ラベル 沢尻エリカ、真相告白、間違い、涙の謝罪、後悔、タレント、人間、労務管理 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 沢尻エリカ、真相告白、間違い、涙の謝罪、後悔、タレント、人間、労務管理 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年9月2日木曜日

沢尻エリカ、真相告白「あれは間違いでした」涙の謝罪を後悔― タレントだって人間だ!!沢尻エリカは悪くない!

沢尻エリカ、真相告白「あれは間違いでした」涙の謝罪を後悔(この内容すでにご存じの方は、この項は読み飛ばしてください)


女優の沢尻エリカ(24)が、米CNN運営の情報サイトで“涙の謝罪”などについて本心をぶち明けた。「あれは間違いでした。前の事務所が謝罪しなくてはいけないと言ってたけれど、ずっと断ってたんです」と舞台裏を明かし「結局私が折れて。でも間違っていた」と後悔。

夫でメディアクリエイターの高城剛氏との生活も後悔の対象で「ロンドンで暮らしていた頃は、本当に大変だったから、あまりいい思い出はないんですね」とバッサリ。

「才能ある人達の行動を制限することは、日本の芸能界の最大の問題点だと思います」と芸能事務所のあり方にも疑問を投げかける一方で「演技したいし、歌いたいし、なんでもしてみたいんです」と意気込みを表明した。

http://www.cnngo.com/tokyo/life/erika-sawajiri-548777(CNN GO ASIA BETA)

タレントだって人間だ!!沢尻エリカは悪くない!




上のCNNの記事では、以下のようなことも書かれてあります。
私は、日本の大多数のタレントと同じく、これはしていい、これはしてはいけないと芸能事務所からコントロールされる契約に縛られていました。日本では、多くのタレントが、事務所の「従業員」として単に固定給を受け取っています。 
音楽アーティストたちは新しい試みを制限され、役者たちは自分たちで選んだものではない舞台へ出されます。その上彼らは途方もなく長時間働かされています。上戸彩のような日本のトップスター達さえ、そのシステムに精神的に相当苦しんだと認めたことがあります。 
そのコントロールの程度は、スター達の社会的孤立を生み、普通のプライベートな生活を送ることが許されない状態にまで達することもあります。そんな状態の多くの人が、道を踏み外すにまで至ることも納得できます。「ロンドンへ行く前、東京にいた時は大変でした。毎日働いてばかりで、寝ることもできませんでした。
この発言から考えてみると、あの「別に」発言は、こうした過酷な条件での労働に対するアンチテーゼであり、出たくもない舞台挨拶に無理に出させる事務所への反抗の意志表示でもあったのかもしれません。

あの「別に事件」が起こったときに、どのマスコミでもこのような報道はしていませんでした。私は、あのようなことを言うには何か背景があるに違いないと思っていましたが、やはり、そうだったということがこの発言を見てはじめて理解しました。

だからといって、沢尻さんのあの態度・行動がすべて正しいとはいいませんが、まるっきりの子供ではなく、ある程度の年齢になってからのあの態度ですから、何かあるはずと思っていました。もう、連日連夜の仕事や、出たくもない舞台に出されるは、自由はないはで鬱積していたものが破裂してしまったというのが真相だと思います。

これは、事務所側の労務管理の完全な失敗とみるべきです。本来なら、事務所側は、タレントは商品でもあり、労働者でもあるわけですから、ここまで、鬱積する前にきちんと手を打つべきだったと思います。

私は、この件に関しては、以前にもこのブログにも掲載しており、そこでは、海外においては今でも芸能人の社会的地位が低いこと、さらに、日本でも少し前まではそうであったことを記載しました。江戸時代には、士農工商といわれてましたが、芸人は士農工商にもあてはまらない、これらよりさらに下の存在だったわけです。それに関して、少し前までは、日本でも芸能人の格付は一般人より下でした。海外では今でもそうです。

このことの是非は別にして、現在はどうも芸能界をとりまく状況がどうもおかしなことになっていると思います。一昔前は、芸能人の世界は、普通の人の世界とは別次元の世界であるということははっきりしていました。だから、ある意味、芸能人のプライバシーなどもある程度保たれたのではないかと思います。

芸人が金を儲けようが、豪邸をたてようが、誰と結婚しようが、それは、一般人の別次元の問題ということで、多くの人も区別して考えていたと思います。

ところが、最近では、芸能人も一般の人々と平等になったようですが、それは、それで良いことなのですが、その分、おかしなことになって、芸能の世界と一般の世界との区分があいまいになってきています。まあ、このあたりは、現職の大臣が歌舞伎役者の結婚披露宴に会議をすっぽかしても出席するような世の中になっていますから、当たり前といえば、当たり前かもしれません。一昔前なら、全く考えられないことです。

大昔は、身分の違いなどがあったとしても、人は人として認めていたと思います。身分の差=人権無視ということではありません。多くの歴史を知らない人は、身分の違い=封建制、非民主的=残虐非道、などと考えているようですが、江戸時代など、たとえば、侍が町人を理由もなく斬った場合には、お家断絶などになって、とんでもないことになる場合もありました。身分が高い、低いに限らず適用される厳しい秩序があったことは意外に知られていません。しかし、今では、そんなこともなく、事務所が芸能人個々人の考えなど完全に無視して、勝手にイメージをつくりだし、個人の尊厳を踏みにじっています。それについて、マスコミも、一般人も許容しているようです。

自由という名のもとに、このようなことが平気で許容されています。やはり、現在においても、現代風の秩序とか、規範が必要だと思います。特に一般人の態度として、タレントなど、たとえば、きちんと法律を守って行動しているのなら、他のことは瑣末なことです。たとえ沢尻さんの「別に発言」があったとしても、それこそ、たいした問題にしないことです。余計な報道に振り回される必要はありません。なぜなら、芸人は、本来、一般人とは別次元の世界の人間であり、芸によって、その力量を見定められるべきものだからです。彼らは、一般人の尺度が当てはまる世界には住んでいないからです。芸人になるということは、世間一般とは世界に入るということだからです。身分の差がなくなっても、このあたりの区別はあるのか当たり前の事と思います。




【関連記事】

「批判は受ける」両院議員総会欠席し、海老蔵披露宴出席の前原国交相― かぶくものの披露宴に嬉々としてでかける、現職の大臣とは、世も末か?

沢尻エリカ、活動再開!スペインから世界へ―沢尻エリカさんの「別に」を大きく取り上げるマスコミに問題はないのか?

沢尻エリカ解雇へ、理由は「重大な契約違反」-沢尻エリカは悪くない?!

特報 米国司法省 IR疑惑で500ドットコムと前CEOを起訴 どうなる岩屋外務大臣―【私の論評】岩屋外務大臣の賄賂疑惑が日本に与える影響と重要性が増した企業の自立したリスク管理

特報 米国司法省 IR疑惑で500ドットコムと前CEOを起訴 どうなる岩屋外務大臣 渡邉哲也(作家・経済評論家) まとめ 米国司法省は500ドットコムと元CEOを起訴し、両者が有罪答弁を行い司法取引を結んだ。 日本側では5名が資金を受け取ったが、立件されたのは秋本司被告のみで、他...