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2017年2月8日水曜日

アパホテル書籍問題 ペマ・ギャルポ氏寄稿 支那の不当干渉許すな―【私の論評】常識でわかる南京大虐殺の虚構(゚д゚)!


ペマ・ギャルポ氏 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
支那外務省や国家観光局の報道官が、アパグループの元谷外志雄代表の著書について、「歴史を正視しようとしない。正しい歴史観を教育し、アジアの隣国の信頼を得るよう促す」「支那の観光客に対する公然とした挑発であり、旅行業の基本的モラルに反する」などといい、アパホテルの利用ボイコットや、旅行会社などに取り扱い中止を求めた。(夕刊フジ)

 わが故郷・チベットを奪った支那が「正しい歴史観」「隣国の信頼」「モラル」などと主張するのは言語道断である。加えて、支那政府の言動は、日本に対する主権侵害、内政干渉であり、また個人の思想と言論に対する卑劣かつ不当な圧力であり弾圧である。

 日本は支那と違って、個人の思想、表現、言論の自由が保障されている自由主義国であり、法治国家であり、成熟した民主主義国家である。さまざまなホテルの客室には、聖書や論語、仏教聖典などが置いてあるが、宿泊客には、それを読む自由も読まない自由もある。

 元谷氏の著書は、「慰安婦問題」や「南京大虐殺」に関する史実を理路整然と述べ、根拠のないウソを正そうとしているに過ぎない。同様の指摘は、米ニューヨーク・タイムズや、英フィナンシャル・タイムズの東京支局長を歴任した、英国人ジャーナリスト、ヘンリー・S・ストークス氏も著書『連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)に記している。

ヘンリー・S・ストークス氏
 まさに、歴史を正視する姿勢であり、支那こそ歴史を正しく見る勇気と見識を持つべきだろう。

 今回の騒動で、私が驚き失望したのは、日本の一部メディアと識者、普段は「自由だ」「人権だ」と大騒ぎしている人々に対してだ。

本多勝一の『中国の旅』より、後に本多勝一自身が捏造であることを認めた。
さらにこの写真を精査した専門家らはどの写真も信ぴょう性に欠けるとした。

 一部メディアや識者は、支那側の主張を大きく取り上げ、あたかもアパホテルだけに問題があるかのような発信をしていた。支那共産党の手先なのか。南京大虐殺は、朝日新聞の連載「中国の旅」で広まった。慰安婦問題と同様に、徹底的に検証すべきである。

 国会周辺で「言論の自由」や「人権を守れ」と叫んでいる人々も、東京・元麻布の支那大使館前で抗議デモを行うべきだ。他国によって、日本の「言論の自由」が脅かされている。公平公正の姿勢を示すことを願う。

【私の論評】常識でわかる南京大虐殺の虚構(゚д゚)!

ペマ・ギャルポ氏の主張は全く正しいです。30万人の南京虐殺など、虚妄に過ぎません。

日本軍が掃討作戦を行なったため、誤って南京市民が数十人とか、数百人くらいが巻き添えになったというなら、あり得なくもないと思いますが、そもそも当時の日本軍が最初から意図して意識して20万人〜30万人もの市民を虐殺したというのは、どう考えても虚妄以外の何ものでもありません。

おそらく、現在の支那は、戦後に小国に侵略したりした経験はあるものの、一度もまともに戦争をしたことがないので、20万人〜30万人を殺害するということがどういうことなのか、理解不能なのでしょう。これは、まるで白髪三千丈を地でいくような、誇張以外のなにものでもありません。

ナチスドイツのように、それなりの時間を費やして、殺人工場であるガス室をつくるとか、原子爆弾を投下するなどの方法をとらなければ、短期間にこれだけの人数を殺害することは不可能です。

それに不思議なのは、まともな物証がいっさい出てこないことです。ソ連によるポーランド人虐殺であるカチンの森事件では、犠牲者が約22,000人とされていますが、この虐殺では戦後何度も大量遺体が発見されていますし、これは明らかに当時のソ連による虐殺の犠牲者であることが確かめられています。これからも遺体が発見されるかもしれません。

1990年4月13日、ソビエト国営のタス通信はカティンの森事件に対するNKVD(ソビエト内務人民委員部)の関与を公表し、「ソ連政府はスターリンの犯罪の一つであるカティンの森事件について深い遺憾の意を示す」ことを表明ました。

ソビエトが50年にわたって行った恥ずべき真実の否定を
最終的に1990年4月に認めたことを碑文に刻んだ追悼碑
当時のソ連は、長い間これを否定してきたのですが、遺体をはじめとする多くの物証が山積みになったので、さすがに認めざるをえなくなったのです。

しかし、南京虐殺に関しては、そうだとされる遺体の写真や、伝聞の記録とされるらしいものはあるのですが、肝心要の遺体そのものが出てきません。20万人〜30万人の犠牲者が本当に存在するなら、もうとうに出てきていて、動かぬ証拠になっているはずです。

それに、遺体を調べれば現在であればかなりのことがわかるはずです。現在では、DNA鑑定すらできるわけですから、遺体が誰のものであり、当時の南京市の戸籍などの記録に照らしあわせれば、虐殺があったのかどうかもすぐに立証できます。

支那のサイトにあった南京虐殺の証拠とされる写真。しかし、この軍服は
当時ドイツから軍事支援を受けていた国民党軍のものであることはあきらか。
この写真は極端な事例だが、他の証拠とされる写真も全部が不確かなものばかり
しかし、それがない、出てこないということは、捏造以外の何ものでもないということです。

そうして、その捏造を私のように常識をはたらかせ元谷氏の著書は、史実を理路整然と述べ、根拠のないウソを正そうとしているに過ぎないのです。

それにしても、なぜ支那がここまで南京虐殺にこだわるかといえば、その理由は簡単です。ようするに、現在の支那政府は統治の正当性に全く欠けるからです。そもそも、現在の支那政府は、他国のように選挙で選ばれた政治家が運営しているわけではありません。

現在の支那人民共和国は、建国以来一度も選挙をしたことがありません。にもかかわらず、支那政府が実在し、政治を司っています。支那人民の信託を受けていないのです。さらに、信託も受けず統治をするだけの、根拠が全くありません。

それでも、支那を治めたい支那政府は、日本を悪者にしたたて、日本と一度も戦争をしたこともないのに、あたかも戦争したかのように装い、戦後70年目には、対日戦争勝利軍事パレードなる虚構を演じてみせました。

支那政府は、日本を悪者にしたてて、人民の大爆発寸前の憤怒マグマを自分たちではなく、日本に対して向けて、噴出させ、何とか統治の正当性を保っている状態なのです。

支那国内の抗日ドラマ 物理学を無視して日本兵を素手で真っ二つ(゚д゚)!
日本が南京虐殺はしていないなどということにでもなれば、統治の正当性のかなりの部分が揺らいでしまうのです。

そのため、現在の支那共産党政府は南京虐殺の捏造をなどを含む、反日をやめることはできないのです。やめれば、現在の体制が崩れるのです。

だからこそ、日本の一民間企業である、アパホテルにおいてある書籍にまで、神経を尖らせるのです。

なにしろ、アパホテルには支那人も多く宿泊しますから、宿泊した支那人がその書籍を読み支那に帰ってから他の支那人にその話をすれば、支那共産党の統治の正当性が大きく毀損されかねないことに脅威を抱いているのです。

まさに彼らは、いつ崩れるかもわからない日々薄氷の上を歩いているようなもので、アパホテルのことも脅威に感じるのです。

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【朝日の大罪】見苦しい弁明 世界から軽蔑されかねない検証記事  国際政治学者ペマ・ギャルポ氏―【私の論評】慰安婦問題・吉田調書問題で朝日新聞を徹底的に追求し、韓国は捨て置け、彼の国はどうでも良い、本当に(゚д゚)!

2017年1月17日火曜日

アベノミクスの破綻を煽る「金融岩石理論」は簡単に論破できる―【私の論評】常識を働かせば金融岩石論にははまらない(゚д゚)!


田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

日本にはさまざまな経済上の「逆神」たちがいる。株価や為替レートの予想をすると、まったく真逆の方向に相場が振れるエコノミストや経済学者たちのことだ。もちろん毎回逆神たちの予測が正しい(予測をした本人たちにとっては間違いなのだが)のかどうかを実証した研究者は知らない。

晴れ着姿の女性が見守る中でスタートした東京株式市場 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 ところで世界経済、日本経済の予測もやはり難しい。昨年だけみても、イギリスのEU離脱やトランプ氏の大統領当選による世界経済へのショックをいい意味でも悪い意味でも正確に言い当てたエコノミストや経済学者はほとんどいない。それに予測が当たったとしても「まぐれ当たり」ということもある。

 筆者もリーマン・ショックの後に、この種の「(世界経済危機の)まぐれ当たり」で知名度をあげた何人かのエコノミストについて、マスコミや一般の方々から意見を求められたことがある。残念ながら、「それは(運がよくて)すごいですねえ」と言うしかできなかった。本当にそう思う。常に経済を「バブル」「危機的な状況」であるといい続けて、それが数年、10年、いや20年という時間の中で「的中」しても、あまり筆者には感心するところはないからだ。

 さてこのような「逆神」たちと同じかどうかは、筆者には判断がつかないのだが、現在の日本の経済政策-特に日本銀行の金融政策-を批判する人たちの中に、「金融岩石論者」とでもいうべき人たちがいる。これはなにか。

 坂に岩石があり、びくともしない。だがこれをいったん動かすと、猛烈な勢いで坂を転がりだしてしまう。これと同じで、日銀がマネーをどんどん増やしても物価はまったくあがらない。しかしいったん上がりだすと、どんどん物価は上昇してハイパーインフレ(猛烈なインフレ)になってしまう、という理論である。

 この金融岩石理論の主張者は実に多い。特に同じ「種族」なのだが、日本国債の岩石理論も支持者に困らない。日本の財政は危機的な状況だ、いまは国債価格が安定しているように思えても、少しだけでも国債利子率が上昇(すなわち少しだけでも国債価格が低下)すれば、あれよあれよと国債価格は暴落し、日本の財政は破綻してしまう、というものだ。このハイパーインフレと財政破綻のふたつの岩石理論は、ほとんど表裏一体化しているので、両方とも主張する人が多い。

 例えば、前回この連載でも登場した朝日新聞編集委員の原真人氏の新刊『日本「一発屋」論』(朝日新書)はその典型である。安倍政権の経済政策は、金融と財政の一体化という名目での「財政ファイナンス」であり、「意図的にバブルを起こそうとする試み」である。低成長が常態になった日本経済で、日銀によってマネーでじゃぶじゃぶにする政策を行えば、バブルが生じてしまう。そしてバブルはやがて破裂するので、経済への反動は深刻化する、だろうというものだ。バブルの破裂を、原氏の著作ではハイパーインフレや財政破綻などとしても表現されている。

 この原氏と同様の意見を、経済学者の浜矩子氏と評論家の佐高信氏がその対談『どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)の中で語っている。その対談の一部はネットでも読める。
浜矩子 アベノミクスは、すでにして行き詰まっていると言えます。屋上屋を重ねるように場当たり的な金融政策を続けているわけですが、いつそれが崩壊してもおかしくない。「アホノミクス」、いや「どアホノミクス」と言うべき状況です。
浜氏によれば、アベノミクス(日銀の金融政策)は、極端な国債の買い取りによりマネーを無制限に供給する政策である。この無責任な政策は、実体経済と乖離したバブルを生み出し、やがて破綻することが目に見えているものだという。

 浜氏は経済評論家の高橋乗宣氏と共著で、21世紀に入ってから(リーマンショックが起きた2008年以外)毎年のように、世界や日本の経済危機を予測する書籍を出していることでも著名だ。今年(2017年)の経済危機を予測する高橋氏との共著はまだ出されていないのが、筆者の少し心配するところではある。それだけの人気経済学者でもある。

浜矩子氏の昨年年頭の株価予想
さて原氏も浜氏も、それぞれ「金融岩石理論」的な主張だといって差し支えないだろう。この「金融岩石理論」が、理論的にも実証的にも成立しがたいことを、丁寧に解説した良書が出版された。原田泰・片岡剛士・吉松崇編著『アベノミクスは進化する』(中央経済社)がそれだ。

 現在の先進国(日本、ユーロ圏、イギリス、アメリカ)は、それぞれインフレ目標を設定していて、その目標値を大きく上回るようなインフレになれば、積極的に金融引き締めにコミットするように公約している。どんなに経済が過熱してもその結果としてインフレが目標値以上に高騰すれば、やがて中央銀行が金融引き締めに転じるであろうと、多くの市場関係者たちが予測し、またはすぐに予測できなくても次第に学習することで、自分たちの経済上のポジションを金融引き締めに適合したものに変更する。これによって自己実現的に経済は金融引き締め型に転換していく、というのがインフレ目標の重要なポイントだ。

 簡単に言うと、人々の予測をコントロールしていく政策である。人々の多くは、ときにヘンテコな予測をする人がいても、よほど非合理的な思考に陥る人でもないかぎり、時間をかければほとんどの人が経済の状況(ここでは中央銀行の引き締めスタンスの予測)を正確に把握するだろう。中央銀行がインフレ目標から乖離したら引き締めるといっているのは嘘だ、と思い込む人は極めて少数だ、という意味である。

 さてこのようなインフレ目標を採用していなかった時代、1970年代は年率数十パーセントのような高いインフレに見舞われた。日本でも第一次石油ショックの後の「狂乱物価」が代表的だ。『アベノミクスは進化する』の編著者のひとり、現在の日銀政策委員である原田泰氏は、1)マネーと物価は連動している、2)物価はいきなり猛烈に上昇するのではなく半年以上、通常は1年から数年かかる、ことを指摘している。このことから、中央銀行はインフレ目標を設定することで、物価が上昇し始めても十分にインフレを抑制することが可能だ、ということになる。

原田泰氏
日本がデフレを継続してきたのは、90年代から2012年までのインフレ目標なき時代の日銀による政策運営の時期にちょうど該当する。インフレ目標は上限も定めるが、デフレに陥らないようにできるだけ目標値に近い水準を目指して経済を運営するのが、いまの中央銀行の標準であり、日本もそうだ。しかし、このインフレ目標のない時代があまりにも長すぎて、マネーと物価(デフレ)は、21世紀に入る頃には連動しなくなってしまった。この時期に何が起きていたのだろうか。

 当時の日銀(そしてその時々の政府、第一次安倍政権も含む)は、インフレ目標の導入や積極的な金融緩和を拒否する一方で、「デフレ脱却に努力する」と空手形を出し続けてきた。その10年以上に及ぶ「ウソ」の累積によって、人々は日銀と政府の「デフレ脱却」を信じなくなってしまったのだ。

 これはこれで実に合理的な態度であるが、このデフレ予想が固着してしまったことの弊害は深刻である。マネーをどんなに供給してもそれがいつか縮小するのではないか、(デフレ脱却には)不十分なままで終わるのではないか、と人々が予測することで、物価とマネーの連動が壊れてしまったからだ。

 いわば十数年かけて、日銀は人々の物価とマネーの連関を見事に破壊してしまったのである。これを再度、連動するような正常な状態に戻すことを、いまの日銀は最終的な目標にしてはいる。ただしまだデフレ脱却の途中であり、過去のしがらみ(デフレ予測)はかなり強靭である。

 では、デフレ予想のしがらみが一気になくなるとしたら、どうなるか。これはこれでインフレ目標政策がしっかりと有効になるということなので、高率のインフレがいきなり出現するわけではない。先のインフレ目標政策の効果から自明である。

 原田氏らはこのような事例をふんだんに先の著作の中で示し、金融岩石理論を理論的にも実証的にも論破している。ちなみに、原氏などの懸念とは真逆に、積極的な金融緩和政策をすることで、政府の財政は大きく改善することも同書では実証的に示されている。むしろ財政危機は、経済の停滞を自明としてしまい、経済停滞の中で緊縮政策(財政再建政策という名前の政府支出減少や増税)で生じてしまうことも明らかにされている。

 まだ一年が始まったばかりである。安易に危機を煽る本よりも、地に足がついた経済書や議論をしっかりとこの一年読んでいきたいと思っている。

【私の論評】常識を働かせば金融岩石論にははまらない(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事のように、金融岩石論とは、日銀が国債の購入を増やすなど、量的緩和を強化した場合、その結果は、効果がゼロか、ハイパーインフレが発生するかどちらかであり、適度のインフレが発生することは有り得ない、という考え方です。

こうした考えを持つ人は多いのですが、その根拠となる理論構成は、あまりはっきりしていません。私は、説得力のある理論構成に、まだ出会ったことはありません。

なぜこのように呼称することになったかとえば、岩を押しても全く動かないが、一旦、動き始めると、崖から急に転がる様に落ちて行き、止めることができない状況になるのと似ているかららしいです。

黒田総裁の前の日銀総裁白川氏もこの金融岩石論者の考えに近かったと思います。実際白川氏は、2012年5月24日には、「ゼロ金利下では日銀が大量に資金を供給しても、資金はそのまま当座預金に預けられる、のれんに腕押しの状況になっているため、量では金融緩和の度合いは測れない」と発言していましたし、同4月21日には、「中央銀行は国債担保の流動性供給、あるいは国債買い入れを通じて、最終的に際限のない流動性供給に追い込まれる可能性があります。それによる膨大な通貨供給の帰結は、歴史の教えにしたがえば制御不能なインフレです」と発言していました。

日銀前総裁白川氏
資金を大量に供給した場合は、白川氏はハイパーインフレになると考えていたのです。そして、財政ファイナンスという政策が、量的緩和の効果をゼロからハイパーインフレへと非連続的に転換させる、誤った政策である、と考えていたようです。
さて、金融岩石論とは異なる、金融政策の粘着理論があります。

金融政策が効果を発揮するまでには長く複雑なラグがあるが、効果は少しずつ表れるというのが金融政策の粘着理論です。

この理論の詳細については、以下のリンクをご覧になって下さい。
金融政策の岩石理論と粘着理論
あるいは、書籍『アベノミクスは進化する』をご覧になって下さい。

上の記事で、原田泰氏は、「1)マネーと物価は連動している、2)物価はいきなり猛烈に上昇するのではなく半年以上、通常は1年から数年かかる」ことを指摘しているとあります。

原田氏は金融政策の粘着理論を正しいものとしています。2013年4月から、黒田体制の日銀はそれまでの白川体制の日銀の金融引き締め一辺倒の金融政策から、異次元の包括的金融緩和に転じました。以下に、当時の金融緩和政策について振り返っておきます。以下にチャートを掲載します。



その時から、この包括的金融緩和により、金融岩石論ではなく、金融粘着理論に従い日本経済は以下のような段階を踏むはずでした。
1.日銀がマネタリーベースを増やす
2.予想インフレ率が約半年かけて徐々に上昇し、実質金利が下がる
3.消費と投資が徐々に増える
4.外為市場で円安が起こり、徐々に輸出が増える
5.約2年~をかけて、徐々にGDPが増え、失業率が下がり、賃金が上がり、インフレ率も上昇する。その過程で株価も上がる。
金融政策が効果を発揮するまでには長く複雑なラグがありますから、上記のように綺麗に段階を踏むというわけではなく、ある項目のほうが進んだり、あるいは遅れたりしつつ、効果は少しずつ現れたはずです。しかし、これを4、5年も継続していれば、上記すべての項目について達成できたに違いありません。

ところが、ここで番狂わせが生じてしまいました。その番狂わせとは、2014年4月からの消費税増税でした。もし、消費税増税をしていなければ、金融緩和に転じてから4年を過ぎた今頃には、完璧に上の5段階まで到達していたことでしょう。

しかし、経済上の「逆神」たちは、これを無視してアベノミクスは失敗だったとして、ブログ冒頭の田中秀臣氏が指摘するように、岩石理論を主張しているのです。

そうして、今までの推移からでも、岩石理論は完全に間違いだったことがはっきりしています。結局のところ、金融緩和をしてもハイパーインフレには見舞われていません。

それよりも、粘着理論のほうがあてはまっていることがわかります。たとえば、昨年は雇用状況がかなり改善され、その象徴的な出来事として、昨年春の大卒、高卒の就職率は、記録を初めて以来最高となりました。

さらに、金融緩和をはじめたばかりの頃には、これは当然のことなのですが、実質賃金が下がりました。これは、雇用が改善しはじめると、まずはアルバイト・パートや、新人を新たなに雇い入れるため、全体では賃金が下がるのが普通なのですが、経済の「逆神」たちは、「実質賃金がー」と大騒ぎしました。

これも、一昨年あたりからは徐々にあがりはじめています。これは、どう考えても粘着論のほうがあてはまっています。

そうして、物価目標2%は未だに達成されていません。これに関しては、日本の構造的不況はおそらく2.7%以下であるのに、現状では失業率が3%を切っていないので、量的緩和がまだ不十分であると考えられるということを主張しました。

やはり、追加緩和を行い、早期に失業率を3%を切るようにし、物価目標を一日でもはやく達成すべきです。

しかし、金融政策粘着論からいえば、追加金融緩和をしても、緩和した直後に失業率が3%を切り、さらに物価目標をすぐに達成できるわけではありません。少なくとも2年くらいはみるべきでしょう。

それにしても、日本の経済の「逆神」たちは、金融政策の粘着理論を全く理解していないようです。

金融政策の粘着理論の理論的背景などについては、それこそ書籍『アベノミクスは進化する』をご覧になるのが良いとは思いますが、これは、常識的に考えてもわかります。

企業を例にとると、会社の業績が悪くなったときに、業績を改善するには、何か手を打ったとして、即座に良くなるわけではありません。会社の規模にもよりますが、3年から5年はかかるとみるべきではないでしょうか。無論、あまり時間をかけてしまえば、業績が悪くなり過ぎて会社が潰れてしまいますからそんなに時間をかけることはできません。

業績を回復させるために、手っ取り早くまずは、銀行からお金を借りることができれば、そのお金をつかって設備投資や人材の雇用などをすれば、それで短期的に効果があげられ、業績が回復するかもしれません。これは、マクロ経済対策でいえば、財政政策に相当すると思います。

しかし、時流にあったまともなマーケティングやイノベーションをするとなると、それだけではすみません。ただ、設備投資をしたり、人材を採用すれば良いというわけではありません。企業の人々の心をそれ以前と比較して、根本的に変えなければならないわけです。これには、ある程度時間がかかります。これを実施することが、マクロ経済政策でいえば、金融政策にあたるのだと思います。デフレ予想をインフレ予想に変えるにも時間がかかるのです。

このように考えれば、金融政策の粘着性などかなり理解しやすいです。やはり、経済の「逆神」は常識はずれということなのだと思います。

田中秀臣氏は、「こういう人たちの本を読むくらいなら、地に足がついた経済書や議論をしっかりとこの一年読んでいきたいと思っている」と上の記事を締めくくっています。

そうて、田中氏はご自身のブログで"[経済]お正月特別企画:2016年心に残る経済書ベスト20発表!!(ベスト10日本人著者全コメント公開)"という記事を掲載されています。

以下に、その記事のリンクを掲載します。


私も、金融岩石理論のはまらないように、これらの書籍のうち、まだ読んでないものも読んでみようと思いまます。

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2016年1月5日火曜日

いまだはびこる国債暴落説と財務省の説明を妄信する人たち ―【私の論評】財政破綻などしないのは常識で理解できるのに、それができない馬鹿真面目共が多すぎ(゚д゚)!


財政破綻本は飽きられている?

 財政破綻や国債暴落を唱える論説はいまだに散見される。日本国債が今後暴落する懸念はあるのか、暴落論が十年一日のごとく語られる背景は何だろうか。

 2014年9月の本コラムで「財政破綻後の日本」をテーマした研究会が東大に実在することを書いた。その東大研究会の代表は、井堀利宏氏(東大大学院教授)、貝塚啓明氏(東大名誉教授)、三輪芳朗氏(大阪学院大教授・東大名誉教授)という日本の経済学会を代表する学者だ。

 3年半前の第1回会合では、財政破綻は当然で、破綻後のことを考えようとしていた。ところが、これらの学者の予想に反して、財政破綻の気配は一向にない。研究会のウェブサイトを見る限り、本コラムを掲載した当時は2カ月に1度程度開催されていたが、15年は6月に1度開かれたという活動記録が残っているだけだ。

井堀利宏氏(東大大学院教授)

 東大研究会の根本的な問題は、日本の財政状況をしっかりと数量的に把握していないことだ。財政破綻は、債務残高の対国内総生産(GDP)比率が発散(無限に拡大)するという経済学の常識くらいはつかんでいるが、債務残高がグロス(債務総額)かネット(政府資産を差し引いた純債務)かも明確ではなく、なんとなくグロスと思っているように見受けられる。会計的な知識や国の貸借対照表(バランスシート)が念頭にないとは考えにくいのだが。

 日本の現状をいえば、グロスの債務残高は1100兆円程度であるが、ネットでみれば500兆円で、GDP比で100%程度。さらに、日銀も含めた連結ベース(経済学でいえば統合政府ベース)の債務は200兆円、GDP比では40%程度である。この程度であれば、先進各国と比較しても、それほど悪い数字ではない。

 ちなみに米国ではネットでみてGDP比80%程度、統合政府ベースでみれば65%程度。英国ではネットで見てGDP比80%程度、統合政府ベースで見て60%程度である。

 こうした基礎データが頭に入っていないとしたら、高度な議論をしているようにみえても上滑りになってしまう。研究会の議論では、「現状の日本でなぜ国債価格の大幅下落、急激なインフレを伴う財政破綻は現実化せず、その予兆も見えないのはなぜか」と自問自答し、自分たちは正しいのに、現実が間違っていると言わんばかりだった。

 財政破綻の文献をみれば、国債の投資家が国内か海外かは、破綻するかどうかと基本的には無関係である。日本国債の外国人保有比率が上昇したことで、金利の振れ幅が大きいとの指摘も破綻問題とは関係がない。国債残高をネットや統合政府でみれば、たいした数字ではないので、暴落の可能性はさほど高くないだろう。

 破綻論者は、現状認識が不十分なまま、財政危機だという官僚の説明にだまされていただけではないか。暴落論が後を絶たないのは、自分でデータを確認せずに財務省を妄信する人が、学者やマスコミにいかに多いかを示している。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】財政破綻などしないのは常識で理解できるのに、それができない馬鹿真面目共が多すぎ(゚д゚)!

上の高橋洋一氏の記事、国家規模で考えるのと、金額が天文学的でありあまりピンと来ない人も多いかもしれません。しかし、これを日常生活に置き換えて、考えると本当に簡単なことです。

日本政府を一人の中年サラリーマンにたとえます。そのサラリーマンの右ポケットには、1,100万円の借用書が入っています。これを指して、マスコミや経済学者などが、このサラリーマンは、1,100万円も借金していると、騒ぎ立てています。

ところが、この中年サラリーマンの左ポケットには、600万円の現金が入っています。このとき、この中年サラリーマンは、本当に1,100万円借金しているといえるでしょうか。違いますね、1,100万円−600万円=500万円と見るのが妥当だと思います。

右ポケットと左ポケット

さらに、この中年サラリーマンには、孝行息子(日銀)がいて、その孝行息子は父親である、中年サラリーマンと同じ世帯(日本国)に住んでいます。そうして、この孝行息子は、家にお金を入れていて、その合計が300万円になっています。

では世帯ということで、借金を見てみるといくらになるかといえば、1,100万円−600万円−300万円=200万円です。この世帯の年間の稼ぎ高が500万円であるとすると、この世帯の借金は年間稼ぎ高の40%ということで、確かに借金がないとはいいませんが、これではあれば、さほど大騒ぎするほどではないです。

なんとかすれば、借金を返済することは十分可能です。上の高橋洋一氏の話は、これと同じことです。何も、難しい経済理論など理解しなくても、誰にでも理解できることです。

さらに、これは日本国政府を中年サラリーマン、日銀を孝行息子、日本国を中年サラリーマンと息子の住む世帯にたとえました。ところが、中年サラリーマンや、孝行息子は人間ですから、人間は時間とともに年をとります。そうして、いずれは亡くなります。

しかし、日本国政府や日銀は人ではありません。これは、システムです。よほどのことがない限り、人は時代とともに入れ替わるのですが、システム自体が消えてなくなるということはありません。

であれば、何事にも永遠ということはないので、日本国政府もいずれは消滅する時が来ることは全く否定できないにしても、現在この日本に住む私達からみれば、当面不死身の存在であると見て良いでしょう。

この不死身の政府と、生身の人間とでは、当然借金に関しても、考え方を変えなければなりません。政府は不死身なので、金利とは別に毎年1円ずつ元本を返せれば1000兆年後には政府債務は完済できます。国債の金利などの支払いを除いた国の収支をプライマリーバランスといいます。つまり、プライマリーバランスが黒字転換した状態とは、金利を払ったうえで少しずつ元本を返済していることを意味します。このように、政府の借金はその金額の多寡より、債務の維持可能性の方が重要なのです。

これが人であれば、中年サラリーマンが、それも収入がごく普通の1兆円も個人で借りてしまえば、もうそれだけで、生きているうちに返済できないことは誰にでもわかります。だから、銀行でも個人に対して1兆円ものお金を貸したりしません。

しかし、このサラリーマンが不死身であれば、話は別です。金利を払ってもらったうえで、毎年10円ずつでも返却してもらえれば、いつかは元手は戻り、それ以上になります。

個人とシステムでは借金も考え方を変えなければなりません。個人であれば、1兆円を貸さない銀行でも、企業であれば、その企業が大企業で手広く事業をやっている企業であれば、貸すかもしれません。なぜなら、企業も人ではなくシステムであり、生身の人よりも長生きする可能性がはるかに高いからです。

確かに、昔は企業の寿命30年ともいわれたことがありましたが、ドラッカー氏もそれに近いことを言っていました。しかし、これは企業の寿命が30年というよりは、一事業の寿命が30年ということだと思います。

一事業を運営するカンパニーの寿命は30年ということであり、同じ企業でも、そのようなカンパニーをいくつかもつ、コーポレートの場合は違います。あるカンパニーが消えても、他のカンパニーが生き残り、さらには新たなカンパニーを創造したりして、コーポレート全体では不死身のように長生きします。

実際にそのようなコーポレートは世界中に存在します。

さらに、人とシステムの違いがあります。孝行息子はお札を刷ることができませんが、日銀はお札を刷ることができます。お札を際限なく刷れば、いずれハイパーインフレになってしまう可能性もありますが、日本の場合はまだデフレ傾向ですから、お札を刷ったにしてもすぐにハイパーインフレになるわけではありません。

国債だって、同じことです。日本政府が本当に借金まみれで、人間の比較的短い間に死んでしまうのであれば、国債を擦り増せば大暴落ということになりかねませんが、政府は不死身なのでそんなこともありません。

こんなことを考えれば、特に難しいマクロ経済学など知らなくても、国債暴落が起こりそうもないことが良く理解できます。

それにしても、こんなことが理解できない人が、日本の経済学会を代表する学者に多数存在するというのですから、唖然としてしまいます。

マーティン・フェドシュタイン

マーティン・フェルドシュタインが指摘したように、経済的要因以外にも地政学的リスクに世界が振り回されそうです。一方で日本は、消費増税どころの話ではないと思います。財務省とその既得権益グループ主導で経済をこの不安定な環境の中で低迷させる政策を打ってどうなるというのでしょうか。

消費増税もそうですが、それを支える「税と社会保障の一体改革」路線を放棄する必要があると思います。これが日本の政治・社会・経済を駄目にしている政策の元凶です。

今年は、増税見送りなど当たり前のこととして、さらに「税と社会保障の一体改革」そのものを放棄できるように、安倍政権には頑張っていただきたいものです。

本当に、多くの経済学者やマスコミだけではなく「税と社会保障の一体改革」など無邪気に心の底から信じこむ人もいます。経営者の中にも、そういう人がいるので驚いてしまいます。ネット上でもそういう人は多数存在します。そういう人に限って、いわゆる"真面目"な人が多いです。

ホリエモンの真面目な人に対する評価は厳しい
"真面目"というと聞こえが良いですが、結局融通が効かないということの代名詞でもあります。とにかく、頑なにグロスの1100兆円の政府借金を盲目的に信じて、大変だ、大変だと騒いだり、上から目線で、アドバイスしたりします。

"真面目"な人には困ったものです。私は、この"真面目"という言葉があまり好きではありません。特に自分が他の人、特に若い女性などから、「あなたは"真面目"ですね」などと言われたら、がっかりして「自分の人生はもう終わった」と感じてしまうことと思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年3月4日水曜日

経済の常識 VS常識 政策の非 人口減少は諸悪の根源か―【私の論評】人口現象などの自分以外のせいにするのは、戦前戦後とも馬鹿の言い訳! 奇妙奇天烈摩訶不思議な論調には吉田松陰先生のように理で勝負せよ(゚д゚)!

経済の常識 VS常識 政策の非 人口減少は諸悪の根源か

2015年03月03日(Tue)  原田 泰 (早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員)

日銀政策決定委員会 委員 となった原田泰氏 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

 人口減少が諸悪の根源のように言われるが、経済学の歴史で見ると、人口増加こそ諸悪の根源だった。

古くはマルサスである。産業革命以前でも人類が豊かになる兆しはあった。農耕の発明、国家統一による社会秩序の安定、大帝国の成立による交易の利益などなどである。

人類は豊かになっても良かったのだが、少しでも豊かになれば子供が生まれ、人口が増加し、一人当たり耕地面積が低下して、人類は貧しいままだった。社会秩序の安定や交易から生まれる利益は、すべて人口増加に吸収され、一人当たりで豊かになることはなかった。これが、マルサス人口論の教えである。

その後の開発された経済成長理論でも、人口増加は一人当たりの資本を減少させて人類を貧しくする要因である。これは韓国や中国のような人口成長率の低い国の一人当たりGDPの成長率が高く、フィリピンやインドのような人口成長率の高い国で一人当たりGDPの成長率が相対的には低いことから納得していただけるだろう。

人口減少論は責任逃れのため

ではなぜ人口減少が諸悪の根源というような議論が日本で盛んなのだろうか。

第1は、人口減少がトレンドとして続いていけば、日本という国がなくなってしまうから大変だということなのかもしれない。このままの人口成長率が続けば、後1000年たたないうちに最後の日本人が生まれることになる。

第2は、高齢化の負担がとんでもないことになるからだ。本欄(原田泰「無責任な増税議論 社会保障は削るしかない 税と社会保障の一体改革に欠けている論点」2011年12月06日)で書いたように、現在のレベルの高齢者の社会保障を維持するためには、60%の消費税増税が必要になる。しかし、これは人口減少の問題ではなくて、高齢化の問題だ。現役世代に対して高齢世代が増えすぎたから起こっている問題である。

第3に、人口減少は、とりあえず誰かのせいにすることが難しいので、責任逃れには都合が良いという理由がある。現役世代に対して高齢世代が増えすぎたから社会保障会計の赤字が生じていると認識すれば、高齢世代の社会保障支出を減らすしかないと議論することになるが、人口が減少しているせいだとなれば、人口を増やせばよいとなる。デフレは人口減少によるとしておけば、日銀のせいではなくなる。経済成長率が低いのは人口減少のせいだとしておけば、とりあえず誰のせいでもなくなる。

戦前は人口増加が問題だった

一方、戦前の日本は、人口圧力に人々は真剣に悩んでいた。日本は人口過多の国だから、男は兵隊になって海外領土を確保しなければならないと思い込んでいた。植民地や海外領土を得ることに一生懸命になっていた。満州事変で満州国を成立させたとき、日本人が熱狂したのも、広大な領土が手に入って、日本が人口圧力から逃れられると思ったからだ。

ところが実際には、人々は満州には行きたがらなかった。移住者の多くは朝鮮籍日本人で、日本人移住者の多くは軍関係者、満州鉄道及びその関係企業の日本人だった。30歳の東京地裁判事、武藤富男は、満州国に赴任するにあたって、年棒6500円を支給されたと書いている。

  満州国の人口は1930年から40年代の初期にかけて3000万人から4500万人に増えていたが、日本人はその5%もいなかった。昭和恐慌から急速に回復した日本はもはや人手不足になっており、満州国に行く必要がなかったからだ。

空想の人口圧力論で満州国を奪ったのだが、いざ奪ってみると人口圧力はすでに解決されていた。本来、人口が減少することは、生産性を高めることだ。人口が減れば、少なくとも土地生産性は高まるはずだ。江戸時代と異なって、少ない人数で広大な農地を耕す様々な方法がある。なんでも人口のせいにするのは止めた方がよい。

この記事の詳細はこちらから(゚д゚)!

【私の論評】人口現象などの自分以外のせいにするのは、戦前戦後とも馬鹿の言い訳! 奇妙奇天烈摩訶不思議な論調には吉田松陰先生のように理で勝負せよ(゚д゚)!

上の記事、結論をいうと、人口が増えたー、人口が減ったーと騒ぐことにはほとんど意味がないこと、そういうことを言う輩は、目の前の不都合に対して自分の頭で考えることができないので、人口のせいにして何もしないことの言い訳にするということです。

確かにそういう輩も多いのですが、言い訳だけではなく、それを飯の種にするという輩も大勢います。

以下にそれらの事例をあげてみます。

まずは、自分の頭で考えることができないので、人口のせいにしても何もしないことの言い訳にした事例をあげます。
(論文)日本の人口動態と中長期的な成長力:事実と論点の整理 :日本銀行 Bank of Japan―【私の論評】出た出た、日銀得意の嘘レポート!!

これは、2012年の日銀のレポートですが、驚くことにはっきりとデフレは人口減のせいだとしています。しかし、デフレ、インフレとは貨幣現象であり、人口減・人口増とはそもそも全く関係のないことは、最初からわかりきっています。

この頃の日技は、白河体制であり、デフレであっても、今日の日銀のように金融緩和をすることもなく、デフレと円高を放置し続けました。彼らは、まともな金融政策をしないので、デフレになったにもかかわらず、何もしないことのいいわけにこのようなレボートを出したのです。
低劣番組『新報道2001』で前原氏がデフレ原因は人口減、円高原因は震災によるサプライチェーンの寸断だと発言−【私の論評】日本で横行する、財政も、金融も、日本自体もわからなくなくなる低劣番組は視聴に値しない!!
国会で献金問題を追求する前原氏

この記事は、2013年1月のものです。民主党の前原氏は、報道番組の中で、「デフレの原因は、人口減と」はっきりと述べています。なぜこのようなことを言うかといえば、彼の頭の中では、自民党や安倍総理を追求するための、データとしてインプットされているのでしょう。

これは、直接は、飯の種ではないでしょうが、民主党を有利にもっていくという意味では、間接的には飯の種だと思い込んでいるのだと思います。

前原氏は、このように思い込んでいるせいか、日銀の金融緩和政策に関しても、奇妙奇天烈摩訶不思議な発言が多いです。

前原氏に限らず、政治家やいわゆる似非識者の中にも、人口減をデフレや、衰退の原因とする輩が多いです。

さてこうした間違いに関して、過去の数字などを持ってきて、人口増・人口減と、デフレやインフレとの相関関係がないことを示し、デフレと人口減には全く関係ないことを示す人も大勢います。

しかし、このような一切統計を用いなくても、原田泰氏のように「なんでも人口のせい」にすることの、間違いを見事に論破しています。

このように理を解けば、統計数値を用いなくても、多くの人々に理解していただけるでしょうし、さらには「理」が基本になっているため、多くの人々が様々な事象について目先の変化でとらわれることなく、物事を判断できるような機会を提供することにもなります。

このように、世の中の事象を読み解いたり、それを多くの人々に訴えたりするには、統計数値などを出す前に、「理」を説くのが一番と思います。

これは、ドラッカーの『マネジメント』などの書籍を読んでいても、そう思うことが度々ありました。そもそも、ドラッカーの書籍には、ほとんどグラフや表が出てきません。マネジメントの世界では、統計数値も重要ですが、それは全く本質ではありません。

おそらく、様々な数値が頭の中に入っていたとしても、管理者には良いかもしれませんが、経営者にはなれないでしょう。

だからといって、私は「統計数値」を軽視せよと言っているわけではありません。それは重要です。変化を見るためには、非常に便利です。中には、数値もろくにみないで、好悪や感覚で、脊髄反射的に物事を考えるというとんでもない人も多数存在することも事実です。そのような輩は、はなから問題外ということになると思います。

しかし、まともな人であっても、数値だけ見ていても、本当の変化は見抜けないことがおうおうにしてあります。数値とともに、「理」がなけば判断を見誤ってしまいます。

「統計数値」だけがたよりだと、統計数値を様々に駆使したトリックなどに容易に引っかかてしまいます。しかし、その根底に「理」があれば、そのようなことはありません。

理とは、古代中国哲学の概念です。 本来、理は文字自身から、璞(あらたま)を磨いて美しい模様を出すことを意味します。 そこから「ととのえる」「おさめる」、あるいは「分ける」「すじ目をつける」といった意味が派生しました。 もと動詞として使われたが、次に「地理」「肌理(きり)」(はだのきめ)などのように、ひろく事物のすじ目も意味するようになりました。

理を理解していないと、政治論争でも、経済でも、学問でも奇妙奇天烈摩訶不思議なことを考えたり、語っても自分では気づかないという悲惨なことになってしまいます。

そうして、それはおうおうにして個人の問題だけではすまなくなります。たとえば、過去においては、長期間にわたる、デフレ・円高の放置、最近では、国会などの献金問題の追求もそうですし、民間でも、大塚家具の父娘の争いなども引き起こしてしまいます。



吉田松陰など、日本では優れた人は、語学や技術を教えるだけではなく、この「理」を説いて人々を感動させて導いてききました。

私達も、奇妙奇天烈摩訶不思議な論調には理で勝負していくべきと思います。

それにしても、原田氏のように上の記事のように「理」を説く人が、日銀の政策決定委員会のメンバーになったということは喜ばしいことです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2014年10月28日火曜日

潘国連事務総長に高まる疑問の声 ソウル前支局長起訴に沈黙 韓国世論優先? ―【私の論評】国連の事務総長が反日的であるのは、歴史からみて、ある程度あたり前だが、やはり報道の自由に関しては、連合国側の常識に従うべき(゚д゚)!


国連の潘事務総長は、韓国や中国にすりよる一方反日的発言をする

国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長に対し、その資質を問題視する声が強まっている。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領への名誉毀損で在宅起訴された問題について、一切の態度表明を見送っているためだ。出身国・韓国の世論を気にかけるあまり、「基本的人権」や「言論・報道の自由」を軽視しかねない姿勢に、「史上最低の事務総長」という評価も定着してきた。

「われわれは普遍的な人権を擁護するため、報道の自由を尊重する側に立っている」

国連のステファン・ドゥジャリク事務総長報道官は8日の定例記者会見で、加藤前支局長の起訴への懸念を表明した。ただ、この発言は「あくまで一般論に過ぎない」(日本政府関係者)との見方がもっぱらだ。

今年8月、アフガニスタン大統領選の記事に絡み、米ニューヨーク・タイムズの記者がアフガン政府から出国禁止にされた際、国連は「記者を脅かす行為を懸念する」という声明を発表(同月20日)している。ところが、加藤前支局長の件では国連声明が出ていないのである。

国連の動きが鈍いのは、潘氏が高い人権意識や中立性が求められる立場ながら、韓国に配慮しているためとみられる。

ネットメディアの「インナーシティ・プレス」を主宰し、米各紙に国連に関する記事を寄稿しているマシュー・リー記者は「国籍やその他の事情に基づいた、記者に対する異なった取り扱いが許されるべきではない」と韓国当局を批判し、潘氏の沈黙が「際立っている」と指摘した。

国際政治学者の藤井厳喜氏も、潘氏を「史上最低の事務総長だ」と断じ、「韓国内の評判を気にして、沈黙を続けているのは明らかだ。本来、出身国と一線を画すことができる人でなければ、事務総長という立場に就くべきでない」と切り捨てた。

もっとも、事務総長としての中立性に疑問符がつく潘氏の言動は、今に始まったことではない。

昨年8月には、ソウルの韓国外務省での記者会見で、安倍晋三政権の歴史認識や憲法改正の動きに絡み「日本の政治指導者は極めて深く自らを省みて、国際的な未来を見通すビジョンが必要だ」「正しい歴史認識を持ってこそ、他の国々から尊敬と信頼を受けられるのではないか」と語った。

国家間で主張が対立する問題について、国連事務総長が一方の国への否定的見解を示すのは極めて異例で、「国連関係者の中立性堅持」を定めた国連憲章100条に違反する可能性もある。


潘氏がここまで露骨に韓国世論におもねたり、韓国に影響力を持つ中国に気兼ねするのは、次の韓国大統領職に意欲を示しているからだとみる向きもある。

新著『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)がベストセラーとなっているジャーナリストの室谷克実氏は「潘氏は、自身を大統領に推す声が起きるのを待ち望んでいるのではないか」といい、こう続ける。

ただ、これまでの言動から明らかなように、もし、潘氏が韓国大統領になれば、「世論に流されるばかりで、韓国はさらに悪い方向に行くだろう」(室谷氏)、「統治能力がないため(内政面でも)韓国は破綻する」(藤井氏)。

史上最低の事務総長の天下りは、韓国国民にとっても不幸な結果を招くに違いない。

【私の論評】国連の事務総長が反日的であるのは、歴史からみて、ある程度あたり前だが、やはり報道の自由に関しては、潘基文は連合国側の常識に従うべき(゚д゚)!

国連の事務総長が、反日的発言をするのは、許容されるものの、韓国におもねるのはどうかと思います。

このように書くと、驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、国連の事務総長という立場であれば、反日的発言をするのは当然のことです。

たまたま、今の国連事務総長が韓国籍ということで、話が複雑になってしまいますが、これは事実です。

『国際連合』というと、日本では世界の殆どの国が属した平和目的のための組織と思われているようです。そうして、多くの日本人が、国により力の強弱はあれ、’正義’というモラルに反しない、反することを許さない拘束力がそこにはあるはずという思い違いをしているようです。

そもそも、国際連合を英語で何というのかを知れば、その実体は自ずと分かるはずです。

ニューヨークの国連本部 クリックすると拡大します

国際連合は、英語では『United Nations 』―直訳すると「連合した国家」ということです。 この言葉には、InternationalとかGlobal という日本語でいう「国際」という単語は入っていません。

そうして、第二次世界大戦の『連合国』も、英語で『United Nations 』です。
 
なぜ、わざわざこのような名称にしたのか考えてみれば明らかです。"United Nations"には、何のための連合であるかということすら示されていません。

日本人の感覚からすれば、United Nations for International Peace 略してU.N.I.P であれば、受け入れやすいかもしれませんが、現実はそうではありません。

歴史的にいうと、日本では戦中は『United Nations』を『連合国』と訳していましたが、戦後に『国際連合』と訳を変えています。

中国では現在も「聯合國(連合国)」と呼んでいます、日本以外の国では、『連合国』と意味で国際連合をとらえています。

今更、「日本人は『国連』と『連合国』を別物だと思ってましたなどと言えば、外国人、特に戦勝国の人間には、笑われてしまうかもしれません。特に英語圏の人に笑われてしまうかもしれません。

彼らにとっては、"United Nations"は、そのままであり、昔から今に至るまで、『連合国』であり、変わりようもないからです。

そうして、第二次世界大戦の『連合国』と『国際連合』が英語では同じというのが、まさに実態を表しています。

安保理の常任理事国5か国(米、英、仏、露、中)は第二次世界大戦の戦勝国で国連憲章が改正されない限り恒久的にその地位にあり、拒否権も与えられています。
日本やドイツが常任理事国入りするためには、国連憲章の改正が必要で、5常任理事国すべてが賛成しなければならないのです。そうして、国連憲章には敵国条項があり、日本は敵国であるという条項が今でも生きています。

そんな、国連の事務総長が反日的な発言をするというのは、ある意味当然といえば当然です。

世界は今も第二次世界大戦の戦勝国のルールで動いている。日本がいかに世界平和に貢献しようとどんなに多く国連分担金を納めようと(世界2位、下表)常任理事国入りを目指そうと、中国が反対するから無理です。

国連分担金の多い国
順位国名分担率(%)分担金額
(百万未満四捨五入)
1アメリカ合衆国(米国)22.0006億1,850万
2日本10.8332億7,610万
3ドイツ7.1411億8,200万
4フランス5.5931億4,250万
5英国5.1791億3,200万
6中華人民共和国(中国)5.1481億3,120万
7イタリア4.4481億1,330万
8カナダ2.9847,600万
9スペイン2.9737,580万
10ブラジル2.9347,480万

(単位:%、米ドル 出典:外務省 「2011-13年 国連通常予算分担率・分担金」(2013年))

日本の常任理事国入りを認めると、日本を許す、反日を解除しなればならなくなり、中国共産党の正当性が崩壊してしまうことになります。「5常任理事国すべての賛成が必要」という国連憲章も、
改正するには5常任理事国すべての賛成が必要です。だから、中国が自滅するまでは、ほとんど不可能です。

とは、いいながら、実はこれも確かなことではありません。そもそも、日本と現在の中国、中華人民共和国とは、戦争をしたことがありません。

日本が正式に戦争をしたのは、あくまでも、現在の台湾である、中華民国です。そもそも、戦争中には、中華人民共和国など存在しませんでした。中華人民共和国が建国したのは、1949年10月1日であり、終戦後のことです。

であれば、現中国は、戦勝国ではないわけです。それが、"United Nations"という組織の矛盾です。

1942年1月1日,国連宣言を表象する世論形成
ポスター「連合国:自由のために戦う国際連合」

ましてや、朝鮮人は、戦争中は日本に併合されていましたから、戦勝国ではありません。中国も、韓国も戦勝国ではないのですから、今の国連のあり方は、本当に矛盾しているわけです。

しかし、このような背景を考えてみても、やはり、今の国連事務総長の潘基文が、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領への名誉毀損で在宅起訴された問題について、一切の態度表明を見送っているというのは疑問です。

本来であれば、連合国側の常識に従って、韓国に対して苦言を呈するくらいのことはすべきです。

しかし、そうしないのは、やはり韓国世論を考えてのことでしょう。特に、韓国大統領になりたいという下心があるに違いありません。

韓国紙中央日報は、潘基文にインタビューをしていますが、潘自身は、以下のように答えています。
潘基文「身を政治と外交の半々に置くのは間違っている」
国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長が次期大統領選挙に関して「身を政治と外交の半々に置くのは間違っている」と明らかにした。兪奇濬(ユ・ギジュン)国会外交統一委員長が27日、明らかにした。
何やら、この発言もおかしいと思います。そもそも、事務総長の仕事は、外交でしょうか。違うと思います。ちなみに、国際連合憲章より、事務総長の任務に関す条項をあげておきます。

国際連合憲章

第98条〔事務総長の任務〕
事務総長は、総会、安全保障理事会経済社会理事会及び信託統治理事会のすべての会議において事務総長の資格で行動し、且つ、これらの機関から委託される他の任務を遂行する。事務総長は、この機構の事業について総会に年次報告を行う。
第99条〔平和維持に関する任務〕
事務総長は、国際の平和及び安全の維持を脅威すると認める事項について、安全保障理事会の注意を促すことができる。
これを一口に外交というには、無理があるように思います。それに、このような任務を実行するためには、相当の政治力が必要とされると思います。

やはり、そもそも、潘は国連の事務総長の仕事を理解しておらず、資質が問題視されるのも、当然なのかもしれません。

最後に、日本では、国際連合というと、何やら平和のための崇高な組織を連想しているようですが、それは全くの誤りであり、所詮連合国のための連合国の組織であり、戦勝国とはいっても、戦争があったのは70年も前のことであり、その当時の戦勝国ということであり、もう随分昔のことです。

当然国連事態も制度疲労をおこしており、そもそも、何の強制力もなく、国連が行った事業でまともに成功しているものなど一つもありません。その、一つの原因として、やはり国際舞台は、国と国とのエゴのぶつかり合いであり、いくつかの強力な国々の均衡のもとに平和が成り立っているからです。

世界情勢は、複雑です。第二次大戦の戦勝国だけで、世界の平和を守るなどということは、事実上できません。

その意味では、国連など世界の平和には何も貢献しておらず、今となっては無意味な組織ということもてきます。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2014年5月16日金曜日

集団的自衛権、71%が容認 読売調査―【私の論評】集団的自衛権は世界の常識、今までが非常識であったと認識すべき(゚д゚)!

集団的自衛権、71%が容認 読売調査

「政府の基本的方向性」を表明する安倍総理大臣

   読売新聞社が2014年5月9日から11日にかけて行った世論調査によると、71%が集団的自衛権の行使を容認する考えを示した。大半が「限定容認論」を支持しているが、8%は全面的に容認する考えだ。

   設問の内容は

「日本と密接な関係にある国が攻撃を受けたとき、日本への攻撃とみなして反撃する権利を『集団的自衛権』と言います。政府はこれまで、憲法上、この権利を使うことはできないとしていました。この集団的自衛権について、あなたの考えに最も近いものを、1つ選んで下さい

というもの。「使えるようにする必要はない」という選択肢を選んだ人が25%にとどまったのに対して、「全面的に使えるようにすべきだ」が8%、「必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ」は63%にのぼった。

   一方、朝日新聞社が4月19~20日に行った世論調査では、容認に否定的な結果が出ている。

「集団的自衛権についてうかがいます。集団的自衛権とは、アメリカのような同盟国が攻撃された時に、日本が攻撃されていなくても、日本への攻撃とみなして、一緒に戦う権利のことです。これまで政府は憲法上、集団的自衛権を使うことはできないと解釈してきました。憲法の解釈を変えて、集団的自衛権を使えるようにすることに、賛成ですか。反対ですか」

という問いに対して、賛成は27%にとどまり、反対は56%にのぼった

【私の論評】集団的自衛権は世界の常識、今までが非常識であったと認識すべき(゚д゚)!

安倍晋三首相は15日夕、首相官邸で記者会見を開き、集団的自衛権行使など安全保障上の課題について「政府の基本的方向性」を表明し、国民に理解を求めました。会見の詳報は以下の通りです。動画と、書き起こしの両方を以下に掲載します。


 「こうした事態は机上の空論ではありません。連日、ニュースで報じられているように、南シナ海ではこの瞬間も、力を背景とした一方的な行為によって国家間の対立が続いています。これはひとごとではありません。東シナ海でも、日本の領海への侵入が相次ぎ、海上保安庁や自衛隊の諸君が高い緊張感を持って24時間体制で警備を続けています。北朝鮮のミサイルは、日本の大部分を射程に入れています。東京も大阪も、みなさんの町も例外ではありません。そして、核兵器の開発を続けています。さらには、サイバー攻撃など、脅威は瞬時に国境を越えてきます」 
 「これは、私たちに限ったことではありません。もはやどの国も一国のみで平和を守ることはできない。これは世界の共通認識であります。だからこそ私は、『積極的平和主義』の旗を掲げて、国際社会と協調しながら、世界の平和と安定、航空・航海の自由といった基本的価値を守るために、これまで以上に貢献するとの立場を明確にし、取り組んできました」 
 「積極的平和主義の考え方は、同盟国である米国はもちろん、先週まで訪問していた欧州各国からも、そしてASEANの国々をはじめとするアジアの友人たちからも高い支持をいただきました。世界が日本の役割に大きく期待をしています。いかなる事態においても、国民の命と暮らしは断固として守り抜く。本日の報告書では、そうした観点から提言が行われました」 
 「今後、政府・与党において具体的な事例に即してさらなる検討を深め、国民の命と暮らしを守るために、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備します。これまでの憲法解釈のもとでも可能な立法措置を検討します」 
 「例えば、武力攻撃に至らない侵害、漁民を装った武装集団がわが国の離島に上陸してくるかもしれない。こうしたいわゆる『グレーゾーン事態』への対処をいっそう強化します。さらに、PKOや後方支援など、国際社会の平和と安定に、いっそう貢献していきます」 
 「その上でなお、現実に起こり得る事態に対して万全の備えがなければなりません。国民の命と暮らしを守るための法整備が、これまでの憲法解釈のままで十分にできるのか、さらなる検討が必要です。こうした検討については、『日本が再び戦争をする国になる』といった誤解があります。しかし、そんなことは断じて有り得ない。日本国憲法が掲げる平和主義は、これからも守り抜いていきます。そのことは明確に申し上げておきたいと思います」 
 「むしろ、あらゆる事態に対処できるからこそ、そして対処できる法整備によってこそ、抑止力が高まり、紛争が回避され、わが国が戦争に巻き込まれることがなくなる、と考えます」 
 「今回の報告書では、2つの異なる考え方を示していただきました。1つは『個別的か集団的かを問わず自衛のための武力の行使は禁じられていない、また、国連の集団安全保障措置への参加といった国際法上、合法な活動には憲法上の制約はない』とするものです」 
 「しかし、これは、これまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない。私は、憲法がこうした活動の全てを許しているとは考えません。したがって、この考え方、いわゆる『芦田修正論』は、政府として採用できません」 
 「自衛隊が、武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません。もうひとつの考え方は、わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許される、との考え方です」 
 「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を、政府は最大限尊重しなければならない。憲法前文、そして憲法13条の趣旨をふまえれば、自国の平和と安全を維持し、その存立をまっとうするために、必要な自衛の措置をとることは禁じられていない。そのための必要最小限度の武力の行使は許容される。こうした従来の政府の基本的な立場を踏まえた考え方です」 
 「政府としてはこの考え方について、今後さらに研究を進めていきたいと思います。切れ目のない対応を可能とする国内法整備の作業を進めるにあたり、従来の憲法解釈のままで必要な立法が可能なのか。それとも、一部の立法にあたって憲法解釈を変更せざるをえないとすれば、いかなる憲法解釈が適切なのか。今後、内閣法制局の意見も踏まえつつ、政府としての検討を進めるとともに、与党協議に入りたいと思います」 
 「与党協議の結果に基づき、憲法解釈の変更が必要と判断されれば、その点を含めて、改正すべき法制の基本的方向を、国民の命と暮らしを守るため、閣議決定してまいります。今後、国会においても議論を進め、国民の皆様の理解を得る努力を継続していきます。十分な検討を行い、準備ができしだい、必要な法案を国会にお諮りしたいと思います」 
「日本は戦後70年近く、一貫して平和国家としての道を歩んできました。これからも、この歩みが変わることはありません。しかし、『平和国家である』と口で唱えるだけで、私たちの平和な暮らしを守ることはできません。私たちの平和な暮らしも、突然の危機に直面するかもしれない。そんなことはないと、誰が言い切れるでしょうか。テロリストがひそむ世界の現状に目を向けたとき、そんな保障はどこにもありません」 
 「政府は、私たちは、この現実に真っ正面から向き合うべきだと私は考えます。私たちの命を守り、私たちの平和な暮らしを守る。そのためには、いかなる事態にも対応できるよう、常日頃から隙のない備えをするとともに、各国と協力を深めていかなければなりません」 
 「それによって、抑止力が高まり、わが国が戦争に巻き込まれることがなくなると考えます。さきほど申し上げたような事態においても、しっかりと日本人の命を守ることこそが、総理大臣である私の責任であると確信します。今後、検討を進めるにあたり、国民の皆様のご理解、心からお願いを申し上げる次第であります。私からも引き続き、あらゆる機会を通して丁寧に説明をしていきたいと思います」 
 「再度申し上げますが、まさに紛争国から逃れようとしている、お父さんやお母さんやおじいさんやおばあさん、子供たちかもしれない、彼らが乗っている米国の船を今私たちは守ることができない。そして、世界の平和のためにまさに一生懸命汗を流している若い皆さん、日本人を、私たちは自衛隊という能力を持った諸君がいても守ることができない」 
 「そして一緒に汗を流している他国の部隊、もし逆であったら彼は救援に訪れる。しかし私はそれを断らなければならない。見捨てなければならない。おそらく世界は驚くことでしょう。こうした課題に、日本人の命に対して守らなければいけない責任を有する私は、総理大臣は、日本国政府は、検討していく責務があると私は考えます。私からは以上です」
以下は、記者団からの質問と、それに安部総理が答えた内容です。



私自身は、集団的自衛権はあたり前のど真ん中であり、それが国際常識であり、集団的自衛権を認めてこなかったことのほうが、余程異常であり狂っていたと思います。

新聞報道においては、朝日が明らかに世論を誘導しています。

大手紙の集団的自衛権に関する世論調査は下記のようにまとめることができます。

●読売新聞(5月9、10、11日)全面賛成  8% 限定賛成 63% 反対 25%
●朝日新聞(4月19、20日)賛成 27% 反対 56%
●毎日新聞(4月19、20日)全面賛成 12% 限定賛成 44% 反対 38%
●産経新聞(4月26、27日)全面賛成  7% 限定賛成 64% 反対 26%

この結果で明確な事実は、4紙中3紙が集団的自衛権の行使で全面賛成と限定賛成を合わせれば過半数を占めて、朝日新聞だけ全面賛成も限定賛成の選択肢が無く賛否の二者択一なことです。

朝日新聞は集団的自衛権の行使の質問内容において、全面容認、限定容認、行使反対にしなかったのでしょうか。なぜ、朝日新聞は賛成、反対以外に「どちらともいえない」の選択肢が無かったのでしょうか。

その理由は他3紙の如く全面容認と限定容認を合わせて過半数超えの結果となることを恐れたためと考えられます。これは明らかな世論操作であると思います。

集団的自衛権に関しては、私自身はあまりにあたり前すぎることなので、それに対してあれがとうのこれがどうのと、論評することは控えさせていただきます。ただし、もっともあたり前で、常識的に説明している高橋洋一氏の記事のURLを以下に掲載しておきます。
「個別」「集団」の区別は世界の非常識 集団的自衛権の基礎知識
詳細はこの記事をご覧いただくものとて、高橋洋一氏は、この記事の結びに集団的自由権についてまとめています。その部分のみ以下に掲載します。
 集団的自衛権の反対論者が言う、「巻き込まれ論」は、国際的に日本だけは「見て見ぬふり」を公言しているのをわかっていない。 
 それと、地球の裏側まで行くのかという議論も、極論である。正当防衛論から見れば、「緊迫性」、「必要性」、「相当性」が求められているので、地球の裏側というのは、そうした要件に該当するものとはなりにくいので、極論といえるわけだ。 
 報告書では、2008年に示された4類型(公海における米艦の防護、米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、国際的な平和活動における武器使用、同じ国連PKO等に参加している他国の活動に対する後方支援)のほかに、次の6事例があげられている。 
事例1:我が国の近隣で有事の船舶の検査、米艦等への攻撃排除等  
事例2:米国が武力攻撃を受けた場合の対米支援 
事例3:我が国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域(海峡等)における機雷の除去 
事例4:イラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生した際の国連の決定に基づく活動への参加 
事例5:我が国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず、徘徊(はいかい)を継続する場合の対応 
事例6:海上保安庁等が速やかに対処することが困難な海域や離島等において、船舶や民間人に対し武装集団が不法行為を行う場合の対応 
 これらに対して、次の3つの対応が考えられる。 
A. 対応を行わない
B. 個別的自衛権の延長として、行う
C. 集団的自衛権として、行う
 A~Cのどれでいくのか。ただし、これまで述べたように、Bは国内でしか通じないロジックで、国際的にはCと見られる。
さて、この記事を書いた高橋洋一氏集団自衛権に関して、面白いツイートをされていました。それを以下に掲載します。
このツイートにでてくる、「猫が猛犬に体当たり」のCNNのニュースで放映された動画を以下に掲載します。



この猫は、普段は自分より体格の大きい犬などに体当たりなどしないと思います。しかし、飼い主の子供が危険にさらされたため、これを守るためやむなく体当たりをしたのだと思います。

これは、猫でさえ防衛本能があることを示しています。このあたり前のことをできるようにするということが、集団的自衛権ということです。

集団的自衛権について、反対する人たちの論拠としては、この子どもがこの犬に対して攻撃をしようとか、あるいは子どもにとって脅威になるような、この猫があずかり知らない遠く離れたところにいる犬や人間に対する攻撃を仕掛けた場合、猫は自分の意思に反しても、これらの犬や人間に対してまて゜攻撃しかけなければならなくなるといって反対しているわけです。

しかし、このような場合は無論猫の判断になると思います。この猫が子どものことが心配で、遠くに行ったときも、必ずついてまわり、その都度攻撃に加担するかどうかを決めるのはあくまで猫の判断によるものと思います。

決して、自動的に攻撃をするというわけではないと思います。子どもとの関係や、自分の利益を考えた場合、それでやるべきと判断した場合は、実行するでしようし、そうでなければ、攻撃には加担しないでしょう。

それは、集団的自衛権を認めたから自動的に攻撃に加担しなければならないというわけではなく、あくまで、猫の判断によります。

海外で支援活動をする自衛隊員や、民間人を守ることができないなど非常識(゚д゚)
その非常識を貫き通すというのなら、鎖国するしかないが、鎖国もかなり危険だ(゚д゚)!
現実の集団的自由権に話をもどせば、その時々の国際情勢と他国との関係において、決まるものであり、集団的自由権により、自動的に他国の戦争に加担するというわけではありません。あくまで、総合的長期的判断によるものです。

その総合的長期的判断により、攻撃すべきとなれば、地球の裏側に行ってまで攻撃するでしょうし、そうでなけばすぐ近くで味方の軍隊が攻撃を受けて被害者を出しても見捨てることでしょう。極限すれば、アメリカが弱小国に成り果てて、助けても日本にとって何にもならないということになれば、見放せば良いことですし、恩義があるか今後国益になると思えば、助けるべきです。

これは、冷たいようですが、現実です。私たちが住んでいる世界は、お花畑ではないのです。有力な国々のパランス・オブ・パワーで均衡しているというのが現実です。日本は軍事的には弱い立場にありますが、経済的にはあいかわらず強い国ですから、今はアメリカも日本が攻撃を受ければ、助けてくれるかもしれません。しかし、日本が軍事的にも経済的にもとるに足りない国になれば、中国から攻撃を受けても手のひらを返したように、見捨てられるようになります。日本が、ラオスやカンボジア程度の経済になれば、確実にそうなります。

私たちはお花畑の住人ではない(゚д゚)!

集団的自衛権は、こうした厳しい現実の枠組みで考えなければなりません。集団的自衛権に対して、闇雲に反対する人々は、世界はこうした厳しい枠組みの中で動いていることを理解していません。話になりません。

世界中の国が行使できる集団的自衛権を、日本も当然行使できるようにすべきです。するしないは別にして、何でも出来る事が我が国への侵略を抑止するのです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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