ラベル 真の意味 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 真の意味 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年5月21日木曜日

コロナ後の世界、「スペインかぜ」後に酷似する予感―【私の論評】社会は緩慢に変わるが、今こそ真の意味でのリーダーシップが必要とされる時代に(゚д゚)!

コロナ後の世界、「スペインかぜ」後に酷似する予感
恐慌によるブロック経済、国内では二・二六事件、そして大戦

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

「われわれには多くの措置を講じることが可能だ。関係を完全に断ち切ることもできる」

 中国との関係について、米国のトランプ大統領がそう断言したのは、今月14日のことだった。米国メディアのインタビューに答えたものだ。

「中国には非常に失望した。中国は新型コロナウイルスの流行をなすがままに任せるべきではなかった」

トランプ大統領は中国のコロナ対応に失望

 感染者が150万人超、死者も9万人超の世界最大となった米国。経済活動の再開を急ぐトランプ大統領に、反発の声も大きい。このままではこの秋の大統領選挙にも影響する。思うようにいかない苛立ちは、発生源の中国に向かう。国内の批判も、共通の敵を意識させることで目先を変えようという意図も見え隠れする。

1世紀前の出来事と恐ろしいほど符合

 「習近平と非常に良い関係にあるが、今は話したいとは思わない」

 インタビューでそう語った翌日の15日、トランプ政権は、中国の通信機器最大手「華為技術」(ファーウェイ)に対する禁輸措置を強化すると発表した。携帯電話の中の半導体でもアメリカが関わったものは、外国製品であれ、輸出を禁止する、したければアメリカ政府の許可をとれ、というものだ。

 これを受けて、すぐさま半導体受託生産の世界最大手、世界シェアの5割を占める台湾積体電路製造(TSMC)が、ファーウェイからの新規受注を停止した。世界のサプライチェーン(供給網)の分断がはじまっている。

 一方の中国も、新型コロナウイルスの発生源でありながら、世界に先駆けて克服した国として、諸外国への支援を積極的に打ち出している。ところが、その一方で海洋進出を強化。4月中旬には、かねてから埋め立て、軍事拠点化を進めてきた南シナ海に新たな行政区「西沙区」と「南沙区」を設置すると発表。5月8日には、4隻の中国公船が尖閣諸島周辺の領海に侵入し、このうち2隻が日本の漁船を追いかけ回した“事件”も発生している。

 12日には、新型コロナウイルスの発生源について独自の調査が必要と表明した豪州に対して、食肉の輸入禁止措置をとった。さらに19日からは、豪州産の大麦に80%超の関税を上乗せしている。FTAを結ぶ中国は豪州にとって最大の輸出相手先である。

 もはや、ここへきての米中両国の強硬姿勢と囲い込みは、“ポスト・コロナ”を見据えた動きとも見てとれる。

 だとすると、もっと深刻に考えなければならないことは、およそ1世紀前に起きた出来事と、現在とが恐ろしいほどにリンクしていることだ。

自国優先でブロック経済化

 100年前にも「スペインかぜ」と呼ばれた新型インフルエンザのパンデミックが起きた。最初は米国からはじまり、第1次世界大戦に派兵された米軍のテントから世界中に拡散されていった。当時、中立国だったスペインだけが実態を公表したことから「スペインかぜ」という名が付けられた。この新型感染症が、第1次世界大戦を終わらせたとも言われる。1919年にはパリで講和条約が結ばれている。

 このパリ講和会議では、米国のウィルソン大統領が国際協調と、国際連盟の設立を説いた。ところが、いざ設立となったところで、言いだしたはずの米国が参加していない。もともと他国には干渉しないモンロー主義(孤立主義)を外交の柱としていた米国では、議会が参加を否決した。

 現在の米国でも、自国第一主義を唱えるトランプ大統領が、新型コロナウイルスの世界保健機関(WHO)の対応は中国寄りだとして、拠出金を停止してしまった。脱退すら示唆している。国際協調の足並みからはずれかけている。

 大戦終結から10年後の1929年には、世界恐慌が襲った。いまの世界の状況は、その10年の間の出来事がひと塊になってやって来ているようなものだ。

 当時の世界恐慌に主要国はブロック経済で立ち向かった。自国優先主義、保護主義に走って、植民地との貿易関係を強化。列強が独自の貿易圏を作り、それ以外の国や地域とは、高額の関税をかけて貿易を著しく阻害する。

 習近平国家主席が打ち出した広域経済圏構想「一帯一路」は、「債務のわな」にはまった支援先の国々を実質的に植民地にしているようなものだ。

 いまでは、経済ブロックが米中対立の二極化となりつつある。当時のブロック経済による世界の囲い込みと分断が、やがて第2次世界大戦を招いたことは言を俟たない。

寒村の窮状を憂う声が二・二六事件へと

 米国の株価の大暴落からはじまった世界恐慌は、日本にも影響した。それも農村部の困窮は著しく、農家の娘が女郎として売られていくという惨状もあった。

 そういえば、お笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史が、ラジオ番組でこう発言したことが、女性蔑視として厳しい批判に曝されている。

「コロナが終息したら絶対面白いことあるんですよ。美人さんがお嬢(風俗嬢)やります。短時間でお金を稼がないと苦しいですから」

 これも当時を彷彿とさせ、ポスト・コロナを予言するものとも言える。ある意味で経済を理解している。だが、それは当時からして、そうした窮状に追い込まれる悲劇であって、それを「面白いこと」と言ってしまうところに、大きな間違いがある。

 そんな悲惨な当時の農村から陸軍に入った部下の話を聞いた青年将校たちが「昭和維新」を掲げて決起する。それが二・二六事件だった。

【1936年】陸軍(昭和11年)▷反乱軍の拠点「山王ホテル」前(二・二六事件)

 いまの時代にクーデターということは考え難いが、日本政府はコロナ対策に「新しい生活様式」を打ち出している。他者との距離を保ち、食事も対面を避ける。感染拡大には第二波、第三波も予測される。そんな事態がいつまで続くのか。それで延期された東京オリンピックが迎えられるのか。二・二六事件の4年後に予定されていた1940年の東京オリンピックも幻に終わっていることを付け加えておく。

【私の論評】社会は緩慢に変わるが、今こそ真の意味でのリーダーシップが必要とされる時代に(゚д゚)!

1918年、ワシントンD.C.のウォルター・リード病院でインフルエンザ患者の脈を取る看護婦

上の記事では、スペイン風邪との対比で現在の世界がどう変わっていくかを推論しています。しかし、COVID-19とスペインかぜを比較してみると、そこには数々の相違点があります。

まず、この2つは全く異なる病気であり、その病気の原因となっているウイルスも異なります。COVID-19の原因はコロナウイルスであり、スペインかぜやこれまで登場した他のインフルエンザパンデミックを引き起こしたインフルエンザウイルスではありません。

致死率の年齢別の分布も全く違います。1918年のスペインかぜは特に新生児や若い世代の人々にとって脅威的でした。COVID-19の原因となっているコロナウイルスは、特に高齢者にとって致命的なものだと見られています。

また、スペインかぜの大流行に関してはたくさんの国がその情報を非公開にしようとしていたのに対し、現在はデータや研究、ニュースなどが完全ではないにしろシェアされていることから、過去とは状況がとても異なります。

同時に、現在ではかつてとは比較にならないないほど世界がつながっているのも事実です。1918年当時は線路や蒸気船が世界をつないでいる程度でしたが、飛行機が発達した現在では、人もウイルスもごく短時間で世界中を移動することが可能となっています。

保険医療のシステムやインフラも当時とは大きく異なっています。スペインかぜが世界を襲ったのは、抗生物質が発明される前だったことから、おそらくほとんどの死亡はインフルエンザウイルスそのものによるものではなく、細菌による二次感染だったことが考えられます。

2008年の発表で、Morensらは「スペイン風邪の死者のほとんどは上気道の細菌によって引き起こされた二次感染による細菌性肺炎が原因だった可能性がある」と述べています。

また、ヘルスシステムだけではなく、当時の世界は健康状態や生活環境が全く異なっていました。1918年に被害を受けた人たちの大部分はとても貧しい層の人たちであり、その多くの人は栄養失調状態にありました。

世界人口のほとんどが当時は劣悪な健康状態にあり、高い人口密度に加え、衛生状態も悪く、衛生基準自体が低いことが当たり前の時代でした。それに加え、世界のほとんどの地域は戦争で弱っていた時代です。公的な物資は少なく、多くの国々がその資源の多くを戦争に使い切った後だったわけです。

世界の大部分が今では豊かになり、健康状態も良好に保たれています。しかし、そんな今の世界において、やはり一番懸念されているのは、COVID-19の大流行によって一番打撃を受けるのは、貧しい層にいる人々だろうということです。

これらの相違点が示すことは、1世紀前の大流行から学びを得ようとする場合、我々は慎重にならなくてはならない、ということです。

しかし、人々の健康状態が良好に保たれている国でさえ、パンデミックが与える影響ははかり知れない、ということスペインかぜは我々に教えてくれます。新しい病原体は恐ろしい破壊をもたらし、それが何百万という命を奪うことになるかもしれません。

このように、スペインかぜという歴史上の大流行は、我々に警鐘を鳴らしてくれるだけではなく、大きなパンデミックの発生に対して十分備えておこうという動機を与えてくれるものであり、長年多くの研究者たちによって常に注目されてきた事例なのです。

スペイン風邪後の世界には、核兵器も存在しておらず、現在でいうと通常兵器といわれるもので軍備がなされていました。そのため、世界大戦が起こる可能性は十分にありましたし、実際二度にわたって起こってしまいました。

しかし、核兵器のある現在では、様相が違います。核兵器を使ってしまえば、自国だけではなく、世界が崩潰する可能性があります。そのため、先進国や大国で武器を用いた戦争は現実的ではなくなりました。

そのため、現在の戦争は、兵器ではなく情報戦や経済制裁を用いる戦争に変わっています。コロナ禍直前から、米中対立は激しくなっていましたが、コロナ禍移行も激化しつつあります。

米中対立はコロナ禍後ますます顕になってきた

コロナ禍で甚大な被害を被った米国以外の先進国なども、中国に対する反発が高まっており、中国対米国をはじめとする先進国の戦いの様相を呈しつつあります。

それに対して、中国はコロナ禍を奇貨として、EU等には従来からの微笑外交の延長線上のマスク外交を展開し、台湾、日本に対しては、東シナ海で攻勢にでており、南シナ海でも活動を活発化させています。

これを米国などの先進国は、許容することはないでしょう。米国等は、これからも中国に対して、中国自らが体制を変えるか、変えなければ、世界に影響を及ぼすことができない程度まで経済を弱体化させることになるでしょう。

これに関しては、第二次世界大戦後の米ソ冷戦が、ソ連崩潰で終了したように、時間がかかるでしょうが、いずれソ連が崩潰したように、現在の中国共産党の崩潰と、中国の体制変換という形でいずれ終焉することでしょう。ただし、やはり短くても10年、長ければ、20年以上かかるかもしれません。

その間に、世界は米国を中心とする多数の国々による貿易圏と、中国を中心とする、少数の国々による貿易圏に分かれるかもしれません。いずれにせよ、決着するまでには、時間がかかり、これによる変化は比較的緩慢なものになることが予想されます。

次に、日本をはじめとする先進国の国内の変化としては、どのようなことが考られるでしょうか。様々なところで、大変化が起こり、コロナ禍以前とは全く異なる社会になるとしている識者も大勢います。

コロナの後に世界は変わるのでしょうか。結論から言うと、劇的に社会が変わっていく、いわゆるパラダイムシフトは私は、起こらないと思います。

それどころか、人々が思ったいいる以上に元の社会に戻ろうとすると私は考えています。

それはなぜかというと、それが多くの人々のとって一番ラクだからです。社会は変化を求めているようですが、実際に、自分自身を変えていこうと思っている人がどれくらいいるでしょうか。

何か新しい取り組みを始めようと思っている人はそんなに多くはないのではないかと思います。変化を強要されているところは、致し方なく取り組んでいるのが現状だと思います。

コロナの終息後でも私自身も含めて多くの一般的な人たちの考え方は変わらないでしょう。

これを変えようと思う人はかなり意識が高いと思います。意識が高いという言い方は褒めているわけではなく、流行りにのっている部分もかなりあると思うのです。そういう意味です。これは、いわゆる意識高い系の方々には耳が痛いのではないかと思います。ただし、意識高い系とは、本当に意識が高い人という意味ではありません。そうではなく、意識が高いふりをしている人と言ってもよいかもしれません。

つまり、ほとんどの人にとってソーシャルディスタンスを継続させていったり、テレワークなどのデジタルな暮らし方にシフトしていくことは大変なことだと思います。何しろ、今でも家庭でのWIFI普及率は、思いの他低いことをある調査で知り、驚いたばかりです。あるいは、携帯電話は使用しているものの、パソコンの使用率も思いの他低いです。そのため、急激に社会が変化していくパラダイムシフトはおこらないと思います。

では、社会は元どおりになっていくのでしょうか。私自身は、変わらないところがあるように、変わるところがあるとも思っています。それはどこかと言うと、苦しんでも変えざると得ないという人たち。つまり主に経営者達の考え方です。私は、どちらかというとこちらに属しているのでよく分かります。

よく考えてみると、米中対立を基本とする現在の世界の変化も同じです。この動きはコロナ禍以前からはっきりしていました。変わるべきものが、コロナによってはっきり目に見えるようになってきたということです。従来では、中国批判をすると、反発する人も結構いましたが、最近はそういう人も少なくなって来たように思います。

コロナによってそれなりに自粛をしたり、仕事も変化をしなけばならない人もたくさんいたと思います。

ただ、今現在も一番苦しんでいるのは経営に携わっている人たちだと思います。あるいは、社会事業を営んでいる人たちです。なぜなら、先を読むこと。そしてチャレンジすることがとても難しい社会になってしまったからです。

例えば今皆さんが、これから新しいイベントをやってくださいと言われたらどうしますか?ほとんどの人がとりあえずは今はやめておきましょうと答えるはずです。そういった中で次の答えを出さなければいけないリーダー達はとても難しい選択を強いられています。

現在のリーダーといわれる人は、小さな組織レベルでも、企業レベルでも、地方自治体レベルでも国家レベルでも、いやがおうでも、リーダー的行動が求められているのです。

変わると思って挑戦する人もいれば、元に戻ると思って投資する人もいるかも知れません。ただ、どちらにしても難しい選択であることに変わりありません。だから、一番変わっていくのはリーダー達の行動だと思います。社会は変わらないように思えて、実はゆっくりと舵を切り始めています。

コロナで変わるのではなく、変えなければならないタイミングが今ということです。それをコロナが顕にさせたということです。社会はいつもゆっくりと変化をしていきます。緩慢に変化していくので、よほどの目利きでないと気づきません。

人間の生活もやっぱり変えなければいけないことがでてきます。格差の激しい社会だったり、地球にとって良くないような発展だったりは、いずれにせよ変化しなければならないと思います。また、発展途上国の防疫体制、衛生管理なとも変化させなくてはならないです。

急激なパラダイムシフトは起こらないものの、コロナがあろうがなかろうが、変わらなければいけないものは変わっていくのです。コロナはそれを顕にしただけなのです。

今はそれを一部のリーダー達がかなりの負担を強いられながら、変化していくように求められているのです。


そうして、今こそ経営学の大家ドラッカー氏の語るチェンジ・リーダーの条件を見つめ治す時が来たようです。

ドラッカーしは、チェンジ・リーダーについて次のように述べています。
昨日を捨てることなくして、明日をつくることはできない。しかも昨日を守ることは、難しく、手間がかかる。組織の中でも貴重な資源、特に優れた人材を縛りつけられる。(『明日を支配するもの』)
ドラッカーは、1980年代半ば以降、少なくとも企業の世界では、変化への抵抗という問題はなくなったといいます。内部に変化への抵抗があったのでは、組織そのものが立ち枯れとなります。こうしてて、変化できなければつぶれるしかないことは、ようやく納得されたのです。
しかし、変化が不可避といっても、それだけでは死や税のように避けることができないというにすぎません。できるだけ延ばすべきものであり、なければないに越したことはないというにとどまります。
変化が不可避であるのならば、自ら変化しなければならないのです。変化の先頭に立たなければならないのです。変化をコントロールできるのは、自らがその変化の先頭に立ったときだけなのです。特に、急激な変化の時代に生き残れるのは、変化の担い手、すなわちチェンジ・リーダーとなる者だけなのです。
当然、チェンジ・リーダーたるための条件が廃棄である。成果が上がらなくなったものや貢献できなくなったものに投下している資源を引き揚げなければならないのです。
チェンジ・リーダーであるためには、あらゆる製品、サービス、プロセス、市場、流通チャネル、顧客、最終用途を点検する必要があります。しかも、常時点検し、次々に廃棄していかなければならないのです。
第一に、製品、サービス、プロセス、市場、流通チャネル、顧客、最終用途の寿命が、「まだ数年はある」といわれるようになった状況では、廃棄が正しい行動なのです。
第二に、製品、サービス、プロセス、市場が、「償却ずみ」を理由として維持される状況に至ったならば、廃棄が正しい行動なのです。
第三に、製品、サービス、プロセス、市場が、これからの製品、サービス、プロセス、市場を「邪魔する」ようになったならば、廃棄が正しい行動なのです。
ドラッカーは、次のようにも語っています。
イノベーションはもちろん、新しいものはすべて、予期せぬ困難にぶつかる。そのとき、能力ある人材のリーダーシップを必要とする。すぐれた人材を昨日に縛りつけていたのでは、彼らに活躍させることはできない。(『明日を支配するもの』)
リーダーシップについてドラッカーは次のように述べています。
リーダーシップとは人を引きつけることではない。そのようなものは煽動的資質にすぎない。仲間をつくり、人に影響を与えることでもない。そのようなものはセールスマンシップにすぎない。(『現代の経営』)
リーダーシップとは仕事であるとドラッカーは断言します。リーダーシップの素地として、責任の原則、成果の基準、人と仕事への敬意に優るものはありません。(このあたりは、是非ドラッカー著の『マネジメント』を参照していただきたいです)

リーダーシップとは、資質でもカリスマ性でもありません。意味あるリーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、それを目に見えるかたちで確立することです。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者なのです。

リーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく望ましいかを考え抜きます。リーダーの仕事は明快な音を出すトランペットになることだとドラッカーは言います。

リーダーと似非リーダーとの違いは目標にあります。リーダーといえども、妥協が必要になることがあります。しかし、政治、経済、財政、人事など、現実の制約によって妥協せざるをえなくなったとき、その妥協が使命と目標に沿っているか離れているかによって、リーダーであるか否かが決まるのです。

ドラッカーは多くの一流のリーダーたちを目にしてきました。外交的な人も内省的な人もいました。多弁な人も寡黙な人もいました。

そうして、ドラッカーは次のように断言しています。
リーダーたることの第一の要件は、リーダーシップを仕事と見ることである。(『プロフェッショナルの条件』)
上でも指摘したように、コロナ後の社会は緩慢に変わっていくので、見極めが難しいです。 油断していると茹でガエルになりかねません。しかし、あらゆる組織において、今こそ真のリーダーシップが求められているのは確かなようです。

コロナによる変化自体はあらゆる組織にとって公平なものであり、マイナスであったりプラスであったりするのは、変化に対する私たちの反応によるものなのです。

コロナ後の世界において、あらゆる組織が、個人をも受益者としてくれるであろうものは、変化に直面したときの柔軟性なのです。

私自身、最終的には世界経済は素早く回復し、これまでの他の大きな変化を吸収してきたように、この大規模な変化を取り込む可能性が大だと思います。

【関連記事】

コロナの裏で進められる中国の香港支配―【私の論評】米国や台湾のように日本と香港の関係を強化すべき(゚д゚)!


2017年9月23日土曜日

【WEB編集委員のつぶやき】朝日も民進も「大義がない」とは能天気だ「北朝鮮危機」に決まっているではないか!―【私の論評】真の意味を知らない野党、新聞に大義を語る資格なし(゚д゚)!

【WEB編集委員のつぶやき】朝日も民進も「大義がない」とは能天気だ「北朝鮮危機」に決まっているではないか!


大義について語る三島由紀夫の動画 動画、写真はブログ管理人挿入

「衆院解散に大義がない」。野党や一部マスコミが口をそろえるが、能天気すぎやしないか。

 北朝鮮のミサイルが日本の頭上を2度も飛んでいる。この「北朝鮮危機」にどう対応するかが「大義」に他ならないではないか。

 日本国憲法に「自衛隊」を明記すること、即ち「憲法改正」こそが争点だ。与党に注文したい。その他の些末な公約など要らない。政権の命運をかけ、「一点突破」で勝負すべきだ。

 それにしても「常在戦場」といわれる政治のダイナミズムを久々に見た。15日の金曜日まで「無風」に見えた永田町が、土曜日に激変。北朝鮮に翻弄され、離党、不倫騒動などに気を取られていた党や議員は慌てふためいている。

 衆院の解散・総選挙が10月10日公示、22日投開票の日程で行われる方針が固まった。28日召集の臨時国会冒頭に解散する。

 自民の公約は(1)アベノミクス推進(2)人づくり革命(3)働き方改革(4)北朝鮮対応(5)憲法改正の5項目を重点政策に位置づける(21日付産経新聞)。「憲法改正」では自衛隊の存在明記、教育無償化、緊急事態条項、参院選合区解消の4項目を盛り込むという。

 民進党の前原誠司代表は17日、解散方針について、「北朝鮮が核実験や弾道ミサイルを撃つ中、本気で政治空白をつくるつもりか。学校法人『森友学園』や『加計学園』問題の追及から逃れるための『自己保身解散』だ」と述べ、首相を批判した。朝日新聞の20日付社説の見出しも「大義なき『身勝手解散』」と足並みをそろえた。

 しかし「自己保身」はどちらか国民は知っている。「民共連携」「離党ドミノ」など選挙どころではないのはほかならぬ民進党だからだ。共闘を維持すればさらなる離党者が出かねないし、共闘をやめれば非自民票が分散する。

 民進党の山井和則国対委員長代行は19日、「要はただ単に自分が勝てそうなときにやっておこうと(いうことだ)」と述べたそうだが、「勝てそうなとき」に勝負するのは当たり前だ。

 枝野幸男氏がツイッターで「選挙がないと議席が増えないから、野党にとって解散は歓迎です。厳しい状況ですが、予想を覆し大善戦した英国労働党の例もあります…」と綴ったが、批判一辺倒の前原代表よりも真っ当な意見だ。

 衆院選で主役の一人となる東京都の小池百合子知事は18日、「何を目的とするのか、大義が分からない。国民に何を問い掛けていくのか分かりにくい」と述べたが、「政界渡り鳥」もカンが鈍ったのか「大義が分からない」とはがっかりである。

 その小池氏の人気に頼る国政新党を結成する若狭勝衆院議員は、臨時国会召集前日の27日の結成を目指す。参加する国会議員は6人~9人となりそうだという。

 そしてまたもや古巣・自民に弓を引くのは河野洋平元衆院議長だ。20日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、「権力者側が自分の都合の良いときに、自分の都合で解散するのは果たして良いものか」と苦言を呈した。

 そう言えば、蓮舫前代表は自民党が東京都議選で惨敗した際に「解散・総選挙はいつでも受けて立つ」と強気に話していたが民進党はこうもコロコロ変わるのか。

 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が9月16、17両日に行った合同世論調査では、安倍晋三内閣の支持率は50・3%となり、5月以来4カ月ぶりに5割を回復した。政党支持率でも自民党は38・0%で前回から5・0ポイント上昇しており、“追い風”となりそうだ。民進党が6・4%で0・5%下落した。

 核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮を脅威に感じていると回答した人は84・7%に上った。北朝鮮が日本をミサイル攻撃した場合に発射基地を攻撃する「敵基地攻撃能力」についても保有すべきだと思うとした人が53・8%と過半数に達した。

 また、憲法9条の戦争放棄や戦力の不保持といった現行条文を維持した上で自衛隊の存在を明記する憲法改正案については、「賛成」が59・2%と「反対」の32・0%を2倍近く上回った。国民の冷静な認識を知っておくべきだ。

 公明党の山口那津男代表は21日の記者会見で、野党が冒頭解散に反発していることには「政権を奪おうという立場からすれば、むしろ野党から早く解散しろとの要求があってもいい」と批判したが、野党の皆さんはどう聞くか。

 これから戦う相手にこうたしなめられたのでは「戦わずして負け」に思えてならない。

 安倍首相は25日に記者会見を開く。国民に向けて丁寧に、そして「自己保身」でも「身勝手」でもない解散であることを示して欲しい。この記者会見の内容が分かり易いかどうかで衆院選の行方が決まる。

(WEB編集チーム 黒沢通)

【私の論評】真の意味を知らない野党、新聞に大義を語る資格なし(゚д゚)!

三島由紀夫氏 自宅にて
野党も、新聞も「大義」という言葉をあまりにも軽々しく使っています。冒頭に掲載した動画の中から、三島由紀夫の語る大義を以下にまとめます。
武士は、普段から武道の鍛錬はいたしますが、なかなか生半可なことでは、戦場の華々しい死、なんてものはなくなってしまった。そのなかで、汚職もあれば社用族もあり、今で言えば、このアイビー族みたいなものも、侍の間で出てきた時代でした。 
そんななかで『葉隠』の著者は、「いつでも武士というものは、一か八かの選択のときには、死ぬほうを先に選ばなければいけない」と口をすっぱくして説きましたけれども、著者自体は、長生きして畳の上で死んだ、とあります。 
そういうふうに、武士であっても、結局死ぬチャンスがつかめないで、「死」ということを心のなかに描きながら生きていった。そういうことで仕事をやっていますときに、なんか、生の倦怠(けんたい)と言いますか、ただ人間が「自分のために生きよう」ということだけには、いやしいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。 
それで、人間の生命というものは不思議なもので、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬ、というほど、人間は強くないんです。というのは、人間はなんか理想なり、何かのためということを考えているので、生きるのも、自分のためだけに生きることには、すぐ飽きてしまう。 
すると、死ぬのも何かのため、ということが必ず出てくる。それが昔言われていた「大義」というものです。そして「大義のために死ぬ」ということが、人間のもっとも華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だというふうに考えられていた。 
しかし、今は大義がない。これは民主主義の政治形態ってものが、大義なんてものはいらない政治形態ですから当然なのですが、それでも、心のなかに自分を超える価値が認められなければ、生きてることすら無意味になる、というような心理状態がないわけではない。
三島由紀夫氏は、現代は大義がないとしています。この意味するところは何なのでしょうか。これを考えるのに役立つ考え方があります。それは、経営学の大家ドラッカーの目的あるいは目標に対する考え方です。

ドラッカー氏は以下のように述べています。
公的機関は実現可能な目標をもたなければならない。(『イノベーションと起業家精神』)
たとえば、国連や国の機関の目標は空腹の根絶ではなく、飢餓の減少でなければならないとドラッカーは言います。

公的機関は実現可能な目標を必要とするといいます。やがて達成したといえる実現可能な目標を必要とするといいます。

実現が不可能であってはならない。正義の実現は永遠の課題とすべきものである。いかに控えめにいっても、正義が完全に実現することはありえないといいます。

目標は大義ではなく、費用効果にかかわるものとしてとらえなければならないとしています。いかに努力しても達成できない目標は、目標として間違っていると考えるべきであり、目標を達成できないからといって、さらに努力すべき理由としてはならないとしています。

空腹の根絶という大義と、目標とは異なり、大義自体は費用効果には無関係ですが、目標は費用効果に関わるものという違いがあるということです。

目標を達成できないということは、公的機関の多くが考えるところとは逆に、目標そのものの有効性を疑うべき理由とすべきでなのです。

公的機関は個々のプロジェクトではなく、目的そのものに的を絞らなければならないのです。個々のプロジェクトは目的のための手段です。一時のものであり、短命のものと考えなければならないのです。

また、正義と公正を求めるあまり、ばらまきに陥ることのないよう心しなければならないとしています。
いつになっても目標を達成することができなければ、目標そのものが間違っていたか、あるいは少なくとも目標の定義の仕方が間違っていた可能性のあることを認めなければならない。(『イノベーションと起業家精神』)
ドラッカー氏は以上のことを公的機関を例にあげて述べていますが、 これは政党などのいわゆる非営利組織には十分あてはまるものと思います。

選挙などは、公的機関でいえば、個々のプロジェクトに過ぎないものです。政党も、個々の選挙などではなく、目的そのものに的を絞らなければならないのです。選挙は目的のための手段です。一時のものに過ぎないのです。

そうして、政党もその時々で具体的な目標を持たなければならないのです。いつになっても目標を達成することができなければ、目標そのものが間違っていたか、目標の定義の仕方が間違っていた可能性があることを認めなければならないのです。

この文脈からすると、選挙に大義を求めるのは間違いです。そんなことよりも具体的な目標、票読みが必要なのです。大義が必要なのは、政党の使命を考えるときです。政党の使命を考え、目的、その時々での目標を具体的に定めることにより、具体的な行動が決まります。

2016年の参院選
与党としては、このように具体的な行動計画が決まった後に、選挙の日程も決めて、個々の選挙にも具体的な目標を定めて、具体的な行動計画に落としていくべきなのです。そうして、自民党はこのようなことを実施しつつあるのだと思います。

野党の立場とすれば、与党と違い自ら選挙の日程を変えることはできませんが、具体的な行動計画が定まっていれば、その行動計画を修正しつつ、選挙という短期ブロジェクトを乗り切るということになります。

この大義に関しては、文筆家の古谷経衡氏も興味深いツイートをしています。
日本では、中国や北朝鮮などととは異なり、選挙が行われます。これにより、政権与党や総理大臣は、強力な統治の正当性を主張することができます。しかし、中国や北朝鮮なのでは、選挙がないため、もともと習近平政権や北朝鮮の金正恩政権は、統治の正当性が脆弱です。

だからこそ、日々血みどろの権力闘争を行い、統治の正当性を高める努力をしなければならないのです。金正恩はそのために、自分の兄を殺害しています。

殺害された金正男氏
日本では権力闘争のかわりに、民主的な手続きである選挙があるわけです。

無論日本でも、選挙という民主的手続きを経て、政権与党や総理大臣になったとしても、国民から信頼を得られなければ、統治の正当性を失い、次の選挙で負けることになります。

統治の正当性を得るための唯一の手段である、選挙に対して、大義を問題とする野党、新聞は異常です。そもそも、大義の意味を取り違えています。選挙のたびに決まり文句のように「大義、大義」と唱える、新聞、野党に大義を語る資格はありません。

【関連記事】

安倍首相『解散』の真相 北“異次元の危機”前に…関係者「山尾氏の不倫疑惑など眼中にない」―【私の論評】誰が正しいかばかり考え、正しい妥協ができない野党に明日はない(゚д゚)!

特報 米国司法省 IR疑惑で500ドットコムと前CEOを起訴 どうなる岩屋外務大臣―【私の論評】岩屋外務大臣の賄賂疑惑が日本に与える影響と重要性が増した企業の自立したリスク管理

特報 米国司法省 IR疑惑で500ドットコムと前CEOを起訴 どうなる岩屋外務大臣 渡邉哲也(作家・経済評論家) まとめ 米国司法省は500ドットコムと元CEOを起訴し、両者が有罪答弁を行い司法取引を結んだ。 日本側では5名が資金を受け取ったが、立件されたのは秋本司被告のみで、他...