全国戦没者追悼式に出席された天皇、皇后両陛下 =15日、東京都千代田区の日本武道館 |
終戦以来既に七十年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。
ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
【私の論評】式典の後で、映画『陸軍』を視聴し、戦争の悲惨さが胸迫り「深い悲しみ」を新たにした!
全国戦没者追悼式で黙とうされる天皇、皇后両陛下=15日正午、東京・日本武道館 |
黙祷に先立って挨拶する安倍晋三首相=15日、東京都千代田区の日本武道館 |
終戦後七十年の本日、私は上記に掲載したニュースを視聴した後で、huluの映画を視聴しました。本日は、終戦の日ということもあって、それにちなんだ映画などがありました。いろいろある中で私は「陸軍」という映画を視聴しました。
木下恵介 |
この映画は、戦時下(大東亜戦争時)に、陸軍省の依頼で製作されたものです。作品の冒頭に「陸軍省後援 情報局國民映画」という表記があります。大東亜戦争の開戦日からほぼ三周年にあたる日に公開されたものです。
この映画huluで視聴できますが、YouTubeでも無料で視聴することができます。以下にその動画を掲載します。
朝日新聞に連載された火野葦平の小説を原作に、幕末から日清・日露の両戦争を経て満州事変に至る60年あまりを、ある家族の三代にわたる姿を通して描いた作品です。
時期的に考えても、当然、国策に沿った戦意高揚・銃後の意識を鼓舞するという目的が、映画製作を依頼した側にはあったはずです。ストーリー展開もキャラクター設定も、そういう意図から外れてはいません。
しかし、細部の描写はときどきその本来の目的を逸脱しがちであり、最後のシークエンスで大きく違う方向へと展開します。その場面を見る限り、この作品を単純に国策映画と呼ぶことは困難です。
結果として、木下は情報局から「にらまれ(当人談)」終戦時まで仕事が出来なくなったと言われています。このために木下は松竹に辞表を提出しています。その前後の出来事を基に作られた映画『はじまりのみち』が原恵一監督で製作され、2013年6月1日に公開されました。
最後のシークエンスでの、田中絹代を追い続ける撮影は、 日本映画史上でも有名なものです。
このシークエンス、出征する息子の出征の行進に、田中絹代が扮する母親が、最初は見送りしないと決めていたにもかかわらず、行進のラッパの音が聴こえると、矢も盾もたまらず、家から飛び出し、通りまで出て、息子を送るシーンが延々と映されています。
この母親役の田中絹代の表情が刻々と変化し、出征する息子を思う母親の揺れ動く気持ちが見事に表現されていました。この描写は当時としては、圧巻ではなかったかと思います。
そうして、今からふりかえってみると、戦争というものの、理不尽さ、悲惨さを、直截にではありませんが、じわじわとにじみ出るように訴えています。終戦の日の前後には、毎年様々な戦争の記録や映画などが報道されたり、放映されたりしますが、私にとっては、こと今年はこの映画が最も胸に迫るものがありました。
下手に悲惨な状況を説明したり、頻繁にそのようなシーンを出したり、軍隊や憲兵隊の理不尽や、爆撃の理不尽、果ては定番の意地悪な国防婦人会のご婦人のイヤミな会話や、意地悪、いじめなど出すよりも、この映画のこのシーンのほうが、はるかに強く平和を訴えます。
残念ながらというか、当然ながら中国・韓国・北朝鮮などには、平和を主題としたものでは、この映画を超えるようなものは一つとして見当たりません。あるとすれば、安っぽい反日プロパガンダ映画ばかりです。
この映画は、元々は大東亜戦争のまっただ中の時に作成された、国策映画であったことは本当に驚くべきことです。
この映画は、陸軍省はどう思ったかはわかりませんが、時代背景などを考えると、本当に素晴らしい作品だったと思います。多くの国民の心情に訴え、共感を得たものと思います。この映画が単純な国策映画であれば、現在でもhulu で放映されたり、YouTubeに掲載されるようなこともなく、時代の流れにおしながされて、消滅したと思います。
上記にあるように、木下は情報局から「にらまれ(当人談)」終戦時まで仕事が出来なくなったとされていますが、それにしても放映はできたわけです。
このこと一つとっても、日本国内の戦中・戦前が暗黒時代であったという認識は間違いです。軍が何でもできて、それこそ、東条英機の鶴の一声で軍が何でも自由にできたなどというのは妄想に過ぎません。もし、そうであれば、そもそも上映禁止にできたはずです。
この時代は戦争による悲惨さはあったにしても、軍部が専横した暗黒時代であったなどと、まことしやかに語られることがあります。しかし、それは間違いです。実際、東条英機閣下が、戦争遂行のためには金が必要であるため、度々大蔵省の役人を揉み手で接待をしていたという逸話が残っているくらいです。また閣下が、多数のユダヤ人を救ったことは、このブログに掲載したことがあります。軍の専横があればこんな逸話は残らなかったと思います。
また、海軍が、ゼロ戦を各務原の空港に運ぶために、道路を拡幅しようとしたら、地域住民に訴えられ、裁判になり負けてしまったため、ゼロ戦を分解して、牛車に載せて運んだという記録もあります。これは、このブログにも以前掲載したことがあります。
私たちは、もう一度正しく戦前・戦中の歴史を見直すべきと思います。その上で、天皇陛下が述べられたように、「深い悲しみをともにし、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈る」べきと思います。
戦争で亡くなられた英霊の方々は、『陸軍』という映画の最後のシーケンスの部分で、田中絹代が見せた表情のように、千々に乱れておられると思います。そうして、日本の平和が続くことを心から願っておられると思います。
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
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映画『陸軍』のオープニング |
最後のシークエンスでの、田中絹代を追い続ける撮影は、 日本映画史上でも有名なものです。
このシークエンス、出征する息子の出征の行進に、田中絹代が扮する母親が、最初は見送りしないと決めていたにもかかわらず、行進のラッパの音が聴こえると、矢も盾もたまらず、家から飛び出し、通りまで出て、息子を送るシーンが延々と映されています。
この母親役の田中絹代の表情が刻々と変化し、出征する息子を思う母親の揺れ動く気持ちが見事に表現されていました。この描写は当時としては、圧巻ではなかったかと思います。
息子を思う母親の気持ちが伝わる圧巻のシーン1 中央が田中絹代 |
下手に悲惨な状況を説明したり、頻繁にそのようなシーンを出したり、軍隊や憲兵隊の理不尽や、爆撃の理不尽、果ては定番の意地悪な国防婦人会のご婦人のイヤミな会話や、意地悪、いじめなど出すよりも、この映画のこのシーンのほうが、はるかに強く平和を訴えます。
この映画は、このシーンをもって、安っぽい反戦映画・国策映画・プロパガンダ映画の域を遥かに凌駕して、人類に対する普遍的な平和を訴える素晴らしい映画になったと思います。この映画は、時代背景や当時の日本の生活や習慣など説明した上で、海外の人々に視聴してもらえば、今でもかなりの反響があるものと思います。
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この映画は、元々は大東亜戦争のまっただ中の時に作成された、国策映画であったことは本当に驚くべきことです。
この映画は、陸軍省はどう思ったかはわかりませんが、時代背景などを考えると、本当に素晴らしい作品だったと思います。多くの国民の心情に訴え、共感を得たものと思います。この映画が単純な国策映画であれば、現在でもhulu で放映されたり、YouTubeに掲載されるようなこともなく、時代の流れにおしながされて、消滅したと思います。
上記にあるように、木下は情報局から「にらまれ(当人談)」終戦時まで仕事が出来なくなったとされていますが、それにしても放映はできたわけです。
このこと一つとっても、日本国内の戦中・戦前が暗黒時代であったという認識は間違いです。軍が何でもできて、それこそ、東条英機の鶴の一声で軍が何でも自由にできたなどというのは妄想に過ぎません。もし、そうであれば、そもそも上映禁止にできたはずです。
この時代は戦争による悲惨さはあったにしても、軍部が専横した暗黒時代であったなどと、まことしやかに語られることがあります。しかし、それは間違いです。実際、東条英機閣下が、戦争遂行のためには金が必要であるため、度々大蔵省の役人を揉み手で接待をしていたという逸話が残っているくらいです。また閣下が、多数のユダヤ人を救ったことは、このブログに掲載したことがあります。軍の専横があればこんな逸話は残らなかったと思います。
また、海軍が、ゼロ戦を各務原の空港に運ぶために、道路を拡幅しようとしたら、地域住民に訴えられ、裁判になり負けてしまったため、ゼロ戦を分解して、牛車に載せて運んだという記録もあります。これは、このブログにも以前掲載したことがあります。
三菱資料館に残る、ゼロ戦を飛行場まで牛車で運んだことを示す図 |
私たちは、もう一度正しく戦前・戦中の歴史を見直すべきと思います。その上で、天皇陛下が述べられたように、「深い悲しみをともにし、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈る」べきと思います。
戦争で亡くなられた英霊の方々は、『陸軍』という映画の最後のシーケンスの部分で、田中絹代が見せた表情のように、千々に乱れておられると思います。そうして、日本の平和が続くことを心から願っておられると思います。
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
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終戦の日に「悲しみを新たに」するにしても、戦中・戦前の日本の真の姿を知った上で、悲しみを新たにして、深い反省をするべきです。年配の方々は、記憶をたどれば、それを思い出すことができますが、今では高年の人であっても、その記憶がない人が増えています。この時期の歴史を補うための一次資料として、以下の三冊の書籍をチョイスさせていただきました。
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