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2012年11月21日水曜日

キラキラネーム-北海道新聞―【私の論評】さすが左翼系低劣地方紙、目のつけどころが違う!!

キラキラネーム-北海道新聞

反日地方紙、北海道新聞の記事
生まれた子に当て字を使ってアニメの主人公などの名前を付ける親が増えているという。判読が難しい、こうしたニュータイプの名前を「キラキラネーム」というそうだ。今年の「新語・流行語大賞」の候補語にも挙がっている。

「今どきの若い親は」と眉をひそめる人もいるだろう。「個性的でかわいい」と共感する人もいよう。多様な受け止め方があっていいと思うが、この人は「キラキラ」を許せないらしい。

自民党総裁の安倍晋三さんが先日、東京都内の講演でこう述べた。「キラキラネームをつけられた多く(の子供)はいじめられている。ペットではないのだから、そういう親も指導しなければいけない」(16日読売新聞)。

まるで「いじめられるような名前は付けるな」と言わんばかり。違うだろう。「いじめる側」が悪いに決まっている。“異質”を理由にいじめるような者をいさめるのが教育だ。これが政権を奪回し、得意と自負する“教育改革”に再び乗りだそうかという人の見識とは、あきれる。

「於菟(おと)」(オットー)「茉莉(まり)」(マリー)「不律(ふりつ)」(フリッツ)「杏奴(あんぬ)」(アンヌ)「類(るい)」(ルイ)。あの森鴎外が3男2女に付けた名だ。明治時代にしては「キラキラ度」はかなりのものといえそう。

世が世なら安倍さんの指導対象?天上の文豪も「ぜひ、ご指導をいただきたかった」と残念がっているかも。2012・11・20


【私の論評】さすが左翼系低劣地方紙、目のつけどころが違う!!

森 樊須先生

この記事を読んでいて、思い出したのは、森 樊須(ハンス)先生のことです。この方は、文豪森鴎外の孫にあたる方です。森先生が、北海道大学農学部教授であったとき、確かいくつかの講義を受けた覚えがあります。私自身は、農学部出身ではなく理学部の生物学科でしたが、森先生の研究に興味があったので、いくつかの講義を履修させていただきました。その内容は、もう忘れてしまいましたが、先生の印象としては、上品で、物静かな方という感じでした。私達の学科にも関係が深く、研究室などにもおでましになることも良くあり、いろいろとお話をうかがう機会がありました。学問のことよりも、他の事で、いろいろなこと教えていただきました。

以下に、簡単な経歴を掲載させていただきます。

北大名誉教授 森樊須氏は、平成19年9月21日脳梗塞のため79歳をもって逝去されました。ここに先生の生前のご功績を偲び謹んで哀悼の意を表します。 先生は,昭和3年8月28日東京市に生まれ、昭和27年3月北海道大学農学部農業生物学科を卒業、北海道大学農学部助手、助教授を経て、昭和46年4月教授に昇任し、応用動物学講座担当となり、昭和61年6月から農学部附属博物館長を兼任、平成元年4月から平成3年8月まで北海道大学評議員を務め、平成4年3月に停年退職され、同年4月に同大学名誉教授の称号を授与されました。 先生は、応用動物学、寄生動物学及びダニ学に関して意欲的に取り組まれました。

これに、関連して、私が子供のときに、父から聴いた逸話があります。

北海道大学農学部
私の父が、北大の学生だったとき、おそらく、森先生の奥さんの父にあたる方が、ドイツ人で、北大のドイツ語の先生をしていたようで、その方に父がドイツ語を習ったそうです。あまり予習をしないで、講義を受けて、質問に応えられないと、「勉強しなくちゃしなさい(「しなくちゃ、しなさい」ではなく、一気に「しなくちゃしなさい」と語っていたとのこと)」とこっぴどく叱られたことなども語っていました。そうして、時期的に推察すると、森先生のお子様にあたると思しき方を乳母車にのせそれを押しながら、このドイツ語の先生が北大構内を良く散歩されていたそうです。そうして、そのときにそのドイツ語の先生が、その赤ちゃんに語りかける言葉はすべて、ドイツ語だったそうです。

「あれなら、すぐにドイツ語ができるようになっただろう」と父が話しているのを何となく覚えています。森先生には、何度もお目にかかる機会があったのですが、その逸話のことをうかがってみようと思いつつ、結局その機会を失い、私の推察が正しかったのかどうかは、今に至るまで、わかりません。ただし、先生が森鴎外のお孫さんなのかどうかは、うかがったことがあります。そうして、その答えはむろん「そうです」というもてのでした。どなたか、事実関係をご存知の方がいたら、教えていただきたいものです。

それは、さておき、なぜこのようなことを掲載させていただかというと、無論のこと、キラキラネームの事例として、森鴎外が、自分の子供の三男二女につけた名前である、「於菟(おと)」(オットー)「茉莉(まり)」(マリー)「不律(ふりつ)」(フリッツ)「杏奴(あんぬ)」(アンヌ)「類(るい)」(ルイ)を出していたからです。

森鴎外
 「キラキラネーム」とは、今年の流行語大賞候補にもなった、当て字で作る読みづらい変わった名前のことです。ネット掲示板では「DQNネーム」とも呼ばれています。

このような「キラキラネーム」は、ネット上では「奇抜な名前は親の自己満足であり、おかしな名前のせいで子供がいじめられる」と、かねてから批判を呼んでいました。これに関して、私が思い出すのは、これが、キラキラネームなのかどうかはわかりませんが、あの悪魔ちゃん事件です。

悪魔ちゃん事件とは、覚えていらっしゃる方もいるかもしれませんが、1993年8月11日、東京都昭島市の役所に「悪魔」と命名した男児の出生届が出されたというものです。「悪」も「魔」も常用漢字の範囲であることから受付されたが、市が法務省民事局に本件の受理の可否に付き照会したところ、子供の福祉を害する可能性があるとして、親権の濫用を理由に不受理となりました。

「キラキラネーム」にもこれにすれすれのものがあり、私は、安倍総裁は、これに類するものに対して批判をしたのであって、決して、森鴎外の子供たちの名前や、その孫である、森樊須氏のような名称まで、批判したわけではないと思います。

しかし、「卓上四季」では、明治時代の作家・森鴎外が「於菟(オットー)」「茉莉(マリー)」「不律(フリッツ)」「杏奴(アンヌ)」「類(ルイ)」といった名前を子供につけていたことを例に挙げ、「世が世なら安倍さんの指導対象?天上の文豪も『ぜひ、ご指導をいただきたかった』と残念がっているかも」と安倍氏の“キラキラネーム”への苦言を逆に批判しています。


森鴎外は、ご存知のように、ドイツやドイツ文学にかなりの影響を受けています。そうして、ドイツ文化に敬意を表して、自分たちの子供や、孫にドイツ風の名前に漢字を当てているだけでいわゆる、キラキラネームとは異なると思います。そうして、森鴎外という父、祖父を持つ子供達や、孫達も、無論森樊須先生も子供のころ、そのいわれを聴かれたならば、そのことに誇りを持って、周りの人々に自らの名前のいわれを語ったことでしょう。けっして、そのことでいじめられたなどということはなかったと思います。

何か、この北海道新聞のこの記事は、何やら私の上記のような想い出が汚されたようで、非常に不愉快な面持ちがしました。


北海道新聞は、北海道では一番読まれている地方紙です。それも、他の地方紙とは異なり、北海道民のかなりの人が読んでおり、朝日、読売などの大手新聞を読む人は、北海道では、少数派です。これだけ、読まれているのですから、本来は、中立公正の立場を貫くか、あるいは、少なくとも自らの立場を明らかにして、報道すべきと思いますが、そうではありません。


函館新聞と北海道新聞の争いを伝える朝日新聞の紙面
それに私は今函館にいますが、函館には、館新聞という函館の地方紙があります。この新聞が発刊直前から、直後の北海道新聞の姑息なやり方は、今でもはっきり記憶に残っています。函館では、一時今でも残っている函館で発刊している「函館新聞」と、北海道新聞が出す「函館新聞」の二つが、函館市内に出まわっていたことがあります。

どういうことかというと、wikipediaから一部下にコピペしておきます。詳細は、wikipediaを御覧ください。
函館新聞社が設立される前の1994年、ブロック紙の北海道新聞社(道新)は函館市で夕刊の地域新聞が創刊される動きがあったことを察知して、「函館新聞」をはじめ、「函館毎日新聞」「函館日日新聞」「函館タイムス」「夕刊函館タイムス」「夕刊函館」「新函館」「南北海道新聞」「道南新聞」の9つの題字商標登録の出願を行った。 
しかし、函館新聞社はこうした商標の集中出願に対して新たな新聞の創刊を阻害させられる恐れがあるとして商標申請の取り消しを求めた。これに対し道新は「商標は国民に認められた権利」のほか「日本新聞協会加盟141社のうち、新聞またはタイムスの文字をつけない題号の新聞社は53を越える」と主張。その後、函館新聞社が「函館新聞」での題号で創刊することを決めたあと、道新側がこの題号に関係の薄い、函館毎日など5つのタイトルについて自主的に出願を撤回した。 
これを受け、特許庁は函館新聞など4つの題号について審査。その結果、北海道新聞は道内の代表的ブロック紙であり、函館地方の新聞創刊構想、気運、動向を知りうる立場にあった地方紙の題字として採択される可能性が高い商標を集中的に、しかも自ら使用することが極めて低いにもかかわらず出願したこの出願により、函館地方の新聞創刊の途を狭くしたことを目的といわざるを得ない公正な競業秩序を乱すとして、北海道新聞社が出願した4つの題号すべてについて拒絶査定の判断をした。その際、函館新聞社が主張していた、新聞のタイトルには地名+新聞、日報、タイムスなどのきわめて制限されたものしかない、同一地区で同じ新聞社が別の題字の新聞を発行していることは認められないといった主張を全面的に認定した。
私の見方では、北海道新聞は、完璧に左翼系新聞であるにもかかわらず、あたかも、中立公正を装って報道しているように見え、前から鼻についていました。そうして、記者の質も悪く、特に、経済記事など明らかな誤りか、意図的な歪曲がかなり多く、読めば読むほど、経済も、日本もわからなくなるような内容ばかりです。

特に、基本的な日本の歴史や、経済もほとんど理解していないようで、あまりの低劣さに、ここ10年以上は、読まないようにしています。本日は、たまたま、サイトで上のような記事をみたので、本当に久しぶり読みました。

本当に、森 樊須先生も、この記事には、あの世で忸怩たる思いをされているのではと思います。本当に、やりきれない思いがします。

それにしても、なぜこのようなエッセイを掲載するかといえば、無論安倍総裁叩きのためです。おそらく、前々から、そのための材料を目を皿のように探していたのだと思います。ただし、政治や、経済の本質に関わる問題に関しては、勉強不足なので、掲載すれば、すぐに矛盾が露呈し、あちらこちらから指摘されることになるので、派手に実施することもかなわず、たまたま、上のような事実を見つけ、半分こじつけで、無理やり記事にしたというところなのだと思います。それにしても、対象も、話題としても、間違っています。

本当に困ったものです。やるなら、こんな姑息なことをせず、どうどうと左翼的戦後体制の擁護論を主張すべきと思います。そう思うのは、私だけでしょうか?



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