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2017年12月15日金曜日

富岡八幡宮事件に見る、組織に「怨念」を抱く者の恐ろしさ―【私の論評】組織の精神を健全に保たなければ怨霊が輩出することになる(゚д゚)!


富岡八幡宮の殺人事件で、容疑者による、関係者やマスコミに宛てた長文の遺書が話題となっている。「怨霊」「祟り」など、真に受け難い文言が書かれているが、事件の舞台が神社である以上、これを「頭のおかしな容疑者の独り言」として片付けることは許されない。(ノンフィクションライター 窪田順生)

神道的に見れば大きな
意味を持つ遺言書の中身

 既にネットで公開されているのでご覧になった方も多いと思うが、「約30年に亘り続きました、富岡家の内紛」なるものを赤裸々にぶちまけるとともに、姉を「永久追放」して、自身の息子(最初の妻との子ども)を宮司に迎えることを要求し、最後に★印とともに、以下のような脅しともとれる「宣言」を行ったのだ。 

 年の瀬の日本に激震が走った富岡八幡宮の殺人事件。姉を弟夫婦が待ち伏せして日本刀でメッタ斬りにするという凄まじい手口もさることながら、衝撃的だったのは、犯人である富岡茂永氏が関係者やマスコミに宛てた「遺書」の内容だろう。
自殺した茂永氏の遺書を読むと、極めてよくできた内容であることが分かる。そして、このような
「組織に怨念を持つ人」は、なにも富永八幡宮に限らず、そこら中の企業にもいるものだ。 
 「もし、私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」
 ああ、もうこの人は完全に頭のネジがぶっとんじゃっているんだな。そんな風に感じる方も多いかもしれないが、実は神道的に見ると、茂永容疑者のロジックはそれほどおかしくはない。むしろ、神職を追われた者が仕掛ける「復讐」のシナリオとしては、驚くほどよくできている。

この国では古代から権力争いに敗れ、憤怒の念を抱きながら死を遂げた者が「怨霊」となり、権力者のみならず、国全体に疫病や自然災害などの「祟り」をなしてきたという伝説がたくさんある。崇徳天皇、早良親王、長屋王、伊予親王、藤原夫人、観察使橘逸勢、文室宮田麻呂など例をあげればきりがない。

いやいや、そういう「御霊信仰」みたいな話ではなく、今回のは完全におかしな人の逆恨みじゃないか、という意見もあろうが、「怨霊」というものには、そのような恨みを抱くのも仕方ないというような情状酌量の余地だとか、主張の正当性なんて要素はまったく必要ではない。

大事なのは「祟りかも」という恐怖であって、それがあれば、「怨霊」なのだ。

茂永氏は祭りを人質に取って
息子を宮司にするよう迫った

 わかりやすいのが、全国の八幡宮の総本社である宇佐神宮(大分県)の「放生会」という神事だ。昨年亡くなった著名な古代史家である上田正昭・京都大学名誉教授は、この神事を研究して、その目的が古代の鹿児島・宮崎地域で暮らしていた民族「隼人」が大和朝廷に対して反乱を起こして征討されたことへの鎮魂だと「AERA」(1994年5月30日)の記事で主張した。
 大和朝廷からすれば、隼人は辺境から反乱を企てる「悪」以外の何物でもないので、当初は鎮魂など行わなかった。が、なぜそれが行われるようになったのかというと「祟り」のせいだ。

伝承では隼人に対して、1400人という夥しい数の大量虐殺が行われた数年後、宇佐神宮一帯で、蜷貝(にながい)が異常発生し、征討軍に関わった宇佐神宮の神官らが隼人の祟りでは、と恐れはじめたという。その後、海に蜷貝を放ち、殺生をたしなめる「放生会」が始まったという。

そのような「怨霊」というものの基本的性格を踏まえると、茂永氏の「怨霊宣言」というものが、富岡八幡宮や「(殺された姉の)長子派」の方たちにとって、行くも地獄、引くも地獄という非常に巧妙な「トラップ」となっている。

実は、この「遺書」の中で茂永氏は、息子が宮司になれなかった場合は「私が作らせた一の宮と二の宮神輿を出す事を今後一切禁止します」とも述べ、これが破られたら、神輿総代会の幹事総代やその子孫にまで「永遠に祟り続けます」と言っている。

一の宮神輿は1991年に佐川急便の故・佐川清会長が奉納したもの。ダイヤモンドやルビーがちりばめられ「日本最大の金ピカ神輿」として話題になったものだが、重すぎて担がれる機会もないので、このまま出せなくても特に問題はない。が、問題は97年に奉納された二の宮神輿の方である。こちらは毎年行われる「深川八幡祭り」で使われているものだからだ。

つまり、茂永氏は、江戸三大祭りの1つとして30万人もの人出があるとされ、地域活性化にも貢献する祭りを、いわば「人質」にとって、息子を宮司にするよう迫っているのだ。

茂永氏の遺言を富永八幡宮が
無視できない理由

 祭りはみんなものなんだから、そんなバカな要求はシカトすりゃいいんだよ、という言葉があちこちから聞こえてきそうだが、それは天にツバするような行為である。
 祭りとは、ただ神輿を担いで「粋だね」「いなせだね」と参加者が自己満足にひたる地域交流イベントではなく、宮司が執り行う、れっきとした「神事」である。その「神事」を取り仕切る者が、以前その神職についていた者から殺されたうえに、容疑者は自ら命を絶って「怨霊になる」と宣言しているのだ。
 この神職者間のトラブルを、「家族内トラブル」で片付けるというのは、「深川八幡祭り」の宗教的意味も否定することにつながってしまう。もし富岡家が「怨霊なんて非科学的なものはないから安心してください」と二の宮神輿を引っ張り出すことがあれば、それは宗教家としての「死」を意味することと同じであり、「富岡八幡宮」という宗教施設の意義を自ら否定する行為なのだ。
 伝えられている確執が事実なら、富岡家が茂永氏の息子を宮司にするという選択肢は難しそうだ。かといって、富岡八幡宮に潤沢な「カネ」を呼び込むための一大イベントである「深川八幡祭り」を中止にするなんてことは、できるわけがない。
 そうなると、祭りが行われる来年の夏までに新たな神輿をつくるしかないわけだが、それは世の中に対して、「富岡八幡宮は茂永氏を怨霊として恐れている」と公言しているに等しい。先ほどの「隼人」のケースを思い出してほしいが、「怨霊」というのは、非業の死を遂げた者が正しいとか間違っているとかは関係なく、「祟りかも」という恐怖心がつくるものだ。
 つまり、新たな神輿をつくるという選択は、富岡八幡宮がオフィシャルに茂永氏を「怨霊」と認定したことになってしまうのである。こうなると今後、富岡八幡宮や祭りで、何か不吉な出来事が起こるたびに「祟り」と結びつけられる。

茂永氏の遺書は
企業の怪文書に似ている

 もしそのようなことが続くようならば、富岡八幡宮の境内に茂永氏の怒りを鎮めるような碑、あるいは社も設けられるかもしれない。

それは裏を返せば、茂永氏が、菅原道真公や全国の御霊神社のように、「神」になるということである。富岡家や長子氏についている方からすれば、まさに「悪夢」と呼ぶにふさわしい展開だろう。

先ほど、行くも地獄、引くも地獄という非常に巧妙な「トラップ」だと評した理由がお分かりいただけただろうか。

この極めて完成度の高い「復讐シナリオ」が織り込められた「遺書」を見ているうちに、企業内でバラまかれる「怪文書」とよく似ていることに気づいた。仕事柄、いろいろな怪文書を目にするのだが、「敵」に向けられる激しい誹謗中傷、そして自分の主張こそが正しく、これが通らなければ死んでも死にきれないという強い思いは、茂永氏の筆致とそれほど変わらない。

確かに、内部告発などをして企業に「災い」をなす人の多くは、社内の権力闘争に敗れるなど、何かしらの恨みを抱いている人が圧倒的に多い。みなさんも、そのような「復讐劇」をよく耳にすることだろう。

たとえば、インサイダーによる調査報道に定評のある会員制情報誌「FACTA」が、日産の検査不正問題は、社内の品質保証関連部署の人員などが「西川降ろし」を画策してリークを行ったと報じている。

無論、日産側はリークを否定しているが、話としては妙な説得力がある。

同関連部署は、カルロス・ゴーン前社長が2000年頃に「血の流れる改革」を行った際、もっとも人員を減らされたということで、不満の声が多く上がっていたという。そのような部署の一部の人が「怨霊」となって、数十年前から現場で続いていた「社内ルール」を「不正」として発掘し、ゴーン前会長の懐刀である西川社長に「祟り」をなす、というのは極めて日本的な復讐劇で、いかにも「ありそう」である。

権力闘争の激しい企業には
「プチ茂永氏」が大勢いる

 では、このような権力闘争の「敗者」が「怨霊」にならないためにはどうすればいいか。哲学者の梅原猛氏は、敗者を排除するのではなく、「何らかの意味で鎮魂し、それによってかつての敗者の部下であった人たちが安んじて新しい権力に仕える道を用意すること」(日本経済新聞1991年8月31日)と述べている。

これはまったく同感だ。よく企業から「どういうわけかメディアに、うちの社長の悪い話ばかりが出る。しかも、メディアが知らないような内部事情ばかりだ」と相談を受けるが、たいがいその社長にかつて冷遇されたとか、政敵だったとかいうグループがリーク元であることが多い。

つまり、このグループは組織内でしっかりと「鎮魂」をされていないので、新しい権力に災いをなす「怨霊」となってしまうのだ。

マスコミ業界にいると、社内の権力争いが激しい大企業に勤めている方から、内部事情を話したいとの申し出がよく来る。実際に会って話を聞いてみると、「あいつだけは許せねえ」「会社を辞めることになってもいい。刺し違えてでも、あいつは引きずり下ろす」などと、「政敵」への怒りをぶちまける方も多い。

レベルは違えど、「プチ茂永氏」のような方は、世の中に山ほどいるのだ。

みなさんがいま働いている会社の同僚の中にも、「怨霊」になりかけている人がいるかもしれない。

【私の論評】組織の精神を健全に保たなければ怨霊が輩出することになる(゚д゚)!



ブログ冒頭の記事では以下のようなくだりがあります。
 この国では古代から権力争いに敗れ、憤怒の念を抱きながら死を遂げた者が「怨霊」となり、権力者のみならず、国全体に疫病や自然災害などの「祟り」をなしてきたという伝説がたくさんある。崇徳天皇、早良親王、長屋王、伊予親王、藤原夫人、観察使橘逸勢、文室宮田麻呂など例をあげればきりがない。
これは、確かにそうです。というより、日本の過去の歴史は怨霊の歴史だったといっても過言ではないのです。それについては、このブログでも随分前に掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
日本の歴史は「怨霊」の歴史だった-自然や自らよりはるかに大きなものへの畏れをなくしたかのように見える日本人よどこへ行く!?
さて、以下にこの記事より「教科書に掲載されない歴史(怨霊の歴史)」について掲載されている部分を引用します。
■教科書に掲載されない歴史 
現代の教科書に掲載されない、歴史というものがあります。明治時代などに、非科学的とされて、あまり掲載されなくなり、第二次世界大戦後は、事実と確認されるもの以外は完全に排除されてしまったものです。しかし、教科書に正式には掲載はされなかったもののいわゆる「教科書に掲載されなくなった歴史」は、戦前から戦中にかけて親から子へとか、教師から教え子とか、いろいろな形で伝承されてきました。しかし、現代ではあまり伝承されなくなり、今では、知らない人も多くなりました。しかし、現代日本人は、もう一度こうした歴史にも、目を振り向けるべきだと思います。

その歴史の中に、「怨霊」の歴史があります。平安時代は、まさにその「悪霊や怨霊」の時代で、平安京は怨霊に対するシェルターだったとさえ言われています。なんと奈良の大仏様も実は怨霊封じのために建立されたのですが、結局役に立たちませんでした。平城京を捨て、長岡京も捨てて逃げる天皇たちの様は尋常ではありませんでした。優雅な貴族文化といわれる平安時代も、その実態はおどろおどろしい世界でもありました。
時の為政者の仕事は、悪霊や怨霊から国を守ることがその勤めでした。夜中眠っている間に悪霊や怨霊に魂を盗まれると信じた彼らは、夜ごと火を焚いて悪霊たちを近づけないようにしました。そこでは歌が詠まれ、雅楽などが奏でられる祭事がもようされていたのです。現在も政治のことを「政(まつりごと)」と呼ぶのはそのせいです。 
東海道四谷怪談 「神谷伊右エ門 於岩のばうこん」(歌川国芳)
この記事には、怨霊となった例をいくつかあげましたが、以下に崇徳上皇に関するものを引用します。
■日本一の大魔王崇徳上皇 
ところで「日本一の大魔王」になった怨霊もいます。それは「崇徳上皇」です。5歳の若さで天皇の位についた、崇徳天皇は、父鳥羽上皇から疎まれ、憎まれました。そうして、鳥羽上皇から22歳の若さで天皇の位を奪われた崇徳はクーデターを起こしました。これが「保元の乱」です。ところが、企ては失敗しました。その結果崇徳は四国讃岐に流罪となりました。

許しを乞うが願いは叶わず、しかも、自らの血染めでしたためた、写経を京都に「せめて自分の写経を京にかえしてくれ」との願いもむなしく、それをつき返され、願いもかなわず、激怒した崇徳は誓いを立てました。「日本国の大魔王となり、天皇家を没落させる。天皇家以外の者を王にする」と。そうして、その直後に憤死されたそうです。

恨みを抱いて死んだ者には、菅原道真や後醍醐天皇が思い浮かびます。しかし、正面切って天皇家を呪ったのは崇徳上皇だけです。果たしてその呪いは実現しました。崇徳の没後すぐに平家が政権を操るようになりました。そして次に本格的な武家政権、鎌倉幕府が成立しました。これ以降何かことが起こる度に、民衆には崇徳上皇の怨霊の仕業と広く信じられました。

日本の「明治維新」は、こうした崇徳の祟りを恐れ、崇徳を守り神にするという考えのもとで実行されたとう側面もあります。実は崇徳上皇の承認を得るという形式のもとに行われたのです。孝明天皇の崩御で、明治天皇が践祚したのは1867年1月。だが即位はしていませんでした。崇徳上皇の命日である同年8月26日、明治天皇は勅使を讃岐に派遣しました。勅使は上皇の「白峰御陵」の前で、次のような内容の宣命を読み上げています。「新しい宮を建立したので、長年の怨念を捨てて京にお帰りください」。明治天皇の即位の礼は、なんとその翌日8月27日に行われました。

そして9月6日崇徳上皇の霊は移され、700年ぶりに京へ帰って来ました。「明治」と改元されたのはその翌々日、1867年9月8日だったのです。今の世で怨霊を信じる信じないは勝手です。ただ、当時の人たちが信じたことだけは確かです。そうして、日本は「明治維新」という歴史上稀に見る、「明治維新」を大成功させ、その後の日本の発展は目覚しく大躍進しました。そうして、日清・日露の両戦役にも大勝利して、近代化の道を歩むことになったのです。
恨みを抱いて亡くなった崇徳上皇
さて、組織的にみると、今回の事件のようにかなり拗れてしまった場合は、何らかの方法で組織や組織内の有力者に恨みを持つものを組織内でしっかりと「鎮魂」をして、新しい権力に災いをなすような「怨霊」にしてしまわない措置が必要だということです。これは、かなり難しいことだと思います。だからこそ、今回のような事件が起こってしまったのでしょう。

昨年5月頃の富岡茂永氏 宮司だった頃の面影はない
しかし、普段から組織を健全に保つ方法はあるはずです。そうして、富岡八幡宮という神社もあれだけ大掛かりなものであれば、宮司だけではなく、組織で運営されているはずであり、その組織が普段から健全であれば、今回のような事件はなかったかもしれません。

今回の事件に関しては、マスコミはあいかわらず表面だけ説明しています。そのため、この事件の本質が多くの人々に理解し難いものになっています。多くの人々は、完全に頭のネジがぶっとんじゃた人の話ということで、あまり自分たちには関係のない話と思っていることでしょう。

しかし、ブログ冒頭の記事でも「組織」について述べているように、マネジメン的側面からみると様々なことが見えてきます。そうして、この事件を自ら属している組織とも付けて考えることができるかもしれません。

そもそも、組織の機能とは何なのでしょうか。それは、天才ではなく凡人に非凡な成果をあげさせることにあります。それは人の弱みを中和して、強みを最大限に発揮させることです。これが、組織の機能というものです。

つまり、組織の良否は成果中心の精神があるか否かによって決まります。神社の組織が、過去をただ継承するだけではなく、現代における神社のあり方を模索して地域社会に貢献することを成果であると考えていれば、組織を健全に保つことが可能だったかもしれません。

そして組織は以下の4点を満たさなければ健全な精神を持っているとは言えません。
①組織の焦点は成果に合わせなければならない 
②組織の焦点は機会に合わせなければならない
③人事に関わる意思決定は組織の信条と価値観に沿って行わなければならない 
④真摯さこそが唯一絶対の条件である
①組織の焦点は成果に合わせなければならない
成果とは長期的なものであり常にあがり続けるものではありません。野球で言えば打率のことです。バッターは十回中三回ヒットを打てば優秀だと評価されます。しかし七回は失敗しているのです。失敗だけはしない人を信用してはいけません。 
このような人はただ単に無難な仕事だけをこなしているだけであり、挑戦することから逃げているだけです。人は何かに挑戦していれば、必ず失敗するものです。
弱みのないことを評価してはならないのです。優れた人程多くの失敗を犯しますし、新しいことに挑戦をするものです。
この事件に関していえば、 富岡八幡宮においては成果を当然のこととして、ほとんど定義もされていなかったのではないでしょうか。 
②組織の焦点は機会に合わせなければならない
問題に焦点を合わせている組織は守りに入っていてそれ以上成長することができません。
成果は組織の中ではなく外の世界にしか存在しません。神社という組織も成果は神社の中ではなく外の世界に存在するのです。地域社会の人々を何らかの形で良い方向に変えることこそが成果なのです。神社の中に成果はありません。 
組織は機会に資源とエネルギーと時間を使うことによって成長していけるのです。
成果が定義されていない組織においては、何が機会かもわからなくなってしまいます。 
 ③人事に関わる意思決定は組織の信条と価値観に沿って行わなければならない
成果中心の精神を高く維持するには、配置、昇進、昇給、降格、解雇などの人事に関わる意思決定が管理手段として大きな役目を果たします。 
そして組織には固有の信条とや価値観があり、人事の意思決定はそれに対して矛盾したものとなってはなりません。
矛盾していれば働くものが勘違いをしますし、また信頼を失うことになります。茂永氏も勘違いをしていたのではないでしょうか。
④真摯さこそが唯一絶対の条件である
真摯さを絶対視することが健全な組織の条件です。人事に関する意思決定においては真摯さという基準は絶対無視してはなりません。
特に真摯さに欠ける者をマネージャー(神社では宮司やその他の神職、管理者など)にしては絶対にいけません。
真摯さの定義は難しいです。これについては、このブログで詳細に述べたことがあります。これについて、詳細を知りたい方は、その記事を参照して下さい。 
真摯さを定義するのは難しいですが、真摯さに欠ける人はどのような人なのかは、示すことができます。以下の5つに該当する者をマネージャーにしてはなりません。
第一に、強みよりも弱みに目を向ける者。 
これは組織の基本的機能であり使命にも反します。強みよりも弱みに目を向ける者をマネージャーにおけば組織は弱体化していきます。
第二に、何が正しいかよりも誰が正しいかに関心を持つ者。
マネージャーの仕事は何が正しいかを分析することでもあります。
人の意見に左右されて本当の正しさを見失うような、もしくは人によって態度を変えるような人間はマネージャーとして不適合です。
マネージャーは人よりも仕事を重視しなければなりません。
第三に、誠実さよりも賢さを重視する者。
そういう者は人として未熟で、その未熟さは後天的に改善されることは難しいです。また、こういった人間を変えることもとても困難なことです。
第四に、部下に脅威を感じる者。
マネージャーは部下の失敗の最終責任を負う覚悟があってはじめてマネージャーたりえるのです。これは逆に言うと部下の成功を自らの成功と捉えることができるということです。 
部下の成功に脅威を感じる者は責任を理解していませんし弱い人間です。
第五に、自らの仕事に高い基準を設定しない者。
優れたマネージャーというものは自らに一流の仕事を要求しますまた、自らの仕事に高い基準を設定できなければ、他の者にも優れた仕事を要求することはできません。 
そういった者にマネジメントされる人間は基準の低い狭い範囲の仕事をやらされることになります。
また他人に高い基準の仕事を要求しておいて自らは低い基準の仕事を行う者に信頼をよせる人間がいるでしょうか。自分に甘く他人に厳しいという人間に人はついてきません。
いかに豊富な知識があり、いかに効率よく仕事をこなす者であっても真摯さが欠けていればそこで働く人間を破壊します。そうして、組織の精神を損ない業績は低下するでしょう。
真摯さこそが唯一絶対の条件なのです。茂永氏は真摯な人だったのでしょうか。もしそうでなければ、そもそも宮司にしたこと自体が間違いです。
 組織の精神を健全に保つには以上の4項目を満たす必要があります。これら4項目をだいたい満たしているような組織は、間違っても「怨霊」を出すような組織にはならないでしょう。逆にこれをほとんど満たしていないような組織は「怨霊」輩出する組織になり伏魔殿のようになることでしょう。

私は、富岡八幡宮の組織を分析したり、宮司や元宮司の方と直接話しをしたことはありません。しかし、現代の「怨霊」を生み出してしまったこの組織には、まともな組織の精神が宿っていたとは思えません。最近では、企業組織もそうですが、日本相撲協会にも組織的に何か問題があるのではないかと思えるようなことが、起こっています。

組織の精神に注目すれば、組織の様々な問題がみえてくると思います。

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