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2015年9月18日金曜日

【堀江貴文氏ブログより】私がSEALDsをdisる理由―【私の論評】ホリエモンも瀬戸内寂聴も見えない、安保の当たり前のど真ん中(゚д゚)!

【堀江貴文氏ブログより】私がSEALDsをdisる理由



Newspicksのコメントでも書きましたが改めて。

なんで私がこれだけ彼らの行動をしつこくdisるのか。それはこういう小さい動きから国全体が間違った方向に導かれる事が多いからだ。

幾つか論点があって、一つは今回の安全保障法案は戦争法案ではないし、徴兵制に向かうものでもない。積極的に戦争を仕掛けようというものではない。特にアメリカという同盟国に依存してきた人命を伴う安全保障にかかわる任務を日本も分担するという事。つまりアメリカ人が死ぬのか日本人が死ぬのかって話で、それってアメリカ人だったらいいの?そうじゃなくて応分の分担は必要だよねって事だ。それを戦争法案っていうのは幾ら何でも言い過ぎだ。

確かに法案成立のプロセスは強引だ。しかし、いまデモに来てる人たちを100%納得させるためには憲法改正が必要になるが、その時の反発はこのレベルでは済まないだろう。だからこれまでやってきた通り、憲法を都合よく解釈する事で成立させようとしているだけだ。反対派の論理で言えば自衛隊だって違憲になる。極端な意見だ。

そして、デモに参加してる人たちの多くは法案を理解せず、本気で戦争になると思って参加してる雰囲気に流される人達だ。こういう人は、得てして例えば戦争になったら戦争を煽る方向に行ったりする。戦争中は朝日新聞だって戦争を礼賛していたよね。論理的に間違っている事を盲信して、雰囲気に流されて体が動いてしまう人は私は危険だと思う。だからしつこく否定する。

【私の論評】ホリエモンも瀬戸内寂聴も見えない、安保の当たり前のど真ん中(゚д゚)!

堀江貴文氏といえば、特に説明の必要もないくらい、多くの人が知っている人だし、ネットを検索すれば、彼にまつわる様々な情報が掲載されているので、ここでほとんど説明はしません。

堀江氏の安全保障に関する考え方には何度か聴いたことがありますが、その度に、全く賛同することはできませんでした。

それが、頂点に達したのは、瀬戸内寂聴さんとの対談本の内容でした。それも、そんなに前のことではありません。昨年のことです。

その対談本のタイトルは『死ぬってどういうことですか』というものです。この書籍から、寂聴さんと、堀江さんの安保に関する考え方は、両極端ではありますが、どちらも正しいものとは考えられませんでした。以下にその対談本の表紙の写真を掲載します。


この対談では、「戦争、するの?ないの?」と題された章では、2人の考え方がすれ違っていました。堀江氏の「戦争になれば逃げる」発言に、瀬戸内氏が激怒していました。

この対談本の中で、1922年(大正11年)生まれの御歳92歳の寂聴は今の状況に相当な危機感を抱いているようでした。東京女子大学に入学して1年後に真珠湾攻撃が起きました。そのころから「だんだんとものが言えなくなってきた」といいます。そして自身の経験から「なんか、今の時代の空気が戦前と同じ臭いなんですよ。本当に似ているんだもの。具体的には例えば特定秘密保護法なんて、あれは前の戦争のときとおんなじ感じですよね」と語り、"戦争を知らない世代"に釘を指しました。

「もうかわいそうでほんとに涙が出て止まらなかったですよ。同い年ぐらいの優秀な男の子たちがほとんど殺されてるでしょ。ほんとにそれはもう考えられないくらい恐ろしいことですよ。今の若い人は、日頃ちゃらちゃらしてるのはまあいいとして、戦争のニオイにだけはいつも敏感になっていなければいけませんよ。気がついたときには船に、飛行機に乗せられているんだから。ずっとそういう歴史だったじゃないの。庶民がやられる歴史だったじゃない」

そして「安倍総理は戦争がしたいんでしょ?」「だって安倍さんが言ってること、してること見たら、いかにも戦争をこれからしよう! って感じじゃないですか?」と、安倍首相を徹底的に批判していました。

ホリエモンは、この寂聴の危機感たっぷりの発言に"日本は戦争なんてしない"と冷たく言い放っていました。

「いやいや。それは言いすぎじゃないですか? (安倍首相は戦争を)別にしたくはないでしょ」

その理由はコストに見合わないからだという説明をしました。

「戦争が起こると対中貿易とかって完全にしぼんじゃうんで、そりゃあ絶対にないですよ。経済的結びつきが強すぎるんで」

寂聴が「なんで? だって今のまんまで行ったら、戦争よ。安倍さんだったら徴兵制敷きそう」とくいさがっても、堀江は「いやあ、ないでしょ。それはないでしょ。そもそも人なんていらないですもん。人は高いんですよ。日本人って高いんで、コストが」と一蹴しました。

堀江氏からすれば、戦争は「完全に経済の問題」であり、近代化を成し遂げた社会では「コスト」に見合わないから必然的に回避されるということです。もっぱら人間は経済的効率性を最優先にするものであり、ゆえに明らかに"損"が予想される行動をとるはずがない、という理屈です。

寂聴から「そのコストを計算できない人たちじゃないの? あの人たちは」とつっこまれても、「いや、コストで動きますよ。彼らができないんじゃなくて、経済的にそういうふうな状況になっていくんですよね」と自説を曲げませんでした。

その上て、堀江氏はこんな発言もしていました。
「僕は、(中略)戦争が起こったら、真っ先に逃げますよ。当たり前ですよ」

これに驚いた寂聴は「どこに逃げられる? 逃げる場所がある?」と聞きますが、堀江氏は「逃げる場所あるでしょ。第三国に逃げればいいじゃないですか」と、淡々と返えしました。

そして、寂聴から「行かれない人はどうするのよ」と突っ込まれると、ホリエモンは冷徹にこう語りました。

「行かれない人はしょうがないんじゃないですか?」
もともとホリエモンは究極的には、人間はすべて経済合理性に従うと考えています。彼にとっての関心事はグローバル化する世界の中で企業や個人がどんな経済活動をしていくか、その一点だけだけのようです。国家などは全く価値がないばかりか、それを阻害する邪魔な存在でしかないようです。

ホリエモンが見誤っていることもります。それは、ホリエモンが「しょうがない」「知らない」と切り捨てた弱者こそが熱狂するナショナリズムの発火点になっていることです。

「それはグローバル化に対するアンチなんですね。グローバル化によって貧しくなる人たちが抵抗してるにすぎないんで。そういうネトウヨ的な人たちもそうなんですけど、日本人であることだけが彼らのプライドの源泉なんですよね。だから『もう鎖国をしろ』とか『戦争しろ』とか言うのは、その人たちですよね」


ホリエモンには、「そんな連中はとるにたらない」「影響力をもてるわけがない」という意識が見え隠れします。しかし、世界を見渡せば、そのグローバル化に取り残された人々がナショナリズムや民族主義に熱狂し、紛争の火種になっています。そして、中国でもそういう事態にエスカレートしないという保証はありません。日本のすぐ隣にそういう国があるということが、日本にとってかなりの脅威です。

寂聴は、ホリエモンの姿勢に苛立ち、最後はキレ気味になって、こう叫んでいました。

「もう私は本当に死にたいの、つまらないから。つまらない。くだらない。ひどい。私は堀江さんと違って、戦争が起こると思ってるからね。もう見たくないと思う。あれを二度と見たくないの。でもいいわ。『戦争しない』っていう、こういうふうに堀江さんのように言い切れたらね、言い切る人が出てきたら、それは英雄ね。それはみんな喜ぶんじゃないかしら、枕を高くして寝られるんじゃないかしら。そして、そのときに、ばーっとやられるんですよ」

この二人は、本当に極端です。寂聴といえば、このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
瀬戸内寂聴さんに、習近平に「戦争するな」と諭して欲しい件―【私の論評】寂聴さんにISILの幹部も諭してもらおう(゚д゚)!
 

 詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、瀬戸内寂聴が安保法制反対デモにおいて、戦争反対という発言をしたことを受けて、石平氏のTweetを掲載し、それに対する私の論評を掲載しました。この記事の結論のみを以下にコピペします。
それにしても、寂聴さん若い頃から、平和運動をしてきたようではありますが、どう考えても安全保証の専門家ではありません。結局は、マスコミなどの報道に幻惑されたり、左翼運動家らの口車にのったとしか思えません。芸能界や文壇には、そのような人が多いです。 
石平氏は、習近平を諭して欲しいとTweetしましたが、日本は尖閣問題で直接中国の脅威があることはあるのですが、それ以外にも世界には戦乱にあけくれるている地域が今でも多くあります。 
ISILもその一つです。寂聴さんはどうせやるなら、日本国内の現状の平和という生ぬるいお湯に浸っていることなく、ISILにでも乗り込んで、幹部らを諭していただきたいものです。
そうすれば、厳しい国際環境を寂聴さんも理解されるのではないかと思います。ただし、そうすれば、命の保証はありませんが・・・・・・。寂聴さんは、「死に支度」という書籍もだされていますから、それこそ「死に支度」の一環として実践されたら良いのではないかと思います。 
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
結局のところ、私も、石平氏も、「安保法案」は「戦争抑止法案」であり、寂聴さんの語っていることは明らかな間違いであることを言っているということだと思います。

私や、石平氏も堀江氏とは異なり、戦争が起こる可能性を前提として、戦争を抑止するための法案が必要であると考えているわけです。そこのところが、寂聴さんとは違います。寂聴さんは、「戦争抑止法案」を成立させて施行すると、戦争が起こるというか、日本が戦前のように戦争に走るという考えです。

一方堀江氏は、「経済的合理性」から人間は絶対に戦争しないと主張しています。しかし、人間にとって経済だけがすべてではありません。経済だけが良くなっても、決して社会は良くはなりません。経済そのものは、人間の営みのなかのほんの一部でしかありません。

だから、人間は経済合理性だけでは説明のつかない複雑な行動するものです。だから、マクロでみれば、どう考えてもあり得ないような行動をとることもあります。たとえば、日銀が本来金融緩和をすべきときにも、金融引き締を行い、それを継続して、過去の日本はとんでもないデフレにみまわれました。多くの人が、これを理解せずに、デフレが放置された結果、日本は15年以上もデフレ・円高が続くというとんでもない状況にみまわれました。

また、デフレから完璧に抜けきっていないのに、なぜか昨年の4月に8%増税に踏切り、そのせいで本来経済がまだまだ良くなっているはずなのに、今年に入ってからも4〜6 月期には、マイナス成長になりました。多くの、政治家、経済学者、官僚などが、増税の影響は軽微といっていたにもかかわらず、このような結果になってしまいました。

人間がすべからく、「経済合理的」に動くというのなら、こんなことはあり得ないはずです。しかし、現実はそうではありません。

それに、経済合理性だけを見るというのなら、人間の複雑な面を見失ってしまいます。経済学の大家ドラッカー氏は、経済統計だけをみたとしてら、後世の歴史家は、第二次世界大戦が起こったことなど、気づかないだろうとしています。


確かに、第二次世界大戦は世界中に大惨禍をもたらし、大勢の人が亡くなり、社会が混乱しましたが、経済統計だけを見ているとそうではないというのです。

これは、にわかには信じがたいことですが、第二次世界大戦で敗北した、ドイツや日本でも、確かに戦争の惨禍で、とんでもない状況にはなりましたし、物資も不足はしましたが、それでも、戦争中には普段よりもかなり多く、兵器を製造したり、軍隊にそれを支給したりして、大きな経済活動が営まれました。

さらに、日本を例をとり、後世の歴史家が経済指標だけ見ていたら、大東亜戦争があったことなど気づかないかもしれないことを実証してみせようと思います。

以下は、最近読んだ古谷経衡氏の『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか』という書籍に掲載されていた、統計資料です。

クリックすると拡大します
この統計資料に関して、古谷氏は、以下のような説明をしています。
 これを見ると、日本は先の大戦で、すべての国富のうち、その4分の1を失ったことになるが、逆説的に言えば、4分の3は残存していると見なすことができ、その水準はおおむね1935年のそれであった。

簡単に言えば、日本は1935年から1944年までの拡大分が戦争最後の1年、つまり戦争末期の大空襲であらかた吹き飛び、日本の敗戦時の国富は終戦時点の10年前である1935年の水準に逆戻りしたと考えればわかりやすい。 
 よって、「日本は敗戦でゼロからのスタート」を余儀なくされたのではなく、「敗戦により、おおむね1935年の国富水準からスタート」と言い換えることができるのだ。
1935年のレベルといえば、言うまでもなくアジアの中ではトップクラスです。戦後の日本の復興は、「ゼロからのスタート」とするのは程遠い実態です。

終戦直後にこの状況であり、温存された国富の源となった、爆撃されなかった町や村などは生産活動を継続し、さらに戦争遂行のための様々な経済活動なども加えれば、日本も経済指標だけみていれば、戦争のあったことなど後世の歴史家は気づかないかもしれません。

そうはいいながら、大東亜戦争は、日本の社会に経済とは別に深刻な悪い影響を及ぼしたことは明らかです。誰も、このような戦争を二度と味わいたくはないと思ったことでしょう。

終戦直後の焼け野が原の東京
ちなみに、日銀の金融政策の間違いにより、日本経済は停滞しまたが、この期間に日本が戦争をして、日銀がまともな金融政策をとるか、あるいは戦費調達のため大規模な金融緩和をして、戦争を遂行し、甚大な被害を受けていたとしても、経済指標だけを見れば、何も変わりないかもしれません。

経済統計からみれば同じような停滞かもしれませんが、の戦争と、金融政策のまずさによる停滞とどちらが良いかといえば、無論誰もが後者のほうがましというに違いありません。

いずれにせよ、堀江氏のように、「人間は経済合理的な動きをするから、戦争しない」という考えはあてはまならいように思います。

それにしても、以上のようなことを考えた場合、「経済合理性」を絶対視する堀江氏が、SEALDsに危機感を感じるというのは、ある意味不思議です。

本来、人間が、経済合理性だけを追求するなら、安保反対運動などしないはずです。60年安保、70年安保、PKO法案成立のときも、反対派は「戦争になる、徴兵される」などをキャッチフレーズとして、大きな運動を展開しましたが、さしたる成果はありませんでした。

であれば、本来は「経済合理性の観点」からは、今回あのようなデモではなく、別なことをするというのが、合理的なはずです。しないはずの、デモが実際には行われているので、堀江氏は危機感を感じているのかもしれません。

これを機会に堀江氏も、安全保障に関する考え方を変えたかもしれません。「戦争が始まったら逃げる」などということは言わなくなるかもしれません。当たり前のことですが、戦争などないほうが良いに決まっています。誰であっても、最初から積極的に戦争したいなどと思う人はいません。

今回の、憲法解釈の変更による、集団的自衛権を含む、安保法制の審議に関しては、上記のように様々な反応がありました。

いずれにしても、寂聴さんのように、ただただ、「戦争反対」を唱えるだけで戦争は回避できませんし、堀江氏のような経済合理性だけでも、「戦争などしない」などとも断定できません。

やはり、戦争は場合によっては、起こりえるものと想定して、そのための準備はしつつ、抑止力を高め、戦争に巻き込まれないように最大限の努力をするということが、当たり前といえば、当たり前ですが、それが王道だと思います。

その王道である当たり前のど真ん中が、従来の日本ではなかなかできなかったのですが、今回の安保法案の成立を機にできるようにしていくべきです。

実は、今回の安保法案に関しては、様々な疑問もあります。無論、安保反対派のように、「戦争になる」などという馬鹿げた理由からではありません。戦争抑止法案とみても、疑問な点があります。

成立後には、「戦争はない」とか「戦争になる」などというくだらない議論はせずに、戦争を抑止するために、いずれ憲法改正も視野に入れつつ、今の憲法の範囲で洗足抑止ために何ができるかを論議するべきものと思います。そうして、憲法改正する前にできることはどんどん実施できるようにすべきです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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