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2015年9月19日土曜日

【相撲俵論】デモも景気も祭典も「祖国があってこそ」元小結・舞の海秀平
―【私の論評】私たちは、安保法案反対派や、かつての日本画壇のように、閉鎖空間の住人になってはいけない(゚д゚)!

【相撲俵論】デモも景気も祭典も「祖国があってこそ」元小結・舞の海秀平

舞の海秀平氏 写真はブログ管理人挿入以下同じ

今回はどうしても相撲のことを書く気になれない。

テレビの天気図には、初めて耳にする線状降水帯が居座っていた。早く太平洋側にそれてくれないかと、手で払いのけたくなる。

暴れ出した川は堤防を決壊し、民家や田畑を飲み込んでいった。津波よ、雨よ。まだ復興を遂げていない東北を、そして東日本を沈める気か。

現場には勇敢に自然災害に立ち向かい、次から次に命を救う自衛隊員の姿があった。

男性がしがみつく電信柱にもう少し踏ん張ってくれと祈る。男女がそれぞれ抱えた2匹の犬には、ヘリコプターに乗り込むまで大人しく抱かれていてくれと手を合わせた。

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強風で苦戦しながらも必死に助け出す隊員を見ていると、「いとしきニッポン」(石井英夫著、清流出版)の最終章「祖国」で引かれた画家藤田嗣治(つぐはる)のエピソードを思い出した。

彼は戦時下に戦争画を描いたことで「戦争協力者」として、戦後になって画家仲間からの非難を浴びた。人が無数に重なり合って刺し合ったり打ち合ったりする絵を見たことがある。

実際は国民の戦意をあおるものではなく、戦争の恐ろしさを伝える、むしろ“反戦画”だったのではないか。

藤田嗣治画伯

藤田は追われるように日本を離れ、パリに移住。再び祖国の地を踏むことはなかった。

「祖国を捨てたのではない。祖国に捨てられたのだ」と夫人は聞いた。もっとも、繰り返し聞く音楽、普段口にする食事は日本のものばかりだったという。

のちに手記で戦争にまつわる絵を描いた理由について語っている。

「この恐ろしい危機に接して、わが国のため、祖国のため子孫のために戦わぬものがあったろうか。平和になってから自分の仕事をすればいい。戦争になったこの際は、自己の職業をよりよく戦争のために努力して然るべきものだと思った」

言葉を失い、ひれ伏すしかない。

いま、事が起これば存在自体を“違憲”とされがちな自衛隊に頼るしかなくなる。災害だけに限ったことではない。有事が起きたとき、海外で同胞が命の危機にあってもこのままでは黙って見ているしかない。

自衛隊がここまでしてくれたら救えたのにと悔やむのか、自衛隊がここまでしてくれたからこそ救えたと感謝するのか。

デモで声を張り上げるのも、景気対策も、スポーツの祭典も「全ては祖国があってこそ」。藤田はこうも語っている。「何んとでも口は重宝に理屈をつけるが、真の愛情も真の熱情も無い者に何ができるものか」と。(元小結 舞の海秀平)

【私の論評】私たちは、安保法案反対派や、かつての日本画壇のように、閉鎖空間の住人になってはいけない(゚д゚)!

舞の海氏の主張は、正しいです。本当に重要な事柄に関しては、意外と専門家などよりも、他の道で精進した方のほうが正鵠を射た発言をするものです。

その道の専門家であるはずの日本の主流派の憲法学者などは、一つの信条に凝り固まって、少数派の京都学派の「憲法9条は、国際紛争の解決の手段として、武力を行使することは禁じているが、自衛のための武力行使まで禁ずるものではない」という解釈など完璧に無視して、自分たちの考えだけが正しいものとして、安保法案は「違憲」と断定しました。

のみならず、安保法案の違憲、合憲など本来司法が判断すべきものであるにもかかわらず、「違憲」とはっきり断定してしまっています。本来なら、「自分の立場からは違憲の疑いがある」程度の表現にすべきでした。これは、言葉遣いの間違いの次元です。

これにより、日本の主流派の憲法学者らは、安全保障の話をするには不適格であることを暴露ししまったと思います。

舞の海氏の「全ては祖国があってこそ」との指摘は正しいです。憲法は祖国があってこそであり、祖国は憲法があってこそなど全くありえず、本末転倒です。日本の憲法学者らは、憲法を完璧に正しいものとして、そこから現実をみて、現実が正しい、間違いというとんでもない認識を持っています。

本来の憲法学とは、憲法の解釈や適用および憲法上の諸現象を研究する学問です。法学の一分野として、国家の組織及び作用に関する基礎法を研究することを目的としています。現在の日本の主流の憲法学者らは、人間のつくった憲法典をあたかも経典のように、絶対善であるかのごとくにみなして、それに即しているかいないかだけを研究するという態度です。これでは、とても学問と呼べるような代物ではありません。

こういう人たちに、安全保障の問題など語る資格はありません。

本来語る資格のある人たちは、北朝鮮による拉致被害者やその家族や、イラクに派遣された自衛隊員の方々だと思います。実際に、過去の安保の瑕疵等により、被害あわれた方々の意見を聴くべきです。国会で、国会議員や識者などの意見ばかり聴いて、当事者の意見も聴かないというのは全くバランスを欠いています。

そうして、今回の戦争抑止法案を「戦争反対」などと語る方々は、以下の二点を無視しています。

まずは、日本はすでに集団的自衛権を発動しているという事実です。日本にアメリカ軍の基地がある、日本がアメリカにアメリカ軍の基地を提供しているということは、集団的自衛権の発動にほかなりません。

NATOは、集団的自衛権の良い事例です。NATOの条約を締結してる国々が、NATOの指揮下で、ある国の軍隊を他国に駐留させたり、ある国の軍隊が、他国の国の陸上や、領解、領空を通過させることができます。もし、NATOに加盟していない国に対してそのようなことはできません。これを考えれば、日本はすでに集団的自衛権を行使しているし、日本意外の国々はそうみなすのが当然です。

集団的自衛権を完璧に否定するということになれば、アメリカ軍は日本から撤退しなければならなくなります。そうなると、現状と同程度のの安全保障を実現するだけでも、防衛費は10倍以上になるとされています。そんなことは、とても今すぐ実現できるものではありません。

それに、国連憲章のからみもあります。国連憲章では、どの国にも自衛権を認めています。この自衛権は、個別的自衛権と、集団的自衛権の両方を含んでいます。

そうして、国連に加盟している国々に対する義務も定めてあります。もし、戦争が発生した場合、過去の国際連盟のようにただ呼びかけるだけではなく、現実に力で抑えて、平和を守るために加盟国に義務が課されています。

どのような義務かといえば、国連に加盟した国々は、空軍の待機部隊を保持して、戦争が始まった場合世界のどこへ飛んでいけるようにしなさいと明記されています。

この空軍の待機部隊持ってる国というのは、実はごく少ないです。しかし、この日本のように、自衛権を個別的と、集団的とで分けて、過去においては、個別的自衛権だけやってたから、集団的自衛権は認められないというならば、これは本来は、国連の加盟国としての資格がありません。

そもそも、憲法解釈による集団的自衛権の行使を含む安保法制を成立させるべきではないとする方々は、米軍の速やかな撤退と、国際連盟から脱退をする覚悟があって語っているのかはなはだ疑問です。

さて前の海氏は、ブログ包頭の記事で「人が無数に重なり合って刺し合ったり打ち合ったりする絵を見たことがある」と指摘しています。その絵とはおそらく以下のものだと思います。

藤田嗣治作『サイパン島同胞臣節を全うす』
以下では、藤田嗣治とこの絵について掲載します。

戦前のパリで活躍し,乳白色の柔らかな肌の女性ヌード画や子供の柔和な絵で国際的に有名な画家です。

第二次大戦中,日本の軍部は戦地に画家を派遣して国威発揚,戦意高揚のための戦争画を描かせたことは有名です。当時活躍していた有名・無名画家のほとんどがこれに参加し,その中心的な役割を果たしたのが藤田嗣治でした。

そして日本は敗戦を迎えましたが、美術界はGHQの追及を恐れて、「全て藤田がしたことです。私たちは藤田に騙されて絵を書いただけです。悪いのは藤田です」と彼一人に戦争責任を負わせ(実際にはGHQが画家個人の責任を追求したことはなかったが)、自分たちの責任はなかったことにしたのです。

それまで、「私にも戦争画を描かせてください」と藤田に取り入って阿諛追従した画家たちは一夜にして態度を変えたといいます。まさに、「鬼畜米英」から「強くて優しいマッカーサー」の大転換です。これ以後、藤田はそんな日本画壇に嫌気が刺したのか、日本を離れてフランスに帰化し、二度と帰ることはありませんでした。

しかし,戦争翼賛画家の藤田は実は戦争を賛美した絵を描いていなかったのです。それが『サイパン島同胞臣節を全うす』です。この絵画では「バンザイクリフ」に追い詰められ、自決していった日本人の最後の悲惨な姿が描かれています。最後のなけなしの抵抗をする男たち、死ぬ前に赤ん坊に最後の乳を飲ませる母親、小刀で自分の喉をかき切ろうとしている女たち、死化粧にと髪を櫛り最後の身支度をする女たち、そして断崖絶壁から次々に身を投じる女たちの姿が、恐ろしいばかりの迫真性と迫力で描かれています。

しかも藤田は、終戦後もこの絵に、何かに取り憑かれたように筆を入れていたといいます。その結果として生まれた絵には血の匂いと死臭が漂い、絶望と暴力と苛烈な死が生々しく描き尽くされています。

これは絶対に「戦争賛美画」ではありません。これは戦争という暴力と惨禍を容赦なく抉り出した傑作であり、戦争という人類最大の愚行を告発する絵です。軍部翼賛体制に組み込まれたはずの藤田嗣治が、画家の目で戦場を観察し、その本質を抉り出して白日のもとにさらけ出してしまったのです。

戦争を賛美し、戦意高揚のために絵を描いたはずだったのに、絵描きとしての本能がその裏に隠されている死臭を嗅ぎ分け、戦争の愚かしさと醜さを無意識のうちに描いてしまったのだと思います。それは、軍部からの命令でもなければ、犠牲者の追悼でもなければ、悲劇の告発でもありません。画家の本能に従って止むに止まれずに描いたものだろうと思います。

これぞ畢生の大作であり一世一代の傑作です。恐らく、これに匹敵する戦争画はゴヤの『1808年5月3日』と版画集『戦争の惨禍』くらいしかないと思います。もしも藤田嗣治の作品がこれ一枚しか残っていなかったとしても、彼の名は不朽の画家として記憶されるべきです。

また、藤田嗣治の戦争画を他にもみたことがありますが、『サイパン島同胞臣節を全うす』のような作品化、他のものも戦争を鼓舞するようなものではありませんでした。他のものは、戦争画だというのに、静的であり、穏やかでありとても戦争を彷彿とされるものではありませんでした。

藤田嗣治は、戦争画を描いた動機について、ブログ冒頭の記事で以下のように語っています。

「この恐ろしい危機に接して、わが国のため、祖国のため子孫のために戦わぬものがあったろうか。平和になってから自分の仕事をすればいい。戦争になったこの際は、自己の職業をよりよく戦争のために努力して然るべきものだと思った」

藤田嗣治は戦争について、日本がどうの米国がどうのという次元ではなく、無論かつての日本画壇とも異なる、開かれた空間における人類の愚かさという次元で捉えていたものと思います。

私は、大東亜戦争に関して、日本だけが悪いなどという考えは成り立たないと思います。参加したすべての国々に、落ち度があります。無論日本にも落ち度があります。

ここでは、その落ち度について詳しくは述べませんが、あの戦争に関して日本だけが責められるということでは著しく公平性に欠けると思います。

しかし、当時のすべての国々に落ち度があったことを無視して、当時の日本が悪の権化で、好戦的であり、その悪玉精神が今も残っており、また戦争できるようにするために、安倍自民党が戦争法案を通そうとしているなどの考えにどう考えても同調することはできません。

藤田嗣治が現在存命していたとしたら、無論のこと安保法案には賛成の立場をとったものと思います。彼がフランスから舞い戻って今の日本の状況をみたとしたら、安保法制に反対する愚かな人々を見て、かつて彼を「戦争協力者」として排斥した、日本画壇の人々を見るようで、嫌気がさし、やはりフランスに舞い戻ったことでしょう。

当時の日本画壇も、今の安保法案に反対の人々も、藤田の傑作絵画のように、開かれた意味での、人類共通の愚かさに立脚するものではなく、閉鎖空間における自分たちの理屈のみを絶対視する愚かな集団に過ぎないことを看破したと思います。

そうして、この愚かな集団は、当時の閉鎖空間にの住人であった日本画壇が、藤田嗣治を放逐したような行為を、彼らが閉鎖空間から出ない限り、繰り返すであろうことを予言したと思います。



実際に、閉鎖空間に住み、自分たちの考えだけが正しいという人々は、必ずといっていいほど、分裂し最終的に争いをはじめてとんでもないことをするか、とんでもない状況に追い込まれています。それは、過去の過激派などを見ていても理解できます。

それにしても、当時の日本画壇が藤田嗣治のみを放逐したということで、他に犠牲者が多数出なかったことは幸いといえば、幸いだったと思います。おそらく、藤田嗣治という人がいなければ、犠牲者はもっと多かったかもしれません。

安保法制でも、デモで声を張り上げるのも、景気対策も、スポーツの祭典も「全ては祖国があってこそ」だからこそ、我々は自分だけが正しいという、閉鎖空間の住人になってはいけないし、閉鎖空間があるなら、それを打破するか、なききものにしていく必要があるのです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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