コーツ氏(右)と会談した小池氏に策はあるか=25日、都庁 |
「(変更は)もう意思決定されてしまっている」。当初50分の予定が約1時間30分にも及んだ会談後、コーツ氏は報道陣にこう断言した。開始時間の前倒しなどの対案で東京開催を維持したい都側との協議には応じない考えも明確にした。
事実上の引導を渡された形の小池氏が、札幌変更案を覆すのは困難な情勢となり、関係者は「今後は(移転に伴う)費用負担の話になるだろう」と指摘する。
大会組織委員会の予算では、テロや災害など緊急事態に備えて予備費を1000億~3000億円計上しているが、小池氏は仮に札幌開催になった場合は移転に関わる費用を「都が負担する考えはない」と強調している。
都と組織委、IOCのガチンコバトルは泥沼化しているが、「アスリート・ファースト」は置き去りになっていないのか。
【私の論評】スポーツの理想は、本来名誉や感動等のカネでは買えない価値を提供するものだったはず(゚д゚)!
現行計画では、暑さ対策として、男女のマラソンは午前六時、男子50キロ競歩は五時半などとする繰り上げスタートが決まっています。
ただ、五輪開催期間(7月24日~8月9日)の今夏の都心の最高気温は、毎日30度以上を記録。湿度や日射を含め、熱中症の危険度を示す「暑さ指数」で「運動は原則中止」とされる「危険日」が、十七日間のうち十四日にのぼりました。こうした状況を懸念し、組織委などは夏場に五輪テスト大会を開きました。
ところが、7月に品川区で行われたビーチバレーのテスト大会では、溝江明香選手が「何も考えられなくなって、脚が動かなくなって、視界が狭まった」と熱中症のような症状に。八月に世田谷区などであった馬術でも、戸本一真選手が「馬も人も危ない暑さ」と訴えました。
7月に品川区で行われたビーチバレーのテスト大会 |
東京・お台場海浜公園で行われたトライアスロン |
消耗の激しい屋外競技は他にもあります。ラグビー7人制が開始を午前9時に早めたほか、自転車マウンテンバイクは逆に開始を一時間遅らせて午後3時に。サッカーやオープンウオーターも開始時刻を変更しています。
組織委は「他の競技について、会場変更という話は把握していないが、各競技団体から暑さ対策に向けた要望は受けている。時間の前倒しを含めた新たな対策を11月初めにも公表する」(広報)としています。
そんな中で浮上した札幌移転案。ここまで問題を見て見ぬふりしてきたIOCは、あまりに無責任です。
観客向けの対策として、組織委などは、マラソン、トライアスロン、ビーチバレー、ボート、ホッケーを暑さ対策の重点競技に指定し、ミストシャワーなどの実証実験を行いました。都は先月発表した検証結果で、ビーチバレーのテスト大会で救護所を利用した観客四人が熱中症の疑いだったと説明。
本番でも患者が複数発生する可能性があり、体調不良者を早期に発見できる体制が必要などとしました。
沿道に日陰を作るテントや、体を冷やす保冷剤の配布などの暑さ対策も打ち出されていますが、人工雪や「涼しい印象を与えるアサガオを並べる」といったものもありました。いずれも小手先の対策です。招致段階で放映権料を払う米放送局やIOCの意向を受け、日本側が8月開催を認めたことが根本にあります。五輪商業主義の犠牲となるのはいつも選手なのです。
沿道に日陰を作るテントや、体を冷やす保冷剤の配布などの暑さ対策も打ち出されていますが、人工雪や「涼しい印象を与えるアサガオを並べる」といったものもありました。いずれも小手先の対策です。招致段階で放映権料を払う米放送局やIOCの意向を受け、日本側が8月開催を認めたことが根本にあります。五輪商業主義の犠牲となるのはいつも選手なのです。
私自身は、札幌案を聞いて、正直ほっとしました。夏のテスト大会やドーハ世界陸上の惨状を受け、IOCがぎりぎりのところでスポーツ人としての良識を通したと思います。
世界選手権の女子マラソンで体に水をかけながら走る選手ら=9月28日、ドーハ |
サッカーなど長時間屋外にいる競技も移転が望ましいと思います。問題は、招致の際の立候補ファイルに、日本側が「晴れる日が多く、かつ温暖で(略)理想的な気候」などと記していたことです。そうでないことは、招致する随分前からわかっていたことだと思います。招致の段階で、東京以外の札幌などの涼しい地域で一部の競技を開催することも考慮すべきでした。
極端なことを言いますと、日本が世界に嘘をつき続けた結果、今回の事態を招いたともいえると思います。暑さ我慢を競うのではなく、最大のパフォーマンスを発揮することがスポーツの本質のはずです。五輪で過酷な環境を強いられ、それが失われることは許されないです。
極端なことを言いますと、日本が世界に嘘をつき続けた結果、今回の事態を招いたともいえると思います。暑さ我慢を競うのではなく、最大のパフォーマンスを発揮することがスポーツの本質のはずです。五輪で過酷な環境を強いられ、それが失われることは許されないです。
同じようなことは、夏の高校野球甲子園大会についてもいえます。
第101回高校野球 仙台育英の応援団 |
殺人的な猛暑のもと行われる「全国高等学校野球選手権大会」、選手の負担はもちろんの事、応援団、吹奏楽部、保護者、その他関係者すべての命を危険にさらしています。
環境省により発表される「暑さ指数」(WBGT)31℃の危険レベルではどのような場合でも試合を中止するようにすべきです。
近年の気温の上昇に基づいた適切な運営、選手の安全の確保がひいては日本の野球界の発展につながることを理解すべきです。
オリンピックも、甲子園大会のような国内での競技であっても、すでに近年夏はかなり熱くなるということは予め多くの人が知っていることです。
都内で、20年東京五輪の球場使用問題についてプロとアマが初めて協議を行い、日本野球機構(NPB)と球団、東京6大学連盟、日本高野連、社会人連盟などの関係者が出席しました。日本高野連の竹中雅彦事務局長は20年夏の甲子園について「オリンピックが(8月)9日までなので基本的には甲子園(の開幕)をずらす方針」と見通しを語りました。
ここ2年は8月7日開幕として発表されたが、20年夏は早くても10日以降となりそうです。
このように、オリンピックという大会の開催日程により、甲子園大会を8月10日以降にずらすということができるのですから、甲子園大会そのものをさらに遅らせるなどのことは十分にできると思います。
さらに、甲子園球場になぜこだわるのでしょうか。甲子園という名前は、十干十二支の組み合わせである「甲子」にちなんで名付けられたものです。阪神甲子園球場が完成した1924年が、ちょうどその年だったためです。今年で95年の歴史ということになります。
近代オリンピックの起源は、1896年であり、その歴史は今年で123年の歴史があるということになります。
どちらも100年くらいの歴史があるわけですから、開催の時期などにこだわりがあるのと同時に、近代スポーツという考え方からすると、現在のオリンピックや高校野球は、正にカネとは切っても切れない関係にあります。
オリンピックは開催国の負担が大きすぎて、1984年のロサンゼルスオリンピックあたりから、米国のテレビ局が莫大な金を投じるようになりました。以降はその金がないと開催できない状態、つまり米国のメディアを中心にしたオリンピックしかできないという現実もあります。
であれば、米国との時差の大きいアジア圏等で開催すると、時間や季節等の問題が起こるのは必然です。そろそろ、そのあたりを考え直す時期にきているかもしれないです。
さらに、かつてはオリンピックを開催すれば公共事業で儲かるといわれた時期もありましたが、もう五輪は「ドル箱」ではなくなっています。北京五輪やロンドン五輪でも、結局は赤字でしたし、東京も東京五輪で好景気になるとも思えません。
1964年の東京オリンピックの栄光という幻想を追い求め過ぎたのでしょうか、やり方が古かったでしょうか、いまのところはおカネが莫大にかかることばかりです。日本のアスリートにとっては絶好のチャンスですし、観戦する方もすごく盛り上がることになるとは思います。
ですが、やはり現在の私達は、スポーツというカルチャーが提供しているのは、名誉であったり感動であったりというカネでは買えない価値だということをもう一度思い返す必要があると思います。
カネに走りすぎれば、そうした本来の価値が下がってしまうわけで、今回のオリンピック・マラソン札幌開催問題を機に、スポーツと商業主義の関係について日本国内でももう一度真摯に議論されることを期待したいです。