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http://journal.mycom.co.jp/news/2011/06/29/026/index.html
【私の論評】コミュニティーの特性を活かしたサービスで巻き返しなるか?
私自身は、結構長い間、SNSを使用しているのですが、結局のところ使いこなせていないと思います。その理由はいろいろあるのですが、やはり、SNSが現実のコミュニティーに対応していないというのが原因だと思います。
現在の都市部のコミュニティーは、一昔まえのたとえば、農村のコミュニティーとは、随分様相が異なります。一昔前の農村のコミュニティーとは、強制的なものであり、生活に密着しており、土着的であり、生きていくために必要不可欠なものでした。
昔は機械なども、なかったため、農作業といえば、ほとんどが肉体労働であり、田植えも、稲刈りも人力で行っていました。自分の家の田んぼの田植えをするにしても、それが、家族を支えてのに十分なほど広いものであれば、家族総出で作業をするのは無論のこと、他の大勢の人々の力も必要としました。
だから、必然的にコミュニティーができあがり、平等性を確保するため、厳しい掟などもあったわけです。この禁を破れば、村八分となり、生きていけなくなるか、都市部に逃げるくらいしか道はありませでした。また、農村部の閉塞的なコミュニティーを嫌って都市部に移り住んだ人々も大勢いました。ただし、今日では、農村でも從來のようなコミュニティーは姿を消しています。
都市部のコミュニティーは、かつての農村などのコミュニティーとは全く異なります。都市のそれは、地域に限定されるというものではなく、もっと広い地域に分散する人々によって構築されるものです。それに、生活に密着したものから、全く関係のないものなど、様々です。
たいていの人は、複数のコミュニティーに属しているのが普通です。かつての農村のように、地域で限定された一つのコミュニティーというわけではなく、多くの人が職場や、学校でのコミュニティー、趣味の世界のコミュニティー、職業上のコミュニティー、その他の市民活動におけるコミュニティーに属しています。
最近では、SNSなども興隆してきたため、さらに、広範な人々と様々なコミュニティーを構築できる機運が高まってます。しかし、このSNSが、今までのものは使い勝手が悪かったと思います。
SNSにも様々なものがあって、たとえば、facebookなどは、実名を用い、現実世界のコミュニティーと同様であるといわていますが、私自身は、そうではないと思います。なぜなら、やはり、都市部の人は、複数のコミュニティーに属しているのが普通であるということに十分な対応ができいないからです。
確かに、mixiなどであれば、コミュニティーをつくることができるとか、facebookでも、公開グループなどつくることはできますが、それにしても、複数のコミュニティーを使いこなす人にとっては、十分な対応をしているとは思えません。現在のソーシャル・メディアは、コミュニケーション・ツールのみを提供しており、中身についてはほとんど何の縛りもないというのがほとんどです。
私自身は、経済のことについては、素人なのですが、それでも、ある程度マクロ経済は知っているので、それを前提にして、twitterなどに書き込みをすることがあるのですが、それに対して、メッセージを送ってくる人がいて、それが、全くマクロ経済について理解していないので、そもそも、互いに話が全く通じません。全く、土俵が異なるといういった感じです。
そもそも、マクロ経済とは、単なる経済の見方にすぎないのですが、それにしても、それを全く理解していない人と話をするのは、困難を極めます。現在のソーシャルメディアは、常にこのようなことがつきまといます。
最近では、こうしたことを補完する意味もあるのでしょうか、シリコンバレーなどの専門知識を持っている人々の間で使われる、ビジネスに特化した「Linkedin」などというSNSもあります。これは、これで、使っている人には非常に便利なので、それなりに発展しているのだと思います。
では、いくつものSNSをつくれば良いではないかとということになりますが、そのようなものを作ったとしても、最初は特徴があっても、人数が増えてくるにしたがって、特徴が薄れていくというのが実体だったと思います。実際は、どこのSNSも特に特徴がなく、似たようなものになっていたり、なっていくというのが実体なのだと思います。
既存のソーシャルサービスは、すべての人間関係を「友だち」で一括りにし、その全体との情報共有から始まるものが多いですが、実生活におけるコミュニティーは、家族、親しい友だち、親友、会社の上司、職業関係のコミュニティーというように細分化されており、それぞれにコミュニケーションの内容や共有する情報が異なります。上記の文章にもでているように、Google+ではまず、共有したい人を選び、「サークル」というグループに分類します。
私は、そもそもSNSにおける「友だち」という表現が気になります。もともと、日本語で「友だち」とか「友人」と言った場合、単なる、「知り合い」「顔見知り」などとは異なり、もっと深い関係だと思います。そもそも知り合いは沢山いても、友人などそんなに人数が多いわけはありません。誰でも、友達という分類にはそもそも、抵抗があります。
Google+は複数のコミュニティー内の発言や情報共有の違いに合わせたグループ作りから始めることで、適切な人との適切な共有を可能にします。これは、従来のものとの大きな違いです。この機能は、かなり便利だと思います。たとえは、このサークルなど、最初は広くとっておいて、たとえば、何人かの人が経済について詳しいということがわかった場合、経済と命名したサークルの中にいれおけば良いのではないかと思います。
そうすれば、この人たちとは、もっぱら経済の話をすれば良いわけです、相手も、経済以外の話をしても、面白くはないでしょうから、それで、相手側も不満を持つことはなく、かえって、従来よりも、突っ込んだ話ができるようになって、互いにとって大きな益があるものと思います。
こういう人々とも、経済でいろいろ話を重ねていくうちに親しくなれば、他のサークルにも分類するということにすれば、さらに親しくなれると思います。そうして、いままでの、ソーシャル・メディアでは、親友とともにソーシャル・メディアをつかうとか、SNSを使っている人と何回か会っているうち、親友同士になるということはあっても、ソーシャル・メディアを使うだけで親友などできなったと思います。しかし、今回のGoogle+では、そのような可能性も高まるのではないかと思います。
このようなことから、うまくいけば、Googleでは立ち遅れていた、ソーシャルでも、巻き返しを図れるかもしれません。さて、このサービスこれから、どのようになっていくのか、楽しみです。私も、さっそく、登録しました。実際、使えるようになったら、また、レポートしたいと思います。
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