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2018年3月14日水曜日

【日本の選択】日本の民主主義はここまで堕落してしまったのかと呆然… 野党に日本のかじ取りを任せることも不可能―【私の論評】稚拙な全能感で腐敗・堕落した財務省は解体するしかない(゚д゚)!

【日本の選択】日本の民主主義はここまで堕落してしまったのかと呆然… 野党に日本のかじ取りを任せることも不可能

「最強官庁」は腐敗・堕落した

 青天の霹靂(へきれき)というべき事態だ。朝日新聞の報道が契機となって、森友学園に関する公文書が財務省の指示によって書き換えられていたことが分かった。私は当初、このような事態は考えられないと思っていたので、誤解に基づく報道ではないかと想像していた。

 官僚が公的文書を偽造するなどということは、民主主義の根幹に関わる問題であり、日本の民主主義がそこまで腐敗しているとは想像できなかった。

 実際に書き換える前後の文書を眺めると、財務省による姑息(こそく)で悪質な文書改竄(かいざん)であることは明らかだ。安倍晋三首相をはじめとする政治家の名前、そして、「安倍首相夫人が森友学園に訪問した際に、学園の教育方針に感涙した」との記述も削除されている。わが国の民主主義は、ここまで堕落してしまったのかと、呆然(ぼうぜん)としてしまった。

 政治を成り立たせるのは、為政者と国民の信頼関係だ。

 『論語』に「信なくば立たず」との言葉があることは有名だが、これは信用が大切だといった程度の言葉ではない。孔子の悲壮な覚悟が伝わってくる言葉だ。

 弟子の子貢(しこう)が孔子に「政治の本質」を問うた。その際、孔子は「兵」(安全保障)、そして、「食」(経済)と同時に、民衆からの「信」を挙げた。子貢が、その中で1つを捨てるとしたら、と問うと、孔子は「兵」を捨てるべきと答えた。さらに進んで、もう1つ捨ててしまうとしたら何かを問うと、孔子は「食」を捨て去るべきと答える。

 孔子が安全保障、経済を軽んじていたわけではない。それらが重要であることは熟知していた。憲法9条が存在するから日本は平和だなどという、空疎な平和主義者であったわけではない。「兵」よりも「食」よりも「信」が肝要と説いたのは、政治の本質が国民からの「信」にあることを訴えたかったからであろう。

 今回の財務省の姑息な文書の書き換えによって、政治に対する国民からの信が失われてしまった。しかも、絶望すべきなのは、このような事態に至ってもなお、野党に政権を担えるとは到底思えないことだ。通常、これほど国民からの信用を失う事態に至れば、野党への期待が高まるはずだ。

 だが、いまだに「平和安全法制を違憲だ」と叫び続ける立憲民主党、「自衛隊は違憲だ」と獅子吼する(=雄弁に語ること)日本共産党、何をしたいのかが、さっぱりわからない希望の党。これらの政党に日本のかじ取りを任せることは不可能だ。

 日本に重要なのは、自民党に代わり得る「健全で現実的なリベラル政党」だ。現実的な安全保障政策を取り、国民が信用できるリベラル政党が何よりも必要だ。

 ■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。拓殖大学客員研究員などを経て、現在大和大学政治経済学部政治行政学科専任講師。専攻は政治哲学。著書に『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)、『人種差別から読み解く大東亜戦争』(彩図社)、『「リベラル」という病』(同)など。

【私の論評】稚拙な全能感で腐敗・堕落した財務省は解体するしかない(゚д゚)!

私自身は、このブログで随分前から何度か指摘してきたように財務省の腐敗・堕落については別に驚きもしません。ただし、今回の書き換え事件に関しては、あまりにもやり方が幼稚であり、その稚拙さ加減に驚いてしまいました。

いずれ書き換え露見することがあまりにも目に見えたようなやり方で、なぜこのような書き換えをしてしまったのか、本当に理解に苦しみます。そうして、このような書き換えが、起きてしまった背景を分析すべきだと思います。

現在のマスコミ報道や、政治家の発言等を参照しても、具体的な書き換えの事実や、様々な憶測だけであって、なぜこのような事件が起きてしまったのか、その根本原因に迫るものはありません。ただし、これから徐々に明らかにされていくと思います。

このブログでは、根本原因について迫ってみたいと思います。

現在、与野党の政治家や、マスコミ、学者などが様々なことを語っていますが、私は今回の事件は彼らにも責任があると思っています。いや、むしろ間接的かもしれませんが彼らが、財務省を暴走させてしまったとさえ考えています。

財務省が社会福祉と税の一体改革、消費税増税、復興税等の必要性を主張する際に出鱈目理論を用いたにもかわらず、政治家、マスコミ、財界、主流のエコノミストまで敢えてこれに異論を唱えてこなかったため、財務省に全能感を抱かせたことが今回の事件の背景にあると思います。要するになめられのです。

財務省は省益を追求するために、出鱈目理論で機会さえあれば、増税しようとしてきたのは明々白々です。にもかかわらず、これに対して真っ向からその間違いを指摘してきたのは、ごく一部の人々のみです。

財務省がどんなに奇妙奇天烈、世界水準からすれば明らかに間違いであることを語っても、これに唯々諾々と従い、異を唱えてこなかったどころか、増税すべきと気炎をあげてきたのが、日本の政治家であり、マスコミであり、多くの学者たちや、エコノミストたちです。

NHKも財務省におもねり、国の財政状況の厳しさを訴えているが、これに全く根拠はない

消費税の社会保障目的税化(財源化)に関しては、まず、事実として、目的税化といっても程度問題であるということがいえます。消費税の社会保障支出へのひも付きは、ゴムでできていると考えれば良いです。ただし、財務省は目的税化を強調していました。

また、財務省による、増税に協力しないと社会保障を削る、また軽減税率には「財源」が必要だ、軽減税率なら社会保障を切る-といった恫喝(どうかつ)もしばしば行われました。これでだまされる識者も多数存在しました。

消費税の社会保障目的税化は政策論からみれば、明らかな間違いです。しかし、1990年代までは大蔵省の主張でもあり、99年の「自自公(自民、自由、公明)」連立時に、財務省が当時の小沢一郎自由党党首に話を持ちかけて、消費税を社会保障に使うと予算総則に書いたのです。

ただ、2000年度の税制改正に関する答申(政府税制調査会)の中で、「諸外国においても消費税等を目的税としている例は見当たらない」との記述があります。実際、諸外国では諸費税を目的税になどしていません。

社会保障の観点から見ると、その財源は社会保険方式なので保険料が基本です。税方式は少なく、しかも社会保険料方式から税方式に移行した国などありません。
また、復興税なるものは日本が東日本大震災を契機に導入した以外には、古今東西に例を見ません。なぜ復興を税によって賄うことをしないかといえば、被災の直後に復興税を徴収すれば、被災を受けた世代にのみ復興のための負担が集中することになるからです。

通常は、大災害などがあった場合に、その復興をするためには、償還まで数十年以上である建設国債などを用いるのが、世界の常識です。なぜなら、数十年かけて償還ということになれば、復興の負担が将来の世代も背負うことになり、被災直後の世代のみが多大な負担を背負うことはなくなるからです。復興を税で賄うという考え方は、最低最悪の考え方であり、

これに対して、財務省は、建設国債は将来の世代につけを回すことになるなどという、奇妙奇天烈な論理で、結局復興税を導入してしまいました。しかし、これは、とにかく増税しよう、そうして復興税の次は消費税増税を目指すという意思の現れでした。

しかし、先に述べたように、これらに多くの政治家、マスコミ、識者は反対するどころか、賛同しました。以下に、復興税に賛成した日本の経済学者らのリストを掲載します。

以下http://www3.grips.ac.jp/~t-ito/j_fukkou2011_list.htmより引用。


 共同提言者・賛同者(2011年6月15日10:00現在)(敬称略)

伊藤 隆敏 (東京大学)
伊藤 元重 (東京大学)
浦田 秀次郎 (早稲田大学)
大竹 文雄 (大阪大学) 
齊藤 誠 (一橋大学)
塩路 悦朗 (一橋大学) コメント
土居 丈朗 (慶応義塾大学)
樋口 美雄 (慶応義塾大学)
深尾 光洋 (慶応義塾大学)
八代 尚宏 (国際基督教大学)
吉川 洋 (東京大学)

(★印のついた方は「第3提言の賛成は留保」)
青木 浩介 (東京大学)
青木 玲子 (一橋大学)★ コメント
赤林 英夫 (慶應義塾大学)
安藤 光代 (慶應義塾大学)
井伊 雅子 (一橋大学)
飯塚 敏晃 (東京大学)
池尾 和人 (慶應義塾大学)
生藤 昌子 (大阪大学) コメント
石川 城太 (一橋大学)
市村 英彦 (東京大学)★ コメント
伊藤 恵子 (専修大学)
岩井 克人 (国際基督教大学)
祝迫 得夫 (一橋大学)
岩壷 健太郎 (神戸大学)
宇南山 卓 (神戸大学)
大来 洋一 (政策研究大学院大学) コメント
大野 泉 (政策研究大学院大学) コメント
大橋 和彦 (一橋大学) コメント
大橋 弘 (東京大学) コメント
岡崎 哲二 (東京大学) コメント
小川 英治 (一橋大学)
小川 一夫 (大阪大学)
小川 直宏 (日本大学)
翁 邦雄 (京都大学)★ コメント
翁 百合 (日本総合研究所)
奥平 寛子 (岡山大学)
奥野 正寛 (流通経済大学)
小塩 隆士 (一橋大学)
小幡 績 (慶應義塾大学)
嘉治 佐保子 (慶應義塾大学) コメント
勝 悦子 (明治大学) コメント
金本 良嗣 (政策研究大学院大学)
川口 大司 (一橋大学) コメント
川﨑 健太郎 (東洋大学) コメント
川西 諭 (上智大学) コメント
北村 行伸 (一橋大学)
木村 福成 (慶應義塾大学)
清田 耕造 (横浜国立大学)
清滝 信宏 (プリンストン大学)
國枝 繁樹 (一橋大学)
久原 正治 (九州大学)
グレーヴァ 香子 (慶應義塾大学) コメント
黒崎 卓 (一橋大学)
黒田 祥子 (早稲田大学)
玄田 有史 (東京大学)
鯉渕 賢 (中央大学)
小林 慶一郎 (一橋大学) コメント
小峰 隆夫 (法政大学)
近藤 春生 (西南学院大学)
西條 辰義 (大阪大学) コメント
櫻川 幸恵 (跡見学園女子大学)
櫻川 昌哉 (慶應義塾大学) コメント
佐々木 百合 (明治学院大学) コメント
佐藤 清隆 (横浜国立大学)
佐藤 泰裕 (大阪大学)
澤田 康幸 (東京大学)
清水 順子 (専修大学) コメント
新海 尚子 (名古屋大学) コメント
鈴村 興太郎 (早稲田大学 / ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ) コメント
清家 篤 (慶應義塾大学)
瀬古 美喜 (慶應義塾大学)
高木 信二 (大阪大学)
高山 憲之 (一橋大学)
武田 史子 (東京大学)
田近 栄治 (一橋大学) コメント
田渕 隆俊 (東京大学)
田村 晶子 (法政大学)
田谷 禎三 (立教大学)
中条 潮 (慶應義塾大学) コメント
筒井 義郎 (大阪大学)
常木 淳 (大阪大学)
釣 雅雄 (岡山大学)
中田 大悟 (経済産業研究所)
中村 洋 (慶應義塾大学) コメント
長倉 大輔 (慶應義塾大学)
畠田 敬 神戸大学
林 文夫 (一橋大学)
原田 喜美枝 (中央大学)
深川 由起子 (早稲田大学) コメント
福田 慎一 (東京大学)★
藤井 眞理子 (東京大学)
藤田 昌久 (経済産業研究所)
星 岳雄 (UCSD)
細田 衛士 (慶應義塾大学)
細野 薫 (学習院大学) コメント
堀 宣昭 (九州大学)
本多 佑三 (関西大学) コメント
本間 正義 (東京大学)
前原 康宏 (一橋大学)
松井 彰彦 (東京大学)★
三浦 功 (九州大学)
三重野 文晴 (神戸大学)
三野 和雄 (京都大学)
森棟 公夫 (椙山女学園)★ コメント
柳川 範之 (東京大学)
藪 友良 (慶應義塾大学)
山上 秀文 (近畿大学) コメント
家森 信善 (名古屋大学)
吉野 直行 (慶應義塾大学)
若杉 隆平 (京都大学)
和田 賢治 (慶應義塾大学)
渡辺 智之 (一橋大学)

以 上

これは、日本の大学の主流派の経済学者といわれる人々です。震災について、やはり復興増税に賛成した経済学者だけは、心情的にも学問的にも許せないです。まさに曲学阿世の徒とは、こういった諸氏を指すために存在する言葉だと思います。

それにしても、このようなことが続けば、財務省が慢心して、自分たちは頭が良く、自分たち以外は頭が悪く、何を言っても自分の思い通りになると勘違いするようになるのも無理はありません。

「われら富士山、他は並びの山」――。東大法学部卒のエリートが集う霞が関で、財務省は大蔵省時代から他省庁を見下ろしながら「最強官庁」を自任してきました。


ただし、たかだか東大法学部を卒業して、国家公務員上級試験に受かり財務省に入ったからといつてエリートといえるのでしょうか。確かに、モノを短期間に暗記したりする能力に勝ているからといってエリートといえるのでしょうか。本来のエリートとは、「本人の命よりその責任が重い人間」のことをそういうのであって、日本のエリートの定義は明らかに間違っています。

彼らからすれば、日本の将来は政治家でも、国民でもなく、頭の良い自分たちがつくるのであり、何をやっても自分たちが正しいというような、中二病的な全能感に浸るようになったのも無理はないと思います。私は、この全能感が、財務省を腐敗・堕落させたのだと思います。

どんなことをやっても、自分たちは他者や他の組織を、結局自由に操れるという全能感が、彼らを公文書書き換えなどという稚拙な犯罪に走らせたのです。


ここ最近、財務省の高級官僚に限らず、「価値のあるボク」「価値のあるアタシ」といった肥大した自己イメージを、いつまでたっても抱えている男女がそこらじゅうに溢れているようです。つまり、全能感を捨てきれない大人達が増えているわけですが、彼らが全能感を維持するメカニズムについては、あまり取り沙汰されていないようです。

しかし従来ならあり得なかった、財務官僚などの全能感を維持したい・いつまでも子どもの王様のままでいたい人にありがちな、二つの処世術を確認してみます。

自分の優秀さや自分のバリューを確認しやすい場所で、それを反復的に確かめる、という方法です。財務官僚なら、東大卒業、国家公務員上級合格、財務省入省ということで、まずは全能感に満たされます。さらに、そこから出世階段をなるべく速くかけあがることで、さらに全能感に満たされます。次官にでもなれば、それこそ神様にでもなったような全能感に満たされるのでしょう。

これは、財務官僚の例ですが、一般の人なら異性をひっかけて自分の価値を確認する人もいれば、ネットゲームやtwitterで優秀さや有能さを確かめたがるタイプの人もいるようです。この際どこでもいいから、とにかく自分が優秀でいられそうなフィールドをみつけ、自分が価値があるという証拠を確認し続けられる限り、全能感を維持できます。その点で、財務官僚は自他共に認める全能感かもしれません。
 
ポイントとなるのは、「全能感が傷つく可能性の高いところには手を出さない」ということです。
 
自分の値打ちを確かめ損ねてしまったら「全能ではない自分自身」「たいして価値のないかもしれない自分自身」に気付いてしまうかもしれませんから、そういう事態は避けなければなりません。実際、安定確実に優越性が示せるフィールド、反復的に自己評価を確認しやすいフィールドが、無意識のうちに選ばれるようです。
 
ただし、強すぎる全能感とある種の才能とが結合した結果、ほとんど全分野で「全能な自分自身」を確認できる(というよりは確認せずにはいられない)人も稀にいて、このような人がスーパーマン、スーパーガールのような外観を呈することは、ありえます。

スーパーガール

自分が手を出す分野のすべてで「全能な自分自身」を確認するというのは、大変な才能と努力を必要とする処世術ですが、年が若くて生命力に溢れているうちは、そのような処世術が成立することもあるかもしれません。

歳をとってどうなるかは知りませんが。財務官僚の場合は、退官してさらに、天下り先に行き、信じがたいほどの高給に恵まれ、老後のハッピーライフを送ることができれば、さらに全能感を維持できるのかもしれません。

さらに、「何もしない」「何も本気でやらない」人ほど、全能感は温存される、ということもあります。
 
本気で勉強しない、本気で恋愛しない、何にも真面目に打ち込まない……こういう処世術は今日珍しくありませんが、現実世界で本当に全能・有能になるには向いていません。しかし気分としての全能感を保持するには向いています。
 
なぜなら、全能感は「挑戦して、自分がオールマイティではないという事実に直面する」「それほどには価値のあるボクではないという事実を突きつけられる」まではいつまでも維持されやすいからです。
 
たいていの人は、思春期のトライアンドエラーや人間関係のなかで、自分が思うほどオールマイティではないという事実に直面し、その直面によってゆきすぎた全能感がなだらかになっていくものなのでしょう。

しかし、自分が傷つくかもしれない状況や自分にあまり価値が無いとわかってしまいそうな挑戦を避け続ける人の場合は、いつまでたっても全能感は失われません。「挑戦すれば価値のあるボクがへし折られるかもしれない」……じゃあ挑戦さえしなければ、いつまでも価値のあるボクが維持できる、というわけです。
 
もし、自分の全能感が失われそうな試験・競争に直面した時にも、全能感を維持するのはそう難しくありません。「俺は本気じゃない」とか「ネタですから」と言い訳しながらの挑戦なら、全力を出してないから失敗した(=全力で挑戦していれば成功していたに違いない)と自己弁解できますから、全能感は保たれます。
 
こんなことばかりしていれば、受かる試験も受からないし競争に勝つ確率も下がってしまいそうですが、全能感を手放したくない人達は、トライアルをクリアする確率を1%でも高めるよりも、自分自身の全能感がひび割れるリスクを1%でも低くすることのほうに夢中になりがちです。

そしてこの処世術に慣れすぎてしまった人は、いざ本気で挑戦しようと思った時には、もはや本気で挑戦できません。いったん“逃げ癖”“言い訳癖”が身についてしまうと、もう、そうせずにはいられなくなるのです。

心の持ちようには無限に近い逃げ道がありますから、第三者が逃げ道をカットすることも難しく、ズルズルといつまでも、真剣なトライアルを回避し続けることになります。そして全能感の維持と引替えに、いつまでたっても技能や経験に恵まれることもなく、生ぬるい日常を過ごし続けます。

どちらのタイプも、全能感を維持するために歪な処世術を発達させているという点ではそう違いませんし、全能感を砕かれる不安を遠ざけるために必死になっているという点でも似たもの同士です。

ただし、受験勉強ばかりで過ごした人は、成績は良くなるものの、目立った失敗はしないすむことになります。思春期のトライアンドエラーや人間関係などで、全能感が破壊されることもなく、維持されるのかもしれません。
  
どんなに有能な人でも、老いて能力が衰えれば、全能感を確認しきれなくなくなる日がやってきます。また、なにもせずに全能感の挫折を回避しつづけてきた人も、いつかは「実は何もできないまま歳だけとった自分」に直面する日がやってくるでしょう。

そのとき、「等身大の自分自身」と「全能な自分自身のイメージ」のギャップにひどく苦しめられる運命が待っています。全能感を失った打撃が背景となって、ついにメンタルヘルスをこじらせて精神科/心療内科を受診する人もけっして珍しくありません。
 
全能感に必死にしがみつくような処世術は、全能感が保たれているうちは威勢良く自惚れていられるかもしれません。しかし、いつか全能感が失われた際にはとても脆く、ギャップや葛藤に悩まされる可能性が高そうです。

とことん全能感にしがみついてきた人は、10代の頃の全能感を40〜50代になっても維持し続けているかもしれず、それが破綻したときの心理的打撃を小さくおさめるのは容易ではないでしょう。
 
そんな生き方をするよりは、適度な失敗や挫折を経験したりして、過度に全能感にしがみつかない人生のほうが、平坦ではあっても危なげないと、私は思います。もちろん、その場その場では辛い経験や充たされない経験もあるでしょう。けれども「常に充たされて当然」「辛い経験は避けるのが当然」という処世術をカチコチに築き上げるより、よほど柔軟な生き方が出来そうですし、挫折や失敗にへし折られるリスクも小さくなりそうです。

そもそも、個々の人間には強みと弱みがあります。だからこそ、組織があるのです。組織の中では、個々の人間は、強みを発揮して、弱みは他の人にやってもらうなどして、中和します。それが組織の役割です。20歳をすぎれば、ほとんどの人は強みを伸ばすことはできても、弱みを是正することなどなかなかできません。


それに、現代ではすべての事柄が、専門化してしまい、何でもできる人というのはいません。現代では、何でもできる人とは「何も出来ない人」ということです。そもそも、この社会では本来全能感など成り立ち得ないのです。

そうして、まともな企業であれば、それを前提に個々人が強みを極限まで伸ばし、そのことにより成果をあげ、出生の階段を登ることになります。

全能感に浸っている人はこのことが理解できないのかもしれません。全能感を維持できるような組織は、そもそもこの根本を理解しておらず、いずれ腐敗・堕落するのです。民間企業であれば、腐敗・堕落すれば、いずれ潰れるしかありませんが、財務省のような組織、そのようなこともなく温存されてしまうのです。

官僚に関しては、「大過なしに過ごす」という言葉に象徴されるように、財務省なら、省益のことだけ考えて、強み、弱みなど関係なく、省益に沿った考え方、行動をとり国民経済など二の次で出世の階段をあがり、あわよくば財務次官になるか、なれなくても、高い地位まで上り詰めて、天下り先に行きほとんど仕事らしい仕事もしないで高給をとるということで、幼稚な全能感が維持しやすいのかもしれません。

それにさらに、自分たちの考えなど、本来であれば、間違いを指摘すべき経済学者などもこれを指摘せず、ほとんどの政治家やマスコミもそれを否定することなく、財務省のいいなりで、財務官僚の全能感を助長してきたのです。

佐川氏も、このような全能感に浸り、公文書の書き換えなどという稚拙な犯罪に手を染めてしまったのでしょう。彼からすれば、書き換えをしようが、何をしようが、全能の自分は無敵であり、何でも自分の思い通りになると考え、あの国会での胡散臭い答弁を何の疑問もなくしてしまったのでしょう。

そうして、佐川氏は自らの全能感は、否定せざるをえなくなり、辞職したのでしょうが、財務省には全能感に浸ったおろかな官僚がまだ大勢いるはずです。この全能感という財務省のDNAは破壊しなければ、同じようなことがまた何度でも起こることでしょう。

やはり、財務省は完全解体して、そのDNAを引き継がれることがないようにしなければならないです。

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2017年3月10日金曜日

ついに東京新聞が私のコラムを「ボツ」にした―【私の論評】日本のリベラル左派は、彼らの使命を「政権や権力と戦う事」と考え無間地獄に陥り堕落している(゚д゚)!


異論は許さない、ということなのか

                                                 長谷川 幸洋   プロフィール

長谷川幸洋氏 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 ボツになったコラムを公開しよう

東京新聞がいよいよ、おかしくなってきた。TOKYO MXの番組「ニュース女子」の沖縄特集で私が司会を務めたのを理由に、私を「降格処分」したのは多くの読者がご承知だろう。それだけでなく、今度は同紙に書いた私のコラムを「ボツ」にしたのだ。

結論を先に言えば、私はこちらの方が番組よりも深刻な問題をはらんでいると思う。なぜなら、これは「言論の自由」を侵害しただけでなく、東京新聞が「自社への批判は許さず、異論は掲載しません」と宣言したに等しいからだ。

これまで、私はひと月半に1回くらいの割合で「私説」という小さなコラムを書いてきた。だが、その私のコラムも終わりかもしれない。ボツになったのは今回が初めてだが、今後も内容次第でボツになる可能性がある。

自分で言うのも気が引けるが、紙面全体が圧倒的に左に傾く中で、たまに私のコラムが掲載されることで、かろうじて東京新聞がバランスに配慮するアリバイ証明になってきた。左に批判的な立場は事実上、社内では私くらいしかいない。

私のコラムが終わりなら、東京新聞は今後、左に傾いた記事や論説、コラムしか掲載しない新聞になるだろう。それでいいのだろうか。

まず、ボツになった問題のコラム全文を以下に紹介しよう。タイトルは「東京新聞の事なかれ主義」だ。

ーーーーー
◆東京新聞の事なかれ主義

私が司会を務めるテレビ番組「ニュース女子」(TOKYO MXなど)の沖縄特集に関連して、東京新聞は3月1日付で私を論説副主幹から論説委員に降格した。

深田実・論説主幹は先に放送内容が「本紙の報道姿勢および社説の主張と異なる」「事実に基づかない論評が含まれる」ことなどを理由に、私の出演を「重く受け止め、対処する」と紙面に書いていた。これを受けた「処分」であるのはあきらかだろう。

私が他のメディアで何を語ろうと、もちろん私の自由だ。にもかかわらず、私の意見が本紙の論調と異なることを理由に処分するのは、言論の自由に対する侵害である。

主幹は「事実に基づかない論評」が具体的に何を指すのか、あきらかにしていない。そもそも私は司会者であり、主に発言したのは他のコメンテーターたちと地元住民である。これでは反論のしようもない。

私が処分の理由を問うと、主幹は「そこは大人の対応で」などと言葉を濁した。問い詰めると「副主幹の立場で出演したのが問題」という。私がラジオで批判し数日経つと「あくまで定期異動」とも説明する。基地反対派には処分した体裁をとりつつ、私には定期異動と言い逃れしているのだ。

まさにサラリーマンの事なかれ主義ではないか。そんな情けない姿勢の主幹では言論の自由は守れない。(長谷川幸洋)

ーーーーー

お分かりのように、これはニュース女子騒動に関連して、私を論説副主幹から論説委員に降格した人事を批判した内容である。人事発令前の経緯については、2月10日公開コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50947)で紹介したので、繰り返さない。

その後、3月1日に正式に発令されたことは、3日公開コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51107)の末尾でごく簡単に触れた。私は発令を受けて、まずは東京新聞紙上で私の考えをあきらかにしようと考えて「私説」という欄に上記のコラムを書いた。

コラムはゲラになって6日午後、私の手元にファクスで送られてきた。ところが掲載予定前日の7日午前に深田主幹から私の携帯に電話があり、私が受け損なうと留守電に「君の『私説』は使いませんから、という連絡です」とメッセージが残っていた。

私は後で気が付いて、すぐ電話を計5回、折り返し「電話をいただけるよう」留守電にメッセージも残したが結局、この原稿締め切りまでに返事はなかった。だから、ボツにされた理由はいまも分からない。

ただ、推測はできる。「自社の紙面で論説副主幹から名指しで主幹を批判されたら、たまらない」と思ったかもしれない。だが、問題をこのまま見過ごすわけにはいかないのだ。言論の自由と紙面の信頼性がかかっているからだ。
 ふざけたことを言うな

東京新聞の論調はどうあれ、私の言論の自由は守られなければならないのは当然だ。

ところが、深田主幹が紙面に書いたニュース女子をめぐる反省文(先の2月10日公開コラム参照)は、上の私説向けコラムでも紹介したように、放送内容が東京新聞の論調と異なることを理由の1つに挙げている。

東京新聞2日付朝刊1面に掲載された
「『ニュース女子』問題 深く反省」と題した記事
番組で発言したのは、主に2人のコメンテーターと地元住民である。私は司会者だ。番組に出演していた中部大学の武田邦彦教授が指摘していたが、いわば「過激な発言をした人の横に座っていたのがけしからん」という話なのだ。こんな理屈があるだろうか。

「コメンテーターの発言を黙って見逃したのがけしからん」という批判もあるようだが、私は彼らの発言を促すのが役割だ。視聴者はご存知と思うが、あの番組に出てくる識者たちは、みんな私が制止しても喋り続ける、困った人たちばかりなのだ(笑)。

「副主幹の肩書で出たのが問題」というなら、私はこれまで10年ほど論説委員や論説副主幹の肩書でテレビに出演している。この際、はっきり言っておこう。「テレビに出るときは新聞の肩書を名乗ってくれ」と頼んできたのは、実は新聞社の方なのだ。

私がテレビに出演することで、関東地方でマイナーなローカル新聞である「東京新聞」の名前が宣伝になると考えたからだ。それが証拠に、今回の騒ぎが起きるまで「新聞の肩書を名乗るな」などと会社から言われたことは一度もない。

いままで、さんざん私のテレビ出演を宣伝に利用していながら、いまさら何を言っているのか。「ふざけたことを言うな」という話である。これが1点。

次に「事実に基づかない論評が含まれていた」という点はどうか。繰り返すが、私は司会者であって論評する立場ではない。しかもコラムで指摘したように、そもそも「事実に基づかない論評」とは何を指すのか、深田主幹は反省文であきらかにしていない。

百歩譲って、仮に他人が言った論評に「事実に基づかない」部分があったとしても、具体的中身が分からないのでは議論のしようがない。

事実関係については、2月10日公開コラムで書いたように、番組スタッフが取材を続けている。取材の成果は近く公開できるだろう。私はその内容を見て、必要があれば、あらためてコメントする。これが2点目。

根本的な問題に触れよう。なぜ、東京新聞はこんなトンチンカンな対応をしたのか。

そもそも深田主幹は2月2日付で私に対する処分を盛り込んだ反省文を紙面に出す前に、私に出演の経緯や司会者である私の役割、あるいは事実関係について事情を聞いていない。当事者に話も聞かないで、事実上の処分を世間に公表したのである。こんな乱暴な手続きはない。

2月10日公開コラムで書いたように、私は1月30日朝、主幹と面談している。その時点では、主幹は何か紙面で表明したとしても「東京新聞の論調はニュース女子とは違う」程度のことと考えていた。だから、私も「それは、そうですね」と応じた。それだけだ。

それは事情聴取などという代物では到底、ない。

そもそも、面談の目的は私に対する定期異動の内示だった。ニュース女子問題への対応をどうするかについては、話のついでに主幹ではなく「私の方から」持ち出した話題である。いわば雑談だ。

もしも、その時の面談が私に対する処分を前提にした話だったら、穏便な会話になっていたわけがない。私は定期異動というので、快く受け入れた。

証拠もある。

(私はかつて官僚と渡り合った経験から、大事な会合は必ず録音をとるようにしている。「上司と話し合うのに録音とは」と驚かれるかもしれないが、私のような異端児で〈笑〉周囲が落とし穴だらけの人間にとって、その程度は身を守るための基本動作だ。

官僚は重要会合で必ずメモに加えて録音をとる。そういえば最近、野党政治家が官僚を怒鳴り上げて問題になった例があったが、官僚は基本的に政治家との会合を録音しているのを知らなかったのだろうか)

それが2日後に突如、反省文に変わった。その間、私への聴取はまったくなかった。つまり初めから当事者に事情も聞かない、いい加減な手続きで出した反省文であり、だからこそ「反省」を支える論理も奇妙で、穴だらけなのである。

どうして、こうなったか。

それは結局のところ、深田主幹がコトの重大性をしっかり考えていないからだ、ということに尽きる。大事な読者の一部である基地反対派の批判に恐れをなして、あわてて「反省します。論説副主幹には対処します」と言ってしまった。

真正面から私を降格処分すれば、私から反撃を浴びる。だから定期異動という形にして、対外的には「処分」の体裁を整えたのである。まさに「サラリーマンの処世術」というほかない。この類の話は世間にはいくらでもあるだろう。

私が見過ごせないと思うのは、東京新聞が普通の事業会社ではなく、曲がりなりにも言論の自由を掲げている新聞であるからだ。

本来は重職であるはずの論説主幹を事なかれ主義のサラリーマンが担って、その場しのぎで筋が通らない奇妙な反省文を書いている。

それこそが東京新聞の危機なのだ。

【私の論評】日本のリベラル左派は、彼らの使命を「政権や権力と戦う事」と考え無間地獄に陥り堕落している(゚д゚)!

ニュース女子の沖縄特集の番組についてはこのブログでも取り上げたことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
「ニュース女子」騒動と朝日社説 慰安婦の「大誤報」反省せず、現在進行形で海外にたれ流し―【私の論評】「ニュース女子」を巡って大公開討論をすべき(゚д゚)!
朝日新聞の社説
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事でも掲載した、「ニュース女子」の沖縄特集の番組の動画を以下に再度掲載します。


この記事にも掲載したのですが、この動画を見る限り、この報道番組には何らの問題もなかったと私は思います。

この程度のことが問題になるのだったら、それこそ、最近の森友問題で民進党や、マスコミが躍起になってこの問題と安倍総理や夫人を結びつけようとして、あからさまな印象操作をしつこく何度も行っていたことのほうが、余程問題だと思います。

の番組内容が虚偽の内容にあたり、自身の名誉を毀損(きそん)されたとして、市民団体「のりこえねっと」の辛淑玉(シン・スゴ)共同代表が放送倫理・番組向上機構(BPO)放送人権委員会に番組内容の審議を申し立てたことについて、沖縄県民として同番組に出た「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員の我那覇真子(がなは・まさこ)さんらが24日、東京都内で会見し、「辛淑玉氏らの行為は言論弾圧だ」と批判しています。

その会見の動画を以下に掲載します。



関西テレビの「そこまで言って委員会NP」では、沖縄の現状に随分前から言及していました。そうして、この番組には長谷川幸洋氏も、出ています。

この番組でも日当を貰ってプロ市民が活動している件や、中国語、韓国語で話していることや、朝生でも、ケントさんが、日当を貰っていることを発言したことを語っていました。

沖縄が異常な状況にあることは、「ニュース女子」で報道するまでもなく、もはや常識だと思います。ネットの記事や動画などをみれば、誰もが異常状況にあることはすぐにわかります。

それにしても、東京新聞には問題がありすぎです。最近でも、問題報道がありました。その問題記事の写真を以下に掲載します。


この記事がなぜ問題なのかについては、このブログでも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
F/A-18に関し誤解を招く恐れのある東京新聞掲載記事に対する在日米海軍司令部の見解―【私の論評】またCNN報道を鵜呑みし垂れ流した東京新聞(゚д゚)!
空母から発艦したF18
この記事は、今年2月23日のものです。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にこの記事から一部を引用します。

まずは、在日米海軍の見解から一部を引用します。これは、在日米軍本部のフェイスブックに掲載されたものです。
米海軍は前方展開海軍戦力に多額の予算を投じており、最新鋭の航空機を日本に配備しています。日本に配備されている飛行隊には必要とされるリソースはすべて提供され、米海軍厚木航空施設を拠点とするスーパーホーネットは万全に整備されています。またこれらのスーパーホーネットは、米海軍の前方展開戦闘飛行隊を最大限の即応性で維持する為に必要となる、すべての部品と飛行時間を有しています。 
定期的な整備や飛行時間管理など様々な要因により、個々の航空機および飛行隊の飛行スケジュールは多岐に亘っています。しかしながら、東京新聞の記事で引用されていた数字は、即応性や安全性のいずれの傾向をも反映しておりません。
東京新聞のこの記事は、米国のCNNなどが、米軍のFA18の6割近く飛べない状況であることを報道したことを受けて、よく確かめもせずに、 「厚木の米軍機F18 6割飛べず?」というタイトルで、この事実を報道したものです。

FA18というと、運用され始めてから随分たっていますから、全体ではこのような状況なのかもしれませんが、厚木の米海軍FA18は、空母の艦載機でもあり、最前線に位置する部隊でもあります。

米海軍としては、艦載機に関しては優先的に予算や部品を回すようにしているので、稼働率が40%などということはあり得ず、この東京新聞の記事は誤解を招くものであるということで、抗議をしたものです。

このようなこと、それこそ在日米軍に直接照会すれば、すぐにわかるようなことなのに、東京新聞は裏取りもせずにこのような記事を掲載したのです。

東京新聞というと、昨年の暮あたりにも酷い記事が散見されました。それに関しては、BLOGOSの記事が詳細を掲載しています。以下にその記事のリンクを掲載します。
東京新聞の経済デスクが腹黒すぎて草
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を引用します。

"

て、周回遅れではありますが、先日の放射脳で安倍ガーの東京新聞があまりにアレなんで、Twitterでもレスしてみました。
まずはこちらがオリジナル



わたしの質問はガン無視 ww


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Isseki Nagae/永江一石 @Isseki3


教えてください。自分には社会保障費は0.4%圧縮してもなお防衛費の7倍も増額するというようにしか見えないんですが、なんで東京新聞はそう受け取るんですか?そもそも元がでかいんだから比率の小さいものとと同じだけ増額したら日本は死にますが。 https://twitter.com/tokyokeizaibu/status/812148231266308096 …
2016年12月27日 16:18

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オツムが弱い放射脳の人には上のグラフ、つまり東京新聞の記事

福祉を削って防衛費に、けしからん

って見えるのかもしれませんが、これ、伸び率を棒グラフにしたもので母数がそもそも違うわけです。つまり500kgの象の体重が40キロ増えた(8%増)のと、60キロの人間の体重が6キロ増えた(10%増)のを比較して、「人間の体重が10%も増えたのに象は8%しか増えてないぞ。象は健康的だ」というようなもの。もともとのでかさが飛んでる。
ただしいグラフ作ってみた。



単位/億円。だいたい母数が全く違うのに伸び率で比較するとか小学生でもやらないレベル。伸び率が問題なんじゃない。いくら金がかかってるのかが重要なわけだし、母数がでかければ同じ金額なら伸び率は相当小さく見える。
"
この記事には、他の事例で防衛予算費の詐欺グラフも掲載されていました。このようなことを見ると、何やら、ブログ冒頭の記事では、長谷川幸洋氏は、東京新聞の「事なかれ主義」を問題にしているようですが、確かにそのような側面もあるのですが、本当に問題なのはそれではないような気がしてきます。

私は、東京新聞の問題の本質は、「政権や権力と戦うのが自分たちの使命」と思い込んでいることにあるのではないかと思います。

これに関しては、長谷川幸洋氏も同じようなことを語っています。それについては、以下のリンクをご覧になって下さい。
【東京新聞「深く反省」】 長谷川幸洋氏が同紙記事に反論 「言論の自由の侵害」「北朝鮮と同じになる」―【私の論評】「ニュース女子」臆することなく、これからも左翼の闇に切り込め(゚д゚)!
ニュース女子出演者 左から杉原杏璃 、脊山麻理子 、重盛さと美
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、 この記事の【私の論評】の中ほどに、長谷川氏の主張を掲載しています。

そうして、その使命を遂行すためには、多少の印象操作など許されると思っているのではないでしょうか。そうして、何度もそのようなことを繰り返しているうちに、多少の範囲をかなり逸脱するのが当たり前になってしまったのではないでしょうか。

だからこそ、上のF18Aの記事なども裏取りもせず平気で報道したり、防衛費の印象操作なども平気でできるのだと思います。

そうして、このような問題は東京新聞だけにとどまらず、リベラル左派全体にみられる問題なのではないかと思います。

私は、現在の日本のいわゆるリベラル左派は、自分たちは日本という国や社会をどうしたいのかという理想も持たずに、単に「政権や権力と戦うのが自分たちの使命」であると思い込み続けてきたため、まともにものが考えられなくなり、「政権や権力」と戦うこと自体が目的、目標になってしまい、無限地獄に陥って堕落しているのだと思います。

そもそも、自分たち国や社会をどうしたいのかという理想がなければ、目的も定まらず、したがって目標も定められず、目標に沿った行動もできずに、ただただ日々を無為に過ごしているだけということに彼らは気づいていないのです。

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