まとめ
- リトアニアは海に面しながら複数国と陸続きであり、ギジャイ変電所ではドローン、車両突入、破壊工作まで想定した物理防護が計画されている。
- 海洋国家日本は大東亜戦争期、米国による計画的な潜水艦通商破壊と1945年の「飢餓作戦」で海上物流という弱点を突かれた。同時に国内では軍用備蓄や統制物資が存在する一方、配給不足、終戦前後の隠退蔵・物資処分の混乱が重なり、国民生活は深刻な食糧難に陥った。
- 現代の日本では、変電所、港湾、燃料施設、海底ケーブル、食料・燃料などの備蓄、そしてそれらを届ける物流網までを一体として考え、「どこを止められれば国家が止まるのか」を見極めて、代替・分散・防護・備蓄・輸送・復旧能力を整える必要がある。
戦争への備えと聞けば、戦車、戦闘機、ミサイル、防空システムを思い浮かべる。しかし欧州ではいま、もっと身近な施設まで安全保障の最前線に入りつつある。変電所である。リトアニアの送電事業者Litgridは、ポーランドとの新たな電力連系線「Harmony Link」を国内送電網につなぐギジャイ変電所を建設する計画を進めているが、この変電所は普通の電力設備ではない。爆薬を積んだ車両の突入を想定した外周防護、地下からの侵入を探知する設備、ドローン攻撃から変圧器を守る強化コンクリート構造、主要設備の二重化まで盛り込まれる予定である。Reutersが報じたギジャイ変電所の防護計画では、安全対策の追加だけで従来計画より少なくとも4800万ユーロ(約86億円)の費用増になるとしている。
なぜ一つの変電所に、ここまでの防護が必要なのか。その背景には、ウクライナ戦争を通じて欧州が直面した新しい安全保障の現実がある。現代の国家を麻痺させるには、必ずしも戦車で国境を越える必要はない。電力、通信、港湾、鉄道など社会を動かす基盤の急所を狙えば、全面戦争に至らない段階でも国家に大きな圧力を加えられる。NATOが2026年9月に公表したレジリエンス基準要件も、重要インフラへの物理攻撃、破壊工作、サイバー攻撃、戦略的依存などを明示的なリスクとして扱っている。リトアニアの「要塞化する変電所」は、その変化を象徴している。
1️⃣なぜ一つの変電所をここまで守るのか
ギジャイ変電所は、リトアニア南西部ヴィルカヴィシュキス地区に計画されている。Litgridが公表したギジャイ変電所建設計画によれば、敷地は約35ヘクタールで、完成すれば同社が運用するリトアニア最大の変電所となり、330、220、110、10キロボルトの各電圧階級を扱う。完成目標は2030年末である。ここにつながるHarmony Linkは、リトアニアとポーランドを結ぶ新たな電力連系ルートであり、両国間の送電能力を高める重要な設備である。
ここで時系列を正確に押さえておきたい。バルト三国はHarmony Linkの完成を待ってロシア系統から離脱するわけではない。エストニア、ラトビア、リトアニアはすでに2025年2月9日、ロシア・ベラルーシ系統への長年の依存を終え、ポーランドを経由して欧州大陸系統との同期を実現した。欧州委員会の「Baltic Energy Market Interconnection Plan」も、この日をバルト三国の欧州大陸系統への同期完了日としている。Harmony Linkはその後、国境を越えた送電能力と電力市場統合、系統の強靱性をさらに高める追加ルートなのである。
| ギシャイ変電所とスヴァウキ回廊の位置関係 AI生成画像 クリックすると拡大します |
だから設計思想も変わる。Reutersの取材によれば、Litgridは従来の自然災害中心の設計から、ハイブリッド攻撃を含む人為的脅威まで考慮する方向へ発想を変えている。計画には、爆薬を積んだ車両の突入を想定した外周防護、地下からの侵入を探知する設備、ドローン攻撃から変圧器を守る強化コンクリート構造、主要設備の二重化などが含まれる。
「攻撃されない施設」を目指すだけではなく、「攻撃されても止まらない施設」をつくる。
そこに、この変電所の本当の意味がある。
2️⃣「戦争未満」でも国家は止められる
リトアニアだけの特殊事情ではない。欧州全体で、電力、通信、交通といった民間インフラを安全保障の中核に組み込む動きが進んでいる。NATOの2026年レジリエンス基準は、政府機能、エネルギー、食料・水、医療、民間通信、交通などについて、平時だけでなく危機・紛争時にも機能を維持する能力を求めている。重要なのは、単に施設を頑丈にすることではない。一部を失っても機能を継続し、代替し、短期間で復旧できる能力まで含めて国家の強靱性と考えていることである。
| 重要インフラを支える電力網の監視・制御 AI生成画像 |
しかも安全保障上さらに難しいのは、攻撃が必ずしも正規軍による全面侵攻という形を取らないことである。ドローン、サイバー攻撃、破壊工作、通信妨害などを組み合わせれば、武力紛争との境界を曖昧にしたまま相手国へ損害を与えることができる。だから現代のインフラ防護では、「敵を完全に近づけない」だけでは足りない。一部を破壊されても機能を維持できること、別の経路へ切り替えられること、交換部品を確保していること、短期間で復旧できること。こうしたレジリエンスそのものが防衛力の一部になる。
戦争が始まってからインフラを守ろうとしても遅い。平時のインフラを、平時から有事に耐える構造にしておく必要がある。
リトアニアの変電所が示しているのは、この発想である。
3️⃣海洋国家・日本はすでに「生命線を止められる怖さ」を経験した
ここで日本との違いを考えたい。リトアニアは海に面しながら、複数の国と陸続きである。一方、日本には他国との陸上国境がなく、四方を海に囲まれた海洋国家である。外務省「海洋の国際法秩序と国連海洋法条約」も、日本を「四方を海に囲まれた海洋国家」と位置付けている。したがって、リトアニアが想定する脅威をそのまま日本へ当てはめる必要はない。しかし、海に囲まれていることは「安全」を意味しない。海洋国家には海洋国家特有の弱点がある。
そのことを日本が最も深刻な形で経験したのが、大東亜戦争における日米戦争であった。当時の日本は石油、鉄鉱石、ボーキサイト、食料など多くの重要物資を海外からの海上輸送に依存していた。米国側の戦後調査「Japan's Struggle to End the War」も、日本が石油、鉄鉱石、石炭、ボーキサイト、食料などの輸入に強く依存していたことを「島国の基本的脆弱性」として分析している。日本は約600万トンの商船で戦争に入り、戦時中に利用可能だった商船の88%を失ったと同報告はしている。
米国はこの弱点を意識的、継続的に突いた。米海軍の戦後公式報告「Submarine Report」によれば、米海軍作戦部長は真珠湾攻撃当日の1941年12月7日、日本に対する無制限潜水艦戦を命令した。米潜水艦は軍艦だけではなく商船に対しても消耗戦を続け、日本へ向かう燃料、原料、食料などの流れを削っていった。これは偶然に商船が攻撃されたのではなく、日本という国家の戦争遂行能力を支える物流そのものを標的とした戦略であった。
一方、日本も米国や連合国の商船を攻撃しており、通商破壊を行わなかったわけではない。しかし、その優先順位は米国とは異なっていた。米海軍による日本潜水艦戦の分析は、日本海軍の潜水艦を主として艦隊作戦の一部と位置付け、敵商船への攻撃は主作戦を妨げない範囲で行うという思想だったと指摘している。伊58潜水艦長・橋本以行中佐への戦後尋問でも、敵機動部隊への攻撃が優先され、商船は二次的な目標だったと証言されている。
つまり、日本にも通商破壊の能力はあったが、敵国の物流を国家戦略として継続的に締め上げるという点では、米国ほど徹底していなかった。
その違いは小さくない。米国は「敵艦隊を沈める」だけではなく、「敵国が戦争を続けるために必要な物資の流れを止める」ことを戦略として実行した。その最終局面を象徴するのが、1945年の「Operation Starvation」、いわゆる「飢餓作戦」である。米海軍歴史遺産司令部によるOperation Starvationの公式解説によれば、B-29による機雷敷設は下関海峡から主要港湾、日本海側、朝鮮半島との航路へと拡大され、1945年7月9日からの第5段階は米側自身が「total blockade」、全面封鎖と呼んでいた。
その規模も大きい。313爆撃航空団は終戦までに46回の任務、延べ1529機が出撃を実施し、26の機雷原に1万2135発の機雷を敷設した。同じ米海軍公式史料によれば、約670隻の日本船舶が沈没または大破し、500隻弱が沈没した。戦争末期には機雷による損失が潜水艦による損失を上回り、日本の沿岸交通と大陸からの物資輸送を強く圧迫した。
ただし、「飢餓作戦」という名称から、民間人を飢えさせることだけを唯一の目的とした作戦だったと単純化するのは正確ではない。軍事的な中心は海上交通を機雷で遮断し、原料、燃料、食料その他の物資の流れを止めることにあった。しかし、その結果は当然ながら軍需産業だけにとどまらない。米海軍歴史遺産司令部の評価も、機雷封鎖によって日本国民の食料不足が深刻化し、戦争がさらに続けば大規模な飢餓に至った可能性を指摘している。
しかも、日本国民を苦しめたのは米軍による海上封鎖だけではなかった。戦時中の日本では、1942年の食糧管理法などを通じて、国家が食糧の集荷・配給を強く統制し、軍も作戦継続のための糧食を保有していた。終戦時、一般国民が深刻な食糧難に直面する一方で、軍や政府関係機関には相当量の物資が残されていた。1945年12月4日の帝国議会予算委員会における政府答弁によれば、終戦時に陸軍が保有していた主要糧食は米麦約7万トン、雑穀約10万トン、合計約17万トンに達していた。政府側は、これは当時200万人を超える部隊と約10万頭の馬を支えるための約3カ月分の糧秣だったと説明している。
したがって、これらすべてを「政府が国民から食料を隠していた」と一括して断定するのは適切ではない。戦時備蓄や軍用糧食には軍事上の目的があり、終戦後にはその一部が復員兵の携行食や民需にも回された。しかし問題は、物資が極端に不足していた時期に、軍や各種機関が大量の物資を保有し、その処分が必ずしも透明ではなかったことである。同じ帝国議会答弁でも、終戦直後の払い下げが「相当乱雑」に行われたことを政府側が認め、軍需品の処分をめぐって「国民の疑惑」が生じていたことが記録されている。
さらに終戦後には、軍需物資などの隠退蔵そのものが大きな社会問題になった。1946年の「隠匿物資等緊急措置令」をめぐる帝国議会審議では、政府が「終戦後隠退蔵せられて居りました物資」を供出させ、窮迫した国民生活に回すことを制度の目的として説明している。申告漏れや不正申告だけでは物資を確保できないとして、同年4月末には食糧まで対象に追加され、警察による摘発も進められた。同年7月17日の帝国議会答弁では、摘発された食糧だけで18万~19万石程度に達すると説明されている。
その一方で、庶民の食卓は窮乏していた。配給だけでは生活できず、都市住民は農村への買い出しや闇市に頼らざるを得なかった。終戦によって直ちに状況が改善したわけでもない。1946年6月7日の「食糧非常時突破に関する声明」で、政府自身が「食糧事情は遂に最悪の事態に陥り、多数の同胞は飢餓に直面するに至つた」と認めている。戦争末期から終戦直後にかけて、国民は空襲、物資不足、配給の逼迫、海上封鎖、そして戦後の混乱が重なる中で、まさに塗炭の苦しみを味わったのである。
ここから得られる教訓は、「大量に備蓄すればよい」ということでも、「国家備蓄は悪い」ということでもない。危機に備えて食料、燃料、医薬品、重要部品を備蓄すること自体は、むしろ現代のレジリエンスに不可欠である。問題は、何を、どれだけ、どこに備蓄し、危機になったとき誰に、どの経路で届けるのかまで設計されているかである。倉庫に物資があっても、それを必要とする国民や重要施設へ届けられなければ、国家のレジリエンスとはいえない。
そして海底通信ケーブルについても、歴史を正確に見なければならない。海底ケーブルと陸揚げ局は大東亜戦争当時にも存在し、国際通信や軍事通信を担っていた。現代との違いは、その存在の有無ではなく、社会全体の依存度と通信量である。今日では国際通信、金融取引、クラウドサービス、企業活動、データセンター間通信など、社会・経済のはるかに広い領域が大容量の海底光ファイバー網に依存している。そのため、海底ケーブルと陸揚げ局の障害が及ぼす影響も当時とは比較にならないほど広範囲になっている。
ここには、現代の日本に通じる重大な教訓がある。
海は防壁であると同時に、生命線でもある。そして、備蓄は「持っていること」ではなく、「必要な時に届けられること」まで含めて初めて安全保障になる。
現在の日本も、原油、LNG、鉱物資源など多くの重要物資を海上輸送に頼っている。港湾が止まる、燃料受入施設が止まる、海底ケーブルや陸揚げ局が損傷する、発電所や大規模変電所が止まる、サイバー攻撃で物流システムが麻痺する。現代では必ずしも船を大量に沈めなくても、複数の急所を同時に狙うことで海洋国家の機能に大きな負荷を与えることができる。
| 海洋国家日本を支える港湾と海上物量 AI生成画像 |
しかも、大東亜戦争時とは違い、現代では潜水艦や機雷だけを警戒すればよいわけではない。ドローン、無人艇、サイバー攻撃、衛星測位妨害、海底インフラへの工作など、攻撃の手段ははるかに多様化している。日本にはすでに内閣府「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保に関する制度」があり、電気などの基幹インフラについて、特定重要設備の導入や重要な維持管理等の委託を事前に審査する仕組みが設けられている。しかし、設備調達を通じた妨害リスクを審査することと、物理的な攻撃や物流遮断を受けても国家機能を維持することは同じではない。
問われるのは、どこを失えば国家機能への影響が最も大きいのか、代替経路はあるのか、設備や備蓄は十分に分散されているのか、予備部品や食料、燃料は確保されているのか、そしてそれらを必要な場所へ運ぶ物流網が生き残るのかということである。過去の日本は、物資そのものだけでなく、それを運ぶ海上交通を切断されることが国家と国民生活を追い詰めることを、極めて大きな代償を払って経験した。その教訓を、現代のインフラ防護に結び付ける必要がある。
結語 地理と歴史を知らずして国家は守れない
リトアニアで計画されるギジャイ変電所は、一見すれば欧州東端の特殊な施設に見える。しかし、本当に注目すべきなのは厚いコンクリートでも、高いフェンスでもない。国家が守るべき対象と、国家を止める方法そのものが変わってきたという事実である。
リトアニアは、ロシアの飛び地カリーニングラードやベラルーシに近く、ポーランド、ラトビアとも陸続きである。だから陸上の重要インフラを物理攻撃から守る必要性が切迫している。日本は違う。四方を海に囲まれた海洋国家である。だが、その海は単なる「堀」ではない。日本のエネルギー、食料、貿易、物流、通信を支える生命線でもある。
その弱点を、かつて米国は徹底的に突いた。潜水艦による計画的な通商破壊、そして「飢餓作戦」による機雷封鎖で、日本の軍艦だけではなく、日本という国家を動かしていた物資の流れそのものが標的になった。その一方で国内では、国家統制下に置かれた物資や軍用備蓄が存在しながら、国民は厳しい配給不足に苦しみ、終戦前後には隠退蔵や不透明な物資処分まで社会問題となった。物資を持っていることと、必要な人へ届けられることは同じではないのである。
そこから80年以上が経過した。技術は変わった。脅威も変わった。しかし原理は変わらない。
国家は、最も依存しているものを止められたときに弱くなる。そして国家が物資を持っていても、それを国民へ届けられなければ社会は守れない。
だから安全保障とは、兵器の数だけを数えることではない。自国が何に依存しているのかを知り、その急所を分散し、守り、必要な物資を備蓄し、輸送路を確保し、攻撃や災害を受けても機能を回復できるようにしておくことである。
リトアニアの変電所が日本に教える最大のことは、要塞化そのものではない。
地理と歴史を踏まえ、「国家と国民生活を止めない構造」を平時からつくることなのである。
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