンを持ち、努力をマネジメントできる指導者が公共、民間、産業の三つの分野を巻き込んでパートナーシップを築いていく。

このパートナーシップが、チームワークを生む。建設的で、人を癒すことができ、指導力のある強力なパートナーの指導のもとで壁を超えることは、未来の共同体建設には不可欠である。

なお、公共への奉仕は、共同体運営の前提条件だ。しかし、この質を維持するためには、努力でなく結果を管理されなければならない。そのためには、意見でなく事実に基づき管理をし、また成果は客観的に測定されなければならない。

また、従来の共同体は、地理的に区分されていた。しかし、未来には価値により区分される。つまりどこに住むかでなく、何を信じるかによって区分される。

共同体とは、本来共通の利害のもとに個人が集合した組織だ。この新しい、利害の共同体は、組織内部にとどまらず、顧客、取引業者、パートナーにも利益を与え、その利益を社会全体に及ぼすことになるはずだ。

これを創造し、運営するには6つの手順と方法がある。すなわち、アイデンティティーを育て、ルールをつくり、情報を共有し、相互奉仕関係をつくり、価値を生みだし、類似性を運用するのだ。


【6】他の人々との連帯

科学技術の発展は目を見張るばかりだが、私たちの倫理はほとんど進歩していない。例えば、私たちは他人の痛みや苦痛に対して敏感であるとは言えない。だから、相変わらず将来に対する不安に怯えているのだ。

我々は今日、世界中の出来事を瞬時に知ることができる。だから、もはや知らなかったということは言い訳にできない。確かにこれを解決するための手段や可能性は限られているが、絶望や努力の放棄は所詮言い訳だ。無関心を生むだけだ。

無関心とは孤独なものである。無関心な人間は、他人を見ていない。だから周囲に何も感じないし、他人の身に何が起きても気にしない。底知れない虚無に包まれ、内面を虚無で満たされている。彼らはいかなる希望も将来も持てない。

我々は、21世紀を迎えるにあたり、弱く、虐げられ、孤独で、病み、絶望している人びとと連帯しなければならない。その思いが、共同体に対して気高く人間的な貢献をしたい!という願望になる。そして、自らが何者であるかでなく、他者にとって何かということで自らを規定するようになる。(了)

2007年4月14日土曜日

ミュージカル・ムービーのプロデューサズはニューヨーク BOBOsの価値観共感度の尺度となりえるか?

上の写真はミュージカル・ムービー『プロデューサーズ』宣伝用のピクチャーである。私はこの映画を封切りの時にシネマコンプレックスで見た。その後、DVDを購入して何回も見た。おそらく、トータルで10回以上は見たと思う。

この映画を見ていて思ったのは、この映画はひょっとして、ニューヨークボボズの感性に対する共感度の一つの尺度になるのではないかということである。
私は、ニューヨークに在住したことはない、海外生活も長くはない。せいぜいドイツに一月滞在したのが、最長だ。このときドイツを基点として、ヨーロッパの各国を旅した。このほかに今から思うと素晴らしい親に育てられ、小学校時代からリンガフォンなる高価な教材を与えられ、米語をたたきこまれ、今でも普通の高校の教師よりは英語ができると自負できるようになっている。親に感謝!
大学に入学して、米国人の英語の教師に君はアメリカのどこの高校を卒業したのか、ひょっとしてニュヨークのどこかを卒業したのか?と問われたぐらいだ。本当に親に感謝しなければならない。
おっと自慢話が長くなってしまった。ここで本題に入ろう。皆さんはこの映画をご覧になっただろうか。この映画について周りのひとに聴いてみるとさまざまな反応がある。面白くて面白くて笑い転げてしまったという人と、何が面白いのか良くわからない。私はぜんぜん面白くなかったという人と極端に評価が分かれてしまうということだ。
そこで私は考えた。私やこの映画を見て笑い転げてしまう人は、ちょっと変わっているのかもしれないと。全然面白くないという人の方が平均的なのかもしれないと。
私はこの映画を見ていて、無論日本語のテロップも見ていたが、英語もしっかり聞いていた。英語を聞いていて、ものすごい多量の差別用語のオンパレードである。セールスマンの凍死などの、ブロードウェイで上演されているミュージカルを見ているか、話題を知らないと理解できない内容が満載である。
同じ英語でもアイルランド訛りがある程度理解できないとわからない場面がある。ミュージカルの中ででてくる、CPA(サーティファイド・パブリックアカウンタント)とただのPAの違いが判らないと何のことかも良くわからない場面もある。
さらに、ヒトラーについてアメリカの中でどのような位置づけになっいるのか、さらには、エセルマーマンというアメリカのミュージカルスターの予備知識や、ライザ・ミネリ主演のミュージカル・キャバレーの内容がある程度わかっていないと理解できない内容もでてくる。
いやそれどころか、アメリカの歴史、MGMのミュージカルを見ていないと理解できない事柄、ニュヨークのことがある程度わかっていないと理解できないことが満載である。
しかしながら、私の妻は、アメリカに留学した経験もなく、これらの知識もなく、このムービーを見て笑い転げていた。その一方ニュヨークに留学などで、長い間滞在した人で全く面白くもなんともないなどという人もいる。
これは一体何なんだろうと考えたが、結局出した結論は、このムービーはひよっとして、ニュヨークのボボズ層の感性に共感できるか否かの判定に使えるのではないかということである。感性などというものは、知識、留学などとは全く関係なくして、人類共通のコミュニケーションである。BOBOsも所詮生身の人間なのである。
英語が判ろうが、判らなかろうが、ニューヨークに長く滞在するしないなども別にして、このムービーを見て笑い転げる人は、ニュヨーク・ボボズ層との共感度が高い。そうでない人は共感度が低い。
さて皆さんはどちらに属するのか、もし見たことのない人は是非ご覧になってください。それから、私自身のことだが、所得はどのくらいか、何に興味を持っているいるのかは別にして、気持ちはニュヨークボボズと同じだということである。少なくとも深く共感できる存在だということに気がついた。
それから、ちなみに私は父親に高校時代に三年分のリーダーを丸暗記することを強制された。その当時は大変だったが今では感謝している。英語のできる人は、高校時代に必ずといっていいくらいこれをやっている。もし、皆さんが中高生か、あるいは中高生の子供を持つ親なら、これを自ら実践するか、子供に実践させるべきだ。これをすることによって少なくとも英語の成績に不安を感じることはなくなる。わけのわからない英語塾にかよわせるよりははるかに効果的だ。

なぜ実数が少ないと思われるPOBOBOに注目するか?


上の写真は、イギリスのバーバリー・ブルーレーベルのアイテムです。ブルーレーベルのコンセプトは、あの女優のオードリー・ヘップバーンが現代に生きていていたとしたら、選ぶような商品というコンセプトでつくられています。
さて、POBOBOについて語るには、早くから成熟化社会に突入した先輩格のイギリスが参考になります。
POBOBOは、団塊の世代ジュニアのリッチプア層で、ファミリー層であると定義しました。そうすると、現代では未婚の人も多いわけですから、実数そのものは、いくら団塊の世代のジュニアで多いとはいっても少なくなります。年収200万以下の人は現在日本に2000万人もいるわけですから、そちらをターゲットにするほうが一見良いかもしれません。でも私はそうは考えません。人口の多い階層が必ずしも世間や時代を代表するわけではないのです。
日本はそろそろ成熟化社会の入り口より奥に入り込んでいます。成熟化した社会になった先輩格のイギリスを見てみましょう。イギリスにはジェントルマンという言葉があります。このジェントルマンはイギリスではイギリスの理想、大儀を代表する言葉です。君の考えはジェントルマン的ではないとか、ジェントルマンたるものそのような行動はすべきでないなど、今でも良く使われる言葉です。
しかし、ここでジェントルマンとはもともとはジェントリーという階層を示す用語です。
Wikipediakの概説では、「ジェントルマン(Gentleman)は地主貴族を核とするイギリスの名望家。16世紀から20世紀初頭にかけて事実上イギリスの支配階級であった。貴族ジェントリを中核とし、経済活動の活発化にともない興隆した中流階級を随時取り込む形でその境界を広めながら支配体制の温存を図った。その為、本来は不労所得者である地主貴族層、特に平民身分の最上層を指す言葉であるが、通常は英国国教会聖職者、高級官吏将校医者などの特定専門職従事者も含めて「ジェントルマン」と見做される。「高貴な」出自とともに身に付けた教養や徳性といった要素がジェントルマンの条件とされたため、「紳士的な」人物に対しての形容として用いられることもある」。
なにやら、難しいことが書いてありますが、結局中央の貴族階級の下に属する地方貴族(領主)ということです。貴族とそれ以外の人々の間に挟まる中産階級ということです。中産階級と書くと日本の人は、中流と意識して数が多いものと考えるかもしれませんが、あくまで中間に属するするということで、実数は多くはありません。おそらく数パーセントに過ぎなかったと思います。
これら数の少ない人々の中から、政治家、思想化、芸術家、その他大勢の傑出した人物を多く排出したことと、礼儀正しさ、鷹揚さ、大儀に殉ずる心意気などから、イギリスの良心を代表するような存在となったのです。
これらの人々に照準を合わせた商品サービスはイギリス人全般に広く受け入れられる存在となっていったのです。たとえば、バーバリーというブランドがあります。これは、ジェントルマン層をターゲットにしたブランドですが、ジェントルマンに照準をあわせたが故に、それよりも下の層や上の層にもこよなく愛されています。ジェントリーの下の層の場合は、普段は着ないが、公の席に出る場合のお洒落着として、上の層の場合は公式の場にはもちろん仕立て屋に注文したものを着ていくが、普段着とてして用いるなどです。
今の日本の現状を考えたとき、格差社会から階層化社会に向かっていく可能性が大です。階層社会までいかなくても、格差社会はこれからも続き、もっと格差は広まっていくものと考えます。これは良い悪いは別にして、成熟化した社会では共通した現象です(かつての共産主義国ソ連でもそのような傾向が見られた)。
こうした最中にあって、年収200万以下の人々のライフスタイルが、数が多いというだけで日本の良心や理想、大儀を代表する存在になるでしょうか?私はそうは思いません。では、ごく少数の年収2000万以上の人々(日本では20万人)がそうなるでしょうか?一般の人々からあまりにもかけ離れているため、これらの人々もそうはなりえないと思います。
そんな時に脚光を浴びのはPOBOBOだと思います。POBOBOこそイギリスにおける、ジェントリーのような国の良心や大儀を代表するは存在になりえます。このことに注目していく必要があります、これを育てていく努力が必要だと考えます。

2007年4月13日金曜日

日本のBOBOsとPOBOBOについて-Japanese BOBOs

左の写真は、健康と環境に配慮した生活を志向する層の全般をLOHAS(ロハス)と呼び、LOHAS(ロハス)層の中でも富裕層をターゲットにしたものをBOBOS(ボボス)と呼び、今度はLOHAS(ロハス)層の中の女性層をターゲットにしたものをLUXE(リュクス)と呼ぶそうで、そのリュクスのイメージ映像です。アメリカかフランスの直輸入の概念でしょうか? BOBOsのように日本では、定着するどころか一時的なトレンドにもならないような気がします。日本のマーケターは未だ発想が貧困ですね。かえってスーパーの店頭などで働いている人の眼のほうが確かだと思います。日本と外国では、全く環境などが違うのですから、日本独自のオリジナルな考えをすることはできないのでしょうか?私のPOBOBOの概念はそのまま、日本で普及するとは思いませんが、方向性は正しいと確信していますし、そもそも私自身のオリジナルです。

ところで、日本国内の話では、ここしばらくBOBOsの話は棚上げして、POBOBOばかり掲載してきましたが、日本にも当然BOBOsは存在します。少しこのへんで日本国内の話をおさらいしておきます。私は日本では、少なくとも年収が2,000万以上(日本では年収2000万以上は20万人、200万以下は2000万人)なければ、残念ながらBOBOsにはなりえないと思います。だからこそ、BOBOsは日本では大きなムーブメントになりえなかったのだと思います。それは以前からに述べているように日本では土地や家屋、さらに養育費などが高く、1,000前後の年収ではといもボボズ気分は味わえないからです。

アメリカだとこのくらいの年収でも、BOBOs気分が味わえるし、心情的には完全にBOBOsの人が多いと思います。日本だと、これくらいの水準だと、気分的には一般庶民感覚ということになると思います。だからこそ、わざわざPOBOBOという区分を設定しました。POBOBOは一見普通の人々の中に埋没していますが、普通の人々と際立った違いがあります。それは、商品・サービスへの評価水準が非常に高いことです。 だからこそ、これらの人々に着目することが重要になります。この層の人々が受け入れる商品・サービスはもっと多くの人々にも支援され、受け入れられることになると思います。私はPOBOBOに関心をもつこと、POBOBOであることを彼ら自身に認識させるような活動をすること、育てていくことがこれからの日本の市場に活性化につながっていくものと確信しています。

2007年4月10日火曜日

WEB2.0的話題-Google Trendsについて

上は、googleが提供する、Web2.0的サービスである、Google Trendsのグラフである。Google Trends(グーグルトレンド)とは、検索クエリの傾向(トレンド)を表示するサービスで、キーワードを入力すると過去2年間で世界中のGoogleにおいてそのキーワードで検索されたクエリのサーチ・ボリュームの推移がグラフ表示される。
なお、私としてはWeb2.0に関して「ブラウザをOSのように使用して提供する一群のサービス」と位置づけている。世間ではいろいろなことが言われているがこの定義がすっきりしていて判りやすい。

さらに、News reference volumeといって、ニュースなどに取り扱われた場合のボリュームもグラフとして示される場合がある(ある一定以上のvolumeに達した場合)。検索クエリが発生した地域・都市・言語や検索クエリに関連するニュースなども表示される。日本語のキーワードでも利用できるだけでなく、地域を日本だけに絞り込んで結果を表示することもできる。

上は、「そのまんま東」と言うキーワードで傾向を見たものである。やはり、宮崎県知事選の時に最高の山がきている。さらに、ここには掲載しないが、ボリュームの多かった地域の順位が10位まで表示される。この例の場合は宮崎が一番であった。やはり、必ず世の中の動きにあわせてボリュームが確実に変わっていくことがわかる。

グーグルトレンドでみてみると誰もがいろいろなことを分析できる。いくつかの日本の一部市上場大企業のキーワードを入れてみると、共通点があった。キーワードのボリューム・トレンドは全体的にゆるやかな低落傾向だが、News referenceのボリュームはあがったりさがったりはしているが、全体的に下降状況にはない。最初これが何を意味するのか判らなかったが、これは、いわゆるニュースを製作している企業が配信している内容の中のキーワードと、これよりもはるかに大きなボリュームのある一般社会の人々がパソコンに打ち込むキーワードにズレが生じているのではないかと考える。

さらに、アメリカの企業のキーワードを入力してみると、「マイクロソフト」は完全に低落傾向にあるが、google、Yahooなどはでこぼこはあるが上昇傾向にある。日本の一部上場企業やマイクロソフトなどのような企業はサイバーコミュニティー、さらにはそれらがいくつも合わさったサイバーソサエティーの中では影が薄くなりつつあるのではないだろうか。

このような時代が来たことを喜ぶべきか、それとも悲しむべきなのだろうか。あなたも、自分の会社のことや、気になることを調べてみては?きっと面白い発見があるに違いない。そして、サイバーソサエティーの中で影が薄くなっているようであれば、何か手を打たなくては!

BOBOSとPOBOBOはサイバーオタク?



上は、tec talk というYouTubeに投稿された画像です。とにかく「超サイバー・オタク」がいっぱい出てきます。あまり気持ちの良いものではありませんが、よろしかったら見て下さい。

さて、先回はサイバーオタク度の話を掲載しましたが、今回はBOBOsとPOBOBOのサイバーオタク度を考えて見たいと思います。BOBOsに関しては、IT関連企業の人も多いし、情報収集の必要性から、サイバーオタク度は相当高いものと考えます。

POBOBOも相当サイバーオタク度は高いものと思います。昨年の調査によると東京のお父さん達が帰宅する時間は、夜の11時だということです。結構遅くまで仕事をしていたり、通勤時間が長かったり、飲みに行ったりすることが多いのだと思います。無論POBOBOも似たような傾向があるものと思います。
帰宅時間が遅いと、普通の日にコンビニ以外の普通のお店に行ったりするのはほとんどないことになります。友人・知人などとも普段は普通の手段だとなかなか連絡もつけられないことになります。ただし、一緒に飲みに行っていることもあるかもしれませんが。現代のPOBOBO会社ではパソコンやインターネットを使用するのは当たり前のことですから、インターネットで専門店のサイトから買い物をするとか、メールやgoogle groupeや、Mixiなど使って疎遠になりがちな友人・知人とコミュニティーをつくるということは容易に考え付くことだと思います。そうして、かなり利用・活用しているものと思います。無論、お父さん以外の女性のBOBOsも専業主婦をやっていれば、社会の疎遠にならないため、仕事をしているのであれば、お父さん達と同じような理由から使いこなすことと思います。これらのことから、POBOBOのサイバーオタク度は必然的にサイバーオタク度は相当高まることと思います。

これらのことから、BOBOsやPOBOBOに対して何らかの訴求をしようとした場合、通常のメディアと同様か、それ以上にサイバー的な手段を適用しなければならないといえます。

あなたのサイバーオタク度は?



あなたは、上記の上の写真の極め付けのオタク小説。ウイリアム・ギブスンの「パターン・レコグニション」 をご存知だろうか?
サイバーパンクの帝王が、ニューヨーク、ロンドン、東京、モスクワと世界を股にかけ、現実の世界とネット上の仮想の世界とを織り交ぜながら描くハイブリッド・エンターテインメントだ。この小説には、さまざな小物がちりばめられている。全編に商品名と固有名詞が氾濫する。
上の2枚の写真の下のほうが、「バズ・リクソンの黒の MA-1 フライトジャケット」。ブランド・アレルギーに悩むヒロインのケイス・ポラードが大切にしているフライトジャケットだ。 よく分からないと先に読み進めないので、 Google のイメージ検索をした。検索すると、 フライトジャケットの画像がずらり。(しかもこれが日本人が作りだした完全復刻版だ。)
全編を読むには、このように検索をしなければ、読むことはできない。これが、いわゆるアメリカや日本の「超サイバーオタク」達に大うけの小説だ。私はこの小説を読むのに何度もGOOGLEの検索をしなければならないので、無論「超サイバーオタク」ではない。
皆さんは両方ともご存知だったでしょうか。もしそうなら、あなたは完全な「超サイバーオタク」だ。

ところで、あなたは『web2.0、Wikipedia、i-tune、YouTube、Google Earth、Google Sketch、Mixi、SNS、Google Analytics、Skype、Google Adsence、Google Trends、Napster』という言葉のうちいくつを知っていますか?この言葉を全部知っていたとしたら、完全な「サイバーオタク」だ。無論これを書いている私自身はサイバーオタクだ。

この言葉のうち最後のNapsterを除くと、5年前には影も形もなかった言葉だ。このNapsterですら、5年前とは意味が違う。Napterは5年前は無償の音声ファイル交換サイトだった。今では、有料の音楽配信サイトになっている。

この言葉の7~8割程度わかれば、「サイバーおしゃべり」だ。半分わかれば「普通」だ。半分以下しか知らないようであれば「サイバー無口」だ、1個も知らなければ完全な「サイバー音痴」だ。

私はかねてから、サイバー空間を渡り歩くものとして、人を5段階に分類できると考えていた。上記で示した、5類型だ。

これは、別に頭の良し悪しを言っているのではない。頭の悪い「サイバーオタク」もいるし、頭の良い「サイバー音痴」もいる。性格の悪い「サイバーオタク」がいる反面、人の良い「サイバー音痴」も存在する。サイバーを判断基準として、その人の行動パターンや心の持ちようを類型するものだ。

「サイバーオタク」はサイバー空間を利用して、何か面白いことができないか、金儲けができないか、あるいは人に役に立つ何かができないかと常に考えている人々のグループだ。無論、自己の運営するサイトやブログを持っている。

「サイバーおしゃべり」は、サイバー空間を普段おしゃべりをしているように使う人々のグループだ。無論画像や音声などもおしゃべりの材料に使う。ブログにコメントを書き込んだり、いろいろするが、個人のサイトやブログは持っていない。

「普通」の人々は、人並みにメールを使ったり、サイトを覗いたりサイトで買い物をしたりするが、サイバーおしゃべりのように、画像音声などを積極的に使うことはない。

「サイバー無口」は、メールを使ったり、サイトを覗いたりするが、コメントを書き込んだりはしない。彼らにとってサイトやブログなどは覗くものであって、積極的に書き込んだり、他の活動をする場ではない。

「サイバー音痴」とは、サイバー世界とは無縁に生きている人々だ。これだけ、サイバー化が進んでいる世の中なので、もしかすると自宅にパソコンがあってホームページくらい覗くこともあるが、みるだけである。会社でもパソコンは使うが、サイバー空間とはほとんど無関係である。

さて、上の類型でいうとあなたは、どの類型にあてはまるだろうか?良い、悪いは別にして、5年前と比較すると、6→1の方に人々だんだんとシフトしていっているのでないだろうか?

BOBOsとPOBOBOが聴きそうな音楽

BOBOsや私の創った新しい造語POBOBOの話などをしてきましたが、本日はこれらの層が好みそうな、音楽とその紹介をします。BOBOsはボサノバが好きなそうですが、確かにフランスでも、アメリカでもボサノバが流行りというより、定着しているようです。アメリカのSNSなどのBBSを見ていると良く話題になっています。映画の中にもさりげなく流されているのをよく耳にします。
ここ数年比較的売れいるもの中にも、それを意識したものが多いようです。本日はその中から、2つほど紹介します。一つ目は、BLUENOTE TRIP JAZZANOVAです。比較的硬めのブルーノートのアルバムとは思えないほど、ジャズ、ラテン、ポップスなどの珠玉の曲がちりばめられています。音の透明感が秀逸です。
二つ目は、Timeless です。なつかしのセルジオ・メンデスが帰ってきた。それも現代的にリニューアルされて。一曲目のマ・シュ・ケ・ナダを聴いた瞬間、なつかしさがこみ上げました。ヒップ・ホップノバの見事なな融合です。制作したのは駄盤がないコンコード。曲数が多いが、もちろんマ・シュ・ケ・ナダ以外の曲もごきげん。以前はヒップ・ホップ系はあまり聴かなかったのですが、このアルバムを聴いてからは聴くようになりました。余談ですが、ジャケット内側のセルジオ・メンデスの写真、すっかり頭髪がなくなって(ハゲになって)時の流れを感じさせます。

2007年4月8日日曜日

ウィン君の日常 その1

ウィン君は毎日私を屋上に誘います。この写真のこちらを見ているほうがウィン君です。

下の写真はウィン君が私をタイヤ遊びをしようと誘っているところです。私がサッカーのように、タイヤを足で引っ掛けて転がすとそれを追いかけていって噛み付きます。


下の写真は、ウィンとチャナです。ウィン君は、タイヤ遊びをするのが好きですが、チャナは全く無関心です。
このブログは、「犬とレストランとイタリア料理」という名前ですが、今まで犬のことは掲載してきませんでした。これからは、犬のことも話題に取り上げていくのでよろしくお願いします。

2007年4月7日土曜日

親子deピザ教室開催!



Posted by Picasa

4月1日、2日両日リストランテ・ル・ブォンで『おやこdeピザ教室』を開催しました。昨年の12月より、実施していませんでしたので、ひさびさの開催でした。スタッフの皆様ご苦労さまでした。今回は、シェフをはじめとするコックさんたちはこれで2回目のピザ教室となりますが、他のスタッフは初めてだったので大変だったと思います。

リストランテ・ル・ブォンでは、不定期で開催してきた料理教室をいずれ定期的に開催することになると思います。これからもよろしくお願いします。

今回のピザ教室では、すでに出来上がったピザ玉からピザを作る内容でした。当日、受講者の方々からピザ生地の作り方を教えてくださいとの要望もありました。これに関しては後日、レシピーを送ったものと思います。

今まで参加されたことのあるも、参加されたことのない方でも、何か要望や質問がありましたら、是非お寄せください。

よろしくお願いします。


2007年4月5日木曜日

POBOBO



POBOBOをもう一度丹念に検索してみたら、南アフリカの地名でPOBOBOがありました。丘の名称のようです。上記はそのイメージ画像です。
ここまで、検索して私の意味で使っているPOBOBOはないのですから、やはり私のオリジナルだと思います。ここ当面、ライフスタイルやPOBOBOの話をしてきました。多少話しが硬くなったような気がします。今後、本来の「犬とレストランとイタリア料理」に沿った内容も半分くらい掲載していきます。よろしくお願いします。

2007年4月3日火曜日

世界の大都市の物価水準-POBOBO(ポボボ)の存在理由



上は、世界で最も暮らしやすいといわれているスイスのチューリッヒの写真です。この都市だとBOBOsにもなりやすいかもしれませんね。

さて日本でPOBOBOが発生する理由として、以前日本では土地や養育費が高いということを掲載しました。それ以外にも物価高もあります。昨年の調査を掲載します。

昨年の調査の中で、生活費が一番高かったのが東京でニューヨークの生活費の1.34倍!もしているのです。ニューヨークとほぼ同じ水準なのが、ミラノ、パリ、ウイーン、ローマです。
東京の生活費の25%も安上がり。ということは、東京で年収800万円の生活が、これらの都市では600万円で出来るということです。

更に、ユーロ高で敷居が高くなったマドリッド、バルセロナ、ブラッセルや、サンフランシスコ、ロスアンゼルスは、東京の物価より35%も低いですから、同様の暮らしが520万円で、出来るということになりす。

こう考えると、年収が1,000万前後あったとしても、東京ではなかなか大変だということが良く判ります。これくらいの年収があったとしても、アメリカのようにはBOBOs気分は味わえないということです。しかも、東京などをはじめとする日本では、住居など本当生活に必要なもので生活の質を左右するものが高いということがありますから、ますますBOBOs気分は味わえないことになります。

日本では、格差社会などいわれながら、まだまだ格差は少ないことと、さらには、こうして物価が高いことなどから、諸外国であれば、BOBOs気分を味わえる多くの人が一見それよりも下の層の人々と変わりのない消費行動をとっているように見えます。ただし、それは間違いで、現代の流通業をはじめとする産業がこれらの人々を相手にした商品やサービスを提供していないからです。なぜなら、年収1000万前後でありながら、その下の層の人々と一見あまり変わりないような生活を送っている人など世界のどこにもいないからです。

日本は少し前まで、欧米などを後追いして経済発展をしてきました。しかし、POBOBOに対する商品・サービスを提供している事例など先進工業国でも開発途上国でもどこにもないからです。手本が全く存在しないのです。無論日本国内でも、年収1000万前後の人の実数がこれほど多くなったことは、日本の歴史が始まって以来ありません。だからこそ、産業構造の転換、パラダイムの変換が必要なのです。

だからこそ今こそPOBOBOに着目する必要があるのです。

POBOBO-ポボボって何?!











上の写真2枚は、フランスの典型的なボボズのお嬢さんです。なんとなく、最近の日本の若者ファッションと似ていますね。日本がフランスの影響を受けているのか、フランスが日本の影響を受けているのか、その両方かもしれません。2枚目はブラウズはボヘミアの民族衣装風です。やはりボヘミアンの影響は大きいようです。
さて、いままで、BOBOsとか、団塊の世代ジュニアなど掲載してきました。団塊の世代ジュニア・リッチプア層は欧米でBOBOsといわれている人々と同様、日本の消費や、文化、その他トレンドに大きな影響を与えると思います。もはや単なる若者や、女子高生などは日本の消費や文化などを検討するには無価値です。団塊の世代ジュニア・リッチプア層こそ、次世代の旗手であり、新たな文化や価値観の創造主だと考えています。 またそうでなければならないと思っています。
私はこの層が日本これから先10年間のマーケティングや、社会、文化に大きな影響を与えることだろうし、事業や商売を実践していく上で最も重要なセグメントであると考えます。 この層は、比較的裕福であるにもかかわらず、家や車のローンや養育費が膨大であるため、一見プア層と変わりのない、消費行動をしていますが、事実は違う。彼らは、自ら価値観を求めたものやサービスに対しては出費は惜しまないが、層でないものに対して極力出費を抑える。この層に対する、商品やサービスは意外と、目立たない。というよりも、意図して意識して提供する努力がなされていない。目立たぬがゆえに、プア層と同じ感覚でマーケティングをするという誤った認識でモノやサービスが提供されている。だからこそすべての産業で変革が必要だ。

ここでこの長ったらしい「団塊の世代ジュニア・リッチプア層」に大して命名をしたいと思います。
それは、
   POBOBO(ポボボ)です。

  POOR(プア):貧乏な
  BOURGEOISIE:ブルジョアジー
  BOHEMIAN:ボヘミアン

以上の三つの単語かの頭から二文字をとった造語です。さて言葉の定義は終了しました。この次からは、皆さんをPOBOBOを知るための旅にいざないます。
この言葉は私が考えた全くのオリジナルです。インターネットでも調べてみましだか、私の定義でこのPOBOBO使っている例は全世界でどこにもありませんでした。もしあったら、教えてください。


2007年4月1日日曜日

ピザテンフォー春のサンクスセール

A.テイクアウト(お持ち帰り)全品30%off
 対象:ピザ全種 Mサイズ、Lサイズ

B.春のおためしセット
 1,500円以上のご注文に
  300円で下のメニューからお好きな2個
       アイス1個、ラップス1本、
       ササミフライ6ピース、
       スパイシーチキン2P、プリン1個
 
  500円で 上のメニューからお好きな3個
           又は
       グラタン・ドリア(Sサイズ1個)

上の企画1日より実施しています。4月30日(月)までです。

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