まとめ
- 高市首相は台湾有事を「日本有事」と位置づけ、平和を守るには抑止力を備える覚悟が必要と明言した。戦を避けるための防衛強化こそ現実的な平和政策であると示した。
- 中国の台湾周辺での艦艇・航空機展開は古典的侵略ではなく、心理戦による圧力であり、戦わずして優位を得ようとする戦略である。
- 台湾で大ヒットしたが日本ではヒットしなかったテレビドラマ『ゼロ日攻撃』が示す現代戦のリアリズムは、サイバー攻撃や情報攪乱による“静かな侵略”であり、限定的な軍事行使を伴うハイブリッド戦の実像を描いている。
- 日本のマスコミは古典的戦争像に囚われ、高市政権の現実主義を「好戦的」と誤解している。政治が現実を直視する一方で、報道は幻想を信じ続けるという齟齬が生じている。
- 「戦争できる国」とは「戦争する国」ではなく、攻められた時に守れる国のことだ。高市首相は防衛費の議論を超えて“国家を守る意思”の再生を訴えており、真の平和はその覚悟に宿る。
1️⃣「平和を守る覚悟」──高市首相が突きつけた現実主義
「平和を守るためには、覚悟がいる」。高市早苗首相の一言が、永田町を震わせた。台湾海峡は緊張を増し、首相は2025年11月7日の衆院予算委員会で「台湾の安定は我が国の安全保障に直結する。万一の際に備えることこそ、平和を守る最も現実的な道である」と述べた。これは戦を望む言葉ではない。戦を避けるための抑止の論理である。
自衛隊は南西シフトを進めている。与那国・宮古・石垣の体制強化、電子戦・無人機の拠点整備、海空の警戒と長射程スタンドオフの配備。これらは「台湾防衛」ではなく「日本防衛」そのものだ。台湾海峡で事が起きれば、最初に影響を受けるのは沖縄・与那国・宮古である可能性が高い。備えの欠如こそ最大のリスクだ。
「台湾有事は日本有事」。安倍晋三元首相の遺言とも言うべきこの言葉を、高市首相は政策の言葉に引き戻した。中国はこの数カ月、台湾周辺で過去最多規模の艦艇・航空機を展開している。だが、これは古典的侵略の前触れではない。台湾と周辺国に「包囲されている」という圧迫感を与える心理戦の一環である。中国はまず“見せる力”で相手の心を折りにくる。
日本の世論はまだ鈍い。平和を願うことは尊いが、願いだけでは平和は守れない。現実から逃げる政治こそ危険だ。抑止は言葉ではなく、力と意思の裏付けで成り立つ。中国もロシアも北朝鮮も、残念ながら「力による平和」しか信じていない。
2️⃣台湾のリアリズムとテレビドラマ『ゼロ日攻撃』の示唆
人気俳優、高橋一生も出演した台湾大ヒットドラマ「零日攻撃 ZERO DAY」は日本でヒットしなかったが・・・ |
数十年前、北朝鮮も中国も軍事的には取るに足らぬ存在だった。いまや様相は一変した。中国は経済と軍事を融合させた全体主義国家へと変貌し、北朝鮮は核・ミサイルで恫喝する。イランは西側から離反し、ロシアと結び秩序を掻き回す。変わった現実を、我が国だけが直視しきれていない。
この遅れを照らすのが、台湾ドラマ『ゼロ日攻撃』である。派手な爆撃も大規模上陸もない。描かれるのはサイバー、情報攪乱、電力遮断――“静かな侵略”だ。台湾は、中国が損害を最小化しつつ社会機能を内部から崩す現実的手段を選ぶと見ている。
そもそも台湾は古典的上陸侵攻に向かない。台湾海峡は浅く、天候と潮流の制約が大きい。西岸は干潟(ひがた)と軟弱地盤が多く大規模上陸に不利、東岸は断崖が連なり兵站が続かない。東シナ海からバシー海峡に至る日米の哨戒網も補給線に圧力をかける。ゆえに“一気呵成の占領”は地理的にほぼ不可能だ。台湾が見据える戦争は、銃弾の応酬ではなく、電波・情報・社会機能を奪う現代型の戦争である。
ただし、現代戦は非軍事だけではない。戦略・戦術上、有効な局面では軍事力が使われる。離島制圧、指揮通信網の破壊、示威のための限定攻撃――そうした局面で中国は躊躇しないだろう。つまり本質は、軍事と非軍事が一体のハイブリッド戦である。
高市首相の「現実を見よ」という呼びかけは、このリアリズムと通底する。台湾が見ているのは「弾が飛び交う映画」ではなく「社会が内部から制圧される現実」だ。首相はその現実を日本に突きつけた。さらに首相は軍事だけでなく、情報・経済・サイバー・外交を束ねる総合的抑止を志向している。戦う前に勝つ。戦争を起こさせないための現実的戦略である。
これに対し、マスコミは今なお古典的侵略の像に囚われる。日本が台湾有事への対抗策を講じるたび、「日本が古典的総力戦を始めるのではないか」といった懸念を並べる。現実を直視する政治と、物語にすがる報道の齟齬は深い。
『ゼロ日攻撃』は、その齟齬を映す鏡でもあった。日本では“ヒット”しなかった。期待されたのは派手な戦争ドラマ、示されたのは無音の侵略。台湾は危機を現実として理解し、日本メディアはまだ“物語としての危機”に酔っている。この落差こそ、アジア防衛の盲点である。
3️⃣変わるアメリカ、停滞する日本──報道が国を誤らせる
アメリカではテレビ局・配信の再編が進む。私はこれを衰退とは見ない。旧来の媒体が自らを解体し、時代に適応し直す自然な進化である。朽ちるより変われ。成熟社会の当たり前だ。
一方、日本のオールドメディアは「自分たちが世論を導く」と信じ込み、時代遅れの“正義”に拘泥する。国家観を欠いた情緒的平和主義を振りかざし、現実を見ない。それどころか、自分たちこそ、国民の代表であり、よって道徳規範の制定者であるかのような誤った認識を持っているようだ。記者の中には、首相会見前に「支持率を落とす映像だけ流してやる」といった不見識な発言まであった。ここで報道は真実の伝達ではなく、“望ましい物語”の創作へと堕していることが明らかになった。
日本のメディアは報道機関ではなく「言論業界」になった。自らの思想を国民に押しつけ、現実を歪める。だが世界は変わった。国際秩序は再編され、情報戦が最前線に立つ。それでもなお「反権力こそ正義」という時代遅れの旗を振り続けるのか。
高市首相の言葉は国家の矜持を取り戻す行為である。対して、旧メディアの頑迷はその矜持を腐らせる宿痾(しゅくあ)だ。守るべきものを語らず、時代遅れの“正義”を繰り返す者に未来はない。日本が生き延びるには、政治だけでなく報道も覚醒しなければならない。
戦後八十年、我が国は「戦争をしない国」を誇ってきた。いま問われるのは「戦争できる国」かどうかだ。誤解してはならない。「戦争できる国」は「戦争する国」ではない。仕掛けられた戦いに応じ得る力を持つ国だ。これが“守れる国”の本質である。いかなる国も、軍事的側面を欠いて独立は維持できない。平和を守るには、戦う力と意志が要る。
高市首相が訴えるのは、防衛費の数字や条文の改廃だけではない。現代戦から「国家を守る意思」を取り戻せ、である。平和は努力の果実だ。備えなき平和は幻だ。戦を煽るのではない。戦を防ぐ覚悟の宣言である。再び我々が、戦うことを恐れず、平和を守るために立つ。軍事国家への回帰ではない。国家としての責任への回帰である。
平和を語る者こそ現実的であれ。防衛を語る者こそ冷静であれ。国家を守る者こそ強くあれ。台湾海峡の波が高まるいま、我が国が取るべきは「見て見ぬふり」ではなく「覚悟」である。抑止は力だけでなく、意志の問題だ。守る覚悟のない国に、平和は訪れない。高市政権の真価は、そこにこそある。
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