先日というか、昨日も紹介した、経済評論家上念 司氏が、本日は、以下のようなツイートをしていました。
smith796000: 「奴ら」が日本において工作活動をする際のマニュアルとして作成されたものらしく、見た目には週刊誌のような偽装が施されています。私が入手したコピーには「週刊ダイヤモンド特大号 2012/4/14」という書いてありました。→ http://t.co/VFifOMU2
このURLをクリックしたところ、上念 司氏のfacebook上の公開ノートにたどりき、結構な内容だったので、本日は、これを掲載します。まずは、上念氏に、上のURLをクリックしていただき、上念氏のノートを直接ご覧になってください。
実際に購入して、読んだわけではありませんが、目次を見ているだけでも、ハチャメチャであることが良くわかります。上念氏も、的確に説明しています。以下で、私のなりの解説を加えさせていただきます。
【わたしの論評】工作員の真意が読み取れる!! 今のマスコミはこう読み解け!!
まずは、このような酷い経済記事をみると、あのノーベル経済学賞を受賞した、ボールクルーグマン氏の著者で、氏が、力説しておられたことを思いますだします。確か、このようなことを語っておられたと思います。
「経済に関しては、専門家でもなんでもない人が、とんでもないことを言う。それも、テレビなどで堂々うと語る。これが、医学の話題であれば、医師などの専門家を同席してもらい、専門家の意見をききなが話をすすめる。しかし、経済は、そんなことはない。専門家でも何でもない人が、マクロ経済の話をしていたとおもったら、何の前触れもなく、急にミクロ経済の話になったり、脈絡なくマクロにもどったりする。ごちゃまぜで、話をして、ハチャメチャな話をしても、誰も抗議も何もしない。本当に困ったものである。このように、マクロ経済学は、本当にないがしろにされている。しかし、マクロ経済学の諸原理は、現状の経済を語る上で、必要不可欠であり、これを欠いては何も議論はできない」。
これは、無論、アメリカだけではなく、日本でも、あてはまることです。マクロ経済というと、多くの人が縁遠いものと、考えているようですが、そんなことはありません。それは、先端の学問の分野ではそれこそ、微分、積分などの数式が踊って、一見かなり難しいようにもみえますが、それは、先端の学問は、経済学に限らず、そのようなところがあり、マクロ経済だけが、ことさら難しいということはありません。考え方自体はいたって、簡単あり、一度納得してしまえば、誰にでも理解できるものと思います。
本当に簡単に、言ってしまえば、マクロ経済と、ミクロ経済学の違いは、ミクロ経済学には、外部経済が存在するのですが、マクロ経済には、存在しないということです。
ミクロ経済学の典型の、企業では、企業内部の経済と、企業外部の経済が存在しており、経費として使ってしまったお金は企業内部から消えてしまいます。従業員を解雇すると、経済的には、解雇した従業員は、会社とは関係ない存在になり、その後、その従業員の給料に相当するお金は、企業内部に留保されることになります。
しかし、マクロ経済の見方では、これとは、相当様相が異なります。日本国という単位では、外部経済は存在しません。国が、国民などから、お金を500兆円借りたとします。公共投資などで使ったとします。そうすると、それは、国以外の内部経済である、公共投資を請け負った企業群にわたります。企業群は、それらで、他の企業群に、原材料費を支払い、従業員の賃金を支払います。従業員は、日々生活つしたりするために、賃金を消費にまわしたりします。こうして、経済活動が行われるわけです。そうして、経済活動が盛んに行われれば、これらのお金が、消費税とか、所得税となり、これも内部経済である政府にもどってきます。公共投資を500兆円が消えてしまうわけではありません。
この違いお分かりになるでしょうか?企業の場合、外部経済は企業にとっては、経済的にはないのも同じですから、一度使ってしまった、お金はそのまま企業から消え去ると考えて良いのです。また、従業員を解雇してしまえば、その従業員は、外部経済に移行してしまったので、企業にとってはないのも同じであり考える必要もありません。
しかし、国は、違うということです。一度、政府が借りたお金を公共投資などで使ったとしても、お金は、この世から消えて去るというわけではありません。その後企業や、家庭をまわり、また、税収としてもどってくるということです。まさに、お金は天下の周りものというわけです。このお金の周り方に問題があると、景気が良いとか、悪いとか、デフレとか、インフレということになるわけです。お金が、正常に回っていれば、問題がないのですが、正常な状況より、出回っていなければ、デフレ、過剰に出回っていればインフレということです。
ただし、別の局面もあります。企業が、従業員を解雇したとすると、その従業員は、外部経済に移行したので、企業とは、直接は関係はなくなります。しかし、政府の場合、企業の従業員に相当する、公務員を大量に解雇したとします。そうすると、その公務員が、すぐに就職できるほど、経済が安定していれば良いのですが、経済的が停滞していて、もと公務員がなかなか就職で着ないような場合は、何らかの形で、雇用対策を行わなければならなくなります。こんなことは、企業ではあり得ません。だから、マクロ経済と、ミクロ経済では、見方が全く異なるということです。
現在、日本のマスコミなどで、まかりとおっている、誤謬は、この二つを明確に区分せずに、国レベルのマクロ経済と、企業や家計レベルのミクロ経済を、無意識あるいは、意図的にごちゃまぜにして、報道することに、根本原因があります。日本の経済を考える際には、経済の主体である、政府、企業、家計、その他を個別にミクロ経済的にとらえていては、全体がみえてきません。さて、これに日本以外の国だと、外国というファクターが入り、少し、様相が異なり、複雑になるのですが、日本国の場合は、外国からお金を借りておらず、それどころか、外国に貸付ているお金が、世界一という状況ですから、これは、あまり考えることをしなくても、日本国の経済は、十分に理解できます。
これは、企業、それも子会社をいくつもかかえている大企業を見る場合と似たようなところがあります。こうした、企業グループの決算をみるときに、本社だけの決算をみたり、子会社だけの決算だけをみていては、企業グループの本当の経営状況など永遠にわかりません。やはり、本社、子会社すべてをあわせた、連結決算でみて、はじめて、理解できます。本社だけ黒字であっても、子会社が真っ赤であれば、企業グループ全体では、赤ということもあります。本社が赤であっても、子会社のほとんどすべてが、黒字であれば、グループ全体では、黒字ということもあります。そうして、そのようなことは多いにありうることです。特に、子会社だけが、実事業をしており、本社は、実事業をしていない場合です。実事業とは、顧客や、クライアント相手に仕事をして、収入を得ているよう事業のことです。このようなことは、大企業ではよくあることです。
しかし、今のマスコミや、政治家の多くは、このような見方をしません。企業や、家計がかなりの大黒字であり、日本国全体では、大黒字であるにもかかわらず、政府だけの赤字をもって、日本国は大赤字であるとして、大騒ぎしています。上の企業の例でいえば、本社が赤字であり、子会社はすべて、かなりの黒字をだして、全体としては、かなりの黒字であるにかもかかわらず、本社の赤字をもって、全グループが赤字といっているのと何も変わりがありません。
このような誤った見方では、国の経済をまともに見ることもこともできず、これから、先の経済対策もまともにできるはずもありません。国政を司る人々は、まずは、経済関しては、マクロ的な見方ができていなければ、話にも何にもなりません。それこそ、このブログの冒頭に述べた、クルーグマン氏の嘆きの背景と同じことです。いや、日本の場合は、アメリカよりもさらに、酷いです。
さて、上で、上念氏が指摘している事項、まさに、そのほとんどが、国の経済をマクロ的に見ることなく、ミクロ的な見方でをすることによる、誤謬のオンパレードということです。最初、この誤謬について、私も上念氏がやられているように、一つひとつ私自身の観点からも、解説しようとしましたが、やめます。そうです。上念氏も、書いておられるように、こんなことは、疲れるからです。上念さん、本当にお疲れ様です。
それに、上念氏の説明で十分だと思います。とにかく、新聞記事や、今回のように週刊誌を読むにしても、やはり、マクロ経済的な視点で読めば、すぐに、インチキかどうかなど、何も難しい経済理論や、統計数値の細かなことまで知らなくてもすぐに見破れます。そうして、そのようなことを何回も繰り返していれば、いずれ、上念氏のような見方もできるようになって、マスコミの意図などが読み取れるようになると思います。
それにしても、日本では、有名大学院をご卒業され、その後もご立派な活躍をされ、大成果をあげているような、ご立派な人でも、なぜかマクロ的な見方ができない人も結構いらしゃるようです。だからこそ、このような、上念氏の指摘する工作員のような連中が、いつまでも、のさばるのだと思います。(上の写真は、中国の亡命した工作員である陳用林氏)困ったものです。政治家などにも、このような人も多いようで、財務省や、日銀コロコロ騙されているようで、高橋洋一氏など、良く政治家のひとたちに、どこで、どう騙されているのか、指摘するように依頼される機会が頻繁にあるそうです。
工作員に関する書籍は、以下のURLからお求めになることができます。