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2017年9月17日日曜日

予算編成「100兆円超え」は財政危機のシグナルではない―【私の論評】財務省には日本国を統治する正当性はない(゚д゚)!


裏には財務省の思惑が

われら富士山、他は並びの山」――。東大法学部卒のエリートが集う霞が関で、
財務省は大蔵省時代から他省庁を見下ろしながら「最強官庁」を自任してきた。
 予算復活」で恩を売る
2018年度の概算要求は、4年連続で「100兆円超え」になることが確実視されている。高齢化による社会保障費の増額は不可避で、北朝鮮問題を背景に防衛費の増額案も出ているからだ。'18年度の予算編成について、どう見るのが正解なのだろうか。

本題に入る前に、予算が決定するまでのプロセスを確認しよう。一般会計でいえば、まず夏頃に各省庁から財務省に向けて概算要求が行われる。財務省はそれを12月末までに精査して、予算の政府案を作る。

その政府案は、翌年1月からの国会で審議され、3月末までに成立して当初予算となり、4月から予算が執行されるのだ。

実は'01年度から'17年度まで、当初予算は、概算要求をおおむね4%程度カットした水準で調整するよう決められていた。ちなみにリーマンショックに対応しなければならなかった'09年度は例外である。

しかし、ほとんどの年度において当初予算では足りない。だから年度途中に補正予算が作成され、当初予算への上乗せによる修正が行われている。その場合の歳出総額は、'09年度と東日本大震災があった'11年度を除き、もとの概算要求と同じ水準になっているのだ。わざわざ当初予算で概算要求を4%カットしているのにもかかわらず、である。

なぜこうなるのかといえば、やはり予算を絞り込みたい財務省の「職業病」によるものだ。だが「財政の健全化のために予算削減をしている」というのは財務省の建て前で、実際のところは当初予算で絞り、補正予算で復活させることで要求官庁が「恩義」を感じるように仕組んでいるだけなのだ。

もちろん「恩義」のお返しには、要求官庁傘下の機関への天下りがあることを忘れてはいけない。

    さも「財政再建」が進んだかのように
もっとも、直近の'15年度と'16年度では、当初予算で約5%カットに対して、補正予算では約3%の修正にとどまった。最終的に2%カットと、徐々に財務省は「渋ちん」度を増してきている。

今年度も秋の臨時国会で補正予算が審議されるが、'17年度は概算要求と当初予算を比べると、これまでの経験則通りに4%カットだった。最終的な予算総額が'15年度と'16年度並みの2%カット水準であればどうなるか。

'17年度の概算要求は101・5兆円だったので、概算要求の2%カットだと99・5兆円。当初予算は97・5兆円だったので、補正予算は2兆円程度に留まる。

もしこの通りになれば、'17年度予算は補正込みで100兆円を切ったという報道が各メディアで出ることになるだろう。

ここからひとつ言えることは、今回の'18年度概算要求について、「100兆円」をキーワードとしているのは、実は、秋の臨時国会で審議される予定の'17年度補正を意識しているということだ。もし100兆円を切れば、さも財務省による財政再建のシナリオが前進したかのような格好になる。

'18年度の概算要求に関する報道の見出しは、まさに「100兆円」のオンパレードだった。だが4年連続で起きていることなので別段珍しいことではないし、「100兆円」が財政危機のボーダーというわけでもないことはわきまえておきたい。

【私の論評】財務省には日本国を統治する正当性はない(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事では、財務省は日本経済の状況とは全く関係なく、財政政策を決めていることが書かれています。このようなことで良いのでしょうか。

高校の「経済社会」の教科書でも、国の財政政策はどうなっているのでしょうか。まずは、以下に「GDPギャップ(需要と供給のギャップ)」の推移のグラフを掲載します。



このグラフは、内閣府が公表しているGDPギャップの、バブル崩壊時の1990年以後の推移を示しています(青線)。

ご覧のように、1997年の消費増税以前においては、「プラス」のこともあったのですが、増税以後、基本的にずっと「マイナス」基調となっています。これは、97年の増税前までは、「需要が供給よりも多い」状況もあった一方、97年の増税後は「需要の方が供給よりも少ない」という「需要不足」状況になっていることを意味します。

その後、2000年代中盤に一時期、(需要の方が多い)「プラス」となったこともあるのですが、08年のリーマンショックのときに大幅に「マイナス」の需要不足となり、その後、回復してきているのですが、やはり基本的には「マイナス」の需要不足状態が継続しているのが実態です。

さて、先ほど述べた論理を踏まえると、GDPギャップが「マイナス」(=需要不足)の時にはデフレになって「物価が下がり」、逆に「プラス」(=需要過剰)の時にはインフレ、つまり「物価が上がる」こととなります。

したがって、GDPギャップの推移と、物価の変化率の推移は、基本的に「連動」することが予想されます。

このグラフには、その点を確認する意味で、物価(=CPI)の変化率の推移も掲載しています(黄色の線)。なお、この黄色の線は、その時点での数値ではなく、「半年後」(二四半期後)の数値です。

ご覧のように、青い線(GDPギャップ)が上がれば黄色い線(物価変化率)もあがり、逆に前者が下がれば後者も下がる、という形で、連動している様子が見て取れます。

つまり、今、政府が公表しているGDPギャップは、理論的に予測される通り、「半年後」の物価の変化率を「予測」する、あるいは「決定づける」力を持っているわけです。


なお、一点補足すべきは、「消費税率の増加」は、GDPギャップとは別に、物価そのものを上げる効果を持つ、というもの。

そもそも、消費増税は、モノの値段を一律2%や3%上げるのですから、当然、景気がよかろうが悪かろうが、強制的にCPI(物価)を上げる効果を持っているのです。

したがって、97年や2014年にCPI(物価)の変化率が大きくプラスになっていますが、これは、消費増税による見かけ上の効果だ、ということになります。ですので、その点を加味すると、GDPギャップと物価(CPI)変化率との間の連動性は、より一層強いものであることがわかります(特に、2014年の増税時、物価の変化率が急激に一時的に大きくなっていますが、この「山」がないと考えれば、黄色線と青線はよりはっきりと連動していることがわかります)。

なお、両者の相関係数(完全連動の場合1、完全不連動の場合0の尺度)は、0.72という、非常に高い水準にありますから、両者の関係はやはり統計的に言って明白だと言えます(なお、消費増税の効果を除去すれば、さらに高い水準となります)。

ところで、「理論的」に言うなら、GDPギャップ(デフレギャップ)をゼロにすれば、デフレは終わるはず、ということになります。

しかし、このグラフを見れば一目瞭然なとおり、GDPギャップが「プラス」の時(例えば、2006年、2007年ごろや2014年)でも物価の変化率は「ゼロ」ないしは「マイナス」であったりします。

それは、内閣府によるGDPギャップの測定の仕方に、問題があるからです。これは青木泰樹先生が繰り返し主張しておられる通りです。

『2つの潜在GDP』https://38news.jp/archives/03897
『「潜在GDP」を「平均GDP」へ改称すべし』https://38news.jp/economy/10751

詳細は上記記事に委ねますが、今、政府が公表しているGDPギャップは、「本当に日本経済が持っている供給能力」を基準に測定されているのでなく、「実際の能力よりも低い能力」を基準にして測定されていることが原因です。

しかし、こうした、理論的には特殊、あるいはオカシしな「GDPギャップ」指標ではあるのですが、それでもなお、上記グラフのように物価の変動を予測する、あるいは決定づける力を持っているのは、事実です。

では、物価(CPI)の変化率と、GDPギャップとの間にどんな関係があるのかを、統計的に(重回帰)分析 してみると、次のような関係式が示されました(1990年第一四半期から2997年第一四半期までのデータを使用)。
半年後のCPI変化率
= 0.28×GDPギャップ + 0.117 - 0.02×seq(※)
__(6.33)__________(9.43)__(-2.21) 
※ seq: 1990第一四半期が1の連続自然数。( )内はt値、R値は0.71、n=105. 
※ データはいずれも四半期のものなので、年率換算の比率は上記数値と一致。
これはつまり、CPIを年率1%上げるためには、GDPギャップを年率で3~4%程度大きくすることが必要だ、という事を意味しています。

そしてGDPギャップを3~4%大きくする、ということはつまり、需要を15~20兆円(年)程度を拡大するということです。

ということは、単純に考えれば、政府支出を15~20兆円程度拡大すれば、CPIは1%上昇する、ということになります。

実際には、乗数効果(政府支出を1兆円増やせば、GDPは1.5~2兆円程度増える、という効果)があることを考えれば、10~15兆円の政府支出を拡大すればCPI、物価は1%程度上昇するだろう、ということが予期できます。

そして言うまでもありませんが、物価が上がらなければ、賃金も増えず、ビジネスチャンスも拡大せず、投資は冷え込んだままとなり、デフレ不況は終わりません。

だからこそ政府は今、10~15兆円規模の大型の補正予算を組むことが、デフレ脱却のために是が非でも求められているのであり、それは、内閣府自身が公表しているデータから統計的に示唆されているのです。

そして、日銀のターゲットが「2%物価上昇」であることを踏まえるなら、そのクラスの大型景気対策を、少なくとも2、3年間は継続することが必要なのです。だから、同感が考えても、今秋以降の補正予算は、最低20兆円(単年度の場合は)、少なくとも10兆円(この場合は来年度も実行する)が必要なわけです。

しかし、ブログ冒頭の記事にもあるように、このようなことには全くおかまいなしに、'17年度の概算要求は101・5兆円だったので、概算要求の2%カットだと99・5兆円。当初予算は97・5兆円だったので、補正予算は2兆円程度に留まるようにするのが、財務省の意向です。

ちなみに、高橋洋一氏も「20兆円財政出動」で物価目標2%達成可能としています。その記事のリンクを以下に掲載します。
安倍改造内閣が問われる「20兆円財政出動」で物価目標2%達成

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、需給ギャップからみて、今年の補正予算は20兆円は必要だということです。今年10兆円として、来年さらに10兆円ということでも良いとは思いますが、財務省の2兆円というのは、桁違いと言ってもよいほどのものに過ぎません。

財務省の言いなりでは、物価目標2%も達成できず、デフレからの完全脱却も望めません。このようなことで良いわけがありません。

しかし、なぜこのようになるかといえば、当初予算で絞り、補正予算で復活させることで要求官庁が「恩義」を感じるように仕組んでいるだけなのです。

もちろん「恩義」のお返しには、要求官庁傘下の機関への天下りがあることを忘れてはいけないのです。


デフレ脱却は多くの国民の要望だと思います。そのように要望していない人でも、デフレが自分の生活にどのような悪影響を及ぼしているかを知れば、デフレ脱却を望む人がほとんどだと思います。

さて、このような財務省が社会においてリーダー的階層にある正当性はあるのでしょうか。

これについては、マネジメント的側面から考えてみましょう。
社会においてリーダー的な階層にあるということは、本来の機能を果たすだけではすまないということである。成果をあげるだけでは不十分である。正統性が要求される。社会から、正統なものとしてその存在を是認されなければならない。(『マネジメント──基本と原則[エッセンシャル版]』)
企業、政府機関、非営利組織など、あらゆる組織(当然財務省も含む)にとって、本来の機能とは、社会のニーズを事業上の機会に転換することである。つまり、市場と個人のニーズ、消費者と従業員のニーズを予期し、識別し、満足させることです。財務省の本来の機能は、国民のニーズを予期し、識別し、満足させることです。

さらに具体的にいうならば、それぞれの本業において最高の財・サービスを生み出し、そこに働く人たちに対し、生計の資にとどまらず、社会的な絆、位置、役割を与えることです。

しかしドラッカーは、これらのものは、それぞれの組織にとって存在の理由ではあっても、活動を遂行するうえで必要とされる権限の根拠とはなりえないとしています。神の子とはいえなくとも、少なくともどなたかのお子さんである貴重な存在たる人間に対し、ああせい、こうせいと言いえるだけの権限は与えないというのです。

ここにおいて、存在の理由に加えて必要とされるものが、正統性です。「正統性とは曖昧なコンセプトである。厳密に定義することはできない。しかし、それは決定的に重要である」とドラッカーは述べています。

かつて権限は、腕力と血統を根拠として行使された。近くは、投票と試験と所有権を根拠として行使されています。

そうして、財務省は官僚組織であり、官僚は試験によって選抜されます。政府を構成するのは、国会議員であって、国会議員は選挙によって選ばれます。

選挙によって、選抜されるということは、国民の信託を受けているということです。国民の信託を受けた人で構成される政府は、本来官僚よりも政治において、より正当性が高いはすです。

それにも元々、財務省は政府の一下部機関に過ぎません。会社でいえば、政府は取締役会のようなものであり、財務省は財務部のような存在です。そのような財務省が政府をさておいて、補正予算の規模を定めるようなことをするのは明らかに権限の逸脱です。

そうして、ドラッカーは、マネジメントがその権限を行使するには、権限の根拠としてこれらのものでは不足だといいます。

社会と個人のニーズの充足において成果を上げることさえ、権限に正統性は与えないのです。一応、説明はしてくれます。だが、それだけでは不足なのです。腹の底から納得はされないです。

マネジメントの権限が認知されるには、所有権を超えた正統性、すなわち組織なるものの特質、すなわち人間の特質に基づく正統性が必要とされる。
そのような正統性の根拠は一つしかない。すなわち、人の強みを生かすことである。これが組織なるものの特質である。したがって、マネジメントの権限の基盤となるものである。(『マネジメント[エッセンシャル版]』)
では、財務省はこのような正当性を持っているのでしょうか。人の強みを生かすことができているのでしょうか。

おそらく、省内では人の強みを生かすことができているのだと思います。しかし、大きな間違いがあります。財務省は自らの省益にしたがい、人の強みを生かしているだけであって、上部機関である政府や、さらその上の存在である国民のために、組織内の人を強みを生かしてはいません。

このような財務省が日本社会においてリーダー的階層にある正当性は、ないと言わざるを得ません。ましてや、財務省には日本国を統治する正当性などありません。

もともと、財務省は政府の一下部機関に過ぎません。財務官僚が政治に関与したければ、官僚を辞任して、政治家になるべきなのです。そうでなければ、政府の一下部機関として、財務に関しても、政府の目標にしたがい、それを実行するために専門的な見地から、方法を選択することに徹するべきなのです。それで、国が良くなる悪くなるのは、官僚の責任ではありません、あくまで責任は政府にあるのです。

本来、政治に責任のないものが、政治に関与すべきではないのです。

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2017年1月7日土曜日

AIも9割できる金融政策法案作成から予算編成 前例踏襲ならまかせられる―【私の論評】AIの導入により確実に政治の世界も変わる(゚д゚)!

AIも9割できる金融政策法案作成から予算編成 前例踏襲ならまかせられる


経済産業省が人工知能(AI)に国会答弁の下書きをさせる実験を始めたが、今後、法案の作成や日銀の金融政策、財務省の予算編成などで、AIを活用する可能性は出てくるだろうか。

 先日の本コラムで、AIによる国会答弁について書いたところ、某テレビ局の取材もあった。国会答弁は、ほとんどが定型的なのでAIに向いている。

 では、法案の作成はどうか。これも、型が決まっている。実際に法案を作る際にも、過去の参考例があり、それをまねてドラフト(草案)を作る。

 筆者は役人時代に、思い出すと笑ってしまうような経験がある。ある商取引を合理化する必要があったので、商法の特例を作ろうという話になった。その内容は簡単だったので、入省したてで法案作成未経験だった筆者がドラフトを作ることになった。

 ドラフトを書いて見せたところ、その上司は笑いながら、「重要なものが欠けているぞ」といい、やり直しを筆者に命じた。しかし、どう考えても、何が欠けているのかわからない。「商法改正にはこれで十分です」と再度上司に掛け合うと、「この法律を読んでみろ」と既存の法律を渡された。

 それをみると、欠けているものがすぐにわかった。法律的には、商法改正だけで十分だが、それを円滑に推進するという名目で、「公的機関を設置する」という条項があった。つまり、天下り法人のことである。天下りに適切な公的機関に関する条項を追加して、筆者のドラフトはそのまま法律になった。

 要するに、前例を調べれば、法案作成も容易である。独創的でなければ、AIをかなり活用することもできるだろう。

 日銀の金融政策もAIにとっては都合がいいだろう。金融政策は、一定期間内でインフレ率と失業率(両者には密接な関係がある)の目標達成を目指す。経済学者は、そのために中央銀行の最適な行動は何かという行動関数によって、中央銀行の行動を記述する。

 これはまさにAIそのもので、例えばインフレ率が低ければ金融緩和し、高ければ金融引き締めをする、というサーモスタットによる温度調節のようなものだともいえる。

 こうした行動関数で、中央銀行の金融政策の9割程度は説明できる。ということは、今でもAIでだいたいの金融政策を決められるといってもいい。

 予算編成でも、ほぼすべての予算は前年踏襲であり、前年度の額より多少増加することで決まっている。これはある意味当然で、すべてをゼロベースで見直すといっても、激変緩和が優先されるからだ。

 AIを使うまでもなく、ほとんどの予算は前年度で決まる。重点分野以外はほとんど機械的に前年度踏襲となっているが、重点分野の選定のみが、政権の意向などもあってAIで対応しにくい部分だろう。

 総じて政治から中立な分野では、価値観が入りにくいので、AIが活用できるのではないか。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】AIの導入により確実に政治の世界も変わる(゚д゚)!

AIといえば、2013年に発表されたオズボーン氏の論文『雇用の未来』が、物議を醸しました。この論文では、たとえばバーテンダーの仕事。これがコンピューターに代わられる確率は77%—。そんな大胆予測を披露していました。無論コンピュータといった場合、当然のことながら、AIを駆使するという条件つきです。

オズポーン博士

この論文は、AXIS174号「特集 ロボットデザインの未来動向」に掲載の英国オックスフォード大学マイケル・A・オズボーン博士の論文です。この論文は、このサイトから全文をご覧いただけます。

オズボーン博士は、1981年オーストラリア生まれ。オックスフォード大学エンジニアリングサイエンス学部の准教授であり、マシンラーニングの研究者でもあります。このマシンラーニングの考えを広めるために、カール・ベネディクト・フライ研究員と共著で記したのが「未来の雇用」です。

この論文は、米国労働省が定めた702の職業をクリエイティビティ、社会性、知覚、細かい動きといった項目ごとに分析し、それぞれの職業の10年後の消滅率を割り出したもの。

本誌で触れたように、工業デザイナーは3.7%、ランドスケープデザインを除いた建築家は1.8%と、消滅する確率は702業種のなかで 低いようです。

ちなみにランキング1位はレクリエーション・セラピストで0.28%、702位は99%のテレマーケッター。編集者は5.5%……。とはいえ、どんな仕事もクリエイティビティがなければ続けていくのは難しく、働き方について考えらせられる論文です。

その予想から主な「消える職業」「なくなる仕事」を以下に掲載します。
(註)オズボーン氏の論文『雇用の未来』の
中で、コンピューターに代わられる確率の
高い仕事として挙げられたものを記載
これは、主に民間の「消える職業」や「なくなる仕事」を掲載しているのだと思います。当然のことながら、政府や地方自治体などの公的機関にもこれらは存在するはずです。

ブログ冒頭の記事で、高橋洋一氏は「総じて政治から中立な分野では、価値観が入りにくいので、AIが活用できるのではないか」としています。

私もそう思います。確かに、高橋氏が主張するように、日銀の金融政策にはAIが使えると思います。高橋氏は、財務省の仕事に関しては、予算編成を例にあげていますが、これ以外にも財政政策にも使えることでしょう。

そうして、まともなAIならば、デフレのときに間違っても、金融引き締めをしたり、緊縮財政をしたりするようなとんでもな仕事はしないでしょう。

金融政策、財政政策に関しては、特に大きな創造性を必要とはされないので、AIによってかなりの部分を実行することができることでしょう。特に、適宜どの程度の金融政策をすべきか、どの程度の財政政策をすべきかについては、かなり正確にはじき出すのではないかと思います。

もし、デフレのときに、財務省の官僚が緊縮財政を実行せよとか、日銀の官僚が金融引き締めをせよという馬鹿げた主張をしたとしても、AIはありとあらゆるデータを分析して、具体的にどの程度の金融緩和をせよ、どの程度の積極財政せよと、具体的な根拠をもとにはじき出すに違いありません。

これに対して、官僚がああだこうだと、いいわけをしながら、適当な数値を出したにしても、AIはそれを分析して、官僚が出した数値をもとにただちに分析して、とんでもない結果を招くことをはじき出すことでしょう。

そうなると、マクロ経済を理解しない官僚などは無用の長物になります。そうなると、財務省や、日銀などもおのずと変わってくるものと思います。まずは、今までの官僚にとってかわって、AIを運用したり、AIの運用が正しいのか、間違っているのか、間違っていたとして、それはどの程度でその要因は何だったのかを分析する人が必要になります。

そのように財務省や日銀が変われば、政治家も変わらざるを得ないでしょう。

AIが職場に溢れ、仕事を奪われた人間が失業者になっていく様は想像するだけで恐ろしい面もありますが、オズボーン氏は「人類にとってこれは歓迎すべきことだ」と主張しています。

かつて洗濯は手作業で行っていましたが、洗濯機の登場でその仕事は奪われました。しかし、それによって余った時間を使って新しい技術や知恵が創造されました。こうして人類は発展してきたわけです。現在起きているのも同じことです。

ロボットやコンピューターは芸術などのクリエイティブな作業には向いていません。となれば、人間は機械にできる仕事は機械に任せて、より高次元でクリエイティブなことに集中できるようになるわけです。人間がそうして新しいスキルや知性を磨くようになれば、これまで以上に輝かしい『クリエイティブ・エコノミー』の時代を切り開いていけるのです。


政府や役所に、AIが導入されれば、政治の世界も変わっていくことになります。政治家は、官僚との意思の疎通やなどに煩わされることなく、官僚の都合に左右されることなく、国家の意思をはっきりさせることができるようになります。

国家の意思がはっきりして、はじめて、まともな予算や、まともな財政政策やまともな金融政策が決めることができるようになります。そのためには、目先のことだけでなく、日本という国の歴史や国柄をしっかり認識したうえで、現状を把握して、日本の進路を考え、場合によっては、百年後のことも考え、その方向に導いていくため、今日の国家の意思を明らかにすることが重要です。

このような本質的な仕事をすることが政治家には強く求められるようになります。国会でも、このような論議をすることが求められるようになります。ほんの数ヶ月か、せいせい数年間の目先の政局に右往左往して、本質的な政策論争をおろそかにするような政治家はお払い箱です。

AIの導入は確実に政治の世界も変えていきます。民間企業などでは、『クリエイティブ・エコノミー』の時代に入るのことになるのですが、政治の世界も『クリエイティブ・ポリティクス』の時代に突入するのです。

その時代には、人の働く意味が今とは全く異なるものになります。わかりやすく言えば多くの人の仕事からルーチン・ワークは消えてなくなくなり、ほとんどがクリエイティブな仕事になるということです。そうして、より厳しく求められるのは成果ということになります。

働く人々からほんどどのルーチン・ワークは消えてなくなる
クリエイティブな仕事をしたとしても、成果が伴わなければ、意味がありません。たとえば、政治家が100年後のことを考えて仕事をした場合、その成果は100年後に現れることになるから、今直接成果が出なくても良いなどということには絶対にならないでしょう。

100年後の成果のために、今日やるべきこと、来年やるべきこと、10年後にやるべきこと、50年後にやるべきことなどの、いわゆるマイルストーン(一里塚)が当然のこととして、設定されなければなりません。それに向かって今日具体的な成果をあげない政治家は夢想家に過ぎません。

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