まとめ
- 今回のポイントは、需給ギャップと高圧経済の観点から見て補正予算は正しく、国債恐怖症や日銀の利上げリークこそが日本経済を壊す真のリスクだという点である。
- 日本にとっての利益は、拙速な引き締めを避け、高圧経済を維持することで賃上げと投資を定着させ、危機の際にも国を守れる実体的な国力を手にできることである。
- 次に備えるべきは、緊縮やリークに流されない政策判断と、経済政策一つで国家の運命が変わり得るという歴史的教訓を忘れない覚悟である。
「国の借金が増える」「将来世代へのツケだ」。
だが国は家計ではない。国家は、危機の前で立ち止まった瞬間に、取り返しのつかないものを失う。
今回の補正予算をめぐる議論も同じ構図だ。見るべきは空気ではない。需給ギャップであり、その先にある高圧経済である。ここを外せば、すべてが狂う。
1️⃣需給ギャップと高圧経済──補正予算は「合格」であり、むしろ不可欠だ
需給ギャップとは、供給力と需要の差である。経済が冷えているのか、過熱しているのかを測る体温計だ。補正予算を論じるなら、まずここから逃げてはならない。
日本銀行は、現在の需給ギャップをおおむねゼロ近傍と評価している。内閣府の推計でも、2025年4〜6月期はプラス0.3%とされ、小幅ながら需要超過に入った可能性が示されている。
重要なのは、どちらの評価に立っても結論が変わらない点だ。ゼロ近傍、あるいは小幅プラスという状況は、決して需要の暴走ではない。賃上げと投資を本物にする余地が、まだ残っている局面である。日銀自身も、人手不足が賃金や物価に上昇圧力を与え得る点を認めている。
だから言い切れる。今回の補正は、需給ギャップという正統な物差しで見ても合格だ。ここで財政を引き締めれば、賃上げも投資も腰折れする。取り返しがつかないのは、インフレではない。再び「どうせ上がらない」という空気が日本に戻ることだ。
高圧経済とは、需要の自然回復を待つことではない。政策によって需要を押し上げ、労働市場を引き締め、企業に賃上げと投資をやらざるを得ない状態を作る経済運営である。賃上げが善意ではなく、経営判断になる状態だ。
これは日本独自の理屈ではない。欧米では、危機後や構造転換期にごく普通に使われてきた。リーマン・ショック後の米国は、雇用回復を最優先し、労働市場が明確に引き締まるまで拙速な引き締めを避けた。FRBは、雇用が推計上の最大水準を上回っても、それだけで直ちにブレーキを踏むべきではないという考え方を明確にしてきた。
欧州でも同様だ。回復途上で需要を冷やさないことが、賃金と雇用を取り戻す前提だという理解は共有されている。高圧経済は実験ではない。実務の常識である。
高橋洋一氏を代表とするリフレ派が、需給ギャップの数値を鵜呑みにしないのも同じ理由だ。潜在GDPは推計であり、少し景気が良くなるだけで「埋まったように見える」。重要なのは結果である。賃金は持続的に上がっているか。投資は回っているか。中小企業まで賃上げが浸透しているか。ここが揃わない限り、高圧経済は完成していない。補正予算は、その未達部分を埋めるための現実的な手当てである。
2️⃣国債恐怖症の誤り──歴史は「借り換え国家」が生き残ったことを示している
「国債は将来世代へのツケだからやめろ」という言葉は耳ざわりがいい。しかし中身は空虚だ。国債は家計の借金ではない。借り換えを前提とした金融の道具であり、実質的な負担は利払いと金利水準で決まる。企業が借入や社債を借り換えながら成長するのと同じ構造である。
| ナポレオン戦争時の英兵 |
英国は、その現実を長い時間軸で示している。18世紀に起源を持つコンソル(統合債)は、ナポレオン戦争や危機で膨らんだ債務を統合し、借り換えながら管理する仕組みだった。英国政府は2014年に一部の満期のない国債の償還を決定し、2015年に実行した。起源を辿れば200年以上前に行き着く債務である。重要なのは、国家が債務を放置したのではなく、管理し、時間をかけて処理したという事実だ。
我が国の日露戦争も同じである。戦費は公債で賄われた。もし当時、「国債は将来世代へのツケだからやめろ」という声が勝っていれば、日本は戦えなかった。戦えなければ負けていた。
日露戦争に敗れていれば、日本はロシア帝国の影響下、場合によっては支配下に置かれていた可能性が高い。ロシア帝国はやがてソ連となり、ソ連は崩壊し、再びロシアとなった。もしその流れに日本が組み込まれていれば、今日の日本は存在しない。いまウクライナで起きている戦争は決して他人事ではない。日本人の若者が徴兵され、戦場に送られていた未来も、机上の空論ではない。
経済政策は、国の生存戦略である。根拠のない数字のきれいさを優先して国力を削げば、その代償は後になって必ず払わされる。実際日本国民は長い間、その代償を支払続けてきた。
3️⃣日銀の利上げリークという最悪手──経済政策で越えてはならない一線
ここで、どうしても明確にしておかなければならない一線がある。
日銀の利上げをめぐる「リーク」である。
政策金利、とりわけ具体的な数値が、正式決定前に市場に流される。これは単なる観測報道ではない。市場に先回りの引き締め効果を発動させる行為だ。
金融政策は、決定された瞬間から効くのではない。「織り込み」によって、決定前から効いてしまう。だからこそ、中央銀行は情報管理を厳格に行い、発言や情報の扱いに細心の注意を払う。これは世界の金融当局の共通認識である。
それにもかかわらず、利上げ水準が意図的に流され、市場が反応し、長期金利が動き、企業は投資を見送り、家計は消費を控える。この一連の効果が、正式決定前に発生する。これは政策運営として最悪であるだけでなく、行為としても極めて悪質だ。
| 日本銀行(中庭) |
これは「説明責任を負わずに、引き締め効果だけを市場に押し付ける」やり方である。中央銀行の独立性は、恣意的な市場操作を許す免罪符ではない。政治の世界で同じことをすれば、インサイダー的行為として強く糾弾される。金融だけが例外であるはずがない。
しかも、需給ギャップはゼロ近傍で、高圧経済は未完成、賃上げは定着途上だ。この局面で市場に利上げを織り込ませれば、高圧経済は完成する前に潰れる。これは単なる「早すぎる引き締め」ではない。経済政策としての自殺行為である。
結語
補正予算は正しい。需給ギャップから見ても、高圧経済という国際標準の政策思想から見ても、そして歴史の教訓から見ても正しい。これを壊すのは、「国債はツケだ」という思考停止と、利上げをリークという形で市場に先行実装する無責任な行為である。
経済政策は数字遊びではない。賃金が上がるか、投資が続くか、危機の時に国が国民を守れるか。そのすべてを左右する。日露戦争に敗れていれば、今日の日本はなかったかもしれない。その分岐点にあったのは、国力を支える覚悟だった。
将来世代に残すべきものは、緊縮の説教ではない。
生き残る力を持った国である。
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