2020年3月31日火曜日

豊田真由子さん「コメンテーター転身」をネット民歓迎の理由―【私の論評】コミュニケーションの本質を知らなければ、豊田氏の失敗の本質や現在の姿を理解できない(゚д゚)!


『バイキング!』にコメンテーターとして復活した豊田真由子氏

新型コロナウイルスが日本中の関心事となって1か月以上が経つ。テレビの情報番組もコロナウルス情報を連日、取り上げている。そのときに欠かせないのが適切な解説やコメントをしてくれる「有識者」の存在だ。東京歯科大学教授で呼吸器内科部長の寺島毅さんや、元国立感染症研究所ウイルス第三部研究員で白鴎大学教授の岡田晴恵さんなど、様々な立場や経歴の専門家が登場しているが、最近、やさしく分かりやすい語り口で評判が高まっているのが元衆議院議員の豊田真由子さんだ。

【別写真】柔和な笑顔には“まゆゆ”のニックネームが

 豊田さんといえば、2017年に報じられた秘書への暴言「このハゲーーー!」で日本中の人に激しい怒りで叫んでいる印象がついていた。しかし『バイキング!』(フジテレビ系)に初めてゲストコメンテーターとして登場した姿はそれと大きく異なり、おろした前髪に肩までのふんわりヘア、淑やかなメイクで穏やかに語っていた。ネットでも「イメチェン!」「キレイだし、やさしそう」「雰囲気かわっていい感じ」と歓迎され、その後、出演するたびに「豊田真由子」や新たに呼ばれるようになった愛称「まゆゆ」がTwitterのトレンドワード入りするほどの注目ぶりだ。

 2017年の騒動当時、ネット、とくにSNSでは豊田さんの話題には罵詈雑言がつきまとっていた。だが、今回の大歓迎ぶりはどうしたことか。たった3年で、これほど評価が変わるものなのか。ネットニュース編集者で豊田さんを当時から追い続けていた中川淳一郎氏によれば「まゆちゃんはもともと、そんなに嫌われていなかったんですよ」と断言する。3年前からそのかわいらしさに注目していたネット民にとって彼女は「まゆちゃん」と呼ばれる存在だったという。

 「騒動時から『まゆちゃんをいじめるな』と主張しているネット民は少なくなかった。確かに暴言でしたが、そこまで追い詰めるような内容かということです。それに、あの騒動のあと、政党の応援もないなか必死に選挙活動する姿が報じられていましたよね。そして落選したから、地獄をみて苦労したんだろうなということを皆が知っている。女性の国会議員はこうあるべきという型にはめられていたのが、今回のテレビ出演で本来の頭の良さやおだやかで優しそうな感じが分かりやすく伝わったのだと思います。そして、司会の坂上忍さんがひな壇に座る髪が薄いことをネタにしているそのまんま東さんなどを差して『ハゲ用意しておきました』と言い、ハゲをネタにしてもらえたことで許された雰囲気になった影響も大きいです」

 さらに、意外なイメージチェンジととられている豊田さんの見た目や言葉づかいの変化は、変わったのではなく、あれこそ本来の姿だ、と元同級生が語る。

 「学生時代はいつも淡いピンクや白などの可愛らしい服装でした。逆に、国会議員になったときのシャープなスーツ姿や髪型、メイクのほうに違和感がありました。穏やかな口調も、同じ教室で勉強していた頃のまま。大声で怒鳴ったり、叫んだりするところなんて見たことがなかった。公衆衛生の専門家として落ち着いて語る様子も、勉強熱心だった豊田さんのままです」

 東京大学法学部を卒業後、厚生省(現・厚生労働省)へ入省した豊田さんはハーバード大学へ留学、公衆衛生学で修士号を得ている。さらに2009年の新型インフルエンザ流行時には、厚生労働省の調整実務担当者だったので、未知の感染症に社会はどのように向き合っていくのか、という難題への取り組みを紹介できるのも納得だ。

 とはいえ、専門領域に詳しくても人に説明するのが上手とは限らない。どのテレビ局も、人に伝える技術も持ち合わせた専門家探しに苦労している。そんななか豊田さんが"発見"されたのは、友人宛のアドバイスが偶然、番組関係者の目に触れたためだった。

 「新型コロナウイルスについて不安を抱える友人に送った、見解とアドバイスのメールが『バイキング!』(フジテレビ系)の番組プロデューサーの目に留まったことがきっかけでした。医療に詳しくない、つまり一般の人に向けて分かりやすく解説されていて、不安を与えないように配慮が行き届いたアドバイスだったんです。テレビで話してもらうのにぴったりだとお願いしました」(番組関係者)

 出演を依頼した番組は生放送だということもあり、それを理由に及び腰になる人も少なくない。だが豊田さんは「役に立てることがあるのならやらせていただきたい、と快諾いただきました」(前述の番組関係者)という。

 その後、豊田さんは複数回、番組に出演しているが、そのたびにネットでは評価が高まっている。内容をみると、冒頭で記した見た目や語り口だけでなく「持ち込み資料すごい」「ものすごい分量の資料」と、机の上に分厚いファイルを置く姿も強く印象づけられているようだ。この「分厚い資料」には、出演者として豊田さんを迎えた番組関係者も驚いている。

「毎回、間違いないように、分かりやすく伝わるように、徹夜で準備してくださっているそうです。スタジオにまで持ち込む大量の資料には赤ペンでびっしり書き込みがある。過去の資料もたくさん用意してくださって、生放送だと間際にお願いすることも多いのですが、どうやったら一番簡潔に説明できるかを直前まで練っていただいています。想定外の質問にも備えるべく、電話帳くらいの資料をいつもそのときの状況に合わせて新しく揃えて、読み込んでいる。本当にありがたいことです」

 2017年10月の衆議院議員選挙落選後、豊田さんは公の場から一切、姿を消していた。それから今回の番組出演で再び登場するまで、どのような生活を送っていたのか。「少し前には家族で笑顔で出かける様子も見られたので、元気になってよかったと思っていたんです」と地元の支援者が語る。

「あの事件のあとは、人前から隠れるように暮らしていました。体調を崩して入院していましたが、退院後は福祉法人に勤めていました。家族にも悲しい思いをさせてしまった、と必死で向き合ってきたそうです」

 家族も落ち着き、テレビ出演によって好感度も上がる一方だ。となれば政治の世界へ復帰することやタレント転身への誘いもありそうだが、本人にはそんなつもりはまったくないそうだ。

「役に立てることがあるのならやらせていただきたいとだけ言っているそうです。この3年間、本当に笑ったことがなかったけれど、こうやって人前に出たことで笑っている自分に気づけた。出演のきっかけをつくってくれた人たちに感謝しているとも話しているそうです」

 ネット、とくにTwitterで大評判の豊田さんだが、2017年の騒動以来、Twitterは怖くてまったく見ていないという。まゆゆへのエールを直接、届けられないのは寂しいかもしれないが、少しはにかんだ笑顔が似合う今の彼女にとって、Twitterを見ないぐらいが応援してくれる人とのちょうどよい距離感なのかもしれない。

【私の論評】コミュニケーションの本質を知らなければ、豊田氏の失敗の本質や現在の姿を理解できない(゚д゚)!

本日豊田真由子氏について掲載したのは、上の記事をはじめ世の中には実に安っぽい論評が多いからです。いずれの報道をみても、コミュニケーションの原則にまで踏み込んだ話をしているものはありません。

私自身は、豊田真由子氏が失敗してしまったのは、コミュニケーションの原則を知らなかったからだと思っています。

これについては、あの事件が起きてから少したってから、(2017年9月18日)このブログに掲載したことがあります。
豊田真由子議員が会見「生きているのが恥ずかしい、死んだ方がましではないかと思ったこともありました」―【私の論評】私達の中の1人から私達の中のもう1人に伝わるものとは?
詳細は、この記事をごらんいただくものとして、この記事ではコミュニケーションの原則をとりあげました。これは、ドラッカリアン (ドラッカー・ファン)なら誰でもご存知と思われるドラッカー氏のあげている原則です。

ドラッカー氏

1. コミュニケーションは知覚である
2. コミュニケーションは期待である
3. コミュニケーションは要求である
4. コミュニケーションは情報ではない

この原則の詳細は、この記事をご覧いただくものとして、なぜ豊田真由子氏が、あの時に失敗し、現在では成功しつつあるのか、各項目ごとに従って分析したものを以下に掲載します。

1. コミュニケーションは知覚である
大工には大工の言葉で話せと、ソクラテスは言っています。コミュニケーションとは、相手に知覚されなければ伝わらず、全く無意味になってしまいます。「2.のコミュニケーションは期待である」の項でも述べますが、彼女自身が相当な努力家で優秀な人であり、こうした優秀な人間にありがちな欠点は、他者が自分と同様に優秀であり、自分にとっては疑問の余地がな言葉なので、相手にも通じるのが当然という錯覚を抱いてしまう点にあります。
言葉も、相手に合わせた言葉でいうのでなく、自身の理解できる範囲で語ることが多く、相手の範囲を超えていることもしばしばあります。 あるいは、同じ事を言っても、コミュニケーションが互いに成り立っている相手なら、理解ができても、そうでない人に対しては、理解ができないということもよくあることです。豊田氏は、このあたりの配慮が欠けていたものと思います。
2. コミュニケーションは期待である
彼女自身は、非常に優秀な人物で、ミスを仕出かす人々の気持ちが本当に理解できないのできなかったのではないでしょうか。彼女の経歴をみると、東大法学部卒業、厚生労働省入省、ハーバード大大学院修了、そして衆議院議員に当選しています。 
およそ非の打ち所のないほど華麗な経歴で、彼女自身が相当な努力家で優秀な人だったのです。こうした優秀な人間にありがちな欠点は、他者が自分と同様に優秀であるという錯覚を抱いてしまう点にあります。
本来であればできるはずなのに、意図的に努力を怠っているから、仕事ができないという風に思い込んでしまうのです。自身が優秀であればあるほど陥りがちな欠点といってよいでしょう。この罵声を浴びせられた秘書のミスを許すことができなかったのでしょう。 
ところが、人間は皆、豊田代議士ほど努力家でも優秀でもありません。多くの人が豊田代議士ほど優秀ではないというのが、世の中の常です。確かに豊田氏は優秀な官僚ではあったかもしれないですが、個々の人々の心をおもんばかることができなかったという意味においては、政治家には絶対に不適格な人物であったといえるでしょう。 
これをドラッカー流にいえば、「コミュニケーションは期待」であるということです。豊田氏は、叱責した秘書に対して過度の期待をしすぎたのです、「このハゲー」という罵声は、豊田氏の秘書に対する期待を表していたのです。
それを秘書が受け止められなかったので、あのような事件になってしまったのです。 
3. コミュニケーションは要求である
相手に何かを要求するときに、それは相手の期待の範囲をこえる場合もあります。その場合には、これからおこることは相手の期待の範囲を超えていることを伝えなければなりません、そのためには覚醒のためのショックを与える必要があります。
覚醒のためのショックというと、仰々しいですが、平たくいうと、企業活動の日常でよくあるのは叱ることです。
この覚醒のショックを与えるには、相手の期待を良く知っていないければ無理です。豊田氏の「このハゲー」発言、はまさに秘書に対する要求で、何とかしろという叫びだったのでしょう。
しかし、秘書からすれば、自分は普通に仕事をこなしていると思い、豊田氏にとってそこそこ役に立っていると思っていて、豊田氏の期待には、ほぼほぼ応えていると思っていたのでしょう。
ところが、豊田氏の期待の水準は、それよりもはるかに高く、完璧に秘書の想定の範囲を超えていたのでしょう。 豊田氏は秘書の期待がどの程度のものだったかなど、全く考慮していなかったのでしょう。
4. コミュニケーションは情報ではない
コミュニケーションは情報ではありません。しかし、両者は相互依存関係にあります。情報は人間的要素を必要とせず、むしろ感情や感想、気持ちなどを排除したものの方が信頼される傾向にあります。そして、情報が存在するためにはコミュニケーションが不可欠です。 
しかし、コミュニケーションには必ずしも情報は必要ありません。必要なのは知覚です。相手と自分との間に共通するものがあれば、それでコミュニケーションは成り立つのです。このことも豊田氏は理解していなかっのでしょう。
5年ぶりくらいに、親友に会っても、話は十分に通じます。それはコミュニケーションが成り立っているからです。しかし、初めて会った人とは、相手にあわせるとか、平易で誰にでもわかる言葉を使いをするなどの配慮しないと、なかなかコミュニケーションは成り立ちません。
ドラッカーの「コミュニケーション」の原則には、最後にもう一つ重要なものがあります。それは、コミュニケーションとは「私達の中の一人から、私達の中のもう一人に伝わるもの」であるということです。 

コミュニケーションを交わすには、そもそも「私達」といえる関係になっていなければ、伝わらないのてす。

豊田氏と「このハゲー」といわれた秘書の間には、「私達」といえるまでの関係はなかったのでしょう。

コミュニケーションの成り立っていない間柄の人間同士では、表面的な付き合いしかできないということです。そうして、コミュニケーションが成り立っていない場合は、最悪の結果を招くことになります。

この元秘書は、年齢ははっきりしませんが、豊田氏よりは一回り上だったようです。であれば、経歴や学歴などでは、豊田氏には及ばないかもしれないですが、コミュニケーションにかけては一日の長があるはずで、未熟気味の豊田氏に対して何らかの対処ができたはずとも思います。

恐らく、何度も信じられないほどの暴言を浴びせられ、嫌気が差したことは理解できます。しかし、本来、彼がなすべきだったのは、ミスをした点に関しては、豊田代議士に対する心からの謝罪であり、その後になすべきは、豊田氏の異常な言動に対する「諫言」ではなかっでしょうか。

失敗した点は謝罪すべきですが、本来、非難されるべき点ではない身体的特徴を揶揄(やゆ)され、人格を否定されるような発言がなされた点に対しては、いさめるべき立場にあったと考えられます。いさめて聞き入れないというのならば、断固として、その点は認めがたいと面を冒してでも堂々と主張すべきだった思います。

これは、豊田氏に対する覚醒へのショックとなり、豊田氏も変容して、それこそ秘書と「私達」といえる関係となり、コミュニケーションが成り立つきっかけになったかもしれません。どちらか一方の期待や、要求が他方の想定よりもはるかに大きい場合、このようなことになりがちです。

昔は、本当の親友とは喧嘩をしないとなかなかなれないといわれたものですが、これは本当にコミュニケーションを成り立たせるためには、覚醒のショックが必要だということを指していたのだと思います。しかし、最近では、単なる知人を友だちなどと読んでいる人も大勢いて、こういうことが理解されていないのではないか思うことがしばしばあります。

現在の豊田氏が、現在ネット民に歓迎されているのは、やはり、このコミュニケーション能力を体得しつつあることが、ネット民にも伝わったからではないでしょうか。

見た目や語り口だけでなく、毎回、間違いないように、分かりやすく伝わるように、徹夜で準備するなど、とにかく相手を中心にものを考えるようになっていることが、評価されているのでしょう。とにかく、スタジオの共演者や視聴者の人々と、「私達」といえる関係を構築すべく努力している姿が評価されたのだと思います。

それにしても、この豊田氏の過ちを単に批判するだけの人もいましたが、現在の日本には、残念ながら、豊田氏同じよう間違いをし続ける人も多いのではないでしょうか。実際、河村建夫元官房長官は豊田氏に対して「ちょっとかわいそうだ。あんな男の代議士はいっぱいいる」と述べていました。

さらに、最近特に中間管理層には、部下を怒ったり、褒めることはできても、叱ることができない人も大勢いるようです。これでは、コミュニケーションが成り立っていないと思います。

私自身も、以前ドラッカーの「マネジメント【エッセンシャル版】」を題材として、40歳前後の有志と集い、読書会を開いたことがあります。その時、「コミュニケーションの原則」に関わる読書会の時に感じたのは、多くの人が字面を追っているだけで、ドラッカーのいうところの「コミュニケーション原則」を良く理解していないと感じたことでした。

多くの人感想は「当たり前」というものでした。では、その当たり前の事実の例証をあげてみよと指摘すると、満足な事例があがってこないのです。普段からあまりコミュニケーションに関心がないことの現れだと思いました。

他にも、事例があります。私は以前人事の仕事をしていたこともあるので、当時は企業説明会にも何度も足を運んだことがあります。そこで、他の企業の採用担当と親しく話をしたことがあります。

当時は、不況の真っ只中で、どこの企業も積極採用はしておらず、そうして多くの企業が「コミュニケーション能力重視」を採用のポイントだとしていました。


そこで、「コミュニケーション」を重視しているという企業の採用担当者の何人かに、担当直入に「御社でいうところのコミュニケーションとは何か」と質問してみました。

そうすると、多くの担当者が答えに窮していました。「コミュニケーション」とは当然のことであり、それまでまともに考えたこともないようでした。すぐに反応する人もいましたが、それにしても、技法などに限られていて、深みのあるものはほとんどありませんでした。

無論、私としてはドラッカーのいうところの「コミュニケーションの原則」のような答えを期待していたわけではないのですが、それにしてもわざわざ「コミュニケーション重視」というのですから、当然何かあるだろうという私の思いは見事裏切られました。

結局当時は、かなりの不況であり、多くの企業は、人の採用は控えていたのですが、それにしても採用を全くしなければ、将来管理者や幹部を選ぶときに候補者がいなくなり、大変なことになるので、当たり障りのない調整型の人を採用するというのが、本音だったようです。

特定の方向に能力かありあまるような人を採用すれば、不況のさなかで何か新しいことにチャレンジしようとするでしょうし、そのようなことはできないわけですから、かえって企業が混乱してしまうことになります。であれは、調整型人間を採用しておけば、当たり障りないということです。要するに「調整型」では格好が悪いので「コミュニケーション型」という曖昧な言葉を用いただけのようです。

「コミュニケーション能力=調整型能力」というわけです。これは、コミュニケーションの一側面を表しているだけで、コミュニケーションの本質ではありません。私は、以前にもカタカナ用語の弊害を主張してきましたが、この日本ではおそらく「コミュニケーション」ほど曖昧につかわれている言葉はないと思います。それが、様々な混乱を生んでいると思います。

私は、随分前から日本人はいつの間にか、コミュニケーション能力が衰えてきているような気がしていました。何しろ、豊田氏の例の事件が起こってしまったのですから、代議士もひどければ、秘書も著しくコミュニケーション能力が欠如していたと言わざるを得ません。日本の政治は一体どうなってしまうのかと思わざるを得ない低俗な事件でした。

もともとの日本人はわざわざ「コミュニケーション」という言葉を持ち出すまでもなく、そのようなことは、ある程度の年齢になれば、自然と体得していたと思うのですが、現在そうではないようです。

「報告・連絡・相談」いわゆる「ホウレンソウ」がコミュニケーションと信じて疑わない人もいます。いくら「ホウレンソウ」をしていても、コミュニケーションが希薄な場合もあります。あるいは、コミュニケーション=ノミュニケーションであり、「一緒に飲めばわかると」、中東のテロリストにツイートして、「私達はあなたを殺します」と答えられた学生がいたりします。この学生は、中東は原則禁酒であることを知らないのでしょう。


コミュニケーションの本質を知らない人たちが、「コミュ障」などの言葉を使っています。これでは、日本には「コミュ障」がはびこるわけです。現在では、「惻隠の情」という言葉ですら、死語になってしまったようで、わからない人が多いです。

田中角栄は「人たらし」といわれていましたが、田中氏は本当にコミュニケーション能力が優れていたのだと思います。そのような逸話は、いまでもサイトを検索するとたくさんでできます。

豊田真由子氏は、相当のストレスを抱えていたようですが、コミュニケーションに問題があれば、そうなります。

現在はストレス社会ともいわれていますが、ストレスを抱えている人の中にもコミュニケーションに問題がある人が大勢いるのではないでしょうか。

現在では、コミュニケーションという言葉を使い、ドラッカーの「コミュニケーション原則」をあげて、厳密に話をしないとわからない人が増えてきました。残念なことです。

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