2026年2月9日月曜日

高市政権は何を託されたのか──選挙が示した「エネルギー安全保障」という無言の民意


まとめ
  • 今回の選挙で与党が単独でも過去最大規模の議席を得たのは、単なる政権支持ではない。現状維持ではなく、「国家が止まらないための設計を進めよ」という、有権者からの委任だったのではないか。その民意が何だったのかを、本稿は問い直す。
  • エネルギー安全保障は争点にならなかったのではない。あまりに基礎的で、国家の前提条件に近すぎたため、語られずに共有されていた。ウクライナ戦争が示したように、国家は電力を失った瞬間から機能不全に陥る。その現実は、有権者の投票行動の底流に確かに存在していた。
  • 高市政権に託されたのは、強さと豊かさを同時に実現する国家設計である。エネルギー安全保障は我慢の政策ではない。SMRを含む現実的なエネルギー設計は、日本経済を一段引き上げ、将来世代も支える基盤になり得る。その責任の重さを、本稿は明らかにする。

1️⃣選挙結果が示したもの──「政権維持」ではなく「国家設計」の委任

札幌市手稲駅前で、中村氏の応援演説をする高市総理

直近の衆議院総選挙で、与党は単独でも過去最大規模の議席を獲得した。これは単なる政権の継続承認ではない。「現状維持」ではなく、「国家設計を前に進める権限」そのものを、有権者が与えた結果である。

選挙当日は全国的に天候が荒れ、一般に組織票が力を持ちやすい条件だった。それにもかかわらず、与党は地滑り的とも言える勝利を収めた。この事実は、野党の準備不足や野合といった説明だけでは説明がつかない。国民、有権者は決して愚かではない。表に出にくいが、より根源的な危機感が投票行動の底流にあったと見るべきだ。

その一つが、「国家が止まること」への不安である。すなわち、エネルギー安全保障に対する潜在的な認識だ。明示的な争点ではなかったが、重要でなかったわけではない。あまりに基礎的で、国家の前提条件に近すぎたがゆえに、争点として表に出なかったのである。

2️⃣国家はどこから崩れるのか──ウクライナと中国が示した現実


この問題を理解するうえで、昨日のこのブログにも掲載したウクライナ戦争の教訓は欠かせない。詳細は昨日の記事に譲るが、要点は明確だ。国家は、前線の勝敗よりも先に、電力とエネルギーを失った瞬間から機能不全に陥る。

ロシアのエネルギー・インフラ攻撃は、当初から周到に設計された戦略ではない。短期決着に失敗し、戦争が長期化する中で、最も費用対効果の高い手段として選び取られたものだ。だが結果として、「電力を断てば国家全体が同時に鈍る」という経路が、実戦で可視化された。

この現実は、戦争の常識を静かに書き換えている。勝敗は、どれだけ敵を倒したかではなく、どれだけ自国の機能を維持できたかで測られる時代に入った。

中国の動きも見誤ってはならない。中国は原子力、送電網、石炭、資源確保に巨額の投資を続けているが、それは一貫した国家設計の成果ではない。停電や供給不安が起きるたびに繕われてきた、弥縫策の集合体に近い。それでもなお、中国自身が「電力なくして国家は成り立たない」ことを認めざるを得なかった点は重要である。

3️⃣高市政権が描く国家像──エネルギー安保は「成長の制約」ではない


石破・岸田政権、さらには中道改革連合がエネルギー安全保障を前に進めにくかった理由は明確だ。マクロ経済への理解不足により、国債を将来世代への「借金」と誤認し、エネルギー投資をコストとしてしか見られなかったからである。この認識では、エネルギー安保に前向きになりようがない。

高市政権は違う。エネルギー安全保障を、成長を前提とした国家投資として捉える。安価なエネルギーと安全保障は、対立概念ではない。経済が成長すれば両立は可能であり、むしろ相互に強化し合う。

日本は、自国の産業基盤でエネルギー安全保障を構築できる数少ない国だ。その投資は経済を加速させ、将来世代も恩恵を受ける。だからこそ、建設国債で賄うのが合理的である。

ここで中核に位置づけられるのが、小型モジュール炉、いわゆるSMRだ。地下設置が可能で、分散配置に適し、有事には優先的に電力を割り当てられる。国家が止まらないための、極めて現実的な装置である。

実用化には時間がかかるが、それまでの間、既存原発の最大限活用、火力・送電網の強靭化、資源確保を組み合わせることで対応は可能だ。重要なのは、場当たりではなく、最初から国家存立を前提に設計するという意思である。

結語 強く、そして豊かな日本へ

エネルギー安全保障は、我慢や貧しさを強いる政策ではない。正しく設計すれば、日本経済を一段上のフェーズに引き上げる原動力になる。

日本は、強くなれる。そして同時に、豊かにもなれる。
それは理念ではない。設計の問題である。

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一企業の契約に見えて、実は国家戦略そのものだった長期LNG契約。その意味を読み解くことで、日本がどのようにエネルギー安保を構築し得るのかが立体的に見えてくる。

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参院過半数割れ・前倒し総裁選のいま――エネルギーを制する者が政局を制す:保守再結集の設計図 2025年8月24日
政局とエネルギーを結びつけて論じた記事。なぜエネルギーが政治の力学を左右するのか、高市政権を読み解く前提としても示唆に富む内容となっている。

2026年2月8日日曜日

電力を失った国から崩れる──ウクライナ戦争が暴いた「国家が死ぬ順番」


まとめ

  • ウクライナ戦争で最も決定的だったのは、前線の勝敗ではなく、発電・送電を失った瞬間に国家機能が同時に鈍り始めたという現実である。戦争の重心は兵器や兵力ではなく、国家の前提条件へと移っていた。
  • なぜ弾薬や食糧よりもエネルギーが狙われるのか。その理由を辿ると、現代国家が「電力なしでは何一つ動かない」構造を持っていることが見えてくる。エネルギーは資源ではなく、すべてを成立させる条件である。
  • この事実は、ウクライナだけの話ではない。エネルギーを経済の問題としてしか語ってこなかった国ほど、有事に脆い。この戦争は、国家がどこから崩れるのか、そして何を平時に語らなかったかを突きつけている。

1️⃣戦争の重心はどこへ移ったのか──前線からエネルギーへ

ロシア軍の空爆によって破壊されたウクライナの変電所

戦争と聞けば、多くの人は前線の戦闘や兵器、あるいは領土の奪い合いを思い浮かべる。だが、ウクライナで起きている現実は、その常識を静かに裏切っている。

ロシアが繰り返し狙っているのは、戦車や兵舎ではない。発電所、変電所、送電網、燃料供給といった、国家の日常を支えるエネルギー・インフラである。戦争の重心は、いつの間にかそこへ移っている。

もっとも、ロシアが最初からこれを主目標にしていたわけではない。開戦当初に描かれていたのは短期決着である。首都を制圧し、政権を潰し、親露政権を樹立する。国家を長く壊すより、早く乗っ取る。その発想に近かった。だから当初、国家インフラを徹底的に破壊する合理性は乏しかった。

しかし想定は崩れた。首都は陥落せず、政権も崩れず、戦争は意図せざる形で継続した。前線の消耗が進むにつれ、兵力、装備、補給、精密兵器といった軍事的選択肢は細っていく。正面から戦果を積み上げる戦いは、次第に割に合わなくなった。

そこでロシアが重心を移したのが、エネルギー・インフラへの攻撃である。これは最初から用意された必殺技ではない。戦争が長期化し、選択肢が削られていった末に残った、最も費用対効果の高い手段である。

2️⃣なぜ兵力でも食糧でもなく、エネルギーなのか

停電中の病院内部

なぜ、兵士の殺傷や食糧遮断よりも、エネルギーなのか。この点を曖昧にすれば、「戦争の本当の標的」は見えてこない。

確認しておくべき前提がある。エネルギーが潤沢でも、食糧と兵力がなければ戦争はできない。食糧がなければ兵士は動けず、兵力がなければ戦争は成立しない。これは疑いようのない事実である。

それでもなお、現代戦でエネルギーが優先して狙われるのは、より有効で、より即効性があるからだ。食糧は不可欠だが、消費は予測しやすい。配給で使用量を抑え、備蓄で時間を稼げる。兵力も同様で、前線を縮めたり戦い方を変えたりすることで、消耗の速度を調整できる。

だがエネルギーは違う。電力や燃料は軍と民間が同時に、しかも常時依存している。使わないという選択肢がない。止まった瞬間に、あらゆる機能が同時に鈍る。弾薬は生産も輸送もできなくなる。食糧があっても加工や配送が止まる。兵力が存在していても、通信、移動、指揮、医療が成り立たない。

つまり、食糧と兵力は戦うための資源である。エネルギーは、それらを機能させるための前提条件だ。だからエネルギーを断てば、倉庫に物資が山ほどあっても、使えなくなる。

電力が落ちれば、照明が消えるだけでは済まない。通信が止まり、物流が滞り、工場は止まり、医療も行政も維持できなくなる。社会は銃声が聞こえなくても、内側から崩れ始める。しかも崩れ方には順番がある。まず電力が不安定になる。次に産業が止まる。生活不安が広がる。最後に統治の正当性そのものが揺らぐ。

国家は戦争で突然滅びるのではない。支える基盤を失ったとき、音もなく機能を停止する。

3️⃣語られなかった前提と、戦争の常識の書き換え

ここで、もう一段深い問題がある。多くの国と同様、ウクライナもエネルギーを主として経済の問題として語ってきた。電気料金、補助金、制度改革、汚職対策。いずれも重要だが、語られていたのは生活と市場の文脈であり、国家の生存条件としての議論ではなかった。

電気料金平均単価の推移

これはウクライナに限った話ではない。我が国でも、エネルギーは語られてきた。だが多くは価格や制度の話にとどまり、有事に国家がどこまで持ちこたえられるかという安全保障の前提条件として、正面から争点化されたとは言い難い。語られてはいたが、争点にはなっていなかったのである。

なぜこうなるのか。エネルギーを国家の生存条件として語ることは、成長や豊かさの物語と正面から衝突するからだ。成長の物語では、エネルギーは安く、安定的に手に入るものとして扱われる。だが生存条件として捉え直せば、供給は脆弱であり、冗長性や備えのために非効率やコスト増を受け入れねばならない。

この「語りにくさ」が、戦争が始まるまで放置されてきた。

そして、ウクライナで進行しているエネルギー破壊は、世界の軍事思想にも影響を与えつつある。ロシアの攻撃は新戦法として設計されたものではない。だが、結果として国家全体を同時に機能不全へ追い込む経路が、実戦で可視化された。

戦争の勝敗は、どれだけ敵を倒したかではなく、どれだけ自国の機能を保てたかで測られる。その方向へ、戦争の常識は静かに書き換えられつつある。

結語 次に問われるのは、備えの設計である

ウクライナで起きているのは、戦争の残酷さを嘆くための物語ではない。戦争が長期化し、軍事力に制約が生じたとき、国家がどこから崩されるのかを示す、冷徹な実例である。

そしてこの問いは、戦場の外にいる国々にも向けられている。
国家がどこまで持ちこたえられるかは、危機が起きた瞬間ではなく、平時にどの前提を組み込んでおいたかで決まる。

次に問われるのは、思想ではない。設計である。
国家が止まらないためのエネルギーを、どう分散し、どう確保し、どう優先配分するのか。

その現実的な答えを、次に考えなければならない。これについて明日掲載する。

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2026年2月1日

生活コストや給付ばかりが語られる一方で、国家の前提条件であるはずのエネルギーが争点化されない異様さを突く。今回の記事が示す「ズレ」を国内政治の文脈から補強する。

アブダビ三者会談が暴く「冷戦後秩序の終わり」──新秩序と戦争管理の現実
2026年1月24日

米・露・ウクライナを軸に進む水面下の調整を通じて、戦争が「終わる」のではなく「管理される」時代に入った現実を描く。ウクライナ戦争を単なる地域紛争として見ないための重要な補助線となる一編。

三井物産×米国LNGの20年契約──日本のエネルギー戦略を変える“静かな大転換”
2025年11月15日

派手さはないが、国家の持久力を左右する長期LNG契約の意味を丁寧に解き明かす。エネルギーを価格ではなく安全保障として捉える視点が明確になる。

秋田から三菱撤退──再エネ幻想崩壊に見る反グローバリズムの最前線 2025年9月28日
理想先行で進められた再エネ政策が、現実の経済と安全保障の前で行き詰まる過程を具体例で示す。エネルギーを「思想」で語ることの危うさが浮かび上がる。

アラスカLNG開発、日本が支援の可能性議論──エネルギー安保の新時代を切り拓け 2025年2月1日
アラスカLNGを軸に、日本がエネルギー供給網の再設計にどう関与し得るのかを論じた記事。エネルギーを国家戦略として再構築する発想の原点となる。

2026年2月7日土曜日

2025年10〜12月期GDPはプラス──高市政権誕生で企業が踏みとどまった理由と、日本経済の分岐点


まとめ
  • 2025年10〜12月期GDPがプラスとなった要因は消費ではなく、企業が投資を止めなかったことにある。一時的な需要ではなく、将来を見据えた判断が数字に表れた。
  • 第二に、企業が踏みとどまった背景には、高市政権誕生による「最悪の政策転換は起きない」という政治的シグナルがあった。楽観ではなく、不確実性が一段下がった結果である。
  • 第三に、今回のGDPは回復ではなく分岐点であり、次の政策判断次第で成長にも失速にも転ぶ。ここで順序を誤れば、再び投資が止まる。
1️⃣日本のGDPは「戻った」のではない──それでも、我が国は踏みとどまった


日本の2025年10〜12月期GDPが、再び成長軌道に乗る見通しとなった。2026年2月6日、ロイター通信は民
間エコノミストの予測として、実質GDPが年率換算で1%台半ばの成長になる可能性を報じている。数字だけを見れば控えめだ。しかし、この四半期が持つ意味は、数字以上に重い。


重要なのは、何が成長を支えたかである。今回の成長回帰は、個人消費ではない。企業の設備投資が下支えした。一時的な給付や反動ではなく、将来を完全には諦めていない企業行動が、はっきりと数字に表れた。ここが決定的に違う。

2️⃣企業が踏みとどまった理由──高市政権という政治的シグナル

企業が踏みとどまった背景には、政策環境の変化がある。とりわけ見逃せないのが、高市政権の誕生がもたらした政治的シグナルだ。

高市政権が示してきたのは、場当たり的な人気取りではない。製造、エネルギー、安全保障といった現実資産を軸に据えた国家運営の方向である。企業にとって重要なのは、補助金の細目や制度の枝葉ではない。この国が、どちらを向いているのかという一点だ。

製造業を捨てない。
エネルギーを理念だけで語らない。
安全保障と経済を切り離さない。

この方向が否定されない政権が成立したことで、企業は「今、投資をしても梯子を外されない」という最低限の確信を持てた。今回の設備投資は、景気が良かったから踏み切られたのではない。最悪の選択を回避できるという見通しが立ったからこそ、踏みとどまったのである。


ここで一つ、避けて通れない反事実がある。もし石破政権が続いていれば、今回のような企業行動は生まれにくかった可能性が高い。理由は政策の善悪ではない。方向が読めないという不確実性だ。

石破政権下では、財政健全化が前面に出やすく、エネルギー政策は理念寄りに傾くとの見方が強かった。安全保障と経済を一体で語るメッセージも弱かった。企業投資は期待と予見可能性で決まる。「いずれ引き締めに振れるのではないか」「長期投資の前提が途中で変わるのではないか」。この疑念だけで、投資は簡単に止まる。

今回の設備投資は、政策が優れていたからではない。少なくとも、最悪の方向に急転しないという安心感があったからだ。この差は統計には出にくいが、企業行動には確実に現れる。

3️⃣成長回帰の正体と危うさ──潰すのも伸ばすのも「順序」次第

この四半期、日本を取り巻く環境は厳しかった。戦争は終わらず、物流は不安定で、資源価格の先行きも読めない。中国経済は鈍化し、欧州は理念先行のエネルギー政策の後始末に追われている。

その中で、日本は高成長を遂げたわけではない。しかし、縮小の方向へは舵を切らなかった。製造を完全に捨てなかったこと、エネルギーを理屈だけで断ち切らなかったこと、金融と財政を同時に締め上げる愚を犯さなかったこと。こうした地味な判断の積み重ねが、マイナス成長への転落を防いだ。

この局面で最も危険なのは、今回のGDPを「成功」と呼ぶことだ。成長回帰を潰す最短ルートは明白である。利上げと財政引き締めを同時に行うことだ。

 日本経済は分岐点にある

今の日本経済は、投資が主役で、消費はまだ追いついていない。この段階で金融と財政を同時に締めれば、最初に止まるのは投資である。利上げは金利水準そのものより、「先行きが読めない」という感覚を通じて効く。増税示唆や歳出抑制も、消費ではなく投資を直撃する。

投資が止まれば、賃上げが止まり、最後に消費が折れる。この順序は理論ではない。過去に何度も繰り返されてきた現実だ。

逆に、伸ばすなら奇策はいらない。利上げを勝利宣言に使わないこと。投資を続けさせる条件を壊さないこと。消費を無理に刺激しないこと。消費はエンジンではない。投資の結果として温まる部位にすぎない。

結語

我が国の経済は、甚大なダメージを受けて立ち直れなくなったわけでも、今後大きな成長を見込めないわけでもない。これから大きく成長できる伸び代は、まだ十分に残されている。

問われているのは、能力ではない。順序と方向を維持できるかどうかだ。ここで誤れば、期待は簡単に失われる。守れば、成長回帰は本物になる。

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高市政権は日本を資源国家へ進めた──研究ではない「統治」としての資源開発が始まった 2026年2月3日
資源問題を国家統治の前提として再定義する高市政権の戦略を、実装として描いた記事。

今回の選挙で語られないもの──金融に続き、エネルギー政策を国民の手に取り戻せ 2026年2月1日
金融だけでなくエネルギー政策の本質を「順序の問題」として整理し、選挙争点の欠落を暴く。

トランプはなぜ利下げにこだわるのか ──雇用を語る米国、語らない日本の歪んだ金融政策 2026年1月31日
米国の金融政策と雇用の関係を読み解き、日本の金融論が見落としてきた核心に迫る。

なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別 2026年1月11日
停滞する日本政治の根本原因を政治文化のレベルで解き、「決断する政治」の必要性を突きつける。

手稲に立った高市早苗――地方から始まった「決断する政治」の第一章 2026年1月28日
高市政権誕生と地方発の政治実装を、現場からリアルに捉えた分析。


2026年2月6日金曜日

暗号資産急落は序章にすぎない──最初に壊れる市場は、いつも決まっている


まとめ

  • 過去24時間の暗号資産急落は、突発的な事故ではない。資金環境が変わったとき、どこから壊れるのか。その順番が、今回もはっきりと示されたにすぎない。本稿は、なぜ最初に暗号資産が動いたのかを、構造から解き明かす。
  • 暗号資産だけが危険なのではない。株式や不動産、中国で起きた個人投資家の大失敗が示すように、リスク資産は当たれば大儲けできるが、外れれば大損する。この当たり前の原理が、暗号資産では極端な形で現れているだけだ。
  • 問われているのは、次にどの銘柄が崩れるかではない。資産の名前ではなく、その構造とリスクをどう見抜くかである。この記事は、流行や物語に流されず、我が国の個人投資家が持つべき判断軸を提示する。
1️⃣24時間で何が起きたのか──崩れ方には順番がある


過去24時間、暗号資産市場は静かだが明確な順序をもって崩れた。

米国時間の早朝、ビットコインが市場で意識されてきた価格帯を割り込んだ。これを合図に、先物市場で積み上がっていたレバレッジ取引の清算が連鎖的に発生する。売りは一気に加速し、時間差でアルトコイン全体へと波及した。流動性の低い銘柄ほど下落は激しく、市場全体の時価総額は短時間で大きく縮小した。

これは事故ではない。
資金環境が変わったとき、どこから歪みが表に出るのか。その「いつもの順番」が、今回もなぞられただけである。

暗号資産を、いまだに一部の投機家の遊び場と見る向きは多い。しかし現実には、暗号資産市場は余剰マネー、レバレッジ、過剰なリスク許容度が最も集中的に流れ込む場所である。だからこそ相場の最前線であり、環境が変わった瞬間、最初に反応し、最初に壊れる。
 
2️⃣暗号資産は特別ではない──リスク資産の原理そのものだ


重要なのは、暗号資産を特別視しないことだ。

リスク資産である以上、儲かるときは大きく儲かる。これは否定できない事実であり、過去の上昇局面がそれを示している。しかしそれは、金融の世界では当たり前の話である。いかなる資産であっても、リスクが高いものほど上昇局面では大きな利益を生む可能性がある。その代わり、環境が反転したときの損失もまた大きくなる。

株式市場を見れば分かりやすい。
成長物語だけで買われた新興株は、当たれば短期間で数倍になる。しかし期待が剥がれた瞬間、株価は容赦なく崩れ、元の水準に戻らないことも珍しくない。ハイテク株や新興国株も同じで、潤沢な資金の下では輝いて見えるが、環境が変われば言葉は何の支えにもならない。

不動産も例外ではない。
レバレッジをかけて価格上昇局面を捉えれば大きな利益が出る。しかし金利が上がり、需給が反転した途端、含み損は急速に膨らみ、売りたくても売れない資産に変わる。形が実物であっても、リスクの本質は変わらない。

この原理を、最も分かりやすく示したのが中国の事例である。
中国では長年、株式やマンションが「持っていれば必ず儲かる資産」と信じられてきた。リスクを十分に理解しないまま、多くの個人が投資に踏み切った。当たった者は短期間で資産を増やしたが、環境が変わると株価は崩れ、不動産は売りたくても売れない資産へと変わった。リスクを知らずに投資した人ほど、現在では深刻な失敗を抱え込んでいる。

ここで確認すべきなのは、株式だから危険、不動産だから安全、暗号資産だから異常、という話ではないという点だ。
リスクが高い資産ほど、当たれば大きく儲かるが、外れれば大きく損をする。これは国も市場も問わない、金融の原理である。暗号資産は、その関係が最も露骨に現れる市場にすぎない。

ここで、アルトコインについて整理しておく。
アルトコインとは、ビットコインの後に登場した暗号資産の総称であり、ビットコインに代わるコインという意味で、alternative coin を略した呼び名である。

多くのアルトコインは、基本的な仕組みをビットコインに依拠している。そのうえで、処理速度や機能性といった点で改良を加え、市場規模を拡大してきた。しかし市場での扱いはまったく別だ。流動性は低く、時価総額も小さい。少量の資金移動で価格は大きく変動し、売りが集中すれば逃げ場はない。技術的に優れていることと、市場で安全に取引できることは一致しない。この差が、下落局面では最もはっきりと表れる。
 
3️⃣次に壊れるのは名前ではない──問われるのは構造だ


今回の急落でも、順序は明確だった。
まずビットコインが崩れ、次にアルトコインが、より速く、より大きく崩れた。資金が引き始めたとき、流動性が低く、信認が弱く、時価総額の小さい市場から先に壊れる。これは暗号資産に限らず、株式でも、不動産でも、新興国市場でも、何度も繰り返されてきた現象である。

暗号資産が危険だから問題なのではない。
危険であることを前提に扱われるべき資産が、そう扱われてこなかった。そこに今回の本質がある。

次に壊れやすい条件は、すでに見えている。
実需ではなく物語によって価格が支えられ、流動性が薄いにもかかわらずレバレッジがかかり、価格形成が一部の資金移動に左右されやすい資産である。上昇局面では「新しい」「成長している」「将来性がある」という言葉が並ぶが、環境が反転した瞬間、それらは何の支えにもならない。出口が狭く、売りが売りを呼ぶ構造を持つ市場ほど、同じ崩れ方をする。

これは特定の資産名を挙げて警告する話ではない。

世界が壊れたのではない。
資金が引いたとき、どこから壊れるのかが、いつも通り示されただけだ。

最も資金が集まり、最もレバレッジがかかり、最もリスクが軽視されていた市場から崩れる。暗号資産は、その条件をすべて満たしていた。

今回の急落は終わりではない。序章にすぎない。
暗号資産の話をしているが、実はこれは、リスク資産全般に共通する、きわめて普遍的な話である。
 
結語

重要なのは、資産の名前ではなく、その性質を見ることだ。
高いリターンを期待する以上、高いリスクを引き受けているという事実から逃げてはならない。値動きの激しい資産に投資するなら、上昇局面での成功体験と同じだけ、下落局面での損失を受け入れる覚悟が必要になる。逆に安定を求めるなら、派手なリターンを諦めるしかない。

「今回は違う」「今回は安全だ」という物語に乗った瞬間、判断は狂う。
暗号資産であれ、株式であれ、不動産であれ、見るべきは流行ではなく構造であり、リスクの大きさである。理解したうえで引き受けるのか、それとも距離を取るのか。その選択を自分の責任で行うことこそが、我が国の個人投資家にとって、唯一の防御である。

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米国は雇用を金融政策の中核に据え、日本は物価だけを見続けてきた。この差が資金の流れと市場評価にどう影響しているのかを鋭く突く。暗号資産急落の背景にある「金利と資金循環」を理解するための重要な一編。

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2026年2月5日木曜日

国債長期金利の上昇は何を語っているのか──財政不安という筋違いを解く


まとめ

  • 国債長期金利の上昇が、直ちに財政危機を意味するという見方は、経済の基本構造を無視した誤解であることを示す。金利は恐怖のサインではなく、市場が成長や需要をどう見ているかを映す指標にすぎない。
  • 家計でも国家でも、金利だけを切り取って不安を語る議論は現実を歪める。所得や資産、インフレとの関係を含めて見なければ、負担の実像は見えてこない。
  • 感情的な報道とは対照的に、市場は日本を危険視していない。数字が示す冷静な評価を踏まえ、財政不安という言説の正体を読み解くことで、ニュースの見方が一段変わる。
国債長期金利が上昇した。この事実だけを切り取って、一部の報道は「財政不安」という言葉を繰り返した。まるで、日本経済が重大な分岐点に立たされているかのような語り口である。しかし、結論から言えば、これは過剰反応であり、ミスリードだ。国債長期金利の上昇それ自体は、財政危機を意味しない。

むしろ問われるべきは別の点にある。なぜ、国債長期金利が少し動いただけで、これほどまでに「恐怖の物語」が量産されるのか。本稿は、国債長期金利の意味を整理しつつ、この不安がどのように作られているのか、その構造を明らかにする。

2️⃣国債長期金利の本質──それは危機の警報ではない


国債長期金利は、確かに借金のコストを示す数字である。しかし、それだけではない。国債長期金利は、市場が経済全体をどう見ているかを映し出す鏡でもある。マクロ経済学の基本に立ち返れば、名目経済成長率と国債長期金利は、長期的には同じ方向に動くという関係にある。

経済の先行きに期待が集まれば、資金需要は高まり、その結果として国債長期金利は上昇する。これは異常事態ではなく、むしろ健全な反応だ。逆に、成長期待が乏しく需要が弱い経済では、国債長期金利は低迷する。低金利が続くこと自体が、必ずしも良い状態を意味しない理由はここにある。

国債長期金利には調整機能が備わっている。成長率より高くなれば投資は鈍り、低ければ資金は動く。この作用を通じて、国債長期金利は経済の実態に近づいていく。国債長期金利の上昇を、即座に危機と結びつける理屈は、理論上どこにも存在しない。

2️⃣家計と国家財政に共通する誤解──金利だけを見る危うさ


国債長期金利が話題になると、「生活が苦しくなる」「住宅ローンが重くなる」という言葉が決まって並ぶ。しかし、これは金利という一側面だけを見た議論にすぎない。経済が成長する局面では、名目所得も同時に伸びる。金利が上がるとき、賃金もまた上がる。インフレが進めば、借金の実質的な重みは軽くなる。

金利だけを切り取って不安を煽るのは、家計の全体像を無視する行為だ。この点は国家財政でも変わらない。政府の負債だけを取り上げて「危ない」と叫ぶ議論は、バランスシートを半分しか見ていない。政府は膨大な資産を保有しており、国債長期金利が上がれば利払いは増える一方で、資産からの利子収入も増える。負債だけを語る議論は、現実を歪める。

3️⃣市場の答えと、恐怖が作られる理由


感情ではなく、数字を見れば答えははっきりしている。市場は、日本を危険な国とは評価していない。国の信用力を測る指標の一つであるクレジット・デフォルト・スワップを見ると、日本の水準は主要先進国の中でも極めて低い位置にある。これは、市場が日本を破綻しにくい国と見ていることを意味する。

それでもなお、「財政不安」という言葉が消えない理由は単純だ。恐怖は人の注意を引きやすい。加えて、積極的な財政政策や特定の政治路線を牽制したい勢力にとって、「金利上昇=危機」という物語は都合が良い。こうして、本来は重大ではない事象が、あたかも国家的危機であるかのように語られていく。

ここで立ち止まる必要がある。重要なのは、不安を増幅させることではない。重要ではないものを、重要ではないと見抜く力だ。

国債長期金利の上昇を恐れる必要はない。恐れるべきなのは、文脈も理論も無視して、数字をそのまま恐怖へと変換してしまう思考停止である。経済は、正しいレンズで見れば驚くほど単純だ。市場はすでに答えを出している。不安を煽る物語に乗る必要はない。現実を見る目を持つことこそが、最大の防御である。

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2026年2月4日水曜日

小選挙区制と中国選挙影響工作──保守が油断すれば「最悪の勝利」になる


まとめ
  • 小選挙区制では、わずかな投票行動の緩みが一気に議席構造を歪める。与党が圧勝したように見えても、中道が小選挙区で残れば、政治は「決められない状態」に陥る。その構造的な罠を具体的に示す。
  • 中国の選挙影響工作は万能ではないが、「与党を勝たせる方向」に傾いた場合こそ注意が必要だ。勝たせすぎれば中国側は失敗するが、保守が油断すれば、その前に日本の意思決定力が削がれる現実を整理する。
  • 最大の敵は外国ではなく国内の油断だ。保守が「もう勝った」と手を緩めた瞬間、小選挙区制は最悪の結果を生む。最後まで票を積み上げることが、国を縛らない唯一の方法である。
1️⃣小選挙区制は「小さな偏り」を「大きな議席差」に変える


今回の選挙をめぐって、「中道改革連合(略称:中道)は伸びない」「大勢は決した」という観測が流れている。だが、警戒すべきは単純な勝敗ではない。もっとも危ういのは、与党が圧勝したように見える一方で、中道が小選挙区で一定数残る形だ。見た目は安定だが、実態は政策決定を鈍らせる罠である。

小選挙区制の本質は勝者総取りだ。数百票、数千票の差が、議席を取るか失うかを分ける。投票率が数ポイント動くだけで結果が反転する制度であり、劇的な出来事がなくても議席は大きく動く。小さな偏りが複数の接戦区で同時に起きれば、それはそのまま議席の大移動になる。ここを甘く見た瞬間に、選挙は静かに裏切る。

今回、その条件がそろっている。組織票は勝ちに行く票ではない。負けないための票だ。投票率が下がるほど相対的に重くなる。天候不順、政治不信、「どうせ決まっている」という空気は、無党派や浮動層の足を止めるが、組織票は止まらない。だからこそ、最後の局面で接戦区が同時に揺れる。これが小選挙区制の怖さである。

2️⃣108の接戦区と「与党を勝たせる」動機──ただし勝たせすぎれば逆回転する


ここで、今回特有の仮説に触れる必要がある。自民党と中道が拮抗している小選挙区が全国に多数あり、その中でも約108区が、組織票の配分次第で勝敗が反転し得る臨界点にあるという見立てだ。仮に、公明党の支持母体が、これらの接戦区を重点対象として中道側に組織票を動員する指令を出したと見られる動きがあれば、低投票率の環境下では1区あたり約1万票規模の移動でも致命的になり得る。108区の30%から40%で結果が反転すれば、40議席前後が一気に動く可能性が生じる。断定はしない。だが制度上、起こり得る帰結である。

この文脈で、中国による選挙影響工作が語られることが多い。ここは過度な万能視を避けるべきだ。外国の影響は万能ではない。むしろ中国側は、はっきりした構造的ジレンマを抱える。与党を露骨に負けさせようとすれば、対中警戒が争点化し、日本国内の反発と警戒心を強めてしまう。これは分かりやすい失敗である。

一方で、与党を勝たせる方向にも短期的な動機はある。狙いは与党内に存在する親中・融和的な議員を温存することだ。勝利の空気が強ければ、「勝ったのだから現状維持でよい」という心理が働き、党内の見直しは先送りされやすい。短期的にはこの方向が合理的に見える。

だが、ここに落とし穴がある。与党を実質的に勝たせすぎると、逆に失敗になり得る。与党の勝ち方で親中派の扱いが正反対になるからだ。薄氷の勝利にとどまれば、党内には「これ以上の混乱は避けたい」という空気が強まり、本当は切りたいが党勢の弱体化を恐れて切れない議員ほど温存されやすい。派閥バランスと内部融和が優先されるからだ。

これに対し、大勝した場合は状況が逆転する。短期的には政策決定がトップダウン化し、親中・融和的な議員は意思決定の中枢から外され、政策に関与する機会を失う。さらに中長期では、首相の求心力を背景に、人事や公認を通じた整理が可能になる。切りたくても切れなかった議員が時間差で切られていく環境が整う。つまり親中派にとって最も安全なのは薄氷の勝利であり、最も危険なのは与党の大勝である。だから中国側は、負けさせても失敗し、勝たせすぎても失敗するという制約の中で動かざるを得ない。

3️⃣最大の地雷は「勝ったが決められない政治」だ


しかし、重要なのは中国側の思惑そのものではない。日本側の制度が生む帰結である。仮に外国からの影響が限定的だったとしても、国内要因だけで十分に厄介な事態は起こり得る。それが、与党が圧勝したように見える一方で、中道が小選挙区で一定数残るケースだ。

小選挙区で勝った中道議員は、「この選挙区は自分を選んだ」という直接の正統性を持つ。比例議席とは違い、外部から整理することはできない。与党内の問題議員であれば、公認や人事で調整できるが、独立した正統性を持つ中道議員は排除不能だ。その存在は、安全保障や経済安保の局面で、恒常的なブレーキとして作用しかねない。

結論は明快だ。最も危険なのは「外国が日本の選挙を操る」ことではない。小選挙区制の下で、国内の油断と組織票の偏りが積み重なり、「勝ったが決められない政治」が生まれることだ。これは外から仕掛けられなくとも、日本自身の構造だけで起こる。

結語──油断せず、与党を勝たせ切れ

保守派にとって最も重要なのは、中国の動きを過度に恐れることでも、分析に溺れることでもない。最大の敵は油断だ。小選挙区制では、油断はそのまま議席の喪失につながる。

与党は「勝つ」だけでは足りない。勝たせ切る必要がある。中道は大勝する必要はない。残るだけで厄介だからだ。だからこそ、最後まで投票行動を緩めず、淡々と、確実に、与党に票を積み上げることが、日本の意思決定力を守る最短の道である。

1人の油断が、政治全体を縛る。
それを避ける唯一の方法は、最後の1票まで死なせないことだ。

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2026年2月3日火曜日

高市政権は日本を資源国家へ進めた──研究ではない、「統治」としての資源開発が始まった


まとめ
  • 今回の深海泥回収で重要なのは、資源を「掘った」ことではない。高市政権が行ったのは、資源問題を研究や技術開発の延長から切り離し、国家運営の前提として扱い直したという転換である。掘削そのものではなく、「その結果を国家としてどう使うか」を決めた点に本質がある。
  • この転換は、政府が現場に出たという話ではない。資源を学術テーマではなく、経済安全保障と国家選択の問題として引き上げたことである。研究から統治へという位置づけの変更こそが、これまでの日本の資源政策と決定的に異なる点だ。
  • 日本はここで、資源を嘆く段階から、資源を判断する段階へと進んだ。成果を誇るためではなく、可能性と制約を把握し、次の決断に備えるための第一章である。深海泥回収は、その象徴的な起点にすぎない。

1️⃣2026年2月2日の発表を、なぜ「統治」のニュースとして読むべきか

南鳥島近海のレアアースは2018年に発見された

2026年2月2日、政府は南鳥島近海の深海底から、レアアースを含有する泥を回収したと発表した。作業は地球深部探査船「ちきゅう」による試験航海として行われ、水深五千メートル超という極限環境での回収が確認された。この発表は、多くのメディアで「国産レアアースへの前進」「技術的成果」として報じられた。

だが、それだけでは肝心な点を見落とす。このような話題になると、決まってマスコミなどは掘削そのものにだ焦点をあてた報道のみをしがちである。しかし政治はもともと現場を直接制御できないし、制御すべきでもない。政治の役割は、作業を評価することではない。国家として何を前提に運営し、どの選択肢を持ち、どこに資源を配分するのかを決めることである。

今回の深海泥回収は、「掘れたかどうか」を競う話ではない。我が国が「資源を持たない国だ」という前提を、この先も国家運営の土台として固定するのか、それとも再検証の対象とするのか。その判断段階に入ったことを示す出来事である。ゆえにこれは、実行のニュースではなく、統治のニュースとしても読むべきなのである。

3️⃣統治・政策・実行――混同してはならない三つの階層

霞ヶ関

政府の役割は実行ではない。現場作業でもない。統治である。

経営学の大家である ピーター・ドラッカー は、政府の役割とは、意味ある決定と方向付けを行い、社会のエネルギーを結集し、問題を浮かび上がらせ、選択肢を提示することだと述べた。そして、統治と実行は本質的に両立しないと喝破した。統治と実行を同時に担おうとすれば、統治の能力は必ず麻痺する。決定のための機関に実行まで担わせても、十分な成果は上がらない。体制も関心も、そもそも実行向きではないからである。

この整理を、もう一段はっきりさせておく必要がある。
統治と実行の間には、政策という段階が存在する。

統治とは、国家として何を前提に運営するのか、何を選び、何を選ばないのかを決める行為である。
政策とは、その統治判断を現実に落とし込むための実行計画である。目的、優先順位、制度設計、予算配分、時間軸を含む。
実行とは、その政策に基づいて、行政機関や研究機関、民間が実際に手を動かす行為である。

したがって、政策は統治そのものではない。しかし、単なる現場作業でもない。
政策とは、統治を実現するための設計図である。

ここを取り違えると、「政府が掘った」「政治が現場に出た」という誤解が生じる。だが、今回の事例で政府が行ったのは掘削そのものではない。掘削という実行を、どの統治判断に結びつけるのかを定め、そのための政策として位置づけたことである。

3️⃣高市政権が行った転換――資源を「研究」から「統治課題」へ引き上げた

地球深部探査船「ちきゅう」

日本は長く、「資源を持たない国」という前提の下で統治されてきた。資源は買うもの、供給遮断は想定しないもの、国家の選択肢は輸入に固定されがちであった。海底資源も、主として学術研究として扱われ、政府は研究費を配分する立場にとどまってきた。

高市政権が行った転換は、掘削の主体を政府に移したことではない。資源問題そのものを、研究テーマではなく統治課題として再定義した点にある。

第一に、資源の位置づけが変わった。重要鉱物やレアアースは、学術的関心の対象ではなく、経済安全保障と国家の選択肢を左右する要素として整理されるようになった。供給遮断リスク、サプライチェーンの脆弱性、同盟国との役割分担という文脈で語られる時点で、これは研究の話ではなく統治の話である。

第二に、掘る目的が変わった。従来は「掘れるか」「どの程度含有しているか」という知見の蓄積が主眼だった。高市政権下では、「将来の国家判断に必要な材料を得るために掘る」という目的が明確になった。研究成果を増やすためではない。前提を維持するのか、書き換えるのかを判断するために掘るのである。

第三に、掘削は政策として位置づけられた。今回の深海調査は、将来の資源確保方針、輸出管理、同盟国との分業、対中依存の見直しといった複数の統治判断に接続される実行計画の一部である。掘削は孤立した研究ではなく、統治を実現するための政策の一工程となった。

なお、実際の掘削・回収作業を担ったのは政府そのものではない。地球深部探査船「ちきゅう」を用いた試験航海として、海洋研究開発機構が主導した。政府が担ったのは、掘削を統治判断の材料として用いるという決定と、そのための政策設計である。

結語 これは「成功談」ではない。資源統治の第一章である

この取り組みは、ただちに成果を誇示するためのものではない。重要なのは、どこまでが可能で、どこに制約があるのかを国家として把握することである。想定どおりに進まない部分があったとしても、それは次の統治判断に必要な情報を得たという意味を持つ。

統治とは、成功談を積み上げることではない。前提を点検し、選択肢を整理し、次に何を決断すべきかを見極める営みである。

今回の掘削は小さな一歩に見えるかもしれない。しかし意味は大きい。我が国はここで、資源を嘆く国から、資源を判断する国へと段階を上げた。2026年2月2日は、日本の資源政策が研究の延長から統治の射程へと移った、その第一章として記憶されるべき日である。

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2026年2月2日月曜日

今回の選挙で語られないもの──本質は国の選別ではない。グローバリズムからナショナリズムへの転換


 まとめ
  • 今回の選挙では「親米か反米か」「米国か中国か」が語られてきたが、それは本質ではない。問われているのは、世界がグローバリズムからナショナリズムへ転換している現実を、日本が直視しているかどうかである。
  • グローバリズムのもとで恩恵を受けたのは一部に過ぎず、国民生活は不安定化した。移民、エネルギー、産業空洞化は別々の問題ではなく、「国家が誰に責任を負うのか」という一点でつながっている。
  • ナショナリズムは孤立ではない。アメリカ・ファーストはアメリカ・アローンではなく、ジャパン・ファーストもジャパン・アローンではない。反米でも無条件親米でもない立場こそが、これからの現実的な国家戦略である。
今回の選挙を振り返ると、どうにも拭えない空白が残る。減税か給付か、財源をどうするのか、どの産業を支援するのか。政策は確かに語られた。しかし、それらを束ねるはずの前提、すなわち「世界がどの構造へ移行しつつあるのか」「我が国はその中で何を守り、何を選ぶのか」という根本の問いは、最後まで正面から扱われなかった。

混乱の原因ははっきりしている。「反米か親米か」「親中か反中か」という古い整理に、議論が引き戻されてきたからだ。この枠組みは、もはや現実を説明しない。問題は国名ではない。問題は、その国を率いる政権がグローバリズム志向なのか、それとも国家主権を重視する国家志向なのかである。この軸を見誤れば、外交も経済も必ず歪む。

1️⃣見失われた前提──「親中・親米」という思考停止


長年、我が国の政治は「どの国に近いか」で評価されてきた。しかし国家にとって本当に重要なのは、どこに近いかではない。自分で決めているかどうかである。

対中接近路線は、明確な国家戦略に基づいて選び取られたものではなかった。短期的な経済利益、既得権益、責任回避が積み重なった結果として形成されたものである。その帰結として、製造業の空洞化、技術流出、土地取得の拡大、各種工作活動の浸透が進んだ。「巨大市場」という言葉は、相手の体制や価値観を直視しないための都合のよい言い訳に過ぎなかった。

同じ誤りは、対米関係にも当てはまる。米国であれば無条件で正しいという発想は、すでに成り立たない。米国の政権がグローバリズム志向であるならば、我が国の国益と衝突する場面は必ず生じる。そのとき必要なのは追従ではなく、冷静な距離感である。

反米でも、無条件親米でもない。この立場こそが、これからの我が国に必要な前提である。

2️⃣グローバリズムの帰結──経済、移民、エネルギー、金融

欧州にボートで移動しようとしている人々

グローバリズムは効率と成長をもたらす思想として歓迎された。しかし、その果実を手にしたのは、国境を自在に越えられるごく一部の巨大企業に限られていた。多くの国内企業、とりわけ製造業や地域経済は競争力を奪われ、雇用と地域社会は弱体化した。国家は存在していても、何を守るのかを明確に語れない状態に陥った。

その延長線上に移民問題がある。移民は人道や労働力不足の文脈で語られがちだが、本質は異なる。グローバリズムにおいて移民とは、人を国境を越える「調整弁」として扱い、賃金と社会コストを抑制する仕組みであった。その結果、賃金の停滞、社会保障負担の増大、地域社会の分断、治安の悪化が現実となった。欧州が直面している状況は、これが理念ではなく、現実の問題であることを示している。

エネルギー政策も同じ構図だ。脱炭素や再生可能エネルギーは美しい言葉で語られたが、国家が制御できない形で供給構造を組み替えた結果、価格の不安定化と供給不安が常態化した。自国でコントロールできないエネルギーは、経済安全保障そのものを脆弱にする。

金融と財政も例外ではない。通貨や財政運営は本来、国家の中枢に属する。しかしグローバル市場の評価を過度に恐れるあまり、国家は自らの選択肢を狭め続けてきた。形式上は主権国家でありながら、実質的な判断を外部に委ねる状態が常態化したのである。

移民、エネルギー、金融。これらは別々の問題ではない。国家は誰に対して責任を負うのかという一点で結びついている。

3️⃣国家志向は孤立ではない──アメリカ・ファーストとジャパン・ファーストの真意


中国の軍事的威圧、経済的圧力、情報工作に対する警戒感は、我が国でもすでに広く共有されるようになった。中国の危機を語ること自体が忌避される時代は終わった。これは確かな前進である。

しかし、危機認識だけでは国家は守れない。次に必要なのは、どの軸で世界と向き合うのかを明確にすることである。ここで再び「反米か親米か」「保守かリベラルか」といった古い分類に戻ってしまえば、議論は空転する。

この点を最も分かりやすく示すのが、「アメリカ・ファースト」と「アメリカ・アローン」の違いだ。
アメリカ・ファーストとは、自国の産業、雇用、社会基盤を立て直したうえで、同盟や国際協調に臨む姿勢である。
アメリカ・アローンとは、自国の論理だけを振りかざし、同盟国の事情を顧みない孤立主義である。
この二つは似て非なるものだ。

同じことは我が国にも当てはまる。
ジャパン・ファーストとは、我が国が自国民に対する責任を明確にし、国家としての意思を回復することである。
ジャパン・アローンとは、国際社会から背を向け、独りよがりに閉じこもることだ。
前者は国際協調の前提条件であり、後者はその否定である。

ナショナリズムは孤立を意味しない。国家志向とは、対等な連携を成立させるための条件なのである。

この現実を、欧州は先に突きつけられた。理念先行のグローバリズムが、移民問題、治安悪化、統治能力の低下を招いた結果、国家として責任を取り直す必要に迫られた。その中で登場したのが、イタリアのジョルジャ・メローニ政権である。彼女の路線は、独裁的な国家主義でも、空疎な国際主義でもない。民主主義を前提に、自国民への責任を国家が引き受け直すという、現実的な国家志向である。

米国もまた、同じ分岐点に立っている。米国であっても、グローバリズム志向の政権とは距離を取り、国家志向の政権とは協調する。これが成熟した同盟関係だ。

この文脈で見れば、我が国の立ち位置は明確である。日本はもはや「守ってもらう側」ではない。防衛装備、精密加工、半導体素材、量産技術といった分野において、日本は米国にとって不可欠な存在となっている。日本を欠いたまま、米国が中国との覇権競争を維持することはできない。

だからこそ、我が国は無条件追随でも、感情的反発でもない立場を取るべきだ。
国家志向の政権とは協調する。
グローバリズム志向の政権とは冷静な距離を保つ。
この原則こそが、アメリカ・ファーストとジャパン・ファーストを正しく結びつける軸である。

この責任を現実に引き受けているのが、すでに成立している高市早苗政権である。問われているのは右か左かではない。国家として意思を持ち、それを実行する覚悟があるかどうかである。

結語 次の選挙で問われるのは、国名ではなく軸だ

今回の選挙では、中国の危険性は語られ始めた。しかし、反米か親米かという古い整理を超え、グローバリズムか国家志向かという軸で世界を見る視点は、最後まで争点にならなかった。

だからこそ、高市政権は次の国政選挙で、この軸を正面から掲げなければならない。米国であってもグローバリズム志向の政権とは距離を取り、国家志向の政権とは手を組む。その姿勢を明確に示し、国民に選択を委ねるべきである。

危機を知るだけでは国家は守れない。どの軸で立つのかを示し、説明し、選択を受け入れる覚悟が必要だ。反米でも、無条件親米でもない。この立場を貫けるかどうか。それこそが、次の選挙で我が国が問われる本当の争点なのである。

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2026年1月11日

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2026年2月1日日曜日

今回の選挙で語られないもの──金融に続き、エネルギー政策を国民の手に取り戻せ


まとめ

  • 本稿は、なぜ今回の選挙でエネルギー政策が正面から語られないのかを解き明かす。積極財政は論点になり始めた一方で、金融とエネルギーは依然として「専門家の領域」に閉じ込められている。その構造そのものを問い直す。
  • 第二に、日本はエネルギーで無策だったという通俗的理解を退ける。長期契約と信用の積み重ねによって築かれてきた「天然ガス帝国」の実像を示し、我が国がスポット市場に振り回されない立場を確保してきた理由を明らかにする。
  • 第三に、再エネ、化石燃料、原子力、SMR、核融合を理念ではなく順序の問題として整理し、今回語られないからこそ、高市政権が次の選挙で国民に示すべきエネルギーの設計図を描いた。
金融政策は、長らく「触れてはならない専門領域」とされてきた。しかし、それは本来、国民生活と直結する政治の中枢である。金利、物価、為替は、すべて国民の生活を直接左右する。中央銀行はこれに大きく関与する。それにもかかわらず、「専門家に任せるしかない」という言葉で、議論は長く封じられてきた。

私は昨日のブログで、その前提そのものを疑う必要があると書いた。金融政策は、国民が選択し、政治が責任を負うべき政策論点である。特に、金融政策は雇用とともに語られるべきであることを強調した。そうすることで、初めて国民生活に直接関係する政治のテーマとなり得るからだ。

同じ構造は、金融だけに存在するものではない。むしろ、より長く、より巧妙に政治の外に置かれてきた分野がある。それがエネルギー政策である。

電気代という形で家計に直撃し、産業の競争力を左右し、安全保障の根幹を支えているにもかかわらず、その全体像が国民の前で正面から論じられることはほとんどなかった。

1️⃣我が国は無策ではなかった──「ガス帝国」が示す現実

石狩LNG基地

まず確認しておくべきことがある。我が国は、エネルギー政策で手をこまねいてきた国ではない。

日本は、LNGの輸入量を誇る国ではない。数量だけを見れば、世界最大級と言い切ることはできない。しかし、日本が築いてきた強みは、量ではなく信用である。

日本は、エネルギーをスポット市場で奪い合う国ではなかった。資源国と長期契約を結び、上流開発に資金を投じ、発電や液化、輸送、受け入れに関わる技術を提供し、人材育成やインフラ整備を共に進めてきた。こうした積み重ねによって、日本は単なる「買い手」ではなく、供給体制の一部を担う存在として扱われてきた。

この違いが表面化するのは、有事である。世界的にLNGが不足し、スポット市場が混乱した局面においても、日本は最後尾に並ばされる国ではなかった。契約に基づく供給に加え、融通や振り替えといった調整が働いた。日本は、エネルギーを奪い合う側ではなく、配分に関与できる側に位置を確保していた。

私は過去のブログで、これを「我が国が築いてきたガス帝国」と表現した。これは誇張ではない。電力会社、商社、造船、金融、技術者が一体となり、数十年をかけて築き上げた信用のネットワークである。市場価格だけでは測れない、我が国独自のエネルギー安全保障である。

しかし同時に、重要な欠落があった。このエネルギー政策が、国民の「選択」として語られてこなかったという事実である。原子力、再生可能エネルギー、電力制度改革は、専門家が説明し、政治が追認し、国民が請求書を受け取るという構図に閉じ込められてきた。金融政策と同じ病理である。

2️⃣再エネは実験、化石燃料は技術、原発は管理だ

火力発電所で用いられている蒸気タービンのブレード

再生可能エネルギーについても、冷静な整理が必要である。将来的に、画期的な技術革新が起きる可能性は否定できない。蓄電、材料、制御、変換効率。そのどこかでブレークスルーが生まれる可能性はある。だからこそ、研究と実験は続けるべきだ。

しかし、希望と現実は分けて考えなければならない。現場の不安定な出力、系統制約、コストの問題は、理念では解決しない。再生可能エネルギーは、現時点では社会の基幹インフラを全面的に担える電源ではない。この線引きを曖昧にしてきたことが、政策全体の歪みを生んできた。

現時点で、我が国が化石燃料に依存せざるを得ない現実は否定できない。ただし、それは環境を軽視することと同義ではない。日本は、化石燃料を高効率で使い、環境負荷を抑える技術を積み重ねてきた。同じ燃料を使っても、排出量と安定性は国によって大きく異なる。現実を直視し、技術で最適化する。それが日本のやり方であった。

原子力についても同様である。「止めれば安全になる」という考え方は幻想だ。原発を停止しても、燃料は残り、設備は存在し、管理は続く。危機が消えるわけではない。むしろ、動かさずに老朽化だけが進む方が、管理は難しくなる。危険なのは稼働ではない。管理不能になることだ。

3️⃣SMRから核融合へ──高市政権が次の選挙で示すべき道筋

次の段階として、小型モジュール炉、いわゆるSMRがある。SMRが注目される理由は、その設計思想にある。出力が小さく、物理的に暴走しにくい。外部電源を必要としない受動的安全設計により、異常時でも人の操作を待たずに反応が収束する。

これは机上の理論ではない。原子力潜水艦や原子力空母といった分野では、半世紀以上前から、これに近い設計思想の原子炉が運用されてきた。運用の歴史の中でトラブルがなかったわけではない。しかし、制御不能に陥り、周囲に重大な被害を与える事故は起きていない。過酷な条件下で、管理され続けてきたという事実は重い。

SMRは、突如現れた夢の技術ではない。長年蓄積された運用経験を、民生に転用しようという現実的な試みである。


その先に核融合がある。核融合は、条件が崩れれば反応が止まる。自己増殖的な連鎖反応を起こさない点で、核分裂とは本質的に異なる。ただし、現時点では主力電源ではない。問題は、段階を飛ばして語られてきたことにある。順序を誤れば、理想は空論になる。

我が国は、エネルギーで無策だった国ではない。しかし、エネルギーの未来像を国民が選び、その是非を選挙で問う政治は、まだ始まっていない。重要すぎるがゆえに、今回の選挙では、電気料金や補助金といった分かりやすい論点に収斂し、構造や順序といった核心は語られていない。

だからこそ、その役割を担うのが 高市早苗政権 である。今回の選挙で争点化できなかったからこそ、高市政権は次の選挙で、エネルギー政策を正面から掲げ、国民に選ばせる責任を負う。ガス帝国という信用をどう活かすのか。再エネを実験・研究としてどう位置づけるのか。化石燃料と原子力をどの順序で使い、SMRと核融合へどうつなげるのか。その設計図を示すことから逃げてはならない。

金融の次に、本格的に問われるのはエネルギーである。それは遠い未来の話ではない。高市政権が、次の選挙で真正面から争点に据えるべき、避けて通れない課題である。

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2026年1月31日土曜日

トランプはなぜ利下げにこだわるのか ──雇用を語る米国、語らない日本の歪んだ金融政策


まとめ
  • トランプの利下げ志向は異端ではない。米国では金融政策は雇用の問題として語られ、金利は雇用を守るための道具だ。本稿は、その前提を欠いた日本の議論のズレを示す。
  • インフレ率が数%動くだけで、数百万人の雇用が創造される。雇用が健全であれば、一定のインフレは許容され得る。本稿は、雇用と名目成長という経済の基本から金融政策を捉え直す。
  • 日本には「雇用=金融政策」という観念がない。その結果、物価だけを見た政策判断が金融を歪め、選挙でも語られなくなった。本稿は、その構造的原因を明らかにする。
1️⃣米国では金融政策は「雇用の話」である

ドナルド・トランプ大統領が、次期FRB議長にケビン・ウォーシュ氏を指名する意向を示したと受け止められた直後、金融市場は敏感に反応した。米長期金利は動き、為替は振れ、株式市場も一時的に不安定になった。市場はこの動きを、単なる人事の噂ではなく、金融政策の方向性が政治の意思として示された可能性として受け止めたのである。

だが、問うべきは市場の短期的な値動きではない。中央銀行の独立性といった形式論でもない。核心は、なぜトランプは一貫して利下げにこだわるのか、そしてなぜその主張が米国では政治的に成立するのか、という点にある。

トランプの金融観は単純明快だ。景気が最優先であり、雇用と企業活動こそが国力の基盤だという考えである。金利は理念ではない。景気を調整するための道具である。政策金利が高止まりし、住宅ローン金利が上がれば、家計と投資が冷える。これは専門家でなくとも理解できる現実だ。

フィリップス曲線(青色)はマクロ経済学上の常識。無論これが成り立つための条件はあるが日本経済はそれを満たしている。

トランプが恐れているのは、インフレ率そのものではない。
高金利が雇用に波及することである。

この認識は突発的なものではない。2018年から2019年にかけ、彼はFRBの利上げ路線を繰り返し批判した。結果としてFRBは利上げを停止し、利下げに転じた。政治介入の是非は別として、利下げという判断が当時の経済状況と整合的だったことは否定できない。

そもそも、景気局面で利下げを志向することは、米国政治では異端ではない。歴代政権はいずれも、金融政策を雇用や投資と結びつけて語ってきた。重要なのは政策効果の精密な因果分析ではない。
金融政策は雇用に関わるものだ、という理解が社会に共有されてきたという事実である。

2️⃣インフレ率が数%高まるだけで、数百万人の雇用が生まれる

FRD

金融政策と雇用の関係について、経済の基本的事実を確認しておく必要がある。それは、インフレ率が数%動くだけで、雇用は大きく動くという現実だ。

日本経済は長年、低インフレと需要不足に苦しんできた。名目需要が伸びないため、企業は賃上げや人員拡大に慎重になり、雇用は維持されても新たに生まれにくかった。逆に言えば、インフレ率が安定的に2〜3%高まるだけで、企業の名目売上は自然に増え、価格転嫁と投資が進む。その過程で、他に大きな政策を打たなくても、日本では数百万人規模の雇用が生まれる。

日本の就業者数はおよそ6,700万人規模だ。名目成長率が数%高まれば、労働需要は数%単位で動く。労働参加率の上昇や潜在的失業の顕在化、非正規から正規への移行まで含めれば、数百万人という規模は過大ではない。

米国では、この効果はさらに大きい。就業者数は約1億6,000万人に達している。インフレ率と名目成長率が数%違えば、雇用への影響は桁が変わる。保守的に見ても、数%のインフレ差が数百万人規模、場合によっては1,000万人前後の雇用増減に結びつく。だからこそ、米国では金融政策が雇用と結びつけて語られてきた。

無論、金融政策で雇用を直接操作できるという話ではない。
インフレ率と雇用は、名目成長を介して強く連動しているという事実である。欧米では、これは常識である。日本では常識になっていない。
この現実をどう認識するかで、金融政策の姿はまったく変わる。

3️⃣日本では「雇用を見ない」から金融政策が歪む

日本銀行

民主党政権時代のことだったが、SNS上で印象的な証言が語られていたことを記憶している。ある職業安定所に勤務していた人物によれば、当時の所長が「私は、雇用というものがよく分からない」と口にしたという。雇用行政の現場責任者の発言として、驚きをもって受け止められた話である。

だが、この発言は本当に奇妙なのだろうか。
むしろ、この所長は正直だったと言うべきだ。

日本では、雇用の主務官庁は厚生労働省だと考えられている。しかし、これは半分しか正しくない。厚生労働省が担っているのは、雇用保険、職業紹介、労働条件の整備、そして雇用統計である。雇用を「把握し、管理する」役割はあるが、雇用そのものの量と水準に責任を負っているわけではない。

雇用の総量を左右するのは、景気であり、名目成長であり、金利である。その中核に位置するのは、言うまでもなく日本銀行だ。企業が人を雇うかどうかは、補助金よりも、将来の売上見通しと資金調達環境で決まる。

にもかかわらず、日本にはマクロ経済学上の常識と言える「雇用=金融政策」という観念がほとんど存在しない。その結果、雇用の現場にいる人間ですら、雇用とは何か、誰が責任を負っているのかを説明できなくなる。

さらに深刻なのは、この欠落が金融政策そのものを歪めている点である。

本来、雇用が健全であれば、インフレ率が一定程度高まることは異常ではない。雇用が拡大し、賃金が上がり、労働市場が引き締まっている局面では、インフレは「経済が回っている証拠」として受け止められる場合もある。米国では、雇用が強い限り、インフレ率がやや高くても許容されることがある。

ところが日本では、雇用の状態を見ないまま、インフレ率の数字だけが切り取られる。その結果、雇用が脆弱なままでも、インフレ率だけを理由に金融政策が引き締め方向に傾くという本末転倒が起きる。

現場の日本は、フィリップス曲線が機能する条件を満たしている「成り立たない」論は、需要政策を無効化する。その結果、緊縮派に理論的援護射撃を与えることになりかねない。

はっきり言えることは、フィリップス曲線が成り立つ成り立たない論などとは別に、まずは雇用を見ずに物価だけを見る金融政策は、体力を見ずに体温だけで患者を判断する医療に似ている。日本の金融政策は、長らくこの状態に置かれてきた。その結果、金融政策は生活実感から乖離し、選挙の争点にもならなくなった。

結論

現時点の我が国の選挙において、金融政策、とりわけ雇用との関係を正面から争点化することは現実的ではない。制度と歴史、そして国民の認識が、そこに追いついていないからである。この状況は一歩間違えると緊縮派に利用されやすい。

だが、それで終わらせてよい話ではない。インフレと雇用、金融政策と生活の関係を、政治の言葉で語り直す努力は不可欠だ。その役割は、いずれ高市早苗政権に担ってもらいたい。
金融政策をあたかも「触れてはならない専門領域」であるような認識から、「国民が選択できる政策論点」へ引き戻すこと、それが次の段階の政治に求められている。それなしに、責任ある積極財政を実現することは難しい。

財政政策が優れたものであったとしても、金融政策が間違っていれば景気が良くなることはない。過去の日本がそれを実証している。健全な財政政策と健全な金融政策の両方を実施することにによってのみ、健全な経済成長が実現されるからだ。

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日銀の「円高症候群」過度に恐れる米国の顔色 アベノミクス切り捨て財務省と協調、利上げと負担増が日本を壊す―【私の論評】 2024年4月17日
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2026年1月30日金曜日

「中道が構図を変える」という空気──妄想に踊った報道と、踏み潰された事実


まとめ

  • この記事では「中道が構図を変える」という空気が、誰のどんな見出しで作られたのかを、日付とともに示した。報道が事実ではなく物語を流した瞬間を可視化した。
  • 二つ目は、その物語の前提が、石破政権期の選挙構造を引きずった非現実的な仮定だったことを明らかにした。高市政権の支持率という最大の要因が、なぜ無視されたのかを突いた。
  • 三つ目は、空気が崩れた後の「単独過半数」論を、手のひら返しとして片付けず、選挙は水物という現実の中で、何が起きたのかを冷静に整理した。

衆院選序盤の情勢で、自民党が単独過半数(233)をうかがう――この見立て自体は、もはや一部の“自民寄り論者”の願望ではない。国際通信も、経済メディアも、選挙・政治の専門サイトも、同じ方向へ雪崩を打っている。問題はそこではない。

もっと大事なのは、その直前まで、メディア空間の多くが「中道改革連合が構図を変える」と、半ば断定調で語っていたことだ。しかも、その根には“見えない仮定”が埋め込まれていた。石破政権時代の選挙構造をそのまま引きずり、公明票が立憲側に素直に合流すると見なす、あまりに都合のいい前提である。

高市政権の高支持率という最大の変数を見ないふりをして、票だけを足し算する。これは「合理的仮定」などではない。結論ありきの、非合理な仮定である。しかもそこには、「高市は長続きしない」「いずれ失速する」という願望込みの想定が、透けて見える。だからこそ、現実が動いた瞬間に、彼らは一斉に手のひらを返した。

1️⃣「中道が構図を変える」という空気は、どのように作られたか


まず、「中道改革連合」推しが強かった局面を、見出しそのもので確認する。重要なのは、単なる紹介ではなく、「期待」「圧勝シナリオ崩壊」といった言葉で、空気を作りにいっていた点である。

立公新党「中道改革連合」と命名、衆院選で消費減税掲げる可能性(ロイター/2026年1月16日)
新党名決定を規模感とともに押し出し、選挙構図の転換を既定路線のように描いた報道である。

「期待と不安」という枠組みで、視聴者に「中道が伸びる」という前提を自然に刷り込む構成だ。石破政権期と高市政権期の支持率差という最大の論点は提示されているが、語りの軸はあくまで「中道が構図を変える」に置かれている。

「中道改革連合」結成で高市自民“圧勝”シナリオは完全崩壊へ(JBpress/2026年1月18日)
「完全崩壊」という断定的な言葉が象徴的だ。選挙が始まる前から結果を言い切り、空気を作りにいっている。

高市内閣支持率が初の下落! 新党「中道」のスタートラインとポテンシャル(選挙ドットコム/2026年1月21日)
論点は終始「中道のポテンシャル」であり、票がどう動くかという具体論よりも、構図転換の可能性が前提として置かれている。

この一連の報道に共通するのは、「中道が伸びる根拠」を石破政権期の選挙構造の延長線に置いていた点だ。だが、現実の選挙は算数ではない。なお、内閣支持率と与党支持率を合算して情勢の危険水域を測る、いわゆる青木率という経験則に照らしても、この時点で「構図が変わった」と断じる根拠は乏しかった。

2️⃣メディアが煽った“中道幻想”──見出しが作った前提


多くの解説が採用したのは、過去の構造をそのまま未来に当てはめる思考だった。しかし、そこには致命的な欠陥があった。高市政権の高支持率という現実を、分析の中心から外していたのである。

FNNの解説では、石破政権期の支持率低下と高市政権期の支持率の高さが比較され、「無党派が動くなら自民はむしろ上積みがある」という趣旨の発言も出ている。
つまり、分かっていた。それでも空気は「中道が構図を変える」方向に寄せられた。

これは合理的仮定ではない。現実を見ないという選択である。
願望を前提に据え、結果を断定し、それをニュースの形で流す。これは分析ではなく、煽りだ。

3️⃣空気の崩壊と手のひら返し──「単独過半数」を言い出した側


転回は突然だった。
自民党が単独過半数をうかがう報道。序盤情勢は選挙にどう影響するか(選挙ドットコム/2026年1月28日)
ここで初めて、「自民が単独過半数をうかがう」という表現が明確に前面へ出る。

マクロスコープ:衆院選、序盤は自民リードとの報道(ロイター/2026年1月29日)
自民が単独過半数(233)をうかがう理由として、物価高対策が主要争点となり、「政治とカネ」の優先順位が下がっている点を挙げる。さらに、公明支持母体が比例重視で動くことで、小選挙区では自民側が有利になる可能性にも踏み込む。これは「公明票が立憲に合流する」という前提を正面から崩す材料である。

自民で単独過半数の勢い、各社衆院選序盤調査(TBS CROSS DIG with Bloomberg/2026年1月29日)
日経・読売・共同など複数調査を横断的に整理し、「単独過半数」の可能性を明示。政治部だけでなく市場が反応し始めている点が決定的だ。

自民単独過半数なら日経平均「5万8000円台」も(ダイヤモンド・オンライン/2026年1月30日)
有料記事ではあるが、単独過半数・安定多数を前提に経済シナリオを組んでいる。政治の見立てが市場の前提に落ちたことで、空気の転回は決定的になった。

結論 空気が変わったのではない。現実が物語を押し流した

今回、現実は、少なくとも「中道が構図を変える」という一方的な物語を押し流した。
もっとも、選挙は水物である。情勢は最後まで揺れ動き、結果は開票箱が閉まる瞬間まで確定しない。

仮に単独過半数という数字が現実のものになったとしても、それは熱狂的な信任ではない。与野党の選択肢の中で、有権者が相対的に下した判断の積み重ねにすぎない。その意味で、単独過半数が示すのは「白紙委任」ではなく、「慎重な期待と同時に向けられた厳しい監視」である。

メディアは一度、「中道が構図を変える」という物語を作り、それが崩れると、何事もなかったかのように「単独過半数」を語り始めた。この前提のすり替えこそ、批判されるべき点だ。

選挙は民主主義の根幹である。空気づくりで判断を誤らせる報道が常態化すれば、壊れるのは政党ではない。判断する国民の足腰である。

今回、現実は物語を押し流した。
そして仮に単独過半数を得る結果となった場合、自由民主党 は、期待と同時に厳しい視線を受け止める立場に立つ。

読者が得るべき教訓は一つだ。
情勢そのものよりも、「どんな前提で語られているか」を見抜け。
それができれば、次に同じような空気が作られても、流されずに済む。

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高市政権は何を託されたのか──選挙が示した「エネルギー安全保障」という無言の民意

まとめ 今回の選挙で与党が単独でも過去最大規模の議席を得たのは、単なる政権支持ではない。現状維持ではなく、「国家が止まらないための設計を進めよ」という、有権者からの委任だったのではないか。その民意が何だったのかを、本稿は問い直す。 エネルギー安全保障は争点にならなかったのではない...