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2015年3月23日月曜日

海外で「東京裁判は司法殺人である」とする複数の論証出る ―【私の論評】戦後70周年にあたる今年、私達は東京裁判史観の呪縛から自らを解き放つ時期にきている(゚д゚)!


2015.03.23

現在の歪んだ日米関係を紐解くには、やはり東京裁判の再検証が必要だ。近年、海外の識者、ジャーナリストのなかにも東京裁判に否定的な見解を示す者が少なくない。国際ジャーナリストの藤田裕行氏がそうした意見を紹介しながら、東京裁判の「連合国戦勝史観」からの脱却を訴える。

* * *

ダクラス・マッカーサー 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 「戦後七十年、二十一世紀の日本は、未だにマッカーサーによって呪縛されたままだ」

ヘンリー・スコット・ストークス氏
 そう語るのは、ヘンリー・スコット・ストークス氏。英国『フィナンシャル・タイムズ』の初代東京支局長、米国『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長などを歴任した、日本外国特派員協会の最古参ジャーナリストである。ストークス氏は近著『目覚めよ!日本』(日新報道刊、植田剛彦氏との対談)で「連合国戦勝史観の呪縛からの脱却」(副題)を訴えている。

「黒船で日本にやって来たペリーが、アメリカのために発見したのが横須賀でした。基地の占奪が来航目的だったのです。その一〇〇年にわたるアメリカの野望を実現したのが、マッカーサー元帥でした。

マシュー・ペリー
 昭和二十年九月二日、日本の降伏文書調印式が、戦艦『ミズーリ』の艦上で行なわれました。その場所こそが、ペリーの黒船艦隊の旗艦『サスケハナ』の投錨地(アンカレッジ)でした。マッカーサーは、ペリーが浦賀に来航した時に掲げた星条旗の現物を、アメリカ本土のアナポリスにある海軍兵学校から、わざわざ取り寄せたのです。アメリカは一八五三(嘉永六)年にペリーが目的としたアメリカ海軍基地を、ついに手に入れたのです。それが、アメリカの横須賀海軍基地です」

日本の降伏文書調印式が行われた戦艦『ミズーリ』

ストークス氏も私も、日本外国特派員協会を「仕事場」にしている。斜め向かいには第一生命ビルがあり、マッカーサーは、皇居を睨むこのビルに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)を置いた。

「公的組織のような名前をつけていますが、GHQはマッカーサー一人のものでした。神の御業の地上代行者と過信して、天皇も含め全てを意のままに操り、国際法も一切遵守することなく、占領政策を推進しました」(同前)

ストークス氏は、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判は、「欧米の秩序を脅かした日本に対する復讐劇」であり、連合国側の「プロパガンダ」に過ぎないと位置づけるが、彼のほかにも海外で、「東京裁判は司法殺人である」と論証する本が出版された。

広田弘毅
『司法殺人』の著者デール・スミス博士は、現職のオーストラリア・ブリスベンの高等裁判所判事である。ブリスベンといえば、東京裁判のウェッブ裁判長の故郷でもある。不思議な因縁すら感じてしまう。私が邦訳準備をしているが、スミス博士は著書で、軍事裁判においてなぜ非軍人だった広田弘毅・元首相が処刑されなければならなかったのかと問題提起し、「広田の処刑は、『司法殺人』の疑いが濃厚である」と、法律の専門家の立場から論じている。

※SAPIO2015年4月号

【私の論評】戦後70周年にあたる今年、私達は東京裁判史観の呪縛から自らを解き放つ時期にきている(゚д゚)!

以下に、極東国際軍事裁判の内容について簡単にまとめておきます。

これは、大東亜戦争終結後に、いわゆる「A級戦犯」を裁くために行われた、いわゆる「 東京裁判」(極東国際軍事裁判)の動画です。

 

極東国際軍事裁判(The International Military Tribunal for the Far East)は、第二次世界大戦で日本が降伏した後、連合国軍が「戦争犯罪人」として指­定した日本の指導者などを裁いた一審制の裁判のことです。

以下に東京裁判の動画のURLを掲載しておきます。これらの動画から抜粋したのが、上の動画です。非常に長い動画ですが、日本人として一度は、視聴しておくべきものと思います。
東京裁判 vol1/4
東京裁判 vol2/4
東京裁判 vol3/4
東京裁判 vol4/4
以下に、極東国際軍事裁判にて裁かれた人々の名簿を以下に掲載します。

■いわゆる「A級戦犯」として起訴された人:全28人
●処刑された人々:7人
東条 英機(とうじょう ひでき) 陸軍大臣/総理大臣
広田 弘毅(ひろた こうき) 外務大臣/総理大臣
板垣 征四郎(いたがき せいしろう) 陸軍大将
土肥原 賢二(どいはら けんじ) 陸軍大将
木村 兵太郎(きむら へいたろう) 陸軍大将
武藤 章(むとう あきら) 陸軍中将
松井 石根(まつい いわね) 陸軍大将
●獄死した人々:7人
松岡 洋右(まつおか ようすけ) 外務大臣
東郷 茂徳(とうごう しげのり) 外務大臣
白鳥 敏夫(しらとり としお) 駐イタリア大使
永野 修身(ながの おさみ) 軍令部総長
梅津 美治朗(うめづ よしじろう) 陸軍大将
小磯 国昭(こいそ くにあき) 陸軍大将/総理大臣
平沼 騏一郎(ひらぬま きいちろう) 総理大臣

●名誉を回復した人々:14人
大川 周明(おおかわ しゅうめい) 思想家
木戸 幸一(きど こういち) 内務大臣
南 次郎(みなみ じろう) 陸軍大将
畑 俊六(はた しゅんろく) 陸軍元帥
橋本 欣五郎(はしもと きんごろう) 陸軍大佐
荒木 貞夫(あらき さだお) 陸軍大将
大島 浩(おおしま ひろし) 陸軍中将/駐ドイツ大使
佐藤 賢了(さとう けんりょう) 陸軍中将/軍務局長
鈴木 貞一(すずき ていいち) 陸軍中将/企画院総裁
嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう) 海軍大将/海軍大臣
岡 敬純(おか たかずみ) 海軍中将/軍務局長
星野 直樹(ほしの なおき) 満州国総務長官
賀屋 興宣(かや おきのり) 大蔵大臣
重光 葵(しげみつ まもる) 外務大臣

●開廷前に自殺した人:1人
近衛 文麿(このえ ふみまろ) 総理大臣
A級戦犯はどのように選ばれたのか

日本に降り立ったマッカーサーは、まず部下に対して、 「トウジョウを逮捕せよ。そして早急に同種の戦争犯罪人のリストを作成せよ。」 との命令を下しました。

しかし、彼らの日本の政治や軍に対する知識は乏しく、いっこう に作業ははかどりませんでした。マッカーサーも機嫌を悪くしていました。 困った部下たちは、とりあえず東条内閣時代の全閣僚や日本に協力した外国人などを含め て、39人の「A級戦犯容疑者」リストを作りました。 

その後、容疑者は次々に追加され100人以上になりました。その中から、マッカーサー から国際検事局局長に任命されたキーナンが28人の起訴する容疑者を選定したのです。 

しかし、その後、ソ連の検事団が駐ソ大使を務めた重光葵元外相と関東軍司令官だった梅 津美治朗大将を「A級戦犯」に加えろ、さもなくば裁判に参加しないと脅してきました。
 
これに対し、アメリカは怒りながらも「連合国の裁判」という体裁を保つためにソ連の参 加が不可欠だったため、被告席の数が決まっているなら、元首相・安倍信行大将と真崎甚 三郎大将を外して、重光・梅津を入れるというソ連の横車をマッカーサーは認めてしまい ました。 

「A級戦犯」にされるもされないも、ただ単に「戦勝国側の都合」だけが基準だったのです。

弁護団副団長 清瀬弁護士の発言 

「ポツダム宣言」に無かった「平和にたいする罪」「人道にたいする罪」で裁判する権限 は誰にも無い!連合国といえども「ポツダム宣言」を守らねばならない!連合国におかれ ては、今回の戦争の目的の一つが国際法の尊重であるということを言われております!

ブレイクニー弁護士の原爆に触れた発言 

我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も 承知している。その国の元首の名前も我々は承知している。彼らは殺人罪を意識していた か。してはいまい。
原爆を投下したものがいる! この投下を計画し、その実行を命じこれを黙認した者がいる! その者たちが裁いているのだ!

このような意見に対して、裁判長は明確にせず「却下」を続けたのです。 

戦勝国として裁判に参加したソ連

日本はソ連と戦争はしていませんでした。「中立条約」を結んだ準同盟国だったのです。 その条約に違反し、敗戦確実の日本を火事場泥棒的に攻めて領土を奪い、100万人もの 日本人を強制連行して虐待労働させている最中の国が、なんと「正義の連合国?」の一員 として裁判官席に座っていたのです。

ソ連は東京裁判を「日露戦争の復讐」と考え、1938年の張鼓峰事件と1939年のノ モンハン事件を日本の侵略として訴因入れました。 しかし、これらの事件は既に日ソ間で休戦協定が結ばれており、それを無視して一方的に 断罪してきたのです。 そのため、清瀬一郎弁護士は、これに関しては「既に解決済みである!」と主張していたのです。

パール判事の言葉



パール判事は、この東京裁判で日本が国際法に照らして無罪であることを終始主張し続けたインド人判事です。田中正明著『パール博士の日本無罪論』によれば、同判事は日本の教科書が東京裁判史観に立って「日本は侵略の暴挙を犯した」「日本は国際的な犯罪を犯した」などと教えていることを大変に憂えて「日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、頽廃に流されて行くのをわたくしは平然と見過ごすわけにはいかない」と発言したことが明らかになっています。

日本が敗戦で呆然自失し、思想的にも文化的にも、日本人のアイデンティティーを失っていた時代に、パール判事の言葉はどれだけ日本人に勇気と希望を与えてくれたことか。わたしたちは決してこの恩義を忘れることはありません。

このパール判事の冷静かつ公平な歴史感と人権に感服し、義兄弟の契りまで結んだ平凡社創設者下中弥三郎は、世界連邦アジア会議を開催してそのゲストとしてパール博士を招致しました。その没後二人を記念する建設委員会によって創設されたのが、箱根町の丘の上にあるパール記念館である。正式には「パール下中記念館」と呼ばれています。

以上の文章や、動画をご覧いただければ、いかに極東国際軍事裁判が、いかに虚偽にみちたものであるかがお分かりになると思います。

私たちは、この事実を胸に刻み、戦後の東京裁判史観に染まることなく、ブログ冒頭の記事にある「東京裁判は司法殺人である」とする複数の論証が出てきたことを契機に、他に強要されることのない日本人としての歴史観を持つべきものと思います。

ちなみに、東京裁判史観とは、以下のようなものです。

東京裁判によって下された判決の内容はすべて正しく、満州事変にはじまり、大東亜戦争に終わった、日本が関係した各種事件、事変、戦争は、すべて日本が東アジアおよび南方諸地域を略取し、支配しようとした、被告たちの共同謀議に基づく侵略戦争であって、戦前、戦中の日本のなした各種行為、行動はすべて「悪」であったとする歴史観です。

日本が支那を侵略したために、太平洋戦争に突入したなどという歴史観。まさにアメリカの占領政策によって植えつけられた誤った史観です。

自己否定、卑屈、盲従、無定見をもたらす精神構造のこと。今最大の問題となっている日本人の精神の荒廃は、東京裁判で始まっているといえます。

昭和3(1928)年以降の日本国の対外政策・外交方針は一口に言って侵略的であり、道義にもとるものである。武力行使を発動したときには、常に国際法で言うところの戦争犯罪を伴っていたとするものです。

この東京裁判史観は、日本の初等・中等教育における教育方針、教科書の編集、記述方針を完全に支配してしまいました。この史観が教育界を支配してしまったのは昭和24、5年の頃で、日教組が教育界を支配していった趨勢とほぼ並行しています。教科書作成のガイドラインである「学習指導要領」という文書が、日教組の巧妙な浸透によって彼らの思い通りに策定されるという形でここれが、浸透してしまったのです。

しかし、この動きも近年徐々にではありますが、改善されつつあります。私達は、戦後70周年にあたる今年、こうした不当な歴史観の呪縛から自らを解き放つ時期にきていると思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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【関連図書】

歴史問題は、東京オリンピック当たりまでは中国や韓国でも、あまり大きな問題とはなっていませんでした。それらが問題になったのは、80年代あたりからです。中韓政府が、国内の根本的な問題を解決できなかったため自分たちの保身のため日本を悪者に仕立てたというのが真相です。

そんなことは、私達日本人自身が良く知っていたことなのに、戦後70年もたつと、それを知らない人、教えられてない人、知ろうとしない人が増えてきました。

以下の書籍は、歴史問題を考える上で非常に良い、視点を提供してくれます。是非ご覧になって下さい。

歴史問題をぶった切る《最終解明版》 占領支配者が謀った《国魂(くにみたま)占領》の罠 (Knock‐the‐knowing)
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2013年6月8日土曜日

哲学者・適菜収 木を見て森を見ない人々―【私の論評】ニッポン人は、いつから大きな枠組みも、大きな時代の流れも見えなくなったのか?

哲学者・適菜収 木を見て森を見ない人々

適菜収

「客観的事実」を伝えることは難しい。程度の差こそあれ「事実」は主観の産物であるからだ。紅茶に砂糖を入れたら甘くなるのは「客観的事実」だが、最終的に「甘い」と判断するのは人間だ。これが、歴史認識や戦争の問題になると一筋縄にはいかなくなる。それどころか、一部の「事実」をクローズアップすることで全体像が隠蔽(いんぺい)されることもある。

作家の開高健(1930~89年)は、戦時下のベトナムを取材した。戦争の不条理を毎日のように目撃し、自身も命を落としかけながら、米軍の武装ヘリコプターとベトコン兵士の戦闘について「広大な熱帯のサフラン色に染まった夕焼けのなかで双方の曳光弾(えいこうだん)は苛烈に美しかった」(『ベトナム戦記』)と書いた。

開高健

開高は朝日新聞社臨時特派員としてベトナム共和国軍に従軍し、帰国後はベ平連に加入している。にもかかわらず、開高は当時のイデオロギー的熱狂を拒絶し、目の前にある「事実」を描写し続けた。ニョク・マム(魚醤(ぎょしょう))の臭い、街角の血の臭い、熱帯夜の臭い、昼寝をするベトナム人、地雷、日常化し数字にすぎなくなった「死」…。ベトコン少年の公開処刑を見た開高は、吐き気を覚えながらも感傷に走らない。

「もしこの少年が逮捕されていなければ彼の運んでいた地雷と手榴弾(しゅりゅうだん)はかならず人を殺す。五人か一〇人かは知らぬ。アメリカ兵を殺すかもしれず、ベトナム兵を殺すかもしれぬ」

この記事の続きはこちらから!!

【私の論評】ニッポン人は、いつから大きな枠組みも、大きな時代の流れも見えなくなったのか?

上の記事、ひさしぶり開高健氏の名前をみつけたので、掲載しました。開高氏といえば、私の中で晩年の写真集「オーパ!」が懐かしいです。今でも、実家にかえればあの写真集が私の本棚のなかにはるはずです。

それにしても、開高氏の報道姿勢は本当に素晴らしいものだったと思います。とにかく、戦争報道など、イデオロギーなどの枠組みにとらわれることなく、目の前の事実を執拗に追い続けたという姿勢は高い評価に値すると思います。


戦争報道など、いらぬ視点など抜きにして、報道するというのが本来のあり方ではないかと思います。伝聞・二次情報などではなく、現場情報、一時情報にこそ価値があります。イデオロギーの手垢にまみれた情報などとは異なり、一時情報は、時がたってもますます価値が増します。だからこそ適菜氏は、「開高のルポタージュは、こうした自己に対する厳しい視点から生まれた。イデオロギーの垢(あか)にまみれた結論ありきの「正論」を開高は嫌ったのだった。ベトナムについて書かれたルポタージュの多くが、戦争の実態が明らかになるにつれ価値を失ったのに対し、開高の報告は輝きを増し続けている」と高く評価しているのだと思います。 

ところが、一方橋下大阪市長の「従軍慰安婦」等の発言に関しては、手厳しく批判しています。特に橋下氏の「侵略」発言に関しては、「学術上(の定義が)定まっていなくても敗戦の結果として侵略だった」とのわけのわからない論理により、わが国の国際的立場を著しく低下させたということだ」という発言に関しては、「一割の正論に目をくらませられ、九割の暴論を見逃す人々がいる」として手厳しく批判しています。

橋下大阪市長
私自身は、「慰安婦問題」に関しては、確かに橋下氏の言い分は、間違ってはいないと思います。しかし、「侵略」に関してはどうしても納得はできませんでした。これに関しては現在の尺度で当時をみて、それで侵略か侵略でないかなどと、とうていはかりきれるものではありません。

マッカーサーが朝鮮戦争からアメリカに帰国して、その直後に公聴会で証言をしていますが、その証言で、「日本が行った戦争は、侵略戦争ではない、あくまでも自分たちを守るための防衛戦争だった」と証言しています。マッカーサーは、実際に朝鮮戦争を戦って、イデオロギーまみれの二次情報だけではなく、自ら一次情報を得ることにより、なぜ日本がわざわざ満州帝国を建国したのか、実際に朝鮮や中国でどのような統治をしていたのか、あるいは、当時の中国国民党軍と日本の事変とはどのようなものであったのか、なぜ朝鮮戦争は起こったのかなど一次情報を集めた結果、そう結論づけたのです。
 
公聴会で証言するマッカーサー

そうして、その読みは正しかったのですが、その当時の純粋無垢でアメリカのいわゆる良き小市民にすぎないトルーマン大統領にとっては、当時はソ連やスターリンをアメリカの親しい友人とみなし、日米の戦争や、日中の衝突、朝鮮戦争でさえ、背後にソ連が控えていたことを見破ることはできませんでした。 マッカーサーは日本の手によって一大工業地帯となっていた満州への核攻撃まで主張したのですが、これに対しトルーマンは「それは戦略的には正しいのだろうが、政治的には受け入れられない」と一蹴しました。

ここに至って、ついに1951年4月マッカーサーは解任されました。しかし、この際に、マッカーサーが主張したようなことを実行するか、核をつかわないまでも、もっと厳しい措置をとっていたら、アジアの未だ解消されていない冷戦構造ははやめに解消されていたかもしれません。あるいは、その後の日本の運命も変わったかもしれません。


典型的にアメリカの善良な小市民であったトルーマン

これような歴史的事実を知ってから知らずしてか、橋下市長は、「敗戦の結果として侵略だった」としてわが国の国際的立場を著しく低下させたわけです。

そうして、そのことに本人はもとより、これらに幻惑されているニッポン人も大勢いるということです。橋下市長はもとより、多くのニッポン人(日本的な伝統文化を継承していない日本人という意味)が、何事を見るにおいても、大きな枠組みも、大きな時代の流れも考慮にいれず、ただただ目の前の事実をすでにある他者の視点から眺めて、そこで事実を理解しています。だからいつまでたっても、木を見ていて森をみることができません。

そうして、どうしてそのようになってしまったといえば、何か一つの事象を捉えるにしても、日本はもとより、もっと大きな範囲、さらには、今という時点だけではなく、過去にもさかのぼって考えるという習慣をなくしてしまったからではないかと思います。

慰安婦の問題や、侵略の定義にしても、それこそ大きな世界枠組みの視点から、時間的にも少なくとも100年前からたどってみれば、真実が見えてくるはずです。そうして、このような見方は、従来の少なくとも戦前の日本人なら簡単にできたはずです。特に、コミンテルンなどのイデオロギーに煽られる前の日本人であればできたはずです。しかし、戦争に突入する直前から以降そうではなくなり、戦後はさらに大きく失われてしまったと思います。

コミンテルン(共産党世界組織)の総元締スターリン

そうして、戦後は、戦後体制にどっぷりと漬かってしまった多くのニッポン人が、今なお日本は戦後体制であることを意識しないどころか、忘れ去っています。

日本人は、いまだに戦後体制というサファリパークの中にいる動物のようなものです。自由きままのようにみえて、実はある一定の閉鎖空間に閉じ込められています。中には、あまりに長い間このサファリパークにい続けたので、サファリパークが自然であるかのように錯覚する日本人も増えてきています。そうして、日本的伝統文化を受け継いでいないのに、人種だけが日本人であるようなニッポン人も増えてきています。

ニッポン人はサファリパークの住人のようなもの

このような人たちは、戦前やその前と、戦後の日本とは全く別ものと考えています。本来そんことはありえません。人間だって、生まれてから死ぬまで周りの環境や、自らの考えも随分変わったりはしますが、自分の人生のある一定期間だけをそれは自分ではないと否定することはできません。たとえ、その期間の自分が好きであろうが、嫌いであろうが、良くても悪くても、それを完全否定となどできません。

良くも悪くも、その期間があるからこそ、現在の自分があるはずです。それを完全否定する人は、いつまでも何らかのトラウマを引きずり続けることになるか、精神に異常をきたすことになります。

今の日本という国が、まさしくそうなっているのかもしれません。良いことも、悪いこともその過去をすべて受け入れることができなければ、大きな枠組みも、大きな時代の流れも捉えられず、木を見て森を見ずという状態から抜け出ることができなくなります。

そんな状態にあれば、どういうことになるかといえば、本来自分の視点から、それも真の自分の視点からではなく、他者のイデオロギーという観点からしか物事が捉えなれなくなります。そうして、真の自分の視点といった場合、好むと好まないにかかわらず、日本人という視点、日本国という視点が含まれることはいうまでもありません。

アベノミクスは、戦後体制からの脱却のうちの一里塚の一つにすぎない

たとえば、現在のアベノミクスなど大きな枠組みでは、戦後体制からの脱却のいくつもあるうちの、ほんの最初の一里塚でしかありません。ところが、ニッポン人は、株価高、円安にばかり目がいって、株価に一喜一憂、為替レートに一喜一憂するという有様です。

本日は、習近平がアメリカを訪問しています。 この訪問の大きな目的は、アジアを中国と米国の覇権下に収め、アジアを米中で管理しようと画策していると噂する人々もいます。これはまるで、「蒋介石の背後には英米が!」と煽った偽装転向コミンテルンの再来のようです。

しかし、この米中首脳会談に、アメリカ国内の法輪功などが抗議活動をしています。これについては、以下の記事を御覧ください。
 法輪功などが抗議活動

 同じ中国人でも味方にしなければいけない人たちもいます。彼らは米国籍を持ち、米国内で活動中です。やはりアメリカは一枚岩ではありません。米中一体化などという妄想は、中国共産党、習近平の妄想であり、アメリカはそのような妄想にのることはありません。
さらに、以下の様な記事もあります。
米中会談前日にサイバー攻撃制裁法案…米議会

何と、習のアメリカ訪問の前日に、アメリカ議会で、サイバー攻撃制裁法案が提出されているのです。アメリカ議会の中にはこういう動きもあるのです。この法案を提出したロジャース氏は声明で、「米国の知的財産を(サイバー攻撃で)盗めば、結果が伴うことを中国に知らせる重要な一歩だ」と述べました。米政府は、中国からのサイバー攻撃の一部に、中国政府が関与したとみています。アメリカは親中派ばかりではありません。一枚岩じゃないということです。

米安保トップ、突然の交代劇 オバマ米政権 中国傾斜に懸念も

オバマ大統領は5日、ホワイトハウスのドニロン大統領補佐官(国家安全保障担当)の辞任と、その後任にライス国連大使を起用すると発表ました。ドニロン氏は7、8両日にカリフォルニア州で行われる習近平国家主席との米中首脳会談の地ならしのために訪中し、帰国したばかりでした。
 

バイデン副大統領に近いドニロン氏は、欧州や中東から、外交・安保の比重を東アジアに移す「ピボット」(軸足旋回)を推進してきた実績があります。
大きな枠組みでものを考えられない、大き時代の流れの中で木を見て森を見れなくなったニッポン人は、戦争直前にも、米中一体化という妄想を信じて、戦争にひた走りました。現在も、そのような妄想を信じるニッポン人がいて、一枚岩ではないアメリカの動向の一部分のみをつまみとって、喧伝しています。この妄想は、中国共産党中央政府、習近平の妄想であるにすぎません。

米中一体化など習の妄想にすぎない!

さて、日本が本当の意味で再生するためには、いずれ戦後体制からの脱却は必須であり、その道のりは長く、場合によっては、もう1世代から2世代までも時間を要するかもしれません。しかし、その時々で、妥協できることには妥協しても、一歩、一歩着実に進めていなかければなりません。

その間においても、大きな枠組み、大きな時の流れの中に身を置くことで、自らが何者であり、何に属していて、ざまざまな出来事に出くわしたときに自分独自の視点からものが見えるようにすべきと思います。そうでなければ、いつまでたっても、木を見て森を見ない愚かなニッポン人になってしまいます。私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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