2011年12月14日水曜日

さよならニッポン、新時代の国際人としての心構え―【私の論評】こんにちは、日本と日本人、さよならニッポン、ニッポン人、古から続く国際人としての心構え!!


さよならニッポン、新時代の国際人としての心構え: 2011年12月14日(水)


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[ 新国際人の教科書 ]

さよならニッポン、新時代の国際人としての心構え 


[森田 正康]

「日本ってどんな国なんだ?」
約20年前だろうか、僕がアメリカ在住の中学生だったころは、日本人が物珍しかったのか、アメリカ人の学友に日本という国について聞かれることが多かった。


【私の論評】こんにちは、日本と日本人、さよならニッポン、ニッポン人、古から続く国際人としての心構え!!
本日は、上記の森田某とやらが掲載した上の記事が全く間違いであることを掲載します。この森田某、ミスリードもはなはだしいです。本当に困ったものです。一体海外で何を勉強してきたのでしょうか。こんな人がでてくるから、多くの人が幻惑されとるとともに、日本の世界での地位が下落するのです。本当に私からすると、頓珍漢きわまりないおろかな記事です。

まずは、世界常識がないということを第一にあげておきたいです。この人はたして、アメリカの何がわかっているというのでしょうか、この人は、自分が会える限りのアメリカ人などとあって、それをアメリカの代表としているのだと思います。外国人トレーダーなど、ただの賭博師であり、賭博師風情にアメリカの本当の価値観や、日本の何がわかるというのでしょうか!!

まずは、この人は、現代の国際関係を読み解く上で、必読の書ともいわれる、サミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」という書籍は読んでいないと思うし、読んでいたとしても、単なるいくつかある書籍の一つくらいにしか思っていないと思います。その意味するところまで、理解はしていないと思います。



とはいっても、今や古い書籍であることもあり、読まれていない方もいらっしゃると思いますので、以下にwikipediaから、その内容について、コピペさせていただきます。
『文明の衝突』 (ぶんめいのしょうとつ) とはアメリカ合衆国の政治学者サミュエル・P・ハンティントンが1996年に著した国際政治学の著作です。 原題は『The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order』 (「文明の衝突と世界秩序の再創造」。
冷戦が終わった現代世界においては、文明と文明との衝突が対立の主要な軸であると述べた。 特に文明と文明が接する断層線 (フオルト・ライン) での紛争が激化しやすいと指摘した。記事の多くはイスラム圏、ロシアについてであり、他の地域に関してはおまけ程度の扱いである。
本書はそれまでの「西側」、「東側」、「国民国家」などの国際政治の視座ではなく、文明に着目して冷戦後の世界秩序を分析する国際政治学的な研究である。その内容は、文明の概念と特徴を定義した第一部「さまざまな文明からなる世界」、非西欧文明の発展を論じている第二部「文明間のバランスのシフト」、文明における文化的秩序の発生について論じた第三部「文明の秩序の出現」、文明間の紛争や戦争について論じた第四部「文明の衝突」、そして西欧文明の復興や新時代の世界秩序について論じた第五部「文明の未来」から成り立っている。
さて、この書籍が発売されたばかりのときには、この書籍は、アメリカの長期国際戦略であるといわれたくらいです。それは、ともかくとして、アメリカの知性が世界をどのように見て、解釈しているかが良く理解できる書籍です。上のコピペの中に、「記事の多くはイスラム圏、ロシアについてであり、他の地域に関してはおまけ程度の扱い」と書いてありますが、それでも、アジアのことについても書いてあります。

サミュエル・ハンティントン
その中で、中国や朝鮮、その他いわゆる東アジアのことも記載されています。そうして、これらのことを東アジア文化圏としています。では、日本は、その中に含まれているかといえば、そうではありません。日本は、日本文化圏としています。ハンチントンも、最初は、日本も中国に影響を受けた国なので、東アジア圏の中に含めようと考えたようですが、結局それでは実体を表しておらず、日本は、あまりにユニークで、どうしても、東アジア文化圏に含むことはできず、結局は、日本文化圏としたと、著書の中にも掲載されています。

これ一つをもっても、森田某の考えは偏っていることがおわかりになると思います。強欲で、金儲けしか頭にない、しかも、ごく一部かもしれない、金融馬鹿や、賭博師風情が、日本とアジアの区別がつかないからといって、日本はアジアに含めて考えるべきと主張できるほどの根拠とはなりません。また、マーケティング的に考えても、間違いだと思います。

この森田某は、まともな文化人とは付き合いがないのだと思います。だから、このような考えをしても、何もおかしいとも思わず、あまつさえ、雑誌などにこのような記事を出したのだと思います。本当に愚かなことと思います。

「文明の衝突」については、以前のこのブログに掲載したことがありますし、このブログでは、国際人とはいったいどのようなものなかも論じたことがあります。以下では、それを中心に再掲載してさらに、説明を加えようと思います。

以下は、最近の日本酒離れに関して、日本人が日本のよさがわからなくなっている事実をレポートしたものです。



詳細は、上記の記事を御覧いただくものとして、下に今回の記事と特に関係する部分のみ掲載しておきます。
今の時代何か間違っていると思います。まずは、語学などを学ぶ学ばないなどの前に、日本文化の素養を身につけていなければ、国際人とは成り得ません。どこの国に行っても、軽く見られるだけです。逆に、日本文化を身につけていれば、多少外国語がへただろうが、場合によっては、できなくても、どこの国に行っても、尊敬されこそはすれ、馬鹿にされることはありません。言葉だけわかっても、こうしたバックボーンのない人は、結局、海外でも、まともに相手にされることはありません。まともに、交渉事もできないことでしょう
なぜなら、最近では、コンテクストなどといわれ、アメリカなどでも、実施されている交渉にも必要な腹芸もできないからです。アメリカ人が腹芸ができなくて、なんでもかんでも言葉で表現するものと思っていたら大間違いです。一般の人でもそんなことはないですし、上のレベルになれば、なおさらです。なんでもかんでも、言葉で言うような人は、交渉相手でも、地位の低い、現場レベルの話にすぎません。上のレベルでは、コンテクストを背景に話をすすめることは言うまでもありません。低層な馬鹿なアメリカ人ばかり相手にするなら、それでも構わないでしょうが、それだけでは、まともな人とは付き合っていけません。もう、アメリカ人でも、いわゆるデカルトの悪魔的な考え(物事を白黒にはっきりわけて考える方法のこと)のみで生きているのは、馬鹿な、賭博師や、金融馬鹿くらいなものだと思います。
人が、人としてまともに扱われるということは、どういうことなのでしょうか?それは、その人が育った文化的背景を背負っているということを相手にさとってもらえか否かで決まるものです。背負っていることを認めてもらうことができれば、その人は世界中のどんな人からも、うとんじられることはありません。なぜなら、その人は、その人だけの存在ではなくなるからです、その人が、その文化を担っているというということは、もうすでに、その人だけのことではなく、その文化を背負っている人の文化圏(日本なら、ハンティントンが言う、日本文化圏)に属する人全体を代表するものとして、相手に受け取られるからです。それどころか、すでになくなったご先祖様の考えをも代表するものとして受け取られからです。
そんな文化的背景のない人間に関しては、そのような背景を持たないサル同様の扱いしかされないのは当然のことです。
私は、菅さんが海外の会議に行っても、先進主要国のリーダーたちからまともに相手にされないのは、決して言葉だけの問題ではないと思います。いくら、お遍路に行ったとしても、彼は、おそらく、日本の伝統文化の背景からは程遠い存在なのだと思います。こうしたことは、いくら、外見を整えてみても、すぐに相手に悟られるものです。それは、思想や、イデオロギーなどとは無縁なものです。どんなイデオロギーがあったにしても、自分の属する文化を知らないものは、そうではない人々には、見透かされてしまいます。フランスや、イタリアの共産主義者たちは、少なくとも自国の伝統文化を背負って話をします。だから、妥協点もみいだしやすいです。
これはとりもなおさず、日本人であれば、日本の伝統文化を背負った人間と、他の国の人から認められない限り、まともな扱いはされないということです。今は、こんな簡単な理屈のわからない人があまりにも増えていると思います。
G8で、他国のリーダーらから一人離れて、ポツンとたたずむ、菅さん
ここまで、読んでいただければ、私の意図はもうお分かりになったものと思います。海外に行けば、私自身も、日本文化の話はします。話をするだけではなく、子供たちには、鶴を折ってあげたり、主婦の皆さんたちには、生け花をしてあげて、その意味するところも教えてあげます。海外に行ったときだけにかかわらず、Google+でハングアウトするときにも、特に相手が海外の人であれば、意図して、意識して、日本の文化にかかわる話もするようにしています。そうすることによって、相手から尊敬されたり、信頼に足る人物と思われるようなことはあっても、軽蔑されたことはないです。

ドラッカー氏も語っていたように、「経済とは人間の一側面に過ぎない」という言葉があります。私も、そのとおりと思います。今の日本の経済が、歴代の政府が、緊縮財政をしてきたため、停滞していますが、これもいずれは、ドラッカー氏も語っていたように、回復すると思います。それに、経済が停滞しているから、リスペクトされないなどという考えは浅はかだと思います。考えてみてください、私は、アメリカ人なら、アメリカ文化について語るアメリカ人をリスペクトします。インド人なら、インドの文化を語るインド人をリスペクトします。自分の国や、自分の国の文化を語らない、人間は、どの国の人間であろうとリスペクトに値しないと思います。

私は、はっきりいって、こういう日本の伝統文化を知らないニッポン人に、日本はどうだなどと語ってほしくありません。こういう、ニッポン人に限って、日本の過去の歴史は無論のこと、日本の現状をほとんど理解していないことが多いものです。

かえって、あのアップルのCEOである、スティーブ・ジョブスのほうが、日本人らしい考え方を持っているくらいです。今のニッポン人に「武士道というは死ぬことと見つけたり」という葉隠の考え方を言っても、何のことかわからない人も多いでしょうが、実はスティーブ・ジョブスがこれに近い考え方を持っていることは以前にもこのブログに書いたことがあります。



前アップルCEO、スティーブ・ジョブス氏死去―【私の論評】ジョブスの半生を写真でたどって見えてくるものは?!!日本人が忘れた世界?

詳細は、上記の記事を御覧いただくものとして、下に今回の記事と特に関係する部分のみ掲載しておきます。
ジョブスは、上の動画(伝説のスピーチといわれている、スタンフォード大でのスピーチ)の中で、「死を意識すること」の意義、特にポジティブな面を強調していました。これは、日本の武士道の中の「葉隠れ」の思想とも根本では相通じるところがあります。まさに、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉を真の意味で実践しているようです。葉隠れは、一部の人々が曲解しているように、死を美化するものではありません。というより、まさに、上の動画でスティーブ・ジョブスが「死を意識すること」の意義と似ています。というより、生まれ育った環境や活躍してる舞台がIT業界であることなど葉隠れの思想がでてきた時代背景とは大きく異なるので、表現や、出てくる行動が少し異なるようにみえても、本質的には同じだと思います。 
今の多くの日本人が忘れてしまったこのような生き方、少なくとも、少し前までは、多くの日本人の理想とした生き方、彼の生き方は、それを私たちに思い出させてくれます。だからこそ、日本でもジョブスに人気があるのだと思います。今日本では、産業に活気がありません。ジョブスがやってきたような、イノベーションは、少し前までなら日本が行っていたと思います。私は、そのようなイノベーションが行われなくなった今の日本、背景にはジョブスのような一昔前の日本人が理想とする生き方を多くの日本人が忘れてしまったからではないかと、危惧しています。 
さて、そう思って現在のジョブスを見ると、あの有名なプレゼンでみせる、黒を基調とした服装、ジーンズという飾らないいでたち、なにやら、戦に挑む日本の古武士のようにも見えてきます。あの全身全霊を傾けて、ものごとに取り組む姿勢とエネルギーは、本質的には「葉隠れの思想」から沸き出でてくるものであることが、理解できます。今の若い世代には、「葉隠れ」と言っても、ほんどの人が何のことかも理解していないようです。いつから、日本の優れた世界に誇るべき伝統文化が、継承されなくなってしまったのか!!本当に残念なことです。
さて、ジョブスが、こうした日本の古の武士の生き方に近い、人生観、思想を持っていたということは、意外と日本でも、アメリカでも、あまり指摘されることはありません。特に、今の日本では、こうした「葉隠」の思想など、全く忘れ去られたかのようでもあります。
さて、このブログの記事を掲載したときに、以下のようなコメントが帰ってきました。

『いや別に日本人はそんな精神はないよ。昔から権力に飼いならされることにしか頭の無い人ばっかでしょ。実際ジョブズは「日本のメーカーははまるで海岸を埋め尽くす死んだ魚のようだ」って言い放ったしね』。

さて、このコメントに対する私の対応は、以下です。

「○○様、コメントありがとうございます。いえ、厳然としてあります。これだけ、愚かな、政治家や官僚、それを、助長するような、マスコミの存在がありながらこれだけの国力を保っていられるは、こうした精神を受け継いだ過去から、現在にいたる無数の有名無名の人々努力の賜です。

ジョブズ氏が批判したのは、そういう精神を、忘れた企業の経営者などに向けられものです。

そうでなけれは、たとえば、ソニーの会長など日本の企業経営者や、三宅一生氏のような、デザイナーと親交があったことなど説明がつかないでしょう。

さらに、ジョブズ氏が、かつて、福井県で出家しようとしたことなども、説明がつかないと思います。 また、なぜか今のマスコミは、このようなことを殆ど、報道しなくなつたため、多くの人が忘れていると思います。

もう一度虚心坦懐に、日本や、日本人を見直すことに、より真の姿がみえてくると思います。 ジョブズ氏は、もし日本や、日本人の文化に接する機会がなければ、大金持ちには、なれたでしょうが、あれ程の社会変革は、出来なかったと思います。 これからも、お気軽にお立ち寄り下さい」。


もう以上のことで、私の言いたいことは十分に伝わったと思います。まだまだ、いいたいことは、たくさんありますが、それは、以下の【関連記事】に譲るものとします。それにしても、あのような記事、少し前までのまともデスクならば、絶対に掲載しなかったと思います。今は、それが、簡単にスルーしてしまうところが問題だと思います。

それから、森田 正康氏には、失礼な物言いになってしまっかもしれませんが、あの記事に関して、私はかなり憤りを覚えたためにこのようなことになってしまいました。森田氏も、日本人であることはには変わりないと思います。せっかくユニークな経歴の持ち主なのですから、日本のためにも、そうして、世界のためにも、日本の心を取り戻していただきたいものです。

私は、今こそ日本人は、古からの日本と日本人の価値観を思い起こし、戦後に誤って植えつけられたニッポンとニッポン人の価値観は、捨て去り、古から続く、国際人とししての心構えを今一度、復興させるべきときと思います。私は、こうしたことこそが、日本や日本人の国際社会での地位を向上させると、信じて疑いません。

【関連記事】

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