まとめ
- 高市内閣支持率63%の一方、内閣改造や個別人事には厳しい評価も出ている。有権者は個別案件と政権全体を切り分けて判断しており、報道された争点と最終的な政権評価は同じではない。
- 全国で自民党が316議席を得る中、高市総裁が応援した簗氏は栃木3区の小選挙区で敗れた。全国政治、政党、地域の候補者を有権者が別々に判断することは矛盾ではなく、選挙で示された民意の一部である。
- 党首討論やニュース報道を通じて映し出される政治像は、政治全体や民意そのものではない。報道機関は多角的な判断材料を示し、最終的な判断を主権者に委ねることが重要である。
もっとも、ニュースには必ず選択が伴う。何を一面に載せるか、どの発言を見出しにするか、テレビでどの場面を長く流すかによって、受け手が見る政治の姿は変わる。これは報道という仕事から完全には切り離せない。しかし、そこで提示された「政治像」と、有権者がさまざまな情報を踏まえて最終的に示す「民意」は同じものではない。この二つの間に存在する距離を無視すると、世論調査も選挙結果も国会論戦も読み違えることになる。
10月の高市内閣支持率63%、2月の栃木3区、そして7月の党首討論。一見別々に見える三つの出来事を並べると、そのことがよく見えてくる。
1️⃣高市内閣支持率63%――個別評価と政権評価は同じではない
10月3、4日に実施されたJNN世論調査では、高市内閣を「支持できる」と答えた人は63.0%となり、前月から0.5ポイント上昇した。不支持は33.9%で、自民党の政党支持率は34.7%だった。JNNの最新世論調査を見ると、高市内閣への支持と自民党そのものへの支持にはかなり大きな開きがある。内閣を支持することと、政党全体を同じ程度に支持することは必ずしも一致しない。
| 高市内閣支持率63%と有権者の判断 AI生成画像 |
ここは重要である。ある問題が大きく報道され、その問題について批判的な回答が多数になったとしても、それだけで「だから政権全体も国民から否定されている」と結論づけることはできない。逆に支持率が63%だからといって、政権の個別政策や人事まで63%の国民が肯定しているわけでもない。有権者は、政策、人事、政党、首相、政権全体をそれぞれ別の物差しで評価しているのである。
政治報道では「政権に逆風」「首相に打撃」「野党が攻勢」といった言葉が使われる。限られた時間や紙面で状況を説明するには便利な表現だが、その一つの筋書きに民意全体を押し込めると現実を見誤る。報道機関が問題点を厳しく追及することは必要である。しかし、その報道で提示された問題意識と、国民が最終的に下す総合評価との間には一定の距離がある。その距離はむしろ、有権者が自分自身で判断している結果とも考えられる。
現在は、政治家の会見全文、国会中継、政府の一次資料、政党の発表、SNSや動画など、新聞やテレビ以外の情報源にも容易に接することができる。もちろんネット上には誤情報や極端な切り抜きもあるため、大手メディアによる取材・検証の価値は失われていない。しかし情報源が複数になった以上、一つの報道で提示された政治像が、そのまま国民全体の政治像になるとは限らないのである。
2️⃣栃木3区――全国政治と候補者選びを分けた有権者
この構造を選挙結果から考える材料が、2月8日の衆院選における栃木3区である。無所属新人の渡辺真太朗氏は58,483票を獲得し、自民党の簗和生氏の53,975票を4,508票差で上回った。簗氏は小選挙区では敗れたものの、比例北関東ブロックで復活当選している。とちぎテレビが報じた選管確定結果でも、この結果を確認できる。
しかも簗氏は、高市首相から距離を置かれていた候補ではない。投票日の2日前である2月6日、高市自民党総裁は那須塩原市に入り、簗氏への支援を直接呼び掛けていた。自民党は高市総裁の栃木県での応援演説全文を公開している。一方、この衆院選で自民党は全国で316議席を獲得し、選挙後の衆議院でも自民会派は316人となった。全国的な自民党への強い支持と、栃木3区の結果は同じ選挙で同時に起きたのである。
だから栃木3区の結果を「高市政権への拒否」と一言で説明するのは無理がある。反対に、「高市政権が全国で支持されたのだから、高市総裁が応援した候補も当然支持されるはずだった」と考えるのも違う。確実に言えるのは、全国政治に対する評価と、栃木3区から誰を国会へ送るかという判断が一致しなかったということである。
| 栃木3区で示された候補者への個別判断 AI生成画像 |
その後、簗氏をめぐっては、自身を支援しなかった首長がいる自治体について道路予算を「大幅にカットした」などと述べた発言が問題となり、本人が10月5日に撤回・謝罪した。ただし、実際に担当省庁へ予算削減を働き掛けた事実はないと説明している。もちろん、この後の出来事を2月の有権者が予見していたわけではない。ここで重要なのは後知恵ではなく、人気のある党首の評価と候補者本人への評価はもともと別のものだという点である。
政治報道を「与党への追い風か、逆風か」という一本の軸だけで見れば、こうした有権者の選択は理解しにくい。しかし、有権者が全国政治と地域政治を切り分けて判断すると考えれば、何も不思議ではない。報道によって整理された政治の構図より、実際の民意はもう少し細かく、多層的なのである。
3️⃣党首討論――テレビに映る政治は政治全体ではない
党首討論も、「報道」と「民意」の距離を考える材料になる。7月15日に行われた党首討論は午後3時から4時までの60分で、高市首相に対し、国民民主党の玉木雄一郎代表15分、中道改革連合の小川淳也代表14分、立憲民主党の水岡俊一代表12分、参政党の神谷宗幣代表9分、公明党の竹谷とし子代表6分、チームみらいの安野貴博党首4分という配分で討論が行われた。当日の時間配分と衆議院の公式記録で確認できる。
この時間配分を単純に「選挙で負けた野党の票が何倍にも扱われている」と説明するのは正確ではない。5月の党首討論では、野党党首の発言順と持ち時間は衆参両院の会派勢力の合計順で決められ、参加にも「衆参いずれかで10人以上の会派」「党首自身が国家基本政策委員」という条件があった。そもそも党首討論は、衆院選の議席比率を再現する場ではなく、政府に対して野党党首が直接論戦を挑むための制度である。政権が大きな多数を持つときほど、野党による監視の機会を保障する意味もある。
| 党首討論と報道編集の関係 AI生成画像 |
もちろん編集そのものが問題なのではない。限られた放送時間でニュースを伝える以上、選択と編集は不可欠である。問題になるのは、その一部を通じて提示された政治像を政治全体と混同することである。野党党首による厳しい追及がニュースになったからといって、その野党が国民から同じ程度に支持されているとは限らない。逆に、首相の答弁が大きく扱われたからといって、その政策が国民全体から支持されているとも限らない。
しかも現在では、衆議院が党首討論の審議映像を公開しており、視聴者自身が全体を確認できる。報道された数十秒を見ることと、60分の討論全体を見ることでは印象が違うこともあり得る。だから報道に求められるのは、編集をやめることではなく、自らが切り取った一部分と政治全体との距離を意識し、できるだけ多角的な判断材料を提示することなのである。
結語 「報道」と「民意」の間に距離があることは健全でもある
大手メディアには今も大きな役割がある。政府や自治体を取材し、権力者へ質問し、一次資料だけでは分からない事実を掘り起こし、社会へ伝える。その機能はSNSの個人発信だけで代替できるものではない。情報が大量に流通する時代だからこそ、取材と検証を専門にする報道機関の価値は大きい。
一方で、報道機関が提示する政治像と、国民が最終的に示す判断が一致しないことを、異常なことと考える必要もない。むしろ両者が常に一致する社会の方が不自然である。報道機関には取材・編集する自由があり、有権者にはその報道を材料の一つとして受け取り、自分で判断する自由がある。その間に一定の距離が存在することこそ、民主主義の自然な姿ではないか。
高市内閣支持率63%は、そのことをよく示している。個別の人事を「評価しない」、不記載議員の入閣を「問題がある」と考えながら、それでも内閣全体は支持するという判断は成立する。栃木3区でも、全国で自民党が316議席を獲得する中、高市総裁が応援した自民党候補を選ばないという判断が成立した。党首討論でも、テレビ画面に映る与野党の攻防と、各政党への実際の支持は同じものではない。
ここから見えてくるのは、有権者は政治を一つの物差しだけで判断していないということだ。政権、政党、候補者、個別政策を切り分け、時には報道された評価とも異なる結論を出す。それが主権者の判断である。
だから報道機関に求めたいのは、国民の代わりに「正しい結論」を決めることではない。政権に不都合な事実も、野党に不都合な事実も伝える。対立する論点をできるだけ明らかにし、一次資料への道も開く。そのうえで判断を国民に返すことである。
事実を示す。異なる論点を示す。そして最後の判断は国民に委ねる。
高市内閣支持率63%、栃木3区、そして党首討論から見えてくる「報道」と「民意」の距離とは、両者の断絶ではない。報道する側と判断する側がそれぞれの役割を果たしている限り、その距離はむしろ民主主義に必要な余白なのである。
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