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2019年4月21日日曜日

財務省はいつから「同じ失敗を繰り返すエリート集団」になったのか―【私の論評】財務官僚の"増税烈士"ごっこを打ち砕くためには、財務省を解体するしかない(゚д゚)!

財務省はいつから「同じ失敗を繰り返すエリート集団」になったのか

財務省にとっての「平成」(2) 
ドクター Z




 プロフィール




大蔵省の大きなあやまち

前回(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64039)に引き続き、「財務省にとっての平成」について追っていきたい。

バブル絶頂とともにはじまった平成は、日銀の「バブル潰し」を目的とする金融引き締めによって完全に経済停滞し、'90年代半ばからはデフレ経済に日本は陥った。

多くの人は当時意識しなかったが、インフレ率がマイナスになることは世界のどこを見わたしてもほぼ皆無だった。名目金利は低くても、インフレ率がマイナスであれば、実質金利は高い。つまり、経済成長を望むのが難しい状況になった。

これに追い打ちを掛けるように、大蔵省はとんでもない間違いを犯してしまった。

'97年4月、消費税を3%から5%へ増税したことだ。デフレ経済へ突入したタイミングで消費増税である。この結果、'99年度(平成11年)は'97年度と比べ、所得税収と法人税収の合計額が6兆5000億円もの税収減となり、失業者数は300万人を超えた。

1997年4月、テレビ東京系で『ポケットモンスター』の放送がスタートした

不幸というべきか、大蔵省は政治巧者だった。'93年8月、非自民の細川連立内閣が成立した。不安定な政権に付け込み、大蔵省は消費増税を仕掛けた。これが「国民福祉税騒動」('94年2月、消費税を廃止して7%の国民福祉税を設けると細川首相が突如発表した)に発展し、羽田内閣への政権交代へとつながった。

大蔵省が再び消費増税を仕掛けたのは、社会党と自民党連立の村山内閣時である。そして'97年4月、自民党単独内閣である橋本内閣になって消費増税は実現してしまった。目まぐるしく代わる政権を利用した、大蔵省の荒業である。

景気回復後、ふたたび奈落に
1回目の消費増税以降、明らかに景気停滞が進んだにもかかわらず、大蔵省はその因果関係を決して認めようとしなかった。今でも定説になっているのは、'97年に発生したアジア通貨危機が原因という説だ。

アジア通貨危機は、韓国やタイで発生した。たしかに「震源地」の両国では経済減速がみられたが、その後の回復は早かった。日本は震源地でもないのに経済低迷したままだった。これは日本が国内要因、つまり消費増税で景気低迷したことを示している証拠だ。

   1990年代に歌手・安室奈美恵のファッションを真似た「アムラー」が女子高生を中心に流行し、
   コギャルスタイルが定着。さらに90年代後半には「ヤマンバギャル」が登場し、「ヤマンバ」が
   「マンバ」へと進化した。写真は当時流行したマンバ(2016年ハロウィン@渋谷)

数々の金融機関が潰れ、先の見えない不況に沈むなか、'01年の森政権時に中央省庁の再編が行われ、大蔵省は財務省へと名を変えた。金融行政の権限は金融庁へと移管し、池田勇人首相が揮毫した大蔵省の門標との別れを惜しんだ官僚もいたという。

こうしたなか、「聖域なき構造改革」を掲げたのが、'01年に首相の座を射止めた小泉純一郎だ。国庫支出金の改革や郵政民営化、数々の規制緩和など、財務省のみならずあらゆる官庁と熾烈なバトルを繰り広げた時代といえよう。

報道では構造改革や民営化が目立っていたが、その裏で小泉首相は金融緩和を進めていた。そのため雇用が回復し、'02年から「いざなみ景気」と呼ばれる好景気が見られたのは事実である。

しかし、'08年9月から始まるリーマンショックで、麻生政権時に再び日本経済は奈落の底に突き落とされた。その後、政権は民主党へ代わり、金融緩和と積極財政が求められたが、日銀も財務省もまるで対応しなかった。バブル対応を誤った、およそ20年前と同じことを繰り返していると思うと、情けない限りだ。

【私の論評】財務官僚の"増税烈士"ごっこを打ち砕くためには、財務省を解体するしかない(゚д゚)!

“官庁の中の官庁”といわれる財務省に入ったエリート中のエリートたちが、予算編成権と徴税権を盾に政治家やマスコミ、他省庁をひれ伏させ、“最強官庁”の名をほしいままにしてきたにもかかわらず、常識では考えられない、幼稚ともいえるような、次官のセクハラ発言や文書改竄などの不不祥事を繰り返したか?多くの人が憤りを感じ、理解に苦しんだことでしょう。

「近年の官僚の劣化」を指摘する声もあります。しかし、財務省の「おごり」と「欺瞞」は今に始まったことではありません。大昔から繰り返されてきたことです。それが、「セクハラ、改竄、口裏合わせ」という不祥事の形でようやく表面化してきたにすぎません。

財務省の「欺瞞」が最も顕著なのが、長年にわたる消費増税をめぐる議論だです。財務省は国債と借入金、政府短期証券を合わせた「国の借金」が1000兆円を超えたと喧伝し、増税を煽り続けているが、これは政府の負債だけに着目するまやかしです。

世界標準の考え方では国の財政状況を正しく見るためには日銀を含めた「統合政府」としてのバランスシートが基本です。それで見ると、日本はほぼ財政再建が終わっている状態です。これは、米国や英国よりも良い状況です。

統合政府(政府+日銀)のパランスシート
統合政府BSの資産は1350兆円。統合政府BSの負債は、国債1350兆円、日銀発行の銀行券450兆円になります。
ここで、銀行券は、統合政府にとって利子を支払う必要もないし、償還負担なしなので、実質的に債務でないと考えて良いです。

また国債1350兆円に見合う形で、資産には、政府の資産と日銀保有国債がある。これらが意味しているのは、統合政府BSのネット債務はほぼゼロという状況です。このBSを見て、財政危機だと言う人はいないと思います。そうして、このような尺度でみれば、日本の財政状況は米国や英国などよりもはるかに良好なのです。

ところが、当の財務官僚は自らのことを「悪者になってもいいから、あえて国民に不人気な増税という選択肢を突き進む"増税烈士"」だと勘違いしています。この幼稚な思い上がりに財務官僚の決定的な「おごり」があると思います。

財務官僚の忖度という構図もありました。これは、財務省に忖度したマスコミから流れたのかもしれないですが、このようなことはありえないです。随分前から、時の政権をも脅かす財務省です。2度目の安倍晋三政権下でも、「財政再建」と「金融緊縮」を至上命題とする財務省は、「経済成長」と「金融緩和」を中心とする官邸と暗闘を繰り広げています。

こうしたおごりと欺瞞にまみれた財務省が、前代未聞の不祥事を立て続けに起こしたのです。財務省の信頼回復のためには「財務省解体」という荒業が必要です。それほどまでに取り返しのつかないことを財務省はしてしまったのです。

財務省解体とは、国税庁を財務省から切り離し、日本年金機構の徴税部門と合併させて、新たに税金と社会保険料の徴収を一括して行う「歳入庁」を新設することです。

他省庁は予算を求め、政治家は徴税を恐れ、マスコミはネタを求めて、財務省にひれ伏しています。世界を見渡しても「予算編成」という企画部門と「徴税」という執行部門が事実上、一体となっている財務省のような組織はまず見当たらないです。

これは、上場企業をみれば明らかです。「予算編成」という企画部門と営業部門である執行部門が一体となっている企業などありません。そもそも、会社法などの法律でそのようなことはできないことになっています。経理部門と財務部門も一緒にはできません。

これは、日本だけではなく、世界中がそうなっています。日本以外の国では、民間企業だけではなく、政府機関もそうなっています。

なぜでしょうか。昔から、企画部門と執行部門が同一になっていれば、必ず不祥事が起こるからです。そんなことは考えてみれば、誰にでも一目瞭然です。予算案を作成する部門とお金を使う部門が一緒になれば、何が起こるか誰にでも容易に想像がつくはずです。

自らを本来は存在することなどあり得ない"増税烈士"になぞらえ、増税することその事事態に、高揚感を覚え、陶酔する財務官僚を生み出したのは、通常のまともな組織では、最初から成り立ちえない不適合組織である財務省なのです。

"増税烈士"幻想を打ち砕くためには、財務省を解体するしかないのです。159年前の日本の将来を憂い社会を憂い水戸藩の浪士が中心となり決起した桜田門外ノ変では多くの浪士が、討ち死に、後には切腹などで死亡しました。彼らのやり方は、過激なところもありましたが、彼らの犠牲もあってわずか変の後8年後に明治維新が成就したことには異論はないと思います。烈士とはこういう人たちのことをいうのであって。"増税烈士"などあり得ません。

今年も盛大に行われた「桜田烈士祭」

そもそも、烈士とは、革命や維新などにおいて戦い功績を残し、犠牲となった人物またはその人物の称号をいう。 幕末の日本においては、志士のうち、特に生命を危険にさらしたり、犠牲を払った人物を指します。志士そのものをいう場合も多いです。桜田門外の変に加わった水戸藩や薩摩藩の浪士を桜田烈士と呼称する例があります。

桜田門外の変は、確かに直接維新につながりはせず、そのやり方は現代で言えばテロと言っても良い方法でありしかも、時期尚早ではありましたが、彼らの思いは確かに多くの人たちに大きな影響を与え、維新への道をはやめ、維新後に日本の構造転換を一気にすすんだのです。この構造転換により、アジアの小さな国日本が、短期間で列強に肩を並べるまでになったのです。

彼らの犠牲が多くの人々の心を打ったからこそ、今年も「桜田烈士祭」が盛大に開催されているのです。

一方現状の"増税"は、日本の構造転換を促すものはないのは無論のことですが、さらに日本をデフレスパイラルのどん底に再び沈め、多くの人々を不幸するだけです。そもそも、財務官僚は何があったとしても、本物の烈士のように亡くなることもなく、退官後の安逸を貪っています。

そもそも、エリートの本来の意味は、本人の命よりもその責任が重い人のことをいいます。だから、昔のエリートであった武士は、切腹の作法を学びいつでも切腹できるようにしていたのです。そういう意味では、財務官僚は真のエリートとはいえません。

財務官僚には、幼稚な「増税烈士ごっこ」はやめさせるべきです。

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2018年10月22日月曜日

【国難突破】習政権が目論む“情報洗脳的世界支配” 日米連携で中国「情報謀略網」解体を―【私の論評】2012年から日中は戦争状態!なるべく多くの国々と同盟関係になることが日本を守る(゚д゚)!

【国難突破】習政権が目論む“情報洗脳的世界支配” 日米連携で中国「情報謀略網」解体を

マイク・ペンス米副大統領が4日、ワシントンでの公園で、かつて米国政府が
したことのない中国非難を展開した。写真はブログ管理人挿入 以下同じ。

 マイク・ペンス米副大統領が4日、ワシントンでの講演で、かつて米国政府がしたことのない中国非難を展開した。

 《中国共産党は、米国企業、映画会社、大学、シンクタンク、学者、ジャーナリスト、地方、州、連邦当局者に見返りの報酬を与えたり、支配したりしている。最悪なことに、中国は米国の世論、2018年の選挙、そして、20年の大統領選挙につながる情勢に影響を与えようとする前例のない取り組みを始めた(概略)》

 衝撃的な率直さと言うべきだろう。しかも、ペンス氏は中国国内の監視体制についても次のように言及している。

 《20年までに、中国の支配者たちは、人間の生活の事実上すべての面を支配することを前提とした、いわゆる『社会的信用スコア』と呼ばれるジョージ・オーウェル(=英作家、全体主義国家の恐ろしさを描いた小説『1984年』が有名)式のシステムを実施することを目指している(同)》

 要するに、中国は世界最強国・米国を、軍事や産業のみならず、大規模な情報工作で大統領選まで蚕食しつつ、一方で「1984年」的な支配網の構築を急いでいることになる。

 ペンス氏は、いずれの戦略目標年限も2020年だとしている。とすれば、これは中国の現執行部が、20年までに情報洗脳的な世界支配をもくろんでいると言っているに等しい。

 対岸の火事でないどころか、ペンス氏の指摘は、日本の「存亡の危機」そのものではないか。

 CIA(中央情報局)とFBI(連邦捜査局)を持ち、世界最強の軍隊を持つ米国がここまで蚕食されているというのだ。すべてにおいて無防備、無警戒な日本の「企業、映画会社、大学、シンクタンク、学者、ジャーナリスト、地方と国の当局者」に、すでに幅広く中国の間接支配網ができていると仮定しないとすれば、その方がよほどどうかしていよう。

 とりわけ、「モリカケ」問題による長期的な疑惑キャンペーンは、日本のマスコミの反保守・反自民の慣習を差し引いても、あまりにも常軌を逸していた。

 私は繰り返し提言しているが、この倒閣キャンペーンについては、情報謀略と、間接協力者らに関して、徹底的に検証すべきだ。

 折しも、外交評論家、宮家邦彦氏が『正論』10月号への寄稿で、中国の諜報への対処を切言し、「外国の諜報員に諸外国なみの厳罰を科すことなどを可能とする『スパイ防止法』の制定を急ぐべきである」と論じている。

 宮家氏は外務省キャリア出身で、穏当な議論を立てる方だが、その氏をして、ここまで言わしめる段階に日本はいたっているのだ。

 日本政府は、あらゆる非難に怯まず、米国と連携して、中国の情報謀略網の解明・解体へと、断固たる一歩を踏み出してもらいたい。=おわり

 ■小川榮太郎(おがわ・えいたろう) 文芸評論家。1967年、東京都生まれ。大阪大学文学部卒。埼玉大学大学院修了。国語や文学の衰退など、日本人の精神喪失に対して警鐘を鳴らす。一般社団法人「日本平和学研究所」理事長を務める。第18回正論新風賞を受賞。著書に『天皇の平和 九条の平和-安倍時代の論点』(産経新聞出版)、『徹底検証 安倍政権の功罪』(悟空出版)など多数。

【私の論評】2012年から日中は戦争状態!なるべく多くの国々と同盟関係になることが日本を守る(゚д゚)!

中国を厳しく非難するペンス副大統領の演説を、米国による中国への宣戦布告であると評する人々もいます。私は、そうは思いません。なぜなら、すでに米中は以前から、戦争状態に入っていたとみなすべきだからです。ペンス大統領の演説は、中国に対する宣戦布告ではなく、すでに戦争状態に入っている両国との戦いに米国は絶対に勝つとの意思表示であると私は思います。

多くの人々は気づいていないようですが、実は日本もすでに、中国と戦争状態に入っています。とはいいながら、最近日中関係が、一見改善されてきているようにみえます。安倍総理は昨年11月11日、ベトナムで習近平と会談しました。雰囲気は、きわめて友好的で、両首脳は関係改善への意欲をはっきり示しました。さらに、今週は安倍総理が中国を訪中する予定です。
日中関係が改善されるのは、良いことのようにもみえますが、決して油断することはできないです。中国は6年前、尖閣、沖縄を奪取するための戦略を策定しました。「広義」での「日中戦争」は、もう始まっているのです。
私自身「日中戦争が始まった」という事実に大きな衝撃を受けたのは2012年11月15日のことでした。
私はこの日、「ロシアの声」に掲載された「反日統一共同戦線を呼びかける中国」という記事を読みました(現在リンク切れ状態になっています)。この記事には衝撃的な内容が記されていました。
・中国は、ロシア、韓国に「反日統一共同戦線」の創設を提案した。 
・「反日統一共同戦線」の目的は、日本の領土要求を断念させることである。 
・日本に断念させるべき領土とは、北方4島、竹島、尖閣および沖縄である。 
・日本に沖縄の領有権はない。 
・「反日統一共同戦線」には、米国も引き入れなければならない。
これを読み、私は「日中戦争が始まった」ことを確信しました。そうして、中国は米国を「反日統一共同戦線」に米国を引き入れようとしましたが、米国はそれに応じなかっために、米中もまもなく戦争状態に入りました。これは、はっきりしませんが、おそらく2016年か2017年頃だと考えられます。
しかし、普通の人がこれを読んでも「確かに衝撃的な内容だが、『戦争が始まった』というのは、大げさだ」と思うでしょう。そう、日本人は「戦争」というと、バンバン撃ち合う「戦闘行為」を思い浮かべます。いや、それしか思い浮かべることができないようです。
具体的な戦闘こそ起きていないが、「情報戦」は展開しており、日中戦争は
実質的には始まったと考えるべき。今や米国に次ぐ軍事費大国に
なった中国と戦闘をせずに勝つために、日本は何をすべきなのだろうか?

実をいうと、「戦争」は「戦闘」に限定されません。むしろ「戦闘」は、広い意味での「戦争」の「最終段階」で起こります。そして実際は、戦闘が起こった段階で、勝敗は決している場合がほとんどなのです。
J国とC国が、同じ物を欲しているとします(例えば島など)。そこで、J国とC国は話し合いをするのですが、埒があかない。それで、C国の指導者の頭の中に、「戦争」という2文字が浮かびます。そう、戦争は、まずどこかの国の指導者の「頭の中」「心の中」で始まるのです。
さて、「戦争」の2文字を思い浮かべたC国の指導者は、翌日J国に軍を送るでしょうか?そんな愚かなことはしません。まず彼は、「戦争に勝つ方法」(=戦略)を考えます。
次に、「情報戦」を開始します。情報戦の目的は、「敵国(この場合J国)は、悪魔のごとき存在で決して許すことができない」と、自国民や全世界に信じさせることです。現在の日米と中国はこの「情報戦」を展開している段階なのです。
まず、自国で「反戦運動」が盛り上がって戦争の邪魔をされないようにしなければならないです。次に、国際社会で敵国の評判を失墜させ、いざ戦争(戦闘)が始まったとき、敵が誰からも支援されない状況をつくる必要があるからです。
「情報戦」の良い例が、1930年代初めにあります。満州問題で日本と争っていた中国は、日本の「世界征服計画書=田中メモリアル(田中上奏文)」という偽書を世界中にばらまきました。それで、非常に多くの人々が「日本は世界征服を企んでいる」と信じてしまったのです 


次に「外交戦」で、自国の味方を増やし、敵国を孤立させます。必要とあれば、「経済戦」を仕掛けます。わかりやすい例は、日本が石油を買えないようにした「ABCD包囲網」でしょう。そして、最後に、必要とあらば「戦闘」し、望みのものを手に入れるのです。
さて、私が「戦争がはじまった」と確信した12年11月15日、中国はどの段階にいたのでしょうか。
日本をつぶす戦略は、すでに立てられていました。そして、ロシアと韓国に「反日統一共同戦線」創設を提案しているので、すでに「情報戦」「外交戦」は開始されていたことがわかります。
私は、決して「誇大妄想的」に「戦争が始まった」と思ったわけではありません。実際、12年11月、「日中戦争」は開始されたのです。ただし、その後、「反日統一共同戦線戦略」は、かなり無力化されています。中国にとって全くの誤算だったのは、米国が「反日統一共同戦線」に入らなかったことです。そうして、結局米中は戦争状態に突入しました。
普通の国が「反日統一共同戦線」のような情報を得れば、即座に対応策を考え始めるでしょう。つまり、対抗するための「戦略」を練るのです。しかし、日本はなかなかそうなりません。
日本では、「平和ボケ病」に冒された左派寄りの人たちと、「自主防衛主義(専守防衛主義)」、さらには「核武装論」を主張する右派寄りの人たちが議論を戦わせています。しかし、いずれも日中戦争に勝つ結果にはつながらない発想です。
平和論者の人たちは、「世界は第2次大戦後、平和になった」と主張します。しかし、新世紀に入って以降も、世界では以下のような戦闘が起きています。
2001年 アフガニスタン戦争が始まった。 
2003年 イラク戦争が始まった。 
2008年 ロシアージョージア(旧グルジア)戦争が起こった。 
2011年 リビア戦争があり、カダフィが殺された。 
2014年3月 ロシアがクリミアを併合。続いて、ウクライナ内戦が勃発した。 
2014年9月 米国を中心とする「有志連合」がIS空爆を開始した。 
2017年4月 米国は、シリアをミサイル攻撃した。 
そして現在、世界は「朝鮮戦争は起こるのだろうか?」と恐怖しています。事実を見れば、「今の時代」は決して「平和な時代」ではなく、逆に「戦国時代」であることがわります。

「平和憲法があれば、戦争は起こらない」「平和主義を守れば、日本は安全」という神話もあります。「平和主義なら日本は安全」というのなら、なぜ中国は、虫も殺さぬ平和主義のチベットを侵略し、100万人を虐殺したのでしょうか

このように「平和ボケ病」は、「戦略的思考」を停止させるようです。彼らによると、「何もしなければ戦争は起こらない」。だから、「戦争に勝つ方法」(=戦略)を考える必要は、まったくないという結論になってしまうのです。

一方、右派寄りの人たちは、自国防衛の強化を主張します。しかし、もはや中国の軍事力は、実際にはまだまだとはいいつつ、現状でも侮れない状況になっています。

16年の中国の軍事費は2150億ドルで、米国に次いで世界2位でした。日本の防衛費は461億ドルで世界8位。中国の軍事費は、なんと日本の4.6倍です。さらに中国は、米国、ロシアに次ぐ「核兵器大国」でもあります。

今から中国に追いつくべく、大金を投じて軍拡するというのは、現実的ではありません。「いや、そんなにたくさんの金はいらない。なぜなら核武装すればいいからだ」という意見もあります。確かに、最貧国の北朝鮮が保有していることからもわかるように、核兵器は「もっとも安上りな方法」かもしれません。

しかし、これも話は簡単ではありません。核兵器の拡散を防ぐ「核拡散防止条約」(NPT)があります。NPTは、米国、英国、フランス、ロシア、中国以外の国の核保有を禁ずる、極めて「不平等」な条約です。それでも、現在190ヵ国が加盟し、世界の安定を守る秩序として、機能しています。

世界には、「NPT未加盟」で「核保有国」になった国もあります。すなわち、インド、パキスタン、イスラエルです。NPTに加盟していたが、脱退して核保有国になった国も、一国だけあります。そう、北朝鮮です。

日本が核武装を決意すれば、NPTを脱退せざるを得ないです。つまり、核武装論者は、「日本は、北朝鮮と同じ道を行け!」と主張しているのです。そんな道を行けば、国連安保理で過酷な制裁を課されることは、想像に難くないです。

日本の核武装論者は、「日本の立場は特殊だ」と主張するのですが、「アグレッシブな核保有国が近くにいる」のは日本だけではないです。

たとえば、核大国ロシアと戦争したジョージアは、自衛の為に核を持つべきでしょうか。ロシアにクリミアを奪われたウクライナは、核を持つべきでしょうか。核大国・中国の脅威に怯えるフィリピンやベトナムは、核を保有すべきでしょうか。

「すべての国は平等」という原則に従えば、「持つべきだ」となるでしょう。あるいは、「すべての国が核を廃棄すべきだ」と。しかし、これらは、いずれも「非現実的な議論」に過ぎないです

結局、「自分の国を自分で守れる体制を今すぐ作ろう」という主張は、とても現実的とはいえないです。では、中国に屈伏するしか道はないのでしょうか。

実をいうと、柔軟に考えることができれば、「中国に勝つ方法」を考え出すのは難しくないです。

日本には、世界一の軍事力を誇る米国という同盟国がいます。この事実について、「米軍に守ってもらうなんて日本は属国に等しい。恥ずべきだ」という意見があります。しかし、冷静に考えて、これは「恥ずかしいこと」なのでしょうか。



たとえば、欧州には、北大西洋条約機構(NATO)があります。これは、29ヵ国からなる「対ロシア軍事同盟」です。そして、内実を見れば、「NATO加盟国28ヵ国は、米国に守ってもらっている」状態です。NATOの中には、英国、フランス、ドイツのような大国もいます。彼らですら、核超大国ロシアの脅威に対抗するため、米国に頼っているのです。

ただ、日本とNATO加盟国の違いもあります。NATO加盟国は、どんな小国でも「NATOに貢献しよう」という意志を持ち、実際に行動しています。

日本の場合、「米国が日本を守るのは当然だが、日本が米国を守ることはできない。なぜなら日本は平和主義国だからだ」というロジックを持っており、長らく、まったく貢献する意志を見せてきませんでした。ただし、小泉総理時代から、少しずつ変わってきてはいます。

これは、日本人に言わせれば「平和主義」である。しかし、米国からは、そう見えないです。

「米国兵が日本のために何万人死んでも、それは当然だ。しかし、日本兵が米国のために死ぬことは、1人たりとも許さない」という大変狡猾なロジックだからです。

それで、安倍総理は「安保法」を成立させ、「集団自衛権行使」が可能になりました。日本は米国を守れるようになったので、もはや「属国だ」と卑屈になる必要はないのです。

また、「いざという時、米国は日本を守りませんよ」と断言する「専門家」も多いです。そうかもしれないですが、実際、日米安保は機能しています。

たとえば10年の「尖閣中国漁船衝突事件」、12年の「尖閣国有化」。これらの事件の直後、日中関係は大いに悪化し、人民解放軍は尖閣に侵攻する意志を見せていました。しかし、どちらのケースでも、米国政府高官が「尖閣は、日米安保の適用範囲」と宣言したことで、中国はおとなしくなりました。

そう、日米安保には、いまだに「中国の侵略を抑止する効果」が十分あるのです。

とはいえ、米国の衰退は著しいです。引き続き、米国と良好な関係を維持するのはもちろんですが、日本は未来に備える必要があります。その「未来の同盟国」とは、将来中国に並ぶ大国になることが確実なインドです。

安倍総理は今、「インド太平洋戦略」を提唱し、トランプ大統領も乗り気です。これは、日本、米国、インド、オーストラリアで、中国を牽制するのが目的です。

とにかく日本が中国に勝つには、一貫した誠実さと努力によって、強い国々を味方につけていく必要があります。具体的には、最重要国家として、米国、インド。次に、EU、ロシア。そして、東南アジア諸国、オーストラリア。これらの国々との関係をますます強固にすることで、日本は守られます。

そうして、安倍総理はこの方向で外交を強力にすすめ、今日多くの国々が日本と同盟関係に入ったり、入りつつあります。

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2018年10月14日日曜日

コラム:日本の純資産はプラマイゼロ、IMFの新国富論―【私の論評】財務省は解体し複数の他官庁の下部組織として組み入れ、そのDNAを絶つべき(゚д゚)!

コラム:日本の純資産はプラマイゼロ、IMFの新国富論

ロイター: Peter Thal Larsen

Peter Thal Larsen

企業を分析する際に、負債だけをみる人は真剣な投資家とは言えないだろう。しかし、こと国の分析となると、その国の富よりも債務にばかり着目するファンドマネジャーは多い。

国際通貨基金(IMF)は、国家財務の資産側にもスポットライトを当てることで、バランスを取り戻そうと努めている。

IMFが10日公表した世界経済生産の61%を占める31カ国の財政モニター報告書には、驚くべき指摘が並んでいる。公的部門の正味資産の合計額は101兆ドル(約1京1000兆円)に上り、合計国内総生産(GDP)の219%に相当する。一方、公的債務の合計は同94%であり、資産はその倍以上あるということになる。

巨額の借金を抱える日本の場合、負債額はGDPの283%に相当するが、その半分以上を日本銀行を含めた政府機関が抱えている。他の資産も考慮に入れて試算すると、日本の「純資産」はほぼプラスマイナスゼロになると、IMFは指摘している。

IMF Fical Motitor 2018に掲載されたグラフ

一方で、財政黒字を誇るドイツの場合、純資産はマイナスだ。

こうした分析は、完璧にはほど遠い。根拠となっているデータは統一性に欠ける。そして、資産と負債の全体像を把握しようとする中で、公的年金制度の将来的なコストや、地下に眠る自然資源の価値などについては、大胆な推計を用いることになる。また、国有企業や資産は簡単には売却できない。

だがそれでも、国の富をより明確に把握することは、いくつかのポジティブな効果をもたらす。1つには、純資産を増大させる公共投資と、借金で財源を作った補助金の区別が明確になる。また、よりよく資産を管理するよう国に圧力が加わる。

IMFがモニターした31カ国の資産利益率は、2010─16年において平均1.9%だった。これに加えて、GDPの3%程度の利益を搾り出すことができれば、先進国が徴収する法人税と同程度の歳入を手にすることになる。

こうした説明責任に対する政治的な消極姿勢が、公共資産に関する公式データの不備を招いているのだろう。

たがその中でも、一部の国は自ら範を示しつつある。ニュージーランドは、6月までの1年間で純資産が1300億ニュージーランドドル(約9兆4000億円)に達し、GDP比で45%と前年の40%から増加したと発表した。

IMFに背中を押され、他の国も、近くバランスシートの資産側について、より詳細な情報を投資家に提供し始めるのではないだろうか。

【私の論評】財務省は解体し複数の他官庁の下部組織として組み入れ、そのDNAを絶つしかない(゚д゚)!

つい一昨日このブログではかなりIMFを批判しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
IMF「対日4条協議」の内幕 財務省が言わせる「日本は消費増税すべきだ」 ―【私の論評】愚かなIMFを緊縮財政に利用する屑組織財務省は解体すべき(゚д゚)!
IMFのラガルド専務理事(右)と会談する麻生太郎財務相(左)=4日、財務省

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では「IMFは1990年代から2000年代にかけて緊縮一辺倒であったことを12年に間違いだったと認めていた」ことを掲載しました。要するに、経済が悪化した国々が過去にIMFの融資を求めたのですが、そのときにIMFは財政均衡を重視して、それらの国々に緊縮財政をすることを条件に融資をしたのです。

その結果どういうことになったかといえば、IMFから融資を受けた国々すべてが、経済の悪化を是正することができずとんでもないことになったのです。

ところが、財務省はIMFの名前で自らの見解を述べることで外圧として利用できるので、最近の4条協議で、IMFが「日本は消費増税すべきだ」という意見を述べているのですが、まず財務省がそう言わせていると思って間違いないのです。

本来ならば、IMFはこうした財務省の悪巧みを見破って正しいコンサルティングをすべきなのに、財務省に唯々諾々と従い、財務省の言うとおりの「日本は増税すべき」などというとんでもないコンサルティングの結果を公表しているのです。酷いの一言につきます。この点では、絶対にIMFの馬鹿さ加減を許容することはできません。

それとは打って変わって、今回のIMFの報告書はまともな内容です。以下にそのリンク先を掲載しておきます。

 https://www.imf.org/en/Publications/FM/Issues/2018/10/04/fiscal-monitor-october-2018 …

この報告書では、中央銀行(日本では日銀)などを含んだ広義の政府部門のバランスシートでは日本はほとんど純債務はありません。さらに、最近の日本では日銀が市場からかなり国債を買い取っています。

日銀は日本政府の下部組織ですから、この国債は債務とはなりません。日本政府と日銀の統合(統合政府といいます)したBSでは、統合政府ベースでは、借金がないどころか、財政は黒字です。

こんなことを言うとまた、愚かな人々が「そんな馬鹿な」などと言い出すかもしれませんが、こんな一見理解しがたいことになるのは、過去の日本があまりにも長い間(20年以上)金融引締めを実行してきたからです。こんな、異常な状況は古今東西にみられません。

政府の資産と負債の両方を見るとという見方は比較的最近多くの政府で実施されるようになったので、IMFは先の報告書のような比較分析ができるようになりました。

統合政府ベースのBSは、それを作成している国は、まだ少ないです。そのうち、多くの政府が真の自国の財政などを分析するために作成しはじめたなら、IMFの報告書にも統合ベースのBSが掲載されることになるでしょう。

日本の純資産はプラマイゼロである、すなわち政府の借金はゼロであること示すブログ冒頭のロイターのビーター・サル・ラーセン(Peter Thal Larsen)ような記事はなぜか日本のマスコミでは、ほとんど報道されません。これと同じことは、日本ではいわゆるリフレ派という人々が20年くらい前から言ってきたことです。

このブログでも、ブログを創設したばかりの頃(2007年)から、掲載したきたことです。このIMFレポートは財務省の影響がほぼないので、こういう情報を日本のマスコミは報道すべきですが、財務省に忖度しているか、文字やグラフ読めないかのいずれかなのか、ほとんど報道されません。

さて、上の記事を読んだとしても、記事の中で「そして、資産と負債の全体像を把握しようとする中で、公的年金制度の将来的なコストや、地下に眠る自然資源の価値などについては、大胆な推計を用いることになる。また、国有企業や資産は簡単には売却できない」という部分を過大に受けとめる人も多いのではないでしょうか。

それこそ、日本政府の資産を昔の銀行の不良資産のように考え、「日本の資産は不良資産ばかりで、すぐに売ることもできないから、結局は日本は借金まみれなのだ」などと思い込むのは、勝手にしても、それをまともに確かめることもせずドヤ顔で周り吹聴する馬鹿で愚かな人や悪意に満ちた人も多いです。

実は日本政府の資産の7割以上が、現金または現金と同等ですぐに現金に換金できるものです。さらに他の資産も不良資産ではありません。かなり売りやすいものばかりです。現金にすぐに換金できるもののわかりやすい代表例としては、日本国国債があげられます。

日本国債は金利が非常に低いことはご存知でしょう。しかも、日銀が金融緩和のため市中銀行等からかなり買い取っているので、市場ではかなり不足しています。だから、日本政府が有する国債など販売すれば、すぐに入れ食い状態になります。

このような状態なら新規で国債を刷っても入れ食い状態になるのは明らかですが、緊縮を旨とする財務省はそんなことは絶対にしようとはしません。震災復興のときは、国債ではなく、復興税で賄うなどという、常軌を逸した、非常識を実行しました。このままだと、いずれ日銀の金融緩和にも支障をきたすかもしれません。

ブログ冒頭の記事では、「企業を分析する際に、負債だけをみる人は真剣な投資家とは言えないだろう。しかし、こと国の分析となると、その国の富よりも債務にばかり着目するファンドマネジャーは多い」としています。

全くその通りです。国の富よりも債務ばかりに着目するような、ファンドマネジャーは長い目で見れば、成果をあげられず、敗退するしかないのでないでしょう。

このような理屈は何もファンドマネジャーでなくても、まともな常識を持っていればすぐに理解できるはずです。例えば、遺産相続です。

遺産相続の時に、負債だけみて、負債が膨大にあるから、相続放棄するなどという人がいるでしょうか。細かいことはさておき、大局的には負債だけでなく、資産もみて、負債よりも資産の方が大きいとみれば、相続し、負債のほうが資産よりも大きければ、相続放棄をするというのが当たり前です。

しかし、財務省はこのような常識もないようです。私は財務官僚は優秀であると聴いていたのですが、彼らは負債ばかり強調して、資産のことはいわずに、しかもそれを前提として消費税増税をすべきだと言います。

最初は省益だけを追求しているため、悪意でそのようなことを言っているのかとも思っていましたたが、近年の財務省の数々の幼稚な不祥事などみているとあまりに社会常識に欠けているようにみえ、どうみても頭が悪いようにしか見えません。

東大を卒業して、難しい試験に合格して、将来を嘱望されて財務省に入るまでは、確かに彼らは世間一般よりも頭が良いのかもしれませんが、財務省に入ってからは財務官僚の慣行などに従っているうちに、社会常識すら破ってしまうように頭が悪くなっているのかもしれません。

特に、周りの他の官庁や、マスコミ、識者などが彼らにちやほやして、国民生活や経済に全く関係ないところで、いろいろ忖度をするので、自らを成長させる機会を失い、頭も財務省に入ってから月日を経るごとに悪くなってしまったのかもしれません。

先のIMFの報告書には、各国の財政政策の姿勢がより積極的なのか、あるいより緊縮的なのかの分析まであります。以下の図のFISCOは、1に近いほど景気の悪化に順応して財政政策を機動させているかということを示しています。狭義の政府部門のGDP債務比率によって財政政策の機動性が拘束されてるとも読めます。これは、財務省病の根源である、財務省忖度指数ともいえるかもしれません。


やはり、ここまで常識に欠ける財務省は解体して、複数の他官庁の下部組織にして、そのDNAを絶つというのが、日本にとっては一番良いことかもしれません。

中途半端に解体すると、彼らはゾンビのように復活し、他官庁を植民しまた緊縮病を日本中に撒き散らすことになります。

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2018年3月14日水曜日

【日本の選択】日本の民主主義はここまで堕落してしまったのかと呆然… 野党に日本のかじ取りを任せることも不可能―【私の論評】稚拙な全能感で腐敗・堕落した財務省は解体するしかない(゚д゚)!

【日本の選択】日本の民主主義はここまで堕落してしまったのかと呆然… 野党に日本のかじ取りを任せることも不可能

「最強官庁」は腐敗・堕落した

 青天の霹靂(へきれき)というべき事態だ。朝日新聞の報道が契機となって、森友学園に関する公文書が財務省の指示によって書き換えられていたことが分かった。私は当初、このような事態は考えられないと思っていたので、誤解に基づく報道ではないかと想像していた。

 官僚が公的文書を偽造するなどということは、民主主義の根幹に関わる問題であり、日本の民主主義がそこまで腐敗しているとは想像できなかった。

 実際に書き換える前後の文書を眺めると、財務省による姑息(こそく)で悪質な文書改竄(かいざん)であることは明らかだ。安倍晋三首相をはじめとする政治家の名前、そして、「安倍首相夫人が森友学園に訪問した際に、学園の教育方針に感涙した」との記述も削除されている。わが国の民主主義は、ここまで堕落してしまったのかと、呆然(ぼうぜん)としてしまった。

 政治を成り立たせるのは、為政者と国民の信頼関係だ。

 『論語』に「信なくば立たず」との言葉があることは有名だが、これは信用が大切だといった程度の言葉ではない。孔子の悲壮な覚悟が伝わってくる言葉だ。

 弟子の子貢(しこう)が孔子に「政治の本質」を問うた。その際、孔子は「兵」(安全保障)、そして、「食」(経済)と同時に、民衆からの「信」を挙げた。子貢が、その中で1つを捨てるとしたら、と問うと、孔子は「兵」を捨てるべきと答えた。さらに進んで、もう1つ捨ててしまうとしたら何かを問うと、孔子は「食」を捨て去るべきと答える。

 孔子が安全保障、経済を軽んじていたわけではない。それらが重要であることは熟知していた。憲法9条が存在するから日本は平和だなどという、空疎な平和主義者であったわけではない。「兵」よりも「食」よりも「信」が肝要と説いたのは、政治の本質が国民からの「信」にあることを訴えたかったからであろう。

 今回の財務省の姑息な文書の書き換えによって、政治に対する国民からの信が失われてしまった。しかも、絶望すべきなのは、このような事態に至ってもなお、野党に政権を担えるとは到底思えないことだ。通常、これほど国民からの信用を失う事態に至れば、野党への期待が高まるはずだ。

 だが、いまだに「平和安全法制を違憲だ」と叫び続ける立憲民主党、「自衛隊は違憲だ」と獅子吼する(=雄弁に語ること)日本共産党、何をしたいのかが、さっぱりわからない希望の党。これらの政党に日本のかじ取りを任せることは不可能だ。

 日本に重要なのは、自民党に代わり得る「健全で現実的なリベラル政党」だ。現実的な安全保障政策を取り、国民が信用できるリベラル政党が何よりも必要だ。

 ■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。拓殖大学客員研究員などを経て、現在大和大学政治経済学部政治行政学科専任講師。専攻は政治哲学。著書に『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)、『人種差別から読み解く大東亜戦争』(彩図社)、『「リベラル」という病』(同)など。

【私の論評】稚拙な全能感で腐敗・堕落した財務省は解体するしかない(゚д゚)!

私自身は、このブログで随分前から何度か指摘してきたように財務省の腐敗・堕落については別に驚きもしません。ただし、今回の書き換え事件に関しては、あまりにもやり方が幼稚であり、その稚拙さ加減に驚いてしまいました。

いずれ書き換え露見することがあまりにも目に見えたようなやり方で、なぜこのような書き換えをしてしまったのか、本当に理解に苦しみます。そうして、このような書き換えが、起きてしまった背景を分析すべきだと思います。

現在のマスコミ報道や、政治家の発言等を参照しても、具体的な書き換えの事実や、様々な憶測だけであって、なぜこのような事件が起きてしまったのか、その根本原因に迫るものはありません。ただし、これから徐々に明らかにされていくと思います。

このブログでは、根本原因について迫ってみたいと思います。

現在、与野党の政治家や、マスコミ、学者などが様々なことを語っていますが、私は今回の事件は彼らにも責任があると思っています。いや、むしろ間接的かもしれませんが彼らが、財務省を暴走させてしまったとさえ考えています。

財務省が社会福祉と税の一体改革、消費税増税、復興税等の必要性を主張する際に出鱈目理論を用いたにもかわらず、政治家、マスコミ、財界、主流のエコノミストまで敢えてこれに異論を唱えてこなかったため、財務省に全能感を抱かせたことが今回の事件の背景にあると思います。要するになめられのです。

財務省は省益を追求するために、出鱈目理論で機会さえあれば、増税しようとしてきたのは明々白々です。にもかかわらず、これに対して真っ向からその間違いを指摘してきたのは、ごく一部の人々のみです。

財務省がどんなに奇妙奇天烈、世界水準からすれば明らかに間違いであることを語っても、これに唯々諾々と従い、異を唱えてこなかったどころか、増税すべきと気炎をあげてきたのが、日本の政治家であり、マスコミであり、多くの学者たちや、エコノミストたちです。

NHKも財務省におもねり、国の財政状況の厳しさを訴えているが、これに全く根拠はない

消費税の社会保障目的税化(財源化)に関しては、まず、事実として、目的税化といっても程度問題であるということがいえます。消費税の社会保障支出へのひも付きは、ゴムでできていると考えれば良いです。ただし、財務省は目的税化を強調していました。

また、財務省による、増税に協力しないと社会保障を削る、また軽減税率には「財源」が必要だ、軽減税率なら社会保障を切る-といった恫喝(どうかつ)もしばしば行われました。これでだまされる識者も多数存在しました。

消費税の社会保障目的税化は政策論からみれば、明らかな間違いです。しかし、1990年代までは大蔵省の主張でもあり、99年の「自自公(自民、自由、公明)」連立時に、財務省が当時の小沢一郎自由党党首に話を持ちかけて、消費税を社会保障に使うと予算総則に書いたのです。

ただ、2000年度の税制改正に関する答申(政府税制調査会)の中で、「諸外国においても消費税等を目的税としている例は見当たらない」との記述があります。実際、諸外国では諸費税を目的税になどしていません。

社会保障の観点から見ると、その財源は社会保険方式なので保険料が基本です。税方式は少なく、しかも社会保険料方式から税方式に移行した国などありません。
また、復興税なるものは日本が東日本大震災を契機に導入した以外には、古今東西に例を見ません。なぜ復興を税によって賄うことをしないかといえば、被災の直後に復興税を徴収すれば、被災を受けた世代にのみ復興のための負担が集中することになるからです。

通常は、大災害などがあった場合に、その復興をするためには、償還まで数十年以上である建設国債などを用いるのが、世界の常識です。なぜなら、数十年かけて償還ということになれば、復興の負担が将来の世代も背負うことになり、被災直後の世代のみが多大な負担を背負うことはなくなるからです。復興を税で賄うという考え方は、最低最悪の考え方であり、

これに対して、財務省は、建設国債は将来の世代につけを回すことになるなどという、奇妙奇天烈な論理で、結局復興税を導入してしまいました。しかし、これは、とにかく増税しよう、そうして復興税の次は消費税増税を目指すという意思の現れでした。

しかし、先に述べたように、これらに多くの政治家、マスコミ、識者は反対するどころか、賛同しました。以下に、復興税に賛成した日本の経済学者らのリストを掲載します。

以下http://www3.grips.ac.jp/~t-ito/j_fukkou2011_list.htmより引用。


 共同提言者・賛同者(2011年6月15日10:00現在)(敬称略)

伊藤 隆敏 (東京大学)
伊藤 元重 (東京大学)
浦田 秀次郎 (早稲田大学)
大竹 文雄 (大阪大学) 
齊藤 誠 (一橋大学)
塩路 悦朗 (一橋大学) コメント
土居 丈朗 (慶応義塾大学)
樋口 美雄 (慶応義塾大学)
深尾 光洋 (慶応義塾大学)
八代 尚宏 (国際基督教大学)
吉川 洋 (東京大学)

(★印のついた方は「第3提言の賛成は留保」)
青木 浩介 (東京大学)
青木 玲子 (一橋大学)★ コメント
赤林 英夫 (慶應義塾大学)
安藤 光代 (慶應義塾大学)
井伊 雅子 (一橋大学)
飯塚 敏晃 (東京大学)
池尾 和人 (慶應義塾大学)
生藤 昌子 (大阪大学) コメント
石川 城太 (一橋大学)
市村 英彦 (東京大学)★ コメント
伊藤 恵子 (専修大学)
岩井 克人 (国際基督教大学)
祝迫 得夫 (一橋大学)
岩壷 健太郎 (神戸大学)
宇南山 卓 (神戸大学)
大来 洋一 (政策研究大学院大学) コメント
大野 泉 (政策研究大学院大学) コメント
大橋 和彦 (一橋大学) コメント
大橋 弘 (東京大学) コメント
岡崎 哲二 (東京大学) コメント
小川 英治 (一橋大学)
小川 一夫 (大阪大学)
小川 直宏 (日本大学)
翁 邦雄 (京都大学)★ コメント
翁 百合 (日本総合研究所)
奥平 寛子 (岡山大学)
奥野 正寛 (流通経済大学)
小塩 隆士 (一橋大学)
小幡 績 (慶應義塾大学)
嘉治 佐保子 (慶應義塾大学) コメント
勝 悦子 (明治大学) コメント
金本 良嗣 (政策研究大学院大学)
川口 大司 (一橋大学) コメント
川﨑 健太郎 (東洋大学) コメント
川西 諭 (上智大学) コメント
北村 行伸 (一橋大学)
木村 福成 (慶應義塾大学)
清田 耕造 (横浜国立大学)
清滝 信宏 (プリンストン大学)
國枝 繁樹 (一橋大学)
久原 正治 (九州大学)
グレーヴァ 香子 (慶應義塾大学) コメント
黒崎 卓 (一橋大学)
黒田 祥子 (早稲田大学)
玄田 有史 (東京大学)
鯉渕 賢 (中央大学)
小林 慶一郎 (一橋大学) コメント
小峰 隆夫 (法政大学)
近藤 春生 (西南学院大学)
西條 辰義 (大阪大学) コメント
櫻川 幸恵 (跡見学園女子大学)
櫻川 昌哉 (慶應義塾大学) コメント
佐々木 百合 (明治学院大学) コメント
佐藤 清隆 (横浜国立大学)
佐藤 泰裕 (大阪大学)
澤田 康幸 (東京大学)
清水 順子 (専修大学) コメント
新海 尚子 (名古屋大学) コメント
鈴村 興太郎 (早稲田大学 / ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ) コメント
清家 篤 (慶應義塾大学)
瀬古 美喜 (慶應義塾大学)
高木 信二 (大阪大学)
高山 憲之 (一橋大学)
武田 史子 (東京大学)
田近 栄治 (一橋大学) コメント
田渕 隆俊 (東京大学)
田村 晶子 (法政大学)
田谷 禎三 (立教大学)
中条 潮 (慶應義塾大学) コメント
筒井 義郎 (大阪大学)
常木 淳 (大阪大学)
釣 雅雄 (岡山大学)
中田 大悟 (経済産業研究所)
中村 洋 (慶應義塾大学) コメント
長倉 大輔 (慶應義塾大学)
畠田 敬 神戸大学
林 文夫 (一橋大学)
原田 喜美枝 (中央大学)
深川 由起子 (早稲田大学) コメント
福田 慎一 (東京大学)★
藤井 眞理子 (東京大学)
藤田 昌久 (経済産業研究所)
星 岳雄 (UCSD)
細田 衛士 (慶應義塾大学)
細野 薫 (学習院大学) コメント
堀 宣昭 (九州大学)
本多 佑三 (関西大学) コメント
本間 正義 (東京大学)
前原 康宏 (一橋大学)
松井 彰彦 (東京大学)★
三浦 功 (九州大学)
三重野 文晴 (神戸大学)
三野 和雄 (京都大学)
森棟 公夫 (椙山女学園)★ コメント
柳川 範之 (東京大学)
藪 友良 (慶應義塾大学)
山上 秀文 (近畿大学) コメント
家森 信善 (名古屋大学)
吉野 直行 (慶應義塾大学)
若杉 隆平 (京都大学)
和田 賢治 (慶應義塾大学)
渡辺 智之 (一橋大学)

以 上

これは、日本の大学の主流派の経済学者といわれる人々です。震災について、やはり復興増税に賛成した経済学者だけは、心情的にも学問的にも許せないです。まさに曲学阿世の徒とは、こういった諸氏を指すために存在する言葉だと思います。

それにしても、このようなことが続けば、財務省が慢心して、自分たちは頭が良く、自分たち以外は頭が悪く、何を言っても自分の思い通りになると勘違いするようになるのも無理はありません。

「われら富士山、他は並びの山」――。東大法学部卒のエリートが集う霞が関で、財務省は大蔵省時代から他省庁を見下ろしながら「最強官庁」を自任してきました。


ただし、たかだか東大法学部を卒業して、国家公務員上級試験に受かり財務省に入ったからといつてエリートといえるのでしょうか。確かに、モノを短期間に暗記したりする能力に勝ているからといってエリートといえるのでしょうか。本来のエリートとは、「本人の命よりその責任が重い人間」のことをそういうのであって、日本のエリートの定義は明らかに間違っています。

彼らからすれば、日本の将来は政治家でも、国民でもなく、頭の良い自分たちがつくるのであり、何をやっても自分たちが正しいというような、中二病的な全能感に浸るようになったのも無理はないと思います。私は、この全能感が、財務省を腐敗・堕落させたのだと思います。

どんなことをやっても、自分たちは他者や他の組織を、結局自由に操れるという全能感が、彼らを公文書書き換えなどという稚拙な犯罪に走らせたのです。


ここ最近、財務省の高級官僚に限らず、「価値のあるボク」「価値のあるアタシ」といった肥大した自己イメージを、いつまでたっても抱えている男女がそこらじゅうに溢れているようです。つまり、全能感を捨てきれない大人達が増えているわけですが、彼らが全能感を維持するメカニズムについては、あまり取り沙汰されていないようです。

しかし従来ならあり得なかった、財務官僚などの全能感を維持したい・いつまでも子どもの王様のままでいたい人にありがちな、二つの処世術を確認してみます。

自分の優秀さや自分のバリューを確認しやすい場所で、それを反復的に確かめる、という方法です。財務官僚なら、東大卒業、国家公務員上級合格、財務省入省ということで、まずは全能感に満たされます。さらに、そこから出世階段をなるべく速くかけあがることで、さらに全能感に満たされます。次官にでもなれば、それこそ神様にでもなったような全能感に満たされるのでしょう。

これは、財務官僚の例ですが、一般の人なら異性をひっかけて自分の価値を確認する人もいれば、ネットゲームやtwitterで優秀さや有能さを確かめたがるタイプの人もいるようです。この際どこでもいいから、とにかく自分が優秀でいられそうなフィールドをみつけ、自分が価値があるという証拠を確認し続けられる限り、全能感を維持できます。その点で、財務官僚は自他共に認める全能感かもしれません。
 
ポイントとなるのは、「全能感が傷つく可能性の高いところには手を出さない」ということです。
 
自分の値打ちを確かめ損ねてしまったら「全能ではない自分自身」「たいして価値のないかもしれない自分自身」に気付いてしまうかもしれませんから、そういう事態は避けなければなりません。実際、安定確実に優越性が示せるフィールド、反復的に自己評価を確認しやすいフィールドが、無意識のうちに選ばれるようです。
 
ただし、強すぎる全能感とある種の才能とが結合した結果、ほとんど全分野で「全能な自分自身」を確認できる(というよりは確認せずにはいられない)人も稀にいて、このような人がスーパーマン、スーパーガールのような外観を呈することは、ありえます。

スーパーガール

自分が手を出す分野のすべてで「全能な自分自身」を確認するというのは、大変な才能と努力を必要とする処世術ですが、年が若くて生命力に溢れているうちは、そのような処世術が成立することもあるかもしれません。

歳をとってどうなるかは知りませんが。財務官僚の場合は、退官してさらに、天下り先に行き、信じがたいほどの高給に恵まれ、老後のハッピーライフを送ることができれば、さらに全能感を維持できるのかもしれません。

さらに、「何もしない」「何も本気でやらない」人ほど、全能感は温存される、ということもあります。
 
本気で勉強しない、本気で恋愛しない、何にも真面目に打ち込まない……こういう処世術は今日珍しくありませんが、現実世界で本当に全能・有能になるには向いていません。しかし気分としての全能感を保持するには向いています。
 
なぜなら、全能感は「挑戦して、自分がオールマイティではないという事実に直面する」「それほどには価値のあるボクではないという事実を突きつけられる」まではいつまでも維持されやすいからです。
 
たいていの人は、思春期のトライアンドエラーや人間関係のなかで、自分が思うほどオールマイティではないという事実に直面し、その直面によってゆきすぎた全能感がなだらかになっていくものなのでしょう。

しかし、自分が傷つくかもしれない状況や自分にあまり価値が無いとわかってしまいそうな挑戦を避け続ける人の場合は、いつまでたっても全能感は失われません。「挑戦すれば価値のあるボクがへし折られるかもしれない」……じゃあ挑戦さえしなければ、いつまでも価値のあるボクが維持できる、というわけです。
 
もし、自分の全能感が失われそうな試験・競争に直面した時にも、全能感を維持するのはそう難しくありません。「俺は本気じゃない」とか「ネタですから」と言い訳しながらの挑戦なら、全力を出してないから失敗した(=全力で挑戦していれば成功していたに違いない)と自己弁解できますから、全能感は保たれます。
 
こんなことばかりしていれば、受かる試験も受からないし競争に勝つ確率も下がってしまいそうですが、全能感を手放したくない人達は、トライアルをクリアする確率を1%でも高めるよりも、自分自身の全能感がひび割れるリスクを1%でも低くすることのほうに夢中になりがちです。

そしてこの処世術に慣れすぎてしまった人は、いざ本気で挑戦しようと思った時には、もはや本気で挑戦できません。いったん“逃げ癖”“言い訳癖”が身についてしまうと、もう、そうせずにはいられなくなるのです。

心の持ちようには無限に近い逃げ道がありますから、第三者が逃げ道をカットすることも難しく、ズルズルといつまでも、真剣なトライアルを回避し続けることになります。そして全能感の維持と引替えに、いつまでたっても技能や経験に恵まれることもなく、生ぬるい日常を過ごし続けます。

どちらのタイプも、全能感を維持するために歪な処世術を発達させているという点ではそう違いませんし、全能感を砕かれる不安を遠ざけるために必死になっているという点でも似たもの同士です。

ただし、受験勉強ばかりで過ごした人は、成績は良くなるものの、目立った失敗はしないすむことになります。思春期のトライアンドエラーや人間関係などで、全能感が破壊されることもなく、維持されるのかもしれません。
  
どんなに有能な人でも、老いて能力が衰えれば、全能感を確認しきれなくなくなる日がやってきます。また、なにもせずに全能感の挫折を回避しつづけてきた人も、いつかは「実は何もできないまま歳だけとった自分」に直面する日がやってくるでしょう。

そのとき、「等身大の自分自身」と「全能な自分自身のイメージ」のギャップにひどく苦しめられる運命が待っています。全能感を失った打撃が背景となって、ついにメンタルヘルスをこじらせて精神科/心療内科を受診する人もけっして珍しくありません。
 
全能感に必死にしがみつくような処世術は、全能感が保たれているうちは威勢良く自惚れていられるかもしれません。しかし、いつか全能感が失われた際にはとても脆く、ギャップや葛藤に悩まされる可能性が高そうです。

とことん全能感にしがみついてきた人は、10代の頃の全能感を40〜50代になっても維持し続けているかもしれず、それが破綻したときの心理的打撃を小さくおさめるのは容易ではないでしょう。
 
そんな生き方をするよりは、適度な失敗や挫折を経験したりして、過度に全能感にしがみつかない人生のほうが、平坦ではあっても危なげないと、私は思います。もちろん、その場その場では辛い経験や充たされない経験もあるでしょう。けれども「常に充たされて当然」「辛い経験は避けるのが当然」という処世術をカチコチに築き上げるより、よほど柔軟な生き方が出来そうですし、挫折や失敗にへし折られるリスクも小さくなりそうです。

そもそも、個々の人間には強みと弱みがあります。だからこそ、組織があるのです。組織の中では、個々の人間は、強みを発揮して、弱みは他の人にやってもらうなどして、中和します。それが組織の役割です。20歳をすぎれば、ほとんどの人は強みを伸ばすことはできても、弱みを是正することなどなかなかできません。


それに、現代ではすべての事柄が、専門化してしまい、何でもできる人というのはいません。現代では、何でもできる人とは「何も出来ない人」ということです。そもそも、この社会では本来全能感など成り立ち得ないのです。

そうして、まともな企業であれば、それを前提に個々人が強みを極限まで伸ばし、そのことにより成果をあげ、出生の階段を登ることになります。

全能感に浸っている人はこのことが理解できないのかもしれません。全能感を維持できるような組織は、そもそもこの根本を理解しておらず、いずれ腐敗・堕落するのです。民間企業であれば、腐敗・堕落すれば、いずれ潰れるしかありませんが、財務省のような組織、そのようなこともなく温存されてしまうのです。

官僚に関しては、「大過なしに過ごす」という言葉に象徴されるように、財務省なら、省益のことだけ考えて、強み、弱みなど関係なく、省益に沿った考え方、行動をとり国民経済など二の次で出世の階段をあがり、あわよくば財務次官になるか、なれなくても、高い地位まで上り詰めて、天下り先に行きほとんど仕事らしい仕事もしないで高給をとるということで、幼稚な全能感が維持しやすいのかもしれません。

それにさらに、自分たちの考えなど、本来であれば、間違いを指摘すべき経済学者などもこれを指摘せず、ほとんどの政治家やマスコミもそれを否定することなく、財務省のいいなりで、財務官僚の全能感を助長してきたのです。

佐川氏も、このような全能感に浸り、公文書の書き換えなどという稚拙な犯罪に手を染めてしまったのでしょう。彼からすれば、書き換えをしようが、何をしようが、全能の自分は無敵であり、何でも自分の思い通りになると考え、あの国会での胡散臭い答弁を何の疑問もなくしてしまったのでしょう。

そうして、佐川氏は自らの全能感は、否定せざるをえなくなり、辞職したのでしょうが、財務省には全能感に浸ったおろかな官僚がまだ大勢いるはずです。この全能感という財務省のDNAは破壊しなければ、同じようなことがまた何度でも起こることでしょう。

やはり、財務省は完全解体して、そのDNAを引き継がれることがないようにしなければならないです。

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2018年3月12日月曜日

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そして財務大臣の辞任も…




髙橋 洋一

なぜ金曜日午後に発表されたのか

例年、筆者は確定申告をしている。筆者はかつて税務署長を務めた経験があるので、この時期の税務署関係者の忙しさはわかっている(2月19日付け本コラムhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/54514参照)が、今年ばかりは怒りをもって確定申告した。

今週は確定申告の最終週であるので、税務署では1年のうち最も忙しい時期だ。そのタイミングで、佐川宣寿国税庁長官が辞任した。確定申告のこの時期に辞めた国税庁長官は初めてである。

国税庁長官のポストは、(国内系ポストでは)財務省内において事務次官の次のナンバー2である。主税局長や理財局長などの主計局の次のランクの局長がこのポストに就任することからもわかるだろう。

財務省ナンバー2の佐川氏が辞任したのは、どう考えてもただ事ではない。辞任の理由の一つとして、一連の森友問題に関する決裁文書が国会に提出された時の理財局長であったこともあげられていた。

辞任の第一報は、9日(金)の午後に流れた。その直前のやはり9日(金)の午後には、森友問題に対応していた近畿財務局職員が自殺したという報道があった。

金曜日の午後に報道発表を行う、というのは、役所にとっては大きな意味があることだ。たとえば金融機関の破綻処理が行われる場合などは、「金月処理」と呼ばれる処理が典型的となる。つまり、社会的に影響が大きい発表は、まず金曜日に行って、土日を挟んで、月曜から諸手続をする、というものだ。

(近畿財務局職員が亡くなったのは7日水曜日であり、今回の案件について書かれた遺書もあるといわれている。なんとも痛ましいことであり、ご冥福をお祈りしたい。)

この段階では、打開策として、決裁文書の原本を大阪地検から返してもらって、国会に提出するしか他にとるべき手段は財務省には残されていなかった。

筆者は本件について、先週5日(月)の本コラム<朝日新聞「森友新疑惑」事実なら財務省解体、誤りなら朝日解体危機か>(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54700)でも書いた。

ハッキリ言えば、このときの論考はいろいろな可能性について過不足なく場合分けして考えただけである。筆者は数学畑の出身で、確率計算は得意だ。確率計算は、過不足のない場合分けからスタートするのがセオリーだ。ただし、それぞれの場合分けはできても、どのくらいそれが起こるかという「確率」はわからなかった。

マスコミの報道では、しばしば「前提」や「条件」を書かないで結論だけを書く。筆者には、そのように結論だけを書く書き方にはかなり違和感がある。この点をマスコミの人に聞くと、「一般読者が結論だけを求めるから、そうなってしまう」というが、そもそも記事を執筆する記者の思考自体も「条件→結論」というロジカルシンキングができていないことが多い。

先週の筆者のコラムと、その後状況が変化した後に筆者が執筆・発言したことについて、ロジカルシンキングができない人からは「結論を変えている」と批判を受けたが、書いたものをもう一度読み返してもられば、一貫して「条件→結論」しか書いていないので、そうした批判は間違いであることがわかるだろう。

いずれにしても、各場合の確率がわからない状況は、9日(金)の午前中まで同じだった。例えば、別の媒体に筆者が書いた<決裁文書「書き換え」あり得るか 元財務官僚の筆者の見解>(https://www.j-cast.com/2018/03/08323108.html)では、朝日新聞には「書き換え」の証拠となる「ブツ」(決裁文書の画像など)を出すべきだ、財務省側には大阪地検に文書の「原本」を返してもらってそれを国会と国民に提示せよ、と言っている。それが、この問題を解決するためのベストな方策だったからだ。

ところが、9日(金)の午後に、近畿財務局職員の自殺が報じられ、さらに佐川氏辞任について各社が報道。その後、財務省は決裁文書の書き換えを認め、12日月曜日に国会に報告するという各社の報道があった。ここまでくると、今回の問題の火付け役となった朝日新聞の3月2日の「文書書き換え」に関する報道は、概ね事実であろう。

ところで、財務省が国会になにか重大なことを報告する際には、事前に「要路」を押さえるのが慣習となっている。つまり、政府や自民党幹部のところに赴いて、事前に説明をするわけだ。この説明を受けた政治家は、それを親しいマスコミ記者などに漏らす(というか、マスコミ記者がそれを待っている)。そして、そのことを確認したのちすぐに報道する。

というわけなので、今回も12日の月曜日を待たずして、財務省がなにを国会で報告するかがおおよそわかるのだ。

12日、財務省は自公両党、参院予算、衆院財務金融両委員会の理事懇談会でもろもろの説明を行うのだろう。そのとき、財務省や近畿財務局での処分者も出てくるかもしれない。

財務省はどうなるのか

財務省の側でできるのは、形式的な職員の処分までだ。だが、佐川氏、近畿財務局長、近畿財務担当者らは、一般市民から様々な疑惑で刑事告発され、かつそれが受理されている状態だ。今回の一件が「訂正」だったのか「改ざん」だったのかはまだ分からないが、もし公文書偽造などの刑法に抵触するような場合には、大阪地検によって彼らが起訴される可能性もある。身柄確保(自殺防止)で逮捕ということもありえる。

問題なのは、財務省本省から近畿財務局に対して書き換えの指示があったかどうかだ。それがあれば、指示した人にとどまらず、それこそ「組織的な関与」となって、財務省解体までにつながる重大事件になるだろう(8日の夕刊フジ http://www.zakzak.co.jp/soc/news/180309/soc1803090003-n1.html?ownedref=articleindex_not%20set_newsList 参照)。

この、指示があったかどうかについては、マスコミの間でも見解がばらけている(23日午後11時現在)。毎日新聞では、「財務省書き換え、佐川氏が指示 12日国会報告」(https://mainichi.jp/articles/20180311/k00/00m/010/141000c)と、指示があったことを明示しているが、産経新聞は「文書書き換え 「改竄ではなく訂正」 自民幹部「問題なし」冷静」(http://www.sankei.com/economy/news/180311/ecn1803110006-n1.html)と違ったニュアンスの報道をしている。

これは、明日以降判明するだろう。ここでは「毎日新聞の報道が正しいとすれば」という前提で、指示があった場合財務省はどうなるか、どうすべきかを考えたい。

4つの提案

こうした場合、一つの参考になるのが「前例」である。もちろん、国民の怒りのレベル次第では前例が参考にならない場合もあるわけだが、前例を知っておいて損はない。

財務省の場合、なんといっても20年前(1998年)の大蔵省スキャンダル事件が「前例」となるだろう。筆者はその当時、大蔵省内で管理職になったばかりだったので、よく覚えている。地検職員が大蔵省に入ってきたのだが、意外にも、というべきか、大蔵省の職員は地検が来ることを当日になって初めて知る。

地検職員が省庁などに入るときには各テレビ局が来て、その姿を放映するのがお決まりだが、大蔵省の職員は、テレビ局の車が来ているのを見て、初めて「今日は強制調査だ」と知るわけだ。当時は大蔵省4階にある金融部局に東京地検の強制調査が入ったが、それに伴い4階への通路の防火扉が閉じられ、4階への出入りが禁止された。

その事件で逮捕されたのは、大蔵省5名、日銀1名。自殺者は3名にのぼった。これらの人はみな筆者の知り合いだったので、本当に切なかった。大蔵省内での処分も多数に上った。その後の省内出世をみると、この時の処分はあまり関係がないようだったが(ただし、大蔵大臣、日銀総裁、大蔵事務次官らは辞任した)。

この事件が大蔵省に与えた影響は大きい。金融行政への信頼を失わせたということで、銀行局、証券局が大蔵省から分離され、これらは後に金融庁になった。そして、それまでは「法律」ではなかった公務員倫理を立法化し、1999年には公務員倫理法ができた。社会の仕組みが変わったわけだ。

さて、もし毎日新聞がいうように財務省による「書き換え」の指示があったのならば、やはり社会の仕組みが変わるほどの変化が起きるだろう。筆者は「財務大臣の辞任」「消費増税の凍結」「財務省の解体」「公文書管理法の改正」が必要だと思う。それを順次説明しよう。

まず、財務大臣の辞任についてだが、さすがに財務大臣は佐川氏をかばい過ぎた。このままいくと、佐川氏の起訴は免れないだろう(ひょっとしたら逮捕もありうる)。佐川氏は辞任しているとはいえ、財務省幹部の逮捕となれば、1948年の昭電疑獄における福田赳夫大蔵省主計局長の逮捕以来だ(裁判では無罪)。

1998年の大蔵省スキャンダルでは、課長補佐のキャリア官僚が逮捕され、執行猶予付きの有罪になったが、佐川氏は局長、国税庁長官とトップクラスの官僚であるので、財務省の信頼失墜という点では、かなり大きいといわざるを得ない。そうなれば財務大臣も責任を取らざるを得ないだろう。

続いて「消費増税凍結」だが、財務省が組織ぐるみで決裁文書の書き換えという「禁じ手」をやってしまったのであれば、もう財務省は役所としての信頼を完全に失うだろう。

筆者はこれまで何度も指摘してきたが、もともと財務省は、日本の財政事情について国民に誠実な説明をしてこなかった。本コラムでも、財政再建の必要性について財務省は過剰な説明をしてきたと再三書いてきた。財務省が主張してきた財政再建の必要性にも疑義があると考えるべきなので、「財政再建」を前提とした消費増税については、凍結が必要と筆者は考える。

すでに信用を失っているのだから

三つ目に、現職の国税庁長官が仮に逮捕、起訴されるということになれば「いまのように、財務省の下部機関として国税庁を置いておくのはいかがなものか」という議論になってもいいだろう。

国税庁は、国家行政組織法第3条に基づく機関として財務省に置かれている。ただし、この組織のトップは歴代財務省キャリアであり、(前述のとおり)財務省の国内ナンバー2のポストになっている。国税庁でも国税のエキスパートを独自に採用しているが、トップはおろか、国税庁の主要部長にすらなれないのが現実だ。

どうして税務執行に詳しいといいがたい財務省キャリアが国税庁のトップや主要部長になるのかといえば、国税庁が財務省の「植民地」と化しているからだ。

民主党は政権を奪取した09年の衆院選で、政権公約として「歳入庁の創設」を掲げていた。筆者はこれに期待していた。歳入庁とは、税と社会保険の徴収を一体化させるための組織であり、世界のほとんどの国が歳入庁のような組織を有している。

民主党政権はいつの間にか歳入庁を公約から下ろしてしまったのだが、今回の事件を契機に、自公政権が財務省から国税庁を分離して歳入庁を作れば、災い転じて…となるだろう。

最後に、公文書管理法の改正についてだが、まず、いまの公文書管理法は、本コラム(2017年11月27日付け「森友問題で「的外れな追及」続けるマスコミには書けない、本当の結論」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53622)でも書いたように、かなりザル法である。

特に横断的な文書管理がまったくできていない。たとえば今回の件を機に、過去の文書の改ざんができないように、ブロックチェーンを使った省庁横断的な電子公文書管理の仕組みをつくる、などを考えるべきだ。

これについては興味深い国会審議もあった。3月9日の参議院予算委員会において、浅田均参院議員(維新)から「ブロックチェーンを公文書管理に取り入れるべき」との質問があった。これにはさすがの麻生財務大臣も前向きに答えざるを得なかった。

いずれにしても、12日月曜日以降の国会で財務省がどんな説明をするのか、だ。とにかく情報公開と事実解明を優先して、国民にスッキリとわかるようにしてもらいたい。が、すでに信用を失っている財務省の報告を国会は鵜呑みにせず、大阪地検にあるとされる決裁文書の原本現物を国民に明らかにしてもらうなどの追及を行うべきだろう。

原本現物があれば、のちに提出されたものが改ざんされたものかそうでないかは、1日もあれば判定可能である。捜査に支障をきたすからというなら、国会の非公開の理事会でそれを判定して、翌日大阪地検に返せばいいだけの話である。

12日から「大きな転換点」を迎えるのか。それぞれの行動に要注目である。

【私の論評】Z解体の好機、ただしZが他省庁の植民化を排除するような方式で完璧に解体せよ(゚д゚)!

佐川宣寿氏に関しては、かなり胡散臭い人物であることはこのブログに過去に掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
高橋洋一の霞ヶ関ウォッチ「森友」問題で露呈した 「官僚の裁量で文書管理」の罠―【私の論評】最初からバレバレの財務省キャリア官僚の嘘八百はこれだけではない(゚д゚)!
この記事は昨年の4月13日のものです。詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事では、佐川氏の国会での答弁をとりあげました。

財務省の佐川宣寿・理財局長(当時)
財務省の佐川宣寿・理財局長は、4月3日の衆院決算行政監視委員会で、「パソコン上のデータもですね、短期間で自動的に消去されて復元できないようなシステムになってございますので、そういう意味では、パソコン上にも残っていないということでございます」と答弁した。
IT関係の方なら、この佐川氏の発言には、かなりの胡散臭さを感じたと思います。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では以下のような要旨を述べました。
現在のパソコンだと、かなり容量が大きくデスクトップ型ならテラバイト級の記憶装置を持つものも珍しくはないため、パソコン上のデータを自動的に消去して、復元できないようにする必要性など全くないこと。  
仮に消去したとしても、データはかなりの確率で復元できるはずであること。文書でもメールでも、たとえ消去したとしても、ほとんどの場合復元できること。
以上の観点から、同感が手見ても佐川氏の発言は異常としか思えませんでした。本日の財務省の発表をみているとやはりこの考えは正しかったと考えざるを得ません。

そうして、疑問なのは、なぜ政府、野党、マスコミがこれを徹底的に追求しなかったのかということです。特に野党や、マスコミは徹底的に追求すべきでした。もし徹底していたら、本日の財務省による本日の報告は、もっと早い時期に行われていたかもしれません。

ただし、野党やマスコミにとっては、森友問題は倒閣あるいは、安倍政権になるべく悪いイメージを植え付けることが主目的ですから、ここで財務省や佐川氏を追求しても、本題からそれるし、さらに新聞などは、10%増税の際には、財務省から軽減税率を適用してもらいたいなどの意向があり、あまり財務省をつつかなかったのかもしれません。

政府も、もっと厳しく追求すべきでした。そうすれば、少なくとも佐川氏を国税庁長官にする人事などなかったかもしれません。ただし、あたかも政治勢力であるかのように振る舞う財務省といたずらに揉め事を起こしたくないとか、派閥間の力学などで、佐川氏を追求するのはやめたのかもしれません。


いずれにせよ、野党・マスコミ、政府も佐川氏や財務省を追求しなかったのは、明らかに手違いだったと思います。

政府、野党、マスコミが徹底的に財務省と佐川氏をあの頃に徹底的に叩きまくっていれば、財務省解体はもっと早い時期に議論されていたかもしれません。政府にしても、内閣人事局という部署が発足していますから、佐川氏など他省庁に片道切符で左遷するなどのことも出来たかもしれません。

ブログ冒頭の記事では、高橋氏は「財務省本省から近畿財務局に対して書き換えの指示があったかどうかだ。それがあれば、指示した人にとどまらず、それこそ「組織的な関与」となって、財務省解体までにつながる重大事件になる」としています。

私は、これには本当に大賛成です。たとえ「組織的な関与」がなかったにしても、財務省には解体されても致し方ない事由があります。それについても、以前このブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
財務省の補正予算編成が日本のためにならない理由―【私の論評】日本経済復活を阻むボトルネックに成り果てた財務省はこの世から消せ(゚д゚)!

この記事では、財務省が日本経済復活を阻むボトルネックに成り果てていることを掲載しました。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を引用します。
日本経済の最大のボトルネック(制約条件)は、ご存じの通り「クニノシャッキンガー」という嘘です。私ははこの「クニノシャッキンガー」という嘘、プロパガンダ・レトリックこそが、日本経済の復活の最大のボトル・ネックであると確信しています。 
酷い人になると、国の借金どころか、「日本の借金は1000兆円!」と、あたかも「日本国」が外国から多額の借金をしており、財政破綻が迫っているかのごときレトリックを使います。このような主張をする人々は、世界最大の対外純資産国、すなわち「世界一のお金持ち国家」であることを知っているのでしょうか。 
テレビ等で「国の借金」「日本の借金」という用語を安易に使う人がいますが、これは明らかな間違いです。本当は「政府の負債」です。そもそも、先に述べたように、日本は外国からお金を借りているわけではなく、世界で一番お金を外国に貸している国だからです。 
政府の負債、と聞くと、皆さんは「政府の借り入れ」と認識します。それで正しいわけですが、「日本の借金!」「国の借金!」などという用語を使われると、皆さんはあたかも「自分たちの借金」であるかのごとく感じてしまい、財務省の緊縮財政プロパガンダに洗脳されてしまうわけです。
そうして、なぜ財務省がこのようなことをするかといえば、予算の配賦権を利用して、他省庁に睨みをきかせ、さらに政府関連機関や外郭団体などに金を貸し付けたりして、財務省の高級官僚の天下り先を開拓し、さらに高級官僚が退官した後の天下り先での超豪華なハッピーライフを満喫するためです。大雑把にいえば、これが目的です。

財務省は、そのためには、増税で国民が塗炭の苦しみを味わうことになってもお構いなしです。高級官僚さえ良ければ、それで良いのです。

民主党政権のときには、様々な政策立案などの実務を官僚から奪いとって政治主導を実現しようとしましたが、欠局事業仕分けなど財務省に仕切られ、野田政権に至っては、財務省の助けがないと政権運営もおぼつかないなどの醜態を晒しました。

このようなことを考えると、私自身は、今回の書き換えに「組織的な関与」があろうが、なかろうが何としてでも必ず財務省を解体すべきと思います。

そうして、財務省解体ということになれば、一つ気をつけなければならないことがあります。

ブログ冒頭の記事にもあるように、国税庁が財務省の「植民地」と化しているように、財務省は、単純に分割すると10年くらいかけて他省庁の植民地を拡大する手段につかうので、それを防ぐために、まずは公的金融部門の廃止、次に財務省官僚が目下においている官庁の下部組織に財務省を分割の上で編入するなどの方式にすべきです。

要するに、従来の財務省組は、他官庁の下部組織に分割されて編入されるため、どうあがいても、所属官庁の次官にはなれそうもないくらいの地位に落とすのです。

これにより、少なくともすべての官庁の高級官僚は財務官僚のDNAとは無縁となります。このようにして、はじめて財務省を解体することができます。

今回は、財務省解体ということにでもなれば一時的に政権側にかなり不利ですが、その後は10%増税の凍結はかなりやりやすくなりますし、それに最近は緊縮気味だった財政を、積極財政にもっていくこともやりやすくなります。

いや、それどころか、最早誰の目から見ても明らかに大失敗だった8%の消費増税をやめて、5%に減税するなどということもかなりやりやすくなるはでず。ボトルネックだった財務省がこの世から消えれば、まともな起動的財政政策が実施しやすくなります。

これを実施しつつ、さらなる量的緩和を実施すれば、短期間で日本経済は上向くことになります。そうなると、国民からの支持率もかなり上がることになります。政府はなんとしても財務省解体に挑むべきです。

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2017年12月26日火曜日

「日本の借金1千兆円」を性懲りもなく煽る人たちの狙いと本音ちょっとは進歩する気がないのか―【私の論評】経済回復のボトルネックと成り果てたNHKは財務省とともに廃棄せよ(゚д゚)!

「日本の借金1千兆円」を性懲りもなく煽る人たちの狙いと本音ちょっとは進歩する気がないのか


髙橋 洋一:経済学者、嘉悦大学教授 プロフィール

また出た「財政規律の緩み論」

18年度予算案が閣議決定されたが、メディアの論調は「(歳出が増え)財政規律が緩んでいる」「税収増頼みだ」といったものばかりだ。例えば、22日のNHK「時論公論」では、「来年度予算 求められる新たな財政規律」というタイトルで、財政規律のゆるみを問題にしている。

しかし本当に財政規律にゆるみが生じているのか。これを検証したい。

まず、予算の全体像を知るには、予算フレームを見るのがいい(http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2018/seifuan30/02.pdf)。

これをみれば、18年度予算案は昨年度予算とほぼ同じものであることがわかる。

さらに中身を詳しく見るのは、概算をチェックするのがいい(http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2018/seifuan30/03.pdf)。

ここには、各省別の予算概算がでている。全体の伸びが0.3%であるので、各省の予算でも、天皇ご譲位行事のある皇室58.6%を除くと、最大の伸びは内閣府1.7%、最低は経産省▲4.3%である。11省で増額、5省で減額である。

主要経費でみると、社会保障関係費4997億円増のほか、文教科学79億円増、防衛関係費660億円増、公共事業関係費26増億円、その他806億円増を、国債費▲2265億円などでカットして、全体で2581億円増、結果、0.3%の伸びにしている。

NHK「時論公論」では、日本の財政状況について、国の借金総額が883兆円(来年度末)になるから、財政規律を正すべきだとしている。相変わらず、バランスシートの考え方が抜け、資産を無視して借金だけをみていることに呆れてしまう。

12月22日放送のNHK「時事公論」より。かなり大げさな図を用いて、日本の借金の「深刻さ」を表現している

筆者は2年前の2015年12月28日に<「日本の借金1000兆円」はやっぱりウソでした~それどころか… 財政再建は実質完了してしまう!>(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47156)を書いている。そこでは、日銀を含んだ「統合政府」としてのバランスシートが国の財政状況を正しくみるためには必要であり、それをみれば、日本ではほぼ財政再建が終わっている状態で、健全な財政状況となっていることを示している。

なお、「統合政府」とは、財政・金融問題を考えるときに、政府と中央銀行を一体のものとして考えるやり方である。法的にも中央銀行はいわば「政府の子会社」であるが、一般企業においてグループ企業の業績・資産は連結決算で考えるのと同じで、政府と日銀の財政・資産は一体で視るべきだ、ということである。

もちろん、この考え方は中央銀行の独立性と矛盾しない。中央銀行の独立性とは、政府の経済政策目標の範囲内で、その達成のためにオペレーションを任されているという意味である。これも、グループ企業が営業の独立性を持っているのと同じ意味である。

これは国際的な見方なのだ

ところで今年3月14日、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツ・米コロンビア大学教授が来日して経済財政諮問会議に出席した。このときスティグリッツ教授は、諮問会議での発言のなかで、政府・日銀が保有する国債を「無効化」することを提言した。政府・日銀が保有する国債を「無効化」することで、政府の債務は「瞬時に減少」し、「不安はいくらか和らぐ」と主張した(http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2017/0314/shiryo_01-2.pdf)。

これは、統合政府の考え方そのものである。これで、(なにかと日本では批判の的となるが)筆者の分析方法が、国際的には標準的なものであったことがわかっていただけるだろう。

日本の経済学者の中には、スティグリッツ教授が間違っていると息巻いている人もいるが、そうであれば、彼にもそのことを直接指摘して、公式に謝罪させてほしいものだ。もちろん、「統合政府」は、会計的な考え方であり、否定しようのないものなので、スティグリッツ教授が謝罪するはずないのだが。

こうして、バランスシートで見て財政状況を把握するのは常識であり、その右側だけの借金だけをみる方法が通用しないことが説明できる。ただ、それでも懐疑的な人は、来年3月に確定申告すればわかるはずだ。

税務署に「借金が多くて苦しいので、税金を払えない」という申告者を出したとしよう。その人の所得が一定以上であれば、資産負債の明細書を求めらる。そのとき、資産を過小に申告して、税務調査で「隠し資産」があることが判明したら大変なことになるのは分かるだろう。要するに、「借金が多い」というのは、すなわち財政状況が悪いということではないのだ。

なお、半ば冗談であるが、今の国税庁長官は森友学園事件の時、財務省理財局長として「資料がない」と言い張った佐川氏だ。彼に対して「資産負債の明細書資料がない、廃棄した」といったら、一体どうなるのだろうか。興味深いが、答えに窮するだろう。森友事件は、現場の税務調査官泣かせの事件だっただろう。

ちなみに、政府のバランスシートをはじめて作成したのは、20数年前の大蔵省に勤めていた筆者である。その当時は、以下の財政状況を客観的に把握するかを大蔵省内で議論しており、会計に詳しい筆者が政府のバランスシートを作成した。そのとき、バランスシートに着目した財政運営も行おうとして、理財局内に「資金企画室」という組織も作った。その初代室長は筆者だった。

この室の俗称英語名は「Asset and Liability Management Office」。まさに、バランスシート管理、という意味である。そうしたバランスシートを政府が作るのは、その当時から世界の潮流になっていたのだ。

そこで、筆者がいろいろな国を勉強して、日本でも政府のバランスシートをつくろうとなった。

そのためアメリカに出張にいくと、米財務省でも似たようなことを考えているということで、筆者は実際に作成するアメリカの担当者とかなり親しくなったものだ。

そのアメリカは、日本に先立って1995年版から政府のバランスシートを公表している(https://www.fiscal.treasury.gov/fsreports/rpt/finrep/fr/backissues.htm)。

日本でもほぼ同時期に作ったが、対外的には公表しないということで、部内利用になった。遅れること2005年、小泉政権のときに、2003年度版を正式に公表するようになった(http://www.mof.go.jp/budget/report/public_finance_fact_sheet/index.htm)。

これは、筆者が経済財政諮問会議特命室時代に、いわゆる埋蔵金論争(資産負債改革、特別会計改革)を仕掛けていたときだ。

そのときから、財務省はこのバランスシートが積極的に取り上げられないように、マスコミにはほとんどその存在や意味を説明しなかった。筆者が財務省に対してバランスシートについて指摘すると、「公表済み」という。しかし、マスコミには説明(レクチャー)しないので、どこのマスコミもこのバランスシートについては報じないという状況が今でも続いている。

大きな財政問題にはならない

実は、海外投資家向けに日本国債の状況を説明するときには、バランスシートがしばしば用いられる(もっとも最近では英文資料も用意していないようだ。2009年度版英文資料は、財務省のサイト(http://www.mof.go.jp/english/budget/others/2011_03_english.pdf)にあるが、それ以降のものは見当たらない)。

そういえば、最近筆者のところに、しばしば海外投資家が訪れ、日本政府のバランスシートについて話をしてもらいたいという依頼を受けるが、先進国であれば、financial statementを用意するのは常識である。

もっとも、海外投資家は、日本の財政状況が悪くないことをよく理解している。筆者も、次の資料を使って説明することが多い。



日米は、同様のバランスシートを作成した経緯があるから、筆者には比較しやすい。そこで、日米比較をすると、ここ20年弱、アメリカの財政状況のほうが日本より一貫して悪いことが分かる。

逆にいえば、日本がアメリカの数字を上回るようになったら注意したほうがいい。もっとも、国には「徴税権」などの見えない資産があるので、少しぐらいネット債務額が大きくなっても、びくともしないのだが。それでも、一応の目安はアメリカの数字、と筆者は思っている。

中央銀行を含めないベースでGDP比20%程度、含めるベースではGDP比60%くらいの日米格差があるので、現状100~300兆円くらいの国債を発行したとしても、大きな財政問題にはならないと筆者は考えている。

なぜNHKは報じないのか

NHKが指摘していたのは、高齢化による社会保障費増大の話だ。このままでは社会保障費が増える一方で、日本の財政は大変なことになるというものだ。しかし、社会保障は保険原理で運営されるので、それを徹底しておけば、かなりの問題は防げる。

「保険原理」から、将来収支は将来費用に見合うように設計される。それを短期間で支出と費用を見直することがまず必要だ。そうすれば自ずと、費用の徴収漏れ問題に行きつくはずだ。

実は世界の社会保障ではほとんど保険方式であるが、その徴収は税当局が行い、徴収の効率性を高めている。歳入庁が存在することが世界標準なのだ。日本でも歳入庁がないことによって、数兆円の徴収漏れがあることが指摘されているが、日本ではなぜ歳入庁をつくろうとしないのか、不思議である。

民主党政権時には「歳入庁の設立」を公約としたが、おそらく財務省の意向だろう、いつのまにか取り下げてしまった。そして、消費税を社会保障に充てるために消費増税する、といいだした。消費税は一般財源であり、社会保障目的税としている先進国はないのに、である。

政策の筋としては、歳入庁をつくって、社会保険料徴収の効率化をすすめることが第一歩のはずなのに、それを避けて社会保障の話をするのは世界標準とずれていて、違和感がありすぎる。

どうして、こうした基本的な話をNHKは報道しないのか、不思議でならない。筆者は、実はNHKのバランスシートもこの「珍問」のカギがあるとにらんでいる。

筆者は政府のバランスシートの話をよくするが、財務省が「資産」について語りたくないのは、資産とはつまり、天下りと直結している問題だからなのだ。借金返済のために、資産を売れ、となると、天下りに支障が出てしまう。

さて、そのなかでNHKのバランスシートをみると、ほとんど無借金経営状態であり、資産たっぷり。純資産8000億円の超優良組織であることが分かる(http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/kessan/h28/pdf/renketu28.pdf)。

先日、本コラムで筆者は、NHK分割論を提案した(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53787)が、上手く分割すれば、8000億円も国庫収入が増えることになるかもしれない。これは、見方を変えれば潤沢な放送受信料収入をほとんど苦労なく得られるため、楽な運営をしてきたからだともいえる。この点を指摘されたくないから、NHKは国の「資産」についても触れたくないのではないか。

その点では、財務省と似ているかもしれない。となれば、極めて恣意的に言えば、財務省とNHKは、「資産については話をしない」という共犯関係にあるのかもしれない。「本当のこと」を知る機会を奪われているのだと考えると、ちょっとゾッとしてしまう。

【私の論評】経済回復のボトルネックと成り果てたNHKは財務省とともに廃棄せよ(゚д゚)!

「日本の借金1千兆円」を性懲りもなく煽る財務省については、このブログにも以前その悪い体質について掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
財務省の補正予算編成が日本のためにならない理由―【私の論評】日本経済復活を阻むボトルネックに成り果てた財務省はこの世から消せ(゚д゚)!
図4

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、財務省の補正予算の組み方について掲載しました。

結論からいうと、財務省は経済環境などおかまいなしに、 概算要求を4%カットして当初予算を作るのですが、補正予算でカット分の予算をつけて、当初の概算要求と同じ水準にしているという実体があります。

なぜこのようなことになるかといえば、財務省の基本的な考え方として、国民経済など二の次にして、どのような場合でも、できるだけ予算を絞り込みたいという不思議な習性があります。

これは、財務省が国の「金庫番」である以上、仕方がないのかもしれないともいえますが、財政の健全化というのは建前であり、当初予算で絞り込めば、補正予算で復活させた時に、要求官庁がより恩を感じるようにしているだけなのです。

こんなことでは、日本経済が良くなるはずもありません。

そうして、この記事の元記事で高橋洋一氏は、以下のような予想をしています。
 それでは今年度の場合、こうした戦略的な話ではなく、財務省は事務的にどの程度の補正予算とするつもりなのだろうか。ひょっとしたら、補正なしというのもあり得るが、それでは政治的にもたないだろう。そこで、財務省的には、どの程度なら、財政健全化に支障がない許容範囲かという、つまらない次元で考えるのだろう。 
 それは、安倍政権になってから、年々、補正予算の緊縮度合いが増していることから予想できる。 
 実は、最近15年度と16年度では、概算要求から当初予算で5%カットして、補正予算で3%増やすことになっており、概算要求の水準まで達していない。図4の補正で修正された予算と概算要求の比率を見ると、15年度と16年度は平均線を下回っている。 
 17年度は、概算要求と当初予算を比べると、これまでの経験則通りに4%カットだった。 
 補正予算後の予算総額が15年度と16年度並みの2%カット水準であればどうなるか。 
 17年度の概算要求は101.5兆円だったので、概算要求の2%カットだと99.5兆円。当初予算は97.5兆円だったので、補正予算は2兆円程度、総計でも100兆円を切るショボいものになる可能性がある。
そうして、補正予算は実際どうなったのかといえば、今月6日に明らかになっています。以下にそれに関連したロイターの記事のリンクを掲載します。
17年度補正予算で歳出追加2.9兆円、ミサイル防衛費も=政府筋
政府は、2017年度補正予算案の追加歳出を2.9兆円とする方針を固めた。政策経費は2.7兆円となる。生産性向上や人づくりなどの経費と併せ、1兆円を超える公共事業を盛り込んだ。ミサイル防衛関連費用も計上し、北朝鮮情勢など喫緊の課題に対応する。複数の政府筋が明らかにした。 
2.9兆円ということで、高橋洋一氏の予測よりは、9000億円ほど多くなっていますが、これは、北朝鮮の脅威も現実的となり、防衛関連経費を増やさないと、国民の批判が高まり、政治的にもたなくなるとの財務省側の判断で、増やしたものと思います。

それにしても、高橋洋一氏は、現在の日本は8%増税などを要因とするデフレ・ギャップを
解消するためには、財政出動20兆円が必要としていると比較すると、わずか2.9兆円では本当に焼け石に水です。まさに財務省の思惑通りの補正予算になっていると見て良いです。

今年一度に20兆円ということではなくても、今年は10兆にして、来年も継続で10兆にするというのなら、まだわかりますが、2.9兆円では日本GDPはまだまだ低迷しそうです。

そうして、この記事では、最後に以下のような結論を掲載しました。
これでは、本来は日本経済を良くするのが仕事であるはずの財務省自体が、日本経済復活のボトルネックになっているとしかいいようがありません。こういう官庁に対しては、まずは内閣人事局において、徹底的に厳しい人事を実施すべきです。人事を軽く見るべきではありません。

平成26年5月30日、安倍総理は内閣人事局看板掛け及び職員への訓示を行った 

人事は、いかなる組織においても、最大のコントロール手段です。その他の手段はどのようなものであれ、人事には及びません。いくら精緻な組織分析をしたとしても、それ自体がコントロール手段となるわけではありません。

役人たちを本当に政府の仕事に貢献させたいのであれば、本当に政府に貢献する人たちに報いなければならないです。それとは、反対に政府に貢献しない人たちには報いないようにしなければならないのです。省庁の組織としての精神は、どのような人たちを昇進させるかによって決まります。

かつてのように、国民や政府などには目もくれず、省益を最大限に重んじる人が昇進するようでは、政治主導など永遠に勝ち取ることはできません。

組織において真に力のあるコントロール手段は、人事の意思決定、特に昇進の決定です。それは組織が信じているもの、望んでいるもの、大事にしているものを組織の全構成員に対して明らかにします。 
“国民への貢献”を組織の精神とするためには、誤ると致命的になりかねない“重要な昇進”の決定において、真摯さとともに、経済的な業績を上げる能力を重視しなければならないです。 
致命的になりかねない“重要な昇進”とは、明日の高級官僚が選び出される母集団への昇進のことです。それは、組織のピラミッドが急激に狭くなる段階への昇進の決定です。 
そこから先の人事は状況が決定していきます。しかし、そこへの人事は、もっぱら政府の下部組織としての価値観に基づいて行なわれるべきです。 
高級官僚など、重要な地位を補充するにあたっては、政府の目標と成果に対する貢献の実績、証明済みの能力、政府全体のために働く意欲を重視し、報いなければならないのです。 
それでも、ボトルネック状態が払拭できない場合は、財務省を分割するしかないでしょう。ただし、単純に分割すると、財務省は長い時間をかけても、他省庁を植民地にするという習性があるので、財務省を分割した上で、他省庁の下部組織にするという方式で分割すべきです。 
もし、これを実施しなければ、旧財務省出身者がいずれかの官庁で、事務次官になり、この事務次官が分割された他省庁の旧財務省出身者と結託して、他省庁を時間をかけて植民化して、実質他省庁を支配し、結局旧財務省と同じようなグループを復活させることになります。 
このような分割の仕方をすれば、旧財務省出身者は、どうあがいても、いずれの官庁においても事務次官にまで上り詰めることは不可能になり、政治に対して権力を振るうことは不可能になります。そうして、大蔵省のDNAは、財務省から新体制は受継がれなくなります。 
そうして、官僚は本来の業務である、政府の目標設定に従い、専門家的立場から、それを実行するための手段を選び実行するという役割を果たすようになります。前川のような馬鹿で独善的な次官が生まれる余地はなくなります。 
これで、財務省はすっかりこの世から消えることなります。そうして、全省庁の高級官僚は、左遷されたり、それどころか、自分の属する省庁がこの世から消えることを恐れ、政府の方針に従った仕事をするようになります。そうなれば、日本経済は大復活することになります。 
せっかく、内閣人事局を設置したわけですから、安倍政権には少し時間をかけても、これを実行して頂きたいです。これが成功すれば、日本経済が大復活するだけではなく、日本の政治主導の夜明けとなり、良いことずくめです。
そうして、公共放送であるはずのNHKにも、高橋洋一氏が指摘したように非常に問題があります。

ブログ冒頭の高橋洋一の記事に掲載されていた、NHKの平成28年度の決算をみると、当然のことながら、連結決算になっており、連結のBS(貸借対照表)も掲載されています。

NHKの業績をみるためには、当然のことながら、連結決算でみなければなりません。これは、過去の苦い経験から会計法がかわり、今では企業グループは連結決算を提出しなければなりません。特に、大企業では連結決算の提出が義務付けられています。

過去においては、グループ企業において、親会社の赤字が、巧妙に小会社に移転され、あたかも親会社の業績は良いように、決算書が偽造されていることがありました。だからこそ、会計法が改正されて連結決算をしてね、グルーブ企業全体の状況を把握できるようにしたのです。

そうして、連結決算でも、BSを見て、資産と負債の状況を把握しなけばなりません。負債だけ見て、借金が過大であるなどといえば、馬鹿といわれるだけです。資産の状況もみなければなりません。これは、法律で義務付けられていることです。

そうして、本来政府の業績をみるためにも、日銀と政府の連結、すなわち統合政府の決算書それも、PLとBSの両方をみなければなりません。特にBSで、負債だけではなく資産もみなければならないはずです。

しかし、NHKはそのようなことをしようともしません。これは、高橋洋一氏が指摘するように、意図して意識してやっていることなのでしょうか。

私は、そうとも限らないと思います。高橋洋一氏が指摘するように、潤沢な放送受信料収入をほとんど苦労なく得られるため、楽な運営をしてきたので、資産などに関しても、どんぶり勘定ができれば、支障はなく、ほとんど頭を使う必要がなかったので、BSを読めないのかもしれません。

いずれにしても、これは問題です。このようなNHKをそのまま運営させても、国民には全くメリットがありません。国民が、政府の業績を知るための財政の「本当のこと」を知る機会を結果として奪っているNHKには存在価値はありません。


NHKは解体して、国民の「本当のこと」を知る権利を尊重する、新たな公共放送を創設すべきです。

NHKの解体は、財務省の解体ほどには難しくないと思います。そうして、解体すればそのインパクトはかなり大きいと思います。いわゆる、放送業界にもかなりのインパクトを与えるものと思います。少なくとも財政に関して国民の知る権利を無視する放送局はなくなると思います。

経営学の大家であるドラッカー氏は以下のように述べています。
長い航海を続けてきた船は、船底に付着した貝を洗い落とす。さもなければ、スピードは落ち、機動力は失われる。(『乱気流時代の経営』)
あらゆる製品、あらゆるサービス、あらゆるプロセスが、常時、見直されなければならない。多少の改善ではなく、根本からの見直しが必要です。
なぜなら、あらゆるものが、出来上がった途端に陳腐化を始めているからです。そして、明日を切り開くべき有能な人材がそこに縛り付けられるからであす。ドラッカー氏は、こうした陳腐化を防ぐためには、まず廃棄せよと言います。廃棄せずして、新しいことは始められないのです。
ところが、あまりにわずかの企業しか、昨日を切り捨てていません。そのため、あまりにわずかの企業しか、明日のために必要な人材を手にしていません。
自らが陳腐化させられることを防ぐには、自らのものはすべて自らが陳腐化するしかないのです。そのためには人材がいります。その人材はどこで手に入れるのでしょうか。外から探してくるのでは遅いです。
成長の基盤は変化します。企業にとっては、自らの強みを発揮できる成長分野を探し出し、もはや成果を期待できない分野から人材を引き揚げ、機会のあるところに移すことが必要となります
乱気流の時代においては、陳腐化が急速に進行する。したがって昨日を組織的に切り捨てるとともに、資源を体系的に集中することが、成長のための戦略の基本となる。(『乱気流時代の経営』)
そうして、これは企業だけではなく、日本国にもあてはまることです。このようなことをしなければ、日本が成長することはないのです。

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