モーヘン・ナオレム氏 |
アサダ演じる、大阪府箕面市のモデル、浅田結有(ゆう)さん(23) |
インド人の手でこうした映画が制作されるのは初めてで、撮影は9~10月ごろに始めるという。
日本軍は1944年のインパール作戦で、連合国側の中国への補給路を断とうとしたが、無謀な計画のために敗れ、多くの戦死者を出した。
現地で取材中のナオレム氏は産経新聞の取材に「マニプール州の人々には日本人とともに戦った記憶がある。日本は今も多彩な援助をしてくれており、日本人に親愛の情を示したいと思っていた」と答えた。
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【私の論評】正しい歴史観を反映した映画とみた!!
補給を無視し兵を全滅させた牟田口の責任は重い。のめのめと
帰国し自己弁護し余生を全うした許せないやつだ。自決して、
死んだ兵隊達にお詫びをするのが最高指揮官のとる道であった。
上の記事の「気品にあふれた真の日本兵の姿を伝え、現地の人々の記憶に残るエピソードを紹介したい」という言葉素晴らしいと思います。 意外とこのような映画、現代日本人が作成するより、中立的な立場のインド人監督などが作成したほうが良いかもしれません。
現在インド映画の興隆はすばらしいです。水準的には、従来は遅れていたとこもありますが、今では、他先進国の水準にと同水準だと思います。とにかく、元気があるところが、素晴らしいです。今回、このような映画が作成される運びとなったことは、誠に喜ばしいとともに、インド人から見た日本兵ということで、非常に興味があります。
インパール作戦そのものに関しては、他のサイトでも掲載されているので、そちらを参照してください。この作戦は、最初から無謀な作戦だったことが指摘されていて、そのため、多くの日本兵が犠牲となりました。それも、戦闘による死亡者よりも、餓死、病死者のほうが多かったと伝えられています。
私は、昔、病院に入院したときに、同じ病室の患者さんで、たまたま、このインパール作戦に従軍した人の話しをうかがったことがあります。当時は、トラックの運転手をしていたそうで、昼間移動すると、必ず連合軍の航空機に爆撃されるので、夜間に走行したことを聴いたことがあります。
上記の記事には、「ニプール州の人々には日本人とともに戦った記憶がある」とししていますが、これは、事実です。このインパール作戦は、当時インド国民軍というインドの部隊とともに、日本軍が戦っています。インド国民軍の概要を以下にインド国民軍の勇姿とともに、掲載しておきます。
インド国民軍(インドこくみんぐん、Indian National Army、略号:INA)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中に日本軍の支援によって設けられた、英印軍の捕虜の転向者を中心としたインド人部隊。
当初は日本軍がマレー作戦を優勢に進めるための補助戦力としてゲリラ部隊的な色彩も強かったが、インド独立運動の英雄の1人であるスバス・チャンドラ・ボースが来日し、イギリス領インド進攻作戦が具体的に検討され始めてから次第に重装備化され、本格的な軍隊となった(現地で工作に当たったF機関はインド独立を本気で考えていたが、大本営の南方作戦には当初はインド攻略が含まれていなかった)
インド国民軍は元捕虜だけでなく、東南アジア在住インド人からも志願者を募ったため、総兵力は約45,000人に達した。そして1944年にはビルマに移動し、「自由インド」「インド解放」をスローガンに、日本軍とともにインパール作戦に参加した。
インパール作戦で当初日本軍はアッサム州(現・ナガランド州)のコヒマを占領し、一旦はインパールに迫るなど進軍を続けた。イギリス第14軍は日本軍の攻撃が始まるとアキャブ方面の第15軍団から2個師団をインパール、ディマプールに抽出し、第33軍団からも第2イギリス師団、第50インド戦車旅団、第14軍予備の第254インド戦車旅団の投入を処置した。同時に第4軍団にはインパールへ後退を命じたが、同軍団の第17師団は日本軍第33師団に退路を断たれて動けず、第50降下旅団はサンジャックで第31師団宮崎支隊に包囲された。マウントバッテン総司令官は3月25日には、戦局不利を認め、ロンドンの統合参謀本部に増援部隊の派遣を要請している。
だが、イギリス軍は当初から日本軍をインパールにひきつけて、補給線が延びきったところを攻撃する計画であり、実際に日本軍は食料や弾薬の補給が続かなかった上に、アメリカから供与された強力な火器を装備するイギリス軍の総反撃を受けて最終的には大敗北を喫した。インパール作戦に参加したインド国民軍は6000人、そのうちチンドウィン川まで到達できたのは2600人(要入院患者2000人)で、その後戦死400人、餓死および戦病死1500人の損害を受けて壊滅している。
この作戦は、制空権もない上に補給・兵站の問題を極端に軽視しており、軍内部でも反対論が続出するほどの完全に無謀な作戦であったが、チャンドラ・ボースは「インド独立の絶好の機会」としてその決定を喜んだ。チャンドラ・ボースは、自らがインド領内に進撃すれば、必ずインド人民が決起すると信じていたのである。実際、かつて日本を厳しく非難してきたマハトマ・ガンディーは、日本軍がビルマへ侵入した辺りから、急に日本寄りの発言を繰り返すようになっていた。
インド国民軍がのっているトラックを先導する、日本軍の装甲車 |
これについては、非暴力主義者であるガンディー(彼は英仏に対してドイツの侵攻にも非暴力で対応することを求めていた)は、マレーやビルマのようにインドが日英の戦場となりイギリス軍が敗退して日本の占領下となることを恐れて、独立達成後は日本と講和することを考えていたともいわれる。日本軍が、チャンドラ・ボースの主張(1943年7月29日のビルマ方面軍の河辺正三司令官への発言)通りに進攻先を彼の故郷のベンガル地方にするか、インド内での宣伝工作をもっと徹底して実施していれば、インド進攻作戦の結果はまた違ったものになっていたかもしれないという意見もある。
チャンドラ・ボースの率いるインド国民軍の出現と、彼らがインド解放を目指して実際にインド領内への進撃を開始した事は、インド独立運動の拡大に大きな影響を与え、1857年のインド大反乱(セポイの乱)を第一次インド独立戦争とする立場からは、インド国民軍の戦いは第二次インド独立戦争と呼ばれている。
インド国民軍は、その後もイラワジ会戦等で日本軍とともにイギリス軍と戦って敗退したが、アウン・サン率いるビルマ国軍が日本軍から離反すると、日本軍と共にビルマからタイに撤退し、そこで第二次世界大戦の終戦を迎え、インド国民軍はイギリス軍に降伏した。チャンドラ・ボースは、次はソビエト連邦の支援によってインド独立を目指そうとしたが、日本経由でソビエト連邦へ向かうべく移動中に台北で飛行機事故にあい死亡。なおビハーリ・ボースも終戦に先立つ1945年1月21日に日本で客死した。
インドのオールドデリー市街、チャンドラ・ボース公園の 「インド独立義勇軍(INA)と日本兵たち」の像(日の丸に注目)。 日本兵はインド兵と共に戦い、それがインド独立の基礎となった。 |
このような背景から、インド人はかなり親日的です。勝者が、敗者を一方的に裁くという、とんでもない、今からすれば、間違いなく、国際法に違反した犯罪行為である、極東軍事裁判においては、被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」で知られています。
日本が、大東亜戦争をしたことによって、日本は負けましたしたが、日本が理想とする、独立するアジアという理念は、達成され、そうした面では、私は、日本は大東亜戦争の理想を完遂したものと、信じて疑いません。
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これを査証するものとして、以下に"APECに受け継がれる「大東亜共同宣言」の理想"を掲載します。
昭和18(1943)年11月に発せられた大東亜共同宣言には、
「大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を英米の桎梏(しっこく)より解放して其の自存自衛を全(まっと)うし左(ここでは下の事です。)の綱領に基づき大東亜を建設し以って世界平和の確立に寄与せんことを期す」
とあります。
すなわちアジア全体が植民地から解放され、自存自衛を果たすことによって世界平和に寄与することを目指したのです。
そのために次のような綱領が掲げられましたた。(ここでは5つの綱領の内3つを掲げる)
このような日本の理想の基に大東亜の戦いを遂行したのですが、平成5(1993)年秋のAPECのシアトル会議で採択された「アジア・太平洋経済協力貿易・投資枠組み宣言」の中には次のことが明記されました。
一、 大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す 一、 大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦(ごじょとんぼく)の実を挙げ大東亜の親和を確立す 一、 大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す
これらの内容は、まさに我が国が大東亜共同宣言において示した、アジア諸国がお互いの自主独立を尊重しながら、かつ互恵の精神で緊密な協力の下に経済的発展を実現し世界に寄与するとの理想をそのまま受け継いでいると言えます。
一、 アジア・太平洋地域の開かれた地域主義と市場経済に基づく相互依存関係の一層の発展に努力する。 一、 各国の発展的段階や社会政治体制の相違を認識するとともに、途上国の要望にも十分配慮する。 一、 世界の貿易・投資に関し、APECが活力ある相互依存のビジョンを示し、域内の相互利益を代表することを、世界に示す。
大東亜戦争において掲げられた理想は半世紀を経て実現化の大きな一歩を踏み出し始めようとしていると言っても過言ではありません。
大東亜戦争における英霊の輝かしい行為がアジアを世界の中心舞台に登場させ、21世紀を主導する力を与えようとしているのです。
大東亜戦争を侵略戦争として断罪し、他国に謝罪することによって国際協力を果たそうとするのか、あるいは大東亜戦争の果たした役割と意味に誇りを持ち、歴史の継承から世界に貢献しようとするかは、同じ世界への寄与でも全く違ってきます。
未だ世界には、大国によって植民地化されている国や地域、また大国によって圧政をうけ、事実上植民地主義の犠牲となっている国や地域が数多くあります。
それらを解決する為に国力を傾けることこそ、世界平和に貢献する道ですが、そのことを遂行する力の源泉は前者からは決して生まれず、後者によって初めて生まれることを私達は知らなければなりません。
その誓いこそが、大東亜戦争の終結から70年を経ようとしている今日において重要なことではないでしょうか。
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中国だって、韓国、北朝鮮にしても、日本が戦争をしロシア、アメリカなどの圧力を跳ね返したため、独立できたという経緯があるにもかかわらず、こうした恩も忘れ、日本が、これらの国に対して侵略戦争をしたなどと、馬鹿な妄想をまき散らしています。韓国、北朝鮮は、ロシアの属国になるところを、当時の朝鮮王朝が自ら望んで、日本国の保護国になったという経緯をすっかり歴史の闇に葬って、あたかも、日本がこれらの国に対して、侵略戦争をしかけて、蹂躙したかのような、出来の悪い、空想科学小説以下の筋書きで、自国民などを扇動しています。
扇動の実態として、以下に動画を掲載しましたが、掲載されている写真が、あまりにグロいので、グロ写真を見たくない人は見ないでください。また、食直前、食直後の方も控えたほうが、よろしいと思います。しかし、ここまでして、捏造したいという中国の意図は感じていただきたいものと思い、敢えて掲載させていただきました。世の中、奇麗事だけですめば、非常に良いのですが、そうはいかない現実世界を認識していただきたいものです。
中国など、たとえば、南京虐殺などという馬鹿げた話を捏造して、自国民を扇動しています。これによって、建国以来毎年平均2万件もの暴動を発生させている、国民の憤怒のマグマをそらそうとしてますが、未だ暴動の数は減りません。このマグマは、いつどこで大噴火するかわからないほどに、煮えたぎっています。
このインド映画が放映されることを期に私達日本人自身が、これらの、愚かな国々の悪い政府が、自国人民からの、非難や、暴動、革命などを恐れるあまり、その矛先を日本に向けるために、体系的に反日教育をしていることを理解すべきです。
私は、このような負け戦であっても、なお上記のような「「気品にあふれた真の日本兵の姿」と記述されたように、無能な牟田口 廉也中将などにより、多数餓死者、病死者で人員を失ったにも関わらず、最期まで、「気品にあふれた」態度をとられた、英霊の皆様に誇りを感じるとともに、後世に伝承していくべきと考えていますので、今回のこの映画の放映は、誠に慶賀に耐えない、素晴らしいことだと思います。日本で、放映されるなら、是非みたいです。皆さんは、どう思われますか?
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