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2012年11月18日日曜日

「存在に値する」会社の必要条件は何か? それは過去を健全に否定し、世の中に新しい価値を送り出し続ける「起業家精神」だ!―【私の論評】顧客価値の創造をすることが「存在に値する」会社の必要条件であることは、間違いないが、今の経済状況は、十分条件を満たしてはいない!!

「存在に値する」会社の必要条件は何か? それは過去を健全に否定し、世の中に新しい価値を送り出し続ける「起業家精神」だ!:

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[ 井上久男「ニュースの深層」 ]

「存在に値する」会社の必要条件は何か? それは過去を健全に否定し、世の中に新しい価値を送り出し続ける「起業家精神」だ! 

雑誌でも紹介された日本家電メーカーの危機
[井上 久男]

本コラムでは2回連続でパナソニックやシャープの大赤字と経営責任の話を書いた。「もっと厳しく書け」「批判して書き過ぎだ」といった声が読者や知人から寄せられた。物書きである以上、自分が書いたことに様々な批評が加えられるのは当然であると思っているし、耳を傾けるものもあれば、無視するものもある。

【私の論評】顧客価値の創造をすることが「存在に値する」会社の必要条件であることは、間違いないが、今の経済状況は、十分条件を満たしてはいない!!

私のは、上記の記事の論考に関しては、ある条件を満たせば、諸手をあげて賛成したいところですが、その条件をみたしていないので全面的に賛成はできません。上記では、「存在に値する」会社の必要条件という言い方をし、その必要条件は、"過去を健全に否定し、世の中に新しい価値を送り出し続ける「起業家精神」である"としています。これは、必要条件としては、正しいと思いますが、十分条件は、満たしてはいないと思います。



さて、必要条件と十分条件とは、そもそもは、数学で用いられる用語であり、日本の教育では、中学校で教えられるものです。私の論考を正しく把握していただくため、ここで、このことについて若干説明させていただきます。これに関しては、私のつたない説明よりも、佐藤 信正(さとう・のぶまさ)氏の素晴らしい論考がありますので、以下では、それを参照させていただきます。必要条件、十分条件に関して、ご存知のかたは、これは、読み飛ばしていただいて結構です。
数学では、命題「p⇒q(pならばq)」が真である時、「pはqであるための十分条件」であり、「qはpであるための必要条件」であると定義されます。これだけだと、あまりにそっけないので、実用的な例をあげてみます。

事例1.

「自動車を走らせるにはガソリンを入れておく必要がある」ですから、「ガソリンを入れておくこと」は「自動車を走らせること」の必要条件です。しかし、ガソリンを入れただけでは自動車は走らせることはできない場合もあります。ほかにも「ドライバーがいて、そのドライバーが免許証を持っている」といった必要条件もあります。厳密に調べれば、他にもあるかもしれません。こうした必要条件をいくつか集めると自動車を走らせるのに十分な条件になります。必要条件が一定数集まると十分条件になり、自動車を走らせることができます。ただしこの命題、後にも述べますが、命題そのものが意味不明なところがあります。

事例2.

学校で、教える教科が、6教科があり、その内の4教科が合格点になると卒業できるとしましょう。さて、卒業できるための必要条件は何でしようか? 
「6教科があり、その内の4教科が合格点になると卒業できる」。この状況の必要条件を、「4教科が合格点に達すること」と答える人は意外と多いのではないかと思います。しかし、これは「必要十分条件」です。 
必要条件(necessary condition)とは「欠かしてはいけない条件」という意味です。もとはラテン語で、Sine qua non(シーネ・クァ・ノン:ありえないことなしに)と言い、そのまま、"A sense of humour is a sine qua non.(ユーモアのセンスは不可欠)"と英語でも使えます。 
だから、1教科でも合格することは必要条件になります。3科目合格も必要条件であります。4科目だと必要十分条件になり、5科目合格は昇給に十分な条件なので十分条件(sufficient condition)になります。6科目合格も十分条件です。 
必要条件、十分条件の考えかたは、数学のみではなく、普段ものを考える上でも重要です。特に、調査や企画の過程においては、重要です。必要条件を満たしていても、十分条件を満たしていなくて、十分な調査にならないとか、企画を実行に移して失敗することは、良くあることです。 
ところで、上の事例1の命題が意味不明になってしまったのはなぜでしょうか?これは、真とする命題がよくなかったのです。真とすべき命題は、「自動車が走っているならば、ガソリンが自動車に入っている」とすべきだったのです。 
こんなことは当たり前の真ん中であり、考えてもせんないことだと思われるむきもあるかもしれませんが、、論理というのはそれだけでは新しい情報をもたらすものではないし、時間的な推移も表現しません。論理は、着想の道具ではなく、思考を点検するための道具とみるべきです。
さて、こうした観点から、上の記事のそもそもの命題はどんなものかといえば、"過去を健全に否定し、世の中に新しい価値を送り出し続ける「起業家精神」のある企業は、「存在に値する」"というものです。こうやってみると、確かに必要条件は完璧に満たしています。しかし、十分条件はいかがなものでしょうか。

この場合十分条件は、"「存在に値する企業」は、「過去を健全に否定し、世の中に新しい価値を送り出し続ける「起業家精神」のある企業である"ということになります。これは、いかがなものでしょうか?いつの世でも起業家精神溢れる企業とは少数派だと思います。少数派だからこそ、価値があります。それに程度問題ということもあります。それに、たとえば、上の記事で、ファブレス企業(生産設備を持たない企業)のことを言っていますが、すべての製造業がファブレスになった場合、日本国内では、何も製造できず、製品はすべて外国から輸入しなければならないことになります。


そういうことで、本当に良いのでしょうか?製造ラインがすべて外国に行ったとすれば、そもそも、製造業での雇用は激減します。それに、日本の製造業の強みは、元々トヨタ方式などを筆頭にして、現場からの発想が多かったと思います。こういうものも、過去を健全に否定し、世の中に新しい価値を送り出し続けるため、割り切って捨て去るべきなのでしょうか?私自身は、これから車を作るという産業も変わってくるので、何もトヨタ方式など、現場主義をそのまま何も変えずに温存しろというつもりはありません。

しかし、現場主義は、何も車を生産するにおいて、顧客など完全に無視して、現場だけの発想でやれということではなく、その根底には間違いなく顧客主義があると思います。だから、現場主義の良いところは残すべきと思います。ただし、現場主義などといっても、多くの人が曲解しているところがあります。正しい意味での、現場主義です。それに関しては、以前このブログにも掲載しましたので、ここでは、詳細を説明することはしません。以下にその記事のURLをコピペしておきます。詳細を知りたい方は、これをご覧ください。

「怒鳴っても人間は変わらない!」史上最悪の工場を変えたシンプルな教え―【私の論評】同じような問題が何度も繰り返し起こる場合は、最早人の問題ではなく、システムの問題である!!

そうして、今後、車作りに限らず、製造業そのものが変わってくることが指摘されてます。それに関しては、クリス・アンダーソン氏の新作『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』という著書をご覧いただければ良く理解できます。アンダーソン氏は、最近では、ネットワークに結合した、CADそれに、3Dプリンターがあるので、メイカーズと呼ばれる家内工業に毛が生えたような、地域の小規模製造業者が、自ら試作を行い、大量生産は、外注することにより、年間数百台も車をつくれば、十分に採算のたつ時代がくるし、日本では、地域に様々な技術や、技能が眠っているので、日本の製造業の再起動する可能性が高いというのです。

すでにメイカーズと呼ばれる人々がとてつもないものを作り始めている

もし、そのような時代が来たとしても、メイカーズの現場主義にトヨタ方式はかなり役立つものと思います。それに、メイカーズが台頭したとしても、メイカーズの大量生産に柔軟に対応できる製造業も必要不可欠です。特に技術水準が高まれば、コミュニケーションの問題もありねすべて外国の製造業を利用するというわけにはいかないと思います。

それから、現在の日本の上場会社でも、そのうち半分は成長企業です。それは、以前にもこのブログに掲載しました。

上場会社の半分はダメ会社だけど、半分は成長企業だって知ってますか?「日本の未来が暗いからぼくの未来もお先真っ暗」なんて発想は大間違いだ!−【私の論評】日本駄目論に惑わされるな!!日本の未来は明るい!!

この記事をご覧いただければ、上場企業の半分は、成長企業です。ただし、これらの企業は新たな市場に向けに新たな新製商品やサービスを提供している会社がほとんどです。既存の市場で勝負しているところは、ほとんどないです。
日本でも成長企業への労働力の移動がはじまっている

それに、最近では、デフレの最中にあっても、ずっと業績を伸ばしてきた、あのマクドナルドでさえ、業績を落としています。マックの原田会長は、カウンターメニューの取り扱いや、新商品に拘りすぎたことを原因にあげていますが、私は、景気指標が今年の9月あたりから下がっていることから、やはり、長引くデフレへの対応がマックですら限界にきていることを示しているのだと思います。

これに関しては、以前にもこのブログで掲載していますので、そのURLを以下に掲載します。

マック、崩れた「勝利の方程式」:日経ビジネスオンライン―【私の論評】民間のデフレ対策もそろそろ限界、潔さではどうにもならない状況に!!

詳細は、上の記事をご覧いただくものとし、現在の日本は、デフレ傾向になってからは、20年、統計上で誰もが認めざるを得ない完璧なデフレになってからは、14年目です。それに、デフレに伴う、強烈な円高です。このような状況では、まともな企業でも、維持するのが精一杯で、業績を伸ばすなどということはほとんど不可能です。そうして、デフレの原因は、政府(財務省)による緊縮財政、日銀による金融引き締めです。しかし、多くの企業経営者、特に大企業の経営者などは、財務省や、日銀に対してほとんど、批判することもなく、環境の悪さにもめげず、いじましく頑張っています。

 

これは、アメリカ企業などとは、対照的です。ビッグスリー(アメリカの三台自動車メーカー)など、すぐに、政府やFRB批判をします。なんだ、こいつら、こんなことまで、政府やFRBのせいにするのかと思ってしまうくらい、すぐに批判をします。こんな姿勢だからこそ、いっとき窮地に陥ったのだと思います。たとえば、ビッグスリーは、TPPに猛反対です。TPPが批准されると、日本車に関税がかからなくなり、自分たちが脅かされることを懸念してのことです。また、日本の軽自動車の国内規格について、やり玉にあげていました。なにやら、自分たちは、日本の商慣行にはあわせる必要はなく、自分たちの規格を押し通そうとしているようにしか見えませんでした。外国のやりかたまで、批判するんですね。日本では、考えられないことです。日本では、詳しい年月日は、忘れましたが、昔アメリカ政府が厳しい排ガス規制をだしたところ、あまりの厳しさにビッグスリーは、自分たちですら、困難なので、他の国のメーカーもできないだろうと、たかをくくっていたところ、トヨタがいちはやく達成したので、大慌てしたなどという話もあります。


しかし、今の日本のデフレ・円高状況は、古今東西に例をみないほど異常です。日本の主だった経営者たちも、経済が正常な範囲での落ち込みであれば、それを批判すべきではありませんが、現状の異常状況では、徹底的に批判すべきと思います。このような普段しないことをすれば、多くの人々も今が、けして正常ではなく、異常中に異常であることに気付くはずです。そうして、良い世論形成の端緒ともなると思います。

そうして、上の記事での命題の設定の仕方は、"ある企業が、今まで存在し続け、これからも存在し続けそうならば、そうして、実体経済がまともであれば、その企業は過去を健全に否定し、世の中に新しい価値を送り出し続ける「起業家精神」のある企業である確率が高い"などとすべきだったと思います。これなら、全く矛盾はありません。そうして、実体経済がまともという意味は、景気は、循環するものであり、悪いときも良いときもあります。しかし、20年間デフレが続くということは、古今東西に例をみないほど、異常なことです。この異常を抜きに命題をたてれば、必要条件は満たすかもしれませんが、十分条件は満たせません。

それに、新しい価値を届け続ける企業だけが、存在価値があるということはないです。昔からあるスーパー、私達が慣れ親しんた、マクドナルド、ケンタッキー、コンビニ、牛丼チエーンとか、それに古くからある老舗の商店、飲食店、旅館などがすべてなくなって、新しいものに置き換わってしまったとしたらどうしますか。あるいは、消えはしなくても、いわゆる老舗が全部新しい商品・サービスになって、昔からの良さが全くなくなってしまったらどうしますか?私は、そんな日本は嫌です。無論、古くからあるところでも、商売のやり方を頑なに全く全部変えないというのなら、失格ですが、現在にあわせながらも、基本は昔のままほとんど変えないというやり方は、今でも十分通用すると思います。それに、日本は、世界で最も老舗の多い国でもあります。

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日本最古の企業金剛社の本部
そもそも、人間は、長くても100年未満しか生きないわけですから、いくらITが発達したといえ、全人生で直接経験できることも、限られています。人間の根本的な考え方や情念は、昔も今も変わりないと思います。昔と、現在の違いは、技術や、素材の進歩によるものが大きく、それ以外の日本人の心や、考え方は、昔とそう変わっているわけではありません。それは、万葉集などの歌を読んでみると良く理解できます。万葉の心は、今でも本人が気づいているいないにかかわらず、多くの日本人の心に息づいています。こうした企業や老舗がある一方で、新しい価値を届け続ける企業があるというのが、まともな世界なのではないかと思います。全部が新しい価値を届けるというのなら、それが、当たり前になってしまい、新しさといことも識別することも、理解もできなくなります。

うなぎの老舗「辻屋」
シャープだって、パナソニック、トヨタ、ソニーだって、あのエルピーダさえ、この異常なデフレ・円高の最中では、最初から手枷、足枷をして、勝負に挑んでいるようなものです。経営者だって、神様ではないので、いつも正しいとはいえず、間違えることもあります。いつも間違えないことにだけ気を配るような経営者など信頼に値しません。経営の失敗や、成功は、野球にたとえれば、打率のようなものであると思います。そもそも、失敗しないことだけを考えるような輩は信用できず、経営者に限らず、単なる臆病者です。これらの企業だって、日本がこれだけ異常なデフレ・円高の状況になければ、もっとまともな経営ができたと思います。

手かせ足かせでは、身動きもとれない
このデフレ状況は、すぐに改善すべきです。また、既存の企業でも、よほどやり方が古くて、時代遅れでない限り維持していける、努力次第では少しずつでも発展していけるという経済状況が普通なのであって、このような企業も存在しなければ、新しい企業の魅力も発揮できません。今は完璧に異常です。この異常な状況を語ることなく、一方的に経営者の責任だけを追求するのは、バランス感覚に欠けると思います。これらの企業だって、景気が落ち込んでいたとしても、これほど酷いデフレではなくまともな経済環境にあれば、失敗してもさほどではなかったろうし、そもそも、違った道を選択していたかもしれません。

しかし、私は、上の記事の作者を全面否定するというわけではなく、言いたいことは、良く理解できます。企業の経営者が、起業家的でなければならないということには、大賛成です。この作者は、文末にドラッカー氏のことを引用しています。私も以下に起業家精神についてドラッカーの言葉を引用します。

起業家、デザイナーでもあるキム・カーダシャン、起業家であるばかりでなく、見事な容姿!

起業家精神の原理は変化を当然のこととする行動であり姿勢である

起業家精神とは、個人であれ組織であれ、独特の特性をもつ何かである。気質ではない。実際のところ私は、いろいろな気質の人たちが、企業家的な挑戦を見事に成功させるのを見てきた。(ドラッカー名著集(5)『イノベーションと企業家精神』)
 企業家精神というと、100人に1人が持つという感覚である。100人に1人の気質、100人に1人の才能としかねない。ドラッカーは、そこがそもそもの間違いだという。それは、気質でも才能でもない。
 ただし、一つだけ企業家精神に向かない気質がある。確実性を旨とする気質である。それはそれで立派な気質だが、企業家には向かないという。
 しかし、意思決定を行なうことができるならば、学習を通して、企業家として企業家的に行動することができるようになる。企業家精神とは、気質ではなく、行動であり、同時に姿勢だからである。
 イノベーションは、才能とも関係がない。企業家精神の才能などはなく、方法論が必要なだけなのである。それが今、ようやく各所で開発中である。
ドラッカーは、起業家精神はインスピレーションとも、ほとんどあるいはまったく関係ないといいます。逆にそれは、厳しく、組織的な作業でもあります。

企業家に天才的なひらめきがあるというのは、神話にすぎません。ドラッカー自身、60年以上にわたっていろいろな起業家と仕事をしてきて、ベンチャーを立ち上げた人もいれば、社内起業家もいとしています。どの人も働き者だったといいます。しかし、天才的なひらめきを当てにするような人は、ひらめきのように消えていったといいます。

イノベーションは、変化を利用することによって成功するのであって、変化をもたらそうとすることによって成功するのではありません。

ということは、イノベーションとは、変化を当然のこととして受け止めることです。古から、諸行無常を旨とする日本人にとっては、良く馴染む考え方です。
本人が自覚しているか否かにかかわらず、あらゆる仕事が原理にもとづく。企業家精神も原理にもとづく。企業家精神の原理とは、変化を当然のこととすることである」(『イノベーションと企業家精神』)
起業家の中には、セクシーな人も!!?
こうして、ドラッカー氏のこの主張は、いつの時代であろと変わらないと思います。そうして、ドラッカー氏は、企業の目的は、「顧客の創造」としていますから、ただ変化すれば良いのではなく、無論顧客価値創造をすることを旨としていることは、いうまでもありません。顧客価値ということになれば、新しいもの、古いものもあり、古いものがリバイバルしたりすることもあり、全部新しいことということにはなりません。結局、自分の顧客、あるいは潜在顧客に対して価値を提供し続けることができれば、それで良いということです。本質的には、新しさ、古さなど関係ないのです。古いものでも、今の顧客が求める物やサービスも多いのです。そうして、これは、起業家的な企業が成長している一方で、特に日本では150年以上も、続いている老舗企業が世界で一番多く存在しているということで、十分査証されていると思います。それにそんな企業は、数は日本よりは少ないですが、外国にも存在しています。

リーバイスのジーンズは、デザイン・製法とも創業以来あまり変わっていない!!
私は、日本の企業が、古今東西に例をみない、デフレ・円高の中では、不平もいわず、頑張っているほうだと思います。そうして、現在業績を落としている企業の中にも、次の飛躍に向かって、身をかがめている企業も相当数あると思います。それは、人間が跳躍するときに、一旦身をかがめないと、大きな跳躍ができないのと同じことだと思います。このデフレ状況は、次の選挙で新たな政党が、政権の座につき、新たな経済対策をすれば、克服される確率が高いです。実際為替市場は、安倍総裁が、日銀インフレ目標3%、日銀法を改正について、言及した直後野田首相が、解散の旨を党首討論で発表した直後から円安傾向にあります。私は、デフレ状況が克服されれば、多くの企業が大きな跳躍して、世界に範を示すことになると思います。そうして、日本そのものが、再起動して、世界のトップリーダーになると確信しています。為替市場は、そのような期待感だけで、円安に振れているのだと思います。


現在の政権やその政権からあたかも独立しているように思い込んで我が世の春を謳歌しているようにみえる日銀や、日本を貶めて異国の為政者たちに力を貸すものどもも、所詮歴史の悠久の流れの中に咲いた一時の徒花に過ぎません。現在の古今東西にみない、異常なデフ・円高、それに、1,000年に一度の震災や津波、原発事故でさえ、悠久の歴史を持つ我が国の歴史からみれば、ほんの一時のことに過ぎません。朝廷をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化、それに勤勉で実直な国民性は、古から今に至るまで、継承されてきましたが、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増すことでしょう。そうして、こうした勤勉と実直さを強く継承してきた東日本の人々も近いうちに、復興をなしとげ、悠久の歴史の中で共に燦然と輝くことになることでしょう。このような国日本が、次なる大飛躍をせず、そのまま萎んでいくことなど考えられません。皆さん、次の飛躍に備えましょう!!その日は近いです!!





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