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2020年7月25日土曜日

中国品質の時代が終焉し、日本品質の時代がやってくるシンプルな理由—【私の論評】あらゆる分野で、日本人が「霊を重んじる文化」を見直せば、コロナ以降の世界で日本は黄金期を迎える!(◎_◎;)

中国品質の時代が終焉し、日本品質の時代がやってくるシンプルな理由


パンデミックで価値観の転換


 アフターパンデミックの世界について色々な予測・議論が行われている。  ビジネス面では、7月8日の記事「じつは日本でいま『管理職』の仕事が消え始めている…!  その残酷な現実」、7月4日の記事「『コロナ後』の世界で、じつは『日本の製造業』が大復活しそうなワケ…!」などで述べた変化が起こる可能性がある。 【写真】大人気「ユニクロのマスク」を超える「凄いマスク」があった…! 

 また、精神面では6月26日の記事「コロナで人生の終末を意識するようになった人に贈る『完全燃焼の心得』」、6月10日の記事「コロナ、暴動に満ちた今こそ『苦しいときの神頼み』の効用を見直そう」などの流れが主流になっていくと思われる。

  そして、その2つの「物質(経済・ビジネス)」と「精神」が合体した形として我々の目にはっきり見えるようになると思われるのが、「中国品質から日本品質へ」の大きな流れである。  例えば、Tシャツやデジカメで不良・欠陥があれば腹立たしいことだが、購入した人の命には別条がない。  それに対して、最近話題になった中国製のマスクや人工呼吸器のずさんな品質……このような生命や安全に直結する商品での「中国品質」は致命的だ。いくら安くてもそのような商品は購入できない。相当な値段を払ってでも「日本品質」の商品を求めるであろう。

  もちろん、この流れは日本だけで起こっているのではない。マスクや医療器具が不足して困難な状況に陥った欧米諸国が、それでも「中国品質」のあまりのひどさに、次々と「返品」を行ったことからも明らかだ。

安さよりも安心・安全

 また、自動車などの商品も欠陥が致命的(事故による死亡)になりえる商品である。「安かろう悪かろう」の安売り戦略でいくら中韓を始めとする国々が攻勢をかけても、結局日本製には太刀打ちできす、6月16日の記事「やはり独り勝ち、世界の自動車メーカーはトヨタにひれ伏すのか?」で述べたような状況になるのは、自動車という製品に「日本品質」が強く求められるからである。

  そして、今回のパンデミックは、その他の多くの商品にも「安心・安全」が必要であるということを思い起こさせた。

  また、安心・安全は「製造における日本品質」だけではなく「物流などのサービスにおける日本品質」においても大事だ。トイレットペーパー騒動のように、生産能力がきちんとあるのに、中間流通が滞って手元に届かないこともある。

  さらには、4月17日の「マスク不足の真犯人は誰だ!  中国共産党政権の火事場泥棒を許すな」の記事のように、日本国内での自給自足も「安心・安全」の重要な要素であることを痛感させた。有事になればどの国も自国優先が当たり前で、マスク(医療機器)や食糧などの必需品の調達を自国内でできるようにすることはとても大事だ。

取引相手も「日本品質」へ

 今回のパンデミックにおける中国共産党の「マスク外交」のような「他人の足元を見る卑劣な行為」を見ると、「調子のいい時の友達などあてにできない。自分がどん底に落ちたときに寄り添ってくれる人が真の友人だ。」という言葉を思わず思い起こしてしまう。

  「中国品質」から「日本品質」への流れは、「製品」だけではなく、「取引相手」の選定などあらゆる分野で起こる。

  少し前のことになるが、マスク不足騒動が深刻化した頃、アマゾンのサイトで「お届け日」がかなり先日付の「洗えるマスク」を注文した。手元にまだ在庫はあったが、今後のマスク供給に不安があり、価格も当時としては「まとも」であったからだ。

  ところが、配達予定日になっても品物が届かない。サイトを見ると、「配達日を確認できない状態です」という表示になっている。普通ならここで注文キャンセルだが、当時の状況なので、一応そのままにしておくと、何の前触れもなく商品が届いた。しかも、サイトの表示では「日本企業」だと思っていたのだが、中国大陸からの直送便である。

  思わず荷物を受け取った手をごしごしと石鹸で洗った。そして恐る恐る中身を見ると、マスクが、ビニールで丁寧に個包装されている。しかも、「お客様へ」と描かれたきれいな絵が書かれたカードも同封されている。

  少し安心したのだが、個包装を開けて中身を確認すると、なんと6個のうち3個が穴が空いたりした(ひどいのは1枚のマスクの半分しか入っていなかった……)不良品で使いものにならなかった。欧米で中国の医療製品の返品が相次いだ理由も良くわかる。

  アマゾン経由であったので、「配達が確認されなければ代金が入金されない」仕組みであったであろうから一応商品は届いたが、そうでなければ商品が届いたかどうかさえ疑わしい。

  それに対して日本のドラックストアでは、いくら品不足になっても(一部で抱き合わせ販売があったと報道されたが)、不当な価格で売りつけるなどということは行われなかった。 

 中国大陸の日本風に見せかけた企業は、混乱時に売りつけてがっぽり儲ければ、また同じ相手と商売しようなどとは思わない。しかし、日本のドラッグ・ストアがマスクを高値で売りつけたら、買わされた顧客は、混乱が収まった時に、そのドラッグ・ストアには2度と行かないであろう。

  「中国品質」と「日本品質」の差が生まれるのは、「目先の利益だけに執着」するのか、それとも「長期的信頼関係の中で少しずつ利益を得ていく」のかという違いによるところが大きいと思う。

日本品質」は見てくれよりも中身

 日本人はディベート・プレゼンが下手であるとよく非難されるが、「口がうまくて中身のない人間」と「口下手だが中身の濃い人間」とどちらが有能なのだろうか?

  「欧米品質」は「中国品質」と「日本品質」の間にあることは間違いがないと思うが、どのあたりかは微妙だ。

  新型肺炎の影響で少々状況は変わったが、EUは域内であれば「一見さん」との取引を奨励する考えである。米国は、元々移民の国で、文字通り「どこのだれかわからない一見さん」と取引をするのが当たり前の文化だ。

  だから、「信頼できる特別な相手先との継続的取引」よりも「たくさんの一見さんとの短期的取引」が中心となるのも当然だ。

  そのような社会では、相手(取引先)の本当の中身を時間をかけて知ることは難しいから、「見た目」が重要視されるのも仕方がない。

  特に著しい「一見社会」である米国で、人目を引くディベートやプレゼンの技術が発達し、彼らがそれに長けているのも不思議ではない。

  確かに中身を知ることができなければ、包装紙や箱で判断するしかない。あるいは大きさで推測するしかないだろう。花さか爺さんの話は日本人ならだれでも知っていると思うが、「大きいつづら」を選んだ悪いお爺さんがどうなったかを考えるべきではないだろうか? 

  もちろん、見た目=イメージがビジネスの上で重要なことは否定しない。しかし我々の持つ時間や資源は限られている。「中身を磨く」ことと「見た目を飾ること」のどちらに配分すべきなのか?

 多くの日本人・日本企業は前者を重要視しているから、後者までなかなか手が回らないのは致し方ないと言える。

  「中国品質」では、見た目で他人を引き付けることに重点が置かれるが、「日本品質」は中身を充実させ、長期的な信頼を得ることを大事にする。

  例えば、日本の中古車が海外市場で絶大な人気があるのは、おおよそ10万キロの耐用年数を過ぎても、きちんとメンテナンスすれば30万キロ以上楽勝で走るからである。 

 そのような高品質の自動車を製造しても、自動車メーカーに目先の利益があるわけではない。むしろ故障しないでいつまでも走ったら、買い替え需要がなくなるので不利だ。実際、以前は、日本の家電製品は品質が高すぎてなかなか壊れないので(中国資本が入ってきたりして状況が変わっている様だが……)、わざと壊れるようなプログラムが仕組まれているという都市伝説があったほどだ……  しかし、6月16日公開の「やはり独り勝ち、世界の自動車メーカーはトヨタにひれ伏すのか?」で述べたように、自動車産業でトヨタを始めとする日本勢が圧倒的なのは「日本品質」によって世界中の人々の信頼を勝ち得たからである。

  目先では「中国品質」が有利なように思えても、長期的に見れば「日本品質」のほうが圧倒的に強いのだ。

日本型経営、日本型社会も再び世界中の脚光を浴びる

 「日本品質」と密接につながる「日本型経営」は1400年の歴史がベースだ。  

 一時期日本型経営が世界的ブームになって、米国を始めとする多くの国々が日本に学ぼうとした。しかし、日本のような1400年にわたる歴史の中での「相互の信頼関係」がない国が、表面的なことだけをまねしようとしても機能せず、「うまくいかないから……」ということで、忘れ去られてしまった。 

 それどころか、1990年頃のバブル崩壊の後、日本でも業績が悪いことが「日本型経営」のせいにされてしまい、外来の血も涙もないリストラなどの悪弊がもてはやされるようになってしまった。

  実は、日本の長期にわたる低迷は「日本品質」と密接に結び付いた「日本型経営」をないがしろにした結果なのである。

  残念ながら、バブル後の世知辛い時代を経て、日本人同士の信頼関係が弱まってしまったが、それでも海外の国々に比べれば、1400年の歴史を経たお互いの絆は強い。

  つまり、「日本品質」は日本の伝統と文化に根ざした「日本型経営」によって生み出され、他国には簡単にまねできない武器なのである。

  ビジネスにおいて、得意分野にフォーカスすることの重要性は、ピーター・ドラッカーやウォーレン・バフェットも強調するところである。

大原 浩(国際投資アナリスト)

【私の論評】あらゆる分野で、日本人が「霊を重んじる文化」を見直せば、コロナ以降の世界で日本は黄金期を迎える!(◎_◎;)

私も冒頭の記事を書いた、大原氏と同じような経験をしました。マスク不足、アルコール洗浄液など騒動が深刻化した頃、アマゾンのサイトで「お届け日」がかなり先日付の「アルコール洗浄剤」「洗えるマスク」を注文しました。

その後、届くはずの日になっても届かなかったのですが、そのままにしていました。その後もコロナ禍はどんどん深刻になっていたので、フェイスシールドを購入しようと、これもアマゾンで注文しました。

その「洗えるマスク」と「アルコール洗浄剤」が、ほとんど忘れた頃に届きました。開けてみると、マスクの方はまともそうですが、アルコール洗浄剤に関しては、想像したよりも遥かに安っぽいプラスチック製の小さなボトルに入った物が4本でした。

説明書の文字があまりに小さいのと、英語・中国語・ハングルの表記はあるものの、日本語表記はなかったので、説明書はほとんど読みませんでした。一本一本が異なる香りになっているようでした。

その当時、韓国製のアルコール洗浄剤で、ほとんどアルコールが入っていなくて、ウイルス感染症対策にはならないものも販売されているとの報道がなされていたので、何やら不安感を感じて、結局このアルコール洗浄材は使いませんでした。

マスクの方も、品薄ではあったのですが、何とかして節約して使えば、使えたので、もしも本当に無くなつた時に使おうと思い、未だパッケージの封も切らないでそのままになっています。ただし、パッケージの大部分は、透明なので、外から見た限りでは、まともそうです。

そうして、ある日、これもほとんど忘れた頃に、フェイスシールドが届いたのですが、これは完璧に欠陥品とも呼べるものでした。なんと、シールドの素材が、透明ではなく、曇った素材でできいたのです。曇ったとは言っても、磨りガラスのように完璧に曇って、何も見えないというものではないですが、それにしても結構な曇りでした。

本来は、外出用に購入したのですが、曇りがあれば、危険な目に遭うことも予想さるとともに、このフェースシールドをした場合、曇りにより、パソコンなどに表示される、文字や写真が見辛いこともあり、これも結局使わず、押し入れに入れたままになっています。

以下写真は、このフェイスシールドの写真です。パソコンのディスプレイの前に配置して撮影しました。

クリックすると拡大します
アマゾンの見本の写真では、透明だったので、これは本当に裏切られた思いがしました。ある日、テレビを見ていると、確か釧路だったと思いますが、ある店で魚介類をドライプスルーで販売を始めたという報道の中で、販売員の一人が、私が購入したのと同じと思しきフェイスシールドをしていました。他の人は、マスクだけでした。

おそらく、このファースシールドをした販売員の人は、私と同じく、アマゾンで購入したのでしょう。曇りは気になったでしょうが、店舗から車まで、魚介類を運ぶくらいには、使えるだろうし、それでコロナ感染が防げればと、判断して、仕方なし使っていたのでしょう。

このようなことがあったので、家族からも「何で、中国製なんか買うの。もうやめらた」と言われました。「アマゾンで購入したので、中国製とは知らなかった」など苦しい言い訳をしました。

現在この販売履歴をアマゾンで見ようとすると、「故障中(CS11)」のメッセージが出できます。この販売業者は、既に販売やめているのでしょう。それに、購入者から多くのクレームが入ったのかもしれません。私自身は、返品も面倒そうなので、そのままにしてあります。価格は5個入りで1449円でした。

最近このようなことが続いたので、やはり私自身も中国製品の品質にはかなり疑念を抱くようになりました。安いとは言ってもこれでは、用を為しません。

その後、感染症・花粉予防のメガネ(私は目は悪くないので度は、入っていない)を購入したのですが、その時は、近所のスーパーに入っている、メガネ屋さんで、日本製であることを確認してから購入しました。

以上のような経験をしたので、冒頭の記事で、大原氏が主張していたことは良く理解できます。

その上で、日本の産業は、パンデミックを経て、自らの強みを再確認して、それに集中するのは良いことだと思います。特に、医療や人の命に直接関わるようなものであれば、日本の独壇場になる可能性が大です。

 さらに、大原氏は、”ビジネスにおいて、得意分野にフォーカスすることの重要性は、ピーター・ドラッカーやウォーレン・バフェットも強調するところである”と結論を述べています。これも本当にそうだと思います。

ドラッカー氏
ドラッカーは成長のための戦略について以下のように語っています。
ほとんどの会社が成長を望む。だがそれらの中で、成長のための方策を講じているものはわずかしかない。成長のための戦略をもつものはさらに少ない。(『実践する経営者』)
まず行なうべきは、何を捨てるのか決めることであり、どこで成長したいかを決めることではないというのです。

成長戦略の基本は、機会に備えて資源を自由にしておくことだと、ドラッカーは言います。そのためには、見返りが急速に減少しつつある製品、サービス、市場、技術から、資源を引き揚げなければならないのです。

したがって、2~3年ごとに「この製品を生産していなかったとして、あるいはこのサービスを行なっていなかったとして、今われわれが知っていることを知っているとして、それを始めるか」を問う必要があるとしています。

成長は、機会を利用することからもたらされます。特に貴重な資源である有能な人材が、昨日の仕事の若干の延命、陳腐化したものの防戦、失敗したもののアリバイづくりに投入されていたのでは、機会を利用することは不可能だというのです。

IBM、ゼロックス、GEなど優れた企業の成長戦略は、今日最も成功している製品は明日には最も早く陳腐化する、との前提からスタートしているのです。
成長のための戦略は、機会あるところに的を絞らなければならない。自らの強みが、異常なほどに大きな成果を生む分野に集中しなければならない。(『実践する経営者』)
コロナ後の世界では、まずは人の生命を大事にする製品・商品にこそ大きな機会があることは言うまでもありません。今までもそうではあったのですが、コロナ後の世界では、それがさらに強調されることになるでしょう。

そうして、考えていくと、この世の中全てのもの、何もかもが人の生命に関係しています。食べ物、飲み物も、品質が悪ければ、人の生命にとって危険なものになります。車などの交通手段だって、通信手段も、人の命を左右することもあり得ます。

全ての製造物は、人の生命に無関係ではありません。大原氏は 「日本品質」は中身を充実させ、長期的な信頼を得ることを大事にするとしていますが、その中身には当然のことながら、人の生命を大事にするという観念が含まれています。しかし、コロナ後の世界では、特にそれが、大事にされることになるでしょう。

そうすると、産業の全分野で、「人の生命を大事にする」という重要な部分があります。それに特化して、掘り下げていけば、日本品質は産業の全ての分野で世界中から支持されることになります。

いや、政治の世界でも、学問の世界も、宇宙開発から、海洋開発から、ありとあらゆる、この地球に存在するもの、宇宙に存在するもの全てに関して、「人の生命を大事にする」という観点から見直されることになるでしょう。

そうして日本の伝統と文化には、それが最初から組み込まれています。「人の生命を大事にする」だけではなく、それどころか万物には霊が宿るという考えや、霊を重んじるという、日本独自の「霊性の文化」です。

考えてみると、このような考え方が失われたからこそ、今日人類は、文明が進み、特に先進国では疫病とは無縁にやったように思われていたにも関わらず、コロナウイルスによる惨禍に見舞われたのかもしません。しかも、それがこのような考え方からは、最も程遠い中国共産党の隠蔽により、世界に広まったことは、象徴的です。

他国にも、霊を重んじる文化が、宗教が勃興する以前にはあったのですが、それはほとんど消えてしまいました。日本は、それを近代国家になった以降も維持し、現在見られる日本人の精神構造や生活習慣や文化にまで昇華してしまいました。

多くの日本人は、それがあまりにも当たり前過ぎるので、ほとんど意識しませんが、日本人の精神には、それが世代を超えてかなり深くにまで精神の奥深くまで刻み込まれています。これは、八百万の神とか、お正月の初詣とか、験(げん)かつぎをするなどの様々な形で残っています。

こうしたことより日本人は、自然の力を畏れたり、古の人々の想いや、この世の中には、自分よりはるかに大きなものや、価値や情念などが厳然として存在していることを潜在意識の中に埋め込まれます。

しかし、これに普段は気づかなくても、いざというときには出てきたりします。これを全く意識しない鈍感な人や組織は、どんなに成功しているように見えても、最終的には道を誤ると思います。中共はその典型かもしれません。

毎年80万人以上が初詣に訪れる北海道神宮

産業界に限らず、あらゆる分野で、この精神を見直し、無意識ではなく、意図して意識して生かすことに全日本人が注力すれば、日本は国内だけではなく、世界の中で黄金時代を迎える可能性も大です。

コロナ禍以前では、日本の「霊性の文化」も様々な雑音が入って、他国からは理解しにくいもだったかもしれませんが、コロナ禍後には理解されやすいかもしれません。宗教によって、全く消え去ったと思われる他国の文化や言語にも霊性に関する事柄が残っていたりします。日本でも知られているのは、ハロウィーンです。これは、キリスト教とは全く関係ありません。

私は、「人の命を大事にする」という考え方は、敷衍していけば、「霊性」やそれを重んじるということにつながっていくと思います。

私は、日本を起点として、世界で「霊」を重んじる方向に向かっていけば、人類は疫病などの災厄から救われることになると信じます。

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2017年12月25日月曜日

<元日休業>じわり拡大 外食、コンビニ、携帯ショップなど―【私の論評】雇用に頭を使わなければならない時代が始まる(゚д゚)!

<元日休業>じわり拡大 外食、コンビニ、携帯ショップなど

 深刻化する人手不足を背景に、外食産業を中心に元日を休業とする動きが広がっている。人件費高騰で元日に営業しても費用に見合った売り上げを見込みにくいほか、従業員の心身のリフレッシュを促し、働き方改革につなげる狙いもある。【今村茜】

 ◇従業員リフレッシュに人件費高騰対策も

 ロイヤルホールディングス(HD)は、傘下のファミリーレストラン「ロイヤルホスト」で、2018年から全国の9割超の店舗で元日休業する。元日は週末並みの売り上げが見込めるが、「従業員に正月はリフレッシュしてもらう方が、結果的にサービスの質が向上し会社の利益になる」(同社)との判断だという。傘下の天丼チェーン「てんや」では17年から元日休業を始め、18年は対象を全国の8割に拡大する。

 外食大手の大戸屋HDも、元日に休業する店舗を17年から2倍に増やし、18年は全直営店の約半数が休む見込み。対象店舗は今年の大みそかも休業する。同社も「従業員のワーク・ライフ・バランスを優先したい」と話す。

 北海道や北関東でコンビニ「セイコーマート」を運営するセコマ(札幌市)も、元日休業の店を17年から拡大し、過半数の店舗で休業に踏み切る。

 外食やコンビニ業界は人手不足でアルバイト店員を確保しにくく、人件費も高騰している。年末年始はさらに割増賃金を支払う必要もあり、高い費用をかけて営業するより、休業で労働環境改善や従業員の意欲向上につなげる方がよいとの判断だ。

 元日休業の波は他業種にも広がる。通信大手のソフトバンクは携帯電話販売店「ソフトバンクショップ」「ワイモバイルショップ」を18年から原則として元日休業とし、全国の約8割の店が休む見込みだ。休業による各店の売り上げ減などを補うため、休む店舗には会社が支援金を支払う。同社は「売り上げを気にせず心おきなく休んでほしい」としており、労働環境を整え従業員の離職を防ぐ狙いだ。

 正月営業が恒例だった住宅展示場も休業となる。大和ハウス工業は正月三が日に全国の住宅展示場や営業所などを休業とする。同社は「正月は日本人にとって大事な行事。家族と過ごすことで本人の意欲向上につながり、休み明けの生産性も高まる」と話す。

 元日休業の流れについて、三井住友アセットマネジメントの宅森昭吉理事・チーフエコノミストは「元日営業で支払う人件費を上回る売り上げが見込めず、各社は費用対効果から休業を選択するのだろう」と分析。「日本人は正月で元気になる。新年に気分を一新し労働意欲を高め消費を喚起するためにも、元日休みは非常に有効」と指摘する。

【私の論評】雇用に頭を使わなければならない時代が始まる(゚д゚)!

人手不足に関しては、今年の元旦からその動きはありました。そうして、それについてはこのブログでも取り上げました。その記事のリンクを以下に掲載します。
人手不足は金融緩和による雇用改善効果 さらに財政政策と一体発動を―【私の論評】年頭の小さな変化に気づけない大手新聞社は衰退するだけ(゚д゚)!
このような表示をする小売業もちらほら出てきている
この記事は、今年の1月10日火曜日のものです。詳細はこの記事をご覧いただくものとして、以下にこの記事から一部を引用します。
 年末年始は人手不足などの事情で宅配便の遅配が生じたという。また、ファミリーレストランでは24時間営業をやめるところも出てきている。 
 筆者は日用品でも宅配便を利用しているが、たしかに筆者のところへの宅配便も遅れた。それほど緊急性のないものだったので別に気にしなかったが、到着予定日より2日ほど遅れたものもあった。 
 百貨店も昔は元日営業が当然だったが、元日は休みで2日から初売りも多くなり、一部では3日から初売りというところも出てきている。さらに三が日は休業し4日からの初売りを検討するところもある。これらの正月休業の動きは従業員に配慮する観点からとされている。 
り、これまでアベノミクスで金融緩和を続けたことの成果だといえる。
来年の年始はさらにこの傾向が強まり、人手不足がより深刻になりそうです。

そうして、この記事では以下のような結論を掲載しました。
今年の年頭の人手不足という一見小さくみえる現象は、将来の大きな変化の前触れだと思います。この変化に気づきそれを利用できる人と、利用できない人との間にはこれから、大きな差異が生まれていくものと思います。 
そうして、日経新聞や朝日新聞などは、当然のことながらこのような小さな変化に気づかないことでしょし、それを利用することもできないでしょう。このようなことに気づかない人は、この小さな変化が大きな変化になってはじめて気づきます。しかし、その時は手遅れです。 
日本の大手小売業の失敗は、POSなどを導入して顕在顧客のことを熟知したものの、潜在顧客を知ることを疎かにしたことです。 
日経新聞や朝日新聞も、購読層が減少し続けています。おそらく、潜在顧客のことなど何も考えていないのでしょう。潜在顧客の情報も集め良く考えれば、おのずと小さな変化にも気づくはずです。しかし、あいかわらず、気づいていないようです。

私たちは、そうはなりたくないものです。
このような記事を見ても、金融政策と雇用が密接につながりがあるということに思いが至らない人がいるようです。今年10月の衆院選では、雇用改善はアベノミクス(金融政策)ではなく○○による、というデタラメが出てきました。枝野氏は、民主党政権時代と安倍政権時代で就業者数で変化があったことを認めず、図が間違っているとTVでいっていました。

その図を以下に掲載します。


このグラフは厚生労働省「労働力調査」から作成したものです。これをみると、明らかに安倍政権に入ってから金融緩和を実行していて、それが雇用状況を改善していることがわかります。

ところで、先程もあげたように、雇用政策は、○○によるものという説を数量的に説明したものはみたことがありません。ただし、このグラフのように推移していない資料を識者が作成しているのは見たことがあります。枝野氏はそのようなものを見て真に受けているのかもしれません。このグラフに関して不信感を持つ方は、厚生労働書の統計数値にあたってみて下さい。このグラフに間違いのないことはすぐに理解できます。

それに、もう今年の年初と、来年の年初でも、人手不足が顕著になっていることから、雇用と金融関係について疑うべきではないことは明らかであると思います。

雇用と金融政策。これが結びつかないのは単なる無知です。これはフィリップス曲線として、経験的に昔から知られている事実です。日本では、物価が数%でも上昇すれば、他に何をしなくても、一夜にして数百万の雇用が生まれます。これは、経済学の常識です。これを疑問に思う方は、それを論文にして、経済学会で発表すべきです。これが、世界に認められれば、ノーベル経済学賞を受賞できるでしょう。

これを理解しない人が日本では自称インテリ層にきわめて多いです。マスコミや政治家では理解している人が稀で、無理解の人が圧倒的です。外国では金融政策と雇用がリンクしていて、そのまま報道されますが、国内ニュースでは雇用と金融政策がリンクされない状態で報道するのでほぼ間違っています。

左翼やいわゆるリベラルの人たちは、金融緩和は、株価を上げた「だけ」とまくしたてます。株価を上げたのは正しいですが、株価と雇用に関係があることを忘れています。株価と半年先の就業者数には深い相関関係あります。もっともこれは見かけ上の相関で、実は金融政策が裏にあって、金融政策は株価にも雇用にも効くというのが事実です。株価のみに言及し雇用をいわないのは全くおかしいです。


左翼・リベラルや識者までが、雇用と金融政策の密接な関係を理解していないので、ブログ冒頭のような内容の報道が日本では散見されます。そうして、そのような内容しか目にしない多くの人々を幻惑させています。

結局、金融政策と雇用に関係があることがわからないので、企業経営者や企業の人事担当者も、雇用状況を短期でしか予測できません。

企業経営者や人事担当者は、雇用を雇用統計だけでみているようです。そうなると、雇用情勢をせいぜい数ヶ月単位でしか予測できないことになります。

金融政策と、雇用統計、それと自らが属する産業や、自社特有の雇用情勢にかかわることを見比べ、5年、10年と追跡していくと、自社の雇用情勢が手に取るように把握することができます。

特に、過去の金融政策などが頭に入っていれば、雇用状況の変化を数年にわたって予測することができます。とは言っても、これはいつも正しく予測できるわけではありません。それでも、予測が失敗すれば、失敗したなりにその原因を突き止めてけば、かなり予測は正確になります。そうして、その段階で予測が外れたときにフィードバックも含めて、人事関係者に引き継げは、その人もできるようになります。

こうして、企業に金融政策と、雇用の関係の考え方が広く行き渡れば、日本でも金融政策と、雇用が多くの人に認知されるようになると思います。

特に商売には関係なく、言論活動などをしているだけの、左翼やリベラルの人たちたちは別にして、企業経営者や企業の人事担当者は、雇用に関しては年初は小さな変化だったのですが、来年からは大きな変化になることを認識すべきです。

日本がデフレ・スパイラルで沈んていた頃は、そもそも従業員の雇用はさほど重要な問題ではありませんでした。何しろ買い手市場なので、向こうから勝手にいわゆる優秀な学生が飛び込んできました。ただし、本当に優秀な学生はあまり必要ではありませんでした。

優秀な学生を入れたにしても、デフレでものが売れないのでほとんど役に立ちません。正直なところ、企業はあまり人を雇いたくなかったのですが、それにしても、特定の年に誰も雇わないということになれば、将来の管理職がやせ細ることにもなりかねため、それを防ぐために、消極的に雇っていたにすぎません。

そんなときに、重要視されるのが、お決まりのコミュニケーション能力です。それも、コミュニケーションの本質に根ざしたものではなく、コミュニケーションの本質とはまったく無関係の「報連相」ができるとか、いわゆるコミュ障ではない人を採用するという程度のことでお茶を濁していました。

経団連『新卒採用(2013年4月入社対象)に関するアンケート調査結果』(https://www.keidanren.or.jp/policy/2014/001.html)をもとに作成
  
しかし、これからは違います。その時々で、優秀な学生は違います。コミュニケーション能力が比較的低くても、特にある分野が優れている学生も雇わなければならないこともあるでしょう。管理職も、個性の強い社員を指導する猛獣使いのような能力が要求されるようになるでしょう。

いままでと違って、いわゆるコミュニケーション能力に優れた、おとなしいだけの社員には、これからの時代を乗り切っていけないかもしれません。

要するに、これからは雇用に頭を使わなければならなくなるということです。そうして、頭を使う部分で欠けてはならないのは、金融政策と雇用が密接に関係しているという事実を理解して、雇用の本質を理解することです。これがなければ、何も始まりません。

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2015年3月22日日曜日

首相 防衛大卒業式で訓示「安保法制整備進める」―【私の論評】時代が変わった!防大卒業式第一回目の訓示は吉田首相による「日陰者」発言だった!このような理不尽は二度と繰り返すな(゚д゚)!



安倍総理大臣は、神奈川県横須賀市にある防衛大学校の卒業式で訓示し、「不戦の誓いを­現実のものとするためには決然と行動しなければならない」と述べ、集団的自衛権の行使­を可能とすることなどを含む、安全保障法制の整備を着実に進めていく考えを示しました­。

この中で、安倍総理大臣は「戦後、わが国は、ひたすらに平和国家としての道を歩んでき­た。しかし、それは平和国家ということばを唱えるだけで実現したものではない。日米安­全保障条約の改定、国連PKOへの参加など、果敢に行動してきた先人たちの努力のたま­ものだ」と述べました。

そのうえで、安倍総理大臣は「行動を起こせば批判にさらされる。過去においても『日本­が戦争に巻き込まれる』といった、ただ、不安をあおろうとする無責任な言説が繰り返さ­れてきた」と指摘しました。

そのうえで、安倍総理大臣は「大量破壊兵器の拡散やテロの脅威など、国際情勢は絶えず­変転している。不戦の誓いを現実のものとするためには、先人にならい決然と行動しなけ­ればならない」と述べ、集団的自衛権の行使を可能とすることなどを含む、安全保障法制­の整備を着実に進めていく考えを示しました。

ことしの防衛大学校の卒業生は、留学生を除いて472人で、このうち任官を辞退したの­は25人でした。

【私の論評】時代が変わった!防大卒業式第一回目の訓示は吉田首相による「日陰者」発言だった!このような理不尽は二度と繰り返すな(゚д゚)!

安倍総理の防衛大学卒業式における訓示の内容は以下のとおりです。
 本日、伝統ある防衛大学校の卒業式に当たり、今後わが国の防衛の中枢を担う諸君に対し、心からのお祝いを申し上げます。 
 卒業おめでとう。 
 諸君の礼儀正しく誠にりりしい姿に接し、自衛隊の最高指揮官として大変頼もしく大いに誇りに思います。本日は、卒業生諸君が幹部自衛官として新たな一歩を踏み出す、門出の日でありますので、一言申し上げたいと思います。 
 その日のガダルカナル島には、70年前と同じように雲1つなく、強い日差しが降り注いでいたそうであります。昨年秋、練習艦「かしま」のタラップをのぼる諸君の先輩たちの胸には、かの地で収容された137柱のご遺骨がしっかりと捧持(ほうじ)されていました。そして、ご遺骨に無事祖国へのご帰還いただく。今回の練習航海ではその任務に当たってくれました。
海自艦でガダルカナル島から帰国した遺骨
(2014年10月24日午前10時36分、東京都中央区の晴海ふ頭で)
写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 遠い異国の地において、祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場で倒れられた多くの尊い命。そのご冥福を、戦後70年という節目の年に幹部自衛官への道を踏み出す、諸君たちとともにお祈りしたいと思います。そして、こうした尊い犠牲の上にわが国の現在の平和がある。そのことを私たちは改めて深く胸に刻まなければなりません。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。私たちにはその大きな責任があります。

戦後、わが国はひたすらに平和国家としての道を歩んできました。しかし、それは「平和国家」という言葉を唱えるだけで実現したものではありません。自衛隊の創設、日米安保条約の改定、そして国連PKO(平和維持活動)への参加。国際社会の変化に向き合い、憲法が掲げる平和主義の理念のもと、果敢に行動してきた先人たちの努力のたまものである。私はそう考えます。 
 「治に居て、乱を忘れず」 
 自衛隊、そして防衛大学校の創設の父でもある吉田茂元首相が防大1期生に託した言葉であります。昨日までの平和は明日からの平和を保障するものではありません。大量破壊兵器の拡散や、テロの脅威など国際情勢は私たちが望むと望まざるとに関わらず絶えず変転しています。 
 不戦の誓いを現実のものとするためには私たちもまた先人たちにならい、決然と行動しなければなりません。いわゆるグレーゾーン(事態)に関するものから集団的自衛権に関するものでまで、切れ目のない対応を可能とするための法整備を進めてまいります。 
 行動を起こせば批判にさらされます。過去においても日本が戦争に巻き込まれるといった、ただ不安をあおろうとする無責任な言説が繰り返されてきました。しかしそうした批判が荒唐無稽なものであったことは、この70年の歴史が証明しています。 
 「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」 
 この宣誓の重さを私は最高指揮官として常に心に刻んでいます。自衛隊に与えられる任務はこれまで同様、危険の伴うものであります。しかし目的はただ1つ。全ては国民の命と平和な暮らしを守り抜くため。そのことにまったく変わりはありません。 
 その強い使命感と責任感を持って、これから幹部自衛官となる諸君には、それぞれの現場で隙のない備えに万全を期し、国防という崇高な任務を全うしてほしいと思います。 
 東日本大震災をはじめ相次ぐ自然災害のたびに自衛隊は昼夜を分かたず、また危険を顧みず、救助活動にあたってきました。自衛隊に対する国民の信頼は、今や揺るぎないものとなっています。 
2011年4月11日、宮城県気仙沼市で津波の被害者に黙とうをささげるため整列する自衛隊員
 「軍事力は戦うためだけのものである」という発想は、もはや時代遅れであります。災害救援に加えて、紛争予防、復興人道支援。あらゆる機能を備えた軍事力の役割は、国際社会において大きく広がりつつあります。 
 24年前、ペルシャ湾における掃海活動から、自衛隊の国際協力活動の歴史は始まりました。湾岸戦争で敷設された1200個もの機雷がわが国にとって死活的な原油の輸送を阻んでいました。 
 「『爆破成功』の声で、世界は日本の存在を知った」 


 派遣された隊員の言葉からは、当時の誇らしげな気持ちが伝わってきます。気温50度にも及ぶ厳しい環境、それも海の中では石油パイプラインが縦横に走る、緻密さが要求される現場で、3カ月以上にわたり稼働率100%。自衛隊の高い士気と能力を、見事に世界に示してくれました。 
 内戦によって傷ついたカンボジアでは、初のPKO活動に臨みました。自衛隊が作った道路や橋が平和を取り戻し復興するための大きな力となったことは間違いありません。部隊が(カンボジアの)タケオの町から撤収する日には、感謝し、別れを惜しむ現地の皆さん、大勢の子供たちで沿道はあふれていたそうであります。 
カンボジア・タケオ市で、地元市民の協力を
得てPKO活動を行う自衛隊員(1992年10月8日)
 今この瞬間も自衛隊は灼熱のアフリカにあって、独立したばかりの南スーダンの自立を助けるため、PKO活動にあたっています。 
 (南スーダン首都)ジュバの町で自衛隊員が通う病院。その運営はカンボジアのPKO部隊が行っています。内戦から復興したカンボジアは今、PKO活動に積極的に参加し、ともに汗を流すパートナーとなっています。その隊長が現地の自衛隊員にこう語ってくれたそうであります。 
 「UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)での日本の活躍は母国カンボジアの人々の記憶に今も鮮明に残っている。このカンボジア病院も本当は誰よりも日本人に使ってほしい。私たちは日本人のためならば24時間いつでも診療する用意がある」 
 これまでの20年以上にわたる自衛隊の国際協力は間違いなく世界の平和と安定に大きく貢献している。大いに感謝されている。私は自信を持ってそう申し上げたいと思います。そしてのべ5万人にのぼる隊員たちの揺るぎない使命感と献身的な努力に心から敬意を表したいと思います。 
 海の大動脈アデン湾における海賊対処行動では本年5月、戦後初めて自衛隊から多国籍部隊の司令官が誕生します。これはこれまでの自衛隊の活動が国際的に高く評価され信頼されている証に他なりません。 
アデン湾を航行する貨物船(奥)と警戒監視活動を行う自衛隊P-3C哨戒機
 世界が諸君に大いに期待しています。世界が諸君の力を頼みにしています。その誇りを胸に自衛隊にはより一層の役割を担ってもらいたいと思います。 
 本日ここにはインドネシア、カンボジア、タイ、大韓民国、東ティモール、フィリピン、ベトナムそしてモンゴルからの留学生の皆さんもいらっしゃいます。言語や習慣の異なる中での生活、学びの日々は、大変なものであったと思いますが、この日を迎えられたことを心からおよろこび申し上げます。 
 それぞれの母国に戻ってからも、どうか、この(防衛大学校の所在地である横須賀市の)小原台で培った絆を大切にしてほしい。皆さんの母国とわが国との防衛協力を、さらに発展させていくため、皆さんの活躍を期待しています。 
 そして日本は、皆さんの母国をはじめ、国際社会と手を携えながら戦後70年を機に積極的平和主義の旗を一層高く掲げ、世界の平和と安定に、これまで以上に貢献していく覚悟であります。 
 南太平洋に浮かぶパラオ・ペリリュー島。この美しい島は、70年前の大戦において1万人を超える犠牲者が出る激しい戦闘が行われた場所であります。守備隊長に任ぜられた中川州男(くにお)中将は本格的な戦闘が始まる前に1000人に及ぶ島民を退避させその命を守りました。いよいよ戦況が悪化すると部下たちは出撃を強く願いました。しかし、中川中将はその部下たちに対してこのように語って生きて持久戦を続けるよう厳命したそうであります。 
ペリリュー島守備隊長に任ぜられた中川州男(くにお)中将
 「最後の最後まで務めを果たさなければならない」 
 諸君の務めとは何か。それは二度と戦争の惨禍を繰り返さない。そのために自衛隊の中核を担う幹部自衛官として常日頃から鍛錬を積み重ね隙のない備えに万全を期することであります。そしていかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くことであります。 
 私は諸君の先頭に立ってこの責務を全うする決意であります。どうか諸君におかれても全身全霊をかけてこの国民への務めを果たしてほしいと願います。 
 ご家族の皆様。皆様の大切なご家族を隊員として送り出していただいたことに自衛隊の最高指揮官として感謝に堪えません。 
 皆こんなに立派な若武者へと成長いたしました。これは防衛大学校での学びの日々だけでなく、素晴らしいご家族の背中を彼らがしっかりと見て育ってきた。その素地があったればこそだと考えております。本当にありがとうございます。大切なご家族をお預かりする以上、しっかりと任務を遂行できるよう万全を期することをお約束いたします。 
防衛大卒業式で訓示する安倍晋三首相
 最後となりましたが、学生の教育に尽力されてこられた国分(良成)学校長をはじめ、教職員の方々に敬意を表するとともに、平素から防衛大学校にご理解とご協力をいただいているご来賓、ご家族の皆様に心より感謝申し上げます。 
 卒業生諸君の今後のますますの活躍、そして防衛大学校の一層の発展を祈念して私の訓示といたします。
防衛大学校の卒業式で、高々と帽子を投げ上げる卒業生たち

以上の安倍総理の訓示。特に論評を付け加えることもない素晴らしい内容だったと思います。過去の先達の話もあり、まさに戦後70年を迎えた今年にふさわしい内容です。

安倍総理の今回の訓示は以下の3点に集約されます。

「平和を唱えるだけでは実現しない」

「戦争に巻き込まれるとの言説は荒唐無稽」

「諸君の務めとは二度と戦争の惨禍を繰り返さないために備えに万全を期すること」

すべて当然のことであり、このどれ一つが欠けても、日本の平和と安定を保つことは困難になります。当たり前といえば、当たり前なのですが、これができなかったどころか、発言すらできなかったのが過去の日本です。

日本の総理が、旧軍のガダルカナルの遺骨帰還やパラオ・ペリリュー島の戦いを、防衛大学校卒業式で言及するなどということは従来は考えられなかったことです。時代の変化が感じられます。

吉田茂総理の自衛隊「日陰者」発言も今や過去のことです。ちなみにこの発言を以下に記載します。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」 
(吉田茂 昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)
昭和32年2月防衛大学校第1回卒業式似て訓示をする当時の吉田首相
日本を守る最前線に就こうとする人たち、日本以外の国ではエリートと目される人たちに、このようなことを言わなければならなかった当時の吉田首相も、何もこのようなことを言いたくて言ったのでないと思います。まさに、戦争に負けたばかりの、当時の日本の世相や空気がそうさせたのだと思います。

ただし、私としては、たとえそうであったとしても、このような発言はしていただきたくはなかったです。

卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。今の日本は70年前の日本とは異なります、自分の仕事に誇りを持って二度と戦争の惨禍を繰り返さないために備えに万全を期していただきたいです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?


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2015年2月28日土曜日

再反論!大塚家具、久美子社長が孤高の大演説「パフォーマンスは残念、社員巻き込むな」―【私の論評】時代に連れてお客は変わり、商売が変わるのが常、カリスマがいつまでもリーダーというわけにはいかない、企業もある程度大きくなれば社会の公器であることを自覚せよ(゚д゚)!

再反論!大塚家具、久美子社長が孤高の大演説「パフォーマンスは残念、社員巻き込むな」


それは、前日に行われた父の”熱い”記者会見と異なり、娘の大塚久美子社長(47)はきわめて冷静に努めようとしていた。

2月26日午後2時。東京駅すぐ近くの三菱ビルで開催された、大塚家具の記者会見。一連の「お家騒動」後では、初めて公の場に久美子社長が登場した。実父の大塚勝久会長(71)は25日、役員や幹部社員をズラリ10人以上もそろえて登壇したが、この日は司会役を除けば、壇上には久美子氏一人である。会場には150人以上ものメディアが押しかけ満杯状態だった。

久美子氏は冒頭、本来なら今日は中期経営計画を発表する場であるが、「昨日突然、勝久会長が提出した株主提案のことで発表し、世間をお騒がせしたため」、中計の前に、勝久氏の発表した内容を全面否定してみせた。

まず経営手法と実績について。久美子氏が社長に就いていた2009年から2014年半ばまでは、従来の会員制中心のビジネスモデルとは違う来店促進・接客が一定の成果を挙げてきた、と主張。自分が解任され、勝久氏が社長と会長を兼務した2014年7月から、旧来の路線に回帰したために業績が悪化、4年振りの営業赤字に転落したと述べた。



また久美子氏が、大塚家の資産管理会社「ききょう企画」で不当に財産を隠匿したため、勝久氏が久美子氏を提訴した件についても、「事実認識に誤りがある。私的な問題を上場会社のコンプライアンスの問題とするのは無理があり、驚きを禁じえない」とした。

最後に、勝久氏が会見で幹部社員を自分の周りにズラリと並ばせ、「これが会社の総意」とした点についても、「そうした演出で、社員を巻き込んでしまい、申し訳ない。社員は本来、社業の発展と企業価値の向上のために働くもの」と、批判してみせたのである。

その後は中計を淡々と説明。2月26日が久美子氏の47歳の誕生日であるため、「今日はたまたま私の誕生日。(こんなにも大勢に集まって聞いてもらい)思わぬ誕生日プレゼントです」と、冗談を言う余裕も見せた。

中計では、久美子氏が社長時代に進めてきた「会員制ビジネスモデルの見直し」を、最優先で取り組むべきことと断定。販売員が顧客に店内でつきっきりで説明をするスタイルではなく、もっと気軽に入れる・見られるオープンな店であることを伝えたいと述べた。もちろん、前社長である、勝久路線の否定である。

業績目標としては、前2014年12月期に売上高555億円・営業赤字4億円だったのを、2017年12月期には売上高594億円・営業利益19億円まで回復する、とした。現在の豊富な自己資本比率74%を背景に、今2015年12月期には年間配当予想を80円へと前期比倍増、積極的な株主還元も強調したのである。

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【私の論評】時代に連れてお客は変わり、商売が変わるのが常、カリスマがいつまでもリーダーというわけにはいかない、企業もある程度大きくなれば社会の公器であることを自覚せよ(゚д゚)!

私は、この親子の争いを見ていて思い出しことが2つあります。一つ目は、ドラッカーの言葉です。ドラッカーはカリスマ性ではなく、真摯さによるリーダーシッフの重要性を提唱していました。

それは、様々な書籍に表されていましたが、以下には3つの書籍から引用させていただきます。

ドラッカー

まずは、『ドラッカー わが軌跡』からの引用です。
私はその頃まだ、ビスマルクが勝利を収めた1878年のベルリン会議の後、大英帝国の宰相ディズレーリが言ったというセリフを知らなかった。「ドイツも可哀相に。ビスマルクも年だし、いつまでも生きていられるわけではない。臆病で何もできないか、馬鹿で何でもできると思っている奴が、後を継ぐ。どちらにしてもドイツは滅びる」(『ドラッカー わが軌跡』)
ドラッカーは、フランクフルト大学法学部の国際法のゼミを高齢の教授に代わって仕切っていた頃、大宰相は国にとって災厄であるとの感を深めていきました。

フランスはリシュリューの後遺症から抜け出せませんでした。オーストリアはメッテルニヒの成功のおかげで衰退し、ドイツもやがてビスマルクの成功のゆえに敗北しました。大宰相の後を継ぐ者は凡才となるからでした。

こうしてドラッカーは、大人物の後継にまつわる矛盾に関心を引かれました。

大人物でなければ、ビジョンもリーダーシップも期しがたいものです。凡才では無理です。この大人物の後に空白が生じることになります。教わったことしかできない者が後継となります。
自ら強力であって、かつ後継者が強力であるという真のリーダーは、一般に信じられている大人物とは、見た目も行動も大きく異なる。カリスマ性なるいかがわしいものとは無縁である。彼らは、勤勉さと献身によってリーダーとなる。権力を集中させずにチームをつくる。操作によってでなく、真摯さによってリーダーとなる。(『ドラッカー わが軌跡』)
もう一つは、『新しい現実』と、『未来企業』からの引用です。
新しい現実を踏まえた政治のモットーは、カリスマを警戒せよでなければならない。(『新しい現実』)
ドラッカーは、20世紀ほどカリスマ的なリーダーに恵まれた世紀はなかったといいます。その代表格が4人の巨大なカリスマ、ヒトラー、レーニン、スターリン、毛沢東でした。

左より、レーニン、スターリン、ヒトラー、毛沢東
そもそもカリスマは唯一無二とする万能薬まがいのプログラムを手にしない限り、なにもできません。カリスマはそれら万能薬を強制するうえで力を発揮できるにすぎません。

ところが、いまやそのようなプログラムが存在しません。したがってカリスマ的リーダーはまったく不要なのです。リーダーシップは必要です。しかしそれは、今日リーダーシップと名づけられ喧伝されているものとは違いまます。それはいわゆるリーダー的資質とは関係ありません。カリスマ性とはさらに関係がありません。
リーダーシップにはいささかの神秘性もない。それは平凡で退屈なものである。
リンカーンほどカリスマ性のない人物はいなかった。チャーチルにもカリスマ性はなかった。
それどころかカリスマ性はリーダーたらんとする者を破滅させる。ほかならぬそのカリスマ性が、自らの不滅性を妄信させ、柔軟性を奪い、変化不能とするからである。「リーダーシップの本質は行動にある。リーダーシップそれ自体はよいものでも望ましいものでもない。それは手段である。(『未来企業』)
このように掲載すると、私は一方的に社長を支持し、会長を退けているようにも見えますが、決してそうではありません。

しかし、会長のほうにより大きな判断ミスがあったものと思います。しかし、だからといって、社長の考えを全面的に支持するものではありません。

いずれにせよ、内部のことを詳しく知らないので、 結論はだせません。

しかし、この親子の話を聴いていて、私自身はどちらが良いとも早急に結論は出せないと思いました。ただし、今やカリスマ経営者の時代ではないことは明らかです。

なぜここまで事態が悪化するまで、手を打つことができなかったのか不思議です。

私が、この会社の会長か、社長であったなら、このようなことになる前に、複数ブランドを運営したと思います。



この複数ブランドは、今や珍しいことではなくなりました。たとえば、ユニクロとGUや、イトーヨカドーとセブン-イレブンなど、持ち株会社などの親会社が複数ブランドを運営するなどのことは全く珍しいことではありません。

複数ブランドを有するということは、環境変化対応がしやすいです。同一ブランドのみの運営だとは、継続的な変化には対応しやすいですが、断続的な変化には耐えられないです。

複数のブランドを持っていれば、たとえばあるブランドが駄目になったからといって、そのブランドを廃止することなく、他の業績が伸びているブランドに資源を集中することができます。また、駄目になったブランドにも、既存顧客がいる限りにおいては、事業規模を縮小して事業を継続して、既存顧客に商品やサービスを提供し続けることができます。

大塚家具も、はやめに、複数のブランドを持つようにすれば良かったと思います。古くからある大塚家具というブランドの他に家具でも他のブランドを創設し、ブランド別の小会社を複数持つようにすれば良かったと思います。

大塚家具製造販売株式会社は、大塚ホールディングスを筆頭に、大塚製薬、大塚製薬工場、大塚化学、大鵬薬品、大塚食品、アース製薬等、日本国内、海外の事業所および関連会社を含めると総176社で社員約3万9千人にも及ぶ大塚グループの一社です。

こういう大グループの一員であることから、大塚家具自身も、いくつかのブランドを持っても良かったと思います。そうして、管理会社と事業会社にわけて、小売の複数ブランドを持ち、管理会社が複数ブランドを管理するようにすれば良かったと思います。

そうして、現会長は、管理会社の社長か、会長になるということにすれば良かったと思います。そうすると、会長が築いてきた大塚家具のブランドは残り、他に複数のブランドが出来上がり、時代の変化にも対応しやすくなっていたものと思います。

会長は、過去の大塚家具にこだわらず、その精神は小会社に引き継ぎ、他の小会社とともに切磋琢磨させることに心血を注ぐべきだったと思います。最初は、2つの事業会社から初めて、うまくいけば複数ブランドの複数個会社を設立するという方針ですすめば良かったと思います。

このような、親会社、小会社に関しは、何も大企業にかぎらず、中小企業でもそのようにしているところはあります。だから、大塚家具くらいの規模になれば、やってやれないことはなかったと思います。

いまは見かけなくなった鳩のマークのイトーヨーカドー

ところで、イトーヨーカドーは、現在はスーパーのイトーヨーカドーという事業会社と、セブンイレブンという事業会社があり、セブン&アイ・ホールディングズという親会社がこれを管理しています。

実は、このイトーヨーカドーは、現在の形になる前は、イトーヨーカドーという一つの会社でしたが、そのまた昔、随分と前の数十年前の頃には、業態としてはスーパー一つだったのですが、そのスーパーが二種類あったことがあります。

一つは、「イトーヨーカ堂」であり、もう一つは「イトーヨーカドー」といいました。これは、ブランドというわけではありませんでしたが、「堂」のついたほうは、それこそ、昔からいた古参の幹部によって運営されていた店舗であり、もう一つの「ドー」という現在と同じ「イトーヨーカドー」のほうは、大卒などを含めた新しい人たちによって運営される店舗でした。

これは、随分前の話ですので、私自身も「堂」のほうの店はみたことがありませんし、、今や記憶にある人はあまりいないでしょう。おそらく、イトーヨーカドーでも、65歳以上の人でないと知らないことだと思います。

イトーヨーカードーは、こうして実質2つのブランドを競わせたわけですが、結局のところ「堂」は負けて、「ドー」のほうに吸収されてしまったのです。古いタイプの幹部たちは、いわゆる昔の非効率的、非合理的な伝統的な小売業のままの運営をしたので、結局新しいやりかたをする若い層の人たちによる運営には負けてしまったのだと思います。

これは、セブン-イレブンができるずっと前の話であり、私自身も、イトーヨーカドーの大卒一期生の方から聴いた話なので直接見聞きしたことではありません。それから、現在のイトーヨーカドーは直接は知りませんが、伊藤雅俊元会長の血縁にあたる人はほとんどいないと思います。

「イトーヨーカ堂」と「イトーヨカドー」が並立した時代には、複数ブランドという考え方や、複数小会社という考え方は、あまりなかったはずなので、これに近いことを実施した会社として、この頃からイトーヨーカドーは凄い会社だったのだと、思います。



企業はある程度の大きさになれば、血縁者が幹部になるというのはあまり褒められたことではないと思います。血縁者であろうとなかろうと、特に役員クラスは、まともな正当な手続きによって選任されるようにすべきものと思います。血縁者は、大株主ということで良いと思います。

企業は、ある程度の大きさになれば、それは個人商店ではなく、社会の公器です。

そのような考え方で、組織をつくり、組織運用をしてくれば、今日のようなことにはならなかったはずです。そう考えると、やはり、大塚家具が今日のようなことになったのは、創業者である会長に責任があると思います。

現状のようになってしまったからには、会長、社長のいずれに実権が移ったにしても、しこりが強く残ります。一番良いのは、会長も社長も退いて、いわゆる創業者の血縁者ではない人を経営者にして、しっかりとした社会の公器への道を歩むことではないでしょうか。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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