まとめ
- 高市首相のSNS発信を「知る権利の侵害」と決めつけるのはおかしい。むしろ国民が首相本人の言葉に直接触れられる時代になったのであり、問題はそれを切り取るマスコミの側にある。
- 保守層の批判は必要だが、報道の見出しだけで「裏切り」「変節」と騒ぐのは危険である。百田氏や日本保守党の批判も、高市政権の公約実行を後押しするものとして見るべきだ。
- 国民会議、消費税ゼロ、動画疑惑などは、すべて一次資料で確認すべきである。高市首相を甘やかす必要はないが、マスコミの印象操作に乗せられて疑う必要もない。
Wedge ONLINEに「高市首相の極端に少ないメディア取材、SNSばかりでよいのか?『知る権利の侵害』との声も…かつての中曽根首相に学ぶべき」という記事が掲載された。
この記事は、高市首相のぶら下がり取材や記者会見が少なく、XなどSNSでの発信が多いことを問題視している。さらに、メディアとの対話を避けているのではないか、国民の知る権利を侵害しているのではないか、という見方も紹介している。
たしかに、首相が記者会見や国会答弁で説明を尽くすことは重要である。厳しい質問を受ける場は必要であり、権力者が説明責任を軽視してよいわけではない。
しかし、私はこの記事の問題設定には強い違和感を覚える。
高市首相は、衆議院選挙で自民党単独316議席、与党全体352議席という圧倒的な信任を得た首相である。議席基盤の弱かった過去の政権と同じ振る舞いを、そのまま真似する必要はない。むしろ、強い民意の後押しを得た政権だからこそ、自らの政策を国民に直接語ることには大きな意味がある。
さらに、高市政権はまだ発足から一年も経っていない。いまは、公約を法案、予算、制度に落とし込む途上である。にもかかわらず、政策調整の途中段階を、新聞やテレビの見出しだけで「変節」「後退」「裏切り」と決めつけるのは早すぎる。
問題は、高市首相がSNSで発信していることではない。問題は、その一次情報を国民が見ず、マスコミの切り取りや印象操作だけで判断してしまうことである。
1️⃣昭和型の番記者政治に戻る必要はないWedge記事は、中曽根康弘元首相のように記者の質問に応じるべきだという趣旨を打ち出している。
もちろん、中曽根氏の政治手腕には学ぶ点がある。だが、中曽根氏を無条件に手本化するのは危うい。中曽根政権は、消費税の原型とも言える売上税導入を試みたが、国民の強い反発を受けて失敗した。記者対応の巧みさと、政策判断の正しさは別問題である。
そもそも、昭和の政治は、番記者、記者クラブ、派閥、官僚機構が情報を握る時代だった。国民は、新聞やテレビを通じてしか、首相の発言や政権の動きを知ることができなかった。
| 画像はAI生成画像です。以下同じ |
しかし、現在は違う。首相本人のSNS、首相官邸の発表、国会答弁、政府資料、党の公式文書に、国民が直接アクセスできる。トランプ氏のように、既存メディアを通さず有権者へ直接発信する政治手法も、すでに世界では珍しくない。
これは「知る権利の侵害」ではない。むしろ、国民が一次情報に直接触れられる時代になったということである。密室で記者や官僚だけが情報を握る政治より、公開された発信が残る政治の方が、はるかに検証しやすい。
記者会見は必要である。国会答弁も必要である。しかし、それだけが説明責任ではない。SNSや官邸発表を通じて、首相が国民に直接語ることも、令和の政治における重要な説明責任である。
むしろ問われるべきは、首相が発信している一次情報を、マスコミが正確に伝えているのかという点である。本人が説明しているにもかかわらず、それを無視し、切り取り、その上で「説明不足」と批判するなら、それこそ国民の知る権利を妨げている。
2️⃣保守層の批判は敵対ではなく、公約実行の後押しである
高市首相に対して、保守層からも厳しい声が出ていることも事実である。
たとえば、百田尚樹氏や日本保守党は、減税、外国人問題、再エネ、拉致問題、中国への対応について、もっと踏み込むべきだと注文をつけている。これは高市政権への敵対ではない。むしろ、高市政権が掲げた公約や保守的政策を、本当に実行せよという後押しである。
減税を早く実行してほしい。再エネ賦課金を見直してほしい。外国人政策にもっと明確に踏み込んでほしい。拉致問題や中国への対応を強めてほしい。これらは、高市政権の方向性を否定するものではない。むしろ、その方向性を補強する要求である。
私自身、高市首相を無条件に擁護するつもりはない。安倍首相に対してもそうだった。私は安倍氏を高く評価しているが、それは安倍氏を無謬の存在として扱ってきたという意味ではない。安全保障、日米同盟、自由で開かれたインド太平洋、デフレ脱却への金融政策などは高く評価する。一方で、消費税率引き上げ、財政再建路線への配慮、外国人労働者受け入れ拡大につながる政策には批判すべき点があった。
良いものは良い。悪いものは悪い。そう評価してきた結果、評価すべき点が多かったから、私は安倍氏を高く評価している。高市首相についても同じである。
ただし、批判には前提がある。新聞の見出し、テレビの切り取り、SNS上の短い反応だけで判断してはならない。本人が何を言い、何を言っていないのか。政府資料には何と書かれているのか。正式決定なのか、まだ調整段階なのか。そこを確認してから批判すべきである。
最近の高市首相秘書をめぐる動画疑惑も同じである。報道では「中傷動画」と表現されているが、まず問うべきは、動画そのものはどこにあるのか、内容は本当に中傷なのか、それとも政治批判なのか、誰が具体的に被害を受けたのか、高市首相本人の関与は確認されているのか、という点である。
もし本当に悪質な中傷動画が組織的に流され、反対陣営に明確な被害があったというなら、たとえば石破前首相などは真っ先に声を上げても不思議ではない。ところが、少なくとも現時点では、具体的な被害者や動画の全体像が、国民に十分検証できる形で示されているとは言いがたい。
疑惑を無視せよというのではない。事実無根の誹謗中傷が組織的に行われていたなら批判すべきである。しかし、報道機関が貼った「中傷」というラベルを、そのまま受け入れる必要もない。ここでも必要なのは、一次資料である。
3️⃣国民会議は安心材料ではなく有権者の監視対象である
食料品の消費税率ゼロをめぐる国民会議についても、同じ態度が必要である。
国民会議は、公約実現の工程表にもなり得る。しかし同時に、公約をなし崩しにする装置にもなり得る。
政治の世界では、明確な公約が「検討」「調整」「専門的議論」「制度設計」という言葉の中で薄められていくことがある。最初は「食料品の消費税率ゼロ」だったものが、「財源はどうするのか」「レジシステムは間に合うのか」「外食との公平性はどうするのか」「地方財政への影響はどうするのか」といった論点に囲まれ、いつの間にか「ゼロ%ではなく1%でもよいのではないか」という話になる。
もちろん、制度設計は必要である。税制を変える以上、実務上の課題を無視することはできない。しかし、制度設計が公約実現のための作業なのか、それとも公約を後退させる口実なのかは、厳しく見極めなければならない。
したがって、国民会議は安心材料ではない。有権者にとっては監視対象である。
本当にゼロ%で実施するのか。2年間限定という公約は守られるのか。1%案は骨抜きではないのか。給付付き税額控除にすり替えられないのか。保守層がここに警戒感を持つのは当然である。
ただし、その疑いも一次資料に基づくべきである。国民会議で何が議論されているのか。高市首相本人は何を述べたのか。官房長官や関係閣僚は何を説明したのか。正式決定なのか、検討案なのか。そこを見ずに、報道の見出しだけで「もう裏切った」と断定したり焦るのは早い。
高市政権への期待が高いからこそ、保守層は揺さぶられやすい。長く続いた緊縮財政、曖昧な外国人政策、再エネ偏重、安全保障への不十分な対応を転換する政権として期待しているからである。
だからこそ、財務省的な緊縮論やマスコミの対立構図に乗せられてはならない。「財源はどうするのか」「市場の信認は大丈夫か」「国債金利が上がるのではないか」という言葉は、一見もっともらしい。しかし、それが政策実現を遅らせ、公約を薄める口実になるなら、厳しく警戒すべきである。
高市政権はまだ発足から一年も経っていない。多くの政策は、いま制度設計、与党内調整、官僚機構との折衝、国会審議の過程にある。だから、途中段階を見て早々に「裏切り」と断定するのは早い。しかし同時に、「まだ始まったばかりだから」といって油断してもならない。
必要なのは、盲目的支持ではない。一次資料に基づく是々非々である。
結論
高市首相を甘やかす必要はない。
しかし、報道の印象だけで疑う必要もない。
首相が何を言い、何を言っていないのか。
公約は進んでいるのか、薄められているのか。
動画疑惑は事実なのか、ラベルだけなのか。
国民会議は工程表なのか、骨抜きの場なのか。
それを確かめるのは、マスコミではない。私たち自身である。
高市首相を疑う前に、まず一次資料を見よ。
報道を信じる前に、本人の言葉を確認せよ。
そして、支持するからこそ監視せよ。
これが、令和の政治を見誤らないための最低限の作法である。
【関連記事】
テクノロジストとは何者か──高市早苗とトランプが「よりテクノロジスト的」に見える理由 2026年2月11日
高市首相とトランプ氏を、理念ではなく「現実の結果を引き受ける政治家」として読み解く記事。SNS時代の直接発信と責任ある政治を考えるうえで、本稿と深くつながる。
手稲に立った高市早苗――地方から始まった「決断する政治」の第一章 2026年1月28日
高市政治を、地方から始まる「決断する政治」として描いた記事。閉じた永田町政治ではなく、国民に直接語る政治の意味を理解するために読んでおきたい。
夜明けは政権ではなく、国民の側から始まった──新しい年、日本は「目を覚ました国民」とともに歩み始める 2026年1月1日
一次資料を確認し、自分で判断する国民の覚醒を論じた記事。マスコミの切り取りに流されず、国民自身が政治を監視するという本稿の土台になる。
日本のマスコミは『事前学習済みAI』だ──沈黙は判断ではない、生成停止である
2025年12月29日
既存メディアがなぜ重要な論点で沈黙し、都合のよい物語だけを生成するのかを分析した記事。今回の「印象操作に乗るな」という主張を補強する一本。
財務省の呪縛を断て──“世界標準”は成長を先に、物価安定はその結果である
2025年11月12日
高市政権の減税と成長投資を、財務省的な緊縮論と対比して論じた記事。消費税ゼロや国民会議を監視すべき理由を、経済政策の面から理解できる。