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2014年8月17日日曜日

【西村幸祐氏ツイート】玉音放送(終戦の詔勅)に、三島由紀夫が触れている貴重なインタビュー―【私の論評】人は大義に生きる存在、そうして日本は霊性を重んじる現代国家としてその範を世界に示すことができる稀有の存在でもある!!

【西村幸祐氏ツイート】玉音放送(終戦の詔勅)に、三島由紀夫が触れている貴重なインタビュー





【私の論評】人は大義に生きる存在、そうして日本は霊性を重んじる現代国家としてその範を世界に示すことができる稀有の存在でもある!!

この動画で、三島氏はこのブログでも先日掲載した「玉音放送」を聴いたときの感想を述べています。大日本帝国が滅んだにもかかわらず、庭の木の青さが鮮明に記憶に残っているとしています。

これは、大義としての日本と、それを抜きにした社会としての日本との違いを語っているのだと思います。

それまでの大義としての日本が消え去ったにしても、その社会が良い悪いということは全く別にして社会としての日本は厳然として変わらずそこにあったということです。その象徴が「庭の木の青さ」ということです。

大義としての日本とは、そこに所属する国民の安寧のためという大義があり、大日本帝国の大義です。

社会とはこの大義があるないかかわらず、もともと日本という国に住んでいる人びとのコミュニティー(共同体)という意味です。

三島由紀夫氏は、大義としての天皇陛下を頂点とした日本が消えても、当然のことながらそこに社会としての日本があったことを久しく忘れていて、それを玉音放送を聴いたことによって、強烈に思い起こされ不思議な感動を通り越した空白感を感じたのです。

戦争に負けてしまえば、大義としての日本が消えてしまい、その大義に殉じて来た自分や多くの日本人の世界は崩壊するはずであるのに、普段と変わらずまだ周りの木々が濃い夏の光を浴びていることに強い違和感を覚えたのです。

濃い夏の光を浴びる木々

そうして、大義のある時の生と死について、大義があるときの生と死のドラマティックなありかた、そうではないときの無様な生と死についても語っています。

そうして、葉隠の考え方を例にとり、人間はもともと、自分のためだけに生きていけるほど、強くはないのに、今の日本人は自分以外のための生き方・死に方ができなくなっていることに警鐘を鳴らしています。

葉隠の著者も武士は生と死の分岐点に立たされたときには、武士は死を選ぶべきと説いていたのに、自分自身は畳の上で亡くなり武士の生き方ができなかったことを例にあげ、今の日本人もこれに近い、大義なき生き方と死に方になっていることを説いています。

映画ラスト・サムライのステイル写真

今の日本社会もこの時の三島氏のインタビューのときと変わらず、工業化されて豊にはなって一見良いようにも見えるのですが、大義なき社会に成り果たことには変わらず、当然その中で生きている私たちも弱い存在となるざるを得ない状況にあるということです。

私は、この社会に大義を取り戻すことこそ、私たちの使命ではないかと思うのです。

なぜそう思うかといえば、このブログにも先日掲載したように、私は昔からご老人と話をする機会が多かったのですが、そのご老人たちが最近は高齢化もあって認知症になる人たちが増えていて、そのご老人たちの中にも二種類あることを発見したからです。

この二種類の一方は、認知症で記憶がなくなりつつも、妄想は抱かないタイプであり、もう一方は、非論理的なことを語り、妄想に浸りきるタイプです。この妄想に浸りきるタイプには、大義も何もありません。私自身も、他の多くの人びとも、このような老人にはなりたくないと考えていると思います。

これについては、ここで説明するよりも当該ブログを御覧頂いたほうが良いと思いますので、その記事のURLを以下に掲載します。

【渡邉哲也氏ツイート】今日8月11日は 朝日新聞植村隆慰安婦問題誕生記念日―【私の論評】私がマスコミ認知症論を展開する理由とは?8月に記念日があつまる不思議、日本人はこの月の記念日を生涯忘れるべきではない(゚д゚)!
若くしても認知症を患う人はいくらでもいる

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、2種類の認知症の類型についての部分のみ以下に引用させていただきます。



"私は、子どもの頃から、親戚や近所のお年寄りの話を聴く機会を多く持つことができました。中には、中国人や朝鮮人のお年寄りもいました。

その話を聴いていると、台湾のことや、日本の戦前、戦中の生活や、日本における朝鮮人・中国人の生活や、戦争に行った人たちのことが良く理解できます。

そもそも、少なくともこの人々が、知る範囲では、慰安婦=性奴隷、朝鮮人強制労働などのことはなかったことがわかります。

それと、戦争中の末期のほんの一時をのぞいては、日本の社会が今程の自由(今は自由ではなく、単なる放縦・放埒といえる場合もある)ではなかったものの、それなりに自由で、言論もマスコミなどがいうように、厳しく制限されているわけでなく、比較的自由だったことがわかります。

私は、マスコミなどが流布する昔の日本とはかけ離れていることを子どもの頃から実感していました。台北帝大など、台湾人も入学して、日本人と全く同じ教育を受けていたこと、軍隊に行った人たちが、決して日本は間違っていたというのではなく、誇りを持っていたこと、アメリカなどとは異なる民視主義が厳然として存在していたことなどを知ることができました。

しかし、これらの老人の方々の中にも、最近ではそろそろ認知症の方々でてきました。認知症とはいっても、十人十色でいろいろなタイプがあるので、全部を一括りにすることなどできませんが、それでも、大まかに2つに分かれます。

一つのタイプは、認知症なので、記憶力が極端に落ちたりしていますが、それでも、昔のことは良く覚えているタイプ、もう2つ目は、完全に虚妄の世界に入り、論理的にはあり得ないことを語る人です。

ただし、いろいろ深く話をすると、論理的にあり得ない話をする人でも、それにはそれなりの原因があったことが理解できます。

そうして、ほんのわずかのことで、タイプが別れてしまうことを思い知りました。プライバシーのこともあるので、あまり詳しくは掲載しませんが、たとえば夫がお金にまつわる本当に基本的なことがわかっていないことと、自らもわかっていなかったがために、それが心配の種となり、お金に余裕があるにもかかわらず、貧困妄想にとりつかれるご老人などがいました。

これ以上話を続けると、プライバシーの問題となるので、他の事例は掲載しません。また、上の話は、このブログにこの程度の話を掲載するという旨あらかじめ断っています。

それにしても、このような話を聴けたのは、家族の方々に私が信頼していただけたからだと思います。こうして、わかったことなど、家族の方々にお話しています。だからといって、それが、その後認知症の治療の役に立つということもないのですが、それでも、家族の方々が納得されるということはあります。納得しているのと、そうではないのとの間には雲泥の差があります。

これで、わかったことは、どんな虚妄老人にも、そうなったにはそれなりの理由・原因があるということです。それも、意外と些細なことで、もっと若い内に対処すれば、何とかできたかもしれいないという例が結構ありました。

そこから、現在のマスコミなどふりかっえてみると、たとえば、朝日新聞など30年も虚構を報じつづけてきたなどということは、それに関わった人々がすでに、あるいはある程度以上の老人になれば、かなりの確率で、上で述べた2つ目のタイプの虚妄老人になるという可能性があります。

数十年にもわたり、虚偽をそれを事実か、でっち上げであるのかを理解しているしていないは、別にして、それを是として、報道を続ければ、頭脳に悪影響があるのは、誰もが否定出来ないと思います。

これを続け、退職後も是として、長期間過ごせば、いずれの果ては、虚妄老人になる確率が高いということです。

こういった背景から、私のブログでは、マスコミ認知症論を展開しているのです。決して、認知症の老人を貶めたり、マスコミを単に揶揄するために掲載しているということではないのです。

それにしても、これは私も全く理解できないのですが、虚妄老人の中には、自分は意図しなくても、深く長期にわたって、家族を傷つけてるいる人も大勢います。それに、どう考えてみても、自分もあのようなことを日々繰り返していては、不幸に違いないと思うのですが、認知症が進むと、その事自体が理解できなくなるようです。

マスコミ諸兄も、このような状態にならないためにも、虚偽報道はやめましょう。

そうでないと、自らもそうして家族をも傷つけても、何も感じないとんでもないことになっても、虚妄の世界から一歩も抜け出られないような事態に見舞われることになるかもしれません。"



さて、この引用では、完全に虚妄の世界に入り、論理的にはあり得ないことを語る人虚妄老人になる一つの原因として、虚偽を信じこむとか、信じこまなくても、それを是として長い間生きていると虚妄老人になると断じました。

しかし、本日は上の三島由紀夫氏の動画をみて、論理的にはあり得ないことを語る人虚妄老人になる原因としては、これは弱いと思いました。これは、表面上の理由であって、本質はもっと他にあることを思い出しました。

認知症になったとしても、虚妄老人になる人と、そうではない人間には、もっと明らかな差がありました。

虚妄老人とそうでない人の差異は?

それは、三島由紀夫氏が語っているように、強さと弱さの分岐点にもなる、自分のためだけに生きているかそうではないかの差です。

あるいは、大義に殉じた生活をしてきたか否かの差異でもあります。現在のお年寄りの中には、意識のなかに大義のある人とない人がいます。

そうして、本格的な虚妄老人になる人には、この大義という考え方が欠落している人が多いことを思い出しました。

年を経ても、霊を重んじる人、自分のためだけではなく、子どもや親戚のことを考える習慣、あるいはもっと大きな地域社会や、国な、現実世界などのことを考える人は、たとえ認知症になったとしても、虚妄老人になる人が少ないという事実を思い出しました。

本当に自分のためだけに生きてきた人は、三島由紀夫氏が語っているように、弱い存在にならざるをえないのです。自ら、虚勢を張っていたにしても、その弱い存在であることを長年続けてくれば、弱いが故に、認知症になれば、虚妄の世界に入れば弱くても生きて行けます、というよりも生きていくために入らざるを得なくなるのです。

高齢化社会で認知症が問題になっていますが、この問題で本当に重大なことは、上に掲載したようなことだと思います。高齢化社会に突入した私たちは、このことを肝に銘じておくべきと思います。

先日は、このブログに、玉音放送を日本語訳も含めて掲載しました。
終戦の詔勅 (玉音放送)―【私の論評】憲法改正を議論し考える上で、戦後の日本の始まりを規定した「玉音放送」こそ最も参照すべきものであるべきだ(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、結論として以下のことを掲載しました。

御署名原本「大東亜戦争終結ノ詔書」 の一頁目
この詔勅に書かれている言葉や考えは、ポツダム宣言受諾による占領前に表明されたものであり、まさに日本そして日本人のものであるといえます。 
であれば、この玉音放送は、日本の戦後、現在そして今後を考える上で、その土台とすべきものといえます。
そうして、私はこの玉音放送の詞は、新たな憲法を考える上での土台としてだけではなく、戦後体制から未だ抜け出ていない私たちの日本の大義にもなるものと考えるべきものと思います。

日本においては、終戦直前にこのような声明を国民に発したものは他にはなく、これこそ、戦後日本の大義の大きな方向性を示す唯一の詞であると思います。

そうして、これは未だ終結しない、日本の戦後体制が出来上がる前の私たちの大義の方向性を示すものであり、この方向性に沿って私たち自身が戦後体制脱却以降の大義をうちたてていくべきなのです。

そうして、その精神の支柱になるべきは、以前にもこのブログに掲載した、霊性を重んじる日本人の心です。

これに関しては、以前にもこのブログに掲載したことがあるので、その記事のURLを以下に掲載します。
「中韓」とは異質な日本人の「精神世界」…仏作家は「21世紀は霊性の時代。日本は神話が生きる唯一の国」と予言した―【私の論評】日本は特異な国だが、その特異さが本当に世界の人々に認められ理解されたとき世界は変る。いや、変わらざるをえない(゚д゚)!
詳細は、この記事をごらんいだたくものとして、この記事の結論部分を以下に掲載させていただきます。

"このように、神話が現代なお生きているのが日本であり、日本それ自体が、神話そのものの国で、他国の影響を吸収し切って、連綿たる一個の超越性を保つ国が日本であり、霊性の根源に万世一系の天皇制がある国が日本なのです。そうして、マルローが指摘したかどうかは、わかりませんが、日本では、過去が現在に現在が未来につながっているのです。そうなのです。霊的に時間を超越してつながっているのです。私たちの霊は、この悠久の流れにつながっているのです。こんなことは、当然であり、だからこそ、マルローも指摘しなかったのかもしれません。

京都府神道青年会が主催したバスツアー「神主さんと行く 
伊勢参宮」。女子大生107人が応募に殺到したといわれます。
私たち日本人は、このような国日本に誇りを持ち、自信を持ち、世界に日本の素晴らしさを伝えてていくべきです。日本のやり方が、世界伝わりそれが理解されれば、世界は変わります。"

そうです、現在の西欧をはじめとする日本以外の国々の、宗教的世界観には限界があるのです。しかし、私たちの国日本は、他国がアニミズムとして、とうの昔に捨て去った万物には霊が宿るという霊性の世界を世界で唯一現在に至るまで、保ちつづけた稀有な存在なのです。

日本は、近現代国家と、霊性を重んじる文化が融合した稀有な存在なのです。他の国々とは根本的に異なるのです。

フランスの作家マルローと、あの心理学者のユングも、今世紀は宗教的世界観では、限界が来ることに前もって警鐘を鳴らしていました。

今日、世界各国のガザ地区や、ウクライナの問題やその他の地域の紛争などを考えると、やはり宗教的世界観には限界があるということを認めざるをえません。そうして、近代にはそれと変わると信じられた、近代合理的な世界観も、旧ソビエトや、現代中国で大失敗しています。

ガザ地区へのイスラエルの爆撃

次世代には、全人類はもう一度アニミズムとして蔑み、捨て去ってしまった霊性を重んじる文化を構築していく必要があります。

それも、現代の社会にあわせたものを構築していかなければなりません。原始アニミズムのままでは、現代世界にはとても、受け入れられるものではありません。現代にも受け入れられるものが必要です。

その原型は、世界でただ一つですが、日本にあります。だからこそ、マルローやユングは日本の霊性を重んじる国柄を高く評価し、21世紀は霊性の時代としたのです。こうした範がなければ、マルローも、ユングも自説を宣言することも、それに確信を持つこともできなかったかもしれません。

私は、安部総理の靖国参拝は、単に戦没者に対する慰霊の意味だけではないと思っています。これには、世界に向かって、日本の霊性を重んじる文化を伝える意味合いもあったものと思います。

安部総理の靖国参拝の意義は慰霊だけではない・・・・・・・・

実は私たち日本人は、こうした精神性を世界に広めるという大義を最初から持っているという稀有な存在なのです。

これをたとえ、仮に潜在的であったししてもも意識するとしないのとでは随分開きがあると思います。昔の人は、たとえこれを稀有なこととして、意識したかしないか別にして、少なくとも霊性を重んじるというこは、疑うこも知らず、あたり前だと信じていました。

だが、「ご先祖様に申し訳が立たない」などという言葉が自然とでてきたのです。

第二次世界大戦が終了し、いわゆる戦勝国の人びとは、こうした日本の特異性について知るにおよび、畏怖の念をいだくとともに、宗教的世界観に凝り固まっている自分たちは、とても世界を変えることはできないと感じるとともに、日本に対して脅威を感じたのだと思います。これは、たとえ潜在的であったとしてもそう感じたものと思います。

だからこそ、特に日本に対しては、西欧世界を脅かすかもしれない、この精神性を粉砕するために、日本の弱体化政策を幾重にも巡らし、封じ込めようとしたのだと思います。しかし、彼らこそ、宗教的世界観に拘泥し、霊性を重んじることをしなければ、いずれ滅ぶのです。

しかし、そのような封じ込めにもかかわらず、日本では三島由紀夫氏のような人びとがでてきて、戦後体制のままである日本に対して、覚醒のためのメッセージを発し続けててきたのです。

現代にもそのような人びとが大勢います。西村幸祐氏もそのような人びとの中の一人です。

しかし、戦後70年近くたって、所詮人間がつくった戦後体制も随分とガタがきています。いずれこれも消え去ることでしょう。日本の悠久の歴史からみれば、これもほんの一時に過ぎません。

美しい日本の風景

私たちは、この高い精神性を今一度しっかりと思い返し、霊性の文化を世界に伝えこの世界を変えていくべきなのです。三島由紀夫氏もそれを願っていたに違いありません。

これにより、私たち日本人は、日本の戦後体制以降の大義を打ち立てることができるのです。そうして、大義に殉ずる人びとは強くなれるのです。たとえ、認知症になって、記憶を失うことがあったにしても、妄想老人にはならないのです。年齢など超越して私たちは、霊により過去と未来とつなかっているのです。

あの、朝日新聞などをはじめとする偏向マスコミや外国におもねる為政者どもの空騒ぎなど、最早悠久の歴史の流れの中に咲いた一時の徒花に過ぎなかったことが明らかになりました。

大東亜戦争における敗北によってさえ、私たちは世界を変えて、アジアから西欧列強の力を排除することができました。

1,000年に一度の震災も、長年にわたるデフレもほんの一時のことに過ぎません。このようなな災厄からも日本は再び力強くたちあがることでしょう。過去と未来につながる、朝廷をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化は、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増すことでしょう。そうして、世界を変えていくことでしょう。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2014年6月7日土曜日

安倍首相、ローマ法王と会談=来年の訪日招請―【私の論評】あなたは知っているか?ヴァチカンも認めざるを得なかった、古から続く日本独自の素晴らしい霊性を重んじる精神世界を(゚д゚)!

安倍首相、ローマ法王と会談=来年の訪日招請

バチカンのローマ法王庁を訪れ、フランシスコ法王(右)と会談する安倍晋三首相

 安倍晋三首相は6日午前(日本時間同日午後)、バチカンのローマ法王庁を訪れ、フランシスコ法王と会談し、来年の訪日を招請した。これに対し、法王は「ぜひ日本を訪れたい」と前向きな考えを示した。

 日本の首相とローマ法王の会談は約5年ぶり。安倍首相は、江戸幕府の目を逃れて信仰を守り続けた長崎の「隠れキリシタン」の存在が明らかになってから、来年で150周年になると指摘。「こうした節目に来ていただきたい」と呼び掛けた。

このニュースの詳細は、こちらから(゚д゚)!

【私の論評】あなたは知っているか?ヴァチカンも認めざるを得なかった、古から続く日本独自の素晴らしい霊性を重んじる精神世界を(゚д゚)!
 
これは、重要な割に扱いが小さすぎるニュースだと思います。要チェックと思い、掲載させていただきました。

バチカンは、何といっともカトリックの総本山、宗教の力は近年は衰えてきてはいるものの、EUを中心として、世界にはカトリックの国々も多く、今でも多くの人々の精神的支柱となっていることは明らかです。

安部総理は、就任以来多くの国々を歴訪してきました、最近ではEUも歴訪していましたが、いよいよバチカンに訪問し、それだけではなく、法王に来日の招請を行い、全方位外交を確かなものにしようとしています。

このバチカン訪問のタイミングなどみていると、安部総理の全方位外交はかなり周到に準備をして順番も考えながら実施しているようです。

このような外交、今までは、総理大臣の就任期間があまりにも短かったので、日本ではなかなか実を結びませんでしたが、安倍政権はこのことだけをとってみとも、長期政権にすることが日本にとって非常に良いことだと思います。

さて、バチカンというと日本とは疎遠に思われがちなのですが、日本にとっても昔からいろいろと関係のあるところです。そのいったんをこのブログの過去の記事に掲載しましたので、その記事のURLを以下に掲載します。

まず一つ目は、ローマ法王庁・ヴァチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られているという事実です。


"バチカンには以下のような歴史があります。
ヴァチカン宮に祀られた昭和殉難…
「世界に開かれた昭和の戦争記念館 第3巻 大東亜戦争の秘話(歴史パノラマ写真集) 」 名越二荒之助著 展転社 1999年11月 より抜粋 
1980年5月21日、昭和の殉難者のために、荘厳なミサがヴァチカン・サンピエトロ寺院で行われた。
――――――― 
ローマ法王庁・ヴァチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られている。 

連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級すべての日本人「法務死」者の霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ法王によって祀られたのである。 
その多くはキリスト教信者であった連合国側にとって、これほどの皮肉はない。皮肉というよりは、勝者の驕りに対する「神の戒め」であるとも言えよう。時のローマ法王・パウロ六世に、日本人殉難者のためにミサを、と訴えたのは仏教徒の仲田順和師であった。 
昭和50年(1975年)にヴァチカンを訪れた折に、かねてより心を痛めていた「戦犯とされた人々」の鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えて願い出たのである。 
順和師の父であり先代座主でもあった順海大僧正は、学徒兵や殉難者の法要を欠かさず、「七戦犯の鐘」など慰霊の鐘も護持している。 
先代座主の遺志をついだ真言宗醍醐寺派別格本山品川寺(ほんせんじ)の仲田順和師の願いを、パウロ六世は快く承諾した。 
しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、法王の訃報であった。その後を襲ったパウロ一世も急逝し、異教徒の願いは空しく閉ざされたと思われた。 
ヨハネ・パウロ2世
その順和師のもとに、ヨハネ・パウロ2世から親書が届けられたのは5年後の昭和55年4月、内容は「5年前の約束を果たしたい」との思いもかけぬものであった。 
ローマ法王庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのである。パウロ6世の真心に応えようと、帰国直後から作製を依頼していた五重塔に殉難者1068柱の位牌を納め、ヴァチカンに奉納されたのは、同年5月のことである。 
醍醐寺五重塔を精巧に模した塔は、「戦犯」慰霊に共鳴した栃木県大田原市の木工芸家星野皓穂氏が、3年の歳月をかけ無料奉仕で完成させたもの。 
5月21日には仲田・星野両氏も参列し、法王パウロ2世のもと、昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンでとり行われた。
ご存知のように、バチカンの権威はすさまじいものがあります。ガリレオ・ガリレイの名誉が回復され、正式に無罪とされたのは、なんと死後367年を経た2009年の2月15日でした。いいですか、100年前ということてはなく、2009年になってからです。人類が月に到達したは、45年前です。地動説は、おそらく、少なくとも100年前には人類の常識になっています。それでも、300年以上たってからです。権威を守るということは、こういうことです。



私は、何もバチカンを批判しているではありません。バチカンにはバチカンの宗教的権威というものがあります。背後にはおびただしい数の信者がいます。いろいろな意味あいがあって、こんなに時間がかかってしまったのだと思います。

こんなバチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られているのです。そもそも、バチカンは戦犯など認めていないのです。日本人が倫理観が高いというだけではなく、霊を重んじる国であり、国民性であることを認めたからこそ、バチカンはこのようなことをしているのです。靖国戦犯合祀を非難する、韓国民には理解できないことです。

そのバチカンの法王が、わざわざ「韓国民は、倫理的・霊的に生まれ変わらなければならない」と発言しているのです。ローマ法王が軽々しく公式に、このような発言をするわけがありません。この言葉の重み、深さ、奥行きを韓国人は噛みしめるべきでしょう。

倫理観に関しては、朴槿恵大統領が辞任すべきです。霊に関しては、韓国民は自ら深く反省して、霊を重んじることの重要性を知るべきです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?"

このようなことはなかなか日本では、報道されません。しかし、バチカンと日本とがこのような関係にあったことと、これはかなり大きな意義をもつことは、日本人として知っておくべきことと思います。

欧米人などに、日本の戦犯の話をするときなど、この事実も伝えるとかなり見方も変わるようです。

そもそも、東京裁判など、勝者の敗者対する一方的なリンチに過ぎなかったことが理解されやすくなると思います。

二つ目としては、何とヴァチカンには「日本特別ルール」というものがあります。

これは、以前"2ちゃんねる"に掲載されていたようです。私自身は、それ自体を観たこはありませんが、あるサイトで、質問としてだされていたものがありますので、そのURLと内容を一部以下に掲載させていただきます。
バチカンの「日本だけ例外ルール」
初めて利用します。宗教カテゴリが見当たらなかったのでここで質問します。
以下のような2chコピペを最近知りました。これって本当にあるのでしょうか?
事実だとしたら、2ch以外で何か出典となる本はあるでしょうか?==== 以下、コピペ ====835 おさかなくわえた名無しさん sage New! 2007/11/21(水) 13:35:20 ID:jtdHrUTs バチカンの「日本だけ例外ルール」って結構あるんだな。知らんかった。 大昔、宣教師に 「デウスさまを拝まないと地獄に落ちるだか?  おらの爺様や婆様も地獄にいるだか?ならおらも地獄に行く。  自分だけ助かるだなんて、そんたら不孝なことはできねぇ」 とかなんとか拒むんで、バチカンも困った挙句に「特例ルール」ができたと聞いた。 日本に来ると教義に疑問を持ってキリスト教を捨てる人間が続出するもんで 「宣教師の墓場」と恐れられたのも原因のひとつなのかな。
さて、この質問に対する答えは、バチカンの「日本だけ例外ルール」があったとしています。

なぜ、このような特別ルールを設けたかといえば、世界で日本だけが当時から独自の精神世界を持っていたからにほかなりません。これ関しても、以前このブログで紹介したことがあります。その記事のURLを以下に掲載します。


精神世界とか、霊性の時代などというと、何やら難しそうで、自分たちとは縁がないと思いがちかもしれませんが、そんなことはありません。平たく言うと、たとえば昔のご老人が「ご先祖様に申し訳が立たない」などと発言することがありましたが、これそのものが日本人の精神を現しており、日本人が霊性の世界に生きたきたことを象徴しています。

ご先祖様の霊は今も息づいており、それが現代の私たちにも影響を及ぼしているということです。また、このように考える日本人は、今生きている私たちもいずれは霊となり、未来の人たちに影響を及ぼすと信じてきたということです。私たちの霊は、たとえ体が滅んでも、過去・現在・未来へと連綿と繋がつているのです。

昨年伊勢神宮の式年遷宮で、御神楽で新しい正宮に向かう臨時祭主の黒田清子さん

なんと素晴らしい精神世界ではありませんか。この素晴らしさ、私たちはあまりにもあたり前になっているため、特に気づかなく見過ごしてしまうこともありがちです。しかし、この精神世界は世界の思想家にも多大な影響を与えています。

さて、この記事よりその部分のみを以下にコピペさせていただきます。

"上の記事にもあるように、仏作家マルローが語った言葉である、
21世紀は霊性の時代となろう。霊性の根源には神話があり、それは歴史の一面を物語っている。世界の神話が現代なお生きているのが日本であり、日本とは、それ自体、そのものの国で、他国の影響を吸収し切って、連綿たる一個の超越性である。霊性の根源に万世一系の天皇制がある。これは歴代天皇の連続性であるのみならず、日本文化の継続性の保証でもあるのに、戦後日本はそのことを忘却してしまった。しかし、霊性の時代が、今や忘却の渕から日本の真髄を取り戻すことを要請している。また文化は水平的に見るのではなく、垂直的に見るべきだ。
アンドレ・マルロー

スイスの心理学者グスタフ・ユングが語った言葉である、
キリスト教中心の西洋文明の終末は20世紀末から21世紀初頭にかけて到来する。そして次の文明は、一神教や独裁専制ではなく、霊性の支配する時代となるであろう。
カール・グスタフ・ユング

は、特に現代の日本人は、良く噛みしめてみる必要があります。このようなことは、少し前までの日本人なら誰もが知っていて、このこと自体に心の安らぎととともに、誇りに思っていたものでした。その頃の日本人は、今の日本人のように、日本が崩壊するとか、財政破綻してとんでもないことになるとか、そのようなことは思ってはいなかったでしょう。このような伝統と格式、歴史の古い国がそう簡単に崩壊することなどあり得ないと思ったことでしょう。

しかし、こんなことは、今の日本人はほとんど忘れています。というより、戦後の教育によって、こうした日本の良さ、素晴らしさをほとんど教育されなくなってしまいました。しかし、日本のこうした神話や、格式と伝統は、宗教の世界などは超越しており、生活の隅々まで行き届いており、戦後の教育によって、このことが教えられなくても、日本人として生まれ、日本人の伝統を受け継いだ日本人にとっては、潜在意識の中に埋め込まれて、今も息づいています。


現代風に描かれた天照大神

だからこそ、伊勢神宮に1500万人もの人々が参拝をするなどという、とてつもないことが起こったりするのです。世界のどのような施設でも、これだけ多くの国民が訪れるものはないと思います。先日観た、ホワイト・ハウスダウンという映画では、女の子が、年間でホワイト・ハウスを訪れる人々は、150万人と言っていたのを思いだします。

マルローや、ユングが語ったように、おそらくこれからの時代は、霊性が支配するようになると思います。そうして、マルローが語るように、神話が現代なお生きているのが日本であり、日本とは、それ自体、神話そのものの国で、他国の影響を吸収し切って、連綿たる一個の超越性なのです。霊性の根源に万世一系の天皇制があるのです。

他国の影響を吸収しきってというというと、日本の神道では、八百万の神といって、昔から他者の神や文化を全部受け入れ、その上で、連綿たる一個超越性を保っているという点にも示されているように、素晴らしい考え方です。

宗教は良いことではあるのですが、それが教条的になると、酷く残虐になる場合もあります。魔女狩り、宗教戦争、十字軍、現代のイスラム原理主義の行き過ぎによる、過ちなどの悲惨な事例は、枚挙に暇がありません。しかし、日本の場合は、宗教ではなく霊性の次元にまで高めてしまったため、そのようなことはありません。"

このような霊を重んじる精神世界にあった日本人は、当時のイエズス会の宣教師たちにとっては、驚天動地の存在だったと思います。

当時の宣教師たちは、自分たちのキリスト教が世界で最も進んでおり、キリスト教文明を知らない野蛮な極東の日本の人々を宣教し救うという使命感に燃えてに来日したのでょうが、実際に日本に来てみて、身分の高い人から低い人にも接してみて、日本人たちが、当時の世界の中心のヨーロッパの水準からいえば、とてつもない霊性を重んじるという素晴らしい精神世界を実現していたことに驚愕したと思います。

科学技術に関しては、確かに立ち遅れていましたが、その精神性の高さには驚愕したものと思います。

そうして、このような高い精神世界を持つ日本人に対して、世界の他国々のように布教しても、できないと悟り、それをヴァチカンに知らせ、ヴァチカン側もそれを理解したため、あれほどの権威を持つヴァチカンですら、日本独自ルールを作らざるを得なくなったのです。

イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル

おそらく、当時の宣教師の中にも、日本の霊性を重んじる精神世界は、いずれ宗教を超えるかもしれないと感じた者も大勢いたものと思います。だからこそ、宣教師が日本に来ると教義に疑問を持ってキリスト教を捨てることが続出したため、当時のヴァチカンにおいては日本は、「宣教師の墓場」と恐れられたのです。

その影響は計り知ることはできません。おそらく、先に掲載したヴァチカンに、昭和の殉難者1068柱の霊を祀るなどということも、ヴァチカンは、このような日本の霊性を重んじる精神世界に敬意を評したためであると考えられます。

そうして、日本の霊性を重んじるという精神は、いずれ世界の宗教にも影響を与えるかもしれません。いや、すでに上記のようなことから、良い意味でヴァチカンですら影響を受けているかもしれません。

こんな豊な精神世界に生まれ育った私たちは、今一度日本の霊を重んじる精神を振り返るべきです。なぜなら、いずれ、これが世界に大きな影響を与え世界を変えてしまうかもしれないからです。

そんな時になって、日本の精神世界を理解しないニッポン人(日本の伝統文化を継承しない日本人という意味)ばかりになってしまえば、日本は日本でなくなり、日本人は日本人でなくなり、凡庸な国、凡庸な人になってしまうからです。

もしかして、あたなはこの素晴らしい精神世界を忘れて、凡庸なつまらない人になってはいませんか。そうであっては、いけないと思います。



私たち日本人は、このような国日本に誇りを持ち、自信を持ち、世界に日本の素晴らしさを伝えてていくべきです。日本のやり方が、世界伝わりそれが理解されれば、世界は変わります。

あのどうしようもない陰鬱な時代の象徴であった民主党政権など、悠久の歴史の流れの中に咲いた一時の徒花に過ぎなかったことが明らかになりました。日本は、1,000年に一度の震災から力強く復活しつつあります。過去には、原子爆弾を2回も落とされ、国土は焦土と化しましたが、霊性を重んじるという豊な精神世界を持つ私たちの日本は力強く復活しました。

連綿たる一個の超越性である日本は、このような災厄からも過去おいては何度も立ち直ってきましたし、将来も何度でも力強くたちあがることでしょう。朝廷をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化は、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増すことでしょう。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2014年1月18日土曜日

「中韓」とは異質な日本人の「精神世界」…仏作家は「21世紀は霊性の時代。日本は神話が生きる唯一の国」と予言した―【私の論評】日本は特異な国だが、その特異さが本当に世界の人々に認められ理解されたとき世界は変る。いや、変わらざるをえない(゚д゚)!

「中韓」とは異質な日本人の「精神世界」…仏作家は「21世紀は霊性の時代。日本は神話が生きる唯一の国」と予言した

式年遷宮「遷御の儀」で現正殿から新正殿に向かう渡御行列。
伊勢神宮は日本人と心のふるさと、未来への道しるべだ
=平成25年10月2日夜、三重県伊勢市の伊勢神宮

伊勢神宮に初詣して

式年遷宮の翌年は「お蔭年」とされ、特別のご利益を授かるというので、初詣は伊勢神宮へ行ってきました。まず、衣食住をはじめ、全産業を司る神である「豊受大御神」を祀る外宮に、次いで、日本人の総氏神である「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」が祀られる内宮に参拝致しました。深い森に包まれる参道に初日が差し込む神々しく清澄な空気と総ヒノキ造りの御正宮は、有史1300年の日本国の伝統(日本人の心のふるさと、未来への道しるべ)を感じさせ、心は澄み渡り、身も引き締まる雰囲気を醸し出しておりました。

最近ではパワースポットとして女性にも人気の伊勢神宮

お参りの後は、江戸時代の町並みが軒を連ねる「おはらい町」と賑わいを再現した「おかげ横丁」の散策と飲食も楽しみました。因みに参拝客は、通年平均では860万人に比し、昨年は遷宮と景気再興の所為もあり、1500万人を突破したそうで、「お蔭参り」の本年は2千万人突破も見込まれるそうです。「一生に一度は“お伊勢参り”」と駆けつける多くの日本人参拝客に交じって、紅毛碧眼の方たちもかなり見かけたし、アジア系の言葉も多く耳にしたので、われわれが西欧や中東へ観光旅行をすれば、大聖堂やモスクに案内されるように、今後オリンピックに向けて、外国人観光客の伊勢参りも期待されそうです。

御用材の寿命=60年は還暦に合致する


ところで、20年ごとに繰り返される遷宮のことは、外宮の表参道そば、玉池にある資料館「せんぐう館」の展示や解説で学習できます。神明造りの社殿の縮尺模型が展示され、その造営の主たる御用材として、木目の美しい檜材、すなわち根の張り、枝振りがよく、直立の2百年育った檜が20万本も必要とされるそうで、計算上は毎年1万本以上を植樹して未来に備えておく必要があるのだそうです。

なお現状では伊勢の森からは適材が4万本程度しか産出できないので、長野ほか全国各地から良質の檜を集荷してくるようです。もちろん、こうした優良な御用材は、20年が過ぎた旧殿(3月まで併置された後)が解体され、総称お伊勢さんの、別宮、摂社、末社、所管社含む計125社に転用され、さらに20年後(都合40年後)も全国の系列宮社へと再転用され、60年で廃材(もちろん神社以外の用途に転用)とされるそうです。ちなみに昨年遷宮を終えた出雲大社の場合、60年遷宮ですから、御用材の寿命は古来60年とされてきたことが分かります。これは日本人の還暦祝いの風習とも合致するものです。

20年周期は“万全の記憶装置”

遷宮は先人が営々と伝えてきたものを国家の事業として継承することで、国がよみがえり民族が力を得て、次世代へと生き抜くことができるように、伝統を積み重ね、さらに高めることになるわけで、この儀式は世界で類を見ない日本独特の伝承の姿だといえます。せんぐう館には色々な展示があり、ことに「ご装束神宝」が714種1576点もあります。木工・金工・漆工・染色など全国46万人に及ぶ各世代の伝統工芸職人の粋である至高の形と風合いがつぶさにみられ、その匠の技には感嘆させられます。

1953年(昭和28年)10月5日、外宮遷御の
儀。史上初めて写真撮影が許可された。
こうした技の継承にも、設計図面を含め20年ごとに“原初を繰り返すことで、永遠に継承する”のが必須なことは良く分かります。延喜式作法に基づく神宮御料(捧げもの)は、馬具や神官の装束、各種調度品などは当代を代表する最高レベルの匠が、20年後には交代し、次世代へとスムースに伝承されることを前提とした“万全の記憶装置”であるといえるでしょう。

国際儀礼で“世界最上級身分”とされている天皇

伊勢神宮が鎮座する三重県は「うまし国・日本人の背骨」と古くから呼ばれ、美しい自然と豊かな実りに恵まれており、「気」が集まる場所がたくさんあるそうです。

大和の国を治めた奈良から見て、太陽が昇る「真東」の伊勢に皇家の氏神を祀ることになったのは歴史の必然だったのでしょう。

バブルが弾けた後、日本経済が低迷を続けているところに、民主党の稚拙な内政がさらなる国力低下を招き、鳩山由紀夫元首相の“ルーピー外交”が日米関係を弱化させ、イラ菅こと菅直人元首相の“屈辱外交”に乗じた中韓の反日攻勢を許してしまい、つい1年少し前まで、日本は金縛り状態でした。そこに安倍内閣が登場し、経済がようやく上向きに転じ、弱腰外交が積極的平和外交に転じることで、中韓包囲網諸国群を引きつけ、親日国を増やし始めています。

まさにその年が遷宮と重なったことに、大いなる意義を感じます。大震災からの復興とオリンピック開催に向けても、今こそ日本人が心を合わせ、未来へ向かって立ち上がる好機で、母国の聖地から「気のパワー」をいただけることは、とても大切なことだと思います。

さらに、日本を取り巻く厳しい外交に対処するにも、外国人観光客をもてなすためにも、まずはわれわれ自身が日本国の源流と脈々と続く伝統を熟知しなければなりません。伊勢を語るとき、世界の最長寿国・日本を誇るとき、欠かせないのが「天皇」です。「国際儀礼(プロトコル)」によると、海外で各国の代表(国王、元首、大統領、首相)が一堂に会するとき、最上席に案内されるのが“世界最上級身分”と議定されているわが天皇なのです。そのことを、多くの日本人にもっと知っておいていただきたいし、外に向けて誇りとすべきでしょう。

霊性の根源に万世一系の天皇制

フランスの作家で、ドゴール政権の文化相を長く務めたアンドレ・マルローは自著各編で、こんな趣旨のことを書いています。

アンドレ・マルロー

「21世紀は霊性の時代となろう。霊性の根源には神話があり、それは歴史の一面を物語っている。世界の神話が現代なお生きているのが日本であり、日本とは、それ自体、そのものの国で、他国の影響を吸収し切って、連綿たる一個の超越性である。霊性の根源に万世一系の天皇制がある。これは歴代天皇の連続性であるのみならず、日本文化の継続性の保証でもあるのに、戦後日本はそのことを忘却してしまった。しかし、霊性の時代が、今や忘却の渕から日本の真髄を取り戻すことを要請している。また文化は水平的に見るのではなく、垂直的に見るべきだ」

確かに、中国や朝鮮文化の影響を過大に語る一部日本の文化人には大きな誤解があるように思えます。知る限り、英仏独の文化人、史家には、後生大事にギリシャ・ローマを奉る人など皆無であり、米国の識者がイギリスをむやみにもてはやす事例を耳目にしたこともありません。日本文化・文明と日本人は、中華文明や長年にわたりその属国であり続けた朝鮮文明とは全く異質であり、むしろアジアの中でも、もっとも遠い存在であるといえます。日本人の氏神、天照大御神に思いを致すのは今でしょう。

キリスト教中心の西洋文明の終末

スイスの心理学者グスタフ・ユングも「キリスト教中心の西洋文明の終末は20世紀末から21世紀初頭にかけて到来する。そして次の文明は、一神教や独裁専制ではなく、霊性の支配する時代となるであろう」と期せずしてマルローと同じ予言をしております。

カール・グスタフ・ユング

要するに、カネ・モノに執着する物質依存世界から、人間の理性と精神世界を重視する義と捉えるならば、超大国アメリカや金と軍事力で餓鬼道に陥った中国を痛烈に批判・否定しているように思えます。それに比して、多神教日本は、古来、山や川に霊性を感じ、自然を畏れ、神を尊ぶ心を抱いてきたわけで、その代表が伊勢の森だったといえるのです。

考えるに、人類文化の危機は「画一化」にあり、文明が衝突するのではなく、文明に対する無知が紛争の根源となるのだと思います。思考のプロセスを自省し、他にかぶれたり迎合させられたり、徒に自虐的になることから一歩距離を置いて、確信されてきたものを再吟味し、忘れ去っていた古き良きものへ思いをきたし、一方で他民族との交流においては、異質なもの・新たなものを受容し合う-。こうしたことが、文明間の対話で重要だと思います。

国家的文化戦略は、長期構想として構築し、粘り強く世界へ向けて発信してゆくことが最重要です。世界的有識者の言説を待つまでもなく、21世紀が霊性の時代へと向かうならば、日本人としても1300年間継承されてきた伝統精神を矜恃し、発信・交流してゆくことが、自らの背骨を正すとともに、世界平和への貢献に資することにもなると確信いたします。

(上田和男)

=随時掲載します

上田和男(こうだ・かずお)
昭和14(1939)年、兵庫県淡路島生まれ。37年、慶応大経済学部卒業後、住友金属工業(鋼管部門)に入社。米シラキュース経営大学院(MBA)に留学後、45年に大手電子部品メーカー、TDKに転職。米国支社総支配人としてカセット世界一達成に貢献し、57年、同社の米ウォールストリート上場を支援した。その後、ジョンソン常務などを経て、平成8年(1996)カナダへ亘り、住宅製造販売会社の社長を勤め、25年7月に引退、帰国。現在、コンサルティング会社、EKKの特別顧問。

【私の論評】日本は特異な国だが、その特異さが本当に世界の人々に認められ理解されたとき世界は変る。いや、変わらざるをえない(゚д゚)!

上の記事、現在では、なかなか顧みられることがない内容であることと、結構短期間で削除されてしまうこともあるので、アーカイブという意味あいもこめて、全文引用させていただきました。そうして、皆さんに興味を持っていただけるように、写真なども付け加えさせていただきました。

今年は、私たちの歴である皇紀でいうと、2674年です。日本という国ができてから、2674年ということになるということです。浅はかな歴史学者などは、日本の歴史はそこまで定かではないといいますが、定かではないほど古い歴史があるということ自体が素晴らしいです。

2000年以上前は、歴史もはっきりしておらず、天照大御神(あまてらすおおみかみ)などの神話の世界です。そうして、この神話を非科学的などとかたずける輩は、愚か者にすぎません。

天岩戸神話の天照大神(春斎年昌画、明治20年(1887年))

上の記事にもあるように、仏作家マルローが語った言葉である、
21世紀は霊性の時代となろう。霊性の根源には神話があり、それは歴史の一面を物語っている。世界の神話が現代なお生きているのが日本であり、日本とは、それ自体、そのものの国で、他国の影響を吸収し切って、連綿たる一個の超越性である。霊性の根源に万世一系の天皇制がある。これは歴代天皇の連続性であるのみならず、日本文化の継続性の保証でもあるのに、戦後日本はそのことを忘却してしまった。しかし、霊性の時代が、今や忘却の渕から日本の真髄を取り戻すことを要請している。また文化は水平的に見るのではなく、垂直的に見るべきだ。
スイスの心理学者グスタフ・ユングが語った言葉である、
キリスト教中心の西洋文明の終末は20世紀末から21世紀初頭にかけて到来する。そして次の文明は、一神教や独裁専制ではなく、霊性の支配する時代となるであろう。
は、特に現代の日本人は、良く噛みしめてみる必要があります。このようなことは、少し前までの日本人なら誰もが知っていて、このこと自体に心の安らぎととともに、誇りに思っていたものでした。

その頃の日本人は、今の日本人のように、日本が崩壊するとか、財政破綻してとんでもないことになるとか、そのようなことは思ってはいなかったでしょう。このような伝統と格式、歴史の古い国がそう簡単に崩壊することなどあり得ないと思ったことでしょう。

しかし、このようなことは、今の日本人はほとんど忘れています。というより、戦後こうした日本の良さ、素晴らしさをほとんど教育されなくなってしまいました。しかし、日本のこうした神話や、格式と伝統は、宗教の世界などは超越しており、生活の隅々まで行き届いており、戦後の教育によって、このことが教えられなくても、日本人として生まれ、日本人の伝統を受け継いだ日本人にとっては、潜在意識の中に埋め込まれて、今も息づいています。

現代風に描かれた天照大神

だからこそ、伊勢神宮に1500万人もの人々が参拝をするなどという、とてつもないことが起こったりするのです。世界のどのような施設でも、これだけ多くの国民が訪れるものはないと思います。先日観た、ホワイト・ハウスダウンという映画では、女の子が、年間でホワイト・ハウスを訪れる人々は、150万人と言っていたのを思いだします。

マルローや、ユングが語ったように、おそらくこれからの時代は、霊性が支配するようになると思います。

他国の影響を吸収しきってというという考えかたは、日本の神道では、八百万の神といって、昔から他者の神や文化を全部受け入れ、その上で、連綿たる一個超越性を保っているという点にも示されているように、素晴らしい考え方です。

宗教が、教条的になると、酷く残虐になる場合もあります。魔女狩り、宗教戦争、十字軍、現代のイスラム原理主義の行き過ぎによる、過ちなどの悲惨な事例は、枚挙に暇がありません。しかし、日本の場合は、宗教以前に他の国では、消え去ったアニミズムや、シャーマニズムを昇華させ神道による霊性の支配の次元にまで高めてしまったため、そのようなことはありません。

それにしても、最近の日本ではこうした霊性であるとか、神話の世界が忘れさられているのが残念です。昨日は、「ゲド戦記」というアニメ映画がテレビで放映されていましたが、あれも、いわば神話の世界ですが、すべてが現在の創造の産物です。しかし、日本には、もともと伝承されてきた神話の世界があり、それが昔は教育されたり、さまざまに伝承されていたのですが、現在ではそれがあまりされなくなりました。

日本の国のできたころの、神話の世界など、本当に面白いです。このような古くから伝承されてきた、神話などを題材にアニメなどをつくれば、本当に面白いものが出来上がると思います。たとえば、手塚治虫氏による「火の鳥」などはそれに近いものがありました。

日本神話は、本当に面白く、それを知るだけでも、楽しいです。日本神話は、さまざまなものがありますが、概要は以下のURLをご覧になって下さい。
日本神話
世界各地には、いわゆる建国の話が残っています。そうして、建国の歴史といえば、比較的新しいものがほとんどで、そのため建国したのは誰ということがはっきりわかっていて、歴史上に残されています。しかし、日本の場合は、日本という一つのまとまりができたことを示す、建国の歴史はあまりにも古いにので、残っておらず無論、誰が建国したかということははっきりしません。そのかわり、神話という形で残っています。こんな国は他にないです。

こんな素晴らしいことを戦後の日本人は、教育もされず、忘却してしまいました。そうして、こうした特異な歴史を持っているからこそ、出版された頃には、アメリカの長期国家戦略ともいわれた、サミエル・ハンティントンの「文明の衝突」にも、日本は東アジア文明の一角に含まれるのではなく、日本独自の日本文明としたのだと思います。これについては、以前このブログにも掲載したことがあるので、そのURLを以下に掲載します。
さよならニッポン、新時代の国際人としての心構え―【私の論評】こんにちは、日本と日本人、さよならニッポン、ニッポン人、古から続く国際人としての心構え!!

この記事では、国際人になるということは、日本を捨てることであるかのようなことを述べた愚かな論評に対して、そうではないことを主張したものですが、その中にサミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」のことも掲載しています。

霊性が今でも息づき、古い歴史と文化と格式が受け継がれた日本と日本人は、それだけでも、世界ではユニークな存在です。これを忘れた日本人は、たとえ国際的に活躍したとしても、似非国際人に過ぎません。なぜなら、日本という特異な国の素晴らしい文化を無視しているからです。

サミュエル・ハンチントンは、日本の文明を日本固有の文明であるとしています。そうして、日本文明は日本という一つの国で成り立っているという世界で稀有な存在です。まともな、国際人であれば、マルローのように日本の特異性と将来性について関心を抱くに違いありません。

上の上田和男氏の記事にもあるように、マルローや、ユングの思想は、カネ・モノに執着する物質依存世界から、人間の理性と精神世界を重視する義と捉えるならば、超大国アメリカや金と軍事力で餓鬼道に陥った中国を痛烈に批判・否定しているように思えます。

それに比して、多神教日本は、古来、山や川に霊性を感じ、自然を畏れ、神を尊ぶ心を抱いてきたわけで、その代表が伊勢の森だったといえるのであり、日本のあり方が本当に世界の人々に認められ理解されたとき世界は変るかもしれません。

マルローや、ユングは、世界は霊性の時代に入ると予測しているわけですが、その霊性を2000年以上にわたって、守りつづけ継承し続けて来た国が日本なのです。まさに、奇跡の国日本です。こうした日本のあり方が、いずれ、世界にも大きな影響を与えることになると、マルローは予言しているのです。

そうして、ユングは、日本がそうなるとは語ってはいませんが、霊性の世界を夢観ていたことには変らず、もしユングが知日派であれば、日本の精神世界が世界に影響を与えることになるだろうと予言したと思います。

このような日本の特異性は、まだまだ、世界には認められてはいません。しかし、上の上田氏の記事にもあるように、日本の天皇陛下は、国際儀礼で“世界最上級身分”とされています。これは、無論のこと、日本がこのような独自の文化と伝統と格式を長い期間にわたって、維持させてきたことを認めているからにほかなりません。

天皇陛下の世界最上身分については、このブログでも以前紹介したことがあります。その記事のURLを以下に掲載します。
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紀元二千六百年記念観兵式での昭和天皇陛下。愛馬の白雪に
跨った陛下は、東京代々木練兵場に集結した将兵に勅語を賜った。

まだまだ、その内容の詳細までは、多くの日本人が忘れているくらいですから、すぐにではなくても、いずれ混迷する世界にも伝わっていくものと思います。

上田氏の記事の中にも掲載されていたように、「バブルが弾けた後、日本経済が低迷を続けているところに、民主党の稚拙な内政がさらなる国力低下を招き、鳩山由紀夫元首相の“ルーピー外交”が日米関係を弱化させ、イラ菅こと菅直人元首相の“屈辱外交”に乗じた中韓の反日攻勢を許してしまい、(注:ブログ管理人追加→さらには、未曾有の大震災に見舞われ)つい1年少し前まで、日本は金縛り状態」であったにも関わらず、日本の国体が維持できたのは、こうした日本の霊性を維持し続けるという特異性にもとづく日本の独自の強さによるもの以外にはありません。日本以外の国であれば、崩壊していたかもしれません。

このように、神話が現代なお生きているのが日本であり、日本それ自体が、神話そのものの国で、他国の影響を吸収し切って、連綿たる一個の超越性を保つ国が日本であり、霊性の根源に万世一系の天皇制がある国が日本なのです。

そうして、日本では、過去が現在に現在が未来につながっているのです。そうなのです。霊的に時間を超越してつながっているのです。私たちの霊は、この悠久の流れにつながっているのです。

京都府神道青年会が主催したバスツアー「神主さんと行く 
伊勢参宮」。女子大生107人が応募に殺到したといわれます。

私たち日本人は、このような国日本に誇りを持ち、自信を持ち、世界に日本の素晴らしさを伝えていくべきです。日本のやり方が、世界伝わりそれが理解されれば、世界は変わります。

あのどうしようもない、民主党政権など、歴史の悠久の流れの中に咲いた一時の徒花に過ぎなかったことが明らかになりました。1,000年に一度の震災も、ほんの一時のことに過ぎません。このようなな災厄からも日本は再び力強くたちあがることでしょう。朝廷をはじめとする私たち日本人の伝統文化は、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増すことでしょう。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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