2018年4月26日木曜日

高橋洋一の霞ヶ関ウォッチ 野党は審議拒否でなく法改正対応案を提出すべき―【私の論評】野党は本来政府の統治を監視し間違いがあれば正すべき存在(゚д゚)!

高橋洋一の霞ヶ関ウォッチ 野党は審議拒否でなく法改正対応案を提出すべき

先日、あるラジオ番組に出演した。といっても、スタジオには行かずに、10分弱の携帯電話での出演なので、気楽に対応できる。

案件は、財務省の福田事務次官(当時)の辞任に関することだった。

野党6党合同ヒアリング

今の国会の惨状は見かねる

  まず、福田事務次官の退職金5300万円が高すぎないかというスタジオのコメンテーターからの問いかけだ。筆者は、その感想は人によって違うだろうが、退職金計算は法律によって決められていると答えた。筆者は高すぎるとの答えを期待されていたようだが、元官僚らしい事務的な答えにスタジオは意表を突かれたようだった。

  次に、今回のような不祥事に対して、何かすべきことはないかという問いだった。筆者は、20年前に「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」があって、そのときには、大蔵省解体といって、当時の大蔵省から金融行政部門が分離されたといった。

ノーパンしゃぶしゃぶで一躍有名になった「楼蘭(ローラン)」のパンフレット
写真はブログ管理人挿入 以下同じ

   それに対し、そうした意見がなぜ今の財務省の内部から出てこないのかと聞かれた。そのコメントを聞いたとき、組織解体論はその組織から出てくるはずがないだろうと思ったが、ラジオでの答えは、そうした官僚組織の対応は法改正によって行うので、立法府である国会議員がやるべき仕事であるといった。その答えに、スタジオは納得していない雰囲気だったので、今の国会では、野党は(維新を除いて)審議拒否している。官僚の不祥事に文句をいうには、法改正案を提出して対応すべきといった。

   正直いって、ラジオ番組の雰囲気になじまなかったのかもしれないが、今の国会の惨状は見かねる。

野党6党合同ヒアリングは「パワハラ」か

    吉村洋文・大阪市長が24日午前の衆院厚労委に参考人として出席したが、野党6党は審議拒否で欠席した。先日も、国会で参考人を呼んでおきながら、野党6党は参加しなかったが、これは忙しい中で出席している参考人に失礼だろう。

吉村洋文・大阪市長

   野党6党は、麻生財務相の辞任などを要求して審議拒否なのだが、驚くべきは自らが共同提出した生活保護法改正案の審議も拒否している。これは、立法府の国会議員としての自己否定になる暴挙だ。

    国会議論を拒否しながら、野党6党合同ヒアリングを開き、そこに官僚を呼びだして、連日つるし上げている。

   そこに出席している官僚は、国会で政府参考人として答弁する局長レベルではなく、答弁できない課長レベルの人だ。当然のことながら、彼らが役所から与えられている発言権は極めて小さいので、同じ答弁を繰り返さざるをえない。野党6党は、相手の官僚が同じことを繰り返しまともな反論ができないことを知りながら、罵倒している。

   この光景はテレビでごく一部は報道されるが、ネット上では全体が流れている。全部を見たら、1時間ほどの野党議員による官僚への「パワハラ」に見えなくもない。

    財務省不祥事にはいいたいことが山ほどあるのは理解できる。財務省解体、消費増税ストップなど筆者もいろいろな意見がある。国会議員は、そうした意見を立法によって実現できる。

    国会での審議拒否ではなく、まともな法改正対応案を国会に提出して、国会議員としての職務をおこなうべきである。国会場外で答弁能力のない下っ端官僚を怒鳴るより、国会において対応法案を提示し大臣と議論して欲しい。

++ 高橋洋一プロフィール
高橋洋一(たかはし よういち) 元内閣参事官、現「政策工房」会長
1955年生まれ。80年に大蔵省に入省、2006年からは内閣参事官も務めた。07年、いわ ゆる「埋蔵金」を指摘し注目された。08年に退官。10年から嘉悦大学教授。著書に 「さらば財務省!」(講談社)、「『年金問題』は嘘ばかり」(PHP新書)、「大手新聞・テレビが報道できない『官僚』の真実」(SB新書)など。

【私の論評】野党は本来、政府の統治を監視し間違いがあれば正すべき存在(゚д゚)!

この野党の審議拒否に関しては、テレビ報道でも批判されています。本日バイキングを見ていたら、さすがに野党の審議拒否に関しては否定的なコメントがなされていました。

さらに、驚くべきことに、野党の議員は午前中には、審議拒否をしながら、午後の園遊会にはちゃっかり参加している野党議員が大勢いたことが明らかになりました。

自民党の宇都隆史参議院議員のFacebookのコメントを以下に掲載しておきます。
春の園遊会、午前中までの土砂降りが嘘のように、晴れ間が見えました。両陛下の御健康と皇室の弥栄を祈念申し上げます。 
しかし、午前中の本会議も審議拒否、国会議員としての本分を放棄しているにもかかわらず、園遊会にはちゃっかり出て来て飲み食いする野党議員の数々…諸君、お天道様に恥ずかしくはないかい?

通常の神経なら、園遊会の参加は見合わせても国会の審議には出席するというのが常識だと思います。したがって、国会を審議拒否で出席しないというのなら、園遊会への参加も見送るべきでしょう。

もう野党議員は、次の選挙では当選するかどうかもわからないので、議員である間に議員として享受できる名誉、特に天皇陛下臨席の園遊会には何が何でも参加したいということでしょうか。

本来なら審議拒否などしないで、国会審議に参加した上で、園遊会にも参加すべきだったでしょう。

これは、常識を疑う行為ですが、そもそも野党の議員らは、政府や国会の役割など全く理解していないのではないでしょうか。

先日もこのブログに掲載したことですが、政府の仕事の本筋は日本という国の統治です。実行することは、本筋ではありません。これに関しては誰も否定できないでしょう。これを否定するような人は、そもそも政治を語る資格がありません。

しかし、「統治」とは一体何をすることなのかと、問われるとすぐに答えらない人もいるかもしれません。これは、社会の中であらゆる組織において実際に「統治」に関わる人の数が圧倒的に少数だからだと考えられます。それに、学校などでもまともには教えられていません。

一般的な辞書の定義だと統治とは、「特定の少数者が権力を背景として集団に一定の秩序を付与しようとすること。政治とほぼ同義に用いられることが多いですが、厳密に解すれば、統治は少数の治者と多数の被治者との分化を前提とし、治者が被治者を秩序づけることを意味するのに対して、政治は、少なくとも、対等者間の相互行為によって秩序が形成されることを理想としている」などと定義されています。

しかし、これでは「統治」の本質をあらわしていません。特に政府の役割としての「統治」をあらわしていません。この政府の役割としての「統治」については、以前もこのブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
ただ事ではない財務省の惨状 同期ナンバーワン・ツー辞任 ちやほやされてねじ曲がり…―【私の論評】統治と実行は両立しない!政府は統治機能を財務省から奪取せよ(゚д゚)!

詳細は、この記事ご覧いただくものとして、この記事から政府の役割としての統治に関する部分のみを引用します。

"
経営学の大家ドラッカー氏は政府の役割について以下のように語っています。
政府の役割は、社会のために意味ある決定と方向付けを行うことである。社会のエネルギーを結集することである。問題を浮かびあがらせることである。選択を提示することである。(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)
この政府の役割をドラッカーは統治と名づけ、実行とは両立しないと喝破しました。
統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺する。しかも、決定のための機関に実行させても、貧弱な実行しかできない。それらの機関は、実行に焦点を合わせていない。体制がそうなっていない。そもそも関心が薄い。
 といいます。
"
野党はこの政府の役割である「日本国の統治」ということをほとんど理解していないのだと思います。だからこそ、高橋洋一氏が指摘するように「野党6党合同ヒアリングを開き、そこに官僚を呼びだして、連日つるし上げている。 そこに出席している官僚は、国会で政府参考人として答弁する局長レベルではなく、答弁できない課長レベルの人だ」のようなことをしているのです。

財務省の課長レベルの人は、あくまで実行をする部隊であって、統治とは直接関係ありません。本来政府の「決定と方向付け」に従い、実行をする人です。

ただし、財務省に問題がないとはいいません。しかし、その問題の本質は野党が批判する、文書書き換えやセクハラなどの問題ではありません。これは、実行に関する問題であって、統治に関する問題ではありません。だからといって、一切無視するなともいいませんが、これは明らかに本筋ではないのです。

財務省の問題の本質は、財務省が中途半端に「統治」をしていることです。特に財政に関して政府の決定に従うのではなく、「増税」の意思決定をしたり、「緊縮財政」の意思決定をして、それを実行しようとして官邸とバトルをしたり、マスコミや国会議員、識者などの働きかけるなどの明らかな越権行為があるということです。

日本などの民主的な国家においては、国の統治は選挙という民主的な手続きを経て議員となった人から構成される政府によって行われるべきものです。選挙という民主的な手続きを経ていることが、「統治の正当性」を保証するのです。

しかし、官僚は選挙を経てなるものではないので、統治の正当性はないのです。本来統治してはいけないのです。彼らが行うべきは統治ではなく、実行なのです。マックス・ウェバーが指摘していたように、官僚組織は、すでに決まったことを効率よく実行するための組織なのです。

財務省が実質的に財政の方向性を定めるような統治機能の一部を担い、統治と実行を両立させようとするがゆえに、統治能力が麻痺し、デフレの真っ只中において増税するなどの方針を定めるなど、まともな財政政策ができなくなるのです。

野党は、このような統治に関することを問題とするのでなく、実行レベルの問題ばかり追求し、政府を批判します。実行レベルの問題は、本筋ではありません。本来ならば、財務省が中途半端に統治をしている実体を批判すべきです。

そうして、それは国会の審議の場で、財務大臣や政府を相手に批判すべきなのです。そうして、批判するだけではなく、実際に財務省が中途半端な統治を行っていることにより、政府の統治に瑕疵(かし)が生じている実体を明らかにし、それを防ぐ手立てとしての法律の改定や新設を政策案とともに提案すべきなのです。

無論、政府も財務省から中途半端な「統治の機能」を取り上げるべきなのです。野党は、政府を批判するなら、実行レベルの事柄を批判するのではなく、財務省から「統治の機能」を取り上げることをしない政府と統治機能を堅持しようとする財務省の官僚を批判すべきなのです。

民主主義体制下の国会議員の仕事の本質は、政府が民主主義的な手続きにのっとり統治ができるようにするために、監視をしたり、瑕疵(かし)があればそれを正すために法律案を出したり、政策案を出すことです。野党は本来政府の統治能力の問題を批判し正すべき存在のはずです。

しかし、野党の議員を責めているだけでは、何の問題の解決にもなりません。実際、今の彼らの大部分は選挙に勝つための選挙互助会を求める烏合の衆に過ぎず、まともにものを考えられないようです。だから、頓珍漢な行動をとっていても自分たちは気づかないのです。

本当に必要なのは以前このブログにも掲載したことのある、立憲主義(ブログ管理人注:立憲民主党とは関係ありません。むしろ立憲民主党こそ、立憲主義から程遠い存在です)に基づいた政府の統治能力を強化する、政治システム改革なのです。これを実行しなければ、今日の日本の政治の問題はいつまでたっても解決することはなく、同じようなことが何度でも繰り返されることになります。

この問題は短期で解決できるものではないです。少なくとも、安倍政権には方向だけは定めていただきたいものです。

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