まとめ
- 秋田県に自衛隊が熊駆除の名目で派遣されたが、任務は後方支援に限られ、銃による駆除は認められていない。法の制約によって現場は危険にさらされ、形だけの対応に陥っている。
- 北海道などでは猟友会が低報酬と高リスクを理由に協力を拒否しており、積丹町の副議長も「問題は個人ではなく制度と運用にある」と指摘するなど、現場と行政の乖離が深刻化している。
- ライフル銃の規制強化が熊駆除を困難にしており、安全距離からの射撃が制限され、熟練射手の減少と威力不足の装備が現場のリスクを高めている。
- 熊の出没は「餌不足」だけでなく、個体数の増加や人間の生活圏拡大、放置農地や生ゴミなどの人為的要因によっても起きており、餌の有無を問わず出没リスクが恒常化している。
- 熊問題は単なる獣害ではなく、国家の危機管理と安全保障の縮図であり、法と感傷が現場を縛る現状を改め、現実に即した柔軟な運用と理性的な防衛体制の再構築が求められている。
1️⃣撃てない自衛隊と崩れる現場の現実
秋田県でクマによる人身被害が相次いでいる。ついに自衛隊が出動する事態となったが、その任務内容を知って驚いた人も多いだろう。彼らの役割は、箱わなの設置補助や駆除個体の搬送といった後方支援に限られ、銃による駆除は行わないという。だが、誰もが抱く疑問はひとつである。それなら、なぜ自衛隊が行くのかということだ。 
今回の派遣は「自衛隊法第83条」に基づく災害派遣であり、治安維持や有害鳥獣駆除ではなく、あくまで自治体の支援が目的である。自衛隊は警察権も狩猟権も持たず、熊を撃ち殺すことは法律上できない。彼らが担うのは、危険地帯の警戒やワナ設置の補助、捕獲後の搬送といった作業にすぎない。つまり、熊退治のための出動ではなく、被害の後始末のための出動である。
この「撃てない」現実の背景には、もっと深い構造的問題がある。北海道奈井江町で猟友会が報酬の低さから協力を拒否した事件(2024年5月)に続き、2025年秋には積丹町でも同じような事態が起きた。副議長を務める猟友会関係者は、出動停止の背景について「個人の問題ではなく、危険業務に見合う報酬や役割分担、手続・責任の所在など制度・運用上の課題が大きい」との趣旨を示していると報じられている。出動要請に応じなかった背景には、危険な任務に対して報酬が見合わず、責任ばかり押しつけられるという現場の不満がある。熊が頻発しているにもかかわらず、行政と現場の間に深い溝があるまま問題が長期化しているのだ。
こうした状況は、秋田の派遣にも通じる。現場は限界にあり、猟友会は高齢化し、夜間出動や山中での活動が難しい。警察や自治体職員には銃器の扱いができない。ヒグマの出没は年々市街地に迫り、農作物を荒らし、人を襲う。2024年の秋田県では人身被害が過去最多を記録した。機動力と安全管理能力を備えた自衛隊の出動は当然の流れだが、彼らには撃つ権限がない。命を守る力を持ちながら使えないという、この歪んだ構図が続く限り、根本的な解決は望めない。  
2️⃣銃を縛る法と熊を呼ぶ社会構造
さらに、銃規制の硬直化が事態を悪化させている。ハーフライフル銃の所持条件が厳しくなり、散弾銃の長期所持が前提とされた。安全距離からの正確な射撃が難しくなり、熟練射手が減少したことで、駆除は一層危険な近距離戦に変わった。これは、安全のための規制がかえって現場の安全を奪っているという皮肉な結果である。
このように、人材の枯渇、装備の制約、法の硬直が三位一体となって、現場を追い詰めている。自衛隊員が銃を使えるのは正当防衛や緊急避難に限られ、熊を危険動物として射殺するには知事の許可と狩猟免許が必要だ。だが、熊に襲われたときにそんな手続きをしている暇はない。人命を守るための行動が、法の網に阻まれているのだ。
一方で、熊の出没増加には生態的な背景もある。多くの報道では「木の実やサケの不漁による餌不足」が原因とされるが、これは一面的な理解にすぎない。確かに、北海道東部ではサケの遡上減少やドングリの不作が確認されており、栄養状態の悪い個体が人里に出てくる事例はある。しかし、環境省や複数の研究報告によれば、ヒグマの個体数自体が増加しているほか、人間の生活圏が拡大し、森林と住宅地の境界が曖昧になったことが、出没増の主因とみられている。
さらに、放置農地や果樹園、生ゴミ置き場など、人間が生み出した“餌場”に依存する個体も増えている。つまり、熊は「餌がないから」ではなく、「人里の方が手っ取り早いから」出没するケースも多いのだ。餌が豊富な年でも個体数が多ければ競争が激しくなり、人里に出る熊は一定数現れる。こうして、「餌不足の有無を問わず」出没のリスクは恒常的に高まっている。
専門家の分析では、過去30年でヒグマの生息域は拡大し、東北地方では“餌が足りている年”でも人里出没が増える傾向があるという。原因は単なる山の不作ではなく、個体数の増加、里山管理の崩壊、人手不足による巡回減少といった社会構造の変化である。要するに、山ではなく社会が熊を呼び寄せているのである。  
3️⃣感傷では命を守れない──制度と現場の再設計を
このブログでも指摘したように札幌市手稲区での連続目撃も、こうした問題の延長線上にある。住宅地のすぐ近くで熊が目撃され、早朝には道路を横断する姿まで報告された。もはや“山の出来事”ではない。行政の対応が遅れれば、被害が出るのは時間の問題だ。自衛隊の派遣は機動的対応として意義があるが、最も危険な局面での判断と行動を現場に委ねられない仕組みのままでは、迅速な対応は望めない。 
秋田の自衛隊派遣は、地方の危機管理の限界を映す鏡である。熊の駆除は単なる動物対策ではなく、人命を守る安全保障そのものだ。老朽化した行政組織、過剰な規制、そして感情的な「かわいそう」論が絡み合い、現場の力を奪っている。
札幌市手稲区の記事で私が指摘したように、駆除は人間のエゴではなく地域社会を守るための義務である。動物愛護の感傷に溺れて「撃つな」と叫ぶ人々は、三毛別や紋別での400キロ級のヒグマを知らない。私が2016年のブログ記事で指摘したように、北海道では学生がヒグマに遭遇した事例もある。現場を知らぬ議論は、結局、命を軽んじることになる。
積丹町の副議長が示した「問題の核心は個人ではなく制度とその運用にある」という趣旨の主張には、今回の構図が凝縮されている。制度が現場を縛り、現場が逃げ、そして国家が後追いで自衛隊を出す。これがいまの日本の熊問題であり、同時に日本の安全保障の縮図でもある。
熊との戦いは、単なる自然保護の議論ではない。人間社会の秩序と生命を守るための戦いである。法律が人を守るためにあるのなら、現場の命を守れるよう柔軟に運用されるべきだ。規制の理念を否定する必要はない。しかし、規制のために人命が失われるなら、それは本末転倒である。人を守るために法を変える。そこにこそ、現代の「国防」の本質がある。
秋田の山奥で熊と向き合う自衛隊員、低報酬に苦しむ猟友会員、そして都市の縁で不安に怯える市民――この三者の姿が交わる場所に、今の日本の危機管理の縮図がある。感傷では命を守れない。現実を直視し、人間社会の安全を守るための法と制度を立て直す時が来ている。 
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