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2018年5月28日月曜日

中印関係「雪解け」は一時的―【私の論評】諸悪の根源、侵略国家中国はインド太平洋地域で、過去の歴史を繰り返す(゚д゚)!



武漢で非公式な首脳会談を行ったインドのモディ首相と、習近平

中国の習近平国家主席とインドのモディ首相は、4月27~28日に、中国の武漢で非公式な首脳会談を行った。インド政府の発表によれば、要点は次の通りである。

 両首脳は、中印両国が経済大国、戦略的主要国として同時に興隆することが、地域と世界にとり重要な意味を持つと考える。平和的、安定的で、バランスの取れた中印関係が、現在のグローバルな不確実性の安定化にとり有益なファクターである、との見方を共有する。中印2国間関係の適切な管理は、地域の発展と繁栄に資するものであり、「アジアの世紀」の前提条件となる。

 両首脳は、中印国境問題に関する特別代表の作業への支持を表明し、公平、合理的、相互に受け入れ可能な解決を追求する努力を強化するよう求めた。中印国境地帯全域の平和と静穏の維持が、両国関係全体の発展において重要であることを強調。国境問題の管理における、両国軍間の信頼醸成、相互理解、予測可能性を高めるための戦略的ガイダンスを発表。国境地帯における偶発事態を防ぐべく、両国軍にさらなる信頼醸成の実施を指示した。

 両首脳は、2国間の貿易と投資を、均衡的で持続可能なやり方で前進させることで合意した。文化的、人的交流の促進についても議論し、新たなメカニズムの構築を模索することで合意した。

 両国は、戦略的対話を強化する必要につき合意。かかる戦略的対話は相互理解に役立ち、地域と世界の安定に貢献する。

 中印はそれぞれ、成長と経済発展を通じて世界の平和と繁栄に大きな貢献をしており、今後とも世界の成長のエンジンであり続けるだろう。開放的、多極的、多元的、参加型のグローバル経済秩序は、あらゆる国の発展追求を可能にし、世界中の貧困と不平等の除去に貢献する。

 気候変動、持続可能な発展、食料の安全、感染症との戦い、テロ対策など、グローバルな問題で、両国は協力する。

出典:‘India-China Informal Summit at Wuhan’インド外務省

 今回の非公式首脳会談は、毛沢東ゆかりの地である武漢で開催され、両首脳は、船上でお茶を飲み、インド音楽を聴くなどして、友好ムードを演出したという。中国外務省は、習近平が「今回の会談で両国関係の新たな1ページを開きたい」と語り、モディが「今回の会談は歴史的意義を持つ」と述べた、と発表している。両国とも、何らかの形で経済関係を好転させたい意図があることは、上記会談の要点からも見て取れる。しかし、中印関係が緊張する戦略的構図に何ら変化がないのであるから、武漢での首脳会談で演出された「雪解け」は、あくまでも一時的なものにとどまると考えられる。

 中印関係を緊張させる第一の要因は、1962年の中印国境紛争の原因ともなった、ヒマラヤにおける国境問題である。昨年だけをとってみても、次のような小競り合いが起こっている。6月に中国がブータンのドクラム高原に道路を建設し始めたことに対抗し、8月にはブータンの擁護者であるインドが部隊を派遣、中印両軍がにらみ合った。12月末には、インドが実効支配するアルナーチャル・プラデーシュ州で、中国による道路建設に対し、インド軍とインド・チベット国境警察が出動し、中国側の作業員を追い返すなどしている。

 中印間の緊張の大きな要因には、国境問題に加え、中国のインド洋への進出、中国とパキスタンの関係緊密化がある。両者はともに、最近中国が強力に推進している巨大経済圏「一帯一路」構想とも関連している。

 「一帯一路」のうち「一路」に当たる「海洋シルクロード」は、歴史的にインドの影響下にあったインド洋を舞台にしている。中国は、インド洋沿岸国へのインフラ投資を強化している。スリランカやモルディヴへの港湾建設は、その典型的な例である。また、中国はインド洋に海軍を積極的に展開し、インドに強い警戒感を与えている。

 そして、「一帯一路」には、インドの宿敵パキスタンが含まれる。この点は、インドにとって極めて重大である。インドとパキスタンは、カシミール地方をめぐって常に一触即発の状態にあるが、「一帯一路」の主要構成要素と位置づけられる「中国パキスタン経済回廊」は、そのカシミール地方を通過する。インドが強く反発するのは当然である。


 したがって、インドは「一帯一路」への警戒を隠さず、上記首脳会談の直前の4月24日に北京で開催された上海協力機構(SCO)外相理事会のコミュニケで、参加国中唯一「一帯一路」への支持を表明していない。「一帯一路」にはネパールも含まれるが、武漢での会談後の5月11日にはモディ首相が、親中派が政権の座についているネパールを訪問し、両国の関係強化で一致するなど、巻き返しを図っている。

 そして、インドは、中国のインド太平洋地域における影響力の増大に危機感を抱き、日米豪に接近している。日本が掲げる、自由、民主主義、市場経済、海洋の自由といった価値を基本に据えた「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、インドにとっても魅力的に映ると思われる。中印関係が劇的に好転する要因は見当たらず、インドと日米豪との接近は続くことになろう。

【私の論評】諸悪の根源、侵略国家中国はインド太平洋地域で、過去の歴史を繰り返す(゚д゚)!

最近では、北朝鮮のことが、注目されていますが、これ以外の地域でも世界は未だに緊張が続いています。中国は北朝鮮の後ろ盾となっていますが、その中国はブログ冒頭の記事のようにインドとの対立が続いていました。

ブログ冒頭の記事では、中印関係が劇的に好転する要因は見当たらず、インドと日米豪との接近は続くことになると予測しています。

なぜこのようなことがいえるのかとえば、過去の中印、インド・パキスタン関係の歴史をみれば明らかになります。

以下に中印国境紛争の歴史をまとめておきます。

1962年10月に起こった中国軍とインド軍の国境での衝突。中印戦争ともいいます。中国とインドは1954年に周恩来とネルーの間で「平和五原則」による友好関係を成立させていました。また、ネルーは非同盟主義を提唱し、二大陣営のいずれとも同盟関係を結ばないことをインド外交の方針としていました。

周恩来(左)とネルー(右)

チベットの反乱から国境紛争へ

ところが、1957年ごろからヒマラヤ山中の両国国境をめぐって対立が始まった。1959年に中国によるチベット侵略が始まりチベット内で反乱が起こり、ダライ=ラマ14世がインドに亡命したことから対立は決定的となりました。ネルーは中国との友好という原則があるとはいえ、チベットの保護とインドの安全のためには軍事行動もやむを得ないと表明しました。

24歳のダライ・ラマ、1959年4月14日

1962年10月、中国軍が中印国境の東部(1914年、イギリスの仲介で設けられたマクマホン=ライン)と西部(カシミール地方)で軍事行動を開始、インドも「祖国防衛」を呼びかけ応戦し、戦争状態に入りました。しかし、インド軍は全戦線で中国軍に圧倒され、苦境に立たされることになりました。

ネルー、非同盟外交政策を放棄

厳寒のヒマラヤで夏服で戦ったインド軍が壊滅的な敗北を被り国中がパニックに陥りました。ネルーはケネディに支援を要請し、ケネディはネルーの体面を保ちながら支援に踏み切りました。11月下旬中国は一方的に休戦を宣言し、兵を引き揚げました。

当時のケネディー米国大統領

この戦争は米印関係を好転させましたが、ネルーの非同盟主義が破綻したことを明らかにしました。中印戦争でソ連は中立を保ち、それ以上に非同盟主義で連帯する国家でインドを支援した国はほとんどなく、その政策を常に批判していたアメリカから支援を受けざるを得なかったのです。

この対米傾斜はアメリカの同盟国パキスタンを中国に接近させました。このときすでに病気であったネルーは、64年5月死亡しました。

未解決の中印国境問題

中印国境紛争は「宣戦布告なき戦争」でした。中国軍は優勢なまま、全面的な停戦と撤退を表明しました。東部ではインドの主張するマクマホン=ラインを中国は承認せず、西部のカシミール地方ではインドが自国領であるとするアクサンティ地区を中国は実効支配し、自動車道路を建設しています。

この戦争開始と共にインドと中国はそれぞれ大使を引き揚げ、外交関係は断絶しましたが、中国はソ連、インドはパキスタンというそれぞれ新たな敵対国があらわれたため、ようやく1976年に大使を交換し外交関係を再開させました。しかし、国境問題は依然として未解決のまま、棚上げされた状態で今日に至っています。

以下には、インド・パキスタン戦争についてまとめます。

インド・パキスタンの双方の独立した1947年以降、インドとパキスタンは3次にわたる戦争を展開しました。第1次と第2次はカシミール帰属問題、第3次は東パキスタン独立問題をめぐって起こりますした。

第1次インド=パキスタン戦争

1947年 独立に際し、カシミール藩王国の藩王はヒンドゥー教徒であったのでインド帰属をめざしたのですが、住民の大部分を占めるイスラーム教徒が反発し衝突。インド軍、パキスタン軍がそれぞれ軍を派遣し軍事衝突となりました。インド軍優勢のうちに国際連合の調停で休戦しました。

第2次インド=パキスタン戦争

1965年 インドが実効支配していたジャンム=カシミールの完全統合を宣言したことにパキスタンが反発。背景にはインドが中印国境紛争(1962年)で中国軍と戦い、実質的に敗北したことがあげられます。

カシミール地方の国境上で両国が武力衝突し、米ソの国連での働きかけによって停戦が成立しました。この停戦ラインによってそれぞれ実効支配を分けていますが、双方ともカシミール全域の領有権の主張を取り下げておらず、国境問題は現在でも未解決となっています。

第3次インド=パキスタン戦争

1971年 パキスタンが東部パキスタン(ベンガル地方)の独立運動を弾圧。多数の難民が発生しました。インドのインディラ=ガンディー政権は東部パキスタンに対して軍事援助を行って、独立を支援しました。インドが有利な闘いを進めて勝利し、その結果、東部パキスタンは独立してバングラディシュとなりました。

東パキスタンがパキスタンから分離した結果、インドとパキスタンの係争地点はカシミール問題に集中することとなり、両国はそれぞれの実効支配地域への軍配備を増強し、にらみ合いは現在でも続いています。

印パの核実験

特に80年代には、インドにおけるヒンドゥー至上主義が台頭し、ナショナリズムを掲げたインド人民党(BJP)が1998年には政権を獲得するに至り、パキスタンでも軍事政権によるイスラーム化が進められました。1998年にインドが核実験に踏み切ると、同年、パキスタンが核実験で対抗、南アジアにおける核戦争の勃発が危惧されました。

印パ対立の背景の変化

カシミール地方では、再三、両国軍が衝突する事態となりましたが、一定の抑止力が働き全面戦争へのエスカレートは抑制されました。その背景には、1991年にソ連の解体し、東西冷戦の構造が解消されたことが挙げられます。

それまでの両国の対立は、インドはソ連と、パキスタンはアメリカ及び中国と結びついてそれぞれ支援を受けるという構造がありましたが、ソ連の崩壊によってインドはアメリカとの和解に向かわざるを得なくなりました。

また、中国との関係も、中国で改革開放路線が進んだ結果として改善されていきました。そのような中、両国とも核武装を維持することは経済を圧迫し、経済成長を阻害することが明らかになっていました。

そのような中で2001年、9.11同時多発テロが発生、アメリカはイスラーム原理主義との対決を強めるため、インドとパキスタンの対立を解消する必要に迫られました。そのような情勢の変化から、アメリカはインド=パキスタンの和平に積極的に関わり、両国関係は次第に安定しました。

ムンバイ同時多発テロ

しかし、2008年11月にはインドのムンバイで同時多発テロが起こり、ホテルなどが襲撃され、日本人を含む160人が殺害されました。インド当局は、パキスタンから越境したイスラーム過激派の犯行と断定し、パキスタン側に犯人の引き渡しを要求しました。

パキスタンはテロ実行犯を逮捕しましたが、インドへの引き渡しは拒否し、2015年4月の裁判では武装組織の司令官を証拠不十分として釈放しました。インドは強く反発し、両国関係の悪化が危惧されています。

ムンバイ同時多発テロで燃え上がるラグジュアリーホテル タージマハル

以上の歴史を見直してみると、中国とインド、インドとパキスタンの関係が悪化した、最初の原因は、1959年に中国によるチベット侵略が始まりチベット内で反乱が起こり、ダライ=ラマ14世がインドに亡命したことから始まっていることがわかります。

特に中印関係が悪化したのは、中国が原因であることがはっきりしています。今日、侵略国家中国は南シナ海を侵略し、そこを拠点にインド太平洋地域に進出しようとしています。

地図上の濃い青の部分が生物地理学上のインド太平洋

今のまま放置しておけば、中国はインド太平洋地域において過去の歴史を繰り返すのは必定です。日米豪印は、一致協力して、これを食い止め中国を封じ込めなければなりません。北朝鮮情勢がある程度収束すれば、次の世界の課題は中国封じ込めになります。

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2015年3月4日水曜日

経済の常識 VS常識 政策の非 人口減少は諸悪の根源か―【私の論評】人口現象などの自分以外のせいにするのは、戦前戦後とも馬鹿の言い訳! 奇妙奇天烈摩訶不思議な論調には吉田松陰先生のように理で勝負せよ(゚д゚)!

経済の常識 VS常識 政策の非 人口減少は諸悪の根源か

2015年03月03日(Tue)  原田 泰 (早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員)

日銀政策決定委員会 委員 となった原田泰氏 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

 人口減少が諸悪の根源のように言われるが、経済学の歴史で見ると、人口増加こそ諸悪の根源だった。

古くはマルサスである。産業革命以前でも人類が豊かになる兆しはあった。農耕の発明、国家統一による社会秩序の安定、大帝国の成立による交易の利益などなどである。

人類は豊かになっても良かったのだが、少しでも豊かになれば子供が生まれ、人口が増加し、一人当たり耕地面積が低下して、人類は貧しいままだった。社会秩序の安定や交易から生まれる利益は、すべて人口増加に吸収され、一人当たりで豊かになることはなかった。これが、マルサス人口論の教えである。

その後の開発された経済成長理論でも、人口増加は一人当たりの資本を減少させて人類を貧しくする要因である。これは韓国や中国のような人口成長率の低い国の一人当たりGDPの成長率が高く、フィリピンやインドのような人口成長率の高い国で一人当たりGDPの成長率が相対的には低いことから納得していただけるだろう。

人口減少論は責任逃れのため

ではなぜ人口減少が諸悪の根源というような議論が日本で盛んなのだろうか。

第1は、人口減少がトレンドとして続いていけば、日本という国がなくなってしまうから大変だということなのかもしれない。このままの人口成長率が続けば、後1000年たたないうちに最後の日本人が生まれることになる。

第2は、高齢化の負担がとんでもないことになるからだ。本欄(原田泰「無責任な増税議論 社会保障は削るしかない 税と社会保障の一体改革に欠けている論点」2011年12月06日)で書いたように、現在のレベルの高齢者の社会保障を維持するためには、60%の消費税増税が必要になる。しかし、これは人口減少の問題ではなくて、高齢化の問題だ。現役世代に対して高齢世代が増えすぎたから起こっている問題である。

第3に、人口減少は、とりあえず誰かのせいにすることが難しいので、責任逃れには都合が良いという理由がある。現役世代に対して高齢世代が増えすぎたから社会保障会計の赤字が生じていると認識すれば、高齢世代の社会保障支出を減らすしかないと議論することになるが、人口が減少しているせいだとなれば、人口を増やせばよいとなる。デフレは人口減少によるとしておけば、日銀のせいではなくなる。経済成長率が低いのは人口減少のせいだとしておけば、とりあえず誰のせいでもなくなる。

戦前は人口増加が問題だった

一方、戦前の日本は、人口圧力に人々は真剣に悩んでいた。日本は人口過多の国だから、男は兵隊になって海外領土を確保しなければならないと思い込んでいた。植民地や海外領土を得ることに一生懸命になっていた。満州事変で満州国を成立させたとき、日本人が熱狂したのも、広大な領土が手に入って、日本が人口圧力から逃れられると思ったからだ。

ところが実際には、人々は満州には行きたがらなかった。移住者の多くは朝鮮籍日本人で、日本人移住者の多くは軍関係者、満州鉄道及びその関係企業の日本人だった。30歳の東京地裁判事、武藤富男は、満州国に赴任するにあたって、年棒6500円を支給されたと書いている。

  満州国の人口は1930年から40年代の初期にかけて3000万人から4500万人に増えていたが、日本人はその5%もいなかった。昭和恐慌から急速に回復した日本はもはや人手不足になっており、満州国に行く必要がなかったからだ。

空想の人口圧力論で満州国を奪ったのだが、いざ奪ってみると人口圧力はすでに解決されていた。本来、人口が減少することは、生産性を高めることだ。人口が減れば、少なくとも土地生産性は高まるはずだ。江戸時代と異なって、少ない人数で広大な農地を耕す様々な方法がある。なんでも人口のせいにするのは止めた方がよい。

この記事の詳細はこちらから(゚д゚)!

【私の論評】人口現象などの自分以外のせいにするのは、戦前戦後とも馬鹿の言い訳! 奇妙奇天烈摩訶不思議な論調には吉田松陰先生のように理で勝負せよ(゚д゚)!

上の記事、結論をいうと、人口が増えたー、人口が減ったーと騒ぐことにはほとんど意味がないこと、そういうことを言う輩は、目の前の不都合に対して自分の頭で考えることができないので、人口のせいにして何もしないことの言い訳にするということです。

確かにそういう輩も多いのですが、言い訳だけではなく、それを飯の種にするという輩も大勢います。

以下にそれらの事例をあげてみます。

まずは、自分の頭で考えることができないので、人口のせいにしても何もしないことの言い訳にした事例をあげます。
(論文)日本の人口動態と中長期的な成長力:事実と論点の整理 :日本銀行 Bank of Japan―【私の論評】出た出た、日銀得意の嘘レポート!!

これは、2012年の日銀のレポートですが、驚くことにはっきりとデフレは人口減のせいだとしています。しかし、デフレ、インフレとは貨幣現象であり、人口減・人口増とはそもそも全く関係のないことは、最初からわかりきっています。

この頃の日技は、白河体制であり、デフレであっても、今日の日銀のように金融緩和をすることもなく、デフレと円高を放置し続けました。彼らは、まともな金融政策をしないので、デフレになったにもかかわらず、何もしないことのいいわけにこのようなレボートを出したのです。
低劣番組『新報道2001』で前原氏がデフレ原因は人口減、円高原因は震災によるサプライチェーンの寸断だと発言−【私の論評】日本で横行する、財政も、金融も、日本自体もわからなくなくなる低劣番組は視聴に値しない!!
国会で献金問題を追求する前原氏

この記事は、2013年1月のものです。民主党の前原氏は、報道番組の中で、「デフレの原因は、人口減と」はっきりと述べています。なぜこのようなことを言うかといえば、彼の頭の中では、自民党や安倍総理を追求するための、データとしてインプットされているのでしょう。

これは、直接は、飯の種ではないでしょうが、民主党を有利にもっていくという意味では、間接的には飯の種だと思い込んでいるのだと思います。

前原氏は、このように思い込んでいるせいか、日銀の金融緩和政策に関しても、奇妙奇天烈摩訶不思議な発言が多いです。

前原氏に限らず、政治家やいわゆる似非識者の中にも、人口減をデフレや、衰退の原因とする輩が多いです。

さてこうした間違いに関して、過去の数字などを持ってきて、人口増・人口減と、デフレやインフレとの相関関係がないことを示し、デフレと人口減には全く関係ないことを示す人も大勢います。

しかし、このような一切統計を用いなくても、原田泰氏のように「なんでも人口のせい」にすることの、間違いを見事に論破しています。

このように理を解けば、統計数値を用いなくても、多くの人々に理解していただけるでしょうし、さらには「理」が基本になっているため、多くの人々が様々な事象について目先の変化でとらわれることなく、物事を判断できるような機会を提供することにもなります。

このように、世の中の事象を読み解いたり、それを多くの人々に訴えたりするには、統計数値などを出す前に、「理」を説くのが一番と思います。

これは、ドラッカーの『マネジメント』などの書籍を読んでいても、そう思うことが度々ありました。そもそも、ドラッカーの書籍には、ほとんどグラフや表が出てきません。マネジメントの世界では、統計数値も重要ですが、それは全く本質ではありません。

おそらく、様々な数値が頭の中に入っていたとしても、管理者には良いかもしれませんが、経営者にはなれないでしょう。

だからといって、私は「統計数値」を軽視せよと言っているわけではありません。それは重要です。変化を見るためには、非常に便利です。中には、数値もろくにみないで、好悪や感覚で、脊髄反射的に物事を考えるというとんでもない人も多数存在することも事実です。そのような輩は、はなから問題外ということになると思います。

しかし、まともな人であっても、数値だけ見ていても、本当の変化は見抜けないことがおうおうにしてあります。数値とともに、「理」がなけば判断を見誤ってしまいます。

「統計数値」だけがたよりだと、統計数値を様々に駆使したトリックなどに容易に引っかかてしまいます。しかし、その根底に「理」があれば、そのようなことはありません。

理とは、古代中国哲学の概念です。 本来、理は文字自身から、璞(あらたま)を磨いて美しい模様を出すことを意味します。 そこから「ととのえる」「おさめる」、あるいは「分ける」「すじ目をつける」といった意味が派生しました。 もと動詞として使われたが、次に「地理」「肌理(きり)」(はだのきめ)などのように、ひろく事物のすじ目も意味するようになりました。

理を理解していないと、政治論争でも、経済でも、学問でも奇妙奇天烈摩訶不思議なことを考えたり、語っても自分では気づかないという悲惨なことになってしまいます。

そうして、それはおうおうにして個人の問題だけではすまなくなります。たとえば、過去においては、長期間にわたる、デフレ・円高の放置、最近では、国会などの献金問題の追求もそうですし、民間でも、大塚家具の父娘の争いなども引き起こしてしまいます。



吉田松陰など、日本では優れた人は、語学や技術を教えるだけではなく、この「理」を説いて人々を感動させて導いてききました。

私達も、奇妙奇天烈摩訶不思議な論調には理で勝負していくべきと思います。

それにしても、原田氏のように上の記事のように「理」を説く人が、日銀の政策決定委員会のメンバーになったということは喜ばしいことです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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