2007年4月20日金曜日

アメリカ・バージニア工科大学の銃撃事件の犯人映像


チョ・スンフィ容疑者(23)が犯行当日の16日、NBCテレビに自らを撮影した映像を送付したものの一部です。最初の銃撃と二度目の銃撃の間に発送されたとみられ、警察当局は動機の解明につながると見て調べています。
チョ容疑者は二人を射殺した16日午前七時十五分の学生寮銃撃と、三十一人を殺害した同9時四十五分ごろの教室銃撃との合間に郵便物を出した可能性が高いといいます。
4月15日に、『未来社会への変革』を書いたばかりです。その中の一番最後の項に

「無関心とは孤独なものである。無関心な人間は、他人を見ていない。だから周囲に何も感じないし、他人の身に何が起きても気にしない。底知れない虚無に包まれ、内面を虚無で満たされている。彼らはいかなる希望も将来も持てない」。とあります。まさに、チョ・スンフィ容疑者もそのような状況にあったのではないでしょうか。

また、「我々は、21世紀を迎えるにあたり、弱く、虐げられ、孤独で、病み、絶望している人びとと連帯しなければならない。その思いが、共同体に対して気高く人間的な貢献をしたい!という願望になる。そして、自らが何者であるかでなく、他者にとって何かということで自らを規定するようになる」。とあります。
無論このような犯罪を犯した、犯人に同情するつもりはありませんが、それにしても、大学で暴力的な文章を書いていることを教授が、指摘していたとか、カウンセリングのようなものも受けていたようです。

社会の安全装置として、何かで防ぐことはできなかったのでしょうか。警察や、その他既存組織ではできなかったのでしょうか?おそらくできなかったのでしょう。また、これからも出来ない可能性が大きいと思います。

やはり、何らかの形で非営利組織の共同体を構築して防ぐということが必要なのかもしれません。今後、こうした容疑者のような人が存在したばあい、なんとか、犯罪を防ぐようにするNPOの設立が世界各所の都市に必要と考えます。

0 件のコメント:

詐術の政治を超えて――若者とAI、そして高市所信表明が示した『戦略的寓話』

まとめ 政治的詐術の本質は、虚偽ではなく事実の一部を切り取り文脈を操作する「印象操作」にある。財務省の「国の借金」報道やマスコミ、国際機関、さらには気候変動・地震予知の分野にもこの構造が見られる。 SNSとAIの登場により、官僚やメディアの詐術は崩れ始めた。若者は情報を共有し、A...