2012年1月8日、シンガポール華字紙・聯合早報は、チャン・イーモウ監督の新作映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(金陵十三釵)」が米メディアに酷評されていると報じた。
南京大虐殺をテーマとした同作は2011年末の公開。大ヒットを記録し、興行収入4億5000万元(約55億8000万円)で、中国映画としては2011年最大のヒットとなった。第84回アカデミー賞を狙い、2011年末には米国の一部都市で上映されているが、3月からは全米で公開される予定だ。
【私の論評】虚構を現実にみせかけても、所詮つくりものと見透かされるだけ!!
詳細は、上の記事を読んでいただくものとして、中国では、反日バーチャルリアリティー・キャンペーンが、江沢民らによって1980年代から組織的、体系的に繰り広げていたため、このような作品でも、多くの人民に受け入れられてヒットになるのも頷けなくもないです。
そうして、この反日バーチャルリアリティー・キャンペーンの目的は、皆さん驚かれるかもしれませんが、日本がターゲットではありません。それは、他ならぬ中国人民です。
これには、背景があります。中国では、建国以来毎年平均中国全土で、2万件もの暴動がおこっています。これは、中国では、民主化、政治と経済の分離、法治国家化がなされていないため、当然といえば、当然の結果かもしれません。こうした暴動は、発生するたびに、武装警察か、武装警察が手におえなければ、人民解放軍がことごとく鎮圧してきました。
厳しい取り締まりがあるので、数は増えていませんが、建国以来のこの暴動、そのまま放置しておけば、そのうち大事になるのは、わかりきっています。だから、建国以来中国では、反日キャンペーンなど継続して行ってきたのですが、天安門広場事件なる大虐殺事件も発生したわけですから、特に1980年代から単なるキャンペーンではなく、江沢民が体系的な反日活動に変更したのです。
江沢民 |
これによって、中国共産党に対する、人民のうらみつらみ憤怒の感情などを日本にそらして、中国の国家体制を維持したのです。このような、体系的反日キャンペーンは、意外と歴史は浅いのです。体系的というくらいですから、むろん、国家レベルで、教育から何から、ありとあらゆる、部分で、反日活動が行われるようになったのです。
そのため、中国では、年齢層が高い人は、子供の頃には反日キャンペーンの洗礼を受けていないので、あまり反日的ではありません。実際、1970年代くらいまでは、今日みられるような、大規模な反日キャンペーンなどあまりみられませんでした。しかし、1980年代あたりからの、体系的な反日キャンペーンが徹底的に行われたため、これらの洗礼を受けた人たち、30歳台以下の人たちに反日意識が高いという結果になっています。
その一環として、南京虐殺なるフィクションンもつくられたわけです。そもそも、実際には存在しフィクションであるため、歴史的な事実として残っていないため、映画がをつくっても、正確な時代考証などできないわけですから、アメリカ人などがみれば、いかに、巧妙につくったにしても、作り物にしかみえないわけです。
南京虐殺が歴史的事実をであれば、たとえば、映画をつくるにあたって、監督などが、南京市内をまわって、お年寄りなどから時の模様を取材すれば、真実を聞き出し、時代考証もきちんとでき、リアリティーあふれる作品になったかもしれません。しかし、そのような史実が存在しないから、取材のしようもありません。
そもそも、そのような事実が存在しないどころか、南京虐殺があったとされる時期に、住んでいたお年寄りに話をきけば、日本軍が、南京市民を馬賊から守って保護していたなどの話しかでてこなくて、映画作成のための取材などそもそも成り立たなかったことでしょう。
取材がなりたたないとすれば、やることは、複数文献をあたることだけです。しかしその文献もありもしない事実を捏造しているだけなので、あてにはなりません。複数の文献をみて、その出典などあたっていっても、元の文献は存在しません。どこかで、矛盾が出るでけです。そうなれば、監督が自分の頭で創作するしかありません。だからこそ、12月の南京で、足をあらわにした、女性が登場するなどの、頓珍漢なことがおこってしまい、リアリティーが出ないのです。
皆さんは、カティンの森事件をご存知でしょうか? カティンの森事件(カティンのもりじけん、ポーランド語: zbrodnia katyńska、ロシア語: Катынский расстрел)は、第2次世界大戦中にソ連のグニェズドヴォ近郊の森で約4400人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者が内務人民委員部(NKVD)によって銃殺された事件。「カティンの森の虐殺」などとも表記します。
「カティン(カチンとも、Katyń)」は現場近くの地名で、事件とは直接関係ないものの、覚えやすい名前であったためナチス・ドイツが名称に利用しました。(ちなみに下の写真は当時撮影された虐殺現場です。無数の死体が折り重なるように散乱しています)
第二次世界戦中にドイツと、ソ連は当時のボーランドに侵攻しました。その結果、ソ連によるポーランド人捕虜はコジェルスク、スタロビエルスク、オスタシュコフの3つの収容所へ分けて入れられました。その中の1つの収容所において1940年の春から夏にかけて、NKVDの関係者がポーランド人捕虜に対し「諸君らは帰国が許されるのでこれより西へ向かう」という説明を行った。この知らせを聞いた捕虜達は皆喜んだが、「西へ向かう」(ちなみに西方は、日本でも黄泉の国を意味という言葉が死を表す不吉なスラングでもあることを知っていた少数の捕虜は不安を感じ、素直に喜べなかったといいます。彼らは列車に乗せられると、言葉通り西へ向かいそのまま消息不明となりました。この人たちが虐殺されていたということです。
犠牲者は、二十数万人にのぼるといわれています。この虐殺事件に関しては、戦後でさえ大量の遺骸が何回も発見されていました。何回も発見され、かなり証拠もみつかっているため、ソ連も、いまのロシアでさえ、この事件があったことを否定はしていません。これだけ、明白であれば、否定のしようもないでしょう。
対して、中国はどうかといえば、南京では、30万もの人民が虐殺されたとしています。であれば、戦後数十年を経た現在までに、何回も遺体が発見されてしかるべきです。いまでもあちこち、探せば遺骨などでてくるに違いありません。確かに、遺体が発見されたという中国メディアによる報道は過去にあったことがあります。そうして、その証拠写真なるものも、報道されていたこともあります。しかし、その写真ときたら、素人の私にでもわかるような、偽造写真でした。
もし、南京虐殺がカチンの森事件のように真実であるとしたら、とうに虐殺現場など世界の報道陣に公開され、日本に対しても、有無を言わせぬ証拠となったはずです。日本の歴史学者で、南京虐殺をまともに調べたかたが、「たかじんのなんでも言っていいんかい」という番組に出演して「南京虐殺は、玉ねぎのかわを剥ぐように、事実を時はがしていけば、いくほど、実体のないものであることがわかる」としていました。
私もそう思います。ドイツ軍によるユダヤ人虐殺の事実は、誰もが否定しようもない事実で、戦後も数多くの証拠や、証人もいます。30万人もの人間を虐殺すれば、その事実は、隠しようもなく、いずれ白日のもとにさらされたはずです。中国政府は、南京虐殺記念館などの展示物などを開陳して、全世界の歴史学者などに公開すべきと思います。そうすれば、南京虐殺事件は、歴史的事実にできたかもしれません。それを未だにしないということは、虐殺の事実などないことを認めているようなものです。します)
私は、このような映画をいま頃作成するということは、今にいたるまで、人民の不満がくすぶっている証拠だと思います。このような映画を放映しているうちに、中国人民の映画の見かたも変わってくるのではないかと思います。そうです。映画にででくる残忍な日本兵を中国人民解放軍に重ね合わせて見るようになるのではないかと思います。(下は、中国人民解放軍に虐殺された人々の遺体を取り囲むむ人々)
実際、一昨年あたりでは、反日デモがいつのまにか、中国体制批判にかわっているなどのことがあり、中国当局が、反日デモの開催を禁止するようになりました。また、反日サイトも閉鎖するようになりました。
私は、中国はこのままでは、人民の憤怒のマグマが鬱積して、いずれ暴力革命がおこるのではないかと思います。それを防ぐ唯一の道は、反日キャンペーンなど、一日もはやくやめ、民主化、政治と経済の分離、法治国家化を一日もはやく、強力に推進することです。
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