- 次の衆院選は政権や人物を選ぶ選挙ではない。中国という現実を前に、我が国が「決断できる国家」であり続けられるかどうかを問う、国家の分岐点である。
- 対中政策を避け続けてきた結果、日本の政治は安全保障、経済、外国人政策のすべてで判断を先送りし、選択肢そのものを失いかけている。その構造を直視しない限り、どんな経済論も空回りする。
- この選挙は、自民党の一部にだけ保守を閉じ込める政治を終わらせ、複数の保守勢力が競い合い、国家の決断を引き受ける政治を根付かせられるかどうかを決める選挙である
1️⃣「決めない政治文化」の核心にある対中国問題
昨日のブログ記事にも示したように、我が国の政治は、長年にわたり「決めないこと」を賢明さのように扱ってきた。特に、最近の岸田・石破政権ではそれが顕著だった。検討する、注視する、慎重に対応する。そうした言葉が繰り返される一方で、政治が本来引き受けるべき判断は先送りされ続けた。国民は選択肢を与えられないまま、結果だけを受け入れる立場に置かれてきたのである。
この「決めない政治文化」が、最も集中的かつ象徴的に現れている分野こそ、対中国政策である。
経済、安全保障、人権、技術、エネルギー、さらには外国人政策に至るまで、中国という国家の存在を抜きに語れない分野は多い。それにもかかわらず、歴代政権はこの問題を正面から引き受けることを避けてきた。摩擦を恐れ、言葉を濁し、選挙の場で争点にすることから逃げてきた。その姿勢は、特定の政権や人物の問題ではない。積み重なり、政治の「作法」として固定化してしまったのである。
だからこそ、冒頭解散には意味がある。冒頭解散とは政局上の奇策ではない。対中国政策という、最も長く決断が回避されてきた国家課題を、国民の前に真正面から差し出すための政治的装置である。決めない政治を続けるのか、それとも決断を引き受ける政治に戻るのか。その是非を問う行為である。
2️⃣世論と政党支持の乖離が生む「戦略的空白」
現在の政治状況には、明確なねじれが存在する。内閣への評価と、政党全体への評価が一致していないという現象である。トップ個人の姿勢や覚悟は評価される一方で、党としての振る舞い、とりわけ対中国政策をめぐる曖昧さに、有権者は割り切れない不満を抱いている。この感覚は印象論ではない。支持政党を決めきれない層が厚く存在しているという事実が、それを裏付けている。
にもかかわらず、与党は次の選挙で経済政策を前面に押し出し、安全保障、特に対中国政策を明確な争点にすることを避けようとしている。その結果、安全保障という本来最も重要な分野に「戦略的空白」が生じている。これは偶然ではない。党内事情と決断回避の積み重ねが、自ら生み出した空白である。
政治に空白が生じれば、そこは必ず争点になる。これは政治の常識だ。この空白は、保守系野党にとって偶然与えられた好機ではない。与党が自ら放棄した主導権である。
国民意識はすでに変わっている。安全保障を抽象論で語る時代は終わり、現実の脅威を前提に政治を評価する段階に入っている。対中国政策を争点化することは、過激でも扇動でもない。「決めない政治文化」と決別するかどうか、統治の姿勢そのものを問う行為である。
ここで重要な視点がある。かつて 安倍晋三 が語っていた通り、日本の政治家の多くはリベラルであり、保守は自民党の中の一部にとどまってきた。これはレッテル貼りではない。戦後日本の政治構造を冷静に言語化した現実認識である。
この構造の下では、保守は常に少数派であり、しかも巨大政党の内部に閉じ込められてきた。その結果、保守的な政策は党内調整の過程で骨抜きにされ、最終的には決断が回避される。自民党が勝っても、保守が勝ったとは限らない。これが長年続いてきた日本政治の実相である。
だからこそ、この選挙の意味は大きい。これは単に政権を選ぶ選挙ではない。自民党の一部にしか存在しない保守に国家の命運を預ける時代を終わらせる選挙である。
3️⃣決断できない国家の末路と、保守政治再編の選択
| 日本は「決めない政治文化」から脱却しなければならない |
対中国政策を決めるとは、威勢のいい言葉を並べることではない。これまで決めてこなかった空白を直視し、国民が選べる具体的な選択肢として示すことである。スパイ防止の枠組み、防衛力の再構築、憲法上の位置付け。必要性が語られながら、決断だけが避けられてきたテーマは少なくない。
さらに重要なのは、対中問題が外交や軍事にとどまらない点である。入国・滞在管理、不動産や土地の取得、研究機関や地方自治体への影響力行使。外国人政策という内政の中で、判断回避はさらに露骨になる。国際化や差別への配慮という言葉が盾にされ、国家が主権として管理すべき領域は曖昧にされてきた。これは排外主義の問題ではない。統治の問題である。
ここで断言する。国家が決断できなくなったときに待っているのは、緩やかな衰退ではない。外部環境が変わった瞬間に、選択肢そのものを失うという破滅的な結末である。安全保障で決断しなければ抑止は崩れ、経済安全保障で決断しなければ供給網は他国の判断に委ねられる。外国人政策で決断しなければ、主権の実体は静かに侵食されていく。
だからこそ、この選挙は通常の政権選択選挙ではない。経済政策の優劣を競う選挙でも、人物評価で終わる選挙でもない。決断を回避する政治文化を終わらせ、複数の有力な保守勢力が競い合う政治を日本に根付かせられるかどうかを問う選挙である。
次の衆院選は、誰を選ぶかではない。
決断できない国家であり続けるのか、それとも主権国家として意思決定を取り戻すのか。
その一点を問う選挙となる。
参照
・昨日のブログ記事(前編)
なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別
https://yutakarlson.blogspot.com/2026/01/blog-post_11.html
・JNN世論調査に関する報道(内閣支持・政党支持の乖離)
https://newsdig.tbs.co.jp/list/tag/%E4%B8%96%E8%AB%96%E8%AA%BF%E6%9F%BB
・政府世論調査を引用した国際報道(中国が最大の安全保障上の懸念となった点)
https://www.reuters.com/world/china/china-tops-japanese-publics-security-worries-latest-government-poll-2026-01-09/
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