2008年10月2日木曜日

「80後」の苦学女子学生 大学進学までの人生は苦難連続-教育機会の平等のない国?!

現代中国の大学生。数が増えて粗悪になった。一昔前の大学生なら、長野で中国国旗をあげて暴れまわるようなばか者はいなかっただろう。というより、できなかっただろう。

「80後」の苦学女子学生 大学進学までの人生は苦難連続(この内容をご存知の方は、この項は読み飛ばしてください)
 トチャ(土家)族の大学生・譚之平さん(25歳)は家庭の事情により、世間一般の同世代の女の子よりも遥かに苦労をしてきている。中学校卒業時に母親の死に遭い、家業である農業を手伝うために、進学をあきらめざるを得なかった。出稼ぎ労働者としてスタートした彼女は、小さな店の経営者となり、重病の義母と父親の世話をしながら、復学を果たした苦学生だ。湖北職業技術学院に在籍する、この「80後(1980年代生まれ)」の女子大学生は、こんな人生の苦難を経ても、いたって楽観でさばさばしている。家族に対する感謝と思いやりの気持ちを忘れず、また苦労してきた自分の経験から、他人への奉仕心にあふれている。彼女の主導のもと、湖北職業技術学院福祉活動協会に入会している学生約5千人は、福祉施設などの高齢者および病人に対するボランティアを行っている。中国青年報が伝えた。

 譚さんは16歳のとき、重点高校の入学通知書を受け取るも、涙を飲んで諦め、山奥で農業従事者となった。19歳のとき、出稼ぎ労働者として勤勉に働いた後、武漢で小さなスーパーマーケットを開く経営者となった。そして、22歳のとき、大学進学という彼女の夢を、再び追いかけることになった。

 同じ「80後」の同級生は、「彼女の苦難に満ちた人生はまるで一つの大学のようだ」と称している。

 湖北職業技術学院2年生になる譚之平さん。今年の8月、彼女は、教育部から「全国・向上心旺盛な優秀大学生」の称号を授与された。


 1999年9月1日、湖北省長陽トチャ族自治県第一高校で、入学式が行われた。資丘鎮峡口村に住む16歳のトチャ族の譚之平さんは、このあたりで最もよいとされる、この重点高校の入学通知書を受け取っていたが、入学をあきらめるしかなかった。

 家庭の事情は、彼女はどうすることも出来なかった。精神病を患い、物を壊し、人を殴るなどの行動に出る母親の治療のために、一家の経済状況は切迫していた。父親は重篤なリューマチで、11歳の妹はまだ小学生だ。そして高校受験の前に、家の一部が崩れた。

 譚之平さんの父親がどれだけ進学を勧めても、頑として受け入れず、勉学を捨て、家業を助けるために農業に従事する道を選んだ。家計のために、彼女は畑に野菜などのお金になる作物を植え、4匹の豚を飼った。毎日、山で50キロ以上になる豚用の草を刈り家まで運び、洗濯、食事支度、妹の送り迎えなど、一時も休むことは無かった。

 2000年9月9日、自らの病気に苦しんだ母親の死体が、家から遠く離れた池で見つかった。母親を失った悲しみは深かったが、彼女は日記の中にこう記している。「苦難は人生において一つの鍵だと思おう。一つの扉が閉まったら、もう一つの扉が開くはず」と。

 譚之平さんはその後間もなく、知り合いの紹介で、長陽県にある国道318号線沿いの私営雑貨店で働くこととなった。月給350元、18歳の彼女は出稼ぎ労働者となった。

 出稼ぎ労働者として働いていた期間、彼女は常に一番に起床し、最後に就寝していた。店の仕事以外の、食事の用意、豚の世話といったことも、積極的に行った。彼女の雇い主は彼女を高く評価し、店のこと一切を任せるようになった。

 2002年春節、彼女は、自分が経営者として創業することを決心した。

 その年2月、貯めたお金や借りたお金を合わせた計2万5千元を手に、譚之平さんとその父親は武漢にやってきた。その後、10日余りしてから、駅の近くに、小さな無名のスーパーマーケットが開店した。

 安値で入荷し、自分で荷を運び、朝早くから夜遅くまで店を開ける…。

 程なくして、譚之平さん1人を残し、父親の譚徳柱さんは故郷に帰ることになった。住み慣れないこの大都市で、19歳の譚之平さんの女社長としての人生が始まった。

 細かなところにまでよく行き届き、口が上手く、薄利多売と、この小さなスーパーマーケットは評判になった。2004年末、賃貸していた店舗が取り壊しとなり撤退を余儀なくされたとき、すでに十数万元もの蓄えがあった。家計も好転し、2階建ての家を建てた。譚之平さんの妹も、そのお陰で中学を無事卒業し、技術を学ぶようになった。

 2005年、譚之平さんは従来の店を撤退し、新たに別の場所で店を構えたが、思うように軌道に乗らなかった。

 22歳になった譚之平さんは、また人生の分かれ目に立たされることになった。

 「貯めたお金を持って帰り、他の同年齢の女の子と同じように、誰かに嫁ごうか?」「他の商売を探そうか?」悩む譚之平さんの心の中にずっと潜んでいた大学進学への夢が、一瞬、よみがえった。

 友人の紹介で、2005年9月1日、譚之平さんは湖北職院に入学することになり、医学分院助産2班の中等専門学校生となった。

 譚之平さんが入学後間もなく、父親から電話があり、よい再婚相手が見つかったという報せを受けた。心の中で父親の幸せを祝福しながら、乳腺ガンを患う継母とリューマチの父親のために、医薬品や栄養剤を買い求めた。

 2006年夏休み、譚之平さんは学校の附近に、父親と継母が住める部屋を賃貸し、2人を引き取り、あちこちの病院を回り治療を求めた。経済的な負担を軽減するため、彼女の先生や同級生のサポートもあって、学校附近に学生用のレストランを開くことになった。

 毎日午前3時過ぎには、譚之平さんは自転車に乗って郊外の市場に行き、野菜を仕入れ、レストランの準備を終えた後、学校に戻り、授業を受けるのだった。

 2006年末、譚之平さんは湖北職院の臨床医学科の全日制大学生としての入試に合格した。合格通知を受け取ったとき、譚之平さんは喜びのあまり涙が出てきたという。

 譚之平さんの経歴は、全校でも知れ渡る話となった。2007年10月、彼女が発起人となって成立した湖北職院福祉活動協会のメンバーは、週末や祭日になると、福祉施設やリハビリセンターに赴き、高齢者や病人の髪や足を洗う、話し相手になるなど活動を行っている。今のところ湖北職院福祉活動協会の登録メンバーは5213人に達しており、その業務は、無償の家庭教師、農村部での技術教育、高齢者の世話、無償でのガイドなど10種の内容に及んでいる。

 譚之平さんは、人生の困難に遭ったとき、多くの人が彼女を助けてくれた。と述べている。今、彼女は感謝の気持ちを持って、助けが必要な人たちの手助けをしたいそうだ。
「人民網日本語版」 2008年09月22日

教育機会の平等のない国?!
この話、美談です。しかし、この美だの裏にある真実を見失ってはならないと思います。先日の「神舟七号」の打ち上げの内容をこのブログに掲載し、一方では、このような宇宙開発や巨額の軍事費の計上を行い、他方ではまったく遅れた野蛮ともいえる統治を行い続けるアンバランスな中国には将来はないという内容を紹介しました。

この話でも、この人は自分の努力で何とかしましたが、いくら努力してもこの人のようには出来ない人も多く存在すると思います。かなり多くの悲惨な例の中のほんの一握りの成功例だと思います。それに、この人の例では学生になれたということだけで、その後の話はこれからです。現在中国では大卒の就職氷河時代が続いています。

高成長を続ける中国で、大学新卒生は就職氷河期に直面しています。大学生の定員増に伴い、03年夏から新卒者が「供給過剰」になったためです。 初任給は下がり、就職待ちで留学や大学院進学を選択する学生もいます。世界の工場として力をつける中国だが、数もの増えた大卒者の中には以前と比較すると粗悪な大卒者 も多く、彼らの望む仕事は、新卒者の急拡大ほどには増えていません。

現代中国は、教育、賃金、その他あまりにもアンバランスすぎです。同じ中国の中に、富裕中国と貧困ち中国が同居していて、富裕中国が貧困中国を搾取しているという構図が成り立ちます。都市部に富裕層が存在する一方地方には貧困層が存在していて、地方から都市に出てきて民工などとして安く使われるなどの構図はっきりしています。

この事例では、教育すらも機会は平等ではないということを如実に示す例だと思います。さらに悪いことには、大学生定員を増やし、粗悪な大学生をつくりだし、これを吸収する雇用も創設できなかったことです。これでは、大学に入れれば何とかなるという幻想を抱いていた中国人民の希望を打ち砕き、結局何をしても無駄で、都市部の富裕層に生まれたものだけが、富裕層になれるという階層の固定化を示すことにもなり、この状況を打開する政策をはっきりと打ち出さなければ中国人民の不満、鬱積はさらに高まり、いきつく先の最後の最後は、中国の分裂です。

■加藤嘉一さんの記事:中国の「80後(1980年代生まれの若者」世代-私の意見:80後をひと括りにして語るには無理がある!
日本国内では、上記の表題の(前部分)のような記事を良く見かけます。この記事に限らず、日本で公表される「80後」に関する記事などでは、80後をひと括りにして語っているため、非常に誤解しやすいと思います。なにしろ 80後は、中国国内で約2億人もいます。これは、日本の人口よりも多い数であり、これをひと括りにして論じること自体に無理があることと、論じたことも無 意味になってしまうおそれがあります。さらには、中国を等身大で見ることができなくなる恐れもあると思います。

■80後(1980年代生まれの若者)の分類を変更?―年収100万以下の貧困者が12億7000万人の現実をどう見るか?!
私たちは中国を等身大で見るべきだと思います。中国の現在のレベルは国民ひとりあたりのGDPが日本の1/10になるのに後20年かかりま す。富裕層が増えたなどマスコミがいいふらしていますが、年収が100万円を超えた人が、1000万人です。中国の人口は12億8000万人ですから、 12億7000万人の人は年収が100万円以下ということです。こんなことを言う私も、最近ちょっとした勘違いをしたことで、中国を等身大に見ていないと 反省しました。中国は未だ、オリンピックを開催したという大国とか、先進国などのイメージからはかけ離れている、発展途上国です。

■「バイリン・ホー(80後)」中心に20代、30代はネット恋愛に理解-80後世代は中国市場拡大の起爆剤になるか?
私のブログでは、「中国崩壊」などという物騒な内容の記事も掲載しています。しかし、崩壊といっても共産中国政府が崩壊するのであって、12 億8千万の民の生活があるわけで、市場が雲散霧消するわけではありません。私のブログでは80後(バイリン・ホー:1980年代生まれの若者を指す)のつ くる、中国の市場の可能性について掲載しました。

■中国新人類「80後(バーリン・ホー)」研究会発足-2億人も一緒に語ることはできない?
中国は現在オリンピックが開催されています。開催中や開催後をあてこんで、いろいろな企業が中国での展開を図ろうと模索しています。無論中国 では、テロや暴動の問題があります。私などは、オリンピック後10年程度で中国は分裂してしまうと予測しているくらいです。しかし、テロがあろうが、暴動 があろうが、国が分裂しようが、そこには民がいます。その人たちは、生きていかねばなりません。民の生活があるからには、モノも買う人がいるわけです。そ こに12億の民の市場が存在することは明らかです。ただし、中国で事業を展開するにあたっては、中国の特殊性も考えなければなりません。

■[ちゃいな.com]中国総局長・伊藤正「80後」は中国を変えるか―は正しくない。正確には「80後」の一部、それも少数派が中国を変える
最近中国でも「80後」に対する期待が高まっているようですが、残念ながら中国の社会科学の遅れからいまだ正しい分析をするにはいたっていな いようです。わたしは、社会学者ではないし大学で社会学を専門で学んだわけではないですが、この分野における中国の遅れは私でも認識することができます。 「80後」などと、一つの世代をひとくくりにして、物事を考えたり、分析したりすることは初歩的な誤りです。私は、「80後」をいくつかに分類して考える べきだと思いますし、実際私自身も分類してみました。この分類が役に立つのかどうかは、いまだなんともいえませんが、これを土台に付け加えたり、改良した りして将来の中国でのマーケティングなどに役立てたいと思います。

■「80後」(中国若者世代、80年代生まれの若者のこと)は、車を買うべきか?-世代をひとくくりにする愚かさ?

画一的な若者論ほどくだらないものはないと思います。それこそ、5000年前の遺跡の碑文にも、「最近の若いものは~」と書かれているそうで す。日本国内では、「新ニッポン人」という若者論で最近の若者は「車を買わなくなった」などとほざいています。お隣の中国では「80後」の車を買うこと自 体の是非をオンライン上で活発に論議しているそうです。

■自主的に救援活動を行う中国の若者たち-80後世代とひとつにくくるのは間近い?!
私は、中国の若者たちの自発的救援活動の様子をブログにある記事から引用して掲載しました。また、この記事では中国の若者を80後世代(18 歳から29歳、80年代以降に生まれた世代のこと)としてひとくくりにして述べていますが、私は以前から私のブログの中で中国の80後世代を三つの層に分 類しており、この観点から若者をひとくくりにして述べるのは間違いであるばかりではなく、混乱を招くという観点でこの分類に関しても掲載しました。

■中国携帯電話事情―80後世代分類ツールともなるか?
http://yutakarlson.blogspot.com/2008/05/80.html
80後世代、中国はもとより、台湾、日本でもいろいろ話題になっていますね。私のブログでは、この80後世代三つの分類しています。そうしないと、中国のこれからの方向性はなかなか掴みにくくなると考えています。

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんにちは。コメントさせていただきます。
日本でも、何の苦労もなく希望の大学へ進学できる若者は、恵まれている人達だといえないでしょうか。

山田 豊 さんのコメント...

aoyama様 コメント有難うございます。まあ、程度の問題だと思います。どこの国でも、完全に教育の平等があるというわけではありません。
日本も多かれ少なかれ、あると思います。ただし、中国の場合、年収が100万円以上を超えたのが、1000万人程度といわれています。ということは、12億7000万人の人々は、年収が100万以下ということです。
100万円といっても、物価など安いこともありますから、確かに日本の百万とは単純に比較できませんが、この人たちの師弟が、大学、それも私学に行くなどということは、日本の普通の感覚からすると相当厳しいものがあると思います。そういった意味では、日本のほうが、はるかに平等であると思います。
まあ、成績の悪い人たちはどこの世界でも、教育の機会に恵まれないのが当たり前ですが、成績優秀な人なら日本でなら何とかする道はあります。でも、中国では成績が優秀でも、貧困層に生まれついたらほとんど見込みがありません。厳しい現実です。

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