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2018年1月16日火曜日

このままでは見放される論拠薄弱な護憲派―【私の論評】改憲派にも矛盾あり!日本は軍隊を持つべきという国民的合意が必要不可欠(゚д゚)!

このままでは見放される論拠薄弱な護憲派

リアルな防衛から目を背けてはいけない

2016年4月3日フィリピンのスービック港に寄港した海上自衛隊の潜水艦「おやしお」(左)、
護衛艦「ありあけ」と「せとぎり」 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 憲法改正問題は、間違いなく今年の一番の政治的焦点になるだろう。安倍首相の意向を受けた自民党の二階俊博幹事長は、1月12日夜、BSフジの番組で、安倍晋三首相が狙う9条改憲について「今までで(議論が)相当のところまできている。1年もあればいいんじゃないか」と述べ、年内の改憲発議を明言した。

 安倍首相も7日放送のNHK番組で「多くの党の賛同を得る形で発議してほしい」と述べ、公明党や野党に協力を求めると共に、年内発議への期待感を表明した。

 安倍首相が提案している改憲案というのは、憲法9条の改正である。その内容は、現行9条はそのままにして、自衛隊の存在を明記するという、いわゆる「加憲」案である。つまり自衛隊の存在をどう評価するのかが、重要な争点だということである。

共産党の支離滅裂を解きほぐす本

 いま、護憲を唱える有力な政党といえば、日本共産党であろう。ただ、私はこの政党の主張をかねてから厳しく批判してきた。「自衛隊は憲法違反の軍隊」というのが、この党の主張である。では、自衛隊は即刻解体せよ、と主張するのかと思えば、“解体賛成”という国民合意ができるまでは存在を認めるとしている。その一方で「立憲主義を守れ」というのである。9条には触れず、長期にわたって憲法違反の軍隊の存在を認めるという立場が、立憲主義とどう整合するのか? 支離滅裂というしかない。

 こんな時、この支離滅裂さを解きほぐす本が出版された。ジャーナリスト、編集者である松竹伸幸氏が著した『改憲的護憲論』(集英社新書)である。

 松竹氏は、みずから明言しているように護憲派であり、間違いなくその論客である。私が共産党の政策委員長をしていた当時、共に机を並べていた仲でもある。いつも杓子定規なものの見方や共産党流の定型的な見方ではなく、自分なりに問題意識を深めた意見を持っていて、その意見を重宝させてもらったものである。

 本書には、次のような一文が記載されている。

<これまで自分なりの自衛隊論、憲法論を盛り込んだ書籍を上梓(じょうし)するなどのことはしてきましたが、共産党とこの分野で意見の違うことは、活字にしてきませんでした。共産党の規約は、『党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない』とされています。それなのに、いまなぜ活字にして発表しているのか。それは、私の意見が『党の決定に反する』ものではなくなったからに他なりません。>

 少し話が脱線した。『改憲的護憲論』などという刺激的なタイトルの本をなぜ執筆したのか、同氏は「おわりに」で次のように記している。「執筆に本気になったのは、改憲されることそれ自体への危機感からではありません。加憲案に対する護憲派の反応が気になったからです」。安倍首相の加憲案というのは、同氏が指摘するように、本来の自民党の改憲案に比べて「かなり穏やか」なものである。ところが護憲派の批判は、おどろおどろしい改憲案であるように印象づけるため、論拠の薄い、無理矢理なものになっていると指摘する。 本書の中身は、共産党の主張とは大きく隔たっている。それでも「決定に反しない」ということは、同氏がこの拘束から離れたということだろう。つまり共産党を離党したということなのだと思う。

 その上で、「自衛隊は絶対に憲法に明記してはならない」というのが護憲派の立場だが、国民の目には、自衛隊を認めるのか、認めないのかという争いに映ってしまう。そうなれば、「圧倒的多数は自衛隊に共感を持っている世論の現状において、護憲派は見放される」、そうならないためには「別の論点を提示しなければならないと、痛切に思ったのです」と同氏は述べている。

 その通りだと思う。いまの現状で自衛隊違憲論や自衛隊解体論が広範な国民に受け入れられることなど、あり得ない。本書は、この厄介な課題を解きほぐそうとするものであり、護憲派の人々こそが読むべきものである。

迷走する共産党の自衛隊論

 共産党がいかに自衛隊の取り扱いで迷走してきたか、本書を読めばよく分かる。20年近く前まで、共産党の安全保障政策の基本は、「中立自衛」であった。「自衛」には、軍事力が必要である。つまり、自衛隊は憲法違反だが、9条を改正して合憲の自衛軍を持つというのが、長らく共産党の考え方であった。

 ところが本書でも指摘するように、冷戦終結後、1994年の党大会で「憲法9条を将来にわたって堅持する」という大転換を行った。

 このとき党内では、この大転換についてほとんど議論らしい議論は巻き起こらなかった。本書によれば、かつて共産党が批判していた社会党の「非武装中立」と同じだということを上田耕一郎副委員長(当時、故人)が新聞インタビューで答えていたそうである。

 この結果、急迫不正の主権侵害に対して、「警察力や自主的自警組織など憲法9条と矛盾しない自衛措置をとることが基本」となった。“竹やり作戦”である。これで国民の命や安全を守れるはずもなく、論争にも耐えられないものであった。

 2000年8月、不破哲三議長がテレビ番組で「(日本に)自衛の権利はあるが、現憲法下では自衛隊は認めない」と発言したところ、「敵が攻めてきて、自衛隊がなかったら誰が自衛の行動をとるのか」と問われ、「必要なあらゆる手段」としか答えられないことがあった。これでは、もちろん答えになっていない。国民に玉砕しろと言うようなものである。

 この後、「(自衛隊解消前に)急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要に迫られた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する」という「自衛隊活用」論に方針転換をせざるを得なくなった。

 ところが松竹氏の本にも詳述されているが、またまた方針転換が行われる。2005年、松竹氏が政策委員会在籍中に書いた論文に、共産党指導部からいちゃもんがつけられた。松竹氏の論文は、「侵略されたら自衛隊を活用する」という党の方針に基づいたものであった。ところが指導部からは、「『自衛隊活用』論は、共産党が与党となる民主連合政府ができた段階のものであり、現時点で自衛隊の活用を一般化するものではない」と説明されたというのである。

 共産党が「自衛隊活用」論を採用した当時、私は政策委員長として指導部の一員であった。“民主連合政府が誕生したとき”などという制約がかけられた事実はない。言うまでもなく、民主連合政府などいつできるかも分からないし、未来永劫できない可能性すらある。こんな馬鹿げた方針を決めるわけがない。これでは事実上、活用論を取り下げるのと同じである。おそらく取り下げようということだったのだろう。

 いま共産党は、野党共闘にすべてを賭けている。自衛隊違憲論や自衛隊解体論が他の野党に受け入れられるはずもなくい。そこでまたまた活用論が復活してきている。

 この迷走ぶりは、自衛隊問題も、国の自衛に関わる問題も、真剣に検討していないことの証でもある。

日本防衛はリアルな問題

 松竹氏は、本書の「はじめに」で、「護憲派には、日本防衛の問題をわが事として捉える覚悟が求められている」と述べている。

 多くの護憲派は、そもそも主体的に日本防衛を論じることすら忌避する傾向になる。多くの地方で、共産党議員が自衛隊の演習に反対する運動を繰り広げている。「9条守れ」というスローガンを掲げることが運動のすべてのように思える。これでは無責任の誹りを免れない。

 日本防衛はリアルな問題である。防衛のあり方を真剣に考えないような運動が、国民の多数の支持を得ることなどあり得ないことを護憲派は知るべきだ。そのためにも『改憲的護憲』の一読をすすめたい。私は護憲派ではないが。

【私の論評】改憲派にも矛盾あり!日本は軍隊を持つべきという国民的合意が必要不可欠(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事では、護憲派の矛盾について掲載されていました。そうして、共産党ほど酷いものではありませんが、改憲派の中にも矛盾があります。

私は、護憲派か改憲派のいずれかといえば、改憲派です。ただし、9条3項改憲で自衛隊を憲法典に明記しようとの主張に対して、無条件で賛成ではありません。あくまで条件付き賛成です。

その条件とは、これまでの憲法解釈を一掃し、法体系を軍隊式のネガティブリスト(禁止事項列挙型)に全改正し、十分な国防予算をつけるというのなら、改憲に賛成です。


現状のポジティブリストの法体系では戦争になれば、自衛隊員に「死ね」と言っているようなものです。新型兵器の導入には熱心な自衛隊の陸上自衛隊員がアメリカ軍楽隊よりも銃撃訓練ができていない状態を改める必要があります。だからこそ、これを改めることは絶対条件です。

しかし、「解釈も法律も予算も無視して一点突破」だけなどという9条3項改憲ならば、大反対です。そもそも、意味がありません。憲法典が変わっても現状と何も変わりません。

そうして、憲法の条文の前に重要なことがあります。最も重要なのは、内容です。

なぜ自衛隊が合憲なのか、自衛隊をどう位置付けるのか。憲法典の条文に加筆した場合、関連措置として何が必要なのか。これらの議論なくして「9条3項一点突破」などと声高に叫ぶこと自体が無意味かつ有害となりかねません。

しかし、日本国憲法制定以来、曖昧な状態に置かれていた自衛隊を条文で明記するのに反対するつもりはありません。そこで、日本国憲法九条に自衛隊を明記しようとした場合、いかなる議論が必要なのでしょうか。

まずは、大前提として、日本国が軍隊をもつか否かの国民の合意はあるのでしょうか。改憲論議においては、ここから逃げるべきでありません。

世界の大多数の国は、「軍隊をもつ」という合意をしています。そのうえで、いつの時期にどの程度の軍備を充てるか、国際情勢と経済状態から勘案してます。

逆に、「軍隊をもたない」という合意をしている国もあります。軍隊を廃止し準軍隊(国際法で定義されるParamilitary)による防衛を国是とするコスタリカ、安全保障をスイスに全面的に依存しているリヒテンシュタイン、ツバルのような小規模の島嶼国家などです。軍隊を保有していない国は世界で25カ国あるが、いずれも小国です。


では、領土と経済規模において大国であり、核保有国が密集する地政学上の重要地帯である東アジアに位置するわが国が、「軍隊をもたない」「他国に安全保障を一任する」などと主張して許されるのでしょうか。その程度のことを国民に説得できなくて、どうやって憲法改正などという大それたことができるのでしょうか。

あるいは、憲法典に「国防軍」だの「自衛軍」だの、「軍」を明記すれば合意ができるなどと甘い考えを抱いているのでしょうか。憲法典に書き込みさえすれば、狂信的な護憲派を説得できるとでも思っているのでしょうか。憲法典の条文を万能だと思っているのなら、改憲派も護憲派と同じ穴のムジナに過ぎません。


私は、日本国は軍隊をもつべきだと思います。圧倒的多数の国民は当然だと思いながらも、護憲派を罵るばかりで、これまで真っ当な説明をしてこなかった改憲派にも問題ありです。

では、なぜ日本国は軍隊をもつべきなのでしょうか。それは、地球上で文明国として生きていくためです。

文明国とは、誰にも媚びずに、自分の力で、自分の生存を主張できる国のことです。わが国を取り巻く環境を一望すれば、比喩ではなく火薬庫と化した朝鮮半島で、米中露の3大国がにらみ合っています。米国陣営にはわが国と台湾、そして東南アジア諸国。中国陣営にはロシアと北朝鮮、最近では韓国がなびいています。この両者を分かつものは何なのでしょうか。

1つは、海洋勢力と大陸勢力の地政学的環境です。もう1つは、価値観です。人を殺してはならない。この、日本人にとって当たり前の価値観を共有できるかどうかなのです。

金正恩はいうに及ばず、習近平やウラジーミル・プーチンの核兵器がわが国を向いています。守ってくれるのは、気まぐれなドナルド・トランプです。ここで一足飛びに、いますぐ核武装しろなどと、主張するつもりはありません。

ロシアの核兵器も日本に標準をあわせていることを忘れてはならない
しかし、圧倒的多数の国民が、この危険な状況をいつまでも唯々諾々と受け入れるでしょうか。日本人は、未来永劫、アメリカの属国として生き、中国やロシアに媚びへつらい、北朝鮮に足蹴にされ続けることを望むのでしょうか。

名前が自衛隊のままであるかどうか等問題ではありません。名前がどうであれ、国民のあいだに合意がなければ、軍隊なのかどうなのか曖昧なままです。まさか改憲後も、「9条3項に明記されている自衛隊が軍隊か、どうか」という議論を続ける気なのでしょうか。自衛隊の名称を憲法典に書き込むにしても、軍隊なのかどうなのかを曖昧にしたままでは何の意味もありません。

今後、日本国は軍隊をもつのか持たないのか、国民の合意が必要です。こうした憲法観の合意なしの憲法論議など、百害あって一利なしです。

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2015年2月19日木曜日

【田母神事務所不明金】「ショック。会計責任者に少なくとも3千万円横領された」…政治資金の使途不明問題で田母神氏が記者会見―【私の論評】戦後保守の終わりの始まりか?田母神氏と、水島氏の両氏にみる現代人に必要不可欠な"虚実皮膜の間"の真実(゚д゚)!


事務所スタッフによる政治資金横領について、
厳しい表情で語る田母神俊雄氏=19日

昨年2月の東京都知事選や12月の衆院選に出馬した元航空幕僚長、田母神俊雄氏(66)の政治資金の一部が使途不明となっている問題で、田母神氏は19日、都内で記者会見し「少なくとも3千万円が会計責任者に横領されていた。信頼していただけにショックだ」と話した。

田母神氏側の説明によると、田母神氏の政治団体「田母神としおの会」には都知事選後に約6千万円の残金があったが、衆院選前には約1千万円に減少。調査の結果、会計責任者の50代男性が横領を認めた。横領したカネは高級クラブでの遊興費や生活費などに充てていたという。

横領額について田母神氏は「詳細は調査中だが3千万~4千万円」とし、「(買収などの)不正に使われたことはないと考えている」との見解を示した。さらに男性は弁済を約束しているが、弁済が滞るなどした場合は横領罪などでの刑事告訴も検討するとしている。

田母神氏は「男性は、自衛隊で先輩だった(田母神としおの会)事務局長が連れてきた人間で、信頼し任せっきりになってしまっていた。寄付を頂いた皆さまには申し訳なく、監督責任を感じている」と話した。

【私の論評】戦後保守の終わりの始まりか?田母神氏と、水島氏の両氏にみる現代人に必要不可欠な"虚実皮膜の間"の真実(゚д゚)!

上記の出来事については、様々な方面で波紋を呼んています。まずは、水島氏が動画でこの件について語っています。その動画を以下に掲載します。


この動画の説明は、以下の様ものです。

本日、政治資金の使い込みが発覚した田母神俊雄事務所が釈明の記者会見を行いましたが­、残念な事に、この期に及んで嘘と保身と責任転嫁の姿勢が露わになりました。記者会見­の模様を逐次振り返りながら、彼等がどんな嘘をついて事件を糊塗したのか、水島より具­体的に指摘させて頂きます。

さて、この動画の内容、まだ真偽ははっきりしません。しかし、いずれこの問題は明らかになっていくものと思います。新聞やテレビでどの程度報道されるかは、わかりませんが、おそらく週刊文春あたりで明るみに出ると思います。

以下に、会見の模様のみまとめておきます。
19日午前、田母神俊雄氏が会見し、政治資金の一部が使途不明になっていると報じられたことについて説明を行った。 「選挙が初めてだったので、通帳も印鑑もカードも渡しっぱなしにしていた。うかつだった。」「ご心配をおかけし、ご寄付いただいた皆様にも申し訳なく思っています」と陳謝した。

田母神氏によると、団体「田母神としおの会」(都知事選後「東京を守り育てる都民の会」から名称変更)の会計責任者が、資金を赤坂のクラブなどで私的に使い込んでいたことを認めたという。具体的な金額については現在調査を進めているとしたが、田母神氏は「3000万円から4000万円程度使い込んでいるのではないか」とした。

昨年2月の都知事選時点では、供託金や寄付金などを合わせ約1億3500万円の資金があり、12月の衆院選後もなお残ると考えていたというが、支払いの遅滞が発覚。田母神氏本人が弁済する状況になったため、今年に入って会計責任者を問い詰めたところ、使い込みを自白したという。使途については、「 選挙で不正に使われたことは無いと思っている。生活費や遊興費に使われた」と述べた。

会計責任者に対し、田母神氏は「かわいそうだから名前は調べたらわかると思いますので控えせていただきます」としながらも、「本人の証文も取っており、一部は弁済をし、残りはこれから弁済をしていくとしているが、弁済ができないと思われる場合には刑事告訴をせざるを得ない」とした。

今後の政治活動については、「私にとって大変な問題。ショックですけれども、潰れないように早く処置を終えて、なんとか来年の参議院を目指して頑張りたい」とコメントした。

今回の会見は、ネット番組「チャンネル桜」(2月17日放送分)で「頑張れ日本!全国行動委員会」の水島総会長が指摘したこともきっかけの一つ。都知事選では支援を受けていた水島氏について問われると、田母神氏は「信義違反だと感じている。都知事選では私が彼の手のひらの上で踊るということになっていたが、だんだん私が彼の言うとおりにならないということになり、あまりいい感情をもっていなかったのではないか。都知事選後の活動についてもこき下ろされた。ずいぶんひどいことをするなと感じていた」とコメントした
さて、いずれに転んだとしても、水島総氏の田母神氏の見方、田母神氏の自分の会計責任者に対する見方など、人物の見方について問題がありそうです。水島氏は、田母神氏を大嘘つきと語っていますが、ではなぜそのような大嘘つきの人物の選挙応援をしたのか、それも遠い過去のことではなく、つい最近のことです。選挙が終わった途端、田母神氏が大嘘つきに突然変身するというのは、考えられないことです。これも本当に疑問です。

私は、もともと田母神氏は、政治家向きの人ではないと思っていました。無論言論人としての田母神氏を否定するつもりは毛頭ありません。現在の日本において、一定の役割を果たしているということでは、敬意を払っています。しかし、政治と言論活動は別物です。

次世代の党に関しては、期待感はあったのですが、何というか、経済政策に関してはかなり理解し難い内容のものだったので、次世代の党には経済通はいないと思います。長くデフレの続き、塗炭の苦しみを味わった多くの国民が存在する今の日本では、国民の関心事からいえば、経済であって、天下・国家論は二の次だと思います。

しかし、次世代の党は、天下・国家論を中心に訴え、経済に関しては明確な路線の打ち出しが足りなかったように思います。私としては、次世代の党の知名度が足りなかったことと、経済対策の軽視が、大きな敗因だったと思います。

政治家にとって、一番大切なのは金庫番です。金庫番が駄目だと、政治資金規正法や選挙違反で足元すくわれることになります。だから、金庫番は最も信頼できる人をあてなくてはいけないです。金庫番の人は、不適切な人物を排除する意味でも重要なはずです。しかし、田母神氏がこのようなことができなかったということで、今回の事件は、やはり政治家向きではないということの査証になったのではないかと思います。

こういう話題になると、私は「虚実皮膜の間」という言葉を思い出します。これは、原典は詳しくは知りませんが、もともとは芸は実と虚の境の微妙なところにあることを指し。事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論です。江戸時代、近松門左衛門が唱えたとされる芸術論だそうです。

近松門左衛門の肖像

そこから発展して、現在では、「虚実」はうそとまこと。虚構と事実。「皮膜」は皮膚と粘膜。転じて、区別できないほどの微妙な違いのたとえとされています。「膜」は「にく」とも読みます。

この言葉、非常に含蓄があるもので、現在正しいとされていることであっても、条件や状況が変われば、正しいとはいえない場合もおうおうにしてあります。だから、「これが絶対に何が何でも正しい」などということは、この社会ではあり得ません。

これは、企業などの組織の中でも同じことです。会社の中で職位が何であれ、私たちは、組織の中で一人ひとりが独立していなければなりません。自分の足で立っていなければなりません。自分の考えを持たなければなりません。しかし会社組織には、多数決という考え方がないことも事実です。責任範囲の狭い人と、責任の範囲の広い人の考え方が最終的に異なった場合、どんなに反対者が多くても、責任範囲の広い人である職位の高い人の意見が優先するのは言うまでもありません。

ただし、だからといって組織人として、自分の意見がないということも許されるものではありません。だから、上司を信じることは良いのですが、上司に頼りすぎるのも良くありません。また、部下をみる場合には、性善説でみる場合と、性悪説で見る場合とを臨機応変に変えていかなければなりません。性悪説でのみ部下と接すれば、そこには信頼関係がなくなります。そのような見方だけをする上司には、部下は誰もついていきません。

かといって、性善説だけで見れば、管理上のリスクが常について回ることになります。時と場合によって、臨機応変に変えなければなりません。片方の見方しかできないようであれば、管理者失格です。管理者や経営者の立場においては、いずれの立場からでも見られるようにしておかなければなりません。

だから、組織人は、組織と個、善と悪に関して、いつもこれらのバランスを図っていく必要があります。そうして、虚実皮膜の間という言葉どおりに、場合によっては個と組織、性悪説と性善説の間を揺れ動きつつ、その場、その場で判断をしていく必要があります。どんな場合にも、全体のためだけとか、個のためだけということはあり得ず、絶対善、絶対悪もないわけで、このバランスをとるという意味合いもこめて、私は「虚実皮膜の間」という言葉を座右の銘の一つとしています。



私は、組織や人を見るときにはいつもこのように見るようにしています。これは、組織人にとっては必要な視点です。これができないような人は、人を管理する立場にたったり、ましてや経営者や政治家などの重要なポストについてはいけません。

現代は組織の時代ですから、このような資質にかけた人は、社会人としても未熟だということです。

このような見方を常にこころがけて、絶対善、絶対悪などということはあり得ないということをいつも念頭においていれば、水島氏のように人を見限ぎらざるをえないとか、田母神氏のように人に裏切られるとなどということになってしまうことの確率をかなり低減することができると思います。

これができない人は、いつも人を見限り続けるか、人に裏切られ続けることになります。

現状を振り返ってみると、左右上下問わず、このような見方のできる人が戦後日本、特にここ最近は減っているように思われます。これについては、現在ではとても革新などとは呼べない、戦後体制利得にしがみついているいわゆる左派という人たちに顕著でしたが、この田母神騒動をみていると、右派といわれる人たちも例外ではないと思えてきます。

戦後70年の本年、長期にわたって継続されてきた異常ともいえる戦後体制下において長い間築かれてきたいわゆる戦後革新派が、革新などとは呼べなくなり、とうの昔に堕落してしまいましたが、戦後保守にも制度疲労が発生し、再編する必要があるのではないかと思います。

日本の古来からある伝統を引き継ぎつつ、「虚実皮膜の間」を理解しつつ、現在の変化に柔軟に対応し続けることのできる新たな保守の確立が急務だと思います。そうして、今の日本、幸いなことに若い世代の人々にそれを期待できそうです。

私はそう思います。皆さんは、どう思いますか?

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