2026年10月12日月曜日

高市首相の十勝AI農業特区――北海道を強く豊かにし、何を未来へ残すのか


 まとめ

  • 十勝AI農業特区は、人口減少時代の新しい地方創生を示している。 AIやロボットによって生産性を高め、少ない労働力でも産業と暮らしを維持する取り組みである。人口減少を嘆くだけでなく、技術革新によって豊かさを生み出す発想が重要だ。
  • 北海道の潜在力は、郷土の暮らしを守るために生かすべきである。 農業、半導体、宇宙、エネルギーなどの産業を育て、所得と雇用を生み出すことは重要だ。しかし、産業の成長そのものが地方創生の最終目的ではない。
  • 八百万の神に通じる霊性の精神を失えば、真の地方創生にはならない。 北海道の多様な歴史や文化を互いに排除せず、郷土全体の財産として受け継ぐことが重要である。新しい技術で未来を切り開きながら、先人への感謝と郷土への矜持を忘れず、土地の魂を未来へ渡すことこそ、地方創生の本質である。

10月10日、高市早苗首相は自身のXで「日本列島を、強く豊かに。:十勝編」と題する投稿を行った。取り上げたのは、北海道十勝地方の19市町村が9月30日に指定を受けた「十勝AI農業特区」である。

高市首相の投稿には、「十勝で実証。十勝で成功。全国へ展開。」という言葉が掲げられている。ロボットトラクタやドローン、AIを活用した農業技術の開発・実証を進め、十勝から全国へ広げようという構想だ。

私は、この方向性に異論はない。人口減少が進む北海道だからこそ、AIやロボット技術を活用し、生産性を高める必要がある。北海道には農業、半導体、宇宙、エネルギーなど、大きな経済的潜在力がある。

しかし、ここで根本的な問いが生じる。

私たちは、何のために北海道を強く豊かにするのか。

所得が増え、工場が建ち、生活が便利になれば、それだけで地方創生は完成するのだろうか。経済的には豊かになっても、先人への感謝を忘れ、郷土への誇りを失ってしまえば、それを真の地方創生と呼べるのだろうか。

私は以前、「人口減少の北海道を救うもの――上士幌が示すAI・エネルギー・神社という地方創生」という記事で、今回の特区にも含まれる上士幌町を取り上げた。

この町では、自動運転やバイオガス発電など、新しい技術を活用した地域づくりが進んでいる。一方、上士幌神社には、開拓者たちが故郷の歴史と信仰を新天地へ受け継いだ物語が残されている。

一見異なるこの二つは、実は深く結び付いている。

新しい技術で未来を切り開くことと、先人から受け継いだものを守ること。この両方を実現してこそ、真の地方創生になるのではないか。

1️⃣人口が減っても豊かに暮らせる町をつくる

十勝は、日本を代表する大規模農業地域である。帯広市の公式資料によれば、地域の食料生産量を地域人口の必要量と比較した食料自給率は約1,300%と推計されている。しかし、その十勝も農業従事者の減少と高齢化に直面している。

そこで期待されるのが、AIやロボットによる生産性の向上だ。今回の特区では、ロボットトラクタの公道走行やドローンの活用を進めるため、規制・制度改革と実証に取り組む。政府は農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の北海道農業研究センター芽室研究拠点についても、AI農業の研究体制を強化する方針を示している。

十勝AI農業特区が目指す未来。機械化が進む十勝農業にAIや自動化技術を取り入れ、省力化と生産性向上を図る。実現には技術実証と制度整備が必要である。(AI生成画像・クリックすれば拡大します)
十勝を、食料を生産するだけでなく、新しい農業技術も生み出す地域へ発展させる。 ここに今回の政策の重要な意味がある。ただし、特区指定によって農業の自動化が完成したわけではない。今後の実証と制度改革を、農家の所得向上や労働負担の軽減につなげることが必要だ。

この発想は、上士幌町の取り組みとも重なる。同町では2017年から自動運転の実証を重ね、2022年には自動運転バスの定期運行を開始した。2024年には公道でレベル4自動運転の実証も行っている。

農業と公共交通では分野が異なるが、人手不足を技術によって補い、地域の暮らしを維持しようとする点は同じである。人口が減少しても、AIやロボットによって一人当たりの生産性を高めれば、地域の供給力と生活水準を維持できる可能性が広がる。

地方創生とは、人口減少を嘆くことではない。人口が減少しても、人々が豊かに暮らせる地域をつくることだ。

十勝AI農業特区と上士幌町の挑戦は、その可能性を示している。

2️⃣北海道の潜在力を、郷土を守る力に変える

上士幌町には、もう一つ注目すべき取り組みがある。牛のふん尿を利用したバイオガス発電である。

以前の記事で紹介した資料によれば、町内のバイオガスプラント7基の年間想定発電量は約1,810万キロワット時。町内の主要施設、畜産農家、一般世帯の年間想定電力消費量約1,800万キロワット時に相当する規模である。常時完全な電力自給を意味するものではないが、地域の資源を活用し、供給力を高める取り組みとして注目される。

上士幌町の酪農とバイオガス発電。家畜糞尿をエネルギーに変え、地域の資源を生かす地方創生の取り組み。(AI生成画像)
北海道全体にも同様の可能性がある。千歳では先端半導体の製造拠点整備が進み、札幌にはIT関連企業や研究機関が集積する。石狩市と苫小牧市は9月、データセンター集積型のGX戦略地域に認定された。大樹町では北海道スペースポートの新しい民間運営体制が始まった。

農業、半導体、AI、宇宙、エネルギー。これらを結び付ければ、北海道は日本の食料・経済・エネルギー安全保障を支える成長拠点となり得る。

ただし、産業の成長そのものが地方創生の目的ではない。

重要なのは、北海道にどれほど大きな工場が建つかではない。その成長によって、人々が郷土で豊かに暮らし続けられるかどうかである。

仕事と所得が生まれ、若い世代が故郷に将来を見いだせる。地域社会が維持されれば、神社や祭り、先人の記憶を受け継ぐ人々も残りやすくなる。

経済的な豊かさは、郷土を守るための重要な基盤である。しかし、豊かになれば、それだけで歴史や文化が守られるわけではない。

技術は地域の未来を切り開く。だが、何を未来へ残すのかを決めるのは、人間である。

3️⃣八百万の神の精神を忘れた地方創生は「仏作って魂入れず」

AIは生産性を高め、エネルギー技術は供給力を増やし、産業政策は仕事を生み出す。しかし、それらはすべて手段でもある。

「なぜ、この土地を残すのか」「何を次の世代へ渡すのか」という問いには、技術や経済政策だけでは答えられない。

その意味を、上士幌神社の由緒は鮮やかに物語っている。

北海道神社庁の上士幌神社の由緒によれば、上士幌開拓の祖とされる安村治高丸は1907年、富山県早星村から小作農家10余戸とともに移住した。1913年には高木太助を郷里へ遣わし、早星神社の御分霊を迎えて奉斎した。これが上士幌神社の創祀とされている。

神社の由緒によれば、高木太助は御霊代を背中にくくりつけ、山を越え、海を渡り、船中でも眠らずに守り通したという。

開拓者たちは、厳しい自然の中で新しい生活を築こうとしていた。家を建て、農地を拓き、生きるために必要なものはいくらでもあったはずだ。

それでも、遠く離れた故郷から神を迎えた。

なぜだろうか。

新しい土地で生きるために暮らしを変えても、自分たちがどこから来たのか、何を大切にしてきたのかまで忘れる必要はなかったからではないか。

彼らは未来を切り開きながら、過去から受け継いだものを新天地へ運んだのである。

ここに、地方創生に欠かせない「霊性の精神」がある。

1913年、故郷から御霊代を背負って運んだ高木太助。先人の信仰と郷土への思いを伝える。(AI生成画像・上士幌神社の由緒に基づくイメージ)
八百万の神が示す、多様な文化を受け入れる精神

日本には古くから、山や川、海や森などの自然に神々の働きを見いだし、多くの神々を敬う「八百万の神」という考え方がある。神社本庁の解説にもあるように、神道は特定の一柱の神だけを信仰するものではなく、さまざまな神々を敬ってきた。

八百万の神の精神とは、違いを一律に排除するのではなく、多様な存在に敬意を払うという日本の精神文化の一つである。

私は、ここに北海道の歴史と文化を未来へ受け継ぐための重要な手掛かりがあると考える。

北海道には、アイヌ文化が成立する以前から縄文、続縄文、擦文、オホーツクなどの文化が存在し、本州や北方の世界との交流があった。その後、アイヌ文化が形成され、近世・近代には移住者たちが新しい地域社会を築いてきた。

2019年のアイヌ施策推進法は、アイヌの人々を先住民族と明記し、独自の文化振興制度を設けている。ここでは、その法律上の位置付けと、北海道全体の歴史や文化をどう継承するかという問題を区別して考える必要がある。

アイヌ文化を尊重することに異論はない。ただし、特定の文化を独立した法律によって保護・振興する制度が、北海道全体の文化継承とどう調和するのかは問われるべきだ。

北海道には、古代からの文化も、近世・近代の移住者が持ち込んだ神社や祭り、郷土芸能もある。それぞれに固有の歴史があり、尊重されるべきものである。

八百万の神の精神に学ぶならば、異なる歴史や文化を民族や時代によって分断するのではなく、それぞれを尊重しながら、北海道という共通の郷土の財産として受け継ぐことができるはずだ。

もちろん、これは個々の文化の違いをなくし、一つに同化させることではない。異なる文化がそれぞれの姿を保ちながら、同じ土地に暮らす人々の誇りとなることである。

霊性の精神とは、自分たちの歴史だけを大切にすることではない。自然を敬い、先人に感謝し、異なる歴史や文化を尊重しながら、土地の記憶を未来へ渡そうとする精神でもある。

ここに、経済効率を絶対視する悪しきグローバリズムや、人々を属性によって分断するアイデンティティー政治とは異なる、地域社会のあり方が見えてくる。

世界の技術や資本を取り入れることは必要だ。しかし、そのために郷土の固有性を失ってはならない。また、それぞれの文化を尊重することが、地域社会を分断する理由になってはならない。

多様なものを尊重しながら、一つの郷土をともに守る。八百万の神の精神に通じるこの姿勢こそ、北海道の地方創生に必要なのではないか。

豊かになっても、土地の魂を失ってはならない

北海道百年記念塔の問題も、同じ問いを投げ掛けている。

北海道命名100年を記念して建設された百年記念塔は、老朽化や安全確保などを理由に北海道が解体を決定した。私は解体に反対してきたが、ここで問いたいのは、記念塔に込められた先人の思いを、私たちは十分に次の世代へ伝えてきたのかということだ。

建造物も、そこに込められた歴史が忘れられれば、単なる構造物になってしまう。地方創生にも同じことがいえる。

工場を建て、AIやロボットを導入することは重要だ。しかし、経済的に豊かになっても、歴史や文化を失い、郷土への誇りが消えてしまえば、本末転倒ではないか。

だからといって、伝統を守るために技術革新を拒む必要はない。むしろ、新しい技術によって地域の暮らしを支えることは、歴史や文化を受け継ぐ共同体を守ることにもつながる。

AIは農地を耕せるかもしれない。しかし、その土地を耕してきた先人への感謝まで、AIに委ねることはできない。

経済成長は地域を維持するために必要だ。しかし、それ自体を最終目的にし、霊性の精神を置き去りにすれば、「仏作って魂入れず」になってしまう。

強く豊かな北海道を実現することには意義がある。しかし、土地の魂を失えば、経済的に豊かな地域にはなれても、誇りある郷土を未来へ渡すことはできない。

結語 強く豊かな北海道に、土地の魂を宿す

高市早苗首相が紹介した十勝AI農業特区は、北海道の新しい可能性を示している。

AIやロボットによって農業の生産性を高め、上士幌町では自動運転やバイオガス発電に取り組む。北海道各地でも半導体、宇宙、エネルギーなどの産業が育ちつつある。

私は、こうした取り組みに異論はない。北海道の潜在力は、積極的な投資と技術革新によって十分に引き出すべきだ。

しかし、何のために北海道を強く豊かにするのか。その問いを忘れてはならない。

経済的な豊かさは、地域を支える力である。霊性の精神は、その力を何のために使い、何を未来へ残すのかを示すものである。

日本には、八百万の神々を敬ってきた精神文化がある。異なるものを一律に排除するのではなく、それぞれの存在を尊重する。この精神に学べば、北海道の多様な歴史や文化を、互いに対立するものではなく、共通の郷土を豊かにするものとして受け継ぐことができるはずだ。

そして、その精神を象徴するのが上士幌の開拓者たちの物語である。

彼らは故郷を離れ、新しい土地で未来を切り開いた。それでも、歴史と信仰を忘れなかった。御霊代を背負い、山を越え、海を渡ってまで、新天地へ受け継ごうとしたものがあった。

彼らが運んだものは、御霊代だけではなかった。故郷の記憶であり、先人への敬意であり、新しい土地で生きていこうとする人々の心のよりどころでもあった。

現代の私たちは、先人たちが想像もしなかった技術を手にしている。しかし、どれほど技術が進歩しても、自分たちが何者であり、何を次の世代へ渡すのかという問いを忘れてよいはずがない。

北海道を強く豊かにすることと、その歴史や文化を未来へ渡すこと。この二つを切り離してはならない。

経済的な豊かさを実現するだけでは足りない。その土地で生きてきた人々の歴史に敬意を払い、多様な文化を受け入れ、郷土への誇りを育むことが必要なのである。

新しい技術で未来を切り開きながら、自分たちは何者であるかを忘れず、郷土への矜持を持って土地の魂を未来へ渡す。

地方創生の本質は、そこにあるのではないか。


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2026年10月11日日曜日

相次ぐ個人情報流出――AI時代に日本のサイバー防衛は追いつけるか


 まとめ

  • 大規模な個人情報流出が相次いでいる。 2026年10月5日までに100万件以上の漏洩事故が10件確認された。日本の事件で犯行主体は十分に特定されていないが、韓国では中国在住とみられる26歳の人物によるAI利用型攻撃が疑われている。日本の事件との関係は確認されていない。
  • AIは攻撃と防御の双方を変える。 攻撃者はAIによって弱点の探索や情報の悪用を効率化できる。一方、防御側もAIを活用して侵入を早期に発見し、被害を限定できる。特に専門人材の不足する中小企業への普及が重要である。
  • 攻撃されても社会を止めない仕組みが必要である。 クラークのSF小説『彗星の中へ』では、故障したコンピューターに代わって、そろばんが宇宙船の危機を救った。現代社会でも、AIによる防御に加え、独立した決済・通信手段や隔離されたバックアップを維持し、国民生活と経済活動を守る能力を高めなければならない。

企業が保有する個人情報の流出が止まらない。会員アプリ、メールサービス、カーシェアリングなど、身近なサービスから数百万件、時には1000万件を超える情報が流出する事態が相次いでいる。なぜ、これほど大規模な被害が続くのか。企業の情報管理に問題があるのか。それとも、攻撃する側の能力が、防御する側を上回る速度で進歩しているのか。

私は、最近の人工知能(AI)の能力向上が、この問題と無関係ではないと考える。生成AIは文章の作成にとどまらず、プログラムの解析や複雑な作業の自動化にも利用されるようになった。攻撃者に必要な専門知識や時間を減らし、従来より多くの標的を狙える可能性が生まれている。ただし、最近の日本企業の情報流出が、すべてAIによる攻撃だったという証拠はない。確認された事実と、AIの進化によって生じる新たな危険は区別する必要がある。

私は9月30日の記事「10月1日、日本の電気・銀行・病院を守るサイバー防衛が変わる」で、我が国の重要インフラを守る制度の転換を取り上げた。しかし、制度が整備されても攻撃がなくなるわけではない。今問われているのは、AIによって進化する攻撃をどう防ぎ、万一突破されても国民生活と経済活動を維持できるかである。

1️⃣1000万件規模の情報流出――誰が、なぜ攻撃しているのか

2026年10月7日、東京商工リサーチは「上場企業『個人情報漏えい』、過去最悪ペース」と題する調査結果を公表した。上場企業とその子会社の公表事例では、10月5日までに100万件以上の個人情報漏洩事故が10件確認された。2025年の年間6件を上回り、1000万件以上の大規模漏洩も2026年だけで3件発生している。

KDDIのメールシステムでは1223万1954件のメールアドレス、焼肉きんぐの公式アプリでは1078万8963件の会員情報が漏洩した。タイムズモビリティでも約660万アカウントに関する情報の漏洩が公表され、運転免許証の画像を含む本人確認書類が流出した可能性も指摘されている。これらは情報の件数やアカウント数であり、被害人数とは必ずしも一致しない。また、流出が確定した情報と、流出の可能性がある情報は区別する必要がある。

さらに深刻なのが、クラウドサービスそのものへの攻撃である。2026年10月7日、ソフトバンク子会社のIDCフロンティアが運営する「IDCFクラウド」がランサムウェア攻撃を受け、495の企業・自治体に影響が及んだ。同社の10月8日付公式発表によれば、一部の仮想サーバーが停止して再起動できなくなり、保存されていた顧客データも取り出しや復元が困難な見通しとなった。同社は利用者自身が保持するバックアップからの復元を案内している。

この事件が示したのは、クラウドサービスを利用しても、データや業務の安全が自動的に保証されるわけではないという事実である。多くの企業や自治体が同じ基盤に依存すれば、その基盤が攻撃された際、被害は一斉に広がり得る。情報を外部に預けることと、自社の事業継続を保証してもらうことは別問題なのである。

気になるのは、これほど多くの企業を攻撃しているのが誰なのかという問題である。最近の日本企業の情報流出について、すべてを同一のハッカー集団による犯行と判断できる証拠は公表されていない。

2026年は10月5日までに100万件以上の個人情報漏洩事故が10件発生。2025年の年間6件を上回った。出典:東京商工リサーチ(2026年10月7日)。AI生成画像。クリックすれば拡大します。

10月8日、国内のサイバー攻撃対応を支援する専門組織JPCERT/CCは「直近で相次いでいる国内組織における不正アクセスに関する注意喚起」を公表した。既知のソフトウェアの弱点や管理設定の不備を狙う攻撃が取り上げられているが、各事件の技術的な情報は限定的であり、犯行主体を一括して特定できる状況ではない。

一方、海外では攻撃者の輪郭が見え始めている。米国のサイバーセキュリティ企業CrowdStrikeは、10月7日付の調査報告で、韓国の金融機関への攻撃にAIを活用したツール「ARTEX」などが使われたと分析した。さらに10月8日のロイター通信の報道によれば、攻撃者は中国・広東省に拠点を置く26歳の人物である可能性が浮上している。金銭目的の攻撃とみられるが、身元や犯行が司法手続きで確定したわけではなく、中国政府や日本の事件との関係も確認されていない。

注目すべきなのは、高度な組織だけでなく、比較的小規模な集団や個人でも、AIを利用して金融機関を標的にできる可能性が現実の問題となっていることだ。しかも、被害が巨大化する背景には、顧客情報の集中管理がある。現在は全国の店舗やサービスの情報が、会員管理システムやクラウド上のデータベースに集約されている。業務効率は高まるが、アクセス制御が破られれば、数百万件もの情報が一度に危険にさらされる。

企業が大量の情報を集中管理する一方で、攻撃者はAIによって弱点を探す能力を高めつつある。この組み合わせが、大規模な情報流出を考えるうえで重要なのである。

2️⃣AIが変える攻撃と防御――技術の進歩をどちらが生かすのか

2026年10月9日、ロイター通信は「South Korea, Japan buffeted by hacks as AI lowers bar for cybercriminals」と題する記事で、日本と韓国で相次ぐ攻撃とAIの関係を報じた。専門家は、AIによって攻撃の技術的なハードルが下がり、高速化や低コスト化が進んでいると指摘している。

AIはサイバー攻撃の効率化にも、防御側の弱点発見や不正アクセスの検知にも利用される。重要なのは、AIを適切に活用し、被害を最小限に抑えることだ。AI生成画像。クリックすれば拡大します。

従来、サイバー攻撃には、標的の調査、弱点の発見、プログラムの解析など、多くの専門的な作業が必要だった。現在のAIは、その一部を支援できる。さらにAIエージェントは、途中の結果に応じて次の作業を選び、探索や分析を継続できる。韓国の事件で使われたARTEXはその具体例であり、CrowdStrikeは攻撃者の環境からClaude Codeの作業履歴やARTEXの設定ファイルなどを確認した。AIが自ら犯罪を始めたわけではなく、人間の攻撃者がAIを利用していたのである。

ここで重要なのは、攻撃の経済性が変わることだ。AIによって調査や分析の費用が下がれば、攻撃者は同じ時間でより多くの企業を調べられる。従来は標的になりにくかった中小企業まで狙われる可能性がある。防御側はシステム全体を守らなければならないが、攻撃者は侵入可能な弱点を1つ見つければよい場合がある。AIは、この非対称性をさらに拡大する恐れがある。

さらに、AIは盗まれた情報の悪用も容易にする。複数の企業から流出した氏名、住所、電話番号、購入履歴などを関連付け、標的に合わせた詐欺メールやなりすましに利用することも考えられる。こうした犯罪はAI以前から存在したが、AIによって大量の情報を短時間で処理しやすくなる。

しかし、AIを攻撃者だけの武器にしておく必要はない。防御側も積極的に利用すべきである。

企業のシステムでは、膨大な通信記録やアクセス記録が日々発生する。AIを利用すれば、不審な通信や操作を見つけ、危険度の高いものから優先的に調査できる。ソフトウェアの弱点を発見し、修正の優先順位を判断する作業にも役立つ。特に専門人材が不足する中小企業にとって、AIを組み込んだ監視サービスは有力な選択肢となる。ただし、AIには誤検知や見逃しもあるため、人間による監督は欠かせない。

政府も防御側のAI活用を政策課題としている。IPAの「情報セキュリティ白書2026」でも、AIを悪用した脅威への対処と、AIを活用したセキュリティ強化が取り上げられている。攻撃者がAIによって能力を高めるのであれば、防御側もAIによって監視と分析の速度を高めなければならない。問題は、その技術を我が国の企業が実際に使いこなせるかどうかである。

3️⃣日本のサイバー防衛は何を変えるべきか――宇宙船を救ったそろばんの教訓

私は9月30日の記事「10月1日、日本の電気・銀行・病院を守るサイバー防衛が変わる」で、我が国の重要インフラを守る制度の転換を取り上げた。2026年10月1日には、電力、金融、医療など16分野を対象とする重要インフラのサイバーセキュリティ対策に関する統一基準が施行された。サイバーセキュリティ戦略本部が決定した基準を踏まえ、関係省庁が各分野の対策を進める仕組みである。同日に施行されたサイバー対処能力強化法などは、官民連携や攻撃への対処能力を強化する別の制度だ。

しかし、重要インフラを守る制度だけで、すべての企業の個人情報を保護できるわけではない。一般企業にも個人情報保護法に基づく安全管理措置や委託先の監督義務があり、10月7日には個人情報保護委員会が大規模な情報漏洩を受けた注意喚起を公表している。

特に問題なのが、外部委託先を含む情報管理である。現在、企業のシステム開発や運用には複数の事業者が関わっている。発注元が実際の管理状況を把握せず、元請け企業も再委託先に任せきりになれば、重大な弱点が放置されかねない。最近の流出事件がすべて委託先の管理不備によるものではないが、情報を外部に預けても、発注元の管理責任まで消えるわけではない。

この問題への対応策の1つが、経済産業省などが制度設計を進め、情報処理推進機構(IPA)が関与する「サプライチェーン強化に向けたセキュリティ対策評価制度(SCS評価制度)」である。関連する既存の自己宣言制度「SECURITY ACTION」には、基本対策への取り組みを宣言する★1と、自己診断などを行う★2がある。これとは別に、新たなSCS評価制度では、一般的な攻撃への対策を専門家の確認付きで評価する★3と、侵入後の被害拡大防止なども含めて第三者が審査する★4を設ける。IPAの公式説明によれば、★3・★4は2027年3月頃の運用開始予定だ。ただし、評価を取得すれば安全になるわけではなく、実際の防御能力が問われる。

そのためには、防御側もAIを活用しなければならない。しかし、それだけでは十分ではない。もう1つ必要なのは、最新の技術が使えなくなっても、社会の重要な機能を維持できる仕組みである。

ここで思い出すのが、英国のSF作家アーサー・C・クラークが1960年に発表した短編小説『彗星の中へ』(原題 Into the Comet)である。

物語では、彗星探査に向かった宇宙船のコンピューターが故障し、脱出に必要な軌道計算ができなくなる。地球との通信も途絶え、乗組員は絶望的な状況に追い込まれる。そこで、日系人の乗組員ジョージ・タケオ・ピケットが思い出したのが、日本のそろばんだった。乗組員たちは手作りのそろばんを使って膨大な計算を分担し、地球との通信が可能な場所まで宇宙船を移動させる軌道を算出することに成功する。

最先端の宇宙船を救ったのは、古くから使われてきた計算道具だったのである。

アーサー・C・クラークのSF小説『彗星の中へ』をイメージ。故障した宇宙船のコンピューターに代わり、日系人乗組員がそろばんで軌道を計算する。最新技術を補う代替手段の重要性を描いた。AI生成画像。

これはSF小説であり、現実の宇宙開発における実証例ではない。しかし、現代のサイバー防衛にも通じる教訓がある。どれほど高度な技術でも、故障したり攻撃されたりすれば使えなくなる。そのとき、別の原理で動く手段が残されていれば、危機を乗り越えられる場合がある。

我が国で今も使われているFAXや現金にも、これと共通する面がある。オンライン決済が停止しても、現金があれば取引を継続できる場合がある。従来型の電話回線を使うFAXも、インターネット経由の攻撃を受けにくい場合がある。もっとも、FAXには誤送信などの危険があり、現金も万能ではない。

この教訓は、先に紹介したIDCフロンティアの事件にも通じる。同社は、影響を受けた利用者に対し、別環境でのシステム再構築と、利用者自身が保持するバックアップからのデータ復元を案内した。つまり、クラウドにデータを預けているだけでは、万一の際に事業を再開できるとは限らないのである。重要なのは、普段利用しているシステムが停止しても使える、独立したバックアップや代替手段を確保することだ。バックアップが存在しても、攻撃されたシステムと同時に利用不能になるようでは意味がない。最新のAIやクラウドを活用することと、それらが使えなくなった場合にも業務を継続できる仕組みを持つことは、決して矛盾しない。むしろ、両者を備えてこそ、本当に強靱なシステムといえるのである。

ただし今さらFAXや紙の業務に戻るべきだという話ではない。重要なのは、デジタル技術を活用しながら、それが停止しても機能する独立した手段を残すことである。 病院なら電子カルテ停止時の診療継続手順、電力や水道なら安全な手動操作、企業ならネットワークから隔離したバックアップなどが考えられる。単に予備システムを増やすのではなく、同じ攻撃で同時に停止しない独立性が必要なのだ。

さらに、不要な個人情報を長期間保有しないことも重要である。情報を持たなければ、その情報が流出することもない。アクセス権限を必要最小限に制限すれば、侵入された場合の被害も抑えられる。サイバー防衛の実力は、制度の数や予算規模ではなく、攻撃の検知速度、弱点の修正、被害の限定、業務の復旧能力によって判断すべきである。

2026年7月には、ニチレイがサイバー攻撃によるシステム障害で物流機能に影響を受け、出荷停止に追い込まれたと東京商工リサーチが報告している。情報システムへの攻撃は、企業の情報だけでなく、物資の供給そのものを脅かす。

AIで攻撃を防ぎ、突破されても独立した手段で社会を動かし続ける。半世紀以上前のSF小説が示した教訓は、AI時代の我が国にも通じるのである。

結論――AIによる防御と、攻撃されても止まらない社会を

企業からの大規模な情報流出が相次ぐ背景には、膨大な情報の集中管理と、情報システムの弱点がある。そこにAIの進化が重なり、攻撃者は従来より少ない時間と費用で、多くの標的を狙える可能性が生まれている。ただし、日本国内の最近の流出事件がAIによって引き起こされたと断定することはできない。海外ではAIを利用した攻撃が報告されているものの、国内事件の犯行主体や手法については、なお解明が必要である。

だからこそ、防御側もAIを積極的に活用すべきだ。不審な通信の検知、脆弱性の発見、被害の早期把握などにAIを利用し、人間の専門家が重要な判断に集中できる体制を築く必要がある。しかし、AIによる防御を強化するだけでは十分ではない。

私は前回の記事で、目指すべきは絶対に侵入されない国ではなく、攻撃されても社会の機能を維持できる国だと指摘した。クラークの『彗星の中へ』に登場するそろばんは、その意味を象徴している。最先端のコンピューターが停止しても、独立した手段があれば、危機を乗り越えられる可能性が残るのである。

現金決済、隔離されたバックアップ、重要設備の安全な手動操作、非常時の代替通信手段。こうした仕組みは、平常時には非効率に見えるかもしれない。しかし、1度の攻撃で社会の重要な機能が同時に停止する危険を考えれば、維持する合理性がある。

多少の不便や費用を受け入れてでも、非常時に機能する独立した手段を残す。これはデジタル化への逆行ではなく、デジタル社会を守るための備えである。

我が国の経済安全保障にとっても、これは重要だ。食品、医薬品、エネルギー、物流などの供給を支える情報システムが停止すれば、国民生活にも重大な影響が及ぶ。非常時にも供給力を維持できる体制は、国家が蓄積すべき重要な資産である。企業、システム事業者、政府はそれぞれの責任を果たし、制度を作り、評価を取得するだけで満足してはならない。

AIによって攻撃の経済性が変わったのであれば、防御の経済性と組織のあり方も変えなければならない。

我が国が目指すべきは、すべてをネットワークにつないだ社会でも、デジタル化を恐れて過去に戻る社会でもない。AIを使って攻撃を防ぎ、万一突破されても、独立した手段によって国民生活と経済活動を維持できる国である。 制度の整備は出発点にすぎない。今こそ、その実効性を問う段階に入ったのである。

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2026年10月10日土曜日

食料品消費税1%へ――37年間の増税路線に歴史的転換点が訪れるか


まとめ
  • 消費税減税は、37年間の増税路線を転換する歴史的な政策である。 1989年の導入以来、日本の消費税は引き上げられる一方だった。今回の減税が実現すれば、税率引下げという新たな前例が生まれる。その成果を検証できることが、将来の財政政策にとって重要な意味を持つ。
  • 減税の成否は、直接的な税収減だけでなく経済全体への効果で判断すべきである。 消費、雇用、賃金の改善が確認されれば、増税中心の財政運営を再検証する根拠となる。財源についても補助金などと共通の基準で政策効果を評価し、税外収入や歳出見直し、国債発行を含めて判断すべきだ。
  • 社会保障目的税化を、減税できない理由にしてはならない。 消費税を社会保障目的税化したのは過去の政治判断である。社会保障の維持と特定の消費税率の維持は別問題だ。今回の減税の成果を踏まえ、2029年以降も経済成長と国民所得の拡大を重視する財政政策へつなげるべきである。
 2026年10月9日、政府は飲食料品の消費税率を2027年4月から2年間、現行の8%から1%へ引き下げる法案を閣議決定し、第222回国会に提出した。2029年4月には税率を8%へ戻し、所得に応じて税や社会保険料の負担を軽減する「就業者負担軽減支援金」を本格導入する構想である。支援金は2027年度から先行導入する。法案はまだ成立しておらず、実施には国会での成立が必要だ。制度の詳細は内閣官房の法案関連資料で確認できる。Cabinet Office, Government of Japan

1989年の導入以来、消費税は3%から5%、8%、10%へと引き上げられてきた。2019年の軽減税率8%も、飲食料品などの税率を据え置いたものであり、既存税率の引下げではない。今回、政府は初めて消費税率そのものを引き下げようとしている。

この減税の最大の意義は、37年間続いた消費税の増税路線を転換し、減税を現実の財政政策として位置づける可能性にある。

しかも、その意味は2年間の家計負担軽減にとどまらない。減税によって個人消費が回復し、企業の売上高、雇用、賃金が改善すれば、増税による税収確保を優先してきた従来の財政運営は、その合理性を改めて問われることになる。

ここで避けて通れないのが、減税のたびに持ち出される「財源がない」という議論と、消費税の社会保障目的税化である。財源確保は重要だが、その手段を特定の税率維持に限定する必然性はない。社会保障目的税化も、過去の政府と国会が採用した制度であり、変更できない経済法則ではない。

今回問われるべきなのは、単に減税が実施されるかどうかではない。消費税減税を契機として、我が国が増税中心の財政運営から、経済成長と国民所得の拡大を重視する政策へ転換できるかどうかである。

1️⃣消費税減税が37年間の増税路線を変える

日本では消費税導入以来、税率の引上げは繰り返されてきたが、引下げは実施されてこなかった。所得税や法人税では減税が政策手段として活用されてきたにもかかわらず、消費税については社会保障財源の確保が優先され、減税は現実の選択肢になりにくかった。


しかし、増税によって税収が増えることと、経済全体が良くなることは別問題である。家計の購買力が低下すれば個人消費が抑制され、企業の売上高や投資、雇用にも悪影響が及ぶ。景気回復が十分でない段階での増税は、所得税や法人税など他の税収にも影響しかねない。

その代表例が2014年4月の消費税率引上げである。税率が5%から8%へ引き上げられた後、個人消費は大きく落ち込んだ。内閣府の経済分析でも、増税に伴う物価上昇と実質所得の減少が消費を抑制し、駆け込み需要の反動などとともに景気回復を弱めたことが示されている。内閣府ホームページ

それならば、消費税率を引き下げれば何が起こるのか。この問いを正面から検証すべきである。

海外には参考となる事例がある。英国では2008年12月、世界金融危機への対応として付加価値税(VAT)の標準税率を17.5%から15%へ一時的に引き下げた。英国財政研究所(IFS)の研究では、小売販売数量が約1%増加したと推計されている。ドイツでも2020年のVAT減税が耐久消費財の購入を促したことが、ドイツ連邦銀行の研究で示されている。ただし、両国の減税は標準税率を対象としており、日本の食料品減税と効果が同じになるとは限らない。Institute for Fiscal Studies

今回、日本で減税が実施されれば、海外の事例に頼るだけでなく、国内の経済データによって効果を検証できる。飲食料品の販売価格や販売数量に加え、個人消費全体、企業収益、雇用、賃金、税収への波及を確認すべきだ。

ここで重要なのは、消費税収だけを見て減税の成否を判断してはならないということである。

減税によって家計の支出が増え、企業の利益や雇用、賃金が改善すれば、所得税や法人税などの税収が増える可能性もある。その増収が消費税の減収をすべて補うとは限らないが、経済全体への波及効果を無視して減税を評価することはできない。

需要不足の局面で財政政策が総需要を支え、生産や雇用に影響するというのは、基本的なマクロ経済学の考え方である。経済政策は財政収支だけでなく、成長率、物価、雇用など実体経済の状況から評価しなければならない。

さらに、需要の回復が企業の設備投資や技術開発を促せば、我が国の供給力再建にもつながる。国内の生産設備、技術、人材への投資は、将来の国民所得を支える国家的な資産となる。短期的な消費刺激を持続的な成長へ結びつけることが重要である。

今回の減税によって景気回復への寄与が確認されれば、増税による税収確保を優先してきた政策判断は再検証を迫られる。その実績こそ、将来の財政政策を変える重要な根拠となるのである。

2️⃣「減税の財源がない」という議論を問い直す

消費税減税が議論されるたびに、「財源をどうするのか」という声が上がる。しかし、減税には必ず同額の恒久財源を用意しなければならないという経済法則があるわけではない。

政府は毎年度、税収だけで予算を編成しているのではない。税外収入や国債発行も利用し、必要な政策を実施している。


2026年度当初予算では、租税等の収入を83兆7350億円、その他収入を8兆9902億円、公債金を29兆5840億円と見込んでいる。これらは既存の歳出を賄うために計上されたものであり、そのまま減税に使える余剰資金ではない。しかし、財政運営には税収以外にも複数の手段があることを示している。財務省

問題なのは、減税についてだけ、他の財政政策とは異なる厳しい財源条件を課すことである。

政府は毎年度、多額の補助金を支出し、基金にも資金を積み立てている。補助金や基金も予算審議を受け、財源が問われることに変わりはない。しかし、減税について直接的な減収額だけを強調し、他の支出については経済効果や必要性の検証が不十分であれば、政策評価として整合性を欠く。

補助金も減税も、経済に影響を与える財政政策である。減税だけに同額の恒久財源を絶対条件として求めるのであれば、その理由を明確に説明すべきだ。

補助金は政府が対象を選び、特定の企業や事業に資金を配分する。一方、消費税減税は対象商品を購入する消費者の負担を広く軽減する。必要な産業政策や研究開発支援は実施すべきだが、効果の乏しい補助金を温存しながら、国民の税負担軽減にだけ厳しい財源論を持ち出すのでは、本末転倒である。

政府自身も、補助金や基金の見直しが必要であることを認めている。10月9日の片山さつき財務大臣記者会見では、2027年度末の基金残高が約7兆円と見込まれることを踏まえ、資金の国庫返納や事業の見直しを進める方針が示された。ただし、7兆円すべてが不要な資金という意味ではなく、実際に活用できる額は個別の検証によって決まる。財務省

さらに、減税財源を考える際には、国債発行も選択肢から排除すべきではない。

政府は今回の法案で、減税などの財源を特例公債に頼らず確保する方針を明示している。これは現在の政府案における制度上の条件であり、実施に当たっては尊重されなければならない。しかし、将来の財政政策において国債発行を活用する選択肢まで否定する根拠にはならない。財務省

景気が弱く、民間需要が不足している局面では、国債発行を伴う減税によって家計の購買力を支え、総需要を拡大する政策は検討に値する。国債発行の是非は、景気、雇用、物価、供給力、金利、利払い負担などを踏まえて判断すべき問題である。

国債を無制限に発行できるわけではない。しかし、だからといって国債発行を一律に否定し、減税財源から排除することも合理的ではない。

また、「恒久財源」という言葉にも注意が必要だ。継続的な制度には中長期の財源見通しが求められるが、景気や物価に対応する時限的な減税は、その目的と期間に応じて財源を判断すべきである。財政政策の機動性を損なうほど硬直的な財源確保を求めれば、必要な時期に必要な対策を講じられなくなる。

「財源がないから減税できない」という説明だけでは不十分である。問われるべきなのは、どの財政手段を選び、何を優先し、国民生活と経済成長にどのような成果をもたらすかという政策判断である。

減税に必要な財源の検討と、減税の経済効果の検証は、対立するものではない。両者を一体として評価することこそ、合理的な財政運営である。

3️⃣社会保障目的税化を見直し、減税を次の政策につなげよ

消費税減税を難しくしてきた要因の1つが、消費税の社会保障目的税化である。

日本では2012年の社会保障・税一体改革を経て、消費税収を社会保障財源とすることが法律上明確にされた。消費税法第1条第2項には、国の消費税収について、地方交付税に関する規定のほか、年金、医療、介護、少子化対策の社会保障4経費に充てることが定められている。地方消費税についても、従来の税率1%相当分を除き、社会保障施策に充てる仕組みである。

さらに、2012年3月13日、野田内閣は参議院への政府答弁書で、地方交付税の法定率分を除く国の消費税収の全額を社会保障4経費に充て、「社会保障目的税化する」と明言した。消費税は1989年の導入当初から社会保障目的税だったわけではない。現在の仕組みは、その後の政府と国会による政策判断の結果である。(sangiin.go.jp)

家計を見つめる夫婦。税と社会保障は暮らしに直結する AI生成画像
経済学者の高橋洋一氏は、2025年6月の論考で、消費税を社会保障目的としているのは日本だけだと主張している。この問題を考える際には、税収の一部を社会保障に配分することと、消費税そのものを社会保障目的の税として位置づけることを区別する必要がある。

ベルギーやフランスにも、VAT収入の一部を法律に基づいて社会保障へ配分する制度がある。しかし、日本では政府が社会保障目的税化を明言し、対象となる税収の全額を社会保障に充てる制度を採用している。世界唯一と断定するには網羅的な国際比較が必要だが、日本の制度が両国と異なることは確かである。(ベルギー連邦社会保障省、フランス社会保障法典)

しかも、日本の消費税収は原則として一般会計で管理され、社会保障専用の独立会計に入るわけではない。政府は法律と予算によって使途を明示しているが、消費税収を社会保障に充当していることと、増税によって社会保障給付がどれだけ追加的に充実したかは別問題である。両者を混同してはならない。

ここで問うべきなのは、社会保障目的税化という過去の制度設計が、消費税率を引き下げない理由として使われてこなかったかという問題である。

社会保障の安定財源を確保する必要があることは当然だ。しかし、それは特定の消費税率を維持し続けなければならないことを意味しない。

社会保障には社会保険料のほか、所得税や法人税などを含む公費も用いられている。経済成長によって国民所得や企業利益が増えれば、税収基盤が拡大する可能性もある。必要に応じて歳出を見直し、経済状況によっては国債発行を活用することも財政政策の選択肢となる。

消費税の社会保障目的税化は、過去の政治判断によって採用された制度である。政府が法案を提出し、国会が法律を制定・改正することで、制度は変更できる。社会保障財源の確保と消費税率の設定は、分けて考えるべき問題だ。

そして今回の減税は、その関係を問い直す機会となる。

政府案では、2027年4月から飲食料品の消費税率を1%へ引き下げ、2029年4月には8%へ戻す。その間に「就業者負担軽減支援金」を先行導入し、2029年度から本格導入する。政府は幅広い家計への減税と、中低所得の就業者への重点的な支援を組み合わせる方針である。(財務省・2026年10月9日記者会見)

しかし、2029年の日本経済がどのような状態にあるかは、現時点では分からない。

仮に減税によって個人消費が回復し、企業活動や雇用が改善していた場合、その成果を十分に検証せず、予定どおり税率を戻すことが合理的とは限らない。再び税率を引き上げれば、家計の購買力が低下し、回復しつつある需要を弱める可能性があるからだ。

もちろん、2029年には支援金制度が本格導入される予定である。しかし、税率復帰による負担増をどこまで補えるかは、対象者や給付水準によって異なる。税率の変更と給付制度を一体として評価しなければならない。

重要なのは、2029年の税率復帰を機械的に実行するのではなく、その時点の経済状況と減税の成果を踏まえて判断することである。

減税の効果が確認されれば、延長も検討対象となる。食料品以外への減税拡大や、所得税・社会保険料などの負担軽減を組み合わせる政策も考えられる。財源についても、税収や税外収入、歳出の見直し、必要に応じた国債発行を含め、経済状況に応じて判断すべきだ。

消費税率を1度引き下げれば、その経済効果を国内のデータで検証できる。成果が確認されれば、将来の財政政策を見直す有力な根拠が生まれる。

今回の減税は、単なる2年間の時限措置ではない。増税を優先してきた財政運営を再検証し、経済成長と国民所得の拡大を重視する政策へ転換する出発点となり得るのである。

結論――消費税減税を財政政策転換の出発点に

1989年の導入以来、日本の消費税は税率を引き上げる一方だった。今回の飲食料品消費税率1%への引下げが実現すれば、37年間続いてきた税制運営に初めて異なる前例が生まれる。

その意義は、2年間の家計負担軽減だけではない。減税によって経済がどう変わるかを検証し、その成果を次の財政政策に生かせることにある。

減税によって消費が拡大し、雇用や賃金が改善すれば、増税による税収確保を優先してきた政策判断を再検証する有力な根拠となる。逆に十分な効果が得られなければ、その原因を分析し、次の政策に生かせばよい。

同時に、「財源がない」という議論も問い直す必要がある。国は毎年度、税収や税外収入、国債発行などを組み合わせて財政を運営している。補助金や公共投資と同様、減税についても、その経済効果と国民生活への影響を基準に判断すべきだ。国債発行も選択肢から一律に排除せず、経済状況に応じて検討する必要がある。

社会保障目的税化という過去の制度設計も、消費税率を固定する絶対的な理由にはならない。社会保障の維持に必要なのは、特定の税率を守ることではなく、持続的な財源と、それを支える経済基盤を確保することである。

財政政策の目的は、税収を最大化することでも、特定の税率を維持することでもない。国民所得を増やし、雇用を安定させ、我が国の供給力を高めることである。

今回の減税が景気回復に寄与することが確認されれば、その成果を2029年以降の政策へ反映すべきだ。減税の延長や対象拡大も含め、経済状況に応じた柔軟な政策判断が求められる。

今回の消費税減税が持つ最大の意味は、増税一辺倒だった日本の財政政策に、減税という現実の選択肢を生み出すことである。

この機会を単なる時限措置で終わらせてはならない。消費税を1度下げ、その効果を検証し、次の財政政策へつなげる。そこにこそ、今回の減税が持つ歴史的意義がある。

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2026年10月9日金曜日

高市首相を呼び捨てにする中国――世界に広がる日本外交と北京の焦り

まとめ

  • 中国が高市首相に答弁の撤回・是正を迫る間にも、日本は国際協力を進めてきた。

  • その協力は、レアアースに加え、防衛、アジアとの経済協力、通信基盤に及ぶ。

  • 北京の焦りは、圧力を強めても日本の政策を変えさせられず、圧力の効きにくい条件が整いつつある点から考えるべきだ。

中国外務省の報道官が、高市早苗首相に肩書を付けず、「高市早苗」と呼んだ。日本の外務省は、首脳への敬意は国際儀礼上当然だとして、中国側に申し入れた。テレビ朝日の報道

注目すべきは、この呼称の背後にある外交の動きである。中国が昨年の台湾有事をめぐる国会答弁の撤回・是正を求める間にも、高市政権は各国との協力を積み上げてきた。

私は、この対照に北京の焦りを見る。日本への圧力が続く一方、その圧力に左右されにくい条件を、日本自身が整えようとしているからである。

1️⃣昨年11月の国会答弁から続く、中国の要求

出発点は、2025年11月7日の衆議院予算委員会である。

岡田克也氏の質問に対し、高市首相は、台湾をめぐる事態が武力行使を伴う場合には、存立危機事態になり得るとの認識を示した。同時に、実際の認定は個別具体的な状況と情報を総合して判断すると説明した。台湾有事への自動的な軍事介入を宣言した答弁ではない。国会会議録

その後の経緯を、日本外交の動きと並べてみよう。

【図の出典・参考資料】

本図は、以下の公表資料を基に、日中双方の主要な動きを抜粋して作成しました。中国側の主張は、中国政府の見解を示すものであり、その正当性を認める趣旨ではありません。

※主要な出来事の抜粋であり、網羅的な年表ではありません。出来事の順序は、政策間の因果関係や「中国の焦り」を直接証明するものではありません。

中国の要求が続いても、日本外交は止まらなかった。この点が重要である。

2️⃣高市外交は、中国の圧力が届きにくい条件をつくる

高市政権が進める協力の意味は、日本が自ら判断できる余地を広げることにある。

まず、重要鉱物だ。3月の日米協議では、採掘・加工・製造の案件を資金と政策で支える方向が示された。5月の日豪首脳会談でも、重要鉱物、エネルギー、防衛などの協力が打ち出された。日米協議の発表、日豪首脳会談の発表

同志国との連携を広げる日本外交 AI生成画像

中国は、2024年の磁石用レアアースで、世界の採掘量の60%、精製生産の91%を占めた。調達先の分散には、鉱山だけでなく分離・精製の能力も必要になる。IEAの分析

供給を政治的な圧力に使うほど、需要国は依存の危険を認識する。割高な代替供給網にも、工場の停止を避ける価値が生まれる。中国の圧力が、長期的には自らの支配力を弱める投資を促す可能性があるのだ。

ただし、代替供給網には継続的な投資と購入が欠かせない。プレジデントオンラインの記事が論じるように、中国産の価格が下がっても事業を維持できる仕組みが必要となる。同記事の掲載部分

協力は防衛にも広がる。6月のイタリア訪問では、東アジア情勢への連携と、日英伊の次期戦闘機共同開発「GCAP」を進める方針が示された。装備の共同開発は、企業、技術、人材を長期に結びつけ、日本を支える関係を欧州にも広げる。首相官邸の発表

アジアに対しては、5月に発表した「進化したFOIP」が、経済協力、ルールの共有、安全保障の連携を掲げる。参加国に利益のある協力を提供できれば、各国が一国への依存を避け、自ら政策を選べる余地も広がる。外務省の説明

海底ケーブルや衛星通信などを対象とする「FOIPデジタル回廊構想」も同じ文脈にある。物資に加え、情報を運ぶ経路と設備の選択肢を増やすことも、国家の自律性を支える。高市首相の寄稿

高市首相は、こうした協力を多国間協議と対米調整につなげている。6月のG7では経済的威圧への懸念を共有し、9月には米中首脳会談の前後にトランプ大統領と協議した。G7後の会見、9月22日の会談、26日の電話協議

これらには歴代政権の蓄積があり、協力国にも独自の国益がある。それでも、高市政権下で複数分野の協力が進んでいる事実は重い。中国が一つの圧力手段で日本の判断を変えさせることは、難しくなり得るからだ。

3️⃣対中人脈は、高市政権を動かせるのか

この構図の中で見ると、岩屋毅前外相の訪中も意味を持つ。

岩屋氏は日本国際貿易促進協会の会長として、王毅外相、何立峰副首相と会談した。中国側は対話に応じながら、高市首相の発言の是正を求めた。時事通信の報道

岩谷毅氏と王毅氏の会談 AI生成画像

その直後、中国外交部の会見では高市首相の肩書が省かれた。直接の質問は小泉防衛相の発言についてだったが、対話相手への対応と首相本人への厳しい姿勢の落差は目を引く。中国外交部会見録

中国との関係を重視する政治家は、この落差を埋め、政権の判断を変えられるのか。

中央社によると、岩屋氏は中国側に、首相による発言撤回の政治的ハードルは高いと説明し、日中共同声明の精神を再確認する打開策を提案したとされる。仲介する側も、撤回の難しさを認識していることがうかがえる。中央社の報道

対中人脈と、政府を動かす力は別である。自民党内の反高市的な動きが中国との関係を圧力として使えるのかは、具体的な政策変更によって検証すべきだ。訪中した事実だけで、その意図や影響力は判断できない。

今回確認した資料では、仲介が高市政権の外交方針を変更させた成果は見当たらない。しかも、日本の協力は各国との合意や共同事業に広がっている。中国が日本側の対話相手を確保しても、それだけで政策全体を動かせるとは限らない。

結び――圧力の強さより、日本を動かせるか

香港紙・星島日報は、今回の呼称を意図的だったと分析した。そこに焦りがあるかは、強硬姿勢の演出や交渉上の圧力という可能性も踏まえて考える必要がある。共同通信の報道

それでも、昨年11月からの経緯には明確な対照がある。中国が撤回・是正を求める間にも、日本は資源、防衛、地域協力、通信基盤で関係を深めてきた。中国の言葉が強まっても、日本の政策を変えさせた成果はどこにあるのか。

北京の焦りを考える鍵はここにある。圧力が依存の危険を認識させ、その認識が新たな投資と協力を促す。日本がこれを実際の能力へ変えれば、中国の交渉力を支える条件も変わる。

我が国に必要なのは、合意を供給、生産、技術、人材へと具体化することである。対話を続けながら、圧力に左右されず判断できる日本をつくる。高市外交の実力も、中国の焦りも、その進展によって測るべきだ。

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2026年10月8日木曜日

沖縄米兵事件を基地撤退論に直結させてよいのか――米軍が去ったフィリピンとイラクで何が起きたのか

まとめ

  • 今回の事件は「米兵だから米国が裁く」事件ではない。公務外の犯罪では原則として日本側が第一次裁判権を持つ。今回は沖縄県警が容疑者を逮捕し、日本側が身柄を確保している。
  • 米軍撤退だけがフィリピンやイラクの混乱の原因ではないが、撤退による抑止・支援環境の変化は重要な要素だった。他の政治・軍事的要因と併せて見る必要があり、「唯一の原因でもないが、無関係でもない」という整理が正確である。
  • 沖縄で重要なのは、撤退か現状維持かという二択ではなく、縮小した軍事機能を何が代替するかである。沖縄の基地負担軽減と事件防止を進めながら、我が国の抑止力に空白を生じさせない制度と能力を同時に整える必要がある。

まず、今回の事件で亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りしたい。ご遺族にも心からお悔やみを申し上げたい。

10月3日に沖縄県那覇市で発生した強盗殺人事件をめぐり、米海兵隊員が容疑者として逮捕された。人命が奪われた重大事件である。徹底した捜査と適正な司法手続を尽くし、犯罪事実が立証されれば、日本の法律に基づいて厳正に責任を問わなければならない。同時に、米軍には綱紀粛正と実効性のある再発防止を求める必要がある。

高市早苗首相は10月5日の所信表明演説の冒頭で被害者への哀悼と遺族へのお悔やみを表明し、日本政府として米側に抗議したことを明らかにした。茂木敏充外相も4日、グラス駐日米国大使を外務省に召致し、捜査への全面的な協力、米軍人等の綱紀粛正、再発防止の徹底を要求している。外務省「茂木外務大臣によるグラス駐日米国大使への抗議」 今回紹介したロイター報道も、政府内に事件が日米安全保障協力へ波及することへの懸念があると伝えている。

ここで必要なのは、事件の重大性を薄めることではない。逆である。犯罪への対応を徹底したうえで、個人の刑事責任、米軍の規律、沖縄の基地負担、日米同盟と我が国の抑止態勢を、すべて同じ問題として一括りにしないことである。事件を政治が扱うのは当然だが、犯罪への怒りから基地撤退や安全保障体制の結論まで一足飛びに進めば、別の重大なリスクを見落としかねない。

1️⃣「米兵だから米国が裁く」わけではない

今回の事件を論じる前に、日米地位協定を正確に確認しておきたい。「米兵が日本で犯罪を犯しても、地位協定によって米国が裁く」という理解は正しくない。

日米地位協定第17条は刑事裁判権について定めている。日米双方の裁判権が競合する場合、米軍人等の公務執行中の作為・不作為から生じる犯罪などでは米側が第一次裁判権を持つ。一方、公務外に日本国内で犯した通常の犯罪では、原則として日本側が第一次裁判権を持つ。外務省「日米地位協定及び関連情報・第17条」

日本の司法で裁かれることを象徴する那覇地方裁判所 AI生成画像
今回、容疑者は沖縄県警が緊急逮捕し、日本側が身柄を確保している。したがって、米軍が容疑者を拘禁したまま日本への引渡しを拒んでいる事件ではない。日本の捜査機関が捜査し、検察が起訴すれば、日本の裁判所で審理されることになる。現段階ではあくまで容疑者であり、有罪か否かは証拠に基づく司法手続で判断されるべきことは言うまでもない。茂木外相も10月6日の会見で、今回の事件への対応と再発防止について説明している。外務省「茂木外務大臣会見記録」

地位協定で問題になりやすいのは、裁判権そのものより、被疑者の「身柄」の扱いである。日本側が裁判権を行使する事件でも、被疑者の身柄を米側が確保している場合、第17条5(c)により、日本が起訴するまで米側が拘禁を続けるのが原則である。ただし、1995年の少女暴行事件を受けた日米合同委員会合意により、殺人や強姦などの凶悪犯罪では、日本側が起訴前の身柄移転を求める道が設けられた。外務省「日米地位協定第17条5(c)及び刑事裁判手続に係る日米合同委員会合意」

地位協定について改善すべき点を検討することと、制度の実態を誤って伝えることは別である。今回の事件を材料に議論するなら、まず「日本には裁判権がない」という誤解を取り除くところから始めるべきだ。

 2️⃣事件と基地・同盟政策をどこまで結び付けるのか

今回の事件の約2週間後には、大規模な日米共同統合演習「キーン・ソード27(Keen Sword 27)」が予定されている。10月19日から29日まで実施され、自衛隊だけで約4万5,000人、車両約6,100両、艦艇約40隻、航空機約260機が参加する。統合幕僚監部によれば、目的は各種事態における日米共同対処と自衛隊の統合運用を演練・検証し、日米の共同統合運用能力を維持・向上させることにある。統合幕僚監部「Keen Sword 27」公表資料

ロイターは首相官邸幹部が、演習について安全保障上の必要性が高いとしたうえで、事件とは「分けて考える必要がある」との認識を示したと報じた。これは重要な論点である。刑事事件の捜査と処罰を徹底することと、我が国の防衛に必要な訓練を実施することは両立し得る。どちらか一方を軽く扱う必要はない。

住宅地と隣接する沖縄の米軍基地。基地負担と抑止力が共存する現実 AI生成画像

もちろん、沖縄が大きな基地負担を背負っている現実も直視しなければならない。2026年版防衛白書によれば、2026年1月1日時点で全国の在日米軍専用施設・区域の約70%が面積ベースで沖縄県に集中し、県面積の約8%、沖縄本島の約14%を占める。負担軽減は政府自身が取り組むべき課題と位置付けている。実際、「Keen Sword 27」でも普天間飛行場所在のMV22(オスプレイ)の訓練を霧島演習場と種子島へ移す計画であり、これは沖縄の訓練負担軽減を目的とする措置である。防衛省「沖縄県外への訓練移転」

しかし同じ防衛白書は、沖縄が朝鮮半島や台湾海峡に近く、約1,200キロに及ぶ南西諸島のほぼ中央にあり、我が国の重要なシーレーンにも隣接する戦略上重要な位置にあると説明する。そのうえで、高い機動力と即応性を持つ米軍の駐留が日米同盟の実効性と抑止力を高めているというのが政府の公式見解である。

したがって、基地の整理・統合・縮小や訓練移転によって沖縄の負担を軽減することと、在沖米軍の軍事的機能そのものを失わせることは同義ではない。仮に在沖米軍の大幅な撤退を求めるのであれば、その機能を何が代替するのかまで示さなければ安全保障政策として完結しない。自衛隊を増強するのか、米軍をグアムなどへ分散させながら即応性を維持するのか、日米共同運用を別の形で強化するのか。それを考えず「撤退」だけを論じれば、力の配置が変わった後に何が起きるかという問いが抜け落ちる。

3️⃣フィリピンとイラクが示した「力の空白」

フィリピンとイラクの事例で見る、米軍撤退後の「力の空白」 クリックすると拡大します
この問題を考えるうえで、まず参考になるのがフィリピンである。

米国はかつてクラーク空軍基地やスービック海軍基地など、フィリピンに大規模な軍事拠点を置いていた。1991年、フィリピン上院が基地使用を延長する条約案を否決した。クラーク基地は同年のピナトゥボ山噴火で大きな被害を受けており、米国は同基地を放棄した。最終的に米軍の撤収は1992年11月24日に完了した。なお、米比相互防衛条約まで廃止されたわけではない。米国務省「Philippines Background Notes」

その後、中国は1994年末に南シナ海のミスチーフ礁を占拠し、1995年に施設建設がフィリピン側に明らかになって大きな外交問題となった。CSISは、米軍撤退後に米比同盟の戦略的重要性が低下していた時期に起きたこの占拠を、両国が安全保障関係を再評価する契機の一つとして位置付けている。CSIS「The Transformation of the U.S.-Philippines Alliance」

2016年の南シナ海仲裁判断では、ミスチーフ礁はフィリピンのEEZと大陸棚の範囲内にある低潮高地であり、中国がフィリピンの許可なく人工島や施設を建設したことはフィリピンの主権的権利を侵害したと判断された。常設仲裁裁判所の南シナ海仲裁事件ページ この判断の内容は米国務省も確認している。米国務省「U.S. Position on Maritime Claims in the South China Sea」

ここで因果関係を単純化してはならない。米軍基地の撤収だけを理由に、中国がミスチーフ礁へ進出したと断定することはできない。中国の長期的な海洋進出戦略、当時のフィリピン軍の能力不足、冷戦終結後の地域情勢など複数の要因があった。しかし、大規模な米軍常駐が消えたことによって地域の軍事的環境が変化したことも無視できない。撤退は唯一の原因ではないが、抑止を構成していた一つの大きな要素が消えたのである。

その後、フィリピンは米国との安全保障協力を再び強めていった。1999年には訪問米軍地位協定(VFA)が発効し、2014年には防衛協力強化協定(EDCA)が結ばれた。さらに2023年には米軍がローテーション方式でアクセスできるEDCA対象拠点が4か所追加され、従来の5か所と合わせて9か所となった。米国防総省「Philippines, U.S. Announce Locations of Four New EDCA Sites」

もう一つがイラクである。米軍は2011年末に主要部隊を撤収した。しかし、その後、マリキ政権によるスンニ派の疎外、治安機構の政治化と弱体化、腐敗、シリア内戦などが重なり、ISISが勢力を急速に拡大した。2014年にはモスルを制圧し、米国は対ISIS作戦のため再び軍事介入することになった。CSISの分析も、マリキ政権の統治失敗を重視すると同時に、2011年の米軍撤退後に助言・支援能力が失われ、ISISがその環境を利用したことを重要な要素として挙げている。CSIS「Resurgence of al Qaeda in Iraq」 CSIS「Correcting America's Grand Strategic Failures in Iraq」

ここでも「米軍が撤退したからISISが台頭した」とだけ説明すれば誤りである。しかし、「撤退以外にも原因があった」ことと、「撤退の影響は小さかった」ことも同じではない。米軍が担っていた助言、情報、訓練、抑止などが急速に縮小した一方、イラク側の統治能力と治安能力が十分に確立していなかった。その空白をISISが利用したという評価には相応の根拠がある。

しかもこれは過去の話だけではない。米中央軍は2026年9月30日、エルビル空軍基地から米軍部隊と装備の撤収を完了し、イラク国内における「生来の決意作戦」の任務が終了したと発表した。ただし、これは米国とイラクの防衛関係そのものの終了ではない。米中央軍は米・イラク2国間の防衛関係への計画的移行と位置付け、対ISIS任務はヨルダンに司令部を移したうえでシリアなどで継続するとしている。米中央軍「U.S. Forces End Operation Inherent Resolve Mission in Iraq」

フィリピンとイラクは国家体制も脅威も全く違う。それでも共通する教訓はある。軍事力を引くとき、本当に問われるのは「撤退するか」だけではなく、「撤退した後を何が埋めるのか」である。

「沖縄から米軍が撤退すれば、一番喜ぶのは中国ではないか」という言い方がある。この言葉を感情的なスローガンで終わらせてはならない。問うべきなのは軍事的な中身である。防衛白書が示す通り、沖縄は台湾海峡や南西諸島、大陸から西太平洋へのアクセスを考えるうえで戦略上重要な位置にある。現在そこに存在する米軍の機動力と即応性が、何の代替措置もなく大幅に失われれば、中国側が直面する軍事上の制約を緩める方向に働く可能性はある。だからこそ基地縮小を論じるなら、同時にその機能をどう補うのかを論じなければならない。

結論 被害者への哀悼と国家の安全を、どちらも軽く扱わない

今回の事件で何より先に考えるべきなのは、亡くなられた方とご遺族である。安全保障論を持ち出して事件を相対化することがあってはならない。捜査を尽くし、犯罪事実が立証されれば日本の法に基づいて厳正に責任を問う。米軍にも綱紀粛正と実効性ある再発防止を求める。沖縄の過重な基地負担を軽減する努力も続けなければならない。

しかし、それと「在沖米軍をどうするか」という国家安全保障上の判断は、同じ問いではない。

フィリピンでは米軍の大規模基地撤収後、南シナ海をめぐる安全保障環境が変化し、その後、米比軍事協力は別の形で再び強化された。イラクでは米軍撤退だけで説明できない複数の要因があったものの、十分な統治・治安能力が整わない中で米軍の支援機能が失われ、ISISが生まれた空白を利用した。いずれも、「撤退した後を誰が埋めるのか」を考えない軍事的縮小にはリスクが伴うことを示している。

沖縄でも、米軍人による犯罪には厳正に対処する。基地負担は減らす。地位協定の運用に改善すべき点があれば改善する。しかし、在沖米軍の抑止機能を縮小するのであれば、自衛隊の能力増強や米軍の分散配置など、代替する抑止態勢を同時に構築する必要がある。

犯罪への怒りと安全保障上の判断を混同しないことである。被害者への哀悼と、国民の命、領土、シーレーンを守る国家の責任は、どちらか一方を選ぶ問題ではない。

どうすれば事件を減らせるのか。どうすれば沖縄の負担を減らせるのか。そして、それを実現しながら我が国の周辺に新たな「力の空白」を生じさせないためには何が必要なのか。

今回の事件を一過性の政治論争で終わらせないために、問うべきなのはこの3点である。

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2026年10月7日水曜日

若田部前日銀副総裁の「リフレ終焉」発言が示した経済政策を「何派」で決める危うさ

まとめ

  • 若田部氏の「リフレ終焉」はリフレ政策の失敗宣言ではない。 デフレをマイルドなインフレへ戻す政策局面が終わりつつあるという意味であり、2%の物価安定目標を持続的・安定的に達成する課題はなお残っている。
  • 「積極財政派」「緊縮財政派」「リフレ派」という固定的な分類を政策判断の出発点にしてはならない。 本ブログでも2021年以来、まず実体経済を診断し、その状態に応じて財政・金融政策を選ぶべきだと論じてきた。若田部氏の「応病与薬」も基本的には同じ発想である。
  • 制度上の決定主体と政治的な影響を混同してはならない。 金融政策を直接決定するのは日銀の政策委員会であり、政府は日銀の自主性を尊重しながら意思疎通を図る。財政政策についても政府が予算案を編成するだけで完結せず、最終的に予算は国会の議決を経て成立する。政策の評価は「何派か」ではなく、雇用、賃金、需要、物価、金利、為替、供給力という現実に即して行うべきである。

10月5日、内閣府は9月30日に開かれた第13回経済財政諮問会議の議事要旨を公表した。そこで注目を集めたのが、前日本銀行副総裁で現在は同会議の民間議員を務める若田部昌澄氏の「デフレではない状況になりつつある現状でリフレ政策が終えんを迎えているというのは当然のことである」との発言である。ロイターも「リフレ政策、終焉迎えているのは当然=諮問会議で若田部前日銀副総裁」と報じた。だが、見出しだけを読めば、長く「リフレ派」と呼ばれてきた若田部氏が、従来の政策を否定したかのような印象を受けかねない。実際には、発言の前後を読むと意味は大きく異なる。内閣府「令和8年第13回経済財政諮問会議 議事要旨」

若田部氏は、リフレーション政策とは「デフレの状態をマイルドなインフレの状態に戻すこと」だと定義したうえで、現在の日本がデフレではない状況になりつつある以上、その意味でのリフレ政策が終わるのは当然だと述べた。しかし、その直後には、日本銀行の「物価安定の目標」である2%を持続的・安定的に達成することは「依然として課題」だとも明言している。さらに、金利上昇が住宅ローンなどの負債を抱える低・中所得世帯の消費に及ぼす影響にも注意を促し、中長期の予想物価上昇率を2%程度で安定させる重要性を指摘した。

この問題について、経済学者の田中秀臣氏は「若田部 前日銀副総裁の発言 切り取られたリフレ終焉」と題する動画で取り上げている。また、今回の議論に関連するこちらの動画や、宮脇睦氏の「高橋洋一『終了』と『リフレ派』」も、経済政策を「リフレ派」といったレッテルで理解することの危うさを考える材料になる。ただし、本稿では動画の主張それ自体を事実認定の根拠とはせず、若田部氏、政府、日本銀行の公式資料を軸に検証する。

ここから浮かび上がる問題は、若田部氏の一言が正しく引用されたかどうかだけではない。「リフレ派」「積極財政派」「緊縮財政派」というラベルを先に置き、そこから現実の経済政策を逆算して理解しようとする姿勢そのものに問題があるのではないか。本ブログでは2021年以来、繰り返しこの問題を取り上げてきた。経済は生き物である。政策は派閥への忠誠によって決めるものではなく、その時々の実体経済に合わせて変えるべきものだ。今回の「リフレ終焉」をめぐる騒動は、その原則を改めて考える格好の材料である。

1️⃣若田部氏は何を「終焉」と言ったのか

まず確認しておかなければならないのは、若田部氏が何を「終焉」と呼んだのかである。10月5日に公表された議事要旨には、若田部氏本人の発言として、リフレーション政策とはデフレをマイルドなインフレへ戻すものだと明記されている。そのうえで「デフレではない状況になりつつある現状」で、その政策が終焉を迎えるのは当然だと述べている。つまり終わると述べたのは、デフレから脱却するための特定の政策局面であって、金融・財政政策そのものでも、2%の物価安定目標でもない。内閣府の議事要旨で若田部氏の発言を確認する

若田部氏は続けて、自分は世間から「リフレ派」と呼ばれるものの、自らそう名乗ったことはなく、デフレをマイルドなインフレへ戻すことは当然の政策なのだから、むしろ「なぜほかの人が全員リフレ派と呼ばれていないのか」と違和感を示した。そして、2%目標の持続的・安定的達成は依然として課題だとした。これを一続きで読めば、「リフレ政策は失敗だった」「金融緩和は間違っていた」「今後は利上げを急げ」という趣旨ではないことは明らかである。ロイターの記事本文も、この定義と2%目標がなお課題であるとの部分まで報じている。したがって問題は記事本文の虚偽ではなく、「リフレ終焉」という強い部分だけが二次的な論評やSNSで独り歩きした場合に、発言全体とは異なる政策的意味を帯びることである。ロイター配信記事の転載全文

若田部氏の「応病与薬」は、経済状況に応じて政策を変えるという考え方を示す AI生成画像
この点は、若田部氏の過去の発言とも整合する。2018年3月の日銀副総裁就任記者会見で、若田部氏は「リフレ派」と呼ばれることに「内心ちょっと居心地が悪い」と述べ、経済政策は「応病与薬」、すなわち病気に応じて薬を処方するものだと説明した。デフレならマネーを増やす政策を採るが、非常に高いインフレなら逆方向の政策を採る。特定の集団が、独自の理論に基づいて特定の政策を永久に推進するかのように見える「リフレ派」という呼称に違和感があるというのである。日本銀行「副総裁就任記者会見(2018年3月20日)要旨」

今回の発言は転向ではない。病状が変われば処方を変えるという、2018年以来の考え方の延長線上にある。

薬を飲む必要がなくなったことと、その薬が間違っていたことは同じではない。

そして金融政策の制度上の決定主体についても、ここは曖昧にしてはならない。日本銀行法は「通貨及び金融の調節における自主性」を尊重すると定めており、具体的な金融政策は日銀の政策委員会が金融政策決定会合で決定する。政府代表は会合への出席、議案提出、議決延期の要求はできるが、最終的な政策決定を政府や財務相が直接行うわけではない。一方、日銀法第4条は、日銀に政府との十分な意思疎通も求めている。若田部氏が述べた「日銀の自主性を尊重しつつ、政府と日銀が認識を共有する」という説明は、この制度的関係を踏まえたものと読むべきである。日本銀行「日本銀行の独立性とは何ですか?」

2️⃣「積極財政派」「緊縮財政派」という分け方にも同じ問題がある

若田部氏の「応病与薬」という考え方は、本ブログで以前から論じてきた問題と重なる。2021年12月8日の「『○○主義』で財政を考えるなどという愚かなことはやめるべき」では、自民党内で「財政再建派」と「積極財政派」が対峙しているとの報道を取り上げ、この分類自体に疑問を呈した。まず見るべきなのは現在の実体経済がどのような状態なのかという事実であり、それを踏まえて財政を拡大するのか抑制するのかを決めるべきであって、「主義」が先に来るべきではないという趣旨である。

これは当然の話である。深刻な景気後退や需要不足の時に、「私は財政再建派だから」と増税や歳出削減を続ければ、需要をさらに弱める可能性がある。逆に、需要が供給力を大きく上回り、持続的な高インフレに陥っているのに、「私は積極財政派だから」と財政拡大を際限なく続ければ、物価上昇を一段と強めかねない。積極財政も財政抑制も目的ではない。国民生活を安定させ、雇用と所得を支え、我が国の供給力再建や将来の国家資産形成につなげるための手段である。

2022年6月24日の「財政・金融政策は意見ではなく、原理原則を実体経済に適用することで実行されるべきもの」では、この考えを金融政策にも広げた。本来、財政・金融政策は党内派閥や「○○派」の力比べで決めるものではなく、景気、雇用、物価などの実態を見ながら選ぶべきだという主張である。2024年2月24日の「『積極財政派』は力を持てるのか――経済は生き物」でも、一度正しかった政策や前提を固定せず、経済環境に応じて柔軟に見直す必要性を論じた。今回の若田部氏の「応病与薬」と、基本的な問題意識は同じである。

この観点から見ると、最近の片山さつき財務相の発言も、「リフレ派か反リフレ派か」という二分法では捉えにくい。片山氏は9月29日の記者会見で、米国のベッセント財務長官との電話会談に関連し、高市首相自身が「リフレ論者ではない」と述べていることを米側にも紹介したと説明した。10月2日のTBSインタビューでも、高市首相が春ごろから「私はリフレ論者じゃない」「日銀の日頃の金融調整は日銀に任せる」と話していたと紹介している。後者は片山氏による首相発言の紹介であり、首相本人の公式会見発言ではない点には留意が必要である。財務省「片山財務相記者会見 9月29日」 TBSによる10月2日の片山財務相インタビュー

雇用・賃金・物価・金利など複数の指標を見て政策を判断すべき AI生成画像 クリックすると拡大します
だが、「リフレ論者ではない」ことを、そのまま緊縮財政や急速な金融引き締めへの転換と読むのは飛躍である。第2次高市改造内閣発足翌日の9月18日、片山氏は政府の基本方針として「責任ある積極財政」を掲げ、危機管理投資、成長投資、供給力強化を進める一方、債務残高対GDP比を安定的に引き下げ、市場の信認も確保する方針を説明している。成長投資を行うことと、財政の持続可能性を点検することを二者択一にはしていないのである。財務省「片山財務相記者会見 9月18日」

金融政策への対応も同じである。日銀は9月18日の金融政策決定会合で政策金利を1.0%程度から1.25%程度へ引き上げた。片山氏は9月25日の会見で、具体的な金融政策手段は日銀に委ねられるべきだとしたうえで、今回の利上げは日銀が経済・物価・金融情勢を踏まえ、2%の物価安定目標を持続的・安定的に実現するために行ったものと受け止めると述べた。ここでも、財務相が利上げを「決めた」のではない。直接決定したのは日銀の政策委員会であり、政府側はその判断を尊重しつつ、政府との連携を求めているのである。財務省「片山財務相記者会見 9月25日」

片山氏が10月2日に説明した、いわゆる「日本版DOGE」も同じ視点で見る必要がある。片山氏は、基金や補助金を機械的に一律削減するとは述べていない。政策目的に照らして重複を排除し、事業を整理・統合し、予算編成や税制改正の過程を通じて施策の優先順位を洗い直す方針を示した。約200ある基金について「来年度末の予想残高が7兆円ぐらい」と説明しているが、この7兆円は削減目標でも、直ちに国庫へ返納できる金額でもない。あくまで予想残高であり、具体的な見直し額は今後の予算編成過程などで詰めるとしている。財務省「片山財務相記者会見 10月2日」

城内実経済財政担当相も9月30日の会見で、「アベノミクス的な意味でのリフレーション政策」はその局面を終えているとの認識を示す一方、高市政権の経済財政運営は「責任ある積極財政」の下で供給能力を強化し、「強い経済」と「財政の持続可能性」を一体的に実現するものだと説明している。また、同日の経済財政諮問会議では、有識者議員から、成長投資が想定した成果を上げているかを指標で継続的に点検し、必要なら政策を修正する考え方も示された。ここでも「リフレ政策の局面が終わった」と「積極的な成長政策をやめる」は同義ではない。内閣府「9月30日 城内大臣記者会見要旨」 第13回経済財政諮問会議資料

3️⃣有害なのは「リフレ終焉」から政策結論まで飛躍することだ

ここまで整理すれば、「リフレ終焉」という言葉の切り取りがなぜ危ういのかが見えてくる。問題は、「日本はデフレではなくなりつつある」「だからデフレ脱却のためのリフレ政策は役割を終えつつある」という現状認識から、「金融緩和も終わりだ」「だから利上げを急ぐべきだ」という政策判断まで、一気に飛んでしまうことにある。この間には、本来検証すべき多くの変数がある。

若田部氏自身、2%目標の持続的・安定的達成はなお課題だと述べている。植田日銀総裁も、現在は基調的な物価上昇率を2%程度で安定させることが重要な局面になったと説明している。これは、デフレ時代と同じ政策を永久に続けるという意味ではない一方、「2%近辺になったのだから機械的に引き締めればよい」という意味でもない。金融政策の具体的な判断は、日銀が経済・物価・金融情勢を点検したうえで政策委員会において決定する。財務省「片山財務相・植田日銀総裁共同会見」

財政・金融政策は雇用・賃金・物価・金利など複数の指標を見て判断するのが本筋AI生成画像
見るべきなのは「何派か」ではなく、現実の数字である。雇用と失業率はどう動いているのか。名目賃金だけでなく実質賃金は伸びているのか。個人消費や設備投資は強いのか。需要は供給力に対して過大なのか過小なのか。基調的な物価上昇率と中長期の予想物価上昇率はどの水準にあるのか。金利上昇は住宅ローンを抱える家計や資金調達を必要とする企業にどの程度効いているのか。財政政策についても、支出額の大小だけではなく、危機管理投資や成長投資が我が国の供給力再建、生産性向上、将来の国家資産形成につながっているのかを検証しなければならない。

景気後退時に「緊縮派だから」と需要をさらに縮小させる政策を続ければ、雇用や所得を傷めかねない。反対に、需要が供給力を大きく上回り、持続的な高インフレが進んでいる時に「積極財政派だから」と財政拡大を続ければ、物価上昇を加速させかねない。金融政策も同じである。デフレ下で機械的に引き締めるのも、高インフレ下で機械的に緩和を続けるのも、現実の経済状態を無視している。

政策とは信仰ではない。現実に対する処方である。

若田部氏の「応病与薬」は、この当たり前の原則を端的に表している。患者を診察して必要な薬を使い、病状が変われば処方も変える。本ブログで2021年以来述べてきた「積極財政派か緊縮財政派かではなく、まず実体経済を見よ」という主張も同じである。「リフレ派」というレッテルが危ういのは、「何派なのか」を先に決め、現実の経済を後からその枠へ押し込めてしまうからだ。

結論 経済政策に必要なのは「派」への忠誠ではなく現実への忠実さだ

若田部氏の「リフレ政策が終焉を迎えているのは当然」という発言そのものは事実である。しかし、その意味は「リフレ政策は失敗だった」ではない。デフレをマイルドなインフレへ戻す政策をリフレ政策と呼ぶなら、デフレではない状態へ移れば、その政策局面が終わるのは当然だという話である。同時に若田部氏は、2%の物価安定目標を持続的・安定的に達成する仕事はまだ残っていると述べている。この2つを切り離してはならない。

今回、過去の本ブログの記事を読み返すと、この問題は2021年以来繰り返し書いてきた「経済政策を○○派で考えてはならない」という問題と一直線につながっている。「積極財政派だから積極財政」「緊縮財政派だから緊縮」「リフレ派だから金融緩和」という順番で政策を決めるのではない。まず経済の現状を診断し、そのうえで必要な財政、金融、成長政策を選ぶ。この順序を逆転させてはならない。

片山財務相の最近の発言も、この観点から見れば理解しやすい。高市首相は「リフレ論者ではない」と説明されている一方、政府は危機管理投資や成長投資を進める「責任ある積極財政」を掲げている。日銀の金融政策上の自主性を尊重しながら2%目標の持続的・安定的実現を求め、同時に歳出の重点化、国債市場の信認、為替市場の安定にも目を配っている。こうした政策の組み合わせを「リフレか反リフレか」「積極財政か緊縮か」という1本の軸だけで説明しようとすれば、実態を見失う。

「リフレ終焉」という言葉そのものが有害なのではない。その一部分だけを切り取り、「リフレ派は負けた」「これからは金融引き締めだ」といった物語に変え、本来は雇用、賃金、需要、物価、金利、為替、供給力を見て決めるべき政策判断を先取りしてしまうことが有害なのである。

我が国は、長いデフレから抜け出す局面の先に進みつつある。だからこそ、新しい「○○派」を作って安心している場合ではない。国民生活を守り、供給力を再建し、将来の国家資産を形成するには、その時々の経済状態を冷静に診断し、必要な政策を柔軟に組み合わせなければならない。

経済政策に必要なのは、派閥への忠誠ではない。現実への忠実さである。

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ブランシャールを『緊縮派』に仕立てるな――世界標準は『責任ある積極財政』である 2026年3月29日
積極財政か緊縮かという単純な二分法ではなく、成長、金利、市場の信認、必要な投資を一体で考えるべきだと論じた記事。今回の「何派で決めるな」という論点に最も近い。

「積極財政派」は力を持てるのか 大きすぎる安倍元首相の不在 財務省が音頭とる緊縮派との議論、衆院選の公約に影響も―〖私の論評〗経済は生き物、社会的割引率等を柔軟に見直さないととんでもないことに 2024年2月24日
経済は生き物であり、政策の前提も実体経済に合わせて見直す必要があると論じた記事。「積極財政派」という固定的な分類を考え直すうえでもつながりが深い。

財務省と日銀の巨大組織 アベノミクス継承しなければ金融と財政の引き締め復活、日本は新たに失われた時代に―〖私の論評〗真の安倍晋三の後継者が成し遂げるべき困難な仕事とは(゚д゚)! 2022年7月16日
金融政策、財政政策、成長戦略を組み合わせて考え、特に雇用を重視してマクロ経済政策を評価した記事。今回の「ラベルではなく経済の状態を見る」という議論を補強する。

金融緩和への奇妙な反対論 マスコミではいまだ「日銀理論」の信奉者、デフレの責任回避の背景も―〖私の論評〗財政・金融政策は意見ではなく、原理原則を実体経済に適用することで実行されるべきもの(゚д゚)! 2022年6月24日
財政・金融政策を「意見」や派閥の力関係で決めるのではなく、原理原則をその時々の実体経済へ適用すべきだと論じた記事。今回の記事の思想的な土台に当たる。

自民に“財政”2組織が発足 財政再建派と積極財政派が攻防―〖私の論評〗「○○主義」で財政を考えるなどという愚かなことはやめるべき(゚д゚)! 2021年12月8日
「積極財政派」「財政再建派」と最初から立場を固定すること自体を問い、まず実体経済を診断して政策を選ぶべきだと主張した記事。今回の結論に直接つながる原点である。

2026年10月6日火曜日

高市内閣支持率63%――栃木3区と党首討論が映す「報道」と「民意」のずれ


まとめ
  • 高市内閣支持率63%の一方、内閣改造や個別人事には厳しい評価も出ている。有権者は個別案件と政権全体を切り分けて判断しており、報道された争点と最終的な政権評価は同じではない。
  • 全国で自民党が316議席を得る中、高市総裁が応援した簗氏は栃木3区の小選挙区で敗れた。全国政治、政党、地域の候補者を有権者が別々に判断することは矛盾ではなく、選挙で示された民意の一部である。
  • 党首討論やニュース報道を通じて映し出される政治像は、政治全体や民意そのものではない。報道機関は多角的な判断材料を示し、最終的な判断を主権者に委ねることが重要である。
報道機関の役割は、政治について国民の代わりに結論を下すことではない。事実を掘り起こし、権力を監視し、異なる主張を検証し、国民が自ら判断するための材料を提供することである。放送法第4条は「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」に加え、意見が対立する問題では「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を求めている。新聞についても、日本新聞協会の新聞倫理綱領は「正確で公正な記事と責任ある論評」を掲げている。報道や論評に自由があることと、国民が下すべき判断までメディアが先回りすることは別なのである。

もっとも、ニュースには必ず選択が伴う。何を一面に載せるか、どの発言を見出しにするか、テレビでどの場面を長く流すかによって、受け手が見る政治の姿は変わる。これは報道という仕事から完全には切り離せない。しかし、そこで提示された「政治像」と、有権者がさまざまな情報を踏まえて最終的に示す「民意」は同じものではない。この二つの間に存在する距離を無視すると、世論調査も選挙結果も国会論戦も読み違えることになる。

10月の高市内閣支持率63%、2月の栃木3区、そして7月の党首討論。一見別々に見える三つの出来事を並べると、そのことがよく見えてくる。

1️⃣高市内閣支持率63%――個別評価と政権評価は同じではない

10月3、4日に実施されたJNN世論調査では、高市内閣を「支持できる」と答えた人は63.0%となり、前月から0.5ポイント上昇した。不支持は33.9%で、自民党の政党支持率は34.7%だった。JNNの最新世論調査を見ると、高市内閣への支持と自民党そのものへの支持にはかなり大きな開きがある。内閣を支持することと、政党全体を同じ程度に支持することは必ずしも一致しない。

高市内閣支持率63%と有権者の判断 AI生成画像
さらに興味深いのは、同じ調査の個別項目である。9月の内閣改造・自民党役員人事を「評価する」は31%に対して「評価しない」は40%だった。政治資金収支報告書に不記載があった議員2人を大臣に起用したことについても、58%が「問題がある」と回答している。それでも内閣全体の支持率は63.0%だった。つまり、有権者は政権の個別判断には批判的でありながら、政権全体については支持するという選択を同時にしている。

ここは重要である。ある問題が大きく報道され、その問題について批判的な回答が多数になったとしても、それだけで「だから政権全体も国民から否定されている」と結論づけることはできない。逆に支持率が63%だからといって、政権の個別政策や人事まで63%の国民が肯定しているわけでもない。有権者は、政策、人事、政党、首相、政権全体をそれぞれ別の物差しで評価しているのである。

政治報道では「政権に逆風」「首相に打撃」「野党が攻勢」といった言葉が使われる。限られた時間や紙面で状況を説明するには便利な表現だが、その一つの筋書きに民意全体を押し込めると現実を見誤る。報道機関が問題点を厳しく追及することは必要である。しかし、その報道で提示された問題意識と、国民が最終的に下す総合評価との間には一定の距離がある。その距離はむしろ、有権者が自分自身で判断している結果とも考えられる。

現在は、政治家の会見全文、国会中継、政府の一次資料、政党の発表、SNSや動画など、新聞やテレビ以外の情報源にも容易に接することができる。もちろんネット上には誤情報や極端な切り抜きもあるため、大手メディアによる取材・検証の価値は失われていない。しかし情報源が複数になった以上、一つの報道で提示された政治像が、そのまま国民全体の政治像になるとは限らないのである。

2️⃣栃木3区――全国政治と候補者選びを分けた有権者

この構造を選挙結果から考える材料が、2月8日の衆院選における栃木3区である。無所属新人の渡辺真太朗氏は58,483票を獲得し、自民党の簗和生氏の53,975票を4,508票差で上回った。簗氏は小選挙区では敗れたものの、比例北関東ブロックで復活当選している。とちぎテレビが報じた選管確定結果でも、この結果を確認できる。

しかも簗氏は、高市首相から距離を置かれていた候補ではない。投票日の2日前である2月6日、高市自民党総裁は那須塩原市に入り、簗氏への支援を直接呼び掛けていた。自民党は高市総裁の栃木県での応援演説全文を公開している。一方、この衆院選で自民党は全国で316議席を獲得し、選挙後の衆議院でも自民会派は316人となった。全国的な自民党への強い支持と、栃木3区の結果は同じ選挙で同時に起きたのである。

だから栃木3区の結果を「高市政権への拒否」と一言で説明するのは無理がある。反対に、「高市政権が全国で支持されたのだから、高市総裁が応援した候補も当然支持されるはずだった」と考えるのも違う。確実に言えるのは、全国政治に対する評価と、栃木3区から誰を国会へ送るかという判断が一致しなかったということである。

栃木3区で示された候補者への個別判断 AI生成画像
これは民主主義ではごく自然なことである。有権者は、高市政権の政策を評価しながら地元の自民党候補には投票しないこともできるし、自民党を支持しなくても特定の政府政策を評価することもできる。政権、政党、候補者を一つの塊として選ぶ必要はない。全国で自民党316議席という結果を生んだのも民意であり、栃木3区で渡辺氏を選んだのも民意である。この二つを同時に受け止めることが、選挙結果を正確に読むということだろう。

その後、簗氏をめぐっては、自身を支援しなかった首長がいる自治体について道路予算を「大幅にカットした」などと述べた発言が問題となり、本人が10月5日に撤回・謝罪した。ただし、実際に担当省庁へ予算削減を働き掛けた事実はないと説明している。もちろん、この後の出来事を2月の有権者が予見していたわけではない。ここで重要なのは後知恵ではなく、人気のある党首の評価と候補者本人への評価はもともと別のものだという点である。

政治報道を「与党への追い風か、逆風か」という一本の軸だけで見れば、こうした有権者の選択は理解しにくい。しかし、有権者が全国政治と地域政治を切り分けて判断すると考えれば、何も不思議ではない。報道によって整理された政治の構図より、実際の民意はもう少し細かく、多層的なのである。

3️⃣党首討論――テレビに映る政治は政治全体ではない

党首討論も、「報道」と「民意」の距離を考える材料になる。7月15日に行われた党首討論は午後3時から4時までの60分で、高市首相に対し、国民民主党の玉木雄一郎代表15分、中道改革連合の小川淳也代表14分、立憲民主党の水岡俊一代表12分、参政党の神谷宗幣代表9分、公明党の竹谷とし子代表6分、チームみらいの安野貴博党首4分という配分で討論が行われた。当日の時間配分と衆議院の公式記録で確認できる。

この時間配分を単純に「選挙で負けた野党の票が何倍にも扱われている」と説明するのは正確ではない。5月の党首討論では、野党党首の発言順と持ち時間は衆参両院の会派勢力の合計順で決められ、参加にも「衆参いずれかで10人以上の会派」「党首自身が国家基本政策委員」という条件があった。そもそも党首討論は、衆院選の議席比率を再現する場ではなく、政府に対して野党党首が直接論戦を挑むための制度である。政権が大きな多数を持つときほど、野党による監視の機会を保障する意味もある。

党首討論と報道編集の関係 AI生成画像
ただし、その制度を通してテレビに映る政治風景と、直近の衆院選で示された勢力図は同じではない。さらに党首討論が終われば、テレビや新聞は60分の中から報道する場面を選ぶ。ニュース番組なら数分、場合によっては数十秒である。誰の質問を取り上げるか、首相のどの回答を使うか、どの言葉を見出しにするかによって、視聴者に提示される政治像は変わる。

もちろん編集そのものが問題なのではない。限られた放送時間でニュースを伝える以上、選択と編集は不可欠である。問題になるのは、その一部を通じて提示された政治像を政治全体と混同することである。野党党首による厳しい追及がニュースになったからといって、その野党が国民から同じ程度に支持されているとは限らない。逆に、首相の答弁が大きく扱われたからといって、その政策が国民全体から支持されているとも限らない。

しかも現在では、衆議院が党首討論の審議映像を公開しており、視聴者自身が全体を確認できる。報道された数十秒を見ることと、60分の討論全体を見ることでは印象が違うこともあり得る。だから報道に求められるのは、編集をやめることではなく、自らが切り取った一部分と政治全体との距離を意識し、できるだけ多角的な判断材料を提示することなのである。

結語 「報道」と「民意」の間に距離があることは健全でもある

大手メディアには今も大きな役割がある。政府や自治体を取材し、権力者へ質問し、一次資料だけでは分からない事実を掘り起こし、社会へ伝える。その機能はSNSの個人発信だけで代替できるものではない。情報が大量に流通する時代だからこそ、取材と検証を専門にする報道機関の価値は大きい。

一方で、報道機関が提示する政治像と、国民が最終的に示す判断が一致しないことを、異常なことと考える必要もない。むしろ両者が常に一致する社会の方が不自然である。報道機関には取材・編集する自由があり、有権者にはその報道を材料の一つとして受け取り、自分で判断する自由がある。その間に一定の距離が存在することこそ、民主主義の自然な姿ではないか。

高市内閣支持率63%は、そのことをよく示している。個別の人事を「評価しない」、不記載議員の入閣を「問題がある」と考えながら、それでも内閣全体は支持するという判断は成立する。栃木3区でも、全国で自民党が316議席を獲得する中、高市総裁が応援した自民党候補を選ばないという判断が成立した。党首討論でも、テレビ画面に映る与野党の攻防と、各政党への実際の支持は同じものではない。

ここから見えてくるのは、有権者は政治を一つの物差しだけで判断していないということだ。政権、政党、候補者、個別政策を切り分け、時には報道された評価とも異なる結論を出す。それが主権者の判断である。

だから報道機関に求めたいのは、国民の代わりに「正しい結論」を決めることではない。政権に不都合な事実も、野党に不都合な事実も伝える。対立する論点をできるだけ明らかにし、一次資料への道も開く。そのうえで判断を国民に返すことである。

事実を示す。異なる論点を示す。そして最後の判断は国民に委ねる。

高市内閣支持率63%、栃木3区、そして党首討論から見えてくる「報道」と「民意」の距離とは、両者の断絶ではない。報道する側と判断する側がそれぞれの役割を果たしている限り、その距離はむしろ民主主義に必要な余白なのである。

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2026年10月5日月曜日

「投票しても無駄」は今でも本当か 高市自民316議席と東大総長選考が問う統治の正統性

 まとめ
  • 高市自民党316議席と沖縄県政交代は、「若者は投票しても勝てない」という諦めを現実によって覆した。
  • 選挙で得た正統性は白紙委任ではない。減税など公約を実行し、変更するなら理由を説明して初めて信頼は維持される。
  • 東大総長選考とドラッカーの全体主義論が示すのは、強い権力と正統な権力は別物だということだ。

「若者は選挙に行こう」。選挙のたびに繰り返される言葉である。これに対し、世代間格差を研究する関東学院大学教授の島澤諭氏は2021年、若者にとって投票とは「どうあがいても負ける選択肢しかない不公平な『ゲーム』」だと論じ、ロビー活動や国会・政党本部前での大規模な抗議デモなど、投票以外の政治参加も選択肢になると提起した。

少子高齢化の下で若年層の人口比率が低く、将来世代へ財政負担が先送りされやすいという問題は確かに存在する。しかし、「若者が少数である」ことと「若者の投票には意味がない」ことは同じではない。2026年の衆院選と沖縄県知事選は、その違いを現実によって示した。

ただし、本稿で問いたいのは「投票には力がある」というところまでではない。一票によって選ばれた側が、その意思をどう受け止めるのか。選挙で公約を掲げて権限を得た後、なぜその政策を実行するのか、あるいはなぜ変更するのかを説明できるのか。さらに、組織内部で人々に意思を示させながら、最終決定者が別の判断をしたとき、その権力行使はなお正統なものとして受け入れられるのか。

ここでピーター・ドラッカーの社会思想が重要になる。ドラッカーは、社会が機能するためには、個人が社会の中で「地位と役割」を持ち、社会を動かす決定的な権力が「正統な権力」でなければならないと考えた。この問題意識は、全体主義の台頭を分析した最初の主要著作 The End of Economic Man、邦題『「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか』から、続く The Future of Industrial Man、邦題『産業人の未来』へと一貫している。国立国会図書館の書誌でも、それぞれの原題と邦題を確認できる。

2026年の衆院選、沖縄県政交代、高市政権の減税論議、東京大学の総長選考を並べてみると、実はすべてがこの「統治の正統性」という一点でつながってくる。

1️⃣316議席と沖縄県政交代――一票は統治の正統性を生み出す

2026年2月8日の衆議院総選挙で、高市早苗総裁率いる自民党は小選挙区249、比例代表67の計316議席を獲得した。これは1986年の300議席を上回る自民党結党以来最多の議席数であり、日本維新の会の36議席を合わせると与党は352議席に達した。自民党自身も、この結果を「過去最多」の316議席として公表している。

これは単なる政党の大勝ではない。少なくとも我が国の選挙制度の下では、高市政権が国民から極めて強い政治的委任を受けたことを意味する。しかも、自民党側の選挙総括でも、とりわけ若い世代から高い支持を得たことが勝因の一つとして挙げられている。

世代を超えた一票が、新しい多数派をつくる AI生成画像
この事実は、「若者はどうあがいても投票では勝てない」という認識に重要な修正を迫る。選挙は若者と高齢者が人口比を競う世代対抗戦ではない。若者だけでは多数派になれなくても、40代、50代、60代と政治的選択が重なれば、新しい多数派を形成できる。民主政治の本質は、現在の少数派が永遠に少数派でいることではなく、説得と選択を通じて多数派になり得ることにある。

沖縄では、そのことがさらに鮮明に表れた。2月の衆院選では自民党が県内4小選挙区をすべて制し、9月13日の県知事選では古謝玄太氏が初当選した。2014年から12年間続いた県政の流れが、選挙によって転換したのである。沖縄県選挙管理委員会も2026年知事選の候補者情報などを公式に公表している。

ここで重要なのは、単に「保守側が勝った」ということではない。有権者が自らの意思によって統治者を選び、その結果として政治権力が実際に移ったことである。ドラッカーの「地位と役割」という考え方を現代の代議制民主主義に引き付ければ、有権者として一票を投じることは、国民が統治の対象であるだけでなく、統治をつくる主体でもあることを示す行為だと言える。

だからこそ、「どうせ自分の一票では変わらない」という諦めは危険なのである。それは単に投票率を下げるだけではない。国民自身が、統治に参加する自らの役割を手放す方向へ進むからだ。一票は万能ではない。しかし無力でもない。2026年の全国選挙と沖縄が示したのは、国民が参加し、新しい多数派を形成すれば、統治そのものを変えられるという事実であった。

2️⃣選挙で得た正統性は、実行と説明によって維持される

しかし、選挙で大勝すれば、それですべてが終わるわけではない。316議席は白紙委任状ではない。むしろ、強い政治的委任を得た政権ほど、「何を約束し、何を実行したのか」を問われる責任は重くなる。

2026年衆院選で自民党は、若者や現役世代を含む中・低所得者の税・社会保険料負担を軽減する給付付き税額控除の制度設計を進めるとともに、飲食料品について2年間に限り消費税の対象としないことについて、財源やスケジュールを含め実現へ向けた検討を加速すると公約した。減税や負担軽減を掲げたのは自民党だけではなく、各党で方式、期間、財源は違っても、物価高の中で国民負担を軽くすることは選挙戦の大きな争点となった。

ところが、選挙が終わり政策を具体化する段階になると、財源、実施方法、期限をめぐって野党だけでなく自民党内部からも異論が出た。これは議会制民主主義として不自然なことではない。選挙後にも政策の検討は続き、より良い制度へ修正されることは当然ある。問題は、その過程で選挙前の約束そのものが消えてしまうことである。

減税と家計負担が直結する国民生活の現場 AI生成画像
選挙で負担軽減を掲げた政党や議員が、選挙後に別の制度を主張するのであれば、何が変わったのかを国民へ説明しなければならない。新たな財源上の問題(ただしワニの口理論など稚拙な説明では納得できない)が判明したのか。制度上の欠陥が見つかったのか。より効果的な方法があるのか。それを示して初めて、選挙で得た政治的正統性は、政策実行の段階でも維持される。

高市政権と与党は、減税方針そのものを捨てたわけではない。その後も公約実現を政権運営の軸に据えており、高市首相自身も9月の第2次改造内閣発足時、2月の衆院選で得た大きな負託と政権公約を実現する責任を強調している。

ここで「正統性」の意味が一段深くなる。

選挙は統治に正統性を与える。だが、その正統性を維持するのは、実行と説明である。

どれほど大勝した政権でも、選挙で掲げた政策を無視し続ければ、正統性は摩耗する。逆に、難しい政策であっても、公約を実行し、変更が必要なら理由を正面から説明し、国民生活の改善という成果を示せば、選挙で得た正統性は強くなる。

これは野党も同じである。選挙前に減税や負担軽減を掲げ、選挙後に政府案へ反対するのであれば、単に反対するだけでは足りない。自らの公約と政府案の何が違い、どの方法なら国民負担を実際に下げられるのかを示す必要がある。

減税も、選挙用の人気取りで終わらせてはならない。国民生活を守り、可処分所得を増やし、消費と民間投資を支え、我が国の供給力再建や国家資産形成へつなげてこそ意味がある。権限を与えられた側には、選挙で示された民意を具体的な政策成果へ変える責任がある。

3️⃣東大の51.0%対25.5%――合法な権力と正統な権力は同じではない

この問題をさらに鮮明にするのが、2026年9月の東京大学総長選考である。9月28日の学内意向投票では、第2回投票で染谷隆夫氏が1107票、51.0%、藤垣裕子氏が553票、25.5%、山本隆司氏が451票、20.8%となった。その日の総長選考・監察会議が次期総長予定者として選出したのは藤垣氏だった。東京大学も9月28日、藤垣氏を次期総長予定者に選出したことを正式に発表している。

ここで制度を混同してはならない。東大の意向投票は衆院選や県知事選のような直接選挙ではなく、次期総長予定者を決定する権限は総長選考・監察会議にある。したがって、51.0%の候補を選ばなかったこと自体を「選挙結果を覆した」「違法だ」と表現するのは正確ではない。

しかし、だから問題がないわけでもない。

意向投票を実施し、学内構成員の意思を制度として尋ねる以上、その結果と異なる判断をする場合には、なぜそうしたのかを説明する必要がある。51.0%対25.5%という大きな差が示されたにもかかわらず別の候補を選ぶのであれば、投票結果を上回るどのような評価があったのかを構成員が理解できなければならない。問われているのは藤垣氏個人の能力ではなく、その決定が制度参加者から正当なものとして受け入れられるかという統治の問題である。

権限と説明責任、統治の正統性が問われる東大大学選考のイメージ (実物ではありません) A(精製画像

ここで、ドラッカーがなぜ「正統な権力」にこだわったのかを思い出す必要がある。ドラッカーの出発点は、企業経営の技法ではなかった。The End of Economic Man『「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか』でナチズムとファシズムの台頭を分析し、続く The Future of Industrial Man『産業人の未来』では、全体主義に代わる「機能する社会」がどのような原理に立つべきかを考えたのである。後者の日本語版にも「改革の原理としての保守主義」という副題を持つ版があり、ドラッカーが全体主義批判から社会の再建原理へ進んだことがよく分かる。

この問題は現在にも通じる。中国、ロシア、北朝鮮には国家権力が存在し、統治そのものが成り立っていないわけではない。しかし、自由で競争的な選挙によって政権を選び直し、平和的に権力を交代させるという民主的正統性の回路は極めて弱いか、事実上存在しない。その不足を、党・国家による統制、監視、検閲、反対派への抑圧といった強制力で補う面が大きい。Freedom Houseの2026年評価では、中国は9点、ロシアは12点、北朝鮮は3点で、いずれも「Not Free」とされており、中国とロシアでは反対意見への抑圧強化、北朝鮮では一党独裁、広範な監視、恣意的拘束などが指摘されている。

ここで大切なのは、強制力を持つことと正統性を持つことを混同しないことである。国家は法を執行する以上、どの民主国家も最終的には強制力を持つ。しかし自由社会では、その前に自由な選挙、法の支配、権力交代可能性、説明責任といった回路があり、権力を「従わざるを得ないもの」ではなく「従うに値するもの」にしている。ドラッカーが全体主義への反対から正統な権力を考えた意味は、まさにそこにある。

したがって、東大の問題も単純な多数決論ではない。総長選考・監察会議が独自に判断する制度には合理性があり得る。しかし、制度上の権限があるという事実だけでは、その権力行使の正統性までは保証しない。

権限があることと、正統性があることは同じではない。

国政でも大学でも、権力を持つ者がその権力をなぜそのように使ったのかを説明し、人々がその制度に参加する意味を感じられる状態を維持することが、正統性には不可欠なのである。

結論 統治の正統性は、国民と権力の間でつくられる

ここまで来れば、「投票しても無駄」という問いへの答えも変わってくる。単に「いや、投票には意味がある」で終わる話ではない。

ドラッカーが考えた「機能する社会」とは、個人が社会の中で自らの地位と役割を持ち、社会を動かす権力が正統なものとして受け入れられている社会である。現在の我が国の代議制民主主義に引き付ければ、有権者が一票を投じることは、自らが統治されるだけの存在ではなく、統治をつくる主体でもあることを示す行為である。

だから、若者に「君たちは少数だから投票しても負ける」と教えるべきではない。若者だけでは多数派でなくても、他の世代を説得し、共通する政策を見いだし、新しい多数派を形成できる。2026年の衆院選と沖縄県知事選は、それを現実によって示した。

一方、統治する側にも重い責任がある。選挙で大きな支持を得たからといって、何をしてもよいわけではない。選挙で何を約束したのか。その約束をなぜ実行するのか。変えるならなぜ変えるのか。結果として国民生活をどう良くしたのか。それを説明し続けなければならない。

つまり、

選挙が正統性を与え、実行と説明が正統性を維持する。

この循環が続くとき、国民は「自分が参加する意味」を感じ、統治する側も「権限とは責任である」ことを忘れずに済む。

民主主義の危機とは、自分の支持する候補が選挙で負けることではない。負けても次の選挙で多数派をつくることができる。政策が修正されることでもない。合理的な理由があり、それが説明されるなら制度は前へ進める。

本当の危機は、国民が「参加しても意味がない」と思い、権力を持つ側が「説明しなくてもよい」と考えることである。

中国、ロシア、北朝鮮のような体制は、権力そのものが弱いのではない。むしろ国家権力は強い。しかし、権力が強いことと、統治の正統性が強いことは別である。強制によって秩序を維持することはできても、強制だけでは「機能する社会」はつくれない。ドラッカーが全体主義の経験から導き出したのは、その厳しい現実だった。

我が国が守るべきなのは、一票という形式だけではない。

一票によって国民が統治へ参加し、その一票によって権限を与えられた者が責任を果たし、成果と説明を国民へ返す。そして国民が次の選挙で再び判断する。この往復によって、統治の正統性は繰り返し確認される。

だから、一票は単なる紙切れではない。

一票は、国民と権力を結び、統治を正統なものにするための接点なのである。

国民の参加と、統治者の責任。この往復がある限り、民主主義は八方塞がりにはならない。

2026年の衆院選、沖縄県政交代、高市政権の減税論議、そして東京大学の総長選考が我々に問いかけているのは、結局ここである。

我々は統治を誰かに任せるだけの存在なのか。それとも、自ら参加し、権力に責任を求め、正統な統治をつくる主体なのか。

ドラッカーが『「経済人」の終わり』から『産業人の未来』へと追究した「機能する社会」という問いは、80年以上を経た今も古びていない。

機能する社会は、強い権力によってつくられるのではない。役割を引き受ける国民と、責任を引き受ける統治者、その両者を結ぶ正統性によってつくられるのである。

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