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2019年5月18日土曜日

天安門事件30年で中国は毛沢東時代に逆戻りする予感アリ―【私の論評】毛沢東時代に逆戻りした中国はどうすべきなのかを考えてみた(゚д゚)!

天安門事件30年で中国は毛沢東時代に逆戻りする予感アリ

北朝鮮よりも悲惨だった時代に…









改革開放の行き着いた果て

2018年末で、改革開放40周年を迎えたことを共産主義中国は喧伝しているが、6月4日に30周年を迎える天安門事件については、沈黙を通すどころか、積極的な言論統制を行うであろう。インターネット上の関連記事も、削除されたり、嫌がらせを受けたりするはずだ。

何しろ「クマのプーさん」の関連記事を徹底的に検閲する国である。習近平氏がプーさんに似ていることから、「隠語」として使われていたらしい。

改革開放40年、天安門事件30年、どちらもこれからの中国に大いに影響を与える重要な歴史的事実だが、まず改革・開放がようやく軌道に乗り始めたばかりの時期に、天安門事件という先進諸国を敵に回すような「大問題」を引き起こしてしまった原因について考える。

なぜ天安門事件が起こったのか?

意外に意識されていないことだが、ロシア革命は、1917年に2回起きており、最初の2月革命は、自由主義者が中心の「民主国家」を目指すもので、ブルジョア革命とみなされていた。この革命が成功していれば、ロシア(ソ連邦)は、もしかしたら先進資本主義・自由国家の一員となっていたかもしれない。

ロシア2月革命 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

ところが、この臨時(革命)政府に内紛が勃発し、同じ年の「10月革命」によってソヴィエトの権力が支配的となり、世界初の社会主義(共産主義)政権が樹立されたのである。当時のロシア人民は、先進資本主義や民主主義よりも、皇帝支配下の農奴制への回帰とも言える共産主義(社会主義)を選択した。

そのソヴィエトの強い影響下で1949年10月1日に成立した共産主義中国(中華人民共和国)において、資本主義が激しい攻撃を受けて、党幹部などの「走資派」と指さされた人々が紅衛兵などにリンチを受けるシーンを見たことがある読者も多いだろう。

いうまでもなく、中華人民共和国は、日本が1945年に受け入れたポツダム宣言の相手国、中華民国(現・台湾、民主主義中国)とは別の国である。

実はこの毛沢東が行った「文化大革命」と呼ばれる集団リンチ・暴行・処刑運動が、鄧小平をはじめとする「八大元老」と称される人々の脳裏に「恐怖体験」のトラウマとなって焼き付いたことが、後の天安門事件の大きな原因になった。

文革開始時に政府や党の要職にあった彼らは失脚し、毛沢東が動員した若者たちによって激しく糾弾された。例えば鄧小平は共産党総書記を解任されて労働者として地方に送られ、学生だったその息子は取り調べ中の「事故」で身体障碍者となる。

また、紅衛兵に髪を掴まれて引き回される彭真の画像は世界に衝撃を与え、習近平現国家主席の父親である習仲勲は、長期の監禁生活を送った。

紅衛兵に髪を掴まれて引き回される彭真の画像

改革派と学生運動が連携して保守派に牙を剥いたときの恐怖を考えると、長老たちが天安門で起こったデモに過剰反応して大事件となったことも、ある程度、納得できる。

鄧小平が、ようやく軌道に乗り始めた改革開放政策を危機に陥れ、諸外国から絶縁されるリスクを冒してまで、天安門広場で数千人(西側推定)もの中国人民を戦車などでひき殺して虐殺した過剰反応は、このようなトラウマに原因がある。

そうして、もう1つ言えることは、一党独裁の共産主義中国では「党の存続・繁栄」が中国人民の幸福よりもはるかに重要であるということである。

絶対王政における王家が、国民の幸福よりも王家の存続・繁栄を気にかけるのと同じだ。改革・解放の立役者である鄧小平もその点は意見を同じくする。彼は決して民主主義者でも、自由主義者でもない。

改革・解放によって「共産党一党独裁」が脅かされるのならば、「改革・解放などやめてしまえ!」というのが中国共産党の基本方針であり、毛沢東暗黒時代への回帰を目指す習近平氏の政策がまさにその典型である。

鄧小平だけが可能だった改革開放

まず、共産主義一党独裁のままでの「市場経済の導入」は、鄧小平という超人だからできたことである。この点については当サイト1月9日の記事「客家・鄧小平の遺産を失った中国共産党の『哀しき運命』を読む」を参照いただきたい。

我々は、すでに40年にわたる改革・解放の成果を目の当たりにしているから、当然のように思われているが、改革開放が始まった40年前は東西冷戦の真っ最中で、共産主義国家が資本種後の象徴とも言える「自由市場」政策を取り入れるなどということはまったく考えられなかった。

今では、そのあまりの非効率さのゆえに「絶滅危惧種」となっている5ヵ年計画などの「計画経済」が当時の共産主義国家の基本理念であり、党が「指導する」という共産主義思想にも合致していた。

その中で鄧小平が、毛沢東に蹂躙され、現在の北朝鮮よりもひどい状態であった中国を復活させる起死回生の手段として採用したのが「改革開放」である。

1978年12月に開催された中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で提出されたのが始まりだが、その後しばらくの間、中国の国民は冷ややかな目で見ていた。

なぜなら毛沢東時代の1956年から57年に共産主義中国で行われた政治運動「百花斉放、百家争鳴」の結末を知っていたからである。

当初、「共産党に関する自由な意見を募集中」ということで始まったこの運動に賛同し、大学教授をはじめとする多くの国民が意見を述べた。ところが、後に方針が転換され、この時の共産党に対する批判を理由に多くの国民が粛正された。

最初、中国人民が「共産党の指導など気にせずに、自由に商売をやってください」と言われたときに「例の反体制派あぶり出し作戦だな」と思ったのも無理は無い。

その後、鄧小平の懸命な努力で徐々に改革開放政策が浸透したのだが、その過程で不平等や腐敗の蔓延などの問題も生じてきた。その時に起こったのが、1989年の天安門事件である。

鄧小平

これは、鄧小平が主導する改革開放に対する痛手であったが、共産主義中国の人権問題に対する非難は「反日政策の強化」で欧米の目をそらした。さらには、1992年に行われた「南巡講話」で中国国民に再度呼びかけたことが効を奏し、その後の爆発的な経済成長を生み出した。

そもそも、北朝鮮よりも貧しい(改革開放初期と同時期の北朝鮮は、地下資源などで意外に潤っていた)状態からスタートしたのだから、その成長ぶりは天文学的である。

ただ、同じことを北朝鮮に期待している欧米の投資家は良い結果を得ないだろう。金正恩氏とトランプ氏の交渉がうまく決着し、北朝鮮版・改革開放が始まったとしても、「共産主義一党独裁と自由市場」という相反するものを鄧小平のようにうまく操れるはずが無く、結局とん挫するはずである。

また、習近平氏以前は一応、鄧小平路線を保っていたので、1997年の鄧小平没後も経済は順調に拡大し、2008年の北京オリンピックで頂点に達した。

共産党のための中国が鮮明になった

しかし、習近平氏の時代に入り、輝かしい鄧小平の遺産は次々と破壊され、毛沢東暗黒時代への回帰色が鮮明になった。

ここで長い歴史を振り返れば、中華世界(中国大陸)では反乱・革命や異民族の征服によって200~300年ごとに王朝の交代を繰り返しているが、各地の統治機構はずっと継承されて中央と人民の橋渡し役となってきた。

中国がモンゴルの植民地であった「元」の時代にも、統治機構はあくまで中華世界の伝統的なものであった。

士大夫が支える地方の社会機構こそ共産主義革命を経ても続く伝統であり、過去の戦乱を乗り越えて社会を維持してきた根幹といえる。

革命を完遂するには、社会の隅々に残るこれら伝統を根こそぎ破壊する必要があり、そのためには、良識や教養と呼ばれているものすら邪魔になる。

そこで文化大革命の革命の初期に標的とされたのはまさに旧思想、旧文化、旧伝統、旧習慣と名指しされた中国社会の支柱そのものであった。

実利主義によって経済の建て直しを行う組織や人々(走資派と呼ばれた)、伝統的な価値観や文化を継承して社会の安定を図る人々は、全て社会主義革命を後退させる敵であり打倒すべき階級と認識しなければならないというわけだ。そうした人々は「牛鬼蛇神」という庶民にわかりやすい悪役のイメージで糾弾された。

しかし、そのように、かつて毛沢東暗黒時代に走資派と呼ばれた人々や、中華社会の伝統的価値観を持つ人々こそが「改革開放」において重要な役割を果たした。市場経済を立ち上げたり、世界中に広がる華僑ネットワークをフルに活用したのも彼らだ。

               1984年10月1日に中国建国35周年のイベントで「こんにち、
                小平さん」の横断幕を掲げ、鄧小平が主導する改革開放を
                 歓迎する意を表した群衆。
 

その鄧小平をはじめとする中国繁栄の恩人たちをないがしろにし、毛沢東暗黒時代に回帰しようとする習近平氏は、共産主義中国をかつての北朝鮮並みの「暗黒時代」に引き戻そうとしているといえる。

習近平氏が愚かなのも原因の1つかもしれないが、より根本的には、「中国の経済的繁栄よりも共産党一党独裁の方が重要である」ということだ。

筆者は、アリババの創業者、ジャック・マー氏の突然の引退がその路線転換の象徴だと考えている。

<主要参考文献>人間経済科学研究所HP・藤原相禅研究レポート「六四天安門事件30周年を前に文革の意義を考えてみる」

【私の論評】毛沢東時代に逆戻りした中国はどうすべきなのかを考えてみた(゚д゚)!

ブログ冒頭の大原の記事には、以下のようなくだりがありました。
ロシア革命は、1917年に2回起きており、最初の2月革命は、自由主義者が中心の「民主国家」を目指すもので、ブルジョア革命とみなされていた。この革命が成功していれば、ロシア(ソ連邦)は、もしかしたら先進資本主義・自由国家の一員となっていたかもしれない。
私もそう思います。現在の先進国は、フランスのような過激であったか、英国のようにもっと穏健であったにしても、ある程度犠牲をはらって民主化するという道をたどり、さらに様々な経緯を経て現在に至っています。

その過程において、先進国は民主化だけではなく、政治と経済の分離、法治国家化を実現し社会構造変革を行い今日に至っています。日本も、明治維新後に急速にこれを実施し、世界の列強に仲間入りました。

まさに、今日「民主国家」といわれている国々と、中国・ロシアや他の発展途上国とはここに大きな差があります。

今日「民主国家」と呼ばれる国々は、どうして民主化、政治と経済、法治国家化の道をすすめたかといえば、個々の事情は各国で違うところがありますが、当時のヨーロッパでは、強国がいくつかあり、それらの国々が富国強兵策をとっており、他国に国力で劣ってしまっては、他国に征服されるという危機感があったからだと思います。

軍事力も国の富が土台になっています。経済がある程度は良くないと強い軍隊は持てません。国を富ますためには、一部の富裕層だけや政府が努力したとしても限界があります。

国を富ますことは、多数の中間層が、自由に活発に社会経済活動を行える体制を整えてはじめてできるものです。

だからこそ、先進国は先進国になる前に、民主化、政治と経済の分離、法治国家化を行い、社会構造変革をなしとげ多数の中間層を輩出し、これらが自由活発に社会経済活動を行える体制を整えたのです。そうして、経済を富ませて、軍事力を強化したのです。無論、西欧では、民主化とはいっても、白人だけのものでしたが、それでも国力を増すことはできました。

日本も明治維新をなしとげ、当時の西欧なみに、民主化、政治と経済の分離、法治国家化を成し遂げたからこそ、今日先進国の一端を担うことができているのです。

ロシアや中国はこのプロセスを欠いて、経済だけ発展させることに成功しました。ロシアは、ソ連時代に敗戦国ドイツからの科学技術を導入したこと等により、発展することができました。

中国は、主に海外からの巨額な投資を得て、発展することができました。しかし、両国とも西欧や日本にみられるような、社会構造改革は行われませんでした。そのため、今でも両国は遅れた社会構造がそのまま温存されています。

       中国には選挙制度はないが現在のロシアにはそれがある。
       ところがロシアはとても民主国家と呼べる状況ではない


ソ連は、結局社会構造改革をしないまま、冷戦による疲弊も手伝い崩壊しました。ロシアがその後を引き継ぎましたが、軍事的には侮れないですが、今日その経済規模は、韓国を若干下回るほどの規模しかありません。

先進国は、中国が経済的に豊かになれば、先進国が過去に行ったような、社会構造改革を実行して、先進国のような体制になると信じて、中国の動向を見守りましたが、結局それはなされずに今日に至っています。

そうして、現在は中国もソ連のように、社会構造変革ができないまま、経済は衰退しつつあるところに、米国から貿易戦争を挑まれています。

このブログでも過去に何度か述べてきたように、この貿易戦争はやがて、本格的な冷戦にまで発展し、中国が体制を変えるか、経済的に他国に影響を及ぼせないくらい経済が衰退するまで、続けられることになります。

ブログ冒頭の記事で、大原氏が語っているように、「中国の経済的繁栄よりも共産党一党独裁の方が重要である」という理念を変えることはないでしょから、中国は他国に影響を及ぼせないくらい経済が弱体化するしかないようです。

私は、経済が弱体化した後の中国は「図体だけが大きい、アジアの凡庸な独裁国家になり果てる」と過去の記事で何度か主張してきましたが、これがまさしく、冒頭の記事で大原氏が語っている「毛沢東時代に逆戻り」ということだと思います。

もし中国がそのような状態となった場合、どうすれば良いのかという問題があります。先進国も中国には経済発展してもらいたいとは思っているのでしょうが、その結果過去の中国がどのようになったかを考えれば、単純に経済支援や技術協力などできないと思います。

私は、現在の中国の版図がいくつかの国に別れて、かつて西欧諸国が富国強兵のために、互いに競い合っていた時代のような環境ができれば良いと思っています。

互いに競い合い、分裂した国々が、富国強兵でしのぎを削るのです。相手をしのぐため、民主化と、政治と経済の分離、民主化を成し遂げ、社会構造改革を実現して、中間層を多数輩出させ、彼らが自由に社会経済活動ができるようにして、各々の国が自国を富ませるように仕向けるのです。

これにより、中国ははじめて民主的国家もしくは国家群になることができるかもしれません。そうして、この競争にロシアも加わるべきだと思います。

このような競争を経れば、ユーラシア大陸の中国とロシアと大きな領域が、民主主義国家に生まれ変わるかもしれません。それには最低でも数十年という年月が必要かもしれません。しかし、それを待つ価値は十分にあると思います。

経済が衰弱し、他国に影響力を及ぼせないまで疲弊した中国やロシアよりは、世界にとってもこのほうが良いのではないかと思います。

米国は、たとえ冷戦で中国に勝利したとしても、その後に何をどうするのかを今から考えておくべきです。そのまま放置しておけば、中国は疲弊したままで、世界経済にも良いことは一つもありません。

ただし、米国が直接干渉することは、良い結果を招くことはないと思います。しかし、互いに競争させるように仕向けることはできると思います。そうして、日本をはじめとする他の先進国もそのように仕向けることに協力すれば、意外とうまくいくかもしれません。

そうして、そう仕向けることが、ソ連に返り咲こうとするロシアを強く牽制することになると思います。

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