2012年1月8日日曜日

新興国は「中国経済路線」を選ぶ可能性も=日本や欧米とは違う道を歩む?―米メディア―【私の論評】日本は、過去においては独自の路線を歩んできた。再度独自の道を歩めば世界のトップランナーになるかも?

新興国は「中国経済路線」を選ぶ可能性も=日本や欧米とは違う道を歩む?―米メディア


米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は、中国などの急速な経済成長を続ける新興国が経済危機に瀕した際、どのように経済戦略を調整していくのかについて3つの説を予測した。欧米や日本と違う道を歩むなら、現在が鍵だという。6日付で環球時報が伝えた。

<3つの説>

1.中国経済の強い成長や政府・市場の力をミックスさせるところからインスピレーションを得て新興市場が新しい路線を歩む

2.西側の資本主義発展方式を全否定するのではなく、この方式をより良く運営していく

3.意識形態の影響を受けず、結果のみを重視すれば、世界各国の経験を参考にできる

【私の論評】日本は、過去においては独自の路線を歩んできた。再度独自の道を歩めば世界のトップランナーになるかも?


トップを目指して走る女性ランナー

このブログにも掲載したことですが、日本が最も経済成長をしたのは、大阪万博のときであり、そのときのGDP成長率は、なんと、20%台と驚異的なものでした。中国は、そのレベルに達したことはありません、中国の上海万博は日本の万博と良く比較されますが、世界最高の経済成長を遂げていたときの、日本と、中国には、明らかな違いがあります。

それは、社会の安定です。この時期の日本は、経済発展をなしとげつつ、社会の安定も達成していました。今の中国のように、経済のみが発展して、社会はなおざりで、社会不安が増大しているという状態ではありませんでした。そうして、大阪万博のときには、特に経済の成長率がその頂点に達しました。ただし、その時代は、日本は特殊な国家体制にあったといって良いと思います。

1980年代の日本は、それこそ、規制の目が網の目のように張り巡らされ、各産業の監督省庁が、産業保護として、さまざまな規制をしていました。そのため、この当時の体制を「護送船団方式」と呼ぶことがあります。

護送船団方式とは、軍事戦術として用いられた「護送船団」が船団の中で最も速度の遅い船に速度を合わせて、全体が統制を確保しつつ進んでいくことになぞらえて、日本の特定の業界において経営体力・競争力に最も欠ける事業者(企業)が落伍することなく存続していけるよう、行政官庁がその許認可権限などを駆使して業界全体をコントロールしていくことを指しました。

護送船団方式のようなカルガモの親子の泳ぎ

特に、第二次世界大戦後の日本の金融行政において典型的にみられましたが、金融業界以外でも様々な業界で行政官庁の強力な行政指導が存在し、これらも「護送船団方式」と表現されることがあります。また、広くは国全体が「護送船団方式」ではなかったのかと評されることもあります。

たとえば、当時は、米、煙草、酒など、今はスーパーなどの他の業態でも販売されていますが、当時までは、その免許を獲得した、小売業者しか販売できませんでした。だから、米は、米屋、煙草は、煙草屋で、酒は酒屋でしか買えないというような状況にありました。そうして、この免許は、半径何キロ圏内に一つというように、競合しないように定められていました。

だから、この免許を取得した小売業者は今日のように、競争にさらされることもなく、免許がある限り、安泰でした。いまなら、考えられないことです。大型スーパーも出店規制を受けていましたので、商店街なども競争にさらされることなく、安定した商売をすることができました。

このよに規制の網の目がめぐらされていたため、1970年代の高度成長を遂げている日本に、その秘密を探ろうと、当時のソ連の経済学者が、来日して、「資本主義だと思ってきたら、日本は、共産主義だったので、参考にならない」といって帰ってしまったという逸話があるくらいです。

当時の日本は、自由主義陣営にありながら、その実、共産主義体制にあるといっても良いくらいの体制でした。あのライブドアのもと社長の堀江さんも、イギリスでインタビューを受けたときに、「日本は共産主義国」と語ったことがありますが、今日の日本でも、その名残が放送業界に残っていることを批判したものでした。

堀江貴文氏
旧ソ連邦が崩壊する直前にあるロシアの経済学者が、論文に「われわれの共産主義は、失敗した。われわけが目指した理想の共産主義はこのようなものではなかったはずである。そこで、世界に理想の共産主義国家があるかどうかを調べてみた。理想の共産主義国家は、存在した。それは、日本である」と語っています。まさに、当時の日本は、自由主義陣営にありながら、国家体制は、共産主義といっても良いものでした。

中国の「日本人が共産主義を語り始めた」というサイトに掲載されたアニメ
さて、当時の日本に、当時の中国の鄧小平氏が訪問しています。1978年の訪日時には様々な談話を残しました。「これからは日本に見習わなくてはならない」という言葉は、工業化の差を痛感したもので、2ヶ月後の第11期3中全会決議(その後の改革路線を決定付けた)に通じるものでした。また、帝国主義国家であるとして日本を「遅れた国」とみなしてきた中華人民共和国首脳としても大きな認識転換でした。新幹線に乗った際には「鞭で追い立てられているようだ」「なんという速さだ。まるで風に乗っているようだ」という感想を漏らしています。ほかには、「日本と中国が組めば何でもできる」という、解釈によっては際どい発言を冗談まじりに残してもいます。訪日時の昭和天皇との会見で「あなたの国に迷惑をかけて申し訳ない」という謝罪の言を聞いたとき、鄧小平は電気ショックを受けたように立ちつくしました。大使館に帰ると「今日はすごい経験をした」と興奮気味に話したといいます。

鄧小平氏(1979年)
鄧小平氏が目指した改革路線は、「富めるものから富め」という言葉に象徴されるように、社会の改革などなおざりにして、経済一辺倒のものでした。そのため、今日の中国は、酷い格差社会となり、社会不安が鬱積しており、人民の憤怒のマグマがいつ大規模に噴出してもおかしくない状況にあります。中国は、建国以来年平均2万件の暴動があるといわれていますが、それは、今日に至るも変わりありません。そうして、いまだに民主化、政治と経済の分離、法治国家化もされていません。

私は、中国はまずは、当時のような日本型の共産主義を目指すべきだったと思います。しかし、もう中国では、改革路線も終盤に入り、いまから、社会を安定させることが課題になると思います。このままだと、分裂するしかないと思います。その意味では、上記のウォールストリート・ジャーナルの指摘する三つの行き方は、間違いだと思います。まずは、日本が他の西洋諸国と同じような体制にあったかのような論点は全く間違いです。

新興国は、まずは、かつての日本のような、平等な社会を実現して、1億総中流ともよばれたような、経済的中間層を厚くすることが課題だと思います。こうした、層が全体を牽引し、社会的な安定をもたらしつつ、経済も発展させることになります。中国のような経済至上主義を追いかければ、社会不安が増し、へたをすれば、早い時期に分裂します。階級社会が温存されたような、西欧型を取り入れても、時間がかかるだけです。

上記のウォールストリート・ジャーナルの記事には、このような論点がありません。日本の特殊性について、完全に無視しています。これは、単なる間違いなのか、あるいは意図的なものなのかは、わかりませんが、日本の奇跡の経済発展の本質を無視しています。今更、日本型共産主義は無理かもしれませんが、日本がかつて歩んできた、中間層を拡大するという方向性は、特に経済的にまだ貧しい国にとっては、多いに参考にすべきことだと思います。日本が、短期間に社会を安定しつつ、驚異的な経済発展ができたのは、この原理によるものです。

新興国にとっては、社会を安定させつつ、経済発展をさせるには、これが最も近道だと思います。多くの経済学者なども、認めるところだと思います。それをウォールストリート・ジャーナルが、完璧にスルーするのは、新興国に経済的にも社会的にも、これ以上伸びてはほしくないという焦りがあるのかもしれません。

ご存知のように、こうした日本の共産主義のような体制は、1990年代に入って、当時の橋本首相によって、まずは、金融ビッグバンという形でかなり緩められ、他の規制もかなり緩むようになってきました。私自身は、これによって、日本の良さも随分失われたと思います。特に、日本の政治家や官僚による、社会を重要視する姿勢が随分失われたと思います。

西欧型の経済至上主義は、失敗したと思います。まずは、金融危機、リーマンショックなどで、綻びがでましたが、それを無理やり、巨額の財政出動と、大幅な金融緩和によってのりきったかのようにみえました。特に、アメリカでは、過去何度もこれを行い成功してきました。今回も、すっかりのりきっていたようにみえましたが、陰りがでてきています。EUもギリシャ破綻に端を発して、陰りがでてきています。それは、中国などの新興国も同じことです。

私は、世界は、今までは、西欧型経済至上主義はなんとか、危ない綱渡りをうまく切り抜けてきましたが、今後は、そのようなことはないと思います。経済、特に実体経済は、どんなに財政出動をしても、金融緩和をしても、根本的にかえることはできないと思います。やはり、社会を良くしなければなりません。

日本は、過去20年間にわたって、政府や日銀の対応もまずくて、ずっとデフレでした。このデフレ状況は、特にバブル崩壊後しばらくは、いわゆるバランスシート不況といわれる、それまで、世界が経験したことのない種類のものでした。これは、抜け出すのはなかなか容易なものではなかったのです。そのため、5年から、10年は、日本がデフレであったのは、いたしかたないと思います。しかし、その後10年はやりようがあったはずです。しかし、それも、政府と日銀の無能力のため、実現できず、いわゆる失われた20年という結果を招いてしまいました。

そうして、今日、おそらく、アメリカも中国も、EUも、かつて日本がはまった、このバランスシート不況にはまることでしょう。そうして、それは、最短でも、5年、長ければ、10年続くかもしれません。

世界の先進国そうして、新興国も、20世紀に入ってから、それまでとは変わった異質な社会へと突入しています。これから、世界の大部分の国は、不況に陥ることになります。

そのときに、なって、日本は、もともと、20年間デフレにみまわれ、十分経験を積んでいます。それに、日本の経済の復元力からいって、これ以上悪くなることは考えられませんし、どちらかというと、震災復興による内需拡大により景気は緩やかに回復していくと思います。

金メダルを獲得して、世界のトップランナーとなった荒川静香さん
昨日も似たようなことを述べましたが、今後日本が経済至上主義でもなく、また、過去の共産主義でもなく、デフレで培われた能力を生かしつつ新しい社会を形成するとすれば、世界同時不況に陥っている他国を尻目に、日本は新たな社会と経済のモデルとして、世界のトップランナーになることができるかもしれません。しかし、それには、経済至上主義ではなく、また、社会至上主義に復帰しなけれけばならないと思います。それなしに、日本が世界のトップランナーになることはありません。

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