食料品消費税ゼロは、家計対策にとどまらない。国民の食卓と食料供給力を守るという政治の約束である。
国債を発行できる国家を、有限の人生しか持たない個人の家計と同じ秤に載せてはならない。
過去から現在、現在から未来へとつながる「霊性の文化」を思い出し、まだ生まれていない人々の選択肢を残す政治が必要である。
自民党は2026年衆院選の公約で、飲食料品を「2年間に限り消費税の対象としない」ことについて、実現に向けた検討を加速すると掲げた。自民党の政権公約 選挙後、自民党は316議席、連立与党では352議席を得た。自民党の選挙結果報告
食料品消費税ゼロは、税率を数ポイント動かすだけの話ではない。物価高の下で国民の食卓を守るのか。それとも「財源がない」の一言で後回しにするのか。国家が何を優先するのかを問う政治の問題である。
1️⃣食料品消費税ゼロは、国民の食卓と民主政治を守る公約である
高市政権は、食料品消費税ゼロを掲げて大勝した。これは、食料品への税負担をなくしてほしいという有権者の期待を背負った勝利である。
ところが、現在国会で審議されている法案は、飲食料品の税率を2027年4月から2年間、現行8%から1%へ引き下げる内容にとどまる。ゼロではない。しかも、その差額を補う就業者向け支援金を組み合わせ、その財源は特例公債に頼らず、歳出・歳入全般の見直しで確保するとしている。衆議院の法案概要
1%への引下げを無意味だと言うつもりはない。37年間続いた消費税増税路線に転換の一歩を刻む意味はある。しかし、ゼロを旗に大勝した政権が、1%で満足し、さらに財源論に押し戻されるなら、それは公約の実現ではない。形式論をどう並べても、有権者にとっては公約違反である。
食料は単なる商品の一つではない。土、水、気候、農業者、漁業者、物流、食品加工、地域商店、家庭という、横につながる営みの上に私たちの食卓はある。食料品への税負担を軽くすることは、家計支援であると同時に、この国の食料供給力を軽んじないという意思表示でもある。
もちろん、消費税ゼロだけで農業も地方も再生するわけではない。生産基盤、人材、物流、エネルギー、研究開発への投資が必要である。だが、必要な政策を始める前から「財源がない」と言って止める政治は、国民の食卓と供給力を守る責任を放棄している。
ここで、有権者の責任も問われる。選挙での一票は白紙委任状ではない。どの約束を実行するために権限を託すのかを示す行為である。有権者の責任は、投票日に一票を入れて終わることではない。託した公約を忘れず、実行の過程を見届け、守られなければ次の選挙で判断することである。
では、必要な政策のために国家はどこまで資金を用いることができるのか。この問いを考える上で、英国のコンソル債は格好の手がかりになる。
コンソル債とは、18世紀半ばの英国が複数の国債を統合し、特定の元本償還期限を設けず、利払いを続けながら政府の判断で償還できる形にした国債である。財務省の国債管理資料 その後、フランス革命・ナポレオン戦争を含む長期戦の戦費調達に広く用いられた。コンソル債は、国家が戦争と危機の時代に、目先の財源と返済期限だけで進路を決めないための重要な基盤となった。
これは「借金を返さなくてよい」という話ではない。国家が、いま手元にある金と目先の返済期限だけで、国民生活や国の将来を左右されないための仕組みであった。なぜ有限の人生を生きる個人の家計と、世代を超えて継続する企業・国家を同じ秤に載せてはならないのか。次章で、その核心を考える。
2️⃣人は亡くなる。しかし企業と国家は続く
財政を家計にたとえる政治は、出発点から間違っている。
家計は、有限の人生を生きる個人の経済である。働ける期間にも、収入を得られる期間にも終わりがある。本人が亡くなれば、その家計は同じ主体として働き、収入を得て、借金を借り換え続けることはできない。だから個人の借金は、原則として自分の人生の時間のなかで返済の見通しを立てるべきものになる。
だが、大企業は違う。経営者、従業員、株主は入れ替わる。それでも法人は残る。人材、技術、設備、取引先、ブランド、将来の収益力を引き継ぐ。大企業が社債を借り換えるのは、返済から逃げるためではない。目先の満期によって、人材育成、研究開発、設備投資、事業そのものを失わないためである。借換えとは、組織の未来を守るために時間を確保する経営判断である。
国家は、さらに長い時間を生きる。政権も政治家も官僚も、いずれ交代する。しかし国家は続く。国民の食卓、安全、教育、技術、インフラ、共同体を守る責任は、次の世代へ引き継がれる。
日本のように自国通貨を持ち、その通貨建てで国債を発行できる国家を、有限の人生しか持たない個人の家計と同じ秤に載せてはならない。家計は円を発行できない。だが国家は、国民生活と国家の土台を守る必要があるとき、円建て国債を発行して資金を調達できる。国家財政を家計簿に見立て、「国も借金をすれば家計と同じように破綻する」と語る政治は、国民を誤った恐怖に縛りつける政治である。それは財政規律ではない。世代を超えて継続する国家の信用と責任を、自分たちの短い任期と家計簿の感覚にまで縮めることである。
コンソル債は、横の制約と縦の制約から財政を解放した
コンソル債が外したのは、単なる「返済期限の崖」だけではない。
第一に、同時代の金だけで国家の行動を決める横の制約である。「今年の税収はいくらか」「いま手元にある金はいくらか」という範囲でしか国は動けないと考えれば、危機への備えも、国民生活を守る政策も、必要な投資も、目先の財布に閉じ込められる。18世紀半ばの英国で整えられたコンソル債は、国家信用を用いて必要な資金を調達し、この横の制約から財政を解放した。
第二に、元本をいつまでに返すのかという縦の制約である。国家は数十年、数百年にわたって続く。しかし、固定された返済期限だけで国家戦略を測れば、いま生きる世代は、期限の手前で未来に必要な政策を断念しかねない。コンソル債は、借換えと長期保有を可能にし、この時間の制約からも財政を解放した。
借り換えるべきときには借り換え、返すべきときには返す。英国政府は2015年、低金利環境を踏まえ、歴史的な無期限国債を償還した。これは英国国債全体を完済したという意味ではない。条件が整ったときに、特定の歴史的債務を償還したということである。英国政府の償還発表
もちろん、コンソル債だけで英国が強国になったわけではない。課税能力、産業、海軍、金融市場、国民の努力があった。しかし、目先の資金繰りと特定の償還期限だけで国家の進路を決めない制度が、その重要な土台の一つだったことは間違いない。
「財源がない」で国家の責任から逃げるな
食料品消費税ゼロを実行するかどうかも、同じである。国民の食卓を守り、国内の農業、物流、食品加工、エネルギー、人材を守る必要があるなら、政府は国債を用いるべきである。「財源がない」は、政策を始める前から放棄する理由にはならない。
問うべきは、会計上の財源があるかではない。需要が供給力をどこまで上回っているのか。人材、設備、食料、エネルギーなどの実物資源をどう動かし、供給力をどう強めるのかである。物価、金利、為替、市場の反応は、国債発行を断念する口実ではない。発行の規模と速度を調整し、供給力の拡充を急ぐために読むべき指標である。
財政の目的は、年度末の帳尻を合わせることではない。危機を越え、自らの進路を選べる国を次の世代へ手渡すことである。
3️⃣日本が継いできたもの――霊性の文化と、皇統・祭祀が示す長い時間
コンソル債は、国家を横の制約と縦の制約から解き放つための財政技術であった。財政技術は重要だが、技術だけでは国家は動かない。何を守るためにその技術を用いるのか。そこには、その国が持つ時間の感覚が表れる。
私は、日本列島に受け継がれてきた自然への畏敬、祖先への思い、季節と収穫を結ぶ祭祀の重なりを、ここでは「霊性の文化」と呼びたい。
これは、古代のアニミズムやシャーマニズムが、標本のように変わらず保存されてきたという話ではない。神道、仏教、民俗信仰は重なり合い、変化しながら今日へ続いてきた。國學院大學の神道史解説 それでも、人間を自然、祖先、子孫から切り離された存在とは見ない感覚は、形を変えながら日本社会に生き続けている。これが、日本の霊性の文化である。
この霊性の文化は、皇統とともに千年以上、戦乱、政権交代、近代化、敗戦という大きな断絶を越えながら受け継がれてきた。形は変わっても、自然を畏れ、祖先を敬い、季節と収穫に感謝し、子孫の居場所を残そうとする感覚は消えなかった。
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| 朝の神社に供えられた稲穂(イメージ、AI生成画像) |
この文化には、横と縦の連続性がある。
横の連続性とは、いまを生きる人々が、自然、地域、家族、共同体と切り離されずに支え合うことである。食料は単なる商品ではない。土、水、気候、農業者、物流、加工、家庭という横につながる営みの上に、私たちの食卓はある。
縦の連続性とは、祖先から受け取った土地、技術、祭り、共同体、国のかたちを、子孫が自らの進路を選べる状態で手渡すことである。先人は百年後、二百年後の世界を詳細に予測できなかった。それでも、子孫がこの国で生き、働き、祈り、自分たちの進路を選べなくなるようなことだけは避けようとしたはずである。
皇統は、現代の憲法の下では国政権能を持たず、日本国と日本国民統合の象徴である。日本国憲法 しかし文化の上では、千年以上にわたる時間を可視化する軸であり続けてきた。今日も宮中祭祀は受け継がれ、国民の幸せ、五穀豊穣、国の安寧を祈る祭儀が行われている。宮内庁「宮中祭祀」
皇統と祭祀は、政治に命令を下すためにあるのではない。過去から受け取ったものを、いまを生きる人々が守り、まだ生まれていない人々へ手渡す。その責任を思い出させる文化の中心なのである。
だから、食料品消費税ゼロの公約を「財源がない」の一言で止める政治は、単なる税制論の誤りにとどまらない。いまを生きる人々の食卓を軽んじ、未来世代へ手渡すべき供給力と選択肢を、目先の帳尻のために細らせる政治である。
結び――過去の声を聴き、霊性の文化を未来へ手渡す
食料品消費税ゼロを止めるかどうかは、税率を1ポイント動かす技術論ではない。
国民との約束を守れる政治なのか。有限の個人の家計と、世代を超えて続く国家を混同しない政治なのか。必要なときには国債を用い、国民生活と供給力を守れる政治なのか。そして、過去から受け取ったものを、まだ生まれていない人々へ手渡せる政治なのか。そのすべてが問われている。
この過去・現在・未来をつなぐ通底の価値こそ、自然を畏れ、祖先を敬い、子孫の居場所を残そうとする日本の霊性の文化である。
未来への責任とは、未来を支配することではない。過去の人々が残した声に耳を澄まし、いまを生きる人々と何を守るべきかを確かめ、まだ生まれていない人々が自らの進路を選べる国の土台を手渡すことである。
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