- この論考は、「なぜ連携が失敗したのか」ではなく、「なぜ必ず失敗する構造なのか」を解き明かす。立憲と公明に限らず、海外でも繰り返されてきたリベラル・左派と宗教的中道派の決裂は、偶然や相性の問題ではない。理念で引き合いながら、理念の扱い方の違いによって必然的に壊れる。その構造を、具体例とともに描き出す。
- 同時に、改革を可能にする条件として「改革の原理としての保守主義」を捉え直す。保守主義とは反改革でも反理念でもない。理念が暴走しないよう、現実側に制御装置を組み込む思考法である。理念が正しいほど危うくなる瞬間があるという逆説を通じて、なぜ理念主導の政治が社会工学実験へと傾きやすいのかを示す。
- そして本稿は、次の選挙で有権者が何を見ているのかを「壊れにくさ」という感覚から描く。経済、安全保障、外交、エネルギー、社会構造、移民、親中。有権者は理念の是非ではなく、理念が暴走したときに社会と国家が耐えられるかを測っている。この静かなブレーキこそが、これからの政治を左右する核心である。
1️⃣改革の原理としての保守主義──理念は必要だが、暴走は許されない
| 経営学の大家ドラッカーも著書で「改革の原理としての保守主義」を主張 |
本稿の出発点は、「改革の原理としての保守主義」にある。
ここで言う保守主義とは、懐古でも現状維持でもない。ましてや、理念を否定する思想でもない。理念を持たない政治は、方向を失い、漂流するだけである。
元来、保守主義とは「改革を否定する思想」ではなかった。
それはむしろ、改革が避けられないことを前提としたうえで、社会が耐えられる速度と範囲を管理しようとする思考であった。社会は一度壊れれば元に戻らない。人間は理念通りに設計できる存在ではない。制度は完成形ではなく、妥協と修正の積み重ねでしか機能しない。こうした現実認識こそが、保守主義の原点である。
したがって、改革の原理としての保守主義が問題にするのは、理念そのものではない。
問題にするのは、理念が検証や修正を拒み、自己目的化したときに起きる「理念の暴走」である。
保守主義が改革に条件を付けるのは、そのためだ。
速度を制限し、影響範囲を区切り、途中で立ち止まり、引き返す余地を残す。
それは理念を抑圧するためではない。理念が現実を壊さないよう制御するためである。
この視点を欠いた政治は、善意であっても必ず危うくなる。
そして、リベラル・左派と宗教的中道派の政治連携が、繰り返し同じ地点で破綻してきた理由も、ここにある。
2️⃣理念で引き合い、中国と親和性が高く、理念の暴走で壊れる政治連携
立憲民主党と公明党という組み合わせは、日本では「現実的な選択肢」として語られがちだ。しかし、この構図は日本固有のものではない。海外ではすでに何度も試され、そのたびに同じ結末を迎えてきた。
イタリア、ドイツ、韓国、スペインに共通するのは、リベラル・左派と宗教的中道派が、ともに理念を政治の中心に据えた点だ。リベラル・左派は普遍的正義や進歩を掲げ、宗教的中道派は信仰や倫理といった超越的価値を重んじる。一見すると対立しているようで、両者は「理念を軽視しない」という一点で強く引き合う。
しかし、この親和性こそが不安定さの源泉になる。
リベラル・左派の理念は、社会を作り替える方向へ向かう。
宗教的中道派の理念は、社会に内在する秩序を前提に、それを導こうとする。
理念を重んじる点では一致しても、理念の向きは決定的に異なる。
ここにもう一つ重要な要素が加わる。
それが、中国との親和性である。
リベラル・左派は、理念を制度に直接実装しようとする点で、社会を設計可能な対象として捉えがちだ。宗教的中道派もまた、倫理や信仰という「上位原理」を社会に投影しようとする点で、理念を現実より優先する傾向を持つ。この二つは方向こそ異なるが、理念を統治原理の上位に置くという点で、中国の体制と親和性を持ちうる。
| 中国の一人っ子政策は、壮大な社会工学実験の一つ |
中国は、社会を自生的秩序ではなく、設計・管理される対象として扱う国家である。理念と統治が直結し、検証や修正よりも一貫性が重んじられる。この構造に対し、リベラル・左派は「進歩」や「普遍性」の名で、宗教的中道派は「倫理」や「調和」の名で、距離を詰めやすい。
だが、その結果として生じるのは、理念を止める装置を欠いた政治である。
理念の正しさが、そのまま実装の正当性にすり替わり、改革は調整ではなく実験へと変質する。
海外で繰り返された連携崩壊は、この構造の帰結だ。自民党と公明党の連携が長年続いた理由も理念で説明がつく。両党の連立は、理念の一致にあったのではない。自民党は多様な派閥と業界団体を抱える典型的な利権集団であり、党内は一枚岩ではなかった。公明党も宗教的理念を国家改造の原理として前面に押し出すことを避け、両党は理念よりも政策ごとの利害調整を重ねてきた。その結果、この連携は理想ではなく、時には公明党の理念が自民の足を引っ張ることもあったが、それでも理念が暴走しにくい現実対応の構造として機能してきたのである。
3️⃣有権者が選挙で測る「壊れにくさ」という感覚
この構造を踏まえるなら、我が国の次の選挙で起き得るのは、理念的な大転換ではない。むしろ、海外でも見られた有権者が無意識に理念の暴走にブレーキをかける現象である。
有権者が見ているのは、正しさではない。
社会と国家が耐えられるかどうかだ。
経済は壊れないか。
安全保障は空洞化しないか。
外交は不可逆な孤立へ向かわないか。
エネルギーは不安定化しないか。
社会構造は急進的改変によって空白を生まないか。
そして近年、移民政策と親中姿勢が、この「壊れにくさ」を測る最大の指標になっている。移民は速度と統合の失敗が社会分断を生む。親中はさらに深刻で、国家の自己決定能力そのものを削る。
有権者が嫌うのは理念ではない。
理念が暴走し、止められなくなる状態である。
結論──改革とは、理念を掲げることではない
政治に理念は不可欠だ。
だが、理念を現実の上位に置き、検証も修正も許さなくなった瞬間、政治は社会工学実験へと変質する。
改革とは、理念を一足飛びに実現することではない。それは改革ではなく破壊である。
理念が暴走しないよう、現実の中に制御装置を組み込むことである。
それこそが、元来の意味における「改革の原理としての保守主義」であり、
リベラル・左派と宗教的中道派の連携が共有できなかった決定的な条件である。
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