- 本稿は「戦争の形が変わった」という抽象論ではない。総力戦で決着をつける余地が大幅に縮小したという構造変化を、ミュンヘン安全保障会議の議論と各国の立ち位置から具体的に読み解く。核抑止、経済相互依存、社会的耐久力の限界という現実が、国家の行動をどう縛っているかを示す。
- 第二に、その構造の中でトランプ構想がなぜ単なるスローガンではなく、限定戦時代への適応策として浮かび上がるのかを検証する。勝利より拡大管理、理想より持続を重視する発想が、ロシアの失敗やウクライナ戦争の長期化という事実とどう響き合うのかを明らかにする。
- 第三に、すべてを我が国の問題として引き戻す。総力戦ができない時代に必要なのは、軍事力の誇示ではなく、限定的軍事行動を適切に行使できる判断力と、国家を回し続ける統治能力である。本稿は、我が国が備えるべき「覚悟」とは何かを、抽象論ではなく現実の延長線上で提示する。
1️⃣ミュンヘン安全保障会議の歴史が映す「亀裂の見取り図」
| 2007年ミュンヘン安全保障会議で演説するプーチン大統領 |
この会議を読み解くには、歴史を押さえる必要がある。ミュンヘン安全保障会議は1963年に西ドイツで始まり、冷戦期は抑止と均衡を語る場として機能した。冷戦が終わると、議題は軍事だけでは収まらなくなる。エネルギー、安全保障上の供給網、サイバー、経済安全保障といった分野が前面に出て、国家の力を支える土台そのものが論点になった。ここは単なる会議ではない。秩序の亀裂を、いち早く映し出す鏡である。
2007年にはロシアの首脳が西側秩序を強く批判する演説を行い、後の対立を予告する形となった。さらにウクライナ侵攻以降、ロシア政府代表が公式に招かれない年が続き、分断は「その場限り」ではなく制度として固定されつつある。そこに我が国が継続的に参加し、欧州や米国と対話を重ねている事実は軽くない。我が国は秩序の外側ではなく、秩序を維持し組み替える側に立っている。これは好みの問題ではない。現実の座席表である。
2️⃣総力戦の余地が縮小した世界と「核が使えない」現実
誤解してはならない。過去の戦争で、各国が最初から総力戦を望んでいたわけではない。だが20世紀には、戦争が拡大すれば最終的に国家総動員へ踏み込み、決着をつける余地が残っていた。産業力の総動員、兵力の補充、海上封鎖、戦略爆撃。最後は相手の国家機能を折り、降伏に追い込む「出口」が見えていたのである。
ところが今、その出口は細くなった。核抑止が大国間の全面戦争を制御不能の領域に押し上げたからだ。核は存在する。しかし「使える」とは限らない。核を使えば、報復の連鎖が始まる。政治的・経済的孤立も避けられない。しかも限定的な核使用で戦略目的が達成できる保証はない。核は決着の道具ではなく、拡大を止める壁になった。だから戦争は、全面決着へ飛び込むより、管理と持久へ押し戻される。
| ウクライナ戦争の初戦 キーウに向かうロシア軍の車列 |
ただし、ここで話を誤る人が多い。「総力戦の余地が消えた」ことを、「軍事行動そのものが無意味になった」と取り違えるのである。逆だ。総力戦が難しいからこそ、目的を絞った限定的軍事行動の価値が上がる。
近年の米国の対外軍事行動が示しているのは、国家全体を焼く戦争ではない。期限と目標を切り、必要な任務だけを実行する作戦である。最近のベネズエラ関連の軍事行動も、国家転覆の総力戦ではなく、特定の任務を狙った限定的行動として語られてきた。要するに、軍事能力と決断が揃えば、限定ミッションは今でも遂行できるのである。
台湾有事を想定しても同じ構図になる可能性が高い。全面戦争よりも、海上封鎖、限定的ミサイル攻撃、サイバー攻撃、経済制裁、供給網の遮断といった手段が複合して積み上がる。決着は一撃ではつかない。時間と持続力が戦場になる。
3️⃣ロシアの失敗が示した「統治能力」の正体
| 対戦車用の障害物が置かれたウクライナ首都キーウの風景 |
ここで、決定的な現実を直視しなければならない。限定的軍事行動が「可能」であることと、それを「適切に行使できる」ことは別物だという点である。そしてその差を、最も残酷に示したのがロシアのウクライナ侵攻である。
侵攻当初、ロシアは短期で首都キーウを押さえ、ゼレンスキー政権を失脚させ、親露政権を立てる構想を持っていたと広く分析されている。だが失敗した。結果は長期戦であり、消耗戦である。これは単に「ロシア軍が弱かった」からではない。軍事力の規模だけなら説明がつかない。
問題は、情報収集と想定が現実から外れていたことだ。ウクライナの抵抗意思を読み違え、西側の支援の規模と速度を誤算し、政治的前提に寄りかかった作戦シナリオを抱えたまま突っ込んだ。初期のつまずきが、戦争を別の形へ変えてしまったのである。限定作戦が崩れると、勝敗の話ではなく「どちらが先に持たないか」の話になる。そこで必要になるのは、兵器の数ではない。情報、判断、現実的なシナリオ、出口の設計、そして修正力である。
これが統治能力の中身だ。戦場だけではない。国家全体を回し続ける能力と、限定的軍事行動を現実的な筋書きで使いこなす能力が噛み合って初めて、抑止は成立する。
昨日論じたトランプ政権の安定化構想も、この現実に沿う。理想の秩序を掲げて突進するのではない。拡大を管理し、負担を再配分し、持続可能な枠に収める発想である。勝利の美辞麗句ではなく、戦争を大火にしないための現実主義だ。総力戦の出口が細った世界では、これは弱さではない。設計である。
結論
現代は「戦争ができない時代」ではない。「総力戦で決着をつける余地が大幅に縮小した時代」だ。核は拡大を抑止する壁となり、全面決着の幻想を押し下げた。その一方で、限定的軍事行動は依然として可能であり、むしろ重要性は増している。
ただし、限定的軍事行動は、持っているだけでは意味がない。適切に使い、失敗を長期戦へ転化させないためには、情報と判断と筋書きと修正力が要る。ロシアの失敗は、その事実を世界に刻みつけた。
我が国の生存戦略の核心は、国家を回し続ける持続力と、現実的シナリオのもとで限定的軍事行動を適切に行使できる能力を統合した統治能力にある。破壊力の誇示ではない。持続と判断の質こそが、限定戦の時代における抑止力なのである。
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