「日本は憲法改正せよ」が米国議会で多数派に
GHQによる日本国憲法草案
1946年(昭和21)2月13日、外相官邸で行われた日米会談の席で、政府の「憲法改正要綱」は、あまりに保守的内容であるとして拒否され、GHQ起草の案(マッカーサー草案)が提示された。この草案は、GHQ民政局部内で極秘裏に起草されたもので、主権在民・象徴天皇・戦争放棄などを規定していたため、政府側に大きな衝撃を与えた。
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米国議会が日本の憲法第9条を日米共同防衛への障害と見なし、改憲を望むようになった――。
この現実は日本の護憲派にはショックであろう。だが、米国議会上下両院の一般的な認識として、日本側の憲法9条の現行解釈による集団的自衛権の行使禁止は、「より緊密な日米共同防衛には障害となる」というのである。
日本の憲法を改正するか否かはあくまで日本独自の判断によるというのが正論である。だが、日本の防衛が米国という同盟パートナーに大幅に依存し、しかも日本の憲法がかつて米国側により起草されたという事実を見れば、どうしても米国の意向が重視されてきた側面は否めない。
つまり、日本で改憲を考えるに当たっては、米国が改憲に賛成なのか、反対なのかが、どうしても大きなカギとなってきたのである。
憲法9条の制約を指摘する超党派の議会の報告書
その議会調査局が公表した同報告は、日米関係における諸問題を解説する中で「憲法9条の制約」と題し、以下のように述べていた。
「一般的に言って、米国が起草した日本の憲法は、より緊密な日米防衛協力への障害となっている。なぜならば憲法9条の現行の解釈が、日本に『集団的自衛』に関与することを禁じているからだ。『集団的自衛』とは第三国に対する米国との戦闘協力のことである。日本の憲法の第9条は日本の『国権の発動』としての戦争を違法だとし、『交戦権』を禁止している」
「過去においては、日本の世論は自衛隊に課された憲法上の制限を強く支持していたが、近年、そういう意見はかなり弱くなってしまった。日本の現政権(民主党政権)は、憲法9条の改正についてはなお意見が分かれており、近い将来に改憲の論議を始めるという見通しは少ない」
日本の集団的自衛権否定が足かせになっている
以上の記述を集約すれば、米国議会の一般の認識として、日本の憲法は日米両国の「より緊密な防衛協力」にとっては障害となっている、というのである。特に憲法9条の現在の解釈によって、日本は世界の他の諸国と異なり、集団的自衛権を行使も発揮もできないことになる、というのだ。
つまり、日米共通の敵となる外国の攻撃や侵略に対しても、米国と一体になって「集団で」戦闘することは今の憲法では禁じられているということである。
だから、日米同盟をもっと堅固にし、これまで以上に両国の軍事上の緊密な防衛協力を進めるには、日本側の集団的自衛権の行使禁止が大きな邪魔になる、というわけだ。その結果、日米防衛協力の推進のためには「日本が憲法を改正すべきだ」という意見が米国議会の一般的な思潮となった、ということになる。
議会調査局というのはすでに述べたように、連邦議会の上下両院の議員たちの法案審議の資料を作成することを存在の目的としており、民主党、共和党の区別にかかわらず、超党派の客観的な情報や思考を供することで知られてきた。
その議会調査局が日本の憲法について取り上げ、「日本が集団的自衛権を否定することが日米共同防衛協力への障害となり、日本の同協力への参入をも大幅に妨げている」という見解を米国議会での一般的な考え方として記述しているのだ。
いつの間にか、米国側でも日本の憲法の改正の是非については「是」の論者が多数派になったのである。この点は今後の日本での憲法論議でも、重要な一因となるだろう。
日本ではこのところ日米同盟の重要性が再認識されるようになった。中国の尖閣諸島海域への強引な侵入と、それに伴う理不尽な日本への威嚇が、米国との防衛協力の価値を改めて意識させたからだと言えよう。
だが、その日米の防衛協力や共同防衛では、日本の憲法から生じる制約がいつも浮上する。米国は日本を支援するために軍事力を行使する構えだが、日本側は米国への支援はもとより、日本自身のためであっても、日本の本土や領海を一歩出れば軍事力は一切使えない。憲法9条に違反するとされるからだ。この点が日米同盟の固有の片務性である。
だが、米国側でも日本の憲法のあり方には多様な意見が存在してきた。米国が日本を占領した時期に起草した日本国憲法は、本来、日本を二度と軍事強国にしないことが主眼だった。だから日本が軍事力や戦力を永遠に持てないようにするという特徴があった。だが、その後、朝鮮戦争の勃発で米側に日本の武装を求める動きが高まった。
それでもなおその後の長い年月、「日本が改憲して軍事面での規制をなくせば、また軍事大国の道を進む」というような、日本の左翼の主張にも似た護憲論が米側でも有力だった。
だが、そうした米国の認識が変わってきたのだ。
その変化の集約は、米国の議会調査局が2010年10月に作成した日米関係についての報告「日米関係=米国議会にとっての諸課題」の記述に見ることができる。
議会調査局とは、連邦議会上下両院議員たちが審議する際に情報や資料を提供する調査研究機関であり、超党派のシンクタンクだと言える。(古森 義久・JBプレス)
【私の論評】憲法を改正するか、中国の属国になるか、アメリカの51番目の州になるか、あなたはどの道を選択しますか?
昨日12月8日は、開戦記念日でした。1941(昭和16)年のこの日の午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発しました。空母を主力とした、大艦隊をハワイまで派遣し、空爆を行う、マレー沖では、イギリスを象徴するプリンス・オブ・ウェールズを撃沈するなど、当時の欧米からすれば、青天の霹靂であり、亜細亜の中進国に過ぎない日本が、このような大打撃を与えたため、日本恐るべしという感覚だったと思います。
そうして、戦後アジアの多くの国々が独立して、日本は戦争には負けましたが、大東亜の理想を現実のものとしました。もし、あのとき日本が熟慮の上で、やむを得ず戦争に突入しなければ、今もアジアの多くの国々が欧米列強の植民地か、実質上の属国であったかもしれません。今日の、アジアの大発展などなかったかもしれません。無論中国の経済発展などなかったでしょう。今では、どこの報道機関も報道などしませんが、私たちは、開戦記念日の持つ意味合いを今一度思い起こすべきです。あの戦争は、起こるべき背景があって、必然的に起こったのであって、しかも、無謀なものではなかったことをこのブログに掲載したことがあります。そうして、正しい歴史認識を持つべきです。
残念ながら、その後、敗戦国である日本やドイツを含む、ヨーロッパなどがその当時のパワーオブバランスの一角を占めることができなかったため、世界は、アメリカとソビエト連邦の二極体制になってしまいました。日本は戦後70年わたり、アメリカによる弱体化政策の標的となり、今日に至りました。欧米諸国にとって、日本は、その後も脅威であったたため、これら無理からぬところがあったと思います。当時の日本は、欧米にとってみれば、今日の中国などをはるかに凌駕した末恐ろしい存在であったに違いありません。
現在の世界は、ソ連崩壊後いわゆる冷戦構造はなくなり、アメリカと旧ソ連の対立の中での秩序という構図は消えました。これは、一見良いようにも見えますが、まだまだ、世界の安定は不確実な状況にあります。
それには、主に二つの要因があります。まずは、アジアでは、残念ながらいまだに冷戦構造時代の産物がいまだ何も変わらず残っているということです。中国、北朝鮮は、基本的には冷戦時代と何も変わらす温存されてしまいました。日本は、これに対して結局何もしてこなかったということです。いまだ、アジアには冷戦時代の遺物ともいえるべき不安定さが残ってしまいました。
これだけならまだ良いのですが、これに輪をかけて世界の不安定要因を増しているいるのが、アメリカの一極主義です。ソ連崩壊とともに、アメリカは、本来であれば、多極主義をとるべきだったのですが、なにやら、全くの勘違いをしてしまい、アメリカ一極主義の道を歩み始めてしまいました。
ここで、冷戦前の世界を思いおこしてみれば、主に5~6カ国のバランスの上で、何とか平和が成り立ってきました。その他の国々は、覇権を発揮することなく、これらの国々に追随したか、何もできなかったというのが実体です。しかし、このバランスが崩れて、というより、このバランスの意味のわからない愚かな為政者等たちのせいで、第一次世界大戦が勃発し、さらに、これでも、秩序をとりもどすことができず、第二次世界大戦に突入し、その後冷戦構造ができあがりました。
この冷戦にアメリカは勝ったのですが、その後の対処があまりにもまずかったと思います。まずは、アジアの構造が変わらないのにもかかわらず、結局は何もできなかったことです。それに、あろうことか、ソ連崩壊の勢いで、アメリカ一極支配を目論んだことです。そうして、世界の警察官を自認して、遠くの国の紛争にまで、他国の意志とは関係なしに、自国の意図だけで直接手を下すようになってしまったことです。
近くでは、イラクやアフガンの例があります。さらに、ごく最近では冷戦終了前の構造が残ってしまったアジアで、北朝鮮による砲撃事件がありました。これに対処するために、ご存じのように、韓国とは黄海での大演習を行ないました。日米も、キーン・ソードという名称の戦後最大の演習を行っています。
これら、アフガンでの戦争や、日本との大演習など莫大な戦費を必要とします。演習などは、一時的なものですみますから、まだ良いですが、今後世界でアメリカの国益に反することで、他国の要請などで、どうしても軍事介入しなければならないことなどあったとしても、アフガンで戦争を継続し、アジア方面でも、巨大な戦費を必要とするような、現状のアメリカの世界一極支配の体制ではほとんど不可能です。
上の記事の内容から、やはり、アメリカは、一極支配などという最初から妄想に近い、無理な考えを捨て去るときがきたのであり、アメリカ議会もそのことにすでに気づいているとが理解できます。
やはり、世界は、冷戦前の少なくとも、5~6カ国の均衡の上で平和が成り立つようにもっていく必要があるのです。これに関して、アメリカ、ロシア、中国などは多数の国が大反対しようとも、このバランス・オブ・パワーの一角を担うことをやめないでしょう。
では、あと2カ国から、3カ国がこのパランス・オブ・パワーに参加しなければならないことになりますが、ヨーロッパでは、もう、イギリスがどうのフランスがどうのという次元ではありません。こんな単位では、経済的にも軍事的にもあまりにも小さすぎます。やはり、EUということになるでしょう。アジアでは日本が必須でしょう。
他国では、中国を牽制することはできません。何しろ、今でも実質的には、アジアの経済は、資産ベースでは、日本と日本以外の国々の総計を比較すると、今でも日本のほうがはるかに大きい(日本対外資産は過去19年間世界一)からです。
日本を欠けば、アジアは、冷戦時代よりももっと悪い状況に陥ることになります。アジア全域が中国の覇権の及ぶ範囲となってしまうことでしょう。そうなれば、一番国益をそがれるのがアメリカです。
現在は、ロシアのウラジオストック、樺太、日本の日本列島、沖縄、台湾ラインが、中国が太平洋に出るための、大きな障壁となっていますが、アジア全体が中国の覇権が及ぶ範囲となってしまえば、日本列島、沖縄、台湾ラインは消滅し、中国は自由に太平洋に出てくることができます。日本は、中国が太平洋に進出する際の、不沈空母となることでしょう。日本は、中国から太平洋に至る中国海軍の中継基地となることでしょう。
そうなれば、この方面にアメリカは、膨大な軍事力をさかなければならなくなります。アメリカは、そのようなことは絶対にさせないでしょう。そうならないために、アメリカの同盟国としての、日本をバランス・オブ・パワーの一角にするか、日本を完全に傘下におさめないと、どうしようもないということです。現状のように、アメリカが盾となり、日本に思いやり予算を要求するという図式はいずれ不可能になります。
他の勢力はどうかとえば、軍事的にみても、経済的にみても、これらの国々と対等に渡りあえる、国、あるいは連合体など存在しません。
そうです、おそらく、今後の世界は、しばらくは、米国、日本、中国、EU、ロシアという5カ国のバランス・オブ・パワーで成り立ち、平和を維持していく体制になります。そうでなければ、世界の平和は維持できません。この体制を築かなければ、いずれバランスが崩れて、また、大きな戦争が勃発するかもしれません。これが、厳しい世界の現実です。この現実には、憲法9条など、何の意味も持ちません。
上の記事は、まさしく、アメリカ議会がその事実に気づいたことの査証であるととらえるべきです。さて、この現実に、日本政府は、そうして日本国民はどのように対処するのでしょうか?
憲法を改正して、パランス・オブ・パワーの一角を担う覚悟がなけば、いずれ選択できる道は二つしかありません。それは、中国の属国になるか、アメリカの51番目の州になることです。いますぐ、ということはないでしょうが、今後10年以内には、おそらくどちらかの道を選ばざるをえない状況に追い込まれます。あなたは、どの道を選びますか?
しかし、私達としても、当然のこととして、どらの道も選びたくはありません。であれば、憲法を改正して、バランス・オブ・パワーの一角を担うしかありません。
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