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2018年5月22日火曜日

日大選手「意見を言える関係ではなかった」一問一答―【私の論評】統治の正当性が疑われる、日大常務理事としての内田氏(゚д゚)!


日大アメフト悪質反則問題で会見に臨んだ日大・宮川さん

アメリカンフットボールの定期戦での悪質な反則行為で関学大の選手を負傷させた日大の宮川泰介(20)が22日、都内の日本記者クラブで会見を行っい、内田正人前監督、井上奨コーチから反則行為の指示があったことを明らかにした。以下、一問一答。

 -内田前監督の存在とは

 「日本代表に行くな」と言われた時もそうだが「なぜですか」と意見を言えるような感じではなかった。

 -どこで判断を誤ってしまったのか

 試合があった1週間を通して監督、コーチからプレッシャーがあったにせよ、プレーに及ぶ前に自分で正常な判断をするべきだった。

 -自身のスポーツマンシップを、監督の指示が上回ってしまった理由は

 監督、コーチからの指示に対して、自分で判断できなかった自分の弱さだと思う。

 -監督、コーチがそれだけ怖い存在だったということか

 はい。

 -指示は「つぶせ」という1つだけだったか

 コーチから伝えられた言葉は、「つぶせ」という言葉だったと思う。上級生の先輩を通じて「秋の関西学院大との試合の時に、QBがけがをしていたらこっちが得だろう」という言葉もあり、けがをさせる、という意味で言っているんだと認識した。

 -日大側は、指導とその受け取った方に認識の乖離があったとしているが

 自分としては、そういう(けがをさせる)意味で言われている以外に捉えられなかった。

 -ご自身にとってアメリカンフットボールとは

 高校の頃からアメリカンフットボールを始めた。コンタクトスポーツを初めてやるとあって、とても楽しいスポーツだと思い、熱中していた。ただ、大学に入って、厳しい環境というか、そういうもので徐々に気持ちが変わっていってしまった。

 -気持ちはどのように変わったか

 好きだったフットボールが、あまり好きではなくなってしまった。

 -今後について

 もちろん、アメリカンフットボールを続けていく権利はないと思う。この先、アメリカンフットボールをやるつもりもありません。何をしていくべきか分からない状態。

 -内田監督の会見の印象

 僕がどうこういうことではない。

 -日本代表に行くなと言われて「はい」としか言えなかった。日頃から、否定できない空気があったのか

 基本的に監督と直接会う機会はあまりない。意見を言えるような関係ではなかった。

 -今後、関学大側や被害者の方から、もう1度競技に戻るよう勧められるようなことがあれば、やったほうがいいのでは

 今は、考えられない。

 -試合の整列時に、井上コーチから「できませんでした、じゃ済まされないぞ」と声をかけられた。コーチからの念押しと考えていいのか

 はい。そうだと思う。

 -井上コーチは、普段からそういう発言をする人物なのか

 このような状況はめったにあることではない。分からない。

 -他にもその発言を聞いている選手はいたか

 整列をしている時なので、隣の選手に聞こえていたかもしれない。はっきり聞こえていたかは分からない。

 -原因を「自分の弱さ」とした。あの時、違反行為をしない選択はあったか

 あの時の自分は、それをする以外考えられなかった。

 -酷な状況だったのでは。そういう指導について、どのように考えるか

 指導について、僕が言える立場にない。

 -そもそもの指示は内田監督からと考えていいか

 僕はそう認識している。

 -内田氏が監督を辞任したことが、チームにとって良かったかどうか

 僕が、今日(会見に)来たのは謝罪をして、真実を述べるため。今後のチームがどうなるか、そういうことは僕の口から言うべきではない。

 -ここまでの期間、かばってくれなかった監督に対しての気持ちは

 最初に両親とともに監督と面談した時から、指示があったということを出してほしいと伝えていた。出してほしいという気持ちはあった。

 -関学大QB側が被害届を出したことに関して

 被害届を出されるのは仕方がない。向こうの選手、ご家族からしたら、当然だと思う。内田前監督は現在大学の人事担当の常務理事を務め、また学内で体育会を意味する「保健体育審議会」の局長を務めています。

【私の論評】統治の正当性が疑われる、常務理事としての内田氏(゚д゚)!

この問題に関しては、以前にもこのブログに掲載しました。そこで指摘したのは、日大では統治と実行が同じ人物により実行されており、まともに統治できる状態でないことです。その記事のリンクを以下に掲載します。
「殺人タックル」日大アメフト部・内田正人監督、学内No.2の実力者だった! 常務理事で人事掌握 “鉄の結束”背景に上意下達の気風―【私の論評】アメフト監督が大学の常務理事を兼ねるのは統治論的にはあり得ない(゚д゚)!
日大アメフト部・内田正人監督

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、統治に関わる部分のみをこの記事が以下に引用します。

"
経営学の大家ドラッカー氏は政府の役割について以下のように語っています。
政府の役割は、社会のために意味ある決定と方向付けを行うことである。社会のエネルギーを結集することである。問題を浮かびあがらせることである。選択を提示することである。(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)
この政府の役割をドラッカーは統治と名づけ、実行とは両立しないと喝破しました。
統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺する。しかも、決定のための機関に実行させても、貧弱な実行しかできない。それらの機関は、実行に焦点を合わせていない。体制がそうなっていない。そもそも関心が薄い。
 といいます。
しかし、ここで企業の経験が役に立ちます。企業は、これまでほぼ半世紀にわたって、統治と実行の両立に取り組んできました。その結果、両者は分離しなければならないということを知ったのです。
企業において、統治と実行の分離は、トップマネジメントの弱体化を意味するものでありませんでした。その意図は、トップマネジメントを強化することにありました。
企業組織においては、日大のように統治(常務理事)と実行(アメフトの監督)を両立すると、様々な支障や不祥事がでることが、経験則的に知られていました。だからこそ、特に大企業においては会社法などにより、トップ・マネジメントと現場の監督などを兼務することなどできないようなっています。

たとえば、部長と取締役くらいなら、できるでしょうが、部長以下の役職と取締役の兼務なまずはできません。また、大企業なら、監査役のほかに内部監査人がいたり、他にも様々なたとえば経理と財務は同じ組織では行わないなどの、内部統制の仕組みがあり、不正や不祥事が起きない仕組みが構築されています。

このような仕組みができてないと、企業は上場できませんし、たとえその仕組みができていても、形骸化していて業務上で様々な支障がでていたり、深刻な不祥事が起きた場合には、上場企業であっても上場が取り消されたりします。残念ながら、最近でもこのような不祥事が起きています。

私自身は、何年間か会社の上場準備に携わっていたことがあるので、統治と実行の分離の重要性や、統治の正当性、内部統制の重要さについて考える機会が他の人よりは多かったと思います。

すっかり形ができあがった大企業に最初から勤めている人はこれが当たり前になっていて、あまり意識しないかもしれません。中小企業の場合は、日々実行に追われ統治などについて考えている余裕はないかもしれません。また、民間営利企業以外の非営利組織では、統治の問題などあまり顧みられないかもしれません。このようなことが、今回の日大の問題の本質を見えにくくしているかもしれません。

大学の関係者によりますと内田前監督は「人事を担当する常務理事で、人事権を握っているため、今回の問題で大学の職員は誰も意見を言えない」ということです。また「大学では理事長に次ぐ、実質大学のナンバーツーにあたり、田中英寿理事長から最も信頼されている人物」ということです。

日大田中英寿理事長

内田正人監督は田中英寿理事長に目をかけられ、常務理事で人事部長という現在の地位に上り詰めたとされています。

そのため、現在は内田正人監督は日大の実質ナンバー2で「次期理事長候補最右翼」とも言われいるほど日大では絶大な権力を持っています。

そのため、今回の不祥事も大学側が必死にかばっているようですが、これがかえって裏目に出ており批判殺到しています。

田中理事長は、1965年、日本大学経済学部に入学。1969年、日本大学経済学部経済学科を卒業し、日本大学農獣医学部体育助手兼相撲部コーチに就任。1999年学校法人日本大学理事、2000年日本大学保健体育事務局長、2001年日本大学校友会本部事務局長、2002年学校法人日本大学常務理事、2005年日本大学校友会会長などを歴任しました。2008年より学校法人日本大学理事長です。

この経歴だけではわかりませんが、おそらく田中理事長も、理事と監督を兼任していたこともあったのではないでしょうか。

だから、日大ではアメフト部監督の内田正人氏が、常任理事をしていたとしても、特段おかしなことではないのかもしれません。というより、このようなことは私立大学などでは特段珍しいことではないのかもしれません。

しかし、今回統治をしている側の人間が、実行もしているということで、それが今回の不祥事の温床になっていることは確かなようです。企業経営サイドの見方からみれば、学校組織であろうと、他の病院やその他の官庁などの非営利組織であろと、やはり統治をする人間が実行もするのはいずれ不正や不祥事が蔓延する組織になることは避けられないと見えます。

わかりやすい例は、お金を使うことを企画する人や部署が、お金を使う人や部署と同じであっては、いずれかならず使い込みなどの不祥事が発生することになります。それは、その個人や部署も悪いのですが、そのような組織になっていること自体が、不祥事を誘発することになるのです。

今回の不祥事は、単にアメフト監督の勇み足などと軽くみるべきではありません。営利企業では統治と実行が様々な支障や不祥事がでることが経験的に知られていますが、日大のような非営利組織もその例外ではなく、それがたまたま今回の事件を通じて表にでてきたとみるべきです。

ドラッカーは統治の正当性について、以下のように述べています。
社会においてリーダー的な階層にあるということは、本来の機能を果たすだけではすまないということである。成果をあげるだけでは不十分である。正統性が要求される。社会から、正統なものとしてその存在を是認されなければならない。(『マネジメント──基本と原則[エッセンシャル版]』)
企業政府機関、非営利組織など、あらゆる組織にとって、本来の機能とは、社会のニーズを事業上の機会に転換することです。つまり、市場と個人のニーズ、消費者と従業員のニーズを予期し、識別し、満足させることです。
さらに具体的にいうならば、それぞれの本業において最高の財・サービスを生み出し、そこに働く人たちに対し、生計の資にとどまらず、社会的な絆、位置、役割を与えることです。
しかしドラッカーは、これらのものは、それぞれの組織にとって存在の理由ではあっても、活動を遂行するうえで必要とされる権限の根拠とはなりえないとします。神の子とはいえなくとも、少なくともどなたかのお子さんである貴重な存在たる人間に対し、ああせい、こうせいと言いえるだけの権限は与えないといいます。
ここにおいて、存在の理由に加えて必要とされるものが、正統性です。ドラッカーは「正統性とは曖昧なコンセプトである。厳密に定義することはできない。しかし、それは決定的に重要である」と言います。
かつて権限は、腕力と血統を根拠として行使されました。近くは、投票と試験と所有権を根拠として行使されています。
しかしドラッカーは、マネジメントがその権限を行使するには、これらのものでは不足だといいます。
社会と個人のニーズの充足において成果を上げることさえ、権限に正統性は与えません。一応、説明はしてくれます。だが、それだけでは不足です。腹の底から納得はされません。
マネジメントの権限が認知されるには、所有権を超えた正統性、すなわち組織なるものの特質、すなわち人間の特質に基づく正統性が必要とされます。
ドラッカーは正当性の根拠について次のように語っています。
そのような正統性の根拠は一つしかない。すなわち、人の強みを生かすことである。これが組織なるものの特質である。したがって、マネジメントの権限の基盤となるものである。(『マネジメント[エッセンシャル版]』)

さて、日大の田中英寿理事長や内田正人常任理事らには、人の強みを生かすことということはできているのでしょうか。

私自身は、悪質な反則行為で関学大の選手を負傷させた日大選手にそのような指示を、内田氏が出していたとすれば、これはとてもじゃないですが、日大のトップマネジメントの一人としての正当性があるとは思えません。

大学や、官庁などでも、まともな大企業のように、統治と実行の分離、統治の正当性の確保を十分に行っていくべきです。

このあたりがなおざりにされていては、いくら部分的に改革や改善を行っても、まともな組織にはなりません。大元を正さなくては、いつまでも不祥事や不都合が起こり続ける組織になってしまいます。

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2018年5月18日金曜日

「殺人タックル」日大アメフト部・内田正人監督、学内No.2の実力者だった! 常務理事で人事掌握 “鉄の結束”背景に上意下達の気風―【私の論評】アメフト監督が大学の常務理事を兼ねるのは統治論的にはあり得ない(゚д゚)!

「殺人タックル」日大アメフト部・内田正人監督、学内No.2の実力者だった! 常務理事で人事掌握 “鉄の結束”背景に上意下達の気風

日大アメフト部・内田正人監督

アメリカンフットボールの日大の選手が定期戦で関学大のクオーターバック(QB)に「殺人タックル」をした問題で、カギを握る人物が日大の内田正人監督(62)だ。アメフト部のみならず、大学の常務理事で人事を握り、実質的なナンバー2とされる。「上意下達」(関係者)の気風が影響したとの指摘もある。

 内田氏は日大豊山高校出身で、日大アメフト部では、レシーバーが散弾のように散らばりパス攻撃に有利な「ショットガンフォーメーション」で黄金時代を築いた篠竹幹夫監督の下でセンターとして活躍し、国際試合にも出場した。卒業後も職員として大学に残り、コーチとして篠竹監督を支え、4度の日本一、17度の学生王座に貢献した。

 44年にわたり監督を務めた篠竹氏が2003年に定年で勇退した後を継いで監督に就任。16年には一度勇退したが、チームの成績低迷を受け17年に監督に復帰した。

 練習前にトータルで2500ヤード(約2・3キロメートル)のダッシュを課すなどスパルタ練習で、約20人の大量退部者を出したが、昨年12月の甲子園ボウルで関学大を下し、27年ぶりの学生王座に返り咲いた。

 この甲子園ボウルの再戦となった春の定期戦で起きたのが、前代未聞の悪質タックルだった。

前代未聞の悪質タックル

アメフト部と関わりの深い日大OBの男性は、「内田監督は、相手選手に不必要なタックルをさせるような指令は出さないはずだ」と困惑する一方、「普通なら悪質なタックル1回で選手を引っ込めて叱るが、監督やコーチには選手のプレーをとがめる様子がなかった」と首をひねる。

 内田氏の指示があったのかについて日大は「大学内での調査の結果、そのような事実は確認されなかった」(広報課)との立場だ。アメフト部OBも「内田監督はいい人。部員もきっと何も気にしていないはず」。

 日大、そしてアメフト部の“鉄の結束”の背景について、ある関係者は「日大は上意下達が徹底している組織という印象が強い」と話す。

 アメフト部で絶対的な存在の内田氏だが、大学内でもトントン拍子に出世している。14年に理事に選出された内田氏は、17年には4期目の田中英壽理事長と3期目の大塚吉兵衛学長体制の下で常務理事となり、人事を担当するなど学内有数の実力者だ。

 前出のOBは「篠竹監督時代には、相手校に対するリスペクトがあった。今回の騒動も監督がきちんと顔を出し、正式に謝罪するべきだ」と話すが、判断を下せるのは内田氏本人だけなのか。

【私の論評】アメフト監督が大学の常務理事を兼ねるのは統治論的にはあり得ない(゚д゚)!

さて、この問題連日デレビで報道され、識者なども様々な意見を述べているのですが、残念ながら私からすればまともな意見を言っている識者はおらず、どれも核心をついていません。このままではこの日本の社会で似たようなことがこれからも度々繰り返されるとの危機感をいだきました。

問題の本質は、内田正人氏がアメフト部の監督という、企業でいえばいわば現場の監督のような仕事をしつつ、一方ではトップマネジメントを担っているというあり得ないようなことが、日大という組織でまかり通っているということです。

企業ではトップマネジメントと、現場監督を同時に兼ねるようなことはまずありません。特に上場企業であれば、そのようなことはそもそも、許されることではありません。

なぜそうなのかといえば、そのようなことでは、企業の統治に支障をきたすからです。統治に関しては以前もこのブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
ただ事ではない財務省の惨状 同期ナンバーワン・ツー辞任 ちやほやされてねじ曲がり…―【私の論評】統治と実行は両立しない!政府は統治機能を財務省から奪取せよ(゚д゚)!
57年財務省入省組の記念写真 佐川氏、福田氏の他片山さつき氏も・・・・・
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にこの記事の組織の「統治」に関わる部分のみを引用します。

"
経営学の大家ドラッカー氏は政府の役割について以下のように語っています。
政府の役割は、社会のために意味ある決定と方向付けを行うことである。社会のエネルギーを結集することである。問題を浮かびあがらせることである。選択を提示することである。(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)
この政府の役割をドラッカーは統治と名づけ、実行とは両立しないと喝破しました。
統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺する。しかも、決定のための機関に実行させても、貧弱な実行しかできない。それらの機関は、実行に焦点を合わせていない。体制がそうなっていない。そもそも関心が薄い。
 といいます。
しかし、ここで企業の経験が役に立ちます。企業は、これまでほぼ半世紀にわたって、統治と実行の両立に取り組んできました。その結果、両者は分離しなければならないということを知ったのです。
企業において、統治と実行の分離は、トップマネジメントの弱体化を意味するものでありませんでした。その意図は、トップマネジメントを強化することにありました。
この事例は、無論政府の役割についてですが、統治ということでは、企業も大学のような組織でも同じことです。実際、ドラッカー氏はマネジメントの原則があてはまるのは企業のような営利組織だけではなく、あらゆる組織にあてはまるものであるとしています。

ですから、上の政府の役割の政府の部分を、企業なら「取締役会」、大学なら「理事会」と言い換えても成り立つのです。

実際に入れ替えてみます。
大学の理事会の役割は、社会のために意味ある決定と方向付けを行うことである。大学という組織のエネルギーを結集することである。問題を浮かびあがらせることである。選択を提示することである。
この政府の役割をドラッカーは統治と名づけ、実行とは両立しないと喝破しました。
統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺する。しかも、決定のための機関に実行させても、貧弱な実行しかできない。それらの機関は、実行に焦点を合わせていない。体制がそうなっていない。そもそも関心が薄い。
 理事会は大学の統治をするところです。そうして、内田正人氏が、アメフトの監督をしながら、常務理事をするということは、まさに統治と実行を両立させようとすることに他なりません。

この統治の原則からすれば、内田氏はアメフトの監督をしながら、常務理事をすることはさけなければならないです。アメフトの監督を続けるなというなら、そもそも理事になるべきではないのです。理事を続けたいなら、アメフトの理事をやめるべきなのです。

両方を掛け持ちすれば、統治の能力が麻痺するのです。実際、日大は統治能力が麻痺しているようです。内田氏は、あの事件から10日以上もたっているのにもかかわず、会見を開いて説明責任を果たすということもしていません。

これが、統治と実行がはっきり分離されていて、内田氏がアメフトの監督をのみをしているか、あるいは内田氏は常務理事だけをしていて、アメフトの監督は別の人物が行うなどのことをしていれば、そもそも、あのような事件はなかったか、あったにしても、未だに説明責任すら果たさないというお粗末なことはなかったでしょう。

統治と実行を両立させようとすると、このような不祥事が頻繁に起こることが、経験的に知られており、企業などの民間営利組織では、特に大企業では統治と実行は両立できないように、会社法などで定められています。

日本の官庁でも同じようなことが行われています。たとえば、財務省は、本来政府が定めるべき日本国の財政の方針を中途半端に定めるなど、統治をしておきながら、一方では徴税するなどの実行も行っています。これでは、日本国の財政に関わる統治能力が麻痺するのは当たり前のことです。

企業でも、中小企業の場合は、このあたりが曖昧になっているところが多いです。以下は北海道にある中小企業での実話です。本格的な春も近い3月のある日、季節外れの大雪が降ったので、社員や役員も含めて、駐車場の除雪をしたそうです。

除雪は専務取締役の仕事か・・・・・

その作業中に、専務取締役もいたそうです。専務も他の社員に入り混じって、2時間近くも除雪作業をしていたそうです。その姿を見たその会社の社長は後でその専務に対して「除雪作業をやらせるために君に高い給料を支払って、専務にしているわけではない。やるべきことをやれ」と叱ったそうです。

この事例では、社長は専務にこのような注意をするくらいですから、自分たちが主に実行すべきことは「統治」であると気づいているようですから、まともです。

しかし、そのようなことに気付かずに、自分も営業や作業に追われる中小企業の社長もいます。こうなると悲劇です。無論、社長がある程度、営業や作業をするのは規模の小さな企業では仕方ないことです。しかし、社長が企業統治のことなど全く頭になく、営業や作業に拘泥するような会社は早晩潰れます。

また、統治と企画の区別がつかない人もいるようです。これは、全くの別物です。企画とは、統治によって決定と方向付けを行なわれている状態で、その方向付けにしたがって、具体的に資源を割り当てる計画です。

その意味では、企画も実行の一部といえます。ただし、大企業では企画と、企画に基づいた実行をするのも別組織で行われるのが普通です。たとえば、大企業では、財務と経理が別組織になています。これを一緒にすると腐敗を助長するようなものです。

統治と企画を、取り違えると大変なことになります。本人は統治しているつもりでも、実は企画をしているということもあり得ます。そうなると、会社は方向性を失いいずれ機能しなくなくなります。

本来企画をするべき人たちに、統治をまかせようとする経営者もいます。これは、良く丸投げなどともいわれています。経営者があまり方向性など示すこともなく、部下に企画を立案させるような行為です。これも、部下が育たなかったり、部下が方針まで決定しなければならない状態に追い込まれ、混乱しいずれ企業が機能しなくなります。

財務省や、日大などは大所帯ですが、明らかに統治と実行が分離されていないので、財務省はまともな財政ができず、日大は今回のような不祥事を起こしてしまいました。

考えてみれば、最近の角界の度重なる不祥事も、統治と実行が区分されていないことに原因があるといえるかもしれません。相撲界の理事会の理事は、相撲取りの経験しかない人が大半です。それで本当に統治ができるのかどうか、はなはだ疑問です。

ものごとが、実行されている、現場を熟知していないと経営者はつとまらないと良くいわれます。それは事実です。しかし、現場しか知らない人は経営者などつとまりません。組織を統治すべき経営者にはそれ以外の知識や経験、洞察力、統合的思考などが欠かせません。

統治と実行は、厳密に区分されるべきものなのです。この当たり前の原則について、あまりテレビなどで報道されないのは、あらゆる組織において統治に関わる人は圧倒的に少数だからでしょう。さらに学校でもまともに教えられないことにも問題があると思います。

多くの人は、ガバナンス=統治であることくらいは知っているようですが、では統治とは何なのかということを具体的には理解していないようです。何しろ、日本では官僚や政治家、マンモス大学の理事でもそれを理解していないようですから、多くの人が理解しないのも無理はないかもしれません。

しかし、私達は、統治をすべき人がこれを理解していないような組織では今回のような不祥事がいつでも起こり得ることを認識すべきです。これが、問題の本質です。

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