戦後の学生運動の象徴だった全学連(全日本学生自治会総連合)に所属する東京大学教養学部学生自治会が、全学連と都学連(東京都学生自治会連合)から脱退することを代議員大会で決定した。同自治会は理由について「日本共産党による全学連と都学連を通じた不当な支配から脱却するため」としている。同自治会は全学連の中核的存在。関係者は「全学連にとって存続に関わる問題で共産党勢力の凋落(ちょうらく)を裏付ける動き」と指摘している。 全学連は現在、5つの党派が独自に名乗っているが、同自治会が所属していたのは最大組織とされる共産・・・・・・・・・・・・
この記事の続きはは、以下のURLをご覧ください。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120617/edc12061722550001-n1.htm
【私の論評】誠に慶賀に堪えない、素晴らしきこと哉!!
この流れ、当然といえば、当然であり、未だに東京大学の自治会が、共産党の傘下にあったこと自体が驚きです。もう、学生運動など絶えて久しく、その系譜である、組織が生きながらえていること自体が不思議です。だから、本日のタイトルは、旧文語調にしてみました(笑)。同じ内容の別の記事が、Yahooにも掲載されており、それに関しては、詳細は、以下のサイトをご覧ください。
東大自治会が全学連脱退 元信奉者・中国人学生主導
以下に要約のみ掲載させていただきます。
かつての東大学生運動の中心的存在だった教養学部学生自治会が全学連から脱退した。運動が下火になった後も40年以上続いた「共産党支配」に終止符を打ったのは、皮肉にも党に心酔して一時は党の“手先”となった中国人学生だった。
「彼ら(共産党幹部)は学生自治会を自分たちの従属物としか思っていない。それが許せなかった」
こう憤る教養学部3年で同自治会前委員長の何●(かろく)さん(20)は、全学連脱退を主導した仕掛け人だが、実は高校時代から共産党の機関紙を愛読していた共産党信奉者だった。
何さんは山口県で育ったが、中国籍のため党員にはなれなかったものの、入学直後から党活動に加え、同自治会の活動にも積極的に参加し、平成22年12月に委員長に就任した。
しかし、翌年の12月には党と決別。党の狡猾(こうかつ)な手口による学生自治会支配に嫌気がさしたからだった。
何さんによると、手口の基本は、執行部内の党員に党の方針を指示し、ほかの執行部員の賛同が得られるよう主張させることだという。そのために行うのが、党員を正副委員長に就任させるという工作だ。
党の支部会議で次期正副委員長候補を勝手に決定。現職委員長に指示して、この候補に活動方針の提案など、役割を多く与え、存在感を高めて自然と委員長に選ばれるように画策する。
以下に全学連の五つのサイトのURLを掲載します。五つもあるということが驚きです。
外部リンク
- 全日本学生自治会総連合(民青系)
- 全日本学生自治会総連合(中核派系)
- 全日本学生自治会総連合(革マル派系)
- 全日本学生自治会総連合(革労協現代社派系)
- 国立国会図書館 憲政資料室 中村光男氏旧蔵反戦学生同盟関係資料
過去の学生運動では大学占拠したり火炎瓶投げたりしていましたから犯罪です。ただ参加者多く全員裁くのは時間と労力かかる上、大半は付和雷同者なので首謀者と悪質な者だけ裁判にかけ他は拘束、取り調べ後注意して釈放しました。今同じようなことをすれば、人数に関係なく逮捕され処罰の対象となることでしょう。私か大学に入学したころといっても随分前ですが、それでも学生運動もほとんどなく、それらしきものをみたのは、学生生活の中でも、一度のみで、革マル派の連中が、たった、10数人で、隊列を組んで、行進していたのを見ただけです。
学生の頃、母校の北海道大学の構内を歩いていると、その隊列が前から近づいてくるのが、見えました。随分近づいてきてから、その隊列の一番先頭の一人がいきなり、前に小走りででてきて、私の直前で、くるりと踵をかえして、何をするのかと、注目していたら、いきなり、カメラを取り出し、隊列の写真撮影をしはじめました。撮影が終ると、また、隊列の先頭にもどり、行進を続けました。
とは、いいなが、そのデモを見ている人は、誰もいなく、私自身たまたま自分のすぐ前に隊列があったので、何事なのかくらいの感覚で見ていただけです。
ちなみに、私のすぐ横に女子学生の数人がいて、ヘルメット姿の集団がなんなのか、理解できず、隊列がまだ遠くにあったときに、一人の女の子が、隊列を指先し「何あれ? ばっかみたいー」と言っているのが聞こえてきました。
東大女子学生 |
これに関して、あの経営学の大家ドラッカーはいずれかの著書で、全世界的な学生運動の盛り上がりは、結局その世代の層の人口がかつてないほど、増加したためだけと看破していました。それこそ、戦前から、このような擾乱どころか、もっと酷くで過激なねものをみてきたドラッカーだからこそ、このようなことが言えるのだと思います。私なんぞが言い出したあかつきには、その正当性などなかなか納得させられないと思います。だからこそ、ここに、ドラッカーの言葉を掲載しました。私もそう思います。その程度のものが、いままで、温存されてきたこと自体が驚きです。
その当時、学生運動をしていた人間は、もうすでに、60歳を超す団塊の世代です。いくから、数が多いからといって、この世代の一部の人間の価値観がいつまでも、生き続けられるわけがありません。私は、この世代の人たちのいうことは、全く学生運動にかかわっていなかったとか、当時右翼であったとか、最低限右派というなら聞きますが、それ以外の人の言うことは、まずは疑ってかかるようにしています。新左翼などは、当時「30歳以上の大人を信用するな」をキャッチフレーズとしていましたが、そのようなもので、まずは、ほとんど信用しません。そうして、こうしておくことにより、正しい判断ができました。当然のこととして、新左翼の巣窟民主党のいうことなど、はなから全く信用していませんでした。正しい判断だったと思います。
それに、この学生運動が最高潮達していた頃の日本は、今とは、比較できないほど異なる時代いであり、その時代に今にも共産主義革命が始まるなど考えることは、今から考えると、非常奇異なことでした。それに関しては、以前このブログにも掲載したことがありますので、以下にそれをコピペしておきます。
1991年に旧ソビエトが崩壊する少し前に、当時のソビエトである経済学者が論文を発表しました。その内容の冒頭の要旨だけあげておきます。
「我々の共産主義は、結局失敗した。我々の共産主義は、現状のソビエトのような体制をつくりあげることを目指したわけではない。我々の理想は結局実現されなかったが、世界の中には理想を実現した国もあるはずだ。私は、その国をいろいろ探し求めてみた。そうして、とうとう、ある国が我々が目指した理想の共産主義に近いものを実現していることを発見した」。
では、この学者の言う、理想の共産主義を実現した国とは一体どの国でしょうか?なんと、それは、「日本」です。このようなことを掲載すると、多くの方が、日本が共産主義なんてそんな馬鹿なと思われるかもしれません。しかし、日本は、特に、いわゆる、金融ビッグバンが行われる前の日本は、まさに、共産主義と呼んでよいような社会でした。
ちなみに、金融ビッグバンとは、1996(平成8)年11月に第2次橋本内閣が提唱した、金融制度改革のことをいいます。英国のビッグバンと区別する意味で、日本版ビッグバンとも呼ばれています。金融ビッグバンは、2001(平成13)年には東京市場をニューヨークやロンドンのような国際市場にする、ということを目的に行われた改革です。
かつてソ連のゴルバチョフ大統領が"日本は世界で一番成功した社会主義国だ"と発言しました。確かに日本は表向きは従来から資本主義国家であり、冷戦下では、自由主義陣営に属していましたが、社会の体制は、社会主義的もしくは、共産主義といっても良いくらいのものでした。
たしかに、今から振り返れば、1990年代の初頭までは、日本は、共産主義国家と呼んでもさしつかえないほどの体制でした。税金の累進性は欧米より強く高額所得者は税金をたくさんとられます。貧困層は福祉や公的補助、医療制度など優遇され高額所得者から巻き上げた税金が還元されます。サラリーマンは年功序列で能力で関係なく昇給しました。当時は、経済格差は‘悪‘と公言する政治家までいました。そのため、当時の日本は、所得格差もかなり少なく、実質上世界一といっても良いくらいの平等な社会を実現していました。
ゴルバチョフ氏
この時代には、多数の人が、自分は経済的にも社会的にも真ん中くらいに位置しているという意識が強く、「一億総中流」などという言葉もあったくらいです。現在とは、かなり異なると思います。こんな時代に、革命を信じて、学生運動をするなど、今の時代のように情報が豊富ではなかったとはいえ、ドラッカーなどからみれば「数の論理」としか、見られなかったのは当然のことです。
多くの人間が主張すれば、正しくないことでも、正しいと信じこむ、思い込むことの典型例だと思います。ただし、今の私たちも、この時代の若者の愚行を笑ってばかりいられません。ごく最近であれば、マスコミが目一杯日々、報道したり、おかしげな人が、トンデモ理論を日々叫びまくると、「デフレの最中における、増税は、百害あって一利なし」ということは、明々白々なのに、「増税やむなし」と思ってしまう人も大勢います。
消費税を復興税とする企みは、失敗した |
いずれにせよ、どの時代でも、多くのマインドコントロールや、誘惑などがあるのが、当たり前です。つい最近では、オウム真理教の逃走犯である、菊池が逮捕されました。何かの信条を持つとか、思想を持つあるいは、自分にとって重要だと思うことを判断するというのなら、他者にコントロールされることなく、自分で情報を集め、とことん自分で考えてからにすべきです。これは、いつの時代にも変わらない真実だと思います。しかしながら、そうはいっても、今回の出来事「誠に慶賀に堪えない、素晴らしきこと哉!!」です。
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