まとめ
- 立憲民主党・古賀千景氏の発言は、単なる失言ではない。「経済的徴兵制」という名で、自衛隊を「貧しい人が行く場所」と見下す左派的ナラティブの欺瞞を露呈させた。
- 万葉集の防人歌(さきもりのうた)には、国を護る息子を思う父母の祈りが刻まれている。古代から日本人は、「国を護る者」が誰かの大切な家族であることを知っていた。
- いま自衛隊は深刻な人手不足に直面している。政治家がすべきことは、自衛官を貶めることではなく、敬意を払い、処遇を改善し、我が国を守る基盤を強くすることである。
立憲民主党の古賀千景参議院議員が、国会で看過できない発言をした。
古賀氏は参議院決算委員会で、自衛隊について「経済的に厳しい子どもたちが行く」「豊かな子どもたちは自衛隊にならない」という趣旨の発言をした。発言は直後に撤回されたが、撤回すれば済む話ではない。
この発言の根底にあるのは、自衛隊を「貧しい人が仕方なく行く場所」と見る発想である。これは、自衛官本人に対する侮辱であり、自衛官の家族に対する侮辱であり、これから自衛隊を志す若者に対する職業差別である。
しかも古賀氏は、元教職員であり、日本教職員組合の役職も務めてきた人物である。教育の現場にいた人物が、国を守る職業に対してこのような偏見を国会で口にした。このことは極めて重い。
今回の問題は、単なる一議員の失言ではない。
「経済的徴兵制」という左派的な物語の欺瞞と、永田町に残る自衛隊蔑視の構造を暴いた事件である。
1️⃣「経済的徴兵制」という物語の欺瞞
左派はしばしば、「貧しい若者が経済的理由で軍隊に行かざるを得なくなる」と語る。いわゆる「経済的徴兵制」論である。
だが、この言葉には大きな欺瞞がある。
自衛隊に入る理由は一つではない。国を守りたいという使命感、災害派遣への憧れ、航空機・艦艇・通信・整備・医療・補給など専門技能への関心、仲間とともに厳しい任務に挑む誇り、安定した公的職業としての魅力。動機は人それぞれである。
もちろん、生活の安定を求めて自衛隊を選ぶ人もいるだろう。それは何ら恥ずべきことではない。民間企業に就職する若者も、公務員を目指す若者も、安定した生活を考える。それを自衛隊だけ「貧困の受け皿」のように扱うのは、明らかな二重基準である。
| 画像は、AI生成したものです。以下同じ |
問題は、古賀氏の発言が、自衛官の志や誇りをまるごと消し去ったことにある。
「豊かな子どもたちは自衛隊にならない」
この言葉は、自衛隊を選ぶ若者を、まるで選択肢のない人々であるかのように描く。そこには、国防を担う職業への敬意がない。自衛官を志す若者の主体性を認めない。自衛隊を「かわいそうな人の行き先」として見下している。
これこそが、「経済的徴兵制」論の正体である。
若者を守るふりをしながら、実際には自衛官を貶める。平和を語るふりをしながら、実際には国を守る現場を見下す。差別に反対するふりをしながら、実際には自衛隊という職業に対する差別を垂れ流す。
これを欺瞞と言わずして、何と言うのか。
2️⃣教育組合系政治と、左派に残る自衛隊蔑視
さらに深刻なのは、この発言が教育畑の政治家から出たことである。
古賀氏は福岡県内の公立学校で教職に就き、福岡県教職員組合、日本教職員組合の役職を務めてきた。つまり、教育現場の価値観を背負って政界に入った人物である。
本来、教育に携わる者は、子どもたちの職業選択の自由を尊重しなければならない。教師は、医師を目指す子も、研究者を目指す子も、農業を継ぐ子も、介護職に進む子も、自衛官を目指す子も、等しく励ますべき存在である。
ところが、自衛隊となると話が変わる。
一部の教育現場には、いまだに自衛隊を特別に低く見る空気が残っている。
自衛隊は危険だ。
自衛隊は軍国主義につながる。
自衛隊に行くのは、経済的に厳しい子どもたちだ。
このような価値観が、教育の名のもとに子どもたちへ刷り込まれてきたのではないか。今回の発言は、その疑念を強めるものである。
過去にも、左派政治家をめぐって、自衛隊に関する過激な逸話がネット上で流布されたことがある。辻元清美氏についても、自衛隊員に対する「胸ポケットにコンドーム」発言なる話が広まった。しかし、この件は本人側が否定し、報道をめぐって名誉毀損訴訟にもなった経緯がある。
だからこそ、私は未確認の逸話を断定的に持ち出すべきではないと考える。
重要なのは、噂話に頼ることではない。今回の古賀氏の発言は、国会の場で実際に確認できる公的発言である。しかも、発言後に撤回され、立憲民主党も不適切発言として処分せざるを得なかった。つまり、今回の問題は、未確認情報ではない。現職国会議員が、公の場で自衛隊を「経済的に厳しい子どもたちが行く場所」と見る発想を示したという事実なのである。
この一点だけで、十分に重大である。
立憲民主党は古賀氏を厳重注意とし、文教科学委員会の筆頭理事を解いた。しかし、それで終わりにしてよいのか。
問題は、古賀氏一人の言葉づかいではない。教育組合系の政治文化の中に、自衛隊への偏見が残っているのではないかという点である。平等を語る。人権を語る。多様性を語る。その一方で、自衛官という職業だけは平気で見下す。
しかも、比例代表で当選した組織内議員は、特定団体の支援を強く受ける。古賀氏も、日教組の関係する政治ネットワークの中で当選した人物である。通常の選挙区選出議員のように、地元有権者が一対一で審判を下す構造とは異なる。
もちろん、比例代表制度そのものを否定するものではない。しかし、特定組織に支えられた議員が、国民全体に関わる国防問題で偏見を露呈したとき、党内処分だけで済ませてよいのかという問題は残る。
その議員は、誰の声を背負っているのか。どの団体に支えられているのか。どのような思想的背景を持っているのか。国益よりも、特定団体の論理を優先していないか。
政治家の背景の透明性は、民主主義にとって不可欠である。所属団体、政治資金、対外活動、政策履歴。これらを国民が知ることは、当然の権利である。
3️⃣防人歌が示す、国を護る者への祈り
自衛隊を「経済的に厳しい子どもたちが行く場所」と見る発想が浅薄なのは、それが国を護る者の重みをまったく理解していないからである。
我が国には、古代から「国を護る者」への深いまなざしがあった。古事記や日本書紀に見られる国土意識、そして白村江の敗戦後に整えられた北部九州の防衛体制は、そのことを物語っている。
663年、白村江(はくすきのえ)の戦いで日本は唐・新羅連合軍に敗れた。その後、我が国は大陸からの侵攻に備え、北部九州に水城や山城を築き、防人を配置した。防人とは、まさに古代日本の最前線を守った人々である。
彼らの多くは東国から遠く九州へ赴いた。家族と別れ、故郷を離れ、危険と隣り合わせの地へ向かった。その心情は、万葉集の防人歌に残されている。そこには、勇ましい掛け声だけではない。父母への思い、妻子との別れ、故郷への望郷、任務への覚悟がある。
万葉集巻二十には、防人として赴く息子を思う父の歌がある。
家にして恋ひつつあらずは
汝が佩ける大刀になりても
斎ひてしかも
読み:
いへにして こひつつあらずは
ながはける たちになりても
いはひてしかも
現代語訳:
家に残ってお前を恋しく思っているくらいなら、お前が身につけている太刀になってでも、お前を守り、無事を祈ってやりたい。
これは、日下部使主三中の父が詠んだ歌である。父は、息子とともに九州へ行くことはできない。だが、せめて息子が身につける太刀になってでも守りたいと願う。ここにあるのは、国を護る者を送り出す家族の、痛切な祈りである。
もう一首、防人本人が父母を思う歌もある。
父母が頭掻き撫で
幸くあれて言ひし言葉ぜ
忘れかねつる
読み:
ちちははが かしらかきなで
さくあれて いひしけとばぜ
わすれかねつる
現代語訳:
父母が私の頭を撫でて、「無事でいなさい」と言ってくれた。その言葉が忘れられない。
これは、丈部稲麻呂の歌である。出征する息子の頭を父母が撫で、無事を祈る。その言葉を、息子は遠い任地で忘れることができない。ここには、親が子を思い、子が親を思う、変わらぬ日本人の情がある。
防人は、単なる制度上の兵ではなかった。親にとってはかけがえのない息子であり、妻にとっては夫であり、子にとっては父であった。その一人ひとりが、国境の守りに就いたのである。
この歴史を思えば、自衛隊を「経済的に厳しい子どもたちが行く場所」と見なす発想が、いかに浅いかが分かる。
現代の自衛官もまた、誰かの息子であり、娘であり、夫であり、妻であり、父であり、母である。その一人ひとりが、東シナ海の空と海、南西諸島、ミサイル警戒、災害派遣の現場で、我が国を支えている。
そして、現実の自衛隊はいま深刻な人手不足に直面している。少子化、進学率の上昇、民間企業との人材獲得競争。こうした要因が重なり、自衛官の募集は厳しい状況にある。防衛省資料でも、自衛官等の応募者数、採用者数の減少が明確に示されている。
この状況で政治家がやるべきことは、自衛隊を貶めることではない。自衛官の処遇を改善することである。
給与、住環境、家族支援、退職後のキャリア、装備、訓練環境。これらを整え、自衛官が誇りを持って任務に就ける環境を作るべきである。
現実の自衛隊は、机上のイデオロギーとはまったく違う場所で国民を守ってきた。災害が起きれば、真っ先に現場へ向かう。道路が寸断されれば、物資を運ぶ。避難所が疲弊すれば、給水、給食、入浴支援を行う。九州でも、熊本地震をはじめ、自衛隊は地域社会の命綱として働いてきた。
そこにいた隊員たちは、「経済的に厳しいから仕方なく来た人々」だったのか。違う。彼らは、国民の命を守るために現場へ向かったのである。
万葉の時代から、日本人は国を護る者の重みを知っていた。防人歌は、その記憶を今に伝えている。にもかかわらず、現代の国会議員が自衛官を貧困の受け皿であるかのように語る。これは、単なる政策認識の誤りではない。日本の歴史と精神に対する無理解である。
平和は、祈れば守られるものではない。
平和は、誰かが危険を引き受けることで守られている。
国を護る人々を軽んじる政治は、我が国の根を軽んじる政治である。
結論 自衛隊差別を許すな
今回の古賀千景氏の発言は、単なる失言ではない。
それは、「経済的徴兵制」という欺瞞に満ちた左派的物語の露呈であり、教育組合系政治に残る自衛隊蔑視の露呈であり、永田町の身内処理体質の露呈である。
自衛隊を選ぶ若者は、憐れまれる存在ではない。
自衛隊員は、見下される存在ではない。
自衛官の家族は、政治家の偏見に傷つけられてよい存在ではない。
我が国を守る人々に敬意を払えない政治家に、我が国の未来を語る資格はない。
いま必要なのは、自衛隊を「かわいそうな人の行き先」と見る戦後的偏見を終わらせることである。そして、自衛官という職業を、国家を支える誇りある職業として正当に遇することである。
古代の防人も、現代の自衛官も、誰かの大切な家族でありながら、我が国を護る任務に就いている。その重みを理解できない政治家に、国防を語る資格はない。
国を護る人々を見下す政治は、もう終わらせなければならない。
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