ラベル 函館、開港150周年、カールレイモン、テンフォー、お中元、オーディンフーズ、レイモンハウス、EU、旗 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2009年7月5日日曜日

北海道物産物語(2)―カール・レイモンのソーセージ・ハム

ADDS BY Yutakarlson
今年はご存知函館開港150周年です(左写真は記念のポスター)。函館以外の横浜など同時期にあい前後して、開港した港湾都市と函館とでは、明らかに異なることがありました。

それ は、函館以外の都市では、外国人は外人居留地ということで、外国人はすべてそこに住んでいましたが、函館の場合は、外人居留地など存在せず、外国人が日本 人の住んでいるところに自由に住めるということでした。

その歴史と伝統のためでしょうか、函館は、今でも函館市民は、外国人に対して寛容で、分け隔てすることなくお付き合いをするので、外国の人も住みやすい町のひとつのようです。

カールレイモンそんな外国人の一人で終生函館を愛し函館市民のため、日本の人たちのためにハム・ソーセージをつくり続けていました。本日は、函館産ハム・ソーセージの固有名詞ともなった、カール・レイモンを紹介させていただきます。



函館市郊外の鈴蘭丘の自然豊かな環境に、衛生面や設備の整った本社工場 があります。新鮮な原料肉の塩漬けに始まり、カット・ミキシングそして香辛料・調味料を加え、腸詰めからスモークなどを職人の手による伝統的製法による、 ほぼ無添加の製品を函館カールレイモンの本社工場から直送します。ピザテンフォーでは、産地直送で本格派のハムソーセージ、カールレイモンの贅沢な逸品をお届けいたします。

■カール・レイモンの略歴

在りし日のカール・レイモンさん

まずは、カール・レイモンの人となりをご紹介します。

オーストリアボヘミア地方のカルルスバード(現在のチェコカルロヴィ・ヴァリ)に、食肉加工職人の家庭に生まれる。その後14歳で家業を継ぎ、ドイツアメリカフランススペインノルウェーなどで修行する。1919年、アメリカからヨーロッパへの帰国途中に日本に立ち寄り、函館で勝田コウと出会い、3年後カルルスバードで結婚。2年の故郷での生活を経て、1924年に再び函館に戻りハム・ソーセージの店と工場を開業する。

開業当初、日本人にハムやソーセージなどを食べる習慣があまりなかったため店は繁盛しなかったが、精力的に製造を続けるカール・レイモンの評判が広まり、また函館に寄港したドイツ軍艦から大量受注したことで資金繰りが好転し、3000坪の工場を開設する。また、1935年には長女フランチェスカが誕生する。

第二次世界大戦中は、日本政府から迫害を受け操業を停止せざるを得なくなったが、戦後ハム・ソーセージの製造を再開した。

1974年西ドイツ大統領グスタフ・ハイネマンから功労勲章十字章を受章。

1979年、財団法人サントリー文化財団から第1回地域文化賞優秀賞を受賞。

1983年、株式会社函館カール・レイモンがハム・ソーセージ製造を継承。カール・レイモンは第一線から退く。

1985年北海道新聞産業経済賞を受賞。同年、横路孝弘北海道知事から産業貢献賞を受賞。

1986年、勲五等双光旭日章を受章。

1987年末に一過性脳梗塞で死去。93歳。カール・レイモンの作り上げたハム・ソーセージの製法は弟子である福田俊生(函館カール・レイモン前社長)と島倉情憲(函館カール・レイモン現社長)に引き継がれ、同社で製造が続けられている。

■人はおいしい食べ物が豊富にあり、住み心地の良い家を持っておりさえすれば、のんきに暮らすことがでる。これは国家だって同じだ
昭和62年。師走に入ったばかりの函館の街は、例年通 り早くから一面のまっ白い洗礼を受けていました。 モダンな洋館が明治の繁栄を留める元町界隈にも粉雪が舞い、静かな街並みは街灯や家々の窓から洩れるあかりで銀色に輝いていました。

そんな穏やかな冬の一日がすっかり夜を迎えた頃、一人のドイツ人が静かに永遠の眠りにつきました。

カール・ワイデル・レイモン。

地元函館の人々はもとより、全国のファンから『胃袋の宣教師』と呼ばれたハム・ソーセージづくりのマイスター。 函館の地でおよそ70年、頑固なまでのドイツ式の製法でハム・ソーセージを作り続けたカール・レイモンが、昭和62年12月1日午後7時31分、 市立函館病院で93歳の生涯を閉じました。

今や世をあげてのグルメブームの中で、全国各地の隠れた味の名品が次々に紹介されています。 しかし、「函館にカール・レイモンのソーセージあり」と全国各地で密かに語られるようになったのは、それよりずいぶん前のこと。 函館で食べた味が忘れられない人の口から口へと語り継がれ、いつしか『本物の味』とさえ言われるようになっていたのです。

かつて函館の地でレイモンがハム・ソーセージを作り始めた頃には、それまで肉を食べる習慣のなかった街の人々は、 レイモンがいくら勧めても「馬のシッポみたい」などと言い、手にとろうとさえしませんでした。そんななかにあっても挫けることなくひたすら、 ドイツ仕込みの伝統的な製法でハム・ソーセージを作り続けたマイスター・レイモン。彼のハム・ソーセージづくりの歴史は、 まさしく彼の風土愛と情熱、そして執念のドラマだったといえます。

「人はおいしい食べ物が豊富にあり、住み心地の良い家を持っておりさえすれば、のんきに暮らすことができます。これは国家だって同じことですよ」(レイモン談) すべての人が食を通じて幸福を享受すべきだと彼は語りました。

これこそがレイモンの、生涯変わることのなかった思想であり、信念であったのです。


■ピザテンフォーでも、具材として用いたことのある信頼のブランド

ピザテンフォーでも、かつて「プレミアム・ウィンナー」という商品名で、カール・レイモンのウィンナーソーセージをトッピングした商品を限定発売したことがあります(写真上)。この商品限定発売でしたが、素晴らしい人気で、一躍人気商品となりました。しかし、テンフォーでは全国販売しているため、あくまで限定発売しかできません。これを常時メニューに掲載しようとすれば、手作りのカール・レイモンの生産能力を超えてしまうからです。そのため、いまでは、ファンの皆様から幻のカールレーモンをトッピングしたピザとして、復活を望まれる声が多数寄せられています。

■レイモンハウスについて

レイモンハウス

旧レイモン邸、レイモンハウスの横にあります

カール・レイモンという食肉加工業者を記念した「レイモンハウス」は元町にあります。一階はハム。ソーセージの販売所で、2階がカールレイモン歴史展示館と なっています。1人の有能なマイスターとある。マイスターは親方という意味で、その下の職人はゲゼルと呼ばれています。その下の見習いはレーリング。これがド イツのシステムです。

「私のハムは生きています」と言ったレイモンは自らを「胃袋の宣教師」と呼んでいます。現在のチェコで生まれた生粋のドイツ人レイモンは函館東浜町の勝田旅館の娘・コウと恋愛し 駆け落ちして中国の天津で落ち合い、ドイツで式をあげました。その後、許されて函館で店を開きました。レイモンはEUの旗のデザインの最初の提案者でもあります。あの有名な青地にゴールデン スターのデザインです。

「私のハムはね、肉の細胞を一時的に眠らすだけ。人間の胃にはいるとすぐ細胞はよみがえるのです」
と語ったレイモンは1987年に93歳で永眠、妻コウは1997年に95歳で永眠しました。

この株式会社カールレイモンの従業員たちはきびきびと誇りを持って働いているようです。みていて気持ちがいいです。函館にお立ち寄り際は是非お立ち寄りください。

店名 レイモンハウス 元町店
ジャンル ドイツ料理
TEL 0138-22-4596

住所 北海道函館市元町30-3

ホームページ
http://www.raymon.co.jp/information/shop_info.html

平均予算 [昼] ~¥999

アクセスは下のグーグルマップをご覧ください(A)



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このドイツ人や通をもうならせる、絶品カールレイモンの「ミーとローフ、オードブルサラミ、ロングウィンナー、ハーブウィンナー、レモン&パセリウィンナー」の詰め合わせをテンフォーの今年のお中元セットにラインナップしてあります。ご自身でお召し上がっても、ご贈答としても満足いただける絶品です。函館の食を語る上で避けて通るのことできない、カール・レイモン、是非ご利用ください!!

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