【きょうの名言】日本電産などとっくに潰されていたはず(富裕層向けのサイトの記事より)
日本電産本社 |
@nagamori_botさんのツイート。永守氏の名言集を集めたものだ。
「少々能力がなくても、意識の高い人間を採ったほうがいいと思っている。世の中の人は、成績のいい人を採れば、さぞや立派な製品やいい客を開発するだろうと考える。もしそうなら、日本電産などとっくに大企業につぶされていたはず」
日本電産の創業者・永守重信氏 |
学校の成績や学歴が、仕事のパフォーマンスに結びつかない理由の一つでもある。人材育成では定評のある日本電産らしい。
【私の論評】意識の高さとは、一体何を意味するのか?
上記は、YUCASEE Mediaという、いわゆる富裕層向けのサイトの記事です。このサイトでは、上記のように今日の名言というコラムがあり、その内容が面白いので、このブログでも時折取り上げています。
それにしても、上記の「意識の高い人」のほうが、能力の高い人よりも、重視すべきことが説かれています。私も、そうは思います。ただし、「意識の高い」というところが、はっきりしないと思います。
本日は、これが何を意味するのかはっきりさせたいと思います。意識が高いとは一体どういう人をいうのでしょうか。まずは、「意識」という言葉の意味をはっきりさせたいと思います。
以下に、辞書から引っ張った「意識」の意味をそのままコピペします。
(1) (ア)物事に気づくこと。また、その心。感知。知覚。
「―を集中する」「人の目を―する」
(イ)(混濁・無意識などに対して)はっきりした自律的な心の働きがあること。自覚。覚醒。見当識。
「―を失う」「―が残っている」
(2)状況・問題のありようなどを自らはっきり知っていること。
「―が高い」「罪の―」
(3)〔哲・心〕〔(ドイツ) Bewußtsein; 英 consciousness〕(ア)思考・感覚・感情・意志などを含む広く精神的・心的なものの総体。特に対象を認識する心の働き。主観。物質・存在・世界・自然など、客観的なものに対する。現象学では世界を構成する超越論的自我の働き、また唯物論では存在に拘束される観念一般を意識と呼ぶ。
(イ)単なる直接的な情意作用や知覚ではなく、自他の在り方自身を察知する明瞭で反省的な心の状態。また、その作用・内容など。自己自身を対象化する対自的・反省的働き、人格あるいは自我による統一・自律、一定水準の明晰(めいせき)さなどによって規定される。自己意識。
(4)〔仏〕〔梵 mano-vijñāna〕六識の一。感覚器官による眼・耳・鼻・舌・身の五識に対し、心の働き、精神の働きのこと。第六識。ここでいう意識は、やはり、「意識が高い」という用例が掲載されている、(2)の定義でしょうか。とすれば、意識の定義は、「状況・問題のありようなどを自らはっきり知っていること」という意味になるのでしょうか?
東京の女性は他の東アジアの主要都市の女性より、より多くのエネルギーと お金をファッション、メイク、美容に費やしていることが明らかとなった。 |
そもそも、能力の高いというのもおかしな表現です。能力といっても、能力には、頭の能力もあれば、身体能力もあります。さらには、頭の能力にも、身体能力にもさまざまなものがあります。こうして、つきつめて、考えていくと、「意識の高い」「能力の高い」と考えること自体が無意味のようにも思えてきます。
そこで、いろいろ考えてみたのですが、結局「意識の高い人」とは、ドラッカー氏が語っている「自分が何に貢献できるかを考える人」を意味するのではないかと思いいたりました。無論、以上はいずれにせよ、企業という組織の話です。企業では、成果をあげなければなりません。個人でも、成果をあげられなければ、いくら能力が有り余り、意識が高かろうと、何の意味ももちません。
では、成果をあげるには、どうしなければならないのでしょうか? これに関して、ドラッカーは、「貢献」という言葉を遣って、以下のように語っています。
「成果をあげるには、自らの果たすべき貢献を考えなければならない。手元の仕事から顔を上げ目標に目を向ける。組織の成果に影響を与える貢献は何かを問う。そして責任を中心に据える」(ドラッカー名著集『経営者の条件』)
自らの果たすべき貢献を考える者は、部下が果たすべき貢献についても考える。あなたに期待できることは何かと聞く。こうして本当のコミュニケーションが行なわれるようになる。
しかも、貢献に焦点を合わせることによって、横へのコミュニケーション、すなわちチームワークが可能になる。
加えて、最も重要な貢献は何かを自問することは、いかなる自己啓発が必要か、いかなる能力が必要かを考えることにつながる。
そして、貢献に焦点を合わせるならば、部下、同僚、上司を問わず、人の自己啓発を触発することになる。仕事のニーズに根ざした基準を設定することになる。すなわち卓越性を要求するようになる。
こうしてドラッカーは、貢献に焦点を合わせることによって、コミュニケーション、チームワーク、自己啓発、人材育成という、成果を上げるうえで必要な四つの基本条件を満たすことができるという。
われわれは、人についても組織についても多くを知らない。しかし、人にせよ組織にせよ、果たすべき貢献を考えることによって成長することは知っている。
「自らに少ししか求めなければ成長しない。多くを求めるならば何も達成しない者と同じ努力で巨人に成長する」(『経営者の条件』)私は、「意識の高さ」という表現を使っているはいるのですが、日本電産の創業者・永守重信氏は、「自らの果たすべき貢献を考える」ことを言っているのではないかと思います。そうして、日本電産では、この創業者のいうところの「意識の高さ」というものが、はっきりした形で醸成され、社内に息づいているのだと思います。
これで、すっきりすると思います。いくら能力が有り余っている人でも、意識が高くても自らの果たすべき貢献を考えない人は、成果はあげられません。結局、能力や意識をひけらかすことだけに終始するということになると思います。貢献の中でも、最上のものは、「自ら貢献できる事柄で、他の人にはできず、自らが実施すれば、かなりの成果を期待できるもの」ということになると思います。
「意識の高さ」という言葉の中に、こうした意味での「貢献」を含んでいるあるいは、「意識の高さ」=「貢献」というのが、日本電産の企業文化というものではないかと思います。 もし、貢献ではなく、能力や意識を優先していたとすれば、それこそ、日本電産などとっくに潰されていたはずだと思います。皆さんは、どう思いますか?
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