2020年6月5日金曜日

野党が追及する専門家会議の「議事録未作成」…基準定めたのは民主党政権 意見採用は政治家の役割―【私の論評】専門家の意見を採用する政治家は、本来の意味でのゼネラリスでなければならない(゚д゚)!

野党が追及する専門家会議の「議事録未作成」…基準定めたのは民主党政権 意見採用は政治家の役割だ 

高橋洋一 日本の解き方

立民蓮舫代表




















 新型コロナウイルスの政府専門家会議が議事録を作成していないと報じられた。

 まず、現状がどうなっているのかを見てみよう。新型コロナウイルス感染症対策本部と新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の開催状況、資料、議事概要は、官邸のウェブサイトで公表されている。対策本部は1月30日から5月25日まで36回開催され、専門家会議は2月16日から5月29日まで15回開催されている。

 議事概要について、対策本部は3月1日開催の第16回まで、専門家会議は3月9日開催の第6回までそれぞれ公表されている。なお、対策本部は新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき設置され、メンバーは首相を本部長として閣僚である。専門家会議は医学的な見地からの助言を行うために設置され、座長は脇田隆字・国立感染症研究所所長、副座長は尾身茂・独立行政法人地域医療機能推進機構理事長などとされ、必要に応じ、その他関係者を出席させるとされている。

 議事概要の公表が遅れていることについて、政府は、各会議の参加者の全員に確認してからでないと公開できないので時間がかかっていると説明している。

 筆者が現役の官僚の時には、秘密保持のために議事概要について手間がかかるやり方をしていた。委員のところに直接に出向き、議事概要のコピーを渡さずに、その場でチェックしてもらっていた。今はどのように行っているのか知らないが、コロナによる外出自粛もあったなかで、確認やチェックに時間がかかったのかもしれない。

 「議事録」と「議事概要」の差は、基本的には発言者を特定するかどうかである。専門家会議で議事録が作成されていないと報道されているが、正確にいえば、発言者が特定されない議事概要が作成されているが、その公表が昨今の事情で遅いということになる。

 ここで問題は、なぜ議事録ではなく議事概要なのかに絞られる。官房長官の記者会見によれば、専門家会議は政策の決定や了解に関わらないので発言者を特定しない議事概要にすることとし、初回会合で委員の了解を得たという。この手続きは、東日本大震災後の2011年4月1日に民主党政権で決定された「行政文書の管理に関するガイドライン」に定められたものだ。

 専門家会議は助言するにすぎないので、発言者が特定されない議事概要の作成とすることで問題はない。一部野党が攻めているようなマスコミ報道であるが、そのうち「ブーメラン」になりはしないか。専門家会議ではいろいろな意見が出ても、それらのうち何を採用するかは、政治家の対策本部の役割だ。

政府は批判を受けて、専門家の了解が得られれば、発言者を一部明示するなどの対応を含めて検討に入ったと報じられている。

 ただ、専門家会議での発言者を特定すると、新元号の制定時にあったように、マスコミの取材攻勢が特定の研究者の研究活動に迷惑になりうることもある。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】専門家の意見を採用する政治家は、本来の意味でのゼネラリスでなければならない(゚д゚)!
専門家とは、一体どのような人たちなのでしょう。簡単に言ってしまえば、特定の分野における専門知識を持つ人ということだと思います。
コロナ対策専門家会議

では、専門家と言われる人々の責任とは、どのようなものなのでしょうか。これについては、経営学の大家ドラッカー氏は次のように語っています。
素人は専門家を理解するために努力すべきであるとしたり、専門家はごく少数の専門家仲間と話ができれば十分であるなどとするのは、野卑な傲慢である。大学や研究所の内部においてさえ、残念ながら今日珍しくなくなっているそのような風潮は、彼ら専門家自身を無益な存在とし、彼らの知識を学識から卑しむべき衒学に貶めるものである。
ここでは、知識社会における組織に関してその専門家のあり方を論じてみたいと思います。ドラッカー氏は知識労働のための組織について、以下のように語っています
知識労働のための組織は、今後ますます専門家によって構成されることになる。彼ら専門家は、自らの専門領域については、組織内の誰よりも詳しくなければならない。(『ポスト資本主義社会』)
いまや先進国では、あらゆる組織が、専門家によって構成される知識組織です。

そのため昔と違って、ほとんどの上司が、自分の部下の仕事を知らないのが普通です。そもそも今日の上司には、部下と同じ仕事をした経験がないのです。彼らが若かった頃には、なかったような仕事ばかりです。したがって彼らのうち、部下たる専門家の貢献を評価できるだけの知識を持つ者もいません。

いかなる知識といえども、他の知識よりも上位にあるということはありません。知識の位置づけは、それぞれの知識に特有の優位性ではなく、共通の任務に対する貢献度によって規定されます。


このようにして、現代の組織は、知識の専門家によるフラットな組織です。じつにそれは、同等の者、同僚、僚友による組織なのです。

そしてそのフラットな組織において、彼らの全員が、まさに日常の仕事として、生産手段としての自らの頭脳を用い、組織の命運にかかわる判断と決定を連日行なうのです。

つまり、全員が責任ある意思決定者なのです。

 もっともドラッカーは、自分よりも詳しい者が同じ組織にいるようでは、専門家とはいえないと言います。
現代の組織は、ボスと部下の組織ではない。僚友によるチームである。(『ポスト資本主義社会』)
専門家会議に出ている人たちも、そのような専門家なのです。そうして、知識そのものに関しては、知識自体が重要なのであって、その知識を誰が生み出しのか、ということ自体は重要ではありません。さらに、専門家の知識自体は、他の人はその全貌を理解することはできません。

理解できるなら、そもそも専門家など必要ありません。だからこそ、複数の専門家で話し合い、これが現状では最適であろうということが官邸などの政治家がわかれば、それで良いということになります。

であれば、議事録などなくても、概要があれば良いということになります。


一方官邸の政治家や、他の政治家は、専門家ではないですが、ゼネラリストであることが求めらます。ゼネラリストというと、なんでもできる人と言うイメージがありますが、現代の知識社会においては、それはゼネラリスではなく、何もできない人のことです。

ドラッカー氏によると、ゼネラリストとは「自らの知識を知識の全領域に正しく位置づけられる人」ことであり、そのような人は、ほとんどいないとしています。そういうことができる人か、いずれトップマネジメントになるのです。政治家も本来はそうでなければなりません。

だからこそ、知識社会で働く人々が、自らの仕事の成果を生かしてもらうには、「ほかの人のニーズや方向、限界や認識を知らなければならない」としています。

ドラッカー氏は、「変化はコントロールできない。できるのはその先頭に立つ事だけである」と言っていますが、昨日の専門家(スペシャリスト)は、現代の経営環境では、今日は「無能の人」となるリスクを秘めています。ましてや組織のリーダーにならなければならない人やトップマネジメントは、変化を先回りするぐらいのスピード感が必要としています。

それには、真のゼネラリスト育成に踏み出す努力が欠かせません。専門のない「何でも屋」でなく、「統合力」においてスペシャリティを持ち、スペシャリストを使いこなせるだけの「知識の幅」「論理性」「クリティカル・シンキング」「交渉力」を持った人材の育成には確かに時間が掛か借ります。しかしそれは無意識に、個々の努力に期待していても、偶然を除いてできないことです。意識的な試みは避けて通れないのです。

このようなことを考えると、専門家の意見を採用する政治家は本来の意味でのゼネラリスでなければならず、「議事録がー」と頓珍漢で素っ頓狂な主張をする野党政治家などは、まずはゼルラリストとしての素養を身につけるべきです。

そうして、ゼネラリスになるにしても、政治家もある程度自分の専門分野を持つことが必要です。そのようなことをせずに、国会ではとにかく倒閣のことばかり考え、目先のことで倒閣の材料を探すことばかりに集中したためでしょうが、日本の野党は、日に日に衰弱するばかりです。

野党の存在は、政治の世界には、不可欠なはずです。しかし、今のままでは、無意味な存在になるだけです。そうして、無能な野党に胡座をかくような与党であっては、与党も野党と同じような運命を辿ってしまいます。

与党の政治家も、真の意味でのゼネラリストの素養を身につけるべきです。

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