まとめ
- 自公連立解消は必然:公明の対中志向の強まり(10/6の中国大使面会報道)と、10/10の離脱通告が“理念乖離”を可視化。長年の共依存構造が終わった。
- 不況は人災:1988–1990のコアコアCPIは年+1.01%/+2.50%/+2.65%で物価暴騰はなし。実態は資産(地価・株価)バブルだったのに、日銀が実体過熱と誤認して引き締め、信用収縮を招いた。
- 誤った政策が連立依存を生んだ:金融・財政を同時に締め、景気を冷やし続けた結果、自民は単独で安定多数を得にくくなり、選挙互助としての自公連立に依存した。
- 構造的ゆがみ(国交相の“指定席”):公明が長期にわたり国交相を占め、公共事業のゲートを握ったことで、中立性や配分の歪み、レギュラトリー・キャプチャーの懸念が恒常化。
- 処方箋は成長:連立という延命装置に頼らず、金融緩和+積極財政と供給制約の緩和、減税の組み合わせで成長軌道へ。成果で支持を得れば、連立は不要になる。
公明党が自民党との連立解消を正式に宣言した。四半世紀続いた「自公体制」は終わった。
離脱通告の数日前、10月6日に斉藤鉄夫代表が国会内で呉江浩・駐日中国大使と面会したと日経報道の要旨を引く複数記事が伝え、10月10日の自公首脳会談で離脱が通告された[1]。時系列は、公明党の対中志向の強まりと、連立の理念的乖離を象徴する出来事である。これは単なる政局ではない。日本政治を縛ってきた“共依存”の終わりだ。
この連立は当初から「政権安定」を名目に組まれた。しかし、その安定は国民経済の活力を犠牲にし、誤った政策を温存する装置に変質した。なぜ連立が必要になり、なぜ終わらざるを得なかったのか。本稿で道筋を示す。
1️⃣日本列島総不況が生んだ「自立喪失の政治」
1990年代初頭の資産バブル崩壊は、自民党政治の地盤を直撃した。地価と株価が崩れ、都市の中間層や地方の建設業、農業団体など従来の支持層は傷んだ。結果、自民が単独で安定多数を取りにくい体質になった。これが後の連立依存の土壌である。
日本経済は1992年以降「失われた10年」に沈んだ。強調すべきは、これは循環的景気後退ではなく政策による人災だという点だ。
当時の実体物価は「狂乱物価」ではない。コアコアCPI(食料・エネルギー除く)の年平均上昇率は、1988年+1.01%、1989年+2.50%、1990年+2.65%で小幅にとどまっていた[2]。高騰していたのは土地と株価という資産価格で、物価本体の暴騰ではない。にもかかわらず、日銀は実体の過熱と誤認し、急速な金融引き締めに踏み込んだ。これが資産バブルの崩壊を誘発し、信用収縮と過剰債務の連鎖を拡大させた。CPIの定義・接続は総務省統計の公開資料で確認できる[3]。
崩壊後も金融は引き締め基調が続き、政府は不況期に増税と歳出抑制で需要を冷やした。金融と財政が同時にブレーキという失策で、倒産と雇用不安が全国に広がった。これが文字通りの「日本列島総不況」であり、自民の支持基盤を破壊し、選挙での連立依存を不可避にした。
しかも解決は難しくなかった。本来は大胆な金融緩和と積極財政を同時に回せばよかった。それを官僚は「財政規律」や「インフレ懸念」で押しとどめ、政治も連立で延命を選んで誤りを温存した。
2000年代には「構造改革」論が台頭し、デフレ下で需要をさらに冷やして停滞を長引かせた。正しいマクロ政策(緩和+積極財政)を阻害したという意味で、ここが決定的な失敗である。
2️⃣「自自公」から始まった政権延命の構造
現在の自公は1999年の「自自公連立」に始まる。小渕恵三内閣の下、自民・自由・公明の三党体制が組まれ、参院の数不足を補って法案通過を容易にした。狙いは理念一致ではなく数による安定である。
自自公連立政権に向けた3党首会談を前に握手する(左から)小沢一郎自由党党首、小渕恵三首相、神崎武法公明党代表=1999年10月、首相官邸 |
しかし自由党との関係は持たなかった。2000年に小沢一郎が連立を離脱。自由党の一部は連立維持のため「保守党」を結成して残留し、のちに「保守新党」(2002年)を経て自民に吸収された。こうして自民+公明の二党体制が定着し、20年以上続いた。
公明の母体・創価学会の動員力は強い。小選挙区で1~2%の差が当落を分ける現実の中で、自民は公明の票を前提に選挙を組み立てるようになった。ここで自公の本質は、「政策連携」より選挙互助となった。理念を削り、延命装置としての連立だけが残った。最初から間違った連立だったと言わざるを得ない。
この構造的依存が長期化する中で、国政の重要ポストにも歪みが出た。とりわけ国土交通相の「長期専有」は象徴的だ。第二次安倍政権以降、太田昭宏(2012–2015)→石井啓一(2015–2019)→赤羽一嘉(2019–2021)→斉藤鉄夫(2021–2024)と公明党が連続で国交相を務め、その前にも北側一雄(2004–2006)・冬柴鐵三(2006–2008)ら公明出身の大臣が続いた[4][5]。主要紙はこのポストを「公明の指定席」と表現してきた[6]。
ポスト固定化は継続性という利点と引き換えに、①調達・公共事業を所管する巨大省庁の“政治的囲い込み”、②交通・都市開発における政策中立性への疑念、③公共事業配分の政治的バランスの歪みという統治リスクを恒常化させた。いわゆる土建国家の議論から見ても、特定政党が公共事業のゲートを握り続ける配置は、規制俘虜(レギュラトリー・キャプチャー)や利権化の温床になりやすい[7][8][9]。結果として、本来のマクロ政策転換(金融緩和と積極財政)が、所管利害の論理に吸収・希釈される副作用が生じた。
3️⃣共依存の崩壊と再生への道
不況が長引くほど有権者は“安定”を求め、自民は公明という“安定装置”に依存した。経済不安定→連立依存の鎖は二十余年続いたが、2020年代半ばに綻び始めた。
公明はこの間に変質した。かつては中道・福祉重視を掲げたが、近年は対中融和の姿勢を強め、訪中団派遣や政党交流を重ねた。香港や新疆など人権案件では慎重に終始し、防衛・経済安保で自民の対中警戒路線と乖離が目立った。連立の理念的基盤は内側から侵食されたのである。
さらに、10月6日に斉藤代表が国会内で呉江浩・中国大使と面会したとの日経報道の要旨を引用するまとめ記事が出ており、4日後の10月10日に自公首脳会談で離脱通告が行われた[1]。
そして2025年10月10日、公明は連立離脱を正式表明した。主要外電・経済紙も相次いで速報し、国政の大きな転換点となった[10][11][12]。
公明党斉藤哲夫代表と会談する自民党高市早苗総裁(10日、国会内) |
これから自民は「票の装置」に頼らず、価値観と政策で結ぶ連携に向かうべきだ。理想は、そもそも単独過半を取り切るだけの経済成果で支持を固めることにある。バブル崩壊後の日本は、景気低迷→支持率低下→連立依存という負の連鎖にあった。
裏返せば、成長軌道に戻せば連立は要らない。安定は選挙互助ではなく、賃金・雇用・投資が回る現実の繁栄から生まれる。
結論は明快だ。自公解消は「不況が生んだ共依存政治」の終わりであり、民主政治が自立を取り戻す通過儀礼である。政治の自立を支える最強の処方箋は成長だ。金融緩和と機動的・積極的財政、供給制約を外す規制改革、家計・投資減税を組み合わせ、当たり前のマクロ政策を回せば、票は政策成果に回帰する。延命装置としての連立はいらない。誇りある政治はそこから始まる。高市政権はその道を選択するだろう。ただ、高市政権が長期政権にならなけば、時間がかかるかもしれないが、他党がこれを目指すだろう。確かなのは、それは自民党でも公明党でも無いということだ。
参考・出典(脚注番号対応)
[1]「10月6日・国会内での大使面会」報道ベース(※日経本文は有料)
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search/matome/0e53a70f5c7c45e5b390b6f6dc74103b-1759861209[2]FRED(OECD系列)“Consumer Price Index: OECD Groups: All Items Non-Food Non-Energy: Total for Japan(Annual)”
https://fred.stlouisfed.org/series/CPGRLE01JPA657N[3]総務省統計局「消費者物価指数(CPI) 結果・時系列データ」
https://www.stat.go.jp/data/cpi/index.html[4]首相官邸:歴代大臣プロフィール(例)— 斉藤鉄夫/赤羽一嘉/石井啓一
斉藤:https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/meibo/daijin/saito_tetsuo.html
赤羽:https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/meibo/daijin/akaba_kazuyoshi.html
石井:https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/meibo_a/daijin/ishii_keiichi.html[5]国会・公的機関記録(例)— 北側一雄/冬柴鐵三(差し替え版)
北側一雄(国土交通大臣)
首相官邸「歴代内閣:第3次小泉内閣 閣僚名簿」— 国土交通大臣:北側一雄
https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/089.html衆議院「内閣閣僚一覧(平成17年)」— 国土交通大臣:北側一雄(公明)
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/ugoki/h17ugoki/09siryo/H17kans02.htm冬柴鐵三(国土交通大臣)
政府インターネットテレビ(gov-online)「安倍内閣改造後:冬柴鐵三 国土交通大臣 就任会見」
https://www.gov-online.go.jp/prg/prg1338.html国土交通省「冬柴大臣 会見要旨(2008/5/27)」
https://www.mlit.go.jp/report/interview/daijin080527.html[6]毎日新聞「10年以上『指定席』 公明が国交相ポストにこだわるワケ」(2023/8/18)
https://mainichi.jp/articles/20230815/k00/00m/010/259000c
J-CAST「国交相はなぜ『公明党』が独占しているのか」(2020/9/19)
https://www.j-cast.com/2020/09/19394785.html?p=all[7]East Asia Forum “From people to concrete: reviving Japan’s ‘construction state’ politics”(2013/2/26)
https://eastasiaforum.org/2013/02/26/from-people-to-concrete-reviving-japans-construction-state-politics/[8]Gavan McCormack “The State of the Japanese State – Chapter 6: The Construction State”(書籍章案内)
https://www.cambridge.org/core/books/state-of-the-japanese-state/construction-state/A280C00E070DA119C87086A8BFF17060[9]Jeffrey Broadbent “The institutional roots of the Japanese construction state”(ASIEN, 2002, PDF)
https://d-nb.info/1371264538/34[10]AP “Japan’s Komeito Party withdraws from ruling coalition”(2025/10/10)
https://apnews.com/article/e9fe611e8868f6ce3ad8241dff7965ff[11]Financial Times “Komeito quits Japan’s ruling coalition”(2025/10/10)
https://www.ft.com/content/d621cdce-051c-4e47-99a3-2ad408232cfa[12]Wall Street Journal “Japan’s Komeito Party Withdraws From Ruling Coalition”(2025/10/10)
https://www.wsj.com/world/asia/japans-komeito-party-withdraws-from-ruling-coalition-0315bdd6
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