まとめ
- 米国でいま、米軍を第一列島線から「第二列島線」へ後退させ、日米同盟そのものを見直す新戦略が提言されている。これは突然現れた孤立した議論ではない。
- 日本は通常戦力を強化し、自力で侵攻を失敗させる「拒否的抑止」を高められる。しかし、米国の核の傘まで失えば、中国・ロシア・北朝鮮の核を誰が抑止するのか。
- ロシアがウクライナで核を使っていないからといって、核抑止が不要になるわけではない。日米同盟を強化しつつ、その先の選択肢まで考える時期に来ている。
それに合わせ、米軍の重心も日本、韓国、フィリピンなど中国に近い第一列島線から、グアム、パラオ、ミクロネシア、マーシャル諸島など第二列島線へ移す。日本については一挙に関係を断つのではなく、米軍の駐留と防衛義務を段階的に縮小し、2035年ごろまでに日本が防衛面で大幅に自立することを目指す構想である。最終的には恒久駐留をほぼ解消しながらも、情報、兵器供与、後方支援、限定的なローテーション展開などを残す余地は想定されている。したがって、これは「米国が日本との安全保障関係をすべて断つ」という案ではない。現在の日米安全保障条約に基づく相互防衛関係を終え、その下にある米軍態勢を大幅に縮小する提言である。
さらに重要なのは、この提言が米国の核の傘の実質的な後退を伴うことを、報告書自身が認識している点だ。カバナ氏は、日本や韓国が独自の核兵器取得を検討する可能性に触れ、核拡散は望ましくないとしながらも、その危険だけを理由に現在の米軍態勢と安全保障義務を維持し続けるべきではないと論じている。
一見すると、かなり大胆な提言である。しかし、これを一研究者の突発的な極論と見なすと、米国で長く続いてきた安全保障論争を見誤る。冷戦後の米国では、「豊かな日本をなぜ米国がいつまでも守るのか」「日本はもっと自国防衛を担うべきではないか」「中国沿岸近くに大量の米軍を恒常的に置き続ける必要があるのか」という議論が繰り返されてきた。今回のDefense Priorities案は、その流れを一段先へ進めたものと見るべきだ。
そして、この議論を突き詰めれば最後に1つの問題が残る。
米国が引いた後、我が国の核抑止を誰が担うのか。
1️⃣30年以上続く「日本は日本で守れ」という米国の潮流
この議論を理解するには、少なくとも1990年代まで遡る必要がある。1998年2月9日、Cato Instituteのダグ・バンドウ氏は「No One Benefits from U.S. Presence in Japan」を発表した。そこでは、沖縄を中心とした在日米軍を縮小した後、米軍を日本から全般的に撤退させ、日米の相互防衛条約も終了すべきだと明記している。冷戦が終わり、日本が経済大国になった以上、米国が引き続き大きな防衛負担を負う合理性は薄いという論理である。
バンドウ氏はその後も同様の主張を続けた。2014年の「A New “Normal”: Time for Japan to Defend Japan」では、日本は自国と周辺海域の防衛責任を最終的に自ら引き受けるべきだと論じ、2016年の「What Should the U.S. Do in Okinawa? Bring America’s Troops Home from Japan」では、第二次世界大戦終結から70年以上が経過した以上、日本の防衛はワシントンではなく東京の責任であるべきだと主張した。結論への賛否は別として、「経済力と技術力を持つ日本が自国防衛を米国に大きく依存し続ける必要があるのか」という問いは、今回初めて出てきたものではない。
2016年には、この問題をドナルド・トランプ氏が大統領選の政治課題として表面化させた。同年3月、トランプ氏はCNNのタウンホールで、日本や韓国が米国により多くの負担を求め続けるのであれば、自国防衛の責任をより多く引き受けるべきだと主張した。さらに北朝鮮の核保有を念頭に、日本や韓国が独自に核兵器を持つ可能性についても否定しなかった。CNNによる当時の発言全文を見ると、トランプ氏の主眼は一貫して、同盟国が自国防衛の費用と責任をもっと負うべきだという点にあった。
同じ2016年には、ジョン・ミアシャイマー氏とスティーヴン・ウォルト氏がForeign Affairs誌に「The Case for Offshore Balancing」を発表した。これは日米同盟の解消論そのものではなく、米国の大戦略論である。米軍が世界各地に恒常的に前方展開するのではなく、まず地域の主要国に勢力均衡を担わせ、特定の国家が地域覇権を握りそうになった場合に米国が本格介入するという考え方だ。Cato Instituteとは結論が異なるが、「同盟国自身により大きな防衛責任を負わせる」という問題意識では接点がある。
さらに2022年12月、Quincy Institute for Responsible Statecraftのマイケル・スウェイン氏とサラン・シドア氏は、「A Restraint Recipe for America’s Asian Alliances and Security Partnerships」を公表した。ただし、ここは明確に区別すべきである。両氏は日米同盟を終了すべきだとは主張しておらず、むしろ日米同盟を米国の安全保障にとって重要なものとして維持・強化すべきだとしている。その一方で、同盟を中国との覇権競争を目的とした前方展開の道具にせず、より防御的で抑制的な形にするべきだと論じている。
つまり米国には、一枚岩の「撤退派」が存在するわけではない。日米同盟そのものを終了すべきだという立場もあれば、同盟は維持しつつ米国の軍事的役割を限定すべきだという立場もある。それでも共通する問題意識はある。
米国が現在と同じ規模と形で、永久に東アジアの安全保障を背負い続けることを当然視してはいないということだ。
Defense Priorities自身も、今回突然この方向へ転じたわけではない。2024年12月の「Allies Balancing: A Safer Strategy for the U.S. in Asia」では、すでに日本や韓国など能力のある同盟国がより多くの防衛責任を担い、米国は中国との直接的な軍事競争への関与を抑えるべきだと主張していた。さらに2025年には、米軍の世界的態勢を見直し、第一列島線に集中した脆弱な戦力を第二列島線側へ移す構想も打ち出している。
この流れの先に、2026年の「第二列島線戦略」がある。したがって今回の提言は、米国で長年存在してきた抑制主義の一つの到達点と見るのが妥当である。
2️⃣日本は「米国がいなければ何もできない国」なのか
では、こうした米国側の問題提起をすべて身勝手な議論として退けてよいのか。私はそうは思わない。日米同盟を終了すべきだという結論には賛成できなくても、「日本はもっと自国を自ら守るべきだ」という問題提起には十分な理由がある。
我が国には潜水艦、イージス艦、F-35戦闘機、早期警戒機、ミサイル防衛など高度な海空戦力があり、さらにスタンド・オフ防衛能力、無人機、宇宙、サイバー、電子戦能力の強化も進んでいる。防衛省が示す「国家防衛戦略」も、侵攻が生起した場合には我が国が主たる責任を持って対処し、同盟国などの支援を受けながら阻止・排除するとの考えを明記している。
つまり、我が国の安全保障は本来、「米国が守ってくれるから日本は何もしなくてもよい」という制度ではない。我が国自身が防衛力を持ち、その能力だけでは補えない部分を日米同盟によって補完する構造である。
我が国が通常戦力をさらに強化すれば、「攻撃しても目的を達成できない」と相手に思わせる拒否的抑止は相当程度まで高められる。南西諸島への侵攻を阻止し、敵艦艇や航空戦力の自由な接近を許さず、ミサイル攻撃を受けても基地機能を維持する。さらにスタンド・オフ防衛能力や無人機を活用して、侵攻のコストそのものを高める。
我が国が目指すべきなのは、「米軍が来るまで耐える自衛隊」ではなく、我が国自身の力で侵攻の目的を失敗させられる自衛隊である。その意味では、Cato InstituteからDefense Prioritiesまで続いてきた米国側の問題提起には、聞くべき部分がある。
しかし、「日本は通常戦力を強化できる」から「日米同盟は不要である」へ進むと、最後に1つの巨大な穴が残る。
核抑止である。
3️⃣通常戦力を増やしても消えない「核」という穴
我が国の周辺には、中国、ロシア、北朝鮮という核保有国が存在する。現在、この圧倒的な非対称性を埋めているのが米国の拡大抑止、いわゆる「核の傘」である。防衛省の国家防衛戦略の概要も、核兵器の脅威に対しては、核抑止力を中心とする米国の拡大抑止が不可欠だと明記している。
仮に日米同盟を終了させ、我が国が潜水艦、F-35、長射程ミサイル、無人機などを大幅に増強したとしても、中国やロシアが核兵器の使用を示唆したとき、その威嚇を最後に何が止めるのかという問題は残る。通常戦力による拒否的抑止と、核兵器による核威嚇への抑止は同じではない。
ここでウクライナ戦争を見る必要がある。ロシアは2022年2月の全面侵攻以降、核戦力への言及、核演習、核ドクトリンに関する発言、ベラルーシへの戦術核配備などを通じて、繰り返し核兵器の存在を西側諸国に意識させてきた。米戦略国際問題研究所(CSIS)の分析は、ロシアの核シグナルには、NATOによる直接介入、西側による軍事支援、ロシア領やクリミアへの攻撃を抑制しようとする意図があったと整理している。
しかし、ロシアはこれほど核兵器をちらつかせながら、2026年9月現在までウクライナに対して核兵器を使用していない。だからといって、「核兵器は結局使えないのだから、我が国も核抑止を考える必要はない」と結論するのは早計である。
ロシアの核兵器は使われていないが、NATO諸国はロシアとの直接戦争を一貫して避けてきた。西側の兵器供与も、特に戦争初期には射程や使用方法を慎重に拡大してきた。ただし、その全てをロシアの核威嚇によって説明することはできない。通常戦争の拡大回避、同盟国間の政治判断、軍事上の事情など複数の要因があり、CSIS自身も、核威嚇がNATOの直接介入を実際に思いとどまらせたのかについては断定していない。
それでも、ロシアの核戦力が西側諸国のリスク計算に影響する要因の1つであることは否定しにくい。
核抑止とは、核兵器を実際に使うことで初めて成立するものではない。使った場合に何が起こるかを相手に計算させ、その行動を制約することに本質がある。
ロシアが核兵器を使用していない理由も1つではない。米国やNATOからの反応への懸念、中国やインドを含む国際社会からの反発、軍事的利益の不確実性、戦争が制御不能に拡大する危険などが複合的に作用していると考えるのが妥当である。したがって、「ロシアが核を使っていない」という事実は、核抑止の不要論を直接導くものではない。
この点は我が国にとって重い。ウクライナはNATO加盟国ではなく、米国の条約上の同盟国でもない。一方、我が国は日米安全保障体制の下で米国の拡大抑止の対象となっている。「日米同盟を終了しても日本は自力で抑止できる」と主張するのであれば、現在米国が担う核抑止を、その後何によって代替するのかを示さなければ議論は完結しない。
もちろん、だから直ちに我が国が核武装すべきだという結論にはならない。信頼できる独自核抑止を構築するには、核弾頭だけでなく、運搬手段、早期警戒、指揮統制、通信、生存性、そして先制攻撃を受けても報復できる第二撃能力が必要である。加えてNPT体制、非核三原則、周辺国との関係、日米関係、国民生活や経済への影響まで含めた巨大な国家的判断となる。
だからこそ、議論は単純化すべきではない。「我が国には技術力があるから核武装は簡単だ」というのも、「核兵器は使われていないから不要だ」というのも、いずれも現実を捉えていない。
核兵器が実際に使用されていないことと、核抑止が不要であることは全く同じではない。
我が国が今すぐ核武装を決める必要はない。しかし、米国の拡大抑止が将来弱体化した場合に、核共有、別の形の拡大抑止、あるいは独自核抑止を含め、何が我が国の国益を守る選択肢となり得るのかを研究することまで封じるべきではない。
結論 米国がいても、いなくても、屈服させられない日本へ
今回のDefense Prioritiesの提言を30年余りの流れの中に置くと、これは一研究者による突然の「米軍撤退論」ではないことが分かる。Cato Institute、オフショア・バランシング論、Quincy Instituteなどの抑制論、そしてトランプ氏まで、立場と結論は違っても、「日本ほど豊かな国を米国がいつまで現在の形で守り続けるのか」という問いは繰り返し提起されてきた。
ただし、それらは米国の安全保障論の総意ではない。現在の日米同盟を強化し、中国に対する前方抑止を維持・強化すべきだという議論も依然として強い。だからこそ重要なのは、「米国は必ず撤退する」と決めつけることでも、「米国は永遠に今と同じ条件で守ってくれる」と思い込むことでもない。
我が国がやるべきことは明確である。日米同盟を維持・強化しながら、我が国自身の防衛力を高めることである。南西諸島やシーレーンを守り、基地の抗堪性を高め、弾薬や燃料の備蓄を増やす。無人機、宇宙、サイバー、潜水艦、スタンド・オフ防衛能力を強化し、防衛産業の生産力と継戦能力を再建する。安全保障とは兵器を買うことだけではなく、国家として必要な供給力と資産を蓄積することである。
そのうえで日米同盟を使えばよい。これは「米国に守ってもらう」という発想とは違う。我が国がまず自らを守れる態勢を整え、その日本と米国が組むことで、相手に攻撃の利益そのものを失わせるのである。
一方、核抑止では現在も米国の役割が極めて大きい。だからこそ米国の拡大抑止を強固にすると同時に、それが将来弱体化した場合の代替策も研究する。この2つは矛盾しない。
米国を信頼する。しかし依存し過ぎない。自国の防衛力を強化する。しかし孤立しない。核兵器を今すぐ持つと決める必要はない。しかし、核抑止の選択肢について考えることまで放棄しない。
日米同盟終了論に対する本当に強い反論とは、「米国がいなければ日本は守れない」と訴えることではない。我が国自身でも相当程度まで守れる国になったうえで、それでも日米同盟を維持する方が日米双方の国益にかなうことを示すことである。
我が国が目指すべきなのは、「米国なしでは守れない国」でも、「一国ですべてを背負い込む国」でもない。
米国がいても、いなくても、簡単には屈服させられない日本である。
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